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未必の故意   

地(🌐)球 
作成日時 2018-08-31
コメント日時 2018-09-27

 

墓石に水が流れた、 おとうさんは欄干でクビを吊った、 ぬるいリンゴ水を欲しがった   入道雲はだいきらいだ、 おとうさん、おとうさん   低かった空は、とおくなって彼方だ、 屋根に三角、たわむ電線、 季節変わりの混ざりゼミ、 ひとがみんな、畑に立てられている野菜、   手首のうすい動脈をみているわたしは、 ガタン、立ち上がった朝


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stereotype2085 (2018-08-31):

何これ!? という印象。あくまで良い意味で。自分が見たことのない、触れたことのない詩で、僕とは全く違うフィールド、違う道筋をとおって、地球さんは詩書きになられたんだろうなぁと感じます。とにかく新鮮。瑞々しい。何か表現の一つ一つが今が全盛なんじゃないか、とも思えます。詩の分析に走らず、「驚き」だけを書き連ねましたが、それだけ心地よかったです。

5or6(ゴロちゃん。) (2018-09-01):

おとうさん 物干じゃ首吊れませんぜ もっと大きい そう長くて丈夫いもんでないと ほうほう ステンレス製とな そりゃだめでしょう おとうさん しなってしなって ぐわんぐわんしますわいな おとうさん きいてま おとうさん おとうさん? あなたはわたしのおとうさん? 物干はあきまへん エセ関西弁もあきまへん おとうさん おかあさん おじいさん おばあさん おつるさん おひなさん おいわさん おけらさん おまえさん おちんちん ふぁ?

5or6(ゴロちゃん。) (2018-09-01):

欄干と物干という返詩です。

地(🌐)球 (2018-09-03):

stereotype2085さん こんにちわ。 もったいないことばをありがとうございます! わたしも何を書いているのかわからないので、だからなんだ?と問いたいことがあります。

地(🌐)球 (2018-09-03):

5or6さん レム睡眠中の返詩をありがとうございます! なんとなく負けた感があり、よんでいておもしろかったです!

鈴木 海飛鈴木 海飛 (2018-09-15):

街角diary という漫画を読んだときに 自死について深く掘り下げられた感覚がこの詩にもありました。 漫画では懇意にしていた顧客が突然自殺することを苦悩するある男について描かれていたのですが 男に声をかけるその言葉が今は細かくは思い出せませんが、 自死は論理的なものでなく、男に要因があるわけでもなく 雷に打たれたかのように、突然くるといったもの。 運命だとか、その人の普段の善行といったものでなく ただ、突然にくる。 私たちが意気揚々とすごしていたのに、突然わけもわからなくなって悲しくなるように とでも書けばいいのでしょうか、いい言葉が見つかりませんね。 最後のガタンが 次の行動にむかうようにとらえることも、 次の行動に抵抗するように立ち上がるようにも見えますね。 どちらで受け取っても、それは不思議なことに力を得た「癒し」もしくは「施し」になるのかもしれません。 (次はフランス映画をつかっていえば。あたまよくみえるもんね、。そういおう。きっとばれやしないべ。フランス映画最近みてないからぜんぜんわかんないもん。昔見た映画も忘れてる。あれ、あの人誰だっけな。作品名も忘れちまった。まぁ、いいか、そのまま書いちまえ) レオス・カラックスの監督の作品にかつて撮影助手か、色彩担当に携わるだったよーな人が監督となりある作品を作り上げました。 その人は女性監督で、えー、女性監督で。えー。立派な人です。そのぉ、すごい、すばらしい人です。 作品には母と娘と夫がでてきて、大層な事件が起きまして、ほんとすごい事件です。 それについて描いた作品なのですが、その目線がですね。これまたすごい。 あ、もう、こんな時間。すみません。そろそろ、自分の仕事に戻らなきゃいけないみたいです。 …とりあえず、映画のタイトルを思い出したら、また感想を書きにきます。

鈴木 海飛鈴木 海飛 (2018-09-15):

友達に言われて修正に参りました 感想のなかにある漫画は 街角diaryではございません。 海街diary  です。 大変失礼しました。

地(🌐)球 (2018-09-17):

鈴木さんおはようございます。コメントありがとうございます。そうなんです。わたしには自死しようと思っている強い意志があるわけではないのですが、仕事柄もあり毎日そのようなものやそれから自分自身と対峙する日々でいささか疲れ果てていたときにこの詩をかきました。タイトルはその日のニュースで言ってた言葉からとりました。漫画よんでみたいです。生きてまたお会いしましょう。

鈴木 海飛鈴木 海飛 (2018-09-18):

さっぱり訳のわからないことを今から書きます。 サンドリーヌ・ヴェッセ監督 「マルタ マルタ」 映画のタイトル友達に調べてもらいました。 ついでに最後のシーンがよくわからなかったけど、友達がヒントを教えてくれました。戯曲や絵画になっている「オフィーリア」だそうです。 私は見たのが、二十三歳かそこらだったので、この映画の宣伝文句「究極の癒し」がどうにも必要としていなかったらしく癒されることなく映画を見終わりました。ただ、謎は心に残ってました。 そして、この詩をよんで、「マルタ マルタ」「未必の故意」「オフィーリア」が繋がったのです。10年ぶりぐらいに癒しに触れた気がいたしました。 これは、文字で理解してもらおうとしてもなかなかにできないことなんです。 ヴェッセの映画に癒しの力があるように、この詩にもたしかな力がある。 ね、訳がわからないでしょ? だから、地球さんを誉めてのばします。 調子にのるのも才能です。 日に500人、新たな悲しみに嘆くなら 日に1000人 地(🌏)球は詩で癒すだろう。 そういう詩でした。 俺の方が長生きするのは、自信がありますが、年齢的に、もし生きて会えなそうになったら、この映画を見てくださいな。 ではではー。

クヮン・アイ・ユウ (2018-09-26):

一行目、ひと通りの事件の終わりのような、落着を想像しました。タイトルから、複雑な事情について考えさせられます。 墓石を流れる、まっすぐではない線のような水の流れが浮かびました。そして季節は、夏ではないか。 「ぬるいりんご水を欲しがった」のが一行目二行目よりも過去の場面なのだろうなと考えました。 「入道雲」が想起させるもの、あるいはそれ自身に投影するもの。 タイトルに使われた言葉を、私はここでは〈そうなるとわかっていて、ほっておいた」と定義づけて読んでいます。それはなんだったのか。命ではないのか。 「季節変わりの混ざりゼミ」には、感情の入り混じりを思いました。 最後に立ち上がったのは、「「そうなるとわかっていて、ほっておいた」未来にある結果」を招かないための行動ではないかと考えました。 ① 入道雲はだいきらいだ、 おとうさん、おとうさん   ② 低かった空は、とおくなって彼方だ、 屋根に三角、たわむ電線、 季節変わりの混ざりゼミ、 ひとがみんな、畑に立てられている野菜、   ③ 手首のうすい動脈をみているわたしは、 ガタン、立ち上がった朝 ①はかなしみ ②は抑うつ、諦め、無気力 ③は再起 そう読みました。

地(🌐)球 (2018-09-27):

鈴木さん ようやく返事を書きに来ました。けれどずっとあたまがからっぽなので、ろくなコメントができません。 鈴木さんの個人的な体験とわたしの詩が結びついていくのはきっとご縁ですよね。それは幸いなのだとおもいます、ありがとうございます。 とにかくこうしてわたしは、まだ生きています。鈴木さんともまた生きてあえると思いますし、無理だったら映画をみますね。 よろしくどうぞ、おねがいします。

地(🌐)球 (2018-09-27):

ユウさん ③は再起なのかはわたしにもまったくわかりません。わたしはがたんと立ち上がりましたが、それがこのあとどこへどう繋がっていくかはまだわからないから書けませんでした。 詩はいろいろな読み方ができるからたのしいですね。 未必の故意はニュースでやってました。病院でエアコンをつけなくて高齢者が死んだ事件です。 わたしは似たような仕事をしていますが、なんにせよどうせ人はすぐ死ぬのになにいってるんだろうとおもってました。わたしも誰かの未必の故意でここにいます。


Tender   

クヮン・アイ・ユウ 
作成日時 2018-08-29
コメント日時 2018-09-26

 

二つの道がある 言い淀んだその後に惨めな川が生まれる 流れるでも滞留するでもない 軸のないカラダになってしまった 軸のないカラダになってしまった 例えなければ、それはただの あまりにも ただの ん苛々するナァ なんやようわからん植物を ブドウと思って口に入れたときの 人生の方がよかった 食う前からまずいと決めて馬鹿野郎が 能書き垂れよる 能書き垂れよる ワシわなぁ 轢き殺されたいときかあるんじゃ 気に食わんからのう ズルしよるやろ みんな、ズルしよるやろう こんな世界で生きてナァ 何になるんや そこのアンタ 詩なんか書いてアンタ なんか答えてみぃや 黙っててよう、何のための詩ぃか 睨みつけてばっかり 人生が素晴らしいと言うんなら 心から誓えるか 叫べるんか ゆうてみろや 派遣社員 泥だらけ途中下車 右膝ジーンズの穴 穴、穴ぼっこ こりごりの穴ぼっこ 左膝、擦り切れた糸くず 有り金はたいて給料取りに行く 嘘みたいな巧妙 ヘルメット代、制服代 べんきょ出来ないからよくわからないけど何かの保険 言いくるめられた そう言えばあの時も言い淀んだな 流れるでも滞留するでもない 軸のないカラダになってしまった 軸のないカラダになってしまった 例えなければ、それはただの あまりにも ただの 苛々する 苛々して何かしでかすくらいなら そのまま竜巻にぶち切られて、その終わりと共に消えたい うまく生きられへんから うまく生きられへんから


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カオティクルConverge!!貴音さんカオティクルConverge!!貴音さん (2018-08-29):

eastern youthみたいな音で疾走し 感情を剥き出しにして読みたい 最近辛くなって泣いてた私を、傷付けながらも抱き締めてくれる あだすもうまぐいぎらんないからしゃ~

みうら (2018-08-29):

声が聴こえた。ユウさんの肉体が宿った詩だと思う。一読しただけだけどいいと思った。感情の走り出しがとてもよかったんだけれども、少し息切れした感じが最後残ったけど。またタイトルが良いよね。

杜 琴乃 (2018-08-29):

とにかく何を食べたのかすごく気になります!ヘビイチゴとかグミの実を食べてた頃を思い出しました。ジャングルジムにのぼって、それが食べれるのかどうかもよく分からないまま、毒があるかも...とかどこかで思いながら食べてました。あのちょっとしたスリル、とっても楽しかったなぁ。 もうそんな冒険はしないけど、冒険しない日々はなんだか生きづらく感じますね。 道行く人を指さして「あの人なんで禿げてるの?」とか「唾吐いてる!いけないんだ!」とか言えないですし。むしろその口を塞いでしまいますし。 この、ぶどうの部分と「みんな、ズルしよるやろう」の部分がとくにグサリときました。 すごく好きだけど、読んでると辛い、けど好きです。

エイクピアエイクピア (2018-08-29):

ただの不満のぶちまけとは違う、でも「ワシ」が語る「みんな」や「アンタ」に対する不満のぶちまけには真摯な側面があるでしょう。後半から出て来る派遣社員はキーワードでしょう。キーフレーズの様に始まりにも終わりにも出て来る「軸のないカラダ」とは何か。アンタとカラダを並べて自分の他者性を言うことも出来ましょう。ランボーの私とは他者であると言う言明。何か詩があると思いました。

帆場蔵人 (2018-08-30):

軸のないカラダになってしまった、流れるでも、滞留するでもない この言葉は何だろう?生きるのが難しい、というあっさり流されてしまうでもなく、その場に留まれるわけでもない、自身の在り方でしょうか。主体性のある存在になれない?派遣社員のくだりは、リアリティを感じました。何かの保険、とか言いくるめられる、など立場は違っても日常の中で時折、上手く言いくるめられているような不安。この派遣社員のくだりが凄く上手い、書き方だと思いました。 ぼくも うまく生きられへんから、 なのでしょうね。

まりも (2018-08-31):

〈軸のないカラダになってしまった〉この繰り返しがパツッと入って来るところと、〈なんやようわからん植物を/ブドウと思って口に入れたときの/人生の方がよかった〉ここからの、地声が聞こえて来るあたりから、動き出すところが、良かったです。 〈ズルしよるやろ みんな、ズルしよるやろう こんな世界で生きてナァ 何になるんや そこのアンタ〉 だから、ぶっ殺してやりたい、ではなく、〈轢き殺されたい〉・・・あまりにも純粋すぎて、この世に留まっていられない天使が、引き絞るような声でつぶやいたワンフレーズ、みたいだなあ、と思いました。 〈苛々する 苛々して何かしでかすくらいなら そのまま竜巻にぶち切られて、その終わりと共に消えたい〉 こうしたフレーズにも、まっすぐさというのか、誠実さというのか、そういう・・・人間性のようなものが、剥き出しで出ているような感じがありました。なまみの心をさらして歩いている、というのは、なかなか、しんどいだろうな、と思いつつ・・・。 ・・・俺はもう、情けないよ、なんでなんだよ、ご立派な大人が、れっきとした社会人が、なんなんだよ、恥しくないのかよ・・・ と、泣きたくなるような気持ちになる、そんなとき、が・・・ニュースを見ていても、新聞を読んでいても、あまりにも多すぎる。 仕事をしていると、どうしてもそういう人に遭遇せざるを得ない、逃れられない、ということもあるのだろうなあ、と・・・。

ふじりゅう (2018-08-31):

拝見しました。 上手いです。途中からの文体の変化、その仕方が絶妙です。主人公の人物像がくっきりと浮かんできて、読みやすい。そして読めば読むほど、その技術や奥深さにのめり込んでしまう。非常にクオリティの高い詩だと感じました。

stereotype2085 (2018-08-31):

諦念にも似た人生観を披露したあと「軸のないカラダになってしまった」と二度繰り返される。そう言えば僕も人生、試行錯誤している内にそう感じた時期もあったと振り返されました。デヴィッド・ボウイか誰かの曲、失念してしまいましたが「僕は年老いた」と繰り返される曲があるのですが、思い出しました。

IHクッキングヒーター(2.5kW) (2018-09-09):

苛苛するのはまだ期待しているからだ、とか言ってみたりして。適当言いましたすみません。 タイトルのTenderというのは理想なんでしょうか。優しくなりたい。

藤 一紀 (2018-09-10):

こんにちは。最後の一行にいたるまで、悲しみとも怒りともいいかねるような(この場合は混濁していて言いかねるわけですが)、惨めな感情に貫かれているように感じました。流れている「川」でしたし、軸の「ある」作品だと思います。

鈴木 海飛鈴木 海飛 (2018-09-15):

