声明 流木から - B-REVIEW
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声明 流木から

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声明 流木から    

戦争も公害も 環境破壊も資本家による搾取も イジメも生き物への虐待も ぜんぶ全部知ったこっちゃない そんな言葉を 怒りに任せ 悪態をついて 吐き捨てる余裕もなく 喘いでいた わたしはわたしの家族による虐待と 愛情への飢餓と 存在の揺らぎと 小さな世界 その中で向けられる言葉と評価への注視に終始して 脅え あの海で溺れていた 命からがら掴まった流木 言葉に掴まって漂流し 気がつくと眠っていた 久しくあれほど深い眠りはなかった 言葉製の松葉杖で 楽しむことを知った わたしはわたしの笑い声を久しぶりに聴いた 利き手に棍棒を握るようになってからは 恩も忘れて とにかく人を 世界を叩き続けた 叩いて叩いて 叩いて叩いて叩いて 叩き疲れてわんわん泣いた 手放したそれが転がり からんと乾いた音がして 流木だったことを思い出した 信頼は 信用に値すると心から感じられたら その先の結果はどうなっても引き受けると その人に預けることと知った 愛は 夜の海の 平たんそうな小さな波々を はじめてのひとの肌に触れるように細やかに撫でること 朝をむかえ見送られる時の 陽の光に教わった 旅は続き まだ気づけぬところで 冒頭の悲劇との距離が変わり始めていた それからも変わらず 小さな世界で喘いで その罪を引きずって歩いた 距離の変化をようやっと自覚してからは 流木は資材になった 高台から世界を見つめる 見つめ 知ることが増えても 見つめるだけで 何も出来なかった それでも詩は止められなかった 孤立死した男性 小さな家で管理される女性 殺されたホームレス 詩作品を揶揄される人 それらを見つめていたわたしは 起こっていることについて 自分なりに詩を書くようになった 世界を変えられず 人も到底救えない ただ書くだけの ただ書くしかなかったこと 旅は続き 流木出身と名乗るようになり 流木を奪い取り 蔑むような言説に対し 沈黙することは出来ないと 覚悟を決めた 大規模な爆撃も ただ一人の胸を張り裂く悲しみも 路傍の草花に向けられる優しい瞳も 比較されるべきではない セラピー的創作活動と嗤って 人の真剣を破り捨てるのをやめよう その行いは 戦争や他のあらゆる悲劇にも繋がってゆかないか 凄惨な実体験や見聞を 誰かをやり込める為に使うのか 世界の残酷さから目を背けて 日々の小さな生活を変わらず送ればいい そんな言葉をぶつけるのか あなたが信じる言葉で あるいは 信じられないのか 言葉の目に見えないところにまで届く力を 言葉の影響に正しくおそれることを 今も覚えているか この道を見て欲しい 誇りではない 事実である 流木が 一人の人間をここまで連れて来てくれた 言葉に詩に 感謝してもしきれない 人を破り捨てても暗い未来しかない 人を排除しても同様だ 流木は 命を救う 流木は 歩みを助ける 笑うことを教えてくれる 信頼を 愛を やがて資材となり 世界を見つめる機会をくれ そのうえで無力を知らせる その後にも再起を支え 人々の尊い日々の暮らしを 喜怒哀楽を 破り捨てた先に何があるかを知らせる あなたが見ている人たちの この先の道を信じて欲しい あなたには奪う力がある そして何倍ものあかるい言葉がある どうか 信じて欲しい 残酷に簡単に破り捨てた人たちのその先を知って欲しい 今を知って欲しい 誰からも 流木を 詩を 奪わないで欲しい どうか どうか あなたが遠くへ行ってしまうことも わたしには悲しい かなしい あなたを追い出そうと躍起になる者たちの 残酷さが痛い かなしい 詩人は排除などするだろうか これからも人から聴くことを学びたい この恥ずかしいほどの未熟で きっと最期にもそのままで けれど どんな未熟者だったかを 決して掴んで離さない 未熟さにかたどられるわたしは よく燃える 不恰好な流木になりたい

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作成日時 2022-03-13
コメント日時 2022-03-23

