B-REVIEW作品投稿掲示板


三途の川   

雨粒あめ子 
作成日時 2017-03-13
コメント日時 2017-09-21

 

川に 三途の川に 私は来た 川は広く 色は薄透明だった どこにも花はなく 空には雲がかかり かなしみは何処にもなかった 死んだ母を探すけれど あまりに広くて 歩き続けていると どっと疲れてきて 会えない 会わない あなたに 会わせてくれない 久しぶりね、と 言われたくて 今年も あなたに 会いたくて 三途の川へ来たのです


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花緒 (2017-03-13):

彼岸を歌った一作でしょうか。しっかり纏まった佳作と読ませていただきました。わたしなんかには書けないお上手な作とは思いますが、あまりにストレートで、ひねりが効いていないとも思いました。わたしはちょっと物足りなく感じました。初読の印象です。

雨粒あめ子 (2017-03-14):

花緒さんへ 初めまして。批評していただき有難うございます。 この作品を書いた日は私の母の命日の二日後で、母の事を思い出し素直な気持ちのまま書きました。 佳作と仰って頂けて嬉しいです。ストレートな感情を描いたあまりに平坦な作品になってしまったのが、花緒さんの物足りなさに繋がったようです。 次は捻りのある描写にもトライしていきたいです。

みいとかろみいとかろ (2017-03-15):

「私」は「会いたくて」と「会わせてくれない」という2つの力にひっぱられています。「私」にかかっている力学の、決して小さくはないはずの負荷。 対照的に、筆致にはむりがなく、舞台にも力みがなく静かです。「三途の川」はほの明るいグレーのような雰囲気で、心理的にも、不穏さを含んだフラットな広がりを感じます。(…花はなく/…雲がかり/かなしみは何処にもなかった)。 あつかわれる素材が絞られ、淡々と抑制のある筆致で、読みやすくまとめられた作品だと感じます。また、舞台や筆致の静けさと「私」における内面的な負荷との対比に気がつくとき、易しい表現のおくに、一層の不安な深みがあらわれるように感じ、おおきな魅力を作っていると思います。

渡辺八畳@祝儀敷 (2017-03-15):

第一連の「川」の字がいい具合に間隔を持っていて升目に水が流れているようにも見える。日本のコンクリートポエムの代表である新国誠一の詩にも川と州の字を使った作品があったなと思いだした。 また四連目はそこそこ密度のある「会」の字が一文字目に並びながらも三行目だけはぽーんとそれが抜けていてこれもまた視覚的な面白さを感じた。 ただ、これは作者の意図して行ったものでは無いだろうとはわかる。であったならば他の連もそういった仕掛けが施されているはずだ。詩の内容自体は深みを見出せない、書かれている綺麗な語句の意味しか感じないが、述べたよう視覚的な面白さはそこに感じた。 文意をわざと崩して、全行に対し第一連のように「川」の字を入れても、それこそ 死んだ川母を探すけれど あ川まりに広川くて 歩き続けていると 川どっと疲川れてきて みたいな感じでやってしまっても面白いかなと勝手ながら思った。

みうら (2017-03-15):

私は、父も母も早くに亡くしておりまして、姉貴も45で亡くなったので、肉親との別れや死についての作品には、少し特別な感情を持って読みます。川というものは、なぜだか、人の生死を想起させる。 それは、なぜだろうかと、改めて考えさせられる、本作『三途の川』。 amagasasasiteさん、投稿有難う御座います。

百均@B-REVIEW ON/ (2017-03-18):

 ストレートな作品で、情感はだからシンプルに心を打ってくる。三途の川へ会いにいくために、多分自分の瀕死の身においてまで会いに行こうとする語り手の覚悟みたいな物。死という断絶が目の前にあって、それがわかっていながらも会いたいと思いつつ会えない。みたいな所の境界線として三途の川が流れている。  普通は死にかけたら目の前に川があるんですが、ここでは死者に会いにいくための三途の川があるという所が、なんともストレートに感情をぶつけてくる詩だと思うので切なさを感じます。確かに三途の川のモチーフが多分皆書いてるはずなので、比較とかやりだしたら多分この詩は埋もれてしまうのだと思うのだけれども(僕も何作か思い当たる物はあります)それでも、語り手の感情が伝える為の三途の川という所が感じられたのが、読めてよかったと思っています。また何作か読んでみたい。

雨粒あめ子 (2017-03-18):

みいとかろさんへ こんにちは。批評して頂き有難うございます。 『私』とは、まさしくこの作品を書いた私自身をさしています。命日から2日経ったまだ拭えぬ不安定な感情を、素直に描きました。 ほの明るいグレーの色に、気づいていただけてとても嬉しいです。 丁寧に読んでいただけたようなので、この詩を書いて良かったです。 どうも有難うございます。

雨粒あめ子 (2017-03-18):

祝儀敷さんへ 初めまして。批評して頂き、どうも有難う御座います。 本当にその通りでして、意図的に技法を使ったわけではなく、たまたま偶然なのです。詩を書いたあとに気づくことも、あるんですね…!(新国誠一さんの詩、調べてみます。) 今の感情を出来るだけ主観的目線で書きました。数日経って改めて読んでみると、もう少し面白げでも良かったのではないか?と多少の悔いはあります。 アドバイスして頂けて、勉強になりました。有難う御座います。

雨粒あめ子 (2017-03-18):

三浦果実さんへ 初めまして。批評していただき、有難う御座います。 そうだったのですね。。。一番身近にいる人との別れにはとても強い痛みを伴います。父とも、今から10年前にお別れしており、また、ペットとの別れも幾度か経験しているのでどうしても身近に死が漂っています。 川は静かなイメジ、三途はこの詩では天国に存在しています。書き終わった時に少しだけ気持ちが落ち着きました。投稿出来てよかったです。 こちらこそ、コメントが頂けて光栄に思います。

雨粒あめ子 (2017-03-18):

hyakkinnさんへ 初めまして。批評していただき、有難う御座います。 私自身が亡くなった母にどうしても会いたくなり、思わず即興的に書いた作品です。 もしも三途の川まで行ったらどうなってしまうんだろう?と、想像しながら。ですが、この詩のなかで私は母に会えませんし、実際に会えません。 書きながら、そして書き終えて、すっきりしたはずなのにやはり切なくてやりきれなくて。 読み応えは余りないかもしれませんし、hyakkinnさんの仰る通り、同じモチーフの中では埋もれると思います。 今後も少しずつ登校していきます。

タムラアスカタムラアスカ (2017-03-21):

これまでのレスを読んでいるので、この詩の「私」がご本人であることを知り、少し悔しいです。 この詩に通うリアルな血の流れをただ見つめるだけしか出来ないことに対しての悔しさ。 ただ、近しい人の死を経験している身として、「会えない」「会わない」と相反する感情が隣に並ぶことについて、寄り添うことができますした。 感想になっているかわかりませんが…

雨粒あめ子 (2017-03-22):

タムラアスカさんへ こんばんは、批評していただき有難うございます。 会いたくて必死に探すけれど会えない悲しみを、淡々と描きました。 読み手の心をくすぐる表現がうまく出来ませんが、これはこれで私の母へ対する思いに向き合えた気がします。 タムラさん、感想を有難うございます。

森田拓也森田拓也 (2017-09-21):

amagasasasiteさん、おはようございます。 僕の親友の奥さんで、ある時期から、蓮の絵ばかりを描かれている方がいます。 川村悦子さんという方です。 この詩を読ませていただいて、その方が蓮の絵を無心で描き続けられている意味を深く教えていただけました。 ひたすらに亡くなられたお母さんに会いたい気持ちが大切に描かれていますね。 詩(芸術)で僕は亡くなられた人とも大切に交感できると思い、信じています。 amagasasasiteさん とても過酷でつらい経験をされましたね。 僕もamagasasasiteさんのお母様のことを祈らせて下さい。 amagasasasiteさんのお母さんは、もう私がいなくてもamagasasasiteさんのことは大丈夫だと安心して、旅立たれたと感じます。 amagasasasiteさんが、これからも詩(芸術)で大切なお母さんと交感できますように。 心から祈らせて下さい。


ようやっと普通の詩を書いてきたと思ったら   

kaz. 
作成日時 2017-03-31
コメント日時 2017-05-09

 

ようやっと普通の詩を書いてきたと思ったら、⚡︎の傷痕をもつハリーポッターに出会ったため、これはもう普通やないやろってことになり、ファンタジー詩を書いたということにしたら、⚡︎が「ベリリウムは細胞組織を破壊します」と口にしたものだからさあ大変、ハリーの針で⚡︎を再び縫い直してそういえば今日やっていたドキュメンタリーで極楽鳥の^_^舞を見たな、細い渦巻き🌀になった極楽鳥の尾をハリーが舌を👅垂らしてじっと見ていた👁バックグラウンドミュージックは『皇帝』、フリードリヒ・グルダの演奏で🎹 ♪♫ 🎹♬ ♩🎶 おとのかたまりが壁に投げつけられてそこは加藤幸子の描いた夢の壁であって夢の壁でなくて 壁では虫が這っていて 壁から落ちた有害物質アスベストを見たら不思議と明日ベストを尽くそうという気に なりゃしねー鳴り椰子🌴ねーよ この🏝取れじゃあアイランド 中国の中の🇨🇳夢の壁の中の国境の中の日本🇯🇵の中のイスラエル🇮🇱の中のパキスタン🇵🇰の中のヨルダン🇯🇴の中のムスダンの中の🇰🇵の中の中の中の方までソウル🇰🇷がイエメン🇾🇪なほどに浸透していてムバラクみたく🇪🇬🇱🇾🇲🇲🇰🇭🇸🇮🇸🇰🇦🇹🇮🇹🇻🇳🇭🇺🇩🇪🇪🇸🇫🇷🇬🇧🇻🇦🇷🇺🇿🇲🇺🇸🇼🇫🇺🇿🇹🇲🇹🇷🇧🇷🇵🇼アパラチア山脈のある三島由紀夫🇳🇴🇸🇪🇨🇭🇵🇹🇨🇿🇵🇱🇺🇾🇲🇳🇹🇭🇲🇾🇸🇬🇵🇭🇮🇳🇮🇩🇮🇷🇮🇶🇸🇦🇦🇫🇰🇪🇿🇦🇿🇼🇸🇳🇨🇱🇨🇷🇨🇦🇨🇺🇦🇷🇲🇽🇵🇾🇨🇴🇦🇺🇳🇿🇮🇸🇮🇪🇱🇰🇧🇩🇺🇦🇧🇪🇧🇾🇳🇬🇩🇿🇽🇰🇧🇯🇸🇴🇳🇱🇬🇷🇦🇪🇹🇻🇻🇮🇹🇰🇹🇨🇼🇫🇿🇼🇻🇪🇺🇿🇹🇯🇹🇳🇹🇹🇸🇨🇸🇾🇸🇿🇸🇧🇵🇲🇱🇨🇳🇫🇸🇱🇷🇪🇵🇦🇶🇦🇲🇵🇦🇶🇸🇲🇼🇸🇭🇰🇲🇴🇧🇱🇳🇺🇵🇪🇳🇵🇲🇷🇷🇼🇫🇲🇲🇩🇦🇿🇳🇷🇴🇲🇫🇮🇵🇷🇲🇦🇲🇺🇲🇹🇲🇶🇱🇧🇲🇻🇱🇷🇷🇸🇲🇼🇱🇦🇱🇸🇲🇸🇽🇰🇴🇲🇹🇴🇯🇪🇰🇿🇮🇲🇬🇬🇬🇵🇯🇲🇱🇹🇳🇦🇬🇹🇬🇱🇨🇼🇬🇪🇧🇮🇫🇴🇨🇫🇩🇲🇬🇫🇨🇾🇬🇺🇰🇮🇦🇬🇨🇩🇩🇴🇮🇨🇨🇨🇪🇹🇨🇻🇭🇹🇬🇲🇬🇩🇪🇪🇧🇳🇧🇿🇧🇧🇧🇹🇧🇦🇧🇲🇧🇭🇦🇲🇦🇱🇦🇸🇧🇸🇩🇿 感受性の祝祭 腐敗性物質 あるいは 朗読の録画 僕らの詩は読まれなければならない 地名論のように 💫 ⭐️✨ そこから派生する「保守」 🌟  そして「革新」 ムーヴメントは常に起こり続ける⚽️⚾️🎾🏐🏀🏈🏉🏓🎱🎳🏸🏒🏑🏏🏋️🏊🏋️‍♀️⛹️‍♀️🏊‍♀️🏄🏄‍♀️🚴‍♀️🚴🚵‍♀️🚵🎽👟🎿🏂💃🚣🚣‍♀️⛵️🏁🏟🥊🥋🤺🤼‍♀️🤼‍♂️🤸‍♂️🤸‍♀️🤾‍♀️🤾‍♂️🤽‍♂️🤽‍♀️スポスポスポーツ‼️ 🚲  🏃‍♀️   🏃 🏳 はっきりさせようじゃないか、今ここで 🏴


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百均@B-REVIEW ON/ (2017-03-31):

kaz.さんへ 百均です。こんばんわ。 投稿ありがとうございます。のですが、、、 kaz.さんは既に二作品投稿されておりますので、本作は投稿受付不可となります。 ですので、四月になったら再投稿されて頂ければ幸いです。。。というと面倒なので、本作は四月の投稿作という扱いにしようかなと思うのですが、それでいいでしょうか? (色々面倒なので特例扱いという感じです) 宜しくお願いいたします。

kaz. (2017-03-31):

あーっ! しまった! すみません。3月が30日までだと思っていました。 来月は1作のみにしますので、今作は来月分にしてくださると幸いです。フライング申し訳ございません。

エイクピアエイクピア (2017-03-31):

愉快な詩ですね。絵文字というか概念や名詞内容などをグラフィックスで表して、大文字のアルファベットの羅列は何なのかと思いましたが。タイトルも愉快な印象を与えるものでした。「普通の詩」が何なのか結構深い意味があるのかも知れません。

kaz. (2017-03-31):

エイクピア様 たぶん、絵文字が全部表示されていない可能性があるように思います。私はアルファベットを一つも使っていないので。よかったらこちらをご覧ください。 https://twitter.com/yuichiminami/status/847820055706451968

どしゃぶりどしゃぶり (2017-04-01):

