B-REVIEW作品投稿掲示板


「、」も「。」も打てずにいるのに   

クヮン・アイ・ユウ 
作成日時 2018-03-31
コメント日時 2018-04-30

 

トウテンとかクテンとかって、カタカナにすると可愛いよな、なんて馬鹿なことばかり浮かんで来る 焼き鳥ほお張って、帰りにお菓子も買って ハンドルにかかった袋が風を受けて、バサバサと音を立てて 震えて けれど草花に四月を映して 先のこと、なんにも分からなくても こんな季節はじめて、あーなんて軽快なペダル 画面が まだ前置きもなしにしんじつを映すころ とおくのこころ、幾つも壊れて とおいもちかいも、いったい何なんだろうなって それでも言葉は取り上げられて 楽しそうに笑うにちじょうを刺すことで、せかいに留まろうとした きっと、何でも良かった 何でもいいから、かんじょうが、欲しかった どちらにしても、矢印が内外に向いて、それぞれの痛みだけがあった いち早く先に進もうとした者たちも、やがて、口をつぐんでいった そこからのきっかけはわからない くしゃみ一つ 風にゆられる草花に八つ当たりしてから あ、そうかと気がついた あの日のゆらぎ 草花たちは今も笑うし、耐えているようで あの日のゆらぎ 冷たい風のなか、僅かにぬくみ いのちのぬくみ 揺れて 優しさに触れて 泣いて 肌に触れて 「、」も「。」もまだ打てずにいるのに 冷たい風のなか、僅かにぬくみ いのちのぬくみ 「、」も「。」も、まだ打てずに


コメント欄を表示する (4)
百均@B-REVIEW ON/ (2018-04-02):

始まり方が可愛くて、かんじょうと痛みとぬくみが交差するのも親近感がわきます。句読点は僕にとっては休符ですが、だからといって軽んじているわけではなく、寧ろ休符の方がメロディよりも大切なことは往々にしてあるとおもいながらつかっているのですが、そういうところから本作をみていると、急に作中におかれた間隙は正に句読点のようだとおもいました。

まりも (2018-04-02):

カタカナの時の目の滞留時間と、ひらがなの時の時間差、質感の相違について考えつつ・・・ 何かが起きたときに、その記憶に、区切りをつけて前に(先に)進んでいくことが、果たして出来るのだろうか・・・クテン(区切り点)を打つのは死の瞬間で、それまでは延々と、トウテン(読み点)をうちながら、呼吸や間合いを整えていくものなのかもしれない、そんなことを思いました。

クヮン・アイ・ユウ (2018-04-30):

百均さん ご覧くださり、ありがとうございます。 自作ながら、なぜ重いテーマの本作に、やわらかさを出すための言葉を使ったのかということを想っています。 そういう意味では、このテーマに対しての僕の「、」も「。」もまだ打てていないのだなとやはり思わされました。

クヮン・アイ・ユウ (2018-04-30):

まりもさん ありがとうございます。 滞留時間、なるほどと思わされました。やわらかさなどを意識することが多かったのですが、滞留時間という観点では見られていませんでした。いつも気づきを与えてくださりありがとうございます。 最期にしか終われないという主旨のお言葉に考えさせられていました。 なぜならみな、苦しみや悲しみからは逃れたい、解放されたいと願うからです。本作のテーマに向かう僕もまた等しく。 人生にただ一度しか打てないものがあり、反して何度も打てるものがある。文章であれば、それらが複数回に及ぶほどに冗長な文となる。人生はどうでしょうか。「。」は一度だけと知りながら乗り越えようと足掻くための「、」。なんて愛おしいのでしょうか。


風呂   

二色空木 
作成日時 2018-03-28
コメント日時 2018-04-29

 

四角と四つの 棒切れが これまた不思議に 交差して そのうち一つと 目が合うと やけに醜く見えてくる 睨み合いも 飽きたころ くしゃみと 出た鼻水が 僕らをまた 交差する


コメント欄を表示する (9)
みうら (2018-04-01):

投稿有難う御座います。風呂と云うタイトルから読み始めて最後まで声に出して読んでみたんですが、とても爽やかな気持ちで読めました。読んで良かったです。

百均@B-REVIEW ON/ (2018-04-02):

よく分からんから不思議というわけではなく、展開の仕方が不思議だなぁとおもいました。 風呂なので入りは多分四角い風呂桶をつくっている。そこらからその中の一つと目が合うというのが、また不思議だなぁ。何と目が合うんだろう。僕は木目の目かなぁとおもったのですが、場面的にはきつまと語り手は長いこと風呂にはいっているようにも思えるので水面に映った自分の顔のことかもしれません。 多分なにかしらのロジックが貫通すれば、見方が、変わりそうだなぁという感じがします。他の方のコメントも読んでみたい。

花緒 (2018-04-08):

短詩として、悪くない感じがしました。

二色空木二色空木 (2018-04-09):

三浦さん 読んで頂き、有難う御座います。工夫したところなので、嬉しい限りです。

二色空木二色空木 (2018-04-09):

百均さん 読みやすくしようとして、分かりづらく、伝わらなくなってしまったと反省しております。 四角は胴体、四つの棒切れは四肢のことです。自分の身体をじっと見ると、不思議だ、不気味だと感じる様子を書いてみました。 目が合う、この表現をした理由は、手などの一部位を見つめていると、だんだん自分ではない他の物に見えてきたからです。 そうして睨み合いを続けていると、冷えてくるので、くしゃみをします。反射的に動く手、ここで終えてみました。

二色空木二色空木 (2018-04-09):

花緒さん コメントありがとうございます。 長めの詩にも挑戦してみようと思います。

二色空木二色空木 (2018-04-09):

花緒さん コメントありがとうございます。 長めの詩にも挑戦してみようと思います。

み (2018-04-29):

