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大阪のミャンマー   

地(🌐)球 
作成日時 2018-07-26
コメント日時 2018-08-19

 

大阪のミャンマーはやたらに生真面目な青年で、直立不動がよくにあう。まいにち夜の公園で詩を朗読しているから、はたからみるとちょっとあれで、しかも時々に勝手に感極まって泣いているという。 仕事がおわるとミャンマーは6キロの道のりを歩いて帰宅する。ひたすらにまっすぐ歩きながら、へとへとのミャンマーは詩を書いたりしている。ミャンマーは定期券を買ったことがない。ミャンマーには一ヶ月先の生活がわからない。その日暮らしのちっぽけな存在が、ミャンマーそのものだ。 ミャンマーはひとり橋を渡っている。ミャンマーの住む都市のなかには、淀川というとても大きな川が流れている。 ミャンマーは立ち止まってはならない。橋の上はいつもごうごうと都市のつよい風がふいていて、いま、ミャンマーは欄干に背をもたれている。すこしの力が作用したらどこか遠くへ翔べると信じているのか、或いはなにも知らないのか、空をぼんやりみたり川面をみつめたりしている。水鳥が飛ぶ。夜には色が変わる。この川の両岸にしずかに佇んでいるテトラポットたちはみんな、ミャンマーだ。 ミャンマーは日本人であるが、いつからか誰かにミャンマーと呼ばれている。祈りや叫びや魂に国籍はなく、ミャンマーがなぜミャンマーなのかは誰一人知らなかった。小さな器をめいっぱいにいきる名もない詩人に似つかわしい、濁った大きな川がある街がミャンマーの街、大阪だ。彼は大阪のミャンマーだ。それですべてがまるく、収まっている。


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地(🌐)球 (2018-07-26):

詩動画のための詩です。リーディングもしてみました。たのしかったです。 動画:大阪のミャンマー 制作:詩人Z https://twitter.com/poemer_z/status/1013761680159883264

ヤエヤエ (2018-07-26):

童話のような感じがしたのは、リーディングが前提だからですね。川について何度か出てきますが、どういった意図があるんだろうなと思いました。

花緒 (2018-07-26):

なんということはない文の連なりのはずなのに、特に目立つ箇所も盛り上がるパートもないはずなのに、なんだかクセになるような、ほんの少しだけ、確実に知っているものからズレているような浮遊感がある。ヤエさんの指摘するように、確かに童話のような感覚がある。不思議な作品だ。

右肩ヒサシ右肩ヒサシ (2018-07-26):

花緒さんの指摘は正しいと思います。 地球さんの詩の魅力は、実在するものの描き方がちょっとずれた感じ。古いガラスの向こうの風景のように、詩的な感性によってずれた現実が、ずれたまま「現実」として再定着しているようなところがありますね。淀川の描写がそれ。主観的判断が散見されるけれども、それが主張にはならず、「そういうふうに判断されるもの」としての「現実」として詩に定着していくので、押しつけがましさがありません。 足元の定まらないふらふらした記述が、そのまま足元の定まらないふらふらした世界を作っていて、危うさが魅力的です。

ゼンメツゼンメツ (2018-07-26):

ぐぬぬ傑作。僕、今月分しかみなさんの詩は読んでないんですけど、この作品は正直嫉妬しました。そしてさらに右肩さんの評を読んで僕の中でその良さが開けた気がします。ライトな語り口のままに詩としての強度をしっかりと持つ作品を作れるその手腕に現代詩の未来を感じました。

かるべまさひろ (2018-07-27):

ベトナムごっこ、を彷彿とさせられました。

まりも (2018-07-27):

〈その日暮らしのちっぽけな存在が、ミャンマーそのものだ。〉〈この川の両岸にしずかに佇んでいるテトラポットたちはみんな、ミャンマーだ。〉ミャンマーというのが、個人に対するアダナ、なのだろうと思うのですが、それが、明日への希望や期待を持ちがたいような、都市という重圧に吹き消されてしまうような(その消されそうになるチカラに抗して、詩を読んでいる、のかもしれないけれど)存在へと普遍化される、テトラポットのよな、孤独な在り方(をする存在すべて)に普遍化されていく、そこが良いと思います。 大阪、という都市名と、ミャンマーという国名が結びついて、それが、このような在り方(ひとりで、明日をも知れず、しかし静かに存在を主張する)を示す名前ともなる、というところは、とても面白いと思うのですが、ひとつ、ちょっと心配であるのは、世の中には、国名を呼ぶことで、差別的な意図を込める場合があって、悲しいことに、それがなかなか減らない現実がある、ということでしょうか。この作品の場合は、国名をそのまま「あだな」として用いることに、差別的な意図はないことはわかりますけれども・・・(その意味で、「ミャンマーは日本人であるが、」この説明的な部分が必要になる、と思いました)

地(🌐)球 (2018-07-27):

ヤエさん コメントありがとうございます。 わたしは「詩がなにか」はよくわからないのですけれど、「詩情とはなにか」はわかるように思います。 童話のように感じてもらえてうれしかったです。 花緒さん (うまくいえるかわからないですけれど、)花緒さんの分析力とピンポイントで刺してくるようなコメントの精度がすきです!

地(🌐)球 (2018-07-27):

右肩さん わたしは評とか人の詩を読むとかが、本当に苦手でまともに取り組んでいないのですが、 右肩さんのコメントを見ると、詩作にとってはとても重要なことなのだとわかるような気がしています。 わたしの書いた文字列から情報を的確に取り出せる力は、詩を出力するよりもずっと難しいように思います。 魔法みたいだなあ、と思います。コメント、とても勉強になりました、それにうれしかったです!ありがとうございました。 ゼンメツさん はじめまして、こんにちわ。わたしもみなさんの評を通じて、あたらしい発見や勉強をさせてもらっています。 この詩はリーディング用の意図もあり文字だけみてもおもしろくないんじゃないかなあ、ってずっと思っていました。 なのでゼンメツさんに「傑作」といってもらえたのが、とてもうれしいのです。ライトな語り口、詩としての強度。しっかり覚えておきたいです、ありがとうございます。

地(🌐)球 (2018-07-27):

かるべさん こんにちわ、いつもコメントありがとうございます。 ベトナムごっこも読んでくれていたのですね、とても幸せな気持ちがしています。こういう詩は書いてたのしいですね。 まりもさん お世話になっております。 fiorinaさんの「白島さん会」でのユウさんの自己紹介がおもしろくてそれをモデルに書きました。 そのとき百均さんと「詩は実(話)からか?」みたいな話しをしていましたのも頭に残っています。 ミャンマーには差別的な意図はもちろんありませんが、いろいろイメージさせる優秀な(?)単語ではあるようにおもいました。わたしの意識できていないことも丁寧に読みといて評をいただいて、ありがたいです。

二条千河 (2018-07-27):

まりもさんも触れていらっしゃいますが、大阪、ミャンマー、淀川、といった固有名詞がとても活きていて、これは札幌では成立しないなと思いました。 「生真面目」だけど「ちょっとあれ」な詩人が住むのにふさわしい猥雑な街、「今」だけを生きるような暮らし。ちょっとした異世界というか、ショートフィルムを見るような感覚になりました。

survof (2018-07-27):

「それですべてがまるく、収まっている。」というフレーズ、最強ですね。この作品の感情、感覚がすべてこのフレーズに凝縮されていて、さもなければバラバラになってしまいそうな心許なさにきちんと文鎮をおいて、作品全体に息を吹きかけて生命感を添えているように思います。地球さんの作品にしては説明的な表現が多かったのが個人的にはちょっと物足りない感じがしました。

仲程仲程 (2018-07-27):

ん、最後のフレーズ いいですね。 そこまで持って行く雰囲気がうまくいってるのでしょうね。 絶えず流れてぼちぼちや

蔀 県蔀 県 (2018-07-27):

いやあ、うますぎませんか? 惚れ惚れしながら読みました。リーディングをなさったということですが、ここでこうやって見るだけでもすばらしく楽しめます。 小説の出だしのようにも思えて、最終行「それですべてがまるく、収まっている。」のあと、改行が入って、いまにも物語が始まりそうです。そういうわけで、変な話、すさまじいクオリティなのに物足りない感じがしてしまいました。あわてて言い添えておきますと、これはもちろん不満ではなく、もっと読みたいぞという称讃の意味です。なんでもう終えちゃうの、もっと続けてほしかったのにー、みたいなニュアンスです。すごいと思います。

地(🌐)球 (2018-07-28):

二条千河さん 札幌だと名詞の中に寒さとか雪とかが入ってそうですね。 大阪にミャンマーも名詞ですが、足し算されての異世界感なんでしょうか?考えてると朝からたのしいです。 survofさん コメント頂いて読み直すと、たしかに最後のフレーズが要なんですね。テーマがあるとしたら、これだったのかもしれません。 説明が多いのは、何故なんだろう。リーディングしようとしたから?でしょうか。 しばらく詩作も投稿もしませんでしたが、survofさんの詩が目に入って再開してみました。だからコメント余計に嬉しかったです、ありがとうございます!

地(🌐)球 (2018-07-28):

仲程さん ミシシッピー! 絶えず流れてぼちぼちやは、パワーワードです、忘れられないです! 最後のフレーズを目に留めていただき、ありがとうございました。 蔀 県さん 自分ではこの詩はテキストとしてはイマイチなんじゃないかな、という思いがまだ消えず、みなさんに勇気づけられてます。前向きによく考えてみようと思います。 コメントありがたいです、たのしく詩をかけましたし、なにかを感じて貰えたから、より幸せです!

夏生夏生 (2018-07-28):

地(🌐)球さん、御作にコメントさせて頂きます。 ミャンマーと聞いて、国やミャンマーの人のイメージが浮かんで。大阪にいる、大阪のミャンマーという不思議な響きに導かれて。6キロを歩く、定期券を持たないミャンマーと呼ばれた日本人の在り方が国籍を問わず、生きにくさ、自分を通すことの難しさが漂っているように感じられて。大阪に受け入れられているような最後の言葉にふっと救われた心地がしました。

地(🌐)球 (2018-07-30):

夏生さん こんにちわ。丁寧に読んでいただいてわかりやすくいいかえてくださり、ありがたいです。 救いが在る物語はわたしもすきです。意識して書いていませんが、自分がそれを詩にできたのならたいへんにうれしいです。 一見世知辛い世の中ですが、こころの置き所次第ですてたもんじゃないなあと思ったりしています。 コメントうれしかったです。

るるりら (2018-08-15):

ミャンマーを異邦人と差し替えて読んでみました。 ミャンマーは日本人だが、 祈りや叫びや魂に国籍はないとは、つまり異邦人を示すと思ったからです。 >この川の両岸にしずかに佇んでいるテトラポットたちはみんな、ミャンマーだ。 テトラポットなるものが あんなふうにあちこちにあるのは日本ぐらいだと聞いたことがあります。定期券で交通機関を利用している日本人や月給で働いている人々は そうでない人々を もしかしたら異邦人のように見つめてしまっているかもしれません。 テトラポット的な事象こそ、 ほんとうは もっとも日本らしい物象なのかもしれません。

地(🌐)球 (2018-08-17):

るるりらさん コメントありがとうございました。テトラポットのところありがとうございます。淀川には実際たくさんテトラポットがあるのですが、都市に川があること、川にテトラポットがあること、わたしにはとても不思議でした。

