B-REVIEW作品投稿掲示板


『もう、手は洗わない』   

ユーカラ 
作成日時 2017-10-05
コメント日時 2018-01-17

 

道に転がるゴミを拾って歩き 風で将棋倒しになった自転車の列を一台ずつ立てて歩き 誰も通らない道の信号機も 青になるまできちんと待っていたあの頃 わたしは 何度も何度も何度も何度も手を洗っていた 生きるのが苦しかった 人にはみんな裏があるような気がして せめて自分は きちんと正しく生きようと決めて 何度も何度も何度も何度も 手を洗って 汚れないように 穢れないように 染まらないように バスに乗って座っていても きちんと足を揃えて 広がらないように 乱れないように 迷惑をかけないように 身体中に力が入って ちっとも楽じゃなかった 何度も何度も何度も何度も 手を洗って きちんと正しく胸を張って 生きるのが 苦しかった そんな私は故郷の5月が好きで 早くやって来る梅雨の合間 雨上がりの真っ青な空に映える真っ赤な梯梧の花に心震わせ 生きていると感じるのだった 自分にも裏があると 分かってしまった今では 踏んづけて初めて道端のゴミに気づき 倒れた自転車の行列を横目にしながら進み 小さな信号機の赤を誰も見ていなければ平気で渡ってしまう そんな大人になってしまった 人に裏があるのは 今に始まった事でもないし 世間は罵声が飛び交い 頭上には渋滞のマイカーが吐き出す排気ガスでくすんだ空が広がっている 洗わなくなった手は 重ねた月日が灰色の皺と共に すっかり汚してしまった 現在(今)は一体 何を見て 心を震わせるのだろう? 汚れた手を 汚れた空にかざしてみた 灰色の雲の隙間に 微かに青空が見えて はっと息を飲んだ 微かだからこその輝き 汚れた空だからこそ浮き上がる 青 生きながら 揉まれながら 汚れながら その中にも その中にこそ 本物の美が 隠れているのかもしれない そして気づいた いつも何故か悲しいのは わたしはまだ諦めきれずにいるから 自分を 世界を 汚れながらも 穢れながらも 生きていればこそ 心は 震えるのだ だから今も 心震える瞬間を 本物の青に出会える瞬間を そっとずっと 待っている


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homahoma (2017-10-06):

真正面から、すっと胸に入ってくるような作品だなと思いました。 「わたし」の生きづらさの描写に、「私もそうだ…」と思わされます。 特に、「いつも何故か悲しいのは わたしはまだ諦めきれずにいるから」 以降の言葉に、泉のように湧いてくる生命力のようなものを感じて、好きです。

夏野ほたる (2017-10-06):

微かだからこその輝き 汚れた空だからこそ浮き上がる青 ここの力強さが素敵です。汚れてしまった(汚されてしまった)自分でも生きて、輝く何かを探し続けることで輝けるかもしれない。皆心のどこかでそんな思いを抱きながら生き続けているのかもしれませんね。 綺麗なだけじゃない、それでも生きたい、輝きたいという人間らしさを感じられて好きです。

紅茶猫紅茶猫 (2017-10-07):

「青年の主張」のようにストレートな展開は小気味よいのですが、同時に底の浅さをみせてしまうと思いました。 「汚れた空だからこそ浮き上がる  青」 2つの空が同時に見えているのだとしたら、自分の空だけは青い、それは浮き上がる、だから世間に浮いてしまうことをおそれて、まわりと同じにする、そして自己愛に通じていくのかなと思います。

まりも (2017-10-09):

朗読を意識された作品なのかもしれませんが、繰り返しというのか、同内容のリフレインが、少し冗長な印象を受けてしまいました。 でも、すうっと胸に入って来る。ある種の潔癖症である語り手・・・自分だけは、せめて「正しく」あろう、と思う純粋さ、自分は汚れていない、無垢な者として生まれて来たはず、という信頼・・・が、〈自分にも裏があると/分かってしまった今では〉という誠実さに、いわば、身内から裏切られる、その悲しみ。 〈汚れながらも/穢れながらも/生きていればこそ〉、〈わたしはまだ諦めきれずにいるから〉と呟く強さは、世界はきっと、美しい、という、強い信念があるから、かもしれません。そうあってほしい、と思います。

なかたつ (2017-10-21):

 希望や理想を抱きながら生きることは、楽しいことなのでしょうか。いや、きっとそれは苦しさを伴うものだとこの作品を読んで思いました。  展開は、いわゆる「正しく生きること」「善いとされること」を律儀にこなす語り手がいて、周りに迷惑をかけないようにと、縮こまって生きるその苦しさが描かれています。「身体中に力が入って/ちっとも楽じゃなかった」と。  そこからふと故郷の話が挿入されます。故郷の5月が好きだと。そこから、「自分にも裏があると」気づいてしまって、この挿入が見事に起承転結の転の役割を担っています。(思えば、ユーカラさんは沖縄出身でしたよね。梯梧(でいご)に、惹かれました)  でも、裏があるのは気づいてしまった今からではなく、「今に始まった事でもないし」と、最初から裏があるのだと、開き直りをします。それでも、「何を見て/心を震わせるのだろう?」という疑問符を投げかけているのは、正しく生きること・善いとされることをするという理想を白紙にしたからこそ、代替物としてすがりたいものを改めて探しているのでしょう。  空を見上げ、手をかざす。そして、ふと第二の気づきがある。「汚れた空だからこそ浮き上がる/青」の展開は、見事です。自らの生き方そのもの、と、空と手のイメージを重ねて対比させるということ。  正しく生きることは息苦しいことであり、自らにも裏があることを知り、一度白紙になった理想でも「本物の美」や「本物の青」があると、新たな理想を追い続けるというのは、まるで求道者であるような、そんな泥臭い語り手の生き方に惹かれました。

二個優二個優 (2017-10-21):

手を洗わなくなってくれて、よかった。読み終えた後で安堵した自分がいました。 潔癖なくらい余白を許せない生き方で、今まさに辛さを感じている人、またかつてそうであった人へ響くものがあると思います。 共感する詩だと思います。 まりもさんも指摘されていましたが文字として処理するよりも、 音として朗読された形で(例えばCMなどの形で)、不特定多数の生き辛さを抱える人たちに流したい。届いてほしい。そう思う詩でした。

ユーカラユーカラ (2017-11-01):

homa さん、 講評をお寄せいただき、誠にありがとうございます。返信、大変遅くなり申し訳ございません。しっかりとしたお返事を、と思うほど却って書けなくなってしまっていた次第です。 この作品に共感を覚え、泉のように湧いてくる生命力を感じて頂いたとの事、勿体無いお言葉を頂き、大変嬉しく思います。自らを振り返ることで、他の方と繋がる事ができたこと、この上ない幸せだと思います。今後も精進して参りますので、どうぞよろしくお願いいたします。また、この作品を「好き」と言っていただき、ありがとうございました。嬉しいです。

カオティクルConverge!!貴音さんカオティクルConverge!!貴音さん (2017-11-02):

真面目に正しくあろうとするのは良いことですけど、それはある種の潔癖で病気だとかとはまた違うハンディキャップですよね。 働くようになってからの自分を見ているようでした。自分がまた手を洗おうとした時に是非読みたいです。

ヒロツカトウゴヒロツカトウゴ (2017-11-05):

「何度も何度も手を洗う」という行為は、「汚れたくない→正しくありたい」という無意識的な要請として、しばしば不潔恐怖症の症例の背景として現れる、とものの本で読んだことがあります。 汚れたくない、綺麗なままでありたい、というのは、社会に対する嫌悪感であったり、またそのような社会に馴染んで生きている(かのように見える)大人にはなりたくない、という、成長する一方で、それを拒む心理をも抱えている状況と察します。 それはともかく、ここでは、体験談としてでなく、詩作品として提出されているので、そのへんで言うと、真っ直ぐ過ぎるかなという感じがしました。言葉ではなく、全体の進みかたが。整いすぎているというか。 汚れたくないということと、そういう社会にそこそこ馴染んでしまったこと、けがれのない美しさとけがれあるなかにあるがゆえの美しさ、そのような対比のうちに、「本物の美」のあること、またそれへの憧れを表そうという意図があるのかもしれませんが、完結してしまっているので、読んでいるこちらとしては、残念ながら、そこまで視線が伸びない。 読みやすくはあるし、真っ直ぐな調子は爽やかでもある、空の青と悌悟の花の赤のあたりは目を洗われる鮮やかさを感じました。 ついでに言うと、既に社会に馴染んでしまったとすれば、そして、その汚れた現在だからこその美があるとすれば、その瞬間を待つまでもなく、あらゆる瞬間に見いだしうるようにも思います。

m.tasaki m.tasaki (2017-11-06):

ユーカラさま 初めまして。 中原中也の「汚れちまった悲しみに」を思い出しました。 諦めきれないからこそ悲しいということには、非常に共感します。 また、そうであるからこそ、本物の美が隠れていることに気づくことも。 その悲しみと、本物の美への期待が、詩作の原動力になるのだと思います。

石泥石泥 (2018-01-17):

はじめまして。 決別するような、爽やかな気持ちになれました。 僕は詩の事があまり解かりません。しかしたとえどんなものであれ、成り行きを離れた決意は美しく、その美しさがそのまま現れているように感じました。 すごく気持ちがいい詩です。 冗談のような話ですが、私はお昼ご飯のお弁当を外で食べることが多く、割り箸を地面に落としてしまうことが多いのです。 その箸を洗って使う事を辞めました。 土だけ払い、そのまま使うようにしています。 少しでも動物の体で居たいんです。 まったく関係ない話かもしれません笑。

みうら (2018-01-17):

今作はユーカラさんの投稿作品の中でも一番好きかもしれないなあって、とても気に入ったので、朗読してみました。 https://youtu.be/BD6DY-dz5sQ


ミネラルショップの片隅で。   

湯煙 
作成日時 2017-10-01
コメント日時 2017-12-15

 

