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おもてなし妖怪2018   

るるりら 
作成日時 2018-02-13
コメント日時 2018-03-31

 

お控えなすって ご当家の 軒先の仁義 失礼でござんすが お控えなすって 障子より目玉だけ出しておられる お坊ちゃんお嬢ちゃんも お控えなすって わたくし生国は 大海原 水界のはてに発します そこのお嬢ちゃん いま 小声で「おばけ」と おっしゃいましたか そんな本当のことを言っちゃあ いけません ま 「おばけ」と わたしのことをいう人も おりますが ああ奥さん そうですか?奥に入れと? ありがとうでござんす  あいやー では ここに座って、つづきを話させていただきやす そうです。わたくしは ただの鯨の身でございやす 今の姿は 御覧のような色白ですが もともとは 黒ろうございました 黒い巨体を翻し 色めく水毬をかいくぐり 悠々ぱしゃりと海面を叩いたのが 昨日のことのようです 当時のわたくしは 詩がない一介の鯨でございました びゅぅびゆぅと 空が鳴き ぐわんくわんと波のうねるその狭間に かすかに ん~ ん~と 仲間の鯨の声が聞こえました。 人間のみなさまに解るように翻訳すると 悲し気なその声は 海面一面に 油が浮かび ちいさな炎が落ちてきたかと思うや否や あたり一面 火の海になったという知らせでございました ん~ん? ん~?と 必死に詳細を聞こうとしたのですが 聞けばきくほど 戦局の残酷非道さに聞いているだけで鯨骨が軋みました 巨体自慢の仲間のほとんどが 一瞬のうちに姿も形もなくなったばかりか すべてが煮えたぎっているというのです  たすけてくれという他の声の主のほとんども 鯨界でも有名な横綱として名をならしたモノたちばかりなのです   詩がない あっしも みなを助けたいと ちらとは思いはしたのですが  オキアミどもの群れがいつもとは違う方向に全力疾走で逃げておりまして ついつい 喰い気にかられて オキアミの後を泳いでいきましたら 調査捕鯨船のみなさまと ご縁があったのでございます いやー あぶないところでした。海の藻屑となるところでした 気がつくと この身は 透き通るような身ではないですか?あぁよかったあ このように うつくしく刻まれて食卓に上がっております 鯛のお頭つきの隣の小鉢が、わたしの席ですね。いやー めでたい


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蛾兆ボルカ蛾兆ボルカ (2018-02-13):

いやぁ参ったな、と思いました。 どうやったらこんな素晴らしい作品が書けるのだろうか、と思いますがどうやるもこうやるもなく、思考や心を縛らなければこういう詩がかけるのであろうと愚考し、自分もかくありたしと思います。 かつて映画「おっぱいバレー」で私を泣かせた、女優の綾瀬さんが、最近、新作お披露目会見で、希望は何ですか(夢は何ですかだったかな)と、訊かれ、 「世界平和です。」 と、答えたそうです。 また泣かされてしまいました。 あなたはオードリーヘップバーンかよ(良い意味で)(^^) とも、私は思いましたけど、そういうもんなんだろうなあ、と思います。 自由、というのは気持ち良いですね。クジラのお刺身、美味しくご相伴にあずかりました。

渚鳥 (2018-02-13):

こんばんは 傑作です。凄い作品に出会えました! 有り難うございます。

渚鳥 (2018-02-13):

(補足) この鯨が好きです。

R (2018-02-14):

いやー……私、こういう語り口が大好きです! 鯨も好物で刺身、ベーコン、大和煮、竜田揚げ……どう料理しても好きだけど、塩鯨は食べた事がないんです。最近、塩鯨を味噌汁にするとうまいと聞いたので食べてみたいのですが、見かけませんねぇ。 人間に残酷というのは、同じ人間だけなのかもしれない……と、 この鯨さんの潔い、達観したような語りの中に感じました。 ご馳走さまです。

藤 一紀 (2018-02-14):

拝読。 小鉢のなかの物言わぬ鯨の刺身が、存在でそんなふうに語っていたとしたら、手を合わせて「いただきます」と言わないとバチがあたりそうだな、と想像しました。 鯨という視点と、ユーモアたっぷりの語り口で、悲惨なことを語っているところが、非常に斬新に感じました。

まあ (2018-02-15):

こんにちは。 こういう語り口って料理を美味しそうに感じさせる何かを持っている気がしました。

るるりら (2018-02-15):

蛾兆ボルカ 様  本作品への大絶賛、ありがとうごさいます。 わたしがオードリーヘップバーンです。なんちゃってね。 あ ちがった。 綾瀬さんが、オードリーヘップバーンでしたね。 蛾兆さんも 相当自由ですね。しかも気持ちの良い自由さです。でも あのカズオ イシグロの書いた【わたしを離さないで】のドラマ化で すら「おっぱいでかい!」という人物設定になっている 綾瀬はるかさんに「※暗くなるまで待って(※オードリーの代表作、蛾兆さんのおすすめ作品は なるほど 良かった)」って言わせないであげてくださいね。 わたしはというと 私自身が経験したことのない長期間、まったく書けなくなっていたので、正直いうと投稿するのも 恐かったのです。だから、あたたかくて いい感じに ゆるいコメントが とても嬉しかったです。おかげさまで平和が一番だと 思えました。ありがとうございます。

るるりら (2018-02-15):

渚鳥 様 まあ 凄い高評価をありがとうございます。(補足)がとても 嬉しかったです なぜなら 惚れられすぎて、本当に 本作品への評価かを すこしだけ 疑っていました。 やっぱり私の作品へ 評価だったんですね。ありがとうございました。

るるりら (2018-02-15):

R 様 私が生まれた場所が、鯨で有名な場所なものですから、私は鯨が好きなのです。わたしを育ててくれた人たちは、酢味噌で食べるのが好きだったです。 それで、私は おばけを いつも酢味噌で食べてます。 是非一度、食べてみてください。味噌汁って、美味しそう。それは 知らなかったので、ためしてみます。 コメント頂いて、人間に残酷というのは、ほんと同じ人間だけなのかもという ご意見に ふかく うなづきました。 話が 飛びますが、もうすぐ春節ですね。中国の爆買いが すさまじかったころに 中国人観光客のお坊ちゃんの頭が「酷」の字に刈られていたのを見たことがあるんですよ。驚いて調べてみると、日本人の感覚だと 酷は「みにくい」ですが、中国では「クール」という意味みたいです。我が子はクールだという洒落だったみたいです。 なにが言いたいかというと、なにを酷だと判断するかは、人それぞれであるうえに、ひとつひとつの言葉の意味自体も 様々に違っている。人間同士って、 分かるようで 解らないことだらけだなあと思ったことがあるんですよ。 大海で悠遊としている鯨さんたちなら もっと、悠々とした感覚でものを感じているような気がします。

るるりら (2018-02-15):

藤一紀 様 嬉しいです。喋ってほしかったのです。悲惨な話ですが、鯨さんに 話をしてもらいました。 斬新だったと 言っていただいて、なんだか恥ずかしくて嬉しいです。ありがとうございます。

るるりら (2018-02-15):

奇偶 様 をお。それは きがつきませんでした、 今日から夕飯をつくるまえに これを音読してみます。 料理を美味しそうに感じさせる何かがある可能性があるかもしれません。  やってみます。ありがとうございます。

fiorina (2018-02-16):

楽しんで書いたのがリズムになっているので読むのがうれしいという饒舌さが、るるりら作品にはあると思うのですが、本当の魅力はそれにもかかわらず持っている心の?舌足らずさではないかなと。 ただ2読3読するうちに、終盤は怖い感じに終わったほうが、 詩が更に大きくなるのではと感じました。 瀬戸内海にもクジラがいたのか、と調べたら、クジラの大群が現れたこともあるそうですね。 海の被爆は初めて読みました。

るるりら (2018-02-16):

fiorina様 なんども読み返してくださっちようですね。ありがとうございます。 この詩を なぜ書きたくなったかというと、二つ理由があります。 一つには、実際に鯨を 実際に食べたこと。 二つ目は、オリンピックの報道が盛んなので、「お」「も」「て」「な」「し」という言葉を思い出したのです。題名に年号がふってありますが、あれは 同じ題名で違う作品を書いたことがあるので 別作品である印として 記入しました。ちなみに前回作品の主人公は、「あんこう」で オリンピック日本開催が決まった年に書きました。 ちなみに、わたしの生まれ故郷は下関という場所です。外洋とも面しています。あそこは、隣国の陸も ときおり見える場所です。土産売り場には、鯨や河豚やウニなどが ありますし、あんこうも あがります。本作品の場合は鯨にしました。つまり わたしは、懐かしい人々と囲んだ「おもてなし(料理)」が、書きたかったのです。 終盤は怖い感じに終わったほうが、 詩が更に大きくなるのではとのご意見ですが、恐ろしすぎる話にしてしまうと、食が すすまなくなると思いましたので、これ以上 話を大きくして 詩を終了させするつもりは、私には ありません。  瀬戸内海に鯨がいるかどうかを お調べになったのですね。そういえば 私も瀬戸内海という内海で、鯨が上がったという報道をテレビで見たことが あります。ならば この詩には ヒロシマが描かれていると とっていただいても 良いのかもしれませんね。ただ、私自身が持っている鯨のイメージは 外洋です。 そして、私自身が この詩で書いた戦火とは なにも原爆だけのことではなくて表現したつもりで ございました。もっと漠然と 戦火を鯨に喋らせてみました。 もしや海って煮えてしまっているのではないかと 思わせるような出来事って、なにも長崎広島ビキニだけではない気がしているのは 残念な事実です。

