明日も、雨なのですか。 - B-REVIEW
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たそがれに たれかある さくらのかおりがする

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羽田恭

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カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

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きょこち(久遠恭子)

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明日も、雨なのですか。    

            私は傘になりたい。 父は雨が降っても、傘をささずに、ずぶ濡れに なって歩いて行ける。濡れた衣類の重量なんて 気にしないし、他の人も自分と同じだと思って い、る。(自殺願望のことだって。) 父も私も自殺率の高い地方の出身だ。冬には街 の人みんな、うつ病になる。(酒でも飲まなきゃ やってらんないよ!)父が豆腐の入った皿を割 り、脳みそのように飛び散る豆腐の残骸/踏み 潰しながら、私は私の食事をしていた。   、グチャリ (そばでは母が殴ら   れていた)私の空間からは遠いと   ころ、電話の音はサイレンに聞こ   えた。 /何かを救いだと感じる、病んでいる。(止ん でいる? 救いは救急車でしょう?)私は父か ら生まれたんだ。分娩台の上、前かがみになる 父から、卵のように。この豊かな国に生み落と された   、のです。私たちは生まれたとき   から、絶望する術、を、持ってい   る。(個人個人で違うやつを。私   にとっては父。)幼い頃、大好き   だった父の背中を見ないで育った。  (見ないで育ったから、大好きだっ   た? 尊敬しています、お父さん。)   虚像の背中だけで、十分だったん   だ、私には。 生まれたときから、ずっと、弟は父の背中ばかり 見て育った。だから、弟は 雨降り、傘をささな い。ずぶ濡れの衣類の重量も(自殺願望のことも) 気にせずに。/私は傘になりたい。穴があいてな くて、向こう側のはっきり見えるビニール傘に。 (できれば、柄が錆びていないとうれしい。)             「雨は当分止みません              よ。傘を買ったほう              がいいでしょうね。」              と、傘もささず、ず              ぶ濡れで歩くみすぼ              らしい親子に言いま              す。 /私の向こう側の空間では、豆腐の残骸が家族た ちの足でさらに激しく踏み潰されている。必死に 父をなだめる幼い弟の鳴き声(サイレン?)/私 にとっては、電話も愛しき弟の悲痛な叫びも似た ようなものです。 外では、雨が ぽつり ぽつり と、降り始め。 (やがてすべてを流しさっていくであろう雨)明 日は土砂降りですか。天気予報が気になります。 私には家族の中で、明日の天気を聞ける人がいな いのです。「明日、雨みたいだよ。傘を持ってい くといいよ。」と、私のほうから言うばかりで  。(私たちは家族ですか?) 自分で割った皿と豆腐の残骸を片付ける 父と、 ひたすら発狂しつづける 弟と、 何か秘めたように黙ったままの 母と、 /私の食事を続ける  私と、/ みんな孤独だった。 そこにあるのは私の知らない家族でした。十数年 過ごしてきて、初めてその存在に気づいたのです。 しかし、紛れもなく私の家族。/私は、このとき、 初めて生まれたのです、この世界に。(望んでも いないし、望まれてもいない。)     /明日も、雨です     か?みんな。私は     みんなが大好きだ。     みんなの家族で幸     せだよ。母よ 父     よ 弟よ/私は私     の食事を終えて、     ごちそうさま の     代わりに言います              。/          私は傘になりたい。 ※縦書きで読んで頂きたいのです。環境によってはうまく縦書きになっていないかもしれませんが、下記URLでは縦書きで表示かと。 http://yuyakasai.tumblr.com/post/157906926077/%E6%98%8E%E6%97%A5%E3%82%82%E9%9B%A8%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%81%99%E3%81%8B


明日も、雨なのですか。 ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 14
P V 数 : 1128.8
お気に入り数: 1
投票数   : 0
ポイント数 : 0

作成日時 2017-03-16
コメント日時 2017-04-07
項目全期間(2024/04/20現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
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閲覧指数:1128.8
2024/04/20 10時44分29秒現在
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    作品に書かれた推薦文

明日も、雨なのですか。 コメントセクション

コメント数(14)
葛西佑也
(2017-03-16)

URLがおかしなことになっていますね。失礼しました。下記です。 http://yuyakasai.tumblr.com/post/157906926077/

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まりも
(2017-03-16)

