B-REVIEW作品投稿掲示板


《五月推薦作》レインドロップス~口どけのよい青い雨(飴)~   

ウエキ 
作成日時 2018-06-15
コメント日時 2018-07-29

 

馬宙 キヨスさん「青い雨の日曜日」 http://breview.main.jp/keijiban/?id=1714 人形芝居の挿入歌だそうですが、宮沢賢治の『星めぐりの歌』のような旋律かなと思ったり。 <チャイルディッシュ>ではなく、この作品は<チャイルドライク>。 賢治の創作のように、あくまで大人向けのように感じます。 雨雲の広がる空の、はるか頭上の物語。


コメント欄を表示する (2)
馬宙 キヨス馬宙 キヨス (2018-07-28):

申し訳ありません。少し忙しくて、サイトを見るのも忘れてました。推薦作に選んでいただき本当に嬉しく思います。これからも投稿を続けたいと思いますので、よろしくお願い致します。

馬宙 キヨス馬宙 キヨス (2018-07-29):

宛先 ウエキ様の名前記入もせず、コメントしてしまいました。失礼をどうぞお許しください。 


今日も、どこかで。   

湯煙 
作成日時 2018-06-27
コメント日時 2018-07-27

 

おちていく へみんぐうぇい はみんぐうぇい おちていく はみんぐうぇい へみんぐうぇい 窓をこえて はみんぐあうと かみんぐあうと かみんぐあうと はみんぐあうと ぺたぺた ちゆういんがむ 10 100 1000 行き交う人々 走り去る車輌 過ぎて行く風 春 夏 秋 歩道に ふりそそぐ雨   わたしたちの わたしだけの こんにちは 太陽の にぶい わらい 太陽の にぶく わらう はみんぐうぇい へみんぐうぇい


コメント欄を表示する (4)
渡辺八畳@祝儀敷 (2018-06-27):

えぇ……この詩難しい 推理小説みたいにいろんな仕掛けが隠されていそうな匂いはする

湯煙湯煙 (2018-06-27):

渡辺八畳@祝儀敷 さん。 ・・・ホントに思ってマッカ?^^; 全然難しくはないかと。もし御感想の通りであれば、おそらくダメな作品ということになりますかね。

藤 一紀 (2018-07-17):

こんにちは。前のコメント読みましたが、私は渡辺さんのコメント、さほど的外れではないと思います。で、ダメな作品でもないと考えます。もしかしたら、湯煙さんが狙った以上のことを作品の言葉が表しているのではないでしょうか。そう思えるくらい、いろんなことをイメージさせていて、そのいろんなことを挙げるのが難しいところがあります。 詩行の運びが心地いいです。特に《わたしたちの》以降はすごくいい。ほんの一語二語を変えるだけで伝わり方を変えているところ。でも冒頭からの流れがあってこそと思います。

湯煙湯煙 (2018-07-27):

藤一紀さん。こんにちは。 なるほどそうですか。悩ましいですが。・・・(わたしたちの)以降についてですが。元のものをそのままに継ぎ接ぎしたせいか、私的にはダメっぽいかと考え、後に修正をはかる際に無くした箇所になりました。元が異なるものを合わせたものでしたからやはり違和を感じた次第です。この箇所だけではありませんが。 遅くなりましたが、ありがとうございました。


シゼンのメカニズム   

杜 琴乃 
作成日時 2018-06-06
コメント日時 2018-07-25

 

「美しいものだけを食べていたら、美しいものになれるでしょうか。」 否。わたしの身体は消化と吸収の果てに排泄をするだけです。 昨日、可愛い犬が道端で用を足し、わたしの子供はそれを踏みました。 どんなに可愛い犬でもそれはただの糞でした。 飼い主が置き去りにしたのは、「汚いから」でしょうか。「面倒くさいから」でしょうか。 量とか犬種とか性別とか野良とかペットとかヒトとかヒトではないとか関係なく、糞は糞です。 愛されていてもそれは汚く面倒なものでしかない。 アスファルトに放たれたそれはどこにも還れず、石ころみたいに乾いても石にはなれない。 下校する子供も蹴ったりしない。 「糞ですから。」 食べたものは食道を通り胃で消化され腸で吸収される。 その過程を自然と呼ぶなら、なぜわたしは花も咲かせず鉱石のひとつも生めないのか。 (こんなに愛しているのに。) 否。はじめから入口を間違えていた。 美しいものは美しい形のまま咀嚼をせずに受け入れなければならない。 守ってきたキレイな四肢で泥を掻きそのカワイイ顔を洗って、自然に蹂躙され醜態を曝して拒絶をしながら抱き締めて、走って走って走って走って、行き止まりまで走って。 「花も鉱石もアスファルトからは生まれない。」 だから、柔らかなベッドを下さい。 目覚まし時計のベルを打ち鳴らすように削岩機を叩きつけ、水が湧くまで耕して下さい。 そこに種を植えて下さい。 そうすれば、海のないこの街でも潮の満ち干きを、昼も夜もないビルの一部屋でも月の満ち欠けを感じることができるのです。 排泄物を拾って部屋の片隅に溜め込んで、ひとつ増える度にその匂いを愛おしいと思った時、わたしはやっと、美しい自然になれるのです。


コメント欄を表示する (5)
渚鳥 (2018-06-07):

こんにちは 拝読しました。 >その過程を自然と呼ぶなら、なぜわたしは花も咲かせず鉱石のひとつも生めないのか。 この嘆きが美しいなぁと、思いました。 幻想から覚めているのに、貴いものは残っているという感じがして好きです。

stereotype2085 (2018-06-08):

面白くて興味をひくけど、この詩のアプローチに「同意出来ない」と思いました。これは完全に好みの問題で、生理的な問題かもしれません。この詩が持っている主題、メッセージについて扱った、杜さんの詩が他にあれば拝読させていただきたいと思います。

杜 琴乃 (2018-06-09):

渚鳥さん あげて下さった部分は、私の切実な疑問でもあるのでとても嬉しいです。 以前は見えた幻想をそのまま書くことが多かったのですが、最近はすっかり幻想を見ている私を書くことが多くなってきたように感じます。 お読み頂き有難うございます! stereotype2085さん 面白く興味を引く...とはとても嬉しいです!また、同意できない、とのご感想にも感謝致します。 性を全面に出していることや散文形式であることが要因のひとつかな…とは感じております。 これまでの詩は頭に浮かんだ景色の描写が多かったのに対し、今作は「私の考え」を書き起こしたもので、もしかしたらこれは詩を書くようになってはじめてのことかもしれません。 いつか、全く別のアプローチで書いてみたいです。 お読み頂き有難うございます!

まりも (2018-07-03):

(こんなに愛しているのに。)というフレーズが効いていると思いました。 子どもが犬の糞を踏む、という、いかにもリアルな話が素材として提示されているので、最終連の「排泄物」と犬の糞が何となく連動してしまうのではありますが・・・「柔らかなベッド」をまっさらな心、排泄物を言葉と読み替えて読みたくなります。 詩(ことば)の美は、花や鉱石のように自然に生まれて来る、ものなのか。美しいものを噛み砕いて消化して血肉として・・・そこから生まれるものが、吐しゃ物や排泄物のようなものでしかない、としたら。美しいものを、咀嚼してはいけないのではないか。そのまま、受容しなくてはいけないのではないか。 そのために、まるで「可愛い犬」のように四肢を持った生き物に同化した語り手は、「走って走って走って走って、行き止まりまで走って。」行くのですが・・・。語り手がそこで悟ったものとは、汚い、臭い、と思っている排泄物そのものを、美しいと思えるまで、愛おしいと思えるまで、静かに育てていくこと、なのではないか・・・ と読むのは、意訳しすぎかもしれませんが・・・美しいもの、がこの世にあるわけではない、美しいと思う心があるだけだ、彫刻家の舟越安武の、こんな意味合いの言葉を思い出しました。

杜 琴乃 (2018-07-25):

まりもさん 返事が遅くなり申し訳ございません。 可愛いものは下の世話もひっくるめて愛するべきだ。と思ったのです。我が子が散歩していた犬の、さっきしたばかりの糞を踏んだ…のは事実です。私も犬を飼っています。糞は持ち帰らなけばいけません。 また、私の弟は良く吐く子供でした。それを処理する母を見ては「私は親にはなれない」と思っていました。でも、実際親になってみれば私にも出来ました。 仰るとおり、これは書くことについての思いも込めました。憧れの作家さんや好きな物の図鑑を見て知識を増やしても、なかなか思い通りに書けるようにはなりません。得たものを、どう処理するのか、これからも臆せずに向き合って行きたいと思います。 丁寧にお読みいただき、ありがとうございます!