まりも (2018-02-22):

エンターテイメント色の強い読み物かと楽しく拝読していたら・・・鯨と「名乗り」があって、まず いちビックリ。 そこから鯨のうた=本当の詩、という流れかな・・・と思わせての、水爆実験への無言の反歌となったトビウオ坊やの名作に重なり、にビックリ。 捕鯨船からさらし鯨の小鉢かよ!・・・というオチの流れに さんビックリ。でした。 しがない・・・に 詩が無い、をかけているであろうところ、逆にちょっと目立ってしまっているかな・・・鯨の話を聞いた聞き書き、が、詩になりました、という流れもいいかもしれない(野良猫ルドルフみたいですが)何て、ちょこっとですが、思いました。楽しかったです、奥行きもあって、重厚な印象も頂きました。鯨の寅さん。さくらはいるのかな。

るるりら (2018-02-22):

まりも様  あたたかい感想を寄せてくださってありがとうございます。 寅さんは すこし意識してました。寅さんの口調は、自由な感じの口調を想定しようとしたら、なんとなく思い出した口調です。 それにしても、ちょっと盛り込みすぎだったかもしれませんね。とくに「詩が無い」は、やりすぎでした。聞き書きというアイディアかあ。その手もあったかもしれません。  頭の良し悪しとは別の価値観。 風貌の良し悪しとも別の肝っ玉の健やかさ。寅さんのような天衣無縫ぶりって、そういえば私は憧れてました。 「俺には、むずかしいことはよく分からないけどね、あんた幸せになってくれりゃいいと思ってるよ。」とかいうような人が傍に(小鉢の中でも なんでも良いから) そんな人に私は居て ほしいのかもしれません。  でも、寅さんは、さくらさん的な人がいないと成立しない人です。なんだか、まりもさんが さくらさんみたいな気がしてきました。 トビウオ坊やの名作ですか?私は しらないんです。こんど 是非 子ども図書館で勉強させていただきます。ご批評 ありがとうございました。

百均@B-REVIEW ON/ (2018-03-04):

うーん、面白いというか、ぐぐっと引き寄せられました。「おもてなし妖怪」というタイトルから予想がつかない展開。妖怪とは何か、wikiからの引用ですが つまり、元々は妖怪的存在とは荒魂のうち祀られなかった、祀ることに失敗した、もしくは祀り捨てられた存在に求めることができるといえる みたいだそうで、現在は もっとも、時代の進行に伴い、超自然現象ではなく合理的に説明できる事象の範囲が著しく増加していく。同時に、妖怪を盛んに絵巻や絵として造形化することにより見た目の固定化、キャラクター化が進み、畏れは和らぎ、時代の流れとともに妖怪は娯楽の対象へと移り変わっていく。 このように見られるのかなという感じが多いのかなと思うのですが、本作の場合はそれらを上手くブレンドして書いているように思います。要はポップなんですけど、ちゃんと妖怪なんですね。そしてお化けではないんです。そしてこのずらし方がある意味での核だと思います。とりあえず、寸感程度のものでもうしわけありませんが、読んでいてインパクトありました。

イチゴミルクイチゴミルク (2018-03-04):

これ、すごいなぁ、、まだ言葉にできかねてる。。。

イチゴミルクイチゴミルク (2018-03-04):

僕、これ、最初、鯨が戦艦に思えたのです・・。

るるりら (2018-03-06):

●百均様 妖怪について調べてくださって ありがとうございます。 妖怪がなにかは 正直いうと 私自身は よくわかっていないのです。ですが、たとえば「あずきあらい」は、ただただ毎晩 小豆を洗っている音をさせる妖怪であったり、たとえば「ぬらりひょん」という妖怪の場合は 家の者が忙しくしている夕方時などにどこからともなく家に入り、茶や煙草を飲んだり自分の家のようにふるまう。家の者が目撃しても「この人はこの家の主だ」と思ってしまうため、追い出すことはできない妖怪だそうです。わたしの詩のようなものの場合は、ちゃんと 挨拶をする妖怪にしてみました。 ちゃんと妖怪だと感じていただけて 嬉しいです。そうです!お化けではないんです。 おばけというのは 鯨を調理したときの料理名に「おばけ」というのが 本当にあるのです。だから、ずらしてあるというのは 結構 大切だったりします。うふ

るるりら (2018-03-06):

●イチゴミルク様 「僕、これ、最初、鯨が戦艦に思えたのです・・。」 まあ、すてき! 戦艦に思われたのですか? それは祖父が喜びます。祖父は戦艦の設計に たずさわった人なんですよ。だから、戦艦愛の半端ない人でした。戦争には 強く反対します。ですが私は戦艦に対して、大きくて大海を泳ぐという鯨との類似点は素晴らしいです。その点については 戦艦に対しても 尊敬に似た感情を 持っています。 そういえば 日本の戦艦は凄いのですが、ことごとく 残念な結果と なってますね。なるほど、この詩で そのことを想起されましたか。私にとって嬉しいコメントでした。ありがとうございます。

るるりら (2018-03-31):

fiorina 様  私の本当の魅力が心の?舌足らずさにあるとしても、わたしは貴女の言葉を 褒められたこととして感じることは できません。あなたが わたしにくださった【広島】という詩を 私は理解したり受け入れたりすることはできていません。  2010年に最初に広島という詩をいただいたとき、私はお礼しか言いませんでした。それも二行程度のレスしかしていませんでした。複雑な心境でしたが、あえて短文レスを差し上げました。  理由があります。私には兄弟と死別した経験があります。その痛みのせいで わたしは2010年に 本当の気持ちを何も言いたくなかったのです。 2010年の私は、なにも いえませんでした。 それでも 「舌ったらず」だとは おもわれたくありません。 なお 本作品のレスをいただいたあとに鯨の生態を調べたら鯨は70年以上生きることがあることを知りました。感動しました。しかし、この詩は被爆の鯨を描いたのではありません。福島事故のときに鯨の被爆が心配されている情報を見聞きしました。鯨が生態系の長にあるため体内被曝の心配が多数報道されました。ですが、この詩は 被爆の詩では ありません。 わたしは舌たらずではありません。喋るよりも黙祷を ささげたいことがあるだけです。 なので 替え歌をつくりました。 おもてなし妖怪主題歌【かに座星雲の女】 いいえ私は かに座星雲よ 舌のない甲殻類よ笑うがいいわ あなたは ほめたつもりでも 超新星の大爆発だわ 重い話ね いのち いのち いのちの話よ そうよ私は かに座星雲 かに座の星は 爆発の星よ 


五月とカステラ   

百均@B-REVIEW ON/ 
作成日時 2018-02-28
コメント日時 2018-03-31

 

唇は五月 春雨の似合うおんな 走り書きしたソファー 適当に組み立てた机 勉強するための鞄 足首を交差させるための金曜日 スナック、それから それから何があるんだろう 何があるんだろうな 何があると思う と書いてみただけ 書いてみただけなのか そうだよ と鞄の中に詰めてみただけ 弁当箱をつめてみただけ お酒を飲んでみただけ ちょっとだけ ほんのちょっと いいじゃんそれくらい のど、 からからにかわいているでしょ くしゃみがでるでしょ それくらい なんともないのに みんなにおこられる くるっているって そこまでくるってないって いやくるっているって あなた、なにもわかってないって そうだね そうだよ きっとそうなんだよ ってカラカラ笑いたい ねえ、そうでしょ? そういうもんでしょ わたしってすごい? なんでもわかってる? そういう事、靴紐を結びながら聞いている 自分に 自分の中に何もないのに 悩んでいる 悩みを繰り返している 足音 足音が続く わたしのすきなものってなに? ねぇ、って 思わずきいてみたいけど 聞いたところで こまらせてしまうばかり この終わらない行分けのような 五月 散り際の桜 東北の桜 太陽が眩しくなる 学ランが少しだけ重たくなる 桜 歌い始める季節 ほころびだした 新しい始まりの合図 首筋を撃たれて 何も歌えなくなる 気がついたらご五月にいたわたしは五月にいたわたしは五月にいたわたしは五月にいたわたしは五月にいた わたしは ごがつ に いた わたし は ごがつ にいた わたし は ご がつ に いた わ た し は ご が つ に い た わ  た  し  は  ご  が  つ  に  い    た     わ      た    し         は      ご        がつにいたいたいたいた、 いたんだ いたんだよ ここにたってた 五月に立ってる 何で立ってるか知ってる? 五月だからだよ そう聞こえたんだ。耳鳴りがした 確かに鼓膜が揺れて 桜が最後の花びらが散って 乾いた葉っぱが生えてきた 緑色をしていた 緑としか言いようのないほころびがめぶいていた 干からびた体から 血が吹き出したように 太陽がさんさんと輝いた それからそれから もっとつたえたいことたくさんある ない いやある ないよ そんなものどこにもないって神様がいってた そんなものどこにもないって かいたってしょうがないって こんなことかいたってだれみてくれないって みんな心の内にもっていることでしょ そんなこといわれた そんなこといわれたってどうしようもないでしょ? わたしはいまいきてる ポエム書いてる 桜咲いてる 今ここにいきてる そうでしょう? それいがいになくない? ねぇ そうでしょ? そうじゃないの なんでかいてるの なんでここにたっているの なんでよんでるの 答えて欲しい 聞いて欲しい 桜が散ったそして葉がさいた こんな単純なことなのに それだけで唇が潤っていくのは 難しい事? あくびが出ちゃうような五月。欄干の上で、同級生が逮捕されていく光景を目の当たりにした。友達は酒を飲んで捕まってしまった。捕まってしまったので、悲しかった。と同時にどうでもよかった。捕まるべくしてつかまったとおもうから。風が吹いている。強く吹いている。髪をすいていく。わたしの黒髪をすいていく。綺麗な風が。欄干の上を滑っていく。耳鳴りと共に滑っていく。そうしてみんな忘れていってしまう。そうでしょ? そういうもんなんでしょ? でも忘れないよ。そう思っているわたしが今ここにいるから。まだ立ってる。この欄干から去ることになったとしても、まだ、五月に負けないから。今日を生きているから。きっとだよ? きっと