 色とりどりの美しい鉱物や、原始の姿をとどめたまま悠久の時に身をあずける太古の化石類を所狭しと陳列した、街のミネラルショップに立ち寄る。するとそこに、鯨の耳石と名付けられた商品が置かれている。わずかに反りをもつ姿形の全体をくすんだ暗黒が覆い、わずかにしめやかにつやを帯びている。やや横長にずんぐりとして楕円の形状に近く、内側に大きくカーブする大小の渦巻きの層を刻む。掌に包みこむ。しっかりと重量を保つのがわかり、静謐がひんやり染み込んでくる。  鯨類に属するものには、エコーロケーションとよばれる超音波による周辺情報の把握や餌の採取、仲間との意思疎通を行うものたちがいて、音の受動と伝達は骨伝導によるという。耳の穴はふさがり耳殻も持たないとされる。いつしかわたしは想像の川をくだりながら、彼らはいったいどんな会話を行っていただろうかと、やがて思考の網はゆるやかにひもとかれて流氷のささやきのままに誘われていく。  きこえというものが鈍かったらしい。物心ついたころすでに耳鼻科に通院していた。高校に上がり大学病院に行き、精密検査を受けたところ、わたしの左耳には聴力がなかった。断続的に流される微細な機械音を聞き取り、手元の丸いボタンを押せば大きく右へぶれるはずの検査機器の針は停止したままだった。  現代医学では不可能  大きな音は避けるように  医療は日進月歩だから と、わたしを見て医師が言った。  残る右側を大事にしながら治療が可能になる日を待つ。そういうことだった。  慰めや同情。そうした人に備わる諸々の感情は大事だ。たとえ意味の裏側を伝えるため、そのようなものだとしても。言いあらわすことの、言いつくすことのできない、───はりついたままの沈黙、とともにわたしは今も海原をめぐりつづけている。変わらず止むことを知らない喧騒のなか。


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まりも (2017-10-05):

鉱物が好きで、よく、科学実験材料のお店や、鉱石ショップなどに立ち寄ります。ミネラルショップ、という言い方があるのですね。ミネラルときくと、なんとなく栄養素のような気もしてきて・・・心の栄養素を置いている店、そんな印象を持ちました。 〈悠久の時〉という言い方は、なんとなくコマーシャルコピーのような印象もあって、使うのに抵抗がある言葉なのですが、化石とか鉱石には、本当にしっくりくる言葉だと思いました。 それにしても、〈鯨の耳石〉とは。いや、正確ではないですね。〈鯨の耳石と名付けられた商品〉・・・語り手が、え?クジラの耳石?そんなもの、本当にあるの?と半信半疑で手に取り、じっくり観察して、質感や外見から様々な連想、想像に誘われ・・・最後に〈静謐がひんやり染み込んでくる。〉という感動に至るまでの過程が、実に丁寧に、かつ無駄なく描かれていて、とても美しい文章だと思いました。 二連目も、学術的な解説(必要最低限の、絞り込まれた文章)から、一転して〈想像の川をくだり〉〈思考の網はゆるやかにひもとかれて流氷のささやきのままに誘われていく。〉思考が「わたし」という狭い枠から流れ出していく、その流出の感覚と、想像を働かせて川を下り、大洋に到り、最後はクジラが棲む南氷洋まで到る。地球を半周しているわけです。壮大な想像力の旅。 三連目で、また大きく転換して・・・なぜ〈わたし〉が〈耳石〉に惹かれたのか、その理由が明かされる。クジラの〈耳の穴はふさがり耳殻も持たない〉という「説明文」に、なぜ目が留まったのか。〈音の受動と伝達は骨伝導による〉クジラのコミュニケーション方法、音の「聴き方」が、なぜ強く印象に残ったのか・・・ 語り手自身が、片耳の聴力を失っていて、通常の空気の振動からは、音を聞き取ることができない、そうした来歴を持つ人物であるからこそ、クジラの音の「聴き方」、通常とは異なるコミュニケーション、その証しでもあるような耳石の質感に心が留まったのだ、ということが、寡黙な語りの中から明かされていく。 最終連で作者はさらに飛躍します。言葉、という空気の振動によって伝えられたり、文字、という表記によって伝えられたりする方法「ではない」方法で伝わっていくなにか・・・〈意味の裏側〉言葉が含意するもの。表に現れたものの背後に潜む思い。 クジラの泳ぐ南氷洋にちなんで言うなら、氷山のように空中に出ている部分が言葉、その海中に没している部分が想いや感情の部分であり、その海中に没している見えない部分、音、として聞こえない部分、〈はりついたままの沈黙〉、それを〈止むことを知らない喧騒のなか〉で、聞き取ること・・・それは、空中を伝わる振動ではなく、骨伝導で伝わっていくなにか、のようなものであるのかもしれません。わたしたちの「聴く」という行為の中にも、クジラの耳石のような、美しい石/意志が、生まれているのでしょうか。

湯煙 (2017-10-05):

まりもさんありがとうございます。一連は修正すべき箇所があり難ありかと。全体としてよく詠み込んでくださった上で頂いたみたいで、恐縮します。比喩的表現を多用した、それなりに詩として趣のある、そんな作り込みを志向すべきかと思いますが、こちらでいうクリエイティブライティングですかね。なにかそうした作品を意識的に行い投稿してみた、そんなところでした。本作品自体はかなり昔のものであり、少しの推敲を図っただけで、構造の全体はほぼそのままでした。個人的な内容ですしあまり詩作品としてどうこういうものにはならないのかなと。 悠久の~とは確かにあまり言ったりはしないでしょうね。頭ですから入りやすいかとは思いましたが、まずかったかもしれません。鯨の耳石は存在するようです。ただ色や形は様々みたいですね。学術的な解説文めいたものは本当はあまり挿入しないほうがよいのかもしれませんね。少し興味を引かせるような流れをといったところでしたが。 三連からは唐突に遠い過去に関する記述になりますね。私の場合は感音性の難聴らしく、空気の通りがよくないために聞こえないようです。ですから音のある世界と無音との二極をいつもどこかで意識せざるを得ない、そんなところが常にあったりします。普通に聞こえますが、反対側となるとまったく聞き取れない世界に放り込まれてしまう。誤解やトラブルが起こるのを怖れる、そんな私がいますね。困ることは日頃からに多々ありますが。ただ遠ざけることもできますし、おまけに近視乱視ですから見たくないものを見ないようにと、それらが可能ですから悪いことばかりではなく。 そうですね。やはり聞こえない世界に耳を傾ける、なにか関心を持つ、そうしたことなどについて綴ったものになりますかね。 一旦送らせて頂きます。

湯煙 (2017-10-05):

失礼をしました。まりもさんへの続きになりますが。コメントを読んでいまして、不立文字であったり、非主流、言語というものでしょうか、alternative、nonverbalが過り。そういえばですが、先頃鯨などの海洋生物が《言葉》を使いコミュニケーションを行っていたという、そうした話題があったかと。ただ誤解なきように言いますと、医師について、医師からの宣告について、また現代医療についてどうこうという、そうしたものではもちろんありません。表現が微妙な感じになってしまっているかもしれませんが。 氷山の喩えはわかりやすいようですね。ただ拝読をしながら、はりついた沈黙という解説めいたものより沈黙そのものであるといったことを表現を工夫すべきかなと、あらためて思いが行きましたが。 意志と石。なるほど。同音異義語なるものですが、聴く(意志‐生/石‐死。そして医師と。どこか重なりあうものなんですかね。

まりも (2017-10-07):

再レスです。少しお作品から離れますが・・・以前、自主勉協会のワークショップで、面白いテキストを用意して来たメンターがいました。散文詩、のような断片がたくさん集めてあるのですが、辞書の一節であったり、小説の一節、新聞や雑誌の記事の一節、改行詩をひとマスあけの散文詩のような形に改変したもの、などなど・・・と、いわゆる散文詩が混ぜてあって、さあ、どれがどれでしょう、という・・・。あらゆるジャンルの文章に、「詩情」を感じさせる部分、というものはあるのだ、と、あらためて再確認しました。 現代詩、とか、口語自由詩、の定義そのものが、人によって違う、という、なんとも奇妙なジャンルが「現代詩」なのかもしれません。私の立ち位置は、ひとりひとりが自らの文体を探していく行為、そのものが詩作である。自分自身の内面のミクロコスモス、その空間で体験したり経験したりしたことを、他者に伝える・・・というより、イメージとしては、言葉という手段を用いて、シェアしていく、それが表現、ということなのかな、という「感じ」を持っています。個々人のミクロコスモスは、人智の及ばない、どこか遠くで、ひとつにつながっている、のかもしれず・・・(集合的無意識、のような)そうではなく、永遠に個として分断されている、のかもしれず・・・。いずれにせよ、隔靴掻痒ではありますが、自身の体感を何らかの表現で伝えたい、と思うのが「ひと」であって、だからこそ、「ひと」は言葉を生み出したり、絵や記号、音楽を生み出したのだろうなあ、というのが、はるかな古代への想いです。 言葉は、既知のものと対応しているわけで・・・未知の体験を既知の言葉を用いて表現する、という、そもそも矛盾だろう、無理でしょう、という状態から、なんとか近いところにもっていく、という「もがき」や「あがき」があるのでしょう。そして、既知の物を類推、例として用いることによって、近づけていく。そこに、比喩の面白さがある、と思うのですが・・・表しえないこと、とりこぼしてしまうこと、どうしても類例を見いだせないもの、に関しては、沈黙を選ぶほかはない。 もっというなら・・・深い沈黙の海の中で、島のように個々人の「言葉」が点在していて・・・その個々人の「言葉」の多島海を渡りながら、様々な木の実や草の実を運んでいる鳥たち・・・その「鳥」にあたるものが、表現された様々な作品、ということなのだろうなあ、と(なんでクジラから、鳥に話が飛ぶのか、自分でもよくわかりませんが)そんなことを、湯煙さんの作品を読みながら、考えていました。 思いっきり脱線しまくってますが(笑)

まりも (2017-10-07):

自主勉強会、が、自主勉協会、という、奇妙なアソシエーションになっておりました(笑)  立ち上げますかね、自主勉 協会。

なかたつ (2017-10-21):

 何だか言葉に表せない良さを感じました。そうした、言葉に表せない感情というものがこの作品でも扱われています。  ミネラルショップという一つの舞台で感じた語り手の感情が、語り手という名のとおり、読者へ語り掛けるように、声として届いてきます。第二連では、自らの思考の中へと意識を移し、それでも、語りは続いていきます。鯨の耳石を見ている語り手は、ミネラルショップにいるはずですが、思いをゆっくりと巡らすその様子が、それこそ静謐なミネラルショップの雰囲気を読者に想像させます。  そして、幼少時へと舞台が移り、語り手の秘密が明かされるのです。それは、選択した道ではなく、語り手が背負わざるを得なかった運命。  「慰めや同情」に、言葉は伴うのでしょうか。むしろ、言葉にすると安易になる感情になってしまうのではないでしょうか。「君の気持ち、わかるよ」などと、日常会話では使われるかもしれないですが、この語り手は、そういった「慰めや同情」ではない、深い感情を味あわせてくださいます。それこそが、「言いあらわすことの、言いつくすことのできない」という表現に集約されています。  鯨の機能を自らになぞらえて導かれた最終行は見事としか言いようがありません。

湯煙 (2017-11-16):

