B-REVIEW作品投稿掲示板


余呉   

右肩ヒサシ 
作成日時 2018-11-18
コメント日時 2018-12-31

 

 僕は何か不吉なものに身体の奥を揺さぶられたと思った。が、そうではない。湖畔の草むらから大きな鴉が飛び立った、ただその音を聞いたのだ。  吉村の前世は鴉だ。正確に言えば、そういう確信に満ちた自己認識が、彼という人間の中心を形作っている。彼は何も語らない。しかし、僕は偶々そのことを知っている。  だから、吉村が鴉の飛び立った草むらの方へ、不意にほっそりとした首を曲げ、食い散らかされた生き物の死骸を探そうとした、その衝動をよく理解することができた。  水面に落とした墨汁の一滴が、雫の形から解放されて水に広がっていこうとする衝動。リボンがほどけるような穏やかな拡散。その様態こそが、殊に明るい死への誘惑である。存在しない、という意味において、前世は来世と同じだ。吉村が過去を確認することは、未来に爪を立てることである。柔らかい爪、色を失う直前の薄い薔薇色。人は必ず死ぬ。死んでみたいと思う。  余呉の湖は、鴉の翼から散らばって落ちる夜の羽根で、水面にうねる小波の隙間を埋めようとする、徐々に。  「だが、そうなる前に」と吉村は言って僕を見つめた。「一日の昂ぶりはまだ当分消えることはない。余呉の水は光の粉末を溶かし込んでいるから。末期の暗さがよほど祓われている。」嘘ではない。湖の周りの稲田も、葦の群生も、自ら輝いて明るい。  彼は短い驟雨を何度か潜り抜け、賤ヶ岳の起伏を越えてここまで来た。自分の魂を肉体に運ばせる作業に伴う快楽。吉村の前髪は濡れていた。額から鼻先へ雫がこぼれている。  土地への愛情ではない。刹那的な快感原則が、彼の肉と魂に羽根を与え、ここまで羽ばたかせたのだった。  湖面から、この日の最後へ迫る輝き。静かに迫る。束の間、舌が痺れるほど甘い。彼に、吉村に舌を吸われる女性が、口中に感じるであろうものが、それだ。紫がかった叢の包む、赤い腐肉が醸し出す甘みにも等しい。かつて生きて目を見開いていたものの、それ。眩しい甘さ。  湖岸の道は草を分けて伸び、歩けば先々を精霊飛蝗が跳ぶ。ためらいなく飛ぶ。僕らの前を過ぎり、足下から逃げるように跳ね、逆にこちらへ向かってくるものもある。薄暮に透き通る緑の個体。腹に消化官が透け、食われた草の色がだんだん研ぎ澄まされてくるのも見える。  湖畔の、実りかかった稲田と、続く畦の茅の群生が、跳ねるもの、飛ぶものたちを抱えている。この時、この場所の金色。交じる緑。  さらに、その全体を法則性が抱えている。  「すべての法則は脆弱だ。脆く、とてもはかない。」吉村、お前はそういうが、吉村、それは主観だよ。脆いのはお前で、はかないというのはお前の感傷だ。  存在は法則に先行して少しも揺るがない、すべての法則は存在の様態の一面に過ぎないから。余呉も。  そう答えかけると、白い風が湖から渦を巻く。吹き出した風に巻かれ、幾重も巻かれ、吉村の身体が細かく震えだし、やがてスニーカーの足が地上を離れ始めた。  吉村は、このまま高い場所、遠い場所へと飛ぶ。飛ぶのかどうか。いや、飛ぶだろう。  俯瞰するなら、家々の屋根。西岸の田畑。その畦道に僕がいる。さらに上って低層の層雲、高層の巻雲、余呉の湖は一枚の短冊、南方へ展く古戦場。北国街道、琵琶湖北岸塩津の街道、下って長浜、彦根に草津。大津辺りの八景、水の近江。  地球という球体。描かれた地理も地質の造型も、やがて遠く青く潤み、研ぎ澄まされ、刺すような輝きに。  だが、吉村は実際まだ眼前にわずかに浮くままだ。余呉の地誌の圏内に一メートルほど浮遊したまま、僕を見下ろしている。  大きな黒目。冷然と見下ろしている、と僕の主観は彼を描写する。  暗い浮草が水面でびるびると小さな葉を震わせた。震わせる。  吉村、吉村。ここは何処だ。今世は何処にあるのか。


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右肩ヒサシ右肩ヒサシ (2018-11-18):

*「B-REVIEW杯」不参加作品 いつもお世話になっています。あまり他の方にコメントができなくてすみません。 今回から「B-REVIEW杯」は不参加という形にさせて下さい。長くやっているというだけのことで、一部の方に気を使わせてしまっているような気がして申し訳ないからです。 頑張って書いたつもりですし、書いているときはとても楽しかったのですが、まったくダメな気もします。自分の書くものは自分にはわからないですね。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-18):

どうもです。 次回からは題名に「※」や「杯不参加」など目印を入れてもらえると助かります。 というのはアーカイブ編集の際に題名からすぐ不参加作品とわかるようにする為です。基本本文は開かずに編集をするので、今回のようコメントにしか不参加の目印がないと抜けてしまう可能性が高いからです。よろしくお願いします。

まりも (2018-12-14):

余呉の湖、芭蕉、蕪村・・・過ぎ去った者たちへの感傷に誘われつつ、水墨画のような背景の中で、「吉村」と「僕」は、腐肉を漁る鴉=死神(的な存在)に魂を吸い取られるような官能の(タナトスを充たされるような)口づけを交わしている、という情景が展開されているように思いましたが・・・エロスとタナトスの溶融、というような方向性というか意図は、あまり感じられず。滅びへの志向が強いのか。 後半、情より理が勝った会話に移行するのは、精神が肉体から離れかけているようなイメージなのか・・・。肉体からの分離を暗示するような飛翔体験への夢想シーンが、唐突に現れる印象も受けました。前段が丁寧に助走を持つような描写であるので、なおさらそう感じたのかもしれません。

仲程仲程 (2018-12-25):

いいですね、うまいなぁ と 堪能しました。

右肩ヒサシ右肩ヒサシ (2018-12-31):

返信、遅くなり申し訳ありません。 渡辺さん、ご迷惑をお掛けしました。次から気をつけます。 まりもさん、いつもご丁寧にありがとうございます。僕は自分のいない場所が死後だと思います。主体がある限り死というものはありません。生きている人が「死ぬ」とは生の最後の営みの一部なので、生者の語る「死」は生々しいものにならざるを得ないようです。生きる者の見る死は、過去の投影としての未来に過ぎない、ということを他人になった自分を通して自分に語ったのがこの作品だと僕は思っています。違うかもしれませんが。 中程さん。ありがとうございます。奇特な方ですねw


あらかじめ喪われた、《角》へ。   

なゆた創 
作成日時 2018-11-06
コメント日時 2018-12-25

 

(非―在)の、あわいに 《角》が、覗く/ 振り、返る。/いない、初めから、 私達は、喪われた亡き妻を乞う シ人、なので、カタチを捧げるたび貴女 からは遠ざかってゆくのです限りなく 研ぎ澄まされてゆく指先の、先、に、 最果ての凍土が、あつく、 ふれる」――遠く、声が響く。 懐かしい、(でも、一度だって聞いたことのない、 貴女の。 。欠け落ちた、カタチの あわいを、埋めるように、 ふと、(非―在)の息がしている。 それは、青、くて。 そっと、耳を、預けてみる。    。 (((青)))、の、 底 へ 、 潜 る 。     (((ふ、。     。     狂れる))) 階 )きざはし。)の、端、へ か)駆)掛)欠)ける、爪先 の、先へ、舳先、へ、。 。こ、此処が、水域。 です。裂け/     /《目》が、あります。 (((圧((シ))域)))の、 め目ま眩いです))。    。 (((ふ)))れる、(非― 在)の、貴女の、 愛おしい、《角》に、 。零れ、落ちて、しまう。 から、 ((シ))の、階―きざはし― に、あやうく、私は、 また、振り返る/       /誰も、いない。


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渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-06):

こういう形式ってネット詩やってたら既にどっかで見たことあるなってなってしまう。 だから既視感との差異を探ろうとするのだが、それを成すために読もうとしてもこういう形式だから円滑にいかない。 そんな正直な感想。

なゆた創なゆた創 (2018-11-06):

単純にここのカラーはわかりませんが、私は私の詩を書くだけです。

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-11-06):

超初期の最果タヒと似てるので、プロに見せれば絶賛させるのでは?

なゆた創なゆた創 (2018-11-06):

というより、こう言う詩型だからというバイアスかかりすぎじゃないですか。別に散文的な叙情詩としてリライトしてもいいですけど。需要と傾向には合わせますよ。

stereotype2085 (2018-11-21):

形式として読みにくい、と一瞬思いましたが、こういう詩型だからというバイアスがかかりすぎというコメを見て再読。そうするとこの詩型がむしろ失われた貴女、亡き妻を思う余りの動揺、心の空白を表すのに効果的だったのではないかと思いました。人間思考が途切れ途切れになることもある。それを表現されているのでは、とも。

帆場蔵人帆場蔵人 (2018-11-21):

ぼくは良いと思います。こう言った詩に慣れてないから目新しい、というよりも視覚的な表現として自分が試していない方法を考えさせられます。 青、を( (青) ) を括弧で括るだけでもそこから得るイメージに変化があり、楽しめました。 カタチを捧げるたび貴女からは遠ざかってゆくのです限りなく という一文がなき人をおもうときに誰しもが経験していることだと感じました。拙い感想ですがご容赦ください。

尾田 和彦尾田 和彦 (2018-11-21):

言葉そのものの意味と、記号の使用により、意味感覚自体を補強する作品の意図が あるように感じましたが、それはそれはそれなりに成功していると思いました。 ≪角≫で譬えられているのは人間の「エゴ」のようなものだと思いますが、そこか ら受けとるべきものを探してみました。 【引用】 (((ふ)))れる、(非― 在)の、貴女の、 愛おしい、《角》に、 。零れ、落ちて、しまう。 上記引用部のパラグラムですが「非在」という言葉に無前提に寄りかかり過ぎていて、書 き手自身の独自的な思考、思想が感じられず、読んで何か新しい「もの」を受け取った、 という感じがしなかった。と、同時に自愛的な表現に陥ってしまって、他者に手渡すフレー ズになってない、表現としての甘さがあると思いました。 ただ 【引用】 ふと、(非―在)の息がしている。 それは、青、くて。 そっと、耳を、預けてみる。 あるポエジーはしっかりと灯っていて、記号を多用する作風としては、その辺り面白いと思い ました。記号表記の中に、ポエジーの世界/領域があるんだ、という部分ですね。 そこは一つのテーマとして探求するべき課題だと思います。

藤 一紀 (2018-11-22):