声明 流木から ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 28
P V 数 : 3031.5
お気に入り数: 8
投票数   : 1
ポイント数 : 10
#ビーレビ杯不参加 #縦書き
項目全期間(2023/05/30現在)投稿後10日間
叙情性33
前衛性00
可読性33
エンタメ00
技巧33
音韻11
構成00
総合ポイント1010
 平均値  中央値 
叙情性33
前衛性00
可読性33
 エンタメ00
技巧33
音韻11
構成00
総合1010
閲覧指数:3031.5
2023/05/30 01時08分53秒現在
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    作品に書かれた推薦文

声明 流木から コメントセクション

コメント数(28)
蛾兆ボルカ
作品へ
(2022-03-14)

すごい。 これは感情のアートだと思います。 ある種のスタイルが握られた瞬間の爆発を、単なる爆発ではなく流れる線に変えて、それで絵を描いていくような感じ。 以下は余談ですが、アレン・ギンズバーグの「吠える」という詩があります。この作品とは全然違うのですけど、感情のアートという点では、この作品は「吠える」に通じるものも感じました。

1
ねねむ
作品へ
(2022-03-14)

私には言葉も見つかりません。 ただ読ませていただいてありがとうございました、とお伝えしたくてコメントさせていただきました。 拙文大変に申し訳りません。 でも、本当に本当にありがとうございました。

1
AB
作品へ
(2022-03-14)

んん、すごいな。 気づいたら命を繋げたはずの流木だった、という感情が重なってゆくのが、とても好きです。(ほんとは、好きですとも違うんですけど表現できないので。) また、落ち着いたら読み返します。

1
クヮン・アイ・ユウ
蛾兆ボルカさんへ
(2022-03-15)

ボルカさんありがとうございます。お言葉、とても嬉しいです。 本作を書くにあたっては、着想時点からスタート地点、中間地点、ゴール地点までの糸が特にはっきりと意識されていました。その時点である意味完成していたと言ってもいいくらいだったのですが、同時にある種文字起こし的な作業に着手することがとても不安でした。糸が切れてゴール出来ないかも知れないと思ったからです。感情だけでは辿り着けないとわかっていたので、その為の対策と言うにはあまりにもっと感覚的な判断として、私小説的であったり自身の歴史を辿る形での方法が選ばれました。そのことがおっしゃっていただいたような爆発から線に変えて描くということに繋がったのかも知れません。 ふとどこかで見聞きした、ロックバンドとステージをプロデュースする裏方の掛け算によるパフォーマンスのことを思い出しました。今回はたまたま創作中に色んな私が意識の中に居られたこと、その幸運に感謝したいです。 「吠える」も読んでみたいです。 ありがとうございます。

1
クヮン・アイ・ユウ
ねねむさんへ
(2022-03-15)

ねねむさん拙文なんてとんでもないです!心を割いて読んでいただけたことが伝わって来てとてもとても嬉しかったです。本作は後半を書き上げることが苦しくて仕方なくて創作を中断してぶっ倒れておりました。完成後の反動も大きくさらに長く動けませんでした。そんなチャレンジだったので、お言葉いただけてとても嬉しいです。ありがとうございます。

2
羽田恭
作品へ
(2022-03-15)

長いので意訳ですが、サンユッタニカーヤにある釈迦の言葉を。 「あの丸太が岸に着かず、沈まず、中州に上がらず、人に奪われることも朽ち果てる事もないならば、やがて海に着くだろう。それは河は海につながっているから。あの丸太の様に、悟りへと運ばれていけばやがてたどり着くだろう」 この詩からはこの言葉を思い起こしました。 流木に励まされ導かれ、時に誤った使い方をしてしまいつつ、糧にしていく。 未熟だと言いつつも、 >よく燃える >不格好な流木でありたい と最後締めくくる。 「自らを愚かだと知った者は、それはすなわち賢者である」ダンマパダ 詩人としての生きざまを見せてくれました。 良い作品です。

2
福まる
福まる
作品へ
(2022-03-16)

「流木」という単語が出てきますが、「私」は「流木」に助けられてここまで来たんだなと思いました。なんか「流木」が「チャンス」にみえて「チャンスを奪わないで欲しい」と勝手に解釈しましたが。今起きている出来事とつながっていて切なくなりました。

