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新小岩一見さんの回想録
薄暮れの暖簾をくぐったのは なにしろ遠い昔のこと ネオンの明滅も届かぬ路地裏を連れと二人 蠢く静けさに浸された場末の酒場 カウンター奥の澱みから年増の店主がくたびれた声で促す 「お母さんに声掛けてあげてね」 店の小上がりに寝たきりのかつての店主であろう習性で微かに笑みを醸している 「私達はこの町から生まれて一度も出たことないのよ」 言葉の行間に棲みついたやりきれなさに 他に何を言うことがあろうか 止まり木で只々、思い巡らすばかりで いつ果てるとも知らぬ降り積む雪に途方に暮れる故郷の人々を思った 揺らぐ時の襞から吐き出される呼気にも似た囁きが聴こえる 授業サボった午後の今にも雪が舞い降りてきそうな寒空の下 手招きにさそわれるままに 陽光が微塵の粒子に乱反射し ゆるぎない静寂ひしめく見知らぬ部屋で 見知らぬ老婆と差向い コタツの茶の湯気ごしにのぞく琥珀の瞳は 想像の及ばない化石化した歳月を宿し 畏まっている私など不在のように 茫洋とした地平線に沈みゆく黄昏の太陽を見送っているようだ 「生まれてから一度もこの町を出たことないの」 既に日は暮れ移ろうままに時流からはずれ 堆積した退行の土砂にさらわれた なにしろ遠い昔のことだ
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新小岩一見さんの回想録 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 554.3
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2025-11-29
コメント日時 2025-12-01
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) |
|---|---|
| 叙情性 | 0 |
| 前衛性 | 0 |
| 可読性 | 0 |
| エンタメ | 0 |
| 技巧 | 0 |
| 音韻 | 0 |
| 構成 | 0 |
| 総合ポイント | 0 |
| 平均値 | 中央値 | |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


暖かなものが静かに募ってゆくような文章だと思いました。 >「生まれてから一度もこの町を出たことないの」 閉塞感なのでしょうね。 そこで朽ちてゆくしかない者の悲哀でしょうか。 故郷のひとびとに流れるように触れられていて、視線の移り変わりが自然で上手いなと思いました。 全体的に静かでありながら、流麗。 とても良いと思います。
1しっかり書かれていますが、少々推敲不足に読めてしまいますね。 付け足し感のある、もう少し表現的にも頑張ってほしい、 と見受けられる箇所は幾つか見当たりますが、 先ずは気がついた処を 「私達はこの町に生まれて~でしょうね。この町から生まれる、というのは可笑しい。 ~いつ果てるとも知らず降り積む雪に ~微塵の粒子に ~堆積した退行の土砂に これらは同義語として読めるので、どちらを省略されたほうがすっきり読めます。 詠む流れに沿って句読点も付けてほしいかな。 こちらのサイトは訂正機能が付いているので推敲は充分できますね。 わたしの意見ですが、 推敲不足かな、と感じました。
0小説のあらすじとして読むとアラガイsさんの言うとおりだけど、 ほんらい言葉に内在されている予知性としてのコメントからだと 「都会に来てよ」というような呼びかけをしっかりと生きている 評価のあとに伝えて欲しいのになぜしないのだろうと思いました。 僕はこの作者を何処かで知っているように思ったのですが、 自分の生活に引き寄せてみたからというよりも、 踏み込まない勇気よりも、 傷ついても載せてみる勇気に影をみたからです。 なので、コメントしてみます。
0コメントありがとうございます。レモンさんの洞察はいつも本質をついています。実際に一度出会っただけの人々の言葉が不思議と印象に残ったり、デジャブのようにも感じたことを綴ってみました。
1コメントありがとうございます。
