B-REVIEW作品投稿掲示板


リュウセンケイ   

クヮン・アイ・ユウ 
作成日時 2018-09-19
コメント日時 2018-10-28

 

悲しい気持ちの朝に、CとOと2、はき出した分だけ沈んでいくからだ。背中に触れる、海底に鳴る音を知っているか。浮上するあぶくを見つめる。 イルカやクジラの視線を感じ、群生するものに身を潜める。お腹のあたりを小魚の尾ひれがかすめる。いのちの温かさだけが、こんな底の底でも見逃してはくれなかった。 俺は死にに来たのにな。俺は死にに来たのにな。おかしいな。おかしいな。 あぶくを追い越し浮き上がるからだ。水面から一番に飛び出したのは、指でも頭でもなかった。口だった。詩だった。


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じゅう (2018-09-19):

拝読しました。海の底というイメージ上の、死の世界からあぶくのようにじわりと広がるいのち、エネルギーを感じる詞でした。 私の読字センスの問題かも知れませんが、「CとOと2、はき出した分だけ沈んでいくからだ。」「あぶくを追い越し浮き上がるからだ。」が初見では「から/だ。」と読めてしまい少し困惑したので、「躰」「カラダ」などと書くのがいいのかな、と個人的に思いました。

ヤエヤエ (2018-09-22):

沈んで、浮き上がっていか動きと、青い海底が見えるようでした。息と泡と自分の体の、全ての動きが上方向へ統一されているからだと思います。詩や物語は自分の中に沈む何かをサルベージしてできるイメージが私にはあります。そこが詩情をもって表現されているなと思いました。 追伸、私も初見で「~から/だ」と、何かの理由を語っているのかと捉えました。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-09-24):

「CとOと2」このフレーズは私には書けないなと思った。 二酸化炭素のことだろうが、CO2の2は「Oが二つ」の意味であり、Oに依存する概念でしかない。化学に則るならばここは「CとOが2つ」になるわけだが、Oの従属的存在でしかないはずの2をこの詩では助詞「と」でCとOと並列させることにより2をそれらと同等の存在として成り立たせる。概念が実体と並んでいる。映像化が不可だ。詩的表現っては凝った比喩のことではなくむしろこういうもののことを指すべきだ。

タキザワマジコタキザワマジコ (2018-09-25):

深い深い青色が目に浮かび、あぶくの音まで聞こえそうです。なんだか鯨骨生物群集のことを考えました。 見逃してくれない<いのちの温かさ>をどこかで期待して<俺>はこの海を選んだのかなと感じました。死にには来たけど、もっとずっと詩をはき出していたい気持ちも抱えていて、誰かがそれを気付いてくれるのを待っているような。言い聞かせるように繰り返される4行目で胸が苦しくなります。 二酸化炭素をと詩的に概念化することで、<俺>のはき出す物質が排泄物ではなく<詩>なのだと表現されていたのかなと、コメント欄を拝見して思いました。 蛇足:<からだ>のところ私も誤読してしまいまして、漢字やカタカナ表記も想像してみました。でもこの詩においてはやはり、筆者の選ばれたひらがな表記が最もしっくりくる気がします。まろくて水に似合う。

クヮン・アイ・ユウ (2018-09-27):

じゅう様 コメントをくださりましてありがとうございます。 エネルギーを感じていただけたとのことで幸せです。ありがとうございます。 ご指摘の件、表記は大変迷いました。私は声で詩を伝えるポエトリー・リーディングや詩の朗読をしているのですが、その際にも聴覚にアプローチするための言葉について吟味する楽しみを得させていただいています。 視覚アプローチであるテキストの際、何を優先するのか、それぞれにどのようなメリットデメリットがあるのかについて考えることは非常に贅沢な悩みだなぁとおもっています。 ご指摘の件はおっしゃる通りだと思います。テキストは、再読性があるものなので、ついつい甘えて「からだ」という表記が持つ印象を優先しました。 今後も考えていきたいです。 ありがとうございます。 ヤエ様 コメントをくださりましてありがとうございます。 情景描写が失敗していないことがなぜそうなっているのか、分析いただきましてありがとうございます。大変勉強になります。 「何かをサルベージしてできるイメージ」については同感です。私ごとですが、なぜか水と相性が良いような感じがしています。ヤエ様にもそのように相性のいい対象はありますでしょうか。 渡辺八畳@祝儀敷様 コメントをくださりましてありがとうございます。 恐縮しながら読ませていただきました。私も読者として人様の詩を渡辺八畳@祝儀敷さんのように読んでいきたいです。ありがとうございます。 タキザワマジコ様 コメントをくださりましてありがとうございます。 >>「見逃してくれない<いのちの温かさ>をどこかで期待して<俺>はこの海を選んだのかなと感じました。死にには来たけど、もっとずっと詩をはき出していたい気持ちも抱えていて、誰かがそれを気付いてくれるのを待っているような。」 優しい視座からのお言葉に心が震えました。ありがとうございます。 自分で書いてはいますが、自身できちんと整理できていない想いが多くあります。詩と関わる中で、それらが浮かび上がり後になってから知らされるということもまた大変に多く、その幸せを想っています。 表記についてのコメントも、伝えてくださりましてありがとうございます。水のやわらかさに合う言葉を、その伝達性よりも優先させました。

こうだたけみ (2018-10-08):

わー、これすごい好きだって思いました。 からだ、と「体」がひらかれるとき私は「体」「空だ」「殻だ」「〜からだ」をまとめて連想します。その次の行にくる「いるか」という問いかけが「イルカ」に変身して、華麗に海へ潜ってゆこうとするけれど浮き上がって沈めない。なぜなら空だからだ。 久しぶりに読んだ瞬間好きだって思う詩に出合えました。ありがとうございます。

クヮン・アイ・ユウ (2018-10-11):

こうだたけみさん 「すごい好き」と言ってくださりありがとうございます! なるほど!こうださんの作品に触れた上でその解釈をお聞きすると、自らの作品をさらに好きになる感覚があります。ありがとうございます!

こうだたけみ (2018-10-12):

クヮンさんへ 完全に自分の趣味に走った読解ですね。笑。すみません。 さらに勝手なことを言わせていただくと、「イルカ」は逆立ちすると「カルイ」になるように軽さがつきまとう生き物ですから、この作品の表面上の(「表面上の」に傍点)軽さととてもよく合っている。けれど〈俺は死にに来たのにな。俺は死にに来たのにな。〉といった表現が出てくるように、作品の根源にはけっして軽くはない、むしろ重いものが存在する。その見えているものとはっきりとは見えないものとの落差に私はポエジーを感じるし、そこに眩暈を覚えるとき「これ好き!」と騒ぎ出すことに気がつきました。九月分、選評を書く気は無かったのだけれどワンポイントキュレーションならいける気がしてきたな。書けるかな。 素敵な作品を読ませていただきありがとうございました!