みうら (2018-08-18):

この作品が七月の裏番長として好評であることは間違いない。選評を書いた誰もが、ミャンマーを誰かが推挙するはずだと信じていた。ところが、大賞決戦にミャンマーの姿はなかった。とても残念なことだけれど、ミャンマーらしいよね、地球さん。不器用な詩人に晴れの舞台は似合わない。大阪の川のほとり。公園でぽつんと選挙演説に負けないで詩を叫んでなきゃ詩人にはなれないよね。うん。

地(🌐)球 (2018-08-19):

みうらくん コメントありがとうございます。なんだかおもしろいことを言いますね。 たくさんの詩を読めば読むほど、この詩では一番にならないこと、うまくは言えないけどわたしは自分ではよくわかる気がしています。 だからそんなに残念とはおもわないし、みうらくんの言う通りに川のほとりも公園もだいすきだから、わたしはこういう詩をまたかいてみたいです。 負け惜しみじゃないよ。それにワンポイントキュレーションを複数もらえたこと、こんなうれしいことはわたしにはもう無いんじゃないかな。とても大事な作品になりました。 ありがとうね。また気が向いたらかきますね。


永遠の子ども   

四畳半学生 
作成日時 2018-07-15
コメント日時 2018-08-19

 

暑い 暑い 暑い 19の夏 平成最後の夏 平成生まれの僕は平成の最後に大人になれませんでした 平成最後の夏 僕は子どものままでした さようなら 平成 さようなら 僕は大人になれませんでした 平成を越えられなかった君へ 未来は必要無かったんだね 白昼夢に抱かれることもなく 夜中3時 君は眠りについた 永遠の子ども 永遠の少女の君へ 永遠の子ども さようなら さようなら 妹よ


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百均@B-REVIEW ON/ (2018-07-15):

妹とは、誰かというのがなんとなくの疑問でした。何かしらの文脈が潜んでいてそのヒントが詩文にあるのかもしれないのですが。なんで妹なさようならをするのでしょうか。 平成に生まれて平成が終わる前までに大人になれなかった。というのは話としてわかるような気がします。その上で永遠の子供というのは年号を乗り越える事が出来なかった子供達というイメージなのかなぁと思います。だから永遠の子どもというのはいき続けるから永遠なのではなく時が止まってしまうから永遠になるのかなと思いました。だから妹はもう死んでいるのかなとなんとなく思います。 暑い 暑い 暑いから朦朧とした様子が伺え、熱のせいで普段考えない事や忘れていたあるいは忘れることにしていた感情が、平成最後の夏という余波を匂わせながら接近してきて一番最後にコアである妹の存在と、語り手そのものは大人になった瞬間に平成から切り離されるみたいなイメージ、、、なのかなと思いました。妹は別に生きているかもしれないし、別の解釈はもっとありそうですがまずはたたき台として提示しようとおもいます。

四畳半学生 (2018-07-15):

百均@B-REVIEW ON/ 様 コメントありがとうございます。 妹という存在は読み手によって解釈が左右されやすいかと思われます。 妹とは誰なのか、そこに疑問を抱いていただいたこともまたありがたいです。 この詩を読んだ時、特殊な時間に生きている方々に、初期衝動のような、何かしらの記憶が蘇るようなことを願って書きました。

ヤエヤエ (2018-07-15):

平成の最後に大人になれませんでした、という言葉はインパクト強いですね。言葉のキャッチーさは詩にとって魅力ですね。 妹ですが、私は詩の主人公の中にある幼児性なのかと考えました。大人というのは内面についてを示す。つまりは、主人公は大人になれなかったのではなく、大人になるために平成の時の内に、自分の幼さを置いていって、大人になるのかなと連想しました。そこに少し寂しさがある。 色々な解釈があり、面白いですね。

IHクッキングヒーター(2.5kW) (2018-07-15):

僕も、妹は亡くなってしまったんだろうなと思って読みました。平成が終わってしまうことで、妹の死も、大人になれない自分も、すべてが取り残されてしまうような、そういった感覚を受けました。しかしヤエさんの解釈も面白いですね。 平成最後の夏っていうフレーズ、嫌でも印象に残りますよね。Twitterなどでも話題になっていますし。

四畳半学生 (2018-07-15):

ヤエ 様 コメントありがとうございます。 IHクッキングヒーター様もおっしゃる通り、この詩の「平成最後の夏」というフレーズは非常にキャッチーなもので、一方ではこのフレーズは別離のフレーズたり得るものであるのに、一つのイベントのような形で過ぎていくことに疑問を覚え、そこがこの詩の出発点であったのかもしれません。 この別離の感覚を主人公の子ども面と大人面の二面性での解釈は大変面白いと思いました。ありがとうございます。 IHクッキングヒーター 様 コメントありがとうございます。 年号が変わるというのは、一つの時代の終わりであり、そこに抱く感覚は人それぞれです。全てが取り残されていく感覚、それもまた十二分にあります。 「平成最後の夏」の印象の高さはヤエ様の返信にもありますので、ぜひご一読ください。コメントありがとうございます。

花緒 (2018-07-16):

平成、という言葉は確かにキャッチーであるし、印象にも残るのだけれど、その分、では、平成が何を象徴しているのか、というと、特段これといったシンボリズムを表象している訳でなさそうというところに、本作の弱さがあるように感じる。平成最後が、単に日付の区切りでしかないのだとすれば、そこから発生しうる感傷も浅薄なレベルに止まらざるを得ないように思う。うまくまとまっていてかつキャッチーなだけに、もう一捻り欲しかった印象。

眠莉眠莉 (2018-07-17):

平成の最後に大人になれませんでした、というフレーズは良いなと思いました。でも、私には全体としては残念ながらグッときませんでした。ちょっと今疲れていて、きちんと理解出来ていないのかもしれません(苦笑) 多分、私が平成が終わることにそこまで切なさとかそう言った気持ちをあまり持っていないからかもしれません。

四畳半学生 (2018-07-18):

花緒@B-REVIE 様 コメントありがとうございます。 おっしゃる通り、この詩の中の平成は正直昭和でも大正でも構いませんし、単なる日付の区切り以上の意味は文中からはあまり読めないなと思いました。 私にとって平成の終わりというのはあまりに早すぎて、かつ唐突なものでありました。そんな風にしか感じられない自分自身の浅はかな感覚を、半ば皮肉を込めて永遠の子供と詰ってみた詩でもあります。 深読みをすればするほど独りよがりな読みに走ってしまう詩でもあるのかなと、花緒様のコメントから思いました。ありがとうございます。 眠莉様 コメントありがとうございます。 かなり読み手様の状況によって解釈が左右される詩なのではないかと自分自身感じ始めております。 ありがとうございます。

かるべまさひろ (2018-07-18):

大人目線で子供を語るのではなく子供目線で子供を語ってるところが好きです。

四畳半学生 (2018-07-19):

かるべまさひろ様 コメントありがとうございます。 詩歌に限らず子どもを対象にするときには「児童」ではない彼らを描こうと努力しています。 自分の詩を好きと言っていただけるのは大変嬉しいです。ありがとうございます。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-07-19):

起きて半畳寝て一畳渡辺八畳@祝儀敷です すでに言及されていることだが 「暑い 暑い 暑い 19の夏 平成最後の夏 平成生まれの僕は平成の最後に大人になれませんでした」 この行ならびに状態はエモい。まさに今この時代に活きているエモさであり、「現代」詩であるならばやっぱこういった事象を取り扱わなければなと思わされる。 ただそのスタートダッシュなエモさで終わってしまっている。原因はリフレインの多用だろう。繰り返す語句の持つ力に頼りきってしまっている。 かつて19(ジューク)という音楽グループがいたが、彼らは「大人でも子供でもないはざまな年齢」だからということでその名前をつけた(諸説あり)。そのままで物語性があるこの状態を材料に使ってさらに詩情を生み出してほしかったなと思わずにいられない。

四畳半学生 (2018-07-19):

渡辺八畳@祝儀敷 様 コメントありがとうございます。 おっしゃる通り、私自身この詩はもっと詩情に溢れた、読むだけで心がざわざわするものをもっと込められたらよかったのではと考えております。 出だしの文をより活かすことが出来るような詩を書いていこうと邁進していきます。 コメントありがとうございました。

カオティクルConverge!!貴音さんカオティクルConverge!!貴音さん (2018-08-06):

平成だから、それも最後だから書ける詩 今を生きてる人には色々と思いを巡らせさせる詩 次の時代はなんて呼ばれるのか分からないけど ●●が終わる時に、もし私が生きているなら この詩を思い出すのだろうと思います。 だから次の天皇には早く退いてもらいたいものです。 冗談です。

四畳半学生 (2018-08-19):

貴音 様 コメントありがとうございます。 返信が遅くなり申し訳ありません。 そこまで印象的に思っていただけたなら、尚更より深い詩情を生み出しておけばよかったとこの詩に対する若干の後悔のやうなものはありますが、これが完成形でもありますので是非思い出してあげてください。


口縄にて   

湯煙 
作成日時 2018-07-12
コメント日時 2018-08-17

 

くねくねと細長く続いていく。 なだらかな石段を下ると歩道を挟み、南北に伸びる国道が待つ。 たもとにはいつも、一匹の猫がいた。 朱に塗り込められた、とある念仏寺の門。 門前の脇に置かれた、真四角の煎餅板の上で前脚を揃え、 猫は半眼の、こくり、こくり。 墓参り。散策。 訪れる人々を横目に日がな陣取り。 ふさふさと、薄茶の毛が軽やかに白に戯れる。 ふくよかな首筋を撫でてやれば、物欲しげな声をたてる。 こくり、こくり、じっと頭を垂れる。   * うららかな晩秋の昼下がり。 一眼レフカメラを手に嬉々と無私の時を過ごした。 標準から広角、そこからさらににじり寄り、 鋭く張る銀の髭、薄桃に色付く膚の円形に剥き出した顎、 ボディーごと両膝をつき、レンズを差し向ける。 広がる青の清澄。はるか遠く、黄金の風の瞳が開き。 モデル料の代わりに、缶詰めの魚身を差し出す。 赤茶色の、泥土のようなそれに、鼻頭を寄せ舌に乗せる。 もらさず食べ終えると悠々と毛繕いをし、こくり、こくり。   * 人の話し声が聞こえてくる。 コツコツと尖った甲高い音がやってくる。 耳の先からゆっくり後方へ反る。花弁のように開く眼。 構わずフレームを決めピントを合わせる。 そしてレンズを定めてシャッターボタンを押しこんだ。 パンッ!─── 乾いた破裂音が辺りを満たす。 ファインダーが、視線が空を飛び散り、舞う。 ケータイを片手に女が小走りに脇を抜けていった。 近くの鬱蒼とした林の木々の梢が擦れ合い、 コンクリートの灰の壁に翳が差す。   * 隣り合う念仏寺の門前の敷地と小さな町工場との境。 わずかな隙間を隠すように、青いベニヤ板が塞ぐ。 地面に接する板の下方は矩形に切り抜かれていた。 覗き見るとどこまでも薄暗い、遮るもののない道が続いていた。 煎餅板を蹴り上げ、駆けたか。 被写体は現れなかった。   *   閑静な住宅や個人事務所が建ち並ぶ筋の道を入る。 うっすら霞のかかる街の上空と地平とを望む。 照り返す陽が美しいという一角から、なだらかに下る石の階段。 たもとの先には南へ北へと往来する車両。 人気の途絶えた歩道。 鎮座する猫。 寺の門前に建つ石碑から石碑へ飛び移ってみせた。 地面に背をこすりつけては白い腹を開陳した。 そんなこともあった。 闇に紛れたもの、今も探している。


