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意識   

エイクピア 
作成日時 2017-06-30
コメント日時 2018-03-04

 

レジに並んで居ると チェッカーズの歌が聞こえて来た 剣舞を舞うと 何を見たのか 眼がくらんで 絹の上に倒れる 何時の間にやら離任式に 望んでいたようだ チェッカーズの歌が聞こえる 離任式だ もはやスーパーではなくて 小学校の体育館にシーンは変わっていた エマと言う少女が 琴を弾き始めて離任式を祝う? エマと言う少女は狸で 動物占いに凝っている 絹の上が快適なうちは 私は立ち上がるまい 私は強引に苺を口に含ませられ 意識の鮮明さを回復させた


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まりも (2017-07-04):

剣舞、以降は、高速回転する意識の暴走状態、というのでしょうか・・・読者としてはついていくのが大変、というより、ほとんど無理、強引な展開をあっけにとられて見ている感覚になるのですが・・・これが、たとえば横尾忠則的な、色や形の鮮明な、画像のコラージュ作品であったら・・・と夢想し、それを言葉で行おうとしているようにも感じます。 ここまで意味としての繋がりが寸断されていると、文字テクストとしては、音韻的な流れや繋がり、意味の連想による、緩やかな繋がりがある方がよいように感じます。

湯煙 (2017-07-04):

チェッカーズをリアルタイムで聴いていた世代にあたりますから、チェッカーズのなんという唄だろうかと。 冒頭ジュリアが流れてきてリズムに合わせて熱く体が舞っているうちに、曲は星屑のステージ、涙のリクエストへ移り、最期にはstrawberry fileds foreverによって意識が回復し再びレジに並ぶ。とそんな感じで詠みました。

エイクピアエイクピア (2017-07-13):

まりもさんコメントを有難う御座います。意識の暴走状態、確かにそう言う印象を与えてしまったのかも知れません。横尾忠則は早速調べて見たら、なんと個性的なポスター群。コラージュ的な側面はこの詩にはあると思いますが、現代美術的なそれとは著しく違うのかも知れません。

エイクピアエイクピア (2017-07-13):

湯煙さんコメントを有難う御座います。チェッカーズは私的には「ルーム」が印象的でした。でも、なんと知らない曲の多い事か。シングルのB面の曲はほぼ知りませんでしたね。これから知って行こうと思います。勿論ジュリアにハートブレイクとか星屑のステージなどは基本中の基本曲だと思うので当然知って居ます。大変売れた曲ですしね。知らない人は居ないと言うぐらい。涙のリクエストは空気と化しているのではと思うぐらい。でも私的には「ルーム」でした。これは私の中では変わらないでしょう。ああ、そして最期にはジョンレノンですか。最近はレジ打ちの人をチェッカーと呼ぶようですね、以前は何て言って居たか記憶がない程です。詩に昇華したい感じです。

渚鳥 (2018-03-04):

初めまして。 チェッカーズが流行った頃は私はまだ幼く、「ギザギザハートの子守歌」ならかろうじて分かります。 エイクピアさんの作品を今日初めて読みました。 他にも気になる作品がありましたが(『頑張った』が気になりましたが)、こちらのほうが抑え気味に剣舞しているような気がしてこちらへコメントしてみました。 執着がない? というのか、適切な言葉が出てきませんけれど、 20行は読みやすくて良かったです。

エイクピアエイクピア (2018-03-04):

渚鳥さんコメントを有難う御座います。読み易さは自信の試作の目的ではないのですが、結果的に私の詩作の生理にあっているようです。そうですね、執着がないという文言は如何様にもとれると思うのですが、これからも執着の無い詩作をやっていきたいと思います。行数も20行を意図したのではなくて、偶々20行と言った感じですね。


   

ロ三 
作成日時 2017-06-01
コメント日時 2017-07-29

 

肌理細かな みずと肉を やわらかな骨にまとわりつかせ 星のおもさにみちびかれ 好ましい背骨を飼い慣らされた ひびわれた夜たち 星空に透ける ともだちの輪郭を 希薄でさみしい血液に 学習させたら かろうじて 息ができる それは、 とてもとても 好ましいことではなくて ほんとうは、 剥き出しにされた いくつもの先端が痛む とてもとても 大切な、 血をこぼさないことだけが大切な 夜たちが 大切にしていること。 暗がりのなか おとなしい 白くふやけた ともだちも、 やわらかいものも、ひびわれる。 ただ それだけに気をつけて いってらっしゃい。 なつかしい みずにぬれた 髪の毛にくるまれて。 わずかにふるえる こころと足の、 互いによろこぶ こころと足の あるべきところへ 気をつけて、 いってらっしゃい。


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花緒 (2017-06-02):

官能的でありながら、静謐な印象もあるし、柔らかい文で、適度に重層性もあって、とても上手いという印象を持ちました。ビーレビの投稿者で、ツイッターでアクティブな方々が結構好みそうな感じがします。初めて投稿された作者へのコメントはいつも緊張感がありますが、実力者現る!という感じがしました。新作ラッシュすぎて、トップから落ちてしまっているので、一旦上げますね。ライトレス、失礼。

kaz. (2017-06-02):

最初、脚、のほうが良いとコメントしようと思ったが、やはりやめた、足の方が良いと思った。知足の思想を感じる。

鈴木 海飛 (2017-06-02):

身勝手に返詩させていただきやす。 ひとつとて運命を選ぶこと それはできない細胞が分裂してゆく そのうち、 ただっぴろい道を歩き選べるわけでもなく、 だんだんと、細い道をあるいていくのでしょう その先に 自分で選んでゆく人生を歩む生命になったときに 声が聞こえたよ。 やっと、できあがった私をおくりだしてくれたから ひとつ、やくそくごと、 したようです。 いつか、 ただいまという日を思い出すでしょう おそくなってごめんね、 なぁんて、 わるびれることもなく げんきよく ただいま!と やくそくしたような… 〰〰〰〰〰 肌理(きめ)という言葉にむかしからひかれるものがあります。 いいですよね。きめ! ちりばめられた詩的言語の源をさぐることより やわらかく、 まるで、 あるじを気にかけながら頬をこぼれおちる涙のような 声のかけ方。 やっぱり、母をおもいだしたようです。 この柔らかさにぬくぬくしております。

ロ三 (2017-06-03):

花緒さん  kaz.さん 鈴木 海飛さん はじめまして レスありがとうございます。 返信したい気持ちはあるんですが、何をどう書いていいのかまったくまとまらず とりあえずうれしいと感じたことを伝えておきます。

まりも (2017-06-19):

「星のおもさにみちびかれ 好ましい背骨を飼い慣らされた ひびわれた夜たち」 美しい表現ですね。それぞれが担う、星・・・宿命の重さ、のような。背骨を(自分の根幹を)飼いならされる。そんなイメージと夜のイメージから、学生服を連想しました。痛む心、傷ついた心、ひびの入った心を、夜の闇に包んでいる若者たち。 かろうじて闇の中で、それぞれが体の内部できらめかせている星の光、その気配によって、「星空に透ける/ともだちの輪郭を」確認する、そんな、心もとなさ。「剥き出しにされた/いくつもの先端が痛む」張りつめた神経の先端を、そのまま外気にさらしているような鋭敏さ。「血をこぼさないことだけが大切な」自分の内なる情熱、想いだけを、必死に抱え込んで守っている、そんな感覚。他者まで気遣うゆとりのない、そんな利己心への、かすかな反発、批判性も感じます。 「白くふやけた ともだちも、/やわらかいものも、ひびわれる。」どんな者でも、傷つかずにはいられないような、そんな場所なのだ、という諦念も感じつつ・・・生きていく(歩いていく)ための足と、その足を(本来なら自覚的に)動かす心、その分離。足だけがどこかに向かって歩いていて、心が追いつけていない、置いていかれている。そんな分離の感覚を感じます。 そんな身体感覚がばらけてしまうような場所に生きているからこそ、どちらも喜び、一つの肉体であることを確認しあえるような、そんな喜びを得られる「どこか」に行きたくなるのでしょうね。 心よ、いっておいで、そして戻っておいで。そんな八木重吉の言葉も思い出しつつ。

なかたつ (2017-06-24):

 雑感として思ったことをつらつらと。  思えば人はみずから生まれたものであって、生きていく中で水分を補給したり、失ったりしながら生きていながら、さいごにはみずを失った物へとなっていく。それを「かえる」と言った表現で喩えることもありますが、みずから生まれたことに注目すれば、「かえる」のではなく、みずを発散しつつ、吸収しつつも、生まれた場所に「かえる」ことなどできません。  「なつかしい みずにぬれた/髪の毛にくるまれて。」という表現が上記のことを思わせました。肌理というのも、人が持つ水分量によってその表層を変化させるものです。その水分量が物をふやけさせたり、ひびわれさせたりもします。  語り手は「いま・ここ」にいることで何かに恐れているのでしょうか、こころと足がわずかにふるえています。「いま・ここ」ではないどこかを求め、歩み進めることで、こころと足が互いによろこぶ場所へ「気をつけて、/いってらっしゃい。」と呼び掛けられています。  単に、モチーフが好みでした。星空、輪郭、血、水、髪の毛などなど。私がここに置いた作品(あの夜の街で)を思い起こさせました。

ロ三 (2017-06-25):

まりもさん なかたつさん コメントありがとうございます 連想されるイメージやモチーフの共通する作品をまとめて読むと面白いですね。 返信を考えるの難しいですね。皆さん凄いです。

右肩ヒサシ右肩ヒサシ (2017-06-25):

口三 さん、こんにちは。 良い詩ですね。  >とてもとても/ 大切な、/ 血をこぼさないことだけが大切な/ 夜たちが/ 大切にしていること。 ここ。生活するということは、肉体に満々とたたえられた血を零さないように明日へと運んでいくことのように、僕も痛切に思っています。 僕の中でしっくりこないのは「夜たち」という表現。語り手がいくつも過ごしてきた夜のことなのか、それとも同一の夜に生きている人々の「夜の意識」が複数形で表されているのか。 僕は前者でとっているのですが、いかがでしょうか?  >ただ/ それだけに気をつけて/ いってらっしゃい。 というところを読むと、語り手がこの世の人々すべてに言っているような気もしますね。 「足」は官能的です。どろんとした官能の喜びが、人のいる夜という時間を誘っているようにも読めます。人は官能に飼い慣らされて夜を生きる存在なのかもしれません。

百均@B-REVIEW ON/ (2017-07-27):