海はひとりに限る   

斉藤木馬 
作成日時 2018-06-06
コメント日時 2018-07-19

 

さうら さうら 凪はさうらと膨らみ 水母の花も打ち寄せる ペルハムブルーな唇 海はひとりに限る 熟れた陽光 巻き貝に潜まる とんかとんとん、とかとんと 身体に染みつく船大工 スペクトラム 光芒沿いに舟を見た あげ場のレールを枕とし ひねもすぬらり、ぬらり哉 どうりでわたしは 欄干に似ている なけなしのきぼうならきのう 賽銭箱にくれてやった シルト スコリア この隆線を果てまで辿り、人は 宵の明星へと渡るのだと聞く 先ゆく友よ。 生まれ変わりなど信じちゃいないが ぱ しゃんと生えるさうら 五千百と一瞬の さうら


コメント欄を表示する (12)
かるべまさひろ (2018-06-11):

なにか、砂浜というより、(城ヶ島のような)少し地形に特徴のある海岸のようなイメージがわきました。 と思ったら、与謝蕪村は京都や兵庫の方で「春の海…」の句を読んだのですね。 「五千百」が印象的な数字ですが、 「さうら」の語感が澄み渡っていて、「海」感が眼前に迫ってきました。

社町 迅 (2018-06-11):

詩を読んでいたら海辺を散歩しているような気分になりました。

仲程仲程 (2018-06-11):

ああ、さうら、いいですねぇ。 誰かを思い出すためなのだからひとりに限るのかな 無粋ながら --- 帰る場所は海でも陸でもない から たぶん ちょうど砂浜が見えるころで 泣きそうになってしまうんだろう さよならとくじらが言った (ように見えた) さよならと機関車も答えた (ように聞こえた) 僕はどちらにも行けるような気がした

次郎次郎 (2018-06-12):

情緒の在り方を具体的なアイテムに乗せるというのは、独りよがりになりがちで案外難しいというのが個人的に悩ましくしている部分のですが、こちらの作品はそうした嚥下のしずらさを読み手に感じさせず、煌めきを落とさない物使いをされており、おおっと目を見張りました。ほんの僅かに惜しいのは、最後に生き返りという「亡くなったこと」を易しく教えてくれてしまっている所でしょうか。恐らくそうなのであろう、という匂いを愉しみたい詩ですので、平易な言葉は入らずとも十分素晴らしい作品である…と思います。

斉藤木馬 (2018-06-14):

かるべまさひろさま コメントありがとうございました。 おっしゃる通り、とある海岸段丘にある港の外れ、というイメージにレイヤーを重ねています。 蕪村のオマージュもそのひとつと読んでいただければ幸いです。 思い描いていた「海」の姿を読み解いてもらえたような気がしました。 ありがとうございます。

斉藤木馬 (2018-06-14):

社町 迅さま コメントありがとうございます。 私は海岸を歩くことが多いですね。 波音に身を任せていると、いろいろなことが思い浮かんできます。

斉藤木馬 (2018-06-14):

仲程さま 返詩をいただいたのは、これが初めての経験です。 >(ように見えた) >(ように聞こえた) この()のなかにレジリエンスを見い出しました。 拙作語り手の、今を生きながらもどこか取り残されたままの心を解放してもらえた気がします。 仮のタイトルは『五千百と一回目のゆうべ』というものでした。 ほんとうに感謝します。

斉藤木馬 (2018-06-14):

次郎さま もったいないお言葉をありがとうございます。 該当の箇所ですが、最後に死生観を語らせることで「さうら」という言葉を生かしたいという意図がありました。 徐々に心情の揺らぎを見せ、その振れ幅が大きくなったところで「ぱ しゃん」と真っ直ぐに落とす。 毛筆で平仮名の「わ」を書くようなイメージでしょうか。 ですのでご指摘を受けて見直すならば「友」ですね。 これは作品よりも我を通したと反省すべき点かもしれません。

まりも (2018-07-03):

さうら、さうら・・・のリフレインが、そーら、そーら、という呼び声にも聞こえてきますし、さ浦、あるいは さ裏、にも見えて来る(接頭辞のさ、ですね) 「シルト」「スコリア」これは地学や地質学の術語なのかもしれませんが、響きの美しい言葉ですね。宮沢賢治の「蛋白石」のような独特の質感とアクセントを与えているように思いました。 「なけなしのきぼう」もくれてやった、という捨て鉢な感じもありつつ、それを賽銭箱に入れる、という部分に、かすかに、それでも祈る、祈りたい、祈らせてくれ、というような思いが込められているようにも思いました。 海岸、亡き友を偲ぶ、一人で歩く。すべてはいつか砂に、土になる、巻貝(中身は朽ちて、砂のような泥のような灰色のものが流れ出す)のイメージが醸し出す、堂々巡りの行き止まりの感じ、とかとんとん、の音が醸し出す、復興の槌音・・・と結びつけてしまうのは良くないですね。(震災からは7年経過しているけれど、5100日は経っていないし・・・) 調べというのか、言葉の調子が美しく流れ過ぎてしまうような、そこに少し不安を感じてしまうところもあるのですが、良い作品だと思いました。

斉藤木馬 (2018-07-08):

まりもさま いつも丁寧に読み解いていただきありがとうございます。 拙作は三浦半島南部の海岸段丘地帯が舞台です。幾重にも重なり模様となるシルト岩、スコリア質の凝灰岩のように「さうら」という言葉にも多元的な意味合いを感じ取ってもらえたらと思いました。 >言葉の調子が美しく流れ過ぎてしまうような これは作中のアクセントと言いますか、今回に限らずメリハリの利いた躍動感が足りないと感じている部分でもあります。精進します。

藤 一紀 (2018-07-17):

おはようございます。「さうら」という音のひびき、とても良いです。まりもさんも書かれていましたが、私も「そおら、そおら」とも聞こえるなと思いました。いずれにしても、響きとしても良いのですが、なんらかの映像を想起させる語のように感じました。いつも感じることなのですが、言葉のもつ音の魅力を引きだしているなあ、と。《ペルハムブルーな唇/海はひとりに限る》とか、あ、いや、あげればきりがないのでアレなので、やめておきます。とにかく響きだけでなく歯切れだとか、語と語の間に発生する呼吸とかも絶妙で、だからこそそれを装置として映像を膨らませたりするのかな、と思いました。《ぱ/しゃんと》の箇所、フリーフォールのような感じで(というのは、ガクンとなった瞬間「ぱ」みたいに口をあけてしまうので)、しかし、海面に跳ね上がった魚の翻りのようでもありました。そして、極々個人的なところでいえば、この一瞬に途方もない長さの時間の広がりを垣間見ることもあり、時としては自分がそのどこかにあったのではないかと錯覚することもある点で、時間感覚の伸縮(それに即して空間の広がりと戻り)を感じました。なんとも言いづらい切ない爽快感を覚えました。

斉藤木馬 (2018-07-19):

藤一紀さま コメントありがとうございました。 「言葉のもつ音」ということに関して言えば、私は音読されることを前提に書いていますので嬉しいお言葉でした。 恥ずかしながら長いこと詞曲を書いておりましたので、その影響も大きいのだろうと思います。


翅いちまい   

桐ヶ谷忍 
作成日時 2018-06-05
コメント日時 2018-07-19

 

片翅だけの蝶が 飛ぼうとしているのか ゆらんと翅を動かしていた 片翅だけになってもまだ 飛ぼうとしているこの蝶からは 呻きや叫び、慟哭が聞こえない ただ本能的に飛ぼうとし 飛べなければ 死ぬ だから地面に這いつくばって 片翅だけでもゆらんと動かして この蝶は多分ここで死ぬ 翅をもがれた時 なぜ殺してくれなかったのかと 恨みながら死ぬだろうか そんな気がした 私ならそう思う 翅をもって生まれたのだから 飛べないなら死ぬしかないではないかと あるいは 私の腹の中が ゆらんと ふるえた あるいは 片翅を他に探し、奪い取るか 私の片翅と 蝶の片翅は 連動せずに ゆらんと 軋んだ、夏の終わり おまえの翅では 私の片翅の代わりにならなかったよ また 腹の中で、ゆらんと


コメント欄を表示する (12)
渚鳥 (2018-06-05):

こんばんは 拝読しました。以前から、桐ヶ谷忍さんのこの作品が好きです。 初めは片方の翅で這う蝶の有り様が正確に書かれてあるようで、信頼できる文章を好きだと思っていました。 今は蝶に注がれる視線が好きなのだと気づきました。まだ謎ですが、蝶のあるままの姿を映している目は、冷たいのでしょうか、それともあたたかいのでしょうか。 不思議に透過性のあるイメージで読ませていただきました。 ありがとうございました。

