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ミネラルショップの片隅で。   

作成日時 2017-10-01
コメント日時 2017-12-15

 色とりどりの美しい鉱物や、原始の姿をとどめたまま悠久の時に身をあずける太古の化石類を所狭しと陳列した、街のミネラルショップに立ち寄る。するとそこに、鯨の耳石と名付けられた商品が置かれている。わずかに反りをもつ姿形の全体をくすんだ暗黒が覆い、わずかにしめやかにつやを帯びている。やや横長にずんぐりとして楕円の形状に近く、内側に大きくカーブする大小の渦巻きの層を刻む。掌に包みこむ。しっかりと重量を保つのがわかり、静謐がひんやり染み込んでくる。  鯨類に属するものには、エコーロケーションとよばれる超音波による周辺情報の把握や餌の採取、仲間との意思疎通を行うものたちがいて、音の受動と伝達は骨伝導によるという。耳の穴はふさがり耳殻も持たないとされる。いつしかわたしは想像の川をくだりながら、彼らはいったいどんな会話を行っていただろうかと、やがて思考の網はゆるやかにひもとかれて流氷のささやきのままに誘われていく。  きこえというものが鈍かったらしい。物心ついたころすでに耳鼻科に通院していた。高校に上がり大学病院に行き、精密検査を受けたところ、わたしの左耳には聴力がなかった。断続的に流される微細な機械音を聞き取り、手元の丸いボタンを押せば大きく右へぶれるはずの検査機器の針は停止したままだった。  現代医学では不可能  大きな音は避けるように  医療は日進月歩だから と、わたしを見て医師が言った。  残る右側を大事にしながら治療が可能になる日を待つ。そういうことだった。  慰めや同情。そうした人に備わる諸々の感情は大事だ。たとえ意味の裏側を伝えるため、そのようなものだとしても。言いあらわすことの、言いつくすことのできない、───はりついたままの沈黙、とともにわたしは今も海原をめぐりつづけている。変わらず止むことを知らない喧騒のなか。


項目全期間(2019/12/14現在)投稿後10日間
叙情性100
前衛性00
可読性81
エンタメ20
技巧145
音韻50
構成100
総合ポイント496
 平均値  中央値 
叙情性55
前衛性00
可読性44
 エンタメ11
技巧77
音韻2.52.5
構成55
総合24.524.5
閲覧指数:332.2
2019/12/14 17時53分12秒現在
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コメント数(12)
まりも (2017-10-05):