おはようございます。まず最初に思い浮かんだのはオルフェウスのことでした。で、よく作られているように思います。初見から気になったけど、改めて見直してもそれは変わらないです。内容に沿って、言葉のもっている音と意味とがそれぞれに振動して、ずれたり、分かれたりしながら大きく波紋を描いて拡散しているような感覚があります。それに、(非在)とするより(非ー在)のほうが「非」も「存在」もくっきり意味を露わにするというところも含めて、全体に言葉と記号とが効果的に機能しています。総じて視覚的にも聴覚的にも皮膚感覚としてもぞわぞわする。 関係ないことですが、一つの音にはたくさんの意味を持つ語があります。ある一つの語を発した時、それと同じ音で且つ異なる多くの語が同時に表出されたらいいのになぁ!と考えていた時期があることを思い出しました。

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-12-25):

てか渡辺さん全然ほめてないやん。こわ 泳ぐ器のほうが良いと思うますですけどねぇ


放課後の話   

侑秋 
作成日時 2018-11-27
コメント日時 2018-12-24

 

君が死にたいって言った どうしてって聞くと なんとなくって返ってきた 面白いねって笑うと ちょっと面食らって君も笑った


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花緒 (2018-11-28):

面白いと思ったが、1週間後にはきっと忘れてしまう作品でもあるだろうという気がした。 まあ、小品としてこれはこれでいいのかもしれないが、一発勝負できる作品ではないだろう。

asdfghjklasdfghjkl (2018-11-29):

無駄のない4行ですね。 リズムがいいです。 君と僕の関係を自然に想像してしまいます。

侑秋 (2018-11-29):

花緒さん 読んでいただきありがとうございます。面白いと言って頂けて嬉しいです。確かに印象には残りにくい詩ですよね。一発勝負のできる作品を作れるように頑張ります。 asdfghjkl さん 読んでいただきありがとうございます。 心地の良いリズムを目指しているので、リズムが良いと言っていただけて嬉しいです。

グーグルグル夫グーグルグル夫 (2018-12-02):

そんなに真剣に死にたいと考えていないようだし、最後の少し照れたような感じがなんだか青春って感じでいいなと思いました。

侑秋 (2018-12-24):

グーグルグル夫さん 読んでいただきありがとうございます。 青春といえば放課後という勝手なイメージがあったので、青春を感じて貰えて嬉しいです。


かえっておいで   

杜 琴乃 
作成日時 2018-11-04
コメント日時 2018-12-23

 

あの日、 台風が来ると知り 雨戸を閉めに行ったきり 帰ってこない 降り続く破線に切り取られ それっきり あの日、を どこか遠くへやってしまった 翌朝のちぎれ雲は やさしく整えて日陰に干した 買ったきりしまい込んだコンピューターミシンがあるから お日さま色の糸で 屈託のないステッチで 名前の刺繍を添えて ハンカチに仕立てようと思う もう泣いても困らないように それから、 ちゃんとかえってくるように


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ishimuratoshi58ishimuratoshi58 (2018-11-05):

日常がさりげなく非日常と溶け合ってひとつになる、詩的想像力のやさしい細やかさが素敵な作品です。私がこよなく敬愛する山本沖子さんの作品に通じるような世界。 >翌朝のちぎれ雲は >やさしく整えて日陰に干した この二行はことに素晴らしい。想像が詩的真実になる瞬間、というのはこういうものでしょう。ちぎれ雲の質感が手に取るように感じられます。詩によってしか創造し得ないリアリティです。 ひとつだけ贅沢を言うと、「かえっておいで」と呼びかける対象は、「あの日」であると読めるのですが、対象を示唆せずに読者の想像に任せた方が、「かえって」きてほしいものの実在感が増したように思いました。もちろん「あの日」に籠めた作者の思いがあるのでしょうが。

ふじりゅう (2018-11-05):

拝見しました。 あの日、の大切さを詩が流れるように語る様は美しく、切ないです。ハンカチをミシンで仕立てていますが、そのあと「帰ってくるように」と述べており帰ってくる可能性を秘めています。いや帰っては来ないけど信じているだけなのかもしれない。あの日、がもし誰かとの思い出を指していると仮定して楽しく読みました。いい作品だと思います。

仲程仲程 (2018-11-05):

あの日は、忘れたいほどの日だったのか、今では忘れちゃいけないと思っているのか、 そのための気持ちの整理や明日への準備(ハンカチ)がもう出来上がってしまうのか、 うまい言葉がみつかりませんが、いい感じです。 沖縄のおまじないで、魂の抜けてしまったような人に まぶい、まぶい、うってぃくーよー(魂、魂、降りて(戻って)来てよ) というのがあって、共通する祈りみたいなもの感じました。

みうら (2018-11-05):

ビーレビに参加される投稿仲間のうち、日常から発せられるところの言葉を大事に持っていらっしゃる方々の作品を私は好ましく思っていて。他方、コメントを上手く書けないもどかしい気持ちも併せて持つ。本作「かえっておいで」を2度3度と、掲示板をスクロールする度に読んでは、コメントの内容が頭の中で組み立てることが出来ないでいた。雨戸やコンピュータミシンやハンカチがある情景は記憶に埋もれてしまった私が一番幸せと実感していた幼き頃を打つ。しかしながら、それをコメントにすることに迷った。それはきっと今の私の手から離れた、いや、捨てたものだからだと思っていて。気持ち悪く取られてしまうかもしれないが結語にある「ちゃんとかえってくるように」に私の感情は動いた。とてもいい言葉だと思う。もう一つコメントしたいことがあって。先に述べた日常から発せられる詩文、それが私にとって一番苦手なもの、書けない自分がいる。しかし薄々感づいていることがあって、それは、私が書きたい目指しところの傑作とは日常にあるのだろうということ。それを詩人の白島真さんから教わりました。ごめんなさい。長々とした自分語りコメントになりましたが、最後に白島さんから教わった倉橋健一氏の言葉を紹介して終わりにします。 「切実な主題は、日常のくらしの奥にまぎれもなく沈静してある。それをねばりづよく追求し、みずからの物語をつむぎだすことこそが、詩のほんとうの夢であるだろう」倉橋健一

fiorina (2018-11-06):

三浦さんにつられて自分語りをします。友人と鎌倉からの帰り、夕日を首筋に浴びながら電車に乗っていました。彼女は若い頃艶やかな歌や詩を書いていましたが、ある頃から随筆家となりました。わたしはかつての彼女の詩が忘れられず、「どうして詩を書かないの?」と何気なくたずねました。「詩を書いて」と少し甘えるように言ったら、穏やかな彼女が驚くほど強く、その言葉を忘れたのですが、言い返しました。私は小さく「詩じゃなくちゃ、だめなんだ・・・」と言いました。でも彼女の書く随筆は詩のようでした。そして、そのころ私は随筆がかけませんでした。私には丁寧な暮らしというものがなかったのです。若い感情で、暑いトタン屋根の上の猫のような言葉を追いかけて、詩だと思いこんでいました。しばらくして、彼女は再び、詩を書くようになりました。やっぱり詩じゃなくちゃ、だめだったわ、といいました。琴野さんの詩は、日常から滲み、目に映るものに宿っていく言葉でつむがれている。私も今は信じる、後悔しないみちを詩と共に歩いておられる。え、でも、白島さんと三浦さんの詩。変わるんですか・・・?

杜 琴乃 (2018-11-10):

ishimuratoshi58さん 貴重なアドバイスを有難うございます。 確かに「あの日」とわざわざ書かない方法があったかも...もっと工夫できたかもしれません~。反省! また「想像が詩的真実になる瞬間」「詩によってしか創造し得ないリアリティ」との言葉に、私自身が詩の何を面白いと感じているかを気づかせて頂きました。好意的なお言葉を頂き大変嬉しく思います。 山本沖子さんを存じ上げなかったのですが、検索したら詩集のタイトルがどれも素敵で...早速一冊購入しました。ゆっくり読みたいと思います。 ふじりゅうさん コメント有難うございます。 あの日は過ぎてしまったので今はどうにも出来ないけれど、大切にしたいという気持ちが伝わるといいなと思います。 仲程さん コメント有難うございます。 その沖縄のおまじないに近いかもしれません。あの日、は準備が出来ていなかったから、そのおまじないをかけてあげたいです。 みうらさん 気持ちわるくなんてないです。有難うございます。私も上手くコメント出来ずに過ぎてしまうことが多々あります。そんな中でコメントを頂けたことを大変嬉しく思います。 読んで好きな作品と、自分が書くものって結構違いませんか?憧れている文体とかかっこいい単語とかたくさんあるけど、自分にしっくりくるものでないと書いててムズムズしちゃう。挑戦したいときもあるけど、使い慣れた材料で工夫ができたらいいなぁと思います。たとえばいつもの肉じゃがを塩バター味にしてみるとか。 fiorinaさん コメント有難うございます。 少し前までは日常から逃げたくて詩(のようなもの)を書いていたのですが、気づいたら最近は日常ばっかり書いていて自分でもびっくりです。とくに子供のこととか絶対考えたくなかった。でも詩を書いているのは紛れもない自分なので、自然なことなのかなぁとようやく受け入れることができてきました。この目に見えた日常をもっともっと工夫してファンタジックに仕上げられたらいいなぁと思っています。というのも、私はエッセイは書けません。日記も苦手です。そういう意味では、私も詩じゃなくちゃだめなのだと思いました。

stereotype2085 (2018-11-10):

優しい詩ですね。最近は日常ばっかり書いていて、とのコメを拝見しましたが、いいんですそれで。いいんです。となぜか川平慈英のようなフレーズが思い浮かびました。現実逃避から自己肯定へと、筆者様の段落が移ったのかもしれません。自分語りを少々。最近僕もようやくそんな気分になってきました。また違ってくるのかもしれませんが。とにかくも詩の内容自体は「帰ってこなかったもの」が何かは具体的には書かれていないように感じましたが、その「帰ってこなかったもの」の愛おしさと大切さが切々と伝わって参りました。良作だと思います。

るるりら (2018-12-06):

こんにちは かえってこない方を思い遣る表現が、やわらかで 素敵です。 とくに、境界を示すガジェットが素敵。 たとえば、雨戸。古めの家屋でも雨戸のある地域と ある地域があると思うのですが、雨戸が重宝がられる風土の土地なのだということは、強風や長雨も めずらしいことではない地域の物語だなあ。雰囲気でているなー。と、思いました。 あと、「降り続く破線」が、好きです。雨を破線と見立てて、破線に切り取られた日常。ショックな出来事がかかれているのですが、細部には こんな 美しさ。 破線というと、まるで 折り紙の切り取り破線にきりとられたかのような やさしみがでている気がしました。

るるりら (2018-12-06):

×古めの家屋でも雨戸のある地域と ある地域があると思うのですが、 〇古めの家屋でも雨戸のある地域と 雨戸のない地域があると思うのですが、 訂正です。

rurarura (2018-12-23):

「かえっておいで」という言葉が好きです。とてもとても優しい言葉。 「おかえり」っていう言葉は、相手を労う言葉です、待っていた自分よりもまず、無事に帰ってきてくれたことへの感謝です。とても暖かくて気持ちいい言葉です。 言葉選びには人間性が出ると思います。無意識に使った言葉も、考えて選んだ言葉も、嘘に用いた言葉も、必ずその人の中身を示します。 すごく大きな優しさ、抱擁力のようなものが伝わってきました。子供の頃、母親に抱きしめられたときのような、ふわふわした暖かさに包まれる感覚。 言いたいことが上手くまとまらなくて申しわけないですが、私はこの詩がとても好きです。