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kaz. (2018-03-01):

スマホで見た時とPCで見た時の違いが、かなり活かされた作品という印象だ。

くつずり ゆうくつずり ゆう (2018-03-06):

百均さん、こんにちは。 65才くらいの男の人が、パチパチ燃える薪ストーブの前で、ひとりでカステラを食べているところを想像させられました。 詩は書かなくても生まれてるなって。 ありがとうございました。

まりも (2018-03-09):

〈この終わらない行分けのような/五月〉 〈首筋を撃たれて/何も歌えなくなる〉 〈緑としか言いようのないほころびがめぶいていた  干からびた体から  血が吹き出したように  太陽がさんさんと輝いた〉 このあたりが、とてもいいなあ、と思いました。 詩の部分と、詩を書こうとしている思考回路というのか、創作回路というのか、そういう楽屋裏のような部分を描く時の描き方・・・描いてはいけない、ということではなくて、たとえば映画のメイキングビデオとか、不採用になった場面の集積などが、編集の仕方によってとても面白かったりする。そういう・・・メイキングビデオを作ってやる、というような視点で見直してみるのも面白いかもしれない、と思いました。

みうら (2018-03-22):

テストコメント。

百均@B-REVIEW ON/ (2018-03-22):

ですと

みうら (2018-03-22):

ごめんなさい。テスト。

百均@B-REVIEW ON/ (2018-03-31):

kaz.さんありがとうございます。パソコンで書いたので多分パソコン寄りになってしまうと思います。どの媒体で何を書くのかというのは、多分創作する時に多少関係あるのかもしれません。例えば、僕は今電車の中にいるのですが、電車の中の時間というのは、僕は嫌いじゃないみたいな。 ありがとうございました。

百均@B-REVIEW ON/ (2018-03-31):

くつずり ゆうさん 詩は書かなくても生まれるというのは、一ヶ月くらいたったからかもしれませんがそう思います。書こうと思ってかくと、僕はいつもそれてしまいます。この詩のタイトルは中身と関係がないとおもうのですが、かんけいがないからこそ、そこに僕は安心するのかもしれません。関係がなくてもいいんだよ。と自分に言い聞かせるような。 ありがとうございました

百均@B-REVIEW ON/ (2018-03-31):

まりもさん メイキングビデオという言葉を久しぶり聞いたように思うのと、僕が多分好きなものがその一言にあるのかなとおもいました。 僕は過程を、見るのが好きというよりは、過程のないものを信じていないのだとおもいます。ので、過程を見ることがとても好きというよりは、そこに自分を投影することによって、つくられたものや作っているひとにちかづきたいのかもしれません。僕は自分で作ったメイキングビデオが、好きじゃ無い理由がよくわかったような気がします。なんというか返事が遅くなってしまったので説得力ないのですけれど、腑に落ちました。 ありがとうございました


秋の牢獄   

北村灰色 
作成日時 2018-02-07
コメント日時 2018-03-24

 

「秋の牢獄」 足下、永遠に拡がる透明 靴を履くことを許されない私は その冷たさに痛絶を憶え その美しさに憧憬を抱いた 透き通った水牢で金魚が踊る 彼らに絡みつく紅葉 心臓色 星屑色 密林色 水の中で彼らと彼女達は 艶やかな刹那に狂っている いつか瞳が濁りきってしまうまで やがて土気色に変換されるまで 血染めのボーダーラインシャツ 誰そ彼時も隠せない私の赫色に 小枝と灯油が投げかけられる 炭化した太陽を望んでいるような 皆そんな表情浮かべている (気がした) 私の澱んだ目に映るのは 誰もいない骨折したベンチ 水死体を揺らす錆びたブランコ 鬼しかいない、かくれんぼ 枯れ枝の有刺鉄線に泊る鴉は 生きているのか死んでいるのか 透明な世界に塩素剤が流れ込む 冷熱は常温へと向かい 純水はソーダ水に変わり 氷牢に修復不可の罅が刻まれる 特赦だ! 恩赦だ! 叫ぶのは死蝋と枯葉 嘆くのはダンスホール 私は境界線を纏ったまま 彼らの声をぼんやりと聴いている 無表情のまま 無感情のまま 秋の牢獄を彷徨いながら――


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沙一 (2018-02-09):

秋の牢獄… 苦悶に囚われているぐらいなら、いっそのこと、 死の冬を期待してしまう。 しかし、この詩の人物は逃れることもできず、 秋のままの牢獄を彷徨い続けるしかないのだと、 痛切な心情を感じる作品でした。

北村灰色 (2018-02-12):

沙一さん コメントありがとうございます。 痛切な心情、それは確かにそうだと思います。 秋の牢獄は嘗ての自作曲のタイトルでもあるのですが、その曲を作った刹那と同じ感情や想いが過った時と自らの書き表したい言語表現とリンクした瞬間にこの詩は生まれました。 冬は死の色に浸されているけれど、始まりはや生の光は無いような気がするし、失っていくばかりだって、そんな感覚はずっと抱いています。https://youtu.be/fq0UaC0aWdA

まりも (2018-02-19):

一連目の鮮やかなイメージの乱舞、二連目のディストピア的世界観を被写体として捉えるカメラマンのような目線が面白かったです。 三連目・・・透明なイメージの中で、静かに沸騰していく気持ち、のような感覚でしょうか。1連、2連が視覚的イメージなのに対して、3連目は体感とも言い切れず、視覚世界とも言い切れず・・・形の無い世界を彷徨う感覚を、観念とイメージを結びつけながら言葉にしようと試みている、そんな試行を感じました。

藤 一紀 (2018-02-20):

いいですね。とても面白いです。 この作品は連構成はまだしも、行分けでなければならなかったのでしょうか。そこがちょっとだけですが気になりました。

北村灰色 (2018-03-24):

まりもさん コメントありがとうございます。 カメラマンのような目線、確かにそうですね。 現実でもそうなのですが、レンズ越しに見える世界と肉眼で見える世界は結構異なるというか、心象や機械の関係もあると思うのですが、そこに於ける(異なった)部分を極端に装飾・増幅して文で表しました。

北村灰色 (2018-03-24):

藤一紀さん コメントありがとうございます。 連構成や行分けは特に意識しないで書いたので、見返すと確かに違和感があるような気がします。 。


薄い、それでも、膜。けれど、とても、薄い。薄い。   

クヮン・アイ・ユウ 
作成日時 2018-02-02
コメント日時 2018-03-22

 

広大無辺 いつから何処から生まれるのか 憧れは身近にないものと読み解かれ、瞳は閉じられる 先に音が鳴り、耳心地の良さから開始される それとも、先に風景からだったのか プールの装置で作られたものばかりが浮かび、本物は忘れた 常に揺られているあの子は、生まれと育ちが異なる まぶたの内側の故郷にはいつも 境界に関心が抱かれ始めたのは、その街で暮らすようになってから いつから何処から生まれるのか 岸から数えようとして出来なかったそれらは、あの子の育ちで見た光景に似ていた 凪と時化 男も女もない 身体の構造とは無関係に、性質は日により入れかわった 瞳が閉じられる いつから何処から生まれるのか 生まれに還りたいという願いは、誰にも言ったことがなかった まぶたの内側には、針先ほどの小さな丸が一つだけ書かれている 苦しい時はその願いを見つめた 心が柔らかくなり、気がつくと生まれに来ていた いつから何処から生まれるのか 時間はいつだろう まだ陽が落ち始めるまでには随分と余裕がありそうだ 空も海も穏やか、風が柔らかい 目視できる一番遠くの波を見つめる その奥はもう見えない ぼやけた風景 広大無辺 あの波がここに来るまでに、どれだけのものたちと混じり合うのだろう どれだけ混じり合って来たのだろう 生まれに来ているのに、育ちを思い出していた 少し時間が経ち、この波はあの子らだったのかと考えた 父と母の言い争い、友や恋人との別れ、葬列、不選出、外罰、恥、涙 じかんが一瞬のイメージとして流れ込み 返って来る一つ一つの波、波、波を撫でていた 頬を伝うそれが海に還り、遠くへ旅立っていく 連れ去られたのではない 旅立ちなのだ 生まれに、還っていく いつから何処から生まれるのか 育ちは本当に悪いものばかりだったのか 生まれだけに憧れ続けていていいのか 瞳は閉じられる 片方の瞳からだけ涙は流れ 還る場所なら、生まれにも育ちにもあった 必ず返す波に それを 見ていた


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地(🌐)球 (2018-02-02):