0
クヮン・アイ・ユウ
ABさんへ
(2022-03-16)

コメントをくださりありがとうございます。 詩情に触れたはじめは、感情の爆発力が強すぎて構成など練れる余裕がありませんでした。それで、仕上げるまでの道のりに簡単に切れそうな糸が見えていたので、自身の歴史ならなんとか辿って行けるかもと考え結果的にこの構成となりました。 好きというお言葉も含め、ありがたいお言葉をたくさんいただけて嬉しいです。ありがとうございます。

1
クヮン・アイ・ユウ
羽田恭さんへ
(2022-03-16)

釈迦の言葉を学ぶことが出来、そして羽田さんのお言葉をいただけてとても嬉しいです。ありがとうございます。 わたしの作品の核を受け止めていただくだけではなく、こうして言語化までしていただき、本当にありがとうございます。 以前いただいた釈迦の言葉についてもとても救われたので感謝感謝です。 ゆけるところまで、修行を続けてゆきたいと思います。その道において、またこうして可能な限り詩を書いてゆけたら幸いです。ありがとうございます。

0
クヮン・アイ・ユウ
福まるさんへ
(2022-03-17)

福まるさんなりの流木を、詩を聴かせてくださり、ありがとうございます。コメントとても嬉しいです。重ねてお礼申し上げます。 自作を公開すること、そこにコメントをいただくこと、そしてそのコメントから人様の価値観や在り方を知らせてもらえること、その尊さに感謝の心のかたちを感じています。詩を書くことの素晴らしさをまた一つ知りました。ありがとうございます。

0
三浦果実
作品へ
(2022-03-17)

ここまでゆくと、小説か随筆の方が表現としてはハマるのではないかというところでコメント迷っていたんですよ。で、最終的に私はこれを優れた抒情詩だと読みました。ただ、それを成立させているのは書かれたタイミングにあると思っていて、今後、また更に新しい発見のある作品を読みたい。自己模倣に傾かない作品、読者の美的経験は、新しいものに常にあると思うから。

0
内海拓郎
作品へ
(2022-03-17)

表現のしかたは違えども、同じような思いが僕にもあるなと感じました。 プロフィールに流木出身とあり、流木とは何であろうか、国であろうか、などと検索したりしていました笑 アイデンティティーとしての流木、この詩でその姿を垣間見ることができたように思います。 ありがとうございます。

0
クヮン・アイ・ユウ
三浦果実さんへ
(2022-03-18)

三浦さんコメントありがとうございます。いろいろ考える機会をいただけたのでありがたいです。 私小説を書こうとして書けない人です。随筆のこともあまり理解出来ていなくて。前述の二つのスタイルについて調べたことはありますが、そう考えるとなぜ今作はこのスタイルをとっているんだろうかと考えています。そしてこのスタイルに名前をつけるとなんなんだろうとも考えています。 三浦さんは >最終的に私はこれを優れた抒情詩 とおっしゃっていただいています。 私にはこれがそもそも詩なのか、抒情詩なのかなどはもっとわからないのです。ただ読者の方がどう読むかは、もうリリースした作品ですから、私の思考とは別のところで常に素直に受け止めていきたいと考えています。 >ただ、それを成立させているのは書かれたタイミングにあると思っていて、今後、また更に新しい発見のある作品を読みたい。自己模倣に傾かない作品、読者の美的経験は、新しいものに常にあると思うから。 この箇所、特に刺激を得ながら、そして書いていただいたことにありがたいなと感じながら読みました。 私はコメント欄という名前を使った募集にならコメント出来るのですが、批評欄と書かれた場所にはなかなか批評文が書けないと思います。批評が何なのか、辞書で調べて批評文を読んでも、すっと心に入らない感覚があります。でもまぁそれでいいかなと思っています。私には批評文は書けないですが、おそらく年単位で観察しても特に変わらず取り組んでいるスタイルでコメントを(可能な範囲で)していると思うからです。これからも今のスタイルでコメント活動にも取り組んでゆきたいです。 話がそれましたが、その上で引用させてもらった箇所にある三浦さんの文章は批評だと思うのです。批評が何なのかはっきりとわからないのにです。もしかしたら(私は使えませんが)それを使うのと受け取るのとでは使う脳や心の機能が違うのかも知れません。 本作への批評箇所(だと思われる)ポイントのひとつには、作品と時勢の関係性についてがあると考えます。 私は自身が詩人であるとは言えないですが、詩書きではないとは言えます。そして詩人になりたいというよりは、詩人はこんな人かな、こんな風に世界と向き合っているのかなと想いを馳せることがあります。 詩書きにとってはもしかしたらチートアイテムになり得るのが時勢でしょうか。詩人には時勢と無縁では居られないものがあると考えています。もし詩人が居るなら、私がその行動について知らないだけで、タイミングごとに何かをうまく言えませんが「そこに打っている」気がするんです。 >自己模倣に傾かない作品 「自己模倣」とは、作者の人生や人格の開示に置き換えられますか。 詩書きにそれに傾かないで欲しいということでなら、なんだかわかる気がします。詩人には傾いていて欲しいなと願ってしまいます。