とてもテンポが良くて、楽しく読むことができました。特に「スポスポスポーツ!!」の語感が気持ちいい。 私的にkaz.さんの作品って難しいんですが、この作品は確かに「普通の詩」に近いというか、ストレートというか、絵文字のチョイスもいつもよりユーザーフレンドリーだと思いましたし、田村隆一とか大岡信が出てきて、「保守」から「革新」、ムーブメント、そしてスポスポスポーツ!!という流れに抒情を感じました。形式と抒情のバランスがいい感じです。

kaz. (2017-04-01):

ありがとう。スポスポスポーツというのは、スポーツに対するアンチテーゼではあるんですよね。スポーツというのは天才によって営まれるある種の芸術作品のようだと感じます。

まりも (2017-04-02):

アルファベットの羅列は人ゲノムか?とか、スポーツのところに□が沢山並んでるけど、これは何だ?と思ったら、全部「絵文字」だったんですね・・・ emoji が wasabi や sushi と同様、国際的に認証されつつある、と聞きますが・・・互換性の問題とか、解決されなければならない問題が多すぎるようにも思います。 たとえば、様々なスマホにデフォルトで入っている(こういう使い方でよいのか?)絵文字を順番に連打していく、それを詩として提示する、というのは、たとえば「偶然性」を選択したことになるのか、どうか、とか・・・ ネットに接続すると、「感受性の祝祭」である現代社会(ネット空間)の中をさまよっているというのか、情報の海に放り出されている感覚になるのだけれど、そんな圧倒される量感のようなものを、言葉遊び的に、ちょいとひとひねり、というような、組み伏せるというほど大げさではなく、手元で操作してみせる、というような・・・なんだろう、ネットに溺れている者を尻目に、サーフボードですいーっとすべっていっちまったぜ、おい、的な感覚になる「詩」でした。 「詩」とカッコに入れたのは、互換性のある、つまり、創作者と読者とが同一条件で読める、という前提のもとに「文字の芸術」としての詩を投稿する場所だよね、という前提条件があるわけで・・・これは、同じ土俵で勝負していることにならないのではないか?という感覚があるから、なのですが・・・ プロレスとかで(ほとんど見ないけど)場外から乱入してみるとか、ロープの上から飛びかかってみるとか、そういう「イレギュラー」をむしろ見せ場として用いて、観客を楽しませる、その感じに近いのかな、とか・・・ 『地名論』批判、を意図しているのですかね、これは・・・。詩史の上では「でかい出来事」となっているけれども(そして、アンソロジーなどには、必ず引かれる、けれども)いわゆる、ある一時期、話題になったもの、の代表作一例、というような感じ、なのかな・・・ 「おとのかたまりが壁に投げつけられて」こういった表現(状態、感覚)を、もっと掘り下げて行って欲しい、というのが現段階での感想です。

kaz. (2017-04-03):

まりもさん、どうもありがとう。この作品にかんしていえば、私は偶然性に委ねたというよりは、はっきりとした意図をもって書いていると思います。『地名論』批判、という意図はなく、むしろ地名論に対するリスペクトから生まれている(それを批判として読まれることはあり得るとしても)ことについて言及しておこうと思います。むしろ、この詩においてはあらゆる国旗が詩篇に含まれてあることが重要で、大岡信の地名論では水が起点となって詩行が展開されていましたが、こちらではスポーツを起点として展開していたつもりだったのです。

花緒 (2017-04-07):

本作においては、いくつかの絵文字がわたしのパソコンでは正しく表示されてはいない。加えて、例のごとく、ちゃんと読めたとは思いにくい作品だ。正直に言って、絵文字の連打によって各国の差異を消失させるような表現がやりたいのか、あるいは、差異のあるものを並べ立てて感受性の祝祭だと言いたいのか、あるいはどちらでもないのか、基本的なことさえ、わたしにはよく分からない。しかし、その上でいうが、この作品はB-REVIEWとしては推すべき作品なのだろう。B-REVIEWでしか掲載しえないような作品形体であるし、新しいことをやろうとしていること自体が素晴らしいし、何はともあれ、インパクトが強い。

kaz. (2017-04-12):

花緒様 ありがとうございます。エラーさえも作品化しているのだ、と好意的に捉えてくだされば幸いです。

百均@B-REVIEW ON/ (2017-05-01):

勢いがある。し、「スポスポスポーツ!!」は面白い。こういうやけくそ感は大好き。「はっきりさせようじゃないか、」というオチもなんか決まってる感じがする。 本作はスマフォから見ると結構面白いし、そういう意味で読後感は爽やかだけど、何してんのか、というのは割とさっぱり訳わからん。という感じかなぁ。感覚で流す感じならギリ付き合えるという感じです。 細かく見ていくと、 >感受性の祝祭 >腐敗性物質 >あるいは >朗読の録画 >僕らの詩は読まれなければならない >地名論のように ここはちょっと面白いかもしれない。地名論っていうのが僕には分からんのだけど、なんか興味がありますね。それが「読む」という行為にひっついているというのが、ちょっと意外なのかもしれない。 普通の詩とはなんなのか、というと、取り敢えず声から始まるものなのかみたいな所から攻めてもいいし、そこから絵文字は「読める」のかという感じで読んでもいいかもしれないけど、どうでしょうね。まぁ、僕がkazさんの作品にある意味での慣れを感じてしまっているのも大きいかもしれないけどね。

kaz. (2017-05-09):

百均様、コメントどうもありがとうございます。この詩が既存の「地名論」、先日先立たれた大岡信さんの『地名論』へのオマージュであることは言うまでもないことなのですが、私のブラウザから見ても絵文字が上手く表示されてはおらず、「お前は何がしたかったんだ」と言われても仕方がないかもしれません。スマートフォンから見ますと、国旗がずらりと並んでいるのですがね。大岡信さんはいつノーベル文学賞を取ってもおかしくない人だと私は考えておりました。仮に候補に挙がっていなかったとしても彼の残したものは非常に、非常に大きかったと思います。ヴェネチアから札幌に至るまで彼の詩的想像力は駆けめぐりました。水から辿られるその地名の記憶、それが示すもの、そう、彼こそがまさに、世界の中の詩人だったのです。


   

湯煙 
作成日時 2017-03-31
コメント日時 2017-05-01

 

伏し目がちな女 がおれをみる 漆黒のダイヤ 完全な円を描き たたずむ 瞳孔の耀き 潤む その麗しさ 魅力的だった 心から欲した 抱きしめあった 逢うたびに おれは あの日だ この腕を抜け 女は 地に伏した 声もなく 人気のない 林のなか 湿る土塊に おれの足元へ おれをみつめ ひっそりと 抱き起こし そしておれは 呼び掛けた 鼓動は聞こえず 一切を返さない 瞬時のことだ 幕切れは あっけなく 女に寄り添い おれは 冬晴れの空 たたずむ 木立


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もとこもとこ (2017-03-31):

愛した女性の、突然の死……という形式をとってはおりますが、実際はどうなのでしょうか。現実は、突然に心変わりした女性に戸惑う語り手の物語なのかも知れません。そんなことを考えてしまうのは、読み手の問題なのであります。

花緒 (2017-04-01):

湯煙さん、投稿ありがとうございます。3月は3作目のはずなので、これは4月分投稿作として扱わせて頂きます〜。また、読んでから出直してきます。はい。

湯煙 (2017-04-02):

◆もとこさんありがとうございます。そうですね。なんらかの理由で愛別を迎えますが、その時なり心なり、とらえることのできないなにかといいますか、についてという感じになりますかね。 ◆花緒さんありがとうございます。すみません。チョーシこいでいたんでしょうか、気づかずにいました _。 はい、そのようにして頂いて結構です。お手数おかけします。 よろしくお願いします 。

まりも (2017-04-05):

黒い瞳、という歌があったなあ、と思いながら・・・ 子猫ちゃんの真ん丸な黒い瞳、を連想し・・・夜に出会ったあやかしの魅力をたたえた存在、をイメージしました。 おんな、としか思えないほど、しっとりとなついて馴染んで・・・誰よりも身近に居てくれて、自分の悲しみも苦しみも全部、黙って、その目に吸い込んで見守っていてくれた、そんな愛猫が、今はもういない、という空虚感。凍てついた青空に、ペンで乱暴に描き殴ったような裸木が林立している寒々しさを想いました。 言葉の切り方(語尾の余韻)、寡黙で無駄を省いたストイックさが凛々しい文体。

渡辺八畳@祝儀敷 (2017-04-05):

シンプルな詩だなってのが感想だが、 「 漆黒のダイヤ 完全な円を描き 」 の部分、ダイヤは女の眼球だろうか。沈むように真っ暗な目が、しかも完全な円。並の愛しの女だったらこんな不気味な、精気も感じない目をしていない。それがこの詩を単なる悲愛として流されてしまうのを阻止している。

湯煙 (2017-04-07):

◆まりもさんありがとうございます。映画作品など様々にカバーされている有名な曲ですね。町田康の猫本など見ると猫の目はやはり吸引といいますか、こわいほど魅力があるなと感じます。 散文の形式から変更したのですが、指摘してくださっている点などからこちらがよいかとも思いますが、ドラマチックすぎる感がなきにしもあらずですね。 ◆祝儀敷さんありがとうございます。そうですね。不気味な印象があります。タイトルからわかりやすいかと思うんですが、目-女ですね。単なる悲愛でないところをというのはあるかと。

百均@B-REVIEW ON/ (2017-05-01):

 湯煙さんは個人的には流暢な散文で書くイメージのほうが、勝手に面白いと思っている印象が引きずっているからかもしれないんですが、結構ちぐはぐな印象がまず一番上にくる。その上でも思うのは、ちゃんと最後「木立」という形できっちり余韻を作っている所がなんだかんだいって心に残る事でしょうか。この一点については個人的に評価したい。僕がこういうリア充みたいな感じの思い出がないからか、前半は「なんか渋い恋愛だぜ」という感じで終わりですかね。良くも悪くもオーソドックスな作品かなと思います。


はるの雨夕   

雨粒あめ子 
作成日時 2017-03-25
コメント日時 2017-04-29

 

すーすー、すとん、サー 雲が終わりを告げ 素直にずるり降り始める雨 リュックが濡れる上着の端が濡れる冷えた指先に雫の破片が付着する 風が言うよ あいしてる 足が痛いよ ギシリと (きっとそれだけで良かったんだ。 あなたを思い出せば泣くはずのこの前頭葉から一切流れぬ あまい水は 一切 流れず (かなしいのですが。 つめたい、風。 邪悪な、幻聴。 誘惑・・・・余命。 濁りあまつぶは 天気予報がほんとうにただしくうごくのであれば 明日の夕方ぬるくなり、燻った私の全身を黒く塗り潰すそうだ。


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黒髪 (2017-03-25):

悩みがある、苦しみがある、将来への不安がある、といった心情なんだろうな、と思います。それらは、未来からやってくる ものだから、天気予報によって、先回りして予測するといった形に、この詩でも、なっているのかな、という感じです。 先先と進んでも、良くなるのか悪くなるのかわからないことへの不安。そういったことを、例えば余命といった、取り扱いの 難しい言葉で、けっこうストレートに表現されているように思います。 最初の行の、オノマトペは、綺麗で、ユニークな表現になっています。(そうそう、辞書を引いて知ったのですが、擬声語、擬音語 だけではなく、擬態語というのもあるそうです。びっくり。)

まりも (2017-03-25):

オノマトペから始まって、一気に言いつのるような焦燥感のある一行の呼吸。 ずるり、という言葉の醸す不穏なムードは、びろうな表現ですが月経中の血の塊が降りる感覚を連想しました。実らないまま流れ去って行くもの、のイメージ。 詩脚をそろえた甘めの二連目は、このまま感傷的なポエムとなるのか、と思わせて、ギシリ、というこれまた不穏な音を入れて、更に前頭葉という術語を持ってくる。 余命という言葉の重さは、自分もしくは愛しい人(大切な人)が、今、まさに命を失おうとしている、そのことに対する思いの重さを背景に有している言葉であるように思うのですが・・・この作品全体から感じるのは、春雨のムードにのせた、失恋の感傷のような、若さやみずみずしさの感覚。 私の読み取りが間違っているのか、あるいは「余命」という言葉をカッコよさで選んでいる、のか・・・そのあたりの判断に迷う作品です。

百均@B-REVIEW ON/ (2017-03-30):

 雨をモチーフにした作品っていうのを結構僕がここで読んできてしまっているので、結構厳しい読み方にどうしてもなってしまいます。上手くそこらへん客観的に読めなく申し訳ないです。押し付けがましいレスになってしまったらすいません。  最初のオノマトペの意外性から雨に引きずろうとしている点、句読点のない詩行から、愛する事の苦しさに二連から繋がけていこうとする点などが好印象でした。言ってる事が伝わる。けれども説得力という意味での表現力が一連でピーク。そこから以降が、一連のイメージの解説になってしまい、読んでいて一歩面白くなっていかない感じがします。  前頭葉など、色々語彙を重ねていくなかで見えてくる物もあるのですが、難しいですね。

雨粒あめ子 (2017-04-29):

黒髪さんへ 全体的に、暗い詩を書こうとして書きました。天気予報と雨を使って不安定な心を表現しようと試みましたが、書きながら難しく頭を悩ませました。 オノマトペは初の試みです!

