クジラの胃の中で溶け始めたような、そんな朝だった。朝になりきれない重い空気の中、歩き出す。歩くことに違和感はないが、いたるところが錆びついている気がする。明るい材料は特にないんだ。アスファルトの凹んだところのわずかな水たまりに目を落とす。もちろん、こんな、不毛な一人語りはどこにも行けない河原の石だ。
少し歩くと川の音が大きくなる。と同時に、鼻孔に突き刺さる芳香に心を奪われた。いたるところに絡みつく藤蔓の花の香りだ。その甘い香りに衝き動かされるものがある。いろんなものを失い、それに慣れてしまった自分が存在し、その負の安寧に包まっている自分がいる。直線的に永遠に続くかのような負の連鎖の中、それを切り裂くように、藤の花の香がいっとき私を解放した。
作品データ
コメント数 : 26
P V 数 : 2898.9
お気に入り数: 5
投票数 : 8
ポイント数 : 26
作成日時 2021-11-09
コメント日時 2021-12-13
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2023/09/26現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 8 | 8 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 9 | 9 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 6 | 6 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 3 | 3 |
総合ポイント | 26 | 26 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 4 | 4 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 4.5 | 4.5 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 3 | 3 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1.5 | 1.5 |
総合 | 13 | 13 |
閲覧指数:2898.9
2023/09/26 00時37分21秒現在
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まるで開放など望んでいないような、それも「文章」の機能を最大限に開かせることの出来る作者の考え方に興味を抱いて止みません。
0てんま鱗子(揶白)さん、おはようございます。 早々のコンタクト、ありがとうございます。ですが、う~む、どうも私のポンコツ頭では理解できない文章でありまして、はなはだ理解に苦しむところではありますが。文体の中に潜む、いろんな要素を散りばめるという手法はいつも意識するところではあります。重ねてありがとうございます。
0こんにちは。冒頭から重々しさを保ったまま五感が変化して最後にパッと開く展開の快い散文詩でした。「十月」もそうですが、最後にきちんとカタルシスが感じられて好きです。溜めがいきているんだろうなあ。
0藤さん、こんばんは。 定型型の作品は、難しいというイメージを私は持っていて、散文的になってしまいがちです。 おっしゃる溜めの部分は恋にやっていますし、そこら辺は自分でもあざといな・・と。 いろいろとありがとうございました。
0藤色って美しいですよね。残念にも藤の花の匂いを思い出せないのですが、簪とか、藤棚の天国のような美貌とか。負の連鎖の中で自然に抱かれて立ち返る、人間の原初らしさですね。独白という河原の石の悲しさよ、共感!
0湖湖さん、こんばんは。 共感していただき、温かい気持になりました。 幸福は,意外に身近なところにあるものですね。お読みくださり、ありがとうございました。
2非常に体感的で、精神的な文体である。言語情報が五感に行き渡っており、それでいて夢うつつのような感触がある。自然への愛しさが詰まった心地よい秀作。
0類さん、おはようございます。 過分な御評価うれしく思います。 詩はどこにも存在しますが、それを文章で伝えることは至難の業ですね。もっと頑張らないと…・と思います。ありがとうございました。
0「クジラの胃の中で溶け始めたような、そんな朝だった。」おもしろい表現で、とても印象的な書き出しだと思いました。しかしクジラのモチーフが作品を通して活きているかといえば疑問です。掴みとしては突飛なイメージに過ぎるような。 後半の、藤の花の香りに対する感応は素晴らしいです。
0わたしも沙一さんと同じように冒頭の掴みが印象的で強いなと思いました。水の属性にある単語が散りばめられているので、そこから > その甘い香りに衝き動かされるものがある。 とありますし、飛躍があったのだなぁという感じがして面白かったです。
0沙一さん、おはようございます。 クジラ…の1節は、おっしゃる通りでございます。自分でもあざとさというか、そういう、見た目の部分を意識していました。ですからもちろん、そんな体験などあろうはずもなく、どんな書き方で今の自分の心境を表わしたら良いのだろうか?と考えた時に、咄嗟に浮かんだのが鯨だったという乗りなんですよね。失礼しました。御批評、痛み入ります。