花緒 (2018-06-05):

小さな生物の死をモチーフにした桐ヶ谷作品をいくつも読んできましたが、本作がベストかもしれませんね。小さな生物は何かの象徴なのでしょうね。それが何かは私には良くわかりませんが。美しい悪夢のような作品ですね。

桐ヶ谷忍 (2018-06-08):

渚鳥様 蝶に向ける視線は、翅を持って生まれたものへの羨望、嫉妬、憧憬、憎悪、そして、それを奪われた後には、憐れみ、哀しみ、同情、罪悪感、応援、無関心、そんなところでしょうか…。 熱さと同程度以上の冷たさがあるのではないかなーと、今改めて考えてみました。 書いているときは、ぼんやりとしか意識していなかったので、質問頂いたことが嬉しかったです。 透過性がある、と言われたのは初めてです。 なんだかこそばゆいです笑 どうもありがとうございました。ぺこり。

stereotype2085 (2018-06-08):

んー。重い、と思いました。「片翅のだけの蝶」とか、「〇〇が軋んだ夏の終わり」とか、素材として表現的には綺麗なのに、全体が重い。これはテーマそのものではなく、僕は「腹の中がゆらんと震えた」という描写に一因があると思いました。腹の中が「ゆらんと」。何となく分かりますが、非常に病的で、重力を感じる表現。それをもし狙ってらっしゃるのだったら成功ですね。重みを感じさせることを意図していないのだったら、別の表現が相応しいかとも、身勝手ながら思いました。

桐ヶ谷忍 (2018-06-09):

花緒様 小さな生物の死をモチーフにした詩は、多分これが最後です。 確かストックにはもうなかったはず。 最後の最後でベストかも、と仰って頂き、嬉しく思います。 虫は私も、何かを象徴しているのだろうなーとは思っているのですが、私自身分かりません。 美しい悪夢、とは…嬉しい。 どうもありがとうございました。ぺこり。

桐ヶ谷忍 (2018-06-10):

stereotype2085様 そうですねえ、病的で、重いと感じて頂けたのなら、私としては本望なのですが。 綺麗なだけの詩も好きですが、自分で書こうとは思えないし、書けるとも思えません。 それにしても、テーマが、ではなく「ゆらん」が重く感じられたのですか。 ごく自然にこのゆらんが出てきたので、ゆらんで重く感じ取ってもらえれば良いなあ と思ったわけではないので、意外でした。 とても興味深いご指摘を頂けました。 どうもありがとうございました。ぺこり。

まりも (2018-07-02):

丁寧に書いておられるのですが、もう少し刈り込むことが出来るような気がします。まず冒頭二行目、「飛ぼうとしているのか」という、語り手の推測の部分(心の中の声、の部分)。そのすぐ後に「飛ぼうとしているこの蝶からは」と語り手の判断(推測から発展した、自分にも、他者にも事実と受け止められる部分)が来るので、最初の推測の部分は省略できますね。「ゆらんと翅を動かしていた」という動作の客観的な写生を置いて、読者と共にその情景を見る。そして、飛ぼうとしているのか、という独白の部分を、読者の心の中に響かせるのが良いと思います。そうすると、「飛ぼうとしているのか」という推測が、語りて一人の推測から、読者もまた読みながら共に推測する、共感へと変わる。先に語り手の推測を出してしまうと、読者にとっては押しつけがましくなるというのか・・・読者が情景を語り手と共に見て、自ずから(自分のものとして)推測する、という余地がなくなってしまう。語り手の中だけで完結している世界を、外から見る、事になってしまう。 「そんな気がした/私ならそう思う」この二行も、同様の理由で省けるかな、と思いました。 面白いのは「あるいは/片翅を他に探し、奪い取るか」このフレーズ。腹の中がゆらん、と揺れた・・・外に居た虫が、私の中の虫となる、そして、虫の独白と語り手の独白が重なり合う瞬間ですね。 「私の腹の中が」私の、これも省ける。腹の中が、と始めても、語り手の腹であることは分かるので、わざわざ「私の」と付ける必然性が感じられない、わけです。日本語では、私の、とか、私が、と付ける場合は、その限定が特に意味を持つ場合が多いですよね。それ以外では省略してしまう方が自然なので・・・。「私の片翅と/蝶の片翅は」ここは意味のある、必要な「私の」です。 「ゆらんと/軋んだ、夏の終わり」季節の終りと共に、生き生きと活動する時期も、もう終わったのだ、というメタファーとしての終りも重なり、とてもよいフレーズだと思いました。

エイクピアエイクピア (2018-07-03):

片翅の蝶と言うと、どうしても高木佳子氏の「片翅の蝶」を思い出してしまいます。短歌なのですが、この詩では死に瀕して居る片翅の蝶。のちに自分とこの蝶が重ね合わされて、私の片翅、蝶の片翅と来て 「おまえの翅では 私の片翅の代わりにならなかったよ」 と言うセリフみたいな詩行。恩知らずと言うよりは、現状認識を客観化しようとした結果だと思いました。

桐ヶ谷忍 (2018-07-07):

まりも様 想像の余地を残す、省略をする、という丁寧なアドバイスにすごい頷きました! 言われてみればその通りだと思うのに、自分一人だけでは気が付かないので、とてもありがたいです。 投稿する前に、まりもさんに添削して頂きたいと思いました笑 「読者にとって押しつけがましい」というご指摘は何度も頂いているのに、一向に直りません…。 書き上げてから数年程度の時間を置いているのに、それでも客観視出来ないというのは、なんだか自分に失望してしまいます。 どうかこれからも懲りずにアドバイス頂きたいです。 フレーズを褒められて、素直に嬉しかったです。 そこは自分でも気に入っている箇所なので、よけい嬉しいです。 どうもありがとうございました。ぺこり。

桐ヶ谷忍 (2018-07-07):

エイクピア様 高木佳子氏の「片翅の蝶」、というのは知らなかったので検索してみたら、歌集のタイトルなのですね。 私が言うのもなんですが、「片翅の蝶」というモチーフはすごく魅力的だと思うので、他の方が使っていてもおかしくないな、と思いつつ 使われているモチーフだったのかとちょっと悔しいです。 >恩知らずと言うよりは、現状認識を客観化しようとした結果だと思いました。 そうですね、多分恩知らずとか落胆とか罪悪感というものは、この詩に書かれていないもっと後で湧き上がるもので この時点では単純に客観視した結果だけなのかもしれません。 どうもありがとうございました。ぺこり。

藤 一紀 (2018-07-17):

おはようございます。この作品の「ゆらんと」という音、とても好きだし、良いと思いました。この「ゆらんと」はずっと気にかかっていました。仕事しながら時々「あれはどういう音なんだろう」と思い返していました。翅の揺れを表している「ゆらん」。でも、力がこもってない、ひどく緩慢な「ゆらん」。ああ、片翅だからか、だから力がないんだ、でも飛ぼうとしてなんとか動かしている、かなしい「ゆらん」なんだな、と。 でも《私の腹の中が/ゆらんと/ふるえた》の「ゆらんと」は前のとは違う「ゆらんと」で、これはふるえているのだけど、ぐらつくというかずれるという感覚に近いように感じます。「私」が保っている日常意識の分離なのか、無意識的なものの侵入によって暗いものが意識されるのか、どちらともいえるのだけど、そのときの不意の「意識の揺らぎ」としての「ゆらん」かな、と。 《ゆらんと/軋んだ、夏の終わり》は読み流せばなんともないけど、「ゆらんと」軋んだりはしないですよね。軋むときはもっと違う音をたてる(はず)。こんなの、私にゃ思いつきません。この「ゆらんと」は失望や諦めを離れて眺めているように感じます。でも、心理的には軋んでいる。軋む痛みの強度に耐えきれず、それをどこか他人ごとのように見てしまう、したがって「私」がどこか外部に浮きだしてしまったかのような「ゆらんと」のように思います。 最後の「ゆらんと」は「また」とはあるのだけど「また」ではない。それは「と」で締めくくられるために、より強調されてしまうのも手伝って、トーンがいっそう暗さの質を強めているように感じられます。しかし、もはや緩慢ですらなく、命が尽きるように力ない弱々しさとして目を伏せるような。 同じ「ゆらんと」という語が、その置かれる箇所によって異なった意味合いを帯びて感じられる点が全体を非常に味わい深くしていると感じました。

桐ヶ谷忍 (2018-07-19):

藤一紀様 ゆらん、の意味づけが凄い! 正直こんなに緻密に考えて、ゆらん、を配した訳ではないのですが、藤さんのコメントを拝読したらまるであるべきところにあるべくして挿入したように、それぞれのゆらんが活きていて意味を持っているかのようで、これは私がすごいのでなく、藤さんが意味を与えたことがすごいのだと思います。 作者の力量をはるかに越えたところで作品が力を持つ良い例だなと思いました。 どうもありがとうございます。ぺこり。