詩における ふたつの例えはTender につづく ぴったりとした単語を命中させたいのだけど 見つけづらい。 はがゆい姿にも思えた。ただ、それだけはないのでしょう。 言葉通りにとらえることができているなら 軸のない身体は 問いに対して答える 己の人生に対して応える 言い淀むことなんてしない そんなはつらつとは真逆の人間性のことだろう。 …ただ、それだけではない。 ふれにしてもTenderという単語は不思議だ パーツを組み立てて、完成品によって意味が変わる接着剤の様な言葉だから tender 【1他動】 ~を優しく扱う 【1形】 〔物・肉などが〕柔らかい◆【反】tough 〔年齢が〕若い 感動しやすい、感じやすい、敏感な 優しい、思いやりのある、親切な、情け深い 心配する、気を使う、気遣う 取り扱いが難しい、扱いにくい、面倒な 圧痛のある、触ると痛い 【2自動】 入札する、応札する 【2他動】 〔辞表などを〕提出する 〔礼・わびなどの言葉を〕述べる 〔配送物を〕委託する 《法律》〔弁済金を〕提供する ~を弁償[弁済]する 【2名】 提出、提供、申し込み、申し出 提供物、通貨、貨幣◆【参考】legal tender◆支払いに提供するもの。 《商業》入札 弁償金、賠償金、弁済金 【3名】 世話する人、看護人、〔子どもの〕おもり、番人、監督、整備[保守]会社 連絡船、補給船、補給艦、本船と岸の間を行き来する小型の舟 蒸気機関車の後ろの燃料石炭や水を積んでいる車両、炭水車 他にも、英語の例文をみてみる。 1a〈肉など〉柔らかい (⇔tough). a tender steak 柔らかいステーキ. b〈色・光・音調など〉柔らかな,弱い. the tender green of new leaves 若葉のほのかな緑色. 2a壊れやすい,かよわい,虚弱な,きゃしゃな. a tender constitution 虚弱な体質. b(寒暑に)傷みやすい. tender plants 傷みやすい苗木. 3触ると痛い; 感じやすい,敏感な. tender skin 敏感な肌. 4(他人に対して)思いやりがあって優しい; あわれみ深い,愛する. a tender heart 優しい心. 5限定用法の形容詞 若い,未熟な. a child of tender years=a child at a tender age [of tender age] 幼い[世慣れない]子. 6〈問題など〉微妙な,扱いにくい,難しい. a tender subject 微妙な問題. 面白いのは、看護人と監督という意味があることに注目したい、いや、そこに私とこの詩をつなぎとめるものがあった。 それは私が管理監督者であること。そしてその側面から業務を遂行する上で、tenderという意味から離れることがある。 けして、柔らかくはないだろう。時に問題のある労働者を「配置変更」という方法を迫られるものがある。 船と船をつなぐ小船は血管のように働き、私は小船の作業管理のような業務もする。 ときに別の小船の船長が時間にずぼらだったり、届けなければならない荷物を海に捨てたりするが、言い訳と文句は一人前のような人間を見る。 そういう人間は場合によっては船から降ろさざるをえない。 昼休みの休憩中は船長たちは信用をバンス( 前借という意味。古い船乗り用語 例、船で稼いだ給料、全部スッちまった。バンスしてくれる?だからもう一回船乗るわ。)して文句を「肴」として、笑いあったり、ときに親身に悩んだりもする。 そうだ、かつて自分もそうであったのだから。 だが、問題を起こした人間に対して、過失の具合によっては容赦はできない。tenderのままではいられない。 しかし相手は人間だ。代わりはいくらでもいるなんてよくできた世界じゃない。それは私の世界じゃない。 問題を起こした人間の過失は、場合によっては私にもありえた。それでも決断を選択しろと声はやまない。 tenderになりきれない自分やtenderを捨てきれない 二つの道に言いよどむ。 tenderという意味で同じ働く人間で、監督ではなく、看護人に思いを寄せる。 近頃あの世界では事件があった。大量殺人者が世間を騒がせた。驚くのは殺人者の言葉に堂々と同調するものもいる。 もちろん反対するものもいる、道がある時代には答えは誰かが見つけてくれた。それに従えばよかった。 確かに、産まれてまもなく欠陥が見つかったら殺していた時代もあった。 今は道も価値も多様化するなかで答えはどこにあるのかわからない。 だが、いずれ生きすぎて、生きすぎて欠陥がでる。いつか私にも出るだろう。 そのとき、他人には俺を殺してくれなんて頼めないから、俺も自然に頼むだろう。 いつか年老いてベッドで動けなくなった俺、その俺を見る看護人の目を想像する。 モノとモノをつないできた俺にも色々あったけど、ヒトとヒトをつなぐお前にもいろいろあるんだよな。 お前もきっと、言いよどむものがあるんだろ。違うのかな。まぁいいさ。 …なぁ、俺とお前は全然違うよな。 でもおんなじtender同士、お前を見てて、辞書にいい例文があったぜ。俺のおしめをかえながら聞いてくれよ。 Like the town in which he lived most of his life, he was tough but tender.

クヮン・アイ・ユウ (2018-09-26):

カオティクルConverge!!貴音さん様 コメントをくださりありがとうございます。 「〜疾走し感情を剥き出しにして読みたい」のところ、詩の朗読やポエトリー・リーディングの意味で受け取っていました。不思議なんです。同じことを考えていたのに、リーディングして録音したものを聴いてみると、雰囲気の違う音源になっていました。 「傷付けながらも抱き締めてくれる」という言葉、うんうんとうなづいて読ませていただいていました。ありがとうございます。 三浦天才詩人果実様 ありがとうございます。後学のために、可能でしたらまたいつか息切れについて教えてください。もちろん自分でも今から考えてみたいと思います。大切な気づきをくださりありがとうございます。 杜 琴乃様 ふと、小さいころに親に内緒で、しかも外で葡萄が食べられると喜んで口に含んだときのことを思い出しました。味は・・・思い出の味です。 「道行く人を指さして「あの人なんで禿げてるの?」とか「唾吐いてる!いけないんだ!」とか言えないですし。むしろその口を塞いでしまいますし。」 すごく共感します。本当にそう思います。言葉を覚えて、沈黙をそれ以上に覚えさせられたような。成長と悲しみとを感じます。 辛さを与えてすみません。ポリシーとして、かなしみをちゃんと描きたいという想いがあります。好きと言ってくださり幸せです。ありがとうございます。 エイクピア様 ありがとうございます。コメントを読ませていただき、自分の知識の無さを恥ずかしく思っておりました。未熟ではありますが、こうして多くの方から様々なお言葉をいただくことで、言葉の、詩の山を登る足がかりをいただいているような気持ちです。感謝しております。ありがとうございます。 詩があるとおっしゃってくださり幸せです。 帆場蔵人様 コメントをくださりありがとうございます。 むかし、実際に働いてよくもわからないうちに色々なお金をとられることがありました。何だろう?と思いながらも払いました。給料を受け取りに行くために交通費が必要なこと、小銭を数えるかなしみを知りました。 コメントをくださり、ありがとうございます。 まりも様 コメントをくださりありがとうございます。 自分で書いておきながら、コメントを読ませていただいて、何だか泣いてしまいそうになりました。 この詩は、ご指摘いただいた、 〈なんやようわからん植物を/ブドウと思って口に入れたときの/人生の方がよかった〉 のフレーズというか、詩情の核となる部分が心に浮かんだ時から書き始めた詩でした。ですので、そのようにおっしゃっていただけて本当に嬉しいです。ありがとうございます。 ふじりゅう様 ありがとうございます。 文体の変化の件、技術として意識的に出来ていれば、プロの詩人とまではいかなくても、もしかして日銭くらいは稼げるのかなというようなことを考えておりました。 縁あって、このような文体となりました。 お褒めの言葉、ほんとうにありがたいです。嬉しいです。ありがとうございます。 stereotype2085様 コメントをくださりまして、ありがとうございます。 おっしゃっていた楽曲、見つからなかったのですが検索していました。ぜひ聴いてみたいです。 軸のないカラダは、なぜ「軸のない心」ではなくカラダだったのだろうかと、自らに問いながら改めて読み直していました。 コメント、本当にありがとうございました。 IHクッキングヒーター(2.5kW)様 コメントをくださり、ありがとうございます。 期待の件、おっしゃる通りだと思います。ほんとうに、おっしゃる通りだと思いました。 理想や期待がどうしても入り混じる、あるいは滲んでくるような詩であったのかも知れないと、考えています。 ありがとうございます。 藤 一紀様 こんばんは。 コメントを下さりまして、ありがとうございます。 >>「悲しみとも怒りともいいかねるような(この場合は混濁していて言いかねるわけですが)、」 コメント内のこの文章にも、強い感謝を覚えました。伝わるように書いていただけるということの尊さを改めて深く感じました。本当にありがとうございます。 「軸のある」とおっしゃっていただけて、幸せです。ありがとうございます。 鈴木 海飛様 コメントをくださりありがとうございます。 皆様にも、鈴木様にもコメントを書いていただけるということへの感謝が尽きません。特にこれだけの文量と想い、本当にありがとうございます。 >>「軸のない身体は 問いに対して答える 己の人生に対して応える 言い淀むことなんてしない そんなはつらつとは真逆の人間性のことだろう。 …ただ、それだけではない。」 大変嬉しく読ませていただきました。 最後の例文素晴らしかったです。 どうしてでしょう。日本語でこれを書いたときここまで浮かび上がるものや、深く入り込んでくるものがあったのでしょうか。外国語が生み出した何かがあったのでしょうか。不思議です。 鈴木様のコメントを読ませていただきながら、自分は、今の自分はどのような立ち位置(例えば資本主義社会におけるヒエラルキーの中での立ち位置など)でこの詩を書いたのだろうかということを考えていました。 管理する側、される側、共通する人間の葛藤。コメントが詩だと強く感じ入りました。 ほんとうにありがとうございます。


てのひらに優しさが開かれる   

クヮン・アイ・ユウ 
作成日時 2018-08-17
コメント日時 2018-09-26

 

おばあちゃんと バスを待っている ただそれだけの詩 ただそれだけの詩情 麦わら帽子に 見えない風が吹きつける 海が割れる 吹き抜ける風 揺れないものが揺らす、なにか 往路の刺激も いつか必ず復路(あんしん)へと向かう 日焼け跡に影が射して 浴びた陽の光のことはなかったことにして もう一度夏を始めたかった そのコをとどめたのは、ゴム製の繋がりだった 柔く、不自由でもない力 たわむ時に痛みはなく ただ、あんしんだけを伝え合う 枝木はキリキリと声を上げて それでいて笑顔で その終わりをただ受け入れているよう 命の終わりに旅がある 最期の反動 相乗りして飛び立ったちいさな命が種を蒔くころ 空で優しく打ち合った ハイタッチの音こそ平和の 笑い声だった


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5or6(ゴロちゃん。) (2018-08-17):

最初の連でやられました。 今月の5or6賞です。 おめでとう㊗️。

ふじりゅう (2018-08-18):

拝見しました。 その技量に圧倒される詩です。全部いい!一つも推敲の余地が無いほど完成仕切っている印象です。 「ただそれだけの詩」→「ただそれだけの詩情」この流れにやられました。「復路(あんしん)」が平仮名な辺りも秀逸の限りです。 余談ではありますが、5連目にエロスの美を感じたのは私の勘違いでしょうか 笑

stereotype2085 (2018-08-18):

タイトルからしてもう目と心を惹きつけるに充分だと思いました。そして一連目の詩情を喚起するおばあちゃんとの関係性。もっと語りたくもなりますが、この辺りで。

仲程仲程 (2018-08-18):

やはり始まりの雰囲気がよくて引き込まれていきます。 最期の反動 まで、いろんな心情や景色が浮かんで、よくわからない部分も含めてじわじわ入り込んできます。 しかし、私個人の感受性のせいでしょうが、最終連が入ってきません。その直前までがすごくいいので、みなさんは最終連でどのようにその世界を感じたのか、どうも気になってしまいます。 失礼しました。

みうら (2018-08-19):

最期の反動とは見えない風であり、揺れないものが揺らす、なにかであり、その得体の知れない風はゴム製で繋がれていた安堵を飛ばしてしまった、その時を「最期」とし、風を「反動」とする隠喩だと思う。バスを待つとは、あるいはバスが来て乗ってゆく、誰かと誰か、あるいは語り手自身の「別れと旅立ち」だと最終連を違和感なく読める。以前に、ユウさんの過去作で、「ユウさんの作品は出口がない世界観だ」みたいなことをコメントした記憶がある。仲程さんがおっしゃってる、最終連が入ってこないというのにも、その世界観は類似なものかもしれない。しかし、ハイタッチという言葉が、ギリギリ出口を私には見つけられるようにしてくれた気がする。 苦悩するユウさんは詩を見つけたのだろうか。なんだか、次回作あたりで目が醒めるような一撃を喰らわしてくれそうな気がしてならない。本作で、試しの空撃ちをした感じがする。

クヮン・アイ・ユウ (2018-08-20):

5or6(ゴロちゃん。) さま コメントをくださりありがとうございます。賞まで! 生活の中で、はじめのワードが頭の中に浮かんで来ました。そこから書き始めて終わりまで駆け抜けた作品なので嬉しいです。 ありがとうございます。

クヮン・アイ・ユウ (2018-08-20):

ふじりゅうさま コメントをくださりありがとうございます。 5連目の件、嬉しく読ませていただきました。 これからも精進いたします。

クヮン・アイ・ユウ (2018-08-20):

stereotype2085さま コメントをくださりましてありがとうございます。 争いに拳を握るイメージがあり、ただ開くだけでは何かが足らず今回のタイトルとなりました。 今後も勉強してゆきたいです。 ありがとうございます。

クヮン・アイ・ユウ (2018-08-20):

仲程さま コメントをくださりありがとうございます。 最終連に対してのコメント、ありがくよませていただきました。 以前他の方にもご指摘いただいたのですが、私の詩には多く飛躍(?)や場面転換があり、その際に読者をどこまで連れて行けるかという点において考えてゆかなければならない部分がございます。 今回もおかげさまで考えることができます。ありがとうございます。 もしかしたら、詩作時に「れいせい」がもう少しあってもよいのかも知れません。

クヮン・アイ・ユウ (2018-08-20):

三浦⌘∂admin∂⌘果実 さま コメントをくださりありがとうございます。 三浦さんからのコメントに触れると、多く闘うことへの気持ちを思い出します。ありがとうございます。 丁寧にコメントを書いてくださり恐縮です。 次回作の行方はわかりません。 今作の終盤に「出口」を辛うじて見ていただけたこと、嬉しか思います。 あきらめた後の欲と無縁のなにかに美しさを感じてしまいます。

るるりら (2018-09-04):

なんだか 一本締めを 作者さまと共にした感じがします。 とても きもちがよいです。わたしも賞をさしあげたいで賞。よーぉ。ポン。

クヮン・アイ・ユウ (2018-09-26):

るるりら様 一本締め!ありがとうございます! 恐縮です。 「きもちがよい」と言っていただき嬉しかったです。ありがとうございます。


じゃんぱら   

湯煙 
作成日時 2018-08-15
コメント日時 2018-09-21

 