あなまどい   

まりも 
作成日時 2018-11-06
コメント日時 2018-12-20

 

しずかに くびを しめられているとき わたしは いつも いきていました くるうことさえできたら その言葉は やわらかくて まるくて くずもちのような かたまりで そっとほりおこした黒土にうずめると ありたちが いちれつになって 一心不乱に はこんでいきます 勤勉な蟻にも 何割かは いつも働かない蟻がいる こころのいちぶも からだのいちぶも そうしてねむっているから わたしたちは いきていられるのですね 葉先から色のかわりはじめた ひとなつを生きた緑をながめながら わたしは今 ねむるしたくをしています


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るるりら (2018-11-07):

おはようございます。 あなまどいとは、秋の彼岸を過ぎても、冬眠のための穴にこもらないでいる蛇の様子のことだと、検索で 知りました。 しずかに くびを しめられているときとは、ただらぬ状況です。 真綿で首を絞められるかのような困難を経験したという比喩表現でしょうか? 個人的には、わたしには 昔の職場で 首を絞める癖のある上司の下で働いていた体験があるので、首を絞められると、ただただショックだったな。あれは、あらゆる思考力が停止するんだがな。と、自身の嫌な記憶を辿ってみました。ですが、詩文では その時、話者は いきていたと あります。 >しずかに くびを しめられているとき >わたしは いつも いきていました 「必死」という言葉のことを想います。必死とは かならず死ぬと書くわけで、漢字とはうらはらに、とてもその場その場で生き生きと生きていることを示しています。そんな 困難のさなかの人の 苦い意気地を想いました。 くるうことさえできたら って、ことは 人間は 狂うことはできないでしようから 艱難は艱難でしかなく、やわらかくまるい くずもちのような かたまりなはずはなく、おそらく、とても つらい現状の詩なのでしょう。 人生には、もう寝るしかない方法のないようなことも あるのでしょう。 そうやって どうにかこうにか生き抜くことも、あるのでしよう。 凍えながら眠るかのような しぶい作品だと思いました。

花緒 (2018-11-08):

言葉の手触りがとても良い。意味というより語感のために編まれているような印象。全部ひらがなでも良いような気もした。

まりも (2018-11-08):

るるりらさん ありがとうございます。首を絞める癖のある上司!!! ・・・精神的、にではなく、実際の行動として、ということであれば、これは大問題、今ならパワハラで訴えられるレベルですね。 おっしゃるように、わたしの「くびしめ」は、精神的な比喩、ですが、ある種、もう限界、というところまで追い込まれた時の、精神的な空白、というのか・・・その中を彷徨うときに、今、実は真に生きている、のかもしれない・・・と思った、のでした。タナトス的なエロスの感覚に近いのかもしれません。 心身が、ともにキリキリと締め上げられる状況に至った場合・・・恐らく、人は生きてはいられないでしょう。体の、少なくとも一部が、むしろ反応しない(心の言うことを聞かない、心と連動しない)からこそ、人は、この地上にとどまることができるのではないか。そんなことを、蟻が黙々とエサを運んでいく動きを眺めながら、感じたのだと思います。 しかし。ああ、いっそのこと、くるってしまいたい、すべてを投げ出してしまいたい、と、思うことは、ありますね・・・。 花緒さん ありがとうございます。ひらがな・・・にしようかとも思ったのですが。 漢字が目に飛び込んできて、そこから「音声」あるいは「イメージ」として、脳内で立ち上がるときの速度と、ひらがなが同様に立ち上がるときの速度の違い、そこにこだわりたいと思いました。 プディングの中のアーモンドプラリネ、のように、漢字を置いていきたい、という感覚を持っている、のですが(なかなか、この感覚をうまく説明できない)葡萄パンの葡萄、とか。 〈意味というより語感〉この〈語感〉は、五感で感じる感覚、かもしれません。 ※ビーレビュー杯不参加作品 書き忘れました。

stereotype2085 (2018-11-11):

非常にヘヴィーな題材を用いているのに、一部かな表記にすることで、その重さを緩和している。人間は余りに辛い経験をするとその衝撃を和らげるために幼児退行化したり、知性をシャットアウトしたりすることがあるらしいが、それに似たものか。話者の心情を表現するのに、この手法(かな表記)は存分に成功している。そして話者が注目したのが蟻の群れ。働き蟻にも働かない蟻がいる。そこから敷衍して、人間の体にも時折機能しなくなる部分があるからこそ「いきていられるのですね」と来る。惜しい所が一つもないといっていい良作でありました。

まりも (2018-11-14):

ステレオタイプさん ありがとうございます。へびだけにへヴィー(笑) 蟻の群から、働かない蟻を取り除くと、働いていた蟻の一部が、一定の割合で、働かなくなるそうです。予備要員なのか。 常に、どこかを休ませていなくてはいけない、フル稼働はいけない、そんなメッセージであるように思います。

仮名吹(かなぶき)@詩のブログ (2018-11-21):

勤勉な蟻、勤勉なひとの内面に潜む無反応、ねむり…生き物はどこかにセーフティーネットのようなものを備えながら生まれてくるのでしょうか…そういう意味でも非常に興味深い作品だと思います。

羽田恭 (2018-11-22):

初めは冬眠を連想しましたが、もう一度読んでみると、クマムシが乾燥などに耐えるため体を縮めてまるで死んだような状態になっているのを連想しました。 こうなると宇宙空間に出しても死んでしまうことはないんで、この詩の語り手もひととき寝てしまうだけなのかなと思いました。 くびをしめられるかのような事がなくなれば、また目を覚ますのかなと。

みうら (2018-11-24):

まりもさんの作品は上手くなくてはいけないし、一定の水準を下回る作品は出されないのかもしれないが、感情が先走りする表現を時々目にすると私はそれに新しさを感じる。本作にある季節感の持たせ方、ひらがな表記による詩作品としての文体には技法としての巧さが読める。しかし、私的な欲を言えば、狂を感じたかった。狂とは生と死の際であり季節が移る時の歪み。仮に、谷川俊太郎の作品がそのまま、まりも名義で投稿された作品があったとして表層で対峙するのが作品だったとしても奥底で直観するのはまりもさんという人間である。少なくとも私は詩人として詩文を読みたいし、批評とは詩人が持つ直観で書かれるものをいい、合理性で作品を読み表すのは解説の域を出ないと思っていて、批評はとても勇気がいる。それをぶつけ、ぶつけられ合うところに私たちの詩があると思う。

環希 帆乃未 (2018-11-24):

まりもさん作品名「あなまどい」 初めは>を用いた感想。最後に選評。 作成日時 2018-11-06 コメント日時 3 時間前 >しずかに くびを しめられているとき >わたしは いつも いきていました 首を絞められている時に生きている実感が確かなモノに成る。痛みがあるからこそ、感覚痛覚があるからこそ、生きていると実感していると読み取りました。 >くるうことさえできたら >その言葉は やわらかくて まるくて >くずもちのような かたまりで >そっとほりおこした黒土にうずめると >ありたちが いちれつになって >一心不乱に はこんでいきます 「くるうことさえできたら」が甘い考えをあらわしてあると考えました。ありについては、次の連で書きます。 >勤勉な蟻にも >何割かは いつも働かない蟻がいる >こころのいちぶも からだのいちぶも >そうしてねむっているから >わたしたちは いきていられるのですね ここは言葉が死んでいます。事実や真実を重ねる事が詩に生かせていません。考察として光る部分が有るけれど、「ねむっているから~」に私は違和感を覚えます。「そう」を用いずに表現する事も挑戦です。 >葉先から色のかわりはじめた >ひとなつを生きた緑をながめながら >わたしは今 ねむるしたくをしています 解かりやすい表現でした。ですが、あなまどいを感じません。最後の最後に何故眠る支度をするのか。何故あなまどいなのか。題に沿っていると考えさせられたのは一連目だけです。 作品全体の選評に移ります。一部の違和感「~生きている」と「あり」と「そう」と「最後の連」以外に言えることは、前述した通り、一連目以外にあなまどいを感じません。ひらがな表記と漢字のバランスが良いです。読みやすく解かりやすい作品であるという事です。読みやすく解かりやすい作品であるという事は、万人受けします。ですが、読み手には様々な方がいらっしゃいます。読みやすく解かりやすい作品では物足りないと仰る方もいらっしゃるでしょう。季語を使う所ですが、とても慎重に季語を選んだ方が作品の印象をガラッと変わります(良くも悪くも)作品が完成しても、作品は何時までも未完です。眠らせたり、再誕させたり、推敲したり。作者様の自由です。選評以上です。

田無いなる田無いなる (2018-11-24):

 一連目を、とても性的なものとして読み取ってしまったのは完全に僕自身の問題なのですが、まりもさんのコメントから、まったくの見当違いでもないのかもしれないと思い、多少安心(?)しています。  その「タナトス的なエロスの感覚」を言葉として強く感じるのはやはり一連目で、ただそれが詩全体に淡く漂っている印象を受けるのは、言葉そのものというより、その使われ方が例えば《くるうことさえできたら》(→実際はくるっていない)、《勤勉な蟻》《働かない蟻》、《ねむっているから》《いきていられる》、《葉先から色のかわりはじめた》《ひとなつを生きた緑》など、(言い方は色々あると思うのですが)「動」と「静」、「あちら」と「こちら」的なかたちになっているからかな、と考えました。

環希 帆乃未 (2018-11-24):

まりもさん。申し訳ございません。フル・キュレーションを行いますので、今回私が書いてしまった選評は、感想だと受け取って頂けないでしょうか?誠に申し訳ございません。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-24):

運営の渡辺八畳です。 確認ですが、ガイドラインは読まれましたでしょうか。そこにはキュレーションのルールも記されています。例えばつきみさんが行おうとしているフル・キュレーションは対象月の作品全てを読むことが執筆条件となっております。

環希 帆乃未 (2018-11-24):

誠に申し訳ございません。一度目で理解が及ばず、改めて読んで理解した次第です。それで、感想として受け取って頂けないでしょうか?と書いてしまいました。前月分の作品全てに目を通して「大賞候補作」1作、「優良作」3作、「推薦作」4作を纏めて選評を行う。選評の際、投稿作品の日付日時を書くとで運営さんが助かると、認識しています。フォーラムにも質問を投稿したのですが、前月分とは、月末締めですか?ガイドラインを間違って認識していないので有れば、まりもさんの作品に書いてしまった選評と、今書いているコメントも削除して頂きたいです。理解が及ばず誠に申し訳ございません。御手数お掛けしてしまう事、色々と本当に申し訳ございません。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-24):

月締めです。11月分の選評の対象は11/1〜11/30までに投稿された作品となります。 上のコメントは残しておいて不都合は無いと判断できますので削除は保留します。どうしてもという場合は再度連絡ください。

環希 帆乃未 (2018-11-24):

渡辺さん了解です。まりもさん。作品に関係のない事を書いてしまい申し訳ございません。不都合が無いので有れば、削除はされなくて大丈夫です。以後気を付けます。

柴田蛇行柴田蛇行 (2018-11-24):

