B-REVIEW作品投稿掲示板


テレビジョン   

ゼンメツ 
作成日時 2018-10-31
コメント日時 2018-11-15

 

最近ひとんちがそこかしこでぶっ潰れてる。そんなニュースが、うちの薄型テレビの画面にすっぽり収まってて、わたしたちはそれを家族そろって眺めながら、晩ご飯を食べます。きらいな具の入ったお味噌汁、ぐずぐずに潰されたお豆腐の意味が、ミジンも理解できない。父さんは何をしていても深刻な顔をしているし、母さんは何もしていなくても忙しそう。わたしは黙ってスマホを握って、ツイッターを開いたら、やっぱりわりとそこら中からセイサンな状況報告が浮かんできて、そのままわたしのめのまえを流れすぎていく。食事中にスマホを見るのはやめなさい。でも父さん、ぶっ潰れた家のとなりには目撃者たちの住むマンションが建っているから。聞いてるのか? フジサンが見えるくらい巨大なやつが。スマホを置きなさい。お味噌汁なんてぜんぶ流してやりたい。隣のマンションぜんぶがぐずぐずにぶっ潰れたら、うちからもいろいろ見渡せると思うんだけど。 近所のナラセさんとこの娘さん、この後の番組に出るんですって、ご近所じゅうに話してたわよ。そりゃ凄いな、おまえも将来テレビに出られるくらい立派になれよ。そんなこと言われてもね。番組が始まると、ナラセさんとこの名前も知らないお姉さんが、見切れるほどいっぱい集められた水着の女性の中の一人で、際どいポーズで、バランスボール乗ってるのを、父さんも母さんも真面目な顔して見つめてて、わたしなにもかもを横目で見つめながら、なんかもうぐらぐらしてきちゃって、ぎゅっとスマホ握りしめてるのに、祈るみたいに握りしめてるのに、時間がぜんぜん流れなくって、したら父さんが突然、こういうのは空気を少し抜くと乗りやすくなるのかな。って口にしたあと、しまった、みたいな顔して黙っちゃって、母さんは黙ったままで、わたしはぐらぐらで、今すぐきゃーなんて言いながら、笑顔で足開いてすっ転べたほうが、たぶんきっとよかった。 番組が終わっても、わたしたちはずっとテレビを見てる。正確にはずっとテレビのほうを見つめてる。インスタント麺のへんなノリのCMを、家族みんなして黙りこくったままじっと、もうとっくにタイムラインなんか見失っちゃって、画面の中でラーメンが空へぶっ飛んでくのを、見上げることもなく見つめ続けるしかないわたしたち。いつまでもへんな安っぽい枠のなかで、いっつもぐらぐらのくせして、あたりまえに絡みあってて、熱湯イッパツで都合よくフッカツするのを、じっと待ってる。じっと。


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るるりら (2018-11-01):

おはようございます。 こどものころに、「新聞に のるような人になりなさい。」と言われて 新聞の上に立ってみたことがあります。「んな意味とは、ちがうわ」と 親につっこみを入れられましたが、新聞には乗るではなく載るという意味なのだと考え直してみたところで、子供のころの私には、新聞に載っている人は悪いことをしたか ただ目立っている人ばかりで たいして立派とは思えず、新聞の上に実際に立ったほうが なにかしら誇らしいと思ったものです。  本作品では、もちろんテレビジョンが題材であり新聞ではありませんが、テレビやネットといった媒体のほうが 顔を実際に合わせている人々よりも強い発言権をもっているかのようなのが今の風潮ですよね。わかるわーと おもいました。 最近ひとんちがそこかしこでぶっ潰れてる。そのようなニュースは 東北で大震災があって以来、とくに今年の場合は、異常な気象でしたので 実際にテレビを通して「最近ひとんちがそこかしこでぶっ潰れてる」ニュースを目の当たりにしました。しかし、豆腐のくずくずのほうが よほどリアルでした。テレビに出ている人をみていた詩中の父さんが突然、「こういうのは空気を少し抜くと乗りやすくなるの」かと作者は言わせておられますが、そりあ.そうです。バランスボールは すこし空気をぬくと安定する、ふあんていに ゆれされているテレビジョンというバランスボールの上に居るかのような心を心のそのままに この詩は書かれている。 テレビだのマスメディアだの スマホだの、これらは他人の視点を編集して映し出されているぶよぶよのバランスボールです。わたしは、新聞紙の上に乗るような素直なアホで居たいなと 思いました。 他人のだれかが つくりだしたバランスボールで ただただ揺らされているではなく、 自分の目で自分の体で風にあたって、立ちたい。そして 走りたい。という気に個人的には なりました。 よしっ。わたしは、走ります!

ふじりゅう (2018-11-01):

拝見しました。 テレビを軸にして回り続ける主人公の周囲の人や自身の生活を、リアリティに、冷静に見つめている様が独特です。主人公自身のことはあまり書かれず、主に周囲の人々を通して主人公が思ったことを詩に乗せて語るその状況はまさしく「俯瞰」、いい詩だと思いました。

ふじりゅう (2018-11-01):

俯瞰、のカギカッコはいらなかったですね、訂正します。

藤 一紀 (2018-11-01):

こんにちは。テレビっていいですよね。私はテレビっ子の漫画好きで来たから、いまでもテレビをみます。最近はビデオ、じゃなくてDVDを借りて観ることが増えました。世の中いろんなことが起きているなぁと思います。それに対してアクションできないんだけど、起きてることは観て知っている。知っていて、アクションできないのはちょっと申し訳ないと思うこともあるけど、生活ありますからねー。ていうか、テレビもネットも社会が求めているから普及したわけで、それで申し訳なさ感じるとか自縄自縛ですね。不買運動したって、もはや批判にもならない。この状況はますます進歩するだろうから、この主人公がそれをどう越えていくかに、10月の八畳さんの作品『遺影』を重ねて思いながら、興味をもちました。 テレビを観ている私(たち家族)を見ている私、という感じ、よいですね。

ゼンメツゼンメツ (2018-11-05):

>るるりら さん ありがとうございます! 細かいところまで汲んでいただいてとっても嬉しいです。ちいさな子が目の前でそんなキュート&ウィットに富んだ行動をみせてくれたらもうこの世の始まりです。はなまる1000個はあげたくなっちゃいますね。新聞に載る人の内容は、一度ほぼ同じような内容で書き加えて消したので、コメントで人から貰えるとやっぱり直接書かなくてよかったなと思えました。僕も、よしっ。したくなります。 >ふじりゅう さん ありがとうございます! 俯瞰、たしかに構造的にもばっちしぴったりでしたね。実のところあまり考えないとこの書き方になってしまうヤローので気付きませんでした。笑。 >藤 一紀 さん ありがとうございます! 僕自身は生活のリズム的に割と見ないほうで、放送時間に縛られない動画の視聴ばかりになっているんですよね。昔ビデオレンタルって結構安かったのに近所にTSUTAYAしかなくなってからめっちゃ高いってのもあります。テレビの時計としての役割が動画にはないのでそこらへん実に感慨深いです。

完備 (2018-11-05):

全体として一定の完成度に達していることは自明なのですが, 最初の二段落はあまり良いと思いませんでした. 特に二段落目の, ダラダラと怠惰な文体に毎度のことながら辟易します. 例えば二段落目を「たぶんきっとよかった」で締めましたが, この締め方に尋常ではない既視感を覚えるのは私だけでしょうか. 最後の段落を私は, インスタントラーメンと家族の間に似た部分を見出しているのだと読み, (気の利いた褒め言葉が見当たらなくて申し訳ないのですが)新鮮で良いと思いました. そして最後の段落を輝かせるために最初の二段落があったと思えば, その意味では最初の二段落にも一定の価値があるわけですが, 逆に言えば最終段落のためだけに最初の(長い)二段落があったのであれば, やはり分量対効果に問題があると言わざるをえません. 最後に付け加えると, テーマやそのテーマの掘り下げ方という視点に立つと, 率直に言って大したことはやれていないのではないかとも思わされました. 家族について書いてあるのに, 実質的には作中主体の独白でしかないわけです. 家族についての深い問題意識を持って書かれた作品, には少なくとも私には見えません, もちろんそのようなものが詩を書く際に必要かと言われると否ですが, 何と言いますか, この作品に対して私が覚える「物足りなさ」の根源に, 詩としては読めるがテーマの掘り下げが足りない, ということがあるのかもしれません. あまりうまく言語化できず, 申し訳ないです.

鬱海鬱海 (2018-11-08):

家庭の崩壊という難しいテーマですが、引きこまれながらもするする読めました。バランスボールは家族関係の微妙なバランスの比喩とかなんでしょうか。そこで父親の少し空気を抜くという提案、なんだか意味深に思えました。私自身自分の家庭に思うところがたくさんあるので、沸騰を待つという表現にある、他人任せなハッピーエンドやいっそ崩壊のようなものをどこかで望んでしまう人間の弱さみたいなのはよく伝わってきました。私はとても好きです。

鬱海鬱海 (2018-11-08):

沸騰を待つという表現ではなかったです 意訳です すみません

ゼンメツゼンメツ (2018-11-09):

>完備 さん ありがとうございます! 具体的に批評、ダメ出しを貰えてめちゃくちゃ嬉しいです。正直なところぼくもこの詩はガワのテーマの選択があまりにも強すぎ、その裏でやりたかったことは霞みきってしまったような気かしていました。というか成功していたとしてもかなり僕得でしかないものだったと思います。そういう意味ではちょっと扱いきれなかったことを実感させていただき、本当に大変すっきりしました。 鬱海 さん >ありがとうございます! とても軽薄で狭い視野や思考を持つ主人公を描くのが好きです。もしかすると僕は、こういったものを描いて、詩作品に閉じ込めて、そして置き去りにし、他者に読んでいただくことで、「トカゲの尻尾切り」のように、僕自身はさらに軽薄に逃げているのかもしれないな。なんて思います。

こうだたけみ (2018-11-10):

語られているはずの対象が少しずつずれて違うものにすり替わっていく感じがとても好きだなと思いました。ただ、この書き方でこの分量ならばもう少しどこか予測のつかない着地点に〈ぶっ飛んでく〉のを期待してしまうなあと、最終連のCMってどんなかなと想像しながら考えていました(10年テレビなし生活の人)。そして、それがどうしてもできないんだよなーってなことを言いたい詩なんじゃないかなあと、勝手に思ってみたりしました。〈笑顔で足開いてすっ転〉ぶのって、できる人には簡単にできるけど、できない人には相当な思い切りが必要なんですよねえ(遠い目)。

ゼンメツゼンメツ (2018-11-12):

>こうだたけみ さん ありがとうございます! 作中の「わたし」も本当の本当はもっとぶっ飛んでいきたいのだと思います。しかしザンネンなことに彼女はここ止まりでした。僕は幸せな嘘がつけないイタコなのです。そして実のところ僕もそこまでテレビを観ないほうですので、書いたあとになんだか観たような気がするな程度だったのですが、よく考えたらヤキソバンだって宇宙人でしたので、きっと僕の愛するラーメンたちならやってくれてます。

もなかもなか (2018-11-15):