記憶の鍋   

タイジュ 
作成日時 2018-06-14
コメント日時 2018-07-19

 

僕は今25歳だ。まだ25歳なのか、もう25歳なのか。人によって変わるだろうけど、僕はまず、自分が歳を重ねている実感すら持てていない。大体、僕の脳みそは時系列に沿って記憶を整理する機能を持ち合わせていない様だし、過去の記憶も妄想もごった煮になっている。この鍋の中では、死んだ母親の上でミシェルフーコーが小難しく講義をしているし、数年前に別れた彼女が喘ぐ横でビートルズがオブラディオブラダを歌う。そこでは生と死も猥雑さと聖なる物も、全て一緒くたになっている。 鍋は底抜けに大きくて、果てしなく深い。僕はいつもその中で小さなアウトリガーカヌーに乗って、プカプカと浮かんでいる。鍋と言ったが、底抜けに大きいため僕はまだ縁を見た事が無い。アクを取るためのオタマや、記憶の火の通り具合を確かめるための菜箸も見た事が無いし、そもそもグツグツと煮え立っていない。鍋じゃ無いのかも知れない。それはもしかしたら、何かしらの液体でできた無重力に浮かぶ球体で、僕はその上をぐるぐると回っているだけなのかも知れない。 僕はカヌーの上から釣りをする。釣具には興味が無いから、なんと無くぼんやりとした感じの長い竿に、ただひたすらに細い糸が結んである。糸の先には釣り針がついてて、重りもなけりゃ浮きもない。魚はいないから餌もない。 悲しい事があると、僕は直ぐに釣り針を水に投げ込む、大抵の場合すぐさま反応がある。釣り竿は大きくしなり、腕にずっしりとした重みと、慌てて逃げようともがく記憶の抵抗を感じる。釣り上がるものは様々で、ゴム長靴だったりワカメだったり、マネキンの下半分や、嫌いな上司だったり。稀にそんなガラクタが永遠と繋がって絡み合った状態で釣り上がる時もあり、そんな時はうんざりとした気分でそれを引き上げ続けなければならない。引き上げ終わると、僕はそれを手にとってまじまじと眺める。上から見たり中を覗き込んだり、バラバラにしてみたり磨いてみたり。奇声を発してるヤツとか、ブツブツと陰気に世界を呪うヤツもたまにいるが、そういうヤツは見つけ次第ハンマーで粉々にする事にしている。そうやってひとしきり眺めて満足すると、記憶はその役目を終えて鍋の中へと還っていく。手の中でぐにゃぐにゃと形を変え始め、次第にひとつながりの文字列になる。そっと水面に浮かべるとしばらくは浮かんでいるが、15秒ほど経つと溶けたバターみたいになって、ゆるやかに広がりながら最後は跡形もなく消える。 楽しい事があった時は、僕は釣りをしない。その記憶を空に映して、カヌーに寝転んで何度も繰り返し眺める。繰り返すうちに内容が変わっていき、最後には全く違う内容になってしまう。そうなるともう、最初の記憶は思い出せない。更に放っておくと、形を変えて大きな雲になる。僕はそれを見ると、足元に置いてあったビーチパラソルを広げ、カヌーの上に立てる。七色の派手な配色のやつを。やがて雨が降り始め、水面を激しく叩く。僕はその音をじっと聴きながら、雨が止むのを待つ。次第に音が途切れがちになり、やがて完全に止む。空は鮮やかさを取り戻して、水面は歩けそうなほどに平らで、ぴんと張り詰めている。雲は全て雨に変わり、鍋の中へ溶けていった。本当は、きっと僕が釣り糸を垂らすまでは、ゴム長靴もワカメも存在しない様な気がしてる。そして底抜けに大きくて果てしなく深いこの鍋は、実は宇宙ってやつではないかと僕は踏んでいるのだ。


コメント欄を表示する (4)
かるべまさひろ (2018-06-14):

ライトレスですが、好きです。なんなら、涙腺に来ました。

タイジュタイジュ (2018-06-14):

ありがとうございます。

まりも (2018-07-13):

心、あるいは脳内の混沌・・・そして、イメージが形を成す前のカオス。表層は個人の無意識であるけれども、底抜けの底の部分は、集合的無意識にもつながっているであろう、暗たんたる湖面・・・を、「記憶の」と最初から限定してしまっていいのかな、「慌てて逃げようともがく記憶の抵抗を感じる。」こういうところも、記憶の・・・ではなく、もっと何かしら、よくわからない何か、にしておいて、読む人が、記憶?イメージ?心象?・・・と、各人の感覚で読み解いていきたくなるような、そんな余地を残しておいてもよいかもしれない、と思いました。

タイジュタイジュ (2018-07-19):

まりもさん 返信遅くなり申し訳ありません。 確かに読み解く余地は無いかもしれません。 元々「記憶の鍋」というタイトルから始まったイメージだったので、記憶というテーマに縛られ過ぎた感があります。


グルーオン   

仲程 
作成日時 2018-06-07
コメント日時 2018-07-18

 

この世の全てに いくつかのちからがあります 弱いちからと強いちからと まだ見つかっていない重力と あとは、 みなさんが考えてみてね と去ってしまった先生、 僕らはうなずいたままです 絶対 という言葉を嫌う君が 変わらない愛を要求する 変わり続けてゆくことだけが 変わらないことだということも 教えてくれたのに 先の見えない時代だから 幸せなことを探している かわいい、とか あいらしい、とか そんな言葉を探している そのうちに もう きれぎれの息の中で 見えているいつかのえくぼややえば いつの間にか 遠くの遠くの世界へ行ってしまった と思っていたのに こんなに近くにいる 生まれ来るときに にぎりしめていた全てを捨てて 開いたその小さな小さな手のひらは 全ての世界につながってゆく 僕がそうしたように 君がそうするように 大きさの決められたいろがみに あふれるほどにふえきのりを塗って 安堵の笑顔を見せて グルーオン 無意識のうちに 見えないちからを信じ続けているから 全ては 同じちからでつながっているのだから 還るところは ひとつであって全てであって グルーオン 不確かな 見えないものを愛することで 少しでも優しくなれるならば その弱くて小さな小さなちからを 包むように  包まれるように      


コメント欄を表示する (19)
エイクピアエイクピア (2018-06-07):

やはり 「絶対 という言葉を嫌う君が 変わらない愛を要求する 変わり続けてゆくことだけが 変わらないことだということも 教えてくれたのに」 この部分が印象的でした。きっと絶対と言うものはないと言う事だけは「絶対」であると言う事なのでしょうね。詩全体が過不足なく、調和がとれているようで、読み易かったです。ただ「あふれるほどにふえきのりを塗って」、ここは「ふえきのり」を塗って居るのかと、平仮名だらけの表記に却って分かり辛かったです。

杜 琴乃 (2018-06-07):

ふえきのり...!無くなったら先生に継ぎ足してもらうやつですね。懐かしい…。 私は 「生まれ来るときに にぎりしめていた全てを捨てて 開いたその小さな小さな手のひらは 全ての世界につながってゆく」 の連が好きです。 「大きさの決められたいろがみに あふれるほどにふえきのりを塗って 安堵の笑顔を見せて」 過剰な量ののりを塗ることで、安堵する。 何故だろう、とずっと考えていますがなかなか答えがでません。けれど、足りないよりは、じゅうぶんすぎる方が安心するという感覚がなんとなくしっくりきました。 繰り返しのことば「小さな小さな」「遠くの遠くの」の使い方がしつこく無くて、柔らかい雰囲気を作り出していて素敵だなぁと思いました。ノスタルジックで柔らかさがあってとても好きです。

仲程仲程 (2018-06-09):

エイクピアさん お読みいただきありがとうございます。 約束するとき絶対は使わないでと、若い娘に言われた事が、今でも引っかかってます。 溢れる程にフエキノリを塗って が常用でしょうか。修正するなら あふれる程にフエキノリをぬって かなと今考えてます。

仲程仲程 (2018-06-09):

杜琴乃さん お読みいただきありがとうございます。 目線がすごくやさしいコメントたなあと感じます。あふれるほどに塗ったのりは何回か見ましたが、その子は何を考えてたのか聞けば良かったです。今、聞いても覚えるわけもないので。 ところで、杜さんのカタツムリの詩に何かのミスで見当違いのコメントをつけてしまいました。申し訳ございません。

仲程仲程 (2018-06-09):

蛇足ですが、グルーオンは四つの力のうち 強い力です。

杜 琴乃 (2018-06-09):