まりもさん。ありがとうございます。遅くなり申し訳ありませんでした。 あらゆるジャンルの文章に詩情を感じる・・・。コラージュにシャッフル、モンタージュに引用等々。実験としての要素もあるのかな?などと。自分のことばでなく、外部にあるものだけで構築、意識的に行ってみることもまた大事な作業なのかもしれませんね。 現代詩の定義ですか。私もうまく答えることはできませんが、私の場合は森に迷う友人を探すといいますか、再会といいますか、無事でいることを祈りつつ その友人に向けてなにかをという。そんな感じがありますね。なにか感じとるものがあり、そこへ向けてのコンタクト、狼煙といったサイン、・・・大袈裟でなく、あまり気難しくなく。そんなところになりますかね。・・・わかりませんが(笑。 そうですね。拝読していましていろいろ思うところありますね。霊的な働きといいますか、骨や流木などに刻み付けたりした記号や絵といったしるしからことばに変化したのだろうか?という、そうしたものについての作品も書いたことがあったのを思い出したりしましたが。認識なり身体なり、変化にともなって抽象化や象徴概念が生まれことばも表現もまた変化してという。 多島海を渡りながら木の実を運ぶ鳥。なるほど。わかる気がします。昔は鳥と名乗っていたこともありますから ^^;。魚と鳥と。元は同じであったという説もありますね。ときに魚も空を舞い鳥は海中深く飛び込むと、そう考えることもあります。 他様々に示唆を頂きました。遅ればせながら、重ね重ねありがとうございました。

湯煙 (2017-11-16):

なかたつさん。ありがとうございます。レスが遅れてしまい申し訳ありませんでした。 ミネラルショップの店内と、沈黙とのリンクといいますか、そのあたりは確かにあまり意識的になっていなかったように思います。こちらこそあらためて気づくことができました。 そうですね。慰めることや同情といった気持ち、働きはもちろんありますし、言葉もあるにこしたことはないかなとは思います。それでどうなるものではないと知りつつという。沈黙の感情?という、自分でもよくわかりにくいものになってしまいましたが、無音の世界=または≒沈黙といった、そうした公式が成り立つのか否かとも思いましたね。海原をぐるぐる回遊している、そんな感覚になりそうで悪夢みたいですが(笑。 こちらこそ重ね重ねありがとうございました。

湯煙 (2017-11-16):

追記 まりもさん。自主勉 協会ですね。・・・といいますか、もうすでに立派に立ち上がっているかと(笑。レスを拝読していまして思いましたが、はい。

花緒 (2017-12-13):

>湯煙さま 一点、事務連絡でございます。ツイッターでDM差し上げたのですが、みていただけてはいないようなので。 下記のDMを送らせて頂いております。こちらのスペースでも結構ですので、返答のほど、よろしくお願いいたします。 こんばんわ。いつもB-REVIEWへの投稿ありがとうございます。10月のB-REVIEW杯なのですが、湯煙さんの作品を大賞作に選ばせて頂きました。つきましては、大賞作を面白いぞ!現代詩(https://twitter.com/crossroadofword )アカウント及びそのHP(http://wordcrossroad.sakura.ne.jp/wp/ )にて、掲載させて頂きたく存じます。掲載に際しては、著作権の移転及び金銭の授受は一切発生しません。 掲載させて頂いても宜しいでしょうか。確認をとらせて頂きたく存じます。

まりも (2017-12-13):

上げます。

湯煙 (2017-12-15):

花緒さん。遅くなりました。失礼をしました。 わかりました。OKです。 まりもさん共々、お手数をおかけしました。 ありがとうございました。


蒐集家   

アラメルモ 
作成日時 2017-10-20
コメント日時 2017-12-05

 

過去を集める男がいた。 死んだ人間の魂に魅入られていた。 ある時さざ波がやってきて 家ごと持ち去られてしまう 死んだ人間ばかり集めていたので、 男は生きる術を忘れていた。 丘の白い建物には大きな銀盤がぶら下がり 時の華やかな音色を告げる 集めたものには魂の光などなかった 薄笑いを浮かべる野良犬が 墓をほじくり返してはそれを晒し者にする 野良犬は生きる術を知っていた。 窪みに溜まった潮の塊よ 人々が荒れ地に帰還することはない 男が何処へ行ったのかもわからない 拾い集め手にしたもの 銀盤の欠片と野良犬の白い骨 風が抜けると土塁が盛り上がる 大地に熱い光がふりそそぎ やがて魂も消え果てた。


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stereotype2085 (2017-10-20):

「過去を集める男がいた」という冒頭の一節が素晴らしく、最後まで一気に読み上げてしまいました。生きる術を忘れた「男」に対比して、生きる術を知っているはずの「野良犬」が「墓をほじくりそれを晒し者にし」、「薄笑い」を浮かべていることに、どちらの立場になろうとも救いがなく、荒廃が待っているのか、というある種の無常観を感じました。詩全体を覆う一つのディストピア感が、こう言ってよければとても僕好みです。締めの「やがて魂も消え果てた」。恐らくアラメルモさんも「魂」という単語を使うべきか一瞬考えたと思いますが、僕は浮かんだら「魂」は躊躇なく使います。絶望、落胆、悲嘆のある場所には、ある、ないはともかく「魂」という概念、言葉が必要だとも思うのです。以上長文大変失礼しました。

アラメルモアラメルモ (2017-10-20):

stereotype2085さん、お読み頂きコメントありがとうございます。 鋭いですね、おっしゃる通り魂の文言には躊躇しました。抽象的にぼやけてしまわないかと考えたからです。 何かおもしろい言葉を、とも考えたのですが、即興でもあり、なにぶんにもわたしが語彙力に乏しい。 何行かの活かしたい言葉があり、それにテーマらしきものがきまってくると、あとは調和を取るか、破調を選択するのかと考えたら勇気もいりますね。この場合は調和を取りました。 この辺りの選択は難しいところです。奇抜さで浮いてもダメだし、まとまりすぎてもおもしろくない。詩書きにとっては悩めるところです。

花緒 (2017-10-20):

楽しく拝読しました。詩についての詩として読みました。文字というのは、ある意味では、過去に書かれたものであり、その後変更されることはない、という意味において、死んだものとも言えるわけですから、詩作品や文学作品を読み漁ることは、死んだ人間の魂を集める、過去を集めているだけとも言えますよね。あるいは、文字を書くことは、自身の思考を、過去のものとしていくプロセスとも言えるのかもしれませんよね。そういう風なことを考えながら、わたしは本作を読んだので、文学や詩作に対する、作者の諦念を感じるようなところがありました。もう一歩突き進めると、モード詩というか、完全に死んだ言葉を、そうとわかって戯れる類の前衛的な詩作品が出来上がるのかもしれませんね。そうした戯れの詩が良いと考えている訳でもないのですが。詩情とともに、作者の躊躇いや逡巡を感じさせる一作のように思いました。

アラメルモアラメルモ (2017-10-21):

花緒さん、お読み頂きコメントありがとうございます。 何故モノをコレクトしてしまうのか。それが価値のあるモノならば、コレクターは自分が死んだ後のことも考えるでしょう。なかにはあまり価値の認められないモノばかり集めている人間も居ますね。彼が亡くなれば当然モノだけが残ります。受け取る側に価値が無いと判断されればモノはゴミとして破棄されてしまいます。何のための収集だったのか。モノは死んだ彼と同じ運命を辿ります。捨てられないまま残していたくだらないモノがわたしにも沢山ある。なんとか生きているうちに処分したいものです。跡として残したくはないもの。 あまり刺激も感じられなかった様子ですね。まとめてしまった印象からかな。テーマを追いながらも発語に対しての動機付けは弱い、と作者本人も感じています。 丁寧な批評をくださり恐縮です。遠慮は無用です。もっとここが弱いとか、足りないとか、具体的に指示してくださってけっこうですよ。 創作を試みようとする者に遠慮はいりません。どうぞ、本音でビシバシ叩いてやってくだされ。

stst (2017-10-21):

思わずドキッとしました。私がライカのコレクターである事を ご存じだとおもうのですが、耳が痛いです。でも、こんな話も あります。ライカのコレクターの間で有名な話ですが、この詩 と同じように、ライカのコレクターがなくなり、遺族が遺品を 整理して、なんと当時は20万円以上もしたライカを知らずに捨て てしまったという、面白い話です。捨てられたライカを他のコレ クターが発見し、大儲けしたというものです。この場合は1台だけ ですので、コレクターではなく、本当に欲しかったものを1台だけ 持っていたのかもしれません。この詩のなかに、このような宝物も なかにはある----というエピソードがあれば、より面白いような気 がします。

アラメルモアラメルモ (2017-10-21):

stさん、お読み頂きいつもあたたかなコメントありがとうございます。 実は宝物だった。 よくあるようにショートストーリーで創作することになりますかね。 ですが、そのような設定はいろいろと変化工夫によってはおもしろく創れますね。 上手く創作されたならば、哀愁を帯びて感動を呼び起こす。構成的に確立された要素ですね。 感動した物語の内容の多く。場面としてはそのような哀感は多少なりにも含まれる気もします。

まりも (2017-10-21):

コレクター、でもなく、収集家、でもなく。蒐集、その文字の密集度。魑魅魍魎、といった文字を見た時のニュアンスに近いものを感じました。 三連の緊密な構成。形容詞、副詞を極限まで削った緊密な構成、力強い語尾の連打。ストイックな文体に惹かれます。 対句的な表現は、しばしば型に陥りがちですが、死体を集める男と、墓を漁る野良犬、両者がずれながら重なっていくがゆえに、ひとりの男の行為を、両面から照らし出していく。それを、一連、二連、と言い換えていく。そんな新鮮なバリエーションのように感じました。 魂に光がある、そう信じて(あるいはそう願って)集めた〈死んだ人間〉(の生み出した産物、過去の物語)は流れ去り、埋められた過去をほじくり返してみても、〈集めたものには魂の光などなかった〉と自嘲する他はない。 銀盤とは、なんでしょう・・・超自我の眼、のようでもあり。太陽に擬せられた鏡、のようでもあり。 〈時の華やかな音色を告げる〉という次行から、大きな時計もイメージしました。華やかな、という言葉がトランペットのような、あるいはカリヨンのような金属的な響きを呼び覚まし・・・終末へのカウントダウンを想起。大きな、華やかな、という形容が、ここに集中しているせいか、インパクトがあります。 三連目、〈窪みに溜まった潮の塊よ〉という呼びかけの部分、唐突感がありました。伏線的に、海や涙といったイメージを、一連、二連に潜ませておいても良かったかもしれません。 私がイメージしたのは、白く光を照り返す塩田でした。涙の干上がった海、という読み方をしたくなります。塊、という文字と、魂という文字も、似ていますね。 ここでの語り手は誰なのでしょう。過去の物語を集めていた男は、既に行方不明、埋もれている過去をほじくり返していた野良犬も、既に骨になっている。その景を明確に見据えながら(嫋々と歌い上げたり、喪失を嘆いたりするのではなく、断固とした現状把握、現状報告、といった文体で)三連に登場した語り手は、銀盤の欠片と野良犬の骨を拾っていく。 〈熱い光〉とはなんだろう・・・すべてを焼き尽くす、神の火か?魂も消え失せる、のですから、三連目の語り手こそ、全てを目撃していた「魂」なのかもしれません。

