B-REVIEW作品投稿掲示板


ゆうなんぎい   

仲程 
作成日時 2017-11-10
コメント日時 2018-03-06

 

観音山のすそ野に拡がる田が 今年は三色パステルの絨毯になって そよと花が揺れる ときおり 少し遅れて 風にすれる音が続く 明日 あの人に見せたい と思う場所が またひとつ増えたというのに あの人の明日は とっくに僕の知らない世界で たぶんもう繋がってはいない それでも コスモスが揺れ 少し遅れて 風にすれる音に つながる ブーゲンビリアの揺れる生け垣の その向こうに住んでいたあの人のもとまで 連音のように 思いのうちのひと粒でも 連音のように 届け いつまでも 僕の気持ちは あの人の心の隙間に 繋がりたがって ゆうなんぎいのいとの そよとばかりに  


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静かな視界静かな視界 (2017-11-11):

四連が、ほどよく良いバランスで構成されていますね。 人の人生はいろんなものを生んではいきますが、多くの決別もありましょう。 そのわずかな希望を、どこかに記録しなくては人はあまりにもかなしいものです。 そんな時に生まれた作品なのかもしれませんね。

庵真悠一庵真悠一 (2017-11-11):

あなたの生きている感じが伝わってきて、個人的にはとても好き。前向きでいて、自然とも繋がっている。 頑張ってください

仲程仲程 (2017-11-12):

静かな視界 さん お読みいただきありがとうございます。 そうですね。デジャブのこともあるし、関係ないとわかりながら、なつかしい景色が思い浮かぶときがあります。その都度、書き留めればいいのかなぁ。 コメントありがとうございます。

仲程仲程 (2017-11-12):

庵真悠一 さん お読みいただきありがとうございます。 何か感じていただいたようで、幸いです。

なかたつ (2017-11-14):

 旅先にあるような風景から始まる作品。それでも、不思議な点があり、田が三色パステルに染まるという。田と言えば、稲の緑や稲穂の黄色ぐらいしか思い浮かばないですが、三色パステルという少々自然色から離れた色が拡がるということ。そんな風景に見惚れていると、どうしても視覚が優先されますが、気づけば遅れて風の音という聴覚が刺激されています。  第二連で、そんな風景に出会えたことを誰かに知らせたいという思いがあります。この思い、旅に出ると僕も抱きますね。「あの人に見せたい」なんて思いながら、旅先を歩き、伝える人もいないのに、将来誰かにここをすすめたいなあ、なんていう思い。そんな思いとは裏腹に、あの人は、語り手の「僕」と無関係に生き、あの人は、「僕」の知らない風景を見ているだろうという思い。  ゆうなんぎいにしても、ブーゲンビリアにしても、語り手にとっての住む場所というのが沖縄であり、観音山が旅先での風景だったのでしょうか。関東に住む僕にとって、沖縄が旅先の風景としてあるのですが、この作品では沖縄が住まいであり、観音山が旅先であるという。そして、「あの人に見せたい」という思いが、少しでも「あの人」に届けばよいという思い。  「僕」の思いが少しでも「あの人」に絡まることができるようにという思い。それがゆうなんぎいが垂らす糸のようになれば、と思いをゆうなんぎいのイメージに重ねてあります。そして、今まで通底していた風のイメージによって、その糸が「そよ」という音によって、揺らいでいる、そんなイメージも喚起されます。  書かれてあること自体は、率直な思いではありますが、特に第2連の核となる思いが、僕自身の思いにも共感できる部分があり、惹かれました。僕自身は、いろいろな風景を見て、感動して、それに留めておくだけではもったいない。世界には、こんな風景があるのだぞと誰かに伝えたいという思い。そして、それをゆうなんぎいの垂らす糸に重ねるイメージが巧みだと思いました。

夏生夏生 (2017-11-16):

仲程さん、御作にコメントさせて頂きます。 切なさが風にのってやってきました。どうしようもない、戻れない、それでも思いは残り、募る。 三色パステルの花畑と愛した人への思いが美しい切なさを読み手に残すような、あたたかさを感じる作品だと思いました。

仲程仲程 (2017-11-16):

なかたつさん お読みいただき、また、よりそったコメントをありがとうございます。 蛇足になりますが、休耕田の花が、予想外にきれいだったもので、はい、そのあとは細かい名称などは正確性よりも雰囲気優先で書いてしまっています。なかたつさんに共感できるなにかがあったということでうれしく思います。

仲程仲程 (2017-11-17):

夏生さん お読みいただきありがとうございます。 >切なさが風にのってやってきました。どうしようもない、戻れない、それでも思いは残り、募る。 そのとおり、というかより素敵な表現で、、、 ありがとうございます。

沙一 (2017-11-26):

片想いの切なさと、沖縄の風景が重なり、とても美しい詩だと思いました。 爽やかな風と、花の色。 その場にいるような気分になり、癒されます。

白島真白島真 (2017-11-27):

タイトルにもある「ゆうなんぎい」が分からず、検索しても「沖縄の和食食堂」としかでず、 ようやく海のそばでも咲く「おおはまぼう」(ゆうなの木)であることが分かりました。 いろいろな花と風、色彩感覚の中に喪失感が見え隠れしていて美しい詩ですね。 「ゆうな」が終わった恋を「もう言うな(ゆうな)」にかけてあるのかとも思いましたが それは考え過ぎかもしれませんね。

コーリャコーリャ (2017-11-27):

おっこれは自然系ですね さいきんじゃめずらしいタイプ 僕もゆうなんぎいが方言なのか 古い歌の感じなのかぜんぜんわからなかったですけど 白島さんのレスをみてそうだったんだーと思いました(無学 風をじっと聴くってことはもうほとんど都会に住んでるひとはしないことですよね やっぱり広くないとそんなことはできないし 昔のひとはわりかしそういうとこに住んでたので(当たり前 それはそれですばらしい詩を書きますよね 自然はすごくて美しいですもんね

仲程仲程 (2017-11-29):

沙一さん お読みいただきありがとうございます。 片思いといえば片思いですね。確かに。年を重ねると、もう会えないだろういろんな方がいます。 その場にいるような雰囲気というのは、お、とうれしくなります。 白島さん お読みいただきありがとうございます。 居酒屋「ゆうなんぎい」のパワーすごいですね。ほんとなのか? と思い私も画像検索したらww 泡盛瓶がずらっと!! ゆうなの木、ほんとは糸なんか垂れないのですが、、と説明しすぎちゃいけませんね。 ありがとうございます。 コーリャさん お読みいただきありがとうございます。 そうですね。この前、出張で小さな駅から目的地まで25分間歩きましたが、ほんとに静かで、驚きました。車を使うと通り過ぎちゃう風景とか言いますけど、とにかく静けさのほうが、、 田舎で育ったはずなのに、慣れってのは、とかつらつら思います。

渚鳥 (2018-03-05):

こんにちは、拝読しました。 パステルというと=パステルグリーンの略だと思い使います。私がそういう世代のせいなのでしょう(汗 ページいっぱいにそよ風が満ちているような、感覚を受けました。 ……

仲程仲程 (2018-03-06):

渚鳥さん お読みいただきありがとうございます。 パステルはコスモスのいくつかの色のつもりです。説明しないほうがよかったかな。


砂の中の海   

るるりら 
作成日時 2017-11-23
コメント日時 2018-02-21

 

海の縞模様が 砂の城に 住んでいます。 幸いなことに 泣き方をしらないのです。 今も絶え間無く砂が この街に注がれ続け この部屋の容積も 埋められて います。 元居た場所を けして忘れない生き物ですから たとえ 砂の中であるとしても すこしも 海の匂いを失わないのです。 海の底から見上げた光の またたきを おぼえています。 人はみな海の忘れ形見です。 海の匂いを忘れたことも ときにはありました。 海を失うと こころの中心が陥没するのでした。 たとえ 海の匂いを忘れても すべての子は海の忘れ形見。 その命が 果てるなら 海は哀しむのです。  海岸で 真夏だというのに桜が咲いたことがありました。 潮が悲しみにさわぐので 桜が咲いたのだと 風が 教えてくれました。 真冬だというのに 北極が凍らない日々が あったとしたら それは 凍っていた屍が 海を恋しがるからだと 雨が 教えてくれました。 私が海を 忘れたとしても 海は私を 忘れない。 砂の音を褥に眠り、海の匂いを歌うために 私は目覚めます。


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黒髪 (2017-11-23):