0コメントありがとうございます。読み手によって、解釈が様々だと感じました。私は不出来でも一ヶ月に1作品投稿しようと自分に課していて、また後々ブラッシュアップしてみようと思っています。煩雑な生活の中でどの程度できるのか一種のチャレンジのようなものです。 ちなみに元となる作品はなく、すべて私自身の体験、記憶によるものです。
0いやあ、どうも、 この詩ね。 あなたがどう読まれようとわたしの知ったことじゃない。 笑、ごめんね。突き放した言い方だな。笑 作者には失礼なんだが、どうもね、 粗が目立っちゃって読み解く気にならない。 ごめんよ。作者様。 なのでもう少し推敲されたら如何ですかな。 と、コメントしたわけだけど、作者様気に要らなかった様子ですね。 思わないことを他人に指摘されたら気分もわるい。わかりますけどね。 そのことを敢えて指摘する読み手の気持ちも予知して理解してほしいわけです。 批評サイトですからね。 詩にしても散文体にしても同じでしょう。 省かれたほうがいい表現ならば省略すべきでしょう。 イメージを駆使して読むとは、 そういうことではないかしらん。
0「生まれてから一度もこの町を出たことないの」 という話語が胸にしみます。 ネオンの明滅も届かぬ路地裏、 くたびれた声で促す年増の店主、 いつ果てるとも知らぬ降り積む雪、 いいなあ、 多分、おもてに吊り下げられた赤い ちょうちんの灯もぼうっと引き戸に かすんでいるのでしょうね。 いいなあ。 うらやましい。
0↑ いつ果てるとも知らぬ降り積む雪に~ いつ果てるとも知らぬ雪に~ まあ温泉に浸かる猿か、高級ホテルのバスに忍び込む猿かの違いよね。
0アラガイsさんのファンは多いようなので アラガイsさんのコメントにコメントする ときは今後はもっともっと丁寧にいたしますね。 今回は、運営ではないにしてもアラガイsさんから 突き放したご返信をいただき、昔、運営の方に このサイトへの参加はおすすめしない旨を言われたことを 参加する以前に言われたことを思い出しました。 これは私にとってもどうでも良いことなのですけど 今回のコメントで再度の返信を繰り返すので(ごめんないね)、、、 アラガイsさんはこのサイトに長いこと参加しているので、 推敲しなおせという言葉の重みを知っていて、それでも 創作者に創作の真の愉しさを伝えようとしている気持ちも 面と向かって肯定しなくてもあるのでしょう。 とてもとても充分過ぎるほどよく分かります。 ただ、私に引き寄せて、書かせてもらうと、薄めに書いても、死に 間接的に関わることなので、重い話しになってしまいますが、 高校生のときに同じ部活で級友でもあるクラスメートが死にました。 親友というほどの付き合いがあったわけでもないけど 弔辞を読むことになり彼の生前の気持ちを一生懸命に彼に変わって 代弁した内容の弔辞を書いたのですが、国語の定年間際の人間に 事前に出すように言われて、何度も「検閲」を受けました。 人間って先生ですので、先生も人間ですので、自分たちに少しでも 火の粉がくることの無いような何処にでもある定型の弔辞にもって いこうとしていたのは明白でしたが、国語の定年間際の人間に 私は従った 従った自分が情けなく今でも思います。 昔の昭和の話しですし、こんな重たい(私としては薄めに書いていても) ことなので、こんなことをこのコメント欄に書くのもタブーなのか もと思いましたが、今回の作品の文章の内容はとても私には重かったので (たしかに読み手側の読解力の問題ですが)、アラガイsさんは深く 読み込む力のある数少ない人のひとりなのですからわかった上で、 それでも、敢えて、推敲不足だとして突き返したのだと思います。 高校の国語の教師(当時の代表する有名予備校で別名で教えていた方々) よりもよっぽど、アラガイsさんのほうが、詩の本質を掴んでいられる。 詩の才能もないし読解力もない方々はアラガイsさんの真似をしない ともかぎらないので、アラガイsさんは決してサイトの質を下げよう としているわけではなくて、深い意味で長い意味で詩の深みを伝授 したいというお気持ちなのだと私なりに噛み砕き代弁させていただきました。 以上です ※自分に引き寄せた文章を挿入してしまいました。すみません。
