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かえっておいで   

杜 琴乃 
作成日時 2018-11-04
コメント日時 2018-11-10

 

あの日、 台風が来ると知り 雨戸を閉めに行ったきり 帰ってこない 降り続く破線に切り取られ それっきり あの日、を どこか遠くへやってしまった 翌朝のちぎれ雲は やさしく整えて日陰に干した 買ったきりしまい込んだコンピューターミシンがあるから お日さま色の糸で 屈託のないステッチで 名前の刺繍を添えて ハンカチに仕立てようと思う もう泣いても困らないように それから、 ちゃんとかえってくるように


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ishimuratoshi58ishimuratoshi58 (2018-11-05):

日常がさりげなく非日常と溶け合ってひとつになる、詩的想像力のやさしい細やかさが素敵な作品です。私がこよなく敬愛する山本沖子さんの作品に通じるような世界。 >翌朝のちぎれ雲は >やさしく整えて日陰に干した この二行はことに素晴らしい。想像が詩的真実になる瞬間、というのはこういうものでしょう。ちぎれ雲の質感が手に取るように感じられます。詩によってしか創造し得ないリアリティです。 ひとつだけ贅沢を言うと、「かえっておいで」と呼びかける対象は、「あの日」であると読めるのですが、対象を示唆せずに読者の想像に任せた方が、「かえって」きてほしいものの実在感が増したように思いました。もちろん「あの日」に籠めた作者の思いがあるのでしょうが。

ふじりゅう (2018-11-05):

拝見しました。 あの日、の大切さを詩が流れるように語る様は美しく、切ないです。ハンカチをミシンで仕立てていますが、そのあと「帰ってくるように」と述べており帰ってくる可能性を秘めています。いや帰っては来ないけど信じているだけなのかもしれない。あの日、がもし誰かとの思い出を指していると仮定して楽しく読みました。いい作品だと思います。

仲程仲程 (2018-11-05):

あの日は、忘れたいほどの日だったのか、今では忘れちゃいけないと思っているのか、 そのための気持ちの整理や明日への準備(ハンカチ)がもう出来上がってしまうのか、 うまい言葉がみつかりませんが、いい感じです。 沖縄のおまじないで、魂の抜けてしまったような人に まぶい、まぶい、うってぃくーよー(魂、魂、降りて(戻って)来てよ) というのがあって、共通する祈りみたいなもの感じました。

みうら (2018-11-05):

ビーレビに参加される投稿仲間のうち、日常から発せられるところの言葉を大事に持っていらっしゃる方々の作品を私は好ましく思っていて。他方、コメントを上手く書けないもどかしい気持ちも併せて持つ。本作「かえっておいで」を2度3度と、掲示板をスクロールする度に読んでは、コメントの内容が頭の中で組み立てることが出来ないでいた。雨戸やコンピュータミシンやハンカチがある情景は記憶に埋もれてしまった私が一番幸せと実感していた幼き頃を打つ。しかしながら、それをコメントにすることに迷った。それはきっと今の私の手から離れた、いや、捨てたものだからだと思っていて。気持ち悪く取られてしまうかもしれないが結語にある「ちゃんとかえってくるように」に私の感情は動いた。とてもいい言葉だと思う。もう一つコメントしたいことがあって。先に述べた日常から発せられる詩文、それが私にとって一番苦手なもの、書けない自分がいる。しかし薄々感づいていることがあって、それは、私が書きたい目指しところの傑作とは日常にあるのだろうということ。それを詩人の白島真さんから教わりました。ごめんなさい。長々とした自分語りコメントになりましたが、最後に白島さんから教わった倉橋健一氏の言葉を紹介して終わりにします。 「切実な主題は、日常のくらしの奥にまぎれもなく沈静してある。それをねばりづよく追求し、みずからの物語をつむぎだすことこそが、詩のほんとうの夢であるだろう」倉橋健一

fiorina (2018-11-06):

