作品投稿掲示板 - B-REVIEW

メルモsアラガイs


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冒頭部分を要約すれば昨日は昨日今日は今日、ということでしょうか。マクロ的な観念としてみれば人間の本質なんてわからない。人類の叡智を司る世界樹なんていう概念が北欧神話にはみられたりもしますが、哲学でいう懐疑主義的な見方をすれば帰納的な認識としての否定に辿り着いてしまうわけで、結局人間の知力では普遍的な認識など得ることは不可能である、という。これも形而上学的に矛盾する二律背反としての存在論を人間は本質的に背負っている。つまり柱となる大きな樹木の枝に分かれ抱え込む様々な知恵や知識を、人類や生命の根源であると崇拝したところで背後にあるモノの見方本質は普遍性を伴わない。得体の知れない時間という概念の中では物質は常に変化していくものだ。という。根底にはそのような思考によって書かれてある詩だとは思うのですね。~樹勢を弱めるためにそれを守っていきる。とはこの不可能な本質性という背後に抱えた認識を、我々人類は存在論として認めて進化して行くしかない。それには超人としての知覚自覚を得るしかないのだ。答えはまさにニーチェ哲学になりました。笑 (樹勢)

2024-05-19

例えば、ドタバタ迫力のある騒がしいだけの娯楽映画を面白がる人もいれば、眠たくなるような中身の濃い作品に惹かれる人もいる。人それぞれ面白さの基準には差があるので一概には言い切れません。 自分は昭和生まれでけっこう我慢強くて石の上にも三年、とかいうあの忍耐力を称える諺をたたき込まれてきた世代なので、ずいぶん無理もしてきたなって思っています。人見知りもしますが、話し好きで見た目は弱々しくは見えないでしょう。むしろ自分の殻に閉じこもるのが好きな質なので、あの人は何を考えてるのかわからない。よく言われたものです。そんなわたしがやれ肩が痛いとか腰がわるい、況してや鬱病ではないのか?と他人に言ってもほとんど信じてはもらえないのです。それは、つまり少々では弱音を吐きたくない。というあのトラウマのような諺に取り憑かれているからでしょう。つい無理をしてしまう。なかなか信じてはもらえないので親しい友人にも本心は秘匿されてしまうことになる。正直どのように受けとめてもらうるのか、それを考えると怖いからですね。 ~のように考えてみれば、わたしが投稿詩というサイトに関わってこられたのはやはり本音で語れる。という側面があるからでしょうね。もちろん作品では嘘も作りますが、コメントや批評では嘘も吐けない。それは互いに顔も素性も知らない相手で、空間に遮られているという安心感もあるからでしょう。そのことはまた知らない自分を引き出してくれる場でもある。自由な空間です。素晴らしいことですよ。言葉で表現するってそんな良さがある。といま書いていてはじめて気づいたかのように気恥ずかしくなりました。笑。よくもわるくも言葉を通じて素の自分が出せる。いくら装うことになっても、です。その様に詩を書く行為とは、つまり掛け替えもなくやはり素晴らしいことなのです。 (薬を飲んでから)

2024-05-19

あの山の稜線と想像の痕跡が等しい~この冒頭部分がいいですね。この二行を読んだだけで、これから意識は二つに寸断されて流れていくのだ。と云うのが観念的な読みとして手に取るようにわかってきます。詩は目線から指先に戻るという想像視点で描かれています。竜胆、なんて硬い漢字使いだな。と思えば病院内の出来事も想像されて、なので竜胆は花としてよりも漢方としての薬を意識します。余談ですがこの竜胆は猫には毒だそうですね。酩酊するマタタビ症状にもなるらしい。毒薬草として身近な植物にもこうした作用は含まれているんだな。と改めて認識してしまいます。  稜線を基準として左右非対称に描かれる三角点。脚を滑らせれば一方は地獄、崖の下へ。また一方は病院内という現実の地獄へ。(僕は高所恐怖症なので近づきたくはない)。どちらにしても死の世界だ。しかしこの危険な稜線に立ち向かい真っ直ぐに歩いて行った。という点に関して云えば、息づくこのどちらも白い指先でなぞるようにわたしの眼には美しいのだ。という。 「稜線」。この詩は死生観を賛美した詩だと私は解釈します。 (稜線)

2024-05-18

おまるたろうさん、再コメありがとうございます。➰ですか。それに井上達夫は調べてみたら面白そうな本もありそうだ。ザ議論。対談の相手は小林よしのりだな。アマゾンにあったのでカートに入れておきましたよ。 ※ 鷹枕可さん、再度ありがとうございます。 詩もこれからは対AIでしょうね。シュールな詩を読ませてみてくれ。ててなて問いかけたら、おそらく奴らは過去の詩作品から分類分析して提示できるようになるでしょう。オープンソース。意味を持たない持たせない、なんて指示しても整えるのは簡単でしょう。そんな怪物AIにも絶対理解不能で人間だけが感化できる詩。それは詩なんて呼べるのかわかりません。AIがいくら光速を超えようとも人間の次元を超えた夢には叶わない。そんな詩を夢に描いています。 (詩は人で選ぶ故に詩人という)

2024-05-18

黒髪さんがコメントしてるように各連の冒頭は面白いですね。またnew先生がおっしゃるように(けったいな)というのもわかる。これ、少し大きめの「舟唄」ですよ。演歌ですね。歌でもサビの展開があるんだから、やっぱり展開するオチはほしいところですね。 (これが、生きてる!! 答え。)

2024-05-18

鷹枕可さん、コメントありがとうございます。 まだ暗い明け方だから見えないけど鳥はいいね。ピーヒョロロ。鳶かな。最強の鷹じゃないすね。いつも橋の欄干で鳴いているのね。僕もピーピーと口で合図してやる。するとそいつがそ飛んで僕に付いてくるのね。少しの距離だけど。もちろん暗いから上空は見えませんよ。でも可愛いもんだ。 少し前までBSテレビの深夜放送でやってましたね。60s~90sにかけての海外のヒットソング。主にUKのロックバンドを。知らないグループもたくさんいて、でもその中でもう一度聴きたい曲のグループってやっぱり少なかった。好き嫌いは良し悪しはべつにしても、やっぱり世界的に売れたグループって個性的で魅力があるのね。知らなかったマイナーなグループでもそうです。印象に残ったのはやっぱり独特で個性的なグループ。曲も見た目の雰囲気もね。そんなときはいつも思うのですよ。よくもわるくも独自性がないとダメだな。ってね。人のやらないことをしなきゃ、そりゃ目立ちませんよね。目立とうなんて思わなくても印象には残るものです。詩も詩人も同じでしょう。人のやらないことをやりたい。 (詩は人で選ぶ故に詩人という)

2024-05-18

おまるたろうさん、さすがに乗ってはこられなかった。オールドリベラル?そうでしょうか。これは訳せば一昔前の自民対社会。二大政党時代でいえば自民党ハト派または社会党の右派ということになるのでしょうかね。個人な意見ですが、革新には期待していますが、もう政党にそれ以上を期待するのは無理だと思っています。 ※下に延びてしまうので、お二方同時に返します。 妻咲邦香さん、コメントありがとうございます。お名前はちょくちょく拝見いたしますよ。いい詩書かれてる。 竹下通り。流したいと思ってた時からずいぶん経過しました。詩人賞。そういえば女優の秋吉久美子賞なんて儲けてあったんですね。特に女性の方には興味も惹かれるでしょう。直接テレビを前にしてすらすらおしゃべりできる方のパーソナリティもすごいこと。これには経験も必要でしょうが、どちらかといえば役者さん、俳優専門の方々は生の出演は苦手なようです。普段のカメラと違い見えない圧力緊張感に負けてしまう。そんなことからも、役者さんって、やはり詩人なんでしょうね。 (詩は人で選ぶ故に詩人という)

2024-05-18

追記。そうだな、倦怠感。アンニュイさを伴う女性には惹かれてしまうところがありますよね。外は雨の、窓ガラスには水滴が紗を透した傘のイメージでしょうか。フランス映画に出てくる、例えばドヌーヴのような、日本人の歌手でいえば大貫妙子でしょうか。原田知世なんかもそうですね。これもはじめて言われて驚いています。 (詩は人で選ぶ故に詩人という)

2024-05-18

ペえ太さん、たぶん詩を書く皆さんそうでしょうが、この世界もVRなんですね。ちょうどTVで放送されてますが、僕も詩を書いているときは別人になります。真実は寂しい人間なんですね。ほとんどひとりぼっちを受け入れています。べつに人間嫌いなわけじゃないけど、実際リアルなお付き合いはもう面倒くさくて、ファンなんて言ってもらえるのはじめてですよ。こちらに投稿されるほとんどの方たち、先出のAOIさんなんかもそうでしょうが、一文を読んだだけでその人の詩経験がわかる。どんな意図形式に装われていても先鋭化された言葉にその人の歴史が出てくる。しかしこれも厄介なことで、経験を積めば積むほど置いていくものも多くなって年齢とともに逆に思考は子供還りしてしまう。もう取り戻すことはできない。もっともっとシンプルな自分を見つけたいと思っています。 (詩は人で選ぶ故に詩人という)

2024-05-18

AOIさん、コメントありがとうございます。 そうですね。なんて言葉から入らなければならないつまらない書きものですが、これはメッセージ臭いので、ああ、こんな馬鹿な奴がいる。と思ってくださればそれでいいのです。ずっと詩を眺めていると刺激を求めて読んでしまう。知らない人の書き上げる驚きは新鮮でいいものです。能力を発揮する機会には恵まれなかった。いや、機会をモノにする才能もなかった。はじめから才能なんてなかった。物書きは皆同じように悩むのでしょうね。もう夢中になって書いていた頃の迸る汗は取り戻せない。書けば書くほど何度も何度もくり返し詩がわからなくなる。何のために?ではないのです。僕は環境も変わり少しでも楽に生きていける事ができれば躊躇なく詩を捨てます。いつもそのように考えて生きている。変化にも挑戦しましたがやっぱり上手く乗り切れない。どうやら神様はおまえに幸運は与えない。とそうおっしゃっているかのようです。人生を悲観するただの厭世家だな。そうなんですね。もうそれも受け入れることにしました。運命は変えられない。 (詩は人で選ぶ故に詩人という)

2024-05-17

しまった。波平を忘れた。タラちゃんはまだ生まれていない。 カツオ「…やったあ!家族勢ぞろいだ。じゃおじいちゃんにも、ねえ、おじいちゃ~ん!」 庭で盆栽をいじっていた波平 波平「お!そうか。じゃあわしも一緒に行こうかのう なあ、マスオ…」 マスオ「@&*&@……あ、ああ……  」 (B-REVIEW 5月のお題詩「サザエさん」「ハンディキャップ」 )

2024-05-17

ホテル「シタベラーメ」は駅前から歩いて10分。飲食街を横道に逸れた所。 カレンダーをチェックしながらマスオはこの新しくできたばかりのラブホテルのチラシに目をやった。 マスオ「おい、サザエ、ちょっとこれ見てくれ、下着買ってきたよ。へへ。なかなかなパンツだろ?へへへ。」 サザエ「あら!いいわね。わたしも買っちゃおうかな、ね、同じ色の物」 マスオ「!」うん、それ、いいねえ」 マスオ「ところでさあ、なあ、明日しか空いてないんだよ。明日にしようよ。な?」 マスオはニヤリと薄笑いを浮かべてサザエのほうを見た。 サザエ「もう~しようがないんだから~わかったわよ明日の昼過ぎね。」 サザエの顔が少しだけ血行よく火照った。 この新しくできたラブホテルの通りは昼間のほうが人通りも少なかった。 マスオにとってこのトビウオのような捌け口の愉しみは、1週間に一度というサザエとのセックスだった。もっともサザエのほうは1週間に一度でも過ぎるという思いはあったのだが、それよりもマスオとの抱擁の最中にはキマッテ熱い息を吹きつける、ヨン様の表情が思い浮かべるのが秘かな愉しみでもあるのだ。 サザエ「じゃあ、あなた、明日はカツオもワカメも学校がお昼までだから、車の準備しておいてよ。」 マスオ「ああ、わかったよ。そうか、昼までか…」 しばらくして玄関のドアが開く 「ただいまあ~」 学校からカツオが帰って来た。 カツオ「ねえ、母さん、学校明日昼までだろ、それでね、友だちの鮫島くんから動物園へ行こうって誘われたんだよ。 鮫島くんの妹のエイ子ちゃんも一緒でね、それからお母さんの海老代さんも行くから母さんも一緒にどうかって……」 サザエ「エエ! 海老代さんも一緒に行くの? じゃあ行かないわけにはイカないわねえ…」 カツオ「でさ、車で迎えに来てくれって…」 「……   」 …サザエ「あ、あの、ちょうどお父さんが明日休みだわ会社。  …ね、あなた… 」 カツオ「 え?そうなの、じゃお父さんも一緒に行こうよ。やったあ!ワカメも昼までだし、家族勢ぞろいだあ…ね、お父さん」 マスオ「 @&*&@……あ、ああ……   」 (B-REVIEW 5月のお題詩「サザエさん」「ハンディキャップ」 )

2024-05-17

計算マチガイ書きコました。79ー7は72ですよね。ボケてくるとこんな簡単な計算もマチガイを起こしてしまう。大谷翔平も17でしたね。7という数字は幸運を引く数字でもあり、霊を惹きつける数でもあるって霊媒師の方がおっしゃってもいないか。すみません。作り話です。 (7を引く)

2024-05-17

佐々木 春さん、コメントありがとうございます。 もうですね、詩が面倒くさくて嫌なんです。だから他人の作品ばかり読んではコメントしてる。ええ自分なりにしっかりと読んでるつもりですが、鬱も酷くなると集中するのが辛くなる。もう詩は嫌ですね。たまらなくどうでもいい。好きだとは思えないのに習慣になってしまった。鬱が詩を呼び詩が鬱を呼ぶ。いまは一生懸命駄作に専念してやろうと思っています。 (詩は人で選ぶ故に詩人という)

2024-05-17

万太郎さん、コメントありがとうございます。identityってなんでしょうか。1作2作と愉しんで聴いたり眺めたり読んだりしても結局好みは絞られてくる。選び抜いたその人の作品はなんでも受け入れられる。最後は残ったものの価値観ですよ。共感度。あたりまえのことですよね。詩が人生を摸索するのではない。人生が詩を表すわけです。 (詩は人で選ぶ故に詩人という)

2024-05-17

おまるたろうさん、わけわからんけど、コメントありがとうございます。 ところであなたは天の陛下様にあたまを下げれますか?誘われたら園遊会に、年明けには記帳しに行く派でしょうか。? (詩は人で選ぶ故に詩人という)