0
クヮン・アイ・ユウ
内海拓郎さんへ
(2022-03-18)

コメントをくださりありがとうございます。 「国」というお考え、おもしろいですね。 内海さんの中に流れる思いを本作に映して、何か感じていただけるものがあったとのことでとても嬉しく感じます。ありがとうございます。

1
勉強します。ありがとうございました。いろいろと迷惑をかけました。
作品へ
(2022-03-18)

流木とは賜物なのでしょうね、 無償の贈り物、 それが私にとって都合が悪く嫌な時もある、都合が良く嬉しい時もある、 どちらにせよプレゼントなのです、 感謝を持って受け取る責任ある自由を試されており、そしてそれができるのならば、無上の喜びへと変わるでしょう、 何気ない生活に地続きの明日の、何気ない海浜散歩において、流木を拾うかもしれない、 それは杖か棍棒か、 どちらにせよ感謝を持って受け取りたいものです この作品の全てを掴み取ることはできませんでした、 しかし、私の理解の幼稚ささえも、言葉未満の言葉さえも、書き手から流されていった詩の創造に寄与すると信じてなりません。 何が手放され、何が波に揉まれ、何が岸辺に着くか、 わからないことを大胆に信頼しようと考えさせられた作品でした、 読めて嬉しかったです、ありがとうございました。

0
トビラ
作品へ
(2022-03-19)

一人の人の純粋な祈りを読めてよかったです。 祈祷の文句をそらんじるというより、人生から汲み出した意を宣る。 そういう本当の祈りに触れられて、松明の火をわけてもらえたような気持ちです。

0
ほば
作品へ
(2022-03-19)

僕は美術とかわかんないのだけど、来ないだアクションペインティングというものをみせてもらいました。絵の具を無造作に垂らしたり、ときには投げつけるようにする。出来上がるのは抽象的なものなんだけど、この絵を描く過程そのものがアクションなのかなぁ、とみていました。 そのときに説明されたのはこんな感じ。 身振り手振りをあれこれ工夫し、描いた絵画。これは絵を描く行動に重きを置いた結果と言えます。いわゆる具体的な対象を描いたものでは無く、絵の具を跡や滴り、滲みをそのまま無作為かつ直感的に画面に残している絵画です。 このクヮンさんの作品は結構、具体的でメッセージ的なものがよく出ているんだけれど、アクションペインティングの説明にあるような身振り手振りが感じられる爆発的にひと息でかき上げたような印象を受けました。ひとを叩き続けたものが、自分の生命をすくった流木だと思い出すところが山場ですね。そのあとはちょっと伝えたいものがたくさんあるのはわかるんだけど、ちょっと読んでて息切れしてしまいました。 流木て不思議な響きです。河をただ流れてる折れた木とかでなく、何故か僕のなかでは一本の木が丸ごと流れているように、読み終えてから感じました。果樹園に洪水で木が流れついていたことがあって、斜めに傾いでいるのにちゃんとそこに根を張ってたんですよね。そんな事を思い出しました。本筋から段々、離れていくからこれぐらいで失礼します。

0
クヮン・アイ・ユウ
勉強します。ありがとうございました。いろいろと迷惑をかけました。さんへ
(2022-03-20)