 僕にとっては少しぼやけている部分が結構多い作品です。そういう意味で詩の輪郭みたいな所に僕の焦点が合わない所が、正直に言うとあります。けれども、そういうのがどうでもよくなるくらいの個々のパーツそのものに対して、何かコメントするのが億劫になるくらい素敵です。  一か月くらい悩んでたんですよね。細かいレスをつけて、それらに無理やり整合性をつけて、一つの読解として提示しようしたんです。が、そういうのはやっぱり無粋に思えてしまいました。   >肌理細かな >みずと肉を >やわらかな骨にまとわりつかせ  人間の体をみずと肉という二つの要素にわけてしまう。それを「やわらかな骨」に「まとわりつかせる」ることで合成してしまう感覚。僕らはまず水と肉からできていて、それがやわらない骨にくっついているだけなんだよみたいに言われた感じを僕は他の言葉で言い換えられない。納得してしまう。そこに「肌理細かい」という肌の一文字が入るだけで、皮のイメージもわいてくる。この三行で人間の体が成り立ってしまう。 >希薄でさみしい血液に >学習させたら >かろうじて 息ができる  そのあとに血液のイメージがぶっこまれで、面白いのが血に学習させるという事、それによって息ができる。という感覚。さらに血液に「希薄」で「さみしい」という修飾がくっついていますが、ここに明確な理解を加えられるかというと僕には難しいのだけれど、ここでいう血液の意味っていうのは豊穣だと思う。人間の肉体は水と肉で出来ているが、それが骨によって繋ぎとめらた時に血が流れ始める。その血は、物を覚えることによって日に日にその量が増えていく。それは何もできない子供が学習する度に体が大きくなり、物を覚える度に血の両もまた大きくなる。その結果として自立するために必要な物を覚えることによって、息=生活する力=自分の足で立って生きていくことが可能になる。 >互いによろこぶ >こころと足の >あるべきところへ > >気をつけて、 >いってらっしゃい。 いってらっしゃい。という何気ない最後の一言が眩しすぎる。 こんなにも送り出す言葉の先にある光を感じる最後があるのだろうか。みたいな事を思います。 子供が羊水の中から生まれて、それから少しずつ大切なことを覚えていって、最後は自分の足とその心で、自分の愛する人を見つけなさいみたいな感じでしょうかね。親の暖かな視線みたいな事と、未来みたいな物を感じました。

ロ三 (2017-07-28):

Migikataさん。コメントありがとうございます。返信遅くなって申し訳ないです。 「夜たち」はなんと言うかイメージとしては月とか火星とかいろいろ、複数の星の夜というイメージがありました。 詩のなかでの意味はあまり深く考えてなかったと思います。 返事になってないかもしれないです。すいません。 hyakkinnさん。コメントありがとうございます。 自分でも自分の中のイメージや感覚的な部分に従って作ったので細かい辻褄合わせはあきらめました。 そこをもっとちゃんとしたほうがいいとも思うんですけど自分には無理かもという感じもあります。 ありがとうございました。

黒髪 (2017-07-29):

やわらかで優しい心、気をつけて、いってらっしゃい、という言葉を、心から発しておられるようで、 正しいということを思いました。とても創造的なやさしさだと思いました。優しさを極めると、それ 自身が創造的ということになる、という素晴らしい詩だと思います。


シュール   

るるりら 
作成日時 2017-06-16
コメント日時 2017-07-21

 

シュール 「ル」が、家出をすると 家族は、シュークリームのシューになった ヘイ わたしは、シューだ もう つかもうとしないよ つつもうともしないよ あまいクリームは わたしには不要さ どちらにしろ  死人と生者の間に属する中間管理職的な生き方しか ありはしない キミが のこしていった爪切りセット ピラミッド型の透明なケースに さまざまなタイプの金の爪研ぎ用小物が 四つ やけに 重厚感がある 写生しようとすると遠近法を思い出してしまった 立ち上げたいのは 思い出や夢想の物語の部屋や町なんかちゃあない この胸にある うずき のびてしまう爪の先でも うごめいている


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るるりら (2017-06-16):

濁点を まちがえました。 物語の部屋や町なんかぢゃあない で、ございます。失礼しました。

花緒 (2017-06-16):

可愛らしい始まり方ですが、妙な読後感を残す作品ですね。やけに重厚感がある。けれど、写生しようとしても、近づけない。人生ってそんなものかもしれませんね。そんなことを考えました。

まりも (2017-06-23):

〈死人と生者の間に属する中間管理職的な生き方〉をせざるを得ない〈わたし〉と、〈わたし〉を包む、あるいは〈わたし〉が包む〈家族〉との関係性・・・その関係が〈シュール〉なのだろうと思いました。 ユーモアにあふれた筆致なので、深刻になりすぎなくていいですね。それでも、ピリリとした緊張感と批評性があります。家出した〈ル〉、あるいは〈キミ〉が残していった、爪研ぎ用小物。人間用の道具だとしても・・・猛獣や猛禽の爪・・・鋭利な攻撃性を持った爪を持つ〈キミ〉を連想します。 家出されてしまった側の〈わたし〉〈家族〉もまた、爪を持つ。〈この胸にある うずき〉が、伸びていく爪の先で疼いている。その疼きを、〈キミ〉が残していった、爪研ぎ用小物で整えて、なかったことにするのか。あるいは・・・ 家族、を、会社とかPTAの役員とか、趣味のグループなど・・・いろいろなものに置き換えることもできそうです。考えさせられる作品でした。

百均@B-REVIEW ON/ (2017-07-01):

>シュール > > >「ル」が、家出をすると >家族は、シュークリームのシューになった > > >ヘイ わたしは、シューだ >もう つかもうとしないよ つつもうともしないよ >あまいクリームは わたしには不要さ  もうこの時点で、僕としては凄いんです。何も言葉返せないくらい好きを通り越して心に響きました。シュークリームが僕はモチーフとして本当に好きなんです。それが「シュール」から「ル」が家出する事によって「シュー」と「ル」にそれぞれ人格が宿ります。更にシュークリームの「シュー」になってしまいます。更に次の展開として「クリーム」の部分を否定します。否定する事によって、食べられる事はなくなるし(つかもうとしないと)、わたしが君を可保護する事もないよ。(ルーが家出した経験から、包むことをクリームに強要しないんですね。)  わたしは甘ったれた存在を許容しない、疲れたからねやれやれみたいな感じのシュー父さんの声が聞こえてきます。  という読み方は多分僕の妄想によるところも強い事は認める一方で、しかし僕にはこう読めるし、こう読んだ読み以外の突っ込みポイントも腐るほど出てきます。なんともいやぁ、圧縮された表現でしょう。 >どちらにしろ >死人と生者の間に属する中間管理職的な生き方しか ありはしない  これも凄い。多分「ル」は逃げて死人になった(「る」っていう単語によって存在するのは多分現代の日本だと難しいでしょう)、あるいは家で皿た側の「シュー」は単独では成立しえない事から、生者である「クリーム」(この単語一個で成立する)と合体しないと言葉として生きる事は出来ない。「シュー」は「シュークリーム」や「シュール」という語にならないと生きる事ができない。だから「中間管理職」なんですね。 >キミが のこしていった爪切りセット >ピラミッド型の透明なケースに >さまざまなタイプの金の爪研ぎ用小物が 四つ >やけに 重厚感がある > >写生しようとすると遠近法を思い出してしまった > >立ち上げたいのは 思い出や夢想の物語の部屋や町なんかちゃあない >この胸にある うずき >のびてしまう爪の先でも うごめいている  問題なのはここからで、なんで爪切りなんだろう。というところで僕は納得してしまいます。が。なんで納得してしまうのか、一切答えが出ません。爪を切ってしまうという行為は、多分ビーレビでは始めてなのではないかなぁ。(髪を切るとか、そういうのはあったので色々考えたのですが)しかし、  この詩の後半部分は魔力の塊です。何も僕は声を書ける事ができません。ただ、傑作としかいえないなぁ。  たった爪切り一つから広がる日常の小さな行為、あるいは風景、なのに。そこから立ち上がる意味、イマージュの豊かさ、溢れ出る何か。それは 「 思い出や夢想の物語の部屋や町なんかちゃあない/この胸にある うずき」正にこれとしか言いようがありません。今月の湯煙さんの詩とるるりらさんの本作が、今月僕の心を貫きました。はっきり言って白旗です。理由は一切述べられないです。一年後くらいに何位か言えるかもしれませんが。

蛾兆ボルカ蛾兆ボルカ (2017-07-01):

もしかすると、ですが、この誤字のちゃあは、そのままの方が良いかもしれません。 この詩を読んで、僕が感じるのは語り手の魅力です。 最も一般的な、通俗的な意味で、です。 この人は何を言ってるんだろう。 この人の言葉を聞いてみたいなんとなくこの人と話がしたいこの人と友達になりたい そういう言明すると馬鹿馬鹿しいような非常に通俗的な意味で、この語り手はとても魅力的だと僕は思いました。 先日ある女流歌人が、最近の歌人は、言葉を大事にはするけど、あまりガチガチな言語的細工は今の流行りではないと言ってました。 一見、化粧してないように見せるお化粧が、いいと思う、と言うのです。 この詩も、ナチュラルメイクの魅力によって この作者が というかこの語り手がこのように表現されるのかなと思いました。 ナチュラルメイクと評したものを、分析しちゃうのがどうなのかと思いつつ、深読みもしてしまうと、 草野心平トーク反響しながら るの魅力 しかしここでは 逆に欠損不在によって語るという 素敵なシュールなんじゃないかな。フリーダムでイイネ、と思いました。

蛾兆ボルカ蛾兆ボルカ (2017-07-01):

誤変換すみません。 草野心平を遠く反響しながら、 でした。

るるりら (2017-07-21):