素敵だなと思いました。 ひらがなで書かれている作品は、 だいたい読みづらいか、変に子どもっぽくなってしまうのがオチですが こちらの作品は冬の寒さでうまく口が回らない感じや 時がものすごくゆっくり流れているような雰囲気を感じることができます。 また、最初の二行だけをひらがなにすることによって、 この二行がとても強いものとして読み手に印象づけられるように思いました。 それにしても、首を絞められた経験のないわたしにとって、 例えそれが比喩だとしても「いつも いきていました」なんて言葉、 どうしたら続けることができるんでしょうか。 そんな言葉、普通は出てきませんし、 そこにまりもさんの書き手としての強さを感じました。 読ませていただきありがとうございました。

蛾兆ボルカ蛾兆ボルカ (2018-11-24):

あなまどい、という言葉を初めて知りましたが、「穴惑い」と書くと、無闇に性的な連想を誘いそうな言葉だなあ、と思いました。 この作品は、タイトルと一連を平仮名にすることで、無色の盲目的とも言えるような手探り感の辛さ・苦しさ・哀しみを醸し出しているように思いましたが、私はタイトルは漢字表記のほうが良かったのではないか、と感じました。 それと、心情のメタファとして拝読した葛餅を砕いて運ぶ、従って外的なアリの行き来する様子を比喩に重ねると、まだ穴に籠れない蛇のイメージを弱めてしまうので、私の感覚では、第3連を落として、第4連に繋いだほうが良いのかな、とも感じました。 秋の終わりのあり方が、過去の苦しみと、苦しくはなくともいや増す死の気配と共に定着せれてて、印象深い作品だと思います。 拝読したとき、おお!と思いました。

環希 帆乃未 (2018-12-15):

まりもさん。実は、フル選評で優良作に選出してしまいました。不参加である事を知らせて頂けたので、優良作から外しています。選評は選評なので、気になられたらお読み頂ければと思っております。まりもさん。選評お疲れ様です。

fiorina (2018-12-15):

>勤勉な蟻にも >何割かは いつも働かない蟻がいる この2行がとても好きです。 蟻の行列をみてて、何故が外れていく蟻がいて、 どんな集団にも、個の必然というものがあるのだなあ、 と微笑ましくなります。 最初、この作品に触れましたときに、 「あなまどい」と言うタイトルの語感から、 一連目の 「しずかに くびを しめられているとき わたしは いつも いきていました」 への流れが、 詩を読むという歓びに、水を差しているように感じられました。 >その言葉は やわらかくて まるくて >くずもちのような かたまりで >そっとほりおこした黒土にうずめると >ありたちが いちれつになって >一心不乱に はこんでいきます ↑これがそのまま一連にあったらな、と。 その後に、 >しずかに くびを しめられているとき >わたしは いつも いきていました >くるうことさえできたら とあれば、生々しいフレーズが生きるのではないかと 勝手に読み替えてみました。 (他の方のコメントを読んでいませんので、重複があるかも知れませんが・・・。)

まりも (2018-12-20):

仮名吹さん 勤勉さというものは、どこか感覚を自ら麻痺させていくことのような気もします。それをどう、取り戻すのか、取り戻すべきなのか、眠らせておくのか・・・ 羽田恭さん 実際に首を絞められたことはないのですが(笑)柔道をやっている人から、すうっと意識が落ちる感覚、というのを聞いて、体感してみたいな、と思ったことが、根っこにあります。意識が張り詰めている場所から、ふっとずれたい、というような。 みうらさん 「うまくなくてはいけない」というのは、ウーム、というか、なんと返していいのか・・・いわゆる、減点法に引っかからないように作詩する、というような方向性の「うまさ」であるとしたら、むしろその檻に閉じ込められて氷漬けにされていく恐怖を意識しなくてはいけない。狂うことができたら、というのは、むしろ本心かもしれません。 つきみさん ありがとうございます。確かに、「そうして」はユルイですね・・・~から、と持ってきて、予測通りに落ち着いていく進行は、散文(叙述文)へと傾斜している。それがわかりやすさの追求だということになるのか、ダレている、飛躍の鋭利が失われている、と自戒すべきなのか。「秋」になってしまったので、仕方なく眠る支度、をしている、けれども、実は眠りたくない、のかもしれない、と思いつつ。書き手は眠ることをむしろ望んでいるように見えますね・・・そのアンビバレントが、もっと鮮明に出るような激しさを内在させつつ、音や響きのやわらかい官能をも所有したいという欲望。 柴田蛇行さん 冒頭二行は、確かに詩になっているかもしれないけれど、そこから惰性的に続けてしまっているかもしれない、その惰性の甘さに、身をゆだねる心地よさや落ち着きや安堵を求めたかった、ということもあるのかもしれない、と思いましたが、やはり、冒頭の二行(最初に出た詩行)以外は、ゆるかった、というのが、皆さんの印象でもあり、私自身の反省でもあるような気がしました。 蛾兆ボルカさん 穴と蛇、たしかに性的なイメージがありますね。そこから、からだのいちぶ、というフレーズも出てくる、わけでもある、のですが。身体の疼きを眠らせて、精神の覚醒のみで生きていくのもキツイので、いっそのこと、すべてを眠らせてしまおう、というようなこと、だったのかな、など。 fiorinaさん 論理的説明文のような文言を入れるかどうか、そこで迷うところでもあるのですが、辞典を読んでいて、妙な詩情を感じたりすることもあって(学術的、科学的説明文であっても) くるうことさえできたら、その言葉そのものを、勤勉な蟻に片づけてもらいたい、自分で捨て去ることができないから、というようなこと、なのかもしれません・・・


13月の眠り姫   

オオサカダニケ 
作成日時 2018-11-01
コメント日時 2018-12-20

 

学校でシャツの袖をまくった少女の手首のまわりを小さな球体や音楽が回りだす 彼の視線もまわると3秒だけ彼女は恒星になる だけど、好きなものに囲まれて輝き続けたまま13月になると 服や口元に一筋シワがはいっただけで呼吸ができなくて倒れてしまう おやすみ 年を取って嫌いなものが増えるのも白髪やシミが増えるのも 全部生命を維持するためだから。さよなら、姫。


コメント欄を表示する (27)
花緒 (2018-11-01):

エモい感覚が伝わってきた。青春の青臭い感覚と醒めた視線。短い詩篇の中で相反する力学が作用し、ポエジーを産み出すことに成功しているように思える。リーダビリティが高く、比較的広範な層にウケそうな印象を持つ。

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-11-01):

花緒様 コメントありがとうございます。文極で酷評されるのに慣れたわたしにはビーレビの温かさは沁みます。disりまくるとしたらdisりまくれる詩だとは思います、自分でも。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-01):

先月投稿した「成長としての堕落」と同じ言い回しのところが多数見られる 作者によるremix的なものだろうか

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-11-01):

渡辺八畳様 コメントありがとうございます。そうです。2つの詩を混ぜました。

c0zy4muzikc0zy4muzik (2018-11-01):

いつも短い詩の中にご自身の世界を詰め込んでらっしゃって、素敵だと思います。 稚拙な自分とは相反していながらも、もがいている様を感じました。 「成長としての墜落 」 とは似通っている部分もありつつも、全く別の作品だと感じました。 前作が「片思い」であれば今作は片思いが成就した後の「惰性」のような。 あるいは少女ではなく今度は彼側の視線なのか? 読み手に楽しみを与えてくれます。 決して多くはない詩文で、世界を表現される姿勢が個人的に好きです。

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-11-01):

c0zy4muzik様 コメントありがとうございます。私のことは最果タヒさんの排泄物と料亭うさぎを融合させそびれた男とお呼び下さい。僕の文章はクソ未満で無意味なので、情景描写や感傷や恋愛を書いた文学的で素晴らしい、いわゆる「詩」の方がとても価値があり、人間の苦悩や人生の憂慮を浮かび上がらせ、研ぎ澄まされた言葉の数々で私たちの魂を洗うとともに心のなかにあるやわらかい部分を自覚させてくれ、言葉を軽々しく使いがちな情報社会の人間に日本語本来の素晴らしさを再認識させてくれるので、ビーレビや文極では私や渡辺八畳様以外の詩を読まれる方がお時間の有意義な使い方であるような気がしてございます。

c0zy4muzikc0zy4muzik (2018-11-01):

オオサカダニケ 様 生意気かもしれませんが有意義であるか否か、もしくはそれが必要か不要かは読み手の自由だと思います。 面白ければいいというのが私のスタンスですので、十二分にこの作品は面白く、考えさせられました。 ありがとうございました。

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-11-01):

c0zy4muzik様 コメントありがとうございます。読み手の自由という考え方は、他分野にわたって21世紀以降のスタンダードになるとうれしいです。

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-11-02):

渡辺八畳様 再投稿やリミックスは禁止なのでしょうか?

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-02):

少なくともリミックスだったら禁止はされてませんね。 ただあんまり似通ったものを何回も投稿したら荒らしと判断されることもあるでしょう。前衛的なことをやるにしても常識的な範囲でってことです。

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-11-02):

わかりました。気を付けます。

完備 (2018-11-03):

安い挑発に乗るわけでもありませんが, 本掲示板においてあなたの作品はかなり優れた部類に属すると思うし, あなたなら(文学極道にもいるわけだし)多少雑にコメントしても構わないはずなので, (そういうつもりで)コメントしようと思います. とりあえず最初の2行以外は駄目です. 1行目はほとんどアニメ的映像(アニメーションではなくオタクアニメを念頭に置いている)なので詩にする意味があまりありません. ほとんど, と言ったのは「音楽が」少女の手首を回り始めるというイメージは, 少なくともアニメ的映像では再現が難しく, 有意義な表現だと思ったからです. 2行目は, 既視感がないとは言えませんがそこそこ優れた詩行だと思います. 面白い発想だからです(注意しておきますが, ある種の輝きを放つ少女を描く, という発想自体は全く手垢に塗れたものです). ただもうすこし厳しい言い方をすれば, この長さで勝負するとすれば(それは非常に良いことであり, 私は全く応援するのですが), すべての行が2行目くらいのレベルに達していなければいけないのではないか, とも思います. それから, 月に2作どころか1日1作書く, くらいのペースでやる必要があるとも思います.

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-11-03):

完備殿 丁寧な批評をしていただきありがとうございます。おっしゃる通りです。邁進致します。 老化が生命維持のためという意見は面白いと思ってました。ダメですかね?

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-11-03):

つまり、殺し文句が二つあるので、7行もダラダラ続けても許されると思ってました。

完備 (2018-11-03):

面白くないと思います. ある意味で近い言葉だから, 「いや, それは生物学的には誤りなのではないか」という疑念の方が先に出てしまいます. もちろん私は生物学を修めたわけではないので, 老化という現象について何かを語れるわけではないのですが.