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かるべまさひろ (2018-07-18):

猫町を思い出しました。 あとニュアンスは異なるはずなのに、武雄温泉の楼門を思い出しました。

まりも (2018-07-20):

「パンッ!─── 乾いた破裂音が辺りを満たす。」 まるで、ピストルで撃ち抜くような感覚ですね。ファインダー越しにのぞく、ということ。獲物を狙う、ということ。 前後を読んでいくと、「なだらかな石段」を下った先、「くねくねと細長く続いていく」石段のたもと、「門前の脇に置かれた、真四角の煎餅板の上」に居る眠り猫のような、不思議な存在感のある猫(ぬし?)を「被写体」として捉えようとした、その瞬間、猫は「煎餅板」を(パンッと?)蹴り上げて、消えてしまった・・・ということ、になるのでしょうけれども・・・猫が蹴り開けた、であろう「煎餅板」があったあたり、「地面に接する板の下方は矩形に切り抜かれていた。/覗き見るとどこまでも薄暗い、遮るもののない道が続いていた。」ところが、妙にコワイ。不気味というのか、いきなり異界が開けているような感覚があり・・・その異界の先に、また、同じようにうねうねと続く石段の道が、再び現れる、というエンドレスの感覚。 同じ場所を少し角度を変えて書いているだけなのかもしれませんが、「覗き見ると~」の連が入ることによって、一つの世界に空いた穴から、同じようなもう一つの世界へと入り込んでいくような、奇妙な感覚が生まれるのですね。 くねくね、うねうね、と続く石段、それが「口縄」なのでしょうか。全体が蛇の体であり、「朱に塗り込められた、とある念仏寺の門。」が、蛇の口のように見えて来る感覚もありました。 かるべさんが、猫町(朔太郎の?)を連想していますが、かるべさんもまた、奇妙な(どこか怖いような)酩酊感を感じ取ったのでしょう。不思議な読後感の残る作品でした。

湯煙湯煙 (2018-07-22):

・かるべまさひろさん そうですか。猫町みたく幻想的に描ければと思いますが・・・こちらもニュアンスが異なりますが、なぜか羅生門(芥川作。を思い出させましたね。 ありがとうございました。 ・まりもさん カメラによる撮影は狙うという感じからやはり狩猟のといいますか、銃みたいだと思わせるものがあります。この箇所についてはカメラ、ピストルなどが爆発暴発といった感じからになりますか。 異界に続くエンドレスな・・なるほど。認知不能ななにかに繋がるものがあったりなかったり。そんなところでしょうか。もちろんただの路地ですが、猫道に蛇道といいますか、なかなか頭では理解し難いことがあるようです。そうしたことなどをカメラにより知らされた、そんなところになるでしょうか。 ありがとうございました。

澤あづさ澤あづさ (2018-08-11):

※このコメントは7月選評です。作者様でなく閲覧者に向けて書いています。※ 説明の決定的に足りない、解釈の余地の大きい文章です。小説ならダメだと思いますし、小説ではやる意義が薄いとも思いますね。つまり詩でやる甲斐のある表現だと。 奇妙な題名には「蛇の道は蛇」やら「結界」やら「口を噤む」やら、感受できる含意が豊富です。作品もどんなふうにも読めるのでしょう。わたしは下記のように、ごく平凡にこの詩を感受しました。 *** 念仏寺の門前にいつも鎮座していた猫が、語り手に写真を撮られた日に姿を消してしまった。写真はひどくぶれてしまったか、撮る前に逃げられてしまったか、少なくともしっかりとは撮れなかったようです。撮れなかったから語り手は、猫をいまも探すのでしょう。 半眼の仏のような、だが仏の偶像でも象徴でもなかった猫。語り手は【無私】の奉仕として猫の写真を撮ろうとしたようですが、猫は像にされることを拒み、語り手には通れない道をこじ開けて去りました。この部分に最も大きな解釈の余地があります。 写真に撮られてしまったら、もう会いに来てもらえないと思って、すねて逃げたのかも知れません。写真さえあれば会えなくてもかまわないような相手だと、思われたくなかったのかもしれません。 *** 鮮明な描写です。心理描写がほとんどありませんが、語り手が猫に注ぐ熱視線のほどや、猫が語り手に特別になついている様子がよくわかります。特に二段が印象的。 【広がる青の清澄。はるか遠く、黄金の風の瞳が開き。】 うららかな晩秋の昼下がりの日差し、カメラを構えた語り手の熱視線、周囲の音が耳に入らないような緊張感と高揚感、日差しに照らされ風にまで見つめられている猫の美。そうした抒情が凝縮された美文です。この作品はこのような、小説では書いても読み飛ばされるから書く甲斐の薄い美文のかたまりです。

仲程仲程 (2018-08-14):

某掲示板でタイトル変更されてましたが、こちらのタイトルが好きです。つかみどころのない心地よさというか、うまく言えないんですけど。

湯煙湯煙 (2018-08-17):

・澤あづささん そうですね。私も少し思うところがあり。たとえば猫をめぐるのみの詩にするべきか、あるいはプロットや表現等、考えてしまいます。タイトルは実際に存在するものからとなりますが、なるほど、いろいろに受けとる余地のあるもののようですね。 ちなみにその際のネガにはなにも写っていませんでした。なぜかはわかりませんが。驚きといいますか捉えきれない現象、体験についてのものとなるかと。カメラをめぐるものでもあり情景が浮かぶような描写をしたかった、そうした部分はありました。空気感や静と動を含めつつですが。 ありがとうございました。 ・仲程さん そうですね。タイトルを変えています。ご存知かと思いますが、実際に存在する名称からのものです。迷いますが、こちらが良いのかも知れませんね。つかめない心地よさ、なるほど。・・・参考になります。 ありがとうございました。


どら猫セラピー   

花緒 
作成日時 2018-07-04
コメント日時 2018-08-15

 

 わたしの友人が言うには、ヒモのような身体のどら猫がいつの間にか家に上がりこんでは、お父さんが病気だから魚を貰っていくでん!などと言いつつ、食べ物を勝手にくすねていくのだという。友人は10年近くもの間、家に引きこもって、外出することもままならなくなっていたから、どら猫だろうがなんだろうが、訪ねてくれる存在がいること自体が嬉しく、どら猫のするがままに任せていたそうだ。とはいえ、親に見捨てられた子供を励ますために、お菓子を貰っていくでん!だとか、洞窟に閉じ込められた人間を助けるために、みかんを持っていくでん!だとか、嘘八百を並べ立てているとしか思えない言い訳めいた口上が気に障ってもいたらしい。  家に引きこもり、誰とも交わることのできなくなった僕にとって、君の存在は本当にかけがえがない。ここにあるものは全部、幾らでも好きに持っていってくれたらいい。だから、君はもう僕に見え透いた嘘をつく必要なんてないんだよと、ある日友人はどら猫に優しく話しかけたそうなのだが、おいらにはおいらの立場があるでん!親に迷惑をかけるしか能がないどら息子のくせして、おいらに上から目線で説教を垂れていやがるでん!と、どら猫は膨れっ面で家を出ていき、次の日から姿を見せなくなってしまったというのだ。  町内会では、どら猫のことが話題になっていて、どら猫をひっ捕まえて、保健所に引き渡してやろうかという話も持ち上がっていたという。友人は、どら猫を殺して何になる!と激昂し、どら猫の捕獲に反対したそうだが、常識人揃いの町内会で、引きこもりの意見が通るとも思えない。近隣の住人たちが、どら猫を捕まえて殺したりしないか心配で夜も眠られず、遂には神経衰弱のような状態になってしまったらしい。  言うのも馬鹿馬鹿しい話だが、人間の言葉を話すどら猫がこの世に存在しているはずはない。それに、部屋から一歩も出られない友人が町内会の寄り合いに参加していること自体、辻褄が合わない。長期にわたる引きこもり生活のせいで、おそらく友人は強迫的な妄想に取り憑かれてしまったのだろう。友人の神経衰弱はもはや入院して専門的な治療を受けるしかない程に酷い段階に突入してしまっているのだろうが、それを指摘して精神病院送りにしたところで、何になるだろうとは思った。  それなら、どら猫を守るために、町内をパトロールしてみてはどうだろうか、とわたしは提案してみた。わたしの意見に賛同した友人は、10年ぶりに家を出て、近所を散歩するようになった。続けて、わたしは、出前を運ぶアルバイトをやってみてはどうかと提案してみた。出前の仕事であれば、否応なく町内を歩き回ることになるし、注文をした家に上り込むこともできる。万一、どら猫がひっ捕まって酷い目に遭わされていたら、助け出す機会も得られるかもしれない。  友人は複数の出前を掛け持ちし、一日中駆けずり回った。毎日10時間以上、町内を歩き回り、次第に健康体になっていった。ある日、友人はわたしの家にやって来て、もうどら猫のことは考えなくて済むようになったよ、と語った。毎日10時間以上歩き回る生活を数ヶ月続けたが、一度たりともどら猫を見かけなかった。ようやく、僕はどら猫なんてこの世に存在していないってことに気づいたんだ。君が僕の妄想に寄り添ってくれたから、気づきが得られたんだと思う。君には本当に感謝しているよ。  10年前、僕の家の隣で、娘が嘘ばかりつくことに不安を覚えた父親が神経衰弱を患い、娘がこの世の生き物でなくなったという妄想に取り憑かれた。父親は、年端もいかない子供を押入れに閉じ込めて、食事を一切取らせなかった。娘は飢えてヒモのような体になるまで瘦せ細り、白骨となって発見された。隣人の様子がおかしいと薄々感づいていたのに、手を差し伸べなかった自分が嫌になり、罪悪感に苛まれた。当時、ローカルテレビは、事件の報道で持ちきりで、ワイドショーやニュース番組を食い入るように見続けたが、識者やコメンテーターと呼ばれる人たちは、役所や学校は何をしていたのかと公的機関を批判するばかりで、隣に住んでいる人間については言及することさえしなかった。隣人の妄想に何の介入もできなかっただけでなく、その結果、どれだけの不幸が起こっても批判さえされない現実に直面し、人と交わる気力が消え失せた。でも君のおかげで、僕はようやく外に出るきっかけを掴んだんだよ。  毎日、友人は、出前の仕事が終わると、わたしの家に食べ物を届けてくれる。やれ、焼き魚定食が余ったから食べて欲しいだの、デザートをもらったけど僕は甘党じゃないから持ってきただの、なんだかんだと理由をつけては食べ物を持って来てくれる。出前のアルバイトをしているからといって、毎日、食べ物を得られるものなのかどうか、わたしは奇異に感じている。どこかで食べ物をくすねているのじゃないかとわたしは疑っているのだけれど、指摘して友人が現れなくなってしまうのが嫌で、未だ何も言い出せないでいる。  こういう話をすると、決まって、この話には矛盾があると騒ぎ立てる人がいる。部屋に引きこもっているだけの人間とどうやってコミュニケーションを取ったのか辻褄が合わないと怒り出す人さえいるが、正直、わたしにはどうでもいいことだとしか思えない。小さな立場を守るために、自分にも、他人にも、嘘をつかずにはいられないのが人間というものではないか。確かにわたしは嘘八百を書き散らかしているだけだが、それを指摘して何になるというのだろう。嘘を指摘して、わたしの立場を奪うなら、もはやわたしはここから消え失せるしかなくなるではないか。