これは非常に私的な解釈なので、もし間違っていたらすみません。でもなんかこうじゃないかなーと胸がざわつくので書きたいのです。 まず、意図的に入れている小さな空白ですが、唯一入ってない行があります。4行目です。また、4つずつという偶数を用いて交差という言葉から、対称性を連想します。 つまり、この詩自体が4行目を線対称としたものだとしたら? 交差する一つ(4行目)が醜いというのが、僕にとってはピッタリ当てはまるので。 対称性でいうなら、 「四角と四つ」「僕ら」 「棒切れ」「交差」 「これまた不思議に」「くしゃみ」 「出た鼻水が」「交差」 「そのうち一つと」「睨み合い」 「目が合うと」「飽きたころ」 という組み合わせになり、どことなく意味が通りますし、詩の内容としても噛み合ってるのではないかと思います。 そして醜い理由ですが、おそらく風呂なので、湿気で形や見た目の模様などが変形してて交差の一つが汚らしい感じになって現れているからなのではないかと思います。 ただ、この詩の本質であろう交差から連想される醜さの意味は何なのか、比喩(戦争、交流、社交、衝突、介入、干渉、重ね合わせ、あるいは対称性としての美への何か)なのか、それは断言できませんが、僕なりに納得のいく解釈ができた感じなので、ここにコメントしておきます。 本当に、間違ってたらすみません・・・。

み (2018-04-29):

上に解説があったみたいで、それを無視した批評をしてしまいました・・・すみません。 ところでしばらく眺めていたら、 「これまた不思議に」「出た鼻水」 「目が合うと」「睨み合い」 のように、交差させて読んでみても文意が通ります。 また、1行目読んでから7行目を読んでいって、そのまま4行目を最後に読むように内側へと対称的に読んでいっても文意が通るようになっているのが面白いと思いました。逆に、4行目を最初に読んでからの5行目、3行目、6行目と読んでいくと、倒置表現が上手く効いた、いいニュアンスを受け取ることができるように思えてなりません。 ハッキリ言って、僕はこの詩が好きになりました!


「ちいさな傘を」   

Clementine 
作成日時 2018-03-29
コメント日時 2018-04-29

 

産ぶ声えが鳴ってった やわらかくつめたい 風がつよい 電車のような希みゆすいで 顔を洗ふ どうせ、どうせと 枝に広ぐ花たちを 燃やす滸(ほとり)の白さです できれば、優しく ちいさな傘を たてかけて 頰の伝うにはなむけを ふりむきざまに拾ったひかり が垂れたつま恋の 帰り途になってった 古い俎板を たてかけて そこに、そこに いたことを 日は正しく折れ曲がる ひとつふたつと 幾度かぞえたゆびさきも 微笑みが 春にとけゆく川に なってった


コメント欄を表示する (6)
るるりら (2018-03-29):

この詩は 一つのささやかだけど確かな宇宙だと思いました。 一遍の詩に、ちゃんと時間が織り込まれて言葉がつぎつぎと生まれ来る感じがするという意味です。 具体的に言うと、 産ぶ声えが鳴ってった や 帰り途になってった などが つぎづきに変化するスプリング・エフェメラルのような性質が この詩に 美しく映えていると感じました。 花たちが どうせどうせと枝に広がるだなんて 見たことのない表現です。 どうせだなんて なげやりな言葉の連呼すら、個人的には電車の進行する音にも思えました。 しかも 燃やす滸(ほとり)。 滸という漢字の選も たおやか。日本には「嫌なことは水に流す」という心境がありますが、 燃えたぎる思いをそっと手離す水際の心境があると感じました。 あと、↓ここも好きです。●引用はじめ 古い俎板を たてかけて そこに、そこに いたことを 日は正しく折れ曲がる ●引用おわり この詩には時間が美しく 折り畳められていると感じます。 ただ この詩は はなむけの詩だと思われ、わたしには言葉を辿って ただただ うなづくことしかできません。産ぶ声えが鳴ってった。とか。つま恋の帰り途。ということは この別れは、赤ん坊の誕生したことに関係する別れ。ちいさな傘は あかちゃんへの想いでらっしゃるような気がします。しずかに瞼を閉じさせていただきました。 余談となりますが、「Sternsingen(星哥い)」 という作品も好きです。すみれの花の砂糖づけについてがとくに勉強になりました。銘菓にはおよびませんが、今の季節には私は 毎年、すみれの砂糖づけを つくっているからです。これからも Clementine さんの作品が拝読できることを楽しみにしています。

フリージアフリージア (2018-03-29):

私は雨が好きです。それも冷たい雨じゃなくて、しとしとと、温かくて、心配事も全部覆い隠してくれるような、優しい雨が好きです。この詩を読んで、そんな雨の日のことを思い出しました。優しくて温かい詩だと思います。

ClementineClementine (2018-03-31):

るるりらさん コメントありがとうございます。思いがけず素直にたいへん嬉しく思いました。本当にありがとうございます。 そうですね、指摘して頂いたような、一つ一つのフレーズが、連なりながらそれぞれポイントとなって響いてくようなイメージで書いておりました。電車のような希みーというような、やはり何かを喪失したり、ぎゃくに賜ったり、した後も半ば強制的に始まっていくということに対して、明るくかなしんでいたいというニュアンスをこめて書きました。 またお気遣いありがとうございます、たしかにはなむけのうたではありますが、 もちろん、ここに載せたということは、どのような解釈であっても大丈夫ですし、意味内容に言及していただいても大丈夫です。 ありがとうございました。 余談について 星哥いについても言及して頂いてありがとうございます。ご自身でつくられるとは素敵ですね! まだこちらに載せた作品数は少ないのですが、投下したものを読んでいただけると幸いです。

まりも (2018-04-06):

鳴っていた、とも、成っていった(そうなってしまった)とも異なる、タッタッ・・・・と舌でリズムを取るようなフレーズが、連の締めに置かれる。ふわりとした余韻を引き締めるような効果を感じました。 人が去っても、悲しみがほほを伝っても、日は「正しく」のぼりくだり、確実に時は過ぎていく。その正確な自然の進行に、任せきることができない・・・融け合うことができない、いつまでもシコリを抱えていたり、氷のような一部を抱え込んでいたりするのが、人の心のどうしようもなさであり、いとおしさでもあるような気がしました。

ClementineClementine (2018-04-29):

フリージアさん 雨、わたしも好きです…。感覚されるように生まれてきたもののひとつ。コメントありがとうございます。

ClementineClementine (2018-04-29):

まりもさん そうですね、暴力的にまた朝が来て始まっていく=肯定されていく、時間の流れの中で否定やくすぶりを大事にもちながら、それ自身が希望になる、死を嘆きかなしむというよりは死にふれるのとで自身の生を勁く意識する、していたいと思って書いたものです。コメントありがとうございます。


ここにいないあなたへ   

Clementine 
作成日時 2018-03-27
コメント日時 2018-04-29

 