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-11-03):

うそだろ。やべえ

stereotype2085 (2018-11-03):

オオサカダニケ様、夜分に失礼します。運営のステレオです。オオサカダニケ様の論評活動、作品ともに優れている点が多く、括目しておりましたが、貴音様の選評への煽り発言、また完備様の作品への挑発的言動など、若干見過せないコメも見られます。今一度マナーガイド及び、その中の合評マナーに目を通していただきたく存じます。次回煽り、挑発あるいは荒らしとみなされるコメが散見出来た場合、イエローカード発出の可能性もあります。ぜひともご留意くださいませ。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-03):

批評はプロレスじゃなきゃね。派手な技やるにしても相手がちゃんと怪我せずに受けられるようにしなきゃ。 完備氏や貴音氏はうまくプロレスやれるほうだろうからまだあんま心配無いけど、今のオオサカダニケさんの技のかけ方は相手を間違えると怪我させかねない怖さがある。傷をつけ合うbattleでなくて、たくさんの人を楽しませられるshowでいきましょうや。そこんところよろしく。

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-11-03):

ほんとの荒らしは感傷的な詩と情景描写の詩を投稿してる人間です。我々は詩という学問文野の研究者です。ピタゴラスの定理の証明をコピペしてネイチャーに投稿する方が荒らしです。私はマイナーで何の実用性もなくても新研究をしてるつもりになっておりました(*_*;アタフタ これからは情景描写と感傷的な詩が描けるように努力いたしまする~(^_^)/

かるべまさひろ (2018-11-03):

恐れ入ります。一人のユーザーとして申し上げます。 オオサカダニケさんのおっしゃる「感傷的な詩と情景描写の詩を投稿してる人間」もB-REVIEWでは歓迎されています。 幅広い詩・言葉・クリエイティブライティングを歓迎するのがこの掲示板です。 揶揄する立場を、理解されている方も多くいらっしゃるかと思います。 ただ! それを「合評」の域を侵し排他的な態度で臨むコメントは、断固として受け入れる訳にはいかないと思っています。 どうか穏やかな対応、論拠のある批評、丁寧な感想の記述をお願い致します。 必読のガイドラインにあるように、この場に参加するということは、コミュニティの一員として合評カルチャーを創り上げていくことに合意したということを意味しています。 B-REVIEWがオオサカダニケさんの望む詩で溢れる場ではないことは、申し訳なく思います。 どうか、ただ他の詩の存在・人・人格を否定する言動はこの場においては慎んでいただきたく存じますので、よろしくお願い致します。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-03):

元気なのはいいこと。詩人は去勢されたみたいなのばっかだからさ。 でもヒールやるにしても常に正気を保ってもらわないと。 個々人の思想ってあるよそりゃ。俺でいったら反戦反原発詩絶対殺すマンだから。でも己の思想と相反する人っては絶対現れるし、そういうのに対し完全ノックアウトさせようとするのでなく、どう魅せられる技をかけられるかのほうがキモだよ。敵をも魅了する技=批評を身につけなきゃ。 決定的な処分はしたくないってのは運営に共通している思いだから。怪我させない技のかけ方を習得してほしい、マジで。頼みます。

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-11-03):

黙って創作します

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-11-03):

30歳になるまでにノーベル文学賞とる

環希 帆乃未 (2018-11-24):

オオサカダニケさんへ「13月の眠り姫」の感想です。一人の価値観を見ている感じでした。でも。加齢しても輝く方は輝いています。

帆場蔵人帆場蔵人 (2018-12-13):

ぼくはどうもエモい感覚が描けない人らしいのでオオサカダニケさんの作品には良い意味で唸ってしまう。二行目は本当、素晴らしい。たぶん、今しか描けない作品なのかもしれません。短い詩は難しい、そのなかで光るものがありますね。

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-12-13):

コメントありがとうございます。春になったらまた書きます。キャンディは読む人を面白がらせたいクル~

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-12-20):

加齢しても輝く方は輝く?知ってるで。多崎作に出てくるサラちゃんが言ってるみたいに、学生時代にいきってるリア充をdisってるだけやで。てか、老化が生命維持のためっておもんないかなあ。まあルミライではないか


たとえ偽りに終わったとしても   

みうら 
作成日時 2018-11-17
コメント日時 2018-12-20

 

寝台列車に乗車する前後からずっと500マイルを聴き続けていました。 眠れないままに到着した東京駅。 ビルディングを眺めながら私はまだ ピーターポールマリーの500マイルを聴き続けていました。 既に失われた故郷には、友人も恋人も、家族も誰もいなかった。 ブルースだけが必要な季節のことを、あなたも知っているでしょう。 孤独は特別なことではありません。 私には冬の訪れが突然すぎて、 寒い季節を迎えるには準備が不足していただけのこと。 十八になった、初冬の話です。 朝の凍えは耐え難く自分を自分で騙すほかに 一日を始める術を知らなかった。 東京に出れば変わると、 酷い勘違いをしていたのかもしれません。 裕福な環境で育った私はプライドだけが高く、 「働き」は耐えられるものではありませんでした。 藝術を好んでいた私の同級生たちは皆、 美大へと通うようになっていました。 被害妄想が一層私を酷く歪ませました。 「自分に正直に」「自分だけの表現を」 そのような面持ちで朝を迎えるであろう、 彼、彼女たちが羨ましかった。 私はというと寝床を立つところから、 ただひたすらに自分を偽り続ける。 昼間を経て夜になると他人への偽りが更に増す。 真夜中に頭をもたげる紛らわしき善悪の判断が それを加速させるのです。憎悪、羨み。 三十回の冬が過ぎると、 憎悪も何もかもが思い出の品となって蔵われ、 完全なる他者だけの春が訪れます。私だけの世界です。 その世界の訪れを夢のケーブルと称する人がいました。 夢と呼びたくなるほどにその人は孤独であったのでしょう。 夢のケーブルは完全なる他者を実存へと向かわせます。 まがいものなのに。 完全なる他者は正しさを説きます。 紛らわしさの罪について宗教家が私に語ったことがありました。 偽札はその精度が高ければ高いほど罪が重いと。 彼はとても真剣な表情で話しを聞かせてくれました。 表層だけの共有、一体感。うんざりな気持ち。 宗教とSNSは紙一重。 私は2008年にmixiを放置しました。 2016年にFacebookも放置。 Twitterは2010年に登録しましたが2015年まで放置。 2016年からは五つのTwitterアカウントを使用し 時間と情報のシェアに紛れました。 私は止めることにします。 タバコを止めることは出来ませんが Twitterを止めることは私にとって無理なことではありません。 なぜならば私の残り時間はあと僅かだからです。 タバコを吸う時間は多くても日に1時間。 Twitterに使っているのは日にどれぐらいでしょう。 その時間があれば100キロ離れた場所まで ロードバイクで行くことができます。 きれいに陽が沈む景色を眺めてみたいなって思うのです。 そして死に方を考えるのです。 もちろん夕陽がなくても死に方を考えることは可能です。 死に方を考えなくても死ぬ時が来れば人は死ぬのでしょう。 人の死。 吉本隆明が示された文学者の死に方があります。 文学者はその死に方によって文学が蘇るという話。 これを私は実践してみようと思うのです。 それは現実の死ではなく、まがいものの世界において。 最後まで私の理は破綻していますか。それでもいい。 合理による共有を求めることに疲れました。 完全なる他者、完全なる私の世界と並行する非合理な世界へ 私は戻ります。誤解は誤解のままに。 不完全な表情に還った私がいつか再びあなたと語り合えたら、 その物語を確実に記してみたい。 初めて私が言葉を学ぶように。 この世には絶対があります。 あなたも絶対を感じたことがあるでしょう。 私は肉親を亡くしたときに絶対を感じました。 そうしたら生きていこうと思えました。 だからあなたと約束をする。絶対にまた会いたい。 たとえそれが狂気であって、たとえそれが、偽りに終わったとしても。  


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かるべまさひろ (2018-11-18):

最初、読みやすい仮面の告白みたいな印象で始まったのですが、夢のケーブルの辺りから変わりました。 「ネット詩」とはなにかということを毎月どれかからは、必ず考えさせられます。今まで意識したこともなかったこと、ただ確実にそのテーマが意図をもって組み込まれていること。 広く、人が消えることについて、希望を感じさせられました。

蛾兆ボルカ蛾兆ボルカ (2018-11-18):

村上春樹は、小説はしっかり書くのに、詩はびっくりするほど下手だと思います(海辺のカフカの作中作や、翻訳詩など)。いや逆、下手すぎてびっくりした、というのが、私の村上春樹詩の読書経験でした。 この三浦作品は、それと通じるところがあって、流れとか、バランスとか、極端さとか、そういった言語芸術としての美の追及への意志が欠如している。そのように【私には】感じられます。 どうしたんだよ、って感じ。過去の作品はもっと濃密なのもあったように思うのですが、「お話」として経験や思考を物語りにまとめることしかしてなくて、その物語を、それこそ夢見ていない感じがします。

みうら (2018-11-18):

かるべさん コメントありがとうございます。藝術が人生を知る方途の一つであって、全てではない。そのことをネット詩は明らかにするのかもしれません。

みうら (2018-11-18):

ボルカさん 自分に課しても何ら役立つテーマにはならないかもしれない、あるいは課したテーマを昇華さす書きが追いついていなかったと思います。ボルカさんも御察しかもしれませんが書こうとしたテーマは今、私がどうしても書かなくてはならぬものでした。固有な物語、限界藝術のような何か。

ishimuratoshi58ishimuratoshi58 (2018-11-18):

不思議な一文です。措辞はしばしば不器用で生硬、時に浅薄だったり青臭く感傷的だったり。いわゆる名文とは言えませんし、冴えたポエジーも機知もない。なのに、文全体をうっすらとした光が底から照らしているような不思議な生彩があり、その光に引き入れられ、最後まで読み通しました。言葉にし難い、読後の感銘。自己告白にはたいてい一種の不潔感が纏わりついているものですが、この一文にはむしろ「清潔さ」を感じました。

みうら (2018-11-18):

ishimuraさん お読みくださり有難うございます。 これは私が過去の事実を回想して書いたノンフィクションですと、コメントするべきなのかもしれないのですが、私はこれが事実に思えないのです。その違和を無くす作品を書けないものか、詩を書く動機としてずっと自認していることです。事実を書いても事実に思えないということ、私は狂人なのかもしれません。狂人でいながら人並みに生きれているのは運が良いとしか思えなかったりします。 妙な返レスをしてしまいました。これからも精進します。

fiorina (2018-11-18):

みうらさん、 500マイルは、列車に揺られながら聴くと、過去を置いて遠ざかる距離がそのままに感じられますね。 三浦さんの文体になれてしまったのでしょうか。わたしには、最後まで心地よく読めてしまいました。 >文学者はその死に方によって文学が蘇るという話。 >これを私は実践してみようと思うのです。 これがtwitterをやめることだとしたら、吉本隆明が困惑しないかなと思いました。でも、この軽さと真剣さが、みうらさんなのかも。 愛しいものたちがいるネットをやめるには、わたしの場合海外逃亡が必要でした。それなのに、こっそりコンピューターを持参し、言葉や知識のなさから、アクセスがついにできなかっただけというていたらくでした。 それでも、ネットにアクセスできなかった2年間は、今思っても生きることとその固有の地が密接に結びついたものとなりました。 ご健闘を祈ります。

帆場蔵人帆場蔵人 (2018-11-19):