おはようございます。まずは 返信がずいぶん遅くなりました。もうしわけありません。 なにせ。シュールと冠に題名した時点で、理解してほしいとかいう気が欠落して天才バカボンのパパのように「これでいいのだ」という境地におりましたもので、みなさまのご意見ご感想とかも、 ただ笑顔で拝読したに とどまっておりました。 ●花緒さま ≫やけに重厚感がある。けれど、写生しようとしても、近づけない。人生ってそんなものかもしれませんね。そんなことを考えました。 わたしにとってとても貴重な言葉をいただきました。人生って そんなものかもしれない。わたしは、このレスをいただいたあと シュールではない書き方で もしかしたら人生が書けるかもしれないな。などと、はたと まじめに、立ち止まったのでございます。 ●まりもさま つつむ つつまれる。 包む。包むを、この餃子的な言い方にしてましょう。 包(パオ)です。 まりもさまの文章の中にでできた【包】という漢字を見て、ああ 家族とは【包】の漢字に似ていると思いました。この漢字は二つの部分でできている。「己」も「勹」も、互いを巻き込もうししているかのような造りだなあと。 能ある鷹は爪隠すという言葉がありますが、家族がいなくなったという状況で、 その人が 爪をどのように整えていたかというどうでもよいことを想うのは わたしにとっては、 シュールな気がしています。 ≫鋭利な攻撃性を持った爪を持つ〈キミ〉を連想します。 ↑ ここの部分が私には 宝でした。わたしは家族の性質がどんな性質でも 結局は好きです。家族ですから。人間に攻撃性のない人なんてないです。まりもさんのこの部分の書き込みを読んだとき嬉しかったです。わたしは私以外のどなたかに〈キミ〉を連想してほしかったんだなあ。だって、嬉しいもの。って、思いました。ありがとうございます。 ●hyakkinn さま いただいた文章。随所で爆笑させていただきました。笑いのエッセンスすごいです。 hyakkinn さまはシュークリームがモチーフとして本当にお好きなんなあ。 わたしは、シュークリームをモチーフとして使用したのは 初めてです。むかし軽食を出す喫茶店で冷凍シューに手作りのクリームを入れるという作業工程をしたことがあるので、モチーフとして思いついたのです。シューと クリームは 実際 工程が全然違うので扱いも全然違うんです。 ≫シュー父さんの声 ↑ 受けました。ツボです。でも いただいた文のなかでもっとも嬉しかったのは下記の部分です。 ≫問題なのはここからで、なんで爪切りなんだろう。というところで僕は納得してしまいます。 だって、シュールなんですもの。をほほ あぁあ、正直 へんちくりんなものを書いたと思っていましたが、書かせていただいて とても楽しい気持ちをいただきました。ありがとうございます。 ●蛾兆ボルカさま  もしかすると、ボルカさまはシュールのミューズの申し子かもしれず。誤字のちゃあをなんどか声に出しておりましたら、、ムロツヨシ氏のNHK「LIFE!」という番組での人気キャラ妖怪どうしたろうかしゃん のように、独特キャラが私の脳内で生まれそうになってしまってます。語尾に「ちゃあ」をつける キャラでございます。愛されキャラは 大切に しとうございますもの。をっほほ ラフな感じの歌人といえば俵万智くらいしかしらない私なのですが、まあ とってもラフに描いたのは事実です。これからもいろいろ ためす勇気をいただけました。ありがとうございます。


かいじゅうの朝   

yoshiya asato 
作成日時 2017-06-02
コメント日時 2017-07-13

 

僕は生まれ出るのが早すぎて腐ってるようだ 皮膚も溶けて色んな穴という穴から体液が 吹き出してとても痛い 海に流れ出た僕の体液の周りで魚たちが腹這いに浮いている 僕はそれでも火を吐く、世の中焼き尽くす 僕が生まれた証、存在した痕跡残すため 街や山がボウボウ燃えてキレイ、生き物たちが駆け回る 今朝、路上で車に撥ねられ即死した子猫が 空想の街や自然を盛大に破壊し続ける お迎えが来るまで、繰り返す そんな朝、かいじゅうの朝 しかし、誰か保健所に電話したろうか?


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yoshiya asato (2017-06-02):

初投稿です よろしくおねがいします

花緒 (2017-06-02):

初めまして。上手いし、諧謔が効いていると思いました。まとまりの良い作品ですね。自分をモンスターとして、世界への違和や孤独感を表明する作品はゴマンとありますが、本作は、子猫、というワードであったり、かいじゅう、という平仮名表記であったりが、本作をありきたりなものとは違う手触りのものにしていると思いました。また、僕が火を吐く、と、自分=かいじゅう、として描かれていたのが、何時しか、子猫に対する慈しみと混じり合い、最終行が、不思議な読後感に繋がっているように思いました。

渡辺八畳@祝儀敷 (2017-06-03):

ナウシカの巨人兵ですかね。3連目の子猫のくだりが1,2連目の視野の範囲が広い描写から一気にパーソナルな接写に転換してそれが面白い。ただ1,2連目が凡庸な気がしてそれがこの詩のマイナスポイントになっている。

yoshiya asato (2017-06-03):

花緒 ご評価頂きありがとうございます。 視点を変えることで、コインの表裏が反転するような読感が出るよう心掛けました。 ある程度、成功出来たようで嬉しいです。 まだ、未熟なところが多々ありますが、 今後ともよろしくお願いします

yoshiya asato (2017-06-03):

祝儀敷 ご評価頂きありがとうございます。 はい、巨神兵(庵野さんのドロドロのやつ)です。ご指摘頂いた通り、1、2連目の描写がありがちのものになってしまい、頭を抱えました。 もっと勉強しないといけないなと思った点です。 今後ともよろしくお願いします

yoshiya asato (2017-06-03):

祝儀敷さま 上記、失礼なコメントで大変申し訳ございません。 お名前のうしろの【さま】が抜けておりました。

yoshiya asato (2017-06-03):

花緒さま 上記、失礼なコメントで大変申し訳ございません。 お名前の後ろの【さま】が抜けておりました。

まりも (2017-06-19):

~さま、ではなくて、さん、でいいですよ(と私が言うのも変ですが) 保健所に、あっさりと片づけられてしまう、子猫、という存在。物質、不要物、として片づけられてしまう、それまでの間・・・自身が破壊された痛み、不条理を、逆に世界を破壊する衝動として発していく。子猫の遺体から、流れ出す血や体液、脂などが路上に広がっていく、その状況を目撃した刺激、衝撃が、逆に「空想の街や自然を盛大に破壊し続ける」様として、内的につかまえられる・・・その感覚が「巨神兵」というイメージにまでつながっていくところにまた、驚きがあるのですが・・・人間もまた、自分が滅びていく時に、世界を滅ぼしていく(そんなマイナスエネルギーを放つ)存在であるのかもしれない。子猫、が「かいじゅう」となってそこに「在る」ということ。死して、生あるときよりも生々しいもの、として、死、あるいは破壊していくなにか、を感じさせる、ということ。 色々と、考えさせられる作品でした。

百均@B-REVIEW ON/ (2017-06-21):

僕は怪獣というモチーフが好きで(それは特撮をちゃんと追いかけているという程に好きというわけではなく)、例えば怪獣のバラードという合唱曲があるんですが、怪獣が一人寂しく砂漠の真ん中でバラードを歌っていて、海がみたい恋がしたいって歌う歌があるんですけどね。小学校の時凄く好きだった。 怪獣というと、ゴジラのイメージを最初に僕は思います。大きな災害のイメージを直接書くのではなく、怪獣という大きな虚構によって演出する事によって、見る側に隙を作ってやる。ちゃんとしたイメージ(形)を与える事によって理解しやすいようにする。それはいわゆる一般に生きる人間たちが避けがちなイメージにちゃんと目を向けるようにさせる為に。 >僕は生まれ出るのが早すぎて腐ってるようだ >皮膚も溶けて色んな穴という穴から体液が >吹き出してとても痛い >海に流れ出た僕の体液の周りで魚たちが腹這いに浮いている > >僕はそれでも火を吐く、世の中焼き尽くす >僕が生まれた証、存在した痕跡残すため >街や山がボウボウ燃えてキレイ、生き物たちが駆け回る > >今朝、路上で車に撥ねられ即死した子猫が 空想の街や自然を盛大に破壊し続ける お迎えが来るまで、繰り返す そんな朝、かいじゅうの朝 本作では一般人の住まう町を破壊する怪獣という極大のイメージと、一般人の乗った車によって跳ねられて死ぬ無垢な子猫のイメージが対比的に描かれ、更に二連の町が燃えるようすを通じて、リンクさせています。更にその様子の眺める傍観者(一般人)の目線が最後に付け加えられている。 凄く短い詩篇の中にこれだけの展開を詰め込んで、世の中の不条理をきっちり描いている所に好感を持ちます。ただ、対比的に描くのではなく、ここでは巨神兵的な自分の力によって傍観者を当事者に出来る虚構的な存在と、それを夢のという虚構の中でしか実現できない、非力な子猫という極小のイメージを交遊させていく。 そして、一番最後の最後で怪獣、子猫という形で人間という直接的なイメージを用いない事によって傍観者側が普段画面の中の虚構や、目の前でひき殺される猫をスルーしている現実を突きつけていく。 本作を読んでいて思うのはまくるめ「フォルカスの倫理的な死」https://kakuyomu.jp/works/1177354054881239629という小説。ここでもフォルカスという子猫が出てくるんですが、フォルカスの場合は、人口肉を食べれない存在として子猫が使われている。子猫や怪獣というモチーフは、このように色々便利なのだという感じがします。だからこそ、本作は凄くよく纏まった良作であると考える一方で、傍観者の立場、保健所に電話をする人間の立場、町を壊す必要性のある当事者に加えて、町を壊される側の立場という目線がやっぱり必要だと感じます。 僕は毎日魚や肉を食べています。ですが、命を食べているという実感はなく、肉は肉だし魚は魚なのです。その食べる物に対して一々何かを考えていたら気が狂ってしまいます。という立場もある。そういう視点を盛り込んでみた時に、本作はある意味弱いという事もいえるのです。最後のワンフレーズが傍観者を振り向かせる必殺のフレーズである一方で、同時にそれが既に傍観者の側にとって想定済みの事態であるという可能性。そこにどれだけ立ち向かえるか。振り向かせる事が出来るか。というのを見てみたい。 叙述が凄く好きなので、その先が読んでみたいというのが、僕の読んだ感想というか欲望というのでしょうか。これ位に対する反論でもいいので、少し話がしてみたいと思わされる作品でした。

yoshiya asato (2017-07-13):