ユウさんこんばんわ。 この海には誰もいないし、なんのいきものの気配も感じないし、 たとえるなら、人類が滅びたあとの海とかどこか別の惑星の海とか、そういうすごく遠く遠くから見てるみたいで気持ちよかったので、すきです。 もっと言い方をかえたら、物理的な場所でなく精神的なイメージとしての海そのものに詩の力をたどり着いたようでした。 この詩は静か過ぎてこわいばしょにいますね。 (一箇所をのぞいて)丁寧な統一されたことばで全体的なイメージもわかりやすく、自然に原始のたましいに還されていくようなそんな体験をしてました。 そういうことができるのが詩の魔法だとこのまえボルカさんが言ってました。 余談です。ユウさんの圧や主張がつよい詩やリーディングもすてきだとおもうけど、 個人的にはしずかにひたひたと内面に迫ってくるような詩やリーディングのほうがむしろ逆説的な迫力があって鬼気迫ってこわくて、すきです。

地(🌐)球 (2018-02-02):

訂正: 物理的な場所でなく精神的なイメージとしての海そのものに詩の力をたどり着いたようでした。→  物理的な場所でなく精神的なイメージとしての海そのものに詩の力を借りてたどり着いたようでした。

まりも (2018-02-10):

読んでいて・・・生まれ直してみたいという願望の先にあるのは、自らの経験や記憶以外に頼るものがない、という未知の恐ろしさなのではないかと思いました。 それは、これから訪れる未来が未知であることの恐ろしさ、見通しがきかないことへの不安と、同義なのではないか。 一瞬、一瞬を、生まれ直すその瞬間と、とらえ直すことが出来たらいいですね。 それは、過去を他者であった自分として、突き放して見つめることであるのかもしれません。 中盤から後半にかけて、リズムが整ってくる感覚が良かったです。 立ち上がりは、少し力が入りすぎというか・・・観念の重さに耐えながら積み重ねている、その危うい均衡を見ているような印象がありました。リフレインが、硬質な問いかけの繰り返しであることも要因かもしれません。 耳心地という言葉が面白い。押し寄せる概念や観念、不安などが・・・押し寄せる波のイメージに重なっていく。 観念や概念を、もう少し手触りのあるイメージで言い直してみる、なんていう方法を試してみるのも良いかもしれません。

クヮン・アイ・ユウ (2018-03-22):

地球さん こんにちは。コメントありがとうございます。 >>「この海には誰もいないし、なんのいきものの気配も感じないし、 たとえるなら、人類が滅びたあとの海とかどこか別の惑星の海とか、そういうすごく遠く遠くから見てるみたいで気持ちよかったので、すきです。 もっと言い方をかえたら、物理的な場所でなく精神的なイメージとしての海そのものに詩の力を借りてたどり着いたようでした。」 ありがとうございます。 精神世界を感じていただけて嬉しいです。生まれも育ちも実際にはあるし、あったんですが、ある視点から見れば、物理的には存在しないものとも言えるのかも知れません。 >>「個人的にはしずかにひたひたと内面に迫ってくるような詩やリーディングのほうがむしろ逆説的な迫力があって鬼気迫ってこわくて、すきです。」 ありがとうございます。僕らは時々、相手の発言などを受けて「(相手が)何を考えているかわからないから怖い」という体験をしますね。 リーディングでもそれは言えるのかも知れません。説明性や主張性が弱いことは、それだけこちらを取り込む事でもあるのかも知れないからです。 勉強させていただきました。ありがとうございました。

クヮン・アイ・ユウ (2018-03-22):

まりもさん コメントをくださりありがとうございます。 >>「生まれ直してみたいという願望の先にあるのは、自らの経験や記憶以外に頼るものがない、という未知の恐ろしさなのではないかと思いました。」 「未知の恐ろしさ」、なるほど。とてもわかる気がします。生まれ直してみたい→過去をたどる→それだけでは埋められない、でも他に頼るものもない。そういう怖さを想うことがあります。 立ち上がりの硬さについて読み返してみました。 >>「観念や概念を、もう少し手触りのあるイメージで言い直してみる、なんていう方法を試してみるのも良いかもしれません。」 ありがとうございます。 手触り(あるいは温度感も含まれるのかも知れません)が少ない作品だったので、地球さんも「こわいばしょ」とおっしゃられたのかも知れません。過去に戻ることを描くためには、ここではどうしても生きた感と言いますか、現実感が不必要でした。 アドバイスを参考に今後どうバランスをとっていくのかも含めて再考していきたいです。ありがとうございます。


朝は歌う   

クヮン・アイ・ユウ 
作成日時 2018-02-01
コメント日時 2018-03-22

 

ラクダのコブとコブの間の凹みに存在しているような、どう足掻いても触れられない辺りの痛み 深夜、柱に擦りつけもがいている生き物 引き戸のガラスに薄く映された暗いシルエットの後ろでは、粉雪が舞っている 愉快で自由で、それはまるで踊っているみたいだった 「はぁ」という吐息の音よりもずっと、大きかった声に気がついた 少し遅れて立ち戻る キョロキョロと左右に振られた首 孤独は世界に暴露されたのか 耳たぶは赤かった すぐ後に肩は震えて、涙はくぼみを埋めたらやがて、平らにした いつの間にか創生された今日が小鳥を呼び集め、既に赤い頬を照射する 恥も涙も他の何も、乾く頃に生まれ、乾く頃に生まれを繰り返した 右側の蝶々だけ大きく作る癖も平常運転 今だけはあの動物とは違う それはつまり人として、二足歩行をしていくのだった


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まりも (2018-02-09):

らくだのこぶの間に〈存在しているような~痛み〉が、〈深夜、柱に擦りつけもがいている生き物〉のようでもある、この二行のユニークな体感表現に惹かれました。生き物、とは、語り手自身のことかもしれませんが、痛みそのものが生き物として擬人化されている感覚も覚えます。※らくだ、というと、「駱駝の瘤にまたがって」を思い出すのですが(上々颱風の歌詞にも用いられている、らしい)ここでは、関係ないのかな・・・でも、なんとなく「借景」にもなりそうですね。 〈引き戸のガラスに薄く映された暗いシルエットの後ろでは、〉ここは、文字で読むとくどい様にも感じるのですが、音として意識すると、ド、ガ、という濁音の重さが先に来て、(う)すく (う)つされた (う)しろ と、口すぼまりの暗めの音が続く。リーディングするとしたら、少しこの行は長いようにも思うのですが・・・あえて前のめりに、畳みかけるように進行させる、という方法もありそうですね。もっとも、シルエット=黒い影、ですから、暗い、と重ねる必要がある、のか・・・。とは思いました。 映像から考えると、むしろ、人の形に黒く抜けた引き戸のガラスの向こう側で、粉雪が舞っている、のではないでしょうか。黒いシルエット以外の部分は、室内の明りを反射している、わけです。人の形に空いた黒い穴、そこで、粉雪が踊っている・・・景を想起しました。 〈「はぁ」という吐息の音よりもずっと、〉という、という説明的な文言、個人的な好みから言えば、省いた方がよいかもしれないな、と・・・。 はぁ 吐息の音よりもずっと大きい 声、だけが 遅れて僕に戻って来る というニュアンスなのかな、と考えました。自分の声が、他人の物のように、あとから、遅れて聞こえて来る、という体感。気づく、と説明的に済ませてしまうと、この体感そのものが置き去りにされてしまうようで、もったいない気もします。 三連目の〈創生〉〈照射〉という語感の固さは、創世記なども踏まえたもの、であるのかもしれませんが、若干、ぎこちなさを感じます。 〈右側の蝶々だけ大きく作る癖も平常運転〉蝶結びが、右側だけ大きくなる・・・という癖からの発想かもしれませんが、蝶々だけ大きく作る、という言葉の並びが作り出す光景が、新鮮な驚きを呼び込んでくる。とても面白いと思いました。 最後の二行は・・・四つ這いになって七転八倒しているような、そんな夜の苦しみを抜けて、人としての歩みを始める朝、というイメージでしょうか。朝になって、「人」に戻らねばならない、それは歓びなのか、苦しみなのか。むしろ、夜の生き物として生きている方が、自由であるのかもしれない・・・そんなことも考えます。 朝は歌う、この題名は、いわゆる讃歌のニュアンスなのでしょうか。夜は泣いて苦しんでいる、けれど、朝には歌うよ、というニュアンスなのか・・・。 涙が〈くぼみ〉を埋める、という感覚も良かったです。

百均@B-REVIEW ON/ (2018-03-06):

いつの間にか創生された今日が小鳥を呼び集め、既に赤い頬を照射する 恥も涙も他の何も、乾く頃に生まれ、乾く頃に生まれを繰り返した ここが面白いと思いました。涙の地層が頬に積み重なっていきますが、それは人だけなのかなぁと思いました。小鳥達も涙を流すのかどうか、というのはちょっとだけ思いましたが、うまい言葉が思いつきませんでした。 乾くことと生まれる事が生死のように並べられていることと、それらが地層のように縦に積み重なっていく時、死ぬというと腐るようなイメージで遠ざけてしまいがちなようにおもうのですが、ここでは死とは干からびていくのか、ということであり、その上に水が流れることが生まれることなのだ、と書いてあるように思われました。

クヮン・アイ・ユウ (2018-03-22):