アラメルモアラメルモ (2017-10-22):

まりもさん、コメントありがとうございます。 過去ばかり集めているわたしは映像オタクなのです。 つい気になる番組があれば録画してしまう。なのでこれまでに集めたディスクは膨大な数になります。 そのうち再度取り出して眺めた番組は幾つあるのでしょうか。数えきれる程度です。これはもう悪癖なんですね。カメラオタクがなんでもかんでも写真に収めないと気が済まないように。このことは、考えてみれば決して前向きな捉え方ではない。常に振り返ろうとしているわけですから。積極的な行動に出るよりも後ろの隅でじっと眺めている。そんな消極的な人間が持つ悪癖です。だから損ばかりしてますね。わかっていても面倒くさくなってしまう。そのようなお人もわたしだけではないでしょう。世界には数多く存在して居るのではないかなとも思います。 出会いを大切にするお方は一期一会をよく理解している。映像オタクのわたし、人生は再度甦るかの如く、ちょっと勘違いしてますね。すべて意志と意思の弱さからです。 こういう遺作物を書くときは必ずあの歌詞があたまをよぎります。「死んだ男の残したものは」谷川俊太郎氏ですね。この歳になっても考えます。もう少し積極的な人間になりたいと。 丁寧な読みに解析、まりもさん、感謝申し上げます。

まりも (2017-10-22):

おはようございます、すみません、大変な誤読をしておりました(笑) 語り手が変わるのではなく、三連とも一貫していて、語りの次元が異なる、のですね。 男について書き、野良犬について書き、どちらもいなくなった世界について描く・・・とも言えますが、 はじめは過去の男の行為、続いては現在の男(野良犬)の行為、そして最終連で、これからのことについて、予言的に描く・・・そんな読み方をしてもよいかもしれない。そう、思ったのでした・・・

なかたつ (2017-10-22):

 第一連と第二連が対になっており、「過去を集める男」と「野良犬」との対比になっております。両者の決定的な違いは、生きる術を知っているか、忘れているかということ。過去を集める男は死んだ人間ばかり集める、手元に置いておくが、野良犬は墓をほじくり返して晒し者にする、言わばオープンにして手放すということの違い。  この男は生きる術を忘れてしまったのだから、きっと死んだのでしょう。その魂もまた野良犬によってほじくり返され、晒し者にされてしまうのでしょう。  どうしても第一連の初めから夜の世界を思い浮かべていたので、最終二行は、朝の訪れによって、行き場を失くした男の魂のことを描いているのではないかと思いました。    全く関係ない連想をしました。  というのは、野良犬は創作者というか評論家に喩えられるなあ、と。男は過去を集めるばかりで、古本でもなんでも、先人たちの書物やらなんでも、遺物や遺言などを集めては満足しているだけであるが、野良犬は、埋もれた先人たちに「墓をほじくり返す」というひと手間を加えて、晒し者にするという。言わば、光を浴びる場所に死者たちを再び置くということ。眠った遺志は、集めるだけでは何にもならず、敢えて晒し者にすることで、多くの人に見られる可能性を持つのだという。そうして熱い光がふりそそいだ意志の魂自身は消え果て、誰かの身体へと取り込まれ、魂の器を手に入れたのではないかと妄想してみました。

カオティクルConverge!!貴音さんカオティクルConverge!!貴音さん (2017-12-03):

うんうん、311の被害が酷い所に住んでいた私には 津波で呑まれて死体の集まる管理場所 盗んだ日用品を金で売りつける輩がいて、必要なんで死体から抜き取った現金で買う人 最後の連なんてそう見えちゃいますね 波の手で掻っ攫って人の生活滅茶苦茶にしといて いまやそうです、かつて波が来たのかと思うほど平らな土地ですよ。 潮の魂ってのを感じないほどに 何でしょうね、悪い酔いしてますね私。 ぐっちゃぐちゃで悔しくなってきますね…。

アラメルモアラメルモ (2017-12-05):

なかたつ様、コメントありがとうございます。 創作者(詩人)そのように読んで頂ければうれしいかぎりです。 カオティクルconverge!!貴音様、お読み頂きありがとうございます。 仮に野良犬が人間ならば死人の名誉などは考えない。そんな人間は何処にでも居るし、もしかして自分の中にも潜んでいるかも知れない。果たしてこれが火事場泥棒に豹変するのならば、もっと許せないことでしょう。

アラメルモアラメルモ (2017-12-05):

まりも様、再度ありがとうございます。


秋の詩   

静かな視界 
作成日時 2017-10-12
コメント日時 2017-12-04

 

ふと 空を見上げると 蒼かったのだと気づく 鼓動も、息も、体温も みなすべて、海鳥たちの舞う、上方へと回遊している ふりかえると二つの痕がずっと続いている 一歩づつおもいを埋め込むように 砂のひとつぶひとつぶに 希望を植えつけるように 海は、あたらしい季節のために つぶやきを開始した 海鳥の尾にしがみつく秋を黙ってみている そう、海はいつも遠く広い 僕の口から いくつかの濾過された言葉が生み出されてゆく 君の組織に伝染するように、と いくらか感じられる 潮のにおい 君の髪のにおいとともに 新しい息をむねに充満させる      * あらゆる場所にとどまり続けた水気のようなもの そのちいさなひとつぶひとつぶが 時間とともに蒸散されて 街はおだやかに乾いている アスファルトからのびあがる高層ビルは 真っ直ぐ天にむかい 万遍のない残照をうけとり 豊かにきらめいている つかみとりたい感情 忘れてはいけないもの 体の奥の一部を探していたい その、ふと空虚な どこか足りない感情が 歩道の街路樹の木の葉を舞い上げる 体のなかを流れる 水の音に耳をすます 数々の小枝や砂粒を通り抜けてきた水が やがて秋の風に吹かれて 飛び込んできた木の葉一枚 日めくりの上方へと流れてゆく * 何かに怯むでもなく 過ぎ去る時間の刻々を様々な車達が疾走していく それぞれが無数の生活の一面を晒しながら、一号線を走っている 土手に築かれた車道から傍らをながめれば すでに刈り取られた田が秋空にまばゆく どこかに旅立つようにたたずんでいる パワーウインドウを開ければ どこからともなく稲藁の香ばしいにおいが入りこみ 午後の日差しは一年を急かすようにまぶしい 住宅の庭から、対向車の車の煽り風によって流れ込んでくるのは なつかしい金木犀の香りだった 記憶の片隅にある、未熟な果実の酸味のように とめどなく押しよせる、抑えきれない切なさが あたり一面に記憶の片隅を押し広げていく あきらかに、夢は儚く遠いものだと僕たちは知りながら コーヒーカップに注ぎこまれた苦い味をすすりこみながら語った 夜は車の排気音とまじりあい、犬の理由のない遠吠えを耳に感じながら 僕たちはノアの方舟を論じた 秋もたけなわになるころ、小都市の縁側にたくさんの金木犀が実り それは僕たちの夢の導火線にひとつづつ点火するように香っていた 思えば、僕は、あれから あの香りから旅立ちを誓ったのかもしれない 僕はあれからずっと生きている たぶんこれからも


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花緒 (2017-10-16):

うまいなと思う一方で、借り物の紋切り型の言葉がたくさん使われてしまっている感じもして、どこまで良い作品だと言って良いのか、わたしにはあんましよく分からないなという感覚を覚えました。初読の印象です。また、時間を置いてから、拝読させていただこうと思います。

静かな視界静かな視界 (2017-10-17):

花緒様、おはようございます。 参考になる御意見、ためになります。 ありがとうございました。

まりも (2017-10-20):

青、ではなく、蒼。心理的にそう感じられた、ということなのか、観念世界の空、なのか。 〈ふりかえると二つの痕〉砂浜に刻まれた、自らの足跡、その足跡のイメージと、人生の足跡のイメージ。 〈海鳥の尾にしがみつく秋〉行き過ぎようとするものを捉えようとするなにか、を伝えたい、ということなのかと思いましたが、海鳥という個物かつ具体的な存在に、秋、という抽象的で大きな・・・その場を包み込む気配のようなものを採り合わせていくのは、若干無理があるように感じました。秋が擬人化されるに十分な前後があればよいのですが。 〈君の髪のにおいとともに 新しい息をむねに充満させる〉 今まで、ひとりの淋しい海岸のイメージで読んでいたのですが、〈君〉が、傍らにいた、ということでしょうか。終わって行こうとする季節の中で、君、という生命力に触れて(恋も含めて)生きる喜びが再び萌え出ようとしている、そんなイメージで受け止めましたが・・・君、の現れ方が、唐突な印象を受けます。 二連目は、スタイリッシュな都会の風景の中で、秋を感じた瞬間、でしょうか。三連目は、田園風景の残る田舎道をドライブしているイメージ。二連目、三連目とも情景描写としては良く伝わってくるのですが、どこに「秋」を感じたのか、「秋」を感じることが、語り手にとってどんな意味があるのか・・・意味というと、ちょっと大げさですが、二連目で感じ取った空虚感、三連目で感じ取った懐かしさや安心感(金木犀の匂いが媒介するような)その辺りにもっと食い下がっても良かったかもしれない、と思います。

静かな視界静かな視界 (2017-12-04):

まりもさん、せっかくレスをくださったのに、お返しのコメントをしておりませんでした。 10月の作品なのに、せっかくまりもさんからいただいたレスですので上げさせていただきますね。 おっしゃるように、海鳥が飛んでいる様を、そのまま「秋」という季節をイメージさせるのは、作者のエゴなのかもしれません。と、いいますか、私はけっこうそんな書き方をいつもしてしまって、共感を得られない部分が多々ございます。 強いて言うならば、二つの足跡(だけが)残る砂浜というのは、シーズンオフの海岸というイメージでしたので…、そこで秋を書いたのかもしれません。 あまり詩の中の語句に深い意味を持たせようと、いろいろと貼り合わせるような作業を得意としないため、自分のニュアンスやイメージ先行で詩句を綴ってしまいがちな私ですが、おっしゃること、たいへん良く解ります。  私は常々、とある掲示板で、「盆栽詩人」と言われていた経緯があり、外面を飾る作品が多いようです。 もっと、内面を食い込んだものを提示できるといいのですが。 まだまだですね、御批評、ありがとうございました。


デイヴィッド   

なかたつ 
作成日時 2017-10-29
コメント日時 2017-12-03

 