一つ一つの文が、慈しみを喚起して、厳しい自然と、優しい自然の、 両方を提示しておられます。作り上げられる、海の、本質、そういったものを、独自の描き方 によって、人間にとっての海の意味と、自然としての海の本性、邪気がなく、海への賛歌を 描くなら、るるりらさんの詩は、いつだって、何についてだって、すばらしい把握をされていますから。 だから、詩というものが、魂の色を見せているという感じを受けるので、きらきらとした輝きは、 果てることのない偉業のようで、詩の言葉が、美しいと、戦えるぞと、言っておられますね。 戦慄の生に、向きうための、イメージとして、僕は、この詩を受け取りました。 盛り上がる波の、力強さの前では、どんな人間も、かないません。そのパワーこそ海の力である、 そのようにして、海を受け入れていくべきなんだな、と思います。そして、海を味方につけるためには、 どうしたらいいのか、我々が海を受け入れる方法は、海を超自然として想定し、匂いや、夏の桜や、 海に濡れた砂の感触や、砂の音を通して、なんとなく知れることだと思いました。少し悲しく、 ところどころ泣きそうになります。この御作品のように、海と砂を見てこられた方は、僕にとっては 貴重な意味を持っています。あらゆる人の、詰まった思いを、本当に自分もそれに加わって、 体感できればいいな、と思います。享楽にふけっているような人も、海の前で絶句するでしょう。 そうでなければ、人間が滅びずにいられはしません。 芯が通っているにもかかわらず、詩の意味を押し付けず、強制しないるるりらさんの詩は、 どこか遠くで鳴っているよう、近くで見出してしまうようです。 個別な報告ですが、操り人形だった僕は、やっと自分を取り戻して、自分の力で生きていけるようになりました。 あのとき、子供に人形との遊び方を教える、という形で、励ましていただいたこと、本当にうれしかったです。 心を無くさずに生きかえれたのは、そうした安全綱に守られてのことです。 るるりらさんの詩を読むと、もっと詩を頑張ろう、勉強しよう、たくさん作ろう、とやる気がわいてきます。 それは、詩というものを、巧みに、精一杯の力で作り上げようとしておられる、お力を感じるからです。

まりも (2017-11-25):

作品も素晴らしいけれど、黒髪さんのレスにも感動。 作品に戻ると、冒頭から一気にファンタジーの世界に引き込む。そして、ファンタジーの世界こそが真である、という作者の思いが伝わって来るような気がします。 これだけ優しい、易しい言葉で、深い思いを綴れることがすばらしい。 隠れたテーマとして、人は「泣き方」を知っている、という思いがあるのでしょう。そして、人が再び海に抱かれるとき、人の悲しみは潮騒や桜など、より普遍的なものに変容し、歌い続ける存在となるだろう・・・そうあってほしい、という作者の願いも含めて、綴られた作品のように思いました。 海の縞模様、という不思議な生き物(光に煌めく広大な海の姿を想う人も、ウミウシのようなかわいらしい生き物を想う人も、砂浜に残されていく、波打ち際の潮の跡を想う人もいるでしょう)について、客観的な第三者が語っているような冒頭から、いつのまにか、その生き物の目線に視点が移動する。最後は、その生き物の姿も溶け込むように消えて、私、という、作者と同一人物であるかのような位置にたどり着く。 この視点は、作者のものであると同時に、作者が思いを馳せる、死者の視点でもあるでしょう。 この世の人間である作者が、想像の世界でしか出会えない死者たちと、いつのまにか2重の存在となって、その厚みを通して語っているような気がしました。

百均@B-REVIEW ON/ (2017-12-06):

>海の縞模様が 砂の城に 住んでいます。 >幸いなことに 泣き方をしらないのです。 >今も絶え間無く砂が この街に注がれ続け >この部屋の容積も 埋められて います。  るるりらさんの今回の作品は、僕はうまく読めてない自信があります。それは単純に僕の中にない遠い感覚で詩行が紡がれているからです。本作の場合はイメージよりも、所謂詩的感覚をベースにしたひとつの、、、言い方は悪いかも知れないですが、哲学というか、認識の在り方、あるいは自己の存在の仕方。生体としての感覚の在り方。もしくは置き方というのか、そういうのがひたむきに綴られている感じがします。  そういう意味でちょっと上級者向けな作品ではないかと思いました。じっくり読んでみたい作品です。それは時間をかけてゆっくり取り込んでみたい作品だと言うことです。そして、僕がこの作品にかけるべき、あるいはかけられるべき言葉は、既に黒髪さんとまりもさんによって導かれていると思いますので、レスはここまでにしたいと思います。  

田中修子 (2017-12-07):

ちょうど自分自身が、海にまつわる思い出話を書いていたところで、とても印象的な作品でした。 るるりらさんの作品は、私の知っている支配する母性愛、というものをなぜか勝手に私が感じてしまって、なんだかひたひたと怖いものを感じることがあります。 (すごく素敵でお上手だな、と思いつつ、やわらかくも絶対に一歩も自分の正しさを譲られないであろう怖さ、を、感じることがなぜかままある。なぜだかはわからないのですが……) この作品に出てくる海は、とても、おそろしく強い、母でした。 真夏の海岸に咲く桜。 全体的に、すごくお上手で、単純な私はこのようなものを書けない、すごい、という気持ち。 それなのにどこかに、ある種の、狂気めいたものを感じて恐ろしい、それでも好きにならずにはいられない、気になる。 なんだかとてもすごいと思います。 拙い感想で申し訳ありません。

るるりら (2018-02-21):

この作品は、昨年に投稿した作品です。 みなさまに真摯なコメントをいただいておきながら なんの返信もしてなかったことが 心苦しいので お詫びを書かせていただいています。 この作品を投稿したあと、私生活で 怒涛の変化があり、ネットのすべてを切っておりました。 この作品を投稿したときにも すでに 精神状態は ギリギリでした。この詩は自分を奮起したい気持ちをあっての投稿でした。 この詩は もともと ある方に「もしも自作詩に動画をつけるとしたら どんな作品にしたいか」という ご提案をいただいて書いたものです。だから 私にとって 詩が詩という媒体以外の表現に繋がることを体現させていただいた作品でしただけに 恐縮しています。 昨年中に失礼があったことを深くお詫びします。 私は現在に立ち みなさんと一緒に未来のビーレビに参加させていただきたいです。 このビーレビには、詩にとどまらない無限の可能性があると 信じていますので どうぞ これからも よろしくお願いいたします。                                        るるりら拝


雨に溶ける   

たまご(新染因循) 
作成日時 2017-11-21
コメント日時 2018-02-08

 

 雨が降っている。ぼやけた景色から、潮の匂いが、むわっときた。霧吹きで汗を掛けられている気分になった。立ち眩む。デジャヴという言葉が、ブラウン管のノイズのようだ。アニメで見た、液状になった人類の交合。魂の限りない平衡を、主人公は拒んだのだっけ。  空いっぱいの暗さが、目に映っていたものたちに伝う。雨が色を流す。いや、色が雨に流れていくのか。シンナーを吸っていた同級生がいたな。あの子の化粧はピエロのようだった。わたしのあげた香水、付けてたのかな。  透明に黒ずんだフィルムが、まわる。幾筋もの影が交錯している。安物のピンク映画のように思えた。父の部屋は暗かった。窮屈だった。これ、いつの靴だっけ。こらえられなくなって、蹴とばすように脱いだ。実際、転がっていった。母もあんな風に倒れた。すぐに、くつ、という綴りだけになって、色や形なんて跡形もない。ほんとうに見えなかったんだ、蒸気は。  香りがする。痺れるような甘い香り。頭の奥に稲光がはしる。どこに落ちたかな。 〈いいえ、あなたが、かえったの〉  懐かしい声がする。背にしたドアが冷たい。あの子がなおも囁く。 〈あの香水、覚えてる?〉  白い花が揺れている。水仙。ああ、甘い香り。鼻をつけて、大きく呼吸を繰りかえした。もげてもいいと思った。脳が熟れた果物だっただなんて、知らなかったな。 〈あなたのお父さんだって、咲き誇っているわ〉  雨が降っている。摘みに行かなきゃ。いやだ。一歩でも踏み出せば、どうなるの。土に還るの? 〈ちがうわ、あなたはまだ知らないだけなの〉 〈そうだ、お前はあいかわらず馬鹿なんだな〉 〈お母さんもそう思うわ、さぁいらっしゃい〉 雌しべと雄しべから、数え切れない水仙が咲いた。鼻が痒いと思えば、目が弾け飛び、発酵しすぎた脳が飛び散った。水仙は、けれど白いままだった。極彩色! 狂女がわたしの体へ放尿する。蛆を勃起させた父が、青白の母と交わる。骨と皮が擦れて喧しい。わたしは茎を膣に突っ込んで、処女膜をなぐさめた。(そゆなものがあったっけ!) 仰け反って頭は天を仰いだ。静かに、雲が蟠っていた。稲光がわたしへ抱きついてきた。  色が褪せていく。雨は止んだ。灰色。ただの灰色。灰色だけの空。頭を横にたおす。花が落ちていた。いや、泥まみれの靴だった。笑ってしまった。土はすこし苦かった。起き上がろうと手をついて、水仙を握っていたことに気がついた。もう、ぐちゃぐちゃだ。これじゃあ、もう嗅げないなあ。どうしようか。また取りに行けばいいか。きっと父の上に咲いているんだもの。一、二本でも手折って、母さんのところに行こう。きっと喜ぶだろうな。  空が晴れてきた。起き上がって靴を履く。そういえばこれ、香水のお礼だったっけ。人肌の泥は気持ち悪かった。潮の匂いがして、わたしはよろめき、足を挫いた。無性に悲しくなって、水仙を食んだ。やはり香りはしなかった。ただ、口いっぱいに不快感がひろがっただけ。  でるだけの唾を吐き捨てた。苦い、臭い! こびりついている。  空が青い。当分、雨は降りそうにもなかった。