雨粒あめ子 (2017-04-29):

まりもさんへ ずるり、から月経をイメージして頂けたとは、私にとって意外です。改めて読み返すとそうも捉えられますね。 全体的にみて、重たい詩を書こうとして書いた作品です。余命という言葉は、かっこよさで選んだこともありますが、直感的に浮かんできたので使ってみました。 難しいですね…。

雨粒あめ子 (2017-04-29):

hyakkinnさんへ 初めの一連がうまくいっているんですが、最後まで読ます事に欠けてしまいました。(改めて読むと、うーん…と私も思いました) オノマトペは楽しんで書けたので自分でも満足していますが、やはり雨をモチーフとした詩は何度書いても難しいです。。。


迷子のお知らせ   

タムラアスカ 
作成日時 2017-03-22
コメント日時 2017-04-21

 

街を歩く私だけが裸で 服も下着も身につけていない 友達、家族だと認識している人の顔は見知らぬ他人 川沿いの道に生まれたての赤ん坊が10体くらい並んでいる 立て看板には書き殴った文字で「青空保育」 監視している老人が一人 ふすまをぶち抜いて長屋みたいな和室が繋がる家に 研修中みたいな若い住職がおつとめに来ている 細長い高層マンションの屋上から幟をかける体格のいい人が 雄叫びを上げるたびにそのマンションがぐらぐら揺れる あの人だいじょうぶ?と私は問う 隣にいた知らない身内は彼をチラ見するだけ 私は恥ずかしいから胸を隠す でも服を着ようとしない 壊れたラジオみたいなお経が聞こえる 細長い和室に人が詰まっている 赤ん坊が泣いていたり お菓子の食べかすが散らかったりしている 友達が眉を描くことに集中している 息苦しくなって外へ出る 胸を隠しながら歩く 服を探している 服を探している 恥ずかしいのに服が見当たらなくて 諦めつつ、友達や家族と商店街を歩く 知らない顔をした彼らは気さくだ 私は笑う 仮想現実は理想郷とは限らない 私は笑う 裸で笑う


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もとこもとこ (2017-03-22):

つげ義春の「夢日記」のようであり、ネット内にある仮想の街での出来事のようでもあります。でも考えてみたら、両者にそれほど大きな違いはないのかも知れません。語り手は弘岳栗高のマンガに出てくる女の子みたいに(何で知ってるんだよ)裸で街を歩き回りますが、なぜか気にするのは胸だけです。「下は良いのか?」と気になるのは、あくまでも親切心からです。変な意味はありません信じてください。 詩のラスト近くで、ああやはり仮想現実の話なのかなと思いますが、そうであれば「裸」でいるというのはこうした場でどこまで自分を晒せば良いのかわからないという戸惑いの象徴なのかも知れません。確かにSNSなどにおいては、相手との距離感を見誤って失敗することが良くあります。現実にも仮想現実にも、それぞれに苦労はあろうのでしょうね。

タムラアスカタムラアスカ (2017-03-22):

もとこさん> コメントありがとうございます。 この詩をつくったのは去年の確か晩夏だったと思います。 この頃に限らず、わたしはしょっちゅう表現について戸惑っていて、ネットとの付き合い方も上手いほうではないので、そんな戸惑いが漏れてしまっているのかもしれません。 読んで下さった方がそのような感触を得るのですから、そうなんでしょうね。 個人的にとても大きな課題です。自分との戦いです。自己表現の表現方法。 ありがとうございました。

花緒 (2017-03-22):

夢分析で、裸で歩く夢というのは、自分の隠していた本性が現れてしまう恐怖を表す、と聞いたことがあります。本作、夢の中の一幕のようでありながら、現実と地続きでもあるような光景が描かれており、独特のリアリティがあります。他方、仮想現実は理想郷とは限らない、という、手の内を晒す一文を後半に置かないと十分に成立しない作品であるように思われるポイントに、本作の弱さがあるような気がします。わかりやすいですが、ちょっとインパクト不足、という印象も受けました。初読の印象を綴るライトレス。

タムラアスカタムラアスカ (2017-03-24):

花緒さん> コメントありがとうございます。 インパクト不足、確かにそうですね。 戸惑いのまま、考えることを避けて書くと、インパクトからどんどん離れていくと思います。 わかりやすい、弱い、といったご感想もまさにその通り、稚拙さが浮き彫りです。 ありがとうございました。

渡辺八畳@祝儀敷 (2017-03-25):

やはり夢の内容みたいだという印象を他の方も思ったようですね。 「ふすまをぶち抜いて長屋みたいな和室繋がる家」を軸として各場所へ、その間にある道程を無しに繋がっているところがまさに夢だ。「青空保育」という字面も。夢のなかには時々文章がでてきて割と起きてからも覚えているものだ。

タムラアスカタムラアスカ (2017-03-25):

祝儀敷さん> コメントありがとうございます。 レスをくださった方々がみな、この詩を夢の内容だと捉えられたのは爽快でした。 ありがとうございました。

なかたつ (2017-03-25):

 自分にとって恥ずかしい行為とはどんなものがあるのでしょうか。  裸であることは恥ずかしいことです。そこで、「私は恥ずかしいから胸を隠す」のでしょう。でも、それは見る対象と見られる対象との関係性によって、同じ行為でも恥ずかしいかどうかはかわりません。僕はそうですが、家の中での様子と外での様子は全く違いますし、家の中での様子は恥ずかしいから外では見られたくないです。  タイトルの「迷子のお知らせ」というのは、言い換えれば、私と他者との関係性のリセットを表現しているように思えました。「友達、家族だと認識している人の顔は見知らぬ他人」となることで、裸であることが当初は恥ずかしかったものの、そうなった世界に対して受け入れることで、結末の「裸で笑う」ことを導くことができたのでしょう。  この作品で出てくる登場人物をいくつか挙げると、「監視している老人」「研修中みたいな若い住職」「幟をかける体格のいい人」など、何となく権威のようなものを感じさせる人がいくつか登場します。こうした人たちは、関係性を持っていなくとも何となく私との距離感を感じさせるものであり、それと同時に勝手な価値を付与することができます。逆に、私は迷子になったことで、今まで関係性を持っていた友達や家族との関係性をリセットしております。  一般的に言えば、大人は迷子になりません。そして、生まれたての赤ん坊は服を着ていません、裸です。「私」は迷子になったことで、関係性をリセットするだけでなく、幼稚性を纏ったのではないのでしょうか。その幼稚性を纏うことで、感情も理由もなく、ただ最後に残ったのが笑うという行為に繋がったのではないでしょうか。

まりも (2017-03-25):

「友達、家族だと認識している人の顔は見知らぬ他人」この怖さ、尋常ではないですね。生まれたての赤ん坊、これは複数の自分自身であるように思いました。家族にすら、様々な仮面を(その時々のTPOにあった服や身なりも含めて)つけて接している私を、素の状態に戻したような・・・しかし、そのたくさんの「私」は、夢の中ですら監視されている。ユング的に云えば、老賢者であるはずの老人、によって・・・。 胸を隠すのは、恥ずかしいから、なのかな・・・授乳拒否、幼児である「私」を、育てる(大人にする)ことを拒否していることの現れであるようにも思われました。 いずれにせよ、「仮想現実は理想郷とは限らない」ことを十分に意識しながら、しかも、素顔でそこにいる身内や家族、友達が、見知らぬ者に見えるほどの距離感を感じながら、自分は素のままでそこにいる。そんな作者の立ち位置が見えるように思いました。

黒髪 (2017-03-25):

迷子、ですか。女性特有の感覚だと思います。一応、文章は、書けていると思いますが、その、迷子になってしまった きっかけが、どこかに書いてあるとよかったかもしれません。どこへ向かいたいか、あるいはわからないか(これでしょうね)、 どこか、生きることに意味が見出せない恐怖が、感じられてくるように思います。誰かがきっと、服を着せてくれるでしょう。 そうでなければ生きている意味がない。

タムラアスカタムラアスカ (2017-03-26):

なかたつさん> コメントありがとうございます。 書いた時には知りえなかったことが、レスによって輪郭を示された気がします。出てくる人物について特に深く考えず書いたと思うので、ハッとさせられました。 ありがとうございました。 まりもさん> コメントありがとうございます。 この詩は戸惑いの中で書いたものですが、身内を含めた他者との距離感についてなど無意識に不安に感じていたのかもしれないと、皆様のレスポンスにより気付かされたように思います。 ありがとうございました。 黒髪さん> コメントありがとうございます。 おそらく「わからない」のだと思います。生きることについてよく考えたりするのですが、そういった個人的なものを作品から遠ざけようとすればするほど明るみに出るのだということが、この作品を投稿しレスポンスを頂戴する中で実感しました。 ありがとうございました。

kaizen_nagoyakaizen_nagoya (2017-04-21):

「服を探している」アスカもいい。きっと今はそうなんだろう。「服を作り始める」アスカも読みたい。きっと羽を持った服か、翼を持った服か、空中線(アンテナ)のたった服か、自分では創れない服が造れるような気がする。

タムラアスカタムラアスカ (2017-04-21):

kaizen_nagoyaさん> レスありがとうございます。 この詩をつくってから半年以上が経ちますが、まだ、自分に似合う服がわかりません。 似合わないものを着るのもまた詩でしょうか。 そのあたり、詩は開放的だと思います。 わたしがどんな服をつくり、着て、ランウェイあるいは街を歩くのか、あたたかく見守って頂けたら嬉しいです。 ありがとうございました。

田中恭平田中恭平 (2017-04-21):

正直、あまり好みな作品でなく、夢としては理路整然とし過ぎています。 私が落ち切った三十のおっさんだからかも知れませんが 新宿歌舞伎町辺りにはこういう光景が普通に広がっているのではないでしょうか。 内容に比して、筆致が美しすぎる点も気になります。 裸が魂そのものならば、もっと胸にぶつかってこないようではいけないようにも思います。

タムラアスカタムラアスカ (2017-04-21):

田中恭平さん レスありがとうございます。 まず、好みでない作品に対しコメント下さったことに感謝します。 そして、田中さんを始めレスを下さった方々がこの詩を「夢の内容」だと捉えていらっしゃることがとても面白いです。 さらに、自分では意識していないにもかかわらず、つくった当時の自分の精神状態がダラダラと漏れていることに驚いています。 ご指摘、しっかり受け止めたいと思います。 ありがとうございました。


今日も、ちいろはめでたく赤   

奏熊ととと@所詮詩書き 
作成日時 2017-03-13
コメント日時 2017-04-19

 

傷口が言ったことが酷いんだ 「いくら悲しい君でも血の色は派手なんだよ」ってね 平日も黒が似合う人達は赤い服着て肌纏う だから、肌に二色のボールペンが浮き出るんだ それなのに、ヘモグロビンは「明日、虹になるんだ」と言った 願いが叶いました技術のごり押しで そして時代は平成の次、切腹すれば七色の液体 リストカットなんて物足りない 首つるなんて勿体無い 交通事故なんて柄じゃない でも、いつかあの色を忘れるだろう いや、忘れているわけじゃない 元々が七色だったんだ マンモスだって、原始人だって、神だって 紫色の悲しみを 紺色の絶望を 青色の哀愁を 緑色の優しさを 黄色の希望を 橙色の眩しさを 赤色の闘争を 持っていて失くしてしまった だから、手首が言ったのさ 「赤色が派手すぎる」って だから、血脈は言うのさ 「闘争と哀愁しかないんだよ」って リストカットした 今日も、ちいろはめでたく赤


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奏熊ととと@所詮詩書き (2017-03-13):

3月の二作目になります。

花緒 (2017-03-14):

わたしは、この作者の投稿作の中で、本作が一番、優れているように思いました。読みやすいです。前作に引き続きの擬人化ですが、今回の方がすっきりしていて良いように思いました。7色の連打も良いと思います。全体的に音感が良くて、テンポよく読めます。 なお、最終行がタイトルっていうのが、若干どうかなっていうのは思いましたが。一種の出落ちになってしまいますからね。

百均@B-REVIEW ON/ (2017-03-18):

>肌に二色のボールペンが浮き出るんだ ここが面白い。動脈と静脈という風に理解すると、仕込まれた幾つかの比喩がほどけていく感じがします。 >紫色の悲しみを >紺色の絶望を >青色の哀愁を >緑色の優しさを >黄色の希望を >橙色の眩しさを >赤色の闘争を >持っていて失くしてしまった >だから、手首が言ったのさ >「赤色が派手すぎる」って >だから、血脈は言うのさ >「闘争と哀愁しかないんだよ」って >リストカットした今日 >も、ちいろはめでたく赤  虹の色から来る、性質みたいな物を人間に符号させていくと、人間の持っている色というのは赤と青だね、みたいな所に繋げていくという発想が面白い。リストカットみたいな所に絡めていくと、多分リストカットには浅く静脈しか切れない場合と、深く切ってしまう場合と二つあると思うんですが、そういう所に絡めていくと、また違う作品の顔が見えてくると思いました。とととさんの作品は勝負しようとしてる、気概が伝わってくるような、見せ場を持たせた作品が多くてそこが好きです。

まりも (2017-03-18):

ごくさりげない一行目・・・に油断すると、良い意味で裏切られる。 平日も黒・・・喪服/フォーマル(型にはまった、形骸化した)/地味 な人たちが、 〈赤い服着て肌纏う〉語感やリズムがいいのに、赤(アンデルセンの赤い靴とか、古いかもしれないけれどコミュニストたちとか、華やかな祝着、赤子、命の色)の多義性の中に迷い、しかも「肌纏う」という不思議な用法・・・自分の意思で身に着けるのではなく、肌が勝手に纏う、感じ。 だから、という接続詞は、散文的になるから避ける、というのが「定番」ですが、この詩の場合、語り手にとっては「当たり前」「当然」の論理であるにも関わらず、読み手にとっては「以外」「想定外」「新鮮」な論理なので、上手く活かされた接続詞だと思いました。 虹色が七色の伏線となり、物足りない、勿体ない、と言葉遊びのような軽さに逃がしながら自死願望(裏返された生への渇望)を述べ立てて、〈マンモスだって~失くしてしまった〉という、ユーモラスでありながら、人類普遍の感情のところにまで持って行くスケールの大きさ。 人間が人間らしさを失ってしまった現代、その現代に生きる生き辛さをリストカット、という「抵抗手段」「闘争手段」でしか表明できない・・・そんな若者の心情を代弁しているように思いました。 テンポの良さ、ユーモアや軽さの配合具合、堅固に全体を固めるのではなく、あえて隙間というのか、息抜き場所を用意しているような全体の作り、無駄のない詩行など、技術力の高さも印象に残りました。

奏熊ととと@所詮詩書き (2017-03-21):