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藤 一紀 (2018-07-11):

こんばんは。無視していたわけではありません笑。一読して、面白いなと思っていたのですが、忙しさにかまけているうちにコメントを入れることを忘れてしまっていたのでした。最後の逆ギレぽい開き直りの辺り、とても痛快でした。それまでの長いあれこれがあってこそ、それをぶち壊す面白さが活きるのですね。 「本当のこと」を語ろうとすれば「嘘」を言わざるをえない、とは詩人・清水哲男が書いていたことですが、たしかにそうだとも思うし、本当のことはどこか矛盾しているものだと思います。 まあ、「本当」というのが本当にあるのかどうか、そこも私には疑わしく思えるし、本当というものの胡散臭さもあるのですが、そこはまた別の話で。とはいえ、嘘のなかにも本当らしさがあるとしたら、それを指摘してあげつらっては身も蓋もないですね。

花緒 (2018-07-11):

ありがとうございます。さすがにこの分量で、このリーダビリティだともう読まれないのかなと半ば諦めモードに入っていました。 本当と嘘、というのは難しいところですけれど、私は詩をかく人間はやはり本当を話そうとすべきなんだろうと思ってます。言葉を曲げるようでは話にならないだろうと。とはいえ、本当というのも嘘っぽいものです。講評、ありがとうございます。

黒髪 (2018-07-11):

こんばんは、花緒さん。 嘘と言うことですが、いい話(泣ける話)を作ろう、という意図がある、のではないんでしょうね。むしろ、このおかしくなった社会で、気が変になってしまいそうな境遇の人が存在することへの憤り、正義心。つまりは、社会における断絶と、それを何等かの気持ちから見過ごしてはいられない人。そういう風に読みましたが、なんか、花緒さんのどの作品も、本当なんだという切実なストーリーが展開されていると思います。僕は、精神年齢が低いので、リアルでは人から揶揄されるのがすごく嫌です。反論なんてできる力がないから。 この作品を一言でまとめると、『フォレスト・ガンプ』的と言えましょう。リアルとフィクションに引き裂かれていく人たちの心は、いつか「本当の」物語を語れるようになるでしょうか。僕自身が定義する「本当の物語」というのは、「夢中になって読める物語」です。陳腐でも、ヒーローとヒロインと伏線と、変化、感動、夢。そこからリアルが見通せるような。物語は、上手い嘘で出来ているんでしょうが、詩というのも、一行一行、一句一句の戦いだと思います。花緒さんの詩に出てきた登場人物は、いつかこっそり育っていっていたりするような気がします。人物造形が巧みだと思います。ウルトラマンみたいに、集まってきたりして(笑)。

花緒 (2018-07-12):

こんばんは。コメントありがとうございます。泣ける話を作ろう、という意図はなかったと思います。友人の妄想に寄り添ったことで、友人が回復した、で終われば、そして、友人が回復した、で終わっても読み応えがあるように、友人との心の交流などをもっと書き込めば、わかりやすいストーリーになったのかもしれませんし、泣ける話になったかもしれませんが、私にはそうした直球の物語を編むための基礎的な条件が満たされていないように思います。 物語、というのは一種の虚構であり、幻想ですが、物語が機能するためには、他人と幻想を共有する必要があると考えています。しかしながら、情報社会化が進む中で、他人と幻想を共有することは益々難しくなっているような気がします。物語を語れるようになるには、作中話者も、その友人も、そして作者である私自身も、セラピーが必要というか、十分に癒えていないのかなと思います。皮肉でもなんでもなく、いつかちゃんと物語が書けるようになるといいなとは思っているのですが、なかなか難しいようです。

二条千河 (2018-07-17):

藤一紀さん同様、私も初読で面白いと思い、落ち着いたらコメントを書こうと思い、そしてまもなく2週間になります。 私見ですが、花緒さんの作品を味わうには概してメタフィクショナルな視点が(強いて単純化して言えば、作中話者の言葉を疑う視点が)不可欠で、「この詩句が好きでした」とかでは済まないという印象があります。 本作も虚構が入れ子状に重なっていき、それが尽きない世界を示唆していて、不条理劇を観ているような感じがします。若い頃に観た鴻上尚史脚本の舞台で、精神を病んだ3人の登場人物が互いの妄想をひたすら否定し合い、最後まで現実が明かされず、3人とも「ですが私はとても幸せです」と言って終わる芝居がありました。それを思い出したせいかもしれませんが、本作は形式的には散文に近い詩なのに、小説よりもむしろ演劇に近い虚構性を感じました。舞台なら、人間の役者がしれっと猫役を演じられますし、キャラっぽい口調も似合いそうです。

花緒 (2018-07-18):

二条千河さん お読み頂き、ありがとうございます。演劇に近い虚構性、という評、大変嬉しく思いました。カウンセリングでは、転移、逆転移、という言葉があるそうで、ともすれば、クライアントとセラピストの立場が入れ替わったり、互いの境界線が曖昧になったりするような心的力学が働くと聞いたことがあります。本作はご指摘頂いた通り、虚構を入れ子状に重ねることを企図いたしました。誰が誰を癒したのかが分からなる地点まで、あるいは誰が癒えていなかったのかが分からなくなる地点まで、互いの境界が曖昧になることを目指して、文を綴ってみたかったのです。好意的な評、嬉しく思いました。多謝。

ゼンメツゼンメツ (2018-07-18):

説明が本文中にがっつり含まれている。 ただそれはとても良い意味で。 ゲームで例えるとチュートリアルが物語に上手く折り込まれているような。 これのおかげでいわゆる現代詩的なものを読んだことがなかったとしても、自然と構造を自分で理解して楽しめる。 それって、かなり凄いことなんじゃないかなって思いました。

まりも (2018-07-19):

『ラチとらいおん』という物語(絵本?)があって、それを思い出しました。 自己肯定感を持てない少年の元に、小さいけれど勇敢なライオンがやってくる。少年は、ライオンと一緒だと勇気が湧いてきて、いろんなことを自発的にできるようになる。やがて、少年が自分の力で一歩を踏み出すことができるようになったとき、役目を終えたライオンは、置手紙を残して・・・以下省略。 もう一つ思い出したのは、今読んでいる、日本の精神分析医の歴史の中に出て来た、絶対安静の後、何も考えなくて良いような作業療法から始めて行くという治療法。 この「話」の中では、「どら猫」は友人だけではなく、町内全体の人に見える、存在であるらしい。(ということは、この町内そのものが、「友人」の妄想、というシチュエーションだという見方もできるけれど)あるいは、「友人」にだけ見えていた「どら猫」が、居なくなったときから・・・町内が「どら猫」を殺そうとしている、という新たな妄想が「友人」に取り付いたのか。 いずれにせよ、気になって仕方がない、守りたい、という積極的な気持ちが生まれた、という時点で、「セラピー」は終了したのかもしれません。 最後に「友人」が記憶の底に仕舞い込んでいたトラウマの現況を見いだして・・・自ら言葉にする(外に排出する)ことで健康体を取り戻す、わけだけれども・・・今度は話者の「わたし」と「友人」の関係が、「友人」と「どら猫」の関係に回帰する・・・螺旋状のループというのか。形の上でのループではなく、内容でのループになっているところが、螺旋の一段階、上の段階にのぼった、という事になるのかもしれません。 いずれにせよ、ある種の共依存、ではある、わけですが・・・そこいらじゅうで、こんな「セラピー」が展開されていたら、この世界は、もっと住みよいものになるかもしれないですね。

花緒 (2018-07-19):

>ゼンメツさん 初めまして。お読み頂き有難うございます。わたしの書くものは、物語の骨格だけが書かれていたり、あるいは、あからさまに説明的であったりするので、作品として仕上がってねえ!アイデアがかかれてるだけだろうがボケ!という批判を受けたりすることがあり、自分でもまあそれはそうかなあと半分納得してしまったりすることもあるのですが、好意的に評してくださり嬉しく思いました。

花緒 (2018-07-19):

>まりもさん お読みくださり有難うございます。カウンセリングをテーマにした作品に山本英夫のホムンクルスという漫画があります。カウンセリングや催眠を専門的に学んだ作家が描いた作品でもあり、その筋の界隈では相当、評価が高い作品です。筋書きを大雑把に語ると、他人とつながることで人を癒すことを覚えた主人公が、他人とつながることを続けた結果、他人と同化してしまい、ついには、他人が全て自分と同じ顔に見えるようになってしまう、という、半分ホラーのようなダークな作品ですが、クライアントとカウンセラーの転移・逆転移関係が孕む危険性がビビットに描かれています。 本作においても、ホムンクルスの図式を多少なりとも意識したところがあります。最終的に、全員が似た構造を持ってしまう、ということで、これは、カウンセリングの失敗でもありますが、カウンセリングが機能しているがゆえに生じることでもあります。本作の持つポジティブな側面を受け取ってくださったことを嬉しく思いました。

帆場蔵人 (2018-08-15):

ぼくはまだ散文詩と詩、小説の境がわかっていないので、どうしてもショートショートを読んでいる気になりました。カウンセリングに限らず、認知症などでも相手の内的世界や体験を否定しないことが挙げられます。すでに花緒さんが書かれている寄り添いすぎることで起きる転移や逆転移を想像しながら読みました。端的に言えば、面白い!ですね。しかもこれは友人の物語に取り込まれたのではないか、という不安の種もまかれているので読後がじんわりと気持ち悪い。⇦褒め言葉です。今夜が楽しみになってきました。


下手な嘘はつかないように   

黒髪 
作成日時 2018-07-26
コメント日時 2018-08-15

 

本棚の向こうは家の外で ちょっと恐れている僕の 頭の中に隠れて守ってくれている 人だって同じさ 愛しい顔が並んで 心があると言っている 立ち向かうこと 止めたくなくなったよ だって昨日は今日よりもずっと苦しい日だった 幸せがあるということを 教えてくれたから 美しい夏が過ぎるまで 嘘をちょうど良いタイミングとらえてごまかしたりしないから


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花緒 (2018-07-27):

後半、急激にポエム感が出ているけれど、それをよしとする作者なのだろうか。 心があると言っている、で止めてよかったような気がしてしまう。

黒髪 (2018-07-27):

花緒さん 読んでくださり、コメントいただきありがとうございます。 中々客観的に見れず、ポエムになってしまう手癖が、最近の詩集廻りの悪影響です(良い影響も、確実に得ては いるのですが)。ちょっと統一性がなかったかもしれません。

るるりら (2018-08-15):