どこにでも転がっていそうな軽さがあります。けれど、それらは何故か吹き散らされて消えてしまわない。ひとつひとつに書き手の切実なものが、重く染みているからでしょうか。ひと繋がりじゃないと消えてしまいそうなものがあります。しかし、冗長で言葉を切り詰めるかひとつひとつを磨いたものを見てみたい気がします。でも、すべてが繋がらないと書けないのかもしれない。(村上春樹、お好きですか? ぼくも以前は好きでした。最近の彼の仕事で唯一、追っているのはチャンドラーの翻訳だけですが) 余談がはいりましたが、真剣なのか冗談なのか、もやもや感が残りました。500マイル、聴いてみます。

みうら (2018-11-19):

fiorinaさん お給料を毎月ちゃんと貰うこと、それ以外のことは大したことではありませんでした。生きることはお給料を毎月ちゃんと貰うこと。私はよく人の話を聞いているかと忠告を受けてきました。今も変わらないのかもしれません。人の話がわからない。でもわかったふりをしなければお給料は貰えないのです。おのずと私の言葉は軽くなる。他人からの蔑みは増す。しかしお給料が毎月貰えたら、そんなことは大したことではありません。 ネット詩はとても居心地がいい。会話でありながら会話ではないもの、言葉で表現していながら言葉になっていないものを共有しようとする矛盾。私にとってお給料を毎月貰えること以外に大切なものに思えます。興味が薄れてきていますが。50になっていろんなことへの興味が薄れてきました。愛やら恋やらもどうでもいい。一つの憧れだけが残りました。画家の田中一村。50を越え奄美の島へ行ってただひたすらに絵を描き終えた人。私にはそれが出来ない。なぜならば毎月のお給料を貰うことが生きることだからです。ただ少しだけでもそれに習いたいと。

沙一 (2018-11-19):

みうらさん、こんにちは。 florinaさんへの返信に、感じ入るものがありました。構成もまとまっていて、それこそ詩のようです。 みうらさんは、作品を書こうと力まない方が、ときどき、よいことを語っている気がします。

fiorina (2018-11-19):

なんか、うるさいかもしれませんが、みうらさんを他人と思えないので。 みうらさんとツイキャスで何度かお話しして、聞き上手だと思いました! 言いたいことの芯を聞いてくださると、感じました。 只、その後のみうらさんの返答が、ぴょ~~んと飛んだところから帰ってくる。 それが、会社ではびっくりされたのかもしれませんね。 >愛やら恋やらもどうでもいい これは、もったいないです!自分を詩人に、どころか、人間にしてくれる愛や恋があると思うんですよ。詳しくは、鈴木海飛さんにお尋ねくださいね。

ふじりゅう (2018-11-19):

 拝見しました。  みうらさんという存在を凝縮したものがこの詩には詰まっているように思います。  Twitterのパートあたりから心を奪われてしまいます。 「タバコを吸う時間は多くても日に1時間。/Twitterに使っているのは日にどれぐらいでしょう。/その時間があれば100キロ離れた場所まで/ロードバイクで行くことができます。」この三点対比に技術を感じつつ、Twitterという無形のコミュニケーションツールへの虚しさと逃避を見事に表しています。 「最後まで私の理は破綻していますか。それでもいい。/合理による共有を求めることに疲れました。」と、自身の理によって他者と共有を図る事をあきらめていますが、決してそれは言い訳ではありません。 「不完全な表情に還った私がいつか再びあなたと語り合えたら、/その物語を確実に記してみたい。/初めて私が言葉を学ぶように。」不完全な表情、がもとの主人公であり、笑ったりすることが苦手であることが読み取れます。あなた、が肉親なのか愛している人なのか、どのような人物であろうと、初々しい技術で物語を記したいと。 「だからあなたと約束をする。絶対にまた会いたい。/たとえそれが狂気であって、たとえそれが、偽りに終わったとしても。」詩でなんどもテーマとなっている、偽り、を最後に持ってきて、作品は締められます。切なく、かつ、美しさをともなった本作。素晴らしい出来だと思います。

みうら (2018-11-19):

帆場さん 37年前、中学生だった私は夕暮れのお風呂上りにプロレス雑誌を買いに本屋さんへ行きました。何気なく棚を眺めながら歩いていたら「1973年のピンボール/村上春樹」を見つけました。プロレス雑誌を諦めて初めて小説本を買いました。それが非合理の選択というのかもしれません。非合理で現実世界は出来ている、ある一部分があるのでしょう。

みうら (2018-11-19):

沙一さん それをよく言われます。最近見かけないですが、survofさんにもよく言われました。コメントがいいと。

みうら (2018-11-19):

fiorinaさん 他者と対話することによる化学反応はJAZZ演奏に似ているかもしれません。無意識にあるものが出る。

みうら (2018-11-19):

ふじりゅうさん 自分をさらけ出すことは芸の無いことではありますが、上手に書くだけでは到達できないゾーンがあるとも思うのです。ふじりゅうさんが今持たれている若さとエネルギー、それらが注がれているコメントの多くに清々しさをいつも感じています。勝ち続ける頑固さに裏打ちされた謙虚さ。そんなものが私には欠落していたのかもしれません。そもそも上昇する運命より、綱渡りから落ちても助かってしまうことの方に運命を費やしてしまったようで。

帆場蔵人帆場蔵人 (2018-11-19):

三十七年前のエピソードなど、たしかにみうらさんのコメントは頭に残り詩的な気がします。みうらさんという人の人生が顔をのぞかせる、というか。

藤 一紀 (2018-11-20):

おはようございます。たぶんですけど、飲み屋のカウンターを挟んでお客が話すのをバーテンが聞いているという設定ならアリです。日常会話としては要点に欠けるし表情に変化がないのできつい。文字として読むには乱雑でとりとめがない。 ただ、書き手の意識にいっぱいになった思考なり感情なりがあって、それ自体が乱雑でとりとめのないものであるとしたら、それは問題ではないと私は思うんですね。むしろ、その乱雑さ、とりとめのなさをもっと見つめる必要があるというか、テーマをそこにあてると言語表現としても構成としても変わってくるんじゃないかと思います。ここに書かれているものはナマな感じがするのです。たまにナマな姿、裸の心をさらけ出せばいい、ということを聞くことがあるけれども、すべての裸が美しいわけではないものなので、そこそこには練り鍛えられた裸であってほしい。笑。 ともかく、これがほんとうに書きたかったのか、まだ書き足りていないことが残っていないか、が気になってしかたがない。実は、この後にこそ書き始められる詩があるんじゃないか。そんなふうに考えています。

黒髪 (2018-11-20):

自分を語ることを、されておりますね。 随分と分量もあり、筆力もあるだろうと思います。 偽り、と自分に自嘲しても、三浦さんは、本当のことを持っていらっしゃるようです。 それは、信頼感といったもののように、僕には思えます。 つまり、自分が自分自身に対する態度の信頼感のことです。 自分を失っても、それで自分は自分でなくなることはない。 やりたいことをやるのに、自分を偽っていようがそれが何であろうか。 全ての解放感とともに、新しい明日へ……。 さわやかな空気を残して。 三浦さんの渾身のひと振りに、凄く身が引き締まりました。 どこへいくにしても、孤独を乗り越える力をつけられておられるんですね。三浦さんの、なかの、 もの、を、忘れられません。

仮名吹(かなぶき)@詩のブログ (2018-11-21):

この作品世界における「死」が書き手に詩をもたらしているのかもしれないと思うと、人間という非合理的感情を持つ生き物に対する興味を改めて掻き立てられるような気がします。

みうら (2018-11-23):

藤さん コメント有難う御座います。藤さんの「七月分選評」を読み返しては自分の指標にする時期がありました。技法と構造はとても大きく関係していること。本作を文学極道へも投稿しました。文章がとても下手くそだというコメントを複数もらえて嬉しくもあり、文章を上手く書くことを意識せずにやると私はまったくダメなのだと再認識しております。文章は文章であり、そこに書かれたもの以外にはないということをもう一度やってみようと思います。有難う御座います。

みうら (2018-11-23):

黒髪さん 岡潔と小林秀雄の対談本を読みました。情緒と直観。合理ではなくてビジョンを。詩とはそういう表現でありますね。それはまた確信でなければならない。根拠ではなくて。根拠は合理でしかない。ビジョンは確信から語られるということ。つまり、自分語りを一度通過しなければならない。村上春樹作品でいうところの井戸に降りることが壁抜けに通ずるように。

みうら (2018-11-24):

仮名吹さん 感情とそれを表現する組立てられた言語の乖離とはつまるところ、文章が下手なのだと思っております。しかしながら、いくら上手く書けても己の生と死が書けなかったら、私たちの営みではない。そんなところから、もう一度始まる予感があります。

鬱海鬱海 (2018-11-24):

「最後まで私の理は破綻していますか。それでもいい。 合理による共有を求めることに疲れました。」という箇所に深い共感を覚えました。言葉を扱うことにそれなりの情熱を傾けたことがあるひとなら、経験があることかと思います。感情100の言葉だけでは相手に理解されないし、でも私が理解されたいのは他でもないその100%の感情だということが私にはあるので、その二文に惹かれたのだと思います。 「だからあなたと約束をする。絶対にまた会いたい。 たとえそれが狂気であって、たとえそれが、偽りに終わったとしても。」 ここに感動の中心がありますね。他者から見て、狂気や偽善であったり、客観的に見て自己欺瞞であったとしてもそれでもという気持ち。そうだとしてもまた会いたいと思う人が私にはいます。なのでこの文も突き刺さりました。全体的に強く共感できる詩でしたが、最後に出てくる「絶対」の箇所が浮いているような気がしました。でもこの絶対がないと、また会いたいという言葉に深みが出てこない。ウーン難しいなという印象です。好みの詩です。

みうら (2018-11-26):

鬱海さん コメントありがとうございます。黙ることによってしか使えない言葉があるとしたら、真顔で言いますが、それは愛だと思うのです。鬱海さんの作品、そうだったと思い出した印象があります。鬱海さんの作品から私が受けたものは黙っている愛の感情だったと思います。言葉でいくら組み立てても残念な結果になる時、黙る。でも感情は止まない。黙ってしまう愛の感情を錯覚としてか、あるいは確信を持って受け取る人がいるものです。詩情も同じなのかもしれませんね。

るるりら (2018-11-26):

おはようございます。 まず、題名についてですが なんども見た覚えがあります。 みうらさんがブログの表題にしておられたからです。 わたしは、「たとえ偽りに終わったとしても 」とう表題を目にするたびに感じていたのは、 元ビーレビそして、いまもビーレビを育てつづけている人物の御一人としての、情熱。絶対に色あせない想いが この方にはある。と、感じていました。 本作品において、心に残ったのは「この世には絶対があります。」という言葉です。 あと、「誤解は誤解のままに。」という言葉です。誤解は誤解のままに合理による共有は無理ですが、体温を持つ態度で絶対を感じておられる詩人に あたたかいものを感じさせせていただきました。 このように書いている私ですが、わたしは私の思うを結局は うまく言えてません。がしかし、わたしも初めて私が言葉を学ぶように 謙虚に詩と向き合いたいと思えました。心の奥く深くで知り合った詩人に 再会するための努力をおしむまいと思えました。 ありがとうございます。 