埠頭の陰りにとまるふね 葡萄の陰りにとまるはえ 明かりに 幾つきも幾つもの 風が飛びたって 波になって帰り戯れつくさまを あなたみている 砂がときおりざらつくを 濡れている 熟れている 月がおちて死にそうな 剥けば朝(あした)がみえそうな あかつき飲み干して 足先の不焼けにかわる 埠頭のかげりにとまるふね 葡萄のかげりにとまるはえ ひかりに 幾つきも幾つもの 風が瞳にふれたって 睫毛の知らぬ憶えのさまを かなたみていた


コメント欄を表示する (2)
まりも (2018-04-06):

ふとう、ふね、ぶどう、はえ・・・ふ、の音で導かれていく心地よさ。 助詞をあえて抜いて、した足らずの印象を作り出そうとしたのか、七五調に整えようとしたのか・・・意味を考える間を与えず、韻律で先に運ぶはずの七五調の効果が、少しだけ不自然な進行によって留められる。心地よさがざらついた感じになるのが面白いと思いました。 題名は六四。滑らかに引っ掛かりなく読めるのに、語呂がよいはずの七五で音がかすかに途切れる。レコードのノイズのように。 自由な連想や解釈をゆるす作品だと思いますが、私は新盆を迎えた人が海辺に立っている様を思いました。お供えものの葡萄(故人の好物であったのかも知れず)の熟れていく匂い、かなたに去ったはずの「あなた」への思い。

ClementineClementine (2018-04-29):

まりもさん 内容はやはり、読んでいただいた方それぞれにすっとしみていくように、自由な解釈をしてほしいという言葉を選んでおります。 そのうえで、おっしゃられたように、節のつけかた、韻律の壊し方、言葉とリズムの到着のズレというのを意識して、違和というものをどう口は美しく読めるか、という試行でありました。ありがとうございます。


離散したせかいに千切れるよ笑って   

クヮン・アイ・ユウ 
作成日時 2018-03-27
コメント日時 2018-04-29

 

そうだよ、今から飛び込むから見てて ちゃんと居なくなるから見てて ほら 気がつくと片側の瞳からだけ涙が流れていて ここがベッドルームでも岩と岩の間でも波を受けていても天国でも地獄でももう何でもよかった アーティストが夢を歌う横で 悲しみ絶望を歌う人間こそが真のアーティストだと世界を睨みつけていた 涙を拭ったら 夢の終わりもって終わりとして 忙しく身支度をした 壊れたドライヤーは年中冷風で 今の時代ディスカウントショップでそれなりのものを買えるのになぜか頑固な姿勢を崩さなかった 崩さなかった そんなこと一つとっても器用に立ち回れたらあの時あんな借金はしなかった 免許が取れるのに卒業直前で辞退した 30万ローンを24回に分けて払うことを決めた夏の隣で、親親親と口々に言うのを聞いていた 愚かだからこの世界は公平だと思っていた 努力は報われる夢は叶う君も幸せになるのだと 現実にケチをつけても何にもならないこともその少し後に学んだ 君が千円のランチを食べる隣で 丸めたおにぎりの見てくれを気にして隠れて食べる人生があることを知った 米が食べられることがもう贅沢なのだと知った ダンボールをかじって そんな風に下を見ればきりがなく この世は二つに区分されていて 幸自慢も不幸自慢もキリがないから、そうだった だから飛び込んだんだった 片目から泣くなよ両方から泣きなよ そんな声も聞こえたけれどきっとこれも後付けだろうな 後付け後付け後付けで、飾りが増えるほどに僕らの人生は虚しくなった 穴はたった一つのものでしか埋められず他のガラクタ美しいものを持って来ても足りなかった 豪邸に積み上がる虚無とワンルームに溢れる精神病のどちらが幸か不幸か そんなものはかってどうするのか 君は今幸せか僕はどうか ここで今絶叫したら晴れて仲間入りか 君が叫ばないのはなぜか 僕が叫ばないのは この文字たちはどこへ行くのか、ゴールなんかあるのか 裏門で局部を蹴ったあの子が母になったと聞いた 痛みは消えたのに何かが今もずっと痛い 俺は何になったのか 君が何になるのか これは何になるのか 詩はどこへゆくのか 断絶せよ世界 断絶を叫んで断絶に狂って痛みのままにのたうち回れ 世界に壊れる身体も心も見てよねえ ほら、今から飛び込むからさ 断絶せよ 断絶せよ 諦めて諦めて諦めて諦めても消えない世界よ断絶せよ断絶せよ断絶せよ 千切れ飛ぶからだを見ていつか笑う君よ 千切れ飛ぶから 見てよ


コメント欄を表示する (9)
みうら (2018-03-27):

ユウさん3月の投稿ありがとう。ユウさんを詩人と呼称していいのなら、ユウさんは人物と作品が一体とする詩人だと思います。本作から鬼気迫るものを感じる。日常で感受することを言語化している人なんだと思う。断絶を作品に出来る人、いやそうではなくて断絶を詩にしなければならない人ではないでしょうか。 詩に関わってきた2年半、誤解は誤解のままに、弁明を拒否してきたと自分なりに思っているのですが、後悔はなく。なぜなら断絶を少なからず体感出来たから。言語化出来ない気持ち。 またいつものごとく自分語りをしてしまうコメントで失礼しました。というか自分を語る以外に何を語れというのかと、思うよね。ユウさんわかるでしょう笑。

IHクッキングヒーター(2.5kW) (2018-03-28):

やはり、「断絶」が答えにならざるを得ないのでしょうか。しかし、「見てよ」というのは断絶を見せつけるのか、あるいは… なんというか生意気なこと書いてしまってすみません。

沙一 (2018-03-28):

死にたい、というのは、生きたいという気持ちの裏返しではないでしょうか。 上手に生きたいけど、それがかなわないと感じたとき、人生やめてしまいたくなる。 同様に〈断絶〉も、ほんとうは誰かとつながりたいのに、うまく交流できないと感じたとき、自分を守るために壁をつくってしまう。 最後の「見てよ」という台詞に、声にならない心の声を感じました。 なんにしても、三浦さんの仰るように、鬼気迫るものを感じる文だと思います。 自分は読んでいて、あんまり卑屈になんなよ、と声をかけたくなりました。

エイクピアエイクピア (2018-03-28):