クヮン・アイ・ユウ (2018-10-28):

こうだたけみさん ワンポイントキュレーションまでほんとうにありがとうございます。 TENの会場でもお伝えさせて頂けましたが、こうださんの詩や、こうださんの本作へのコメントから、私は自身の詩の原体験や源流を思い返すことができました。ありがとうございます。 音遊び言葉遊びは、単なる遊びには終わらず、その深層に大切なものがあることを思い出しました。誇りを再び手に入れたような感覚です。 ほんとうにありがとうございます。


さよならの角度   

岩垣弥生 
作成日時 2018-09-25
コメント日時 2018-10-27

 

虹の飛沫(しぶき)をあげながらゴンドラは進む たった一人の少女を乗せて 少女は死への旅を希望した 「もう二度とあんな風に感じることはできないだろう」と確信したから 決意は石のように固かった 少女は美しかったが剥製になることを拒んだ 見せ物になるのは御免だった 「視線を束ねてリボンで結び、誰かにプレゼントできるのなら良かったのだけれど」 少女はため息をついた ゴンドラは機械の国に至った 少女はそこで時計仕掛けのウサギを買った 不思議の国には行けなかったから 少女が生きていたのは大人の国、彼らの国であった 時計仕掛けのウサギを抱きしめると、お腹から神話の記憶が孵化するように思えた 「なんてやわらかくやさしい気分なのだろう」 少女の吐いたあたたかい息はほうき星になった ゴンドラは鏡の国に至った 少女はそこで座っている猫をかたどった鏡を買った 猫は好きだったけれど飼ったことはなかったから 鏡をのぞくと複雑な形をしたパズルのピースのような少女の顔が映った 「世界のどこかには私と同じ碧眼の、一人が好きだけどずっと一人でいたいわけじゃない屈折した猫がいるのだろう」 そんなことを考えて少女は薄く笑った ゴンドラは夜の国に至った 少女はそこで刹那と永遠を二重結合させ青白い星を作り、夜空に打ち上げた 嫌いになったわけじゃないことを伝えたい人がいたから 「遠い未来、この星が北極星(ポラリス)になって旅人たちの道しるべになりますように」 少女は祈るように手をあわせた ゴンドラは雨の国に至った 少女はそこで雨に打たれ続け肺炎になった 息も絶え絶えになり、涙でサヨナラと書いたけれど、何度書いても涙でできたサヨナラは雨に溶けて流れてしまった 「いいわ、この雨はいつか私の街にも降ってみんなにサヨナラを告げるから」 少女は目覚めない夢に墜ちていった ゴンドラは進む 始まりと終わりの国を目指し 時計仕掛けのウサギ、猫の形をした鏡、そして生命のバラ一輪を乗せて 虹の飛沫をあげながら


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渡辺八畳@祝儀敷 (2018-09-26):

いにしえの児童文学っぽい。

じゅう (2018-09-26):

拝読しました。めちゃくちゃ綺麗で儚い詩ですね。「少女」は、神なのかもしれませんし、無垢なる者にしか備わっていない感覚を描いているのかもしれないと思うと、星の波に漂っているような、そんな気分になれます。面白かったです。

岩垣弥生 (2018-09-26):

渡辺八畳さま 読んでくださりありがとうございます。 そうですね。詩というよりも児童文学や絵本で表現するのにふさわしい題材かもしれません。小川未明っぽいような気もしますし、ご指摘非常にごもっともだと思います。「さよならの角度」というタイトルだけは現代詩風かもです。 コメントくださり本当に感謝です。

岩垣弥生 (2018-09-26):

じゅうさま 読んでくださりありがとうございます。 面白かったという感想をいただき非常に嬉しいです。 主人公の少女は人間や人間の世界すべてが嫌になって死に向かったわけではなく、失われた感性がもう戻らないことに対する失望が死へ向かう動機になっているので、純粋すぎる存在ではあると思います。そこに、神性や聖性が宿り不思議なことが可能になるという解釈はできますね。星の波に漂っているような気分、というのはじゅうさまの鋭い感受性の賜物でしょう。 コメントくださり本当に感謝です。

仲程仲程 (2018-09-26):

書きすぎていない、説明しすぎていないというか、よくわからないところから、読み手それぞれの景色が浮かんでくると思うので、詩的だと感じます。 なにより、タイトルが本文すべてにかかってくる、バランスがいいなと思います。

岩垣弥生 (2018-09-27):

仲程さま 読んでくださりありがとうございます。 物語を進めるために説明的な文を多くすると、詩としての強度が下がるのを経験しました。なので、本作も説明は最小限にしています。結果として読み手の感受性、想像力に依存している部分は大きいです。 タイトルは少し変化球かな、と思っていたので、本文すべてにかかってくる、と批評いただきホッとしました。 コメントくださり本当に感謝です。

stereotype2085 (2018-09-29):

メルヘンチックでありながら、少女の芯の強さがこの詩に強度を与えている。少女は目覚めない夢に墜ちていった、とあるがこれは少女の死を暗示しているのだろうと解釈しました。ゴンドラに残ったのは、今は亡き少女の鉄の意思だけ。そう読み取ると、最後の一節「虹の飛沫をあげながら」もどこか不穏で不気味な印象すら漂わせると思いました。よかったです。

岩垣弥生 (2018-09-29):

stereotype 2085さま 読んでくださりありがとうございます。 そうですね。少女の芯の強さ、意志の固さがないと誕生しなかった作品だと思います。 「少女は目覚めない夢に墜ちていった」という一文は、少女の死(肉体的な死)を暗示するものとして書いたので、きちんと読み取っていただけて嬉しいです。 コメントくださり本当に感謝です。

みうら (2018-09-30):

メルヘンな読み物に接することがほとんどないので新鮮に読めた。ただ、各節の末尾がすべて「た」で終わっているので、読んでいるととても単調になってしまい、良い内容であっても醒めてしまう。メルヘンな内容なだけに醒めてしまうのはとても惜しいと思う。「さよならの角度」というタイトルはとてもセンスがあると思う。それに惹かれて読む気になったし、描こうとされている世界はまだ、未完成さがあるとは思うけど、箱庭のようで、その箱庭を俯瞰する視点として、タイトルが関連付けされている。だからセンスがいいと思う。この世界を書き切るには難易度高いと思いますが、完成された箱庭を読んでみたい。

岩垣弥生 (2018-09-30):

三浦天才詩人果実さま 読んでくださりありがとうございます。 私の好きな詩には文末がすべてa音のものがたくさんあり、そこにリズムや切実感を感じるのですが、「単調で醒めてしまう」というマイナスの効果があると教えていただき非常に勉強になりました。 まだまだ未熟なのは自覚しているので精進したいと思います。 タイトルのセンスがいい、との言葉をいただき、自分でもこのタイトルがより好きになりました。 コメント、鋭いご指摘本当にありがとうございます。

鈴木 海飛鈴木 海飛 (2018-10-21):

はじめまして 鈴木海飛ともうします。 Breview内の企画で弓庭夜話(10月24日水曜日 21時より)にこちらの作品を推薦するべくご挨拶にまいりました。どうぞ ご了承ください。 不躾でございますが詳細につきましては、ここは批評と感想を書く場なので控えさせていただき フォーラムを参照していただければと存じます。 作者様の来訪は我々メンバーとしても歓迎いたします。 見学も随時募集してますので ご都合の良いときにお声かけください。 それでは失礼いたします。

仲程仲程 (2018-10-27):

9月はこの詩がやはり一番好きだなぁ と、全作品読んでないのて、ポツリと


飼い主のない猫   

仲程 
作成日時 2018-09-01
コメント日時 2018-10-24

 

   三丁目の角を曲がったところでふと 君の匂いを感じたとき なんてことないと思っていたのに 電子レンジに卵を入れて しばらく眺めてから取り出し 破裂するかどうかを少しだけ考える あれと似ている 子供がもらってきた風船は 気付かないうちに しぼんだ姿になっていくはず それも似ている なにげない風に吹かれて キジムナーに憑かれたら身震いするんだよ  ってそれ武者ぶるいっても言うんだけど これも似ている 何気ない言葉で それで 傷付いたり笑ってしまったりできればいいのだけれど 何気なく通り過ぎた言葉と 何気なく通り過ぎた風がつついて 忘れていたような景色を思い出すとき いや 景色なんてきれいなものでもなんでもない なんてのは 今さらで 犬に小便かけられた 電車降り際に横のサラリーマンに吐き逃げされた 間の悪い田舎の親からの電話 新小岩のビリヤード場 とりとめのないポケットと やるせない気持ちと マイクロバスに乗り込んでゆく国際色と それから ビデオばかりの 眠りたいだけの夜 君だけの夜 君さえも要らない夜 あの夜もこんなふうに 帰り道でもない道を通って アパートに辿り着くと 飼い主のない猫に好かれて 君の声も 君の顔も思い出せないのに 君の匂いなんて思い出したはずもない あの夜に似ている  