どうしても母親目線になってしまうからでしょうか(^_^;)仲程さんの作品は難しいモチーフを扱っていながら、作品全体は柔らかい雰囲気があってとても好きです。 グルーオン、調べてみましたが量子力学に疎いので私には難しい記事ばかりでした。。ですが、糊を塗る行為と強い力、この詩からは人と人の絆かな...と読みました。 私のなかでフエキノリを使う頃というのは幼少期のイメージなので、不器用な手つきで一生懸命に糊を塗っている子供の姿が真っ先に浮かび、愛おしいという感情に包まれました。

次郎次郎 (2018-06-09):

どう、と具体的に指すのは難しいのですが、共感と云うか、ああ、本当にそうだと妙に府に落ちる心地よい感覚が致しました。曲がつくことを想定されて作られているのでしょうか。改行のリズム感がよく、これを歌でも聴いてみたく思いました。

かるべまさひろ (2018-06-11):

グルーオンが詩をつくっている! と惹かれています。 やさしくて、すごく好きです。

仲程仲程 (2018-06-11):

杜 琴乃さん ふたたびありがとうございます。私もわかっていません。たまに読んでみてちょっとだけわかったつもりになったりしますが、たぶん3分で忘れてしまいます。 ふえきのりなんですよね。あのすぷーんのようなへらですくってぬる。スティックのりではなく。共感していただいたようでうれしいです。

仲程仲程 (2018-06-11):

次郎さん お読みいただきありがとうございます。共感いただきありがとうございます。 曲というよりは、リーディングを想定していましたこと、思い出しました。 歌えるといいですね。ヘビメタかV系の方にバラッドで歌ってほしいです。

仲程仲程 (2018-06-11):

かるべまさひろさん お読みいただきありがとうございます。 >グルーオンが詩をつくっている! 参りました!! この一行だけで気持ちよく完敗した気分です。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-06-16):

目につくたびに立ち止まってしまうんだよなぁこの詩 第1連が強い、良い

仲程仲程 (2018-06-20):

渡辺八畳@祝儀敷さん コメントありがとうございます。 ひびく言葉は、読み手それぞれなんだなあと、あらためて感じます。 渡辺さんに、どんな情景が浮かんだのか気になるところです。

5or6(ゴロちゃん。) (2018-06-30):

前半の削ぎ落とされた言葉の韻は良かったです。比喩の先を進んでる方だと感じました。ただ後半のリフレインで自分はそっちにいっちゃったか、と少し残念に思っちゃいました。まだ音よりも文字で表現出来る方だと思いますのでどんどん文字でいっちゃって欲しいと思っちゃいました。

仲程仲程 (2018-07-01):

5or6さん ありがとうございます。 正直、これはまず音からでした。 結びありき、で起承転を思い出から拾ってきて、という感じです。 エイクピアさん、渡辺さんも始めのほうがいいとされてますね。ちょっと考えてみます。

まりも (2018-07-03):

「先の見えない時代だから 幸せなことを探している かわいい、とか あいらしい、とか そんな言葉を探している そのうちに」 その後が、書いていない。ここも、 「あとは、 みなさんが考えてみてね」ということなのかもしれません。 目先の、かわいさ、愛らしさ、ばかりを探している内に、失ってしまうもの。なくしてしまうもの。それらを引き寄せてくれるはずの、小さなちから、それを「大きさの決められたいろがみ」に包んで、亡くさないようにしておきたい、ということ、なのかな・・・と思いつつ・・・一つ一つのイメージは鮮明で、難しい言葉はひとつもないのに、イメージするものは抽象的でとらえがたい。 「大きさの決められたいろがみ」をひとりひとりの人生、あるいはひとりひとりに与えられた器量、と読んでみると・・・そこにあふれるほどに塗る「ふえきのり」の湿潤な感じ、蜜のような感じ、粘り気を持ったなにか、こそが、「グルーオン」で暗喩されているもの、なのかな、とか・・・(グルーって、糊のイメージでもありますね) 出逢うべき時、に、人と人とを引き合わせ、弱く、又強く、結びつける力。人類という大きな粒子の集まり?の中で、個人という、微小な粒子同士のうごめき、そこに働くちから。うーん、やっぱり、難しい。難しい、と言うと、良くない、的な意味にもなりそうなので、謎がある、にしますね。気になる、奥行きの深い、面白い作品です。 存在論に触れていくから、優しさと共に謎を感じるのかもしれないですね。

仲程仲程 (2018-07-08):

まりもさん お読みいただき、優しいコメントありがとうございます。 答えはないんですよね。 繋がっていたいだけなのかどうか、 コメント読みながら感じました。

藤 一紀 (2018-07-17):

こんにちは。難しい言葉を使わずに、しん、と染み込んできて広がる作品だなあ、これは逆に書くのは難しいなあ、と思いました。ただ、後半の「グルーオン」が音としても、強い。フォルテッシモのようにそれまでの印象をかき消しているように感じました。

仲程仲程 (2018-07-18):

藤一紀さん 自分ではそこに持ってくために始めたので、気付いてませんでしが、やはりそう感じるのですね。後半、くさい言い回しも気に入っているのですが、何人かに指摘いただき、そうだなと。 ありがとうございます。


イマラチオ   

今田千代(イマラチオ) 
作成日時 2018-06-27
コメント日時 2018-07-18

 