まりもさん 返信が遅れて申し訳ありません。そして、お気遣いありがとうございます。 ご評価頂き、ありがとうございます。 車を運転しているときに、道路でネコが二匹轢かれていました。 人間だったら、ふたりも轢かれたら、ニュースになってるだろうけど ネコたちにはそんな影響力も無い。そんなやり切れない思いを 生まれたての巨神兵に託して描きました。

yoshiya asato (2017-07-13):

hyakkinnさん 返信が遅れて申し訳ありません。 なんかラジオ放送で取り上げて頂いているので聞きました。 面識ない方に、自分の詩を読んで頂いて、批評して頂くのを聞くのは、 初めてだったので、なんだかおもしろかったです。 私も小学生の頃、怪獣のバラードが好きでした。hyakkinnさん同世代でしょうか? こんな短い詩で、いっぱい語れるのはすごいなと関心しました。 >町を壊される側の立場という目線がやっぱり必要だと感じます。 とのご指摘について、色々、考えました。 やっぱ、お迎えの人(=保険所の人)の死骸処理する際の悲痛さを描くかんじかなぁと思いましたが、 なんだか普通になりそうですね。むずかしいです。 次回、がんばります。ありがとうございました。


ダヴ   

エイクピア 
作成日時 2017-06-30
コメント日時 2017-07-13

 

ダヴが飛翔する 蓮の花を下に見下ろし 羊歯の絡まる洋館も見える 津田さんが墨を吐いている ダースベイダーが歩いて居る ダヴは急降下し 星を見る人と成る 十五夜の月が綺麗で 視力が急上昇して 急降下するのが分かる 赤い帆船が綺麗で タヒチまで一挙に行く タヒチでは ミスター味っ子ばかり見て 星を見ることは少なくなった


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花緒 (2017-06-30):

今月はやはりエイクピア作品で幕を閉じるのでしょうか。多分そうなるのでしょうね(現在、6月30日午後9時30分)。エイクピアさんの作品で毎月締めるのが定番になってきているような。投稿いただき有難うございます。鳩をダヴと呼ぶオサレな感じかと思いきや、津田さんだの、ミスター味っ子だの、言葉の混ぜ合わせ方が面白いですね。エイクピア節を感じます。

まりも (2017-07-04):

はすのはな、のha、つた、ではなく、しだ、の絡まる洋館と、つだ、という名前。 津田さんが、なぜ墨を吐くのかさっぱりわからないながら、ダークなイメージがダースベイダーに繋がっているのか・・・ダースベイダーのdaと、ダヴ。 音や、語感のイメージが、ギリギリのところでつないでいるように見えますが、最後の飛ばし方は、さすがにやり過ぎでは?と感じました。 一つ一つのイメージが映像化されたら、ポップで刺激的なプロモーションビデオ作品のような、インパクトを持った映像作品になるような気もします。

エイクピアエイクピア (2017-07-13):

花緒さんコメントを有難う御座います。そうですね、ダヴ=鳩とと言う感じで使いました。あまり主要な意味では登場して居ないかもしれませんが。津田さんやミスター味っ子などは個人的に思い入れの強い固有名詞でした。言葉の混ぜ合わせ方は、ぞんざいにあるいは繊細な、場合によっては精緻にと心掛けて詩作してみたつもりでした。

エイクピアエイクピア (2017-07-13):

まりもさんコメントを有難う御座います。確かに映像作品、「3-4X10月」などを少しは意識したのかも知れません。津田さんには思い入れがありました。ニコライ二世が皇子時代に暗殺未遂事件が日本の大津市でありました。明治時代ですが。その時の下手人が津田三蔵でした。そしてのちの日露戦争を考えると感慨深いものがあります。その時の敵方のロシアの皇帝がニコライ二世でした。日露戦争ではいろいろな会戦がありましたが特に印象的な会戦はやはり旅順港を巡っての203高地奪取戦だと思うのです。乃木将軍も出て来ますが、死傷者も多く本当に激戦でした。この「203」が詩手帖の住所で出て来る数字なのです。偶然の一致なのかもしれませんが。


DO_NOT_CROSS_THE_BORDER   

花緒 
作成日時 2017-06-02
コメント日時 2017-07-11

 

《くは》と呼ばれる《くま》がいた。《くは》と呼ばれるには理由があった。動物分類学上は《くま属》でありながらも、《くま》としての特徴が皆無であったのだ。はちみつは好きでなかった。むしろ、冷奴などのあっさりした食べ物を好んだ。シャケは好きでなかった。むしろ、とりあえずビールを頼みたがる習性があった。人を襲うことはなかった。むしろ、強者には揉み手する一方で、弱者には踏ん反り返る傾向があった。珍奇な《くは》を見世物にしたいという声もあったが、テディーベアを好むタイプの《JK》からは、「競馬場とかによくいる類の、小汚いハゲオヤジにしかみえない」とウケが悪く、女性客を取り込みたい昨今の動物園に受け入れられるはずもなかった。 《はんだ》と呼ばれる《ぱんだ》がいた。《はんだ》と呼ばれるには理由があった。《ぱんだ》としての特徴をすべて兼ね備えていながら、動物分類学上は《ぱんだ》ではなかったのだ。《ぱんだ》ではないのに、笹しか食べることができなかった。《ぱんだ》ではないのに、繁殖力に難があった。《ぱんだ》ではないのに、白黒の体毛があり、《ぱんだ》の代わりに動物園に置いても、誰も異変に気づかなかった。よって、《リンリン》とか《ランラン》といった通名を付与されることが多かった。本当は《ぱんだ》じゃなくて《はんだ》なんです、と言ったところで、動物分類学者以外、誰も信用することはなく、《はんだ》としての珍奇さで、世に訴求することは不可能であった。 《くは》と《はんだ》を掛け合わせたらどうなるか。奇書《ダーウィンの悲劇》により、動物分類学の草分け的存在となった半田熊雄氏の考えそうなことである。《くは》と《はんだ》を分類したことで名を馳せた半田氏ではあったが、《マッドサイエンティスト》としての側面を持つ半田氏は、《くは》と《はんだ》を交配し、血統を根絶やしにしてみたいという誘惑に打ち勝つことができなかったのだ。《JK》のポニーテール用の紐を窃盗した上で、色、サイズ別に分類する趣味など、《異常性欲者》に属する半田氏ではあったが、菩薩のようなベビーフェイス、反社勢力との黒い繋がり、スカトロ男優としてのカルト的名声、潔癖症ゆえのパニック障害、などにより、動物分類学会の中では畏怖される孤高の存在であった。であるからして、半田熊雄氏が、《くは》と《はんだ》を交尾するか死ぬかするまで、小部屋に押し込んでみたい、と主張したところで、反対できる者などいるはずもなかった。 しかしながら、主として、繁殖力に難のある《はんだ》のせいで、交配は難航を極めた。そうこうするうちに、ストレス性胃腸炎を拗らせて、《はんだ》は死んだ。いくら競馬で借金を拵え、反社勢力に追われる身とはいえ、《くは》と呼称され、《ぱんだ》との性行為を要求されるのは、《ヒト》として耐えられない、と言い残して、《くは》もストレスで死んだ。理由は良くわからないが、半田熊雄氏もストレスで死んだ。「すべての動物はどうせ死に絶える運命にあるが、だからこそ分類し、記録することに意味がある」という半田氏の遺志を引き継いだ弟子の盤田氏によって、《シンダ》という名の新種が分類されたとの報告がある。その《シンダ》も死んだとの報告が上がっているが、真偽のほどはわからない。《シンダ》が死んだところで、《ナンダ》というのだろう。


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まりも (2017-07-07):

読み落していました・・・ループ詩、と呼ぶには「起承転結」の色彩が濃いですね・・・。音の(音読の)面白さよりも、ナンセンスな理屈っぽさの方に重きを置いたのか・・・ おそろしく緩いカテゴリーを設ければ、その中に全てが包接されてしまって、差異や特質が見えにくくなる。 かといって、狭い範疇に絞っていくほど、こぼれ落ちていくものが多くなる・・・。個物の個性を認めようとすれば、必ずそこには、陰にしろ陽にしろ、他との比較が前提となる。他との具体的な比較をしないのであれば、抽象的な語彙のみで特質を述べる他はなく・・・個物の個性を明らかにしようとすればするほど、曖昧で抽象的な思考に頼るか、限りなく類似する他の個物との比較に頼り、細分化していく他はない・・・ 個物と個物とが出会って、化学反応を起こすように、あるいは「交配」「交接」「交歓/交感」によって、それぞれの特徴を融合させたり変容させたりしていく、そのことによって新たなものが生まれ出る可能性と・・・出会うことによって否定しあい、拒絶しあい、消滅していってしまう可能性と・・・シンダ、ナンダ、それがどうした。無理やり小部屋に詰め込んで、化学反応を強制する、これほど無意味で暴力的な行為はないですね。 風の吹き通う平野のような場所で、自由に訪れ、自由に去る。その中で出会い、惹かれあい、なにか新たな「いのち」が生まれ、それがまた空に帰っていく、そんな景に憧れます。

仲程仲程 (2017-07-07):

くは は自分のことじゃないかと思うほど引き込まれました。ひともそのかたちだけで生きているんじゃないなぁ とか、堪能しました。

花緒 (2017-07-07):

>まりもさん レスつけてくださりまして、ありがとうございます。自分で言うのもあれですが、どうしようもない一作なので、大変レスをつけるのも、評をつけるのも、厳しい感じの一作だったのではないかと申し訳なく感じております。私は、ハードテクノとか、ハードハウスとか、ノイズ音楽とか、どうしようもない感じの音楽とも言えないようなサウンドに耽溺してきたような人間ですので、この手の、どうしようもない一作しか書けないというのが実情です。ものを書くと言うのは、差異を演出していくことでもあるかと思うのですが、このご時世に、ものを書くという行為は、差異のないところに無理やり差異を生み出したり、差異しかないところで、差異がないと言い張ったりする行為に似ているような気もしている次第です。

花緒 (2017-07-07):

>仲程さん お読みくださり、ありがとうございました。そうですね、キャラクター、と言う言葉は、半ば、和製英語となっていて、私はこういうキャラなんで〜とか、あいつはああいうキャラだから〜とか、よく使ったりしますが、ある種、キャラという枠に人間を分類しているとも言える気がします。良くも悪くも、分類に基づかないと、コミュニケーションが取れなくなってきているというか。最近、分類することの中身の無さについて、考えたりします。お褒めの言葉頂戴し、嬉しく思いました。

蛾兆ボルカ蛾兆ボルカ (2017-07-08):