<…> 枠、という観点からみたら、面白いと思うのですよね、この話。 ということで、ゼンメツさんこんにちは。ビーレビのみなさんお久しぶりです。 さて。 この作品にはいろいろな枠が登場します。 テレビジョン、テレビ、味噌汁、スマホ、あ、あとインスタント麺(の器のふち) どうでもいいんですけどね。あ、カタカナが多いってのは、みなさんにまかせます。って、そういう指摘されていらっしゃる方がいないっていうもの興味深いですね。世代かしらん。 わたしは詩は恥の発見によって生まれる、と考えています。 異論反論もちろん認めますし、これはかなり暴論なんで、スルーしてくださっても構いません。 で。 恥、とは社会規範から外れること。 社会規範はたとえば枠、といってもいいかもしれません。 認識の枠と枠をすり合わせて社会は成り立っていて、その枠を外れないように外れないように私達は生きているわけですが、他者の枠がずれている、もしかしたら自分の枠もずれているんじゃないか、という幻想を持つわけです。 もちろん、枠、というのも幻想なんですが、コンプレックスっていうのも、もしかするとそこから生まれてくるのかもしれませんね。社会病理の原点は恥にある、というのはさらに暴論ですが。 そんなわけで、ゼンメツさんのこの詩は社会の最小単位である家族における枠の軋みを表現しているのではないか、と読みました。 とても現代的な主題で、興味深く読ませていただきました。 文体に関しては、好き嫌いがありますのでなんとも言えませんが(わたしは大好きです)、もっと最後、軽薄になっても良かったのではないか、と思います。 ゼンメツさんの作品はレトリックに満ちていて楽しいのですが、感傷の塊という甘い蜜菓子のようでもあります。そこをもう少し突き放すことができたら、あるいは違う地平が見えてくるのかもしれません。けっして悪いことではありませんが。 というわけで、以下に拙い読書ノートを晒しておきます。 お目汚し、失礼しました。 ************** 【一連】 ・「わたしたちはそれを家族そろって眺めながら、晩ご飯を食べます。」ここの句読点が面白い。「眺める」という行為と「晩ご飯を食べ」るという行為が「、」の一呼吸を置くことによって対照的あるいは決意を伴った行為として読める。 ・「ミジンも理解できない」は「ひとんちがそこかしこでぶっ壊れている」のを「ぐずぐずに潰されたお豆腐」に連結する素敵なイメージ。ミジン=微塵の語意を通して、テレビとお味噌汁(家庭)の共通点の発見を行っている。この詩的発見により、物語(?)が進行していくという宣言として読める。 ・「お味噌汁なんてぜんぶ流してやりたい。」崩壊していく家庭という社会のありかたの象徴。流したあとは空っぽになる。なることをうっすら考えているが、現実的には捉えていない。 ・「隣のマンションぜんぶがぐずぐずにぶっ潰れたら、うちからもいろいろ見渡せると思うんだけど。」事象をライトに捉える、現代的思考の発露。上記と合わせて、いろいろ阻害している各個人の持つ枠の崩壊を望む。お味噌汁のイメージと重複させての連続的打撃。 ・他者性に囲まれた社会。家庭もその縮図として提示する。 【2連】 ・「おまえも将来テレビに出られるくらい立派になれよ。そんなこと言われてもね。」社会認識のギャップ ・「なんかもうぐらぐらしてきちゃって、」の起因要素は「父さんも母さんも真面目な顔して見つめてて」であり、齟齬による社会認識は「ぐらぐら」と潰れる起因にもつながる。二重の示唆。 ・「ぎゅっとスマホ握りしめてるのに、祈るみたいに握りしめてるのに、」外的要員=社会との連続性を伝えるものを神格化している様子。 【3連】 ・「正確にはずっとテレビのほうを見つめてる。」同じ方向を見ているが同じものを見ていない。 ・味噌汁という手製の家族的要素の象徴から、インスタント麺、即席のものに救いを求めるのは興味深い。叶わないことをしって願う、あるいは願うことすら様式的に繰り返されているのかもしれない。 ・「、じっと待ってる。じっと。」の句読点は文頭の句読点と同じ役割を果たす。叶わないことを知っていながら、もしかしたら、というファンタジーに現実を委ねているのだ。 【タイトルについて及び総括】 ・「テレビ」ではなく「テレビジョン」とすることにより、普段遣いしない言葉として距離を置くことができる。(テレ自体が距離を表す冠詞であることと無縁ではない?→枠目線ではなく、距離感目線で読んだ方が面白かったかもしれない笑) ・一枚のフィルターを挟むような現実認識のうち、互いが互いの世界を独自に行きているその軋轢を感じることはできるのだが、そこにに確かに息づく実存性をもう少し露出して欲しかった。そこにもう一歩踏み込むことで、作中話者を通じたこの文章全体のシステムが機能し、共感することができたのではないか。 →報告文、観察日記のようで、詩的感興に乏しく感じた。 →散文的なレトリックが鼻につく感じがする。量を減らすか、もう少し埋没させたほうが、この文量にとっては良いのではないか

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俯瞰   

なかたつ 
作成日時 2018-10-31
コメント日時 2018-11-14

 

オー・エルの臀部に 赤いボールペンで描かれた 赤いぐるぐるが踊っていた 「切り取って、世界」 今日と明日の境界線は見えないけれど 朝帰りしなくてはならないから 仕方なく、明日の中に体を浸す 轢死すれば 赤いぐるぐるが宙に舞って 夏を終わらせる 「切り取られて、世界」 羽搏きの音が聞こえた、気がした 音になるには不十分すぎる唇の震えもまた 美声だと言えるのだろうか (響き、瞬く間に、飛ぶか、咲かせよ、花) 「きみ、サボテンでも買ってみたら」 の二週間後には 部屋の窓際に四本のサボテンが並び 朝を求めて屹立している その外、二階の高さで 蝶が交尾している 「曲線が、まっている、ね」 オー・エルの笑い声が デスクを照らして、ハエが踊る 「切り取って、ね、世界」 肩をトンと叩かれてから 狭い居酒屋が広く感じられて あの時から 赤いぐるぐるは、まっていた 「まって、まって、蝶のように」 ( そういえば、ぼく、轢死してたよ 会社からの帰り道で 家の駐車場に車を止めてから 家に入るまでの5メートルの間で 色褪せた白いセダンだったかな 「ねえ、まって、まって」 まぼろしだったんだよ、まぼろし 彼女はもう姿を消して あとを追いかける人はいなかったよ 入社して2ヶ月で何を手に入れたのかな でも、赤いぐるぐるはまぼろしじゃなかった 「ま、ぼ、ろ、し?」 轢死したんだって、ぼくは だから、いっぱい歌って欲しい ぼくは歌が上手くなかった 声もよくなかったから きみの声が聞ければいいのかもしれない 轢死する前にもっと耳鼻科にいけばよかった そういえば 窓際に置いておいたサボテン 花を咲かせたかな 「取り残されて、世界、羽搏く、世界、まう」 ) オー・エルの臀部にあった 赤いぐるぐるは 洗われてしまって 躍る方法を忘れてしまったから その場に留まることにした そのように誰かが後日談として 語り継いで、秋 「あれは、とんぼ、かさなる」 もうサボテンはいらないね だから、帰らないことにしたよ 今日もデスクで 黒いぐるぐるをぐるぐる 「汚した、世界、切り取って」 分断した明日を追いかけて 轢死したぼくを見ている


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じゅう (2018-11-01):

拝読しました。壊れた、不連続な動画を見ているようでした。正直なところ、難解で言わんとするところが良くわからなかったのですが、むしろそれが雰囲気をさらに高めていると思います。好きな詩でした。

なかたつ (2018-11-03):

じゅうさん 正直なところ、僕自身も難解で言わんとするところがよくわかりませんが、こういう風な詩を書こうと思って書こうとしたんだと思います。ありがとうございます。

こうだたけみ (2018-11-10):

なかたつさんがそれを踏まえて書いているか本文からはわからないのですが、私は、ここに出てくる〈オー・エル〉にアウトラインをかけて読みました。 どういうことか説明をします。 AdobeのIllustratorというソフトウェアで作成したデータを共有するときは、共有相手が使用フォントを持っていないせいで起こる文字化けを防ぐため、 フォントにアウトラインをかけます(フォントのアウトライン化とは、文字データを図形として保存すること。文字の修正はできなくなるが、文字化けは起きなくなる)。そのアウトライン済みデータのファイル名には、「〇〇_ol.ai」(.aiはイラレデータの拡張子)というように、outline=ol、OLと表記するのが慣例となっています。 そんなわけで、イラレデータを扱う人間は〈オー・エル〉という文字を見ると、オフィスレディ以外に、アウトライン済みのデータを思い浮かべるのです。 さて、アウトラインとは輪郭のことですが、転じて物事の大枠、大要という意味でも使われます。アウトラインを掴むには細部だけを見ていてはダメ。俯瞰が必要です。ここでタイトルの〈俯瞰〉へつながります。 電話中や会議中など、いつのまにかメモ帳に出現している〈赤いぐるぐる〉や〈黒いぐるぐる〉。それに重ねるようにして、ランダムに思い出されては描写される記憶の細部。その細部からズームアウトで全体を俯瞰して、散りばめられた五つの赤い点と一つの黒い点をつなげば話者の生活のアウトラインが浮かび上がる。それは、どうも薄っぺらくて奥行きがないみたいで、Macの画面上でアウトライン化されたフォントを見ている気分になる。話者が見ているという〈轢死したぼく〉には、カートゥーンアニメで車にひかれた登場人物のようにペラペラで、風が吹けば飛ばされてしまうくらいの軽薄さを感じる。その体にフォーカスすれば、紙が破けるほどの筆圧で描かれた赤と黒のぐるぐるでできているのがわかるだろう。 以上、こうだはこのように解釈し、視点の切り替えがおもしろい作品だなあと思いました。

なかたつ (2018-11-14):

こうだたけみさん イラレ、僕も遊びで弄ったことある程度で、なるほどなあ、ということで「視点の切り替えがおもしろい」と言っていただけましたが、こうださんもこの作品の「ぐるぐる」のように、ぐるぐるしていただいて、イラレの話からうまくアウトラインの話へとぐるぐるしていただいたなあ、と思っています。 というよりも、「話者の生活のアウトライン」が浮かび上がる、という指摘が、すごくよくて、僕たちの日常でも、目の前にいる相手と四六時中時間を共にしているわけではないので、会話とかから、その人そのものを想像する時、会話もまたアウトラインでしかないんだなあ、と思うんです。それが悪いってことじゃなくて、むしろ、それって、日常的なことなんだなあ、って。で、この作品、僕も読解できないですし、いろんな出来事が散りばめられて書かれてあるので、まさに、アウトラインというか、本質は掴めない。その掴めない感じがぐるぐるぐるぐるってものに昇華されてるのかなあ、と。 どっちかと言うと、僕がぐるぐるしているというより、誰かに書かれてしまったぐるぐるを見てしまったという感じな気がしますが、やっぱり、ぐるぐるしていまありがとうぐるぐござるぐるいまぐるぐしたる。

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傘泥棒   

ゼンメツ 
作成日時 2018-10-19
コメント日時 2018-11-13

 

彼女と出会ったのはほんの二日前のはなしだ。ひと気のない湖畔のキャンプ地で、たまたまソロ同士だったから、あと大量に持ってきたお酒が切れなかったから、なりゆきのままお互いにお互いのことは何も聞かず、ただただ、というよりとにかくだらだらと一緒に過ごしていたのだけれど、今日たったひとつだけ、子供のころ傘泥棒と呼ばれていたんだ。と、笑って話してくれた。理由を聞くと本当にそのまんまで、それで少し恥ずかしそうにしながら、月のあかるい夜にはうちの浴槽にも小さな波ができるんだよ。そういって湖面越しの月を指さし、飛び込んだ。水から上がるとぼくの手をひいて、それからは肌で水を打つ快感を求めてなんどもなんども飛び込み、すこし飽きれば付近をひとしきり歩いた。彼女は濡れ髪のまま風を切り、ためらいもなく花々をけりとばしながら進む、それなのに花の歌なんかをくちずさむ。そのせいか、はだかになっても全身花粉だらけで、着水するたびに、水面をとりどりに染めあげた。 たまに魚を見かけた。このちいさな湖には不釣り合いなくらい、わりと大きい魚が泳いでいるんだ。知らない魚だ。彼女にも伝えようとしたけれど、知らないもののことを上手く伝えるのは難しくて。彼女が知っている魚とはサンマのことだと思う。それは湖にはいなかった。その代わりに知っている星のなまえをいくつか挙げ、湖面に映るそれとほんものとで絵合わせをはじめた。しかし星はだいたいみな同じかたちをしていたのでしばらくすると彼女は眠ってしまった。魚は同じかたちをしていない。花もかろうじてそうだ。眠る彼女を眺めていると、そのかたちはすこしだけあやふやに見えた。ぼくはしずかに焚き火をまもりながら、いくつかのさかなの味を思い出していた。間違ったことを想い、彼女もそうしている。今日はなにも思い出せない。ぼくは味覚障害かもしれない。 いつのまにか眠っていて、目が覚めると雨が降っていた。雨に理由をつけるのはとても簡単だ。強いのか弱いのかだけをみて、それに合わせたウェットな出来事を思い起こせばいい。そうすると雨は少しだけ特別なものになる。ぼくたちは傘を持ってきていなかったから、彼女と二人で、子供の時分の彼女に盗まれたいくつもの傘について考えた。そういえばそれって、家に着いたあとはどうしていたの? だいたい近所の河原に捨ててた。そっか。だって見つかったらたぶん怒られるしそもそも誰のかも知らないから持っててもどうしようもないし。そっか。ビニール傘なんて水中に沈んでしまったら溶けてなくなればいいのに。そうかも。ねえきみは自分の家に帰ったらどうするの? どうしよう。缶ハイボールをいくつか開けているうちに雨は弱まり、風で小刻みに葉が擦れる音が聞こえはじめた。月は見えないけれど、湖面にはちいさな波が立っている。


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かるべまさひろ (2018-10-20):

二人の会話を連綿と書くことを、自分もしたことがあって、いつもそのスタイルを読むと星の王子さま的な対話を思い起こします。 流れも含めて、ある優しさが胸に染みました。

ゼンメツゼンメツ (2018-10-20):

>かるべまさひろ さん ありがとうございます! インフルエンザでふらふらななか深夜に一気に書き上げたものを投稿したので、しょーじき推敲したいところが数カ所あるんですけど、しかしビーレビは編集ができないので「無推敲版」としてさらけ出します。なんだかちょっと恥ずかしいですね!