【孤独白―孤独は苦―孤独吐く―孤独穿く―孤独剝】 久しぶりに在った同級生は綺麗だけど少し古いスーツを着ていた 昔はそれなりに会話してたから案外すんなり話せるもんだ そん中でお前は言った「相変わらず変わんねぇな」と そうか俺は変わらないのか 変わっていないのか 変われないのか そう思いながらも同級生と少し話して 互いに用事があるから「それじゃあね」って手を振る また会おうなんて約束はしない そうか俺は変わらないのか 変わっていないのか 変われないのか そんな俺が昔言われていたのは 「お前は変わってんな」だった なあ俺は何処かおかしいのか? 人から生まれた人でなしなのか俺は? 橋の下で拾われたエイリアンか? 墓の下から這い出て来たゾンビか? 空から落ちて来た神様か? 両親も言う「お前は変わってんな」 なあ俺は何処かおかしいのか? 決まって答えは誰も教えてくれない もうお前らがおかしいんじゃないのだろうか そう思えて来る時もあったけれど 俺よりは真面なんだとよ 何だか相手の理屈を屁理屈と見破る事は出来るけど そいつも正しい理屈を捏ねる事が出来ない 一体何を持ってお前らは俺より真面なんだと言ってんだ? 俺は感情や意思を形成する前の XXやXYになる前の精液を形成する精子の段階から 宿命付けられた静止せず前を向いて生きて来ただけなのに 精子は静止してはいけない 何故ならそれは生死に関わるのだから 記憶に無い壮絶な生存競争に勝ち抜いて その後も俺は頑張るよと「おんぎゃー」と叫んで生まれて ひたすら真面に生きて来たつもりだったのに これからも前を向いて生きて来たつもりだったのに? 振り返りもせずに脇見もせずに 道草も食わずに立ち止まらずに 生きて来たってのにあれなのか? 俺はおかしいのか? 俺は今でっかい精子なのか? そんでこの歳にもなってでっかい卵子と出会っていないからなのか? だから俺はおかしいのか? だったら俺は真面に生きてやるよ 誰よりも精子として まずは名前を捨てた 俺はこれから精子郎だ もう人妻のまんこにオナホを突っ込んで セックスするのは止める事にした 俺の全てを注ぐようにする 刺激不足の欲求不満の人妻で遊ぶのはもう止めた 真剣に向き合おう事にした もう0.1ミリの隔たりに悩まされる事なんてない 人間らしく有る為に 真面になる為そうする ほんとはちんこの先から体をバキバキ骨折しながら お前の汲み取ろうとする膣に身を委ねて 子宮の中に入って転生なり進化なりしたいけど だけどそれは出来ないから 俺の分身を 俺の人生を 俺の情報を 俺の歴史を 俺の全てを凝縮した精の液を注ぐことにした 都会で家出している分からない女に声を掛け 外は寒いだろうし路頭に迷うのもあれだから 温かい一室に呼んであげて 人肌で暖めてあげる 外側からも そして内側からも 俺の熱を女に移して混ざり合わせるのさ 携帯電話を弄りながら股を開いてる女の 不感な体に無視の出来ない物をぶち込む 芝居して逃げたくなる様なものをぶち込む 勿論そんな事はさせない 嘘の無い付き合いを望む 裸よりも裸な剥き出しの心身でぶつかり合う事にした その果てに女や僕が死んでしまったとしてもそれは仕方が無い 精子の段階から繰り返して来た生存競争の延長戦だ 記憶にはないけど射精された時 俺の多くの中は一斉に前に向かったかと言えばそうじゃない 意外にその場で諦めて立ち止まった奴が居たり 発狂してクルクルその場を回った奴も居た 最初は調子に乗って先頭突っ切ったのに 追い抜かれてしまったり だいぶ先で死んじまってたりしている奴も居たり そいつに力や可能性が有ったか定かじゃないが のんびりと進んでる奴も居た そんな奴らと競争して俺が此処にいるんだ だから裸よりも裸な剥き出しの心身でぶつかり合う事にした その果てに女や僕が死んでしまったとしてもそれは仕方が無い 腹上死は名誉ある死だと俺は思う 女は謝る何故か謝る 「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」 謝る理由なんて何処にもない 女の肋骨が折れる程に抱きしめる 俺の腕が自壊する程に強く 俺のちんこも女のまんこも どれだけ濡らして摩擦を無くしても 擦れてズタズタだ 血塗れだ 白い愛液と血が混じり合って薄いピンク色 これは俺と女の真剣さを表す勲章だ 女は命のぶつかり合いに応えようと必死だ だけど同時に逃げ出してしまいたくなっている 膀胱で製造される尿を噴水の様に噴き出す それはサラサラして温かい 脱水症状になってはいけないと 俺は2リットルとミネラルウォーターを 女の口にぶっこんで流し込む ごぼごぼと水を吐き出し 俺の腕に爪を食い込ませる 俺は女の腹を殴りつける だってちゃんと水飲んでもらいたいじゃん 同時に肛門から糞がガスと同時に噴き出す 昨日か今日食べたなんかが混ざり合って 脱色して茶色くなって排出される ぶりぶりぶうぅぅぅぅぅぅぅと 脱糞とおならをする 真剣に向き合っている仲に 羞恥心や抵抗感なんてのは入る隙間は無い 掃除なんて後ですれば良い めんどくさいならバスルームでシャワー流しながらすればいい もしお互いに生きていられたら俺は勿論だし 女にとっても忘れられない存在になるだろうな きっと初めての男よりも忘れられないだろうし 俺が最後になるだろうな きっと棒状の物を見る度に俺を思い出してくれるだろうな キュウリもそうだ ナスもそうだ 定規だって 笛もだって 見たら俺を思い出すだろう 俺の姿よりも先に俺のちんこを思い出すだろうな それにきっとコンセントが羨ましくなるだろうな 抜き刺しする関係であり繋がった関係であり その間は電撃的刺激が常に生き渡っているんだから きっと来世はコンセントになりたいとか思うだろうよ 俺はかれこれイっているが出していない ちんこの末端を縛っている きんたまが沢山製造して膨れている とても痛い だけどまだ全て出し切っていないと我慢していた でももう出し切る時が来た 受け取ってくれ 俺の分身を 俺の人生を 俺の情報を 俺の歴史を 俺の全てを 射精した瞬間に女の腹はボンと膨れて破裂した 受け切れず毛穴とかの穴から俺の精子が溢れだす 俺は消化作業をする消防車の様に射精を続ける 膝下まで俺の精液で部屋が埋もれる その中でポコポコと浮き上がって来る物が有る 急成長した新しい命 男の子が16人 女の子が8人 みんな「おんぎゃー」と命の大合唱 かつての俺がしたように生存競争を勝ち抜いて来たんだね 会いたかったよ ようこそこの世界に 俺は君達を祝福する 君のママは真剣に向き合った末に腹上死をしてしまった だけどそれは名誉のある死だから 誇って生きて欲しいと思う


コメント欄を表示する (6)
かるべまさひろ (2018-07-01):

おかしくないし、そしてやさしい

羽田恭 (2018-07-01):

>両親も言う「お前は変わってんな」 >なあ俺は何処かおかしいのか? >決まって答えは誰も教えてくれない 自分も似たような覚えが。 そしてそういう事を言う人はしばしば何も考えてない。 この鬱積を作品を作る原動力になっている気がします。 これぞアートと言えます。 エログロは個人的に好みではないのは事実ですが、ここまでやってくれるとエネルギーを感じます。 なかなかできないと思いますので。

今田千代(イマラチオ)今田千代(イマラチオ) (2018-07-09):

ありがとう 悲しきモンスターとかではないが そういったところを見てくれるなんて 文章の世界だから 嘘吐き放大なんだが 俺は踏み外されたし 踏み外した人間だから これ以上 間違わない様に 自分を縛る為に 同時に発散する為に 書いている そのエネルギーが 自分の思っている通りに伝わると 嬉しいね 一応人だから

まりも (2018-07-13):

〈そうか俺は変わらないのか/変わっていないのか/変われないのか〉 畳みかけていく、印象に残る「入り」から、〈「お前は変わってんな」〉という本題に移行し・・・ 〈何だか相手の理屈を屁理屈と見破る事は出来るけど/そいつも正しい理屈を捏ねる事が出来ない/一体何を持ってお前らは俺より真面なんだと言ってんだ?〉 普通、そんなこと言わない、そんなことしない、変わってるね、と言われ続けて、普通がわからん、普通ってなんだ?と思い続けてきた私、としては・・・単純に、自分のやりたいことをしているだけ、皆がやっていること、でも、嫌だと思うことはやらなかっただけ、なのにな、とか・・・他人に変人と思われても構わないや、と思いながら生きて来ただけ、なんだけどな・・・と常々思っているので、このあたりは強く共感しました。まっとうに生きるって、なんだろう。真面目に生きるって、なんだろう。 私の場合は、普通の人がやりたがらない「勉強」が好きという変なオタクで、あなたはアカデミックだから、と大学でも一般学生に敬遠されて・・・結局、大学院とか研究室に出入りしている、どこかしら飛びぬけていて、なかなか「一般社会」「普通の生活」に馴染めないような、そこから弾かれてしまうような人たちと一緒に居る方が、居心地が良かった、のではありますが・・・今週のドラマの結末は、どうなる?と皆で盛り上がっているところに、一人だけ、カントがどーたら、とか言っている「空気の読めない」「読まなくても構わない」と思っている、奴でした・・・。 この作品の場合は、たとえば定職につかずにバイトをしながら夢を追いかけているとか、そういう自分に正直な生き方をしている人をイメージしました。親としては、定職について、結婚して家庭を持って・・・そういう生き方が、「まっとう」「真面」なのかな、と思い・・・そういう、世間一般の見方代表、のような両親や友人と、そこからずれてしまう(自分自身のやりたいように、思ったように、その意味では、自分の意志にしごく真面目に)生きている自分とのズレ、どっちがおかしいんだよ、どっちが変なんだよ、という「言いつのり」まではいかないにしても、「まぜっかえし」のような感覚がよかったです。 性にまつわる表現を詩に使う時、タブーを犯す、あまり使われない言葉をあえて使う、という「用いること」そのものの刺激に頼ってしまうのは、既に時代遅れ、だと思っていて・・・となると、用いることに必然性が無ければならない。 〈ほんとはちんこの先から体をバキバキ骨折しながら/お前の汲み取ろうとする膣に身を委ねて/子宮の中に入って転生なり進化なりしたいけど〉このあたりの、いっそ生き直してみたい、という切実なものが基底にある。 そこから・・・〈携帯電話を弄りながら股を開いてる女〉に(知人の話で、途中で寝ちゃうかもしれないけれど、テキトーに入れてていいから、と言われてセックスしていたら、最中に本当に相手が寝てしまい、すげー空しかった、というのを、ちょっと思い出しつつ)ほんとの裸の付き合いってのを、教えてやるよ・・・という流れに入る。 〈記憶にはないけど射精された時~そんな奴らと競争して俺が此処にいるんだ〉精子たちの「生き様」と、自分も含めた「男たち」の生き方のようなものを重ねて、精子ひとりひとり(という言い方も変ですが)のことに想いを致す、という視点の取り方も面白いと思います。 激しい行為を美化することなくリアルに描いているようでいて・・・女の腹が破裂する、というデフォルメに到るまで、スムーズに描写が進行していくところも良かったです。虚実ないまぜ、というか・・・実が虚になる境目が露骨に見えてしまうフィクション(詩も含めて)は面白くない。 ほんとの、まじの付き合いって、魂同士が刺し違えるような、命のやり取りをする覚悟がいるような、そういうもんじゃないのかよ・・・というパッションのようなものを感じました。 いわゆる「脳膜メンマ」などに描かれたデフォルメされた暴力性と、また異なった次元というのか・・・お前も、俺と同じくらいに、真剣に応えてくれよ、という切実な願いが背景にあるような、襟首をつかんでユサユサ揺さぶる、そうして、俺の話を聞いてくれよ、と訴える時のような、そんなエネルギーを感じました。