花緒さんへ ーーーーーーーーーーー 今回は難解な部分を全て排除してわかりやすく書こうというコンセプトで書きました。おそらく私の難解なところは私自身しかわからない部分があり、また矛盾があったのかもしれません。 最後のタイトルですが、本来タイトルにしようと思っていたフレーズが最後のフレーズと見事被ってしまったことが原因です。 百均さんへ ーーーーーーーーーーーーーーーーー 実はと言いますとこの二色ボールペンのくだりは私はあまり言葉として自分は最後まで納得のいかない部分がありました。 なぜなら、二色のボールペンはあまり存在しないのでここでは三色ボールペンという形で「黒を無くした三色ボールペン」という書き方をしようと思ったのですがその上の文 >平日も黒が似合う人達は赤い服着て肌纏う ここで黒を使っているので重複を避けたいという意味でしぶしぶ二色ボールペンという意味を使っていました。血脈==ボールペンの思い付きはボールペンで手首に傷がついた時出ました。 >=「虹の色から来る、性質みたいな物を人間に符号させていくと、人間の持っている色というのは赤と青だね、みたいな所に繋げていくという発想が面白い。」 ここの発想は二色ボールペン(赤と青)と七色を書いた後、じゃあ面白そうだからここでこの二つの意味を繋げてみようという思いで書きました。 まりもさんへ ーーーーーーーーーーーーー {平日も黒・・・喪服/フォーマル(型にはまった、形骸化した)/地味 な人たちが、 〈赤い服着て肌纏う〉語感やリズムがいいのに、赤(アンデルセンの赤い靴とか、古いかもしれないけれどコミュニストたちとか、華やかな祝着、赤子、命の色)の多義性の中に迷い、しかも「肌纏う」という不思議な用法・・・自分の意思で身に着けるのではなく、肌が勝手に纏う、感じ} 平日の黒はまさに喪服(スーツ)です。この場合の赤はまさにその通りでして、肌纏うという部分は赤を着ているのに肌で纏い隠している人間の不思議を理解していただけたら嬉しいという意味でこのような書き方になりました。 {だから、という接続詞は、散文的になるから避ける、というのが「定番」ですが、この詩の場合、語り手にとっては「当たり前」「当然」の論理であるにも関わらず、読み手にとっては「以外」「想定外」「新鮮」な論理なので、上手く活かされた接続詞だと思いました。} この論につきましては嬉しい限りでありまして、私が「だから、」を入れた理由は「語り口調を意識したかった」からです。この詩は文よりかは読む声を意識したもので、ある意味「常識的安定した殺人ウイルス」と似ているようで全く違う点は音読する文なのか、黙読する文なのかという部分です。 {虹色が七色の伏線となり、物足りない、勿体ない、と言葉遊びのような軽さに逃がしながら自死願望(裏返された生への渇望)を述べ立てて、〈マンモスだって~失くしてしまった〉という、ユーモラスでありながら、人類普遍の感情のところにまで持って行くスケールの大きさ。} この七色の血を書くときは生を意識しながらおちゃめに書こうと意識して書いていたので、そのとおりでして、「マンモス~」の下りは私がよく好きで用いる。マンモス(今回で二回目の出演となります。) マンモスをよく用いるのは子供も知っていて、かつ、本物は見たことがないからです。 {テンポの良さ、ユーモアや軽さの配合具合、堅固に全体を固めるのではなく、あえて隙間というのか、息抜き場所を用意しているような全体の作り、無駄のない詩行など、技術力の高さも印象に残りました。} 私はいつも詩に対して心がけていることは「おもちゃ箱のように、お子様ランチのような、サーカス」のようにお茶目にかつ、読者にどう楽しませようか、どのように盛り込もうか、どう面白くしてやろうかということを考えています。しかし、そのようなことをしてしまうと、自分のポエトリーを失ってしまう可能性が高いのですが、自分は読者にわくわくすることがポエトリーと思っているので仕方がありませんが、そのような性質です。 でも、まりもさんがそのように思っていただいて私は嬉しく思います。 ですが、残念ながら今回で擬人化の詩を一旦止めます。また詩のスタイルを変更して、飽きがないものが作りたいので新たな挑戦をしてみたいと思います。

るるりらるるりら (2017-03-21):

はじめまして、 まず 単刀直入に感想をば、「清々としました。おみごと 鮮やかです。」 鮮明です。 【今日も、ちいろはめでたく赤】 という題名ですが、【血色】ではなく【ちいろ】 ちひろという人名がありますが、それに近い印象を 個人的には持ちました。 肌に二色のボールペンという表現から、動脈と静脈の循環器系の模型のような図が浮かびました。 きっつきつの厳しい心情をのりこえるには ポップなデフォルメと クリアーな切り返しが必要かもしれません。 心に虹をまといたいものだと、思えました。 にぶい心情吐露の作品が ネット詩には多くあります。 わたしの場合は読者として読んでいるだけなのに 詩の持つ負の印象に気分が めいってしまうこともありますので、 わたしはこの詩を 常備薬のように メモさせていただこうと思います。 私にとって この詩は お薬のような詩です。ありがとうございました。

もとこもとこ (2017-03-22):

田中恭平さんの「石の眼」へのコメントでも書きましたが、「血は赤いもの」というお約束に対して「エヴァ」の「BLOOD TYPE:BLUE」や、その元ネタである「ブルークリスマス」における「青い血」は、「人でないもの」の象徴として扱われていました。ところがこの作品では、いきなり「原始、血は七色であった」と書かれています。まさに平塚らいてうもびっくりであります。 七色の血にそれぞれ込められた意味の解説は、「Aは黒、Eは白、Iは赤……」と主張したランボーの「母音」を連想させます。ただ、ランボー君に比べてこの詩における色の意味付けは、いささか平凡すぎる気がします。「赤色の憂鬱」とか「青色の情熱」みたいに、読者のイメージを裏切る乱暴な展開の方が面白かった気がします。ランボーだけに。最後のオチは、なかなか上手いと思いました。

奏熊ととと@所詮詩書き (2017-03-22):

るるりらさんへ ーーーーーーーーーーーーーーーーーー {【今日も、ちいろはめでたく赤】 という題名ですが、【血色】ではなく【ちいろ】 ちひろという人名がありますが、それに近い印象を 個人的には持ちました。 } {血色}と書くと「けっしょく」と読みこの題目事態がダメになってしまうため、このように(ちいろ)と表記させていただきました。 {わたしはこの詩を 常備薬のように メモさせていただこうと思います。 私にとって この詩は お薬のような詩です。ありがとうございました。} ありがとうございます。別のサイトですが、よく私の詩を携帯プレイヤーに入れて持ち歩きたいと言われたことがあります。衝撃的な詩ではなく、ふとまた読んでほしい詩をこれからも頑張ってみたいと思います。 もとこさんへ ーーーーーーーーーーー {田中恭平さんの「石の眼」へのコメントでも書きましたが、「血は赤いもの」というお約束に対して「エヴァ」の「BLOOD TYPE:BLUE」や、その元ネタである「ブルークリスマス」における「青い血」は、「人でないもの」の象徴として扱われていました。ところがこの作品では、いきなり「原始、血は七色であった」と書かれています。まさに平塚らいてうもびっくりであります。} 七色に至った理由は なぜ殺人が暗いものなのか なぜ血が出ることが悲しいことなのか という部分に至り、1色だからという答えで書きました。確かに無茶苦茶な発想なのかもしれません。 {七色の血にそれぞれ込められた意味の解説は、「Aは黒、Eは白、Iは赤……」と主張したランボーの「母音」を連想させます。ただ、ランボー君に比べてこの詩における色の意味付けは、いささか平凡すぎる気がします。「赤色の憂鬱」とか「青色の情熱」みたいに、読者のイメージを裏切る乱暴な展開の方が面白かった気がします。} あー、そうですね。そこは平凡過ぎたといいますか、逆に臆病になっていたのかもしれません。というのも一般読者が理解できるのか言わば大衆が理解できるかという部分で書きました。 センスで言えばここは平凡になりますね。 ここで裏切ると大丈夫かなという部分が中途半端な結果になっていたのかもしれません。

なかたつ (2017-03-25):

 「いくら悲しい君でも血の色は派手」というセリフを逆説的に捉えると、悲しくない誰で出会っても血の色は派手なのでしょう。そして、感情や内面がどうあろうと、血の色は常に派手であるということが自然の摂理として成り立っていることを想わされます。  洋服は肌を纏うものです。「肌に二色のボールペンが浮き出る」というのは画像的にみると、二色のボールペンが本体であって、纏われる側の肌が纏う側へと役割が異動させられているのでしょう。さらに言えば、「悲しい君」の悲しさもまた、君の内面にあるので、それもまた肌や服や、ましてやこの作品で言えば、表に出てくる血によって覆い隠されてしまうのでしょう。  他の方も言及されているとおり、二色のボールペン=動脈(赤、闘争)・静脈(青、哀愁)を表現しているのだと感じましたが、そこに新たに解釈を付け加えます。リストカットしたことによって、いずれかの脈から結果としては「ちいろ」=赤=闘争しか表に出てくるのでしかないのです。だが、動脈と静脈は役割が別であって、決して交わることはないとわかりながらも、誰にだってその二つを肌の中に纏っているものです。静脈も動脈も肌の下にあることを知っていながらも、実際にそれがどのようになって存在しているのかを確認することは難しいでしょう。ここで、想像力を働かせるならば、動脈と静脈が繋がっている心臓や肺はその二つが混ざっている地点であり、そこでは赤と青が混ざっている、つまり、紫の状態になっているのではないでしょうか。  手首ももちろん大事な体の一部ですが、決して目で見ることのできない体の最も大事な部分である心臓や肺には紫、つまり、悲しみが存在しているように思えます。ただ、その悲しみだって、目で見ることはできませんが、それが冒頭の「悲しい君でも」というところに繋がってくるのではないでしょうか。

塚本一期 (2017-03-25):

とととさん。こんにちは。 そして初めまして。 塚本と申します。 すごいですね!読み易いです! そして、掴みやすいというか、感覚として、捉えやすい!(それが正しい捉え方なのかどうかはわからないけれども) まず、こういう、堅苦しくない話し方というか口調というか、そういうものが私的にはツボでした。 そしてですね、 〉リストカットした という突然の報告のようなものがですね、七色の血のイメージをしてるところに突然入って来てですね、あ、となるわけなんです。 私は理論的に物事を捉えることが非常に苦手なので、整然とした批評というものをすることはできないのですが、これはイメージとしてはですね、かなり炸裂されています! いいものを読ませてくださって、ありがとうございました!

みうら (2017-04-13):

手首くんの 切られた血の色は 流れ☆のような✨ 🚀飛んだボールペン✒✒✒転がって んおっ!㊙頸💀㊙ 🏁まだ🌃みえないね🌉🌉🌉🌉 明日また☀ コンクリート返詩。失礼しました。 とととさん毎度、投稿有難う御座います。

奏熊ととと@所詮詩書き (2017-04-19):

なかたつさんへ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー {他の方も言及されているとおり、二色のボールペン=動脈(赤、闘争)・静脈(青、哀愁)を表現しているのだと感じましたが、そこに新たに解釈を付け加えます。リストカットしたことによって、いずれかの脈から結果としては「ちいろ」=赤=闘争しか表に出てくるのでしかないのです。} この新しい解釈には度肝を抜かれました。私がこの作品を書いている時は、その領域までは考えていなかったです。しかし、それは悪い点だろうか…批評を行うことにより、書いた本人が気が付かなかった解釈が生まれることは「批評を使った反射魔法」なのかもしれない。 {ここで、想像力を働かせるならば、動脈と静脈が繋がっている心臓や肺はその二つが混ざっている地点であり、そこでは赤と青が混ざっている、つまり、紫の状態になっているのではないでしょうか。} この批評をいただきまして、ありがとうございます。 この批評から私はこの作品を書き直すことに決めました。 変な話ですがこの作品に書いた私が魅力を感じ、また、一からやり直したいと思います。心臓と肺の部分も新たな解釈を付けて進化していきたい。 塚本一期さんへ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー この作品を読んでいただき、また、賞賛していただきありがとうございます。 今後も頑張って詩作を行いますので、よろしくお願いします。

奏熊ととと@所詮詩書き (2017-04-19):

三浦果実さんへ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 朝🌅 起きた傷口が虹を通る       中    人  指     差     薬    し     指    指        小 親           指 指      手手手手手      ののののの      平平平平平       手手手       首首首    🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈 まだ、あるから 見えないけど虹色が ーーーーーー 返詩ありがとうございました


Heel improvisation   

まりも 
作成日時 2017-03-09
コメント日時 2017-04-18

 

エナメルの黒のヒールの 足裏のいもりの腹の緋色  はねあげていくバネの動き ゆがんでいく凹面鏡の縁に 横一列に整列する窓 女はひとり 空の底を行く アスファルトは穿つためにあり マンホールは踏み抜くためにある 現在進行形の腹の底から ふつふつとあふれ出す苦さ 黄濁した粘性の液体を おまえの喉元深く 突き刺してやる 冬の冷気にさらされた毒牙は しずくばかりが落ち続け ダイアモンドに結晶する その切っ先を磨き続けよ キリキリと痛むまでに 舞っていよ 待っていよ そこで どこで どこででも おまえを咬み裂き 呑み尽くすまでは もう どうにもおさまらない 裏切るかどうかなんて トランプの裏表よりも易しい そこにおまえがいる それだけしか重要じゃない 待っていよ そこで おまえを けっして のがしはしない


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もとこもとこ (2017-03-09):

ハイヒールの持つ攻撃性を全面に押し出したような詩。第一連の最初の二行は「の」の連続で最初からスピード感があります。アスファルトに穴を開け、マンホールを踏み抜く凶器としてのハイヒール。この詩において、彼女は完全にheel(悪役)です。彼女が狙う相手は、挑発の舞を舞いながら待ち続ける。ハイヒールの彼女の中にあるのは復讐か、それとも激しい愛なのか。想像力をかき立てる激しい詩でした。

花緒 (2017-03-11):

タイトルを文字通り読めば、一種の即興詩ということなのでしょうか。しかし、だとしたら、あまりに上手すぎますね。なんにせよ、わたしとは、技術水準に明確な差がある作者の一品。批評はできずとも、しかし、感想を述べることはできるでしょう。不穏な感覚が冒頭から提示されます。黒のヒールも、イモリの腹も凹凸面も不穏ですが、横一連に整列する窓が面白いですね。前作でも口が並んでいましたが、並ぶ、ということの不穏さ。差異が失われること。社会に組み込まれること。通常、ヒール=不穏、という図式はあり得ても、並ぶ=不穏という図式はない。しかし、一連の中では、並ぶ、ということの不穏さが際立っている感じがします。もっとも、ヒールで窓を割ってやると来るのかと思いきや、攻撃の対象は、アスファルト、マンホールから、どんどん曖昧なものになっていく。舞っていよ、待っていよ、と呼びかける対象がなんなのか、何故に、攻撃性を向けるのか、曖昧であり、不思議な読後感があります。

みうら (2017-03-11):

エヴァ・グリーンという女優を読者の皆さんは御存知だろうか。本作『Heel improvisation』を読んでいると、エヴァ・グリーンが黒いボンテージで眼をギラギラさせながら迫って来る。 「おまえ」というセリフがフィットする女性というのは、無口でなければ、ならない。ベラベラおしゃべりな女性に「おまえ」と呼ばれ、約束事を言い渡されても、僕は裏切るだろう。簡単に。でも、COOL BUT FIREな女性にヒールで踏みつけられたら、僕は「はい」と素直に返事をしてしまう。 そんなことを考えながら、今夜もまた、エヴァ・グリーンが現れるのを待っています。