みうら (2018-10-22):

ゼンメツさんが現在、何処へ向かおうとしているのかが少しわかってきた作品。月並みなな言葉ですが、人と人の関係ってこれぐらいのドライさがあった方がいいし、それの方が悲しいと思うし、そもそもが悲しい。というようなこと。

ゼンメツゼンメツ (2018-10-22):

>みうら さん ありがとうございます! 僕はなんかもう漠然と、月に2作出さなきゃなーって思いながら書いていて、それはインフルエンザ真っ只中でも書くくらいなので、僕の中で体調より優先されることではあるみたいなんですけど、ほんといったい何処へ向かって、何をしたいのでしょう。ただ、ぼろぼろの中で書いたものって、ハッハーおまえはこの程度なんだよ自分の底を知れーい感があるのでなんかいいですね。ちなみに僕は満たされたくて書いているのに、とっても孤独ですんごく退屈でめちゃくちゃ渇いてないと一切筆が進みません。すごくかわいそうだしじつに悲しいですね。

鬱海鬱海 (2018-10-24):

初めて読んだときから、すごく好きで何度か読み返しているのですがやっぱりすごく好きな作品です。別の方が書かれているように、二人の関係はある種ドライですが、子どもの頃の体験を語るということの持つ、ごく私的な場に人を引きこむという効果がうまく効いて、二人の間や読者との間にほどよい距離感を生んでいるように思います。このちょうどいい距離感がとても好みでした。ライトレスですみません。

ゼンメツゼンメツ (2018-10-27):

>鬱海 さん ありがとうございます! とてもとても嬉しいです。この詩で描かれているものに共感出来るような人は、日々がちょっぴり生き難いタイプかもしれませんね。お互いこの世をどうにか生き抜いてやりましょう。レスを頂けるのにライトかどうかなんて嬉しいことには変わりませんが、そもそも詩を掴んでいただけている素敵な感想だと思います。

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-10-27):

おこがましいのですが自分の作品とあまりにも似ているような気がしました。「成長としての」という詩です。というよりは私が目指している形式の作品だと思いました。出だしのもの悲しさから美しい場面への構成は私からすると学ばせて頂けることが多いです。とても美しく格調高い詩です。

ゼンメツゼンメツ (2018-10-29):

>オオサカダニケ さん ありがとうございます! 長い詩なのに読んで好意的な批評をいただけて嬉しいです。僕もサリンジャーが好きなので、なにやら通じるものがあるのかもしれないですね。

ゼンメツゼンメツ (2018-10-29):

運営さま運営さま。 やっぱり誤字もあってあがるたびにモヤモヤして内臓がねじれそうなので、本文を下記のものに差し替えられたらとてつもなく嬉しいのですが。ついでに差し替えたのちにその「下記」のコメントが消えたらすっきりしてさらに嬉しいのですが。申し訳ないのですがどうかお願いできないでしょうか

ゼンメツゼンメツ (2018-10-29):

彼女と出会ったのはほんの二日前のはなしだ。ひと気のない湖畔のキャンプ地で、たまたまソロ同士だったから、ぼくが張ったタープの面積がなんだか気合い入り過ぎだったから、あとは大量にもってきたお酒が切れなかったから、なりゆきのままお互いにお互いのことは何も聞かず、ただただ、というよりとにかくだらだらと一緒に過ごしていたのだけれど、今日たったひとつだけ、子供のころ傘泥棒と呼ばれていたんだ。と、笑って話してくれた。理由を聞くと本当にそのまんまで、それで少し恥ずかしそうにしながら、月のあかるい夜にはうちの浴槽にも小さな波ができるんだよ。そういって湖面越しの月を指さし、飛び込んだ。水から上がるとぼくの手をひいて、それからは肌で水を打つ快感を求めてなんどもなんども飛び込み、すこし飽きれば付近をひとしきり歩いた。彼女は濡れ髪のまま風を切り、ためらいもなく花々をけりとばしながら進む、それなのに花の歌なんかをくちずさむ。そのせいか、はだかになっても全身花粉だらけで、着水するたびに、月暈をとりどりに染めあげた。 たまに魚を見かけた。このちいさな湖には不釣り合いなくらい、わりと大きい魚が泳いでいるんだ。知らない魚だ。彼女にも伝えようとしたけれど、知らないもののことを上手く伝えるのは難しくて。彼女が知っている魚とはサンマのことだと思う。それは湖にはいなかった。その代わりに知っている星のなまえをいくつか挙げ、湖面に映るそれとほんものとで絵合わせをはじめた。しかし星はだいたいみな同じかたちをしていたのでしばらくすると彼女は眠ってしまった。魚は同じかたちをしていない。花もかろうじてそうだ。眠る彼女を眺めていると、そのかたちはすこしだけあやふやに見えた。ぼくはしずかに焚き火をまもりながら、いくつかのさかなの味を思い出していた。間違ったことを想い、彼女もそうしている。今日はなにも思い出せない。ぼくは味覚障害かもしれない。 いつのまにか自分も眠っていて、目が覚めると雨が降っていた。雨に理由をつけるのはとても簡単だ。強いのか弱いのかだけをみて、それに合わせたウェットな出来事を思い起こせばいい。そうすると雨は少しだけ特別なものになる。ぼくたちは傘を持ってきていなかったから、彼女と二人で、子供の時分の彼女に盗まれたいくつもの傘について考えた。そういえばそれって、家に着いたあとはどうしていたの? だいたい近所の河原に捨ててたかな。そっか。だって見つかったらたぶん怒られるしそもそも誰のかも知らないから持っててもどうしようもないし。そっか。ビニール傘なんて水中に沈んでしまったら溶けてなくなればいいのに。そうかも。ねえきみは自分の家に帰ったらどうするの? どうしよう。缶ハイボールをいくつか開けているうちに雨は弱まり、風で小刻みに葉が擦れる音が聞こえはじめた。月は見えないけれど、湖面には小さな波が立っている。

stereotype2085 (2018-10-30):

全体として人としての焦燥感、急く感じがある。それはゼンメツさん、個人のものであるのかこの詩のみに託されたものであるのか分からないが、得も言われぬ「焦燥感」がこの詩を味わい深くしている。ラストの「月は見えないけれど、湖面にはちいさな波が立っている。」ようやく落ち着く場、着地点を見つけた、という印象です。

ゼンメツゼンメツ (2018-10-31):

>すてれお さん ありがとうございます! 焦燥感わかります。とりあえずこいつは湖なんて気にしていないでマシュマロくらい焼くべきだと思います。マシュマロを、特に紅茶味のマシュマロを焼けるようなヤツなら、もしかするとこの先もやっていけるかもしれません。

仲程仲程 (2018-11-12):

これはきれいな世界だなぁ と思いました。もちろん精神的なことを含めて。 誰かに朗読してもらってるのを、目を閉じて聞いてみたいです。

ishimuratoshi58ishimuratoshi58 (2018-11-13):

 非常に洗練された、スタイリッシュな現代の名文というのが第一印象でした。このくらい神経の行き届いた散文は、書店に並ぶ単行本や文藝(?)雑誌においてもほぼお目にかかることはありません(大半は私の世代の感覚では「中学生の作文」レベルですからね)。漢字とかなの使い分けのセンス、文の長短やテンポ、リズムの扱いの巧みさなど、作者の筆力は相当なものと感嘆させられます。第二連の「たまに魚を見かけた。」という書き出しなど、思わず「わあ、こりゃ巧いなあ」と唸らされました。描かれている情景も鮮明で魅力的。「彼女」との触れ合いのメルヘンティックな、快い甘さにも非常に心惹かれます。  非常に描ける作者様なので、ただの読み手として(つまり自分のことは棚に上げて)少々贅沢を述べさせてください。  エッセイやスケッチではない、自立した詩作品として本作に対峙してみると、ここに描かれているような「彼女」との美しい親和が、私たちの生きる現実世界とは共存し得ないということへの痛み、哀しみが感じられない点が、読み手として不満といえば不満です。非常によく描けているにもかかわらず読後の印象がいささか「軽い」のは、文体の軽やかさゆえではなく、読み手の真情に痛切に突き刺さってくる「もののあはれ」の乏しさゆえではないかと感じました。詩情が切実なリアリティーに至らず、完成されたスタイリッシュさの裡に自足している観がありました。決してないものねだりではなく、作者様の力量であれば、単なる「感心」を超えた感動をもたらしてくれるのではと期待しています。

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まなざし   

fiorina 
作成日時 2018-10-17
コメント日時 2018-11-12

 

わたしが与えることのできない悲しみを おまえが悲しんでいる とおいむかしわたしも歩いた 霧の道 そのすべてはいつか燦々と光につつまれる 、と 一瞬という火に灼かれるしかない身で 永遠を嘆くわたしらに   なにも知らない なにもしてやれない そらは あるいは母たちは     朝の道 傾いだ肩に 大きすぎるランドセルを背負った子を 見送った その姿がとおく、角を曲がるまで


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fiorina (2018-10-17):

※b-review杯不参加作品です。

帆場蔵人 (2018-10-17):

最近、須賀敦子さんの詩集を読んだのですがそれに似た眼差しを感じました。見守っている、直ぐに手を差し伸べるのではない優しさが静かに詩句の間を流れているように思います。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-10-17):

fiorinaさん、杯不参加のときは題名に※を入れ、コメントなどに「※B-REVIEW杯不参加」と書いてもらえると助かります。 ってのはアーカイブ編集の際に題名に印がないと見落とす可能性が高いのでして。 今後投降時点で不参加を選べる機能は実装したいと思っておりますが、例のごとくプログラマー不足でして。 ※の件は次回以降ご協力お願いします。

fiorina (2018-10-17):

渡辺さん、了解です!うっかり忘れて送信して気がつきました。差し替え可能でしたらお願いしたいですが、不可能でしたら次回からそうします。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-10-17):

今回は気づけたのでこのままで大丈夫です

fiorina (2018-10-18):

帆場蔵人さん、 須賀敦子さんは、エッセイと映像で足跡をたどったことがありました。 イタリアに滞在したときの、シンプルで究極にうつくしい部屋が目に焼き付いています。 私が知ったのは亡くなった後でした。 たたずまいの優しい強さが印象に。 ゴミ出しに言った朝の道で、 お母さんたちが長い間立ちつくして子どもを見送っているのをよく見かけます。 コメントありがとうございました。

かるべまさひろ (2018-10-20):