URLがうまくコピペできなかったので、とりあえず横書きのままで拝読しました。 「私は傘になりたい。」この一行目から、引き込まれました。縦書きなら、沈黙の空間がまずあって、その後に押し出されるように置かれた一行、ということになるのでしょう。隠喩なのだけれど、明愉というような・・・非常に寓意性の高い、それでいて明晰で、切なくて、でも感情過多にならない、優れた作品だと思いました。 語り手は両親への困惑と、愛憎を抱きながら成長したのかもしれませんが・・・自分が社会人になって、たとえばブラック企業に接するとか、理不尽な搾取に接するなどの体験を経て(勝手な想像ですが)両親の抱え持つ辛さ、苦しさを了解し・・・かつては「かなしみ」や「にくしみ」「とまどい」であったものが、「いとおしさ」に変わったのではないか。そんな気がしました。 「初めてその存在に気づいたのです。 しかし、紛れもなく私の家族。/私は、このとき、 初めて生まれたのです、この世界に。(望んでも いないし、望まれてもいない。)」 そのことに気付いて後・・・家族の未来を、自身が(見通しのよい、そして不幸を防ぐ)透明傘になって、護りたい、という・・・切ない願いの表明、祈りの詩だと思います。 スラッシュや句読点、空間の取り方・・・縦書きにこだわる意味も、きっとそこにあるのだろう、と思いますが・・・視覚的に空間を設ける、詩形にこだわる、リズムに配慮する、といった細やかな心遣いで、パッと見た時に(映画で、音楽が大きな力を持っているように)言葉にならないニュアンスを付加している。よく練りあげられた作品だと思いました。

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葛西佑也
(2017-03-17)

まりも様 コメント誠にありがとうございます。URLうまくいきませんでしたか、すみません。この掲示板だと、レイアウトが崩れてしまいまして、少し自分の意図するものがあらわし難く……。しかし、この詩からいろいろと感じて頂けたようで、うれしく思います。実はもう10年ほども前の作品になります。ここ数年、詩を書いていませんでしたが、また書こうと思った時、もう一度自分の作品を読み直そうと思った時、真っ先にこれを読みました。それで、今読み返すと、いろいろひどいなあと思うのですが、なんだか自分が「書かずにいられない」と思ったことの原点がここにある気がしまして。それで、こちらは、「書こう」とか「書かずにいらない」とか「書きたい」と思う方々が集まっていらっしゃるでしょうから、そういった方々の目に触れてどんな反応が得られるか、単純に気になりました。今、思い返すと、当時はものすごい悩みがあったのだと思いますが、何だったのかよく覚えていません。でも、そういうことのひとつひとつが言葉として結晶化して、作品としては残るのだなと思うと、書くことの意味、詩とはなんであるかという事について思いを馳せずにはいられないですね。読んでいただき誠にありがとうございました。

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なかたつ
(2017-03-18)

 冒頭の「私は傘になりたい。」という言葉がこの作品の鍵であるわけですが、いきなりこの言葉を読むと「ははっ、何を言っているのか」と最初はやり過ごしてしまいます。それがむしろよくて、作品を読み進めていくにあたって、この言葉に意味づけがされていきます。  この私は家族の中にいながらも、その家族とは距離をとっているだけでなく、私自身からも距離をとっています。「私は私の食事をしていた。」という語りは、通常であれば「私は食事をしていた」と表記すればよいと思いますが、あえて「私の食事をしていた」とあるのは、私が私から距離をとって俯瞰してみているような印象を受けます。そのことによって終盤の「そこにあるのは私の知らない家族でした。十数年過ごしてきて、初めてその存在に気づいたのです。」ということが言えるのでしょう。目の前で起きていたであろうことを客観化できているのは、ここにある「そこ」という表記からも伺えます。  あと、この詩全体というより、特に段を下げて私が語っている部分について、私は誰に向けて語っているのでしょうか。きっと、家族に向けて語っているのではなく、私が私に向けて言い聞かせているような気がします。そうすることによって、整理のつかなかった家族の状況に対して私なりの意味づけを完了すること=私が私に向けて語りかけることで、さきほどの「初めてその存在に気づ」くことができたのだと思います。それはきっと、タイトルになっている「明日も、雨なのですか。」というのも私が私に向けて言い聞かせて納得させているように思えます。  話は戻りますが、私とその家族との距離というのを一番感じさせたのが、やはり「私は傘になりたい」のリフレインです。私が傘になることで一体何が可能になるのか。それは、外では雨が降っており、誰かが外に出る時に傘になった私を使えば、外に出られるのです。ただ、それはきっと叶わない夢であります。傘は自らで外に出られることはできません。誰かに使われることによって外に出られるのです。それに、この家族には雨が降っていても傘を使うであろう家族はいません。  「外では、雨が ぽつり ぽつり と、降り始め。」というのは、家の中から外を見ており、おそらくこの私は家の中にいることが多い気がします。タイトルの「明日も、雨なのですか。」というのは、一見ネガティブな言葉に思えてしまいますが、それをチャンスだととらえて、「私は傘になりたい」と思えたのではないでしょうか。