2024-05-17

79から7ヲひいたら70ではないですか?100から7ヲ引き続きけたら最後は3が余る。それにまた100ヲ足して7ヲひいたら93かあ。はじめに戻るわけですね。ラッキーナンバー7っていう数字は複雑だな。やっとわかりました。そういえば名無しの権兵衛さんも七つ時が思い出せなかった。 (7を引く)

2024-05-16

せこい犯罪が増えていますね。 強盗にしても、相変わらず公職に就く人間の性犯罪にしても。 日本人は外国人の対応には慣れていないので、戸惑うばかりです。 米国の大統領は日本人は外国人を嫌っているという感想を持っているようです。 これはあたりまえですね。犯罪の多くは外国人や外国の土地絡みです。 差別的偏見はアカンですよ。わかります。 今後外国人の移住者が増えてくると地方の、特にお年寄りたちはその対応に苦慮することでしょうね。 ツバルにお引っ越し。なんていいかもしれないです。笑 (おひっこし)

2024-05-16

母親の胎内という場所を思えばやは深海とか宇宙とか生命につながる神秘的なものを浮かべてしまいますね。前半部分はいいと思いますよ。胎内ではまだ眼も開いていないわけだからそれを見た人間はいない。赤ちゃんです。なので自由に表現されてもいいと思う。ちょっと気になったのは後半~と、そう思っていた。~そう思った。何度も置かれた過去形ですね。~そんなことを想うのだった。終わりもそう置かれている。これは文章ではつながって読めるのに必要もなく空間に取られているからでしょうか。語り手が何度も出てくる様子で時間的にも混乱して読めてくる。この念を押すように用いられた過去形の文は要らないのでは?とかおもいましたけど。 余談ですが、羊水の~というタイトルを見れば懐かしく思い出す書き手がいましたね。確か「未詳」に取り上げられていた、かな。名前忘れちゃったけど、文極ではイカイカ氏に貶されてたな。airとかに似てるとか、彼はいまどうしてるんだろ。コメントしたことがあるのでよく覚えているんですよ。もうずいぶんと前の古い話です。要らない余談ですみません。 (羊水の歌)

2024-05-15

熊倉ミハイさんが構造から分析を試みておられますが、そうしたくなるのもこの文面から何かしら意図的に隠れたものがあるのでは、という気持ちにさせられるからでしょうね。 筆者は思いつきとかコメントして謙遜していますが、いやいや、如何にも軽そうに捻りを利かせた言葉使いの奥にはやはり深い意味が隠されていますね。策士です。星の王子さまですね。「大切なものは眼には見えない」 積極的な鼠の死とかをイメージするとついレミング(旅鼠)を思ってしまうのだけど、あの集団自殺の伝説も実はW.ディズニーのドキュメンタリー映画「白い荒野」(古い映像なのでたぶん僕は観てないのだけど観てみたい)が引き金になってるらしくて、あれは制作者が意図的に崖に追いつめて海へ飛び込ませた映像らしいですね。そんなことが書かれてある。本当はレミングの集団移動や周期的にみた大幅な数の増減らしいのです。我々大衆はどうしてもドラマ性を求めて作り話受け入れてしまう傾向があります。伝記物の小説もそうでしょう。作者による捏造が真実を追い越してしまう。なんてことはよくある。「伝えたいこと、したいこと」この作品の主旨もそうでしょうね。わざとお捻りを浮かべておもしろい口調で書き込まれてはいますが、実はその奥には我々人間社会への警鐘が隠されている。見せかけの情報に振り回されるな。「真実」は眼には見えないところにあるのだと。 (伝えたいこと したいこと)

2024-05-15

筆者の何作かを読んで推奨している私ですが、この作品「水滴」はシンプルなタイトル故に複雑な絡み具合が難しかったのではないかと思われてきますね。この水滴の持つ世界観をどこまで、そしてどのように取り入れて表現しようとされたのか、という点ですね。 ご承知のように水滴とは冷やされた水蒸気が水に変わり、表面張力によって円状にくっついてしまう結露とも呼ばれる現象ですが、普段我々が目にするのは主にガラスの表面にできる水滴か、植物の葉に零れる水滴などでしょうね。眼鏡が曇る厄介な現象も表面の光を乱反射させるこの水滴のせいらしいですね。 この丸い一粒を拡大させて見れば、レンズ効果によって背景を小さく取り込みしかも逆さまに映ります。 神秘的で透明感に引き込まれる世界ですが、硝子窓全体を見渡せば背景はこの水滴によってボンヤリと隠されてしまいます。この逆さまに見つめる世界観で表されているのが、冒頭から二連目までの沈み込み見上げる内面的な世界観でしょうね。しかし、わたしはきっと何色でもない水滴。あなたはどうしてわたしを好きって言ってくれたんだろう。この空間を挟んだ行からは街の景色を取り込み場はがらりと移り変わります。映り変わると言ってもいいのかな。~雨粒が跳ねるような硬い音がしたと思ったのはわたしの聞き間違いだったのかもしれない。雨も上がり日射しが差し込むように語り手はその場ではっと気づくわけです。彼のことを思いながら、わたしは雨粒、この水滴に映り込む小さく閉じ込めた逆さまな世界観で遠くをみつめていたのかもしれない。そして終わり三行の語りはまた冒頭の観念的な内面世界へと戻るわけです。 まあ、わたし的にははじめの観念的にみた内面世界と、外部の景色を取り入れた半ばから後半にかけての場の差をもう少しメリハリを利かせてはっきりと分けられてもよかったのかな、と思いました。特に、~わたしはきっと何色でもない水滴。あなたはどうしてわたしを好きって言ってくれたんだろう。これなどはこのタイトル「水滴」をみつめて思う核のような文言ですね。自分で暴露しちゃってる。冒頭よりも前に、はじめに置かれてもよかったのでは?とか思ってしまう。そして文半ばには景色とともに現象としての水滴が多く書き込まれている。水滴に寄りかかりながらも思いはわたしと彼へ。これをイメージとして捉え書かれた作品でしょうから、そのことを鑑みてみれば「水滴」このタイトルの変更も有りかもしれない。といった感想です。 (水滴)

2024-05-14

これはすごい、勇気いりますよね。そこまでして読み手を目眩ましに騙してみたいのかと。 後半は言ってることも破綻していきますが、「バケモノ」ここまで自覚できるのならバケモノでもないでしょう。兎にも角にも人間が作り上げた命の宿らない動物なのだから。 (ばけもの)

2024-05-13

劣等感も肯定的に受け入れれば人生観も少しは前向きになれる。ってことでしょう。こういう考え方を言葉で表現できるのも詩の良さではあるのでしょうが、詩としてみれば淡々と書かれていて少し余韻が不足していますね。~だが考えてみよう~なんて第三者的に語る話者の印象が強いからだと思われます。 (待つ力)

2024-05-13

庭先から上がり込んできては体育会系の兄貴もよくやってましたね。家の愛猫を見つけてケツを顔のまえにつき出してはぷぅ~。と。誰の影響か戦後生まれ団塊世代にはこうした下品な人間が多いです。 まさか、まさかね。ここで吉本新黒劇の台本を読まされるとは思ってもみませんでした。アンナネトレプコも驚いてますよ。刺激がぷぅ~です。 そういえばヒトシマツモトによくイジられてましたね。あの田中くんもいまじゃ係長でしょうか。仕返しに部下の小沢くんを使って美人局を計画したら、彼女に裏切られて逆にマツモト部長から博多へ左遷を仰せつかる。まあ、どぶ板とはいえ屋台の地に飛ばされるだけでよかったとですわ。 しかしねえ、吉本新黒劇なんて滅多にみれるもんじゃない。国立現代詩人会館にでも頼んでみたくなる。風刺風俗も社会を問う詩の一分野。ナンセンスギャグ詩大賞の部門を置いたらどうでしょうか? じゃあ、あなた舞台で朗読してくださいよ。 覆面被ってでも。いえ、あ、あの遠慮させてもらいます。祝杯!もうさんざんお尻を触って満足いたしました。ハイです。 (運ぶ、わたしたち)

2024-05-13

冒頭二連目から四連目の空間が爽やかにもシャープでうまい誘い方だ。きっと女を口説くのも上手いのでしょうね。関係ないけど。ガンダム世代でもないけど軟体動物とは超合金オモロイターな話しを読んだなという感想です。 (コアファイターのようなスポーツカー)

2024-05-13

愛を標本箱に取っておいた。とか言って誤魔化しているけど蟹男、君はカニバリストじゃないか。神経を疑うよ。気持ちわるいよ。でもいい湯加減の風俗風呂で個展と遊んだらまっすぐ家に帰るのね。真面目じゃないの。いろいろと気持ちわゆくてこんなのも有りだと思えば面白いよ。 (蟹男)

2024-05-12

書き落ちてますが、タイトルの長さが新鮮ですね。たまにはこんな吐露物も読んですっきり感をいただける。なので創作コメントに私を奔らせてしまいました。 (きみがしてくれなきゃだめだよきみしかできないんだからもうせきにんとってよどうすんだよこんなのおかしいよそんなのはずかしいもうわたしのことどうおもってるの)

2024-05-11

切羽詰まる。そんな状況でもないのに日常の不満感はやり場のない状況。この不満から不安感を抱えた私は教授からメッセージを書くことを勧められました。そしていろいろとサイトを眺めみるうちに、私は今のわたしの心情にピッタリハグしてきたメッセージを見つけ、突然二十歳の女子大生から詩人になることを決意しました。そのように自覚してました。はてな?いろいろと書いているうちに原題フォーラムよりもこちらB級戦版のほうがいいな(ウンウン)という確信を持ったので投稿してみたのですが、詩人の書く詩を読んでもコメントを読んでもドーモ納得がいかない。みんな、結局みんな偽者よ。誰も本気で相手なんかしてくれない。自分の作品を他人のお気に入りを少しでも良くみせようと術を凝らしてる。有りもしないおべんちゃら。アラガイs氏なんて悪口ばかりじゃないの。詩人サイトなんて大嘘つきだらけだわ。特にこちらで指導的立場にある先生方をはじめみんないい加減だわ。あーあ、もう俺は嫌になった。だからこうして言葉にしてぶつけてやるぞ。不満足を、貴様らに。こんな精神状態を抱えて細胞が切れそうな俺の状態を益々わるくするのかな。誰か責任とれよ。とってよ。ここは政権与党自民党かよ…。とまあ相手に責任を擦り付けることでしか満足感の得られない状況になるほど、創作上語り手は追いつめられても作者は至って平然と構えているのでした。後書き。長々とつまらない創作を入れ込んでコメントしたことを作者様にはお詫び申し上げます。 (きみがしてくれなきゃだめだよきみしかできないんだからもうせきにんとってよどうすんだよこんなのおかしいよそんなのはずかしいもうわたしのことどうおもってるの)

2024-05-11

たびたびごめんなさいね。あれはアヒルじゃないよ。白鳥のアタマだろ?指摘されそうなので訂正させてもらいます。たびたびアタマ出して皆さんには申し訳ない気持ちです。終わります。 (霊音)

2024-05-11

↑ おまるたろう氏+No9 結局同じようなこと言ってんのね。あなた。スカートの内側ですよ。捲ってアヒルのアタマが出てきたら驚いてちょっと間が空いて笑えるでしょう(志村けん)可笑しさもそれなりに納得させてほしいわけです。 (霊音)

2024-05-11

おまるさん、ひとつありましたあ! 天才赤塚不二夫のレッツラゴン! (霊音)

2024-05-11

本棚に席を置く作家たちすべて。ほとんどすべてですよ。おまるたろう氏ご本人を参考にされてもいいよ。僕は知らない。ウィキペディアで検索してみれば誰かが挙げてるでしょ?文章の上手い作家ベスト10!とかさ。 (霊音)

2024-05-11

ごめんなさいね。訂正。遊園地の回る木馬みたいに~これはそのままのでよかです。これじゃなかった。眠気醒めからぬ僕の~眠気醒めやらぬ僕の~でしたね。可笑しいのは。駄目だよ。田中恭平new先生。僕を指摘しなきゃ。 (霊音)

2024-05-11

↑万太郎貫太郎おまるたろうなあんちゃって、ごめんなさいね。名詞出して。 ね、面白いよね。万太郎さん。バカバカしくて。ね、だから、お題は大事。こんな風になっちゃうのさ。笑 (B-REVIEW 5月のお題詩「サザエさん」「ハンディキャップ」 )

2024-05-11

これはですね。推敲してみて自分で可笑しくないと思わなければ駄目でしょうね。たぶん学校の先生から指摘されます。とはいえ、詩には文法を超えた持ち味の佳さもあるのですね。でもそのような破綻を目的にされた意図にも読めない。正式に文法なんて私も学んだこともない。漢文なんて大嫌いでした。しかし物を書くならやはり読みやすく理解される。その基本的な方法はあって然るべきでしょう。先ず助詞の使い方をもう少し検討されてみては如何かと思う。二連目、遊園地の回る木馬みたいに~べつに遊園地が回るわけでもないのだから、遊園地に回る木馬みたいに~でしょうね。どうしても遊園地の~にされたいのならば、遊園地の、回る木馬みたいに~で読点を用いるべきでしょう。冒頭の一連なども、あなたのそのしなやかなで冷たい指が鍵盤の上を踊り、人間の温度が込められた霊音を冷たく奏でた~とかなんとかにされればニ行で済むわけです。 霊音って主題は何かしらそそるわけだから、勿体なく感じて意見もさせてもらいましたが、日頃どのような作家の本を読んでおられるのだろうか。上手い文章を綴る作家たちの書籍は書店に沢山ありますよ。参考にしてみてほしいと思います。 (霊音)

2024-05-11

「拝啓「エアコン」 君の瞼は飛行機の羽根のようには光らない それでも夜のほくろを払いながら、春雨を報せてくれる~」 何回も読みたくなるね。意表をつくタイトルの出だしから喩でつなぐ文章がいいんだ。(夜のほくろ)とか、?ツッコミたくなる表現だけどそれをうまく躱すように立ち止まらせないところが微妙でいい。なのでこんなぶっとんだタイトルの出だしをうまくサポートしている風に取れる。その微妙な文章のセンスだね。上手く言えないけど。 ~私は孤独な老夫婦を花壇に詰めるのをやめました。これなどもそうだね。シュールな感覚に誘われる妙味を既に把握しきっている書き手だとわかる。ぶつかり合いが、なんでそうなるの。とか思えない、ずば抜けた比喩感覚ですね。上手く言えないけど。ぶつかり合うけど決してハビタブルゾーンの外へは進出しないという生命の、その根源的な約束を思ってしまう。 この作品も挑戦してみてほしい。高峰サイトとして君臨する現代詩人会へ投稿してその評価を期待してみたい作品です。 (「クロス・ゲームの手紙」MV)