鉱物が好きで、よく、科学実験材料のお店や、鉱石ショップなどに立ち寄ります。ミネラルショップ、という言い方があるのですね。ミネラルときくと、なんとなく栄養素のような気もしてきて・・・心の栄養素を置いている店、そんな印象を持ちました。 〈悠久の時〉という言い方は、なんとなくコマーシャルコピーのような印象もあって、使うのに抵抗がある言葉なのですが、化石とか鉱石には、本当にしっくりくる言葉だと思いました。 それにしても、〈鯨の耳石〉とは。いや、正確ではないですね。〈鯨の耳石と名付けられた商品〉・・・語り手が、え?クジラの耳石?そんなもの、本当にあるの?と半信半疑で手に取り、じっくり観察して、質感や外見から様々な連想、想像に誘われ・・・最後に〈静謐がひんやり染み込んでくる。〉という感動に至るまでの過程が、実に丁寧に、かつ無駄なく描かれていて、とても美しい文章だと思いました。 二連目も、学術的な解説(必要最低限の、絞り込まれた文章)から、一転して〈想像の川をくだり〉〈思考の網はゆるやかにひもとかれて流氷のささやきのままに誘われていく。〉思考が「わたし」という狭い枠から流れ出していく、その流出の感覚と、想像を働かせて川を下り、大洋に到り、最後はクジラが棲む南氷洋まで到る。地球を半周しているわけです。壮大な想像力の旅。 三連目で、また大きく転換して・・・なぜ〈わたし〉が〈耳石〉に惹かれたのか、その理由が明かされる。クジラの〈耳の穴はふさがり耳殻も持たない〉という「説明文」に、なぜ目が留まったのか。〈音の受動と伝達は骨伝導による〉クジラのコミュニケーション方法、音の「聴き方」が、なぜ強く印象に残ったのか・・・ 語り手自身が、片耳の聴力を失っていて、通常の空気の振動からは、音を聞き取ることができない、そうした来歴を持つ人物であるからこそ、クジラの音の「聴き方」、通常とは異なるコミュニケーション、その証しでもあるような耳石の質感に心が留まったのだ、ということが、寡黙な語りの中から明かされていく。 最終連で作者はさらに飛躍します。言葉、という空気の振動によって伝えられたり、文字、という表記によって伝えられたりする方法「ではない」方法で伝わっていくなにか・・・〈意味の裏側〉言葉が含意するもの。表に現れたものの背後に潜む思い。 クジラの泳ぐ南氷洋にちなんで言うなら、氷山のように空中に出ている部分が言葉、その海中に没している部分が想いや感情の部分であり、その海中に没している見えない部分、音、として聞こえない部分、〈はりついたままの沈黙〉、それを〈止むことを知らない喧騒のなか〉で、聞き取ること・・・それは、空中を伝わる振動ではなく、骨伝導で伝わっていくなにか、のようなものであるのかもしれません。わたしたちの「聴く」という行為の中にも、クジラの耳石のような、美しい石/意志が、生まれているのでしょうか。

湯煙 (2017-10-05):

まりもさんありがとうございます。一連は修正すべき箇所があり難ありかと。全体としてよく詠み込んでくださった上で頂いたみたいで、恐縮します。比喩的表現を多用した、それなりに詩として趣のある、そんな作り込みを志向すべきかと思いますが、こちらでいうクリエイティブライティングですかね。なにかそうした作品を意識的に行い投稿してみた、そんなところでした。本作品自体はかなり昔のものであり、少しの推敲を図っただけで、構造の全体はほぼそのままでした。個人的な内容ですしあまり詩作品としてどうこういうものにはならないのかなと。 悠久の~とは確かにあまり言ったりはしないでしょうね。頭ですから入りやすいかとは思いましたが、まずかったかもしれません。鯨の耳石は存在するようです。ただ色や形は様々みたいですね。学術的な解説文めいたものは本当はあまり挿入しないほうがよいのかもしれませんね。少し興味を引かせるような流れをといったところでしたが。 三連からは唐突に遠い過去に関する記述になりますね。私の場合は感音性の難聴らしく、空気の通りがよくないために聞こえないようです。ですから音のある世界と無音との二極をいつもどこかで意識せざるを得ない、そんなところが常にあったりします。普通に聞こえますが、反対側となるとまったく聞き取れない世界に放り込まれてしまう。誤解やトラブルが起こるのを怖れる、そんな私がいますね。困ることは日頃からに多々ありますが。ただ遠ざけることもできますし、おまけに近視乱視ですから見たくないものを見ないようにと、それらが可能ですから悪いことばかりではなく。 そうですね。やはり聞こえない世界に耳を傾ける、なにか関心を持つ、そうしたことなどについて綴ったものになりますかね。 一旦送らせて頂きます。

湯煙 (2017-10-05):

失礼をしました。まりもさんへの続きになりますが。コメントを読んでいまして、不立文字であったり、非主流、言語というものでしょうか、alternative、nonverbalが過り。そういえばですが、先頃鯨などの海洋生物が《言葉》を使いコミュニケーションを行っていたという、そうした話題があったかと。ただ誤解なきように言いますと、医師について、医師からの宣告について、また現代医療についてどうこうという、そうしたものではもちろんありません。表現が微妙な感じになってしまっているかもしれませんが。 氷山の喩えはわかりやすいようですね。ただ拝読をしながら、はりついた沈黙という解説めいたものより沈黙そのものであるといったことを表現を工夫すべきかなと、あらためて思いが行きましたが。 意志と石。なるほど。同音異義語なるものですが、聴く(意志‐生/石‐死。そして医師と。どこか重なりあうものなんですかね。