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かるべまさひろ (2018-09-01):

新小岩ってずるさがありますよね。東京の住宅街は基本的にずるいので、よく他の街を使ってしまいます。新小岩なので猫が似合って感じます。根津でも錦糸町でもなくて、東京観を感じました。

仲程仲程 (2018-09-04):

かるべまさひろさん おお、新小岩に反応 ありがとうございます。ずるいと言われてニヤリとうれしいです。

まりも (2018-09-09):

君の匂いを感じた、というところで、猫が語り手なのかな、と思ったのですが。 〈犬に小便かけられた〉から一気に言いつのる感じ、そして、最後にアンニュイに投げ出しつつ 〈君の匂いなんて思い出したはずもない〉と、パシッと否定するあたり。 平井堅のような声質の人に、歌ってもらいたい詩だなあ、と思いました。

仲程仲程 (2018-09-10):

まりもさん おお! 語り手が猫でいいのかもしれません。そうしましょう。 確かにいいつのるところは、そういう歌みたいな印象もあるでしょうか。 ありがとうございます。

ももいろももいろ (2018-09-22):

深い関係そうなのに、顔も思い出せない君って?そして「あの夜」って?君と出会った夜?と想像を掻き立てられました。ふとした時に蘇る景色や感情というものを表現するのには、その曖昧さがいいのかなと思いました。

仲程仲程 (2018-09-24):

ももいろさん 言われてみると変ですね。 「曖昧さがいい」 これは、自分では気付いてなかったことですが、いいですね。 ありがとうございます。

ヤエヤエ (2018-09-24):

発表されてから幾日かたち、何度か拝見ています。その度に少しずつ受けとるイメージが異なります。 それはこの詩がセンチメンタルの塊だからかなと思います。とりとめなく、切ないという思いを色々な表現で示されていますね。そこが肝となっているので、自分の気分によって響くポイントが変わるのかと。今は二連目のたまごを見つめるヒヤヒヤした気持ちに、心引かれます。夜の町から色んな感情をサルベージされており、すごいなと思いました。

黒髪 (2018-09-24):

なんだか、住みたくなる町だな、と思いました。なんとなはなしに、瞬間と予感の、震えるような支配感、それとアンビバレントな従属感、まさに飼い主のない猫という題が思われます。飼い主のない猫に好かれる自分は、飼い主のない猫を待っていた。というか、それを受け入れる余裕とタイミングを待っていた。君の存在に、すでに負けてしまっている主人公、そして、主人公の存在にすでに負けてしまっている君、という関係なのじゃないかな、と思いました。人生で、勝つということは何度もないから、うまく負けないようにしていかなければならないのでしょうが、負けても悔しくない存在、それが理想だと思いました。

仲程仲程 (2018-09-26):

ヤエさん 読み返していただいてうれしいです。起承転結があるとしたら、転の部分で、言葉としてはセンチメンタルではないですけど、それでもそう感じていただいということでしょうか。タマゴ、私も気になってきました。ありがとうございます。

仲程仲程 (2018-09-26):

黒髪さん なるほどとうなづいてしまうコメントです。 支配されている。思い出したはずもない、なんてことは見え見えで、忘れることもできるはずもない というところ、コメント読んで、さらに深く感じます。 ありがとうございます。

ふじりゅう (2018-09-27):

拝見しました。 失恋っ…ぽい感じですかね。 主人公は似ている情景をふわふわと浮かべていきますが、結局それがなんだという感じで忘れようとしても「君」が忘れられない、そんな景色が浮かびました。 「猫に好かれ」て「君の匂い」を感じて、どうしようもなく忘れられない、君がフラッシュバックしてくるような心情を上手く表現されているように思います。 個人的には最初の「三丁目の角」が何気に上手い所なのかなぁ、と感じました。この言葉のある無しで、この詩が読者に訴えかけるリアリティが格段に違うのかも知れないと、感じた次第であります。

こうだたけみ (2018-10-09):

新小岩ってやっぱり詩に関連のある街なのかしら、と思いました。ごく個人的な理由も含め。

仲程仲程 (2018-10-13):

ふじりゅうさん 何か、感じていただけたようで幸いです。 君以外は実際の風景をつなぎ合わせたつもりですけど、あの街角とか、野良猫は三丁目だったか、四丁目だったかも覚えていないや、とコメントを読んで思いました。 ありがとうございます。

仲程仲程 (2018-10-13):

こうだたけみさん と新小岩のイメージが結び付きませんが、、 私は貧乏学生時代に住んだ場所なので、詩になっちゃうかもしれないなと思います。 コメントありがとうございます。

藤 一紀 (2018-10-15):

おはようございます。 《何気なく通り過ぎた言葉と/何気なく通り過ぎた風がつついて/忘れていたような景色を思い出すとき》 この三行はなかなか書けないと思いました。特に前の二行とのつながりを使って《忘れていたような~》と書くのは。素晴らしい三行だと思います。内容としては特別なことを語っているわけではないと推測しますが、表現としては、この作品中、特別に素晴らしく感じました。

仲程仲程 (2018-10-24):

藤さん 力を抜いた部分で、それがかえってすっと入っていったのかなと、コメント拝読して感じました。 その後の行で、すぐに否定してしまう流れですが、 やさしいコメントありがとうございます。


唯一の友だち   

帆場蔵人 
作成日時 2018-09-03
コメント日時 2018-10-16

 

忘れ去られ、蔦が這い 色褪せくすみ、ねむったまま 死んでいく、そんな佇まい そんな救いのような光景を 横目に朝夕を、行き帰る 遠くのタバコ屋の廃屋まえ どんどんとカメラが引いて行き エンドロールが遠く聴こえる そんな空間にいたはずの そんな物が国道沿線沿いに 移され、あまりにも綺麗に彩色されて 泣いていた 声を押し殺し 口を真一文字に引き結び 静かに泣いている ポストが 夕陽に濡れて赤々と 泣いている、葉書の一枚も 一通の手紙も与えられず 無用の長物と化した姿を晒されて 一層、赤く、流れない涙に滲んで *** 初めて泣いたのは いつだったろう? 多分、産まれたときだろう なんで泣いていたのかは わかるはずもない まだ言葉を知らないから 叫んだのかもしれない ただ言葉にならないものを 叫んだのかもしれない もう、言葉にならない詩を 叫んだのかもしれない 産み落とされた苦しみを *** あなたへの手紙を朝に夕に、書き殴り そうして、なんとか、行き帰る ポストは変わらず待っていて 腹を空かせて待っていて 銀の唇には蜘蛛の巣 それをゆっくり ひき裂いて 手紙がなかへ、なかへと 舞い落ちて、虚ろを満たしていくと わたしは軽やかな器になっていく 叫びを、詩を、死を ポスト、あなたに送ります ギブアンドテイクもwin-winも嫌いでたまらない そんなわたしの唯一、対等な友だちへ


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fiorina (2018-09-04):

鮮やかな一コマであり、作者の人生が滲んでいるような、読み応えのある一作です。終連もよかったです。

帆場蔵人 (2018-09-04):

fiorinaさま 読み応えのある作品に仕上がったようでホッとしています。この長さ、自分の中ではかなり長い部類でなかなか仕上げ苦戦しました。 別、レスですがつい書いてしまいオジさんであることがばれてしまいました 笑 Bレビには少しナイーブというかソフトな作風を投稿しているからかもしれないですね。内面の何割かは女性性が占めているのかな?掘り下げると、さてどんな詩が産まれるだろう。

タキザワマジコタキザワマジコ (2018-09-28):