ご覧くださりありがとうございます。最近コメントを書かせていただくことが少し増えたのですが、そのうえでこうしていただいたコメントを改めて読ませていただくと、その割かれたエネルギーを想ってより深く感謝を感じます。ありがとうございます。 信頼とは、ポジティブな未来を想って相手に預ける、結果がどちらに進んでも受け止める覚悟を持つことと考えているので、 >わからないことを大胆に信頼しようと考えさせられた作品でした、 このようにおっしゃっていただけてとても嬉しいです。ありがとうございます。

0
クヮン・アイ・ユウ
トビラさんへ
(2022-03-20)

トビラさんありがとうございます。>祈り とおっしゃっていただけてとても嬉しいです。ありがとうございます。 トビラさんをはじめ、松明を携えて暮らしている方々が居てくださるから、この世界で生きてゆこうと思えるのだと考えます。火をはじめにつくる人にはなれないかも知れませんが、わけてもらったあかりを大切にしてゆける人でありたいと思います。

0
クヮン・アイ・ユウ
ほばさんへ
(2022-03-20)

ほばさん、コメントをくださりありがとうございます。 >アクションペインティング について一部を学べて良かったです。 一般的なスタイルで描かれた作品とアクションペインティングで描かれた作品を制作過程についての知識なしにごちゃまぜにして展示されていたらどう感じるだろうと考えました。 絵を見るのか制作を見るのか、あるいは絵のスタイルから制作を想うのか、面白いお話ですね。 相反するような性質を感じ取っていただけたとのことでとても嬉しいです。思想が爆発で終わってしまいそうで怖かったので。 >ちょっと読んでて息切れしてしまいました。 この箇所、書いていただけて嬉しかったです。ありがとうございます。本作のジャンル(?)を何として読むか、あるいは目で見たり耳で受け取るなどの受け取り方でもそれは変わるのだろうかということを考えました。寿司と差し出されてすっと飲み込めるものとそうでないもの。何屋さんかわからないお店で他店のアレっぽいものを出される場合など、と書いていたら私もなんだか外れて来ましたね。 私がもしこれを詩ですと出されたら息切れしちゃうかもとは思ったんですよね。笑

0
ペペローチーノ
作品へ
(2022-03-21)

淀みなく出る言葉がとても気持ちよかったです。重たいはなしのはずと思いながら読んだけど、重さより希望の光のようなものを感じる不思議な感覚がありました。

0
鷹枕可
作品へ
(2022-03-21)

告白させいただきます。詩に附きまして、 私は全て、全てを間違えておりました。ここまで、言葉を愛し、心より信頼を欺かず、ただ精悍に立ち向かう。 恥にも、卑屈にも、教条的恫喝にもものともせぬ、逞しさを、詩と呼ばずして何と申しましょう。 穢れた自身の心を洗われる様な、貴さに溢れた、至高の叙事と抒情を、兼ね備えに成られた、価値などに代替するも烏滸がましい、素晴しい傑作であると、ただこころを打たれております。 これからも、無学な私や、世間、世知の駆け引きの様な、穢れに塗れた言葉を、その姿勢の清々しさに因って、表現のお力によって、導いて下さります事を、こころより、願わせて頂きたい、所存でございます、 恰も、ギルガメシュ叙事詩の様に、素朴且つ素直であることに、人間が未だ理性という魔に魅入られる以前の、原風景を見。隔世遺伝的に実感を為されました様な。、 類稀な作品であると、思いました次第でございます。本感想の跋と致しまして。最大級の讃辞を送らせていただきたく存じます。 こころより、有り難く思います。感動、などと言う範疇を超えた、読後感に只平伏をさせて頂きたく思いつつ、咄嗟の感受をつづらせていただきました。 長文となりまして、まことに失礼を致しました。

0
黒髪
作品へ
(2022-03-21)

流木の描き方と、流木とは何かということと、意見や気持ちなどが、一体となりつつも、 モノの感触もある描写になっている作品だと言う風に思いましたが、圧倒的な迫力、 真に訴えかける内容があります。僕自身が心を失いかけているような事を思い、 あまりに申し訳なく、同時に有難い気持ちになりました。素晴らしい作品、 読ませていただきました。