百均@B-REVIEW ON/ (2017-03-11):

 いやーちょっと怖いっすね。ヒールの音っていうとクールビューティーみたいな適当なイメージでチャラチャラ僕は適当に思っていたのですが、ヒールの音っていうのは考えようによっては怒りであり、ある種の恐れであり刃なのかなぁと、感情がむき出しになった女の街中を闊歩する姿が目に見えました。怖いです。

まりも (2017-03-12):

皆様へ そうですね、攻撃性というのか・・・悪役とヒールが重なる(そもそも、踵落しとか、そういう荒技から来た意味らしいのですが)面白さから、連想を広げていったものです。 即興、で書き始めた当初(目の前を、黒いピンヒール、しかも足裏が朱色というか赤というか、ぬめぬめどぎつい、すごい靴が歩いて行ったので、よし、これで書こう!という・・・)終わり方は、彼女が振り向き、お先に失礼、と傍らをすり抜けていく。空中には、彼女のくっきりしたアイラインが、チェシャ猫のように残り、私をにらみつけて離さない・・・というものでした。 なんだか違うな、と思い、しばらく寝かせて・・・書き直してみたら、いつのまにか「彼女」を「私」が見ている詩、から、「彼女」を見ていた「私」が、いつのまにか「彼女」そのものになって、街中を闊歩して歩いている、感じになりました。 感情移入が度を越すと、憑依してしまう、そんな感覚で、他者になりきって書いたので・・・かえって今の心境が、ストレートに出ているかもしれません。

黒髪 (2017-03-12):

まりもさん、 とてもかっこいい詩ですね。かっこいい詩というのがかけるのは、人を選ぶと思います。他者になりきって書いた、 そんな器用さも、いいと思います。 >裏切るかどうかなんて この箇所が、なかなか浮かばないような詩句だと思いました。 ちなみに、中島らもさんの、詩で、「首狩りママ」という題のがあって、 「頬に刺さった、ハイヒール/夜を踏み抜く、ハイヒール」と歌っておられたのが思い出されました。

繰原秀平繰原秀平 (2017-03-13):

>女はひとり 空の底を行く アスファルトは穿つためにあり マンホールは踏み抜くためにある 荒木飛呂彦先生の漫画「ジョジョリオン」に、ヒールの踵を槍の様に伸ばして攻撃するキャラクターがいましたが、この作品に溢れる尖ったエネルギーを可視化するならば正にそのような外見になるのでは。主人公の「女」は最早、 >おまえを咬み裂き 呑み尽くすまでは もう どうにもおさまらない という強い意志、感情=「エナメルの黒いヒール」の媒介に過ぎず、だからこそ、読者が彼女に自分自身を代入できる優しく、かつ力強い空白が生じている。 >待っていよ そこで おまえを けっして のがしはしない 女性に恨みを買われた覚えのある私には、色々な意味でぞくっとする作品でした。ただ一点、 >足裏のいもりの腹の緋色  確かに美しいのですが、私の「いもり」のイメージがその後の詩句とマッチしませんでした。(個人的には「蠍」等の方が収まりが良い気が。ありがちですが。)

繰原秀平繰原秀平 (2017-03-13):

すみません。訂正「恨みを買われた」→「恨まれた」

なかたつ (2017-03-15):

 語り手が「女」であるのか、それとも「ヒール」なのか、「足裏のいもり」なのか、ついつい混乱してしまいます。  これだけの過剰な欲望を抱かせるほど、女にとっておまえという存在が大きいことがよくわかります。あくまでも僕の場合、自分の人生をある程度犠牲にしてまで咬み裂きたいと思える人はいません。誰かを傷つけることは、自らもまた代償を負うものだと思っております。無意識的に人を傷つけてしまっている場合はまた別ですが…。  最も狂気を感じさせたのは、「黄濁した粘性の液体を/おまえの喉元深く/突き刺してやる」という部分で、粘性の液体が突き刺すほど鋭利なのかと。それとも、量は質を上回るということで、えげつないほどの量の液体を喉元にふっかけるのかと。  この作品が読者の想像力を掻き立てるのは、この女の視点しかなく、作中の「おまえ」が一体女の何であって、一体何をしたのかということが一切描かれていないからです。ただ、この女が一方的に「おまえ」を想っていること、女と「おまえ」とに距離があることは間違いなさそうです。「おまえを けっして/のがしはしない」と言いながらも、「待っていよ そこで」と、おまえがいる場所を「そこ」としか言えないでいるこの女はもうすでにおまえをのがしてしまっているわけです。何となくですが、この女にはどうも「おまえ」を捕らえることができないように思えます。「待っていよ」と願うのは、おまえを見つけて、咬み裂き飲み尽くしたいからです。ただ、その「そこ」をきっと知らないでいる女。それに、「おまえ」は女の気持ちが届いていないわけですから、もちろん待っているわけがないでしょう。むしろ、この女が「おまえ」を引き付ける何かを持っていたらなあ、と想像してしまう僕もまたこの女のように暴力的なのだと思います。

まりも (2017-03-16):

黒髪さんへ かなりデフォルメはしていますが、具体的にモデルがいます(笑) その人が、私の為に裏切ってくれた、ことを頭では理解しているのに、気持ちが相反する、渇望する、という感じ、でしょうか・・・ 繰原秀平さんへ 足裏、は、あうら、とルビをふりたかったです。イモリの腹の、朱色のような、黒とまだらの怪しげなイメージ、ぬめぬめした両生類的な感じ・・・が、毒蛇、コブラ、のようなイメージにずれていっている、かもしれない、と・・・レスを拝見して思いました。水にも陸にも住める(どちらにも安住できない)イメージが、当初あったのか、なかったのか・・・(自問自答しています) なかたつさんへ そうですね、女、を見ている「私」という一人称視点が、女の中に、あるいはヒールそのものがもつ意志に、同化していっている・・・かもしれません。その一貫性の無さを、変容の範囲でとらえ得るか、読者を遠ざける要因、と見るか・・・たぶん、真情の韜晦という意識と、それを(一部を)デフォルメして、それを面白がってみたい(そのことで、自分から切り離してみたい)という感情があるのかもしれません。自分ではそんなに深刻になって書いたつもりはなかったのですが、案外、知らぬ間に真情がにじんでしまうもの、かもしれませんね。

kaz. (2017-03-17):

わたしがハイヒール👠についての詩を書いたのは、七年前で、 http://mb2.jp/_prs/5748.html こちらの作品になります。わたしはこの作品についてはこれ以上もこれ以下もないと思っているのですが、それと比較して読むと、あなたの作品は躍動感があって、とても良いと思います。トランプというワードを使っているのも面白いです。

まりも (2017-03-17):

kaz.さんへ 躍動感、ありがとうございます。普段は書かないようなスタイルなのですが(知人には、畳みかけていく感じは、いつもっぽい、と言われましたが)皆さんの影響を受けているのかな、と思います。割と一気に書いたし。 URLをコピペして検索してみたのですが、ファイルを開けませんでした・・・やり方が悪いのかな・・・デジタル音痴です。

るるりら (2017-04-17):

こんにちは わたしは なんとなく アルゼンチンタンゴを思いました。 (いもりの)緋色と黒のコントラストのせいだと思います。 一連目は、この詩の話者は 椅子に座っていて 化粧用の凹面鏡ごしに 様々なものを見ているから部屋の中だと読みました。 でも どうして凹面鏡という言葉が 硬さから 化粧用のミラーではない気もして 読んでいて読解に自信が持てませんでしたので、他の読解もしました。 たとえば、黒靴のどこかに凹面鏡のような箇所があるというイメージ。 もしくは、特殊なミラーのある場所(踊りの練習室にそんなところがありそう)を表現しておられるのかしらとか いろいろ考えました。でも 一連目は屋内での状況。 二連目では、屋外に でている。 三連目では、ミュージカルみたいだと思いました。もう闊歩しまくりです。 急に 街角で歌っいながら踊りはじめるというような印象を わたしの場合は持ちました。 アスファルトは穿つためにあり をマンホールは踏み抜くためにある とあるので ステップを感じました。 劇中劇という言葉がありますが、この詩は 詩の中にある劇だと思いました。 人を脅かすみたいな心理的表現もあるけれど、わたしの場合は美人が脳裏にうかび、こわい女性だとは思わなかったです。男性はSな女性に魅せられたいところがあるように思います。この女性は視線をくぎづけにして目から殺すタイプのように思い、この詩の女性を 素敵だと 思いました。

まりも (2017-04-18):

るるりらさんへ 劇中劇、なるほど!ありがとうございます。「この女性は視線をくぎづけにして目から殺すタイプのように思い、」わお・・・実は、この詩は最初、この女性が振り向き、歌舞伎の隈取みたいに、アイラインの枠線だけを空中に残して消えていく、というイメージでした。。。実際に、私の前を歩いていた女性は、振り向かなかったのですが。そうやって、現実の風景から、自由に連想したり想像したりするのは、楽しいですよね。たしかに、劇中劇かも・・・。


私はトカゲ   

右肩ヒサシ 
作成日時 2017-03-12
コメント日時 2017-04-11

 

 三錠分の言葉を呑み込もうとしていた。言葉の内実がそっくりえぐり取られて、喉を下っていく気配がある。言葉の内実をそっくりえぐり取って、喉を下していったので。  まず一錠、のど仏のあたりがコクン。  食道を下るものの、食道を下る様子をよく見ようとしたら、山崎さんの手を握ったまま、私の視界は内側へ反転し、山崎さんに、 「あら、三白眼。ん?白目。白目剥いてるよ、八重ちゃん面白い」と笑われてしまった。  二錠め。三錠め。  そんなことを言われたって、山崎さん、山崎理恵さん、あなたの内側だって、わたしが見ているものとおんなじ。こんなふうにピンクでねとねとして、うんと不愉快にしめってる。  わかる?  何かが身体に入る、それは頭を貫通する銃弾のようにはスマートに入り込まない。ダン、パパッ、プシューッとはいかないの。  三白眼をくいっと渋谷の白昼に戻す。  視界を取り戻すと物や現象を束ねる意識の箍が緩む。緩んで動く。  くいくい。くくいくい。  つまり、巨大な掌で揺すられるような感じで、街の構図も比喩的に振動したってわけ。うん。  だからね、私ね、山崎さん、あなたに縋り付くようにしてずるずる崩れ落ちてるでしょ。いやん。何か色っぽい。あなたの柔らかいお腹に顔を押し当てて、下腹に向かってずるずるっといくと、股間から微かにあなたの尿の匂いもして。私は気持ちよくきもちよく内と外の刺激を反転し、やや攻撃的にそれを受容して山崎さん、あなたとあなたの渋谷を、ピンクでねとねとして生暖かい暗闇へ力任せに突っ込んだんだ。と。ゴトン。アスファルトに頭が落ちました。柔らかくありません。あいたた。  とても赤みがかって、そして真っ暗。 「八重ちゃん、ヒトしてないよ。ヒトと言えないぞ、今。あの、もしもし。死ぬの?あなた死ぬことにしたの?」  違うな、山崎さん。主観に死はありません。自分自身の死は神話的に創作されたもので、個人の中で不断に再創造されなきゃなんないから、つまり概念として存在するにすぎないんだ。知らないでしょ?理恵さん。  死なないよ、私。死ぬつもりありませんから。  身体を置いたまま、理恵さん、山崎理恵さん。あなたを残して私は渋谷の匂いを歩いてます。  カレーの匂い、鶏肉を焼く匂い。それから麺を茹でるふわっとした湯気、その匂い。まだある。牛革のバッグの皺の寄った匂い。真っ新な衣服の匂い。もちろん人間やそうでない生き物の皮膚と様々な分泌物、排泄物の匂いも濃厚だ。都市の下水網、そのさらに地下にある水脈、地殻の下にもやもやと予感されるマントルの灼熱も。みな匂う。  それらがまるで水彩の染みのように滲んで入り混じっている。聴覚もない視覚もない、肌触りすらない世界だけれど、私は確かに地表にいるし、私は確かに数万メートルの気圏の果てにいる。わかった。広大な出来事の総体が私でありました。  改めまして、こんにちは。みなさん。  私はトカゲです。目を閉じたトカゲ。目を閉じたトカゲの魂。目を閉じたトカゲの魂の、そのしっぽにあたる部分。  私はこんなにわかりやすい神話として生まれたんだ。  イザナギは今、天の御柱にじょうろで水をやっています。はしけやしまだきも小さき御柱に雨は降りつぎ風やまず陽はそそぎつつかげりつつ春の真ひるとなりにけるかも。  空の高みまで湧き上がった砂塵。砂粒が水蒸気の凝結を身に纏い、地へ向かって鎮められていく。鎮まっていく。時間はトカゲの背に乗って、無明の湿地を進んでいます。  泥の中に浅く浸るしっぽ。S字形に曲がったしっぽ。振り上げられてすぐ落ちてちゃぽといいしなまた動く。  私の性欲は造山活動で隆起し、低粘度の熔岩を吹き上げながら愛している愛していますと泣いています。山崎理恵さん、あなたを。あなたのことを。  愛していると。 手を伸ばして理恵さんの頬に触れた。頬に触れた。 「八重ちゃん、八重ちゃん。あなたここにいるじゃない。よかった。よかったよ。八重ちゃん、もうここにいないかと思ったよ」  山崎さんは泣いている。  私の頭を膝にのせて、体を深く折り曲げている。幾筋もの長い髪の毛が夜の扇状地に広がり、鼻をすするあなたの表情は歴史の彼方、朧に紛れて見えない。  いいんだよ、泣かなくて。  でも私はトカゲのしっぽ。  渋谷は緩やかな谷間に身を潜めた極ささやかな建築物の時間的不連続帯でしかありません。  理恵さん。あなたも私も。


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右肩ヒサシ右肩ヒサシ (2017-03-12):

すみません。旧作です。ひょっとしたら覚えてる方もあるかもしれません。

まりも (2017-03-12):