三浦さんにつられて自分語りをします。友人と鎌倉からの帰り、夕日を首筋に浴びながら電車に乗っていました。彼女は若い頃艶やかな歌や詩を書いていましたが、ある頃から随筆家となりました。わたしはかつての彼女の詩が忘れられず、「どうして詩を書かないの?」と何気なくたずねました。「詩を書いて」と少し甘えるように言ったら、穏やかな彼女が驚くほど強く、その言葉を忘れたのですが、言い返しました。私は小さく「詩じゃなくちゃ、だめなんだ・・・」と言いました。でも彼女の書く随筆は詩のようでした。そして、そのころ私は随筆がかけませんでした。私には丁寧な暮らしというものがなかったのです。若い感情で、暑いトタン屋根の上の猫のような言葉を追いかけて、詩だと思いこんでいました。しばらくして、彼女は再び、詩を書くようになりました。やっぱり詩じゃなくちゃ、だめだったわ、といいました。琴野さんの詩は、日常から滲み、目に映るものに宿っていく言葉でつむがれている。私も今は信じる、後悔しないみちを詩と共に歩いておられる。え、でも、白島さんと三浦さんの詩。変わるんですか・・・?

杜 琴乃 (2018-11-10):

ishimuratoshi58さん 貴重なアドバイスを有難うございます。 確かに「あの日」とわざわざ書かない方法があったかも...もっと工夫できたかもしれません~。反省! また「想像が詩的真実になる瞬間」「詩によってしか創造し得ないリアリティ」との言葉に、私自身が詩の何を面白いと感じているかを気づかせて頂きました。好意的なお言葉を頂き大変嬉しく思います。 山本沖子さんを存じ上げなかったのですが、検索したら詩集のタイトルがどれも素敵で...早速一冊購入しました。ゆっくり読みたいと思います。 ふじりゅうさん コメント有難うございます。 あの日は過ぎてしまったので今はどうにも出来ないけれど、大切にしたいという気持ちが伝わるといいなと思います。 仲程さん コメント有難うございます。 その沖縄のおまじないに近いかもしれません。あの日、は準備が出来ていなかったから、そのおまじないをかけてあげたいです。 みうらさん 気持ちわるくなんてないです。有難うございます。私も上手くコメント出来ずに過ぎてしまうことが多々あります。そんな中でコメントを頂けたことを大変嬉しく思います。 読んで好きな作品と、自分が書くものって結構違いませんか?憧れている文体とかかっこいい単語とかたくさんあるけど、自分にしっくりくるものでないと書いててムズムズしちゃう。挑戦したいときもあるけど、使い慣れた材料で工夫ができたらいいなぁと思います。たとえばいつもの肉じゃがを塩バター味にしてみるとか。 fiorinaさん コメント有難うございます。 少し前までは日常から逃げたくて詩(のようなもの)を書いていたのですが、気づいたら最近は日常ばっかり書いていて自分でもびっくりです。とくに子供のこととか絶対考えたくなかった。でも詩を書いているのは紛れもない自分なので、自然なことなのかなぁとようやく受け入れることができてきました。この目に見えた日常をもっともっと工夫してファンタジックに仕上げられたらいいなぁと思っています。というのも、私はエッセイは書けません。日記も苦手です。そういう意味では、私も詩じゃなくちゃだめなのだと思いました。

stereotype2085 (2018-11-10):

優しい詩ですね。最近は日常ばっかり書いていて、とのコメを拝見しましたが、いいんですそれで。いいんです。となぜか川平慈英のようなフレーズが思い浮かびました。現実逃避から自己肯定へと、筆者様の段落が移ったのかもしれません。自分語りを少々。最近僕もようやくそんな気分になってきました。また違ってくるのかもしれませんが。とにかくも詩の内容自体は「帰ってこなかったもの」が何かは具体的には書かれていないように感じましたが、その「帰ってこなかったもの」の愛おしさと大切さが切々と伝わって参りました。良作だと思います。

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