0
クヮン・アイ・ユウ
ペペローチーノさんへ
(2022-03-22)

ありがとうございます。希望を感じていただけたとのことで、とても嬉しいです。 着想を得た際には、言葉のその出ようとする力はダムの放水のようなものだったので、コントロールに苦労がありました。ですからそのように感じていただけてとても報われます。ありがとうございます。

0
クヮン・アイ・ユウ
鷹枕可さんへ
(2022-03-22)

作品をご覧くださり、また私には勿体ない数々のお言葉を、そして何より心を割いてくださり、誠にありがとうございます。私はおっしゃっていただいたような人間ではありませんが、いただいたお言葉を汚さないよう、引き続き私の中での私を高めてゆけるよう、つまりより良く生きてゆけるように精進致します。 ありがとうございます。

0
クヮン・アイ・ユウ
黒髪さんへ
(2022-03-22)

黒髪さんありがとうございます。私の人生に、通りがかってくれたのは流木の方からでした。 そう書いて、もしかしたら私の方から気付かぬところで近づいて行ったのかも知れないと思い、やはり真実はわかりません。ですが、こうして読んでいただくことができ、私はやはり言葉に関わることのできる人間に生まれて来てよかったと思います。ありがとうございます。

1
いすき
作品へ
(2022-03-22)

まず、この作品は素晴らしい作品だと思います。 バランスを崩したようで、駆動力を獲得している。 それは作者の人の本当の実力の表れだと思うし、ぶれない気持ちの表れだとも思う。 作品の中身はおろか、私なら、ただ、長さだってこの半分も書けなかったに違いないです。 でも、私はこの作品を読んで、その言葉を理解することが難しかったです。 理解する、実感を持って理解する、自然に受け入れる、ちゃんと読む。 そういうことが難しかったということです。 こんなに素晴らしい作品なのに、それはどうしてなんだろうと思ったのですが、 今日になって、わかったんです。 ああ、クヮンさんって米津玄師なんだなー、って。 ものすごく無責任な言い方をすると、クヮンさんはすべてを守ると言ったけど、 そこに私は含まれてはいない。 つまり私は死人で、この作品には死んだ人間が出てこない。 つまり、光の存在なんです。米津玄師って。 私はもともと生粋のニコ厨だったし、米津玄師の音楽は本当に好きです。 でもファンじゃない。CDも1枚だけ持ってるんだけど。 それは無論、私が、彼の音楽を愛する能力を失っているからです。 私にとってこの作品は、そのような作品でした。

0
クヮン・アイ・ユウ
いすきさんへ
(2022-03-23)

いすきさんありがとうございます。コメントを受けて、いすきさんのことをもっと知りたい。いすきさんのお話を聴きたい。そう思いました。 そして、もっと色んな人のお話が聴きたい。話がしたいと思いながらの現在地です。時間は有限で、しかし合理的になどしたくはなくて。一人の方のお話をきちんとうかがうというのはとても時間やエネルギーの要ることと思います。 このままもう十分ということにはならないで私はきっと道半ば死ぬと思います。それは恥ずかしいままの、情けない、誤りを繰り返す道だろうと思います。その途中で必ず死にます。ですが、言葉を発信することもそうだといいなと願っていることがあるのです。それは、目に見えない場所への効果というものが後に生まれるかも知れないということです。生き方や死に方、道中の言葉がどこかで良い効果を生んでくれると嬉しいなと思います。 私にはこれしか出来ず、このようにしかあれません。その上で少しでもより良く生きていきたいと思います。 対話は、あなたの言葉をこう受け取りました、それでよかったですか?という確認とそれへの返答。そしてあらたな発信がありまた確認がある。そうやってときに永遠にも感じられるような途方もない時間を思わされるくらいの労力を注ぐものと考えます。しかもそれはお互いが対話に対して向かおうとする気持ちが同じ向きでなければ持続しない奇跡です。 いつか、いすきさんにとっての光りについてさらに深くうかがいたいと思いました。 まとまりのない文章ですみません。これからも互いのゆけるところまで、どうかよろしくお願いします。

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