作為なのか偶然なのか必然なのかわかりませんが・・・「えぐる」という肉体感覚、それから「匂い」の感覚が鮮烈な作品でした。 「まず一錠~私。死ぬつもりありませんから。」までの、ライトノベル風というのか、軽めで言葉が過剰に放出されるけれども、核心をさけて(迂回して)いる、といったムードの部分、個人的な好みとしては、もっと言葉を刈り込んで、スピーディーに後半部に接続していった方がよいのではないか、と思ったのですが・・・前半部を「リーダビリティー」と感じる方の方が、多いのかな・・・。 理恵さんと八重ちゃん、ふたりのレズビアン的な(それも、なにやら薬剤を介在させているかのような)関係性に託して、言葉による誘引、意識の混濁、魂の幽体離脱、のような感覚が描かれているとも読め・・・生理的感覚を持った、詩の内省化・・・いや、違うな、詩を生み出していく過程を二人の関係性に託して描いているようにも読め・・・なかなかスリリングな作品だと思いました。 今、これを出すという時機的なことについて、なのですが。大阪の某理事長が「トカゲのしっぽ切り」はせんで下さい、とユーチューブで流していたことが被ってきてしまうのですが・・・それは、かぶったり、重ねて読まれてもよい、ということ、なのでしょうか。あの騒動とは関わりない作品、だということは、読めばわかる、とは思いつつ。

右肩ヒサシ右肩ヒサシ (2017-03-13):

まりもさん、こんにちは。 前半、もたついていますね。繰り返し同じ言葉を使っています。 これ、リズムが欲しかったのと、世界にそれなりの密度を与えたかったからです。「散文」ではなく、 どうしても「詩」にしたかったんでしょう。 もちろんどなたからどんな読解を受けても良いし、意外な解釈も面白いのですが、まりもさんの読解については我が意を得たかのように思われます。「薬剤=言葉」と考えてもらえたら読みやすいと思います。僕自身、薬物なんか使ったことないですし、そうしたいとも思わないので。「詩を生み出していく過程」という解釈、明確にそう考えていたわけでもないのですが、まさにそれだよな、と首肯しました。 今更この古いのを出したのは、新作を書く参考にと、ちょっと文学極道で自分の書いたものを読み直していて、これ面白いかも、と思ったからです、書いたことも忘れていたので。 M学園とは関係ないつもりです。しかし太くて長いシッポですね、あれも。

澤あづさ澤あづさ (2017-03-14):

▼要旨 投身自殺の今際と、「呑み込んだ言葉が腑に落ちる」というような比喩が、みごとに重層的に描かれていると思います。 そのような想定で読んだら、わたしは作中の全表現に合点が行きました。 渋谷の路上へ身を投げ、渋谷の(アスファルトで覆われているため地には還れないから)天に昇っていく身体が、自分の(気管でなく)食道を通って自分の(肺でなく)胃に落ち、吸収されて自分の身体の一部になる薬剤に喩えられていると思います。 その奇想天外な情景の想像だけで、わたしはもうこの作品に夢中です。 そのうえこまかいとこまで冒頭からすばらしすぎて、とんでもない読み応えです。劇薬のような言葉に陶酔し、取り憑かれたようになり、もはや身体より言葉のほうが本体であるかのようだといった、物書きなら三日に一度は体験していそうな感覚までも、目覚ましく描写されていると思います。 このようなすばらしい読書体験の感動を、ぜんぶうまいこと説明するのは至難のわざですが、早急に言いたい二点だけ性急に書かせていただきます。 ▼鑑賞の一部(便宜上断定形で書きますが、すべてわたしの推測です。) 作中には、厳密に区分すれば二種の語り手が登場します。 ①三錠の言葉を呑み込んだ【私】(はトカゲ) ②内側に反転した【私】=【八重ちゃん】=呑み込まれた【言葉】(はトカゲのしっぽに当たる部分) ①は(このこと自体が比喩なのかもしれませんが)投身自殺をしているので、口にも鼻にも強い風圧を受けており、声を出すことはできないと考えられます。その事態が【三錠分の言葉を呑み込もうとしていた。】という奇想天外な比喩で語られています。 身体に呑まれた薬剤の、身体に吸収され身体の一部になっていくさまが、渋谷の地に堕ち渋谷の天へ昇る①の姿を象徴しています。 「投身自殺は気持ちいい」という俗説がありますが、現に①(身体)は、自分の言葉(②/この詩の語り)に陶酔しきっています。最後には身体でなく言葉こそが自身の本体であるかのように(「身を投げる」というのはそういうことなのかもしれません、)下記のいわく言い難いことを語ります。 【私はトカゲです。目を閉じたトカゲ。目を閉じたトカゲの魂。目を閉じたトカゲの魂の、そのしっぽにあたる部分。】 トカゲは敵に捕まった場合、しっぽを切り離して逃げることができます。上記は、そのようにして見捨てられた身体(①)の言葉(②)です。②によってそう定義されたので①がそうなるのです、言葉が身体を支配しているから言葉が身体を定義できるのです。うまく説明できないのが残念ですが、わたしはこの表現にしびれました。 * それにしても、この詩の冒頭は、なんという鮮やかな逆喩でしょう。 【三錠分の言葉を呑み込もうとしていた。言葉の内実がそっくりえぐり取られて、喉を下っていく気配がある。言葉の内実をそっくりえぐり取って、喉を下していったので。】 たとえば糖衣錠を飲んだ場合、まず表面の糖衣(薬剤ではない部分)が溶けるはずです。「オブラートに包んだ物言い」といった常套句は、そういう事実に基づいているはずです。 この詩がそのオブラートの溶けるさまを【内実がそっくりえぐり取られて、喉を下っていく】と表現しているのであれば、「オブラートこそが内実」ということになってしまいます。あたかもソンタグ『反解釈』の仮面の話です。 そう思って詩を見渡すと、確かにこの詩は、投身自殺の動機も、八重ちゃんと山崎さんとの関係も、【愛していますと泣いています。】といったオブラートのごとき比喩と集約と美化(?)によってごまかされています。なにもかも隠蔽されておりその隠蔽を【内実】と呼ぶのです。 つまり「悪いことは思い出したくない」というのが八重ちゃんの「本音」、それ以外に遺したい言葉がないから遺した「遺言」であるというのが、わたしは自殺した実父とその遺書を知っているので、とてもストレートにわかるような気がしました。 * 以上二点の感動だけ、早急に言いたかったので性急に書き込みました。 ほかのかたの読解や感動も読みたいです。

花緒 (2017-03-16):

正直、澤さんの批評の後に、何を書いていいやら戸惑いますが、わたしはmigikataさんの反転させる手際の良さ、実存にまつわるテーマを書いておられるようで、ユーモアを忘れないセンスが素晴らしいと感じています。migikata節が存分に味わえる一作だと思いました。初読の印象。

右肩ヒサシ右肩ヒサシ (2017-03-17):

澤さん、コメントありがとうございます。 本当に期待していた以上の評でした。 わくわくしました。 花緒さん、コメントありがとうございました。 楽しく読んで頂けたようで嬉しいです。 臨死体験というのは結構な多幸感があるようですね。

葛西佑也葛西佑也 (2017-03-17):

右肩さん、こんにちは。文学極道で私がまだ辛うじて活発であった時から、右肩さんの詩が気になって気になって仕方がありませんでした。今、告白します(笑)。なぜ、そんなに惹かれていたのか、今になって分かるのですが、散文でありながら詩であることについての説得力を持っている点にあると思います。ここで引合いに出すべきではないかもしれませんが、文学極道に投稿されていた「図形」という詩。あれは度肝を抜かれました。とんでもなく良く書けている。それに比べると、こちらの作品は、上手くいっていない気がします。いつもの作品に比べて、物語性そのものの薄さを感じてしまうのです。あ、全体としては賞賛しいたい気持ちでいっぱいです、ということをお伝えしておきます。

百均@B-REVIEW ON/ (2017-03-19):

 相変わらず右肩さんの詩は怖いです。トカゲが出てきた所で全部繋がっていく、あの行間の    >改めまして、こんにちは。みなさん。  >  >私はトカゲです。目を閉じたトカゲ。目を閉じたトカゲの魂。目を閉じたトカゲの魂の、そのしっぽにあたる部分。  >私はこんなにわかりやすい神話として生まれたんだ。  ここが必殺すぎて怖いです。えげつないですね。トカゲのしっぽに、投体自殺によって精神が肉体から剥離されていく瞬間が覆いかぶさっていく、それから錠剤によってトランスしていく様相が渋谷の街と重なりあう所、様々な体液、分泌物というのか、排泄物という、肉体から切り離されていく物というのか、上手く言葉にならないのですが、そういう物も全て繋げていく荒業が、荒業に見えないまま、いつの間にか繋がっていくし、それがイザナミ、イザナギ=神話につながっていっちゃうというか、結局の所神話っていうのは、ある意味万能なんですよね。本当に。  >私は気持ちよくきもちよく内と外の刺激を反転し、やや攻撃的にそれを受容して山崎さん、あなたとあなたの渋谷を、ピンクでねとねとして生暖かい暗闇へ力任せに突っ込んだんだ。と。ゴトン。アスファルトに頭が落ちました。柔らかくありません。あいたた。  >カレーの匂い、鶏肉を焼く匂い。それから麺を茹でるふわっとした湯気、その匂い。まだある。牛革のバッグの皺の寄った匂い。真っ新な衣服の匂い。もちろん人間やそうでない生き物の皮膚と様々な分泌物、排泄物の匂いも濃厚だ。都市の下水網、そのさらに地下にある水脈、地殻の下にもやもやと予感されるマントルの灼熱も。みな匂う。  >それらがまるで水彩の染みのように滲んで入り混じっている。聴覚もない視覚もない、肌触りすらない世界だけれど、私は確かに地表にいるし、私は確かに数万メートルの気圏の果てにいる。わかった。広大な出来事の総体が私でありました。    もう少し突っ込んで考えてみたい事柄ばかりなのですけれども、正直時間が足りないという事、それからTwitterでなんとなく、話そびれてしまったのですが、死と生についての突っ込んだ話について、後は神話ってなんなんだろうか、みたいな事についての考えを聞いてみたいと思いました。凄く話の広がる話題を豊富に含んだ作品だと個人的には思っています。後、名前について、も聞いてみたい。なぜ山崎さんと八重さんなのか、名前とは何かみたいな事について、グエングエンさんの作品に寄せた右肩さんのレスを思い出してから無性に気になっています。(理由はないのかもしれないのですが、ないなんて事は有り得ないだろうという確信があります)

みうら (2017-03-24):

渋谷という、すり鉢状の場が特別な異界をつくって云々という物語、たしか昔、田口ランディの小説であったと思う。渋谷の街を歩いているとたしかに疲れる。あれは、一体、なんだろうね。 山手線も渋谷辺りでいつも妙な電波を拾っている気がする。渋谷駅を通過する時、僕のiphoneは時々、siriが急にしゃべり出して困る。あれは、一体、なんだろうね。宮台真司先生なら、何か知っているだろうか。 『私はトカゲ』の主人公は山崎理恵さんでも、八重ちゃんでも、私でもトカゲでもない。 隠れているけれども、真の主人公は、渋谷という魔物の棲み処。

右肩ヒサシ右肩ヒサシ (2017-03-25):

葛西佑也さん、コメントありがとうございました。 以前から読んで頂いていると言うだけでうれしいですね。 「図形」ですか……、 http://bungoku.jp/ebbs/pastlog/457.html#20160111_152_8559p ですね。 オダさんからコメント頂いているのに返事も書いていません!そのうちに、と思っているうちに忘れたのでしょうか?ありゃ~。あまり評判もよくなかったようです。 「鳩が咥えてきた指」 http://bungoku.jp/ebbs/pastlog/404.html#20140731_427_7575p の発展形のつもりだったけど、十分伝わらなかったのか、主題が陳腐と判断されたのか……。 余計なことですが、「戦争」や「若者の在り方」という社会性を抜いて考えると、「 LED(或いは「雪の砂漠」 http://bungoku.jp/ebbs/pastlog/357.html#20130211_485_6689p の方ができがよいと思います。お読みでなかったらご一読下さい。

右肩ヒサシ右肩ヒサシ (2017-04-11):

hyakkinnさん、返信めちゃくちゃ遅れてごめんなさい。 色々考えているうちにちょっと返事を書けなくなってなっていました。 簡単にいかせてください。 脳の機能の一部が壊れると、自他の区別をつけることができなくなって、自分というものがどこまでも広がっていく、例えば床や壁が自分の一部のように 思えてしまうのだ、と養老孟司が書いていました。それ、どんなものかな と思ったことがあります。死の直前の世界ってそうかな、と。八重ちゃんはそこから戻ってきたんですね、きっと。 山崎さん、八重ちゃんという 名前、古めかしくって何処か土俗的でしょ?キラキラネームのアスファルトを剥がすと、渋谷の古い地層としての人間が見えてくるのです。ブラタモリか、とノリ突っ込みしつつもそういうことなんです。二人は少女だけど、平成の人間ではないかも知れません。

右肩ヒサシ右肩ヒサシ (2017-04-11):

三浦さん、一気に借金を返します。古いものを上げてごめんなさい。 渋谷だけでなくて、土地というものは何処も実は魔界特性を持っていますよね。人も含めて、生命が生まれ、死んでゆく場ですから。つまらないベッドタウンに家を建てるときだって、地鎮祭は必らずやらなきゃ。それぞれの土地がそれぞれ特異という意味で、やっぱり渋谷は特異です。だから、そこで八重たんの、じゃなかった八重ちゃんの魂は国産みをする神となり、トカゲという地霊となり、再び人に戻るという冒険をするのです。ラノベ的に読めば、そういう女子高生のセカイ系冒険譚ですし、もう少し穿った見方をすれば、自意識からの解放と回帰ということになるのでしょうか?専門に勉強された澤さんに見られるかも知れないのにわかったふりをしてそんなことを言うのは汗顔の至りってやつですが。ただ三浦さんが看破しているように、この物語を書いた作者自身も登場人物の一人として関係に組み込まれています。作者は八重ちゃんの主観から世界を記述していますもんね。でも作者であって決して八重ちゃん自身ではではないから、そこに分裂した人格があるわけです。自意識を抜けた人格の統合としての物語が、分裂の現実から成立している、という面白おかしい事実に目を向けると、この面白くもない作品も面白おかしく読めるかも知れません。いや、そうあって欲しいなあ。ないのが当然だとは知りつつ、ですね。


秋の街路(2016.11.01)   

霜田明 
作成日時 2017-03-28
コメント日時 2017-04-09

 