「下手な嘘はつかないように 」と諭していただいた気持ちになりました。 はじめて読んだとき わたしは たまたま ひどいスランプだったのです。 私はもう ものすごく書ける人であるかのように やけくそぎみに嘘ばかりついてしまいたい気分だったのです。しかし、おかげさまで下手な嘘はつかないように すこし冷静になろーかなと思えました。 詩を書くにあたって 虚構はよくあることなのですが、なにかの本質に触れるための方便のような虚構でありたいものです。知識の集積が 本質から離れすぎがちな つまり下手なウソを叱ってくれる本質から離れることから守ってくれることは 世の中に多くある気がします。 初めて読んだ時期は、わたし個人が 被害妄想ぎみだったのだと思います。わたは憎まれていると感じていました。わたの周りに愛しい顔が並んでいるとは思ってなかったです。 しかし 冷静になれば 書籍たちも言ってくれているように 書籍たちが好意的に私にむかって開かれているように 実際の人間関係も 開けているような気が、いま 現在はしているから ありがたいです。 心があると言っている コメント

黒髪 (2018-08-15):

るるりらさん ご批評ありがとうございます。読んでくださり、ありがとうございます。 本と顔とに励まされた、あるいはしがみついた詩です。自分で再読してみて、モチーフは意外と満足できるものでした。 こういう方向に行くのが、僕の性質、あるいは心のようだと思います。 嘘をつくと、上手い嘘ならいいんですが、下手な嘘をつくのは、自分がみじめになるばかりで、意味もなく、ひどい行為です。 それは、反発などから起こります。 るるりらさんが、立派な大木になり、自信をつけて、それが揺るがぬようになれるように、岡潔『春宵十話』という 本をお勧めします。


Hikou   

雨粒あめ子 
作成日時 2018-07-01
コメント日時 2018-08-15

 

1. 挽回する時期だ 今まで苦労をしてきた分の 花はなぜ夜に咲くの 尋ねたかったけれど出来ず終い 2. 小旅行の荷物はiPadとスマホと化粧品と ほんの少しのものたちをリュックに入れる 夜に出発して朝方辺りに帰る そんな日常の旅は つまらなかった 斬新じゃなかった 埋められないものを埋めるため カビが生えたらいけないからね、 霧吹きも持参してた。 3.世界の何が知りたいんだろう何を得たいのだろう なんにもわからないまま ぽつぽつあるく オルガンの音が 聴こえる


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仲程仲程 (2018-07-09):

ひと言ですみません。 おわりかたが好きです。

雨粒あめ子 (2018-07-23):

仲程さんへ どうも、ありがとうございます。

まりも (2018-08-03):

Hikouは飛行、なのか、非行、なのか・・・ 夜の外出。着替えは持たないのに、アイパッドとスマホ、それから化粧品は持つ。 夜半、出会いを求めるような、求めないような、あいまいな気持ちで出歩く少女を想像しました。 霧吹き・・・心が罅割れないように、心を湿らせるための・・・そう考えてみたくなる。 花もメタファーであればなおさら。とは思いつつ、少女と夜の花は結び付けすぎになってしまうので、 花は花、のままで読みたい(そうあってほしい)・・・という、ちょっと複雑な感情もわきました。

るるりら (2018-08-15):

わたしにとって、ふしぎの連発の詩文でした。 ふしぎ度が 最終行に進むたびに アップしている印象でした。 だれかに問うこともなく自問自答のままに進む詩文ですね。 1.花はなぜ夜咲くの?  昭和のむかし藤圭子が、夢は夜開くと歌ったのを思い出してしまいました。 問うてはいけない重いムード感漂う昭和の歌を思ってしまいました。Hikouは非行かな? (年齢のせいです 滝汗) 2.夜に咲こうとしているのは 花というより話手だったのだなと思いました。 埋められないものを埋めるために夜の中に突入して行ったのでせう。たぶん。 カビがはえたらいけないから 霧吹きを用意する。謎です。 カビって湿度で生えるのが普通だけど、加湿するものを用意するのね。 3.世界の何が知りたいんだろう何を得たいのかなんにもわからないまま進む歩行が弾けています。オルガンにはペダルがあるのでオルガンの奏法は 前に進まない歩行のようにおもえました。 Hikouは弾こうかな? なぞは謎のままで いいんだなと おもえました。


無題   

ゼンメツ 
作成日時 2018-07-16
コメント日時 2018-08-15

 

数えるほどしか履かずに褪せたコンバースが、いまでもくっきりと足跡を残しやがって、また苛々させられる。そもそもコンバースって靴はマジで雑魚だ、どしゃ降りの雨に当たったらそのイチゲキでオシマイだ。なんならいっそ歩きながら土へ還りでもすれば突き抜けてエコってことでタイソー褒められんのに。誰にだ。キミはきっとアレさ、もう一人も話し相手がいないもんだから、退屈と空腹の区別がつかなくなってんだ。なので早速コンビニへ行き、ゼロカロリーのコーラと「ひねり揚」とかいう、屈強な名前に対してあまりにも幸の薄そうな体格をもった菓子を購入した。始めのうちはその語感に割とシメられていた、しかし思ったよりずっと食べ飽きる量が入っていて、逆にその節操のなさに腹が立ってきた。どうしようもなく、結局むしゃくしゃしている。僕は近所の植物ばばあどもに「言い得ぬ不穏」をばら撒いてやろうと、一番でっかい枯れた鉢植えにコンバースをツマ先から半分ぶっ刺してやった。しかし古くなった土がボロボロですぐに倒れたので、わざわざ靴紐を枯れたラベンダーに巻き付けて補強を加えた。そこまでしてやっとバカらしくなった。やっとだ。ラベンダーは一年草じゃなかったらしい。僕はこいつの花々が枯れたあとに木だと知った。そこに木が残ってるんだからそうなんだろう。ただそれが死んでんのか死んでないのかはどれだけ眺めても判らなかった、そこにはまだ「来年フツーに生えてくんじゃないの感」すら残されていた。僕はしばらくのあいだ水をやり続けた。まあ、どこで気付いたのかは忘れたが、結果としてそれは死んでいた。なにも悲しくはないけれど、昔彼女がサガンの話をしていたことを思い出したから、一冊だけ読み直すことに決めた。本当は今でも小説が苦手なんだ。ひとつの同じものが長く続くことを考えると、知らない臓器に違和感を覚える。そんなだから当時読むまでにどれほど掛かったのかは覚えていない。読み終えてからどれほど経ったのかも。彼女と話しながら、数冊の本を買い、それよりずっと多くの名前を、聞いてそのまま忘れてしまった。いつのまにか彼女は彼女じゃなくなっていた。それだけ聞いたらいい意味に取れる場合もあるかなって気付いた。ちなみに例のコンバースは彼女と会うために買っただとか、ベツにそういうもんじゃない、てかコンバースの事はもういいだろ、ほんと、 ほんとね、さっさと死にたいです。


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5or6(ゴロちゃん。) (2018-07-16):

コンバースに水をやる行為で作者の感情や内面をもっとぶち込むとコンバースに花が咲くような気がします。 作者の心情は隠した方が俺は好きですね。手品のタネ見ている気分になります。 面白かったです。

エイクピアエイクピア (2018-07-16):

コンバースの靴ですか。コンバースの上着を昔着ていたような気がします。直ぐ水が染み込んで来るのでしょうかね、そして空腹と退屈の区別がつかないと。コンビニで買ったゼロカロリーとお菓子。近所の植物ばばあども。「言い得ぬ不穏」をばら撒いてやろうとする意志。サガンも出て来ますね。小説が苦手な僕。サガンは昔彼女が話してくれたもの。ただのお御喋りにも見えますが、話体詩を離陸させようとしている努力の痕跡だとも思えました。知らない臓器に違和感覚えるところなど、詩性があると思いました。

ゼンメツゼンメツ (2018-07-16):

コメントを書いて投稿したはずが電子の藻屑と消えてしまった。 なのでうろ覚えで同じ文章をもう一度書こう。「電子の藻屑」って古いな。 5or6(ゴロちゃん。)様 僕はどうしようもないやつなので、作品もどこかで台無しになっているようなものが好みです。ほんとサイテーな性癖です。 この詩は、ラストの一文で作者から強制的にベクトルを弄られて、読感がわけわかんなくなった後、 もう一度読み直して曇って欲しいと考え、あの部分から書き始めました。 ありがとうございました。 エイクピア様 水も浸みますし、糊が剥がれてばっこばこに分解しちゃうんですよね。 いわゆる詩的なテキストにすることなく、詩情だけを書きたかったです。 推敲時に饒舌になりすぎていた部分は、勿体無いな、とそれなりにウジウジしてから全部消しました。 ありがとうございました。

花緒 (2018-07-21):

不遜な言い方で恐縮ですが、実力のある書き手なのだとお見受けします。たぶん、今までのビーレビューの傾向からいくと、大賞候補に推挙する人が出て来てもおかしくないだろうなあと。ですが、その前提で、わたしは批判的な方向性で評を書きたいという気持ちになってしまいました。最終行が象徴的ですが、死にたいです、とあるが、たぶん作者は、あるいは、作中話者は、死なないと思うのです。目の前にライオンが現れたら多分逃げるでしょう。そういう意味では、ここに書かれてある放言をベースにした散文、思いのままに書き散らかしたようなところから立ち上がってくる叙情、には真実味が宿っていない印象を受けてしまうのです。詩を書く人って、多くの場合、言葉に真実味が宿っていないケースが多い印象を受けています。詩や文学に関心がない人たちと比べて、レトリックを巧みに、時にはおもちゃのように使ってしまう反面、真実味を帯びた一貫性のある言葉を使えない人が多い印象があります。作者がそうだとは全く思わないですが、ここにかかれてある叙述は、すなわち作中話者は、真実味を云々しない放言をベースに語っている印象があります。そして、放言がベースの散文ならば、すなわち、作中話者にとってさえ真実でない言葉ならば、よほど強烈にやらないと、読み流されてしまうんじゃないかなあなどと考えるのです。

ゼンメツゼンメツ (2018-07-21):

花緒@B-REVIEW様 これは嬉しい批評です。 ありがとうございます。それは僕の理想とした読まれ方の一つです。実際作者の僕がこんなことを言うのもなんなんですけど、突き放して僕が読んでも実際のところ死なないだろうな。と思っております。僕が感じるに、文学の界隈って、本気の作品(という言い方はあまり正しくないのですけど)では、「死ぬ」を慎重に、0か1かで扱い過ぎていると思うのです。でも現実ってどうなのかな。実際はもっと軽々しく、唐突に、意味もなく、なのに時に本気で、死にたくなり、そうでなくとも死にたいという言葉が飛び交っているんじゃないかな。それは、実際実行に移すかどうかはまたベツの話で、衝動が本物かどうか、だけだったり。とても幅があります。ライオンはともかくとして、中には衝動が軽くてもたまたまもういいやって選んじゃう人もいるんじゃないかな。この位の感覚がリアルで、僕にとってその時100パーセント死ぬであろう「死にたい」を描くほうが、ずっと、人の感情にゼロ距離ではないものに思えるのです。つまり、作中でどうしようもなく描かれた「僕」の言葉に真実味が感じられないのは想定した読まれ方であり、それを踏まえてそんな軽薄な死にたいという言葉の先に何を感じたのか。が読み手それぞれの揺れの部分なんじゃないのかな。と考えております。もちろん、絶対にこう読んで欲しいとかじゃなく、一つの理想の読まれ方として、です。花織さんの読まれ方は実に創作者の目線らしく、僕はとても嬉しかったです。本当にありがとうございました。

survof (2018-07-21):

文体の方向性としてはとても好きな作品だな、と感じました。ただ散らかりきれていないし、まとまりきれていない、という印象がありました。もっとうまくまとめて散らかってたら古くなったコンバースのスニーカーが醸し出すゴミきれのような、かといって愛着を捨てきれないようなあの独特の「汚さ」と「ほんとね、さっさと死にたいです。」に言い表されたなんとも投げやりな人生観がうまくマッチしてよりリアリティーのある形で迫ってきたのではないかな。。。と感じました。古くなったコンバースが作品のひとつの鍵になっているところはめちゃくちゃ好きです。「数えるほどしか履かずに褪せたコンバース」という言葉だけで伝わってくるものが多々あります。

ゼンメツゼンメツ (2018-07-21):

survof様 僕はなんかもう推敲がめっちょくちょヘタクソで、手を加えるほどひとりよがりになる地獄の悪癖があるので、自分でもあんまり長い間弄り回さないようにと気をつけてたんですけど、けっきょくその日の気分みたいなものでどっち付かずになっちゃったのかもしれません。もっともっと客観的な目線を磨けるようにがんばりたいと思います。ありがとうございました!