最初の連が、感動します。 歳を重ねるにつれ、見守るようになる反面、どこかで妬んでいる自分にも気付かされます。

二条千河 (2018-10-20):

子どもが登校するのを見守る母親、という画を、田舎に引っ越してきてから見かけるようになりました。 なぜわざわざ外に出て見送るのか理解できずにいましたが(自分は見送ったことも見送られたこともないもので)、貴作を読んで、ああ、こういう光景が見えるのか……となんとなくわかった気になりました。 まなざしという平仮名のタイトルが、読み終えてから染みてきます。

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-10-24):

これほどひとの心をつかむ文章を構成できる文章力と筆者様の膨大な言葉の引き出しから拾い上げられた命そのもののような輝くことばたちに触れられたこの時間に感謝します!私など3、4行で人の心を少しでけつかむような、とんでもなく短い詩しか生み出せない文章力ですので、15行にも及ぶ長めの詩を書きあげられる実力を尊敬します!

fiorina (2018-10-25):

かるべさん、 悲しみだけでなく、すべての感情、経験を、私だけがお前に与えた、と言う時期があるのですよね。妬む、と言う気持ちがよくわかりました。愛情もお金も?、得た分だけ失う運命にありますね。ありがとうございました。

fiorina (2018-10-25):

二条千河さん、 子どもの頃、見送るだけでは足りず、学校まで来て教室の後ろでずっと立ってみているお母さんがいました。多分、殆どのお母さんがそうしたいのでは? 自分の手の届かないところがどんどん増えて、それを黙って受け入れていくのが育てると言うことなのかと、私にはできないわ、と思います。

fiorina (2018-10-25):

オオサカダニケさん、 ものすごいハンドルですねw 「15行にも及ぶ長めの詩」って、短いです! 過分なお言葉ありがとうございます。

stereotype2085 (2018-10-26):

うーん。何とも言えず良いですね。自作品の感想への返信を書いてひと休憩していたところなのですが、その疲れも吹き飛び、身も心も浄化される感覚がこの詩にはあります。ある種のパワーですね。素晴らしいです。

田中修子 (2018-11-12):

fiorinaさんの詩はやはり、白地に黒文字で読みたいなあ、と思いました。 なんだろう。選び抜かれた言葉が光っている気がする。(すごく感覚的ですみません) 最近知ったんですが、詩にも流行の語彙だとか、書き方があるみたいですね。 でも、fiorinaさんの言葉は、選び抜かれたいいものが、とても綺麗に配置されている感じがして、 なにかに左右されなくて、みているとすーっと落ち着きます。 「とおいむかしわたしも歩いた 霧の道 そのすべてはいつか燦々と光につつまれる 、と 」 なんとなく、私もこの霧の道を歩いたことがある気がする。

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遺影   

渡辺八畳@祝儀敷 
作成日時 2018-10-22
コメント日時 2018-11-11

 

私の遺影はデジタルカメラで撮影してください アナログフィルムでは絶対に撮らないでください SDカードにデータとして保存してください そして、 私が死んだら、 その画像をTwitterにアップして FacebookにもInstagramにもアップして Tumblrにもnoteにもはてなブログにもアップして 5ちゃんねるにもアップして爆サイ.comにもアップして したらば掲示板にもアップしてふたば☆ちゃんねるにもアップして ありとあらゆるサービスに ネットのせせらぎに 各家庭へ手書きの訃報を送るよう あますところなくアップして拡散させてください 私の輪郭に沿ってデータを切り抜いて 額縁みたくその外側を青一色にしたら BB素材としてニコニコ動画にアップしてください 私に寄せられたたくさんの草コメwww――弔問と共に 数多の動画制作者の方々が 駅前や社屋や道場や ありとあらゆる場所の画像の上へ もうこの世にはいない私の画像を重ねることで あらゆる場所に私の存在を示してくれるでしょう そういう業者に連絡をして 出会い系サイトの偽アカウントの顔写真に 私の遺影を使わせてください イククルやPCMAXのアカウントで ハッピーメールやYYCのアカウントで ワクワクメールや華の会のアカウントで ナンネットやpairsのアカウントで 私の顔をした私でない人と話すために もうこの世にはいない私と逢う約束をして そしてラブホテルへと連れ込むために 男性の方々はポイントを浪費してくれるでしょう しかし逢うことさえも決して叶わずに お金ばかりが無情に消えていきます 騙されたと気づいたその時に惨めな男性の方々が想う相手は 中で操っている業者でなく アカウントに使われた遺影の私でしょう サーバー会社にも連絡をして 404となったページに表示する画像を 金髪女性の写真でなく私の遺影に替えてもらってください 本来表すべきものが消えたそこに 私の微笑が献花されるようになります 跡形もなくページが消えれば消えるほど 代わりに私の遺影を映す機会が増えるのです そうやって、 インターネットの中に、 一つずつ一つずつ丁寧に、 死んだ私の画像を置いていけば、 あらゆる町のあらゆる家の あらゆるパソコンのあらゆるモニターに 私の遺影が表示されて そうしてそこは私の葬式会場となって 私の実体が灰になり土に還った後も 必ずいつも誰かが私の遺影にアクセスしてくれて 終わることのないお経と 終わることのない弔辞が 日本じゅうのスピーカーから無音のままに流れ続けます まとめサイトを見て大笑いしている間も モニター前の一人一人が参列者となって 意図せずとも私を弔う一員となって 電子の世界で私の魂は追悼され続けます そして今日も この世界のどこかにあるスクリーンに 変わることのない私の微笑が映し出されていることでしょう


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stereotype2085 (2018-10-22):

素晴らしい。冒険しているなという印象。ネットに拡散された遺影を毎日のように誰かが目にするであろう構図を作り上げ、しかもその作りあげかたが詳細で、ある種リアリティを以って書かれています。ネット時代の落とし子のような渡辺さんだからこそ、この着想にも至ったのでしょう。不気味でありながら、自分の遺影が物笑いの種にされたり、時には憎しみの対象にもなりながら、誰かが遺影を目にする。この時代に強烈な爪痕、足跡を残すために最も出来なさそうで出来そうな手段。素晴らしい。また、肝心なのは最終連でもあり、ここで一気に詩情を喚起するのに成功していると思います。それこそ情報と手段の羅列のあとに来る、最終節「私の微笑が…」はとても効果的でありました。

༺❦柿原 凛☂༻ (2018-10-22):

なんかこの詩を読ませていただく中で「野獣先輩」と重なるなぁと思いました。どんどん拡散されて加工されて増えていく野獣先輩の写真……。

カオティクルConverge!!貴音さんカオティクルConverge!!貴音さん (2018-10-22):

やりますねぇ!

社町 迅 (2018-10-22):

この詩にでてくる固有名詞を扱えるのは、後にも先にも渡辺さんだけなんじゃないかな、と感じさせられます。叙情が全くもって抜かれていて、置いてけぼりになった読後感です。 すごいです。

帆場蔵人 (2018-10-22):

これ、好きです! ありとあらゆるところに墓標が配置されていく世界。 アカウントに使われた私の遺影でしょう このあたりのくだりがなんとも、響きます。

るるりら (2018-10-23):

おはようございます。 素朴な感想しか書けそうもないことを最初に あやまらせていただきます。 すみません。 この詩のようなことを実行するなら、その人は 全体主義的な国のトップだと可能な気がしました。自己顕示欲はんぱない感じなところに、そのように思いました。 実際には、国のトップなでどはなく、詩人でらっしゃるのですから 「私の遺影はデジタルカメラで撮影してください」ではなく、「デジタルカメラで撮影しておきました。」 「アナログフィルムでは絶対に撮らないでください」ではなく、 「アナログフィルムなんてごめんだったからです。」といったように、 拡散の大元のデータくらいは 確認したほうが良いのではないかなと個人的には思いました。つまり、生きている間にすべきことも他人まかせな感じが。なんとなく ついていけなかったです。どんな画像が遺影でもいいのかな?と、おもったのです。 「変わることのない私の微笑が映し出されていることでしょう」とあるので、きっと遺影は笑っている画像のイメージなんでしょうけれども、だったら アカウントに自画像ぽい漫画の画像が貼っておられますよね。アレが遺影で良いのではないかとも、ふと 思ったりしました。        なんちゃって的な感想で、すみません

るるりら (2018-10-23):

誤字ありました。 ×実際には、国のトップなでどはなく 〇実際なは、国のトップなどではなく しつれいしました。ぺこり。

かるべまさひろ (2018-10-23):

一読したとき、相変わらず上手だなと感心しました。やはり自分にはできない詩は好きです。 一つ感じたのは、作為が少し前面に香り過ぎかなぁという点です。 「私」のインターネットライフスタイルが、些か不鮮明に感じたからかもしれません。ただ特徴的にしてしまいすぎても違うのはわかるので、そこの加減が難しかったのかなぁと。 非オタクには響く部分が、ガチオタクには響きにくくなってる気がします。いわゆる浅いネット批判に陥っているかなとも読めてしまう。 「終わることのないお経と/終わることのない弔辞が」の表現が大好きです。 ブータンはお経を旗にして、はためかせておけば読んでいることになる、といったエピソードをどこぞの小説で目にしたのですが、そんな素敵な感傷を思い出しました。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-10-23):

stereotype2085さん どうもです。 前々より「詩人突然変異種」「詩壇の異邦人」と自称しているのですが、理由のひとつが「ネット時代の落とし子」ってところですね。詩人ってテクノロジーとかに弱いのばっかじゃないですか。いや私だって全然全然ですけど、パイソンつったら言語でなく哲学者サッカーのほうですけど、でも上位1割には入ってそうな感覚。それか入っているように行動するのが私ぐらいだけか。 情報生命体という概念がありますが、正直なところ結構それに憧れています。「記憶の中にあり続ける限りその人は生き続ける」って類の言葉がありますけど、それを何万人規模でやれるわけじゃないですか。意図的に自撮りを流布させたいって欲求。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-10-23):

柿原凜さん 野獣先輩のことは詩のモチーフにこそしていませんが当然頭には浮かんでいました。当たり前だよなぁ? ちなみに野獣先輩BBとかを私も作っています。 ↓ https://www.nicovideo.jp/user/21298719/video

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-10-23):

貴音さん ありがとナス!

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-10-23):

社町 迅さん 詩中の単語を扱えるような文脈(生活体系とか、自身がカバーする領域とかって意味で)にいる詩人はいると思うんですよ。ただその文脈を詩に活用しようとしないだけで。 この詩の意図の一つはいわゆる「詩語」に含まれないであろう単語を如何に多く使えるかでした。現代詩は自由っていう割にはそこで使われる語は一定範囲を逸脱しないのばかりだなって印象がありました。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-10-23):

帆場蔵人さん あざあっす。実は昔某出会い系で知り合ったバツイチなりたての40代と夜中3時に駅で会うことになりましてね。11月下旬か12月だったと思います。駅の出入り口なのに相手は待ち合わせ場所に辿り着けないと言い出し、なんとかして来させようと説明を続けていたら無料ポイント分はすぐなくなりました。近くのコンビニで3000円チャージして会話を続けましたが、結局彼女は訪れませんでした。翌日風邪ひきました。 そういった経験が件の行には反映されています。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-10-23):

るるりらさん なんかるるりらさん個人の政治思想とかが絡んでそうな感想ですね。 別に詩中主体=作者ではありません。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-10-23):

かるべまさひろさん 社町さんへのレスでも書いた通り「いわゆる『詩語』に含まれないであろう単語を如何に多く使えるか」がこの詩の目的の一つでもあります。なので人物像が浮かんでくるようなサイト選択よりは、どれだけ多くのサイト名を詩の中に組み込めるかを考えていました。 「いわゆる浅いネット批判」と書かれていますが、私としてはこの詩のようなことが理論上可能なネット空間にけっこう肯定的であります。俺も情報生命体になって永遠の命が欲しい。単なる著名人として残ることとこの詩の違いは、後者は生前には無かった様々な意味が後々からつけられるというところですね。死してもなお成長する。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-10-23):