前略失礼いたします。郵便ポストという強かで愛らしい物体がもともと好きなのもあり、初読からときめいておりました。モノクロの映画に突如色を差す第3連<ポストが>の鮮やかさ。生まれる時代や場所が違えばもっと人々の生活に寄り添うことができたかもしれない作中のポスト氏、でも現実は行き交う車のうちでどれだけ が氏の存在に気付いているのか。<ポストは変わらず待っていて~わたしは軽やかな器になっていく>ふたりの交流にはある種の官能さえ覚えそうですが、ポスト氏も<わたし>もひとつの存在として確りと独立しているからこそ、結果的に打算の無いまま健全に成立しているギブアンドテイクの構図を愛おしく感じました。うまく言えません。纏まりのない乱文何卒ご容赦くださいませ。一言で表現するなら、この作品が好きです。 草々

タキザワマジコタキザワマジコ (2018-09-28):

前略失礼いたします。郵便ポストという強かで愛らしい物体がもともと好きなのもあり、初読からときめいておりました。モノクロの映画に突如色を差す第3連<ポストが>の鮮やかさ。生まれる時代や場所が違えばもっと人々の生活に寄り添うことができたかもしれない作中のポスト氏、でも現実は行き交う車のうちでどれだけ が氏の存在に気付いているのか。<ポストは変わらず待っていて~わたしは軽やかな器になっていく>ふたりの交流にはある種の官能さえ覚えそうですが、ポスト氏も<わたし>もひとつの存在として確りと独立しているからこそ、結果的に打算の無いまま健全に成立しているギブアンドテイクの構図を愛おしく感じました。うまく言えません。纏まりのない乱文何卒ご容赦くださいませ。一言で表現するなら、この作品が好きです。 草々

タキザワマジコタキザワマジコ (2018-09-28):

(↑推敲の終わらぬうちに操作ミスを起こしてしまいただでさえの乱文がいっそう乱れてしまいました。お見苦しくてすみません。でも最低限の思いは籠っておりますことを申し開きます。)

タキザワマジコタキザワマジコ (2018-09-28):

しかも二重になっちゃってますね……重ね重ね申し訳ございません……。

帆場蔵人 (2018-10-05):

タキザワさま コメントありがとうございます。 共感していただける所があったようで嬉しく思います。ぼくはありふれた物や忘れられていく物、それらとの自分の関係や人との関係、意味をよく空想してしまいます。社会的に意味がない、と思われた物が個人にとって意味がある。それを描いて他者が読むに値すると思ってくれたなら、詩として意味があったのかと思います。

羽田恭 (2018-10-16):

独特な悲しみを感じさせますね。 確かに郵便ポストは風雨にさらされ、孤独に立ち尽くしている。 場合によっては一切の手紙を与えられず、変に鮮やかな色彩を背負わされて。 そんなポストに親愛の情を感じる、この語り手も相当な孤独だ。 孤独を詠んだ良い作品だと思います。

帆場蔵人 (2018-10-16):

羽田恭 さま コメントありがとうございます。この語り手、相当孤独ですね。て、ぼくが描き手なのですが帆場自身ではない気がします。何、言ってるのだろうか。 ですが、そんな感じで描きあげた作品ではあります。良い作品、というお言葉嬉しく思います。


薄明   

斉藤木馬 
作成日時 2018-09-11
コメント日時 2018-10-16

 

きしむ便所にほつ、ほつと したたり落ちる上階の足音 におい立つ万年床を蹴たぐる ビラ投函に目を覚ます シンクを詰まらす 酸っぱい思慕に雑じった山崎 いちびりちびりと酌み交わす すずめの匕首、断ち切る入日に 仏間にのたうつはらわた 見下ろす先祖の絵姿 しらふのあんたは布団で寝るのか 冷たい額を揺すって小突いた ぬぐえど ぬぐえど シズクの返りは首元をなぞり 言われるように 不死身と思う そのくせ前歯二本が無い 理由は酔って覚えちゃいない だかんもお、ほっとけ しゃにむに死に切ってやっから


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かるべまさひろ (2018-09-12):

小説で、殺すことが助けることになるような、シーンと いわゆる堅気のような、酒と麻雀と暗い部屋の、木目模様が 重なるようなイメージがわきました。

るるりら (2018-09-12):

気迫を感じました。 この気迫は、まるで話手が落ち武者であるかのようです。 けれど、日本のウイスキー山崎がでてくるあたりで、 リアルな今を感じさせるます。しぶいお酒をセレクトされますね。 ただ、描こうとされている世界観がよく分からなかった箇所がありますので、 もしよろしかったら 説明がいただきたいです。 「すずめの匕首、断ち切る入日に」アイクチはぼんやりと時代劇などでみたことがあるのですが、すずめの匕首 の 感慨が、わたしには解り兼ねました。自身の不勉強が悔しいです。教えていただけると嬉しいです。

斉藤木馬 (2018-09-12):

かるべまさひろさま コメントありがとうございます。 自分としてはどちらかというと堅気でない人物を書いたつもりでいました。 シーン、イメージ。 私は写真的に切り取る書き方のほうが得意なのだろうと感じています。 動きのあるものが書けずにいる。

斉藤木馬 (2018-09-12):

るるりらさま コメントありがとうございます。 私は響ではなく山崎の方が好みでしたね。 さて該当の箇所ですが、 一、「いちびり」という語の持つ小者感、および「ちびりちびり」という音感から導いた「すずめ」であること。また「あいくち」は扱いを間違えると自身も怪我をする、つまり扱いきれなくとも他に危害を及ぼすものであることには変わりないこと。 一、「匕首」は七つの首とも見えることから、そのまま雀のくちばしと見做し、夕日の中を飛ぶ「すずめ」の姿を表すこと。 一、一歩引いて「酒」はさんずいに酉であること、「酉の刻」からの連想。 以上のような意図を込めていました。 私は本来、好きなように読んでもらいたいタイプなのですが、しかし説明を要するようではいかんなあと反省しています。ひとに読んでもらえるからこその学びです。ありがとうございました。

fiorina (2018-10-16):

前夜酒場で、女性を巡ってのトラブルでもあったのだろうか。 未明に起こされてキッチンにぬかづき嘔吐する。 ない記憶ごと吐き出されるモノから立ち上る臭気と「酸っぱい思慕」 キッチンの窓から見える朝日に白々とした現実が射しこむ。 女の細首への思いを断ち切るように。 積み重ねた過去が 今は一本のはらわたとして独りの部屋にのたうっている 脂汗にまみれ苦痛に耐えても、死は遠い。 遠いのにまるで我が物顔にそこにいる。 お前にはできはしない、と言っているかのように。 この現実は、誰にも訪れる。 かつて母の死の傍らにいたとき、私は母にそれがやりおおせるとは思えなかった。 死はただ訪れるのではなく、こちらからも飛び越えてゆかねばならないものだとかんじた。 死に直面した人が、ろうそくが消える最後の一瞬に赤く燃え立つのと同じように、 奇跡的に元気になるのは、その飛び越え、死と抱き合う力を与えられるからではないか。 終連に、死にきることの困難さと、主人公(イコール作者ではありません。)がどのような人生を送ってきたかが発揮されている。 生きたようにおそらく誰もが死んでいくのだ。 初読から含めて十度以上読みました。 少しも色あせることなく私に生と死を教えてくれました。


蜂蜜紅茶   

二条千河 
作成日時 2018-09-29
コメント日時 2018-10-16

 