澤あづさ澤あづさ (2018-08-11):

※このコメントは7月選評です。作者様でなく閲覧者に向けて書いています。※ 【ほんとね、(自分が死なせたラベンダーのように)さっさと死にたいです。】 これがこの作品のオチであり、核心は「コンバースよりラベンダー」と思われます。 【例のコンバースは彼女と会うために買っただとか、ベツにそういうもんじゃない、】 つまり、そのコンバースの靴紐を巻き付けられ、コンバースと「結ばれた」ラベンダーのほうは【そういうもん】であると。 彼女との終わった恋を象徴する枯れたラベンダーについて、語り手は黙秘しています。 【てかコンバース(の靴紐を巻き付けた枯れたラベンダー)の事はもういいだろ、ほんと、】 とコンバースの話でごまかして、ラベンダーのことを隠蔽しています。もう思い出したくないのでしょう。語り手は彼女との恋を、ラベンダーごと枯らしてしまいました。枯れたあとでその恋が【来年フツーに生えて】など来ないことを知りました。 それを【なにも悲しくはない】やら、彼女との恋が【長く続くことを考えると、知らない臓器に違和感を覚える】やらほざくスキゾ気取りの語り手には、失恋の悲しみを表現する能力がありません。悲しむことができないから【結局むしゃくしゃ】するしかなく、自分のように雑魚なコンバースに八つ当たりし、その靴紐を思い出のラベンダーに巻きつけ「彼女と結ばれたかった自分」を思い知ったりして、 【そこまでしてやっとバカらしくなった。やっとだ。】 【ほんとね、(自分が死なせたラベンダーのように)さっさと死にたいです。】 なんかもう、語り手には申し訳ない感想ですが、ほほえましいですね。 *** 密度の高い文章です。平たく言えば「戻ってくると思ってた彼女が、戻ってこないから俺はいまこんなんなってる。」というだけの哀愁が、どれも非常な説得力のあの手この手で語られています。一言一句に豊富な含意と強靭な必然性があり、コンバースのように雑魚な語り手の心境を、これでもかというほど深めています。わたしはスキゾでもスキゾを気取りたくもないので笑ってしまいましたが、共感し感動しより豊かな読解を成す人もいるだろうと思います。 初見一発目からおもしろく、再読すればさらにおもしろく、しかも難解でなく、およそ欠点がありません。あえて瑕疵を挙げるとしたら、場面転換が雑すぎることですが、その雑さ(割愛)にも意義を持たせてしまえています。高校現国の教科書に載っても支障ないような文章力です。きっと多くのかたから高く評価されることでしょう。

ゼンメツゼンメツ (2018-08-12):

(ビーレビはレスしても反映されずどこかの無に帰すことが多いので、投稿前に全文コピペしております。そして今も消えました。ときあかせないなぞです。) 僕も一度放流したら、解釈する読み手それぞれ(僕も含めて)のものだと考えているくちなので、つまり書き手である僕がこの先にこんなことを書くと、読み手の頭にリミッターやらストッパーやらパワステやらをかけちゃうからよくないよなとは思うんですけど、けど、澤さんの批評は僕が意図してサラダ島のレタス城の奥に隠した財宝であるプチトマト(小さな頃に読んだ絵本にそんな話があったような、城じゃなかったかも。関係ないけど僕はトマトが超好き)をこれでもかこれでもかというほど掘り起こしていただけたので、僕はいまワルい書き手になってしまいたい。いや違う。僕は嘘をついている。だってなんでこんなにまで可読性を高くできるだけ高く高くって試みていたと思ってんだ、そりゃあ様々な解釈で読んでほしいさ、なかには本当に僕の描いたものより僕を感動させる読みもあるさ、でもちげーんだ。本当は意図したとおりに読み解いて欲しいから、共有してほしいから、そうに決まってんだろ、この批評を読んで「ひとつの解釈としてステキですねー」なんて心抑えて口にできるものか。ごめんなさい。僕は超ワルい書き手になります。だって澤あづささんの読解は、僕の意図とドンピシャなんですから。と言ってしまうから。 「密度の高い文章です。平たく言えば「戻ってくると思ってた彼女が、戻ってこないから俺はいまこんなんなってる。」というだけの哀愁が、どれも非常な説得力のあの手この手で語られています」 ふだん僕は、何をどんなに書いてもそこまで読まれないんだろうなーとか、わりとやさぐれながらも手グセで書き込んでしまうのですけど、ここまで気付いてもらえると、読み解いてもらえると、本当に感動しますね。僕の説明なんかもう不要です。 「わたしはスキゾでもスキゾを気取りたくもないので笑ってしまいましたが、」 ここ、ここもです。読後感は読解の先でまた千に万にと枝分かれしていくものです、わかってるんです、です、けど、作者的にも「自分自身の読後感」みたいなものはやっぱりあって、ここもまたドンピシャなんです。読んだあと、うっわーバカだなーこいつって鼻で笑ってもらいたかった。それで、でしょーバカでしょーえへへ。みたいな。そんなやりとりで救われてしまいたいものがあるんです。もちろん、わかりますーウルウルみたいな感想をもらえたら当然僕もマジでウルウルです。嘘じゃなく、読後感ってほんと、なにをもらっても良いんですよね。 またまた凄いのが、場面転換の雑さの話のなんですけど、いや、もちろん、力不足です!ってのもきっとあるんですけど、僕が作品を作るときって、描きたい作中話者の思考回路から創作していくタイプなので、つまりその話者のリアルを求め、距離を縮めるためにできる「こと」は、僕の最大筆力なんかよりもはるかに優先される。と考えて書くタイプなので、この部分まで切り込まれたことはいまだかつて無かったです。はい、なんかもうキリがないですね、でも僕にとってはこの「他者からの自作品の解体」が夢だったので、今回の澤あづささんの批評はですね、ほんと、ほんとね、もうサイコーに嬉しかったものなのです。

こうだたけみ (2018-08-14):

はじめまして。 初読は作中人物のイライラが感染して読んでいるこちらもイライラしたのですが、コメントをざっと読んでからもう一度読んでみたら、最後にふふっと笑えました。たのしかったです。 それにしても、澤さんに評を書いてもらえるだなんてうらやましい。私も解体されたい。って思いました。

ゼンメツゼンメツ (2018-08-15):

はじめまして! こ、これは、とても嬉しい読まれ方です。読み解き方によって読後感が変わる作品にしたかったのです。そして同時にコメントと解説に、感謝! の気持ちです。本当に解体してもらえたこと。もうきっと一生忘れられないほど、めちゃくちゃ嬉しかったです。


隔てて   

徐々にでいいから 
作成日時 2018-07-05
コメント日時 2018-08-14

 

河を隔てて 時を隔てて 僕のようなものが一枚噛ませてある 遡ってその人に 尋ねてみたいこと一つ どちら様ですか? 不意を突かれて先越され 回答者に成り下がる 問い続けるというシルエットの頃 僕が懐かしい どちらが影かも分からずに 生きていて を 隔てて 堪えるんだ を 隔てて 宛がった僕と僕 ガーゼが足りない僕の僕 滲む答え 滲むアンサー ひっくり返すには この隔たりもどかしく しっかり捺印してしまう 豊 曲がり豆と書きます 僕を隔てて 僕が言ったのは 自分の名前なんてオチじゃ 噛ませた甲斐も意味もない 名無しの権兵衛を隔てて のっぺらぼうを隔てて また 振り出しじゃないか 河にいて 時のすみっこで


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蔀 県蔀 県 (2018-07-12):

正直よくわかりませんが、とても好きであることだけは確かです。リズムもいいし、《隔てて》という言葉もいいし、ユーモアがあるし、なぜか感傷的にもなれます。くりかえしになりますが、とても好きです。

まりも (2018-07-20):

蔀さんがリズムについて言及されていますが、今までの投稿作品に比べて、格段に口調が良いですね。流れるような、弾むような、それでいて、いわゆる五七調などに固まってしまっていない。緩急もある。 「を/隔てて」という、つまづくような、引っ掛かりを作るリズム。書名捺印する、という責任の伴う行為、曲がり豆と書きますと、電話口で自分の名前を説明する口調を挿入するズラシ具合、間に噛ませる、という当て物の感覚と、自分自身が当て物として間に噛まされている、という奇妙な体感と・・・その隔たりは、時空であり、河が暗示する彼岸であり・・・。 全体に漂う、ひょうひょうとしたユーモアが「奏でる」口調・・・~節(ぶし)と呼ぶようなリズム感が印象に残る作品でした。

澤あづさ澤あづさ (2018-08-11):

※このコメントは7月選評です。作者様でなく閲覧者に向けて書いています。※ わたしが思うこの作品の魅力を、どうにか人様に伝えたいのですが、後述の理由ですこぶる困難です。ひとまずデリダの「署名」や、『涼宮ハルヒの憂鬱』の未来人の「時間平面」が思い起こされる、というところから説明を試みます。 思っきり恣意的に平たく言うと、時間やら歴史やら「自己」やら言うのは、パラパラまんがのように「連続して見えるが一瞬一瞬で独立しており不連続である」。たとえばわたしが地点aから地点bまで移動する姿を、50枚の連続写真で表現したアニメーションがあるとします。その50枚の写真に映ったそれぞれ異なるわたしの姿の「どれが本当のわたしか」なんて問いには、意味がまったくありません。そのように「本当の自分」とか「自分を偽る」とか「自分探し」とかいう概念は無意味で、きょうの自分があしたも変わらず継続する保証はどこにもなく、自分なるものの真相は自分にもわかりません。という感じ。 その「同一でない無数の自分」の同一性(連続性)を便宜上保証するものの一例が「署名」です。作中ではそうした概念が、下記のように表現されています(というのはわたしがそう思ったということで、作者様とは関係ありません)。 【僕を隔てて/僕が言ったのは/自分の名前なんてオチじゃ/噛ませた甲斐も意味もない】 ●読解(というのは読者の表現であり、作者様とは関係ありません) 【河を隔てて/時を隔てて/僕のようなものが一枚噛ませてある】 冒頭三行の表現から想起される情景は「三途河」、生死の境です。おそらくこの語り手は、人生観がいっぺんで(おそらく望まなかった方向に)一変し、自分が自分でなくなったようにしか思えなくなるような、なにかしら衝撃的な経験をしたのでしょう。 【生きていて/を/隔てて/堪えるんだ/を/隔てて/宛がった僕と僕/ガーゼが足りない僕の僕】 ここが特に印象的。【生きていて】の持つふたつの意味(現在と願望)と、【僕】の持つふたつの訓(「ぼく」と「しもべ」)が非常によく効いています。いま心が空っぽでなにも考えられない、もう以前のままではいられないのになにもできないと言った抒情が、「(いまの)僕に(過去の)僕の宛てがう」という、迂遠だから印象的な情景に集約されています。 「変わらなければならない、だが変われない」、平たく言えばそうなるかもしれませんが、平たく言って片付けることができないほど重い感慨だから、こういう叙述になっているのでしょう。説明も心理描写も削ぎ落とした「起伏」しかない思考の波。あたかも脳波です。それしか表せないほどの虚脱が強く感じられます。 ●結論 名状しがたいものは説明できません。器用に説明できるならそれは「名状しがたいもの」ではありません。しからばそれは抒情詩ではありません、とわたしは思っています。この評文が説明になっていないのはそれが理由です。