ログみつかったから追記 この詩を書くすこし前、去年の5月下旬ですね、そのときに詩人の榎本櫻湖氏に自作を読んでもらう機会がありまして。「夕陽に顔面」とか5篇を提示したのですが、「ラノベっぽい」「歌詞っぽい」「詩は技術も重要なので、『おもい』だけじゃ、だめ」「日本語が流暢ではない」など、ああ本格派詩人様()ですねって反応をされたのですが、その時に「あとはそもそもネタですね、詩の題材にはおおよそならないものを用いている。女子高生がどうした、とかいうのはあれは完全に少年漫画です。」と言われまして。 はぁぁぁぁぁ!!???????????? なんでてめぇに題材を規定されなきゃいけねぇぇんじゃあ??????? おめぇの書くのはいっつもいっつも「難解な現代詩」なパブリックイメージまんまな選語と書きぶりだからって自分の外にある詩情シチュを否定してんじゃねぇぇぇっぇっぇよヴァアアアカ!!!! あらゆるものから詩情を捉えそれを詩として定着させられるほうが正義だろ糞糞糞が!!!!!!!!!!! ほんとこの件にはムカつきましてね、以降「詩っぽくない」ものを詩にすることが加速しました。

ふじりゅう (2018-10-30):

拝見しました。 素晴らしいのではないでしょうか。現代詩は何か、を考える上で、過去の現代詩はもはや今の世の中には合わないのではないか、という考えが、つまり難解複雑な用語と技術を用いてさも頭の良さそうな詩を書くことは最早現代詩と呼ぶ事は出来ないのではないか、という(個人的な)考えの答えのようなものを見せてくれる詩だと思います。これぞ現代詩だと。 内容ですが、ユニークで主人公の独特な価値観に酔えるような、と表現できます。 弔う人数が多ければ良い、という価値観の元、出会い系だろうと404not foundだろうと遺影を公開し、自分の写真を見てくれる、それが私への弔いなのだとする価値観は到底理解できませんが、その理解できない地点まで一直線に到達し詩を書き上げている点にこの詩の素晴らしさがあるように思われます。

藤 一紀 (2018-10-30):

こんばんは。なんというか、チャレンジ精神旺盛というか、難しいことやってるな、という印象ですね。これはこれでやっぱりすごいことなんですよ、「現代性」を感じることができる。 現代の言葉を詩に用いることの重要性は、鮎川信夫もそれより若い詩人の(誰だったかは忘れた)作品を挙げて語っているから、さほど目新しいことではないのだけど、それで詩として成功させるのは腕がいる。だから、用いてもわりかし控えめになる。それでいえば、これだけの量を持ち込んだから構成の面で気を遣ったんじゃないかと想像します。 そこに「イイネ」をつけたい気分。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-01):

ふじりゅうさん 多くの詩人(特に詩誌系)が戦後詩で止まっているような印象を抱いています。結局あれは戦後という反戦思想がなんにでも適応できて時代だからこそのものであって、70年が経った今日において「戦争を翼賛させてしまったことの反省」をもとに行われた言語派活動を継続させる理由はない。いつまで反省をやってんだ、次に繋げなきゃ反省も意味無いだろう。 SNS時代になって人々の顕示欲ってよりいっそう刺激されるようになったと思うんですね。たとえば私はお笑いもやっててコント演じたりするんですけど、20人30人ぐらいの会場への入りでも嬉しい。しかしそれがTwitterで30ふぁぼだったとすると、いやもっと100とかほしいって思ってしまうでしょうね。それは物理的条件が解消され容易く人々の目に映れるようになったから。壁がとっぱられたなら際限なく突き進みたい。詩中主体もそういった考えの持ち主でしょう。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-01):

藤一紀さん 上にも書きましたが、詩語ってのがファッキンなんですよ。なんでも詩情にまみれさせるのが詩人だろ、なに手垢まみれたのを今更使って詩人名乗ってんだと。 この詩を書くときは大喜利でしたね。あらゆるネットのサービスをいかにこの詩に取り込めるかのアイデア勝負。

ヤエヤエ (2018-11-01):

詩の評としてはさんざん出尽くしているので、置いとくことにして。 あぁ、笑いました。ゲラゲラでなくニヤッと。自分や知り合いのおっさんの遺影がネット素材として、情報の海の中に待っているなんて。でも、詩の後半を読んで、ちょっとしんみりしました。羅列や繰り返しって詩を単調にすることも多いですが、さじ加減が絶妙でした。

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-11-01):

ルミナスラインはどこですか?この詩に対するスタンスがわかりません。何かの試みのようなものでしょうか。淫夢などのネットのあるあるネタは理解できました。 実在する物事のなかに詩情を見出すなら渡辺八畳様の才能を閉じ込めてしまう気がしました。 ですが、渡辺様は現実から出発して面白いものを創作なさるので、物事に詩情を見出しておられるのではなく、渡辺様にとって現実は一つの道具に過ぎないという考えに至りました。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-02):

ヤエさん 今回そうですねリフレインは意図して多めにしていました。詩中主体がゆっくり語りかけてきているようにしたかったので。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-02):

オオサカダニケさん ルミナスラインはこの詩にはありませんね。非常に重要な要素ではありますが、必須ではないと思っているので。光る一文が無くとも詩の構成が面白かったらそれでも合格だろうと。むしろ私はルミナスライン勝負よりは構成で攻めている詩のほうが多いかなと。機会あれば過去作読んでみてください。「オホーツクの岬」とか「裏路地」とかあたり。 正直に言うと2行目以降の意味がわかりませんでした。ただ一つ言えるのは、私は試作においては一つの方法論に固執することなく様々なテーマや構成などを試しているということです。

みうら (2018-11-06):

驚かし系と勝手にカテゴライズするけれども、驚かし系クラスタでは花緒さんのアシッドプラネットhttp://bungoku.jp/ebbs/pastlog/497.html#20160927_611_9131p がチャンピオンでアシッドを超えた作品にお目にかかったことがない。その驚かし系の観点からすれば本作はまあまあだと思うがアイデア以外には何ら驚きがない。パワーだけでいえば渡辺さんの過去作品にあったラブラプソディーhttps://www.breview.org/keijiban/?id=1768 の方が上。

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-11-06):

小説においては比喩のみが文学で、あとの要素は小説学的価値は持っても文学的価値は持たない気がしてます。詩歌だけが文学だと思っちゃってます。

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-11-06):

お手数ですが今まで出会ったルミナスライン教えてください

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-08):

さきにオオサカダニケさん おかあさん革命は遠く去りました 黒田喜夫「毒虫飼育」 夢破れて山河あり。私さっさと山河になりたい。生きて必死で幸福探す人を下品って言い捨てて、一番下品な山河になりたい。 最果タヒ「やぶれかぶれ」 私にとってこの二つは志向 とはいえ、詩文から一部を取り出すことにさほど意味があるとは思わない。ルミナスラインも、その前後の構成があってはじめて成立するものだ。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-08):

みうらさん 「アイデア以外には何ら驚きがない」ってのは見越し入道が見越されたのに等しい。ハッタリなんだよね確かに。それはもう述べていることではあるが。

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-11-08):

返信して頂きありがとうございます。私はルミナスラインが詩において絶対でほぼ唯一価値があるものだという考えです。そうでないとおっしゃるみなさんにはぜひルミナスラインを量産していただきたいです。それができないならやはり逃げのような気がします。美しい言葉選び、構成、プロが解説して初めていちおう納得できる程度の表現()は納得できません。 僕を見ようと 人形の首を回した 飛行機の少女 (サリンジャー) これは詩の全文です。これは「創作のルミナスライン」です。この詩は人類史上最高の発明です。人類文学の到達点です。私が思いつきたくてしょうがないものです。人生かけても一つも思いつかないかもしれませんけどね。 夜になつて 僕の部屋に一人でゐると 僕はあんまり僕になり過ぎるのだ(堀辰雄)これはx氏の手帳からの抜粋です。これも神です。これは現実にあることを表現した、「表現のルミナスライン」です。これもかなり神です。 前後なんてなくても成立するルミナスラインもあります。最果先生はルミナスラインを量産なさっていますが、布石ありきのものも多いです。それはそれで神です。

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-11-08):

まじで返信して下さってありがとうございます。ルミナスラインに飢えていたので命がつながりました。私はアホなので、ルミナスラインを模倣するしか、ルミナスラインの作り方を知らないのです。とても悔しいです。ルミナスラインの製造方法をご存じなら教えていただいて良いですか?

花緒 (2018-11-08):

詩である必要があるのだろうか。 シナリオや映像作品の方が映えるアイデアのように思える。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-11):

みたびオオサカダニケさん いかなる状況下においても光る一文を作れたらそりゃ一番でしょうがね、でも現実問題そんな国宝級のものなんてそうそうそうそう作れるものではない。ならばその一文が光る状況下にいられるよう詩の構成を考えたほうがいいんじゃないかという立場です。やみくもにルミナスラインを作ろうとするよりかはその一文がルミナスラインとなれるよう操作する力のほうが重要だし有用だ。 金言集にまとめられた言葉はそれが初めて発せられた時以上の輝きを持つことはできない。ドラえもんの有名な話で目はなぜ前についているかというものがあります。 https://doramatome.net/archives/1822 いくらルミナスラインだとしてもなんのお膳立てもせずに発するのでは相手に感動を与えられずのび太になってしまいます。 オオサカダニケさんはここに嵌ってしまいそうだなと危惧しています。ルミナスラインだけが詩じゃないんですよ。サビを盛り上げるには適切なAメロBメロが必要。ちょうど映画がやっているフレディマーキュリーの名曲「ボヘミアンラプソディー」を聞いてみてください。あの曲のロック部分だけを取り出したところで曲を最初から聞いた時以上の興奮を得られることはできないでしょう。静かなバラードや重厚なオペラを通過して初めて盛り上がれるのです。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-11):

花緒さん 私自身がシナリオなどを作った時にこの詩を流用することはありえます。(作品ロンダリングと呼んでいます)とはいえこういうアイデアは小説とかではすでに出ているような気がする。しかし詩では初めてなはずだ。 距離が富を生みます。イエズス会の宣教師は大名などにさまざまな舶来品を売りましたが、品物自体は母国では決して高価なものではなかったようです。それでも東洋のこの国なら高く売れる。詩で未だ行われていないことを他のものから引っ張ってくるだけでも価値は生まれると思っています。

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コーヒーを飲もうか。   

みうら 
作成日時 2018-10-22
コメント日時 2018-11-09

 

白色の花と朔月の真夜中に目印を付け、ずっと待っている始まり。 終わりがあるとすればそれが星々でそれから、それから月と太陽の始まりと、終わりの明かりが気がつかないまま、十二の弦を張り替え奏でる他に、生があることを知れない。 誰かが金字塔を打ち立て東京の夕暮れは変わらず再び暗渠の奥へとゆく。 出口にあるはずの朝焼けからひとりだけ、ひとりだけのユキがいる。 しゃがみこむ背中に下着が薄くみえ、前のめりにころぶ。フェンスなんて無用なのに。 もうわかったよと、坂道を下りだし、ライティングが東京タワーを無口にする。出会いの稲荷神社と同じみたいと。 恋ではない。愛というのか、よくわからないそのようなものが手を握り続けている。死ぬ時は一緒にいてくださいと。ぶっきらぼうに。 コーヒーを飲もうか。


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ふじりゅう (2018-10-22):

拝見しました。凄く好きな詩です。 自分としては、恋と死生という二つの概念を結びつけた作品、だと考えました。好きな所は「ひとりだけ、ひとりだけの」です。ここまでひとりだけを強調するということは、逆に言うと今までは一人だけの「ユキ」を見ることはなかったのだろう、ということと、それが自分の前で起こっているという二重の驚きのような感情が見える気がしました。青春のような若々しさも持ちながら、しかし「よくわからない」からは年老いた男が語っているような転換っぷりを見せています。しかしすんなり入り込むようで、深入りすればその技術に驚かされる、とても好きな詩です。

stereotype2085 (2018-10-24):