当てのないドライブの途上で、死者の町に行き着いたことがある。 もちろんそれはただの比喩で、地図にも載っている実在の土地だ。 住宅街も商店街も無く、平地面積の大半を墓所が占めている。 他には山と湖とありとあらゆる宗派の寺社、石材屋に花屋、それに喫茶店が一軒あるだけ。 墓参りシーズンに限って営業するという喫茶店の主は あなたも死者ですか、 などと冗談で尋ねても いいえまだ、 とはにかむばかりの物静かな男だったが、代わりに店内に漂う蜂蜜の芳香が、生ける胃袋へ能弁に語りかけてきた。 そう、忘れていたが、養蜂場もあった。 何しろ町には花が溢れているのだ。 働き蜂たちは墓から墓へ、供え花の蜜を集めてまわる。 山の麓は卒塔婆がひしめく共同墓地、中腹はバリアフリーの高級霊園、湖畔の一等地は樹木葬墓地。 蜜源によって味も香りも値段も違うらしいが、それはヒトの勝手、蜂たちには関係の無い話だ。 どこであれ、誰にであれ、新たに手向けられた花を見つけたら、巣に急ぎ帰って仲間たちに踊ってみせる、 歓喜の8の字ダンス!(あるいは∞、の) カウンターに差し出された小瓶から黄金色に輝く蜜をスプーンに掬い、湯気の立つティーカップへ落として掻きまわす、と、紅茶は瞬く間に黒く染まった。 タンニンと鉄分が反応しただけで、風味は申し分ない。 安らかな甘みと、幽かな苦みの。 つい長居して西日の差しこむ頃合いになると、店主はブラインドを下ろしながら ここじゃ生きている方が肩身が狭くて、 と溜息まじりにつぶやいた。 日が没すると、盛んに飛びまわっていた蜜蜂たちもさすがに息を潜めてしまうので、いよいよ町は死者の独擅場になるらしい。 それを見届けることはできなかった。 町には宿泊施設もなかったので、暮れ切らぬうちに出立するよりほかになく。 生きている間は、留まることができないのだ。


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渡辺八畳@祝儀敷 (2018-10-02):

死という一つの帰結が詩の全体を覆うテーマにありながら、蜂だけはゴールのない∞を辿り続ける。示唆的だなと思った。

二条千河 (2018-10-02):

>渡辺八畳@祝儀敷さん コメントありがとうございます! ゴールが同時にスタートであるような∞、死からまた始まる町。示唆を拾っていただけて嬉しいです。

帆場蔵人 (2018-10-14):

寂とした風景を飛ぶ蜂、供えられた花から蜜を集める様子が魂の残り香、或いは死を拾っていくようで淡々としながらも惹かれるものがありますね。

二条千河 (2018-10-14):

>帆場蔵人さん 魂の残り香を拾い集めた結果が、蜂蜜の芳香になるのですね。幻想的な読みをありがとうございます!

藤 一紀 (2018-10-15):

こんばんは。「バリアフリー」とか「タンニン」という語を詩作品のなかに違和感なく持ち込めるところが素晴らしいです。私にゃ無理。笑。叙述のありようがそれを成功させているとは思うのですが、そうなると、この作品で行分けの必要性があったのか、少し気になりました。行分けなしの方がよかったのでは、と。 しかし、「8の字ダンス」と無限大、文字で表されると、なにげに頭ではわかっていることでも、改めて「おお!たしかに!」と再発見の喜びがありますね。

二条千河 (2018-10-16):

>藤 一紀さん さすが鋭いですね。実は本来もっと普通に(短いスパンで)行分けしていたものを、「あれ、これもしかして散文詩にできるのでは?」と思ってつなげてみたものの、慣れていないせいかしっくりこなくて途中段階(句点で改行)でやめたという曰くつきの作品なのでした。 音(蜂、8)と形(8、∞)と意味(蜂蜜の永遠性)の連環は、書いているうちに気づきました。ちょっとしたアハ体験でした。


   

湯煙 
作成日時 2018-09-08
コメント日時 2018-10-15

 

たしかにそのひとは 扉を叩かずに 時々やってくる そのひとをとりあえず わたしは招き入れる 用件はわからないが 椅子に座るよううながす 同じテーブルで 向かい合いながら 夕食などをともにする 一日の事や世間話 いろいろ話しかける そのひとは 口をもぐもぐさせながら 相打ちをすることも 言葉を返すこともなく ただずるずる鼻をならし 目をぱちくりと瞬かせる 脚をもぞもぞさせる そのうち夕食が終わり ベッドに横たわり おやすみを言って 部屋の明かりを消す バタンとその時 扉の音がする


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stereotype2085 (2018-09-09):

「この人」というのは家人のことでしょうか。だとしたら夫婦間? の冷え切った関係、距離感が短い中に描かれていて、読み手がちょっとした衝撃を受けるのに充分だと思います。何か非があるところを探そうとも思いましたが、なかったです。

帆場蔵人 (2018-09-09):

これが近所の人だったら怖すぎるわけで 冷え切った関係の夫婦か、親と子だと読むのだと思いました。関係がわからない、解らないけど全く知らないわけではないことは読んでいて解る。曖昧で地に足がつかない感覚を淡々と上手く描かれていますね。

まりも (2018-09-09):

もぐもぐ、ずるずる、ぱちくり、もぞもぞ・・・そして、バタン。 あえて、なのか、思わず、なのかはわかりませんが、誰もが使う、使い古されたような擬音や擬態語を使うことで現れて来るのは、絵本を読んでいるような、昔話を聞いているような感覚でした。 無言で食事を済ませた後、その相手に「おやすみ」を言う、のは、語り手なのか。 あるいは、ベッドに横たわり、から先は、語り手の話になっていて、扉から出ていくのは、無言で食事をしていた、その人、なのか。 自分の「家」での、家族とのひとコマ、とも読めますし、 ひとりの夜、家が広く感じられるような夜に、自分自身の影が自分を訪ねて来る、そんな生霊体験を思い描くのも面白いのではないか、と思いつつ・・・家、という題名が、どのように働いているのか、ということを考えさせられました。これは、イエ、と読むのか。うちでは、こんな夕食の光景でね・・・という場合の、ウチ、と読むのか。そんなことも含めて。

湯煙湯煙 (2018-09-13):

・stereotype2085さん この人は語り手にも不明です。語り手自身かもですが、それも不明とします。冷えた夫婦であればなお不気味さがありますが、夫婦もまたありかとは思います。 ありがとうございました。 ・帆場蔵人さん そうですね。御近所の方なのか宇宙の方か👾。私も誰も知らないかと。気配だけを知らせるような、そうした狙いはありました。 ありがとうございました。 ・まりもさん ありふれた擬音ですが、やはり何かを伝えようとするノンバーバルな表現、意思 表示といいますか、そんなところからでした。イエとウチはなるほどと思いました。ただ今さらになりますが、タイトルはやはり変えるべきかなと。以前は顔としていましたが。今でしたらやはり訪問者や客人・・あたりでよいのではないかと思います。絵本のイメージから少しさまざまに広げることも可能かもしれませんね。不親切になっているかと。 意味はありません。こうしたことがありますが・・・それだけの作品です(^^; ありがとうございました。

左部右人左部右人 (2018-09-20):

とても素敵なイイ詩ですね。「わたし」と「そのひと」の関係性に思いを巡らすのは意味のないことだなと思いました。そして、そのように思わせる詩のなんと自由なことでしょう。「わたし」にとっても「そのひと」が誰かなんて関係ないんじゃないかなと感じます。感想を書いている間に10回は読みました。また読み返すと思います。私たちの生きる世界とは違った法則が「わたし」と「そのひと」の間には働いているんじゃないかなと思いました。分からないままに読み通せる面白い詩です。具体的な作家を挙げるのは恐縮ですが、デュラスの作品に漂う浮遊感と似たようなものを感じました。素敵な詩をありがとうございます。私はタイトルも好きです。

湯煙湯煙 (2018-10-01):