少年もまた 女のように 石壁に抛物線を投げるという 醜い人間の集合離散への嫌悪の 生命線だ 先祖であるイタリアの石像は 見向きもせずに西を見る。 少年の名は 旅先で変わりゆく代物で 肌がその土地土地になじみ 故郷を忘れる。 ヒガンバナの曲線に 導かれる道端の媼どもが けらけらと ユリの曲線を嘲笑い 頭に降り注ぐのは ペガサス座の 塵芥か 糞尿か それを養分にして 媼どもが生長していく。 乃木坂で買ったスカートの柄に しゃぼんが垂れ落ちる 放課後の教室で 髪を切り刻んだ 女の生命線が 明日になってもなお縮まっていく。 池に恋せよ、乙女と 呪詛を唱えながら 各国を旅してきた少年は 夜な夜なロシア語を思い出す。 「はらしょー、はらしょー、おーちんはらしょー」 夜空に浮かぶ 乾いた笑い声は 誰が吐瀉したものだったか。 「ぼうや  この辺では  ヒガンバナが綺麗に咲くんだよ  知っているか  あれは  死人の花だよ  ひひひひひ」 少年は思い出していた。 (あの教室に落ちていた  髪の毛は  誰のものだったのか) 立ち返る記憶に 永遠はないと どこかの国の小説に書いてあった。 「らーる、ぷー、らーる」 拙い仏語で 繰り返されたおまじまいを ポケットにしまいこんで 旅をした少年は くしゃくしゃになった手紙 を投函した。 To Cathy, From David. 石像になりたかった少年 は今日も夜な夜な 抛物線を投げては 曲線に見惚れている それは誰の生命線だったか。


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まりも (2017-11-01):

ダビデ像になりたかった少年、なのか・・・ゴリアテ、を倒したかった、少年。 〈女のように/石壁に抛物線を投げるという〉投げたものが、放物線を描く、のではなく、放物線そのものを投げる・・・? この地では、真っ直ぐ投げる、のが男投げで、放物線を描いて投げる、のが女投げ、なのか・・・と最初から悩みつつ、悩まないで感覚で流しながら読みなさい、という詩なのかな、とも、思いつつ・・・ 〈醜い人間の集合離散への嫌悪の/生命線〉女たちの井戸端会議、のような、そんな嫌な群れ方を、放擲する、ということ、なのかな・・・ なんというか、冒頭から、私には難解です。 〈肌がその土地土地になじみ/故郷を忘れる。〉〈呪詛を唱えながら/各国を旅してきた少年〉 なんどもなんども生まれ変わりながら、ダビデ・・・デイヴィッド、が遍歴する・・・物語、なのか。うーむ。 〈ヒガンバナの曲線〉〈ユリの曲線〉はなびらの曲線と、茎の直線。死(を象徴する、和の)花と、聖(を象徴する、洋の)花・・・? 〈繰り返されたおまじまい〉おまじない、を、おまじまい、と聞き間違えた幼児期の記憶。その記憶のままに、おまじまい、をつぶやく少年・・・ 教室で、切られる髪。「いじめ」の記憶、でしょうか。「らーる、ぷー、らーる」芸術の為の芸術、芸術至上性・・・ LArt pour lart・・・芸術への憧憬によって、少年は痛みや苦しみを堪えたのか。 〈抛物線を投げては/曲線に見惚れている/それは誰の生命線だったか。〉生命線が、象徴するもの・・・ 少年は、ゴリアテを、倒さないまま、地上を遍歴しているのでしょうか。 他の方は、どう読むのでしょう・・・。

なかたつ (2017-11-08):

まりもさん さすが、まりもさんです。いくつか潜めていた読みのコードを拾っていただきありがとうございます。 単純に、映像作品として楽しんでいただけたらと、西脇を真似たものにすぎません。 私自身にも解説できません、申し訳ありません。 ただ、皆さんがどう読むかは私も気になるところで、果敢に挑戦していただいたまりもさんに感謝しています。 僕にしかわからない読みのコードを潜める、というのは、西脇もやっていたことでしょう。 密かな引用がぱらぱらと詩の中に紛れているという。 単純に、1人の少年の旅物語として皆さんには楽しんでいただけたらと。

天才詩人天才詩人 (2017-11-26):

この作品を読み、実にひさびさに「詩」も捨てたもんじゃない。そう思いました。いま選評を書いています。

なかたつ (2017-11-29):

天才詩人さん ありがとうございます。 僕は、天才さんと相性が悪いものだと思ってたので、意外でした。

エイクピアエイクピア (2017-11-30):

ダビデ、デイヴィッドですか。ヒガンバナのエピソード。曼珠沙華ですね。ロシア語、フランス語、石像になりたかった少年。聖書とはまた違うテイストで、新たな叙事詩を確立しようとしているようなそんな野心さえ感じられました。ユリの曲線やヒガンバナの曲線を、何を落着させるのでしょうか、興味深かったです。

なかたつ (2017-12-03):

エイクピアさん ありがとうございます。 新たな叙事詩をつくろうという野心はこれっぽっちもなかったりしますが、それでも、このテイストの作品は続けてみようと思います。 私自身、映像として思い浮かんだもの、私自身の中にあるばらばらのイメージを無作為に並べてみた、そんな映像や絵画として楽しんでいただけたらと。


なぞる  (B-REVIEW EDITION)   

花緒 
作成日時 2017-10-22
コメント日時 2017-12-02

 

わたしには分からない。わたしは硝子          を指でなぞる。あなたにとってわたし          は誰ですか。わたしの描く文字は痕跡          をとどめない。だから、わたしは同じ          ことを何度でも書き続ける。                          わたしには          分からない。あなたにとってわたしは         誰ですか。わたしは書く。わたしはな          ぞる。わたしの描く文字は痕跡をとど          めない。だから、わたしは同じことを          何度でも書き続ける。                          わたしはわたしが         書いたことを書く。だから、わたしは          同じことを何度でも書き続ける。わた         しはわたしが書いたものをなぞる。だ        から、わたしは同じことを何度でも書        き続ける。                         わたしは硝子を指でなぞる。            わたしの描く文字は痕跡をとどめない。        わたしは書く。わたしはなぞる。わた          しはわたしが書いたものをなぞる。                同じ ことを書く。書きながら変わる。変わ りながら繰り返す。わたしは同じこと を何度でも書き続ける。                       わたしは書く。            わたしはなぞる。わたしは止まる。                        止ま              ってそして繰り返す。わたしは書く。         わたしはなぞる。なぞるように書く。         書きながらなぞる。なぞりながら書き          き続ける。                         わたしは止まる。                              止まってそし                    て繰り返す。わたしはなぞる。わたし          はなぞらない。                          なぞらないわたしは繰り           返す。書きながら変わる。変わりなが          ら繰り返す。繰り返しながらなぞる。        わたしは同じことを何度でも書き続け         る。                        わたしは繰り返す。                      わたしは繰り返さ               ない。                         繰り返さないわたしはなぞり続け                             る。なぞり続けるわたしは繰り返す。 あなたにとってわたしは誰ですか。わ たしはわたしが書いたものをなぞる。 あなたにとってわたしは誰ですか。わ たしには分からない。わたしが書いて いるものが何か。                  


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survof (2017-10-22):

自分もループ詩書きたくなりました。返詩書きます! --- 書く(返詩) 書いて書いても消している 消して書いても消している 書いて消しても消している 消して消しても書いている 書いては消してまた消して 消しては書いてまた書いて 書いては書いてまた書いて 消して書いては書いている 消しては書いてまた消して 書いては消してまた書いて 消しては消してまた書いて 消して書いては消している 書いては消   してまた     書いて  消しては消し  て  また消して 書   いては  書いて ま た消して 書  いて 消 しては  消している 消しては消してまた消して 書いては消してまた消して 消しては書いてまた消して 書いて書いても分からない 書いて書いても消している 消  して書いても  消して   いる 書いて消し ても       消 している 消して消しても書いている 書いて消しては書いている 書い  て書 いても      分からな   い書    いて消しても書い   て  いる 消し   て書いても 書いている書いている書い  て いる書い て いる  書いている消  している 消しては書いて消している 書いては消してまた消して 消しては書いてまた書いて 書いては書いてまた書いて 消して書いては書いている 書いて書いても分からない 書いて消しても分からない 消して書いても書いている 書いて書いても消している

survof (2017-10-22):

--- 追記: やはり花緒さんの作品のようにある程度息の長い文章でループを書くのは難しいですね。なかなか簡単に書けるものではないと思いました。それにしてもこの作品、中毒性があります。

花緒 (2017-10-23):

survof さん、有難うございます。返詩有難うございます。わたしも書いたり消したりをテーマにしたループ詩がストックにあるので、もし完成したら投稿します!

まりも (2017-10-24):

一時期、集中してアルヴォ・ペルトを聞いていたことがあるのですが・・・そして、「ループ」という語感から予期するものは、ある種のミニマリスムやアンビエント音楽がもたらすような、酩酊感へと誘うイメージがあるのですが・・・花緒さんの「ループ詩」は、酩酊感に至ろうとする、そこに楔を打ち込んでいくような(不協和音をあえて持ち込んでいく、というような)ところどころに、虫ピンで止めていくようなところがありますね。 率直な感想として、この「詩」はどこまで続くのだろう、と思いながら読んでいたのですが、前半4連の、いわゆるアンビエント音楽的な酩酊感、麻痺に誘うような感覚が、〈書きながら変わる。〉のあたりで転調し、〈わたしは止まる。〉のあたりから、先に書いたように、虫ピンで止めていくような、強制的な力学が加わっていく。前半の、比較的整った詩形が、後半になって乱れていく(乱されていく)ように見えることも含めつつ、全体を8連で構成するという枠構造を設定しているところ、〈わたしは誰ですか〉という、画中の人物が、いきなり鑑賞者の側に視線を向けてくるような突き刺さる問いを、最初と最後に置いて、全体を型枠に抑え込んでいるところ・・・硝子(夜の窓ガラス)に映る自分自身の姿という映像も二重写しになっている、わけですが・・・そうしたことも含めて、ずいぶん構築的に練られた作品だと思いました。そうであるならばなおさらですが・・・わたし、という言葉の持つニュアンスの変化、前半の「わたし」の指示代名詞的な質感から、後半の言葉そのもの、ナマの単語として、不協和音的な響きを伴いながら、物質的に迫って来る「わたし」への変化、が強く印象に残りました。 まあ、端的に言えば、「わたし」があまりにも多すぎる、という、その違和感なのですが・・・頻度、置かれる位置によって、「置かれた場所の視覚的効果という物理的な影響」や、「スムーズに意味が連なっていく平叙文の中に置かれる時と、アンビバレントな、文脈をあえて切断していくような流れの中に置かれる時の作用」が異なった印象を生む。そのことについて、体感的に考えさせられるものがありました。 昭和初期の「近代詩」を個人的に研究対象としているのですが、海外詩の影響を受けた詩人が詩の中に持ち込む「わたし」「私」とは何か、ということを、どうしても考えざるを得ない。日本語が「主語」を明示しなくてもよい、ということと、たとえばイタリア語(ラテン語)で主語を省略することができる、ということとの、根本的な違い・・・つまり、話し始めた、書き始めた時点で、自身の「結論」「意志の表明」としての「動詞」が選択される言語と、話の流れ、語りの流れの経過によって、いかようにでも「動詞」を変え得る言語、における「わたし」、あるいは発話者とは、何か、ということ、ですね・・・。 日本の詩歌は伝統的に、わたし、の主観をベースとしている。わたし、からの発語であることを、詩歌を享受する人たちも、前提として共有している。そこに胃を唱えているのが「現代短歌」であったり(現代短歌で、私性とは何か、ということが、しばしば議論の俎上に上るのは、そのせいなのかもしれません、あまり詳しくはないのですが)虚構の人物設定をした、としても、その「登場人物の主観」から語られる、ということが前提となっている「俳句」においても・・・ 日本語は、何を書くか、何を言うか、を事前に定めなくても、その時の「感じ」や「ムード」を、時系列に添って(クロノス的な時間、ということよりも、カイロス的な時間、ではありますが)語っていくことができる、言語なのかもしれません。なんだか、うまくまとまりませんが、とりあえず、このあたりで。