まりもさん コメントを下さりありがとうございます。 >>「痛みそのものが生き物として擬人化されている感覚も覚えます。」 ありがとうございます。書き手に狙いがなくても、発生するものがあるのだということを知ることが出来ました。 「借景」という言葉も、改めて辞書で引き勉強になりました。 >>「シルエット=黒い影、ですから、暗い、と重ねる必要がある、のか・・・。とは思いました。」 おっしゃる通りで、勉強になりました。推敲が必要でした。ありがとうございます。 >>「映像から考えると、むしろ、人の形に黒く抜けた引き戸のガラスの向こう側で、粉雪が舞っている、のではないでしょうか。黒いシルエット以外の部分は、室内の明りを反射している、わけです。人の形に空いた黒い穴、そこで、粉雪が踊っている・・・景を想起しました。」 こちらもおっしゃる通りです。きっちりと写実すれば浮かぶものがあると考えていたのにも関わらず、正確性を欠いておりました。まりもさんの文章を読んで、美しいなと感じました。 >>「自分の声が、他人の物のように、あとから、遅れて聞こえて来る、という体感。気づく、と説明的に済ませてしまうと、この体感そのものが置き去りにされてしまうようで、もったいない気もします。」 勉強勉強で自分の不足を感じるばかりですが、ほんとうにいつも勉強させていただいております。詩に還元できるように精進致します。 体感や感覚は私の詩にとって重要なものなので、それを表現する技術や正確性を高めていきたいと思いました。ありがとうございます。 タイトルは、「朝が歌う」のか「朝に歌うのか」とかなり悩みました。悩む中で一字が持つ意味について考えさせられ、学びの機会を得ました。 朝がなにかするのでもなく、朝に誰かが何かをするのでもない。朝は「こういうもん」というような朝が持つポジティブな独自性に目を向けたかったのかも知れません。 朝にこの詩を書いていたら、同じタイトルにはならなかったかも知れません。 コメント、ありがとうございました。

クヮン・アイ・ユウ (2018-03-22):

百均さん コメントをくださりありがとうございます。 >>「ここでは死とは干からびていくのか、ということであり、その上に水が流れることが生まれることなのだ、と書いてあるように思われました。」 干からびた上に水が流れることが生まれること、という文章を見て、なんと美しい文章なのだろうと感じました。 読んで下さりありがとうございます。


振り返るといつも赤   

夏野ほたる 
作成日時 2018-02-27
コメント日時 2018-03-19

 

真っ赤な空は昔の擦り傷 熟れたいちごを踏んで 滲み出た ルビーの涙が忘れられない 感傷 傷ついて 傷つけて 夜に堕落してゆく 欠陥の寝息 知らんぷりしてた 血にまみれた身体に 世界はもう甘くない 燃える星、いつの間にか遠かった 遺伝子よりも微かな匂い 心臓を包むどろ水を かき分けて 嘘を辿っていくたび 思い出せそうな 造られた絵の具じゃ表現出来ない 土曜の夕焼け ほんとの煌めき


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カオティクルConverge!!貴音さんカオティクルConverge!!貴音さん (2018-03-01):

こんばんわ、貴音です。 夢葬から作風が変わったと思ったのですが そうじゃなくて心境の変化から来る 夏野さんの新しい詩の表情だと勝手に思っております。 もし仮にそうだったとして こう言ってしまうのは酷い事なのかも知れませんが 悪い感情の状態で詩を書くと、自分の濃い部分が出て来て それが魅力だったりするのです。 元気がない時はディズニー短編アニメーションを見ると 元気になれますし、詩のユーモアをもらえてお勧めです。

夏野ほたる (2018-03-04):

貴音さんこんにちは!いつもコメントありがとうございます。 悪い状態で書くとかえって良くなるというのは凄く分かります。人生イージー、楽しいことだらけなんて人はそもそも文章を書かないような気がします。私が詩を書いているのはその時の感情を残しておきたいからですが、書いただけでなくそれをネットしているのはどこかに認められたいとか誰かの記憶に残りたいという思いがあるからだと思います。 ディズニーのアニメという発想は無かったです!小さいの頃の純粋な瞳に戻れそうでいいですね。オススメありがとうございます。ユーチューブで見れるのか借りたり買ったりしないといけないのか分かりませんが、今度探してみますね。

夏野ほたる (2018-03-04):

ネットしている→ネットに投稿しているです。間違えちゃいました。

沙一 (2018-03-06):

新鮮な苺をすり潰したときのような、瑞々しさを感じました。 大人になると、書くものにもくすみがあらわれてくる気がします。それが味ともいえるのでしょうが。 なんて、相対化して考えさせられるほど、夏野さんの作品からは純真さを感じます。

日下ゆうみ (2018-03-06):

「真っ赤な空」としては広大な夕焼け空を思い浮かべたのですが、傷の真っ赤な血の色が夕焼け空のグラデーションに投影されるということは苦痛が和らいでいるかもしれないし、逆に上空いっぱいに広がっているという意味ではトラウマなのかもしれず、どちらの気持ちなのだろうかと思いました。 しかし、実際この詩では「傷ついて 傷つけて 夜に堕落してゆく」「燃える星、いつの間にか遠かった」と言われながらもまだ輝きは見えているのであって、本当は傷はその中間状態にあるのかもしれないように思います。傷ということに関しても、私としての感傷はあざのような感じがあり、却ってここで擦り傷として表現されることにはもっと鮮やかさがそこにある感じがしました。「熟れたいちご」にも何か固まりかけている途中の血のような痛みがあるように感じますし、「遺伝子よりも微かな匂い/心臓を包むどろ水を かき分けて」「造られた絵の具じゃ表現出来ない」にもそうした完全には固まってはいないまだ鮮やかな血のような感じを受けます。 語り手自身も(或いは世界自身が)最早今では「血にまみれた身体」であり、それ故に世界は「熟れたいちご」のようには甘いものではなくなってしまっているのですが、しかしそれでもどこか微かな匂いがあり「ほんとの煌めき」も残っているのであって、このようにどちらにだけにも偏らない姿勢はこの詩の一つ良いところであるかもしれないなと思いました。

漣 (2018-03-06):

全体として、赤く、熱を帯びたような、ふんわりと柔らかくも毒のあるイメージを抱きました。

夏野ほたる (2018-03-19):

沙一さん、こんにちは。コメントありがとうございます。私は自分がもうピュアでは無いことを知ってるからこそ子供の頃のような汚れのない心に戻って綺麗な詩を書きたいと思っているので、純真さを感じていただけたようで凄く嬉しいです。

夏野ほたる (2018-03-19):

Rixia_7oceansさん、こんにちは。コメントありがとうございます! 私にとって夕焼け空は汚れた世界を知らなかった頃、友達と遊んだ帰り道の楽しかった思い出であり、もうそれが失われてしまったことへの悲しみを湧き起こすものでもあります。 2つの感情の間でぐらぐら揺れてどうしようもなく切なくなることが結構あるので、どちらかに偏らないところが良いところかもしれないと言ってもらえてとても嬉しいです。

夏野ほたる (2018-03-19):

漣さん、こんにちは。コメントありがとうございます! みんな綺麗なままじゃいられないから、綺麗な詩にも毒を入れたくなります。


解く   

霜田明 
作成日時 2018-02-08
コメント日時 2018-03-17

 

解き明かすことは無限に続く作用です 次から次へ不明なものが出てくるから でも解きほぐすことは違います 生まれ落ちてきたものは 身体で記憶するからです


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花緒 (2018-02-09):

短詩として、良いなとは思うのですけれど、一作だけだとそこまで印象には残らないかなとも思いました。 →解き明かす=終わりがない、どこまでも理解できない →解きほぐす=腑に落ちて理解する →身体で記憶できるレベルまで、理解している という感じで、理解するということ、解くということのありようについて、二つないしは三つのパターンが提示されていく構造のように思えるのですけれど、それ以上、何があるかというと、私にはこれといって読み解けないところはありました。

霜田明霜田明 (2018-02-13):

ありがとうございます。 dont think,feelです

帆場蔵人 (2018-02-13):

良い短詩だと思いました。ただ…なるほど、となるのですが強い共感とまではいかないのが残念でした。

霜田明霜田明 (2018-02-17):

浮かれてわかった、わかった、と思っててもたいていわかってないんで、後から「なんだよ、まだまだじゃん」となるのですが、 じーんとわかるというか、別の分かり方があると思うんです。 浮かれないわかりかたというか、わかったと思わないわかりかたをしたときは、あまり間違えてないというか、わかってることがあると思います。

百均@B-REVIEW ON/ (2018-03-07):

なんとなく、分かる感じがします。丹念に解き明かす作業というのは、僕にとっては必要な作業です。全体が掴めない内はそのとっかかりを探すために全体を俯瞰するためのきっかけがないといけないからです。でも、そういう工程を超えた後に、閃く事があり、それを頼りに当てはめていくと穴を抜ける事がある。つまり、演繹法でも帰納法でもなく、仮構法ですね。みたいな事っていうのは本当に上手くいくと通る事があるみたいな感じ。 解明するのは確かにもの凄い困難、であるが故に直感がその糸を解す事ができるかもしれない。とはいいつつも、糸の絡まりを解くという工程になぞらえて考えてみた時に、最初から直感で糸をほどける人などいないというのも事実としてあると思うので、やっぱりこの理屈は天才の物だとはおもいます。もしくは、解明そのものの工程が無限に続いていくと言う事を知った人、あるいは覚悟した人にしか分からんというような。

霜田明霜田明 (2018-03-17):