こんにちは。 湾岸戦争からそれはどたっていない頃だったと思うのですが、四元康祐さんによる「世界中年会議」という詩集が世に出ました。 私自身が、若い衆から『おつさん』に脱皮というか變態というのか、変わりつつあったころで、カフカや安部公房とともに、おっさん化の美学について私が考えるとき、必ず立ち戻る地点となりました。 ひとは乙女というくくりで人間を束ねることに対しては、流されるなり、反抗するなり、積み重ねがありますが、おっさんでくくられることにはまだ慣れていません。 ビンラディンも、ミックジャガーも、駅員も、(もしまだ存在してるなら)イエスも、おっさんであることの悲哀において同質であり、それをカテゴライズすることは、世界には非おっさんなものもあるけど、吾はおっさん道を征くしかあるまい的な諦めを私にもたらすのですが、悪くないですね。 この詩には、それがそこはかとなく漂うのを感じ、愉しみました。死して屍ひろうものなし。それがおっさんの生きる道、なのである以上、半田も熊も我等の同輩です。

花緒 (2017-07-11):

ボルカさん、コメントありがとうございます。お読みいただき嬉しく思います。まるで落書きのように、詩情を込めず(あるいは込めること叶わず)、書き散らかした拙作に比べて、ボルカさんのレスは詩情がありますね。詩力の差を感じました。多謝。


砂糖菓子とブレスレット   

村田麻衣子 
作成日時 2017-06-28
コメント日時 2017-07-09

 

すきというすきに入り込まれているひとが いたのですが、誰かの肌色すらにじんでき てしまって 排水溝が詰まったままのせい で アパートの生活感。どうにか繰り返せる 時はゆっくりと、沈みゆく 巻き戻してま た言葉を探すように 話しかけたあなた に もう 壁も 床も 棲めないくらいに 汚れているみたいなんだ 細胞を巻き込んでしまい 台風みたいに荒 れくるっておりまして過ぎさるまでおだや かさを 外で待っていました 溢れたものが、からだのすみずみまでにみ ちたりてそればっかりに きをとられてい るものだから たべたりのんだりできなか った 食べたときには食べたものの記憶にさいま れてしばらくのたうちまわり意識をなくす くらい  そうでした 死に向かうあいだかんがえて いたこと そう、いや実際死んでしまって いて かなしいことにあなたに 触れるこ とや鼓動のはやさに驚いたり、もうなにも かもを あたえあえない サイボーグのからだ かりてでも あなた に会いに行った滑稽なことにあなたが戸惑 ったりせずに 鉄のからだを、わたしだとわかったので、 泣いてしまっていたのわたしは、 もうかよわくなく あんな仕草は できない のに 強靭な、機能的ですばらしいサイボーグみ たいな  からだを 見せられなかったの だってわたしは、とこ ろどころに色味がついていたかなしいけれど それも それでも 手を繋いで帰りたかった  それから すこしでもきれいにみせたくて ブレスレットをつけて  セックスをして傷つけてしまったことを   謝りたかっただけなのにね。   わたしには 肉体だけがありませんでした。 ああこれはいけないと 何かわからない素 材の鉛筆であなたのからだを 塗りつ ぶしていたら 肌が白く抜けてしまってい た  空白をうけいれながらひとびとはやがて  死に向かう 死にたくないと言うと そう だねと共感してくれたからあなたは神父で すかと、尋ねると くたびれはてた その 日を終えがたくなってしまった(なぜなら 熱が残るからだに浴びせることばがないからだ) ただひとりの にんげんです ただの に んげんです とこたえたので ああそうなんだ とこたえた 死んでしまうまでの時間を過ごし た      きれいあなたは なぜ きれいなカーテンを纏って いた汗など吸わないでしょう 水分は疲れたからだの体温を下 げてしまいますから もう おて んばなことをするのをやめなさい        「外にいけないから日を一瞬でも かんじていたいの。」 みちにあふれているごみをみていると わたしがすてたものでないのに みち てきてしまう感じが、 ぞくぞくしてしまう わたしが欲張りであるのだと 思い知らされてしまうの 廃棄されたごみがわたしのものかと錯 誤してしまってもう わたしはすでに とりかえしがつかないくらい  汚れてるのかもしれない 食欲も 睡眠欲も 性欲も 目の前に 積み重ねられたものがわたし のなかに倒れこんできて窒息をくりかえ しているそれなのに  道はひろくひろ く小さな道を また広げていているから          なにかをきっかけに 立ち止まったりしてしまうの 壊れ たバンパー。わたしはあなたが そうし たいなら 転んだままだってかまわない       誰かとあなたを繋ぐ番にだってなりた いもの おとなをからかってはいけない んですが おてんばなこと をしてるだけ  です    (もうやめますからね。)


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北村灰色 (2017-06-28):

ストレートな言葉を用いながらも、何処か浮遊している感じがしました。肉感的だけれど虚無的でもあるというか、現代を生きる人間が抱く感情にリンクしている気がしました。 また、「みちにあふれているごみをみていると わたしがすてたものでないのに みちてきてしまう感じが、ぞくぞくしてしまう」は言葉遊びや罪悪感と欲望の入り交じった複雑な感情を表していて印象的でした。

村田麻衣子村田麻衣子 (2017-06-28):

北原灰色様 読んでくれてありがとうございました。おっしゃるとおりに欲望や罪悪感など そして現代を生きる人間が抱く感情というのは、 わたしの作風というかテーマであり、正直言うと書きたいものなのですが、欲望が入り混じるとなにごとも純粋というか汚しちゃいけないというかそういう失ってしまう感覚もあるのかなと 最近悩み始めた処でした。そのあたりの試行錯誤は、していきたいなと思います。 お目汚しにならなかったら幸いです。 投稿してコメントいただき、かなり乗り越えられれたところがありました。 ありがとうございます。

花緒 (2017-06-28):

初めまして。投稿いただき有難うございます。 わたしが逆立ちしても手に入らない種類の技術力を感じました。 本作、生活の中に埋没してしまうことの不毛さが描かれたかと思えば、生活から乖離してしまう状況が語られます(たべたりのんだりできなかった)。また、身体感覚の何某かが機能しなくなったことが描かれたかと思えば(サイボーグ)、身体から乖離してしまう状況が語れます(肉体だけがありませんでした)。ここに描き刻まれているのは、現代を覆うダブルバインド的な閉塞感であるように感じます。すなわち、2つの選択肢があるが、どちらを選んでも、不利益を被ってしまうことから生じる閉塞感を感じるのです。例をあげるなら、集団の論理に逆らうと、村八分にされてしまうが、集団の論理に従うと、従順な人間として、軽く扱われてしまう、というような、2者択一でありながら、どちらも選びたくない、あるいは選べないといった閉塞をここに感じるのです。先述の通り、生活に埋没することも良しとは思えず、また、生活から乖離することも良しとは思えない。身体感覚にとどまることも良しとは思えず、また、身体感覚から離れることも良しとは思えない。斯様なダブルバインドが、イメージの連なりと共に、繰り返されているように感じます。神父も<ただのにんげん>であり、この状況から作中話者を救う超越的存在も立ち現れない。どちらの選択肢も選べずに、窒息を繰り返す作中話者が、最後には、繋ぐものになりたい、とどちらの選択肢でもない道を希求しますが、しかし、強く希望を感じさせるラストではない。現代的な病みの構造の中で逡巡する姿が、柔らかで詩的な表現とともに描かれているように感じました。

右肩ヒサシ右肩ヒサシ (2017-06-29):

村田麻衣子さん、こんにちは。 冒頭の抽象的な言葉遊びのような書き出しが、すぐに「アパートの生活感」に繋がるとは思いませんでした。 >    わたしには >  肉体だけがありませんでした。 と書きながら、徹頭徹尾肉体の詩なんですね。言葉が衛星のように詩中の肉体を回っているように思うのです。 ブレスレットで傷つけたことを詫びたくてロボットになってやって来ても、ブリキの肉体はタンパク質の複合体よりも、もっと突出して「体」です。 どこまでも「おてんば」な振る舞いをして、「体」とその付属物としての「心」の駆動範囲を確認しているように思えるのです。 この詩はそのレポートとして存在しているのかな?そんなふうに思います。 素直に読めば「あなた」の喪失の詩なのですが、「あなた」の存在は希薄で、「わたし」の肉体だけが一方的に輝きを放っているのです。 僕はいつの女性の詩のほうに、男性のそれにはない魅力を感じるのですが、それには詩における肉体の存在感が関係しているのかもしれませんね。 何か、とても甘い詩でした。

村田麻衣子村田麻衣子 (2017-06-30):

花緒さん >わたしが逆立ちしても手に入らない種類の技術力を感じました。 花緒さん しかし、わたしはあなたの聡明さに逆立ちしても敵いません。 昨日よく考えてみたのですが 救いの存在が、詩の中にないのはもしかしたら不自然なことかもしれないからです。読者のなにかにしがみつくまでは行かなくても、いやもしくは何かS字のホックなどを引っかけるようなさりげなさで、 何かひとつでも寄り添っていく手段になりうるのではないか と。うーん。ちょっとまた書いてみます。笑 できるかな。どうかな。がんばります。 それからこんなに素敵な場所を作ってくれて、素晴らしい評までつけていただき感謝いたします。精進します。

fujisaki fujisakifujisaki fujisaki (2017-06-30):

すきというすきに入り込まれ、他人のような肌になってきた「あなた」が生活感に溶け込むような描写から始まっています。「棲めないくらいに汚れている」「溢れたものが、からだのすみずみまでにみちたりて」あなたとアパートの部屋にぼかしてかかっているような言葉が、わたしの人生を鮮やかに映し出していると思います。 好きな人に会いに行くとき、時たまサイボーグのような気分になることよくわかります。それは決戦の日だったり、その人が分からない日だったりしますが、会う前からうまくいかないことがわかっている日が確かにあります。 おそらく病室の窓際なのだろうと思うのですが、日の光が身体を照らし、それは確実に生を後退させていく。そんな様子でしょうか。死を前にした二人をつなぐ「神父」という単語が、生あるわたしと死にゆくあなたを平均化するような、二人の関係性において生き死にを超越させるような効果をもっているようで、僕は好きです。 「目の前に、積み重ねられたものがわたしのなかに倒れ込んできて」わたしが選び取ってきた人生が、わたしを苦しめる。首も回らないような生活のなかに、ふっと生きれそうな道が見えたりする。嫌なことがあるといいことがあります。そしてそんな道でも、選ばないことだってできる。あなたとともにいると生き急いで死に向かうのではなく、いまこの瞬間を生きようと思える。「転んだままだってかまわない」そんな気分でしょうか。 ゆらりと読者をかわして行く村田さんの作品は、何が正解かよくわからなくて、でも、自分なりにそういう感じわかるなって思わせてくれるので、読ませていただいて、嬉しいです。とても勉強になりました。 好き勝手に読ませていただきました。ありがとうございました。