まりも (2017-10-24):

胃を唱えて→異を唱えて 失礼しました

花緒 (2017-10-25):

まりもさん、ありがとうございます。丁寧な講評、感謝します。私は原稿用紙百枚分以上にもなる長編ループ詩を書いたことがある、というか、それを書くための勉強としてネット詩メディアに参入したのですが、その長編の一部を切り出したのが本作になります。なので、私としては、これは習作ではあるわけですが、結構思い入れのある一作でもあります。なので、コメント大変嬉しく思った次第であります。わたし、は多すぎて、、というのは、おっしゃる通りかなと思います。わたし、わたし、と続きすぎることが、クドい感じになってしまうわけですね。中々、その点は自分でも気付きながら、克服が難しいポイントでありました。

まりも (2017-10-26):

原稿用紙百枚分以上の分量で、物語性ではなく思想性や音楽性で読者を惹きつけたまま進行させる、というのは、かなりの力量が必要でしょうね。松本秀文さんの作品など、なんらかの参考になる部分があるかもしれません。

森田拓也森田拓也 (2017-12-02):

おはようございます。 「なぞる」という行為が様々な変奏的な表現で、読み手の僕に問いかけてくれるような、 魅力のある詩でした。 詩のリズムが永遠に繰り返されるようなループ音楽的で、言葉の配置は絵画的で。 言葉の一つ一つが必要な場所に的確に配置されていて、 一語でも抜くと、危うく崩壊してしまうような建築物的な、 奇妙で儚い美しさも感じます。


MARIA2 短編   

鬱海 
作成日時 2017-10-25
コメント日時 2017-12-01

 

「なんで捨てへんかったん?」  佐倉のそれは単純な疑問だった。 「それ実家からでしょう?悪いかなって思って」  真里亞のその感覚が佐倉には不思議に思えた。いくらそれが実家から送られてきたものとは言えど、腐った林檎はただのゴミだ。真里亞はおそらく、家族という考えにとらわれすぎている。両親がいないのだからそれも当然なのかもしれないけれど、家族なんて、ただ血のつながった他人なのに。 「これ捨ててくるわ」 「明日、不燃ごみの日だよ」 「そんなんどうでもええやん」 「掃除のおばあちゃんが困る。すごく優しい人なのにかわいそう」 「けど、家にも置いとけへんしな。しゃあないわ」  真里亞は優しい人にめっぽう弱かった。普段は、人生に疲れ切ったという表情ばかりしているのに、人の真心みたいなものに触れると、目を輝かせて喜ぶ。そんな真里亞を見ていると、彼女はこんな風でいいのだろうか、と佐倉は不安になる。しかしそこで、ふいに熱い肌が佐倉の腕に触れ、彼の思考はかき消された。すぐ横を見れば、キャミソールにジャージ姿の真里亞がコンビニの空の袋を持って隣にぴったりと立っていた。 「捨てよう」  真里亞はそう言った。清掃員のはなしはどこにいったのだろう。しかし真里亞の瞳にはいつも力があった。ただ、腐った林檎を捨てるだけなのに、その言葉には、まるで故郷を「捨てる」ような、そういうなにかタブーを犯すような意味合いが含まれている風にすら感じられた。真里亞にさえも佐倉は家族の話をあまりしなかった。昔の話をするのを佐倉は嫌がったし、真里亞もそれを強いなかった。けれどある程度察しはつくのだろうし、真里亞は林檎を佐倉自身の手で捨てさせるために腐ったそれを放っておいたのかもしれない。故郷を捨てる。林檎はその象徴のようだった。 「・・・そやな」  真里亞のその強い目に押されて、佐倉は林檎を真里亞の差し出す袋に突っ込んだ。  ある日、真里亞は佐倉と喧嘩をした。佐倉の部屋にある固定電話にかかってきた彼の母からの電話に佐倉は出たがらなかったことがきっかけだ。この前の林檎の件もあったので、真里亞は出たくないのなら出なければ良いと言って放っておいた。すると電話がきれたあたりで佐倉の機嫌が悪くなった。そこから話がこじれ、最終的には真里亞が佐倉の家を飛び出すことになった。  その佐倉との喧嘩から一週間が経った。真里亞は六日連続の夜勤明けで疲れた体を引きずってメイクも落とさずに、自宅のベッドに横になった。どうして私ばかりがこんなに働かされて、誰も、神は、私を救ってはくれないのだろうか。時計を見ると、朝七時半だった。誰もいない部屋に、たった一人でいると、いつも以上に、見られている、という感覚は強くなった。 「主よ、私を見ないでください」  そう呟いた後、真里亞は半ば意識を失うように深い眠りについた。  夢の中で、真里亞は迷路に閉じ込められていた。しかし成人していると思われる男性の声に導かれ、彼女は迷路を進んで行った。誰の声だろうと真里亞は初めそう思った。けれどそれは、父の声だと、迷路を出てから気づいた。そして迷路を出た先には、父の姿があった。お父さん! 真里亞は叫んだ。そして彼に抱きついた。父は病気になる前の元気な姿だった。お父さん、今どこにいるの?父は微笑むだけで答えなかった。お父さんは、もしかしてーー。真里亞は涙ぐみながら言った。「死んじゃったの?」父はその問いにも答えてくれなかった。「お父さん、神様は? 神様は救ってくれた?お父さんは今幸せなの? 」  真里亞は父にきつく抱きついて尋ねた。父は目を細めて、静かに首を横に振ると、やっと唇を動かした。 「真里亞、自由になりなさい」  どういうこと? お父さん、神様はいないの? 真里亞がそう泣きながら尋ねているのに父は少しずつ消えていくのだった。まるで砂のように。真里亞は叫んだ。 「お父さん!! 」  真里亞は自分のさけび声で目を覚ました。涙が止まらなかった。神様は? 神様はいないの? 父は真里亞のその問いに答えなかった。それが全てだった。真里亞はしばらくのあいだ一人でひっそりと泣いた。何もかもが空虚に感じられた。  そして真里亞はシャワーも浴びずに、佐倉の家に向かった。まだ朝の九時前だったし、あれ以来連絡も取っていなかった。けれどただ、彼に会いたいと思った。 「真里亞、どうしたん」  ドアを開けた先にいた驚いた様子の佐倉に真里亞は思わず抱きついた。佐倉の匂いがした。あ、でも私、汗臭いかも、と思ったのは抱きついてからだった。 「一緒にお風呂はいろ」  佐倉をじっと見つめてそう言うと、彼は黙って頷いた。お湯をためている間も真里亞と佐倉は無言だった。真里亞の泣きはらした目や常ではないような様子を見て佐倉は理由を尋ねたけれど、怪我をさせられたわけではないとわかると、それ以上は聞いてこなかった。  風呂が沸いたと小さな通知音がした。佐倉は真里亞の手を引いて彼女を立たせると風呂場へと連れていった。佐倉は、黙ってその場に立ち尽くしたままの真里亞の服と下着とを脱がせた。佐倉はまるで子供にするみたいだと思った。けれど真里亞は相変わらず下を向いたままだった。浴槽から桶に湯をとって掛け湯をしてから佐倉は浴槽に浸かった。真里亞は俯いたまま浴室の椅子に腰掛けていた。佐倉はどうしていいかわからないまま、とりあえず真里亞を見ていた。すると真里亞はいきなりシャワーを取ると勢い良く蛇口をひねった。シャワーからは大量の冷水が出てきた。  真里亞は冷水を真正面から浴びた。あまりの冷たさに肩がびくりと跳ねた。  冷たい! そう感じたときに、真里亞はすべてがわかったような不思議な感覚に包まれた。 母が死んだこと、父がいなくなったこと、神を信じられなくなったこと、自分の身に起きたことすべてが輪のように繋がった。自分を死んで亡くなった母と、聖母マリアのようになるようにと安直に娘に真里亞と名付けてしまうような父。そしてそれを奪っていった神という存在。  いつまでも続く冷水は、降り注ぐ雨のようだった。 「あ! 水のままになってた! 」  佐倉が焦って蛇口をひねり、水を止め、温水に切り替えようとするのを真里亞は強い力で止めた。  真里亞?そう声をかけられても真里亞は黙っていた。 神は死んだ。人間が殺した。いやちがう、神はいない! 真里亞は笑った。初めは聞こえないような小さな声で、しかしやがて彼女は大きな声で笑い始めた。父の、自由になりなさいという言葉だけが思い出されていた。天にいるのは死者だけだ。神はいない。神はどこにもいない。まなざしは全て、私の思い込みだったのだ。 「神様なんていない! 」  佐倉は呆然とした表情で、水を浴びる真里亞を見つめている。 「佐倉、神様なんていないの! だから私は自由よ! 」  真里亞は濡れた髪をかきあげると、佐倉の方を向き笑いかけた。そんな彼女の様子に驚き、言葉も出ない佐倉に真里亞は、ぎゅっと蛇口をひねって水を止め、浴槽に飛び込んで、佐倉に抱きついた。水しぶきが目に入って目元をこする佐倉に真里亞はキスをした。 なんだそういうことか、真里亞はすべてが1つの輪になるその不思議な感覚を佐倉ごと抱きしめて笑っていた。もう誰のまなざしに悩まされることもない。真里亞は、その自由を噛み締めて笑っていた。


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花緒 (2017-10-25):