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花緒 (2017-11-21):

興味深く拝読しました。この手の散文詩なのか小説なのか、ジャンル横断的な作品は興味を引きます。文の流れが良い感じがしました。他方で、だっけ、とか、かな、とかいう語尾が、作品を不必要に甘ったるく見せているような気がする。初読の印象です。もうちょっと何度か読みたい感じがしましたが、取り急ぎ。

たまご(新染因循) (2017-11-22):

花緒さん ご指摘の部分は、わたしの内面の混乱を独白調によって表す、という目的があった箇所です。しかしそこが浮いているということも事実であります。 ありがとうございます。

右肩ヒサシ右肩ヒサシ (2017-11-23):

新染因循さん、こんにちは。 >わたしは茎を膣に突っ込んで、処女膜をなぐさめた。(そゆなものがあったっけ!) 仰け反って頭は天を仰いだ。静かに、雲が蟠っていた。 ここの部分がとても好きです。あとの部分はどこか定型的で、整いすぎているように読めてしまいました。

たまご(新染因循) (2017-11-23):

Migikataさん こんにちは。整いすぎ、ですか。もしかしたら陶酔、とするには理論的な語の力に頼りすぎているから、そう感じるのでしょうか……。 ありがとうございます。

5or6(ゴロちゃん。) (2017-11-23):

ビート詩ですね。時代背景は今の感じはしなかったのですが、シンナーのあたりとか、しかしながら雨の中のモワッとした感じは伝わりました。 良かったです。

まりも (2017-11-25):

暗さから灰色へ。 香・・・というよりは、匂い、臭いが喚起する官能、身体的な表現を多用することによる迫真性。 意欲的な作品だと思いました。 純白のものを汚していくというイメージ、靴が醸し出すフェティッシュなエロスをかなぐり捨てつつとらわれている(とらわれにいく)ような能動性。 作者が男性か女性か不明なのですが、男性視点で、女性に顕著と言われる身体感覚や生理感覚を縦横に駆使して、死(あるいは死に至る官能)に犯される母、未だ死に侵入されていない自身を、あえて死にさらしていくような能動性。 実際の死を望むということではない、死に匹敵するような官能を激しく望みながら、どこか醒めた視点で見つめている(見定めている)精神の有り様を感じました。 陶酔と混乱の世界に「行ったっきり」にならず、現世に帰還してくる筆力にバイタリティーを感じます。

たまご(新染因循) (2018-02-08):

5or6(ゴロちゃん。)さん ビート詩、たしかに陶酔によるからそうでしょうか。シンナーはわたしもあってないなぁと思ったのですが、以前天王寺でコンビニの袋をすーはーしてる人を見かけて、あ、まだ有機溶媒は現役なんだなぁと思ったので用いました。もっとも時代背景はあまり関係ないのですが。レスありがとうございます。


五感   

李沙英 
作成日時 2017-11-28
コメント日時 2018-01-01

 

詩はやってくる 耳元に微かに囀りながら詠う 詩はやってくる 花びらの蜜の間を滴り落ち 詩はやってくる 篭ったシャツのふくらみをくぐって 詩はやってくる 咳込んだ喉の奥から血の塊を伴って 詩はやってくる 凍てつく川面に浸した指の先から 連れてきた 出逢うべくして落ちた故意の欠片


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ふじりゅう (2017-11-29):

すごい纏まりのある詩だと思います。 まずタイトルの五感、そして「詩はやってくる」も五つというこの結びつきを無視するわけにはいきません。 普通に見たら、自らの詩の生まれようを書いたものだと思いますが、 そうだとしても文面に潜む血や肉体の描写が引っかかります。 詩が生まれることの、全身全霊を込めたような描写とも取れますし、詩を何かの比喩とすればもっと多彩な表現になりそうです。 奥深い詩だと思いました。

李沙英 (2017-11-29):

ふじりゅう 様 コメントいただきありがとうございます ある詩人さんの「詩が書けない」というスランプ状態を垣間見、 「自分は詩を書くときどのような面持ち向かうのか」という気持ち生まれ お察しいただきました通り全身の神経「五感」を隅々まで行き渡らせるように研ぎ澄ませ 詩はその先に自ずとやってくるという感覚が生まれこの詩に至りました。

花緒 (2017-11-29):

初めまして。詩形が整っていて、何をやろうとしているのか、コンセプトが非常にわかりやすい。であるがゆえに、誰でもそれなりに楽しめる一作に仕上がっていると思うのですが、形に依拠している程度が強い分、強いインパクトを残すのはかえって難しい、そんな印象を受けました。

エイクピアエイクピア (2017-11-30):

詩はやってくるのリフレーン、その後の詩行が印象的です。最後だけ前行が「遅れてきた」となる。ここが転調かなと思えるところも、演奏巧者かと思いました。ジャズの演奏と言うよりはむしろ、ショパンの小曲、シューマンの異常に細かく、たくさん分割された曲集、アルバムブレッターなどの一部分を抜き出してを巧みに弾いているようなそんな印象も受けました。

李沙英 (2017-11-30):

花緒様 コメントいただきありがとうございます 目的を明確にすることによって本来持たせたかった詩の意味を確りとさせることができましたが それゆえデメリットも生じます、ご意見大変参考になります。

李沙英 (2017-11-30):

エイクピア様 コメントいただきありがとうございます クラッシック音楽を彷彿とされましたか? 自身無学ではありますが長年クラッシック通でありまして日常から聴いております ですからその節が出たのでしょうか。

みうら (2017-12-01):

「故意」にいろんな意味が含まれてるのでしょう。望んだらいつでも詩がやって来てくれるとよいのに、詩は、そんな気持ちとは裏腹に、欠片のような現れ方をいつもしますよね。リズムが整っていて読んで心地よかったです。

李沙英 (2017-12-01):

三浦果実様: コメントいただきありがとうございます 「故意」を「恋」とも考えました 言葉の美しさとの出会いはまるで衝動的に落ちるような恋にも思えましだが 実際は自ら赴き一枚一枚ひらった言の葉であり 自分の意思で動いたことによるから 「故意」に、しかし恋愛感も少々匂わせつつ 自らの意思で恋に落ちるような この読みにしました。

森田拓也森田拓也 (2017-12-02):

おはようございます。 研ぎ澄まされた感覚が魅力のある詩ですね。 「五感」を集中して書かれたような、 あるいは何かに追い詰められて書かれたような緊張感もありますね。 「詩はやってくる」という言葉が繰り返されていて、 題名の「五感」を「語感」とも感じ取らせていただけた詩です。 最終連の詩の終結のご表現も、美しい着地だと感じました。

李沙英 (2017-12-02):

森田卓也様 コメントいただきありがとうございます この作品はスランプに嘆く詩人さんを見て 私ならという思いで綴った一遍です 聴覚、視覚、嗅覚、味覚、触覚 詩篇との運命的な出会いによって形成されるような 五感を研ぎ澄ませて書きました。

渚鳥 (2017-12-17):

今晩は、 感想です。 ひらかれた五感へ「訪れるもの」が詩で、 感覚を捕らえようとすると「故意」になってしまう。面白いと思いました。 五感が閉じてしまったとき、私は何をしたらいいだろう?など考える切っ掛けになりました。

渚鳥 (2017-12-17):

(コメントが分かれてしまい、ごめんなさい。) 安らぎや甘さ、柔らかさ 息が詰まる苦しさ、身を切るような冷たさ も詩ですね(※喉、大丈夫ですか。どうか、お大事になさってくださいね)。 6連目は独立したテーマで何かが生まれそう、と感じました。 では失礼しますm(__)m

李沙英 (2017-12-24):

渚鳥 s様 すいません!! せっかくコメントいただけたのに今頃になってしまいました 大変失礼しました!! 私自身の思う所の五感であって、五感とは誰にでも起こる生きとし生ける感覚と捕えてます よって閉じられることなく常に泉が如く沸き起こり、それを汲むのが表現であると思いましてしたため多次第です。

李沙英 (2017-12-24):