免許が取れるのに卒業直前で辞退した ここが心に響きますね。姉も確か免許が取れる直前に止めて二度目でとったからです。 断絶せよ 断絶せよ 諦めて諦めて諦めて諦めても消えない世界よ断絶せよ断絶せよ断絶せよ 千切れ飛ぶからだを見ていつか笑う君よ 千切れ飛ぶから 見てよ こんな終わりにも何か含みを持たした感じを受けて印象的です。

沼尾奎介 (2018-03-30):

すごく感情的な詩ですね。共感できますがそれは、俺が貧乏人だからかもしれません。

クヮン・アイ・ユウ (2018-04-29):

三浦さん 断絶を作品に出来る人、いやそうではなくて断絶を詩にしなければならない人ではないでしょうか。 せざるを得ないことをただしている。息が苦しいから呼吸している。そこにはより良い呼吸の仕方などはなくて、必要にかられてしている。 詩をやめられない気がするのはそんなところからでしょうか。やめたらどうなるんでしょうか。 詩は憎らしい愛おしい存在です。自分みたいです。 わけわからなくてすみません。

クヮン・アイ・ユウ (2018-04-29):

IHクッキングヒーター(2.5kW) さま コメントありがとうございます。 多くの作品ではそのように現実の提示があり、「でも」という資本主義、物質主義的な価値観からなんとか抜け出ようとする足掻きのようなものを感じます。 〜である。でも〜。 生きていく以上、これを続けていくだけなのかもしれません。尊いのかもしれません。

クヮン・アイ・ユウ (2018-04-29):

エイクピアさま ありがとうございます。お姉さまのエピソードをうかがえてありがたいです。 いつか僕もリトライすることがあるのかなと初めて考えられたからです。 詩をご覧下さりありがとうございます。

クヮン・アイ・ユウ (2018-04-29):

沼尾奎介さま ありがとうございます。 ご覧下さって嬉しいです。 僕の好きな方は、いつも少数派のことを思っていて、人知れず影にいる人を描いています。僕はそんな風になれないかも知れませんがなってみたいと望んでしまいます。


君が呼吸を喪った、赤い外科室   

北村灰色 
作成日時 2018-03-25
コメント日時 2018-04-21

 

君が呼吸を喪った 赤い外科室 カーテンが閉ざす世界  いつかの赤い唇 紅いマニキュア くる来るくる繰る、やがて狂う  赤に赫を重ねて何を想う? 僕が虚空で失った 紅い熱病 逢魔が時 擦れ違う葬列 影の群れに君はいない 墜ちる凧 夕暮 茜色の涙 担架が孤独を抱擁する 歩みを進める君 立ち竦む僕 何を間違えた? 何を聞き違えた? 哀しい笑顔 白いシーツ  触れて 揺れて 終わる春 そよ風 都会の喧騒 僕はただ俯くだけ 君の言葉を喪った 赤い病室 濁点 句読点 点け忘れ  カルテの末尾は垂れ流し ――もう錆びついたメスが 君と僕とを切り裂いた


コメント欄を表示する (6)
まりも (2018-03-27):

赤い外科室、このインパクトが最後まで続いていく。様々な赤がフィルターのように重なっていく感覚。心の痛みや精神の流す血の生々しさのように思われました。 青や蒼の言葉は出てきませんが、影や夕暮れに青がにじんでいるように感じます。 題名に詩の一行めをそのまま用いていますが、題名から受けるインパクトを、重ねて強調する効果をあげているか、どうか。題名をもう一工夫してみても良いかもしれません。 鮮やかに映像が見えて来るけれども・・・赤一色で埋め尽くされていくような単調さを感じてしまうのも事実です。もう一作の、イメージが乱舞するような激しさを持った作品と比較してしまうので、そう見えるのかもしれないな、と留保をつけつつ。 「僕」が「虚空」で失った「紅い熱病」とは、恋煩いでもあるのでしょうか。そうすると実際に病気や事故、怪我などで「君」を失った、というストーリーとは別に、「君」の心を荒療治して、「僕」との恋を奪っていった何者かの存在を「錆びついたメス」になぞらえる、そんな失恋の激しい痛みを、赤のストーリーの中に見ることが出来るかもしれません。

沙一 (2018-03-28):

この作品は、ツイキャスで朗読されていたのを、聞かせていただいた覚えがあります。 もう錆びついたメス…… この詩の君と僕の、劣化してしまった関係性を象徴しているようで、印象的でした。 涙で、錆びてしまったのだろうか、とも。

エイクピアエイクピア (2018-03-28):

そよ風 都会の喧騒 僕はただ俯くだけ 君の言葉を喪った 赤い病室 この二行が印象的です。赤い病室が何を象徴して居るのか、それを考えました。

北村灰色 (2018-04-21):

まりも様 コメントありがとうございます。 この詩は題名がまず思い付いて気に入ったので、題名ありきの詩というか、その題名に終始引き摺られていってしまった感もあります。 赤を重ねすぎて単調になっているように思うのも、そうした部分があるからかもしれません。 恋煩いというよりは、もっと夢現な情景ですね。(君)も(僕)も誰でもない実体も正体も無い何か。

北村灰色 (2018-04-21):

沙一様 コメントありがとうございます。 そういえば、この作品はツイキャスで割と頻繁に朗読していましたね。そして聞いて頂けていたのですね。 (もう錆びついたメス)は夢現の赤の幻影が終焉を迎えるというか、それを印象付けるオブジェクトであればと。 涙で錆びてしまったという解釈も、とても興味深いです。

北村灰色 (2018-04-21):

エイクピア様 コメントありがとうございます。 その二行は私も気に入っていて、一瞬の寂漠感と空虚の後、刹那に赤が被さってくる感じが好きだったりします。 赤い病室はこの作品の根幹というか、ここから様々な夢幻が拡がってゆく起点なような気がします。


春寒の記憶   

百均@B-REVIEW ON/ 
作成日時 2018-03-31
コメント日時 2018-04-14

 

車でとおりすぎる らくがきにはもうにどと出会えない とおもうのに とおりすぎるしょくぶつにはもういちどあえる ひと作り上げたもの以外の区別がつかないのに しゅんかんのきおくはだいじ でもらくがきのことをわすれてしまっても さくら きみのことはわすれない さいているところにきみがいることをしっているから (それはきみではないよ) かぜがそうおしえてくれても ぼくらにんげんには さくらとさくらのちがいがわからない ちりゆくはなびらのように それはまるでそれはまるでそれはまるで まるでまるで まるで まるくて あたたかい (人間の名前みたいなはなびらだね) あたらしいしずくが はざくらのさきっちょからおちるこの なみだのように