アパートの賃貸契約が成立した半年後に、大家さんから頂いたノート型パソコン - TOSHIBA・SATELLITE - の、調子がおかしくなった。いくつかの文字がキーを叩いても表示されなくなり、タイピングできなくなってしまったのだ。変換キーを押せばなぜか同じ文字ばかり、aaaaaaaaa...... いつまでも勝手に連打され続けてしまう。新手のウィルスによる仕業か?とも考えたが、やはりキーボードがおかしいのだと結論づけ、買い取りを依頼するために中古パソコン専門店に出向いた。 さっそくお店に事情を話して査定となり、店内をうろつきウィンドウに並ぶデスクトップやノートパソコンや周辺機器を眺めていると、10分後には手渡されていた番号を呼ぶアナウンスが流れ、カウンターに向かった。3000円とのことだった。店員によるとこれ以上は無理らしく、修理も可能だが時間も費用も必要であるとのこと。仕方がないので買い取り成立とし、サインをして現金を受け取り店を出た。途方に暮れたが次のボーナスの足しにして買い換えることに決め家に帰った。 三月が経ち、ボーナスを叩いてノート型パソコン - Apple・MacBookPro - を、買った。自宅に帰り部屋で箱から白い発泡スチロールに嵌め込まれた本体を取り出すと、メタリックシルバーにブラックのツートンカラーが落ち着いた雰囲気を醸し出し、世界一薄いとの触れ込み通り、上部下部とともに縁が鋭くてなめらかにカーブしているせいか、開くと鮫を思わせるシャープな印象が魅力的に感じられた。鮫の口を開くと下顎にはマットな黒い歯が居並び、叩くと音は吸収され、そして思いのほかそのシックな触り心地が指先からなにからすべてを鷲掴みにした。しばらくは鮫にLionを与えたりしてはオリジナルのキャラクター作りなどで機嫌を取り世話に勤しんだが、一年後に翌月分の家賃の足しにと思い、買い取りを依頼するために中古パソコン専門店に出向いた。 さっそくお店に事情を話して査定となり、店内をうろつきウィンドウに並ぶタブレットやスマートフォンを眺めていると、10分後には用紙の番号を呼ぶアナウンスが流れ、カウンターに向かった。買い取り額は80000円とのことだった。店員によるとこれ以上は無理らしく、まだ美しい鮫肌を保ちまだまだ子孫を残すとのこと。仕方がないので買い取り成立とし、サインをして現金を受け取り店を出た。とりあえずはATMへ向かい家賃や光熱費の支払いを済ませ、残りは次のボーナスと足しにして新しく買い換えることに決め家に帰った。 三月が経ち、パソコンを叩いて得た額の残高3分の1とボーナスの半分とを足しにして、世に出回り始めたスマートフォン - SONY・Xperia - を、-ソフトバンク- と回線契約し、買った。自宅に帰り部屋で箱から白い発泡スチロールに嵌め込まれた本体を取り出すと、カッパーグリーンに染まるガラス張りの裏カバー、外枠にはメタリックシルバーというツートンカラーが爽やかな雰囲気を醸し出し、世界中で一番高級感あふれるとの触れ込み通り、表の画面には自身の顔から背後に広がる景色の隅々まで写りこむ保護シートに護られた鏡面仕様のせいか、手にすると月を思わせるミステリアスな印象がいつまでも魅力的に感じられた。月の面を照らし出すと南には小さなスクエア型のアプリを表すイラスト付きクレーターが居並び、北には太陽暦やバッテリー残量や位置や通知クレーターにwifi通信状態や地域の気候を表す絵文字クレーターにローマ数字やマーククレーターが所狭しと並列した。東には無人の砂漠に舞う一枚の若葉があり、西には無人の砂漠に舞う一枚の若葉があり、さらに西には砂漠の大気中に舞う一枚の若葉に一つの十字が重なり、中心を軽く押さえつければその上に衛星からの電波を受け、自動更新が為される便利なウィジェットクレーターを張り付けることも剥がすこともでき、そして思いのほかそのサディスティックな触り心地が指先からなにからすべてを鷲掴みにした。しばらくは月の面を点滅させたり回転させたりしてはオリジナルの月面クレーター作りなどで競い合ったりあちこちに散らばる無数の月同士とで友達作りに勤しんだが、キーボードを叩けば、!!!!!!!‥‥‥‥ と、同じ記号ばかりがいつまでも適度に連打され続けてしまう。新手のウィルスによる仕業か?とも考えたが、一年後の雨の日につるりんと雨とともに落下し、足元でビリビリと蒼白い光を放ち割れた。キャリアショップへ持ち込むと、保険は未加入だったため修理代に20000円近くの費用が掛かった。二週間後。手元に戻ってきたので買い取りを依頼するために中古パソコン専門店に出向いた。 さっそくお店に事情を話して査定となり、店内をうろつきウィンドウに並ぶVRやカセットレコーダーやガラケーを眺めていると、10分後には用紙の番号を呼ぶアナウンスが流れ、カウンターに向かった。買い取り額は0円とのことだった。店員によるとこれ以上は無理らしく、修理も時間も費用もなにも!とのこと。仕方がないので買い取り不成立とし、サインをすることなく店を出た。途方に暮れたが次のボーナスすべてを叩き、そしてキャリアを変更し、新しく買い換えることに決め家に帰った。 二年と三月が経ち、先日部屋でTVを点けたら、唐突に何やらたくさんの人たちの声が流れた。よく聴けば‥‥ JYAMJYAMJYAM‥‥MPALAJYAMPAL‥‥‥JYAMPALAJYAMPALAJYAMPALA‥‥MPALAJYAMPAL‥‥‥JYAMJYAMJYAM‥‥ いつまでもリズミカルに連呼し続ける、ただ耳障りなだけのシンプルなコマーシャルだった。新台入荷を知らせるパチンコ店による仕業か?とも考えたが、とくになにもおかしくはないと結論づけ、翌月に給料が入ればHUAAAIII製の液晶TTTTTTを近くのリサイクルショップ - ひまわりeeeday - に持ち込、購する─火洋、?!‥‥‥tttりnn磯─・・ ─mm ‥‥m i 取w ─ ?。── 頼 i tと う ‥ 、‥!!───── ── ─


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まりも (2018-08-17):

1、2、連、いささか丁寧過ぎないか?と思い、3連、4連、ここは純粋に面白く、5連、6連、妙に現実というのか、リアルに戻ってき過ぎてる感、が出ているのではなかろうか、という・・・自分の「好み」に寄り過ぎているライトレスですが。5、6連、特にテレビが出て来る当たり・・・実は5連で語り手はパソコン内部に取り込まれていて、パソコン画面の内側から室内を見ている、的な転換があるとどうなんだろう、とか(誰もが思いつくようなアイディアですね、はい。)

みうら (2018-08-17):

これは一体なんだろうかと一読して思ったんだけど、世間に潜む都市伝説的な感もあり好ましくもあった。タイトルからしてノンフィクションを思わせながらも物語の風味がある。PC買取ショップの対応ってどことなく、近未来な感じがする。本作にもあるような、陳列されている商品群をみると。他の小売店とは違う空気がよく出ている作品だと思った。

湯煙湯煙 (2018-08-18):

・まりも さん 丁寧に過ぎましたか・・・なるほど。全体に淡々とした説明口調がよいのかなと、そんな感じからでしたが。バランスは良くないみたいですね。 パソコン内部からといったアイデア、箱男のような世界でしょうか。 あるいは箱・作品そのものという。最終二連はまるごとオチ、破といったものになるかと。そのあたりやや引きづられた感はあります。 ありがとうございました。 ・三浦⌘∂admin∂⌘果実 さん そうですか。そのあたりは御想像に・・・お任せしますが。都市伝説説、あるいは陰謀論等ありますが面白いですね。中古ショップは同じ商品でも状態から何から細かにランク分けされていましたり、過去に販売された懐かしいものが埃を被るなか世から視線を受けることもあり値が上下したり、物の流れも速いですし。売り買いはなかなか勉強にはなるかと。 ありがとうございました。

stereotype2085 (2018-08-18):

一連、二連目のしつこいほどの描写のあと、三連、四連目での畳みかけるような展開と締め、純粋に面白いと思いました。これは着想勝負の作品で僕が抱いたようなシンプルな感想を期待していたのなら、今作は大いに成功していると思います。もっと深読みも出来そうですが、僕はこの辺りで。

かるべまさひろ (2018-08-18):

先日、じゃんぱら使いました。

右肩ヒサシ右肩ヒサシ (2018-08-18):

湯煙さん、こんにちは。 これ、好きです。何年前だったか、iPad miniを最高買取価格で取ってもらったので、僕の中でじゃんぱらも評価高いですよ! お伽話によく見られるパターンを踏襲していますね。花咲爺さんとか。この現実的記述がぐにゅっと歪んでいく感じが心地よいです。 僕も使いこなした試しがないのに随分こういうガジェットにお金を使いました。

湯煙湯煙 (2018-08-24):

・stereotype2085さん シンプルな作品ですからシンプルな感想を期待していましたので、これでよいと思います。深読みもありでしょうが、JYAMJYAMPARAPARAには勝てないかと。 ありがとうございました。 ・かるべまさひろさん そうですか。おそらく良心的なお店ではあるかなと思いますが。次々と新製品が出回りますから、下取り下取りと、なるんでしょうね。 ありがとうございました。 ・右肩さん そうですか。私も同じく評価が良いお店ですね。たしかに使いこなすまではおそらく全然かなと。もちろん楽しさはありますが。 なるほどお伽噺なんですね。少しリアルにひとつグニャリさせたかのような。そういえばLEDを買うといった作品が右肩さんにはたしかありますね。思いだしましたが。 ありがとうございました。

澤あづさ澤あづさ (2018-09-09):

※このコメントは8月選評です。作者様でなく閲覧者様に向けて執筆しました。またこの評はわたしの感想すなわちわたし自身の表現であり、作者様には関係も責任もありません。 ネット廃人のリアルにネットが侵食してくるのはよく見かけますが、端末機器の説明が詩的な比喩に侵食され「端末とともに現実が壊れていく感」が醸成されるのは、初めて見たような気がします。なんという「ネット詩廃人」。と勝手に思いました。 詩的な感性の家電大好き男子という、およそ完璧な非モテ系の、端末・経済・詩的表現・キーボード打ち込みが、まこと淡々と破綻していくさま。MacBookの詩的な説明だけでも突っ込みどころは満載で、Xperia以降はツッコミを入れるのも面倒なほど、現実の多側面が盛大に破壊されています。こんなの笑うしかありません。 わたしは文学極道版(http://bungoku.jp/ebbs/20180815_465_10678p)のほうが好きですが、こちらはこちらで「素で淡々と壊れていく感じ」が強く出ていて、とてもよいと思います。

湯煙湯煙 (2018-09-13):

澤あづささん かれこれ七年以上のものになります。ほぼ実話です。ですのでバージョンアッ プ・バージョンした次第です。そうです、素で淡々と。そうした詩情を出したかったのだと、あらためて思いだしました。再来月あたりにはHHHHUWaiieのスマホにしたいと。時代はMade in Chinaらしいですし・・・・・ありがとうございました。

藤 一紀 (2018-09-14):

こんばんは。さっき、読み直していて、いきなり、あれ?面白いんじゃないか!? と、思って何度目かわかりませんが、読み直してみたら、やっぱり面白かったです。調子が悪くなったり、他の理由があったりで、交換していく、ということ(の「繰り返し」は昔話などに見られますが)、と、そのいちいちを記述していく、ということ、そして、記述していたらまたもやぶっ壊れてしまう、というオチ(というふうに読めました)。そこのところで、それまで読んできた内容が、文字通り「過去に起こったこと」であり、それを「いま、順を追って記述している」ことで、その繰り返されてきたことを読んでいると思いきや、まさにここで起きるのにこちらが立ち会わされる、という構造。いやー、何度でも読んでみるものですね。

湯煙湯煙 (2018-09-20):

藤 一紀さん 遅くに、申し訳ありません。 当初はhead/body/footまでただMacBookのくだりのみをループするだけのものでしたが、 スマホの誕生などを受け加筆修正を行った次第です。出落ち?になるんでしょうか。良し悪しはともかく結局はまた壊れかけてと。ただこちらの最終連については説明になってしまい、安易だったかと思います。モノ─コトをめぐりつつ変容する意識なり身体なりにまで踏み込めればと。そんなことも思わされましたが。あくまでライトです。昔ばなしという指摘はなるほど、面白いですね。はい。 ありがとうございました。

藤 一紀 (2018-09-20):

あー!ということは、最終連は、 《よく聴けば‥‥ JYAMJYAMJYAM‥‥MPALAJYAMPAL‥‥‥JYAMPALAJYAMPALAJYAMPALA‥‥MPALAJYAMPAL‥‥‥JYAMJYAMJYAM‥‥ 》から、語り手自身が徐々に変容していくということですか!? だとしたら、読みが浅かったです!惜しい! この箇所が何かしらキーになっている気はしてたのになあ! 読む→立ち会う、という〈作品〉と〈読み手〉の関係の変化、という構造に「おお!」と思っていたのですが、そこで止まってしまいました。まさか語り手の変容にまでも立ち会わされる造りだったとは! いやいや、そうするとますます面白いですね。

湯煙湯煙 (2018-09-21):

藤 一紀さん そうです、と言いたいですが、そこまでの深読みは想定外でした。混乱に近い感覚かもしれません。たしかにkeyには変容/変換されましたが。 いやいや・・・色々な御感想があり、興味深いです。 ありがとうございました。


【選評】もどきのEある算数(フル)   

こうだたけみ 
作成日時 2018-08-15
コメント日時 2018-09-20

 