とても良いです。ユキという女性との関係性を、詩的な物思いによって徐々に描写していく。最後は素朴な情感に戻り、詩的探訪からも抜け出し、「コーヒーを飲もうか。」というとても日常的な描写で読み手も、筆者も現実に帰る。この落ち着き、落としどころ、とても好きです。良作だと思います。

蛾兆ボルカ蛾兆ボルカ (2018-10-24):

前半がうまく機能していないように思いました。 切りつめて、また、ストレートにしても良いように思います。 (例) 白色の花と朔月の真夜中に目印を付け、ずっと待っている始まり、十二の弦を張り替え奏でる他に、生があることを知れない。 誰かが金字塔を打ち立てても東京の夕暮れは変わらず再び暗渠の奥へとゆく。 出口にあるはずの朝焼けからひとりだけ、ひとりだけのユキがいる。 中盤、後半の流れは、感じよく思います。 語り手の、少しヌルイ感じがすーっとキープされてて、最後のほうは粋な雰囲気だと思います。 最近のモテる男子の特徴として、「死んだ魚みたいな目」というのがあるそうですが、沢田研二とかも昔からそういう目でした。 一瞬下を向いた時に、そうじゃない目をチラッと見せたりとかするわけですが。 この詩もチラリズムの詩なのかもしれません。

沙一 (2018-10-24):

コーヒーを飲もうか。と、やさしく、さりげない、人肌の温度を感じられる言葉。タイトルにもなっているこの一言のためにこそ、それまでの文章すべてがあるといっても過言ではないでしょう。 逆を言えば、舞台設定や道具立てなどを全取っ替えしたとしても、物憂げな雰囲気が出せていれば、最後の一言で詩になり得るのではないかと。 であればこそ、それまでの言葉や描写にどんな思い入れや必然性があるかが肝になってきますし、それは作者のみ知るところで、読み手の私たちは文章から作者の実像を察するしかありません。そのなかで、私がとくにいいなと思ったのは、 しゃがみこむ背中に下着が薄くみえ という描写で、作者がそうした視線をもっていること、それを自覚して作中に盛り込めるということ、また、その女性のふとした無防備さのようなもの、そうした姿勢をみせられることから心をゆるせる間柄であると察せられること、など、いろいろなものを感じさせてもらえました。

みうら (2018-10-24):

ふじりゅうさん 一生涯で一番好きになった人、その人は今自分のそばに居て、また少し生きて一生涯で一番好きになった人を考えると、以前一生涯で一番好きだった人でなく、違う人が一生涯で一番好きな人として今自分のそばに居る。中学生の時に一生涯で一番好きだった人を今考えたらそうではなかったことを知って残念な気持ちになる。結婚する時に一生涯で一番好きな人だと思っていたのに、好きと愛してるは違うのかなあと伴侶ですら一生涯で一番好きな人じゃないことになる。そんなバカなことを考えるおじさんにだけはなるな。うん。

みうら (2018-10-24):

ステレオさん 一生涯で一番好きな人が隣を歩いていたら僕は少しだけ後ろを歩くようにするんだ。一生涯で一番好きな人が少しだけ前を歩いていたら僕は早歩きをしながら前をいくの。一生涯で一番好きな人が少しだけ後ろを歩いていたら僕は振り返って安心する。そして現実に戻ったり夢みがちなセンチなため息をついている。大していいことあるわけじゃないだろうなんて口ずさみながら。うん。

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-10-24):

良い詩だなあと思いました。恋と愛は違うのでしょうか。さりげないがスケールの大きな描写から、一杯のコーヒーへ。

みうら (2018-10-24):

ボルカさん 一生涯で一番好きになった人と向かい合って食事をすることは絶対に避けなければならないと二十一歳の時からルールにしていて、一生涯で一番好きになった人は二十一歳の時からそれはどういうこと?と疑問を呈してくるのは今も変わらなくて、その答えは沢田研二のあの子にご用心を聴いたらわかるのにって、一生涯で一番好きになった人に今も言わないし、言わないでも理解してる一生涯で一番好きになる人は今も居て、来年ぐらいからはもう見つけなくなるかもしれない。うん。

みうら (2018-10-24):

沙一さん 一生涯で一番好きになった人が現われるたびに僕は必然を感じるのに、一生涯で一番好きになった人は何度も現われる。これは偶然なのかと残念に思う頃には大人になっているの。一生涯で一番好きになった人が小さな恋のメロディの主人公のメロディに似ているところだけはいつも同じたからやっぱり必然なのかな。うん。

みうら (2018-10-24):

オオサカダニケさん 一生涯で一番好きになった人を表現することはとても困難で、それは僕が頭が悪いからかもしれないんだけど、一生涯で一番好きになった人がずっと続いていくことはとても気持ちがいいことで、一生涯で一番好きになった人が居ないと詩が書けない。かもしれない。うん。

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-10-25):

そうなのですね、すごい。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-06):

大賞候補なので読んでみた。 これは同じく大賞候補である私の「遺影」とは正反対の詩だ。というのは「詩語」(既存の詩作品の中で使われ続けたことによって詩文のなかで使用されるとき自動的に詩情が付与される語)を大量に使用しているからだ。「花」だし「朔月」(朔太郎を連想しない詩人はいないだろう)だし「星々」だし、「十二の弦」って表現もまさに詩文って感じ。そもそもコーヒーってのが詩人好みそうだよね。それらがもうほんと優等生みたく的確丁寧に配置されている。カッチカチに詩だ。詩の生産ロットから出てきた、まさにこれこそ正統派元祖家元の「詩」って感じ。 これ、肯定的に言えば既存の需要に合致しているということだ。はずれが無いんだよ、誰にでも勧められる。昔ながらの醤油ラーメン。なんだかんだいってベーシックは強い。 さて、「コーヒーを飲もうか。」が大賞になるか「遺影」がなるかそれとも別のものが勝ち獲るか、勝負じゃーーー!!!

帆場蔵人 (2018-11-07):

Bレビで読ませて頂いたみうらさんの作品のなかではこれが一番好きだと思いました。渡辺さんのコメを読み、あぁ、確かに詩句はまさにベーシックというか、外してないなぁ、と。 ひとりだけ、ひとりだけのユキがいる ここが強く印象に残りました。ひとりだけ、に捧げられたひかりのような詩ですね。

るるりら (2018-11-09):

こんにちは すごく好きな恋愛詩でした。花の色も月の在り様も心が満ちてくる。 出会いの場所も、フェンスを含む情景描写も、いい です。ベタな東京タワーも いいな。 むかし「あの娘」(中島みゆき)って、曲がありました。「さしい名前をつけた子はあいされやすいというけれど♪」って歌詞と 女性の名前がいっぱい列挙されていて、愛されキャラに対するジェラシーの歌でした。 この詩のひとりだけのユキさんは、まちがいなく 愛されキャラで、たまに女子に憎まれるタイプじゃあないかな。 ほとんど、どうでもいい 本音を言うと(書いたあと、絶対 わたしは後悔するけど) わたしの本名には「ゆき」って 発音する部分あるし、わたしには東京の思い出も神社の思い出もあるぞ。と、赤面して しまったのでした。で…ですね。 なんども 読み返したのですが、この詩を評価しますかといえば、はずかしいです。ってことになるのでした。 でも 本音の本音をいえば、自分の昔の日記帳を にやにや読み返すみたいに、また ひそかに、ああ うっとり……とか思いながら、再読すると思います。あは

みうら (2018-11-09):

渡辺さん この作品が人目につくとあまりよろしくなくて、ルミナスラインが目立たなければよいのにと思っていて。大賞なんてもってのほか。大賞いらない。大賞いらない。

みうら (2018-11-09):

帆場さん ルミナスラインを見つけてくれて嬉しいなあ。でも大賞決定戦では投票しちゃだめ。大賞いらない。大賞いらない。

みうら (2018-11-09):

るるりらさん ぶっちゃげ言いそうになった。あぶない。あぶない。ルミナスラインはやばいよね。結婚しているとかしていないとか関係なしにルミナスラインは飛んでいて。大賞いらない。クリプレもいらない。

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左手で描いた天使   

岩垣弥生 
作成日時 2018-10-13
コメント日時 2018-11-07

 

みんなは硝子の空の向こうへ行ってしまった ワガママで醜い僕は置いてけぼり 嘘の日だまりで本を開く 動物の図鑑はひとりぼっちでいっぱいだから 発狂して輪郭が溶けそうだ 僕は虎、僕は魔女 夜な夜な黒いキリストを殺す あゝ、そして 自らの影法師に復讐されて死に 日の出と共に再生を遂げるのだ 繰り返される同じ日々、灰と化した季節 このループに終わりはあるのか 孤独の果てに何が待つのか 硝子の空は何も答えてくれない 呼吸するように形而上の涙を流す 左手で描いた天使は僕よりも歪んで


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タキザワマジコタキザワマジコ (2018-10-14):

タイトルからパウル・クレーの絵を思い出しました。 <自らの影法師に復讐>されるということは、夜な夜な殺す<黒いキリスト>は<僕>なのでしょうか。 <動物の図鑑はひとりぼっちでいっぱいだから>このフレーズで目から鱗が落ちました。 こんな優しい眼差しを持つ<僕>ですから、本当はワガママで醜くなんかないのではないか、と想像してしまいます。

花音/Kanon-K (2018-10-14):

孤独の中にいて、もがき苦しみながら一つの答えを出そうとしているように感じました。 同じ湯に繰り返される日々を”影法師の復讐での死”と”日の出で再生”で表現されている感じに思えて、すごく勉強になりました。

岩垣弥生 (2018-10-15):

タキザワマジコさま 読んでくださりありがとうございます。 ありましたね!クレーの画集のうしろの方に落書きのような天使がいくつか。書いている時は念頭になかったのですが、イメージとしては近いかもです。 黒いキリスト=僕という読まれ方は自然だと思いますが、限定はしていません。(だから復活ではなく再生という言葉を使っています) 「僕」は黒いキリストという他者を殺しているのかもしれないし、「僕」は山月記の虎であり、白い魔女であり黒いキリストでもあるという多重人格であるのかもしれません。その辺の解釈は読み手の感性にまかせます。 「僕」にやさしいまなざしを感じてくれたのは予想外で嬉しいことです。ワガママで醜いというのはあくまで「僕」の主観で、客観的にはやさしくて美しいかも、という可能性を教えていただきました。 コメントくださり本当に感謝です。

岩垣弥生 (2018-10-15):

花音/Kanon -Kさま 読んでくださりありがとうございます。 そうですね。この詩は同じことを繰り返す日々の比喩という側面もあるのかもしれません。生きるため、食べるためには他の命を奪わなければならないし、眠りは仮死という捉え方も出来ます。 「僕」は孤独のなかで答えを探して戦っている、そのように感じられた感性はみずみずしいと思いました。 コメントくださり本当に感謝です。

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-11-07):

ルミナスライン製造機ですね

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雑談と「ままならぬ恋の詩」   

蛾兆ボルカ 
作成日時 2018-10-20
コメント日時 2018-11-06

 

少なくとも3人はミチコがいた。詩人の石牟礼道子と、デザイナーのミチコロンドンのミチコと、皇后ミチコだ。だがそのたった一人とも私は面識がないので、私にとってその人たちは物理的な存在というよりは脳細胞にオンオフ二進数で記憶されたデジタル情報に過ぎない。とすれば、個別であると確信する根拠もないわけであり、むしろこの人たちは同一の1人のミチコの3つの活動であるとも考えられるし、同一の1人に関する3つの情報なのではあるまいか、とも考えることが可能である。 偶然だが、私にはミチコという名前の知り合いが、実生活上の知り合いとしては一人もいない。そのことも考慮してほしいものだ。ミチコは実在するとされる記号だが、「される」というだけの話である。ミチコなんて人間ほんとにいたのか? 私は物理的には確かめていない。 だからミチコという3人ではなく1人の女がいて、皇后であり、デザイナーであり、詩人であったのであり、皇居と水俣とロンドンにいた。(ある瞬間、東京のチッソ本社前路上で3位は一体化する。)別にそれでいい。どうせ知らないひとだ。 そもそも物理的存在としてのアイドルなどありえない。アイドルは象徴だ。だから存在する場所の次元は正しくは2までである。 ミチコがイコンだった時代があった。今年で終わるので、次は何なのだろう。「愛、AI、アイ」か? そうだろうな。しかし俺のアイドルではないな。 女には名前があるとされていることは知らないではない。だが名前の3次元付属物として女が存在するとされているだけで、名前が実在より実在するときもあり、場合によっては実在を伴う必要がないほど実在する名前もある。 この詩は、りな、についての詩だ。 【あの日、隅田川の堤の下の路地で】 ままならぬ恋の終わりは 生きるのをふと諦めた 見慣れない虫の死に似る 雨の中雨傘の下君の目を見る その銀色の瞳静かに 唇は震えずにあり 残り香の消えゆくときに残されて 一抹の煙のような気配漂い 地下水の匂いがしている