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葛西佑也
(2017-03-18)

桐ケ谷様 コメントありがとうございます。家族というのは不思議なものですよね。生まれて多くの人が一番最初に所属する社会集団なわけですが、選択することはできないわけですから。家族によって救われることもあれば、その逆もある。そんな叫びの詩でもあるのかもしれません。 なかたつ様 コメントありがとうございます。非常にうれしいお言葉が、「それをチャンスだととらえて~」というお言葉です。私は、この詩を書いたのははるかに昔ですが、当時は救いを見出して書きました。絶望のようでいて、絶望ではなかったのです。

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もとこ
(2017-03-21)

冒頭の「私は傘になりたい。」は、当然のことながら「私は貝になりたい」を意識していると思われる。違ってたらごめんなさい。(´・ω・`) あのドラマの主人公はなぜ貝になりたいと願ったのか。そして、この詩の語り手はなぜ傘になりたいと願うのか。 私自身、幼い頃から家族との関係があまり良くなかったので、この詩はどうしても自分の体験や心情を重ねてしまう。家庭内の暴君であった父親。DVの被害者でありながら、黙って耐え続ける母親。悪い意味で父親の影響を受けてしまった弟。そして語り手自身もまた、当たり前のことではあるが父親の呪縛から逃れられないでいる。それを象徴するのが「私は父から生まれたんだ」という衝撃的な言葉だ。その後の「この豊かな国に生み落とされた」というフレーズには、鬼束ちひろの「月光」における「この腐敗した世界に堕とされた」を連想させる絶望感がある。人は誰でも自分の意思とは関係なく生まれてくるが、成長の過程においてある者はそれを肯定し、またある者は否定する。ジョージ秋山の衝撃的なマンガ「アシュラ」には、「生まれてこなければよかった」という言葉が繰り返し使われる。自身の誕生を喜べないのは、もちろん世界が悲しすぎ、人生が辛すぎるからだ。この詩の語り手もまた、そういう不幸な人間の1人である。 その次の連では、さらに父親への屈折した思いが吐露される。雨の中をずぶ濡れで歩く父と弟。沈黙し続ける母親。語り手はなぜ傘になりたかったのか。その傘で雨から守りたかったのは誰か。父親、母親、弟、自分自身……もしかしたら家族全員だったのかも知れない。大島弓子の「綿の国星」において、避妊手術を受けた猫はちび猫を見て大切なことを思い出す。自分が忘れてきたのは、寒い雨の日に子猫を包もうとするケープだったのだと。この詩における傘とは、まさにそういう存在なのではないだろうか。違ってたらごめんなさい。(´・ω・`) 

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澤あづさ
(2017-03-22)