浅井康浩浅井康浩 (2017-06-30):

生/死、肉体/サイボーグ、わたし/あなた いずれも両極端なコントラストが書かれているのだが、そのどれもが仮構されたもののように捉えられるのは、その両端をめぐってなされる過剰な「視線」の往還が、いずれも「目的」を持つものでもなく、また「完了」に達することもなく、ことごとく意味を見失いながら宙づりにされ、意味を特定されない「身振り」にすらなれないからだ。 また、「~でない。」「~できないし、~もできない。」(たべたりのんだりできなかった 食べたときには…意識をなくす/あんな仕草は できない のに 強靭な、… からだを 見せられなかった)という否定に次ぐ否定においても、それが直接的とならないのは、その依るべき視線の主が「意識をなくす/そればっかりに きをとられてい る/死に向かうあいだ 実際死んでしまって いて(死ぬ瞬間が抜け落ちている)」というように主体となりえずその間接性を際立たせているからだろう。間接性が際立つにつれ「わたし」の「行動」そのものは「視線の往還」そのものに還元されてしまう。 だが、その意味が特定されていない単なる「視線の往還」であるにすぎないものは、身ぶりとして意味をもつことなく潰えるかといえばそうではなく、反復して使用される身振りは、そばにいる「あなた」に対して言葉を重ねてゆき方向性をととのえてゆく。「動詞」に否応なしにつきまとう未完了の部分、過剰な部分は「あなた」とつながることによって整うかのように見える。「わたし」は理解しようとする相手の発話の一語一語の上に、自分が答えるはずの一連の言葉を積み重ねてゆく(ただひとりの にんげんです ただの に んげんです とこたえたので ああそうなんだ とこたえた)しかし「わたし」は「あなた」にかけられたとおぼしき言葉を引用し、(おて んばなことをするのをやめなさい「外にいけないから日を一瞬でも かんじていたいの。」)そこに新しい意味を含ませながら、なおその意味がすでにもっていた意味を保持して(おとなをからかってはいけない んですが おてんばなこと をしてるだけ)言葉のなかに対立する感情も同時に包含させてゆくのだが、そのいずれの試みも わたしが欲張りであるのだと 思い知らされてしまうの 廃棄されたごみがわたしのものかと錯 誤して というように、「行為」そのものが決して完了形となってあらわされることのない。つまり突き詰めてはならないもの(あなた)に触れようとして手を伸ばすけれど、届かず、名残惜しさだけをのこしてふと閉じてゆこうとする(誰かとあなたを繋ぐ番にだってなりた い) その視線のやりとりだけがリアルに感じられる

村田麻衣子村田麻衣子 (2017-07-01):

migikata様 >    わたしには >  肉体だけがありませんでした。 と書きながら、徹頭徹尾肉体の詩なんですね。 あはは 確かに!おっしゃるとおりです。反対に精神に関して、秀でて書いているわけでもなく…なんだか素直に書こうとしているのにここに来てなぜか ひねくれて しまっているのかもしれません。 昔は僕を人称として書いていたのに いつしか女性詩ばかり書くようになってしまいました。 こうした作風を続けていくと風当たりは強いのかなと、まあそう考えすぎるとオリジナリティを失ってしまうかもしれないし あくまで性別も性質であるので 変わろうったって変わらないので あんまり考えないようにしているのですが 笑 女性詩嫌いな人も多いように感じます。 ぐずぐず愚痴りましてごめんなさい。 精神衛生的に かなりの勇気をいただきました。投稿してよかったです。 ありがとうございます。

村田麻衣子村田麻衣子 (2017-07-01):

fujisakiさんへ 以前どこかで、評をいただいたことがあるのを憶えています。お久しぶりです。 >好きな人に会いに行くとき、時たまサイボーグのような気分になることよくわかります。それは決戦の日だったり、その人が分からない日だったりしますが、会う前からうまくいかないことがわかっている日が確かにあります。 恋ってすばらしいですね。ここわかってくれて、なんだかうれしいです!!!!!! わたしの文体は読む人を選んでしまうと、よく言われるのですがある意味では藤崎さんや読者の想像力にどこか期待して、頼ってしまっているのかもしれませんね。楽しんでくれて、ありがとうございます。書いている身としては、本当に救われます。

紅茶猫紅茶猫 (2017-07-01):

ブレスレットはさりげなく詩の中に出てきますが、砂糖菓子は何かしらと思いつつ、この詩全体を包む恋愛の甘さのことなのでしょうか。 「わたしには肉体だけがありませんでした。」そのままの受け止めならサイボーグだから、あるいはプラトニックにこだわる主人公の心情の描写でしょうか。 汚れたり壊れたりしながら生きていく、ためには砂糖菓子のように甘い恋愛を摂取しなくては。 という女性というよりは、少女の感覚が満ちているなと感じました。 「道はひろくひろく小さな道をまた広げているから」 いつまでも少女のままでいられない、たぶん少年より少女は変わることを求められると思います。 ひらたく言えば、種の保存のために。 自分の少女時代を思い出しますね。私は生き物を殺して食べるのが嫌だと、一時期野菜ばかり食べていましたが、その時の担任の先生に「ほうれん草にも命があります」と叱られた思い出があります。 大人になっても少女はどこかに生きているんですね。

5or6(ゴロちゃん。) (2017-07-01):

非常に高度な技術をやんわりと感覚で流している ネット詩の中でも好きな方です。韻律の組み込み方が好みと書いた方がいいのかもしれません。 これは感覚での話です。 ねじれの行間、AからBではなく、AかAのようなパート進行。それに伴うノイズ的な濁音をこれほど出さない作者も珍しいです。 また作品をお待ちしてます。

5or6(ゴロちゃん。) (2017-07-01):

すみません。訂正箇所。AかAのようなパート進行。 AからAのようなパート進行。 です。

村田麻衣子村田麻衣子 (2017-07-02):

浅井さんへ おひさしぶりです。評頂き 興奮とともに 激しく動揺しております。浅井さんの作品が熱狂的に大好きです。いかに書いていく勇気や希望をいただいたか計り知れないです。つまりわたしは 浅井チルドレンです。すみません。皆さんは なんだかとても頭がよく優しいし 大好きな浅井さんに評をいただいたので、 調子に乗り過ぎてしました。公然告白をおゆるしください。 >つまり突き詰めてはならないもの(あなた)に触れようとして手を伸ばすけれど、届かず、名残惜しさだけをのこしてふと閉じてゆこうとする チェックメイトです。おっしゃるとおり わたしにとって 他者は 「触れてはいいもの」か「いけないもの」かの二択です。ここで言う「あなた」への思いは、不倫して年下にちょっかいだしてしまった若い人妻の後悔みたいなかんじですね 笑 触れてしまってからしまった!傷つけてしまった! という 後者です。 でもそんなばかなことは辞めてみんなでいつかは 幸せになろうね!って。 そこにきちんとたどり着いているとは自分でも意識していませんでした。 >だが、その意味が特定されていない単なる「視線の往還」であるにすぎないものは、身ぶりとして意味をもつことなく潰えるかといえばそうではなく、反復して使用される身振りは、そばにいる「あなた」に対して言葉を重ねてゆき方向性をととのえてゆく。 だが、その意味が特定されていない単なる「視線の往還」であるにすぎないものは、身ぶりとして意味をもつことなく潰えるかといえばそうではなく、反復して使用される身振りは、そばにいる「あなた」に対して言葉を重ねてゆき方向性をととのえてゆく。 まあ要するに優柔不断なんですが、実りのある遠回りをしているのかどうかわかりませんが。わたしの力量はまだこんなものです。なんだかもう おしゃべりがすぎました。失礼しますね。ありがとうございました☆

蛾兆ボルカ蛾兆ボルカ (2017-07-02):

こんにちは 皆様のコメントを拝読して、詩を読むことに長けていてすごいなあ、と思いました。 この詩では、表層で語られていることから直接物語を無理やりに読み取るのではなく その断片それぞれから 構成される 一つのまとまりとしての心の動きを味わうのが豊かな読みなのかな、と思いました。 私の読みは、誤読と言っても良いほどの、表層のみの貧しい読み方だったかなと思うのですが、強く印象に残りましたので、コメントさせて頂きます。 私は人が死んだ後しばらく魂はこの世に残って、そして去っていくのだというような世界観に わりあいと親近感を感じるのですが 、この詩はそういう場面を描いたものとして 拝読しました。 そしてふと 千と千尋の物語の 主題歌の中のフレーズ、 生きていく不思議 死んでゆく不思議 というフレーズ 思い出しまして、どんな歌だったのかなと思いました。 そこで検索してみました youtube でウクライナの美女が歌っている https://youtu.be/d4Kijkkz4f0 これを見つけました。 既にご存知の方も多いものかと思いますが、私は初めて見まして、衝撃を受けました。 知っていたつもりの詩が、 全く違うものに聞こえたからです。 解釈によってこんなに変わるんだな。怖いけど、それが詩なんだろうな、と思いました。 さて、そんな風に読んだり思ったりしていた私ですけれども、皆様のコメントを拝読して、さすがに自分の読みが浅いのではないかと思っているのですが、 私の読みでもこの子はなんとなくてはありますが 去っていく人の 思いを丁寧に叙情したものとして、感じいるところがありました。

蛾兆ボルカ蛾兆ボルカ (2017-07-02):

子、は詩の誤変換です。すみません。

村田麻衣子村田麻衣子 (2017-07-03):

紅茶猫さんへ なんだか素敵な返詩をいただいたみたいで うれしいです。 >「わたしには肉体だけがありませんでした。」そのままの受け止めならサイボーグだから、あるいはプラトニックにこだわる主人公の心情の描写でしょうか。 はっとしたのですが、ああ確かに。触れることを許された他者に対して 肉体的に求めていながら 心まで欲しがってしまっている欲張りな。むしろ、恋愛中に女性ホルモンの血中濃度も高まり、おかしくなって 心が欲しいとか嫌われたくないとか叫んでいるこの複雑な心境は、女の子という現象でしか生まれないんだな。。。。なんて考えちゃいました。タイミングによっては、プラトニックやこころのつながりを重視したくなってしまうのも、女の子の特徴です。肉体も心も欲しいけれど、将来担ってほしいとかそういった関係ではない 諦めてしまっているということがこの詩の抒情なんでしょうが >いつまでも少女のままでいられない、たぶん少年より少女は変わることを求められると思います。 ひらたく言えば、種の保存のために。 この辺にスポットをあてて、もう一篇書きたくなりました。女性ならではのご意見いただいてうれしかったです。ありがとう ございました。