みうら (2018-11-29):

るるりらさん 己が言葉にする時のそれが自分のなんなのかが解らないことによって他人とのコミュニケーションが成立しないことがあります。己の言葉が発端となって生じているであろう状況。私は黙るしかないことがよくある。テキストの言葉の黙りと肉声の言葉の黙りは違い、肉声の言葉の黙りの方が私には安堵があります。テキストの言葉の黙りには音がないけれど、肉声の言葉の黙りには空気の震えがあるので、他人と繋がっている気持ちになる。みたいな。るるりらさんに共感を持つことが時々あって。それは、その他人との交わりの不器用なところです。コメント有難う御座います。

花音/Kanon-K (2018-12-01):

一つ一つの言葉が重く、一つ一つの言葉が意味を持っているような詩に感じました。共感できる点があり、すっと詩が自分の中に入っていく感覚がしました。私もその狂気が欲しいと感じました。

みうら (2018-12-03):

花音さん コメントありがとうございます。狂気と正気の境目にある新月を迎えたら、詩が降ってくる気がします。花音さん、また投稿作品、読ませてください。

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-12-20):

誰も言ってあげてないみたいなので言うけど、この人の詩とてもダサいで。コーヒーをのもうか とかもタイトルからダサすぎるで。誰かが言ってあげるべきなのに。日本人って怖い


シャーベット   

ミナト螢 
作成日時 2018-11-01
コメント日時 2018-12-16

 

厚く張った氷を砕くために ブーツの踵が地上へ届く 心臓が埋められた場所で 掘り起こしてる足跡の形が 誰にも踏まれず残っているのは きっと一人で歩いたせいだね 氷と永の文字が出会う冬は 時間を止めることができるから 互いに知らん顔をしたとしても 思いがクリアになって重なる 透明な世界で呼吸をする 10秒という短い間にも 人は誰かに傘を差し出したり ドーナツの浮き輪を投げたりして 心臓を落とさないように近付いた みんな守り合って生きてゆけるね 私は多分ずっと落とし続ける 心臓に蓋をした氷の棺を 毎年ひとつずつ壊していく


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まりも (2018-11-02):

この短さの中で、氷と心臓が頻出するのは・・・重ねによる強調よりも、インパクトを薄めてしまう結果になるのでは?という懸念がありますね。 冒頭のイメージ、あえて回りくどい言い方をする、打ち砕く勢いの出し方は、とても良いと思います。 ブーツの踵が、いったい何を掘り出しているのか・・・最後までひっぱって、実は落としてしまい、氷漬けに(それも、永遠の)になってしまっていた心臓だった、という展開なども、一考してみてください。

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-11-02):

言葉と世界がきれいですっピ(*^_^*) 心臓ということばを出現させる自由な語彙。

ミナト螢 (2018-11-02):

まりも様 そうですね、あまり納得のいく作品ではないのでまだまだレベルが低いと反省します。丁寧にコメントを頂き、寧ろありがたいです。 オオサカダニケ様 一見、綺麗に見えるものの中身の薄いのが私の欠点でありまする。

stereotype2085 (2018-11-11):

「透明な世界で呼吸をする/10秒という短い間にも」が特に素晴らしく、その後の人間が皆守りあっているというシチュエーションへとすんなり入っていける。中身の薄いのが欠点とコメ欄において仰っているが、この作品においてはそうではないように思う。この作品においては最終段、何か人を驚かせるフレーズを用いて、当作と同じ意味を持たせることが出来たら、欠点はオセロのように全て長所として裏返ってしまう可能性を感じました。

ミナト螢 (2018-12-16):

ステレオ様 コメント下さりありがとうございます。言葉がすんなり出てこない時期に書いたので、どうしても似たような事の言い直しに留まっていると思いました。その先をゆく、何かを求めて邁進していきたいです。


たったひとりで伸びていったクレーンへと捧げる詩   

渡辺八畳@祝儀敷 
作成日時 2018-11-27
コメント日時 2018-12-16

 

お父さん お母さん 見上げてください そして拝んでください あなた方の白痴の子は ただ一本をもって 遥かに透き抜ける大空へと伸びていきます 限りなく広がる空間に 鉄の身ひとつ 質量を伴いながら 欠けているように細いその首を まっすぐ無垢に伸ばすのです 垂れたワイヤーのその端で フックが寄る辺なしに揺れるなか 望むがままに伸び続けるのです その行動に思惟はありません あの子は全くの白痴なんです 親である人間たちが電力を与えてあげないと 動くこともできない子なんです まことに図体ばかりが大きくて ひとりでペンキも塗れないかわいそうな子なんです それがただ一本 たったひとりで空に伸びていきます どんどんと思惑うことなく伸び続けていきます 父兄の皆さま お願いです! 見上げてください! 舌が喉にかかって嘔吐しそうになっても 雲一つないあの青天へ 刺し入っていくあの子を どうか! 空は見えない血を噴き出しました あの子は何も考えていません ただの鉄の塊には考える脳などあるわけないのです だけど ああ実に尊い 見上げてください 日光に鋼管は燃えあがり 大いなる天上を切り裂いている お父さん お母さん あの子は神になりました ただ思うがままに伸びていって 私たち人間の頭上で鎮座しています 見上げてください そして拝んでください あなた方の白痴の子は 空を殺して 神になりました


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渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-27):

写真もどうぞ https://imgur.com/a/3vsin5p https://imgur.com/a/hAVHOGj https://imgur.com/a/dGfqitO

環希 帆乃未 (2018-11-27):

渡辺さんへ。私自身は作られた物という工程等も含めて、物自体が生きていると思っています。白痴に違和感が有ります。差別用語を差別と思って使われているか使われていないか等は本人次第ですので触れません。人の手によって動かされるクレーンですが、動かすのに知識、経験、練習、無くしては、破壊する為の物に成り得ますね。なので操縦者ありきなクレーンです。白痴を動かすと考えると、観点からの着地点は白痴という言葉では無いと思います。クレーン全体の知識が無い。作品だと思います。知っていれば又違った作品に成ると私は思います。要約すると、詰めが甘いです。持っている知識だけで作品を書くのではないけれど。知識と思考がイメージに直結する部分があるので、この作品自体が不完全な作品だと言えます。白痴だけで動きます。クレーンは操縦者があっての、クレーンです。操縦は簡単ではありませんよ。 良い所、クレーンはたった一人で動きません。遠隔操作が組み込まれていても。一人では動けません。そう考えると、発想が柔らかいですね。 >空は見えない血を噴き出しました >空を殺して 神になりました の二点に何を感じるかでしょうね。私の神とは違いますね。空の血についても同じです。作品自体を、興味深く拝見させて頂きました。私に影響したのも良いと思います(どんなとかは、だってなんだかだってだってなんだもん)です。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-27):

コメントの前半部分は文学極道に書かれたものと同じなのでスルーする。 後半は、まぁね、白痴なクレーンがひとりで伸びることができたって詩ですから。

花緒 (2018-11-28):

見事に内容のない作品だ。 内容がない、というのは、旧来の文脈において、詩が纏うべきとされていた思想だのメッセージ性だの意味性を付与しようという企図がみられないという意である。いわば、本作自身が<白痴>の詩であり、言っていることと、やっていることが違わないことにより、作品に強度が備わっているように思える。

環希 帆乃未 (2018-11-28):

※文学極道さんから一部転載。詩では無く、白痴を患った人を、主人公として扱った作品があります。白痴を差別として扱っていない作品です。無垢であったり、善良と表現して、主人公を扱っています。クレーンを機械ではなく、主人公として扱っていると見てみると、差別として扱っていないし。端的な機械という意味では無いと私は思いました。私が感じていた違和感が変わりました。白痴、操縦者も含めるとまた違った感じ方になりました。作品としての完成度は、前回の遺影(大賞投票しました。遺影は前衛的で、挑戦されてある作品です。投票結果の何故投票したのか、作品名を記載していない、作品名が表記されていないのでこちらに書いています)元がしっかりされているのも分かっていますので、すらりと読めますし。後味も悪くないです。なので、指摘できる点が今はありません(本当の感想っぽいのを三十日に載せます。他の方のお言葉で、具体的な感想っぽいの語られた場合は、書きません)

環希 帆乃未 (2018-11-28):

あぅ、書き忘れです、文学極道さんで、渡辺さんへPM送ってます。反応云々は渡辺さんにお任せします。

るるりら (2018-11-28):

こんにちは わたしは、そもそもが クレーンだの消防のはしご車だが好きな読者です。よって、この詩も私にとって どストライクです。  そういえば、幼き頃の写生大会で 私は梯子車を描き、賞をとりました。私の伸びゆくものに対する愛と興奮が、大人にも見て取れたのでしょう。こんな私ですから、この詩のクレーンに対して 私の信仰となりえるかどうかを すこし考えてみます。どうやら この詩は ただの伸びゆくものへの偏愛では無さそうです。読者に「拝め」と言っているのです。  私の近所に たくさんのクレーン車が駐車してある場所があります。伸びる物フェチの私としては、突如 鉄骨を伸ばしてシンクロナイトスイミングのように踊ってくれないかと夢想せずにはいられません。しかし、この詩のクレーンとは違います。この詩のクレーンは 唯一のクレーンなのです。たったひとりで つきぬけていった なにかに選ばれしクレーンなのです。    行動に思惟がなく、思惑うことなく伸び続けるクレーン。空を殺して 神になるクレーン。 これは、おそろしい存在です。もしも 無機質であるモノが なぜか生命になったという話だったのなら、なにかしらの思惟が生じる気がします。たとえば、高木が枝葉を伸ばすのは より多くの光合成のためという理(一種の思惟めいた働き)があります。理がないの やみくもに巨大になる物体。しかも、私たち人間の頭上で鎮座する物体。私には、おそろしいです。 >お父さん お母さん 見上げてください >そして拝んでください 呼びかけで普通に思いつく言葉に「ladies and gentlemen」というのもあります。しかし、そうでは無い。読者に作者が望んでおられるのは、父母として もしくは父兄として このクレーンを自分たちの子どもとして愛を持って観ることです。我々人類が産み出したモノと言えば、今の世の中のIT化やAI技術の進歩のことを想起いたしました。 >あなた方の白痴の子は >空を殺して 神になりました 「空」といえば、仏教思想の空の思想を想いました。このクレーンには思い遣りなどという高度な思考は、ありそうもないです。わたしたちが拝んだところで、クレーンという無機質なもののが 私達に感謝で応えてくれる可能性もなさそうです。 しかし、私達は もうすでに無機質なものに、この身を既に委ねている気もします。IT化やAI技術のことを考えると、すでに私たちは、なぜだか伸びている巨大なモノを拝んでいる状況とも言えます。理のないものを愛しきったり信仰のような心境で拝んだりすることは、おそろしいです。 >空は見えない血を噴き出しました 空の見えない血を観る力を養うのが、詩を書く人の もっとも重要な仕事のひとつだと思いました。本作品は、私にとって刺激的な作品でした。拝読できてよかったです。ありがとうございます。

みうら (2018-11-29):