ありがとうございます。 凄いことがわかったぞ、と思うときの発見・解明は、エクスタシーと同質の、無限に続く前提での反復的快感なのだと思います。 そうでなくしんみりとわかるものは、大したことではないのですが、でも本当にわかったと感じられるなにかがそこにあります。 「解きほぐす」というのはその体感覚の表現です。 自分と関係のないところでは解きほぐすことは起こりません。 自分のことがほどける、という印象です。 それは分かる、分かった、俺は天才か、という水準とは違います。


思い出す詩のことなど   

ウエキ 
作成日時 2018-02-12
コメント日時 2018-03-15

 

 子供の時分、木枯らしの強かった夜の翌朝などに雨戸を開けてみると、庭に詩が幾つか落ちていることがあったものだ。  その頃は、そんなことが当たり前の世の中であったから、朝日に透かして見て、美しく輝くようなものでもなければ残しておかず、たいがい枯葉と一緒に燃やしてしまった。  どこの家でもそうであり、焚き火で焼き芋をこさえる時など、詩が混じっていると甘みが増すなどと大人達が冗談めかして話しているのを火にあたりながら聞いていたものだ。  道路に落ちた詩は、詩拾い屋が根こそぎ持って行った。きまってボロを着て頬被りをした二人組の男達がリヤカーで来て、サーベルの様なもので詩を刺し貫き、荷台に置かれた大きな竹籠の縁でこそげ落とし中に入れ、人目を避けるように次の町へと足早に去って行った。  一度だけ「あの詩はどうなるのか」と、夕餉を囲んでいる時にたずねたことがあったのだが、両親から「そんなこと、子供は知らなくてよい」と、きつく叱られ、そのことを口にだすのは私の中で禁忌となった。  いつか知りたいと心の内に長く思っていたのだが、私が大人になる頃には、もはや以前のように詩を見かける機会など無くなっていた。そればかりか、詩について、自分達がどんなことをしてきたか、口を噤んでいるほうが賢明だと云う世相にさえなっていた。  だから私は、今もあの竹籠の中の詩が結局どうなってしまったのか、未だに知らないままである。


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survof (2018-02-12):

なんという詩情、なんというノスタルジー。短いながら語られるべきことはすべて語り尽くされている気がします。強烈に胸に迫るセピア色の美しいおとぎ話。しかも「子供の自分」のことが必ずしも「古き良き時代」として語られるのではなく、かといってもう過去のようなことがなくなってしまった現在がよりいい時代として語られることもなく、どちらかというと深い喪失感と古い時代への憧憬をいくらか含んでいるようなニュアンスの語り口がこの物語に寓意と感情が何層にも重なり合った厚みと深みを与えていると感じました。

IHクッキングヒーター(2.5kW) (2018-02-12):

この「詩」というのがなんの比喩なのかということばかり気になってしまいました。この詩の主題はそこではないのかもしれませんが。昔はそこいらに転がっていたのに、今ではそれをどういう風に扱っていたのかさえ口に出すのがはばかられるもの。ただし、美しくて輝いているものなら今でも残っているかもしれないもの。いったい何なのだろう。

地(🌐)球 (2018-02-14):

こんにちわ。いつも読ませてもらっています。 丁寧に描かれていて全体的に申し分なく好きですが「詩拾い屋」さんが詩をサーベルの様なもので刺す場面の叙情が一番強く感じられました。 作品全体に漂うある種の達観と一筋の余韻がすきです。 詩を書くのもいいけれど詩を拾うのはなんてかっこいいんだろう! とても印象にのこり、街を歩いても「ここにも詩拾い屋さんがいたのかなあ」なんて楽しくなりました。ありがとうございました。

藤 一紀 (2018-02-14):

拝読。 ここ何年かは野良犬野良猫の類を見ていないように思います。かわりに毛並みの整った小型犬が飼い主に連れられている。 子どもの時分、いなくなった野良の類の行方を親に聞いても知らないよと返されたものですが、殺処分されていたとはいえなかったのかもしれません。同じように詩が殺詩ょ分されていたとしたら、怖い話ですが、ありえない話でもないですね。 かといって、首輪をかけられてハーネスで縛られた詩を見るのも胸くそ悪いように思います。 自転車に乗った空き缶回収のおっちゃんを見たことがあります。ハンドルを握る両手にゴミ袋を持っていて、ゴミ袋には空き缶がいっぱい。そんなだから腕の筋肉がハンパない。それだけ集めても大してお金にはならないのですが。 あのなかにギッシリ詩が詰め込まれて、塵芥処理施設でプレスされることを想像すると、薄寒ささえ感じます。

帆場蔵人 (2018-02-14):

何処かで…というノスタルジーのような感覚は子供時代を思い出させる書き口だからだろうか。詩がなんの比喩なのか、などということは読み終えてしばらくするまで浮かんで来なかったぐらい、すとん、と胸に落ちてきました。

日下ゆうみ (2018-02-14):

この詩では、「詩」に対して今では口を噤んでいるが、しかしその「詩」がかつては刺し貫かれるような生々しいものとしてあったと述べられていますが、その生々しい感覚の喪失としては(「詩」はそのような感覚を表していると私には思われたので)私にも思い出されるものがありました。特にこの詩情とよく結びついているのが、何か思い出すというような語り手の口調で、その口調に鑑賞者を誘うことによって子どもの頃の何かをなくしたという喪失感を甘く想起させるような詩であると感じました。また、世界に対するまだ幼く淡い感覚が、刺し貫かれる経験によってその生々しさに気づかされ、しかしそれが禁忌化・希薄化することで喪失されていくという流れも、私の子どもの頃の感覚に幾らか似ているように感じられました。 しかし、「詩」という語がそのような感覚を示していると詩の文脈からは感じられるのですが、詩そのものは感覚自体ではなく発声や文字であるという感覚があり、それ故に「庭に詩が幾つか落ちている」や「たいがい枯葉と一緒に燃やして」という部分に違和が感じられてしまうので、ややこの考えは安易に結びつけすぎているのかもしれないと思いました。或いはもしかするとこの部分に関しては、詩に対する感じ方の、或いはそれ以前の生の直観に対する感じ方の違いなのかもしれませんが……。

まあ (2018-02-15):

文章に無駄がなくなめらかで、何度でも読みたくなるような作品だと思いました。

ウエキウエキ (2018-02-19):

インフルエンザに罹り、コメントを寄せていただいた皆様に返信が遅れ申し訳ありません。今しばらくお待ちください。

fiorina (2018-02-20):

昭和の作家の文章の一部のような趣きですが、 一語が詩に変える魔法(お手本)のように読みました。 比喩せずにはいられない人間のいたずらごころが醸す味わいと、 無心に「詩」を「詩」として読んだときの、そのたびごとに、 心のなかで小さく弾ける出あいの素敵さ! インフルエンザ、撃退してください。おだいじに~

ウエキウエキ (2018-02-24):

survofさま、コメントを頂きありがとうございました。 平成も30年になりましたが、いまいち愛着がないんですね。 時代についていけないといえば、それまでですが(苦笑) 「古き良き時代」のお話し、そうなのかもしれません。 実際、思い出は必要以上に美化・上書きされがちですし。 それでも、記憶から消せないホロ苦さみたいな「あの感じ」を少しでも書けたとしたら、 今回は良しとしたいと考えています。 IHクッキングヒーター(2.5kW)さま、コメントを頂きありがとうございました。 やはり、「詩」が何を表現しているか気になりますよね(微笑) ただ書いた僕も、そこに関しては漠然としたイメージしか持っていないのです。 すいません。 でも、明確な答えがないというのも悪くないと思われませんか。 地(🌐)球 さま、コメントを頂きありがとうございました。 いつも読んで頂いているとのこと、感謝いたします。 おそらく誰しもが自分の「詩」を拾っていたと思うのです。 ただ現代では商品や情報に取って替わってしまい、 「ちょっとカッコ悪いかな」と思って拾うことをためらう場面があるのではないでしょうか。 藤一紀さま、コメントを頂きありがとうございました。 野良犬はホントに見かけませんね。 犬殺しなんて言葉も死語でしょうね。 ただ、野良犬も現代社会の中で進化を遂げ 人間の姿で大勢、街中を闊歩しているようですよ。 KURA_HITOさま、コメントを頂きありがとうございました。 誰にでもある忘れられないこと。 子供時代には理解できなかった社会の仕組み。 現代社会が一番進歩した世界なのかという疑問。 そんな事柄を漠然としたイメージですが書いてみました。 Rixia_7oceansさま、コメントを頂きありがとうございました。 「万物は詩からできている」という言葉を聞いたことがあります。 感じ方は人それぞれ相対的なもので良いのではないでしょうか(微笑) 各人の指先に残っている小さな棘。 普段は忘れているのに、時々うずくそれが指先の感覚を鋭敏にする。 子供時代の記憶の感覚はそれに近いのではないでしょうか。 なんだか、変な返信になってしまいました。すいません。 奇偶さま、コメントを頂きありがとうございました。 褒められると伸びるタイプですので、大変うれしいです(笑) 過ぎ去った時というものは本当にあったことなのかと時々思います。 目の前の現実をなかったことにしたいなと思うことも常々あります。 世の中、なかなか思い通りにならないものですね。 って、僕は何を書いているんでしょうか、すいません。 fiorinaさま、コメント&体調を気遣って頂きありがとうございました。 昭和生まれがばれる文章です(苦笑) 平成の灯がもうすぐ尽きようとしています。 30年近く経つのに、それでもやっぱり昭和が好きな自分。 平成生まれの方たちは、こんな文章かかないでしょうねぇ。