すべての疑問は 自分の中でほどかれるのを待っているのに 部屋を出て街をうろついて 架空の顔ばかり覗き込んでいる   (秋のショーウィンドウの透明さ)   病的な時期を除けば   暮らしの殆どの場面は詩にならない 疑問は深い水準を装った 地平に現れるのに 苦悩はいつでもすぐそばで 親しげな顔をする  (明日という日が信じられないんだ   今日という日を信じられないから   誰一人信用できないんだ   自分を信用できないんだから)   孤独というのは自分との距離だ     暮らしは詩のように     安心を与えてくない     (暮らしは液体だ      透明な液体を飲み続ける      その排泄も液体だ) 曖昧に関係しているつもりでは (秋の噴水の拙い上昇志向) 気が狂わずに この街の中で 暮らしていくことはできないらしい


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もとこもとこ (2017-03-28):

この詩を読んでオフコースの「群衆の中で」を連想したおじさんが春の中で秋を想う春。皆様、いかがお過ごしですか。「群衆の中で」は問いかけで終わっていますが、この詩の語り手はそこからさらに深い部分へと潜っていこうとします。その志は立派ですが、「明日という日が〜」の連は新鮮味に欠けます。フォークやニューミュージックの世界で、すでに消費され尽くしたフレーズではないでしょうか。このパターンで新たな感動を呼ぶためには、相当の工夫が求められると思います。第3連までとそれ以降で、強度に差がありすぎて全体のバランスが取れていない感じです。 まったく根拠がないのですが、作者は自分で作詞、作曲、編曲から演奏までこなすストリート・ミュージシャンというイメージ。最終連は最初の一行がちょっとアンバランスな気がします。「秋の噴水の拙い上昇志向」レベルの言葉で、全体を構築するとさらに良い詩になると思いました。

霜田明霜田明 (2017-03-28):

もとこさん いろいろと鋭すぎて返す言葉がないです笑 当たり前のことばが好きなんですけれど 陳腐で仕方ないのがきついですね 自分に向かって言った言葉だから、 かっこでくくったのかなと、今になってはおもいます。

霜田明霜田明 (2017-03-28):

最後の蓮の一行目については、 わかってくれーと思ってるのですが、無理があったかもしれないです 僕の中ではこの行さえわかっていただけたなら この詩は言葉だと思うのです

花緒 (2017-03-28):

良くも悪くも、好きな感じのアフォリズムを並べてみた、といった印象を受けました。孤独というのは自分との距離だ、とか、ちょっとペソアっぽいですね。センスは嫌いじゃないです。が、もうちょっと削ったりなんかしたら、もっとすごくなりそうなのに、みたいなことも、勝手ながら、思ってしまったりなんかしますかね。はい。

まりも (2017-03-30):

硬質な抒情詩。印象に残りました。 内省(内声)を詩形でも明確にして、対話としている。 秋のショーウィンドウ・・・複雑に屈折したガラス面に、希薄な影となり、なおかつ複数に分断されて写り込む自分の姿、そんな情景を、心象風景として書き込んでもよかったかな、と思いました。 秋の街路、ですからね・・・最後は「秋の公園」に到り、そこで噴水と対峙するわけですが。 詩のように・・・この直截な比喩は、「詩」は安心を与えてくれるもの、という作者の詩論というのか、前提が現れている部分のように思いますが、このあたりは、もっと疑い深く、詩を書きながら、詩に疑念を持つような批評精神で対しても良いように思います。

百均@B-REVIEW ON/ (2017-04-03):

>疑問は深い水準を装った >地平に現れるのに >苦悩はいつでもすぐそばで >親しげな顔をする  この四行が素敵です。   >(秋のショーウィンドウの透明さ)   >病的な時期を除けば   >暮らしの殆どの場面は詩にならない  ここもわかるような感じがします。勝手な同情みたいなもんなんですけれども。  暮らしとは何かみたいな所のニュアンスが上手く掴めるか、それと詩作と生活とは何か、みたいな事をこの詩からどれだけ受け取れるのかみたいなのが鍵みたいな感じがします。  たとえば僕はこうやってレスを書くと、洗濯とか料理みたいな行為は本当に億劫になるし、でも排泄する事だけはどうしてもやめられない、みたいな線で考えていくとこの作品の持つ表情が現れてくるとおもうのかなぁとぼんやり思いました。

霜田明霜田明 (2017-04-09):

感想ありがとうございます しばらく家を空けていてネットが見られませんでした 花緒さん 添削しようと思うのですが、描き直してもよくなったように思えず直したりみたいなことを繰り返してしまう次第です 確かにこの詩はまだ変形する余地はあるとおもってます まりもさん ありがとうございます 詩のように、の部分は、詩に対する嫌悪感と渇望とのダブルミーニングのつもりで書きました。 Hyakkinさん ありがとうございます 言いたいことを全部言ってもらったと言う気がします


明日も、雨なのですか。   

葛西佑也 
作成日時 2017-03-16
コメント日時 2017-04-07

 

            私は傘になりたい。 父は雨が降っても、傘をささずに、ずぶ濡れに なって歩いて行ける。濡れた衣類の重量なんて 気にしないし、他の人も自分と同じだと思って い、る。(自殺願望のことだって。) 父も私も自殺率の高い地方の出身だ。冬には街 の人みんな、うつ病になる。(酒でも飲まなきゃ やってらんないよ!)父が豆腐の入った皿を割 り、脳みそのように飛び散る豆腐の残骸/踏み 潰しながら、私は私の食事をしていた。   、グチャリ (そばでは母が殴ら   れていた)私の空間からは遠いと   ころ、電話の音はサイレンに聞こ   えた。 /何かを救いだと感じる、病んでいる。(止ん でいる? 救いは救急車でしょう?)私は父か ら生まれたんだ。分娩台の上、前かがみになる 父から、卵のように。この豊かな国に生み落と された   、のです。私たちは生まれたとき   から、絶望する術、を、持ってい   る。(個人個人で違うやつを。私   にとっては父。)幼い頃、大好き   だった父の背中を見ないで育った。  (見ないで育ったから、大好きだっ   た? 尊敬しています、お父さん。)   虚像の背中だけで、十分だったん   だ、私には。 生まれたときから、ずっと、弟は父の背中ばかり 見て育った。だから、弟は 雨降り、傘をささな い。ずぶ濡れの衣類の重量も(自殺願望のことも) 気にせずに。/私は傘になりたい。穴があいてな くて、向こう側のはっきり見えるビニール傘に。 (できれば、柄が錆びていないとうれしい。)             「雨は当分止みません              よ。傘を買ったほう              がいいでしょうね。」              と、傘もささず、ず              ぶ濡れで歩くみすぼ              らしい親子に言いま              す。 /私の向こう側の空間では、豆腐の残骸が家族た ちの足でさらに激しく踏み潰されている。必死に 父をなだめる幼い弟の鳴き声(サイレン?)/私 にとっては、電話も愛しき弟の悲痛な叫びも似た ようなものです。 外では、雨が ぽつり ぽつり と、降り始め。 (やがてすべてを流しさっていくであろう雨)明 日は土砂降りですか。天気予報が気になります。 私には家族の中で、明日の天気を聞ける人がいな いのです。「明日、雨みたいだよ。傘を持ってい くといいよ。」と、私のほうから言うばかりで  。(私たちは家族ですか?) 自分で割った皿と豆腐の残骸を片付ける 父と、 ひたすら発狂しつづける 弟と、 何か秘めたように黙ったままの 母と、 /私の食事を続ける  私と、/ みんな孤独だった。 そこにあるのは私の知らない家族でした。十数年 過ごしてきて、初めてその存在に気づいたのです。 しかし、紛れもなく私の家族。/私は、このとき、 初めて生まれたのです、この世界に。(望んでも いないし、望まれてもいない。)     /明日も、雨です     か?みんな。私は     みんなが大好きだ。     みんなの家族で幸     せだよ。母よ 父     よ 弟よ/私は私     の食事を終えて、     ごちそうさま の     代わりに言います              。/          私は傘になりたい。 ※縦書きで読んで頂きたいのです。環境によってはうまく縦書きになっていないかもしれませんが、下記URLでは縦書きで表示かと。 http://yuyakasai.tumblr.com/post/157906926077/%E6%98%8E%E6%97%A5%E3%82%82%E9%9B%A8%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%81%99%E3%81%8B


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葛西佑也葛西佑也 (2017-03-16):

URLがおかしなことになっていますね。失礼しました。下記です。 http://yuyakasai.tumblr.com/post/157906926077/

まりも (2017-03-16):

URLがうまくコピペできなかったので、とりあえず横書きのままで拝読しました。 「私は傘になりたい。」この一行目から、引き込まれました。縦書きなら、沈黙の空間がまずあって、その後に押し出されるように置かれた一行、ということになるのでしょう。隠喩なのだけれど、明愉というような・・・非常に寓意性の高い、それでいて明晰で、切なくて、でも感情過多にならない、優れた作品だと思いました。 語り手は両親への困惑と、愛憎を抱きながら成長したのかもしれませんが・・・自分が社会人になって、たとえばブラック企業に接するとか、理不尽な搾取に接するなどの体験を経て(勝手な想像ですが)両親の抱え持つ辛さ、苦しさを了解し・・・かつては「かなしみ」や「にくしみ」「とまどい」であったものが、「いとおしさ」に変わったのではないか。そんな気がしました。 「初めてその存在に気づいたのです。 しかし、紛れもなく私の家族。/私は、このとき、 初めて生まれたのです、この世界に。(望んでも いないし、望まれてもいない。)」 そのことに気付いて後・・・家族の未来を、自身が(見通しのよい、そして不幸を防ぐ)透明傘になって、護りたい、という・・・切ない願いの表明、祈りの詩だと思います。 スラッシュや句読点、空間の取り方・・・縦書きにこだわる意味も、きっとそこにあるのだろう、と思いますが・・・視覚的に空間を設ける、詩形にこだわる、リズムに配慮する、といった細やかな心遣いで、パッと見た時に(映画で、音楽が大きな力を持っているように)言葉にならないニュアンスを付加している。よく練りあげられた作品だと思いました。

葛西佑也葛西佑也 (2017-03-17):

まりも様 コメント誠にありがとうございます。URLうまくいきませんでしたか、すみません。この掲示板だと、レイアウトが崩れてしまいまして、少し自分の意図するものがあらわし難く……。しかし、この詩からいろいろと感じて頂けたようで、うれしく思います。実はもう10年ほども前の作品になります。ここ数年、詩を書いていませんでしたが、また書こうと思った時、もう一度自分の作品を読み直そうと思った時、真っ先にこれを読みました。それで、今読み返すと、いろいろひどいなあと思うのですが、なんだか自分が「書かずにいられない」と思ったことの原点がここにある気がしまして。それで、こちらは、「書こう」とか「書かずにいらない」とか「書きたい」と思う方々が集まっていらっしゃるでしょうから、そういった方々の目に触れてどんな反応が得られるか、単純に気になりました。今、思い返すと、当時はものすごい悩みがあったのだと思いますが、何だったのかよく覚えていません。でも、そういうことのひとつひとつが言葉として結晶化して、作品としては残るのだなと思うと、書くことの意味、詩とはなんであるかという事について思いを馳せずにはいられないですね。読んでいただき誠にありがとうございました。

桐ヶ谷忍 (2017-03-17):

一読して、私この詩を知っている、とちょっとぼんやりしました。 細部は違うけれど、私の育った環境ととても似ていて、それで既視感がありました。 二回目に読んで、今度は、私と語り手の立場の違いが明確に解り、このような詩は知らない、と思いました。 日本で一番自殺率が高いのは秋田県だと何かで読んだ事があります。 日照時間が、日本で一番少ない県でもあり、鬱病等にかかる人も多いとか。 冷めた、皮肉な目で家族を見ているのに、なぜこの詩の語り手はこんなにも優しいのでしょう。 「家族」だから? 崩壊すれすれの、波打ち際の家族。の上にはいつも雨が降っている。 そこに語り手の悲痛や家族に対する痛ましさがないようにも、或いは注意深く隠されているようにも思え、 けれどこの家族の一員として生まれて幸せであり、雨から、雨に暗喩されている何かの悪意から 我が身を傘として、護ってやりたいと願う。 その優しさが温かく思えると同時に、ミステリアスにも思えました。とても面白い詩を拝読させて頂きました。

なかたつ (2017-03-18):

 冒頭の「私は傘になりたい。」という言葉がこの作品の鍵であるわけですが、いきなりこの言葉を読むと「ははっ、何を言っているのか」と最初はやり過ごしてしまいます。それがむしろよくて、作品を読み進めていくにあたって、この言葉に意味づけがされていきます。  この私は家族の中にいながらも、その家族とは距離をとっているだけでなく、私自身からも距離をとっています。「私は私の食事をしていた。」という語りは、通常であれば「私は食事をしていた」と表記すればよいと思いますが、あえて「私の食事をしていた」とあるのは、私が私から距離をとって俯瞰してみているような印象を受けます。そのことによって終盤の「そこにあるのは私の知らない家族でした。十数年過ごしてきて、初めてその存在に気づいたのです。」ということが言えるのでしょう。目の前で起きていたであろうことを客観化できているのは、ここにある「そこ」という表記からも伺えます。  あと、この詩全体というより、特に段を下げて私が語っている部分について、私は誰に向けて語っているのでしょうか。きっと、家族に向けて語っているのではなく、私が私に向けて言い聞かせているような気がします。そうすることによって、整理のつかなかった家族の状況に対して私なりの意味づけを完了すること=私が私に向けて語りかけることで、さきほどの「初めてその存在に気づ」くことができたのだと思います。それはきっと、タイトルになっている「明日も、雨なのですか。」というのも私が私に向けて言い聞かせて納得させているように思えます。  話は戻りますが、私とその家族との距離というのを一番感じさせたのが、やはり「私は傘になりたい」のリフレインです。私が傘になることで一体何が可能になるのか。それは、外では雨が降っており、誰かが外に出る時に傘になった私を使えば、外に出られるのです。ただ、それはきっと叶わない夢であります。傘は自らで外に出られることはできません。誰かに使われることによって外に出られるのです。それに、この家族には雨が降っていても傘を使うであろう家族はいません。  「外では、雨が ぽつり ぽつり と、降り始め。」というのは、家の中から外を見ており、おそらくこの私は家の中にいることが多い気がします。タイトルの「明日も、雨なのですか。」というのは、一見ネガティブな言葉に思えてしまいますが、それをチャンスだととらえて、「私は傘になりたい」と思えたのではないでしょうか。