コメント欄を表示する (7)
百均@B-REVIEW ON/ (2018-03-31):

最後ちらっと変えた所でやらかしてしまいました。「ひとの作り上げた」です。

5or6(ゴロちゃん。) (2018-03-31):

出だしの掴みは弱いけど後半がグッと盛り上がっていいですね。 このなみだのように はやや蛇足かな?と思いました。 でも淡い感じがする好きな詩でした。

竜野欠伸 (2018-03-31):

百均さん こんばんは。 詩を鑑賞することでさくらを鑑賞する 気持ちになるのは、詩作の醍醐味と思いますネ。 タイトル:春寒の記憶: についても引き付ける印象を持ちました。 何より、 通り過ぎるらくがきは世界にひとつだけれども さくらという名前の木は世界にたくさんある。 という、叙景がとても素晴らしいナと感じました。 最期には、 その瞬間に垣間見ることが できた叙景がとても素敵でした。 さくらの「はなびら」は、 ひとにとって、 きっと「人間の名前みたいな」「なみだ」のようだ。 ラストカットとても印象的です。

百均@B-REVIEW ON/ (2018-04-01):

5or6(ゴロちゃん。)さん さくらの花びらが平仮名のように映ればいいなと思ってかいたので、淡い感じが伝わったのが素直に嬉しいです。最後の部分、意識の隅の方で迷いました。最後の着地の部分の、、、なんというんでしょうか、陳腐さみたいな物が振り切れていたらいいなとは思っていたのですが。落ちをどうにかする課題早めに終わらせたいです。 ありがとうございました。

百均@B-REVIEW ON/ (2018-04-01):

竜野欠伸さん 最近、比喩とはどういう役割を持っているのかについての小さなエントリを読んだのですが、それは本来であれば重なり合わない物同士の中から、数少ない共通する何かを抜き出す事によって繋げる事。その結果、より強い結びつきが浮かび上がることによって、話の本題に戻す事の出来る作用を持つ技法が比喩であるという話なんですが、僕はそこら辺に関心があるみたいで、最近ずっと追い続けています。 >さくらの「はなびら」は、 >ひとにとって、 >きっと「人間の名前みたいな」「なみだ」のようだ。 >ラストカットとても印象的です。 さいきん考えているのは、風と唇と花びらについてで、僕がずっと気になっているのが名前という概念です。言及して下さりありがとうございました。僕の中で、書きたかった事や気になっていた事の整理が出来たように思います。

まりも (2018-04-02):

らくがき、のような人造物の「自由さ」や一回性。対して、桜の花のような、微細な次元では一つとして同じものはないはずなのに、未来永劫、変わることなく繰り返すように思われる永続性。 人間、という生き物も、宇宙的な視点でみれば千年、二千年、ほとんど変わることなく続いているのでしょうね。 ひとつひとつの花びらの差異を見分けられる目を持ちたいと願うか、あるいは「らくがき」もまた、花びらに記された雨のシミや虫食いの痕のような微細な藻のと見る視点を持ちたいと願うか・・・そんな方向性について、少し考えてみたいと思いました。

百均@B-REVIEW ON/ (2018-04-14):

まりもさんありがとうございます。 解像度の話ですよね。細部を書き込んでいくみたいなところは、なんというか僕自身は最近やり過ぎても無駄なのかなぁと思いながら、カメラを引いていく感じでこれを書いていました。なんとなく音読寄りで書いている所があるので、中々塩梅は難しいなとは思います。とりあえず実験してみて色々な感慨が得られましたので、次に生かしたいと思います。 ありがとうございました。


殺戮の時代   

原口昇平 
作成日時 2018-03-14
コメント日時 2018-04-11

 

(i)  かぼそい  あんまり長いこと夏を遊んでしまったから  羽化することもできずに  あかるみに息絶えゆく名のない虫のような  かぼそい  あの女と部屋のすみでまるくなっていた午後  窓の向こうに見える工場の  煙突の先にとまっている煤けた鳥のような  かぼそい  かぼそいまなざし  ぼくに向けられたうすっぺらな唇が  ただただため息をつくときでも  歯車はまわっていて  やがて暮れては  白すぎる時間を抜けていく  電車の  何かをひいている  ような音が 好きだからと  駅のような場所に立つ  ような  ひとのような  夜ばかりではない  ほんとうはもうずいぶん前から  あのあかるい遠さの病院で  まどろみのなか横たわっているだけなのに  部品のひとつとして青く剥がされては  また青く組み立てられていくまま  そんなときでもやっぱり  あなたのそれはかぼそいまなざし  世界に向けられたはかなげな眼から  やわらかなシーツがこぼれ落ちるときでも  歯車はきつきつとまわっていて (ii)  水はからだを拒まなかった。それはひとつの  再婚として、妻のもう開かなくなった空へ向  けて。途絶えなくつらなる休息。そして初夜  のことを        思うだろうか。わだかまるための旅  を。暦のほつれを。やがてそこから水との日  々はあふれ、堰を切って趨るだろう。そして  私、そう呼ばれたひとはもう                   立ち去っていく  しかなく。息を切らせた死から。あとでの雨  は言葉としてのみ生きながらえる。降った、  それだけだ。そのころには誰も「かなしい」  なんて言葉は知らないだろう。それが                     お前の  ねたみだとでもいうように。そうじゃない、  お前のかなしみ。誰も知らない。私、の複数  形をあらわす言葉は私たちではないから。影  だけが暗く川底にはりついて呟く。戦争、戦  争、戦争、青が           足されて。                                     やがて音も。  波紋はひとつにしか見えなかった、と。それ  が最期の言葉なのか。石たちはひとりひとり  で自殺していったというのに。もうひとつ、  花束がその婚礼のために供えられて。いちり  んずつの花ではなく。それもまたかなしい。  のよ。と、          妻にはそうやって消印が押された  のだ。あとには流れていくだけで。                    あとには。               (iii)      窓に  部屋のない場所  時折顔ぶれが  青く終わっているだけの    めずらしげに垂れる  さむい夕涼みの声がする  骨のまるみを殺した  球形の女の小鳥がする     青色の青空   青色の青信号   青色の青写真    つらなりの出土したさまざまに  途切れていく水がする  書きとめられる叫びのひとの  暮れるほほえみの口がする    窓に終わっている       (2002年5月)