るるりら (2018-08-14):

わたしは 本作品を小旅行の移動中で拝読しました。なんというか、 旅の目標地に行く時よりも 帰途の移動中のほうが この作品が胸に きました。 帰途とは振り返る時間だからだと思います。 旅を終えようとしている道すがらって「僕のようなものが一枚噛ませてある」という表現が ぴったりすると感じました。私は旅先で写真をいくつも撮ったのですが 脳裏に残したい事柄には写真になった自分という視覚だけの存在ではなくて、本当は リアルなもうひとりの自分を残したいという思いがあります。  だれしも五感を有するもう一人の自分が記憶には噛ませてあるに違いないです。なにかの拍子に もうひとりの自分が息をふきかえす。 傷の癒し方のひとつに ガーゼをあてがうという方法がありますが、 記憶の中から もう一人の自分に息を吹き返してもらうことも 傷の癒し方の一つだと思いました。 そうこうしつつ、 またも振り出しに戻るなんて 上等じゃあありませんか? すくなくとも私は自分の人生に対して 振り出し上等だと思わせていただけました。


カタルシス   

survof 
作成日時 2018-07-21
コメント日時 2018-08-14

 

ジェットコースター乗ったら震えが止まらないからコカ・コーラ飲んで前頭葉を鎮めるほかない、片っ端から征服できる気になった、鉄格子握りしめて激しくガタガタしたい気分だ、ああ、とても乗るもんじゃない、落下とか回転とか落下とか僕はまだ死にたくないから遊園地遊びに行ってもいつもベンチで本でも読んでるけど、流石にミルク飴舐めすぎて舌が切れた 、なんか人が何人か死ぬ話だった、文学というのはあまりに人が死に過ぎだ、フィクションの中で殺された人の人数の統計をグラフにしてみたい気分だ、きっとコカ・コーラとミルク飴では到底足りない、ミルク飴舐めすぎて舌が切れてかなり痛い上にコカ・コーラ飲むからかなりしみるだろう、そんな訳だからもう人が死んだりするのはやめにしてもらえませんか、僕はまだデストロイしたくない そういえば、ピアノを弾いてるといつも近くの森で小鳥が鳴くから僕は小鳥と会話できてると思ってるんだけど、小鳥が何をいいたいのかはよく分からない、というか全然分からないし見当もつかないけど、おそらく腹が減ったとでも歌っているんだろう、こっちはショパンとかバッハとか本当はスクリャービンの激しいエチュードあたりが弾けたらさぞ気持ちいいんだろうなと思うけどまあ何でもいいや、とりあえず簡単な曲弾きながら深い悲しみとか不安とか悲しみとかそういうやつを音にしているつもりなのに、きっとあっちはあっちでこっちも腹が減ったって言ってるんだと思って共感でもしてくれてるんだろう、こういうのを幸せっていうんだと思います、僕はもうカタルシスなんていらない


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かるべまさひろ (2018-07-22):

なんとなく今までのsurvofさんの詩よりポップで読みやすくつくられている気がしました。 ただ読みやすくて内容も入ってくるのですが、引っ掛かる部分があまりなくてすらっと読めてしまった、気がしました。

survof (2018-07-22):

かるべまさひろさん コメントありがとうございます!実は去年の九月くらいに書いたもので、ここに投稿し始めた頃に書いたものなんです。なのでここ最近書いたものとは少しタッチが違うのかもしれません。ポップとご指摘いただいた通り、これを書いたときはポップな気分だったような記憶があります。みどりっていうバンドのなんとかっていう曲でみどりさんが「Destrrrooooy!!!」って叫んでるやつをたまたま聞いた直後だった記憶に書いた記憶があります。自分でも改めて読んでみて、確かに引っかかる部分あまりないかも。。。ただノリで書いているだけというか。。。

蛾兆ボルカ蛾兆ボルカ (2018-07-22):

流れがとても心地よいと思いました。思考の展開が自然でのびのびしてると思います。 例えば進化論で有名なダーウィンは、冒険旅行から帰った中年以後は百歳近くで死去するまでミミズの研究に没頭しましたけど、彼が行った実験の一つに、ミミズにピアノを弾いて聴かせたものがあります。 その結果、ミミズは耳がないけど、どうやら音は聴こえる。でも音楽は解さないようだ、と結論してます。 そんな風に、またこの詩みたいに、鳥とかって何考えてんのかなー、と思ったり、我々もするよなー、と思いました。 ダーウィンは最後までやり切るタイプだし、この詩も突き抜けるカタルシスまでやっちゃう詩作もあり得たとも思うのですが、こんな風に、アンチ・クライマックスに、ポンと置いてしまうのも、なんかイイな、と思いました。

藤 一紀 (2018-07-22):

こんばんは。ジェットコースターのようなスピード感や激しい動きを感じました。

survof (2018-07-22):

蛾兆ボルカさん コメントありがとうございます!なるほど、ミミズは音が聞こえるんですね?初めて知りました。鳥の鳴き声は私は非常に好きで人間の作るどんな音楽も及ばないと思うことがあります。突き抜ける、突き抜けないでいうと、自分は突き抜けないタイプかもしれません。離散的なものに惹かれる傾向があるというか、正確にいうと集中力が足りないというか、そんな気がいたします。それから、ご指摘くださった「アンチ・クライマックス」という言葉が自分の最近の気分にとてもしっくりきます。「アンチ・クライマックス」、いい言葉ですね。以前ははカタルシスを感じないものには一切魅力をおぼえなかったのですが、いまはカタルシス過剰だと拒絶反応がおきるので不思議なものです。

survof (2018-07-22):

藤 一紀さん コメントありがとうございます!文章そのものがもつ動静をなにより意識して書くことが多いので嬉しい感想でした。個人的にジェットコースターは本当に苦手です。乗り物酔いがひどいんですよね。。汗

地(🌐)球 (2018-07-26):

すごくすきです。 声に出して一気読みしたい感じがしました。 口語でよみやすくて、それでもすこし不協和音みたいにかんじるところがあったり、ざらざらとした感じがします。 追記 コメント欄のボルカさんの「アンチ・クライマックス」、survofさんの「カタルシス過剰だと拒否反応」をふむふむと思いながらよみました。

survof (2018-07-26):

地球さん ありがとうございます!「それでもすこし不協和音みたいにかんじるところがあったり、ざらざらとした感じ」とのご感想、とても嬉しいです。実はこれ書いたころは書いたものを音読するようにしてた頃で、これも書いた後に何回か音読してその時の五感をかなり大切にした記憶があります。

ゼンメツゼンメツ (2018-07-27):

ふむふむ、近いようで大分遠い文体。この詩文が加速する自動筆記のような勢いはちょっと自分にはだせないです。たしかにこの作品を読むのと同じ感覚で僕のものを読んだら、ああいう感想になるかなとも納得できました。逆に言えば、伝えたいことはすべて行間に収めたいタイプの僕にとって、この詩は表面のキャッチーさに対して、イメージの連なりや奥行きに関してはだいぶ物足りなく見えてしまうのですが、でもそれってそのぶん僕は読み手を選んでしまっているんだな。と気付き、なんだか現代詩に毒されすぎたこのノーミソを一人ひっぱたいて反省です。ありがとうございました。今回はかなり貴重な出会いができたと思っております。

survof (2018-07-27):

ゼンメツさん コメントありがとうございます!確かに似てるようで似ていない文体かもですね。「この詩は表面のキャッチーさに対して、イメージの連なりや奥行きに関してはだいぶ物足りなく見えてしまう」とのご指摘はごもっともかと思います。この作品もそうですが、私の作品の多くは表面的な音感や言葉のリズムの扱いに主な意識が集中しており、言葉から喚起されるイメージに対しては十分配慮が行き届いてない場合が多く、未熟な部分だな、、と課題点となっているかと思います。「加速する自動筆記のような勢い」は保ちつつ、イメージ豊かなで多層的な読みができる内容にできれば理想ですね。過去投稿作品でもこのあたりのバランスをいろいろと試してみてはいるのでよかったら是非ご感想お聞かせください。

ゼンメツゼンメツ (2018-07-27):

なるへそ。過去作読みました。挑戦されてますね。才能は僕なんかよりずっと上だと思います。えーとじゃあちょっと、この先、ドン引きするくらい長くなるのに、こんな話から始めるのもなんですけど、僕、5年位前かな、名前変えながら詩手帖に投稿していて、出してたやつの8割くらいが佳作でした。名前だけが載った本の山の重みに心をへし折られたシカバネです。ちなみに僕は強いフレーズから作るタイプです。つまり僕はそこそこ書けるけどしかし「決定的に何かが足りない」と突き付けられ続けた書き手です。そんな僕ですので、あなたのような、僕と違う方向に尖って才能のある人に対して、話せる幽霊のようにアドバイスができるかもしれません。なんだか僕では行けなかった先に、行けるような気もしますので、じゃあ、なるべく失礼のないようにはしたいのですけど、ちょっと具体的に、思ったことを、思ったままに、 行間好き目線だと、『僕の顔』が好きです。『E#minor』の2連目以降とかもいい感じなんですけど、ラストのフレーズがもうちょいキマってて欲しかった。『自分勝手なロマンチスト』も良いですけどそんな感じですね。というかどの作品を見ても、強いフレーズを作る力がかなりの弱点だと感じます。これ、あえて使ってないのも分かるんですけど、作れてあえて使わないのと作れなくて使わないのでは見れる人から見ると全然違います。そこが行分けの詩を書いているときには顕著に表れていて、きっと短文に詩情を作るのはだいぶ苦手なんじゃないかな。というか自分でも実感しているんじゃないかな。なんとなくですけど。散文に関しては勢い重視のものはツイッターで1ツイートのボックスの中に、王様の耳はロバの耳よろしく、息継ぎなく精一杯叫んでやったかのような、まさに一連終わるまでは相手に思考を挟ませない一方通行の言ってやった感、詩のフリースタイルバトル、そういった感じに見えて、時代と生きている感じが新鮮です。視点は本当に、細かいところに詩情を見つけられる繊細なものを持っていると思います。気になる部分としては、ABABみたいな形の擬音を多用されることが多いみたいですけど、それって思考の言葉に距離が近くなると思われているのかもしれませんが、テキスト的には効果的じゃないかな、そこを句読点のような息継ぎのタイミングとして見てもそれほど、って思います。あとは言葉のリフレインを多用するときは嘘でももうちょっと丁寧にテクニカルな配置をなさると、読み手としては断然気持ちよくノレれるんじゃないかな。 思うに散文の話体詩って、正直「細かい文脈を掬えない」方々からはただ口語で好き勝手書いてるようにしか見えないんですけど、でも僕、それって逆に、全然読解されなくても楽しんでもらえるってことだと思っていて、とてつもない利点に感じるんですよね。あなたは現状でも、さまざまな方から楽しんでもらえる素晴らしい文章が書けている。なので僕はの言う「その先」に価値があるのかはわかりません。アドバイスなんぞいらねーよってなら全然それでもカッコいいし、なんも言わなくてもどんどん上手くなっていくんじゃないかなとも思ってます。では、こんな僕のコメントを最後まで読んでいただけたのでしたら、本当にありがとうございました。

survof (2018-07-27):