はじめに 算数には計算力だけでなく問題文を読み解き答えを導き出す能力が求められます。私の通っていた大学の成績はABCの三段階で成績がつき、Dは落第、Eは試験を受けなかったため判定不能(落第)でした。現在の私の算数にはおそらくE判定がつきます。つまるところ私には、詩を読み解き再構築するための論理的思考力が足りないばかりか、批評を書くというスタートラインにすら立てていません。そんなわけで私の選評はあくまでも「もどき」ですが、イーアルサンスー(イチニサン詩)と段階を踏んでいつかは、選評が書けるようになりたいと思っています。全員キュレーション制という学び(真似び)の場を与えていただき心より感謝します。 【大賞】 百均さん「惑星メメシス」 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2008 ごく個人的な話をします。 私は即興ゴルコンダ(仮)というサイトで百均とは別の名前を名乗っている彼と仲良くさせてもらっていて、彼が立ち上げに参加するサイトを応援したいな、でも文極は苦手だからどうだろうかと様子見してからこちらへやってきました。百均さんがいなくなってしまえば私の当初の目的は消えここにいる必然性はなくなってしまうのですが、これまでいろんな方と交流させていただいて、今はこのサイトそのもの、新運営の方々、そして参加者すべてを応援したいという気持ちです。 さて、「惑星メメシス」は、というより私がここへ出入りするようになってから投稿された百均さんの作品は、ゴルで見てきた私の好きな彼の詩とは異なるものでした。書かれているモチーフが苦しいから、という理由からだけでなく、なんでこんなに苦しそうなのだろうかと思いながらコメント欄を見ていたのですが、彼が苦手とする誤字脱字の見落としや推敲不足の指摘が多いのを見て、そうかそういうことかと合点がいきました(独り合点の可能性も大いにあるけれど)。 誰にでも、向き不向きというものがあります。私は、何度も練習すればある程度できるようになるものと、どうやってもできないものとがあると思っていて、できない部分はできる他人に任せて自分のできる部分を伸ばしていけばすべて丸く収まるんじゃね?と考える質です。推敲に関しては本人にしかできないけれど、誤字脱字なんて誰かに見せて直してもらえばいいっしょ、と思うのです。ですから、文法の決まりや自分の好みばかり押し付けてもとの詩情を壊す、なんてことを決してしない人、あるいは、指摘されても百均さんが軽い気持ちで反論できる人に赤を入れてもらえばいいのではないかと思っています。そして少しだけ荷を降ろして肩の力を抜いて、書いてくれたらいいなと思っています。そう、百均さんには書き続けてほしいと願っています。 もしかしたらビーレビで百均さんの詩を大賞に推すチャンスはこれで最後かもしれないと思ったので、非常に個人的な理由により「惑星メメシス」を大賞に推薦します。私は言葉でなくイメージが飛んだり跳ねたりして予想もつかない場所に着地しては知らない景色を見せてくれる、百均さんの詩が好きです。この選評もどきが徒労に終わりますように。 【優良】 地(🌐)球さん「摂氏37℃」 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2042 〈わたしの抜け殻が夏の真ん中に取り残された、そのようにつまらない孤独です。〉 この最初の一行がとても好きです。〈わたし〉はつまらないと断定しているけれど、〈わたしの抜け殻が夏の真ん中に取り残された〉光景を思い浮かべるにつけ、いやいやそれつまらなくないでしょって言い終わる前に、とても柔らかい布みたいな比喩の上に孤独をポンと置いて踵を返しあっという間に人混みに紛れてしまう〈わたし〉の後ろ姿を見た気がしました。 ただ、孤独にはこんなにもすてきな比喩を用いるのに最後の一行の〈狂した人の声〉には冷たいのねって思いました。 羽田恭さん「見えない向こう」 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2029 いいなと思いました。私がこの動物を好きだからというのもあるけれど。馬かな、人ではないよな、なんか動物の、あ、牛だ。何が産まれでるのかわからないところまで〈見えない向こう〉なのだなと思いました。ひとつ残念なのは、タイトル直後に目に入る一行目にも〈見えない向こう〉という言葉が出てきてしまうこと。これが別の表現であったなら、あるいはタイトルが最後の一行〈覗きこむ〉であったなら、私は、とてもいいなと感じたと思います。 survofさん「カタルシス」 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2034 私はsurvofさんのファンなので、その月の作品の中で一番好きなものを大賞に推すならば、毎月survofさんを選ぶのではないかと思われます。とくに私の好みは軽さがあることなので、「カタルシス」はたいへん好みです。今回踏みとどまったのは、百均さんを推したかったからということとは別に、最後の〈僕はもうカタルシスなんていらない〉という言葉が引っかかったからです。私は書くという行為、あるいは語るという行為にはカタルシス(浄化)があると思っているので。この語り手を、そうは言っても語ってるよねって笑い飛ばしていいのかどうか。作者を、そうは言っても書いてるよねって笑い飛ばしていいのかどうか。それができるならさらにこの作品は軽くかるくなるのだけれど、この終わり方では迷ってしまうなあと思いました。 【推薦】 ゼンメツさん「無題」 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2010 初読では、語り手のイライラが感染して私までイライラしたけれど、コメントをざっと読んで澤あづささんの評で見え方が変わり、二度目に読み終わった時にはふふっと笑っていました。これは澤さんの評がなければ体験できなかったことで、批評ってすごいって思いました。貴重な体験をありがとうございますの推薦です。 今田千代(イマラチオ)さん「イマラチオ」 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2019 【バイバイコレクションC-SIDE】が入っているほうです。 〈1に気を付け 2に構え~で/3.4が無くて 5に発射!〉が作品の全体像そっちのけで好きで、見るたびに笑いがこみ上げます。そしてこの作品のコメント欄も興味深い。未読の方は、ぜひコメント欄も読んでください。私はとてもおもしろがっております。 植草四郎さん「イカす詩編①」 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2030 ちくわ詩人さんがイカ詩人さんに変身しました。最後のイカスミはただ顔にかかるだけではなくてもう一捻りあったらもっとたのしかったのになあと思いました。うーん、墨をつけるから羽子板とか? 無理があるか。 タイジュさん「パイナップルに関する6つの話」 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2036 これもおもしろかったです。6の部分が、もっとアドレナリンが出てきていることがわかるように(やたら饒舌になるとか)書かれていたら、もっとおもしろかったと思います。 以上、最後のほうは笑えるものに走ってしまったけれど、こうだは7月の投稿作をこのように読みました。はいその通り、ただの感想ですごめんなさい。みなさんの詩とコメントと選評を読みながら、少しずつでも成長できたらいいなと思っております。ああ、もう締め切りの時間だ。 最後まで読んでいただきありがとうございました。


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survof (2018-08-16):

取り上げてくださってありがとうございます!とても嬉しいです。 <この語り手を、そうは言っても語ってるよねって笑い飛ばしていいのかどうか。作者を、そうは言っても書いてるよねって笑い飛ばしていいのかどうか。> ここ鋭いです!当然この部分はそういうツッコミ待ちの部分であり、タイトルを「カタルシス」としたのも、結局あの作品そのものが一種のカタルシスだからです。「カタルシスなんていらない」って吐き捨てること自体がカタルシスになっちゃってるんじゃんって、まさにこうださんのご指摘の通りの効果を狙ったのですが<この終わり方では迷ってしまうなあと思いました。>というご指摘、真摯に受け止めます。ありがとうございました!

こうだたけみ (2018-08-16):

survofさんへ あ〜いい線いってたのに読み切れなくてごめんなさい。というか愛が重くてごめんなさい(全体的に)。 せめて5ミリくらい(見てわかる程度)は成長したいです。精進します。

みうら (2018-08-16):

こうだたけみさん 選評文について感じましたことをコメント書込みます。 こうだたけみさんの選評文はめっちゃ謙虚です。ビーレビに限らず、既成の選考・選評はどうしても上から目線に思えてしまいます。ビーレビの全員参加型選評が参加者個人の発露によるものであることの副産物として、そのような権威感覚がなくなってしまえばいいという願いがあります。選評文の参考にしたくなりました。読みやすくて。ありがとうございます。

こうだたけみ (2018-08-16):

三浦さん、コメントありがとうございます。参考だなんてとんでもないです。 この間の、運営の方も選考対象としていいというアンケート結果を元にこれを書いたのですが、もしかして新しい運営の方限定の話だったんですかね? そしたらこれ勘違いですねえ。かなりがんばって書いたんだけど。やっちまったぜ〜。

ゼンメツゼンメツ (2018-08-16):

ありがとうございます! こうださんにも澤さんにも! 感謝しきれません! 百均さんのは僕が勘違いしてたみたいですごめんなさい! へこんだり元気になったり頭がぐるぐるです!

こうだたけみ (2018-08-16):

ゼンメツさんへ いや、私が勘違いしているのかも。したら本当にスタートラインにすら立ててないので、これは笑ってやってくだせえとしか言えない案件。まあ、それも私らしくていいかー。

地(🌐)球 (2018-08-16):

こうださん はじめましてこんにちわ。最初の一行からみえる景色を説明してくださって、わたしも改めて最初の一行がとてもすきになりました。選んでくださってうれしかったです。 最後の一行は右肩さんにもコメント欄ではてなを頂いたので、きっとなにか理由があるのだろうとおもいます。 話しはかわりますが、わたしもメメシスがすきです。

こうだたけみ (2018-08-16):

地(🌐)球さんへ はじめまして。 最後の一行が好きになれない理由を考えていました。早急に終わらせようとした感じ、これでいいやっておしまいにしてしまったようで、一行目の丁寧さとチグハグに思えるのが理由、かなあ、と思っているところです。いいチグハグさではない感じ。 ひとつ謝らせてください。作品のコメント欄に書いたものはとても言葉足らずでした。ごめんなさい。 摂氏37℃は気温なのか体温なのかという疑問が湧いて、当然作者はどちらにもとれるような温度を選んだはずだから愚問だったと気づいた後に、37℃は微熱だけれど気温とともに上がっていくようならばそれは熱中症かもしれない。作中の二人は〈アイスコーヒーを飲んだ〉のだから脱水症状を起こしたら大変。どうか気をつけてね〈二人〉。 これが私の言いたいことでした。 私はどうも思考が脱線するというかバラバラと解けていくクセがあって、自作の中でも一続きの文章の中で、モノローグと二人以上の他者への呼びかけが混在することが多々あります。訳のわからないコメントを書いてしまってごめんなさいね。 はい、メメシスも含めて、百均さんの書くものが好きです。

澤あづさ澤あづさ (2018-08-16):

拙文にまでご言及いただき恐悦至極です! 栄誉です! 至福の極みです! うっかり長々書いたからには、もちろんあわよくば読まれたい。だから早めに出したのだ、読まれたくないのに書いてる人間などいるんだろうか。うっかり長々書いた甲斐がありました! 全員キュレーター制万歳!! 気を取り直しまして、こうださんの選に(貴音さんの選にもありましたが)タイジュさん「パイナップルに関する6つの話」が入っていて幸せになりました。4連の置きかたがすさまじく気になり、入れるか入れないか最後まで迷った挙句、「わたしにはこの詩の魅力を説明できない」という理由で外してしまった作品のひとつだからです。そんな理由など、こうださんのお作にわたしがつけた理由と同じく「おもしろい」の一言でよかったんですね。悔い改めます。 百均さんはわたしも対象外と思って選評を書きましたが、すっかり新運営にも了解されて、最高にすてきな勘違いでしたね。ゼンメツさんが書いてらした通り、本来全員キュレーター制が発足した時点で選考対象になるべき書き手だったのだから。全員キュレーター制万歳。

こうだたけみ (2018-08-17):

澤あづささん、コメントありがとうございます。 澤さんの貴重な選評をリアルタイムで拝読できることによろこびを感じています。私は文極がどうも苦手で、あちらへ読みにいくことができなかったので。 評を読むことで視界が一気にクリアになる体験ができたこと。作品を再構築されてよろこぶゼンメツさんの姿を見られたこと。この二つの出来事は、私の中の「批評」のイメージをプラスのほうへと変化させてくれました。ついでに批評を書くことへの苦手意識まで減らしてくれないかなと期待していたりするのですが。 推薦作に関しては、いくらもどきでも何がどうおもしろかったかを書くことくらいはできただろ自分、と後悔しております。優良を書き終えた時点で残り時間が30分を切っていたため、締め切りに間に合わすことを優先してしまいました。もっと早くから準備していないとだめですね。次回の課題とします。 百均さんの詩がまた読めるようになるといいなと思っています。全員キュレーター制万歳。

地(🌐)球 (2018-08-17):

こうださん わざわざありがとうございます。そんなご丁寧にあやまられると却って恐縮してしまいます。7月の投稿分は時々見ていましたがトップページにあがってこないので見逃していました。コメントをいただいたのに返信できておらず失礼しました。 書いて投稿をした日はたしか34度くらいだったとおもいますが、連日酷暑で参っていました。なので気温です。 最終行がいいチグハグさでない、とストレートな評価はたいへん勉強になりますのでありがたいです。右肩さんにいわれたことと併せてかんがえてみたいです。 わたしは頭の中できりばりして詩をつくることが多くあって、この詩もいくつかの文章がまざってできています。 わたしの中では理由があってきりばりをしているのだろうけれど、チグハグになっているのは完成度がひくいのだろうとおもいます。 丁寧なご指摘に感謝します。よんでいただけるととてもおもしろい気持ちになります。投稿に返信しなかったのは気付かなかっただけですので、ほんとうに訳がわからないとかはなかったです。 選んでいただいたの、とてもうれしかったです。わたしはこの詩がもっとすきになりました。

羽田恭 (2018-08-17):

取り上げてくれて感謝です。 日々の労働が報われ続けております。 残念と言われた件ですが、牛の産道に手を入れて感触でかろうじてわずかにわかる子牛の様子、これは自分にとって最もいい表現が”見えない向こう”でした。 今思えば愛着があったようです。 なので一行目に書いてしまいました。 覗き込む、もわるくはなのですが……、見えない向こう、にさせて下さい。やっぱり。

こうだたけみ (2018-08-17):

地(🌐)球さんへ 重ねてのご返信ありがとうございます。 作品へのコメントについて謝ったのは、なんだか嫌な書き方をしたなあとずっと気になっていたからで、謝るならば今だと思って行動に移しただけです。びっくりさせてしまったようで、失礼いたしました。 〈わたしは頭の中できりばりして詩をつくることが多くあって、この詩もいくつかの文章がまざってできています。〉 とてもいいお話を聞けました。それはコラージュのようなものなのでしょうか? たとえば書きたい二つ以上の文章があった場合、私は仲を取り持つキーとなる言葉を探してそれを繋ぎ目にして形を作ります。キーを活かすために文章を歪ませることはあっても、〈きりばり〉の〈きり〉をすることはたぶんありません。 その〈きりばり〉によって、あの触ったら壊れてしまいそうな危うさと、フレーズの鋭さができあがるのですね。すごいなあ。 そうだ、これも言っておかなければ。 私が、〈いいチグハグさでない〉と否定的なことをわざわざ書いたのは、なぜこんなに好きなのに大賞として推薦しないのか、その理由を、自分自身に確認するためです。八つの作品に順位をつけるわけですから、そこははっきりさせておきたいと思ったのです。こうするべきだと押し付けるつもりは毛頭ありません。こうだはここが好きでここが苦手で、だから大賞ではなく優良に推薦したんだな、へー。くらいに思っていただければ幸いです。 すてきな作品を読ませていただきありがとうございました。

こうだたけみ (2018-08-17):

羽田恭さん、コメントありがとうございます。 はい、私に断りを入れるまでもなく、羽田さんが、それがいいと思えばそれでよいと思います。羽田さんの作品は羽田さんのものであって、一読者である私にどうこうできるものではありません。 ひとつ前の地(🌐)球さんへのコメントにも書きましたが、私が大賞推薦作以外の作品へわざわざ否定的なコメントをつけたのは、なぜこんなに好きなのに大賞として推薦しないのか、その理由を、自分自身に確認するためです。 羽田さんの作品が羽田さんのものであるように、作品を読んで抱いた私の感想は、あくまで私のものです。こうだはそんなふうに思ったのか、へー。そんなふうにとらえていただけたら幸いです。

タイジュタイジュ (2018-09-16):

遅くなりましたが選んで下さってありがとうございます。 基本的に勢いで一発書きして、そのまま読み返さない事が多いのですが、改めて読み返すと確かにラストはハイテンションにまくし立てても面白かったな、と思います。 貴重なご意見ありがとうございました。

こうだたけみ (2018-09-20):