左部右人さん そうですね、わからないですし、それでよいのだとも思います。混沌といった概念がありますが、あるいは法でしょうか。おそらくそうしたことを示すのかなとも。作り込みについてはあっさりにし過ぎで難ありと、そんなことも思いますので、一考したいですが。タイトルはやはりムズカシイです。参考になりました。はい。 ありがとうございました。

藤 一紀 (2018-10-15):

こんばんは。「そのひと」の素姓は不明のまま、「わたし」によって捉えられた様子だけで語りが進行する。それが「そのひと」の存在にリアリティを与えている。明らかにされないまま、作品が終わってしまうので、「結局そのひと」は何(者)だったのか?という謎が読み手に残される。とても優れた作品と思う。

じゅう (2018-10-15):

拝読しました。最初は恐る恐る読んでいましたが、途中で勝手に猫とかなにかかと思い直し、ほっこりしていました。が、最終連で再びどきりとしました。やはり、ヒトガタの何かなのですね。 普段、何も気にしていなかった所が、突然気になって気になって仕方なくなるような形の恐怖でした。


母よ   

向日葵 
作成日時 2018-09-22
コメント日時 2018-10-15

 

母よ、 みんながみんな 東京大学に 行きたいわけではないのです。 そして、みんながみんな 美しい生きものに なりたいわけではないのです。


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まりも (2018-09-22):

ティーンエージャーの息子と娘がいる、ので・・・ 母よ、と呼びかけられると、なんとなく反応してしまいます。 東大、ではなく、あえて「東京大学」とフルネームで呼ぶ。 そのていねいな口調に、反発するような拒否ではなく、 言い聞かせるとか、説き伏せるような思いが重ねられているように思いました。 「美しい生きもの」の、美しい、とはなんだろう。 母、の求める「美しさ」が、外見だけの美しさ、綺麗さ、なのだろうか。 大学で何をやりたいか、という中身ではなく、偏差値やブランドといった 外見にばかり目を奪われてしまう母への、子供からの「説き伏せ」が、 ここにも隠れているように思います。

かるべまさひろ (2018-09-25):

家族狩りを思い出しました。

羽田恭 (2018-09-26):

即興で返詩を。 母よ、 みんながみんないつか 死んでしまうのです。 そして私は、 捨てれぬものを抱え それでもなお 釈迦の示した道を行くのです。

stereotype2085 (2018-09-26):

短い中に、みんながみんな幼い頃に抱いたであろう感慨が描かれている。向日葵氏の境遇と重なったものであるかまでは分からないが、痛切にシンプルに時に残酷に響く。良いです。

蔀 県蔀 県 (2018-09-29):

二つの観点があると思います。第一に、切々とした感情の吐露として読む。おそらくほとんど誰でもに共感できることを、ありのまま言いきっているので、ぐさっときます。「わかる」とか、「そうだよ!」とか、声をあげたくなりました。一方で、第二に、詩を技巧の産物として見た時、「東京大学⇔美しい生きもの」ここの距離がさほど空いていないところが、パンチが弱いというかなんというか、みたいな感じを受けます。東京大学は、一種のブランドとして充分すぎるほど機能していますし、そこへ行けるようにがんばった人あるいはその努力が尊いのもまちがいないし、ひとつの功績であることはまちがいないと思います(すくなくとも、ハナから目指しさえしなかったぼくから見れば)。そういう部分を「美しい」と表現できなくもない。したがって、「美しい生きもの」という一語は、「東京大学」への係り言葉として機能しそうになっているので、詩の全体が同じことのくりかえしであるとも言えてしまいます(実際はかかっていなくても、そのように見えるくらい、単語同士の距離が近いということを言いたいです)。しかし、この詩の本筋は、第一の点を満たすことにあると思うので、そういう意味では、端的かつ効果的な表現から成っていて、ぐっときます。

向日葵向日葵 (2018-09-30):

まりもさん コメントありがとうございます。 まさに、おっしゃる通りの主旨です。 「説き伏せ」とまでは行きませんが、 ささやかに芽生えた反抗心の現れとして 母にこの詩を送りました。 かるべまさひろさん: コメントありがとうございます。 家族狩り、以前から興味があったので 読んでみようと思います。 羽田恭さん: 返詩ありがとうございます。 素敵なプレゼントを頂いたようで とても嬉しいです。 「みんながみんないつか死ぬ」という 諦めにも似た感情の中で、それでも 生きようとすることを貫くその姿勢が、 私には「美しい生きもの」に見えました。 stereotype2085さん: コメントありがとうございます。 「みんながみんな抱いたであろう」と 言っていただき、少し安心しました…。 ありがとうございます。 蔀 県さん: コメントありがとうございます。 確かに繰り返しのように捉えることも 出来ますね…!パンチの効いた詩を書けるように、技巧的にも意識してみようと 思います。ご指摘ありがとうございます。

エイクピアエイクピア (2018-10-01):

母に対する呼びかけ。母を糺して居るのだろうか。母一般だと思いました。自分の母では無くて、この母では無くて、教育ママでもなくて、ステージママでもない。詩では教育ママ、ステージママが例示してあったのかもしれませんが、あくまで例示であって、本当は母性そのものに呼び掛けて居るのであろうと推察しました。

藤 一紀 (2018-10-15):

こんばんは。四行目の「そして」以降と一~三行目は、「そして」で結ばれる関係ではないですよね。でも、「わけではない」という二度の否定があって否定が強調されているように思えてしまう。こうしたレトリックは村上春樹の小説とかで使われているような気がして、有効ではあるけれど詩的レトリックというほどではないかな、と思います。むしろ、短さと言い切り。これに尽きると思いました。あ、いいですね、と言っております。


きみが、そらにだけみちているから   

ゼンメツ 
作成日時 2018-09-23
コメント日時 2018-10-15

 

キューカス、 キューカス僕は いつだって、 浮かれたような顔をして (すぐにでも掬ってほしい、と そらをだけ、みているんだ いつだって、 蒸発していく水分を追っては、 物欲しげに瞼をかぶせて (とどかない、とどかない、と こぼし続けているんだ そうやって、 うわずんだ言葉の表面で浚われ続けている、 なんてものばかり (あがいて わからないままくっつきあい そのまま一緒にわんわんめそめそ 泣いて、やりたいんだ いつだって、 わからないままで そんなはなしを繰り返ししていたのは、 (今日の いつだっけ、 きみは少しづつ霞んで 僕の視界が遠くへ届かなくなって、 だから、 そらをだけみているんだ ほんとうは 覚えている限りの大切なはなしを、 すべて白色にして、浮かせてやりたいから あのひよりすこしだけでも長く 窓際に座って、薄いつきを 噛みながら そらをだけ、 キューカス いつ、いつだったか 僕がうそぶき編みあげたまほうの意図で、 針をおくらせられやしないかって ばかになって試みていた、そのとき、 きみは、黒い布に刺繍とビーズを散らし たったそれだけで、 そらを表現していた ねえきみのそらってのはいったい どんなところなんだい 布を破って、その先には何もないのかい そう、聞いたら 一周分の瞬きと、 大気圏までの呼吸をおいて 「裏地があるのよ、必要な場所だから」 なんて答えたもんだから、 僕は、解った振りをして 離陸した キューカス僕は (そらをだけみていたから 案外、近いよ


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ゼンメツゼンメツ (2018-09-23):

5年前に書いたもの。 最近、朗読してもらって好きになれたから。

みうら (2018-09-23):

言葉を連ね、崩しながらも共感に誘ってしまえる技は優しくて切ない書き手の感情が裏打ちしているからなのだろうと思う。僕にとってのゼンメツさんの魅力は憎悪を書きそうで書かない、書かれていない、というのがある。 空を表現する君に対して、空はどんなところだと訊く。それは皮肉と嫌味にも読める。でも最後には優しく僕は離陸する。憎悪をみせようとしながらも自分を抑えこんで、じゃあね、とする優しさ。これをみうらくんが大好きになって共鳴するのは知ってる人はわかると思う。ナイーブでシャイとはそういうものなんだ。本作「きみが、そらにだけみちているから」の後、5年間の変遷を知らないけれども、ゼンメツさんの先を知りたくなる一作です。