2024-05-10

作者様におかれましては勿体のうございますね。書き切りましたで賞物。これだけの長編独白詩で杯不参加とは実に残念だ。 (羅列社不勧進帳)

2024-05-10

宇野昌磨は引退宣言をしましたが、これだけ言いたいこと書いてしまえば作者としてはもう思い残すこともないでしょう。といった感想ですが、すごい気力ですね。言葉への執着心から解放されたいのでしょうか。作者の詩作に興じたその人生経験のすべてを読まされたような面白さと暗い気分になりました。もう登る階段もない。足蹴りして仙人はその反動で自らを突き落としてしまう。その叩きつけるような激しさにはguillotine鳥も鳴いて驚いてますよ。その熱量と詩作経験の高さには敬意を祓いたい。祓いたいのですが、正直私も疲れているので、枕をともにします。一言、よくぞここまで登りつめてこられましたね。少しお休みなさい。と言いたくなってきました。笑 (羅列社不勧進帳)

2024-05-10

新しいですね。その言葉使いテンポの切り返し。刺激的で斬新だ。 拝啓「エアコン」まるでVRのなかで過去の自分(部屋)に向けて話しかけているみたいだ。クロスゲーム。僕は漫画は知らないんだけど訳せば拮抗した試合。一体何と拮抗し、その思いを誰に伝えたいのだろうか考えてみるが答えは見つからない。つまり答え(結末)のないことへの問いを問いただしているということになって、読み手は幻惑させられる。面白さ以上に刺激的で、これは優秀賞を差し上げたい。 (「クロス・ゲームの手紙」MV)

2024-05-10

ブラックホールに落ちてしまったのでしょうね。意識されてはいないのでしょうが、磁針のようにも受け取れるのでコリオリの力を幻想に見立てた。北半球では水の渦は反時計回り。南半球ではその逆ですね。そして赤道直下では、渦は巻かれずに吸い込まれていきます。つまり語り手はこの現象をコーヒーを飲みながら時計の針を逆戻りさせたわけだ。そして眠りから目覚めた途端に直下に吸い込まれる。ブラックホールの穴へ。夢のまた夢。そこ現実には作品を書いている作者しかいないわけです。 (針とカップはくるくる回る)

2024-05-09

ライト感覚。といってもちょっと軽すぎ。まあ、お金が無いのを社会の問題にすり替えて読めるのはタイトルの原作(サリンジャー)とも被って読もうには読めるのだが、なんせ、つかまえてがお金だけではねえ。あまりにも軽すぎ。 (ライ麦畑でつかまえて)

2024-05-09

仲間たちでトランプゲームを。たとえばポーカーや神経衰弱をしているときのようなドキドキしたお遊び感がある。タイトルといい言葉を操る巧みさ。面白さ。という点ではマルをあげたい。 (らんらんるー)

2024-05-09

価値観よりも人間性という作者の考えには賛同するものですが、価値観を認め合わない人間が何故人間性を語れるのか。その矛盾する答えが明らかにされていない。人間性とは一体なんでしょうか。 (インドに行くと人生観が変わる!)

2024-05-07

~今朝の歌~なんていい歌じゃないですか。あなたもおっしゃっておられるように反論はあって然るべし。褒め言葉の多い詩サイトでは貴重な意見ですよ。以前より知る鷹枕可氏はその様なお人でもない。少し多目にあたまに血が流れただけでしょう。それでも悪意と感じられるのならば、停止せよ!と本人に伝えてからでも遅くはない。と思います。 (極北、またの名を老害)

2024-05-05

誹謗中傷暴言を吐いたわけでもないし。べつに悪意もないでしょう。嫌なら無視すると返せばいいし。許せる。庇うつもりはないが、私ならお愛想で許せる範囲ですよ。それほど気にすることもないのでは、おまるさん。 (極北、またの名を老害)

2024-05-05

「神々の深き欲望」今村昌平。タイトルから複雑な心理合戦を想像したのですが、大人たちを襲う子供たちが神の罰を受ける?そして神になるなんて筋がメタメタだ。これはただ暴力化されたバイオレンス劇で終わってますよ。 (神々の遊戯)

2024-05-04

アニメ(AKIRA)その通には有名だ。昭和生まれなので聞いたことはあるが見たこともなくてよく知らない。恥ずかしい。たまにユーチューブ見てたので格闘家朝倉未来は知っているが、割烹格闘家こめを。これも知らなかった。どうでもいい。 なんで「カフカ」なんだよ。と思った。裁判の件が書かれてあるからだろう。つまり概ね対象は「審判」なのだ。審判といえばカフカ亡きあとに編纂され出版された不条理文学の傑作とも言われている。多くの論者が批評し論じてもいるが、その中でもj.デリダが提唱した「脱構築」という概念からも多くの論者が読み解いている。 この作品も大方そんな認識で書かれたのだろう。根底にはウクライナロシア対応パレスチナイスラエル問題だ。対照的にみた二項対立の概念から生じる「存在と欠如」という捉え方。この思考は結局存在がなければ欠如もしないという矛盾につきあたる。この考えから相互に依存しあう。つまりは結論なき意味の証明というクラッシュ&ビルドへの矛盾。これが脱構築化の考え方に向かわせることになるのである。一方の考え方が優れているとは限らない。 こめをはそのことを刑務所という閉ざされた世界から裁判という開かれた世界に一歩進み出ることによって社会の不条理という矛盾を確信したのかも知れない。 ウクライナは国の誇りという面子に固執して無駄な犬死は止めてしまえ。同様にパレスチナもイスラエルも手枷となっている宗教の教えや戒律など無視すればいいのだ。こっそり路の脇に唾を吐きかけて、素直にあたまを下げておけばいいのだと…。 (カフカ)

2024-05-04

「クロール」現代詩人会6月入選おめでとうございます。ね、言った通りでしょう。オススメした甲斐がありました。どちらかといえば言葉遊びに趣く女性の書き手が多いなかで、あなたの作品には技術と内省がともに含まれて読めてくる。目線の基盤がしっかりしていて、斬新な新しさに拘らずとも独特な妙味を発揮していて堪能できる。きっと評価も高く。作風からしてもメジャー好みだと思えたのです。これからは多くの書き手からも注目されますね。登壇の日も近いことでしょう。評価を勝ち得るほどに嫉妬の対象にもなってきますが、どうか負けずに個性を磨きあげ立ち止まらずに邁進してほしいと思います。 (坂道)

2024-05-04

持てる者たちが持たざる者を虫螻の如くに踏み潰していく。粉々に破壊されつくした瓦礫の山。負傷し住処を亡くした市民の泣き叫ぶ姿は連日放送で見ていても胸は痛みます。何故戦争は止められないのか。当事者たちは遠くから駆け引きをくり返し、市民の嘆きは世界に噴火をまき散らす。そんな激しい怒りが作品から読み取れてきますね。 あなたの作品はそれだけで個性的な術を備えているので言葉を正確に読むことからの解説も難しい。屏風に飾られてもいい至芸だと思われます。 (廻廊遠近法)

2024-05-04

エイも空中を飛ぶし珊瑚が見送ったっていい。主に海を念頭に想像豊かに書き込まれていますね。しかし惜しい。タイトルがそれをぶち壊してしまった。「飛行場」翼のある飛行機は見えても飛行場なんて周りはアスファルトやコンクリートしか思い浮かばない。内容からみれば離島とか壮大な景色を意識した、他にあるはずだと思えてきます。 (飛行場)

2024-05-04

ご苦労さまです。貴音さんでしょうか。ですが前回にも意見したようにやはりこのお題目ではおもしろいものが書けそうもない。私には。です。気の利いた一言や味のあるタイトルをみればインスパイアされて書きたくなるものですが、「サザエさん」「ハンディキャップ」特にハンディキャップと言われればゴルフか出生時に神から授かる運命による身分格差。そして述べられているような身体的にみた特徴でしょう。これを想像して書いても散文にしかならない。無理矢理詩に昇華しようとしても観念的に通俗的な我が身のことになってしまいますね。書き上げられている作品を読んでもその様なものがほとんどです。向上を目指すサイトとしての面白味が感じられない。例えば「犬とハンディキャップ」とか、もう少し思考に働きかける言葉を操作して挙げられたら如何かな。とまた一人愚痴をこぼして申し訳ないのですが、 (B-REVIEW 5月のお題詩「サザエさん」「ハンディキャップ」 )

2024-05-03

うん、おもしろいですね。個性的な作りにも光るものを感じる。鬱陶しさに追われる雨の日の列車。意味を逆なでするようにナンセンスを含んだユーモアとも読めるのですが、度々出てくる拍手がそんな支離滅裂な言葉たちを打ち消すように意味深く胸を辛辣に捉えてもきますね。不思議です。拍手が止むとはなんでしょうか。単純に煩わしい雨の音? 僕はもう少し突っ込みたくなります。拍手とは、これまで歩んできた作者の事象で、それは人生経験をふり返る自他ともに込められた期待感への祝福の雨音。その鬱陶しさから、作者はこれが止むのを待ちきれずに、語り手を通じて失念の雨を降らせているのでしょう。 (T RAIN)

2024-05-03

お久しぶりとか言われても、すうさん、あなた誰?ここに書き込む人はまた名前変えてるからわかりませえんですよ。で、何、ポエム要らないとか書かれてカチンときたの? メルヘン要らないとか思われてカチンときたのでしょうか? ありきたりなら要らないと考えるのが普通だと思いますよ私は。一応選考付きのサイトですよ。しかも代表をはじめ関係者のお歴々は皆さん旧文極の流れを汲む人たちばかりです。当然作品には質の高い新鮮な驚きを求めておられるのだと解釈しておりますよ。もちろんどんな作品であれ投稿されるのは自由で、べつ私がお節介にも声に出すこともないのでしょうが、少々崩れていても面白さのある作品の投稿を待っておられる。と思うのは、これは常に上を目指す詩書きならば当然のことでしょう。BーREVIEW いまでは希少となった選考付きのサイト。という観点から申してみた。ということで、お気に召さない相違は何卒ご容赦を。 (君へ星の贈り物)

2024-05-03

夜空に浮かぶ煌めく星たち。語りはギリシャ神話を思い描くようなポエムです。味噌糞混ぜてメチルセルロースに固めたようなお馬鹿な詩が多いなかでは一杯の清涼飲料水でしょうか。ですが、こちらに書き込む強者な方々にはもう並みのポエムなど必要とはされていない。といってポエムが必要もないのではないのです。人間優しくも有りたい。もっともっと目線を下げてもよろしいのではないでしょうか。例えば壊れそうな幼児のように。強者どもの心に玩具の釘を刺すくらいの儚さで日常が讃えられれば、祈りは届くと思いました。 (君へ星の贈り物)

2024-05-03

うむ産む有無膿む。こんなことは解脱してないとなかなか書けない。新興宗教のようなもので、タイトル含めて半年くらいはあたまに残るでしょう。その後とは?問われたら作者の神経を疑うでしょう。これも壊滅的には新しい。 (山口メンバーリメンバー/人に夢と書いて「儚い」)

2024-05-03

一人乗りの戦車でいいのです。もう充分に馬鹿なのだから。 (めしべの思い)

2024-05-02

いまからの季節。同じ名前のお人には蕎麦や饂飩が美味いでしょうね。面白くて。 (FEEL LIKE MAKIN’LOVE 。)

2024-05-02

出だしから笑う。お笑いしたい人は必至に読めばいい。面白い。それだけでは不満足でしょうか。面白くないと考えるお人に批評をお願いしたい。 (びっくりするほどのデブ)

2024-05-02

イメージを時空で操作するように文体で切り分けたり突然方向転換するのはわたしも好みなのですが、あなたの文体には大きな方向転換というよりも行きつつ戻りして斜めジグザグに進もうとする。そんな佳さが認められてきますね。なのでこんなわかりやすい内容でも複雑化されてしまうのです。騙されないように慎重に読まなければならないし。と笑です。 (坂道)

2024-05-02

インされていない白シャツ~グレージュの髪が揺れている。~君に何も約束できないのはこれまで君に出会ったことがないし、これからもたくさんの君に出会うだろうから~ かっこいいと評されていますが、この辺りは女性でないと思いつかないような、確かに格好よさがありますね。 構造的にみれば、冒頭から~君に何も約束できない。までは、この詩の客観性を総体的に俯瞰するような前述に置かれ、思想する私が述べられるところから入ります。 それから~わたしは横断歩道をわたる。まで具体的なイメージで坂道を登る背景やその気配が書き込まれる。 そして終わり~君に出会えたら伝えないといけない。始め冒頭部分をつなぐような回想から現実は回帰され、わたしはまた新たな明日へ進み出そうと決意を促されるわけです。 こうしてみれば当然この詩の核は君とわたしの関係性ですね。客観的に自分(わたし)を見つめ直してみたいという願望が仮想の(君)を作り出して追い求めている。 このことは「夢判断」テレビでも放送されていましたが、解説者の方が論じた願望充足説にもつながる。 夢は過去の模造なのか、いや、夢を分析すると未来がみえてくる。結局夢を判断するとは、今日までとは違う明日(わたし)を手に入れることだ、と。 ポエム。歩恵夢とも表記されてもいいでしょう。夢を判断する。詩の構造も同じようなものだと思います。 (坂道)

2024-05-02

体制社会を風刺したブラックユーモア的な詩でしょうが、朗読の声質が合ってると思いました。もっと子供じみていてもいいですね。やはり朗読されるのはちょっと怖い。その表現者によって受け取りもずいぶん変わると思いましたよ。 (働かせアリ)

2024-05-01

パレスチナへの攻撃を止めろ! 若いピチピチの学生たちが軽装でデモ活動を勃発させてますね。あの国では逮捕されて将来自分の身に傷が付く。なんてへっちゃらなんでしょう。才能ある学生たち。実際実力主義の合衆国社会ではいくらでも取り戻すことはできる。日本ではそんなことはもう考えられませんね。対ウクライナ戦争にしてもパレスチナとイスラエルの紛争にしても闇で蠢くのはお金です。お金といえば今年また大統領選に出てくる豪商トランプなんてのも法の網を抜けて頂点に君臨しました。彼の廻りにはそんな族が犇めいている。一方ではわずかな食い扶持のために命を捧げる人間は大勢いる。我々庶民といえば汗水垂らして労務に励んでいる。日本人はいいですね。ロシアウクライナにしてもパレスチナイスラエルにしても何ら血を流す責任はありません。直接人殺しの武器には関与してないから。主義政治体制。資本主義やれ共産主義。そんなもの何処に存在しているのか。誰が権力を握り締めても、虐げられるのはお金もコネもない一般市民でそのまた底辺に暮らす弱者ですね。内省問題に関わるな。保守だリベラルだ。新自由主義だ。これが一体何に誰の為になるのでしょうか。ここに挙げられたメッセージにはその問いはあっても答えはない。そこが唯一私には好まれる風袋に読めるのです。ジョンレノンのラブ&ピース。ボブ・ディランの風。いつの時代になっても巡り続けるだけですね。政治は詩人を巻き込みますが、私はいつの時代になってもアウトローでいたい。ただ筆を振り声は挙げても卑怯者の傍観者で在り続けたいのです。 (極北、またの名を老害)