まりも (2017-10-07):

再レスです。少しお作品から離れますが・・・以前、自主勉協会のワークショップで、面白いテキストを用意して来たメンターがいました。散文詩、のような断片がたくさん集めてあるのですが、辞書の一節であったり、小説の一節、新聞や雑誌の記事の一節、改行詩をひとマスあけの散文詩のような形に改変したもの、などなど・・・と、いわゆる散文詩が混ぜてあって、さあ、どれがどれでしょう、という・・・。あらゆるジャンルの文章に、「詩情」を感じさせる部分、というものはあるのだ、と、あらためて再確認しました。 現代詩、とか、口語自由詩、の定義そのものが、人によって違う、という、なんとも奇妙なジャンルが「現代詩」なのかもしれません。私の立ち位置は、ひとりひとりが自らの文体を探していく行為、そのものが詩作である。自分自身の内面のミクロコスモス、その空間で体験したり経験したりしたことを、他者に伝える・・・というより、イメージとしては、言葉という手段を用いて、シェアしていく、それが表現、ということなのかな、という「感じ」を持っています。個々人のミクロコスモスは、人智の及ばない、どこか遠くで、ひとつにつながっている、のかもしれず・・・(集合的無意識、のような)そうではなく、永遠に個として分断されている、のかもしれず・・・。いずれにせよ、隔靴掻痒ではありますが、自身の体感を何らかの表現で伝えたい、と思うのが「ひと」であって、だからこそ、「ひと」は言葉を生み出したり、絵や記号、音楽を生み出したのだろうなあ、というのが、はるかな古代への想いです。 言葉は、既知のものと対応しているわけで・・・未知の体験を既知の言葉を用いて表現する、という、そもそも矛盾だろう、無理でしょう、という状態から、なんとか近いところにもっていく、という「もがき」や「あがき」があるのでしょう。そして、既知の物を類推、例として用いることによって、近づけていく。そこに、比喩の面白さがある、と思うのですが・・・表しえないこと、とりこぼしてしまうこと、どうしても類例を見いだせないもの、に関しては、沈黙を選ぶほかはない。 もっというなら・・・深い沈黙の海の中で、島のように個々人の「言葉」が点在していて・・・その個々人の「言葉」の多島海を渡りながら、様々な木の実や草の実を運んでいる鳥たち・・・その「鳥」にあたるものが、表現された様々な作品、ということなのだろうなあ、と(なんでクジラから、鳥に話が飛ぶのか、自分でもよくわかりませんが)そんなことを、湯煙さんの作品を読みながら、考えていました。 思いっきり脱線しまくってますが(笑)

まりも (2017-10-07):

自主勉強会、が、自主勉協会、という、奇妙なアソシエーションになっておりました(笑)  立ち上げますかね、自主勉 協会。

なかたつ (2017-10-21):

 何だか言葉に表せない良さを感じました。そうした、言葉に表せない感情というものがこの作品でも扱われています。  ミネラルショップという一つの舞台で感じた語り手の感情が、語り手という名のとおり、読者へ語り掛けるように、声として届いてきます。第二連では、自らの思考の中へと意識を移し、それでも、語りは続いていきます。鯨の耳石を見ている語り手は、ミネラルショップにいるはずですが、思いをゆっくりと巡らすその様子が、それこそ静謐なミネラルショップの雰囲気を読者に想像させます。  そして、幼少時へと舞台が移り、語り手の秘密が明かされるのです。それは、選択した道ではなく、語り手が背負わざるを得なかった運命。  「慰めや同情」に、言葉は伴うのでしょうか。むしろ、言葉にすると安易になる感情になってしまうのではないでしょうか。「君の気持ち、わかるよ」などと、日常会話では使われるかもしれないですが、この語り手は、そういった「慰めや同情」ではない、深い感情を味あわせてくださいます。それこそが、「言いあらわすことの、言いつくすことのできない」という表現に集約されています。  鯨の機能を自らになぞらえて導かれた最終行は見事としか言いようがありません。