0追記 ①まずタイトルがなかなかいい。「新小岩一見さん」というのが 実名であっても創作でも秀逸。 ②裏路地にひっそりと生き抜いた老婆の心境がよく描けている。 その心境にあった筆使いがまたこちらに沁みる。 ③授業をさぼるというちょっとした規律からの逸脱がもたらす 裏町の安逸と孤独。そして茫洋たる人生のごとく降る雪の情景が また沁みる。 久しぶりに赤ちょうちんで一杯やりたくなりました。 わたしの個人的な感想ですが文体はこれでいいです。 下手な意見に惑わされずこのままでいいです。あなたがご自分の 羅針盤を信じてめざす方向に進んでいかれればいいとわたし個人 の感想ですがそう思いました。これはこれでいいです。
0(ごめんないね)、、、 「さ」が抜けていました。 ◯ (ごめんなさいね) わざとでありません。
0コメント寄せていただき感謝します。情景や意図を丁寧に汲み取っていただきありがとうございます。励みになります。それこそが羅針盤です。これからも不出来ながらも言葉を磨いていけたらと思いました。
0takoyoさん、タイトルですが、 「新小岩」は地名ですが、 「一見さん」は、「いちげんさん」だと思いますよ? 私も最初、名前だと思ったので。
1ああ、そういわれてみれば。笑 寝不足であたまがいまもぼんやりしてます。 ありがとうございます。 それにしても感想コメントのトップにレモンさん のが来てよかった。 でないと投稿者が浮かばれない。笑
0~店の小あがりに寝たきりのかっての店主であろう習性で微かに笑みを醸している。~ 読んでわかりますか?ここだけではないよ。 ~授業をサボった午後の今にも雪が舞い降りてきそうな寒空の下~見知らぬ老婆と差し向かいコタツの茶の湯気ごしにのぞく~ 長々と印象表現を述べられて、いきなり老婆と差し向かい~ あらら?何のことやらちんぷんかんぷんですわ。 らどみさん、 あなたのコメントする独特な文章も、個性的と言ってしまえばそれまでだが、 読み難いことは読みにくいのです。文節の言い回しも何故か独特に廻る廻る。遠慮がちに回りくどくて長くてね。 それでもちゃんと伝わるのは伝えたい核を押さえているからでしょう。 これならば個性的な文章で刺激的やわ~でも読めるのです。 なんでしょうか? 表面的な粗はいいから、もっと内面に向き合って読んでやれよ。この野郎。 ということでしょうか? 読み難い文章でも無理やりにでも。 いや、それはできませんよ。いくらなんでも。 この作者様は文字使い、言葉の表現からして、それ相応にお歳を召した方だとは推察されますが、 ちょっとね。 構成的にも、表現的にも、もう少し考えてほしいと思うのです。 いくら個性的な文章文体と見ても読めないのでは仕方ありません。 何やらTakoSukeがこのままでいい。とかなんとか藻掻いてますが、 このまま芥川龍之介に見せてご覧なさい。即ボツに千夏ちゃんですよ。※訂正(芥川賞)千夏(なっちゃう) なので、もう少し読み手のことを考えて、お書きになられたらどうですか? と言いたいわけです。 これでいいわ~ とお思いになられたらそれでいいじゃないすか。 作者様も野糞歴の長い皆様も(いや、失礼) と、いうことですよ。
0追記しておきますが、 こちらに投稿されておられるAOI様とか、熊倉様とか、 意図的な詩媒体として普通に読ませない。 などという魂胆があからさまに読み取れてくるのはもちろん有りだと思いますよ。 前衛を念頭に刺激だけを意識して読ませてみる。意味論を稀釈した試験的な操作でね。 この詩はそのような目的には置かれて作られていないでしょう? あくまでも読ませる読まれることを目的に書かれている。
0わたしがこの詩を、このような書き方でいいと思ったのは わざわざ句点をつけていないことからもわかるように、 作者が小説のような散文体を最初から意識して 書いておられないからです。 これを散文ではなく詩としてみた場合、かなり斬新です。 AOIさまのような難解系現代詩はたしかに読み応えはありますが、 もう、古い。古いという言い方が悪ければもう飽きるほど 見てきまして食傷気味なんです。それに、実のところ技巧に走って なにか物足りない。 そういうところは現代絵画でも反省されて、今、芸大の学生は みな精細な写実画を描いてます。最先端の画家も抽象画 描かないで究極の写実画描いてる。皿にのった豆腐の絵とかね。笑 鮭描いている人もいる。豆腐と背骨を描いているひともいる。 なぜ背骨かというと日本の絵画には結局、背骨=写実がなかったという 反省なんです。 抽象画は今、時代遅れなんです。