タイジュさん、コメントありがとうございます。 勢いで一発書きしてこのクオリティですか。すごい。推敲は吉と出る人と凶と出る人がいるけれど、タイジュさんはどちらですかね。試してみると、さらにクオリティが上がる、かも?? 私の書いた負のコメントは、他の方のコメントにも書いた通り、どうして大賞に選ばなかったのか、その理由を自分自身に確認する作業の一環です。個人的には、最終連はエクストラメーションマークで省略せずにもっと読ませてほしかったです。タイジュさんだったらきっともっとおもしろい展開を読ませてくれる気がするんですよね(暴走しそうなので黙ります)。 私は言葉遊びをやるために一字一句推敲し尽くさないと気がすまないタイプなので、一発書きに憧れます。ゴルでは時々やってるけど、クオリティは低いです。いろんな書き方のできる人になりたいなあ。 こうして作者からコメントをいただいて、どうやって書かれたかなどを知れるのっていいですね。とても勉強になります。ありがとうございます。


ラ・ラ・ラ族   

るるりら 
作成日時 2018-08-20
コメント日時 2018-09-20

 

お義母さま あきの こごえです 朝風に 精霊バッタの羽音が そっと 雫を 天に すくいあげています 何が終わったのでしょう もう はじまりはじめの空 むかしむかしの反対のはじまりのはじまり めちゃくちゃダンスを夢中で踊る子供らの真似をしたがる 私のからだは重いです けれど 私と共に たふたふと生き物のように動くものがあります 天女の羽衣が 頬を そっと かすめました 透けて見えたのは しろいレースのアンブレラをさした少女のような貴女 素足が 五ミリは 浮いています あなたの お父さまがいらっしゃいます どこへも 逝かず 六歳のままのあなたのそばに ずっといらっしゃったのです ゲンバクのことを人々が忘れると だれかが言っています わすれられるものなら忘れたら いい 口にしたくなければ 口にしなければ いい とてつもないひかり ただただ臭かった廣島の町 着ていた服どころか皮膚までも 剥ぎ取られて 食べるものもなく 彷徨う人々 毎日毎日 煎餅布団と寝た貴女は しつこいくらいに いつも わたしのふとんが ふかふかであるように心配してくれた 高窓から さしこむ光に 綿毛が舞い上がるように 浮いて かろやかに歌うのは 少女のままの貴女 うつくしい裸族としての朝 わたしも空をとぶ


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stereotype2085 (2018-08-21):

原爆についての言及がありますが、今作はそのようなメッセージ性を伴う作品として捉えてもよろしいでしょうか。ならばこの作品は過度に道徳的、倫理的メッセージにかたよらない、まさに日常の描写の中にモチーフとして原爆を取り込むに留めた(まさに原爆が投下された日も、何でもない「日常」が瞬く間に壊された日でもあったですから)とても優れた小品だと思います。最終連の詩情あふれる描写と、タイトルのどこか仄かなユーモア(と、とらえていいのかどうか)が物悲しくも、切なく、哀感を伴います。また、タイトルがこの作品を読むにあたって、読者をリラックスさせることにも成功していると思います。

仲程仲程 (2018-08-21):

すごいなぁ。何度も読み返しました。 技術とか、感性とかで説明したくない感じです。

るるりら (2018-08-23):

stereotype2085 さま 原爆というなかなか重いテーマで書かせていただいています。 義母が被爆者なのです。年少のときに お父さまを亡くされてます。 人間は、人の間と書くくらいですから 人間関係が人間を構築するし、 親子という最初の関係がなんらかの形で 欠いていると、のちのちまで 表現のしようのない深い穴を持つように思います。 昨年の夏あたりに、とても深い穴を義母は持っておられると私が感じる出来事がありました。以来、わたしは詩らしい詩が 書けなくなっていました。 せめて、私のイメージの中だけでも義母とお父さまを会っていただきたいと思って書きました。義理母を思って書きましたから、メッセージ性はあると思います。がしかし、実際には こんな神の声みたいな生意気なことなんて 義母に言えるはずはありません。 タイトルについても、どこか仄かなユーモアがあると思っていただいて、嬉しいです。 当初は、るるりらというハンドルを もじった うかれぎみな表題にするつもりでしたが、自爆すぎてイタイと考え、とある素敵な映画のタイトルを おかりし表題としました。 この感想の書きにくいにもほどのある詩文を読んでいただき、感想まで書いてくださり ありがとうございました。この拙詩のようなモノを、どなたが詩文として読み解いてくださったと実感できたことは、わたしには とても大きな喜びです。  ずっと悩んでいました。(といっても本当に考え込んでいたのは、ここ一年ですが) 義理母に喜んでいただくようなアイディアなんて なにひとつないと、ついこの間まで 思い込んでいたのですが、おかげさまで いま ちよっと 義理母の心の深い穴に ほんのすこしかもしれないけれど、義母の心に すずやかな風が吹くアイディアを思いついたので、努力してみるつもりです。読者にリラックスしていただけた このわたしは、ふつうに 大きな心で なにかやれそうです。ありがとうございました。

るるりら (2018-08-23):

仲程 さま 何度も読み返してくださったのですか?嬉しいです。 わたしも また読み返しました。(作者だから あたりまえか) 技術とか、感性とかは んー。そーいう おつむは あまりつかってないです。 でも 読んでいただくと ほんとうに力が むくむく沸きます。ありがとうございます。

まりも (2018-08-23):

その瞬間、止まった時間 滴のようにまるくふくらみ円を描いて 油滴の虹をとりこみ、とりこみ 渦を巻いて巻き込み、落ち込み 深い穴へと滑り落ちる 落ち切った底で水の壁に背をもたれかけて 水のスクリーンに映る世界のすべてを あなたは見つめて見つめ続けて やがて一気に 上昇する 花火のように弾ける時間 そこから流れ出しあふれ出し 全てが再び動き出して 水のスクリーンに幻燈のように浮かんでいた もろもろの薄物が 華やいでひろがりあなたから離れ 絡んでいた糸も綱もいつのまにかすべて薄れ 闇の中で花のように咲いている 見ていた歌い手も火の粉と共に舞い上がり ふりそそぐあなたの光の中で踊る 戯れる その手をそっと 取ってください 色とりどりの夜の灯りが 薄らいで消えて霞み始める地平線のそのまた向こう 朝が 少しずつ領域を広げようとしています

黒髪 (2018-08-23):

この詩が開く地平は、出来事が、いろんなものの記憶とつながること。また、人同士の関係が、 自由闊達で、思い入れを含んだ美しさを目指すことの意志のようなものでかかわりあっていること。 夢幻、精霊バッタ、原爆に対抗するための幻視、こういった小さい声が、残されていること、 日常生活の中に、あらゆる連想が、裸族でさえ、思われる、人間の力というのはこういう風なことを 考えられる力であるということ。また、一つの夏が、多くの亡くなった人を後に残しつつ、去っていきます。 重たくなっていくのは、人間の生命維持のために必要なことが増えていくからですから、すべての人が力を 出せば、何らかの向上につながる。生きて死ぬために必要なことを、仏教などの宗教は、教え諭して くれます。詩で新しい景色を見せてくださり、ありがとうございます。

るるりら (2018-08-28):

まりもさま うつくしい詩で返してくださり もったいない気持ちでいっぱいです。 とても嬉しい。ありがとうございまいす。 実は、この詩を書く前に、 もう一遍の別の詩を書いたのです。その詩は、 なんともうしますか詩の話手が語る手法でして、爆風で飛びながら喋る形をとった作品でして。 なんとも気色の悪い作品でした。 それこそ一気に上昇し、花火となる描写を 私にしては、かなりえぐい感じのリアルを描こうとしてました。そして、すっかり へこんだりしたのですよ。 いただいた本詩の場合は、「見ていた歌い手」とあるので すばらしい芸術作品を鑑賞するときの なんともいえぬ至福に包まれる感じがして 私を幸せにしていただけました。ありがとうございます。

るるりら (2018-08-28):

黒髪 さま やっぱり貴方のお書きになる文章は、含蓄があります。レスをいただくとしばらく恍惚します。 この詩が開く地平~なんて、言葉だけで 私は 目を瞑ってしまいました。 人同士の関係が、自由闊達で、思い入れを含んだ美しさを目指すことの意志のようなものでかかわりあう~なんて、理想郷です。わたしの詩のことだったかと ほんとうかしらと疑ったけれど、そういわれてみれば 自由きままに書いた箇所が多数ありました。てへ。 夢幻~て、詩などの文芸でないとほんとうは味わうことができないのかもしれません。 たとえば 映像という文化の場合は、読者の経験で培われた脳でのイメージでの再現ではなく、映像化した人物のセンスのものとなり 言葉が読者の血肉にはならない気がします。 精霊バッタ~て、私は好きです。虫自体のフォルムの美しさとか。ちょっと、小泉八雲が好きそうな名前の響きとか。私の好きなモノが、爆に対抗するための幻視になりえるのでしょうか?そうなの?すくなくとも そのような凄いことを黒髪さんは感じてくださったのですね。 生きて死ぬために必要なことを、仏教などの宗教は、教え諭して くれてるのですか?不勉強なので 学んでみます。やる気スイッチが入りました。 ありがとうございます。

藤 一紀 (2018-09-20):

こんばんは(おはようございます)。数年前に他界した叔母は、長崎の出身でした。それを本人から聞いたのは亡くなる数年前のことでしたが。彼女の話では、長崎では原爆投下の前にビラが撒かれたそうです。大阪大空襲の前にビラが撒かれる場面が、故・今江祥智の児童文学作品(たしか『ぼんぼん』)にあったと思うので、撒いたのは米軍でしょう。非常に大きな爆弾を落とすので逃げるように、というような内容のビラだったそうです。彼女はそれで歩いて山を越えていったと。そして翌日山の上から来た方を見下ろすと……ということでした。幸か不幸か、私は親戚からそうした話を聞くことができたし、子どもの時分には戦争や空襲の話を聞くことができましたが、いまは少なくなっているかもしれません。「語り」は目の前で声や表情、身振り手振りとともに聞き手に伝わって想像を促す力をもっているから、そういった体験を通して知ることができないのは大事なことを失っているように思えて、薄寒さを感じます。些かずれましたが、そのような時代にあって必要な作品だと思いました。


立ってから座っていた自分を振り返る   

右肩ヒサシ 
作成日時 2018-08-08
コメント日時 2018-09-20

 

寝ているものと 死んでいるもの の間に立つ「電柱」 根元が濡れて 光っている 臭っている 視覚と 嗅覚 の間に成り立つ 感覚が 別々に 君らと 僕を 向かい合わせに立たせている と言ったら河原弥生先輩が 後藤君、君さ、勃ってるよね と言ってきて 須田克敏が お前、確実に勃ってる と言って 後藤は人類の総体に欲情してるんだぁ と笑った 四十年経って思い返してみると いつかどこかで 人類に射精した僕の精液が ことごとく大地を沈めて 小さな方舟を揺らすのだ 妄想の雲間から差す光と 逃げ場のない強い精臭 の間に 今、僕らしきものは立っている 河原先輩と須田は当時付き合っていて 何回かセックスしてから別れたようだが その正確な回数は知りようもない 本人たちも知らない可能性が高い 今、頭上で欅並木の葉が 光りつつ揺れ 音が 走っている そこに 鳴いている熊蝉。 姿は見えない それだ それだ


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stereotype2085 (2018-08-11):

猥雑な出来事、猥雑になりかねない思考を「今、頭上で欅並木の葉が」から始まる最終連、そして「それだ それだ」という確信めいた言葉で、一気に現代詩にまで昇華している。僕の好みかと言えば難しいですが「鳴いている熊蝉。姿は見えない」の段は、序盤、中盤の思考があったからこそ際立ち、また美しく見えるのではと思いました。

澤あづさ澤あづさ (2018-08-11):

すてきな詩は読者をメロメロにし、アホにする劇薬なんですよ。特にこの詩は、しょっぱなの電柱の立派な男性性がめっぽうしびれるため、読解がよりアホになると思しいので、ひとまずどうにか悪い頭を冷やす必要がありますね。 つまり語り手は、欅並木の下のベンチかなにかに座って、おそらく居眠りをしていたのでしょう。電柱は原則として、目覚めた語り手の視界に入った光景の一部であって、立派な朝勃ちの比喩とかでは、原則としてはないはずです。 そして【立ってから座っていた自分を振り返る】。姿の見えない熊蝉の声、すでに立っているかつて座っていた自分。そのような痕跡のようなものが、居眠りの夢うつつで僕が欲情(リビドー)し、射精の大洪水で虐殺(デストルドー)した対象の【人類】である。 人類には自分が含まれている。「姿の見えない他者」にも自分自身が含まれている、過去の自分はもちろん現在の自分も、「自分には見えない顔」には違いないから。だめだ読解がアホだ! *** メロメロ病が治ったらまた来ます。

かるべまさひろ (2018-08-11):

総合的に心が癒されております。

右肩ヒサシ右肩ヒサシ (2018-08-12):

stereotype2085さん、コメントありがとうございました。 最終連のこと、作者は世俗と聖性の対立として書いたわけではありませんが、「詩」の世界があるとすれば、そこは言葉にならないものからできているだろうな、という予感があります。求めて得られない、ものの実相の剥き出されたところに詩の核心はある、と僕は思うのです。 でも、それは世界の見方に過ぎず、まったく俗で下品な世界にも平然と存在しているはずです。ことさらな「詩語」の範疇では見落とされてしまう詩情を掬っていきたいし、逆に詩情の持つ身も蓋もない一面を告発し、かつ受け入れていきたいと思います。

右肩ヒサシ右肩ヒサシ (2018-08-12):

澤さん、コメントありがとうございました。 もとよりそんな立派なものではありません。意識していたのは、「詩」としての完結性がメタな視点から次々に乗り越えられていく、そうであって欲しいということです。 第一連は独立性を持った「詩」なので、 >と言ったら河原弥生先輩が ではなく、「という詩を読んで河原弥生先輩が」とするべきでした。ただ、同時にこれは現在の「僕」の目前の風景であってももらいたいのです。「先輩」という語はリアルな社会性を持っていますが、この二人の会話も正確な回想ではなくて、「僕」の現在に侵食された記憶の中にしかないものかもしれませんね。 あとは、ノアの洪水伝説の鳩が蝉に、月桂樹の葉が欅の葉にずれていく仕掛けがあるだけです。もちろん、「立つ」から「勃つ」への転換、「間に立つ」という言い方のもたらす疎外感、それらが文脈の中に捻れて織り込まれているところを楽しんで頂けたら幸いです。 そんなことはまったく考えないで、下品でしょうがないなぁ、と思ってくれても幸いです。下品で面白いなぁ、と思ってくれたらもっと幸いです。

右肩ヒサシ右肩ヒサシ (2018-08-12):

かるべまさひろさん、コメントありがとうございます。 癒やされてくれてありがとう!読んで頂けるだけで幸せというものです。

ゼンメツゼンメツ (2018-08-12):

一連目 僕「視覚」君ら 僕「嗅覚」君ら そしてそれの 僕「間に成り立つ感覚」君ら 「自分」が他者とおなじ体験をしたり、おなじものを見たり、おなじ物質を取り込んだり、そしてそこに強烈な刺激を受けたとしても、その感覚は「共有」されたと言えるのだろうか。それらをもし科学的数値でみて同じだったとしても、僕らが同じもので構成されていたとしても、やっぱり違うと思う。きっと。多分。それすら絶対性はなく。ひとは「共感」することはできても、「共有」することはできないんだ。 だからこそ、僕は対岸の他者へ勝手に魅力を創作し見出し「欲情」できるのではないだろうか、「だろうか」という曖昧なものに対して現実にそうしてきた事実。 それなら他者の魅力とはなんなのだろう。キミのその先を創作し、見出すために、僕になにが必要なのだろう。ほんの限られた情報、そこに特別性なんてなくても、受け取る「僕」さえいれば「成り立って」しまうのではないか。 一連を延々となぞり続ける構成。そして強烈な性のモチーフは、イメージ喚起の起爆剤としておよそ万人に威力を持つ気がする。竹光でも振ってんじゃないかってくらい軽々と使いこなされるキラーテクニック! ヤバい! あと僕の頭は思い込んだらそうとしか読めなくなるのでヤバい!