花緒 (2018-02-24):

良い作品だと思いました。エッセイのようでもあり、散文詩のようでもあり、ジャンル横断性を持ちながらも、何がやりたいのかすごく分かりやすいですね。Fiorinaさんのおっしゃる通り、お手本のような作品ですね。

蔀 県蔀 県 (2018-02-25):

三行目までは、言ってみればちょっとした暗喩(「木枯らしの強かった夜の翌朝」=こころが平穏でなく得もいわれぬ不安定な状態のときに、ふっと気がつくと…… というような)でできた、味わい深い作品だなと思っていました。とりわけ「詩が混じっていると甘みが増す」このくだりはぐっときます。「焚き火で焼き芋をこさえるとき」というのは、人生というか生活の折々の瞬間のことなのかな、などと感じました。 ところが、四行目から「詩拾い屋」なる謎の人物がでてきて、途端に映像的になる(もちろん三行目までも映像的な描写だと思いますが、「詩が落ちている」といった言い回しから、物質的な硬さより、思想的な印象を強く受けていました。その段階では、まだ「詩」はこの現実に存在する文字・感情のことと解釈せざるをえないからでしょうか。「拾い屋」が出てきて初めて「詩」という《物体》を見つけられる)。この変化がおもしろいし、しかも全体が回想でできているので、虚構と実感が連関しあって、かなり真に迫った感じです。おおげさな譬喩とかを入れていないのもうれしいです。ありえない世界観なのに、郷愁を誘われました。すごい抒情だと思います。

ウエキウエキ (2018-02-25):

花緒さま、コメントを頂きありがとうございました。 お手本といわれると、相当こそばゆいですね。 また、「分かりやすい」という意見はありがたいです。 今回は「白ウエキ」で書いたもので……。

ウエキウエキ (2018-02-25):

蔀 県さま、コメントを頂きありがとうございました。 作った本人より深く考えて頂き、非常に恐縮しています(汗) 「ありえない世界観なのに」という点は、まさにそうですね。 これは文章としては存在しても、像としては結べませんよね。 しかし、その宙ぶらりんの所が良かったんでしょうか(微笑)

田中修子 (2018-02-28):

なんだかとても素敵な世界観でした。 ものすごくしっかりまとまっているし、不思議なユーモアがあって、何回でも読み直したくなっちゃう。 私は詩は一年ほど前に書き始めたばかりで、詩とはいったいなんなんだろ? みたいなことを考えることがふとありますが、そうそう、詩ってこういうふうに日常にまぎれてるんだよナア、という。 平成の日常な混ざっている詩、というのを、だれか返詩で書いてくださらないかな〜(他力本願)。

蛾兆ボルカ蛾兆ボルカ (2018-02-28):

こんにちは。 この詩は、寓喩として読みたくなるのですが、「詩」が何かの比喩なのか、詩が何かされたり存在したりするその動作のほうが何か別の行動や現象の比喩なのか、どっちかなあ、と思いました。 例えばウナギというのは、取りすぎだったのか、そろそろ絶滅が懸念されているようなのですが、生物として詩情がなくもないです。 この「詩」はウナギなのか。違いますよね、きっと。 それと同じぐらい勝手な空想として、もしかしたら「紙」かなあ、とか思いました。紙にもラブレターとか、0点のテストとか、破られた日記とか、本とか、いろいろありますが、ウナギと同じぐらいの速度で絶滅しかかっているのかもしれません。 述語のほうが比喩だとするなら、解剖的な批評が、詩を味わうことや、詩の命である詩情を楽しむことから乖離していることとかなのかなあ、とも思いました。 不思議な表現をした、綺麗な詩だと思います。

ウエキウエキ (2018-03-03):

田中修子さま、コメント頂きありがとうございました。 詩は日常=世界にあふれてるのでしょうね。 世界中で一日にどのくらいの詩が創造されているか?考えるだけでクラクラします。 詩を書き始められて一年余りとのこと、これからもどんどん書いてください。 僕は書き恥め、十余年経ってしまいました(苦笑) 蛾兆ボルカさま、コメント頂きありがとうございました。 他の方の「読み」を拝読するにつけ、 作者自身の意識の低さに冷や汗の出る思いです。 「詩」が何を意味するのか? 僕はたぶん「時代の空気」みたいなモノだと考えています。 しかし、あえて云えばですが。 ジャズでいえば「モード」みたいな感じになるでしょうか……。 まったくもって、ことばで表現するのは難しいです。

夏生夏生 (2018-03-15):

ウエキさん、御作にコメントさせて頂きます。 詩が幾つか落ちている、美しいようなイメージは、後半の二人組の男たちの怪しさ、詩の扱われ方のつめたさで、何か悪いもの、かなしいもののような印象に変わる。 最初と最後では全く異なった印象になる、自然にそう読めるところにこの詩の力を感じました。


水温   

日下ゆうみ 
作成日時 2018-02-15
コメント日時 2018-03-15

 

湖の中で、さかなは泣く 包み込む水は冷たい 冷たいせいか、心臓が痛む しかし湖上の人は それを知らない 湖面の揺らぎ 光、よろめき 視線の遠くで影が滲む 結局何も見えないから 昼も夜も同じだ とはいえ、湖底との距離は変わって 湖上に漂う葉の色も変わった 干渉しえないどこかで 何かが変わっている 木陰はいつも寒いままで、 暗くて静かに澱んでいる 足がないから始められず 手がないから終わらせられない さかな やがて死んだときに湖底に沈んで、 そして 多くのものの一部となる さかなとして生まれ そして土になれど 決して巡りはしない ただ、土の降り積もる冬の湖底を泳ぐ


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花緒 (2018-02-16):

湖というのは、やはり人間の心の暗喩なのでしょうか。湖上の人=意識は、無意識のことを分かってはいない、という図式で拝読いたしました。構成や、まとまりの良さを感じる一作だと思いました。

日下ゆうみ (2018-03-03):

>花緒@B-REVIEWさん コメントありがとうございます。湖としての暗喩や湖上のことについては、しかし少し図式で分かるようにしすぎたのかなということを思っています。また、こうした部分については前の作品に意識が向いてしまって、まだ自分の中の感覚を伴うところまで追求できていない表現であるかなとも思い返していました。 ですが、自分としては、湖上の人は自分の世界の外という感じを受けていたので、花緒さんに自分の中での意識、無意識の違いと受け取って頂いたのはまた一つの新しい発見でした。構成にも注目して頂き、嬉しいです。ありがとうございました。

いかいかいかいか (2018-03-03):

普通のレスはつまんないからこういう形でレスするね 冬の、心臓が、 包み込む、 やがて、 湖が、 死んだ、人の、 手を、巡り、 さかな、 生まれた、 光の、 影に、さかな、

日下ゆうみ (2018-03-15):

>いかいかさん 返詩という形でのコメント、ありがとうございます。自分としては、湖は先にも述べたように自分の世界として目の前に見えるせいぜい小さな世界を表していると考えていたのですが、確かにさかなが「多くのものの一部となる」となるなら、湖は「死んだ、人の、/手を、巡」るものであるのかもしれないと考えました。ここには亡くなるということ、そして個と全体の関係について、まだ確かな言葉には出来ていない考えがあるような気がしています。 また、「生まれた、/光の、/影に、さかな、」という部分については、さかなのいる場所が光かつ陰であり、昼でありかつ夜でもあるという点が、この詩の一つの要素なのかもしれないと思っていて、それは生死(或いは別のものかもしれませんが)の境が重なっているという意味だったのではないかと、返詩のこの箇所を読んで考えさせられました。ありがとうございました。


家族八景   

紅茶猫 
作成日時 2018-02-18
コメント日時 2018-03-14

 

ゴミを 投げ捨てるように 言葉を 吐き捨てていった少女 屑篭の無い家では 今日も食卓に ゴミを並べます さあ、 いただきます ごちそうさま    「屑篭の無い家」 現代詩が鳴ったので 現代詩を止めて 現代詩な時間に起きた。 今朝は 現代詩にハムとチーズを 挟んで食べた。 定刻通りに 現代詩に行くために 現代詩を待って 現代詩に乗った。 現代詩の車内は 現代詩で 大変混み合っていた。       「#現代詩」 君の気配が僕の街から 消えて 十日目の冬 この地上は いつもどこかが楽園で いつもどこかが地獄だって そう導きながら 遅れて来た明日を 懸命に失踪していた。         「冬に」 また一つ椅子が減っていく 団欒を囲んだテーブルの 椅子が減っていく 小さな家が 深呼吸した気がしたから 私も一つ 深く 深呼吸した。        「巣立ち」 ふとした瞬間に 思うことだと 酩酊する言葉に 明滅する言葉に   「さようならは鮮やかに」 上っても 上っても 上らない階段の 中程で ぼんやり風を眺めていたら 青い空を 魚が跳ねた     「強風ハローワーク」 根こそぎ 自分を引き抜くように 家を出るときは     「東京スカパラ」 小高い丘に 一人登りて 帽子深く被れば 星の匂いしている      「星帽子」


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グーグルグル夫グーグルグル夫 (2018-02-19):