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かるべまさひろ (2018-10-20):

『雑談と「ままならぬ恋の詩」』 おもしろかったです。タイトルが直球なのもやや意外でした。 いわゆる男性・女性を内容だけでなく書き筋でも異化しているようにも読めて、おもしろかったです。

蛾兆ボルカ蛾兆ボルカ (2018-10-21):

かるべまさひろさん ありがとうございます。 男女を書き筋で異化するとは、語り手に関する解釈でしょうか。 味読していただき、嬉しいです。

stst (2018-10-21):

お久しぶりです。 なつかしいボルカ節ですね。雑談の内容、とても面白いものでした。 自分が実際に見ないものは、実はそれが実在するかどうかわからな い。(われおもう、ゆえに我あり)的な、哲学にも通じるものですね。 ここで、われと我はおなじとは限らないという面白さ。 つきつめると、自分が死ぬとこの世界も消えるということでしょう か。 さて、詩のほうですが、この雑談があるとないとでは、その印象が 変わるような気がします。 ない場合、りな との単なる別れの詩です。 ある時は、別れの詩であるとともに、このとき見た瞳などの りな  とその香りが、いわゆる りな となり、これが記憶される。 その後に りな は死亡して消えてしまうかもしれないが、すでに りな は実在を伴う必要がないほど実在する名前となる。 そのような哲学的なものを伴う詩となるような気がします。 また、このような試みは、新しいやりかただと思います。 詩の感想ですが、突然に、確かな理由もなく訪れる別れを、美しい 情景とともに表現していて、私の好みです。

蛾兆ボルカ蛾兆ボルカ (2018-10-21):

stさん こんにちは。お久しぶりです。 コメントありがとうございます。 昨夜私は盲目の老いた(というにはギリギリ早いか)女装者と、ライブをご一緒したのですが、そのひとが素晴らしい技巧のギターと、セクシーな美声で、与謝野鉄幹の「ひとを恋うる歌」を歌ってくれたのがとても印象に残りました。 惚れたかもしれない(^^) 「一を恋うる歌」は、ユーチューブとかで聴くと全然面白くないのですけど、そのひとが歌うとなるほどなあ、と沁みました。 (部分) あゝわれコレッジの奇才なく バイロン、ハイネの熱なきも 石を抱きて野にうたう 芭蕉のさびをよろこばず 「柔肌の熱き血潮に触れもみで淋しからずや道を説く君」 とエロく歌う晶子に、これでは負けてしまうわけですが、敗北にも美学はあります。 今回の拙作は、鉄幹の熱にすら遠く及ばず、芭蕉のさびにも甘えたかも知れないなあと思いつつ、ご指摘の構成においては、私なりに頑張れたかも知れません。 ありがとうございました。

渚鳥 (2018-10-21):

こんにちは、拝読いたしました。 名前をきっかけとしたミチコの連想連鎖、そして「りな」へのターン。ここの辺りは楽しいです。作者さんの精神が若々しいな、と。何かをしっかり把握したいときに連想を使う人はかなりいらっしゃるのでしょう。私も確かそういうことがあり、その頃を思い出し、この詩の軸に魚のように自由な、精神の躍動を感じました。地下水がいいですね、好奇心をくすぐられます。 拙い感想コメントですが、お受けください。

蛾兆ボルカ蛾兆ボルカ (2018-10-21):

こんにちは渚鳥さん コメントありがとうございます。 拝読して、嬉しく思いましたし、はっとさせられるところもありました。 私にとっての言葉は、時々、盲人にとっての杖のようなものであったりするのかも知れません。 地下水の匂いのフレーズ、自分でも気に入ってます。

るるりら (2018-10-22):

おはようございます。 だれかの 特別な人になるってことって、うわさには 聞いてはいたけれど、 すてきなことですねぇ。恋愛ドラマの恋バナのシーンなどで さんざん言われてきたことではあるじゃないですか?けれど、わたしは はじめて理解できた気がします。特別とは素晴らしい。 ミチコという3人は3人ではなく1人の女。皇后であり、デザイナーであり、詩人であって、ある瞬間に一体化する?別にそれでいいんすね~。だってどうせ知らないひとだから。え゛ー。あのぉ こういってはなんですが、すごすぎるキメラ化ですけどぉ? とくべつなおもいには 確かに受け取りました。たしかな体感がある。その体感とは 生きるのをふと諦めた/見慣れない虫の死。/雨傘の中の銀色の瞳【銀色がね衝撃です。】/一抹の煙のような気配漂い/地下水の匂いがしている あー ためいきしか でません。 よいものを読ませていただきました。ありがとうございます。

蛾兆ボルカ蛾兆ボルカ (2018-10-22):

るるりらさん ありがとうございます。 ロシア系のひととか、銀色の瞳の日本人のひとって、割りと居るものですよ。新潟あたりの別嬪さんとかに。 気がつくとドキッとしますな(^-^ゞ 合体ミチコは、なんかもう太陽の塔みたいなもんで、大したものですな。 皇后陛下の末永いご健康と、お静かな日々を祈念します。

かるべまさひろ (2018-10-23):

蛾兆ボルカさん お返事ありがとうございます。 「語り手に関する解釈」だと思います。 僕がなにを「書き筋」と呼んだのか、再考していたのですが、「語り手」という存在と、この作品の構成、の二点についてかなと感じたからです。 ここは深く読みきれてはないんですが、 「語り手」がいわゆる「男性」性をもっていることと、語りパートとりなの詩パートという二段づくりとタイトルを含めた構成の整理され具合について、 目的をもってつくられているという読感でした。自然と自らの(あるいは「語り手」の)性で語られるものではなく、「男性」として語られるものとして少し強調されている印象をその二点から感じました。 それはこの詩の題材ともあてはまっているので、すごく上手で面白いなと思ったのです。 コメントにあったボルカさんが聴いた「ひとを恋うる歌」を聴きたくなりました。

蛾兆ボルカ蛾兆ボルカ (2018-10-23):

かるべさん ありがとうございます。 作者としては、前半と後半では、カメラの位置(視点)と語り手の関係を変えてるつもりですが、効果は明瞭ではないかもしれません。語り手が交代する、或いは語り手が消える(または語り手の属性がそぎ落とされる)、とも読めるかもしれません。 読み込んで頂き、嬉しいです。 構造を作った事が、奥行きみたいなものになってるといいなあと思います。 ひとを恋うる歌、ユーチューブで聞けるのですが、男性というものへの先入観や前提が揺らぐような歌い手が歌うと、一味違いますよ(^^)v チャ子さんという方ですが、オリジナルの歌を歌う方で、この歌はめったに歌わないそうです。

stereotype2085 (2018-10-24):

展開、構成ともに素晴らしいです。三人のミチコについて書かれた記号論? 認知科学的考察が読み物としてパーフェクトな域で面白く、りなについて書かれた後半へと流れていく。後半部も短いながらも美しく、安定した抒情を覚えます。以前ボルカさんの作品の一つをコントロールの精度をひたすから磨くことに懸命、賢明なピッチャーのようだと例えたことがありましたが、この作品は高速スライダーも剛速球も駆使している作品ですね。素晴らしいの一言です。最終連「残り香の消えゆくときに残されて/一抹の煙のような気配漂い/地下水の匂いがしている」は、関係がおそらく終わりを告げただろうりなという人物との、錆びた、どことなく虚無感の漂う余韻を残していて良いです。

蛾兆ボルカ蛾兆ボルカ (2018-10-25):

stereotype2085さん ありがとうございます。私はスペルを覚えるのが苦手でして、もし間違ってたらすみません。 なるほど。 投球に喩えると、この詩はいくつかの球種や球速を混じえた配球で、120キロの速球を160キロに見せ掛ける技術を使っているのかも知れません。 最終連、評価して頂き、嬉しいです。

ふじりゅう (2018-10-30):

拝見しました。 私文極には殆どいなかったものですから、ボルカさんはこの様な詩も書くのか、という思いと共に、その引き出しの多さに驚きました。 まず「ミチコ」なる人物を「2進数」としてバッサリ切り捨てる辺りに「雑談」の名の通りだな、と思いつつ。最後に登場する「りな」についての詩のしっかりとした構成から、主人公が恋をしていたのはりなただ一人だったのだろうか、2進数ではなかったのはりなだけだったのだろうか、と思いつつ、アイドルすらも2進数として切り捨てる様は痛快にも思いました。

藤 一紀 (2018-10-30):

こんにちは。小学生の頃に、父親に「なんでお父さんのことをお父さんて言うの?」と訊ねたら「お父さんだからお父さんなんでしょ」と母親に言われて、「そうじゃなくて云々」とがんばってたら、母親にひっぱたかれたことを思い出しました笑。やな子どもだ。 切り換えがはっきりしていて、且つ自然で快いです。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-06):

大賞候補なので読んでみた。 1連目、「個別であると確信する根拠もないわけであり、むしろこの人たちは同一の1人のミチコの3つの活動であるとも考えられるし、同一の1人に関する3つの情報なのではあるまいか、とも考えることが可能である。」という論は非常に面白い発想だ。思考実験にも発展させられそうだし、SF小説のネタにもできそう。発想の勝利である。 ただ私には1連目のその発想内容だけにしか関心がいかず、以降の連、とくに最期の詩とその発想とがうまく繋がらなかった。詩中主体にとって「りな」は「実在より実在するときもあり、場合によっては実在を伴う必要がないほど実在する」存在なのだろうが、私にとっては結局人物の情報以上の意味を持ち得なかった。実はそれこそも狙いだったとしたら上手いもんだが。 さぁどの作品が大賞に選出されるか、勝負じゃーー!!

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星にはなれないよ   

༺❦柿原 凛☂༻ 
作成日時 2018-10-16
コメント日時 2018-11-06

 

ねぇ 星星星星 ねぇ 星星星星 ねぇ、 星星星星 ほら、 星星星星 みてみて 星星星星 ほらそこ 星星星星 こんなことしてるばあいじゃないのに 満天の星屑達 ふかいうみにしずんでいくように 満天の星屑達 おそらとにじんでいくように 満天の星屑達 あさひがのぼらないように 満天の星屑達 わすれさられるように 満天の星屑達 なにものにもなれず 満天の星屑達 そこにとけこんで 満天の星屑達 きえてしまいたい 星星星星 天才なんでしょ? 傲慢的五芒星 スターなんでしょ? 厚顔的五芒星 イケメンなんでしょ? 横柄的五芒星    星になれないぼくが 羅患的五芒星       きみのかわりに 犠牲的五芒星          きえさるよ 忘却的五芒星


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カオティクルConverge!!貴音さんカオティクルConverge!!貴音さん (2018-10-16):

良いと思います。 星の運河を見ているかのようです 左半分のひらがなの所と 右半分の漢字の所も結び付きに不自然な感じはございません

༺❦柿原 凛☂༻ (2018-10-16):

貴音さん>良いですか!やった!ありがとうございます! 星の運河ですか。たしかに帯にも見えますよね。 不自然ではないということでホッとしました。嬉しいです。ありがとうございました。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-10-17):

ああーこれ、☆の右半分の形しているのか

༺❦柿原 凛☂༻ (2018-10-17):

渡辺八畳@祝儀敷さん>正解です!スター(星)になりきれなかったのです。

ふじりゅう (2018-10-17):

拝見しました。 良いと思います。グラフィック性を重視した内容でありながらも、そこに詩としての面白さもきっちりとらえられているように思います。若干形を重要視する余り言葉選びに苦戦した様子がうかがわれますが(特に終わり方、後半「スターなんでしょ?」辺り)それでも詩としての魅力がしっかりあると考えます。

༺❦柿原 凛☂༻ (2018-10-17):

ふじりゅうさん>コメントありがとうございます。 ふじりゅうさんからも“良いと思います”の感想が!嬉しく思います! 確かに形先行で作ったので多少は調整に時間がかかりましたね……。

なつめなつめ (2018-10-18):

え、すごい。 発想がすごいです。 私にはできません…。 なんだか、先月から私は柿原様をリスペクトしているようです。真似はできませんが…。ライトレスですみませんm(_ _)m

༺❦柿原 凛☂༻ (2018-10-18):

なつめさん>コメントありがとうございます。これまで色々挑戦してきた結果このような嬉しいお言葉をいただけて本当にありがたいです。リスペクトだなんて恐縮です。まだまだ若輩者ですがこれからも宜しくお願いします。

帆場蔵人 (2018-10-19):

労作ですね!ちゃんと構造と言葉が結びついていて、良いですね。上手いなぁ。

༺❦柿原 凛☂༻ (2018-10-19):

帆場蔵人さん>コメントありがとうございます。帆場さんからも”良いです”の感想が!嬉しいです。ありがとうございます!