右肩ヒサシ右肩ヒサシ (2018-08-12):

ゼンメツさん、コメントありがとうございます。 人間は主観的にしか他者を見ることができません。しかし、主観を成り立たせる全ての要素は一つ残らず他者に由来します。 自意識は、自分の肉体も含めた他者の上に乗っかって存在しているに過ぎません。そういう自分自身の怪しさを楽しむことができるといいな、と思います。時間や他者との関わりの中で、しっかりと、明晰に、自我は揺らいでいくのです。 自我をぶっ倒し、他我をぶっ倒し、完全にピュアなものに向き合いたい。そのありえないものをありえないまま捉えるのが、僕にとっての「詩」だと思っています。

ゼンメツゼンメツ (2018-08-13):

「自我をぶっ倒し、他我をぶっ倒し、完全にピュアなものに向き合いたい。」 ぐぬぬ、かっこいいです。 自我なんて他我なんてっ。て思いながらも僕すぐに目を細めて他我を探り探りしちゃうんですよね。書きも読みも。 僕わりと作品を「なんとなく好き」で済ませちゃいたいタイプなんですけど、右肩さんの文極の「静物の台座」未だにあれが好きで、ほんと、つまりなんとなくなんですけど、でも今スレ読むと昔はみんな、そのなんとなくを超必死で言葉に変えてて、僕とか全然言いたいこと言えてないし、ていうか今もそうだなーって、「なんとなく」って、書き手のためを考えると、具体的な言葉に変えられたら絶対にいいはずなのに。うーん難しいなー。もうちょっとちゃんと揉まれとけばよかったなー。ていうかほんと好きだったんです。まためげずに次も書きにきます!

まりも (2018-08-13):

眠りは死の兄弟、という言葉があるそうです。そんなことを思いながら、冒頭二行で行きつ、戻りつ・・・。 寝ている、のは肉体で、死んでいる、のは、仮死状態になっている心なのではなかろうか・・・それが、読み終わっての感想です。 中沢新一が、私は世界と交接する、自然という女神とまぐわう、というような意味のことを書いていて、世界に欲情する、というのは、どんな感覚なのだろう、と思った記憶があります。男性の場合は、起ちそう、ということになるのか。女性の場合は、包まれている、抱きしめられている、という体感に繋がっていくものであるのかもしれない、と思いつつ・・・「世界」に対して、先端をねじ込むように入り込んでいく、没入していきたい、という感覚と、「世界」に包み込まれるようにのめり込んでいきたい、という感覚に弁別できるかもしれない、と思ったりしました。 〈後藤は人類の総体に欲情してる〉〈人類に射精した僕の精液が〉などの言葉から特に感じるのですが、〈僕〉と〈人類〉との関係性と、中沢新一のいうところの自分と世界の関係性がよく似ていますね。固有名を持っているにも拘らず、河原先輩と須田というワンペアが、アダムとエバというような・・・人類、と総称されてしまうような、〈人類〉へと普遍化されてしまう。それは、〈僕〉と河原先輩、あるいは須田との距離の大きさでもあるように思いました。〈僕〉はこの二人に対峙していて、関わりが無いわけではないはずなのに(声は向こうからかけられているのに)断絶している。〈大地〉と〈小さな方舟〉も、姿を見せぬまま鳴いているクマゼミと語り手との関係も、〈世界〉と〈僕〉との関係が別の位相で現れているものだと読むことができる。 電信柱と犬の尿?で濡れている地面とが、男根と女陰を想起させる物、と見えた、として・・・そのイメージだけで勃起してしまうようなある種の若さへの回顧、という部分もあるのかな、と思いつつ・・・でも、このあたりは、かなり表現が「なま」ですよね。

右肩ヒサシ右肩ヒサシ (2018-08-14):

ゼンメツさん、「静物の台座」はちょっと、本当の意味でポルノチックかな、と反省しています。確か浅井さんからコメントを頂いて、フェミニズム的な視点から読解されたのですが、踏み込めない部分に踏み込みすぎてしまった感があります。あの女性は所詮男性的な妄想かな、と。だから、本作ではわからないところを、作者が投影された主人公から思い切って引き離して記述しています。この作品で気をつけたのは、導入からどんどん生々しさを遠ざけていくことでした。

右肩ヒサシ右肩ヒサシ (2018-08-14):

まりもさん、コメントありがとうございます。 僕はいつもまりもさんが嫌がる書き方ばかりしていますね。「なま」な表現ですみません。本当にセクハラや変態性欲を人に押しつけるつもりではないのです。無理に読ませてしまって申し訳ないように思っています。 まりもさんは、いつも個々の語と、全体の構成と、表現意図について厳密に読解して下さっています。以前読ませて頂いた文章では、詩の教室で読解の方法を厳しく学んでいらっしゃった、とのこと。現代詩の詩論的な流れもきちんと踏まえた上でのアプローチだと思います。 僕はネットポエマーなので、そういう訓練や勉強を積んでいません。非常に個人的な感覚と、狭隘な思考経験から書き散らかしているだけだと思います。ただ、現代美術におけるアカデミズムと作品表現との関係のように、正統的な「表現」の様式というものに対する不信感を持ち、それらから解放された完全な「自由」を楽しんでいます。論理的構成、社会的公正に則った正しさ、というものから始めて、ただ言語が言語を呼ぶ自由な次元への離陸に至るまでの過程を楽しむことが、自分が「詩」を書く動機だと思っています。 たぶん、それは間違っています。僕はずっと単純なところで間違い続けていますから。ただあえて間違いを恐れず行動すること、間違う姿を見せること、が僕の存在意義です。自分だけが自分に厳しくなれるのが、僕の考える「詩」表現なので、これからもどんどん内側へと閉じていくのでしょうね。でも、閉じつつ開くために、秘密なく自分の書いたものについて語れるようにしたいと思っています。 だから、また少し置いて、まりもさんの解釈と、自分の解釈を比べてみるつもりです。

鈴木 海飛鈴木 海飛 (2018-09-06):

先日、るるりら氏の選評を読み、自分の胸のなかで肯定でき、信用がおけるやり方で感想を書いてみたいと思いました。 それは自己満足や多少の不躾になることは否めません。例えるなら店のガラス越しで見ていたサックスをどうしても手に取りたくて、財布にお金もなく、手に取ったところで吹きかたも運指もしらないまま店に飛び込んだ少年の行為かもしれません。店主はじろりとこちらをみるでしょう。 真面目に返信していただけた姿もめぐりますが、どうか寛大に、右肩様が失笑する程度におさめていただけるとあいたすかります。 さすれば、私は照れ笑いも隠さずに まぁ、そうだよねぇ。 と返せる気がしてつづけます。 せめて 感想のなかでは 右肩様の左肩にもたれながら 蝉の脳が何%を使って空を飛び、この世を生きているかは皆目検討つきませんが 人の脳は数%としか使っていないと世に発表されて久しいです。 使ってるときでたった数%! たったそれしか使ってないのか。 もしもそれが工場の生産稼働率なら寝ているのと同じじゃないか。 それでいて脳には電源off時間が必要なのか。 本当に寝ているときは返事もしない。 ただの屍のようじゃないか。 じゃ、使えるけど使ってない場所はなにやってるんだ。 どこに隠れているんだ。 かたわらで一連目を聞いている。 嗅覚と 視覚が 、ヌルリ わたしの脳みそには 直接気体が入ったようにナニカが膨らむ これだよ。 …あぁ、これね。 二連目につながったときから わたしは脳がしぼんでいってしまうことに気づかない。 さらに詩を続ける横で いつのまにか、わたしはもう精臭が嗅げる程度までになっている。 それに気づいたかのように 最後に景色をみせてくれた それだ。 見えないよ。 それだ。 しぼんだ脳は変わらない。 確かなそれは思いでになって、 ふと、わたしの意識にかすめたあと どこかに隠れてしまった。 駄文失礼しました。

右肩ヒサシ右肩ヒサシ (2018-09-16):

鈴木海飛さん、コメントありがとうございます。 返信はなかなか思いつかないし、今更上げるのも何だか悪いし、テンション低いし、で。 大変遅くなり、失礼しました。 人間の脳は数%しか使われていないんじゃなくて、人間が数%しか役割を解明していないんじゃないかと僕は思います。 脳は肉体の器官の一つであってそれ以上でも以下でもないような気がするのです。人間の存在は脳ではなく、意識ではなく、肉体でもなく、人間には掴めないもの、掴める可能性も必要性もないモノのコア同士の関係性が顕現化した存在だと、今のところ考えています。 多分間違っているだろうな。僕は間違ってばかりだし、世の中に僕より遙かに頭のいい人は沢山いますから。僕があれこれ考えるのは完全に個人の趣味で、それを「詩」もどきに反映させて一人満足しているのも趣味のうちです。 人によっては気持ち悪いだろうな。でも、いいや。 この作品の三聯に出てくる、 >いつかどこかで って何時の何処だと思いますか?時制をぼやかしたんで、過去でも未来でもないんですね。 >小さな方舟を揺らすのだ ってなっているでしょ?つまり、過去に起きたことでもなく未来に起きることでもない、登場人物の無根拠な確信でしかないんです。 「無根拠な確信」の成立を、「無根拠な文脈」によって、それ自体が対象を持たない修辞として表現したのがこの作品なのです。 と言ったら信じますか?いや、僕は割合本気なのですが。気に入らなければ一笑に付すのが正しい態度だと思います。皮肉ではなくて、これは「割合」以上に本気で言っています。 作者は、孤独が宿命である作業をしていると自覚しているので、その部分に異論がなければ読者の方も孤独が宿命であると自覚しつつ感傷して頂ければ、この上なく幸せです。孤独を癒やすのは対置された孤独だけです、おそらく。

右肩ヒサシ右肩ヒサシ (2018-09-16):

×感傷→◯鑑賞

藤 一紀 (2018-09-20):

こんばんは。いまさらですが、10月になったらコメントできないので、遅ればせながら、コメントを残します。 《と言ったら河原弥生先輩が/後藤君、君さ、勃ってるよね/と言ってきて/須田克敏が/お前、確実に勃ってる/と言って/後藤は人類の総体に欲情してるんだぁ/と笑った》の箇所、こういう会話が日常のどこかで行われているかもしれない。行われていても不思議ではない。と、思うくらい、馬鹿げていてどうでもよくて、そこが面白いのですが(というのは、だいたい私はふだん馬鹿げていてどうでもいいことを好んで話すので)、「馬鹿げていてどうでもいいこと」は本当に馬鹿げていることなのか、あるいは価値がないのか、そんなことを考えました。個人的にはふだんの〈わりとどーでもいい〉と片づけられることは大事で、それによって日常生活が支えられているんじゃないかくらいにも思っているのですが、にもかかわらず、〈どーでもいい〉なんて言ってしまったりしているわけです。「そんなどうでもいいことをしてないで~しなさい。」とか「いつまでもつまらないこと言ってないで云々」とか言われてきたからかもしれません。一面では、たしかに〈どーでもいい〉ことで〈馬鹿げて〉いるにせよ、他の一面では欠かせないことのように思う、損得や何かの為という側から見れば価値があるとは思えなくとも、それらに属さない価値があるのと違うか。そして、そのような、所謂〈どーでもいい〉と言われる様々なことどもは、それに興じていた時の心の動きといっしょに、一つ一つの細部を曖昧にしていき、忘れられて、無意識内に蓄積されていく。無意識内ということは意識できないという点で、有るのに遠い。それが、 《今、頭上で欅並木の葉が/光りつつ揺れ/音が/走っている/そこに/鳴いている熊蝉。姿は見えない》という、諸器官を通して入ってくる混ざり合った感覚的刺激と重なるようにして、眩しく甦ることがある。これはなんと言えばよいのかわからないけど、〈確かにある、ただ見えない〉という、〈いま、ここ〉でありながら、〈遠さ〉を同時に感じることで、《それだ》としか言いようのないことだと思います。ということで、どーでもいいことのただごとではない価値を感じさせてくれる作品でした。 ※コメント欄の自解は読みましたが、敢えて勝手に感想を書かせていただきました。


雨中遊泳   

こうだたけみ 
作成日時 2018-08-08
コメント日時 2018-09-19

 

雨のなか傘を差す 魚みたいな子供たち 誰一人笑わないから かえって可笑しい見開かれた目 視界に言葉が散乱する 散乱した言葉たちが産卵する そこから魚たちが生まれてきては 身体をくねらせている 秋は梅雨時より雨が多いと知った 曇天を横切る快速電車の中で 今日も遅刻しそうになりながら もっと大きな何かを諦め始めている 特異な季節であなたとわたし ひとつの接点をふいにする 雨の日は遊泳禁止です そうねまだうまくは泳げないから


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stereotype2085 (2018-08-10):

「雨中遊泳」。タイトルからして気になっていました。「笑わない子供たち」or「わたし」が「もっと大きな何かを諦め始めている」というのはとても不穏で一面気味が悪い情景ではあるのですが、独特の情感を出すことに成功していると思います。ちなみに今しがた、雑草が刃物になって目を切り裂き、失明するという不穏な夢を見たstereoです。今作にコメをつけるきっかけになったのかもしれません。

かるべまさひろ (2018-08-11):

三連目が頭にながく残っています。

こうだたけみ (2018-08-12):

stereotype2085さんへ はじめまして。 運営は大変だと思いますが、応援しています。今後ともよろしくお願いします。 これは快速電車に乗って窓の外をぼんやり眺めながら、外に見えるているような気がする景色を描いたものです。ぼんやりしていたから、夢っぽいのかなと思いました。 その不穏な夢、面白いですね。先端恐怖症だったら不穏どころか悪夢。安部公房の『笑う月』に出てくる、銃口が曲がって自分のほうに向いてどうやっても逃れられない夢を思い出しました。 タイトル、私も気に入っています。 ありがとうございます。

こうだたけみ (2018-08-12):

かるべまさひろさんへ 運営に手を挙げてくださりありがとうございます。ツイキャスを聴いていて、まかせて安心だなって思いました。私もせめてライトレスくらいはできるように努めます。 今後ともよろしくお願いします。 自作を振り返って思うのは、改行のない詩は読み飛ばしてほしくて、改行のある詩はそこに刻み付けたいという気持ちがあるらしいこと。 本作は後者なので、〈頭にながく残っています。〉というお言葉がとてもうれしいです。

右肩ヒサシ右肩ヒサシ (2018-08-12):