2024-05-01

佐々木春さん、ほんわかですか、笑。なんか気恥ずかしいのですが、コメントいただきありがとうございます。 (茶封筒の中身)

2024-05-01

秋乃夕陽さん、面白いとおっしゃっていただいて、コメントありがとうございます。 (茶封筒の中身)

2024-05-01

~食事中だけの場面ですよ。etc. で、日本語でもいいのではないかと思った。カトゥーンだけの場面ですよ。この横文字操作。横文字だけにこれはあまりにもフレーズから逸脱している印象で、立ち尽くしてしまいました。 (演技)

2024-05-01

曖昧なブラウン。この言葉がよほど気に入ったのでしょうね。確かにソソラレル。青年期に見つめていた鏡を思い出しますね。栗色の瞳。あ~あ、もうずいぶんと澱んでしまったな。私の瞳。 (木下。)

2024-05-01

セロ弾きゴーシュ。忘れていたので概要だけ掻い摘まんでみました。同時に印度の虎狩も聴いてみました、笑。おまるさんと同じくの印象ですが、二兎を追う者は一兎をも得ず。でしょうかね。成功し王様のように尊敬もされたい。夢追い人間にはつきものですね。誰しもそんな夢はみる。 (告白)

2024-04-29

あ、それから「茶封筒の中身」というのも事実からですね。今時実際安っぽい封筒で手渡されしかも中身が!思っていたよりも違う~だったら、そりゃ誰でも少しはあたまにくるでしょう。と中身は想像に任せたいのですが、お金だと直ぐにばれるでしょうね。 (茶封筒の中身)

2024-04-29

おまるたろうさん、再度ありがとうございます。 これね、いきなりピストルを出してしまったのは物語を詩として読ませるのは充分に不足してますよね。893屋さんでない限りピストルは身近ではありませんからね。やけのやんぱちというのは実際私のことで、これはリアルタイムに目覚めた冒頭部分の私でした。これ、ちんぷんかんぷんでしょう。笑。わざとわからないように書いてあります。あまり自分でバラすと~なあんだ馬鹿らし~になるので、控え目に解説などいたしますれば、下敷きは血の業ですね。時間を遡るのです。いつでも再生されたい私がいるのです。 (茶封筒の中身)

2024-04-29

エイクピアさん、コメントありがとうございます。 カタルシス。間違いなく暴発して止められないカタストロフイですね。 これネタばれになってしまうけど、実はゼッケンさんの最新作から多分に影響を受けていると思われます。直に私を表現さたのは冒頭部分だけで、なので物語る。どちらかといえばショートな小説風味ですね。まだ少し延ばせばもう小説で、より詩風味の策略を意識して時間をずらしたりバラしたりしてわからないように書き込んでみましたが、はて?成功しているか否かはわからない。たぶん失敗でしょう。いつものことです。笑 (茶封筒の中身)

2024-04-29

短詩をうまく活かしている選語には思えるのです。~ピアノに似た音がふわふわ~ずいぶんと邸宅な感じですが、砂時計と故郷を結べば懐かしい教室のイメージには浮かんできますね。終わりの~ここは、ここは~この繰り返しは少し手抜きに読めてくる。そしてもっと惜しいと思うのがタイトル「天の國」この詩は手を加えることで二段階は光る、と思われて残念な気がします。 (天の國)

2024-04-29

アイロニカルなタイトルが面白いな、と思うのだけれど、~逃げてください~あなたは生き抜いてください~なんて少しオーバーランしちゃってますね。例えばこれから投稿しようしている人物か筆記道具を古い(老人(私?)に見立ててみるとか、おなじアイロニーを突くのならばもう少し中身を捻り出しては如何かな、と思った。思いつきの面白い一言で詩が成し得るのならばこれほど楽なことはないのでしょう。などと言うてみたい。 (これより新しい投稿はありません。)

2024-04-29

おまるたろうさん、コメントありがとうございます。 なんでも始めが肝心。少女はハートマークかイチゴ柄。ご婦人ならば絹絹地に黒かベージュ色。勝負は時の運なりと。 (茶封筒の中身)

2024-04-28

わたしとあなたではみている世界が違う。グローバリゼーションを提唱すれば必ず反対の意見もある。政策を掲げれば右寄りの保守か左のリベラルかで単純に物事を決めつけたがる人々は、仮想の敵を作り出しては慰撫と心を燃やす。 みている世界が違う。 例えばマルチバース理論にしてもメタバースにしても真実をみている人は誰も存在しない。現実なんて誰が眺めみても同じ現象には違いない。思考する世界観が異なるだけですわ。 (雨と桜)

2024-04-23

いちいち名前を挙げてディスってんのは(おまる)さん))あんただよ、何言ってんの。文句あんの?やる気?  笑 まあ抑えて抑えて一休さん。 (雨と桜)

2024-04-22

批評も技術。技巧を目的に書かれた詩ならば技術的な読み解釈は必要になる。それは当然ですよ。そんな詩が面白いですか? それでもいいという人ならそれでもいいだけの話しで、あなた、絵画を例えに出して言いますよ。ピカソやミロの絵が技術だけで解釈できますか?好くないと思われる人にはできるかも知れない。優れた詩とて同じくですよ。先ずはイメージ(感受)されないことにはどうしよもないのが芸術性でしょう?違いますか? (雨と桜)

2024-04-22

ちんちんの考察があるのだからおま●こ(書けねえや)の考察があっても言い訳だけど、考察までは到達していないのでちんちん考察に対する受け入れの準備段階。返答のようなものでしょうか。文字形式などもよく考えられていて、僕は逆に知性を感じてしまってちょっと抵抗感がありますね。 (わたしたちの攻撃)

2024-04-22

「断定」浅かろうが、深すぎだろうが、個人的な読みによる批評とは敢えて断定的にもならなければその目的も見失うわけですよ。誤読は作者も了解済みで、いくら近づいたとは云えても真意なんて他人には計り知れないのですからね。 (雨と桜)

2024-04-22

罪と罰/生と死/そして天国と地獄/置かれた境遇から自らの死生観を敢えて客観的かつ冷静に語る人物によって、物語る場面は現実と非現実が交錯するように敢えて時間というイメージの枠から外れるわけです。現実に生命とは誰かによって生かされているという存在であり、死もまた誰かの生を繋ぎとめるという矛盾した目的がある。では運命とは一体何なんだ。という死生観がこの作品のテーマでしょうね。ドイツ人の美術評論家フランツ.ローの展示作品から借用すれば「冷静に現実を表現することによって現れる非現実」ということになるのでしょうか。この作品もそのようなマジックリアリズムの手法でイメージに置かれているわけです。 (Mサイズ)

2024-04-22

まさに夢の記憶の裏返しでしょうか。一連は早朝冬の霧。靄のようなものでしょう。破調に置かれた文節で入るとは勇気がありますね。これはよほど文章力に自信がないとなかなか出だしから入ってはいけない。フエザープレーンとタイトルにありますが、詩全体を覆うのは浮かべるその空気感でしょうね。記憶を靄のように霞め、あるいは紗のように薄く遮断して眺め、夢みる如くの浮遊でみつめている。そのような表現を試みておられるのでしょうね。  余談になりますが、その昔浅井さんとう、このような文章で綴るお方のことをちょっと思い出しました。 (feather plain)

2024-04-21

オレンジとかレモンという果物はよく比喩に用いられますが、この詩もタイトルが面白いですね。 オレンジの皮を剥いて口に運ばれるときの飛沫と爽やかに弾ける香り。記憶と合い重なればその感覚を呼び起こすのにもこれだけの文量にもなる。という言葉たち。 甘酸っぱさが辺りに漂ってくるようで、よく表現できていると思います。 (オレンジの波打ち際)

2024-04-21

多分に言葉遊びの感覚が強いと思われるのですが、前に置かれた副題が面白いですね。 余計な景色に流されてきた記憶のくり返しから終わりは~ヤバい、わたし。ですか、通常の毎日を客観的かつ否定的に眺め観る。そうなれば、ちょっと待てよ、このルーティンはヤバい、わたし、ということでしょうか、自虐ネタに置き換えて遊んでみた。ということでしょう。余計なかつての記憶がほつほつ~とか~つうつう~とか、くり返される言葉の余韻も独特ですね。 日常の景色からわたしの気配に置き換え言葉でいじけてみせた。ということでしょうか。 (ルーティン)

2024-04-21

米国人の文化人類学者R.ベネディクトが書いた「菊と刀」題名だけなら誰しもが聞いたことはあるでしょう。日本人の気質をこの二文字に表現している。「雨と桜」このタイトルも同じようなことが云えますね。雨が降れば早々と散る桜。いまだに、この自然現象に我々日本人は精神性とを結びつけて命の儚さに喩えて眺めみるわけです。なのでこの詩はそのことに対しての否定ではなく皮肉として捉えている。つまりアイロニカルを表現しているわけですよ。 (雨と桜)

2024-04-20

なによりもタイトルがいい。これは人生で相当苦労してらっせいらっしゃるからこそ出てくる警鐘でしょう。最近では下を向いて歩いても躓きすが、、 (上を向いて歩くな、つまづくぞ)

2024-04-17

同意しかねる。人生は一度きりなのだから。もちろん否定いたしませんよ。価値観の相違はどうしようもないですからね。わたしは真実味を帯びたドキュメンタリーの番組も大好きでよく観ています。それから素晴らしい技術と労力を駆使させて写真そっくりに描かれる写実絵画も。これらには絵画掛け値なしにレートに沿った一定の価値観は与えられるべきで、名前や人気だけで途方もない額の値札がつくわけのわからない現代作家の抽象絵画よりは誠実な評価だと言えるでしょう。値札というもモノの価値観だけで考えればですが。  ~現実から逸脱した空想の世界に僕は興味ない。しかし真に現実から逸脱した空想の世界なんてあるのでしょうか? あなたもおっしゃている究極の現実主義シュールレアリスム。それを書き上げるのは現実に生きている人間ですよ。まやかしものでない現実から逸脱した世界なんてわたしは見たこともない。それは死後の世界でしょうか、例えば幽霊でしょうか。未知の生物宇宙人でしょうか。それらを作り出しているのも我々人間の思考からですね。究極の現実主義なんて定義できるのはそのような未知の体験を経験して始めて言える言葉でしょう。人間一度きりの人生物語を読むのにも興味はありますが、あたまの中では絶えず人物像も変化していきます。昨日は昨日今日は今日と。なので空想とは面白い。わたしは予めレートに乗った想像で物事を図りたくはないのです。 (孤独な口づけ)

2024-04-17

サデイストムやKKKが読めば誤読して麻痺しそうなくらい沸点があがりそうな解釈で、、もないか。いま丁度「シュルレアリスムへの旅」野村喜和夫を読み始めていて、改めてその限界を、また発展があれば探ってみたいと思ってる。 (思う)

2024-04-15

廃墟と瓦礫の中に咲く花だけで、語り手が泣くのはわかるのだけれど、読み手のわたしはそれだけでは何かとイメージできないので、泣くにも泣けなかったのです。 。 (春は来たる)

2024-04-14

詩情を考えれば冒頭の三行が佳いので短詩としての解釈にも拡がりあり、文句の付けようもなく上手くまとまっています。惜しむらくは意味付けの拡がりはあってもイメージ的には少し乏しくて、まとまりがあるというのにも欲深い読み手にはもの足らない気も残るものです。~笑って、別れる~の辺りでしょうか。次の終わりの連には大海が出てくるので、空が笑ってもいいのではないかと。昨日のこぼれ落ちた涙が晴れた空の瞳から乾いてくるのです。と勝手にイメージを付け加えたくなるのはまったくの個人的な見解で、失礼いたします。 (明日が来る)

2024-04-13

混浴温泉があるくらいなんだから全裸ビーチがあってもいいじゃないかと思う。でも日本人女性の気質を考えたら到底期待はできない。 柏木由紀ちゃんが何故AKBで頑張っているのか。枕を抱えていないことを期待する。 (真理告白)

2024-04-13

面白いな。 君も僕も、馬鹿は死ななきゃ治らない!ってことでしょう? 大将  (なお白痴)

2024-04-12

電車を待つ夜のプラットフォーム。上り下りとすれ違っていく線路の、通勤電車の音と光だけが眩しく交錯する。人々は下を向き無言で携帯と交流している。つり革を持つ彼女たちも、私と同じように仕事を終えて帰宅するのだ。こんなことが日々くり返されていく日常。並行して奔る光の中で、彼女は携帯を手に立ち尽くしている。私はそれを見つめながら、今日という一日を平行に思い返している。朝早くから電車に揺られ、昼間忙しく仕事にも追われ、夕にはまたこうして電車に揺られて帰っていく、彼女たち。どんな思いで毎日を通勤電車に明け暮れているのだろうか。ひょっとしてそれはわたしと同じような思いでもあるのだろうか。答えは携帯の、画面の中にもあるのだろうか。 そう見つめながら、こちらを意識しない相手の想像は尽きません。混み合うにぎやかなプラットフォームから、ひとたび電車内に移ればそこは孤独な空間です。通勤電車で通うサラリーマンはみんな同じような思いでしょう。縦横無尽に輝く鉄道の雑多な電車内の中では、誰しもが垂直に閉ざされた時間という空間の中で孤独を装っているのです。  僕なんかは逆に深夜のほとんど誰も居ないプラットフォームや電車内でよく考えますね。明日も変わらない一日が待っているのだ、と。   田舎では考えにくい状況だと思うので、たぶん都会の駅構内にみられる忙しない通勤電車の光景でしょうね。  誰しもが胸に秘めている孤独感。 /錯綜するようにその瞬間の光景を見事に閉じ込めていると思いました。言葉を使った詩という表現の中で… … (コミュート)