渚鳥 s様 では失礼してわたくしもコメント二手にさせていただきます^^ 感情とは時に身を切る苦しさも伴います それは自然の摂理には抗えぬ人の力の小ささ無力さ儚さも加えました次第です。 わたくしの体まで案じてくださいまして、ありがとうございます 痛み入ります。 わたくし筆はパッとしませんが(笑)体の方は繊細さを意図とする詩人の中において詩人らしからぬ体躯の猛者にございます 日頃より鍛錬に次ぐ鍛錬に勤しんでおりまして、とうとう今季は風邪すら寄り付かぬ有様にございます(痛みを詠う説得力に欠けます) ありがとうございます どうか渚鳥 s様もお体ご自愛くださいませ。

渚鳥 (2017-12-29):

今晩は、 鍛練ですか! すると >詩はやってくる >咳込んだ喉の奥から血の塊を伴って >詩はやってくる >凍てつく川面に浸した指の先から の描写もトレーニングの一環に見えてきました。いい意味でストイックな雰囲気です。 そうか、このような読みもできたんですね……。 お返事くださり有難うございました。

うたもち (2017-12-29):

最後の、「出逢うべくして落ちた故意の欠片」というところがとても好きです。 出逢うべくして、出逢えた詩だと思いました。

李沙英 (2017-12-31):

渚鳥様 コメントくださりありがとうございます そうですか!そんな取り方もありましたか!! 私もそれは考えもつきませんでしたが 私の詩は渚鳥様にそのようにも届きましたか、 ありがとうございます それも私の一端です。

李沙英 (2017-12-31):

うたもち様 コメントくださりありがとうございます。 恋に落ちるような衝動は詩の言葉が訪れるに似ていまして その欠片を並べましてが詩にしました。 お気に召して頂けて光栄です ありがとうございます。

エイクピアエイクピア (2017-12-31):

再レスですが再び読んで見てやはり滋味掬すべきものがあるかと。今回は季語の観点から、囀り、花弁(桜)は春の季語、凍てつく、咳などは冬の季語。と言うように春冬の季語が等分に配されて居る所もバランス感覚がいいと思いました。

李沙英 (2018-01-01):

エイクピア様 コメントくださりありがとうございます。 書いた張本人の私ですら気づきもしなかった詩の力を見出だしてくださりありがとうございます ホント、私全然そんな手法とか分からない 超無知無学な人間なんで エイクピア様がそんなふうに感じて下さる事に驚きと感激と 恐縮至極に存じます 詩五感も浮かばれます。


   

エイクピア 
作成日時 2017-11-30
コメント日時 2017-12-31

 

ミッキーマウスが主導する ごみ集めのコンセプトは ごみ箱ばかりを作り出し 人を餓死に追い込む 門までごみで作ることが奨励され ごみで出来たオートバイが 街中の道を全占有して 卑弥呼の統治を脅かした すすけて来る都会を守る 守護神卑弥呼を純粋に ペイ(支払い)を済ませることによって 守って行かなければならない私は 猛然と奪取して 自転車ごと倒れた


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花緒 (2017-12-01):

強いですね!今月もエイクピアさんの2連投で幕を閉じました。しかし、この作品、テイストはこれまでの作品と同じ感じですが、すごく風刺が効いていて良いと思いました。ゴミが道に落ちていることなど絶対にご法度なディスニーランドのマスコットキャラクターが、ゴミのテーマパークを主導するとは。でもゴミがないテーマパークを裏から語れば、全てゴミなのかも。初読の印象です。

エイクピアエイクピア (2017-12-01):

花緒さんコメントを有難う御座います。ディズニーランドは敢えて出さない、そんな感じで詩作したと思いました。奪取はダッシュと勘違いしてしまったのかもしれませんが、今では奪取でもよかったと思っています。ゴミが落ちていてはいけないディズニーランドと言う御法度は、言われて見れば思い出せる、事実ですが、忘れていた事でした。何とな自転車の詩を調べてみたくなりました、この詩を書いて居て。

まりも (2017-12-03):

ごみ、埖とも書くのですね。塵芥のごみ、しか知らず・・・土偏に花。 意味を漢和辞典で調べたわけでは無いですが、満開の花が地に落ちたあとはゴミになる、そんな無常観のようなものが含まれた文字でもあるような気がしました。 花緒さんの指摘も、なるほど、と納得させられますね。 ゴミでできた(大量消費社会の生み出した、不要物だらけの)オートバイVS骨組みだけの、しかし余計な不要物は付けていない、必要十分な乗り物である自転車。ガソリンとエンジンで動くオートバイに対し、人力で動く自転車。 検索エンジンで動くネット社会と、自ら辞書を調べてノートをとるアナログ手法との対比であるような、そんな読み方もできそうです。

エイクピアエイクピア (2017-12-31):

まりもさんレスを有難う御座います。そうですね、私なども、去年ぐらいに初めて知ったほどだし、ああ、これで塵芥のごみかと今でも新鮮な感覚があります。満開の花、桜などの花弁が土に混じってなどの発想でしょうね。確かに意味から考えてある程度納得の行く感じであると私も思いました。バイク買い取り業者の事がちらと念頭にあったのかもしれませんが、確かに大量消費社会、大量複製社会、ヴァルターベンヤミン見たいな連想はありました。この詩では自転車も用語としてタームとして出しました。アナログ手法は必須だと思いますし、あまり持って回った感じはまだるっこいのですが、必要だと思うので、ネット社会VSアナログ手法見たいな対比感はあったのかもしれません。


参議   

エイクピア 
作成日時 2017-11-30
コメント日時 2017-12-31

 

ギマと言う古本屋 ギマと言う魚 抓(つね)ったら悲鳴を上げる 参議が砂糖をなめていた 古本屋で買って来た時代小説 微笑みを忘れた魚 参議は歯で門を作り上げて 歯でオートバイを設計した 時代小説はあまり読まれなくなり 魚は死んだ 参議の門にはたくさんの弟子の列が連なり オートバイには黒い羽根が 生えて来て 飛ぶ鳥のように飛んで 何処かへと消えて行った


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完備 (2017-12-01):

同時に投稿されたもう一作もそうですが言葉の「切れ味」が鋭く(「切れ味」は私の心にある「印象」にとりあえずの言葉を与えたにすぎず、有意義な表現かは甚だ疑問ですがそれはさておき)、それだけで好感を持ちました。「繰り返し」に関心があるので、同じ語を複数回使う手法を興味深く拝読させていただきました。ただ、最後の〆はやや予定調和的というそしりを免れないと思います。

百均@B-REVIEW ON/ (2017-12-06):

>参議 > >ギマと言う古本屋 >ギマと言う魚 >抓(つね)ったら悲鳴を上げる >参議が砂糖をなめていた  いきなりこれで、何もかも分からないですね。ただひとつだけ言えるのは、こういった言葉を引っ張ってきて無理矢理組み込んでもそこそこ成立しているような感慨をもたらされる所でしょうか。正直読める作品と、組み合わせの妙さだけ残される作品の二つありますが、先月のキイチゴに続いてこの作品はちょっとだけ言える事があります。  まずは、「ギマ」という語感を持ち出してきた事で僕の中では大分面白いです。単純にしらなかったんです。しかも魚の「名前」であるという所が面白いですね。本屋とギマは普通並んで使われる事はありませんが、しかし、ここでは並列的な物として扱われています。そう、名前というのは文脈をつなげてしまうんですね。そして本作の場合順番がいいですね。「ギマ」という古本屋を出してから魚の名前に繋げている所に好感を覚えます。だって僕は知らなかったからです。その後で実在すると言われたら調べますよね。そこでほんとだとか思っちゃう訳です。ここでまぁこの作品は僕の中で半分くらい凄いです。    そこから更に古本屋に繋げていってもいいでしょう。余り名前の知られていないが、しかしとてもおいしい魚を古本に例える事もできるでしょうし。  そこから凄いのが更に全く関係のなさそうな参議が出てくる所です。参議VSギマ&古本屋更に時代小説と的を絞りながら巧みに魚と時代小説並列させながら、参議と対比させていく。最初の「抓ったら悲鳴を上げる」と「砂糖をなめる」を対比させているのも中々感覚的に分かりながらも、しかし、そこまでの具体的な像を結ばない言葉の連なり。 >参議は歯で門を作り上げて >歯でオートバイを設計した >時代小説はあまり読まれなくなり >魚は死んだ >参議の門にはたくさんの弟子の列が連なり >オートバイには黒い羽根が >生えて来て >飛ぶ鳥のように飛んで >何処かへと消えて行った  ここら辺、正直に言ってしまうと言葉にならないですね。まぁ、なんちゅう物を書くのかと、完備さんも言っておられたが、切れ味のある文章である事は間違いないし、これらの参議と魚と時代小説の関係性の中に、歯とオートバイと黒い羽やら弟子やらが入ってくる。この入れ方が乱暴かと思えば、そうでもないような気がする。要は文脈そのものをこじつけて読んでいる自分がいる。歯が門になる事はイメージで分かるし、歯の隙間のイメージから車輪のイメージにつながり、それが廃れる、時代小説を捨て近代化を果たすことで自転車からバイクになる。そして歯から門下生のイメージへ繋げていく事で連綿と続いていく未来のイメージ。それらを象徴するようにオートバイから次ぎの時代につながるようにバイクは空中バイクになる。みたいなイメージ。その中で昔からある物が死に絶え、読まれなくなるという事。みたいな感じ。  ただ、この読解自体に確証は持てない。この作品の中に流れるイメージをつなぎ止めて仮縫いしただけに過ぎないし、そこに砂糖や微笑みとかいった言葉を組み込んでいけば、それだけで成立する物もあるでしょう。そういう予感があります。