越独活習作@小説家になろう (2018-10-19):

発想の妙に感嘆いたしました。非常に面白い詩だと思います。短い詩でここまで表現するのはすごいです。 しかし、タイトルで解説しちゃってるやん、とも少し思いました。それで意味が限定的になってしまった。 そうなると、でも半分は星になれてんねやんけ、というツッコミも入れたくなります。 そして「五芒星」という言葉に?が生じます。この単語は神秘的・霊的な意味を持っているので、俗物的な「ぼく」と重ならず、意味がブレる感じがします。 でもこの詩にとっては、野暮でナンセンスな指摘かも知れませんね(わたしの読解力の不足かも)。長くてすみません笑

༺❦柿原 凛☂༻ (2018-10-19):

越独活習作さん>コメントありがとうございます。 タイトルに関しては悩みました。この詩における登場人物って「もうあと一歩でスターになれる人」と「なれそうにないひと」の二人いるのですが、”このままではスターにはなれないよ”という励ましと”僕はどうせスターにはなれないよ”という諦めを自分の中では想定していたので、このような題名にしてみました。たしかに意味が限定的になってしまったのはいけなかったことなのかもしれませんね。気付かせてくださってありがとうございます。 「五芒星」という言葉に神秘的・霊的な意味を持っているというのは恥ずかしながら初めて知りました。五角星形や五光星のほうが良かったでしょうか。それともまた他の言い回しがあったのか。いろいろと考えさせられます。勉強になりました。ありがとうございました!

かるべまさひろ (2018-10-20):

「星」は死のモチーフにも、輝く人生街道のモチーフにも、普遍的に使われていますよね。 発想がすごく素敵なので、なぜ星にたどり着いたのかまで詩のなかで見えてきたら、ぐっときそうです。

༺❦柿原 凛☂༻ (2018-10-20):

かるべまさひろさん コメントありがとうございます。 なるほど、ストーリーをもっと見せられたら良かったということですね。勉強になります!

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-06):

大賞候補作だからしっかり読んでみた。 視覚詩(コンクリートポエム)の名手として海外にて有名な新国誠一にたいし寺山修司は「視覚詩は見てそれで終わるので謎解きのような要素がなくつまらない」と否定的な評価を下している。 しかしそれに対しての反論もある。『新国誠一 works 1952-1977』には図として詩を捉えながらも一眼見ただけでは読み取れない、深く読解しないと辿り着けない内容が視覚詩にもあると実例を交えて記されている。 ☆が右半分だけであるこの詩に対してもただのデザインとしてそのフォルムを見るのか、フォルムがそうであることの理由を探ろうとするのか、どのスタンスをとるかによって評価が変わるだろう。 大賞は「星にはなれないよ」か私の「遺影」かそれとも別のものなのか、勝負じゃーーー!!!

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-06):

論文、本じゃなくてネットに転がってたpdfだったわ https://nagoya.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_action_common_downloaditem_id=19146item_no=1attribute_id=17file_no=1page_id=28block_id=27

༺❦柿原 凛☂༻ (2018-11-06):

渡辺八畳@祝儀敷さん>わざわざ論文まで載せてくださいましてありがとうございました。 まさに賛否両論ですね。ビーレビの方々にはどちらのパターンに映るのか、今から楽しみです。 「遺影」、素晴らしい作品でした。これ好きな感じだなって直感で思いました。同じ土俵に立てるだけでも光栄です。挑戦させていただきます!!

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ill-defined   

完備 
作成日時 2018-10-28
コメント日時 2018-11-06

 

虹彩へ降りしきる抽象的な雪が十分に積もるまで 待つつもりだ それからふたりで と 発語した瞬間に失われる名前と名前 画面ですぐに溶ける雪から涙を 区別すること ふたりの指の表面で こごえる電子の行方見つめて 見つめて 伸びゆく神経はいびつな線路となり ふたりはふたりぶんの切符を買う 切符という音の うつくしさを理由のすべてとして 駅の名前 荒れた手ですくう雪 切れた指でつまむ花 ふたりの近眼が映すあらゆるまぼろしを 詳細に描き留める画用紙 それすらもまぼろし 手は手で洗えばいいが 涙まじりの語りも過つ指輪 外し方は永遠に忘れたままとしても 秋だねと発話した瞬間に今年の雪が見えるから ふたりはラブソングを何度でも 何度でも歌おうと まぼろしの喉にふれる


コメント欄を表示する (19)
完備 (2018-10-28):

お久しぶりです. 他の方の作品へのレスも, 日を改めて行う予定です. よろしくお願いいたします.

完備 (2018-10-28):

「それすらがまぼろし」は, 「それすらもまぼろし」の誤りです. 可能ならば, 訂正をお願いいたします. 不可能であれば, 構いません.

沙一 (2018-10-29):

おひさしぶりです。 切符という音のうつくしさ に、とても共感を覚えました。 ephemera という、これもまたきれいな言葉がありますが、作中のすぐに溶ける雪のイメージと重なります。 そのような儚さを、詩から感じられました。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-10-29):

訂正願い受理しました

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-10-29):

まじでいい詩書きますね~。私は素人なので深いことはわかりませんが難解すぎる語の使用が抑制されて、つらなりのなかで言葉を良いものにしておられる。

変なこと言う人変なこと言う人 (2018-10-29):

初めまして。 「発語」「語り」「発話」を使い分け、時間軸と言葉の発生方法を変えているところが印象強く、素晴らしいと感じました。

じゅう (2018-10-29):

拝読しました。「切符という音の うつくしさを理由のすべてとして」、この表現にロマンの塊を感じてグッときました。

ふじりゅう (2018-10-30):

拝見しました。 詩の中で展開されるあらゆる風景が、全てまぼろし、と片付けられる構成が、世界が不思議ですね。「切符という音の/美しさを理由のすべてとして」が訳もなく好きです。

藤 一紀 (2018-11-01):

おはようございます。 《切符という音の/うつくしさを理由のすべてとして》という詩行、美しいと私も感じましたが、その前の一行があるからなおさらそう感じることができます。だから《ふたりはふたりぶんの切符を買う》という一行は、さりげないけど素晴らしいです。 それから目立たないけれど《荒れた手》《切れた指》《近眼》という語が、まぼろしにリアリティを与えている。技巧ですね。 言葉の映像美を感じます。

みうら (2018-11-02):

完備さんの作品にいつも思うのは、ありきたりな表現は絶対にやらないルールを自身に課すことが良い書き手の最低限の条件なんだよな、ということ。つまり完備さんが投稿される作品を読んで「ああ、こんな作品他にもたくさんあるよね」とはならない。(私が詩をあまり読んでいないのかもしれないが)。それってネット詩へ投稿を続けていると身につくことでもある。いや、なんで私の作品はダメなの?とずっと悩み続けてる私みたいな者もいるが。本作について。難解な美についての抽象表現と詩的なメタと、後半展開されるまぼろしの喉への流れはとても切ない。エモさも完備作品の魅力の一つではなかろうか。

完備 (2018-11-03):

沙一様, 渡辺八畳@祝儀敷様, オオサカダニケ様, 変なことを言う人様, じゅう様, ふじりゅう様, 藤 一紀様, みうら様. コメントありがとうございます. 渡辺八畳@祝儀敷様. 訂正願いの受理, 感謝します. オオサカダニケ様. 「つらなりのなかで言葉を良いものにしておられる」とのことで, 嬉しい限りです. みうら様. 「完備さんが投稿される作品を読んで「ああ、こんな作品他にもたくさんあるよね」とはならない」とのことで, 非常に嬉しく思います.

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-11-03):

俺様の11月の作品読んでみやがれですの(*^_^*) 20秒で格の違いみせたるわ

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-11-03):

情景とかんしょうなんか古すぎてとっくに砂になってるクソやろ。玄人(笑)じじいどもの価値観に合わせてどうすんねん

完備 (2018-11-03):

オオサカダニケ様, ここは文学極道ではないので文学極道のノリでやると普通にアク禁になりますよ. 老婆心ゆえの注意です.

仲程仲程 (2018-11-04):

手は手で洗えばいい おそらく作者の予想外にいいなぁ、強いなぁ、と勝手に感じてます。 前々からある慣用句、あるいは過去作品にも用いてますでしょうか。 いいなぁ。

完備 (2018-11-05):

中程様, コメントありがとうございます. 実はこの作品は, B-REVIEWに投稿後, 改稿を行って他サイトに投稿しました. それはこちらから読めます. http://bungoku.jp/ebbs/bbs.cgi?pick=10847 そして実は改稿の際に, 「手は手で洗えばいい」というフレーズは削除したのです. また, 他のコメントで評判が良かった, 「切符という音の/うつくしさを理由のすべてとして」も「切符という響きを理由のすべてとして」に変更しました. それは私にとって必然的な改稿でしたが, 改稿によって削られたあるいは大幅に変更された詩行を褒められることに, 不思議な感慨を覚えています. 重ねて, コメントありがとうございました.

扇子 (2018-11-05):

読後感が綺麗な印象でした。静謐とした雰囲気を漂わせながら、それでいてさっぱりとしている。世界観が好きです。

社町 迅 (2018-11-05):

おぼろげなこの作品が目の前から流れて消えてしまわないように、何度も読みます。 読みました。 老齢の二人が見えるようです。ですが、部外者の私には本当に二人がそこにいるのか、までは分からない。 ただ、 >ふたりはふたりぶんの切符を買う >切符という音の >うつくしさを理由のすべてとして …という部分で、切符という物、もしくはその機能に縋るようにして、存在の証明を行っているように思います。 駅の名前も雪も花もまぼろしでありながら、その中にいる、ラブソングを一緒に歌う相手がいるということ、それを感じている… 私の読解ですが、素敵な詩だと思いました。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-06):

大賞候補のライバルなので読んでみた 改行の仕方が独特だなという印象。文の途中で切れているというか。それが如実なのは「待つつもりだ」と「見つめて」という動詞が行頭にきている箇所だろう。漫然と書いていたら普通に行末へ配置してしまう。散文とは違った感覚で改行されていることにより黙読のリズムも変化を強いられる。プログレのようだ詩の音楽性というのはこういう所作に宿るのだろう。 しかしその改行も4連目では一般的な感覚のもの(主語と述語が離れていない)になっていて、これが効果的。複雑なことが繰り返された後にストレートな表現がくると人はハッとさせられる。森林を掻い潜った先に見つけた泉のようだ。すーっと文章が入ってきて神聖な心持ちになる。 さぁ、大賞となるのは私の「遺書」か「ill-defined」か、はたまた別のものか。勝負じゃー!

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