コメント欄を表示する (10)
原口昇平原口昇平 (2018-03-14):

一篇書き始めたのですが月末にできるかどうかというところなので、20歳のころに書いたものをそっと置いていきます。いま読み返すと詰めが甘い部分がとりわけ(ii)にありますが、たぶんそれも含めて私のはじまりにあった姿勢をよく写し取っているような気がします。

みうら (2018-03-14):

本作から受けたものを、女と青を用いて影響詩のような趣旨で私も書いてみました。 モニュメントがうつむく

みうら (2018-03-14):

すみません、失敗して送信してしまいました。

みうら (2018-03-14):

モニュメントがうつむく 殺戮の道に涙すみ やがて平行線 白線なれば平和と ひいて 水を汲む 涙すぎれば青あたらしく 銅によるも 情は黄金とあらわれ 殺されない 殺されないと 道あるうちはと 女性の気持ちよ バルラハの風の中の旅人

survof (2018-03-14):

(i)の息の長いフレージングがとても魅力的に感じられます。「かぼそい」の繰り返しでたくみに導入のリズムを作り出し、「〜ような」と「〜て」が対となってゆっくりと正確に安定した「低音」を刻むことで息の長い文章を息切れさせることなく、そして全体を重くならせない絶妙なバランスで非常に魅力的な旋律を作り出していると感じました。 (iii)では「声がする」にはじまって「〜する」がいささか奇妙な使われ方で反復されることによって刃物の上を歩いているような緊張感を感じました。文章としては意味を失って錯綜したような状態になっているのに、あまりわざとらしさを感じさせず、むしろ明確なイメージを想起させられるのが非常に不思議です。「窓」や「青」「終わっている」といった言葉の使われ方、言葉の配置や構図の作り方が非常に効果的なのかもしれません。

アラメルモアラメルモ (2018-03-15):

争いから愛憎劇として読むならば、婚礼と書かれてあればロルカの血の婚礼やロミオとジュリエッを思い浮かべてしまう。 映し出す青のイメージが、記憶を透して反映されるように描き込まれていますね。 眼に映し出される水の青とは、光を通して空の青が反映される色でもあり、これを人物から受け取るイメージに置き換えれば、与える印象として冷たい哀しみの色でもある。 そのように考えてみれば、ここで用いられている青とは別れを示唆し予感した哀しみの色でしょう。 あの時代をチャップリンが殺人狂時代と揶揄して映画化したのは当然ご存じでしょう。 戦争、戦争、戦争、殺戮の時代。これは予感を示唆しているのか、または内面的なイメージからこころの戦争と置き換えられたのか、時代背景が読み取れない分、解釈を試みるならば少し中途半端な読後感で終わってしまう。そのような感想は否めませんね。

アラメルモアラメルモ (2018-03-15):

否めないというよりもむしろ、流れに詩的誘因力があるだけに少し残念な余韻が残ります。

百均@B-REVIEW ON/ (2018-03-22):

殺戮という言葉は「多人数をむごたらしく殺すこと。」という意味だそうですが、ただそれだけの意味で禍々しい気配を字から感じるわけがないとおもいながら戮の意味を調べると、人を斬り殺す意味の他に、力を合わせるという意味があることを知りました。殺戮とは一人では行えないのだ。という前提を真似にこの詩と向き合ったとき、ここには一人、もしくは一つの死が刻印されているようにおもいます。なのに、なぜ、殺戮なんだろうということをおもったときに、戦争という言葉が唐突にむき出してくる(ii)に僕は違和感を覚えます。いいわるいではなく、なぜ、戦争なのか。 殺戮は時代を形容するように、「の」でつながれ、繋がれた時代は歯車のように回り続け、止まることはありません。殺戮でない時代は前にあったのか、これから先にあるのかもわかりませんが、戦争に付け足される青とは何かというところも気になります。アラメルモさんの感想からヒントみたいなものをもらったような気もするのですが、そこからどう深化させていけばいいのか印象に言語が追いついて行きません。  つらなりの出土したさまざまに  途切れていく水がする  書きとめられる叫びのひとの  暮れるほほえみの口がする    窓に終わっている 僕はこの詩を受け取れなかったということは上に書きました。でも、それとは別に本作の持つ文の鋭さは本当に寒気がします。これは僕の勝手な思いですが、もっと読まれるべき作品だと思います。他の方のコメントがもっと読みたい。

まりも (2018-03-28):

コメント欄に「詰めが甘い部分がとりわけ(ii)にあります」とあるのですが・・・私に一番響いてきたのは、(ii)の部分でした。実話か、そのような設定でシリアスな物語を想定しているのか、あるいはどなたか、実際にモデルがいるのか、そのあたりは分からないまでも・・・私は、この「戦争」を、病との戦い、と読みたく思いました。 上下にピースを寄せて行けば、ぴったりはまる、長方形の形象が現れる。逆に言えば、一つにつながった時間にヒビや断裂が入り、余白の時間によって隙間が引き伸ばされて、そこに言外の意味が生じる。 水、を、末期の水というように具体的に取るのか、彼岸と此岸とを分ける、隔ての川の水、というように取るのか・・・ここでの再婚、婚礼は、死との再婚であるような気もしました。 妻を彼岸に送り出し、一人で現世に戻って来るしかない男の悲しみを描いている。そんな静かな追悼作品であるように思いました。

こうだたけみ (2018-04-11):

〈私、の複数/形をあらわす言葉は私たちではないから。〉 特に目立たせるでもなく差し込まれたこの一文が、なぜかとてもとても気になりました。 私の複数形。私と誰かを含む言葉が私たち、であるなら、私の複数形は私をしか含まない。 いつも私、私と自分のことばかり考えているせいでしょうか。なんだか妙なところで躓いてしまいました。とてもとても気になります。


優曇華   

鹿 
作成日時 2018-03-26
コメント日時 2018-04-10

 