エイクピアエイクピア (2017-12-31):

完備さんコメントを有難う御座います。 「オートバイには黒い羽根が 生えて来て 飛ぶ鳥のように飛んで 何処かへと消えて行った」 ここの部分でしょうか。そうですね、バイクが飛んで行く発想は空想の世界ではありきたりで、仮面ライダーなどではしょっちゅう出て来ると思うので、何か予定調和的な印象を与えたのかもしれません。 繰り返しはやはり詩にそれらしさと言うのか、リズム以上に、詩らしさを付与し、形だけではない、詩の内容にまで、意味を付与する、行為だと思いました。「有意義」かと問われれば、確かに拙速な感じはあったのかもしれませんが、詩に仕立て上げると言う意気込みでチャレンジして見ました。

エイクピアエイクピア (2017-12-31):

百均@B-REVIEW ON/さんコメントを有難う御座います。そうですね、「ギマ」と言う魚の名前は私にとっても新鮮で、すぐに詩に使えると言う感じを持ちました。「時代小説」は「参議」を出した以上、連想からの用語でした。ただ、網掛けが広すぎて、漠然とした印象を与えたのかもしれません。近代化と言う発想は意想外でしたが、確かに空飛ぶバイクは、22世紀にはあるような気がするし、空中バイク自体はSF小説ですでに登場しているのかもしれません。そして近代化を果たすと言うのは、先ほど近代化は意想外と言いましたが、近代化を果たすと言うのであれば、自転車からバイク、と言うのも腹に落ちるものがあるような気がします。この詩では自転車が出て来ませんが、何か詩的に「果たす」と言う動詞が出て来るような気がします。 具体的な像が結ばないと言うのは反省点なのかもしれませんが、歯の隙間のイメージ、車輪のイメージ、未来のイメージ。時代小説の媒介でどうなるか。流行り廃れ。砂糖や微笑みと言う言葉。再検討する点は多々あるのかもしれません。ただ「微笑みを忘れた魚」はまがじんの「愛の伝説」からそのまま引用しているので、その点は明示しておくべきだったのかもしれません。


かもめ   

kaz. 
作成日時 2017-11-10
コメント日時 2017-12-17

 

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kaz. (2017-11-10):

原文 http://bungoku.jp/ebbs/log.cgi?file=196;uniqid=20091208_051_4007p#20091208_051_4007p モールス信号変換 http://morse.ariafloat.com ながすぎたうたが ながされていった しぶきゅうふは かもめになってそらをとぶ わたしたちのすごしたはまべに おとこたちのゆうべは おんなたちのあしたで くずされたすなが ふたたびたましいをつくり たてられたかさがうめつくす ひとりきりですごした しおみずのかおりが おとこたちをかたむけて おんなたちにそそがれていく かさはとじられて やってきたゆうべ からになったうつわが すなのなかにくずされて すなはうみのなかにくずされて うみはうたのなかにくずされる うたはおんなたちのむねでねむる やがてかもめのなきごえがきこえ おんなたちはおりかさなって うみにはいりこむかわのながれになり としおいたおとこたちが かさをふたたびひろげ あさひがおぼろげなせなかに かもめはほほえんでいる

survof (2017-11-10):

ミニマルでアンビエント。非常に美しいと感じました。あえてもとの詩はお読みしていませんが、「・」と「ー」が作り出すリズムがとても美しいなと思いました。コンセプト的に、もしかしたら同じアイディアで複数作品を作るのは難しい(2回目以降はまったく新鮮味を失ってしまう)という点では一発勝負的な作品でもあるかな、とは思いますが、いつまでも眺めていたい、そして気が向いたら一部を「読んで」、というふうに作品全体の持つ大きな波と、細部に宿る繊細なノイズ両方に耳をすませていたくなるようなとても美しい作品だと思います。

るるりら (2017-11-10):

こんにちは わたしは、今日 この詩に まつわる すこし不思議な体験をいたしました。 私は、この詩を ちいさま山の中にある広島市現代美術館で開催されている 藤森照信という方の{自然を生かした建築と路上観察}なるものを観た直後に読みました。 如何に自然物を建築と融合するかが 藤森照信の取り組みのようでした。 それがですね。そこで、わたしは この詩と そっくりなモノを 見たのです。 美術館内の壁のかなりの面積の白い壁に無数の 炭が埋め込まれていて、その様子が この詩に そっくりだったのです。白い壁面に なにやら無数の すがすがしい黒いものが点在していました。それは 壁一面に炭を点在させるという藤森照信の試みの 一つでした。 静かな館内を出ると いままで感じたことのない感じの 鳥の生き生きとした声を聴きました。 たぶん 私の耳が しずかな場所にいたせいで研ぎ澄まされていたのだとは思いますが。 そして、この詩を 呼んだのです。 おもわず、この詩の可視化と 可聴化が 同時に おこったのかと、思いました。(カモメはいませんでしたが) 当然のことながら、私は 想像したのです。このモールス信号詩が美術館の広い壁面いっぱいにに 表現されている様子を想像しました。すると、とても至福でございました。貴重な体験をありがとうございます。

花緒 (2017-11-10):

モールス信号は美しいが、それはあくまでモールス信号の美しさであって、本作の美しさじゃない気がする。直球勝負するのが躊躇われる作品だと自ら吐露しているような効果を齎していないだろうか。

カオティクルConverge!!貴音さんカオティクルConverge!!貴音さん (2017-11-11):

敢えてモールス信号にしたのは、海を飛ぶ鴎の群れを表現しかかったからですか? 模様や記号が何かに見えてくる現象、好きだったりするのです。

kaz. (2017-11-11):

皆さま、お読みくださりありがとうございます。私は、モールス信号の美しさそのものに対して、つまり記号的なものの美そのものに対して懐疑的なのですね。例えば、「・」を「トン」に、「ー」を「ツー」に置き換えて考えても別に構わないわけです。それで、本作についてですが、例えば先に言ったような変更をしたのでは、言語の本質に迫ることはできない、と考えたのです。 私はいつもいつも平謝りしてばかりいるのが嫌なので、あえて言わせてもらうと、この作品には、他のどんな作品にも見られないような意匠を込めたのです。それは、直球勝負ばかりしている皆さんの詩風に対する、直接的な挑戦状であって、言語を解体し、言語の物質性に差し迫るようなものを求めているわけです。それは、例えばイヴ・ボヌフォアの詩論なんかを持ち出すまでもなく、すなわちフォルム(形態)の美しささえあればそれで良いという、そういう問題意識を持ってこの詩には取り組んだのです。何故そのような作品を書いたのか。それは、ネット詩という領野そのものが、コミュニケーションの過剰とでも形容すべき、ある種の飽和状態に陥っているように思えたからです。すなわち、コミュニケーション性そのものに対するアンチテーゼとして、こういう作品を打ち出しているわけです。少しきつめの言い方になりましたが、これから書こうと思っている論稿の下地にも近いアイデアですので、ここに晒しておこうと思います。

るるりら (2017-11-11):

すみませんが、みなさまあてに 返信を書いて おられるならば、るるりら以外はという 明記を お願いいたします。

kaz. (2017-11-11):

るるりら様に向けても書いていますよ。

るるりら (2017-11-11):

それは、失礼いたしました。

るるりら (2017-11-11):

あり

るるりら (2017-11-11):

スマホで操作ミスをしてしまい「あり」などという謎のコメントを表記させました。すみません この詩の試みによって 私の目が感受したものは、 アラビア書道を アラビア語圏ではない地域の建物に描いているアーティスト エル・シード(eL Seed)の芸術に通じるものも 私個人は、感じました。 みなさまあての コメントを拝見し、kaz.さんのおっしゃるコミュニケーションの過剰とでも形容すべき、ある種の飽和状態という見解姿勢にも 目が醒める思いがしました。 わたしの初読の感動を 作者にお届けしたかったのですが、難しかったようですね。しかし、心が動いたのは わたし個人の心の自由です。 再三にわたり 失礼いたしました。 以上です。

survof (2017-11-11):