2024-04-12

これがフィクションだかノンだかわかりませんが、よく書けていますね。ちょっとしたドラマの短編にはなるかもしれない。しかしこのような物語は飽きるほどあるでしょう。孤独感に疲れる詩人は本当の詩人ではないと思います。それは仲間を求めている。愛を他者に求めているからであります。詩人の身のまわりはすべて孤独に満ちあふれていて、それを愛の喜びとして嗜んでいるのです。シュールリアリズムに関していえば、意識して現実にその世界観を閉じ込めている限りにおいてはそのとおりだとも思われてきます。シュールリアリズムの本当の良さは現実なんて意識しないところから降りてこないとまったくの摩耶瑕疵(まやかし、誤魔化し)に終わってしまいますね。流れのタイミングと繊細な美意識も要求される優美で摩訶不思議な手法です。だいたいこの世の中のすべてにおいて摩耶瑕疵(まやかし)ではないものなんてあるのでしょうか?僕は懐疑的です。自分の死することでさえ懐疑的です。現実は乗り越えられない。だから僕はシュールにものを考えて生きたい。そして詩も。エモーショナルであってもキモには陥りたくはない。空想の世界では現実に負けたくないのです。  よく書けていると思います。が、タイトルはそのまま歌詞のタイトルのように思えて、少し工夫されてみては、とも思いました。 (孤独な口づけ)

2024-04-11

これを読むとぼくのアスカちゃん(フィギュア)にお猿のジョージがほしくなりました。小さなお猿さんのフィギュアです。子供還りに癒しの世界なのです。 (猿たち)

2024-04-11

ミカエル先輩~懐かしさを込めて言ってもらえるのは嬉しいのだが、吸収さん。誰?ひょっとして三浦くんでしょう?たぶん。  まあ、でもね連詩もいいけどこのようなお題目付けはもうちょっと考えてほしいのよ。例えば「サザエさん」なんて出されるよりも「サザエさんの日常」という風に主体の範囲をある程度持たせてほしいわけで、そのほうがイメージ的にも書きやすいわけです。他サイトに道場破り的な云々はどうかな。詩を競合させて何の意味があるのだろうか、と思う。個人的に載せたい投稿してみたい人はどんどん挑戦すればいいし、こちらBレビに投稿して他サイトにも投稿するのは有り?なんでしょ。向こう側の規約(他サイト)はよくわからないけどね。 (B-REVIEW 4月のお題詩「エイプリルフール」「スタート」 )

2024-04-10

まさに挑戦的な岡本太郎の芸術論を地で行くようなコンセプトが垣間見れてほとんどわからない。駄作です。駄作ですが、一言付け加えさせていただけばお見事な駄作です。 よくわからない。難解だ。という作品には何通りかのパターンがあって、一つは作者には理解できてるが君たちにわかるかな?という主旨と、もう一つは作者には理解できてるがそれが何なのかよくわからないというパターンで、前者などは読んでいくと必ずその趣向の手垢がいやらしくみえてくるものです。どちらかといえばこの作品は後者に当て嵌まるのではないかと。イメージされるのは会場ゲームに椅子取りゲームという、二種類の何やらにぎやかな音が飛び交うの宴会場ですね。読んでいけば皮肉に満ちた宴会のゲームです。この椅子取りゲームと会場ゲームをどのように受けとめるかで読み手の印象はずいぶんと変化します。野望を孕んだ権力闘争のゲームでしょうか?~文字奴隷~虫たち~。交錯するような虫たちとは語彙のことでしょうか。これは明らかに文芸を意図されて言い回されているようにみえてきます。終わりには無垢で純粋な子供が出てくる。そのことでこの主人公はやっと気づくわけですね。AOIさんがいいことをおっしゃっている。逆走に~と。つまり語り手である主人公(主体)は、わたしが取り上げたこの作品の主旨(意図)に最初に戻るわけです。「上手くあってはならない。きれいであってはならない。心地よくあってはならない。理解されたり、喜ばそうと思うな。認められない事を前提に自分をつき出せ~」イマジネーションによって宇宙と遊ぶのだ。 そう理解されたなら何度読むのにも耐えうる。 熊倉ミハイさんはたぶんまだお若い方でしょうが、より上を目指して覚悟を決めておられる様子で先が楽しみですね。  挑戦的でお見事な駄作です。 (椅子取りゲーム会場ゲーム)

2024-04-10

マードック先生というのは1989年日本に招かれて第1高等中学で教鞭をとったジェームス.マードックのことだろう。その教え子には夏目漱石もいる。サザエさんは漫画の主人公でジョッキ川?ビア-のジョッキのことか諸々はどーででもいい自動書記(風味)に置かれている。 前衛芸術家の岡本太郎は「うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」と宣言した。芸術は呪術だ。「理解されたり、喜ばそうなんて思うな。むしろ認められない事を前提にして自分をつき出せ。」「イマジネーションによって宇宙と遊ぶのだ」とも言っている。地動説も調べてみればコペルニクス以前にも古代ギリシャでは唱えていた人間(アリスタルコス)もいたりして。川であろうが海であろうが山や空であろうが、生きものという生存本能者が長い年月をかけて地球に存在していたことには違いない。ああ、それが何になろうか。以前にもコメントしましたが、たとえ何をどのように書かれようとも感動が興らない限りは閃きも湧き上がらない。しかし作者のコンセプトは絶対に護られるべきで、このことは命をかけても保証し尊重いたします。 (川は地動説)

2024-04-09

先ずはタイトルがいいですね。専門的な知識を含ませる用語で、内容とは遠くてそれでいて五感的には近くも感じる。この句読点の形を打つ● これくらいの分量になるとこれも面白い趣向です。〇文字を空白にすると●それは銀河の中に引き寄せられる●〇星星の集まり。句読点なんかより正解かも知れないですね。 (MILK/THE WHITE ALBUM。 ──乳用牛ホルスタイン種の弛まざる品種改良に寄せて)

2024-04-07

そうですね。御久方ぶりです。 いや私も最初は馬鹿にしてたんですよ。こんな不安定な時節に、またなんでちんちん考察なのかよ、と…。でも読んでいくうちにこりゃ凄いな…と。序文のような冒頭から終わりはユーモアまで交えてその言葉分量から分類に至るまで相当の労力を注ぎ込んだ快作ですね。もっとも本人にしてみれば考えもしないでさらさらと書いた。とかおっしゃるかもしれないが、いえいえ構成なんかもよく考えられてますね。序でに私も一応語源を調べてみましたよ。古代サンスクリット語で仏教伝来とともにやって来た言葉「魔羅/摩羅」から「ちんちん」あるいは「ちんこ」に至るまでの経緯を。江戸時代の文献には表れるようですが、どうやら小さいという幼児語からきているのか、やはり諸説ありすぎてはっきりとは言えないらしい。魔羅とは因みにサンスクリット語ではマーラこれは魔神を意味する邪悪なもの(笑)で「ちんこ」の他にはおちんこおちんちんちんぽちんぽうちんぽこと、方言によっても使い分けられていたり、また地域によっては女性器を呼称したりと「隠語」で発展してきただけに少しづつ違いがある。まあ基本的には「ちんこ」でしょうね。笑。どなたか知らないが、兎にも角にも、このおちんちんがRAIN///雨の如くにちょびちょびからザアザアとリズミカルに降り止まないですね。鬼気迫る迫力の作品には私も圧倒されましたよ。 長さだけじゃなく、内容的にも田中宏輔さんの日記にも勝る勢いを感じた次第であります。大賞受賞の栄誉を授けてもよろしいのでは、と本気で思います。多少なりにも笑をつけて。では。 (超絶絶唱絶句樂)

2024-04-07

「エイプリルフールは何故嘘つきなのか」「スタートをきるまえに」 …お題目を出して創作を促すときにはせめて「私」という主体の動揺をはっきり認識させるべきである。そうでないと想像の枠は限りなく拡がり結果的には技術のみを競う目的に陥ってしまうと思う。私などは相手の詩から想像が浮かび上がりインスピレーションをかき立てられてコメントで返詩を書いたりします。 同じようにお題という枠の内から創作するにしても、そこには主体(私あるいは事象)という目的から連想から発せられるものでないと感動とは程遠いものになってしまうと思う。 一枚の写真を眺め見てこれから句を創作してください。という番組がある。これなども本来の俳句の目的からは外れた技術のみを競うあるいは養う目的に置かれていて、その時の生の感動を短くまとめられた言葉で表現する。という目的から考えてみればナンセンスなのである。 詩も生きた技術でなければならない。膨大な行数になるこれを散文で表現しよう。などとは誰も思わない。生きた技術とは、どのような目的で書かれた詩であれ、そこには魂の片鱗が伺える詩情を帯びていなければならず、投手の投げる球ならば気合いを伴わなければならない。 お題目を取り上げて創作を促す催しは多い。しかし我々書き手は在るモノをそのまま写し取る画学生ではないのだ。 そのことも念頭にいれてお題目は取り上げられるべきだとも思う。 (B-REVIEW 4月のお題詩「エイプリルフール」「スタート」 )

2024-04-07

自然観から壮大な宇宙観へ。そして死生観までと至るこのちんちんの考察は実に手間をかけた労作で、もちろんお見事に秀逸な作品に仕上がっています。まあ、長くて読みづらいのだが文句の付けようもない。付ける余裕もない。このちんちんあるいはチンチン。金属的な響きですよね。音の表現としても。トライアングル。また仏事で使う鈴もそういえばちんち~ん。通常二回鳴らします。句読点のリズミカルな動きが忙しなくて、しかし流れるところはちゃんと流している。その考えられた技術もお見事だと思う。読んでいて坂本龍一のRAIN(シネマ)ラストエンペラー)を聴きながら読んでる感覚に陥ってしまう。明確な音ちんちん。これがなぜおちんちん(ペニス)男性器の愛称になったのかは知りませんが確かに考えてみれば不可思議な表現ですね。  語られる言葉の数だけでも膨大ですが、この切り絵(または病的な吃音とも)のように多投多様される句読点の作者像は以前にも見覚えがあって(いかいか氏)懐かしくも感じました。 現代詩人大賞を贈呈します。笑 (ちんちん考)

2024-04-07

花曇りと圍。ちょうど今頃からの季節と旧字体の囲いですね。曇天の日には墓参りを。って言ってみても辺りを見渡せば気分も暗く落ちこむばかりで、これが前方後円墳や遺跡ならばこんなに狭い国で未だに圍設けてどーすんの。って反発しても歴史は徐々に埋もれて行くのですね。時間とともに。 「HABIT」sekai no owari (fukase)ヒットした楽曲だからご存じでしょうが、なんとなく似てる印象を受けますね。分類から圍へ。どちらも閉ざされた社会から脱げ出せない不満/焦り/喪失/そして微かな願望。これらを覆う精神は心を疾走へと向かわせる。そんなメッセージに読めてきます。 (花曇と圍)

2024-04-05

※ごめん。atsuchan69さんのsとuを間違えました。よくやるんだコレ(恥) (わたしについて)

2024-04-04

そうですね。自然を喩に内面との葛藤そして希求願望。総じてatuschan69さんの意見と重なるのですが、全文ひらがな書きの詩です。ひらがな書きというのはやわらかくゆったりと詠ませる反面、言葉には多義的な解釈が加わってしまうのでイメージには結びつきにくいという欠点もあります。ここではそのような難解な熟語使いも避けられています。ひらがな書きの詩は体言止メなどの扱いにも効果的ですよね。~よわいものたちがたたかいをしかける~わたしをみるなといいたい~あめがあがればあなたもきえる~そして終わりに続く、かなたはあまい、かなたのかなたはまだみえない。これらがキーワードになってわたしの願望、希求する聲も閉じられていきます。よわいものたちが~あなたもきえる~。いったい何を指しているのでしょうか。この詩の目的が詩全体を覆う喩で占められていると思います。なのでよわいものたちも、あなたも、すべてわたしの内面の事として比喩に置き換えられている。終わり、そのわたしを納得させるように~かなた(未来)はあまい、しかし、かなたのかなた(展望)はまだみえない。と語り手を通して自らに言い聞かせているのです。 (わたしについて)

2024-04-04

リアクション芸人の出川哲朗が突撃取材で周囲の客たちを笑わそうとカウンターに立ち上がればそこのお店はマジでヤバい店だった。 ➰一人豆鉄砲を喰らった表情で立ちつくしてしまう裸の出川哲朗でありました。という感想です。 (無法者 〜妹の足蹴りが顔面に直撃したお兄ちゃんの笑顔は目だけが本気(マジ)だった)

2024-04-04

待合室に座る病院の待ち時間というのは長くて、しかも自分の目の前を通り過ぎるのは知らない患者やその家族、そして忙しく動き廻る医師や看護師たちです。   「針園」というのはおもしろい喩えのタイトルですね。ユニークです。そうですね。点滴であれ注射であれ、病院にも患者にも管のある針というのは治療には欠かせないアイテムです。冷たい金属の針。病院というのもある意味感情の抜け落ちた冷たい場所です。それは医師や看護師たちがそのように教育されているからでしょう。毎日を死と向き合わなければならない。いちいち一人一人の患者に対して感情移入することはできないのです。そう考えればしんどい仕事でもある。父親に対しての介護らしき場面も書き置かれてあるので語り手はかなり精神的にも疲れている様子です。肉親の介護に疲れてくると若干認知症のようになり集中力も記憶力も低下します。そのような状態がシュールな妄想として前半部分に描かれている。わたしにも経験があるので少しは理解できる気持ちにもなります。薬剤を注入しあるいは血液を吸い取る管のある針。そして同じく管から養分を吸い取る植物の根。よく似た関係性にあります。高齢化社会の真っ只中。我が家の庭にも病院の庭にも針園で溢れてきます。 現実の錯綜した状態と客観的な未来の行く末が混交し、社会的な世界観も感じる妙味のある作品に仕上がっていると思います。 (針園(はりぞの))

2024-04-04

おもしろいな。まったく読めない。chapter5? なんかカードキャプターさくらを思い浮かべてしまいますよ。 ゲームかなんかが下地にあるのかな、んて。 (詩人X Chapter5)

2024-04-02

僕としては詩の形式にはこだわりもなく、相変わらず惚れ惚れする書きっぷりだと思うのですが、逆にこのような日記形式で綴る長い詩をどう受けとめるのか、否定的な立場から眺める人の意見が知りたいと思うのです。 (詩の日めくり 二〇二二年十一月一日─三十一日)

2024-04-02

先ほど足立区立足立小学校の4年生を前に真美子先生がこの詩を朗読しました。~はい、これはおまるたろうさんと言って濱田くんのお父さんがBレビューという投稿サイトに掲載された詩で~す。皆さんわかりましたか? は~い。なに?紗栄ちゃん。先生!わたしも昨日フルーチェふるふるして食べました。    はい! はい、濱田くん! 先生、僕のお父さんは風呂上りにちんこをふるふるふるふるして歩くので家族のみんなで豆まきしていま~す。お庭わ~そと。オニ~わウチ。 (ふるふる)