村田麻衣子村田麻衣子 (2017-07-09):

5or6様 こんにちは!レス遅くなりすみませんでした。わたしも 韻律はそうとうなにか こだわりがあるので ご察し頂きうれしいです。 起承転結が詩のなかにあるというよりはやはりAメロBメロサビ的な 歌曲な流れの方が理解しやすいなあと。AからAダッシュだとわたしの思考が、進行せず停滞しているのではないかとはっとしました。今まで言われたことのないことのないことでしたので 参考になりました。ありがとうございます。

村田麻衣子村田麻衣子 (2017-07-09):

蛾兆ボルカ様 素敵な詩いつも読ませていただいております。どうもこんにちは。 ウクライナのバージョンの千と千尋の神隠しは初めて見ました!わたしもウクライナをさらに越えたヨーロッパに住んでいるのですが、女の子は パワフルですね。そして、彼女は被ばくしてしまったということですが やはり繊細に象られた形式や趣というかがより奥深く感じられて その独特の規則においてまた 込められているものの奥深さへと到達していく 力づよさを 感じました。 生死についても、今後もわたしなりに向き合っていきたいと思います  読んでくれて ありがとうございました。


夏至   

fujisaki fujisaki 
作成日時 2017-06-29
コメント日時 2017-07-06

 

イヤホンをするとフィクションになって 朝歩いた倍の時間をかけて帰る 風で膨らんだカーテンに包まれて 街は誰かへのプレゼントになる 白鳥が羽ばたいて折り目がゆれる 草むしりした土地のにおいがする 上司がよこしたボールペンで 人の人生にレ点を打つ 監督、ここからは 長回しでいきましょう アイドルになったつもりで三歩前を 後ろ歩きしちゃった気分で 妖精がふれると信号が虹色になって 放り投げられたそばからランドセルが星になる 頭上をゼロ戦が飛んでいくと 教育がぱらぱら落ちてくる きくらげの卵炒めはおいしい ほめられたときのこと思い出して 弁当箱洗っちゃおっかなってたくらみながら みんな帰っているといいね


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完備完備 (2017-06-30):

作品と関係のないレスで申し訳ありませんが、もしかして藤崎原子さんですか?

fujisaki fujisakifujisaki fujisaki (2017-06-30):

完備さん こんばんは。そうですね。でも原子って名前かっこ悪いですよね。藤崎って呼んでください。

花緒 (2017-06-30):

イヤホンをして音楽を聴くと、風景と散漫な思考が混じり合うような感覚を覚えることがありますよね。音楽によっては、自分がプロモーションビデオの登場人物のようになった気分になったりすることもあるのかもしれません。と思いながら読み進めると、4連目、かなり異質な内容が挿入され、意表を突かれました。平和な日常と戦争を彷彿とさせるイメージが混ぜ合わされる。日常/風景/管理社会/未来の戦争が、妙なバランスでミックスされているように思いました。不思議な手触りを感じました。

fujisaki fujisakifujisaki fujisaki (2017-07-02):

花緒さん こんばんは。 よろしければ「不思議」の中身が知りたいなと思います。ありがとうございます。

花緒 (2017-07-02):

こんばんわ。そうですね、わたしが書きたかったのは、上司がよこしたボールペンで/人の人生にレ点を打つ、と、頭上をゼロ戦が飛んでいくと/教育がぱらぱら落ちてくる、と他の詩文との落差ということですね。これらの詩文がなければ、かなりライトヴァース的な当たり障りのない詩篇になるかと。上記4行の挿入により、わたしには、不思議な手触りが感受されたのだと思われます。

まりも (2017-07-06):

起承転結、その細やかなリズムで綴られていく進行に心地よさを感じます。 冒頭、日常から非日常・・・自分だけの世界、空想の世界にふわっと包まれる、連れていかれる、その感覚が、うまく表現されていると思いました。 〈街は誰かへのプレゼントになる〉夕方の薔薇色の光に照らされた街、あるいは、美しい夜景に見とれてしまう、そんな光景。その街で、上司とちまちましたやり取り、うんざりするようなルーティンワークをこなしていた、のかもしれません。 監督、と呼びかけるのは・・・すべてをフィクションの映画として、フレーミングしようとする意識の表れでしょうか。妖精が~の連は、空想全開、という感じですね。子供の頃の、夢想全開の時代に戻っているのかもしれない。 きくらげの卵炒め、なんとなくほっこりした日常への帰還。誰もが帰る先があればいいな、帰りたい家があればいいな、と思いました。そんな願いを、かすかに感じつつ。


心と空の叫び   

黒髪 
作成日時 2017-06-05
コメント日時 2017-07-05

 

思い上がっていました 必要のない事を押し付けました 少しラッピングをしますね ここにある物を大切に それはここにしかないものです 優しいこころを自分としたいです 人が限りない可能性を感じるとしたら それはすごいことです 僕が心をいつも楽しくできたとしたら それはすごいことです 失っていた心にガクリと頭を垂れます それから立ち上がって何でもしましょう 再び自分を取り戻しましたら わがままなことはしません 一つ一つを丁寧に大切に 包む空と一緒にありたいのです 限りない可能性あるあなたは空を飛ぶことを考えるといいでしょう いつのまにやら楽しむことが出来るようになった僕はあなたが飛ぶのを眺めましょう 何のためにその空はあるのでしょう 何のためにその心はお互いを想い続けるのでしょう


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花緒 (2017-06-05):

今までの黒髪さんの作品とは一風違いますね。可読性がすごく高いですね。読みやすいです。この書き方だと、説教くさくなったり、メッセージが表面に浮かび上がりすぎて、押し付けがましくなってりしがちに思いますが、そうなっていないのが凄い気がします。最後の二行が良いですね。疑問形を連打されたことで、作品が宙吊りになっており、メッセージ性が強く出過ぎない一品に仕上がっているように思いました。また、本作においては、僕、あなた、という主体と、心、が分離されて描かれているのが面白いと感じました。

黒髪 (2017-06-06):

花緒さん コメントありがとうございます。押しつけがましくなっていないと言っていただき、とてもうれしいです。 誰かを勇気づけたり、考えを落ち着けたりできたら、とてもうれしいのですが。この世には、脱出口 はあまりないです。本を読んだって、なかなか満足はできません。助かるとば口となるのは、詩だけだと 思います。詩には、どこかしら深さというものがあります。この詩は、音楽によっては表されないものだと 思っています。むしろ、写真や絵画に近いかもしれません。 この作品では、空と人と心に対して、一つの連関性を示そうとしました。閉塞的な心を、どうにかして逃して あげられたらな、そんなことを考えながら作っています。この世は苦しいけど、それとどう付き合うか、 そういった、知恵や達観はあるはずだと、思っています。

ロ三 (2017-06-07):

自分にはこの詩は、肉体を離れた心と残された体が互いに語りかけているように感じられて面白いです。

黒髪 (2017-06-07):

口三さん コメントありがとうございます。肉体と心の分離といった印象でしたか。実際ある程度は、どんな人もそんなもの だろうと思います。たがいに語り掛けているのは、一言で言えば、内省と、それを展開する実行、みたいになると思います。 ここからさらに、融合を果たした精神が、どこかへ向かわなければならないでしょう。それは、きっと僕にとって 素晴らしいものになるだろうと思います。 詩によって身を確かめ、生活によって頭を確かめる。そんな風に思っています。

まりも (2017-06-08):

わがまま、って、なんだろう・・・ありのまま、私のまま、は「いいこと」で、わがまま・・・わが意のまま、は「だめなこと」なのかな・・・わがままって、我のルール、自分ルールを押し付ける、ということかな・・・と考えて、最初の方の「必要のない事を押し付けました」が、なんとなく腑に落ちました。具体的なことが書かれていなくて(他の人との会話の途中、のようで、前後を想像させてくれるような、そんな曖昧さ)唐突だな、と思っていたのですが、後ろの方できちんと回収している。 「一つ一つを丁寧に大切に 包む空と一緒にありたいのです」 ひとつひとつを、包む空・・・空が何枚も重なった薄青い膜、のようで、そんなセロファンが何枚も重なっている空を連想しました。 そこで自由に羽ばたくあなた、を見ている私、それは私の心と私の体、であるのかもしれず・・・ 包むラッピングする、という行為は、どなたかに手渡すことが前提。 だれに、手渡すのか、なにを、手渡すのか・・・明晰な文体なのに、人によって、代入するものが異なる、そんな多義的な読み方の出来る作品だと思いました。

ユーカラユーカラ (2017-06-08):

黒髪さん、こんにちは。 拝読させて頂きました。 思い上がっていました。 必要のないことを押しつけました。 この二行から、主人公の相手への近すぎた距離感への反省を窺い知れました。時に人は、相手を思うあまり、立ち入りすぎる、自分の尺度で相手を慮ってしまいがちだと思うのです。 そこを相手との距離を取れるようになり、相手が飛ぶのを眺めていようとする私になれる、というのは、真に相手のことを理解したいし出来るようになったという、大きな成長と愛を感じます。 詩で誰かの助けになりたいとの強い思いがおありのようで、黒髪さんの人となりが、浮かび上がる清々しい一篇のように思います。

黒髪 (2017-06-09):

まりもさん コメントありがとうございます。わがままって、主に性格ですよね。子どもっぽい、という点は、良くも悪くも なりますが、大人になっても子供っぽいわがままはカンベンしてください、と思います。人によって程度がありますが、 治らないものは仕方がなく、生涯をわがまま貫き通す、という気概で行ってもらってもいいかもしれない。 空って、立場に関係がなくあるものなのだと思いますが、空を眺めていると、心がひらかれていく。 とても静かなものだと思います。セロファンって懐かしい気持ちになりました。小学校の頃、使ったりしたなあと。 とても好きなもののひとつです。手渡せるものを持ち、手渡す手筈が分かる、そんなことって大事ですよね。 多義的である、ということは、最近読んでいる文学理論の教科書(川本皓嗣/小林康夫編『文学の方法』) に影響され、少し心掛けたことなので、それが実際に効果を上げていると思って、嬉しくなりました。 ユーカラさん コメントありがとうございます。距離感が測れないのは、目が悪いからなんです。それゆえに自分が情けなく、 人に迷惑をかけているなあと。でも、今日は、野球の試合の動画を観戦して、三人の間で盛り上がりました。 つまり、野球との距離と、三人の間柄の距離を、うまくできたということです。愛するために成長する、 そんな気分は、悪くないです。清々しいというお言葉をいただき、明日まで安らかな休息をしようと思います。