湯煙 (2017-11-16):

まりもさん。ありがとうございます。遅くなり申し訳ありませんでした。 あらゆるジャンルの文章に詩情を感じる・・・。コラージュにシャッフル、モンタージュに引用等々。実験としての要素もあるのかな?などと。自分のことばでなく、外部にあるものだけで構築、意識的に行ってみることもまた大事な作業なのかもしれませんね。 現代詩の定義ですか。私もうまく答えることはできませんが、私の場合は森に迷う友人を探すといいますか、再会といいますか、無事でいることを祈りつつ その友人に向けてなにかをという。そんな感じがありますね。なにか感じとるものがあり、そこへ向けてのコンタクト、狼煙といったサイン、・・・大袈裟でなく、あまり気難しくなく。そんなところになりますかね。・・・わかりませんが(笑。 そうですね。拝読していましていろいろ思うところありますね。霊的な働きといいますか、骨や流木などに刻み付けたりした記号や絵といったしるしからことばに変化したのだろうか?という、そうしたものについての作品も書いたことがあったのを思い出したりしましたが。認識なり身体なり、変化にともなって抽象化や象徴概念が生まれことばも表現もまた変化してという。 多島海を渡りながら木の実を運ぶ鳥。なるほど。わかる気がします。昔は鳥と名乗っていたこともありますから ^^;。魚と鳥と。元は同じであったという説もありますね。ときに魚も空を舞い鳥は海中深く飛び込むと、そう考えることもあります。 他様々に示唆を頂きました。遅ればせながら、重ね重ねありがとうございました。

湯煙 (2017-11-16):

なかたつさん。ありがとうございます。レスが遅れてしまい申し訳ありませんでした。 ミネラルショップの店内と、沈黙とのリンクといいますか、そのあたりは確かにあまり意識的になっていなかったように思います。こちらこそあらためて気づくことができました。 そうですね。慰めることや同情といった気持ち、働きはもちろんありますし、言葉もあるにこしたことはないかなとは思います。それでどうなるものではないと知りつつという。沈黙の感情?という、自分でもよくわかりにくいものになってしまいましたが、無音の世界=または≒沈黙といった、そうした公式が成り立つのか否かとも思いましたね。海原をぐるぐる回遊している、そんな感覚になりそうで悪夢みたいですが(笑。 こちらこそ重ね重ねありがとうございました。

湯煙 (2017-11-16):

追記 まりもさん。自主勉 協会ですね。・・・といいますか、もうすでに立派に立ち上がっているかと(笑。レスを拝読していまして思いましたが、はい。

花緒 (2017-12-13):

>湯煙さま 一点、事務連絡でございます。ツイッターでDM差し上げたのですが、みていただけてはいないようなので。 下記のDMを送らせて頂いております。こちらのスペースでも結構ですので、返答のほど、よろしくお願いいたします。 こんばんわ。いつもB-REVIEWへの投稿ありがとうございます。10月のB-REVIEW杯なのですが、湯煙さんの作品を大賞作に選ばせて頂きました。つきましては、大賞作を面白いぞ!現代詩(https://twitter.com/crossroadofword )アカウント及びそのHP(http://wordcrossroad.sakura.ne.jp/wp/ )にて、掲載させて頂きたく存じます。掲載に際しては、著作権の移転及び金銭の授受は一切発生しません。 掲載させて頂いても宜しいでしょうか。確認をとらせて頂きたく存じます。

まりも (2017-12-13):

上げます。

湯煙 (2017-12-15):

花緒さん。遅くなりました。失礼をしました。 わかりました。OKです。 まりもさん共々、お手数をおかけしました。 ありがとうございました。

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