こうだたけみさん、こんにちは。 一、二連の描写が素晴らしいですね。風景と解釈がこのように一体であると、確かな世界が現出するように思えます。 最近僕は、言葉は表現ではなく、世界の再現だと思うようになりました。 人間の本質はほぼ同じです。「青春の自我の叫び」みたいなものはコモデティ化した消費財になってしまっています。作者と読者が、静かで奥深く成立する光景を一緒に覗き込むような作品が読みたいと思っています。

帆場蔵人 (2018-08-12):

1連目、2連目ですっかり引き込まれてしまいました。静かな雨のなかの胡乱な空気。最後までぼくのなかでは映像が浮かんで、3連目はカメラが引いていき…… 言葉にうまく出来ないのが情け無いですがショートムービーで秀逸な作品を見つけた気分でした。映画のオープニングかラストになりそうな、予感をはらんだ空気。堪能しました。

蔀 県蔀 県 (2018-08-13):

とてもとてもよいと思いました。展開が好きです。描写から始まって、解釈・発見にいたり、結末で「ひとつの接点をふいにする」、なるほどという気がしました。全体を通して見てみると、(吉兆なのかそうではないのかわからないけど)《予感》が詩の裏側から感じられてきて、快い緊張感に満たされます。

岩垣弥生 (2018-08-13):

1、2連の描写が脳内でメタモルフォーゼして鮮やかな体験をさせていただきました。 3、4連は何らかの可能性を諦めているように読めますが、諦観だけでない、ある種の強さのようなものを感じました。(「まだ」という言葉の効果で、「いつかは」という言葉が想起されます) この詩は淡い希望の詩ではないだろうか。 勝手な感想失礼しました。

こうだたけみ (2018-08-17):

右肩ヒサシさん、コメントありがとうございます。一、二連を気に入っていただけたようでうれしいです。 〈言葉は表現ではなく、世界の再現だと思う〉というのは興味深いです。その「世界」とは、右肩さんが見ている世界ですか? それとも、すべての人が見ているであろう共通認識としての世界ですか? あるいは、作者と読者だけが共有できる秘密めいた世界ですか? ところで私の見る世界はいつだってやかましくて賑やかで、それでいてシンとして取り残されてしまったみたいな世界です。

こうだたけみ (2018-08-17):

帆場蔵人さん、コメントありがとうございます。 ショートムービーと言っていただけてとてもうれしいです。帆場さんの見ている映像を私も見ることができたらいいのにと思います。 まったく別の話になりますが、アイコンのカエルとカメがかわいいですね。私も本を読んでいるカエルの置物を持っています。私のは石の上に座っているけれど。

こうだたけみ (2018-08-17):

蔀 県さん、コメントありがとうございます。 とてもとても、と副詞を重ねるくらいによいと思っていただけてうれしいです。おっしゃる通り、本作では《予感》を書きとめようとしていました。それも吉凶入り混じったものを。蔀さんに伝わったのなら、試みは成功だったようです。

こうだたけみ (2018-08-17):

岩垣弥生さん、コメントありがとうございます。本作を〈淡い希望の詩〉と読んでいただけてうれしいです。感想とは勝手に抱くものですから作者の許可は不要です。どうぞ、お好きなように。 私にとって「諦める」という行為は、その対象と距離をとることだったりします。距離をとることによって、感情に振り回されることなくバランスを保って接することができるはずだと思っています。ただし接すること自体をやめたわけではないため、〈まだ〉という言葉が出てきたのかなと、岩垣さんのコメントを読んでいて思いました。ありがとうございます。

澤あづさ澤あづさ (2018-09-15):

※このコメントは8月選評です。作者様でなく閲覧者様に向けて執筆しました。またこの評はわたしの読解すなわちわたし自身の表現であり、作者様には関係も責任もありません。 ▼引用開始------------------------------- 「論理は世界に充満している。世界の限界は論理の限界でもある。思考できないものを思考することはできない。かくして思考できないものは語ることもできない。」 「主体は世界に属さない。それは世界の限界である。」 「読者はこの書物を乗り越えなければならない。そのときかれは、世界を正しく見るのだ。語りえぬものについては、沈黙しなければならない。」 (ヴィトゲンシュタイン/坂井秀寿訳『論理哲学論考』) -------------------------------引用終了▲ 読書の秋の長雨にうってつけの「読解への警鐘」。とわたしには感受されました。作品の核心は上記引用の独我論に近いように思われましたが、思いっきり平たく言えば「語弊の問題」にも集約できるかと思います。 初連の【魚みたいな子供たち】の【見開かれた目】という比喩は、 ①子どもたちが大勢で(群れを成して)活発に動いている。 ②その子どもたちが一様に死んだ魚のような目をしている。 ①(肯定的)と②(否定的)のどちらとも読解できる、両価的な表現です。②に語弊があるので、世間一般では控えられる発言でしょう。 そのゆえ語り手は、その発言を黙秘します。その沈思黙考の様子が、2連で【視界に言葉が散乱する/散乱した言葉たちが産卵する】と描写されます。 軽率には発言できない、だからと言って自制することもできない「解釈」が脳裏をよぎるさまが、視界を泳ぐ魚に喩えられ、初連の【子どもたち】に直結します。いま語り手の目に映っている子どもたちの姿が、語り手の恣意的な「読解」に過ぎないこと、語り手が世界の真相を見ていないことが示唆されます。 自分は世界に追いつかない。自分と世界とのあいだには、埋めることのできない距離がある。そのような感慨が、湿気で曇った快速電車の窓、涙で曇った視界といった情景に託され、3連で詠われます。そうして詩は、終連の抒情に至ります。 ▼引用開始------------------------------- 特異な季節であなたとわたし ひとつの接点をふいにする 雨の日は遊泳禁止です そうねまだうまくは泳げないから -------------------------------引用終了▲ ここで唐突に登場する【あなた】は、想定し得るほかの人物が詩中に登場しないため、2連で孵化した【魚たち】すなわち【言葉】と読まれます。したがって最終二行は、語り手が「自分自身の言葉」と対話しているように見えます。 たとえば、「詩人」と「まだ完成していない詩」が、対話しているように読まれます。 「沈んだ気分のままでの、詩作/読解は禁止です。」 「そうね。沈んだままでは言葉が浮かばれないから。」 そのように。 「あなた」は「彼方」です。自分と感覚を共有できない他者は、自分から遠く隔たっています。自分自身の発言すら、ひとたび発されれば、自分の意思では操縦できない他者になります。詩やその読解という、表現を凝縮するぶん語弊が生じやすく、自己に没入するぶん視野を狭めやすい文芸の、どれほど危険で過酷なことか。 * それにしても、「発言しがたく自制もしがたい考え」のようなことを「散乱/産卵」と表現する(とわたしが読解した)詩をネットで見たのは、これで4度目か5度目くらいです。 その4作か5作のなかで、この詩はその題を最も理想的な形(初見一発目から目を惹き、再読すればなおおもしろい、そして難解でない)にできていると思います。優良です。

こうだたけみ (2018-09-19):

澤あづささんへ 拙作を解体し、再構築していただきありがとうございます。うれしすぎてなんとお礼を申してよいやら! 選評へのコメントにも書きましたが、八月分までは選評を書かれるようでしたので、澤さんの目にとまる可能性の少しでもある作品をと、本作を投稿してよかったです。つい先日観た芝居の主人公が「最短距離で行け」と歌っていたのであっさり夢が叶った私はもしや眠りを殺したのじゃないかしら? 万歳おめでとう。歌う三人の魔女。血に染まった両手は洗わなければ(脳内上演:劇団☆新感線『メタルマクベス disk1』つまり、うれしすぎて暴走中の意)。 澤さんは本作の〈子供たち〉を、一般的な子供ではなく、「自分自身の言葉」と捉えてくださったのですね。 自作解題になってしまいますが、二連目〈視界に言葉が散乱する〉は電車の窓から見える光景、すなわち、まちなかの文字看板のことです。看板にはそれぞれに作り手がいて、それぞれが見る者に意味を突きつけてきます。けれど意味の受け手である語り手=私は作り手の意図通りには意味を拾いきれないばかりか連想やら妄想やらを始めてしまってそこに新たな意味を見出してしまうがために、そこら中に稚魚、まさに「自分自身の言葉」が生まれてきては身体をくねらせることになるわけです。 私は店内装飾という仕事柄、どちらかといえば看板を作る側の人間なのですが、広告の受け手としてはひねくれ者です。パッと見て意味の伝わるものを作ることを求められる立場と、一つの言葉に二つも三つも意味を乗っけて遊んでしまいたくなる性。この両者が折り合いをつけられたらいつか、うまく言葉を泳がせられるし言葉とともに泳げるのではないか、と思っている次第でございます。 それにしても、描かれた情景を頭に思い浮かべてその情景をよいと言ってくれる感受性の高い方や、〈魚みたいな子供たち〉に感応し自らの深い子供たちへの愛を語ってくれる方。様々な受け取り方をしてもらえて、とてもとてもうれしいです。 さらに澤さんには、子供たちを「自分自身の言葉」として捉え、ものを書く(読解する)ことへの警鐘だと自らに引きつける形で再構築してもらえました。 まず共通認識たりうるしっかりとした根拠を示し、その根拠に基づき連を読み進め、作者の意図を汲んだ上で自らの読解を示す(「沈んだ気分のままでの、詩作/読解は禁止です。」)という鮮やかな展開を目の当たりにできて、たいへん興奮しております。 けれども作者である私が何を思って書いたかなどはどうでもいいことで、読んでくださった方の中に何かしらの像を結ぶことが私の詩にとってのよろこびです。普段はついつい言葉遊びのたのしさに溺れて書き募ってしまいますが、こうして余白を残したものを書くのも、様々な読まれ方をしてよいものだなあと思いました。 いろんな意味で勉強になりました。 ありがとうございました!


しらやまさんのこと 夏   

仲程 
作成日時 2018-08-07
コメント日時 2018-09-17

 

  なごしおおはらえ かんぬしまちの おさななじみだったおねえちゃん がみこさんなったとき  ぼくのこころは ふ ってはずれて  べっくうさんやのほうに ぷかり ぷかり とんでった   きれいだったんやろなあ と 毎年三度後悔している 茶店 参道下の古ぼけた店で 岩魚の塩焼きを齧る 雨が降ってるので ゆっくり と齧る しらやまさんに降った雨は 百年後の加賀平野を潤す その雨が 降っているので ゆっくりとお茶を すする 次の岩魚の季節に訪ねると その店は駐車場になっていた 虫送り 竹ざおの先に灯火をぶらさげて 小さな子から先にあぜ道を歩いて行く ひと粒の米に 千もの神が宿っていた頃から続く火で 稲の葉を食べる虫を追い払う のだと言うが 揺れる火はまるで 人魂のよう  とは 誰もが気付いていながら 誰も口には出さずに そんなふうにして 僕も大人になったようで 虫送りの火は遠く どこまでも遠く なってゆきながら いつかは 僕の魂も その竹ざおの先に ぶらさがっているのかもしれない 喧嘩太鼓の音に いくつもの魂がひとつになって 一際高い火柱になって 昇ってゆく ひとつぐらいは 誰かの竹ざおに ぶらさがったままでもいいのに 虫送りの火は遠く どこまでも遠く       


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かるべまさひろ (2018-08-11):

小さい詩集みたいな記し方は、なんだかすごくまねてみたくなるわくわくです。 「茶店」がほんとうに好きです。

stereotype2085 (2018-08-12):

一連目の最後「毎年三度後悔している」が、その後の展開に読み手を惹きつける要因にもなっており、実に謎解きの始まりという感じがしてとても良かったです。その後の詩情にあふれる描写から、「三度後悔している」の謎が徐々に解き明かされる印象がして、面白味を感じました。「僕の魂も その竹ざおの先に ぶらさがっているのかもしれない」から「ひとつぐらいは 誰かの竹ざおに ぶらさがったままでもいいのに」の流れが、「虫送り」の最中? のぼんやりとした「夢想」をとてもよく表していると思います。

仲程仲程 (2018-08-13):

かるべまさひろさん 茶店 に何か感じていただけるとはしぶいですね。って自分で書いておいてなんですが。 ありがとうございます。 stereotype2085 さん おもしろい読みだなぁ とありがたく感じます。 謎解きされていないような気がするのですが、それなりの答えがあるような気がするとしたら幸いです。ん、すみません私の日本語が変ですね。 おふたりともご無理はされませんように。

藤 一紀 (2018-09-03):

こんばんは。「なごしおおはらえ」は夏越しの大祓、6月30日に行われる厄払いをかねた豊年行事のことでしょうか。《かんぬしまち》が富山県、そこから《べっくうさんや》の方へとんでいったわけだから、〈ここ〉からなかなか遠いところへ離れていったんですね。そういう〈感覚〉、親しんできたものがどこか大きく変わってしまったように感じる時に覚える遠さの感覚が現れているように思います。 『茶店』の舞台は富山の隣の石川県。雨が降っているのでやはり梅雨時期ということになるでしょうか。 《しらやまさんに降った雨は/百年後の加賀平野を潤す》のくだり、《べっくうさんや》の〈棚田〉の風景と重なるように思いました。ゆっくりと岩魚をかじる動き、雨音とともに、思いが噛みしめられているようでもあります。でも、次の季節には消えてしまう。時の移り変わりと、環境の変化のなんと無情なことか。 「虫送り」の行事としては〈横江の虫送り〉なるものが古いそうです。虫送りと書かれた火の文字が燃え盛る。あの燃え上がる火のなかに浄化を見るのでしょうか。ひと夏の終わり、と言わず、自分の記憶のなかの通り過ぎた夏が火のなかに見えるようで、残念ながら「どれひとつとして誰の竹ざおにもぶらさがったままではない」のですね。 それら遠くなっていくものらを見送る眼差し、というか眼差しの向こうへどんどん遠くなっていくものを追うところにポエジーを感じました。 ついでながら、単体では私も「茶店」が好きです。

仲程仲程 (2018-09-04):

藤一紀さん 丁寧に読んでいただきありがとうございます。 読んだ方の記憶の場所の風景が浮かんでくれたら成功だと思っていますが、調べていだいたようなので、無粋ながら、私の神主町は石川県白山市にあります。 別宮さん野 は架空の場所で、虫送りはお示しの近くです。 虫送りは、実際に見ていただきたいですね。表現しきれていませんので。 茶店、日記詩みたいになりえてますでしょうか。なんということない実話ですが、 ありがとうございます。

藤 一紀 (2018-09-04):

仲程さま そうでしたか。石川県にも神主町があるんですね。なんつて、ググってみたら「神主町公民館」なるものがでてきました。いや、お恥ずかしい。検索かけたくせに間違えるなんて完全なる自爆じゃないですか。ぐわー。 しかしですね、「別宮の棚田」を画像で見た時は絶景だなあと思ったのですよ。ここまで《こころ》はとんできたんだなあ、と。そして、山村暮鳥の『雲』を思い出したのです。 うーむ、読んでいるうちに勝手に物語をつくっていたんですねえ。こわいこわい。 でも、それもこの作品に刺激されてのことには違いありません。うれしはずかし、とは実にこのことです。返信ありがとうございました。

仲程仲程 (2018-09-17):