今田千代(イマラチオ)今田千代(イマラチオ) (2018-07-13):

短い返事で申し訳ないが ありがとう 正直以外ではある 前の詩で俺の作品や人間性が合わないと思っていた もうずっとそうなんだろうなと思っていたが こうして声を貰えると思わなかった 伝えたい事の殆どを代わりに行って貰えた 感謝します

R (2018-07-18):

なんだか弱々しい印象を受けました。 孤独だから、弱い人という印象で良いのかもしれませんが……。 序盤はすごく共感出来る。 ついでなので、染色体異常のことも考えてみたり。 作品の善し悪しは分かりませんが、 イラマチオさんに弱さが滲むと共感が薄れてしまうので、 私は少しだけ寂しいです。


散り散りに。   

R 
作成日時 2018-06-20
コメント日時 2018-07-18

 

弾けて、飛んで、鎖国して、 ウルサイ雛が何羽か死んだ。 ピーピーピピーピ…… 「詰まるところ、鎖国とはそういうことなんだよ」 「今更かよ、ハハッ」 「先があったろうに……」 「いや、やっぱり違うよ」 「羨ましいんだ?」 「もっと恐ろしい何かが……」 「存在する価値があったのか?」 「僻むなよ」 「ちょっと静かに……こっちに隠れ住んでるって噂が」 「世界が違うんだっつーの」 「俺の後輩も……」 「自然淘汰ってやつ」 「知識人気取りが」 「まさか最近引っ越してきたっていう彼も」 「今こそ保護すべきだ」 「あっちにはあっちの考えがあるんだろうね、知らんけど」 「聞かれても構わないさ、何が出来る」 「保護ってのは結局、金持ちどもが食い散らかすだけ」 「今年になってから、もう……」 「それがどうした」 「ま、私らにゃ関係ない話さね」 死んでいない雛はウルサイらしい。 ピピーピピーピ…… --アーアー。本日も空に影なし。あばた広がり、中に蠢くモノあり。……羽根……エー、羽根をむしり……を、凝視、して……恐らく毛穴、か、いや……或いは血に……。 --アー、……エー、本日も空に影なし。これから初老の一羽への接触を試み…… --……う随分と前から……ですね、お国が鎖して……りましょうか……、私もですがね、空なんて見や……んよ。……何を見……。そこに宇宙があ……のですがね、他の方は、天使……海……掘り進め……仰っており……私……よくわからな……。しかしやはり、そこ……鍵が眠っ……信じ……、これで……。 --……ァ、アー。本日も空に影なし。引き続き聞き込みを……。 ピーピ…… あぶらの抜けた羽根が埃と舞った。 「あれ見た?「ドローンのやつでしょ、ないわー「ねー、ボッコボコ「クレーター的な?「それなw「てか、西部劇かよって「あー、羽根でしょ「そそ、いかにもって感じ「アイシュウ漂うー、みたいな?w「よくあんなとこ住めるよねw「まじそれなw「ねね、これヤバくな「これめっちゃいいよ!「ちょ、食いつきすぎなんですけどw「つかこれ、あれのハーフって?「や、ないでしょ。鎖国してんじゃん、あっち「あーね「えーでも、こことかさー……ぽくね?「んー「てか、どっちでもよくね?w「それなw「だなw「あ、明後日なんだけどさー「あー、どしよ「うち的には前に言ってたんでいいと思うけど「やっぱ?「じゃ、そっち系でー……うわ、もうきた「ちょ、早くね?「てか来んくて良しw「それな。だるすぎるんですけど「ねー、んじゃ、後で時間決めよ「りょ「あいあ「あ、教科書「きりーつ。礼。……着席」せんせーせんせー、ちょっとロッカーから教科書取ってきまーす」 遺伝子汚染、混濁あるいは順応。 置換率と認知度の因果関係について。 新種か雑種か。優劣の基準を……。 ピピ…… --ええ、存じ上げ……。……かし、まあ、あれは我等……別物……紛い物……。 --……は流石でございます。何がと……すのも烏滸がましい……分かったと……て失礼にござい……。そこ……味わい……ますゆえ。冠? こ……、あの、先生へのリスペク……決して……まだ……。 --昨今の……は反抗的な……、翼だ、空だ、梢……い夢ばかり語り……、破門にしてやっ……です。どこぞ……とか散ったとか……。……にはもう……ませんので……。 --……材? アポを取っ……ボクは独立し……偉大さ……ないのはカワイソウだか……。……にかく、もっと良い機……と……を……で……れから……。……嫌なら別にいいよ、バイバイ。 ピーピピーピー…… ベルベットの夜から野ざらしのあさへ。 風になった止まり木は数知れず。 「ねえ、ホントにこっちでいいの?」 「もう戻れないだろ」 「進んでる?」 「諦めるの?」 「何年経った?」 「……これも違う」 「あれ見て!」 「どこ?」 「あれだよ!」 「……え?」 「ほら、あんなに……」 「待ってよ」 「せめて僕らだけでも辿り着かなきゃならない。そうだろ?」 「ねえ、ホントにこっちでいいんだよ……ね?」 すれた靴底。 理想。 色褪せた地図がはためく。 ピピ…… --……ったもので……。……こから流出……こへ来よ……る愚か者……ちません。ここは純血……も選りす……。身の程……に……ありませんよ。……しい……。……れですか。外……迷いこん……のでしょう、気に……。……し上げますよ……いえ結構で……頂き……。 ピピー……  私はある老鳥から、一葉の紙切れを受け取った。手帳の頁らしきそれは異端児のものであろう、拙い文字が書かれていた。以下にその全文を記載する。   この世の誰が鳥を愛でようか。   喜びも悲しみも、   愛でるすべも、   魂さえも、   拡散し、   漂う、   散り散りに。   幼い夢のさめる度、ひとりふたりと同胞は去り、   見送る俺の老いた肉は今や惜別の涙もなく朽ちゆく。   癒着した古い夢もろとも、人知れず、   散り散りに。     恒星の死ぬるが如く、       散り散りに。   弾けて、飛んで、鎖国して、   ウルサイ雛が何羽か死んだ。


コメント欄を表示する (6)
花緒 (2018-06-22):

私にはよくわからなかった。読める人がいるのか、一旦あげたいです。

R (2018-06-22):

花緒さん、 これ、元々の台詞じゃないバージョンがありまして……いや、なんというか、やり過ぎちゃいましたかね……。

かるべまさひろ (2018-06-23):

カギカッコの中身は申し訳ございません、ぜひもっと会話文の読書量を増やしてから挑戦して欲しいと思いました。 会話は、詩に扱うには簡易でいいので歴史を踏まえないと面白さが勝てないです。 三点リーダの多い箇所は面白く読めたのですが、会話が詩に用いる強さがなくて、本当にもったいないです。詩なら、現代口語演劇を上回って欲しいです。「鳥」が「散り散り」に鳴く様はもっとカオスだと感じました。 R 様の詩は基本的に総ての文字に意味があるので、考えて練られていらっしゃる点は大好きです。 でも、鳥が散り散りになるのか切なくなるには、もっと一読者の僕を鳥にして欲しくなります。 描こうとしてる部分は多分感動できそうな、人の侘しさに近いのかなと感じました。

R (2018-06-23):

かるべまさひろさん、コメントありがとうございます。 台詞は、そうですか。作品として思いっきり書いたのはこれが初めてですが、台詞で状況を説明する事と説明し過ぎない事のさじ加減が難しいです。台詞ではないバージョンの背景に流れる声を拾ってみた感じです、が、演劇。高校時代のみとはいえ、元演劇部員としては大いに反省せねばなりませんね。 歴史を踏まえるとか面白さについては、よく分かりませんでした。申し訳ありません。 「総ての文字に意味がある」そう言って頂けて嬉しいです。 今回ももちろん、総ての文字に意味があります。 「」の大部分は鳥ではない人の台詞です。 私は人ですが寝惚けた異端児なので、人も鳥もよく知りません(比喩的な意味でも、そうでなくても)。多分、鳥は各々よろしくやっているのでしょうし、人は人で相変わらずってやつかと……。「ハーフ」が本当に混血児なのか何かが擬態しているのかも私には区別がつきませんが、どっちでも有り得る気がします。ただ私は書き始めてから、(比喩的な意味での)鳥にも変わり者がいるらしいと知ったくらいですので、私の話はあてにならないかもしれません。

藤 一紀 (2018-07-17):