<言語を解体し、言語の物質性に差し迫るようなものを求めている>あるいは <コミュニケーション性そのものに対するアンチテーゼとして、こういう作品を打ち出しているわけです> これはそういうことなんだろうな、とは思いますが、私はこの方向性には限界を感じますし、この種の問いかけなら別に誰も知らない言語に翻訳してそれを載せてもいい訳です。あるいは自分で言語を作ってしまうとか。例えばですが。なぜそれをせずにあえてモールス信号を選んだのか?そこにコンセプトとしての必然性や強度は果たしてあるのか?そこを問いたいです。それを感じとることができなかった以上、記号としての美しさでしか読み得ないと感じました。 飽和状態に対してはそれに対して個人的に何かしら訴えることはできても、それで何かを変えられるとは思っていませんし、こうした挑戦そのものが逆説的にむしろ飽和状態をさらに飽和させる気もしています。ネットとはそういうものではないかと、一種の諦めしかないです。その飽和状態とコミュニケーション過剰、そういったネット特有の諸々、それが私にとっては都会の美しい夜景のごとくに感じられます。たとえそれがどんな闇を隠しているとしても、その中でどれほどの人がどれほど苦しんでいようと、明滅する夜の光の美しさのまえでは「美しい」というほかないのと同じように、この作品の前では「美しい」という言葉しかありません。その裏にどんな挑戦が隠れていようともです。つまり私にとってこの作品は一種の都会の夜景なんです。

田中修子 (2017-11-11):

私は古典的な作品が好きなのでこういう作品は理解できなくていい、と思って素通りをしていたのですが、るるりらさんのコメントを拝見し、 「なるほど、たしかに美術館の壁一面にバーン! とこのモールス信号が打ってあって、かたすみにもとの詩が書いてあったら素敵だろうな~」 と思いました。 かもめみたいに見えてきれいです。 でも、作者にるるりらさんの読みよったような意図がないのであって、レスだけの意図なら、残念ながらこういう詩ってネットの世界ではよく出てくる、ものすごくありがちな表現かと。 (それは、わりとこちらのサイトにいろんなかたが「現代詩に挑む」というような意図で投稿される作を拝見して思うことでもある)。 15年くらい前かな? 私が中学生で、ネットの投稿詩サイトがあふれるほどあってふらふら見ていた時から、こういうものがあったような強烈な既視感がします。若い人に多い詩風で、若い人のウケがいい気がするけれど、はたしてあのころの投稿サイト、投稿サイトでもてはやされたものを書く人が、どれだけ残っているんだろう、と。 「言語の本質」に迫られたいのであれば、誰が読んでも感動できるものを平均的に提供できるようになってから、こういう実験的な作品をもっともっと突き詰めて作られてもいいんじゃないんでしょうか。ピカソだって素が天才的に上手だから、あれだけ崩しても評価されるわけですし。 私は常日頃書くものがいつも平均以下ですから、ぜんぜん実験できない。 少なくとも、「書いた詩をネットのモールス信号変換サイトで変換してみました」じゃ甘すぎる気がします。 survofさんのおっしゃるように「自分で言語を作ってしまう」とか、毎回毎回、そらで覚えたモールス信号でしか人ともやりとりをしないような作者のキャラクターとしても強烈さがあると、面白いかも。 論稿を書かれているということで、きっと整った文章も書かれる方なのでしょう。そういった文章も拝見したいような気がします。

kaz. (2017-11-11):

るるりら様 そういうことでしたか。それは失礼致しました。エル・シードは初耳でしたが、バンクシーは知っていたのでそれをもとに語るなら、バンクシーにも近いかもしれませんね。 suvrof様、都会の夜景、という表現は、美しさという観点から見ますと、この作品にはもったいないぐらいの賛辞なのですが、多分都会の夜景のように「遠くのこと」というニュアンスも含まれているように感じます。夜景で例えるならば、私が目指しているのは工場夜景ですかね。何かを延々と生産し続け、輝いているがその内実には他者が、生活が、見えない。そういう境地でしょうか。 田中修子様、どうもありがとう。とりあえず、活字でできることは一通りやったと思っているので、問題はネットでできることとは何か、ということだと思います。新しさなんてなくたって良いのです。私が思いつきそうなことは、だいたい誰かがやっているのですから。今時間がないので、またできたらお話しますね。

まりも (2017-11-14):

かもめ、という題名と、無数の点と線から、私は大海原を思い描きました。 たとえば、ビジュアルポエム展などに、銀板に刻んで掲示されていたら、はっと息をのむような衝撃度を持って迫って来る作品、かもしれません。 ・・・ひらがなでつづられた「抒情詩」の部分、音の流れも言葉の響きも、とても美しい、のですが・・・イメージの展開も、いいなあ、という思いがあったのですが・・・モールス信号の部分を、「翻訳」すると、この詩に成る、ということ、でよいのでしょうか。 海原をイメージしながら読んだので、翻訳作品、を読んだ時のイメージというのか、読後感と、実はあまり変わらなかった。その理由を考えているのですが、どうも言葉になりません。 激しく突き刺さって来るような「情動」ではなく、たゆたうような言葉の流れで、胸の内に去来する歌の由来、そして、エコーのように聞こえて来るカモメの声、砂浜に寄せる波の音・・・を想起しながら読んだから、かもしれません。 点字の詩集を「ながめ」ながら、それともまた異なる。言葉って、なんでしょう。外国語であっても、同じコードを理解する人であれば「意味」を交換可能、であるわけですが・・・質感とか、イメージを伝える、その力も、文字にはある、はずなのだけれど・・・行間にも、詩形にも。 戦後詩が、書になじまない、という批評家の言葉を読みながら(近代詩は書として上手く収まる)メディアと書法について、考えている所です。

白島真白島真 (2017-11-14):

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百均@B-REVIEW ON/ (2017-11-15):

本作をどう感じたのか、うまく言葉にするのは難しい。僕はモールス信号知らないのです、ラピュタの冒頭のシーンに出てくる事以外はあんまり知らない。僕は専門家じゃないから細かい事は言えないのだけれど、モールス信号は我々の持つ言葉から形と音を奪って、棒と点の形に置き換えてしまう。その他の要素は多分あんまり差違はない筈で、でもこうして置き換えられた途端に、タイトルに「かもめ」と置かれてしまった瞬間にそれまで保たれていた形や音が、カモメの群体に変化してしまう。 そういう意味で言葉の性質をより形として認識してしまうというのですかね。中々難しいですが、言葉から形と音を奪い、そこに新しい形を植え付けるという試みかな。そういう意味ではちゃんと喧嘩を売れている感じがします。この作品は「日本語」で書かれた文章なのですが、モールス信号を取り入れてない人間からすれば、かもめの群れに見えるっていうんですかね。

kaz. (2017-12-17):

皆さま、お読みくださりありがとう。 まりもさん 近代詩と現代詩という区分じたいが、もはや時代遅れのような気がします。わたしは勝手に、これからのネット詩は、ネット詩ではなく、クリエイティブ・ライティングとして、あるいはそれに類する名前をつけて評するのがいい気がしているのですね。くだらない往復書簡みたいなのをアート作品にするよりかはその方が生産性があると思います。 白島さまへ -・ --・-・ ・-・・ -・-・  百均さんへ これがかもめなら、間違いなくかもめのジョナサンみたく加速してそうですね。なんちゃって。


私意   

 
作成日時 2017-11-29
コメント日時 2017-12-16

 

名を忘れ 得ていたことに行き着き 引き返さんと 我を縁に与れと思っていた 名を忘れ 見渡すことに全景は 子に手を振らんとする 我欲たる母性であった 行くとても声帯に 痰が絡んで別人の譫言を躾する 「誰でしたか」 行くとても腱鞘炎に 鍵は滑って隣人の味噌汁を嗅がせる 「本当は私です」 そう 机上に 事務的に在る為の印鑑がある そこへ戻れば 得ていたことに行き着き 何ら繰り返し書き残す必要のない名が 構成のない白紙を一枚 こんにちに日付をも要求するだろう 何号室という分け目もない 空間という日常を 彷徨きたくて笑う 縁に与れと思っていた


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李沙英 (2017-11-29):

先様: こんばんはよろしくお願い致します 声に出して詠ませていただきながら自分の声が自然と低音になっていることに驚きました これは生活の一部始終を淡々と詠み語られた詩なのでしょうか これは文中の人物が一家の奥様なのではなかろうかとも思いながら 風景を思いめぐらせながら一家の中にあって他者と他者との繋がり 思い様が描きだされているかのようで それが淡々と物語されていて そして冷徹でゾクゾクするような感覚を覚えました。

みうら (2017-11-30):

投稿有難う御座います。投稿者名の記入漏れでしょうか。もし、そうであれば、こちらのコメント欄にて示していただければ運営の方で修正します。

エイクピアエイクピア (2017-11-30):

行くとても腱鞘炎に 鍵は滑って隣人の味噌汁を嗅がせる 「本当は私です」 これら3行が印象的でしたが、他にも縁に与れ、線に与れなど気に成る表現はありました。事務的にある印鑑は小さいのですが存在感があると思いました。

アラメルモアラメルモ (2017-12-01):