本作を投稿するところが素晴らしいと思う。禁句、他人への不快感、差別思想、などなど、覚悟された作品はそれだけで魅力がある。最低だなと思うのはそういった覚悟の無い匿名の中傷、誹謗、差別な作品、つまり軽薄で浅はかな作品。渡辺さんにはなんだったら本名晒して対マンで話しますか?という覚悟がある。なので、この作品は素晴らしい。詩の王道路線ももちろん好きだし、たくさん読みたいと思うけれども、暗黙の了解を犯す本当に意での斬新さ、詩の残酷さ、断絶を表す作品を読みたいと思う。広告主が思わずクレームを出してしまう作品が投稿されることを期待する。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-12-01):

花緒さん 「僕は詩にはメッセージはないという立場です。日本語を、いい職人が作った美しい細工のように、ある存在としてそこに置けるのが詩だと思っているんです。だから、まず美なんです。真・善よりも。美しい細工のように、言語を「存在」にしたいんです。なかなかそうはいかないんだけど、理想を言えば、詩を素晴らしい細工の小箱のようにそこに置いてみたい。その意味で相田みつをさんの作品はメッセージであって、詩ではないと思うわけ。」 谷川俊太郎、和合亮一『にほんごの話』(2010 青土社)P.168 谷川のこの言葉に私は同意です。 第一、詩って思想やメッセージを伝達するには不向きだと思うんですね。わざわざ詩にしないで素直に散文で書いた方が伝わる。 思想性云々なんて結局戦後のリベラル的ヒステリーで提唱されただけであって、それが詩の要とされるのはおかしい。詩とはそもそも真や善でなく美に特化した形式です。だからこそ意味性なんてどうでもよくて、ただただエければそれでいい。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-12-01):

るるりらさん この詩自体、一番最初に提示した写真の三枚目(https://imgur.com/a/dGfqitO)を撮って以降クレーンに興味を持つようになったから書いたものです。いいですよね、クレーン。あの極端に細長いフォルム。不安定で、だからこそ儚ささえ感じさせる。

エイクピアエイクピア (2018-12-01):

神になった子供。空を殺して神になったところがそれまでの詩文とあいまって印象的でした。宮沢賢治的なでくの坊的な発想もあったような。伸びて行くというのは猫の事もちらと思いますが、空に向かって伸びて行くというのがこの詩の眼目なのでしょうね。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-12-01):

みうらさん いや、これが覚悟の投稿になってしまうことにこそ私は抵抗を感じますね。 別に誰も傷つけちゃねぇじゃん。「白痴」なんちゅう現実の誰に向けられたわけでもない言葉を以てイリーガルとすることがおかしい。じゃああれだ、「桃」って漢字は俺が告って振られた女の子の名前にある字だから、以降この字を使う人は俺を嘲ていると判断するからな使った時点でお前はレイシストだ、って言いだしたらおかしいでしょう。それと同じですよ。

仲程仲程 (2018-12-01):

最後の 神に、という表現は、個人的にはどうかなと思いましたが、全体的にかなり、いい感じに引き込まれました。視点、伝えたいこと、表現、言葉、流れ、好きです。

完備 (2018-12-02):

アイデアはひとまずよしとするにしても、文体が雑、あるいは中途半端だと感じました。ある意味で古風な、「格調高い」とでも言うべき文体が似つかわしいのに、どうにもそのようなものには成り切れていないという印象を拭えません。

蛾兆ボルカ蛾兆ボルカ (2018-12-03):

私は別件で、わかり易い/難解 関係について考えていたところでしたので、その観点からコメントさせていただきます。 この詩は意味がわからないとか、意味がないのではないか、という捉え方が(それをプラス評価するにしろマイナス評価するにせよ)あると思います。 しかし、その場合、たぶん本当は意味がわかったりわかりにくいのではなくて、この詩の「教訓」がわかりにくい、もしくは教訓がないと思われる、ということなのではないかな、と思います。 読者は案外教訓を求めるもので、その作品を読んだ、その作品でなんか感じた。それだけで停止しません。その作品に接して受け取ったことに、どう反応したら良いのだろうか、と考えてしまいます。 この場この時に笑えば良いのか、泣けばよいのか。それともしっかり記憶して、思考や感情の肥やしにすべきなのか。どういう影響を受けるべきなのか。 それがよくわからなくて、作者に訊いてしまうとすると、「この詩はどんな意味なのですか?」という質問になります。 その質問をもっと正確かつ直截に言い直すなら、「この詩を読んだ僕は、今後どう生きていったら良いのですか?」ということなのです。 しかしもしそう質問されたら、作者としては、「お前の人生だろ?勝手にしろよ。そんなの知らねえよ。」といいたくなることでしょうね。 詩の教訓がわからなくても、その作者には文句をつけないほうが良い所以です。 しかし、読書という行為において、教訓を求めることはダメなのかというと、そうではなく、結局のところ優れた詩は優れた教訓となり、人類史に残るのだろうとも思います。 (そうではない、教訓などいらない、という立場も取ることはでき、そうした作品は現代詩では過去に少なくなく、この詩も作者としてはそうした立場で書いたものなのかもしれません。私はその可能性は無視して勝手に教訓を読みます。) ただし、この詩における教訓は標語みたいな文や言葉で語れるものではなく、クレーンがびっくりするほどながく、やたらと、バカみたいに伸びること、それそのものとして読者の中に啓示される、のだな、と思いました。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-12-05):

エイクピアさん でくの坊はそうですね、詩註中のクレーンはまさにそういったものを描こうとしていたものです。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-12-05):

仲程さん 神は当初から懸念点ではあったのですが、どうしようもなく尊いものの前ではひねった表現なぞ無意味で、ただただ「すごい」とか「きれい」とかしかでない。「神」もその類だろうという持論があるのでそのまま突き進みました。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-12-05):

完備さん 文体云々は以前より言われてはきています。それ言ってくる奴らが大抵過去の延長線、ありがち詩文書く人たちだから反発はあるけど。 文体ですがこの詩に関しては小学校(しかも低学年の受け持ち)の教師が保護者に訴えかけている、ってシチュを思いながら書きました。父兄とかまんまそれだし。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-12-05):

蛾兆ボルガさん 私は詩に教訓はほとんど求めないタイプです。ってのは先の花緒氏のコメント見てもらえばわかると思いますが。有難い言葉を求めてんなら坊さんの説法聞いてろよと。詩に教訓求めんのはお門違いだ。だからコメント内の立場そのものです。ですのでこの詩に教訓云々を言及されるのは意外も意外でした。

黒髪 (2018-12-14):

詩全体が皮肉のように感じられるのだが、気のせいだろうか。

帆場蔵人帆場蔵人 (2018-12-15):

もう散々、コメントが出てるからあまり言えることはないですが、これはたまらなく好きですね。ただひたすらにクレーンがぼくのなかで膨れ上がっていきます。sf的にみたり、色々考えてしまいますが、読むたびに自分のなかで新しい解釈が生まれるように思う。

黒髪 (2018-12-16):

上でコメントしましたが、私がナイーブになりすぎており、特に作品に問題はなかったです。創作 として、よくできておりますし、上のコメントは、返信いただかなくとも構いません。 言いがかりになってしまい、申し訳ありませんでした。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-12-16):

帆場蔵人さん 再読に耐えうる詩は書いていきたいですね


記憶の川、真昼の星 *   

永峰半奈 
作成日時 2018-11-08
コメント日時 2018-12-14

 

天気雨に濡れて光る線路 雨雲と晴天の合間 真昼に星を探したばかりに迷子になって 未解決事件の捜査現場を野良犬が見つめている 痩せて浮き上がったあばら骨の 曲線に川が流れている 淀んだ記憶の川を湛えた野良犬は 興味もなさそうに踵を返した すれ違う電車にかなしみはないのに あの駅へ向かうと いつもかなしくなってしまう 夜がくる 死にたいとは言わない、けれど 嬉しいとも楽しいとも感じない 子供たちのための夜が 薄い繭にまもられているような夜 真水を湛えた部屋の、あかるい走馬灯 毎日こうなんだ 毎日記憶の渦が僕の部屋を流れる 感情の代わりに記憶を背負って 走り、去り行くものたちよ 僕を置いて行くものたちよ 野良犬は恨めしげな目でゴミ捨て場へ向かい 線路は陽に乾いて 電車は記憶の器たちを乗せて走って行く


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羽田恭 (2018-11-09):

どうにも気になる作品です。 視覚的にはっきりしていて、その上寂しい感じが。 野良犬と電車ははたしてどこに行き、僕はどこに佇んでいるのか、考えてしまいます。

さかさまほうびん (2018-11-09):

感情の代わりに記憶を背負って、というフレーズがぴったりな詩だと思いました。心のざわめきが落ち着いていく感じがして好きです。

永峰半奈永峰半奈 (2018-11-10):

羽田恭さま コメントありがとうございます。人の心に引っかかる作品を作りたいと常々思っているので「どうにも気になる」という言葉が嬉しいです。 寂しさもキャッチしていただいてありがとうございます。感覚的なところが伝えられたような気がして嬉しいです。 さかさまほうびんさま コメントありがとうございます。自分でも気に入っているフレーズです。「心のざわめきが落ち着いていく感じ」と読まれる方もいるのだな、と発見がありました。どうもありがとうございました。

みうら (2018-11-10):

言葉が丁寧であり思念と言葉の乖離が微少に思える。その言葉から組み立てられる情景は輪郭がはっきりとしている。つまり、それは比喩だ。 >薄い繭にまもられているような夜 認知しているはずの記憶の不確実性をメタファーとして、比喩を使っている作品に読めた。レトリックで組み立てられた野良犬の様は表情がある。ただ野良犬が持つ固有の不気味なイメージを、丁寧な書き方が逆に消しているようにも思う。

永峰半奈永峰半奈 (2018-11-11):

みうらさま 丁寧な評をありがとうございます。作者としてとても嬉しいです。 いただいた言葉について拙作と突き合わせながらじっくり考えてみようと思います。 本当にありがとうございました。

stereotype2085 (2018-11-11):

「未解決事件の…」から始まる二段目からこの詩は、急速に淀みながらも輪郭がはっきりする。荒廃した近々未来の場末での出来事でもあるかのように語り手の心情が情景描写によって描かれ、走り去る列車に語り手の喪失感が託されている。記憶という単語が四度も出てくるが、そのどれもが独特のアプローチで用いられており、既視感、繰り返しの感覚は読み手にはない。僕個人としては記憶の器たちを乗せて、電車が走って行くという描写が好きだった。

永峰半奈永峰半奈 (2018-11-11):

stereotype2085さま コメントありがとうございます。 記憶がこの詩の重要なモチーフなので、複数回使ってもマンネリに陥らないかが不安なところでした。が、成功したようで作者としては大変嬉しいです。 おそらく普通は忘却が喪失と結びつけられるのだと思いますが、私は記憶を喪失と結びつけたいと思っています。それは語り手にいかに重い記憶を背負わせるかという試みでもあります。そしてその上で詩になっていること。今回はこの試みが成功したと思っていいのかな、と皆さまのコメントに励まされております。 ありがとうございました。

永峰半奈永峰半奈 (2018-12-14):

実験企画参加・酷評OKの作品です。 どうぞよろしくお願いいたします。


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