0新染因循さん、おはようございます。 詩でも散文でも冒頭の掴みはとても大切だと考えているのは、多くの筆を愛する方々のテーマだと思います。書き手のみならず、読み手にとっても冒頭の掴みは、読む気になるかならないかを決める一つの要素でしょう。ですがそれが胸やけを催すものであってはならないと思うのですが、私のこの作品では読み手によってはそういう要素を感じてしまうのでしょう。ただ、自分的には、そこまで赤面するところまでは至っていないかな?という自己擁護もさせていただいております。で、後半の飛躍ですが、もうちょっと時間をかけて飛ばしていくプロセスに出来たらよかったかな…と言う反省もありました。いろいろと御批評、ありがとうございます。
0クジラの胃の中で溶け始めた朝、とはどういうことなんでしょうか。その疑問は解消されないにせよ、なんとなくどんよりとゆっくりとした朝というものは伝わってきました。藤の花により開放されるし自我、というものが伝わってくると思いました。
0千休利さん、おはようございます。 冒頭の質問にお答えしますと、精神的なグダグダ感を表わしているのでしょう、おそらく。 掴みの部分で、とりあえず掴んでしまおうという下心があったかどうか・・・微妙ですね。 ありがとうございました。
0良い作品でした。
05or6.(天川五ヵ六)さん、こんばんは。 他サイトでもご活躍されたgoroさんですね。そんな方からお褒めの言葉をいただくなどとても恐縮でございます。
0はじめまして。冒頭の”クジラの胃の中で溶け始めたような、そんな朝だった。”の部分が何となくどろりとした気分を感じられてとても好きです。散文型の詩はあまり得意ではないのですが、この詩はなんとなく、すっと頭に入ってきました。素敵です。うまく言い表せられなくてすみません。
0イリアスさん、こんばんは。お読みくださりありがとうございます。よいイメージを与えることができたようでうれしく思います。 イリアスさんの作品もこれから読ませていただき、何か感想などを書いてみたいと思います。
0クジラの胃の中と言えばピノキオを思い出しますが、溶け始めたと聞けば、「ような」と比喩的な言い方でもはっとします。僅かな水たまり、私を開放する藤の花。道路と藤が相補的に土を想像させるようなそんな感じをこの詩に抱きました。
1エイクピアさん、おはようございます。 なんか、あったな…と思いましたが、ピノキオの中の一節でしたか。ブラックジャックにもそういったストーリーがあったような気がしておりました。 ほんのわずかな事柄から、人は心が動くものだとつくづく思うこの頃です。
0いい詩だとおもいました。
0念力拳さん、お読みくださりありがとうございます。また、過分な評価ありがとうございます。
0この作品、既に一回コメントして居るかもしれませんが、もう一度コメントします。藤の花の香と言う記述から晩春、春の終り頃、つまり季節は5月の初めの頃だろうかと思いました。クジラの胃の中はピノキオ的な発想ではないかと言う事は前回述べたと思うのですが、この詩では「溶け始めたような」と比喩的な表現。重い空気を説明する的確な比喩だと思いました。
0エイクピアさん、ふたたび恐縮です。 比喩にも多々あるわけですが、最も使いやすいのが直喩ですよね。私はこれを多用するタイプだと思います。一方、メタファは技術的と言えます。エイクピアさんやコールドフィッシュさんなんかは特にその代表選手ではないかとお察ししています。 直喩の多用は読む側は飽きますが、暗喩はそこで読みが固まってし合うという難点はが私にはありますね。つまり、何の事だろうとググり、調べるわけですが、なんというか、筆者の思惑と合致することがなく、永遠のパラレルが持続するわけです。かなりの労力を必要とし、私の小動物のような脳みそは大きく疲弊するのですが、それはそれで価値あるものなのです。 この板ではどちらかというとそういうモノは少ない傾向にあり、皆さんのようなメタファ部門の作者はいささか読者反応が少ないのが残念でなりません。 なにはともあれ、私含め、エイクピアさんのように多くのコメを投下される方が増えることを祈るばかりですね。いろいろと横道に逸れてしまった感のレスレスですが、とりあえず感謝いたします。
0クジラの胃のなかで溶け始めたような と印象的な始まりですがイメージがよくつかめないようです。なにか大きなもののなかにとりこまれている感覚なのかもしれませんが。クジラの夜というたとえ、慣用句のような言葉がありますが、なにか物事が大きく動き出す予兆の感覚からでしょうか。あるいは死に近い感覚といった。 二連で藤の香りに突き動かされて唐突に終わる、嗅覚と匂いとのダイレクトで暴力的な関係性そのものような短さが佳いなと思いました。
0湯煙さん、こんにちは。 なぜクジラを詩句として用いなければならなかったのか?という事ですね。まったく、子供みたいなお応えになってしまいますが、目立ちたいから。が正解かも知れません。さほど私は他者が汲み取るイメージは無視し、自己の快楽だけで詩句を塗しつけていくというスタイルがあります。いわゆる、ひとつの詩を膨大な散文から詩句を抽出し、ひとつづつ真意を美しくカムフラージュしてゆくメタファ的な構成の詩は私には到底無理です。ので、ただただつかみと飛躍と落としどころを意識するだけの作品なのかもしれません。御批評ありがとうございました。
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