ゼンメツゼンメツ (2018-09-24):

>三浦 さん ありがとうございます! >憎悪を書きそうで書かない あーーたしかにそうかも。こういうの教えてもらうのいいですね。僕もこの詩好き。実は自分の昔書いた作品で好きなものってあんましないんだけど、朗読してもらってから昔書いた作品のなかで一番好き。 僕、6年前から2年ちょいくらいのあいだ書いて、そのあと5年ほど、ほぼなんも書いてない時期を経て最近また書き始めたんで、わりとなんもないんです! これでも前よりメンタルがダメになりにくくなりました! ダメになる振りはいまでもよくします!

stereotype2085 (2018-09-24):

素朴な印象がして、「僕」の心情がすんなりと入ってくる。これまで拝見したゼンメツさんの作品とは異なり、喜びや悲しみがシンプルに言い表されており、技巧で隠されていない「ナマ」のゼンメツさんを見た思いがしました。朝方から心地よかったです。

ゼンメツゼンメツ (2018-09-24):

>すてれお さん ありがとうございます! しょーじき昔書いてた詩のいくつかは、いま読むともう何書いてあんのか悩むようなものも多いんですけど、こんだけ時が経ったことで、自分の作品なのに純粋な「読者」になれちゃうような気がして、僕もちょっと心地いーです。

帆場蔵人 (2018-09-24):

ゼンメツさんの詩はいつもながら、違和感なく染み入ります。 『いつ、いつだったか 僕がうそぶき編みあげたまほうの意図で、 針をおくらせられやしないかって ばかになって試みていた、そのとき、 きみは、黒い布に刺繍とビーズを散らし たったそれだけで、 そらを表現していた』 この辺りはもう言葉にならない。言葉にして評さなければと思うのに、詩に呑み込まれています。印刷して読めば、何か書けるかもしれない。また感想を述べたいと思います。

ももいろももいろ (2018-09-24):

すごく素敵でした。「キューカス、キューカス僕は、」でもう心掴まれました。「キューカス」っていいですね。そらだけをではなくて、「そらをだけ」という表現も心に引っかかりすごいと思いました。世界が美しいです。

ふじりゅう (2018-09-25):

拝見しました。 これは… 主人公の迷いがざーっと書かれていますが、一切客観的に自己を見ることなく主観的な視点で、利己的な視点で終わっている内容は痺れますね。「きみのそら」を知りたがりながら、聞いたところで分からないので「解った」振りをして離陸する様に、主人公の「きみ」への特別な執着心を感じます。 ただ、どうも気になるのは主人公の状態です。どこか正常ではない感じ。「きみは少しづつ霞んで/僕の視界が遠くへ届かなくなって」は比喩のようにも見えますが、何か不穏な雰囲気と言いますか、つまり病人、のような、もしくは精神疾患、のような何かで正常ではない状態のように感じます。でなくとも、やはりさらりと書かれた内容から滲み出る不穏な雰囲気を出せる技術に圧倒されるばかりでありました。

ゼンメツゼンメツ (2018-09-26):

>帆場蔵人 さん ありがとうございます! 「いつもながら」なんて言われちゃったり、言葉にならないとか言われちゃったり。普段そんな言葉もらえることないのでモゾモゾするくらいは嬉しいです。 >ももいろ さん ありがとうございます! 世界が美しいなんてドキドキしちゃいます。こんな言葉をいただけるならまたこういう作品も書こうかなって思っちゃいますね。われながら単純です。 >ふじりゅう さん ありがとうございます! 実のところいま僕がこの作品を自分で読みといた内容が、当時のソレと同じかどうかと聞かれるとさっぱり自信がないので、そうやって解釈を書いていただけるととってもフラットにおーーなるほどーーってなります。なんかもう僕の隣に別の僕があと2人くらい欲しいですね。そいつらと語り合いたいです。

蔀 県蔀 県 (2018-09-27):

人によっては酷評のように聞こえてしまう危険性を承知のうえで書くならば、歌というか歌詞にありそうな内容だなという印象を受けました。そのくらい、詩の内側からリズムみたいなものが感じられてくるし、また若々しい感性が伝わってきます(《若々しい》という言葉が正しいかどうか怪しいですが、すくなくとも《成熟した大人》の感性ではない気がします)。だから、「裏を返すと、一所懸命に字面を読む楽しさには欠ける、ということか」と聞かれたら、正直なところ、ぼくなら頷いてしまいます。すみません。音に寄った作品だなという感想です。目の前で朗読されたり歌われたりしたら、メロメロになりそう。

ゼンメツゼンメツ (2018-09-28):

>蔀 県 さん ありがとうございます! これを書いていた頃、僕は毎月毎月、作品を現代詩手帖に投稿するためだけに書いていたんですけど、もうほんと何を書いても佳作続きで、じゃあ次こそはいつもと違う感じのを書いて打開してやろうと思って、勇気を持ってできるだけガワはピーキーに見えるように見えるようにと。ですので実際ポストに投函するまで、蔀 県さんのくれた感想「音に寄った作品」つまるところ上っ面だけのチープなポエムチックに受け取られるんじゃないかなーー。って、かなりドキドキしっぱなしだったことを今でも覚えております。まあ結果やっぱり佳作だったんで(詩手帖の佳作は批評がつかないので)うやむやになったんですけど、こうやって5年越しに僕が危惧していた通りの感想を頂けて、いやほんとうに全然悪い意味でなく、とってもとっても感慨深いです。そのあとは苦い思い出の作品として僕自身も忘れていたんですけど、それをこのあいだ5年越しに朗読してもらったら、メロメロになっちゃいました。 あと僕的には僕のこの感性は、いつまでもいつまでもこのままであったらいいなって思ってます!

ヤエヤエ (2018-09-29):

なかなか上手に表現できないのですが、強く思ったところだけ失礼します。 タイトルがとてもいいと思います。きみが、そらだけをみているからでも良かったはずですが、そらにだけみちているとされていますね。見るという動詞にせず満ちるという動詞を使うことによって、きみの関心が僕に向かないことが存分に伝わってきました。タイトルが素敵だと何度も止まって読んでしまいます。パワータイトルですね。

社町 迅 (2018-09-30):

”)”がないからか、詩の内容の、なんというか、限界高度の淡さが際立っていて… 目で読んでもすごく素敵です。朗読も聞いてみたいです。

ゼンメツゼンメツ (2018-10-01):

>ヤエ さん ありがとうございます! タイトルは気を使うようにしているのでとても嬉しいです。読解のキーにすることも多いし、なによりやっぱり記憶に残ってほしいですね。もちろんちゃんとタイトルに負けないような本文を書き続けていきたいです。 >社町 迅 さん ありがとうございます! カッコ閉じを使わずになにやら境界を曖昧にする感じの書き方は、行分け詩を書いていたときは多用していました。 >目で読んでもすごく素敵です。 当時の自分にその言葉を聞かせてあげたいです。かなり目で読むことにこだわって書いていたので、そしてそう書いた詩をいま、朗読してもらって好きになれた。ということがまた特別なんです。

仲程仲程 (2018-10-01):

かっこいいなあ、と もちろんせつなさとか、ふくめて キューカス で書きたくなります

ゼンメツゼンメツ (2018-10-04):

>仲程 さん ありがとうございます! 普段こんなにコメン頂けることがないので素直にめちゃくちゃ嬉しいです。僕もいつか僕の知らないキューカスを見てみたいですね。そしたら先輩のクラムボンさんにも挨拶に行きたいと思います。

藤 一紀 (2018-10-15):