わたしは祖父と父が二代続けて自殺した家庭に育っており、実父が実際に自殺するまでの経緯を鮮明に記憶しています。そのようなわたしにとって、感じ入るものの非常に多い作品でした。 語り手がなりたがる【傘】は、「持ち主を守るために自分が【ずぶ濡れ】になるもの」で、まさに、家の守り手として家に所有される「家父長」を象徴していると思います。日本の中高年男性の高い自殺率の背景には、日本の家父長制が【父】に強いている重圧があると、わたしは勝手に思っているので、感じ入るものが多かった次第です。 【傘】は「風」に対して脆弱な道具ですので、【父】ないし男性性は「風土」に対し脆弱なんだろうと考えます。日本という【この豊かな国】【自殺率の高い地方】の「風土」に煽られれば、「家」以前にわが身を守れないのが【傘】なんだろうと思います。事実わたしの祖父と父が、武士道とか男の甲斐性とかいった日本のジェンダーに屈して自殺したので、過剰な思い入れでそのように感じ入りました。 * 以上の思い入れから、わたしには語り手が男性に見えます。そして「弟よりも父に似ている」と自覚しているように思われます。 わたしが受けたその印象の核心は、【私は父から生まれたんだ。】(=私には母の性質が遺伝していない)という断言と、下記の引用の部分にあります。 ▼引用開始------------------------------- 。(私たちは家族ですか?) 自分で割った皿と豆腐の残骸を片付ける 父と、 ひたすら(※父をなだめようとして)発狂しつづける 弟と、 何か秘めたように黙ったままの 母と、 /私の食事を続ける  私と、/ みんな孤独だった。 -------------------------------引用終了▲ この描写を他人事として見る限り、語り手は、「父の背を見て育った(そのゆえ父を諭そうとする)弟」よりも【父】に似ています。【父】も語り手も、少なくともこのとき、自分のことで精一杯だったという点で合致しています。 自分の感情で精一杯だったのは、【母】も【弟】も同じ(だから【みんな孤独だった】)ですが、語り手は【父】と自分を過剰に責めているのでしょう。【父】の問題を【母】のように受容することも【弟】のように批判することもできなかった酷薄を責めているのでしょう。だから自己暗示をかけるように、【大好きだ】【幸せだ】といった歯の浮くような【虚像】(※しかしそれも本音の願望には違いありません)を並べるのでしょう。 【父】は、自分の感情を自分で片付けられなかったから豆腐に当たったので、豆腐を片付けても【父】の問題は片付きません。語り手も同じく、自分の食事を片付けたところで、自分の感情は片付きません。その結果として生じたのが、この詩の抒情なんだと思います。 ▼引用開始------------------------------- 私は傘になりたい。穴があいてなくて、向こう側のはっきり見えるビニール傘に。(できれば、柄が錆びていないとうれしい。) -------------------------------引用終了▲ 語り手のこの独白は、家/家族を守るための開放的で快い「道具」になりたい、家族の役に立ちたいという願望の表れだろうと、個人的に思います。そういう考えは気に入らないと思う人や、不穏な自責を感じる人もいるかもしれませんが、わたしにとっては胸を打つ言葉でした。 詩中のできごとの際、【父】は自分のストレスをひとりで溜め込んだので爆発し、語り手も同じように【父】から受けたストレスを溜め込んで沈黙し、周りが見えなくなるような状況だったので、そういう閉鎖性を打開したいのだと思います。また、家族のために自分を犠牲にするというような重圧を自分に課していたら、その犠牲の責任を家族に押し付けたくなってしまうだろうから、より軽やかな関係を模索したいのだろうと思います。 共感や希望は信仰に近いような主観であり、作品が客観的に表現することのできない事柄だと考えますが、わたしは上記引用部分に、上記の理由で勝手に共感を覚えました。 * 余談ですが、Tumblr版のフォーマットがとても美しいです。視認性が高く、「読者が重要な部分を読み飛ばさない」ためにも非常に有用なので、ぜひ詩人に広まってほしいスタイルだと思いました。

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三浦果実
(2017-03-24)

無条件で僕を助けてくれたのは家族でした、と、そう言い切れる僕は幸せなのかもしれない。あるいは、それは、僕自身が言い切っているから幸せなのだろう。そして、もう一つ言い切れることがあって。幼少の頃に経験した家族の幸せ事よりも、そのことの方が今は大きい。それは、めぐりあった物語が僕を救ってくれたこと。当掲示板に参加される読者諸氏の多くは、同じなんじゃないかと思う。たしか、谷川俊太郎さんが詩にはメッセージは無い、と言及されたことがあったと思う。詩には作者のメッセージなどないのかもしれないけれど、読者が勝手に想像する物語はあるんじゃないかな。その物語に感謝する。少なくとも僕は、その贈られた物語に感謝してきた。 『明日も、雨なのですか。』にメッセージ性があるとして、それを求めること、それを、僕は嫌う。なんとなく。 淋しがり屋の子供が、何気なく本屋さんで手にした本。内容は判らなかったけれど、なんだか友達みたいな気がした、というようなこと。それってさ、友達という物語を勝手に作ってるんじゃないかなって。 傘と同じ。そう、それは雨が降るかどうか判らないし、望んでるのか否かも、自分でもよく判らないけど、必要な傘なんだ。

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葛西佑也
(2017-03-25)