2024-04-02

喘鳴。ちょっと普段小目にかからないような言葉遣いは、難しい漢字のお名前からして文字の扱いには長けたお方でしょう。「胎内」羊水。小姓という古い言葉遣いも奇妙ですね。胎内が洞窟をイメージさせられたり不気味です。~だって君がそこにいたからむかえにいきたかった~まるで地縛霊にでも話しかけている様子。それが終わりの~子供の頃の部屋~で一気に現実へと引き戻されてしまう。いったいこの語り手は何者なのでしょうか。唄う唄う唄う~ファンク(笑)のような子守唄でしょうか?奇妙で不気味な印象を持つの詩です。 小姓などという小僧を指す古い言葉遣いからしても何かしら因果性を感じてきます。終わりの接吻などは現在形でみた父親のことでしょうか。暗喩を伴うので解釈はそれぞれに感じるのでしょうね。わたしはこの語り手を生を省みることもなかった水子が、それを客観的な小姓として自分に語らせている。という具合に少し複雑に読んでみましたが、 (胎内)

2024-03-31

これは夢をみる客観的な操作としては失敗でしょうね。無意識下にみる夢にも具体的な事物が現れるならば現実を超えた物語としては成立するはずなのです。これがカンデンスキーやミロなどの色や線による瞬間的な動作ならば、構図という型枠「キャンバス」を意識した意識下での無意識の客観的な操作ということになるのでしょうが、ダリやマグリットあるいはキリコにみられるようなデペイズマンは具体的な事物が現れてこそ起ち興るものが超現実として意識されるわけで、このように言葉だけがひとり歩きしていくのならば我々読み手には何ら影響も与えないと思います。 (土曜日の昼)

2024-03-31

技巧的な解釈にあたまを捻らせて唸る方が多いのも、この作りの根底にあるものが哲学だからでしょうね。つまり形而上学的な精神性と形而下的な物質主義(唯物論)などが時間という概念のもとで言葉の舞台に沿って推し進められるからで、それは自然発生的に因果性とか実体とか合理主義とか理性とかが絡み合いメタフィジックな世界を背後に構築して読めてくるからで、それはギャグ漫画の頂点に君臨するやはり天才バカボンなのです。その中でひとり時間という概念に囚われない楓ちゃんは普遍的にも超越した存在感を有していると云える。まあ、難しいことを言っても始まらないですね。つまり根底には理性の背脂。哲学の精神が含まれているということでしょうか。 (楓)

2024-03-30

菜種梅雨。句に精通された方だな、というのもわかるのですが、今晩わ。New田中恭平さんお久しぶりです。選者としても頑張っておられますね。お世話かけてます。して、これですね、散文でしょう。前半部分句読点で(読点)で切りすぎて詠みの流れを止めてしまいますよ。もしも朗読されたら詠み手は悩むでしょうね。だから気になって内容まで入ってこない。短く切れるところはもうちょっと長くできるような工夫があればな、そんなふうに私は口を開いて黙読しましたよ。ええ。 (四月へ)

2024-03-30

これくらいの文量になると短い私小説としてさあっと眼を通してみましたが、よくわからないまま読み終えています。そのわからないというのが、書かれた、と云うよりも書かせたその動機ですね。 前半部分は独白調で彼女に対する思いが耽美的に表現されています。まるで触れてはならないヴイーナスでも扱うかの如くにですね。半ば部分から台詞を含めて彼女の姿が現れてくるわけですが、依然としてその印象を読み手が掴むことはない。~僕はまだ、彼女の何も知らないのだ~それは語り手自身が印象で彼女を表現して語るように、読み手の我々も語り手の印象に頼るしかないからです。美しい彼女への思いは、まるで語り手自身の心臓の鼓動を響かせるか如くに事細かく耽美的に誇張されて美を表現されていますが、ではいったいそれだけなのだろうかと。  後もうちょっと推敲してほしく思ったのが私などもよくやるくり返される接続詞ですね。~あたかも~この接続詞は他にも代わりはあります。扱いが多くて手癖に思えてやはり気になりました。 (ちょっぴり浮いた彫像のような、でもやっぱり完璧な彼女)

2024-03-30

「楓」楓ちゃんという女の子のタイトルが付けられた意味は知る由もないですし、この名前が内容と深く関係しているとも思えない。貧しくとも明るく元気で人々に奉仕する女の子楓ちゃんは、貧しい天使様でしょうか。  この名前をネットで検索すれば19年以上も前の出来事で、忘れていた悲しい事件にも遭遇したりします。語りの途中に挟まれるスラップスティックコメディ(ドタバタ喜劇)のようなギミックとしておもしろいですね。シネマ「地下鉄のザジ」古いですね。だけど面白い。あの主人公の女の子をちょっと思い浮かべたり、イメージ的な流れはつげ義春の「無能の人」を意識したり天才バカボンのハジメちゃんだったりと様々に思い浮かべることができるのですが、普通に考えればこのような貧しい家庭に育てば暗くいじけて育ってしまう。なので終わりに書かれている世界観を読んでも、この楓ちゃんという女の子の正体は、人類への友愛または博愛の精神へと絆でつながる美徳のある何かに喩えられているのでしょう。 (楓)

2024-03-28

詩人 佐々木春様 わたしは奇跡をみているのでしょうか? わたしの長年の努力は何を……まあ、何かご理由があって秘匿されておられるのだろうから、(とこう言えばまた打ち消されるのでしょう)追及は致しません。笑 追々わかると思います。では度々と失礼を致しました。 (クロール)

2024-03-27

返信の最後に(笑)この笑と付けられるのが、いっそうあなたの詩歴を不可解な気分にさせられますね。笑。 で、また読んでみました。やはり椅子か箒にまたがる魔女の囁きですね、これは笑。 つまりこの浮遊する感覚は宙の上で歩き泳ぐ動作をしている。みつめるのは目印に示されたような道路だけで泳ぐための水はそこにない。しかも句点がいっさい用いられることなく最後まで着地させないことからもそのように伺えてきます。 脳内で見つめ思い画くシナプスたちの遊戯。これは現実の世界に対応しようとする渇望のようなものでしょうか? その選語や言葉使いにも左右上下と対称非対称に切り返すような仕草。技巧的にも巧みに工夫されていて、とても初心者の書き手だとは思えません。 もしもそうならばわたしはこのん十年という投稿または批評してきたことが無に期してしまう。おそらく詩に長年携わってきた方々も同じような感想を持たれるはずです。佐々木春さん、名前も知れた書き手の方でしょうね。そうでないとこの世界でわたしは狂ってしまう。笑。  と、まあべつに偽証罪を問うつもりもありませんし、笑、 そこはご自由なので、どうでもよろしいのですが、初心者という。このことをわたしだけはGunとしても受け付けません。笑。  …諄いようですので、このことについてのご返信はもうけっこうでございますよ。…真実が知りたい、    笑 (クロール)

2024-03-27

そうですか。信じられませんが、それならばこの詩なんか現代詩人会へ投稿されてみればいい。あちらはまた投稿詩のレベルも高く評価も選者によってマチマチですが、いいきっかけになるかも知れない。もちろんこれからもこちらで読ませてください。 (クロール)

2024-03-27

~しんだばーさんがいってたっけ~ ここだけは漢字にしてほしいな。 ~死んだばあさんがいってたっけ~ここだけはね。 (遺灰)

2024-03-25

現代詩人会への投稿は既にされておられるのでしょうか?または違うお名前でどちらかの詩会に所属されておられますでしょうか。詩集などの出版物は? もしもそのような状況でないとしたなら、あなた様くらい力のある方なら著名な詩人のまたは関係者の方々からきっと推薦は得られるはずです。わたしは確信を持って言えます。埋もれているが惜しいと思います。 (クロール)

2024-03-25

あ!書き忘れてしまいましたが、思考に働くとはいえ、朗読される向きの作りですね。おもしろいと思います。 (言語三章)

2024-03-25

拝見しました。まあその一般的に言われている言語(言葉)というのも地球上の生物種と同じく進化し融合もし混乱をきたして絶滅したりもするわけですが、通常我々はその概念によって意味されるもの(シニフィエ)をイメージとして捉え、また言葉の表記という形(記号文字)で表し意味するもの(シニフィアン)として相手に伝えるわけです。既に慣れ親しんだ言語学的解釈に頼れば、です。一~二章などを読めばその言葉によって発生する意味解釈による捉え方の危うさを指摘されておられますね。 ちょっとよくわからないのが、その三章で、海や航海を例えに非言語的な次元に信を寄せる~とかの意味解釈ですね。これは一~二章で提示した事柄をではどうすれば解決できるのか、という問いかけでしょうか。例えば非言語的に~などという非言語そのものの概念がどこに位置するのか。言葉を表記する文字や記号の打ち消しなのか、それとも言葉によって発生する音声やイメージまでもを超越せしめたものなのか、非言語的次元に信を寄せるとはどういう、これもまた意味解釈を問うてしまうわけです。 (言語三章)

2024-03-25

お名前は、おまるたろうさん、ひらがな使いにユーモアを感じて、ぎりぎりセーフですね。どーでもいいですか?お金と名前は大事です。どーでもいい。そんなこと。 この詩は感覚的によく考えられてます。というのもひらがなを多用すればどうしても詠みに集中して逆にイメージ的にはぼやけてしまいます。つまりたち止まらせながらゆっくりと湧き起こる何かを想定して作られているのだと思います。それは霊魂ですね。辺りを彷徨う浮かばれない霊魂です。漢字にされれば簡単に流され一目瞭然と解釈できる内容をわざとたち遅らせることで怖さ(畏怖)は増幅しますね。宮崎駿アニメが下地にあるのでしょうか?わかりませんが、そういう意味では素通りできない作品に仕上がっていますね。 (遺灰)

2024-03-24

よくドラマで見かけるシチュエーションじゃけど、関西弁使いやからまたユーモラスに思えて文も海豹じゃない鮮やかで面白いっス。 話し変わるけどお名前の可笑しい方が多いですね。わたしのことは放っておいてください。獣だとかお尻だとかオマルだとか、べつに粗暴でもいやらしいことでも、書いたっていいじゃないすか。詩を投稿するという行為がもう自分丸出しなんだから、堂々と本名を名乗ればいい。いや、本名では嫌ですね。もう少し仮名を普通に面白く求めたら如何かしら。あまりにも度゜を超えた突拍子もないお名前はそれだけで損をすると思いますよ。コメントも手を抜きたくなってくる。良くないことですけどね。印象って大事ですから。 (八月十五日 天気はれ)

2024-03-24

わざわざ下地の解説をしていただき恐縮です。このことは私どもの知識不足ということで、納得いたしました。作者による補足説明という追記。べつに作品を貶めるものでもないと思っております。 (魚籠の家)

2024-03-24

訂正。~呼びたかった。ですね。…腱鞘炎で肩に力が入らないので、どうも打ち間違いが多くて、申し訳ないです。 (あの人)

2024-03-23

お父さんと呼べたかったあの人ですね。 お母さんと呼べなかった私自身がいて、それなりに胸をうちますよ。技巧的な装いとは程遠い素直な綴りです。べつに技巧的なものだけが詩として素晴らしいものでもなく、こうして素直な文章で辺りをみつめられて書き込まれていけば技巧的なものはいつか研磨されていきます。読んで読んで他人の批評も参考にして自分なりに感想を言葉で書き上げてください。近道はありません。そのことが階段を一歩づつ上がる上達への支えとなるでしょう。と、知ったかぶりに言わせてもらいました。拝礼。 (あの人)

2024-03-23

同一性と非同一性の統一ですか。環境省によれば関東地方の4割が遺伝的に同一のクローンであるというデータ。日本各地に分布する在来種もその9割が外来種との交配で生まれた雑種らしいですね。そういう意味では蒲公英を例に仕上げられたのは正解でしょう。 めちゃめちゃですね。自我崩壊、同一性、アイデンティティの危機感から湧き起こる自己嫌悪無力感そして未来展望の喪失感からくるものでしょうか。このことを非同一性と統一?結びつけるとなればそのことへの混乱は遺伝学的な優生学にも通じることなってしまいますね。つまりそれら交配によって生まれ出た価値を考えればそれが正しいことなのかそれとも非ずにと処理されるべきことなのか。めちゃめちゃですね。まさか、ゲシュタルト、いやゲシュタポ崇拝者でもあられませんように、、と。終わりは文言も崩壊しました。失礼を。 (同一性と非同一性の統一)

2024-03-23

涎とは面白い雨の表現解釈ですが、これはそのときの状況がみえてこないのが残念です。ボクらのごとき年齢時には私もそのような経験はあります。特大な歓びにもまた悲しみにも、雨に打たれてやる。呑まれてやるんだ。雨よ降れふれ、ってね。 確かに雨も適当降ってくれないと水不足にはなりますが、雨の日は憂鬱ですね。濡れてまで雨の日には出たくない。 合羽を着て2~3時間も外で立たされたことがありますか?人間も雨に飽きてくると怨めしく思えるのです。 (雨の垂涎)

2024-03-23

↑ おいおい、コメントが雑だとか吐き捨てる読み手がこれかよ。笑 ざっと二度くらい眼をとおしたのですが、この詩はまた感覚に働いてきますね。感覚というのが、ちょっと違う異界的な感覚で、通常の生活環境からは知覚できない感覚に働いてきます。 差し支えなければと、敢えてお尋ねしてみるのですが、答えられなくてもけっこうです。普段移動式車椅子か何かを使用されている書き手の方でしょうか。(不躾にそう感じただけですのでもちろん答えられなくてもけっこうです)。初心者だなんてとんでもない謙遜ですね。クロール。何がクロールをさせるのか。私は動きそのものに対する切望がそうさせると読んだのですが、仮にだとしても、上記のような姿を思い浮かべて読んでしまうと、胸が熱くなる。少し涙がこぼれそうになりました。また探りながら読んでみますが、まだ二度三度の読みです。明日になればこの感情も変わるかも知れない。ですが、泣きそうになってくる。素晴らしいです。 (クロール)

2024-03-22

「ワレ奇襲二成功セリ」来年で戦後八十年を迎えるのかな。このような書き手の方が一人くらい居てもいいと思うし、何人も居たのでは困るとも思う。 (保護)

2024-03-22

魚籠の家。魚籠と書いて(びく)と読む。竹で編んだ籠ならば主に川釣りに使うのでしょうが、不可思議なタイトルですよね。~次はみっつくわえてよっつ~ここのところの語呂が非常に気持ちよいですね。わからないのは魚籠と幽霊の関係ですが、本文、~土中の祖母へと~なので幽霊は霊のことを示唆しているのだと思われますが、幽霊の木~とはあまりいいイメージが湧かない。魚籠も幽霊も非常に強く印象には残ってしまうので取り留めてつなぐイメージは持ちづらいですね。タイトルは刺激的にも面白いとは思うのですから幽霊かな。幽霊の木。べつに幽霊でなくとも霊の付く言葉は在ると思うし、納得できなければ何々の霊、とご自身で造語させてみても面白いのでは? という印象を持ちました。 (魚籠の家)