文語調にみられる硬質な言葉使いですが、それが却って「」の受け答えを現存として効かせている。 おそらく机上に置かれた一枚の紙片。そこに示された断腸の思いが語られているのではないかと思われました。誰も眼にすることのない遺言書のように、一枚の紙に綴られた黙示録。余白だらけですが作者の思いは伝わってきます。上手いですね。

くつずり ゆうくつずり ゆう (2017-12-16):

二段構えの夜明けに 湧き出る一抹のあぶく 未来永劫遠景を用い ゆびさきを噛み 色を滴らせ すべては場所という奥行に 縫い代は果てなく 其処にぬいつけられて 颶風となる


たばこをめぐる断章   

湯煙 
作成日時 2017-11-14
コメント日時 2017-12-15

 

 たばこを吸う。    ───代替不可能な存在  煙をくゆらせる。     *  朝。  白い陶器の灰皿に死を見る。  海に沈静すると燻る蒼白の焔があらわれる。  新たな一本から天を昇って漂う。  一日が始まる。     *  25年前。マイルドセブンは230円だった。  現在はメビウスと名称を変えて440円で販売されている。種類も豊富になった。  昨今は一箱を1000円にしようという案が浮上しているという。     *  ★★★★★★★14                  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━    喫煙は、あなたにとって肺がんの原因の一つとなります。 妊娠中の喫煙は、胎児の発育障害や早産の原因の一つとなります。 (詳細については、厚生労働省のホームページをご参照ください。) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━   タール14mg ニコチン1.2mg            sevenstars 460円     *  高校へ進学してまだ日の浅い16歳のある日の朝。なぜか私はテーブルの上に置かれていたハイライトを一箱くすね、学生鞄のなかに入れ登校した。休み時間に教室の後ろで級友に取り出して見せていると、廊下を通りがかった担任の教師と扉の窓越しに見合った。  指示された別室にて風紀を担当していた中年の体育教師の男が詰問をし、私の頭をはたいた。数日後呼び出された母と一緒に学校へ向かった。そして一週間の停学処分が下された。中間試験のうち三教科分の追試を受けた。帰り道。私を励まそうとしたのか、明るく振る舞いながらも母は泣いているようだった。  留年はまぬがれた。三年で卒業をし私は学校を去った。    19歳。買ってきたたばこに百円ライターで火を着けた。思っていたよりもうすく、不味くも美味しくもない無味乾燥だった。舌に乗せ数秒間もぐもぐとして口を開けると、まんまるく白いかたまりをしたものがぽわんと飛び出して間抜けに空を漂い、崩れた。私の初めての一本は咳き込んだりすることもなくあっけなかった。     *  どうして止めないか? 止められないのか?  病気、遺伝、環境や習慣等。さまざまに言われるもののはっきりしない。  そもそも止める意志らしきものが芽生えないが、これは何だろうか。     *   メンソール系のたばこは今ではバラエティーに富んだ人気商品の一つとなっているが、かつて吸うとインポテンツになるという噂が流れていた。しかしインポテンツになったと聞いたことなど一度もなかった。今日も薄荷や柑橘などの味と香りをこめなに食わぬ顔で颯爽と店頭に降り立つ。     *  見舞いに行った病室で、脳溢血となり寝たきりの状態であった父の右腕がベッドの上で天に伸びて空を掻いた。そのまましばらく親指と人差し指と中指の三本をひらひらとさせた。父はマイルドセブンを求めて半年後に、大小の軽石を置き土産にして逝った。     *    Luckies 10                     ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━     喫煙の際には、周りの人の迷惑にならないように注意しましょう。   ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  タール10mg ニコチン0.9mg           LUCKY STRIKE 400円     *  公園の片隅でよくたばこを吸った 青白く冷ややかな石膏の空に紫煙をくゆらせて 思い思いにたわいもない話をくりかえした 交わす言葉の行方など気にせず灰を叩き落としちぢこまる身を寄せた 靴底に素早く擦りつけると赤色に塗り込められた灰皿代わりの一斗缶のなかへ放り かじかむ両手にながい息を吹きかけて 背を丸めて公園を後にした からからと音を立ててころがる落葉 川面に漂い散り散りになって     *  公共の場でのマナーの徹底や禁煙化、喫煙ルームの設置が着々と進んでいる。  路上喫煙やポイ捨て行為は厳しく監視され、カウントされ、罰金が課せられる。  この肩身はたしかに日々狭くなる一方である、と思う。     *  「 落ちましたよ 」 「 いや、捨てたんだ 」  吸い込む。そして、吐き出す。  紫煙をくゆらせながら燃焼する。  灰を見つめる。                       」


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まりも (2017-11-16):

煙草を吸わないので、初めて吸った時、の感覚というのか、印象の描写が面白かったです。 タブーを犯すような、思い切って「一線」を越えた後の、なんとなく間が抜けたような、味気ない感じ。 もっと刺激的な何か、を、期待していたのでしょうね。 父が昔、煙草を吸っていて・・・普段はその煙がいやで仕方なかったのに、風邪を引いた時は、なぜかその匂いが香ばしくて好きでした。いつのまにか煙草を辞めていたのに、母も私も気づかず・・・お正月に祖母の家で灰皿を出された時、いや、もうやめたので、と父が答え母が「いつやめたの?」と聞き返したとたんに、祖母(母方の祖母でしたが)に「なにやってんだい、気づかなかったのかい!」といきなり怒鳴られた時には、かなり驚きました。  朝。  白い陶器の灰皿に死を見る。  海に沈静すると燻る蒼白の焔があらわれる。  新たな一本から天を昇って漂う。  一日が始まる。  公園の片隅でよくたばこを吸った  青白く冷ややかな石膏の空に紫煙をくゆらせて 思い思いにたわいもない話をくりかえした   交わす言葉の行方など気にせず灰を叩き落としちぢこまる身を寄せた   靴底に素早く擦りつけると赤色に塗り込められた灰皿代わりの一斗缶のなかへ放り   かじかむ両手にながい息を吹きかけて 背を丸めて公園を後にした   からからと音を立ててころがる落葉 川面に漂い散り散りになって  吸い込む。そして、吐き出す。  紫煙をくゆらせながら燃焼する。  灰を見つめる。 今、抜き出した「詩」の部分を、散文が繋いでいる。その間に、コラージュのように煙草の脇に添えられた文言が貼りつけられている、という構成が面白いと思いました。 こんなに文面が異なるとは知りませんでした。タールやニコチンの分量も。

湯煙 (2017-11-18):

まりもさんありがとうございます。そうですね、刺激を求めていたのもあるかと思いますが、そのあたりはどうも明確ではなかったような気がします。初めてのとありますが、肺へ吸い込んだりはしなかったんですね。ですので味もどこか薄くてという。タブーに触れてスリル感といったことも特になかったかと。親や教師らが私が在学中に既に喫煙をしているという、そのように考えているようだと感じ、実際は在学中にはまったく喫煙などはしなかったのだと、そんな単純なエピソードになりますね ^^;。ですからこのことこそ正になんてことない味気もくそもなくオチる一話です。 一応今でも喫煙はしますが、やはり他人から流れてくる紫煙は私も嫌なんですね。マナーが良くないのも嫌です。害以前に煙たいだけですから。ただ喫煙をしている最中はそうはならないみたいなんです。質がよくない現象といえますね(笑。類は友を呼ぶ、そんな感じとなるんでしょうか、わかりませんが。私の父は倒れるまで普通に愛煙していました。ですから伸ばした手はきっと煙草を欲してなんだろうと。真実はわかりませんが。お風邪を引いたときに香ばしい匂いが好きになるですか。面白いですね。確かに香ばしく匂うときもあります。匂いの記憶は突然に遠い過去の風景を鮮やかに甦らせる、そんな働きがあるようです。 作品の構造はタイトルのみで見せてしまっている、無理矢理感があるかと。やはり一つの散文またはいくつかの短詩のみといった、そうしたものにすべきかなとはあらためて思いました。パッケージにあるcaution警告文はいくつかパターンがありますが、JT製品は皆同一のものかと。時折文面の内容に変化があり、昔と比較すればやはりかなり強い調子のものにはなってきているように思います。

5or6(ゴロちゃん。) (2017-11-19):

タバコ=危険な大人、カッコいい大人、マンダム。 そんなイメージがあった90年代、自分はセブンスターメンソールを吸いながら街を彷徨っていました。夢を追いかけるふりをしてずっと自分自身からにげていたのかもしれない、いや、逃げていたんでしょう。そして現実は地元に戻り、普通の生活をしています。銘柄、ニコチン、タール、そのものが時代を切り抜いているような言葉ですね、その中での作者の心情がタバコの煙のように沁みました。

湯煙 (2017-11-22):