こんばんは。「呼びかけ」のある作品は苦手です。もう、それでもっていかれてしまう。語り手に同化しやすくなるのかな、なんて振り返ったりします。(余談ですが、菅原克己の『マクシム』だったか、あれもヤバかった) 作品のリズムの使い方、これがやはり絶妙ですね。


あまがみ   

るるりら 
作成日時 2018-09-17
コメント日時 2018-10-15

 

開け放たれた 窓を 飛び出せば どれみふあ空のかなたどちらさまでしょうか わすれがたみということの わずかないたみを もつものです 聞きかじりのリアリティに 意義をとなえる あたしと 鳥は 青いです あの人の みみたぶを あまがみしたいけれど 音楽が あたしのみみを あまがみするから みみたぶ 熱いです じょうずに あなたのみみを かじれない 音楽みたいに あなたの両みみを あまがみしたい かたほうの耳では、嫌なの あたし 空のからっぽに なにが混じっているか 青空か夕焼けか どちらにしろ からっぽ あたしの 父は ちきゅうよ あたしの 母は はいいろよ 空の純度より その空に飛ばせて ぴぃちく ぱーちく 歌いたい 青い鳥と あたしは つかまえようとしたらダメなの あたしね あなたの 両のみみを あまがみしたい


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るるりら (2018-09-17):

管理者様へ 大変 もうしわけありません。 題名欄に 「あまがみ」と挿入するはずが、ハンドルとなりました。 お手数ですが、「あまがみ」と、変更していただけるよう お願いいたします。

ふじりゅう (2018-09-17):

拝見しました。 愛の詩、と解釈しましたが、ただの愛の詩ではないことは確かであるように思います。 「みみたぶ」を「あまがみ」したいということがメインになっていますが、既に「あなた」の片側のみみたぶをあまがみしているという状況です。その状況で、あなたに対して更なる欲求を求める姿は官能的である様にも思いましたが、みみたぶをあまがみするという状況そのものが何らかの比喩表現のようにも感じました。もう全てを自分のものにしたいと。あなたの全てを自分に捧げてほしいと。そういった過剰な独占欲の一片が、「みみたぶ」を「あまがみ」するという状況に現れているだけなのではないかと考えました。 余談ではありますが、ある意味この詩のタイトルは「るるりら」のままでも面白い気もした、いえこれは本当に余談でしたね。

るるりら (2018-09-17):

ふじりゅう様 朝っぱらから お恥ずかしい限りです。 恥と入力する手すら、ふるえました。「恥」耳の心、それが「はじ」。 この詩の話し手は 赤面している状態であるというのが この詩なのですが、いえ わたくし ほんとうに 赤面してしまっておりますから。 しかし、顔をあげると 自身の詩を肯定できる解釈も頂戴することができました。 この詩でいう あまがみは 何らかの比喩表現であるというのは嬉しい読みでした。 バファリンの半分は優しさで出来ているのだそうですが、 おかげさまで、きっと 世界の半分も優しさで出来ているのだと思えました。 題名についてですが、実は私も「るるりら」のままでも面白い気がしてきたのです。 どうせ私は赤面しているのだし、わたしの面である るるりらが全面に出ても、問題は無い気がしてきたのです。 詩文中にある語である「あまがみ」よりも、詩文中にない語である「るるりら」が、案外より一層 謳おうとしていることが 読者に響くかもしれません。 良いアドバイスを頂戴したと思っております。ありがとうございました。

るるりら (2018-09-17):

管理者様へ 大変 もうしわけありません。 もしもお手数ならば、現在の題名のままで 結構です。 しかし、選評のさいに こんどは みなさまが赤面をされることとなりそうです。 もしも、お手数でなければ「あまがみ」への変更を お願いします。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-09-17):

るるりらさん 要望承りました。後ほど修正致します。 なお各要望ですがコメント欄ではなく、twitterのbreview公式アカウントにメッセージを送るのが確実に伝わります。B-REVIEW REAL TIMEのほうではないので注意してください。REAL TIMEのほうは完全に無人運用のbotなのでほぼ気づきません。

社町 迅 (2018-09-30):

小さな恋のものがたりのチッチを思い出しました。 >音楽みたいに あなたの両みみを あまがみしたい なんて、サリーがギター弾きながら恋の歌を聞かせてるような感じがします。微笑ましい可愛らしい感じがとても好きです。

みうら (2018-09-30):

性的な作品として「あまがみ」というタイトルはいいタイトル付けだと思った。団鬼六の「花と蛇」よりも直裁的でいい。内容は抽象的な表現が多様にある中で「あなたのみみたぶをあまがみしたい」という欲望に関する表現部が具体的である為、それがコントラストとして際立つけれども、タイトルに釣られて読んだ私としては、抽象的な表現が邪魔になって薄い性表現の作品という中途半端さが印象として残る。薄い性表現でない濃いい性表現では美しさとしての性が欠落することが多いにあること。しかし、「あまがみ」といタイトル付けが絶妙なだけに、もっと踏み込んでリアリズムで書いてもよかったんじゃなかろうかと思う。

こうだたけみ (2018-10-08):

〈どれみふあ空のかなたどちらさまでしょうか〉 この一行がとても好きです。 ちょっと書くのは恥ずかしいんだけど書いてみちゃった。これ読んで。って机の端に折りたたんだ手紙を置かれた気分になりました。ずいぶんでっかい机だなあ。笑。

ミナト螢 (2018-10-08):

音楽が あたしのみみを あまがみするから みみたぶ 熱いです この表現、素晴らしいですね。体温がぎゅっと上がりました。

るるりら (2018-10-15):

●社町 迅 様 小さな恋のものがたりとは また なつかしいです。 ぼんやりとキャラクターの輪郭が浮かんだものの、かすかな記憶でしたので検索してみて、ああ これこれ なつかしいなーと ひとしきり幸福な思いになりました。 >音楽みたいに あなたの両みみを あまがみしたい を、サリーがギター弾きながら恋の歌と詠んでくださって、とても嬉しいです。ありがとうございます。 ●三浦天才詩人果実 様 題名を誉めてくださってありがとうございます。団鬼六の「花と蛇」というと、それそこ耳朶のあたりが熱くなります。踏み込んで性のリアリズムを書くのは、団鬼六におまかせしたいです。わたしには、無理ですよー。壇蜜さんのファンなので、わたしにも書けるといいなーとは思います。でも、無理です。刺激的なコメントをありがとうございました。 ●こうだたけみ 様 〈どれみふあ空のかなたどちらさまでしょうか〉 この一行を気に入ってくださってありがとうございます。おかげで、いちにち中 この短いフレーズを脳内で歌って過ごしました。 うん、ちょっと書くのは恥ずかしいんだけど書いてみちゃった。って、感じです。笑。 ●ミナト螢 様 音楽が あたしのみみを あまがみするから みみたぶ 熱いです この表現、素晴らしいですね。体温がぎゅっと上がりました。 ↑ あっりがとうございます。むしろ、この二行だけで詩として提出する勇気が欲しかったです。すこし心が寒いときのホッカイロ的な言葉として使えるかもしれません。きゃっ

藤 一紀 (2018-10-15):

「意義」はそのまま読んでよいですか。「異議」と読んだほうがよいですか?私は後者じゃないかなと思うんですが。その方が《リアリティに~》の意味がすんなり通るし、また、こういう「あたし」であるがゆえに、両方の耳をあまがみしたいという謂いも、「あたしらしく」思えます。だって、だって、口はひとつなのに耳はふたつ。現実を認めれば、無理なんですから。そこをあえての両耳。 ところで「あたし」がきいている音楽は音楽という語でたとえられる何かでもある、というふうに受け取りました。なにに触れているんだろうと興味をもった。 詩行にあるように、なかなか、つかまえがたい良品に思います。


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