2024-03-22

面白かった。制作された方の才能も感じますよ。画像に負けてない発声も詩もいいいい。で、他のも観たんだけど、音は打ち込みだから同じようなものなんですが、やはり音と画像が付くと詩は置いてカレル感はどうしても出てきますね。二人のコラボって難しいんだな。って改めて思う。 (「失敗実験」MV)

2024-03-20

能登で震災人たちはたいへんな辛苦をされていることでしょう。実際に崩れ落ちた我が家を目の当たりにすれば、例えば、例えば、例えば、このように動揺した言葉を発するかも知れません。~玄関を潜るとき~私は半分もわかれない。ちょっとした支離滅裂感もあり切迫感がありますね。これが創作だとすれば、表現の卓越した書き手の方でしょう。 (埃まみれのフローリング)

2024-03-20

打ち間違い誤字ですみません。べつに変な奇病持ちではないです。笑。 (遠い呼び声)

2024-03-20

いいのですが、三行や五行の詩、こちらではちょっと選評までには至らないと思われてきます。いいえ、選評付きというサイトの立場を考えてわたしが個人的にそう思うので、こちらでどう評価されるのかは知り得ません、 (凛)

2024-03-20

こんな気配も薄暗い世の中にあって、うむ、ここまで素直にむき出せない。ということでわたしは素直にポイントをあげたい。 (空)

2024-03-19

短詩の場合は、いやあ、単純に旨い(巧い)方ですね。切り分ける白菜を喩えに台所という現実的な空間を重ね合わせて自問自答と置き換えている。これは主体と客体の扱い方を理解されているという言葉使いの巧みさですが、あまりこのことばかりに頼ってほしくないという希望的観測も置いておきます。 (自答)

2024-03-19

寓話として絵本にでもなれば子供たちは喜びますね。童心。~べつに幼稚だからとタカビーに言ってるつもりもなく、書けないわたしもこんな新鮮な心でもう一度言葉を扱ってみたい。素直にそうさえもうのです。 (遠い呼び声)

2024-03-19

実際不眠症の夜尿症で最近はほとんど熟睡できない。しかも毎日顔見知りと諍いごとの夢ばかりみて、ホント困ってしまう私なのですが、心臓が眠るとき~!なんてそれは死んだときじゃないか。面白い発想ですね。発想の勝ち! (心臓の眠り)

2024-03-18

これはあなたの物語、です。というので主人公に書かれたつもりで読んだのだけれど、坊主が数珠で、オノマトペってあるのでエロスな僕も実感としてちょっと入っていけなかった。面白い作りですが、このオノマトペってやつは至る所で扱われていて、もう食傷気味ですよね。まあ、それはいいとしても坊主、これがちょっとエロスにはまり過ぎて逆に遠ざけてしまう。※まさかエロスとか解釈して気分を害したりはしないですよね。エロ、じゃなくてエロスなのです。お願いします。 (これはあなたの物語、です。)

2024-03-18

他人ごとにうんうん、と。確かにリズムよく書かれて、でもなんで「装飾」なんだろう。話者の意識は飄々としてるのに。他によいタイトルもあるような気もしますけれど、 (装飾)

2024-03-18

夏鳥。夏を象徴するような鳥たちも描かれ、四連など詠めば花鳥風月に、と想いを屏風に巡らせば、この作りはそれほど単純でもないですね。よれた和紙の、置き手紙を、そっと机に置く。紙、そして置き手紙。どうやら背景には身近にひろがる景色よりも内面的な心象風景がイメージに置かれているようです。夏を迎える旅立ちに想いを託すのか、それとも郷愁に奔らせる筆なのか、いずれにしても置かれてある言葉たちはよく練られ、深くて味わいのある作品だと思います。 (夏鳥)

2024-03-17

笑、ごめんなさいね。また勘違いだ。もう、タイトルは「メモ帳」でしたね。これならなんとなくわかるような。死が取り憑いた紙の洒落のようなものかな。死神。 (メモ帳)

2024-03-17

今晩わ。げんにび、ってどう読み取るんだろうね。幻日なんてのは自然現象でもあるらしいけどね。それにしても霊とか死神とか、怖そうな話しの筋が破綻されて、しっちゃかめっちゃかなんだけど、神秘的なイメージでも目論んでるのかな。雰囲気はわかりますけど、死神って見たことありますか?僕は何度も感じたことがありますよ。まあ、錯覚なんだけど、精神的に追い詰められている時ですね。昼でも夜でもずっと後ろから着いてくる車の中にも怖そうな顔した人間がもやもやと見えてきたりします。特真夜中夜なんかしょっちゅうですよ。昨日も配達中に朝日新聞が違う新聞に見えて、あら!困ったな、一枚どこに配ったのか、と散々走り回って気がつくと籠のなかにちゃんとある。傍から携帯を手にした黒い男が歩きながら通り過ぎては立ち止まり、死神か?狐に包まれた気分になり、ぞっと血の気が引きました。夜はそんな錯覚はしょっちゅうです。なんせ暗闇の時間なのです。 この詩はちょっと目的が中途半端に感じますね。不気味さを演出したいのか、それとも文章の破綻からい何かしらイメージを搾りだしたいのか。でも文字っていうのは不思議で、幽霊とか、悪魔だとか、死神だとか、言葉でそのまま書かれても読み手にはちっとも怖くはないのです。だからストーリーはある。 (メモ帳)

2024-03-17

~飛びます、飛びます、でしたね笑。それから言い忘れちゃって、お金、欲しくない人はいませんよね。いない。 でも、それ以上の欲は諦めています。普通に食べていければいいと、 (fを越えてゆこうよ)

2024-03-15

佐々木春さん、コメントありがとうございます。~行く。ゆく。行きます。ゆきます。時代拝見。はやい話、歳の違いでしょうね。泣笑。ちょっと古い人間の習った教科書には~ゆきます。が多かった記憶があって、どうしてもそっち、やわらかそうなニュアンスによってしまいますが、コント55号(坂上二郎)のせいでもあります。イキます、イキます。笑 (fを越えてゆこうよ)

2024-03-15

そうですか。やっぱり。そらたぶん嘘つきなはってんやおまへんか・あの書き方拵えを見てとても素人、あ、いや、初心者にはみえませんでよし。投稿、SNSの初心者いうことでしゃろな。たぶん。かなり書き込んではるお方かと、そうでないと困ります。ん十年投稿してきたわてはどないしましよ。もしもほんまに詩を書きはじめたばかりのお人なら、わて、詩を書くの辞めます。笑。いや、ほんまに。 どうも下手な関西訛で、すいま へん。失礼いたしました。 (終戦前夜)

2024-03-15

更に読んでみたのですが、初心者なんてとんでもないですね。これほどの作為を凝らした暗喩使いはできない。 「作為というのは別に読み手を欺こうという意味合いではありません」 戦場を模写した如くに彩りに置かれてあります。終戦前夜。作中のあなたが誰に向けられているのか、それ自体が仮想なのか。やはりお見事に装飾を超えた喩だと思いますよ。AOIさんは顔見知りなのかな?まったくわかりませんが、読む見る限り初心者だなんてとんでもない、ありえないと感じます。 (終戦前夜)

2024-03-15

はじめの引用文は小文字にするべきなのですが、タブレットではむずかしく?て、お見苦しさはご勘弁を。 (白い菊と薔薇の花びら)

2024-03-14

(詩の世界へ)

2024-03-14

拝見しました。なんか、元気がもらえるような詩で、純粋にやる気が出てきますね。 (詩の世界へ)

2024-03-14

すぅさん、はじめまして。タブレットが不調でお礼が遅れてしまいました。嬉しいコメントありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします。 (白い菊と薔薇の花びら)

2024-03-14

ミリタリー俺、ってぶっきらぼうにくっつけるのは面白いんだけど、考えてみればミリタリー哲でもミリタリー陽子でもいいわけで、空想話しに自動手記のような入れ子を混ぜて思いがけない方向に展開させてみよう。っていうのは書きたくなるるんだよね。わかりますが、これを詩として成功させるかどうかは人によってその評価の判断もマチマチだから非常に難しい。読めば合体していくロボットのイメージですが、その先を超えてイメージできないとどうしても判断は階段の途中で止まってしまう。単に面白い、というだけではこの作品に限らず皆そうだと思いますよ。 (ミリタリー俺)

2024-03-13

田代ひなのさん、コメントありがとうございます。はい、家族(母親)との忸怩たる想いを綴らせています。 (白い菊と薔薇の花びら)

2024-03-13

これは惜しいですね。少し不評のようですが、続きがあれば感動的なものに変わる素地はあると思う。語りはよくある動物やモノたちからみた視点の寓話パターンで、それが生きることなく絶命して生まれて出てしまったという赤子。堕胎という悲しい結末を迎えるお話しの作りです。僕は独身なので実感としては不足していますが、出産という儀式はとても神聖なものですが、しかし実際は母親の生み苦しむ姿だったり、胎内から血塗れで出てくる赤ちゃんの姿は惨状と紙一重の緊張感を有している。ここで終わらせたらもったいないですよ。哀しみを誘う後書きのように、日の目を見ることのなかった赤ちゃんの声を少し書き加えるべきでしょう。 (墮胎)

2024-03-13

笑、中田満帆氏コメントありがとう。うれしいよ。モダニズムの時代は終わったんですか? モダニズムに区切りを付けていいものか、僕にはわからないし、べつに動画じゃないんだから眼にも耳にもわるくてもかまわないと思ってる。やさしい音楽カルチャーが反乱してると思えばどぎついアニメーションや映画もある。目まぐるしいのは詩も同じ。とも僕には思えてくる。お金がほしい。つい本音が出てしまいます。いやあ、このことが言いたいために書いてる節もありますね。俗物なのは性分ですよ。笑。詩人と呼ばれるならば俗物俗人でもなければホントの美しさも描けない。と思ってる。 (fを越えてゆこうよ)

2024-03-12

笑、ごめんなさいね。コックはそこ、だった。もうね、老眼なので、どこ?そこ、では大いに違う。笑。どこ?よりもそこ、のほうが前の~料理店は今、霧散した。からしてみれば意表を突かれて断然いい。まあ、中田氏の言うようにわたしも感じるけれど、それよりも~料理店は今、霧散した。って置かれてあるのをもうちょい大局的な見方から表現をひねり出してもいいようには感じますね。料理店が厳しいのはわかっているから。 (コック)

2024-03-12

是非と問われれば是を受け止める方なのでしょうね。「悲しみの 深さのなかに 真のよろこびがある」真宗教団連合。問えば悲しみと喜びを分けて考えておられるからだ。とお坊さんはおっしゃられました。では震災で悲しみのどん底にある人たちにどうして喜びを持て、というのか。いや、今書きながら思いました。喜びを探れ、ということなのかな。? 未だにはっきりとした答えをみつけられないままです。お久しぶりです。黒髪さん、こちらで少しお世話になろうかと書き込みしております。たぶん黒髪さんにはこの教団連合の教えが理解できるのでしょうね。お釈迦様の教えを要約したような文が出てくるので、信心に疑い深いわたしには手が負えなくなります。愛という言葉自体に重装備された衣を感じるからです。よく把握もできていないコメントですが、また次回作も拝見いたします。どうぞ宜しくお願いいたします。 (日月)

2024-03-12

きょこち(久遠恭子)さん、久遠恭子様。お返しありがとうございます。あなたのお名前もいいですね。実は売れる詩人の大半がその固有名詞仮名に出てくるのです。と勝手に思ってます。感覚でしょうか。詩のタイトルのように、その名前でずいぶんと損をされておられる方もいるようです。目立つばかりで実力が伴わないのも困りものですが、やはり見かけってうっちゃっては置けないものだと感じておれおれで、 、感覚的に何か掴んでいただいならそれだけで充分です。あまり褒めないでください。男性は褒められると逆に惚れてしまいます。いいえ、疑ってしまったりホニャララです。笑。どうぞ、どんどんケチで蹴散らせてもください。本音ならばそのほうが本人にとってはいい刺激になります。コメント感謝いたします。 (fを越えてゆこうよ)

2024-03-12

熊倉ミハイさん、再度コメントありがとうございます。でも即興は難しいですよね。当たり外れが多くてたいていは外れたと自分でもがっかりしてしまうことが多い。Jazzのようなものですからね。即興の佳さは譜面にはない、そのイキイキとした言葉たちってことでしょうか。推敲を拒む、というのはホント難しい作用です。お互いにがんばりましょう。 (fを越えてゆこうよ)

2024-03-12

こんにちわ。熊倉さん、熊倉ミハイさん、お名前が素敵ですね。ズルイ。それだけで注目されてしまう。最果タヒのように。すみません僻みとしてジョークに流してください。この詩は前四連まできっとコックはいる。~でもコックはいない。という希望的観測からはじまりやっぱり、というような否定感で終えていきます。そのあとの二連でまた希望的観測は復活し、どうしてこのような終え方をしたのかよくわからないのが~料理店は今霧散した。コックはどこ。などという問いを発しての仕舞い方ですね。まだ若かりし頃ほんの少しコックをしていた経験がありまして、今でこそ人気のある職業ですが、実は厨房の中を覗けば相当キツい仕事です。希望的観測から否定感へ、でもやっぱり最後は希望的観測が勝り諦観は払拭される。というのは童話にもよく見られるパターンですが、このように希望的観測を打ち消すような暗いお店の仕舞い方は、やはり想念よりもリアルな現実のほうを取ったからでしょうか。 (コック)

2024-03-12

何処かでお合いしたことがありません。お話ししました。こちらにも書き込みされておられるのですね。お久しぶりです。そうですね。バイトで雨降りが嫌いになりました。ホントホントに行く前から憂鬱でカエルのような気分にはなれません。濡れるのを拒めないからです。大雪でも台風でも進め!ですよ。年齢のせいもありますね。学生の頃はわざと飛び出して濡れていたのに……この詩は雨を蹴散らすように元気、もらえます。 (雨降りの憂鬱)

2024-03-12

あ、それから、冒頭部分乱れた母音の解釈。驚きました。ぐるりと遊んでいるのですが、おっしゃるとおりに近い気持ちがあったような気もします。批評は驚きと興奮、そして刺激と発奮。勉強になりました。 (fを越えてゆこうよ)

2024-03-12

熊倉ミハイさん、こちらでは新人なのでコメントいただき嬉しいです。実は、童謡「丘を越えてゆこうよ」のタイトルと藤山一郎氏の「丘を越えて」が混同してしまいましてちんぷんかんぷんになりました。fには喩意付けもしてませんが、内容も含めて時代を越えて、とかナントカの気持ちで書きました。。言葉は寝かせて引っ張り出すこともありますが、ほとんどが即興ですので書いた後は自分でもよく覚えていません。ただイメージだけは浮かべていただいたようでよかったです。コメント感謝いたします。これからもびしばし批評してください。よろしくお願いいたします。 (fを越えてゆこうよ)