ゼンメツさん おお、過去投稿作読んでくださったのですね。ありがとうございます!才能云々についてはあまり議論する意味がないと感じているので具体的なご指摘とても嬉しく思いました。<正直「細かい文脈を掬えない」方々からはただ口語で好き勝手書いてるようにしか見えないんですけど、でも僕、それって逆に、全然読解されなくても楽しんでもらえるってことだと思っていて>あたりのご指摘はまさにその通りだと思っていて、感性の合わない人にでも何かしら楽しんで読んでいただけるもの&感性のあう人にはさらにその先何かしら感じ取っていただけるもの、というのが理想っちゃ理想です。 <強いフレーズを作る力がかなりの弱点だと感じます>というご指摘は、そうですね、やはりそうだと思います。言葉ひとつでぐわっと景色や感情が広がるようなそういう詩作はものすごい弱点で、そこらへん克服できたらかなり濃い作品になるのかもしれませんね。 <そこが行分けの詩を書いているときには顕著に表れていて、きっと短文に詩情を作るのはだいぶ苦手なんじゃないかな。>いやあ、めっちゃ鋭いです。いわゆる「詩」を作るの下手くそだから途中から散文作品が増えてるんですよ、、正直なことをいうと。いわゆる詩の形式のものからうまく詩情を表現する技術がほとんどないですね。本当はそういうのに憧れているんですけど。。リルケとかやばいなって思います。まあただ、弱点とがっぷりよつで格闘するほど、その形式の詩に対して執着があるわけでもなく、イージーな方向に流れているというのが現状かと。ましてや、そこに何かしらの尖ったポリシーがあるわけでもなく。。でも文章を書くというのは楽しいものです。さらに上達できればもっと楽しいでしょうね。 言葉のリフレインに関するご指摘も確かに言われてみると「ABAB」形式が多いかも。この辺のテクニックは手持ちが少ないのでもっと精進せねばという感じです。 こんな具体的にアドバイスいただけるとは思わなかったのでおもがけずとても嬉しく思いました!馴れ合いに終わっても否定のしあいに終わっても不毛中の不毛ですが、こうした建設的な議論はとても有意義ですね。また機会がありましたら是非よろしくお願いします。

夏生夏生 (2018-07-28):

survof さん、御作にコメントさせて頂きます。 ジェットコースターから感情の起伏が見えて、鎮めようとするほど気になる。フィクションの中で増えていく死、ピアノの音と小鳥のさえずり、その意味についてなど。繋がりがないところの面白さ、瞬間瞬間に感じる、思うことから、感傷的になることへの疲れを感じる。幸せとは何か、気付く瞬間に終わる。もう、うんざり、という思いも含まれているようなところが印象的でした。

survof (2018-07-28):

夏生さん こめんとありがとうございます!たしかに「うんざり」という気分があったのかもです。ハマるときはとことんハマる性格なのですが、そのせいで飽きた時の反動がものすぎて「食傷」というよりも「嘔吐」に近い感覚になることがあります。エンターテイメントもほどほどにしないと楽しめるものも楽しめなくなりますね。。

こうだたけみ (2018-08-14):

3回くらい読んでみて、初読でこれ好きなやつだーって思ったことに確信を持ちました。そして、〈引っ掛かる部分があまりな〉いとか〈ただノリで書いているだけ〉とかのコメントを見て、私の好みは軽いんだなーって思って笑ってしまいました。軽々しさ上等。 YouTubeにDance of the Line Ridersという動画があるのですが、ジェットコースター嫌いな人はとても苦手と思われます。私は怖いもの見たさでつい何度も見てしまうけれど。落っこちる感覚、あれが苦手です。小学生くらいまではそこまで苦手じゃなかったのになー。

survof (2018-08-14):

こうだたけみさん Dance of the Line Riders!!実はめっちゃ好きです!でもやっぱりひやっとしますね。。汗。それはさておき「軽々しさ上等」に激しく同意!意味の全くわからない外国語を使って語感とリズムだけを頼りに詩を書いてみたいものです。

こうだたけみ (2018-08-14):

お! 動画お好きでしたか! 落ちるときひやっとしますよねー。 意味のわからない外国語ではないのですが、英語を日本語読みしてうまいこと織り交ぜて書く人がいてとても嫉妬します。アーライユーミー?(荒井由実)とか。うらやましい感性。 もっともっと軽々しくなって自由になりたいです!

survof (2018-08-14):

「アーライユーミー?」は確かに嫉妬するレベルですね!確かにうらやましい。。


惑星メメシス   

百均@B-REVIEW ON/ 
作成日時 2018-07-15
コメント日時 2018-08-14

 

.わたしはかんしょう的になって空とぶ だれもいない砂漠で 黒い肌をした人間がみたことのないダンスをおどっていたので それを描写しようとしてあきらめた わたしにはなにもかけない事を また知らされる 特に書く必要のない存在をかきとめようとする わたしのこころは 本当につまらないね つまらないが しかし、 かくために必要な理由をいつもさがしてる 探したところでなにかあるわけでもない ただ、いきるために 必要なじかんを 世界中の 唇の気持ち悪さについて 例えば気持ち悪いと思う感情について、 光が窓を通り越して 部屋のなかを明るくする理不尽さ 壁を作れば問題ないというのは 技術があるやつの言い分 そんなものつける理由に乏しすぎる 光をさえぎるためだけなんて いやいや壁はもっと大事 風や音を遮る 人間を遮る 鳥の鳴き声も 車の音も それから、 何かを飾れるはずだよ ひつようなものを カレンダーとか 絵や花とかを そういうのは もう うんざりだ そのためだけに壁を作る技術 身につけるのは ああ、 それをこうして 全部 描かないといけないのも どうでもいい わたしは 暗闇に産まれればよかったのか でも、暗闇に飽きたら 光を求めて 壁の壊し方を覚えようとする わたしは わたしの素手ではなにも壊せないことを、知っている だから わたしはかいているのだ。 書の中で壁を壊すために いつも たどりつく地平は始まりの場所で 極論で 生きられる場所は 終わりの場所だ ここにあるとすれば すべて 均衡の問題 反吐が出るほどの仕方なさが 本当に 本当に優秀な死は 10代で輪廻しているのだから だって もう二度と このフィクションを楽しめない 身体に生まれてしまったからには 朝から目覚めてあらゆる存在に気がついてしまえばなにもかも病気になってしまって、わたしはなにもできない小さな唇を開いて大声で泣いたら怒られたので泣きながらうじうじしていた。なぜ、私は私らしく遅刻したり、一日中寝ていたり、部屋でゴロゴロしながらゲームしたりし続ける事を許されていないのか。私は私らしくいきたいのだ。一日中どうでもいい感情でどうでもいい疑問を抱えながら、理不尽に怒られて罵倒されて、罵倒された言葉で落ち込んでその恨みを書きつけてだれかに可愛そうといってもらいたい。世界で一番かわいそうなやつだと言われたいという、感情。 わたしらしさ。という これは女々しさ というらしいよ。 いっぱんてきにね くだらねぇよなぁ? わたしはどんどんあきらめていく世界で1番あきらめたにんげんになりたい。 泣いていたい そういう感情が大事だってことつたえたい 大事なかんじょうなんてどこにもないのにね。 と 毒をはいていたい 嫌われていたい そして同時に好かれたい 世界で一番なにもしていたくない こうして書いているのもうんざり なにも表現したくない 伝えたくない 大事なことなんて、もうすでに誰かが仕事している わたしなんていらない 何かを書き始めるときに 酩酊が必要なのは 上に書いた感情が邪魔で それらをそぎ落とすため 毎日生きていると 襲ってくる黒い鳥が本当に邪魔だけど みんな そういうやつらと戦いながら書いてるんだろう 意味もなく でも大事な何かのために もしくは 遊びのために もしくは まじめにふまじめに と 反論はすでに用意されているから ここに書いた話は 対話するためじゃない わたしのなかの話として 大事なだけ あなたは 相対的にそういう立ち位置にいる わたしも あなたとは違うところにいる 社会よ くたばれ わたしに必要じゃないもの以外をのこして


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ゼンメツゼンメツ (2018-07-15):

この作品は「作者像」が上手く創造されていると思う。本文は、同じようなことばかり、冗長で、人から見たらどうでもいいことばっかで、無理に魅せるための修辞もなく。でも、実際の思考ってこういうもんなんじゃないかな。悩んでいたり、苦しんでいたり、すればするほど同じところにもがき続けていて、どこにも向かわない対流に延々と絡め取られている感じ。そういう思考状態を巧く表現できていると思う。詩文自体は最後〆てあるけど、どうせちょっと経ったら同じようなことをまたグルグル考えちゃうんだろうなって、そんな感じ。 そしてそんなヒジョーに内向きなものを作品として外へ出さなきゃいけないときに付けたタイトルがまたいいと思う。少しふざけてて、自嘲的で、照れ隠しっぽい。「惑星メメシス」という題はいじらしくて可愛い。 実際の作者がどうとかはもちろん知らない。でもこのテキストの先に作者が創造した作者像は、きっと読み手の頭のなかでも「生きてる」んじゃないかなと思う。

四畳半学生 (2018-07-15):

様々な矛盾や不条理に囲まれた世界に生きる女性の詩人の姿が浮かびました そんな中での主張、未知なる惑星、異なる日常への渇望なのか、そんなことを思った詩でした

北村灰色 (2018-07-16):

途中というか中盤までありがちな自己憐憫に浸されていて(それを〈くだらねぇよなぁ?〉で一端切り捨てて、リズムを整えて多少転調しているのは面白いけれど)何か冗長だなと思ったんですけれど、逆にそういう冗長さやリズムの微妙さが最後の「社会よ くたばれ わたしに必要じゃないもの以外をのこして 」の一節というかキメに、妙な力強さを与えているような気がしました。

かるべまさひろ (2018-07-18):

タイトルがかわいいです。

こうだたけみ (2018-08-14):

感傷的なメメシスにネメシスが降臨して救ってくれたらいいのにね。あれは変身した女神かもしれないよって、旋回する鳥を鑑賞します。降ってきても、緩衝材くらいにはなるからさ。


投稿作品数: 111

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