花緒様 コメント誠にありがとうございます。フォルムの部分はかなり意識した部分でしたので、ありがとうございます。「家族」というテーマはなかなか厄介なものだなといつも思うのですが、この作品自体が厄介なものにも仕上がってしまったのかもしれないなと、花緒さんのコメントを拝見して思いました。そして、これを書いたのが10年以上前ですので、もう一度同じテーマで書いてみようかとも思いました。ありがとうございました。 もとこ様 コメントありがとうございます。「私は貝になりたい」ですが、当時は全く何も思っていませんでした。でも、言われてみれば確かにそうですね。実は、私自身は、そんなに家族関係がうんぬんってことはないんです。書いた当時も、実存うんぬんとよく言われたものですが、だいたいは完全なる作り話として書いていまして。でも、そこに幾分かのリアルもまぎれているんです。そこが自分の詩の特徴でもありました。昔は。鬼束ちひろも懐かしいですね。また聞いてみたくなりました。素敵なコメント、誠にありがとうございました。

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葛西佑也
(2017-03-27)

澤あづさ様 コメント誠にありがとうございます。身近な人の自殺、あるいは自殺ではなくとも「死」というのは、なんとも言えないものです。悲しいという言葉ではありますけれども、やはりそれだけでは表せませんし、またその前後こそが本当はつらいものであろうと思います。この詩はほぼフィクションなので、私の実体験と重なるわけではないのですが、それでも実体験として迫って来るものが、自分で書いて、自分で読んでありました。そういう精神状態で書いたからだと思うのですが。家父長制の話については、よく指摘されることですが、そういう重圧を放棄できることもまた必要かと思います。そうでなければ、悲劇は再生産されていくなと。「傘」になりたいと願いながらも、その傘はもろく、雨風に耐えかねるわけですから。また、フォーマットご理解いただき嬉しく思います。視認性もそうですし、どうしてもこの詩は縦書きでなければだめでした。というよりは、私はすべて縦書きで書くので、本当はだいたいの詩を縦書きで読んでもらいたいと常々思っているのですが。大変丁寧なコメント、とても恐縮です。誠にありがとうございました。 三浦様 コメントありがとうございます。そうですね、私自身、自分の作品にこう読んでほしいというのはあまりありません。お好きに解釈して頂いて、それぞれの解釈の仕方で何か刺さるものがあればと。そういう意味では、逃げが昔から私の中にはあるのかもしれません。しかし、強くこう読まれたい、こう伝えたいということであれば、少なくとも私は詩ではない別のものでそれをやると思うので、私が詩の形でやりたいことはそうではないのだろうなと思っております。コメント誠にありがとうございました。

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黒髪
(2017-03-27)

イメージが美しく残りました。家族と天気と食事の。考えさせられる詩ですね。十分にまじめと言っていいと思います。でして、もし かしたら、この家族がまた結束を取り戻すことが、無いとは言い切れないかも、と。僕(黒髪)の甘さ。完成度と表現力、筆力は、 申し分もないと思います。芳醇な蜂蜜が、葛西さんの心を潤すといいな、と思いました。

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葛西佑也
(2017-03-29)

黒髪さん コメント誠にありがとうございます。家族を象徴するものとして、食事がありました。一家団欒と言えばよいのでしょうか。まだまだ希望に満ちていると思っています。絶望の詩ではないなと。ただこう読んでほしいというのはそんなにないので、様々な視点で、家族について考えて頂ければと思っています。

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百均
(2017-04-03)

>。/          私は傘になりたい。  凄く切実だとおもいました。葛西さんの作品は本当に等身大だと思います。だから悪いのではなく、だから本当に強い。ストレートになぜここまで書く事ができるのだろう。それがなぜ卑屈さをまるで感じないのだろう。と、傘になれるわけじゃないのに、傘になる事によって本当に救われる訳などないかもしれないし、語り手が傘になる事によって本当に救われるのだろうかとか、色々そういう事も考えたくなってしまう気持ちが、いつもならどこかにあるのに、そういうのが読んでいくと消えてしまう。希望という物をネガティブとポジティブの狭間で天を仰ぎながら透明なビニール傘を差そうとしている強さを感じます。  この詩を読んで僕が思うのは自分の家族の事です。僕の家族は多分父親が傘になろうとして、それが無理を産んで色々壊れかけそうになった家だったので、なんというか父親の事おもいました。朝から涙が出そうです。極上の読書体験でした。このような作を投稿してくださり、本当にありがとうございました。

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葛西佑也
(2017-04-07)

hyakkinnさま コメントありがとうございます。等身大の当時の自分でございました。このストレートな言葉の数々は、それから記号は当時の自分にとって必然的なもので、これでなければ書けないという鬼気迫るものがあったなあと未だに思います。この当時の書きぶりではもう書けなくなりましたが、自分で読み返して、この時のことや気持ちを大切にしよう、また書こうと思えるそういう記念碑的作品でございます。

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