2024-03-12

煙草と縁を断ち切らないお人だな。ん十年(35年は越えてるよ)吸い続けてきたわたしも何年か前にようやく断ち切れた。それは不味い薄い後味のない加熱にしましたよ。そのほうが絶対にいい。第一廻りにも迷惑をかけない。一度んヶ月間止めてあの臭いを嗅いでみればいい。肺が壊れるのがわかります。ということで感想は乾燥してしまいました。申し訳ないです。 (自由律俳句集成「冬から春へ」)

2024-03-12

うむ、思考的な印象がはまってる。七分間。それは短いのか長いのか。考えさせられる七分間ということで七という数の語呂もいいのです。 (七分間)

2024-03-11

ビー玉をのぞき込むだけでなつかしい記憶がよみがえる。終わり~夕焼け空が見えた。というのは童心の終わりを刹那と意識されているのです。もうちょいビー玉の動きが見えてきてもいいと思いましたね。手に取るとか転がるとか。しかしポエムとはこのようにして起ち上がるものだなあ、と改めて意識させられました。 (気晴らし遊戯)

2024-03-11

わたしの取り越し苦労ってやつですかね。笑。実際抽象画のような書もあるし読めない言葉たちは置いといても記号だけで書いたものは沢山ある。でももうちょい先でしょうね。あたまが変換に追いつくのは。記号だけで読めるようになる。憧れではありますけれど、 (Ⴑ௧?ㄝテ"௧ŋ?Ⴑ⨧)

2024-03-11

まだ書き始めて~そうなんですか?それにしは文の止め、切れ味が、まるで戦場に見送られた陸軍士官のように明確ですね。ベテランの方かと思ってしまう。 (終戦前夜)

2024-03-10

作者様にはお叱りを受けたのでもう一度読んでみましたが、ううん、ですね、自信がない。あ、それから~万年雪のところを勝手に万年筆と誤読してましたね。なのでわたしの煩悩はよけいにエロチックに奔らせてしまいました。言葉は揺れ動き気丈に流してみても文は掴み難いのですが、これは、ちょっと意識を変えて読まないと把握も難しいのかな、いや、終戦前夜というタイトルにも瞞されそうで、つまり何が言いたいのかと言えば、貴方に対する停戦/終戦宣言を持ちかけたいのかな、と、多分に作為(わるい意味ではないです)を凝らして詩自体(言葉)欺いてみたい。つまり試作という過程に於いてですね。わざと暗喩を拗らせて下手に見せかけているのか、それ故に読み取れるものならば読んでみてください。という挑戦的な試みにも受け取れてしまうのですが、自分と致しましても誤謬を感じる解釈なので、そこはお許しを願いたいのです。いずれに致しましてもこれほど解釈に困る作品も珍しく、その点は素晴らしいと思います。 (終戦前夜)

2024-03-10

あ!そうか。句調子よく置かれてあるのでこれは実際に牛たちの走る姿を詠んでおられるのですね。普段このような景色を見ることもないので想像してしまいました。笑。そう解釈すれば寒さが厳しい。寒冷地ならではの景色。よい描写を表現されました。 (牛煙)

2024-03-10

ああ、そうですね。至りませんでした。他意はないのです。ただ作者様の筆力が勝ちすぎて拙い私にはよく読めなかった。ということでご容赦くださいませ。 (終戦前夜)

2024-03-10

フワッと孤独な夜はおしゃべりを思う。フワッと~この浮きあがるような軽い夜の孤独を考えてみればこういう表現もあるのだな、と感心させられます。何故かといえば、物思いに耽る寂寥に孤独な夜の気圧は重い。薄暗い雲に覆われたように気分は沈みがちになるからです。それとは正反対にフワッとした軽さで夜の孤独を表現されようとしているのは、やはり子供たちのおしゃべり、動作を思い浮かべるからでしょうね。ポエムドファンタジア(造語です笑)特に中六連なんか装飾的に散りばめられて鼻につく、というのも七連の独白対比でちゃんと打ち消しておられるのは構成の魔力でお見事ですね。推敲が窺えます。三連~子供に帰る心よ。このことから話者は懐かしい子供時代をあたまの中で回想し言葉で体現させようとしています。そして何よりもフワッと~この軽さを動きとして捉えたチン、チン、カチン、のおはじき。これが効いていますね。孤独な夜に一人想う。愉しかった頃の思い出。よき参考になりました。 (フワッと孤独な夜は)

2024-03-10

AOIさん、フォローありがとうございます。そうですね。断定したわけでもないし、性的な表現ってよくないこととも思えない。むろんこの方は直接卑猥な表現をされているわけでもありません。こう読んでほしい。という作品の気持ちはあって当然ですが、あくまでも読み手側は自由であるべきで作者のほうから制約を付与されるのであれば作品は矮小化されてしまう。何故性的な扱い方を嫌われるのかよくわからないのですが、そのようにコメントを返されたら却って読みの範疇を狭めてしまいご自身が損をするのではないか。と思われて残念な気持ちもいたします。 (終戦前夜)

2024-03-10

韻を踏むようなリズミカルな作りがこの通俗的な語りをコケティッシュに抑えていて強調させないところがいいですね。タイトルは正常位だ。正常域でもないように話しの場面は展開と置かれている。これは最後連のベッドインからしてみれば動きの垣間見れる体位の想像にもつながって逆にエロチックなムードを演出させられます。タイトル、そして構成。見事に通俗的に弾けていて、快楽な作品ですね。こんな通俗的な詩はあってもいいし、刺激にもなります。 (正常位)

2024-03-10

笑。そうですね。断定とは自分でも思えないのですが、これは読み手側の品性の欠落でしょうか。わかりました。 (終戦前夜)

2024-03-10

仕事とは何だろう 為さなくては生活も成さないから仕事なのだろうか それよりも仕方ないから仕事なのだろうか 事始めに仕事をしてみよう それが片付けば一日の仕事は終える 一日は一日でもまた一日と続いていくのだ  わたしの為の仕事 あなたの為に仕事 世界中の人々の為の仕事 今日は天気もよいので芋虫たちが穴から這い出してきた 仕事とは一体何だろう (B-REVIEW 3月のお題詩「誕生日」「仕事」 )

2024-03-09

穴、そしてマンホール。耳を当てると~巨人は街の下に横たわっている。巨人とは一体何でしょうね。旧字体あり四字熟語もありと新人類には読むだけでも難儀です、笑。巨人の穴とは何でしょうね。不穏だ。マンホールとは都市の地下を巡るライフラインの源です。辿れば何処にでも通じてしかも中を覗き込めば暗く隔絶された一本の世界。地上から眺めるのも憚られる陰湿で不気味な空間です。しかし我々の生活に欠くことのできないこの塞がれた空間は、実は常に我々を監視し我々の生死さえも左右する力を持っているのです。ひょっとしてこの細く暗室に埋葬された空間世界こそが実は都市という巨大な空間を影のように操る。巨人なのではないかと、 (穴)

2024-03-09

「鎌首」うむむ、不気味で不穏だ。なんで侍ジャパン(オヤジバツ)武士の時代の斬首を浮かべるような慣用句の二文字をタイトルに置いたのか。しかも冒頭は首実験かこれは?幸せと辛さの部首/拾う。こんな冗談のようなことを言いながら実際戦争に出向く人間もいない。そこはさすがフィクションテーラーの大ベテランですね。学識を経ての後方支援だから戦場を行っても前線に送られる危険はほぼ無い。そのことを周囲からやっかんでみられるのも仕方ない。でもよく考えてみろよ。行き着く先は核戦争だぜ。そんな細かいことに策を練ってみても一発でゼンメツだあ!そんな不穏な動きはべつに戦争を意味しているだけじゃない。事実世界のあちらこちらで紛争は続いている。こんな世相状況をみて鎌首をもたげない人間は幸だ不幸なのだとは言ってられないあなた方の心理は今でも他人事で、我々はそれを風刺に物語るしか手立てはないのです。 (鎌首)

2024-03-09

酔いどれ~タイトルとは逆にこの語り手は冷静にみて取れるのです。だからか酔うという行為に対して幅広く客観的に捉えて読める。冒頭の~私よ。から終わりの~そこの誰かさん。このことからメッセージとしても受け取れるこの独白が語り手自身に向けられていることがわかるのだけれど、これが主張を超えて行き渡るのかは私には不明だ。 この作者はフォーラムにも投稿されておられるのかな?一気に読ませる行間の流れ移り変わりが微妙に揺れて半音階を挟むように調子よく読んでいて気持ちがいい。 (酔いどれは真実を吐くが誰も気にしない)

2024-03-09

労作だなあ。刺激的ですね。苦心の跡も窺える。切り取って壁に貼りたい。 (Ⴑ௧?ㄝテ"௧ŋ?Ⴑ⨧)

2024-03-09

終戦前夜。何の終戦だろう。と読めば意味深悦なその文筆力に笑ってしまう。何を目指すのか、それは勃起に滾る祝砲への合図なのか、それとも弱々しくも今尚滾る筆の力なのか、いずれにしても我々は未だ平和の地に埋葬さるる。 (終戦前夜)

2024-03-09

右手側から読むという、そして白い空白は綿なのか、過去いう遺物なのか、大人になってしまうという語録は大切なものを棄てたという回顧録でもあり、その純真無垢な埃との決別でもある。 右手側読みから広く開けられた空白。何かが浮かんでくる。みえないもの。なかなかなそれ以上に素敵なアイデアだと思う。 (大人になってしまったね)

2024-03-09

 走り出し    跳ね跳ぶ雪に 牛煙る            *思わぬ季節の悪戯に覆われた街の、通勤に先を急ぐ人々たちの吐き出す白い息と、足下から跳ね上がる小さな雪の欠片につれて、湧き上がる水蒸気の白い煙り、それはまるで時間という概念に飼い慣らされた飼育牛のように、我々の日常を嘲るではないか。 牛煙る。この衒いに満ちた奇想奇天烈な組み合わせは句調子におかれているからこそよりイキイキと生きて伝わることもできるのではないだろうか。雲だって牛になる。いい発想ですね。刺激的です。 (牛煙)

2024-03-08

思ってたより、東京は寒いです。このオチから作者は抒情を醸し出そうとしているのが読み取れてきますね。ならばならばです。冒頭、東京は、雪が降りました。の連弾、これほどくり返されれば、ひとつひとつアクセントを付けて読みたくもなりますね。そんな抒情を醸し出すためにも冒頭には雪国には見られない光景。例えば、混雑した通勤電車の中から吐き出される白い息とか、、普段には見られない東京の雪景色という驚きを強調するためにも、寒い地方とは温度差のある街景色をおかれて対比させてみるのもよい手段かも知れません。 (東京は、雪が降りました。)

2024-03-08

これはですね。消された会話は何故?という疑問符から入って二連の蝸牛の会話です。雨によって消されてしまったのか、ならばべつに会話の主が蝸牛でなくてもいいと思うのです。何故?という疑問符は読み手が感じることで、何の前ぶりも無しに話者からいきなり入ってこられるのは読み手に対してやさしくはない。その問いは二連との関係を位置づけて想像せよ。と言われてもあまりにも遠いのです。 (Nature)

2024-03-08

超現実性というのは言葉の意味が成すとおり現実を超えなければならない。それは夢の如き現れては瞑想のように消えていく。我々が遠い星の瞬きに思いを凝らすとき、遠い星も我々の姿を思い浮かべる。しかし何億年という光の距離は絶望的に遠いのだ。いま想う水の流れ、囁く空気の循環は過去を切り取り積み重なりそれが空想となる。惑星。その未知との出合いは光の鏡を通して眺める目の前の私でもあるのだ。 (プラネット)

2024-03-08

文字列の配置や拡がりのあるタイトルからしてセンスに溢れた書き手だと思う。おそらくメッセージ性を含んだ詩が主体になるのだろうけれど文力が窺えので読んでいて疲れない。 (中央線)

2024-03-07

詩人たちが日々苦悩格闘するのは言葉で扱うのは彗星の如くあたまの中を駆けめぐる文字列たち。漢字は光に遮られ、ひらがなは重力に押し戻されカタカタは塵になる。そして文脈は文体は引力と結びつくのだ。ああ、ぐるぐるとあたまを巡るこの発想が書き方によって頓挫していく。ってな感じでころころと変わる発想は面白いのですが、意味はなくとも先ずは書かれてある言葉たちが読めてしまう。というのもこの詩を系外に飛び出すことを阻んでいるようにも感じます。 (黄色い水曜日の彗星)

2024-03-07

元外交官で作家の佐藤優は月に300冊も本を読むという。どこまで本当かわからないですが、世界中には蔵書家はたくさんいます。私なんか月に一冊読めばいいほうですね。代わりに月に300時間は画面を眺めている。笑。好き嫌いがはっきりしてきて最近では買ってもすぐに投げ出してしまいます。いつも感心するのはこの詩に描く夢みる読書家。田中宏輔氏の読書に対する一途な思い、その姿勢です。 (詩の日めくり 二〇二二年十月一日─三十一日)

2024-03-07

過去から未来へ、そしていま。ここに描かれた空間の往復書簡は終わりの連段が佳いので白昼夢のような追想も読めてしまいますね。この辺りは作者の巧みさだ。 (四次元のリコ)

2024-03-07

(くじらの歌)

2024-03-07

よく題材として扱われる鯨の喩ですが、このように詩情を対として併走させられるのならば陳腐感もそぎ落とされるでしょう。 鯨たちの謳う周波数は何百キロも届くと言われています。二連、雲のあわいから垂れる雷は~泥の涙を謳う。この言葉たちから、安息日や二次応答の証左、そして地割れに吸い込まれる鼓動~を紡ぎ重ねて読んでみれば、その根底には争い事に対する憐憫さへの思い、謳が読み取れてきますね。鯨たちの哀しい叫び声は365平方キロ先「ガザ」の外へも届き響き渡るはずだ。 (くじらの歌)

2024-03-07

周りを見渡せば異性に対して受ける刺激的な要素のエロチズム。さも年長者目線の如くけしからんと発するこの言葉は語り手本人に向けられユーモラスでもある。リズミカルで面白いのだが、ひとつ姿見以外にけしからん要素が付け加えられなかったのは残念ですね。やはりナンセンスを伴うユーモラスな作りの作品には、何かしらのオチというものが入ってきてこそ詩としての役割は向上するものだと思う。 (けしからん)

2024-03-06

稜線

2024-05-01