藤 一紀さん 「別宮の棚田」、確かにとおいですね。それもいいですね。 また蛇足ですが、しらやまさんの別宮は「あの雲の下」ぐらいな距離感です。 そんなことより今頃でなんですが、山村暮鳥の『雲』読みました。すごくいいですね。まったく知らなかったのですが、すごい。すべてが入ってるじゃないか、まいった、と思いながら読み進めてました。 そのうえで「詩は詩、田は田」の序に戻って、さらに今まいってるところです。 なにかつながるもの感じてもらえたとしたら光栄です。 ありがとうございます。


冷や奴と申します   

るるりら 
作成日時 2018-08-09
コメント日時 2018-09-17

 

わて かるくこわれかけどす 陸上生活むきまへんのどす みな底で暮らすほうがむいてますのに 四角いお座敷にいてるんのは 因果なもんどすなあ ほんまどすて どうらん ちがいますて ほんまに色白どす おかかの舞を おみせしまひょか いやや わあ うそなんてついてません 温かいものは温かいうちに 冷たいものは冷たいうちに なにより大切なのは水のこころどす あなたさまのなかに わては溶け込んで 縁側に座り 水のこころを見るのどす


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帆場蔵人 (2018-08-09):

軽いノリで読んでいたのですが、三連から四連目で不思議と真面目なトーンに。水のこころ、良いですね。 老子の上善は水のごとしという、言葉を思い出しました。いささかうろ覚えなので、老子の言葉を読み直してから、また読んでみたいと思います。

るるりら (2018-08-09):

帆場蔵人さま 軽いノリで書いてみました。三連目四面目で急激にトーンがかわってしまってますね。 するどいです。ほんとうは くずれかけた感じ(アンニュイ)な語り(だめな女でしょみたいな)があったんですよ。 でも なんだか しゃっきーんと おさめてしまいました。  上善は水のごとしといえば、わたしが 生まれて初めて呑んだお酒の名前は「上善如水」でした。うつくしい言葉を思い出せました。 時には、お酒を飲みながら言葉を味わうような気持ちで、またときには まじめな気持ちで 詩と関わらさせていただこうと おもいます。ありがとうございます。

藤 一紀 (2018-08-09):

こんにちは。なんだかつれない感じがいいですね。「四角四面は豆腐屋の娘。色は白いが水くさい」という口上を思い出させます。

仲程仲程 (2018-08-09):

みんなのうたみたいな印象です。 ほわっとします。 つられて むきむきの白山かたどうふの唄を書いてみましたが、ダメダメであきらめました。

二条千河 (2018-08-10):

「冷や奴」という料理名を芸妓(?)の芸名に見立てる遊び心と、後半のちょっと意味深なフレーズの取り合わせが粋ですね。 「うそなんてついてません」で一旦、京ことばが消えるのは狙いでしょうか。嘘じゃないとわざわざ断るということはおそらく嘘、でもそれを言うならそもそもその存在自体が(京ことばも白塗りも芸名も)虚構みたいなもの。そんなことが示唆されているようで面白いな、と思いました。深読みのしすぎかもしれませんが。

stereotype2085 (2018-08-13):

いいなぁ。冷や奴の擬人化。「わて かるくこわれかけどす」。和む。それでいて最後に「大切なのは水のこころどす」と来て、我に帰る。これは人間にも言えるよぁと。水の流れのように逆らわず、かと言って流されるままでもない、そんな姿勢で生きていけたらと感じました。とりあえず冷や奴が食べたくなりました。夏の涼風と風鈴が似合いそうな詩ですね。

まりも (2018-08-13):

〈あなたさまのなかに わては溶け込んで〉この一行、冷や奴の「単なる」擬人化からだけでは出てこない言葉だと思いました。 ある意味、怖さもある言葉。水底で暮らす方が、と前置きにあるけれども・・・人の心の中の水から浮上して来たなにものか、であるような気もしました。

るるりら (2018-08-17):

★藤 一紀様 「四角四面は豆腐屋の娘。色は白いが水くさい」という口上。 そ それは、寅さんでしょ。大好きです ふうてんの寅さん。 「四角四面は豆腐屋の娘、色が白いが水臭い。四谷赤坂麹町、ちゃらちゃら流れるお茶の水、粋な姐ちゃん立ちションベン、ってなどうだ。 」 勤め先が御茶ノ水だったことがあるのですが、はじめて御茶ノ水の駅に降り立ったときの わたしは 色白だったけど、寅さんほど四角い顔ではなかったでふ。きゃーあきゃあ

るるりら (2018-08-17):

★仲程様 みんなのうたみたいな印象ですか?光栄です。 ほわっと 頂戴しました。ありがとうございます。 「つられて むきむきの白山かたどうふの唄を書いてみましたが、ダメダメであきらめました。」←拝読したかったです。 まるで関係のない話なのですが、お盆に小旅行で 東山動植物園という場所に向かう電車の中でコメントを拝読したので 「白山どうぶつの唄」と わたしの脳が誤読してしまい興奮してしまいました。(以下は独り言。突然の物凄い雷だったから旅の思い出は無いです。豆腐の角に頭をぶつけたのかも。)

るるりら (2018-08-17):

★二条千河様 粋ですか?ありがとうございます。 日本いち、粋な言葉が「粋」だと思ってます。 「うそなんてついてません」で一旦、京ことばが消えるのは狙いかな?んー。 芸子さんたちは ほんまは みなさん様々な地方出身者なのです。この芸子さんは、あせって 素の喋り方がでちゃったのです。 嘘じゃないとわざわざ断るということはおそらく嘘、ですよね。 ええ そうです。そもそもその存在自体が(京ことばも白塗りも芸名も)虚しか書いてないのですが、色白なのは ほんとです。(え?)

るるりら (2018-08-17):

★stereotype2085様 毎日毎日まあいにち、食べているのが 冷や奴なんですよ。 水の流れのように逆らわず、かと言って流されるままでもない、そんな姿勢かあ。 すてきですね。で生きていけたらと感じました。残暑厳しいですが、涼しい気持ちを頂戴しました。ありがとうございます。

るるりら (2018-08-17):

★まりも様 〈あなたさまのなかに わては溶け込んで〉この一行、冷や奴の「単なる」擬人化からだけでは出てこない言葉だと思いました。←妖怪憑依。こわいですね。 わたしの心の中から浮上して来たなにものなんだと思います。人の中の水から浮上して来たなにものか…ということは、わたしは人でしたね。たまに もしかして私って人でなしだと思われているか不安になるのですが、なんくるないさーですね。 わたくし、 うりずん ナウです。とけとけとろとろに潤って蘇生しました。 ありがとうございます。

斉藤木馬 (2018-08-18):

粋な豆腐だ。これは絹ごしに違いない。 そんな贔屓の相手の正体は、豆腐の神様でした。 起承転結の手本のような名文です。背筋が伸びました。

るるりら (2018-08-28):

斉藤木馬 さま この娘は、まちがいなく絹ごしです。 やっぱり、木綿ではなく そして 絹の衣擦れの音なんてさせて歩くのです。おほほ

杜 琴乃 (2018-09-05):

投稿されてすぐに拝読していて、凄く素敵だなぁと思ったのにコメントしそびれていました。 お座敷に上がるようになって、一丁前にお客さんを相手にできるようになって(二連目からだいぶお座敷に慣れている様子が伺えます)、芸子として上手くやっているんだけど、最後の「縁側に 座り」の「縁側」という言葉から日向ぼっこを連想して、本当はただ日向にぼんやりと座って、ししおどしの音を聞いているだけの静かな時間を過ごしたい...と思っている、のではないかなぁ。青春をすべてその道にかけた日々を振り返るような切なさというか、憂愁を帯びた奥ゆかしさを感じます。 一連目、二連目は芸子さんが実際に自分を冷奴にたとえて冗談を言っている、お客さんからの口説きを軽くあしらっているようでもあり、最終連にこの方の聡明さが見えてとても魅力的でした。 舞妓さん、芸子さんは憧れの女性像でもあります。その柔らかな口調には芯を隠していて、美しく、かっこいいです。

鈴木 海飛 (2018-09-07):

豆腐のグルメ 登場人物 鈴木 海飛 店主 女 夏ばてだがどうにも腹が減った。脂っこいラーメンはうんざりだ。 最近、おなかも出てきたし、ヘルシーなのがいい。 もはや美人な愛妻コンビ二弁当など食い飽きた。 おれに今必要なのは、冷たくて、のど越しがよくて あんまりそしゃくしなくていいものだ。 そうだ。豆腐だ。豆腐がいい。 冷えてる豆腐がいい。冷奴にしよう。そうしよう しょうが醤油がかかって旨い、つるんとのどを湿らせる豆腐だ。 できれば冷たい卵豆腐がいい。 女郎街をふらつき 豆腐をおいている店屋を探していると世の中にはあるもんだ。 看板には「めどうふ」と書いてある。 どうやら売笑婦と豆腐をあつかっている店らしい。 ふざけた店だ。 今は女には乾いておらん。そうじゃ、冷奴に飢えているのだ。 がらりと引き戸をあけて店に入る。 すぐに店主は隠微な表情を浮かべて近づいてきた。 店主「へぇ、どのこにしましょう。」 カイト「いらん。とうふを一丁頼む。」 店主「ですからどのこに。」 店主が部屋の奥に目配せしたほうをみると、派手な染物の着物を着た花魁がずらりとならんでいた。 奇妙なのは女の顔がのっぺらぼうだったということだ。 いや、よくみると花魁たちは全員豆腐だった。 世の中ままならないものだ。豆腐を食いたいだけだったのにこのありさまだ。 がっくりとした私をよそに店主はしきりに手をもんで慣れた店口調でしゃべりはじめていたがよく聞こえなかった。 カイト「とうふはくえんのか。」 店主「もちろん、もちろん。お召し上がりですね。どのこでも美味しく食べられます。」 カイト「そうか、この店はアンパンマンみたいなシステムか。」 きらりと私の目が輝く 店主「へへっ、」 とにやけた笑いで返してきた。 カイト「冷奴がいい。」 店主「冷奴?うちは豆腐しかあつかっておりません。」 カイト「馬鹿なこというな。豆腐を扱ってるなら冷奴くらいだせるだろう。」 店主「ですが、ありません。」 カイト「じゃ、なんだ。湯豆腐をあつかっているのか。」 店主「うちはおんなを煮たり、冷やしたりできません。」 カイト「じゃ、なんだ。人肌の豆腐をあつかっているのか。いまいましい。」 店主「何をお怒りなのか私にはさっぱりですが旦那様、では、あっしから聞きたいことがございます。」 カイト「なんだ。いってみろ。」 店主「豆腐はどこから冷奴で、どこからが湯豆腐なのでございましょうか。」 カイト「お前、そんなことも知らないで豆腐を売ってるのか。馬鹿なやつだな。いいか、よくきけ冷たい豆腐が冷奴だ。ゆでた熱い豆腐が湯豆腐だ」 店主「そんなに温度が違うだけで味も変わらぬ豆腐は変わるものなんですね。」 カイト「豆腐はかわらん。熱いか冷たいかの違いだといってるだろう。」 店主「では湯豆腐が食わずに冷めたら冷奴ということですか。」 カイト「うるさいやつだな。いいかそれは、冷めた湯豆腐だ。」 店主「ははぁ、では冷奴が温泉につかったら湯豆腐ですかね。」 カイト「馬鹿をくりかえすな。それはあったかい冷奴だ。」 店主「どうも旦那様のほうが馬鹿に見えるんですが、気のせいですかね。」 頭にきて店を飛び出そうとしたとき、 だんなはん。 奥から女の声がしてふりむいた。 女は膝に小さなこどもをのせてこちらを見て、くすり、と笑いながら だんなはん あたたかいものはあたたかいうちに つめたいものはつめたいうちに みずのこころでっせ …みずのこころ 店を出ると夜になっていた。 腹が減ったまま、帰り道、路傍の草に夜露がついている。 不思議なことに朝が来れば朝露となるのだろう。 水はかわらないというのに

るるりら (2018-09-10):

鈴木 海飛さま こ これは、なんでしょうか?大大、大の大傑作ではないですか? この目を見張るような返信をいただいた夜は、 ひとしきり爆笑し とても幸せな気持ちで 眠りました。 なんと この返信をいただいた翌日には、関西に赴く用があったのです。 昼食が食事会だったのですが、中居さんが 愛嬌のあるかた つんとしたかたと色々な方が お給仕をしてくださったのですが、湯豆腐が冷めた感じの中居さんとか クールなのに はんなりと湯豆腐ぽい中居さんとかと 談笑したんですよ。笑うしかない。 なんだか、鈴木 海飛さまの おみずのような清々しい こころが いちだんと沁みました。ありがとうございます。

鈴木 海飛鈴木 海飛 (2018-09-10):

あくまでも返信ということでの笑いなので、 多数向けの笑いではないでしょうね。 それでも、るるりら様に笑っていただけたなら 書いたまた私も幸せです。 ただ、噺家のように上手に表現できればといいのですかなかなか難しい。 二点ほど反省するなら・・・ 一点目は 「とうふはくえんのか」とは 豆腐はくえないのか… という私の嘆きです それを店主が くえるのか? と質問されて勘違いするおかしさを書きたかったのですが なかなかにもったいないことをしたと悔やんでおります。まぁ、いいかともおもいますが。 あたたかいものはあたたかいうちに つめたいものはつめたいうちに みずのこころでっせ …みずのこころ これは、私にとっての分かっている常識なのに、 時と場合によってすぐに忘れるという いまいち分かっていないことをとうふのおんなに諭していただいた姿でもあります。 それは、煮え切らないやつをみるとすぐにちょっかい出したり 無理にでもどうにかする、せっかちさ。 もちろん、あたたかいものはあたたかいうちに つめたいものはつめたいうちにおいしくいただくのが一番よいでしょう。 しかし、あたたかいものでもないつめたいものでもない 人肌の豆腐もおんなじ、もとはみずのなかで生きてる豆腐なのよ。 乱暴にあつかうと食べる前においしさだって壊れてしまう。 冷奴を食べたいのは分かるけどあなたにとうふを壊す価値があるのかしら、 もしかして、本当に食べたいのはまーぼー豆腐? そういうふうに言い含めたような笑い そんなふうに、くすりと笑ってもらって、はっと気づいた瞬間です。 二点目は遊女と芸子の違いに気づかないままに書き出してしまったことです。 この二つは時代によってかなり意味合いが変わってくるし 遊女と芸子のなかにあるしきたりを破れば、判別はつかなくなってしまうとてもややこしいものです。 ですが、そのへんはあんまりそしゃくしなくていい、あなたの詩のなかにある豆腐としての愛嬌をいかしてうやむやにするべきだったなとも思います。 で、最終的にはそんなふうに豆腐が私の体にとけこんで みずのこころを余計な言葉を使わずに諭されたようなるるりらさまの詩でありました。 ごちそうさまでした!!!

るるりら (2018-09-17):

ふふ ふ。かさねがさねのレスも たのしゅうございました。ありがとうございます。 わては、このへんはあんまりそしゃくしないで、あなたさの愛嬌のある やわらかい言葉の角を ていねいに箸でつまんで いただきとうおす。           合掌いただきます。


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