葛西佑也葛西佑也 (2017-03-18):

桐ケ谷様 コメントありがとうございます。家族というのは不思議なものですよね。生まれて多くの人が一番最初に所属する社会集団なわけですが、選択することはできないわけですから。家族によって救われることもあれば、その逆もある。そんな叫びの詩でもあるのかもしれません。 なかたつ様 コメントありがとうございます。非常にうれしいお言葉が、「それをチャンスだととらえて~」というお言葉です。私は、この詩を書いたのははるかに昔ですが、当時は救いを見出して書きました。絶望のようでいて、絶望ではなかったのです。

花緒 (2017-03-18):

拝読させて頂きました。最初に横書きのもので読み、最後まで読んで、URLに気づき、縦書きでもう一度、読みました。 フォルムに工夫があり、リズムを崩す箇所が沢山あるのに、すごく読みやすい作だと思います。家族に対して、遊離したような目線で見る、そして、傘(守る存在)になりたいという決意、何が書いてあるか、大意を辿ることがとても簡単で、読ませる文章だと感じます。 他方、正直に申し上げて、本作は、あまり不用意に褒めてはいけないタイプの作なのだろうとも感じました。たとえば、本作、ここで書かれている弟目線、父目線で、「家族」を描いた場合、まったく違う風景が展開するかもしれない。すなわち、この作品にはイマイチ重層性がないように感じるのです。作中話者の視線は、そこにあるのは私の知らない家族でした、というくらい、家族から遊離したものであるように見えながら、多角的な視点を含み得るものにはなっておらず、独りよがりな感じもしないではない。家族の中にも多様性があり、その多様性に対して、作中話者はどこまで開かれているのだろうかと。事例を引けば、たとえば、下記のように書かれているが、(その見方が正しい正しくないはさておき)、弟への見方に豊かさがイマイチ感じられないようにも思う。本当にこの作中話者の見方が妥当なのか、という疑問を感じる。遊離しているようで、囚われている感じが伝わってくる作でもあります。 >生まれたときから、ずっと、弟は父の背中ばかり >見て育った。だから、弟は 雨降り、傘をささな >い。ずぶ濡れの衣類の重量も(自殺願望のことも) >気にせずに。 ごちゃごちゃと書いてしまいました。色々と書きたくなる作であります。 作品として力が宿っている部分があるのだろうと思います。失礼いたしました。

もとこもとこ (2017-03-21):

冒頭の「私は傘になりたい。」は、当然のことながら「私は貝になりたい」を意識していると思われる。違ってたらごめんなさい。(´・ω・`) あのドラマの主人公はなぜ貝になりたいと願ったのか。そして、この詩の語り手はなぜ傘になりたいと願うのか。 私自身、幼い頃から家族との関係があまり良くなかったので、この詩はどうしても自分の体験や心情を重ねてしまう。家庭内の暴君であった父親。DVの被害者でありながら、黙って耐え続ける母親。悪い意味で父親の影響を受けてしまった弟。そして語り手自身もまた、当たり前のことではあるが父親の呪縛から逃れられないでいる。それを象徴するのが「私は父から生まれたんだ」という衝撃的な言葉だ。その後の「この豊かな国に生み落とされた」というフレーズには、鬼束ちひろの「月光」における「この腐敗した世界に堕とされた」を連想させる絶望感がある。人は誰でも自分の意思とは関係なく生まれてくるが、成長の過程においてある者はそれを肯定し、またある者は否定する。ジョージ秋山の衝撃的なマンガ「アシュラ」には、「生まれてこなければよかった」という言葉が繰り返し使われる。自身の誕生を喜べないのは、もちろん世界が悲しすぎ、人生が辛すぎるからだ。この詩の語り手もまた、そういう不幸な人間の1人である。 その次の連では、さらに父親への屈折した思いが吐露される。雨の中をずぶ濡れで歩く父と弟。沈黙し続ける母親。語り手はなぜ傘になりたかったのか。その傘で雨から守りたかったのは誰か。父親、母親、弟、自分自身……もしかしたら家族全員だったのかも知れない。大島弓子の「綿の国星」において、避妊手術を受けた猫はちび猫を見て大切なことを思い出す。自分が忘れてきたのは、寒い雨の日に子猫を包もうとするケープだったのだと。この詩における傘とは、まさにそういう存在なのではないだろうか。違ってたらごめんなさい。(´・ω・`) 

澤あづさ澤あづさ (2017-03-22):

わたしは祖父と父が二代続けて自殺した家庭に育っており、実父が実際に自殺するまでの経緯を鮮明に記憶しています。そのようなわたしにとって、感じ入るものの非常に多い作品でした。 語り手がなりたがる【傘】は、「持ち主を守るために自分が【ずぶ濡れ】になるもの」で、まさに、家の守り手として家に所有される「家父長」を象徴していると思います。日本の中高年男性の高い自殺率の背景には、日本の家父長制が【父】に強いている重圧があると、わたしは勝手に思っているので、感じ入るものが多かった次第です。 【傘】は「風」に対して脆弱な道具ですので、【父】ないし男性性は「風土」に対し脆弱なんだろうと考えます。日本という【この豊かな国】【自殺率の高い地方】の「風土」に煽られれば、「家」以前にわが身を守れないのが【傘】なんだろうと思います。事実わたしの祖父と父が、武士道とか男の甲斐性とかいった日本のジェンダーに屈して自殺したので、過剰な思い入れでそのように感じ入りました。 * 以上の思い入れから、わたしには語り手が男性に見えます。そして「弟よりも父に似ている」と自覚しているように思われます。 わたしが受けたその印象の核心は、【私は父から生まれたんだ。】(=私には母の性質が遺伝していない)という断言と、下記の引用の部分にあります。 ▼引用開始------------------------------- 。(私たちは家族ですか?) 自分で割った皿と豆腐の残骸を片付ける 父と、 ひたすら(※父をなだめようとして)発狂しつづける 弟と、 何か秘めたように黙ったままの 母と、 /私の食事を続ける  私と、/ みんな孤独だった。 -------------------------------引用終了▲ この描写を他人事として見る限り、語り手は、「父の背を見て育った(そのゆえ父を諭そうとする)弟」よりも【父】に似ています。【父】も語り手も、少なくともこのとき、自分のことで精一杯だったという点で合致しています。 自分の感情で精一杯だったのは、【母】も【弟】も同じ(だから【みんな孤独だった】)ですが、語り手は【父】と自分を過剰に責めているのでしょう。【父】の問題を【母】のように受容することも【弟】のように批判することもできなかった酷薄を責めているのでしょう。だから自己暗示をかけるように、【大好きだ】【幸せだ】といった歯の浮くような【虚像】(※しかしそれも本音の願望には違いありません)を並べるのでしょう。 【父】は、自分の感情を自分で片付けられなかったから豆腐に当たったので、豆腐を片付けても【父】の問題は片付きません。語り手も同じく、自分の食事を片付けたところで、自分の感情は片付きません。その結果として生じたのが、この詩の抒情なんだと思います。 ▼引用開始------------------------------- 私は傘になりたい。穴があいてなくて、向こう側のはっきり見えるビニール傘に。(できれば、柄が錆びていないとうれしい。) -------------------------------引用終了▲ 語り手のこの独白は、家/家族を守るための開放的で快い「道具」になりたい、家族の役に立ちたいという願望の表れだろうと、個人的に思います。そういう考えは気に入らないと思う人や、不穏な自責を感じる人もいるかもしれませんが、わたしにとっては胸を打つ言葉でした。 詩中のできごとの際、【父】は自分のストレスをひとりで溜め込んだので爆発し、語り手も同じように【父】から受けたストレスを溜め込んで沈黙し、周りが見えなくなるような状況だったので、そういう閉鎖性を打開したいのだと思います。また、家族のために自分を犠牲にするというような重圧を自分に課していたら、その犠牲の責任を家族に押し付けたくなってしまうだろうから、より軽やかな関係を模索したいのだろうと思います。 共感や希望は信仰に近いような主観であり、作品が客観的に表現することのできない事柄だと考えますが、わたしは上記引用部分に、上記の理由で勝手に共感を覚えました。 * 余談ですが、Tumblr版のフォーマットがとても美しいです。視認性が高く、「読者が重要な部分を読み飛ばさない」ためにも非常に有用なので、ぜひ詩人に広まってほしいスタイルだと思いました。

みうら (2017-03-24):

無条件で僕を助けてくれたのは家族でした、と、そう言い切れる僕は幸せなのかもしれない。あるいは、それは、僕自身が言い切っているから幸せなのだろう。そして、もう一つ言い切れることがあって。幼少の頃に経験した家族の幸せ事よりも、そのことの方が今は大きい。それは、めぐりあった物語が僕を救ってくれたこと。当掲示板に参加される読者諸氏の多くは、同じなんじゃないかと思う。たしか、谷川俊太郎さんが詩にはメッセージは無い、と言及されたことがあったと思う。詩には作者のメッセージなどないのかもしれないけれど、読者が勝手に想像する物語はあるんじゃないかな。その物語に感謝する。少なくとも僕は、その贈られた物語に感謝してきた。 『明日も、雨なのですか。』にメッセージ性があるとして、それを求めること、それを、僕は嫌う。なんとなく。 淋しがり屋の子供が、何気なく本屋さんで手にした本。内容は判らなかったけれど、なんだか友達みたいな気がした、というようなこと。それってさ、友達という物語を勝手に作ってるんじゃないかなって。 傘と同じ。そう、それは雨が降るかどうか判らないし、望んでるのか否かも、自分でもよく判らないけど、必要な傘なんだ。

葛西佑也葛西佑也 (2017-03-25):

花緒様 コメント誠にありがとうございます。フォルムの部分はかなり意識した部分でしたので、ありがとうございます。「家族」というテーマはなかなか厄介なものだなといつも思うのですが、この作品自体が厄介なものにも仕上がってしまったのかもしれないなと、花緒さんのコメントを拝見して思いました。そして、これを書いたのが10年以上前ですので、もう一度同じテーマで書いてみようかとも思いました。ありがとうございました。 もとこ様 コメントありがとうございます。「私は貝になりたい」ですが、当時は全く何も思っていませんでした。でも、言われてみれば確かにそうですね。実は、私自身は、そんなに家族関係がうんぬんってことはないんです。書いた当時も、実存うんぬんとよく言われたものですが、だいたいは完全なる作り話として書いていまして。でも、そこに幾分かのリアルもまぎれているんです。そこが自分の詩の特徴でもありました。昔は。鬼束ちひろも懐かしいですね。また聞いてみたくなりました。素敵なコメント、誠にありがとうございました。

葛西佑也葛西佑也 (2017-03-27):

澤あづさ様 コメント誠にありがとうございます。身近な人の自殺、あるいは自殺ではなくとも「死」というのは、なんとも言えないものです。悲しいという言葉ではありますけれども、やはりそれだけでは表せませんし、またその前後こそが本当はつらいものであろうと思います。この詩はほぼフィクションなので、私の実体験と重なるわけではないのですが、それでも実体験として迫って来るものが、自分で書いて、自分で読んでありました。そういう精神状態で書いたからだと思うのですが。家父長制の話については、よく指摘されることですが、そういう重圧を放棄できることもまた必要かと思います。そうでなければ、悲劇は再生産されていくなと。「傘」になりたいと願いながらも、その傘はもろく、雨風に耐えかねるわけですから。また、フォーマットご理解いただき嬉しく思います。視認性もそうですし、どうしてもこの詩は縦書きでなければだめでした。というよりは、私はすべて縦書きで書くので、本当はだいたいの詩を縦書きで読んでもらいたいと常々思っているのですが。大変丁寧なコメント、とても恐縮です。誠にありがとうございました。 三浦様 コメントありがとうございます。そうですね、私自身、自分の作品にこう読んでほしいというのはあまりありません。お好きに解釈して頂いて、それぞれの解釈の仕方で何か刺さるものがあればと。そういう意味では、逃げが昔から私の中にはあるのかもしれません。しかし、強くこう読まれたい、こう伝えたいということであれば、少なくとも私は詩ではない別のものでそれをやると思うので、私が詩の形でやりたいことはそうではないのだろうなと思っております。コメント誠にありがとうございました。

黒髪 (2017-03-27):

イメージが美しく残りました。家族と天気と食事の。考えさせられる詩ですね。十分にまじめと言っていいと思います。でして、もし かしたら、この家族がまた結束を取り戻すことが、無いとは言い切れないかも、と。僕(黒髪)の甘さ。完成度と表現力、筆力は、 申し分もないと思います。芳醇な蜂蜜が、葛西さんの心を潤すといいな、と思いました。

葛西佑也葛西佑也 (2017-03-29):

黒髪さん コメント誠にありがとうございます。家族を象徴するものとして、食事がありました。一家団欒と言えばよいのでしょうか。まだまだ希望に満ちていると思っています。絶望の詩ではないなと。ただこう読んでほしいというのはそんなにないので、様々な視点で、家族について考えて頂ければと思っています。

百均@B-REVIEW ON/ (2017-04-03):

>。/          私は傘になりたい。  凄く切実だとおもいました。葛西さんの作品は本当に等身大だと思います。だから悪いのではなく、だから本当に強い。ストレートになぜここまで書く事ができるのだろう。それがなぜ卑屈さをまるで感じないのだろう。と、傘になれるわけじゃないのに、傘になる事によって本当に救われる訳などないかもしれないし、語り手が傘になる事によって本当に救われるのだろうかとか、色々そういう事も考えたくなってしまう気持ちが、いつもならどこかにあるのに、そういうのが読んでいくと消えてしまう。希望という物をネガティブとポジティブの狭間で天を仰ぎながら透明なビニール傘を差そうとしている強さを感じます。  この詩を読んで僕が思うのは自分の家族の事です。僕の家族は多分父親が傘になろうとして、それが無理を産んで色々壊れかけそうになった家だったので、なんというか父親の事おもいました。朝から涙が出そうです。極上の読書体験でした。このような作を投稿してくださり、本当にありがとうございました。

葛西佑也葛西佑也 (2017-04-07):

hyakkinnさま コメントありがとうございます。等身大の当時の自分でございました。このストレートな言葉の数々は、それから記号は当時の自分にとって必然的なもので、これでなければ書けないという鬼気迫るものがあったなあと未だに思います。この当時の書きぶりではもう書けなくなりましたが、自分で読み返して、この時のことや気持ちを大切にしよう、また書こうと思えるそういう記念碑的作品でございます。


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