で、前半楽しく読ませて頂きまして、後半、会話文が多くなり、話が展開し始めるわけですが、夢を挿入するのはイージーでは?とか、神はいない、と真里亞が得心するに至る根拠が薄弱な印象。なので、ちょっと浅い感じはします。と、相変わらずごちゃごちゃ書いてしまいましたが、最後まで読ませる文章だと思いました。途中で嫌になる感じは無いので、十分な佳作と感じました。

まりも (2017-10-26):

林檎、という象徴性。 佐倉と真里亞、アダムとイブ、その再現のイメージ。佐倉の「故郷」から送られてきた林檎・・・エデンの園が、人間の故郷であるなら。原風景への帰還を望む心理と、あえてその林檎を口にしない、拒否する、捨てる、という行為に秘められた、楽園帰還を拒否する心理・・・そこに、人間の自由意志は存在するか、という自由意志論も絡んでくる(ここは、哲学を専攻している、という佐倉が登場する所以でもある) 風呂を、羊水への帰還、胎内回帰願望と、神、という「幻影」から逃れた再生を促す場、と見たいですね。となると、その産婆役を務めるのが、佐倉、という狂言回しの存在になるわけです。 後半、かなり面白く読みましたが・・・今あげたような象徴性を深めていく、重層化していくために、前半を思い切って削って、後半に真里亞の過去を断片的に織り込んでいく、佐倉の家族観なども、あえて削る、というようなカットを施すと、短編として深まるような気がします。 逆に、描写を殖やし、丁寧に叙述を重ねていくことによって、今あげたような象徴性を検証していく、中篇や長編にして行く事も可能であるように思います。 最終連にもっていくために、若干、駆け込んで結論を急いでいる印象があり、もったいないような気がしました。

鬱海鬱海 (2017-11-03):

花緒さま。 まさか後編にまでコメントをいただいてるとは思わずに返信が遅れました。 夢を挿入するのはイージーというのはまさにその通りで、真里亞が実際の体験として神がいないという結論にたっせればよかったなと思います。ご意見を参考にまたこれから練り直します。コメントありがとうございました。

鬱海鬱海 (2017-11-30):

まりもさま 選考結果を拝見して久しぶりにコメント欄を見ると返信したはずが出来ていませんでした。遅くなりまして申し訳ありません。この短編を書いた当時、エヴァにハマっていたので楽園や胎内回帰というのは私の中で大きなテーマでした。そこに気づいて頂けたのが何よりうれしいです。また、まりもさんのおっしゃる通り、結末に向かって急いでしまったので次回からはもっと描写を増やしていくことを心がけたいです。さらに象徴性を高めて中編にしていくというアイディアで描きなおそうと思います。丁寧なコメントを頂いたにもかかわらず返信が遅くなりすみませんでした。お読みいただきありがとうございました。

エイクピアエイクピア (2017-11-30):

確か「1」と言うのか前編を以前読んだ事を思い出しました。父やそのほかの登場人物が、何か重大な事件が起こりそうな雰囲気を持ちつつも、決してそうはならない、そんな雰囲気を持った作品だと思いました。

鬱海鬱海 (2017-12-01):

エイクピアさま コメントありがとうございます。確かに主人公の内面の変化以外は何も起こらない小説なのでエイクピアさんのおっしゃる通りですね。次回からは登場人物をもっと動かしたいです。コメントありがとうございました。


広くて静かで誰もいない   

コーリャ 
作成日時 2017-10-27
コメント日時 2017-12-01

 

広くて静かで誰もいない 「あれからどのくらいたつの?」 「もうすぐ3年」 「ちょうどこのくらいの時期だったね」 と言って彼はガラスの外に目を移した。 人びとが川のように行き交っている。 俺もそれを眺めた。 「まだハガキは来るのか?」 まだハガキは来る。たいていは絵葉書だ。この時期には、夫婦で揃って旅にでかけているようで、気持ちのいい景色の写真が載っている。空色の海原。広大な花畑。大きな時計塔。端正な筆致で、時候の挨拶から始まり、申し訳にこちらの近況を祈る文句で締められる、お定まりのテンプレートに沿った以外のことは何ひとつ書いていない。 「来るね」 「そっか」 彼はコーヒーカップを上げて下ろす。俺もつられて上げて下ろす。店内のささやかな喧騒が聴こえている。 「今年も行くんだろう」 「そうだな、多分」 「あそこは、町から離れた、気持ちのいい場所だから」 彼は顔を背けたままで言った。 「そうだね」 外では人の川が絶えず流れている。それから、俺もずっとそれを見ていた。 花束を買ったあと、駅まで来て、大きな葉脈のようにかかげられた路線図を眺める。値段を確認して、切符を買う。子どもの頃はすぐに切符を失くした。今になっても、その頃のことがどことなく忘れられずに、ポケットに入れた切符を固く握っている。ホームに立って、街を眺める。ビルや家屋、その音や空。どこかへの急行が過ぎ去る。人びとは一様に、同じ方向を向いて立ち、何かを待っている。ほどなく列車が来る。それに乗り込む。ずいぶんと空いている車両だが、俺は座らなかった。そのかわりに、窓際に立って、過ぎていく景色を、なんとなく眺めた。 終着の数駅手前で下車する。降りるものは俺だけだった。いつもここでは同じ匂いがしている。そしていつもここでは同じ季節だ。周りの風景もだいたい同じで、時そのものが保存されているように感じた。改札を抜ければ、迷うことのできないような構内で、外に出ると、バス停と、数台のタクシー。最初の車両のドライバーは、新聞紙を広げているが、その後のものには、誰にも乗っていない。日差しがすこし強くなってきていて、周りが眩しくて、すこしぼうっとする。停留所のベンチに座る。 バスの中には、同じくらいの年頃の男女の子どもが、最後部で手を繋ぎながら眠っている。運転手はときどき言葉ではないようなものを呟く。今度は腰を下ろした。ただ、景色を眺めていると、さまざなことをとりとめもなく思い出す。思い出は、俺だけのもののはずなのに、俺はそれが俺の体のどこから湧き上がるかを知らない。遠くに見える山並みや、光景を渡る風には、思い出はないのに、俺はそのことを思う。バスはガタガタと揺れながらカーブを曲がり、道を走り続ける。俺は肘を窓枠について、ただ運ばれていく。俺は運ばれ、世界に置き去りにされない。思い出だけが、そこに永遠のように留まっている。俺はあるところで、ボタンを押す。タラップを降りるときに、チラリと最後部を見たが、子どもたちは、初めにみた時とまるで同じように、眠り続けている。 バスが去っていく後ろ姿を、見つめて、また歩き出す。とても静かな場所だ。静かで広くて何もない。石たちが林のようにどこまでも立っている。空がさっきよりも明るくなって、潮の匂いがする。俺はだいたいの見当をつけて歩きながらあなたの名前を探す。遠くで煙が上がっている。見知らぬ名前をいくつも行き過ぎて、あなたの名前の刻印を見つけて、止まる。世界が風を運んでいる。俺は何も思うことができない。空から降ってきた光が墓石をゆくりなく照らしている。俺はしばらくして、手を伸ばして、触れた。涼しくて硬い。俺はそのままかがんで、花束を置いた。こんなことになんの意味があるんだろう。 「あなたが、こんなところに眠っているとはどうしても思えないんだ」 「人はあなたが死んだというよ。あなたがもう世界のどこにも、存在しないと」 「だけど、あなたは、俺のなかでいなくならない。あなたは、笑ったり、泣いたり、詰ったり、励ましたり、望んだりする。あなたの肉体は、砂になったり、海になったり、温度になった。それでもあなたはどうしても滅ばない」 「思い出が、俺の中にないように。世界が、俺の中にないように。あなたは、生きているんだ、俺と、世界と」 いつか、あなたは、広くて静かで誰もいないところに行きたいと言っていた。それでも、あなたは、こんなところに眠っていないだろう。あなたは、流れている。俺も、きっと、流れている。俺たちは、運ばれていくほかないんだ。それが存在するということで、それが生まれてきたということなんだ。俺は、また、人びとの中に帰る。あなたが、どこに帰るか、俺は知らない。思い出が、どこに帰るのか知らないように。世界が、どこに帰るのか知らないように。俺は知らない。ただ運ばれるだけだ。あなたが永遠になってしまったと人は言うよ。あなたが季節を重ねなくなったと。俺はそんなことを信じないんだ。永遠なんてなかったんだ。どこまでも、あなたは、運ばれていく。運ばれていってしまうんだよ。俺もそうだ。みんなそうだ。だから、いつか、離れてしまうときに、小さく、小さくなったとき、あなたは、ようやく辿りつく、本当に、広くて、静かで、誰もいないところに。いつか、あなたは、そこに辿りつく。でも、それは、そんなにすぐじゃないんだ。あなたは、長い流れのなかで、ゆっくりと、みんなと同じように、運ばれて、運ばれて、いくしかないんだ。


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花緒 (2017-10-28):

テスト

花緒 (2017-10-28):

あれ、さっきコメントつけたのに消えてしまった。多分、なにかバグがあるみたいですね。工事中だからだろうか。なんだろう。 結構長々とかいたのですが、消えてしまったので、軽めに。 私は本作はすごくいいと思いました。ジャンル横断的な手法が上手くはまっていると思いました。特に後半、酔わされちゃいましたですね。本作とは関係ないですが、バグ修正、依頼済みです。同様のバグ発生していたら、皆さま、適宜、教えて下さいませ。

まりも (2017-11-01):

くり返される、〈広くて静かで誰もいない〉という、空白の空間。 〈人びとが川のように〉という直喩が、〈人の川が絶えず流れている〉という「時」や「時代」の喩にズレ、最後はレーテーの河、彼岸と此岸とを隔てる川へと変容していく。おそらく海辺の墓地、なのでしょうけれど、〈潮の匂いがする〉と置かれることによって、人の河、時の河が、やがて流れ入る海、へとイメージが広がりますね。 登場人物の関係性を、あえて明示しないことで、読者が様々な物語を読み取ることができるような気がしました。恋人を失った後、新しい人を迎えた夫、からの「型通りの絵葉書」なのかもしれないし、娘を失った夫妻が、悲しみを抑えて、いかにも幸せに暮らしています、と伝えるための「型通りの絵葉書」なのかもしれない。語り手と、もう一人の男性の関係性も、よくわからないながら・・・墓地に眠る女性に、いずれにせよ深い想いを残している二人、であることだけが、静かに伝わってきました。

なかたつ (2017-11-14):