5or6さん。ありがとうございます。マンダムは懐かしい。そうですね、私がたばこをくすねて登校をしたのも背伸びをしてみせたいという無意識が働いたのかと、今ふと思いました。90年代から00年代は私もさまよいばかりだったように思います。あの頃に比べ本数も半分に減りましたが、年齢的なものもあるんでしょうか、仕事に健康にとやはり気にかけることが一番になっていますね。

百均@B-REVIEW ON/ (2017-12-09):

最近、寺山修司「煙草の益」って、話を読んだのですが、それは「ぼくの初めて吸った煙草の味の感想」をする話なんですけどね。その感想の話自体が、一つの人生みたいな物を内包して語られる訳です。それが創作か現実かはともかくとして、本作の場合は、煙草吸ったっていいこと一つもないし、なかったのに吸っているという所。そこに延々と焦点が当てられている所で、その中に語り手の人生があるという事です。逆に言ってしまえば煙草吸ったって一つもいいことないってずっと書いているのに煙草のネガキャンとして全く聞こえてこないという逆説がここにあるのかなと思いました。 >どうして止めないか? 止められないのか? >病気、遺伝、環境や習慣等。さまざまに言われるもののはっきりしない。 >そもそも止める意志らしきものが芽生えないが、これは何だろうか。 意志の向こう側にある物を言葉を連ねる事によって浮き上がらせようとしていく、あるいは一つ一つ検証して潰していった先に残る物を期待しているかのようなまなざし。 >灰を見つめる。 >  >          >          」 この空白の味が知りたいのかなぁと思います。そういう意味で、ある種、結論の(が)見えない作品になっている風にも感じます。しかしながら、ここが見たいけど見えない訳ですね。そのための前振りはすべて振られているといっても過言ではない。という所に、限界があるのかもしれないですね。

湯煙 (2017-12-15):

hyakkinnさん。ありがとうございます。遅くなり失礼しました。 煙草を吸いはじめてどれほど経つのか、そのときどきについてスナップしたものを並置、そんな感じになりますか。coffee&cigarettesではないですが、もう少しニコチンやカフェインを摂取したハイで洒落た、そんなものにすべきかと思ったりしますが。 警告としてのネガティブキャンペーンとの葛藤、そのあたりが微妙です。たかが嗜好品されど嗜好品というところでしょうか。 最後のオチは様々ですが空箱か否か?といった感じですか。煙に巻くのでも目にしみるわけでもないですが、掴みどころなきものを掴むにしたかったのかと、あらためて気づかされたりします。

花緒 (2017-12-15):

湯煙さん、前月の大賞作品の件なのですが、面白いぞ現代詩アカウントの方に転載しても良いですか?ツイッターにDMさせて頂きましたので確認くださいませ。


蝶々   

survof 
作成日時 2017-11-01
コメント日時 2017-12-15

 

枯れて散って煽られてはまた咲いて、溢れてひらめいた雨粒はスタッカート、眼差しは吸い込まれた先で凛として逞しく、風が肌をくすぐって語ったその言葉の意味をあなたは知ることができない、移ろいやすくて咲いては散った虚ろな驚いたその眼差しでは光に浮かぶ蝶々さえ ひらひらと儚いような振りをするその気高さで、あなたの飢えた優しさを静かに拒んで拒絶するだろう、煽られて揺らめいて落とした羽根は濡れた雨、密かに震わせる触覚は風の波紋をことごとく捉えてたじろいでは深く呼吸してまた緩やかに開かれて、浮かんで揺れてその行く先、あなたを置き去りにする


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花緒 (2017-11-01):

前回のループ詩で見せられた音楽性の上に、美的感覚宿る詩行を載せられたという印象。どんどん展開していかれるんだなあと感嘆します。回転しながら流れていくような文章が心地よいですね。

桐ヶ谷忍 (2017-11-02):

次々と入れ替わる、動画に近い美しい静止画を見ているような気になりました。 意味をつかもうとするとすると、するりと逃げられてしまうような、でもそれでいいかと思ってしまう位、読む快感が生まれます。 なんだか夢のような、綺麗な詩。 良いものを読ませて頂きました。

survof (2017-11-02):

花緒さん 「回転しながら流れていくような」感覚が伝わってとても嬉しく思います。また前作、脱構築性よりも一種の「音楽性」(あるいは音響性もしくは聴覚的な何か)を軸に置いて書いたつもりだったので「音楽性」で捉えてくださっていることもとても嬉しいです。 桐ヶ谷忍さん 非常に嬉しいコメントありがとうございます!私の記憶の多くはまさに「動画に近い静止画」(あるいは静止画に近い動画)の集まりのような感じなので、この感想は特に嬉しく思いました。

survof (2017-11-02):

ひとりごとですが、そういえばリズムって五感でいうとどれなんだろうな、と自分でコメント書きながら考えました。音楽におけるリズムも、グレン・グールドが主張していた「パルス」とかっていわゆる「音楽的なリズム」とは別物の何かを彼自身が感じ表現していて、だからこそ「リズム」とは別の言葉を選んだのではないかとか、あるいか「詩」におけるリズムは果たして「音楽的」なものなのだろうか?ということを考えています。もちろん音楽的な側面が強いリズムもあるのかもしれないですが、言葉のリズムにはそれとは別のもっと何かがあるのではないか、と自分でも「音楽性」という言葉を使いながら、何かもっと別の感触を感じたりもしているのでした。言葉とは不思議なものだな、と感じます。

渡辺八畳@祝儀敷 (2017-11-03):

蝶自体、または蝶から繋がって花から連想できる動詞の率が高く予定調和な気がする

survof (2017-11-03):

祝儀敷さん ご指摘の通りですね。鋭いコメントありがとうございます!

まりも (2017-11-03):

雨粒はスタッカート、で切り、落とした羽根は濡れた雨、でも切る・・・花や蝶のイメージ(ある種の質感、物質性を持った像)と、そこに入って来る雨や風のイメージ(動き、触感)が、すべて等質に均されているような、不思議な感覚がありました。気高さや優しさ、といった抽象的な語彙のせいかもしれません。 「その言葉の意味をあなたは知ることができない」「浮かんで揺れてその行く先、あなたを置き去りにする」言葉になりかけたまますり抜けていったイメージ、そのとらえどころのなさ、肌をかすめていった感覚を、あえて捉えようとするような印象でした。言葉の流れの美しさや、響きの心地よさに「流されて」いないか、という部分(それは、好みの問題にもなってきますが)が、少し気になるところでした。

survof (2017-11-03):

まりもさん いつも丁寧に読んでくださり、ありがとうございます。ご指摘、とても鋭く、ああ、なるほど、そういうことか、といろいろ気づかされました。<言葉の流れの美しさや、響きの心地よさに「流されて」いないか、という部分(それは、好みの問題にもなってきますが)が、少し気になるところでした。>とのことですが、これは正直に書きますが完全に流されて書いています。自分でも言葉や意味を取りこぼしながら、ただただ感覚のおもむくまま、そして最後には自分さえ「置き去り」にされながら書いた感があり、ただ、その即興性はどうしてもダメにしたくないという強い想いがありました。 音楽において、奏者が自ら奏でる音楽によって操られるかのようなときがあって、そのような時にこそ素晴らしい演奏は生まれるのではないか。同様に詩においても、作者よりも詩そのものが主体性を持ち得たときに詩は詩としてより生き生きとしたものになるのではないのか。という思いがあり、同時にまた、言葉の意味や物語性からは一歩引いた目線と感性で詩を書いていたいし読んでいたい、という強い想いも持っています。そう意味では一種の均質性を感じてくださったという感想はとても嬉しいものです。 ただ、はたして今回の作品が詩そのものとして主体性を持つほどの強度をもっているのか、あるいはただ表面的な美しさや心地よさに「流されている」だけなのか、そのあたりは自分に鋭く問いかけていきたい点でもあり、課題として意識すべき点だなと感じています。

地(🌐)球 (2017-12-14):

投稿エラーにもめげずに再投稿。 なぞりながらがうごいていくのがほんとうにうつくしい、 精神の中に詩が湧くところがあるとするならば、こんな風景でありことばが追いつかないのも必然におもえます。詩の根っこ。 その哀しさがよけいうつくしいと思いました。 詩が湧くところがわたしの中にあるので、読む日によって内容がかわりそうな気がしました。

survof (2017-12-14):

りさん コメント本当に嬉しいです。詩を書くとは私にとってはっきりとした言葉や論理や思考になりえなかったものの残骸を拾い集める作業に似ていて、りさんのおっしゃるところの「精神の中に詩が湧くところがある」というお言葉には深い共感を覚えます。そうしたものを拾いきれない「哀しさ」、もどかしさは私にとっての「詩の根っこ」です。その「詩の根っこ」の部分は私自身ものすごく大切にしたいと感じております。「読む日によって内容がかわりそうな」作品は私のなかの理想の一つなので非常に嬉しい感想でした!ありがとうございます!

地(🌐)球 (2017-12-15):

survofさん レス読んだらうれしかったです!なにか共有できました。ありがとうございました!


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