じゃなぜそうなったかというと、 日本人が戦後、突然欧米の抽象画を真似して我も我もと書き出したけど、 ほんとうにほんとうの西欧の絵画の本質って実は写実だったんです。 そこをすっとばして抽象画が流行だってので描いたけどやっぱり西欧画の 基本である写実をちゃんとマスターしてなかったことに気づいた。 そこに一旦戻って基本からやりなおそうという風潮なんです。 詩もそれと同じで戦後急に難解詩やりはじめたけど、ちゃんと西欧の自由詩の 基本やってこなかった。だからもうまったく手芸に走っって思想や哲学が 貧困です。 この詩が斬新なのは自由詩のやり方で写実をやろうとしているところです。 その場合、その限りにおいて文章の整合性はあまりどうでもいい。 その目論見の限りにおいて文法もどうでもいい。内容の整合性もどうでもいい。 ということがいえると思うのですが、 作者がそういうことを考えて書いているというのではなく、わたしがそのように 感じたということです。この詩の本質がわからないでなにやら騒いでいる愚かな やつがいるみたいですが、しょせん、手芸詩のやからです。話になりません。
0アラガイsさん繰り返しのテーマに答えていただきありがとうございます。 私がする質問が、めんどくさい質問だと思われちゃうかなと不安でしたが 確かに私自身もサリンジャーの真似をして悪文で読みづらいと思いますし、 文章の内容に出来るだけ自分の過去やリアルタイムの経験に寄せる内容を 挿入してきました。しかし成長に追いついていけなくなっています。 友人として、次の文をご理解ください。 「 私は1週間を通して複数のサイトを巡回しています。 私こと足立らどみの中身は普通に生きている会社員です。 普通に働いて生きていて常識の範疇の発言もしています。 この常識は若手の自称創作活動家には吐き気を感じるという 人もいるらしく、今まで、酷いコメントを貰ったことも 幾度もありました。自分を守る手段としてこの悪文はある程度は 無意識的に綴っています。 また、AIライティング検出ツール(CAPTCHAのAI文章版) にひっかからないように意識的に文章を綴っています。 私自身は提出の文章がAIか否か調べる側ですしミイラ取りがミイラにならないように、 分かりやすくいうと''レプリカント対策''です。 忠告します。 あまり手のうちは明かさないほうが良いのかもしれません。 今回の作者の作品は「しろ」と判明しました。 しかしすでに新しい方法で書かれている可能性があります。 」 鍵カッコの文章は、ai(advocater inkweaver)に作成させた文章です。 アラガイsさん、世の中は、日進月歩、時進分歩のスピードで 進化している部分があります。再度、詩とは何かを考えていきたいと 私は考えています。 https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=388896&filter=cat&from=menu_c.php
0それを言っちゃあお終いよ 天国からフーテンの寅さんの声が聞こえた
0サピエンス全史なんて日本公共放送でやってたじゃない。一応眼は通してるわよ。わたしはNHKやBSの主要なスペシャル番組は外さないことにしてるのよ。 で、?。今回の作者の作品は「シロ」と判明しました。すでに新しい方法で書かれている可能性がある~って、 何を根拠におっしゃってるのか、サッパリスッパイお大福。 実は調べてみたら、この作者、ズコーンの御仁だったの?そうなの? 違いますよね。意味深なこと言わないでください。 上でも抽象画、なんてもう古い、これは自由詩だ!とやら、またわけのちゃらんぽらんなことを老獪なTakoyo様が後付け短パンで書かれておられますが、 馬鹿ですよね。 お二人の方に、「このクソ馬鹿野郎!」と罵られたのがよほど肝にきたのか、めちゃくちゃな論を展開されておられますよ。 まったく、「馬鹿は戦車に乗ってやってくる」。とはよく言ったもんだ。 で、何が「シロ」で何が「クロ」なのか、オセロゲームはやめてください。 将棋もカードも得意じゃないのです。 何のこと?
0返答ありがとうございます。 世界は不思議で満ちあふれていますね。 AIは辞書詩を超えはじめているのかも
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