 何でもない書き出しで、どこかで読んだことあるような小説のような書き出しで、それでもやっぱりこの作品は好き。なんで好きかって、好きなフレーズがいっぱいあって、何でもない風景からふと思い出すことがあり、いや、実はこの作品の語り手は、「あなた」の墓に行って、「あなた」を弔うという目的があるのに、その目的を明かさないままに、長々と長々と電車に乗って、バスに乗って、そこで見えたものを丁寧に丁寧に、冷静な目線で書かれているから、中盤までは何でもない作品に見えてしまう。  でも、はっきり言って、そこで見過ごしてしまう読者は、正直どうかと思う。時折見られる思わせぶりなフレーズを見落としている。電車を待っている時の「人びとは一様に、同じ方向を向いて立ち、何かを待っている。」という表現。いや、「何か」って、電車でしょ、ってツッコミたくなるけど、いやいや、あくまでも「何か」を待っているという思わせぶり。  バスの中で山の風景とかを見て「ただ、景色を眺めていると、さまざなことをとりとめもなく思い出す。思い出は、俺だけのもののはずなのに、俺はそれが俺の体のどこから湧き上がるかを知らない。」と。もう我慢汁出ちゃいますね。ふと何かを思い出す瞬間って誰しもがあるけれど、思い出すと言うことに対する思考がこれまた丁寧に描かれているわけで。で、後になってわかるけれど、この語り手は、目的もなく電車やバスに乗っているわけではなくて、これらはすべて「花束を買ったあと」に乗っているのだから、やっぱり、目的地が決まっていて、その秘めた強い思いとは裏腹に、電車やバスの風景なんかを描いたりしていて、上手い伏線になっている。  それで、ようやく花束を置くわけですが、「こんなことになんの意味があるんだろう。」という自問。え、花束置くために、長い道のりをやってきたんじゃないのかと。いやいや、大事なのは、その行為・儀礼ではないと。そして、終盤へと入るのです。  これはまさに祈りです。周りはあなたのことをこう言うけれど、俺はあなたをこう思っているんだぜ、という祈り。思い出というのは、既に失ったものに対して持てるという点で、「あなた」がこの世界から失われていれば思い出として俺の中に孕むことができますが、「あなた」はこの世界の中で生きているという俺の思い。これが祈り。  最終連の呼吸の使い方、これ、僕も最近手法として使うので、すごくわかってしまうんですよね。自問自答するように、誰かへ語り掛けると同時に自らへも語り掛け、確認するということ。結論が導き出せていれば、こんなの一行で済むんです。でも、答えを出したいけれど出したくなかったり、現実はこうだけど認めたくなかったり、そんな葛藤があったり、確かめたかったりする時に、こういった手法を用いる、はい、これ、ミソです。残念ながら、「あなた」が墓で眠っているという事実に抗うことはできません。ただ、俺は、「あなた」が俺の中で生きており、俺は人びとの中に帰る。でも、あなたや思い出や世界はどこに帰るのか知らない。ただ運ばれるだけ、あなたは俺によって運ばれていく。世界によっても運ばれていく。これはつまり、俺について、もしくは、あなたについて、誰かが語るということ、語られるということ。「あなたが永遠になってしまったと人は言うよ」という事実。人はこうして、あなたや世界、ましてや俺をも語ることで、その姿を変えさせてしまう。まさに「語る」という行為によって、「運ばれる」ということ。どこぞの誰とも知らない人があなたを語るが、俺は俺なりにあなたを語ることはできる。それでもやっぱり、最後は「みんなと同じように、運ばれて、運ばれて、いくしかないんだ。」という一つの結論に至ってしまう。 じゃあ、俺があなたを語るという行為は全て無駄になってしまうのか。その答えは、この作品に感動した僕が語るほどでもないでしょう。それでも人は、やはり、その人なりの「あなた」についてどうしても語らざるを得ない、その営みを止めることはできないでしょう。僕もそんな風に詩を書いているつもりではございますです。

杜 琴乃 (2017-11-15):

はじめまして。静かなショートムービーのようで素敵だなぁと思いながら読ませていただきました。あなた、への思いが随所に滲み出ていて愛おしいという感情がひしひしと湧いてきました。 バスで手を繋ぎ眠り続ける子どもたち。この子供は幼い頃の自分たちなのか、または生まれたかもしれないわが子の姿なのか…そう思うと胸が締め付けられて涙がこみ上げてきます。私はこのバスのシーンが幻想的でとても好きです。 最後まで読み終えて、もう一度読み返したとき、この最初の一行にはっとしました。これは、誰の言った(見た)言葉なのだろうと。 切なくてどこか爽快な読後感にしばらく浸っています。

仲程仲程 (2017-11-15):

タイトルを見ただけで干渉に浸ってしまって、どんな内容かなと気になりながら、3日ほど読めずにいました。 堪能しました。 ひとつひとつの言葉、景色のつながりが、徐々に必然性を高めてるように感じました。例えば、手をつないでる子どもたち、とても真似できない表現(世界)だと思いました。

コーリャコーリャ (2017-11-27):

花緒さんの長いレス読みたかったなあ コメントありがとうござんす 次も頑張って書いて感想もらいたいっす 押忍

コーリャコーリャ (2017-11-27):

すごく美しい描写ですね まりもさん ありがとうございます 自分でも書いてて気づかなかったんですけど 本当ですね 川が流れて海にいたる さいきんつながりの強かった親類を亡くしたんですよね そのとき俺は神学を立てました 自分だけのです 人の体が滅んでも 魂はある そんな人が聞いたら笑ってしまうような神学です でも俺はまじめにそれを信じてます 書くことはときどきヒーリングでもありますね 言葉ならいくらでも美しくできるんだから

コーリャコーリャ (2017-11-27):

こんど通話しましょうなかたつさん とかぜんぜん何を言いたいかわからずに書き始めるけど 俺はさいきん運ってことをよく考えてるんですよ そんなのはないってわりかし西洋のひとは重要視しないんですよね 運を良くするためにはどうすればいいのか っていうことを真剣に考えてるんですよ あるかどうかわからないものなんですけどね 俺の結論は運を良くするためには日頃の行いを良くする これです 常識か!みたいなツッコミがきこえてきそうなんですけど やっぱなんか心をクリーンにしとくのが重要なんですよね なんかその人はちょっとハッピーでなきゃいけないと思うんですよね なぜならなんにもやましいことがないから みたいな うまく言えないんですけど 愛のあるレスありがとうございました 

コーリャコーリャ (2017-11-27):

cotonoさん感想ありがとうございます うれしいです レスを読んで思い出したムービーのシーンがありますので ようつべのURL貼っておきます https://youtu.be/Bf-tXF6HtK4 知ってますかこれ なんか好きなんですよね

コーリャコーリャ (2017-11-27):

仲程さん レスありがとうございます なんとなくちょっとミステリーっぽくなってしまったのは なんでか知らないですけどなってしまいました もともと友達が 墓参りに行くだけのお話があったらちょうかっこいいよな って話をしててそれかっこいいかもね と思って 書いてみました 次は更におもしろいのが書きたいです そうやってがんばります お互いがんばりましょう

鬱海鬱海 (2017-12-01):

とてもライトなレスになるんですが、この作品がここ数ヶ月で読んだものの中で一番好きです。静謐って言葉がぴったりの穏やかで静かな作品だと思いました。永遠に留まるあなたとの思い出と運ばれて行ってしまうあなたの対比がとても好きです。 「どこまでも、あなたは、運ばれていく。運ばれていってしまうんだよ。」からの 「運ばれて、いくしかないんだ。」 という結論に至るまでの畳み掛けるような感じもとっても素敵でした。


キイチゴ   

エイクピア 
作成日時 2017-10-31
コメント日時 2017-11-30

 

キイチゴを食べながら 鉢の支柱をダメにしてしまう 鉄で出来た支柱だった 後方の自転車は 前方の自転車を押し 前方の自転車のスタンドが 簡単に崩れて鉢に落つ 海が騒ぎ始める ペールギュントの音楽が 鳴り始め まだ濡れたままの土が 日に輝き 鳩が騒々しく飛び立った 口の中のキイチゴが 徒(いたずら)で無駄な 枝を伸ばして来るような 感覚に襲われた


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花緒 (2017-10-31):

今月も待っておりました。今月、作品のテイスト、結構変えてこられましたね。これまでのナンセンス詩と違う要素が入っている。ゆっくり何度か読んでみたいです。取り急ぎ、初読の感想です。

エイクピアエイクピア (2017-11-30):

花緒さんコメントを有難う御座います。そうですね、詩作の方針、ポリシー的なものは自分でも無定見のような気がしますが、結構自分の記憶にも限界があるので、自分では似たような用語タームを出しているつもりなのです。核となる事実が変わり様がないからですね。でもその範囲内では、変化を出そうとしているつもりです。そして内部的な内容を変えて行こうという努力が、テイスト事態の変化に繋がってしまったのかもしれません。


中途採用   

エイクピア 
作成日時 2017-10-31
コメント日時 2017-11-30

 

敗戦の報はいつもある 牧場の少女が馬に乗って やって来て告げる短観は 簡潔に大雨に流されて 新卒を洗い流して 中途採用者を迎えた 全てはスケットダンスのためだった 中途採用は地図で死んでいる我々を 審査買え審査買えと鼓舞し 蘇らせた 復活の儀式に川がバターで汚れる それでも広く実が成れば すなわち我々の復活も近い事を 予兆させて 中途採用をチーターのように早く走らせた


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まりも (2017-11-02):

スケットダンスって、なんだろう、と調べて(漫画音痴です)ウィキペディアまで作成されているのですね・・・ 言葉の響きからも助っ人、を連想しましたが、中途採用もまた、助っ人として採用され、文字通り踊らされる、存在なのかもしれません。〈死んでいる我々〉を蘇らせてくれた、それも〈審査買え審査買えと鼓舞し〉審査を、買う?偶然ですが、cow、と表示が出て、牧場とつながりそうな・・・気もしつつ(それはまあ、偶然でしょうけれど)漫然と日々を過ごしていくよりも、買ってでも審査を受けろ、そこに何らかの実入りがあるだろう、というような、鼓舞、のメッセージを感じました・・・バターで汚れる川、に、グルグル回っているうちに溶けてバターになってしまった虎のお話し、をちょっと思い出しました。

エイクピアエイクピア (2017-11-30):

まりもさんコメントを有難う御座います。そうですね、私も詳しいわけではないのですが週刊少年ジャンプ連載の人気漫画ですね。中途採用も助っ人もですが、扱いが軽かったかもしれませんが、「大雨」がノアの大洪水とか、何とか繋げたかった、ちょっと難しい感じがしたのですが、チャレンジしてみました。買う、cowは偶然なのかもしれませんが、牧場という事で十分、考慮はしていたと思います。審査買え、の部分は確かに、何らかの鼓舞、ポジティヴなメッセージ性を込めたつもりでした。バターで汚れる川と言うフレーズも自分的には出来得る限り詩的にと考慮した結果でした。そうですね、虎がぐるぐる回ってバターにと言う話はありました。大阪府堺市の人が運動を起こして、回収する騒ぎがあったようですが、あの話はよく覚えています。以前は推薦図書的な位置を占めていたと思うのですっが、今ではあまり出回らなくなっているような気がします。


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