優曇華を見るのは初めてかい? それは三千年に一度だけ咲く花 なんていうのは大噓で ただの虫の卵だよ 昔は天井に優曇華が咲くと 火事になる なんて言ったものだけど あんたは嗤うかい? 虫の卵がぶら下がる部屋で 未だにのたくる年増の女を 売れるものなど それしかないからね 今更、同情なんて要らないさ 思う存分蔑んでおくれよ あたしもそっちの方が気が楽さ 無垢な女じゃあるまいし 憐憫なんかじゃ救われない その優曇華からは 草蜉蝣が生まれてくるよ けれどこんな黴臭い部屋じゃ 羽虫に変わる前に 死んでしまうだろう それでも幼虫は あの卵から産まれてきて 息絶えるまでのたくるのさ 生まれ落ちる先は、選べないからね あたしも一緒さ 生まれてきたから生きるだけ 死にたくないから生きるだけ 浮世に生き恥晒しても あたしはあと幾年を このチョンの間に埋めるか 分からないけれど 待ってみようか優曇波羅 三千年後の万葉に咲く大輪の花を


コメント欄を表示する (4)
るるりら (2018-03-27):

優曇華について初めて知りました。 テレビで百年ごとに咲く花ならばみたことがありますが、古来の人々のロマンを感じさせることを教えていただけました。ありがとうございます。憐憫に対する感じ方も共感させていただきました。魅力的ですね。 ただ、とても細かいことが 気になりましたので報告させていただきます。 ≫このチョンの間に埋めるか このチョンという表現ですが、ちょっとした感じしかしない生き物というイメージなのはわかりますが、昭和の頃に父がむかし簡易型カメラのことをバカチョンと呼んでいたことを思い出しました。そのすぐ後ぐらいの時代にチョンという言葉は、差別語としてメディアに取り上げられました。当時のマスコミが言いますには、チョンは朝鮮を連想するから止めろ。だとかと言っていました。  わたしはカメラの話をしているのに、なぜ?チョンがなぜ差別語なのかは 今も納得はできてないのですが、でも この詩の詩文で カタカナでチョンと書いておられいるのを拝見するとバカチョンの時のような 雑味を 感じてしまいました。

鹿 (2018-03-27):

るるりら様 読んでいただいて、ありがとうございました。 はるか幼少のみぎりの話ですが、私の通っていた 幼稚園では、絵本の定期購買がありました。 その絵本の中に、「うどんげ」という クサカゲロウの生態について書かれたものが ありました。 天井に咲くと火事になると言われている事や 三千年に一度咲く花という知識は その絵本から得たものです。 その絵本のことを、何となく思い出したので 文章にしてみました。 ご指摘の「チョンの間」についてですが ちょっと申し上げにくいのですが 小料理屋などの体をした風俗店のことです。 ちょっとの時間で××できる店、というのが 言葉の由来だそうです。 この言葉に対して、不愉快に思われたなら 申し訳ありませんでした。 せめて、表記を平仮名にするなど、何らかの 配慮が必要でした。 コメント、ありがとうございました。

花緒 (2018-04-08):

面白いけれど、独白文というよりは、説明文になっている箇所がいくつかあって、それが惜しい。

鹿 (2018-04-10):

花緒@B-REVIEW様 読んでいただいて、ありがとうございます。 以前、こちらで公表させていただいた作品でも 「説明的」であるとのご指摘をいただきました。 心掛けてはみましたが、私の文章の癖の ようなもので、なかなか修正が難しいようです。 今後も精進いたします。 コメント、ありがとうございました。


自爆それと   

羽田恭 
作成日時 2018-03-23
コメント日時 2018-04-10

 

打ち付け 叩き付け 壁に頭を自爆させる 机に頭を自滅させる 床に頭を爆発させる 打ち付け 叩き付け 感じない痛みに陶酔する 制御不能の身体に従い 異常な光景を展開させてしまう                     “自己こそが自らの主である” 無意味な音が喉から出て 無意識に右手が頭を殴り  “おのれの心を護れ。自己を難所から救い出せ” 不随意に首が折れ曲がり 不気味な不快な声が出る みんな 見えない色を見る     “怒り 執着 妄想を三毒と呼ぶ。心を感情をこれらに分類 みんな           していけ。正しく理解するために“ 聞こえない音を聞く みんな 触れないものを触る みんな 考えないものを考える みんな 感じない何かを感じる この世で唯一この頭と体は酷く劣る           “「われは愚かである」と知ればすなわち賢者である” 理解できずされず 中傷と冷笑と嘲笑の 孤立と隔離と孤独の中 絶望だけを友に           “生きる事には苦しみが伴う 焦燥感と自己嫌悪と劣等感が      苦しみには原因がある さいなみ 蝕んでいく         苦しみは取り除く事ができる                    苦しみを取り除く方法がある“ 人並みを目指す 努力が記憶が意識が 積もりもせず 何も勤まらず あざけられ      “人のそしりを忍ぼう。多くの人は性質が悪いから” 罵られ 焦燥感と自己嫌悪と劣等感が  “嫌悪は自ら生ずる” 救い無くただ侵していく  涙が感情が 出てしまう度に人としての階級は下がって行く あまりの見苦しさのために        “ままならない人間の心もまた苦しみである” 打ち付け 叩き付け 壁に頭を自爆させる 机に頭を自滅させる 床に頭を爆発させる 打ち付け 叩き付け 感じない痛みに陶酔させる 制御不能の身体に従い 異常な光景を展開させてしまう 打ち付け 叩き付け 壁に頭を自爆させる 机に頭を自滅させる 床に頭を爆発させる 打ち付け 叩き付け 感じない痛みに陶酔させる 制御不能の身体に従い 異常な光景を展開させてしまう “生きる事には苦しみが伴う 苦しみには原因がある 苦しみは取り除く事ができる 苦しみを取り除く方法がある“ “怒り 執着 妄想を三毒と呼ぶ。心を感情をこれらに分類していけ。 正しく理解するために“ “この世は泡沫ごとみよ。身体はうたかたのごとしと見よ” “自己こそが自らの主である” “自分と他人を比べて 「等しい」とも「劣っている」とも「優れている」とも考えてはならない。 それらは新たな苦しみを生むからである“ “人のそしりを忍ぼう。多くの人は性質が悪いから” “心がむらむらするのを、まもり落ち着けよ” “「われは愚かである」と知ればすなわち賢者である” “さまざまな言葉を受けても、自分の価値を判断しないようにせよ” “ままならない人間の心もまた苦しみである” “嫌悪は自ら生ずる” “「我らはここにあって死ぬはずのものである」と覚悟しよう” 言葉が 彩り出す 人生に 30年の自爆の果てに 息を吐き出す “諸々の事象は過ぎ去る。怠る事無く修行を完成させなさい” 姿勢を正し 背筋を伸ばし 目を閉じ 息を吐く 長く ようやく 息を吐く