おはようございます。私は好きな作品だな、これは。どこがどうと言語化するのはちょっと難しいのだけど、何度も読みました。想像するに、さまざまな声で語られている状況が像を結んでいないために、誰が何について語っているのか読みとりにくいということなのかな、とは思うのですが、見えないところでなにがしかの事件というかドラマが展開していることを感じさせてくれます。それは「具体的にはこういうドラマなんですよ」というような明示はなくて、交わされたり発せられる「声」の背後に隠れていて、時々仄めかすように影をちらつかせる。奥行きを感じさせてくれます。その表面で「声」による展開があるのだけど、その「声」にも浮き沈みというのか、響き方の変化があって、「混線」にも似たはっきりとは聞きとりがたい声もある(個人的にはこの部分が最も好きです)。表面で聞こえる「声」と場面場面での声色の変化、そして、そこで何が、どんなことが起こっているのかが、だんだんと見えてくるようでありながら、それはやっぱりうっすらと想像するにとどまって、つまるところ、表面ですすむ展開とそうさせている何事かの見えなさは解決されない。けれども、最終部分では既に起こってしまったことになっていて、声の主たちは消え、何があったのかという謎はー読みながら「起こっていることを突き止めよう」と追いかけていた意識はー宙吊りになってしまう。この、なにかは明確にはわからないけれど、けれども重大な、痛ましいことが起こったにはちがいない、という印象はあとをひきます。複数の声と奥行きからなる立体的な作品に思いました。

R (2018-07-18):

藤一紀さん、コメントありがとうございます。 好きという一言も嬉しいけれど、何度も読んでくださったということが何よりも嬉しいです。そして、うっすうすの気配を拾い上げてくださり、ありがとうございました。もう死んでもいいや(極論)  先のコメントで触れました、「台詞ではないバージョン」を投稿することも考えていましたが、とりあえず保留にして、代わりに種明かしを……しない方が良いのでしょうかね。悩ましいです……余韻をぶち壊すことは避けたい。それに、種明かしをするにしたって、どこからどこまでを白状すれば良いのやら。


はじまりのおわり   

R 
作成日時 2018-06-30
コメント日時 2018-07-17

 

おばんでした。 はじめましてお久しぶりです。 私が私として、 あなたがあなたとして、 互いを認識しあったのは、 もう何度目になるでしょう。 2018年6月。  今の私に育つ前の私が詩を書き留め始めた日から、一年以上が過ぎています。それ以前のものは今頃、世界のどこかの0と1、あるいは、二酸化炭素と水蒸気とわずかな煤になって、それから……。    * * * あれは2017年の何番目かの持て余した夜のこと、 消えてしまったデータの思い出から詩を、 回る石っころに理想のキスをする為に8階の窓から何度も飛び降りる、 実際に見た夢のそのまんまの詩を拾い上げ、三番目のファイルに保存した。 100篇を超えたら、ひとつくらい人様に見せられるモノが出来るかも! そう思えるほどに幼い、 私は娯楽の海をわたりあるいてきた。 美しい町と村を巡り、 平面と立体、無機と有機、生物と無生物、 形の残るものと残らないものを、 取り込み、つくり、育て、遊び、記憶し、 また、わたる。 そして、辿り着いた新鮮で懐かしい町並みに、 それまでの思い出の全てを纏い、一歩を踏み出す。 「はじめましてお久しぶりです」と、 人の波にまざり、流れ…… 私は人間の一個体、回る石っころの表面に寄生する細胞のひと欠片。 私はR、Rはアール、Rはエル、Rはエレ、Rは…… 思えば、 詩の前には、空想画を描いていた。 その前には、服をつくっていた。 その前には、植物を愛でていた。 その前には、演劇を、手芸を、写実画を、音楽を……詩を、 次々と手に取り、玩んでは放り投げ、また拾う。 --100篇も書けるものか、そう嘲笑ったのは誰だっけ。    * * * 2018年6月。  Rは未だに詩の何たるかを解明出来ていないけれど、近頃の私は挨拶を返すことも、詩を読むことも出来なくなってきています--この時を(待って/恐れて)いた!  いつだって私を追い立てるのは私自身。愛するほどに薄汚さや綻びを注視してしまうのは私の性ですが、幸いにして、私の浮気性はいつか必ず走り出すのだから、その日が来たらアトリエ代わりのテントをたたみ、星を頼りに立ち去るだけで--夢たちの瞬く夜は、駆け出すのにぴったりだと思わない? 善悪に振り分けられない混沌は、神話のはじまりのようだから、 もし、今度また会ったなら、 私を私として認識する前に、 どうか私を忘れてください。 ね? ……したら、また。


コメント欄を表示する (6)
エイクピアエイクピア (2018-06-30):

何か神話のような古事記の始めのようなまさに混沌ですね。詩作についてのメタフィジカルな物語詩の様にも思えたのですが、具体的には 回る石っころに理想のキスをする為に8階の窓から何度も飛び降りる、 実際に見た夢のそのまんまの詩を拾い上げ、三番目のファイルに保存した。 ここが印象的でした。最後らへんの連には詩とは違うジャンルを「空想画」「服」「植物」などと辿って結局「詩」に回帰してしまう。100篇の詩。私は「R」なのか。最初に出て来る「わたしとあなた」。2018年6月の日付と共に「R」を対象化して居る私。「R」の変容、メタモルフォーゼ譚なのかもと思いました。

R (2018-07-01):

※補足(後出しでごめんなさい)※ 最初と最後らへんの…… 「おばんでした。/はじめましてお久しぶりです。/私が私として、/あなたがあなたとして、/互いを認識しあったのは、/もう何度目になるでしょう。」 「もし、今度また会ったなら、/私を私として認識する前に、/どうか私を忘れてください。」 この二か所は、拙作「はじめましてお久しぶりです」の最初と最後らへんからの引用(流用?)です。 https://www.breview.org/keijiban/?id=1196 --- エイクピアさん、コメントありがとうございます。 飛び降り自殺の夢でしたが、実際に昨年書きました。もう引っ越してしまったので、実現不可能ですが、忘れたくない楽しい夢の一つです。 「メタモルフォーゼ譚」そうかも! メタモルフォーゼと聞いて蝶を思い出しました。蝶のサナギの中身はどろどろしているらしく、妙に親近感を覚えます。蝶と違って私は羽化せず、どろどろと過ごしているだけなような……分からないことばかりが増えていく気が……。それでも、経験はいつかどこかで、ジャンルの垣根も越えて活きる。というか、活かしたいものです。 今年の1月に挨拶がわりの詩を投稿して、半年。ここで一つ区切りをつけておこうかなと、ちょっとした置き手紙、のつもりでした。

まりも (2018-07-13):

〈それ以前のものは今頃、世界のどこかの0と1、あるいは、二酸化炭素と水蒸気とわずかな煤になって、それから……。〉 デジタル世界で詩を書いてきた(データを残してきた)人ならではの感覚なのかな、と思いつつ、あるいは、で有機的な流れと繋がるところ、アナログ世界と同居しているところが面白いですね。 詩とはなんぞや、それがわからない、から、書いている、読んでいる、のかもしれませんが・・・ 絵画にも音楽にも映像にも、詩(詩情を喚起するもの)がある。風景にだって、観念にだってある。 ということは、つまり、自分の心と響き合うもの、そこに詩が生まれていて、それを言葉で拾ったら、(文字の)詩になるのかな。そんなことを考えます。

藤 一紀 (2018-07-16):

おばんです。 《私は人間の一個体、回る石っころの表面に寄生する細胞のひと欠片。 私はR、Rはアール、Rはエル、Rはエレ、Rは……》の箇所が強く印象に残りました。《私》というものの複数性をひとつずつ確かめるようでありながら、同時に真実何者であるのか問いかけるようでもある《私の》心の動きを感じました。

R (2018-07-17):

まりもさん、コメントありがとうございます。 Bレビューは投稿者が編集も削除も出来ないという点がとても気に入っています。デジタルだと消すのは一瞬ですが、ここにあれば、少なくとも私に消されることはない。  文字から映像が見え、音声が聞こえる。  音に殴られる日があれば、風景から言葉を拾う日もある。 「自分の心と響き合うもの、そこに詩が生まれていて、それを言葉で拾ったら、(文字の)詩になる」  そうですね、私もそんな気がします。文字(文章)を書くのが苦手なので、デジタル世界でなければこんなにも詩を書き留めることは出来なかったでしょうが、簡単に残せるのも……ある意味不便かもしれない、と最近は思います。

R (2018-07-17):

藤一紀さん、おばんでした。 コメントありがとうございます。  私は自分を、大勢の他人の一人に感じることがあります(自分=他人)。そうなると、他人=自分にも思える。言われてみれば、「《私》というものの複数性」を扱った作がいくつかありまして……今まで特に意識していませんでしたが、お気に入りのテーマなのかもしれません。自分探しかしら(苦笑)


投稿作品数: 107

© B-REVIEW 2018