「五味」だと食卓に並んでも普通だし、「屑篭の無い家」というのもなんとなく清潔なものに思えてきました。   「屑篭の無い家」 「現代詩」の部分に単語を当てはめるだけでも、旅行のようにも通学・通勤のようにもなるし、文章を当てはめたらどこまでも話が広がりそうだと思いました。そこで「家族」というテーマ設定が手掛かりになるんだろうなと思いました。 「現代詩」というのはそういう、とり方を楽しんだりする部分があるのだろうなと思いました。   「#現代詩」 気配が消えてから十日目というところや、疾走でなく「失踪」というところに幅があるのだろうなと思いました。   「冬に」 嬉しいようでもあるし寂しいようでもあるような、色んな思いがたくさんあるであろう感じが描かれているように思いました。 同じような経験をした人からすれば、特別な気持ちとして共感する部分があるのだろうなと思いました。   「巣立ち」 さようならを言葉にしたのか、もしかしたら言葉にさようならをしたのか、実際に何かとさようならをしたのか、刹那的な感情が言葉にしてしまったような感じもするし、ポジティブなさようならともとれるような気がしました。   「さようならは鮮やかに」 仕事か、あるいは職探しか生活の、「強風ハローワーク」感が、階段と一致した中程で、 青い空を魚が跳ねた、というのも何かの知らせのようにもとれるし、あるいは水に空が映っているようにも思えるし、シュルレアリスム(?)的に文字通りイメージしても面白いと思いました。   「強風ハローワーク」 東京スカパラ(バンド)にも多分色んな曲がありそうなので、そういうところが幅というか、あそびの部分なのかな?と思いました。   「東京スカパラ」 星を見上げているのか、それよりも帽子を深く被って匂いで星を感じているのか、その匂いには他にどんな匂いが混じっているのか、草や植物の匂い、砂や海辺の匂い、都市の匂い、小高い丘がどこにあるかで、星の匂いも変わってきそうだなと思いました。 最初に読んだときに、小高い草むらで落ちてこんばかりの満天の星空をまず反射的に思い浮かべて、すごくいい絵だなと思いました。 「家族」というテーマが加わるとまたドラマティックな感じがすると思いました。   「星帽子」

まりも (2018-02-22):

言葉のはしご段を所々はずしていくような面白さがあるな、と思いながら読み進めて・・・「巣立ち」以降は、こうした「はずし」や「ずらし」、「かえし」や「かさね」がない。凝縮された、いわゆる短詩になっている。 巣だったのは誰だったのだろう、と思いつつ・・・あるいは「現代詩」が、「わたし」から巣だっていったのかもしれない、と、読んでも面白いかなと思いました。

紅茶猫紅茶猫 (2018-02-23):

グーグルグル夫さんへ 一つ一つ丁寧にお読み下さりありがとうございます。 「五味」とするとソフトな感じになりますね。でも汚いものを見ない様にするとしたら、闇はさらに深くなってしまうような気もします。 どの読みもこちらの意図したところを、掬い取るように読んで下さりありがとうございました。 この詩の中で最も言葉を衝突させたのは、「強風ハローワーク」でした。 シュールレアリスム的というのは参考になります。 「星帽子」に満天の星空を感じていただけたのも嬉しく思います。 返信が遅くなりすみませんでした。

紅茶猫紅茶猫 (2018-02-23):

まりもさんへ お久しぶりです。コメントありがとうございます。 「巣立ち」はそのまま家族の別れ、子供との別れです。 「現代詩」が巣立ってしまったら、今後の創作活動はどうなるのだろうと少々とまどいましたが、あまり深読みはなさらないで、そのままお読み下さい。 でも斬新な読みだと思いました。

藤 一紀 (2018-02-25):

こんにちは。 「#現代詩」の《現代詩にハムとチーズを挟んで》の行、作品全体では具体的なものが《現代詩》に置き換えられているのに、この行の「ハム」「チーズ」はそのままなんですね。あ、でも、ハムとチーズを挟めば現代詩もそこそこ食える、というふうにもとれるから、これはこれで面白いですね。うん。 「#強風ハローワーク」の、 《青い空を/魚が跳ねた》という一行、これ、あるんですよね。魚が空を跳ねるってこと。俗にいう現実ではありえないのだけど、内面的現実としてはそういうことがある。というか、言葉にすると、ああ、そうだ、コレだ、みたいに自分で腑に落ちることが。 「#巣立ち」の、静かに受け入れる感が好きです。深呼吸をしたら、改めてすすみだすこともできるし、希望があります。

紅茶猫紅茶猫 (2018-02-25):

藤一紀さんへ こんにちは。レスポンスありがとうございます。 「#現代詩」はある意味現代詩に取り憑かれてしまった詩人を少々滑稽に描いたものです。 彼(彼女)にとって現代詩は生きる糧なので、パンそのものである、そこを強調してみました。 「強風ハローワーク」そうですね。漠然と閃いた瞬間でしょうか。はっきりとは掴めていなくても、ヒントを得たといいますか。 実生活ではよくあることですね。往々にして大切な瞬間だったりします。 「巣立ち」この言葉のもつ清々しさ、潔さはやはり希望を感じさせます。 送られる方ばかりでなく、送る方も巣立っているんですよね、きっと。

仲程仲程 (2018-03-03):

ライトレスになりますが、 遅れて来た明日を 懸命に失踪していた。 このフレーズそのものもいいですし、うまいところにはまってると思いました。

るるりら (2018-03-05):

なんだか、走馬燈を拝見しているかのようです。 「屑篭の無い家」では、愛娘さんが暴言を吐いて家出をしてしまわれたのかもしれない。家族は その暴言を反芻するしかないのかもしれない。 「#現代詩」現代詩とは何なのか、わたしは知りませんが きっと現代の詩のことなのでありませう。ハムも現代だし チーズも現代だから ある意味では、現代詩に現代詩と現代詩を挟んで食べているようなもののような気もします、世の中 せわしいことばかりです。そんな中、 「冬に」大切な人の気配が消えたりすると、 明日がよく解らずとも、きっとどこかに楽園はあるのでせう。痛い心は どこかやっぱり地獄ですが 「巣立ち」すると、ぽっかりと空間ができてしまい溜息がでますが、深呼吸ですね。 「さようならは鮮やかに」鮮やかな さようならに 思い出が明滅します。呼吸たいせつです、 「強風ハローワーク」強風波浪注意報のことを ながいこと 挨拶注意報だと思ってました。人生の波のことでしたか? 「東京スカパラ」東京という言葉が含まれていると、上京を連想してしまうのは、私だけでしょうか?私は ガーデニングが趣味なのですが、そういえば 根が ちゃんと抜けたら移植は成功なのです。 「星帽子」 空っぽな聡明さに脱帽させていただきました。  

紅茶猫紅茶猫 (2018-03-06):

仲程さんへ レスポンスありがとうございます。 「冬に」は冬という季節そのものであるようにも感じています。 風花が消えていく感じですかね。

紅茶猫紅茶猫 (2018-03-06):

るるりらさんへ レスポンスありがとうございます。 「空っぽな聡明さ」というのは、不思議な表現だと思いましたが、ただ自由にお読みいただければそれで充分です。

日下ゆうみ (2018-03-06):

「屑篭の無い家」について、この詩は幾らかの読み(とはいえ深読みですが……)の可能性に開かれているように感じました。例えば、そのような読みの一つとしては、「今日も食卓に/ゴミを並べます」と並べたのが語り手であり、「さあ、いただきます」と食事を促しているのも語り手であるとしたときに(もちろん、語り手はこの詩においてただの観察者に過ぎませんが)、語り手がゴミのように言葉を捨てる少女に対して、それならばとゴミを食べさせようとするという恐怖的な構図になるというものを考えました。また別の読みとしては、このゴミが放射性物質汚染廃棄物のようなゴミであるとしたとき(もちろん、ゴミということでは様々なものがあるので、読者の方で勝手に限定することは出来ませんが)、政治においてぞんざいに扱われている言葉によって、汚染されたゴミが食卓に並べられることになってしまっているという政治的な詩にもなるかと思い、或いは、詩中のゴミが道ばたに吐かれたガムのようなゴミであるとすると、都市で生活するストレスの中で味気のないゴミのようなものばかりを食べているという消耗した人物の詩としても読めるのかもしれないなどと考えました。しかし、実際のところはそうではなく、この詩では語り手は未だ観察者に留まっていて、かつ「ゴミ」は未だ抽象的な形でまとめられているので、そのことによってどのようなものが表されているのでしょうか……。 個人的には、いずれも短く終わっていて、自由に読むとしても考える材料がやや少ないように感じたので、一つの主題をもっと掘り下げても良いのかなと思いました。例えば他の詩においても、鳴って目を覚ますものの同時にすぐに鳴り止ませることのできるものとしての「現代詩」とはどのようなものなのか、「椅子が減っていく」ことでなぜ「小さな家が/深呼吸した気がした」のか、「根こそぎ/自分を引き抜くように/家を出る」とき自分はどこに根を張っているのか、といった部分が気になりました。

紅茶猫紅茶猫 (2018-03-14):

一つ一つ言葉を大切に読んで下さりありがとうございました。 返信が大変遅くなりました。 「屑篭の無い家」は実際の体験がベースになっています。 すれ違い様に暴言を吐かれ、まるで言葉の通り魔みたいだなと思ったことがありました。 誰にでも分かりやすく語ることによって失われてしまうものは無いでしょうか。 語り尽くすことは詩の望ましい姿なのかと、考えます。私も思案中です。 しかしながら丁寧な読み、ありがとうございました。


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