コメント欄を表示する (7)
羽田恭 (2018-03-23):

この作品について、言うべきことをいくつか。 まず、引用しているのは原始仏典にある釈迦の言葉と仏教関係の書物にあった言葉を自分なりにまとめた言葉です。 それとどこの宗教団体にも所属しておらず、ただ20年来の仏教オタなだけです。 一連目の症状ですが、自分はこのようなものを持っており、ストレスによりたまに顔をのぞかせてきますが、最近になって諸々の生きにくい特性と共に折り合いを付ける事が出来てきました。 多くの言葉をようやく自分の物に出来たためでしょう。 かつての自分の苦しみを言葉にできるようになっていたので書いたのがこの作品です。

まりも (2018-03-23):

九品仏寺の近くに通うことがあって、通りすがりに毎回、お参りをしていたことがありました。 こちらのそのときの気持ちによって、仏様のお顔が異なって見える。 人は、自分の見たいものを相手に見てしまうものなのかもしれません。 私は仏教徒でもキリスト教徒でもありませんが、様々な宗教や宗派の教義に興味があります。 神秘主義系は特に・・・そして、結局、すべては同じことを言おうとしている、その、表現法方が異なるだけだ、と思うのですね。 ハネダさんの、頭蓋を破壊せんとするばかりに自らを痛め付けずにはいられない(痛みを感じないということは、痛みの感覚すら麻痺してしまうということなのか、打ち付けるという妄想に身を浸しているのか)激しさに驚きましたが、動詞を整え、バリエーションをつけながら畳み掛けていく調子が、心地よいリズムを作っていると思いました。 わからなかったのは、 「涙が感情が 出てしまう度に人としての階級は下がって行く あまりの見苦しさのために」  という部分。詩としてわからないと言うよりも、感情を表に出すと、人としての階級が下がる、という部分が、内容的によくわからない。 様々な執着から逃れて、外に意識を広げながら、外部は私の感覚が見たいと望むものの投影であると夢想してみる・・・そうすると感情の荒立ちは薄れていくのでしょうけれど・・・その事が、人としての階級があがっていくことに繋がるのか、どうか・・・ 自分が網目のような存在で、一本一本の軸から吸い上げては拡散を繰り返す。そして、網目の体を風が吹き抜けていくに任せる。そんな立ち方をしてみたいと思います(なに言ってるのか、よくわからなくなってきました(笑))

斉藤木馬 (2018-03-24):

「安心して絶望できる人生」という言葉を思い出しました。 冒頭からの描写は、途中に挿し込まれる引用と相まって混沌としています。これはスマートフォンから読むとより顕著でした。 後半に冒頭の自爆の連が丸ごと二回繰り返されますが、今度は引用が入らないために一律の周期となり、嵐が過ぎたような寂静を感じさせます。そしてその後に続く引用の数々。かつて救いを求めた言葉が語り手の血肉となり、内に存在していると思わされました。 >長く ようやく 息を吐く このようなことをできるようになったのは、語り手に余裕が生まれたから、ではないのだろうと思うのです。コメント欄の言葉をお借りすれば「諸々の生きにくい特性と共に折り合いを付ける事が出来」る己である、と知ることができたからではないでしょうか。 「ようやく」の重みを想います。

羽田恭 (2018-03-25):

まりもさん、こんにちは。 人間の苦しみを無くすという点ではどの宗教も同じではありますからね。 さて、一連目ですが、実際に頭を反射的、無意識的に打ち付けてしまう症状という神経系の症状が実在しており、それを持っています。 (トゥレット症といいます) 小さい気づかれないようなものを含めると子供だと意外といるとか。 ただ大人まで引きずってしまうのは珍しく、またあまり知られていないので、奇異に見られていたのです。 「涙が感情が 出てしまう度に人としての階級は下がって行く あまりの見苦しさのために」の下りですが、涙と感情を出すと何度も悪く言われてきた経験があります。 軟弱に思われたのでしょう。 人としての等級云々は“自分と他人を比べて「等しい」とも「劣っている」とも「優れている」とも考えてはならない。それらは新たな苦しみを生むからである“ということかと。 これは妄想だったのです。 「自分が網目のような存在で、一本一本の軸から吸い上げては拡散を繰り返す。そして、網目の体を風が吹き抜けていくに任せる。そんな立ち方をしてみたいと思います」 これは自分を境界を越えて宇宙に体を拡散させると言いますか、岡本太郎が言う爆発の本当の意味に近いのかなと思いました。

羽田恭 (2018-03-25):

斎藤木馬さん、こんにちは。 絶望しない方がいいとは思いますけれども。 個人的に仏教に親しんではいたものの、上手く自分の生き方に反映させる事が出来なかったのです。 それがこの詩の最初の方のような苦痛と挟み込まれる言葉の描写になりました。 最近になってようやく、釈迦の伝え残した言葉と瞑想法が人生の指針となってきたように思います。 (詩に釈迦の言葉が入ってくるようになったのはつい最近ですし) 本当に、ようやく、です。

百均@B-REVIEW ON/ (2018-04-02):

語り手以外の声があって、それらは結論しかおいてくれないから、そこに到達するための過程は自分で手に入れなくてはならない。でもその方法はわからない。僕は今社会人になる一発目の朝でこのコメントを書いているわけですが、正直大学生活の方がやっぱり辛かったです。今はこの作品のように最後の長く、ようやく、息をはく、というような感じを本作の持つ切実さとは多分程遠い場所で。でもなんとなくシンクロするような所で、他の皆さんの感想も読みながら、本作を感受できたように思われました。

羽田恭 (2018-04-10):

百均さん、こんにちは。 書き込んでくださっているとは気づかず、レスが遅れてしまいました。 そこに到達するための過程は、実は明らかにされていたのです。 “生きる事には苦しみが伴う 苦しみには原因がある 苦しみは取り除く事ができる 苦しみを取り除く方法がある“ その一つがこれ。四聖諦というものです。 それを知識としてはあったものの、実行できてなかったという話です。 その体勢がなかったんですね。ようやくできてきました。 物心ついてから30年以上たって、ようやく一山を超え、端緒についたという所です。 “諸々の事象は過ぎ去る。怠る事無く修行を完成させなさい” 死んでしまうか、悟りを開くまでそうなのでしょう。


投稿作品数: 134

© B-REVIEW 2018