るるりら (2017-06-09):

こんにちは 冒頭の二行がとても印象的です。 とても個人的な私の 黒髪作品に対する感想を まず言わせていただきます。 いつも私個人に向かれて言葉を書いてくださっているという錯覚をすることが わたしの場合は、しょっちゅうです。 そのせいで、涙が勝手に あふれてきたりしたこともあります。 そのくせ 涙までしたのに、さて その作品名はなんだったろうかと 題名を あげようとしても、たいへん失礼な告白なのですが、 その詩の題名を 私は なぜか思い出せないのです。 理由が解りました。わたしの場合は、黒髪作品を読んだのではなくて  食べてしまったのだと思います。いつも滋養にさせていただいてきました。 前置きが ながくなりました。 この作品においては、冒頭二行が詩の前に どなたかと なにかしらの交流がある書き出しです。 それで、いつにもまして、この詩が わたしあての手紙のようなもののような気がしました。 それで、わたしは いままでの黒髪さん作品に対する読み方や態度は、わたしの「おもいあがり」が多かったではなかったかと 思いました。 ≫少しラッピングをしますね 誠実でありたいです。 おくりものをするような心で 詩作に向き合う人が、ここに いらっしゃる。 贈答品売り場の方のように ラッピングをする所作でいらっしゃる。 わたしは、うれしいこころで 詩文を ひともじづつ 読みました。 これからも、黒紙作品の一つ一つをまえよりも丁寧に大切に 読ませていただこうと思いました。 この詩だけが おさまる 豆本がほしいです。 ちいさな本に ちいさなラッピングをかけたいです。

るるりら (2017-06-09):

そして、言うたはしから 失礼をしてます。 文中に お名前を間違えました。黒髪さんのことを黒紙と書きました。失礼しました。

黒髪 (2017-06-09):

こんにちは るるりらさん コメントありがとうございます。 この詩は、現在と過去と未来に対する決算をしてみたものです。現在、認知能力回復中で、いろいろと無駄な ことを感じさせてしまったというような、人に対する危惧を、抱いています。だから、そういう人たちに対して、 申し訳がないな、と感じて、少し焦りもどかしい感じを、弁解というか、説明したいなという気持ちが強くなった ので、詩にしてみました。多くの方との交流があり、多くのことを感じながら詩を中心に、想いを現実的に 抱いてきました。るるりらさんが、自分自身に向けたのではないかと考えたのは、それゆえ、まったく当たって いますし、僕自身は、るるりらさんを筆頭として、漠然とした現在と未来の存在に対する、想いを、書いてみました。 全ての事はどうでもいいのですが、全ての事は素晴らしいのです。詩への恋と、失った恋、愛を知らぬ私故…笑。 生きていることと、詩を書くこと、そんな気持ちは、最上のものです。一つ引用をさせてください。 「幾億の星と たったひとつの月  思い出はいくつも おれの周りを回るよ」(中島らも「DONT WAKE UP」) あなたは、素晴らしいものをお持ちです。のんびりと昼寝でもしながら、 「幾千もの夜と たったひとつの朝」(中島らも 同上) 苦しみとは、付き合い方を覚えなければなりません。いろんなことと、付き合っていくこと、そうしたことのために、 詩として、世界を理解できるように。心が詩ですね。心は、どこにあるのですか。

宣井 龍人宣井 龍人 (2017-07-05):

黒髪さん、こんにちは。 前向きで謙虚なメッセージが込められている詩だと思います。 メッセージが声高に出てこない工夫があるのも良いなあと思います。 そのバランスが読後感の良さにもつながっているのではないでしょうか。 どこかの国の総理大臣にも読んでほしいです(笑)。

黒髪 (2017-07-05):

宣井 龍人さん こんにちは、コメントありがとうございます。 色んな人と積極的に関わっていくことで、なんとか前向きにならないと心が腐っていくような感じに思っています。 自分だけの寂しさというのは、すごく後悔になってしまいます。 メッセージを声高に出さないのは、やはり自分でも、謙虚のように仕上げたいなと思ったからだと思います。 そのように指摘されないと、自分では気づかなかったでしょうが。 総理大臣のように影響力のある人、国を動かす人が、しっかりとしていないでどうするのか、といった気持ちに なりますね。資質に欠けているとしか思えません。だから、僕も自分なりに頑張りたいです。


アルコール何色 愛せよ、何を?   

北村灰色 
作成日時 2017-06-25
コメント日時 2017-07-04

 

狂いそうな朝 救済のラジオを掻き消す雨 秋雨の死を祈るは神前 神棚  否否 首を落とした てるてる坊主の前 ――おお労しや お前がやったのか? 色のない巨人共が  感情も無く問いかける 無言の死体と僕  止まない雨が埋める空白 雨音鳴りやまぬバー 太陽と青空を忘れた生活 壮年の右手に揺らぐ  ボンベイ・サファイア  いつか彼が夢見た シャウエンの蒼すぎる景色 いま彼が視ているのは 無表情で無機質な透明の薬液   酔いの余韻 クーラーの唸り 耳鳴り 怒鳴るのは灰色を纏う  獣性を隠した異性 然して此処は密林 偽りの緑色の地獄 高層ビル44階 変死体のオブジェ 一つ二つ三つ それとも1人2人3人 四つの子供が見たら哀しいね  青と赤が交わり生まれた 文系でも理系でも無い  僕らは葉緑体の世代 痛みのない太陽を求め 透き通った水を求め 嘘のない救いを求め 僕らは巡礼者のように 凍てついた山手線を輪廻する   一周目 朝焼けの列車に詰めこまれる人 人 体温或は 情念の焔から沸き立つ白煙 匿名の肉の臭い 無言の車内は 火葬場か 火刑の執行中か 二周目 白昼夢の世界も遥か遠く 誰もが微睡む 揺籠のなか 眠りを忘れた鋼鉄は  止まることすら忘れて 匿名の少女を容赦なく轢き潰した 藍を喪失した窓 無軌道に溢れだす紅 目覚まし時計のような外界の悲鳴 それでも彼らは眠っている  それとも彼らは眠るふり それから僕らは笑っている 意味もなく 虚ろなまま 声も無く 心も無く―― ――もう何周目だろうか 肥大化し 巨大化した僕ら 濁る視覚 鈍る思考 感性も化膿 手に持つのは 淡く青いラムネではなく 淫らに澱んだ ロゼの熟れた液になった


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花緒 (2017-06-27):

本作は、わたしには読めない一作でした。いまいち読めていないので、内容まで踏み込んで語り難いという状況です。山手線と輪廻を重ねる書き振りだとか、有名ジンと、巨人を重ねていく書き振りなど、非常に雰囲気があるのですが、わたしにはいまいち読めない。なんとなく言葉が上滑りしている感じはしています。読めていない奴がレスつけるなと怒られてしまうかもしれませんが、斯様な<感想>も何かの役にたつことがあるかとも思い。とりあえず、一旦上げさせて頂きます。

まりも (2017-06-29):

一行目の言葉の強さが際立つ作品ですね。救済のラジオ・・・聞こえて来るはずの、救済の声を掻き消す雨、それは心の内に容赦なく降り注ぐ土砂降りなのでしょうけれど・・・驟雨と音の重なる「秋雨の死を祈る」と続くと、その雨を掻き消してくれる何か、を必死に祈る、そんな景に思われてきます。 そこまで、語り手に窮迫しているものはなんだろう、語り手を脅かしているものはなんだろう・・・首を落とした(刎ねられた)てるてる坊主には、その雨を降りやまさせる力はない。〈色のない巨人共〉、見えない、しかし圧迫感で語り手に迫ってくるなにか、を言語化した、とでも言えばいいのでしょうか・・・言葉によって呼び出された、不安の形象化。〈無言の死体〉は、首を落とされたテルテル坊主、を暗喩しているのか・・・ と読み解いていくと、なんだか謎解きをしているみたいで、本当に作者が言いたかったのは、そこか?という疑問に突き当たります。二連目以降は、一連目のイメージを増幅させながら(変奏のように)奏でられる、〈雨〉の降りやまない、降りやませることができない日々の中で、一時の夢想(アルコールによる)に逃避する、その幻想の時間を描いているように感じました。 太陽と青空、赤と青。〈ボンベイ・サファイア〉の青。〈シャウエンの蒼すぎる景色 〉(どこなのか不明ながら)青ではなく、蒼の(死の?)風景。〈無表情で無機質な透明の薬液 〉とは、酒が単なる薬液としか感じられない心象であるように思います。 〈獣性を隠した異性 〉このあたりは・・・異性との関係のよじれ絡まっている、その状態、なのか・・・ごめんなさい、ここは読者として、置いて行かれた、そんな心細さを覚えます。 〈青と赤が交わり生まれた 〉ここから以降・・・太陽と青空、が生み出した葉緑体・・・植物のような僕たち、なのかな・・・酔いの回った体で、山手線を周回しているのか、あるいは日常生活(ルーティンワーク)の暗喩か。 あえてデフォルメした表現で、日常性を超脱する、これはとても重要なこと、だけれども・・・〈凍てついた山手線を輪廻する〉ここまで大仰な表現を使う必然性が、全体の流れの中から、出て来るか、どうか・・・ 〈藍を喪失した窓 無軌道に溢れだす紅 〉愛、に通じる藍、闇夜に通じる藍。自殺なのか事故なのか、一人の少女が命を失った、それなのに(時には、電車が遅れた、そのことに不平不満を述べる、というような)動じることもない乗客たち。それが、私たちの日常。無軌道に溢れる紅、それは少女の血であると同時に、悲しみや孤独、辛さや痛み、そうしたものに感応することのない社会に対する、言葉にならない叫びのように思われました。 このエピソードを、もっと中心に据えてもよかったのではないか、という気もします。 〈淡く青いラムネではなく /淫らに澱んだ ロゼの熟れた液になった〉鮮明な青と赤、が、透き通った青と、赤の刺激を失った透明な赤、に「熟れて」いく、ということ。感情が弛緩して、広がって膨張して・・・しかし、鈍感さが増していく(そうでなければ、外界の悲劇に対して対応できない、ということ、でもあるでしょう)ということ・・・ 後半のエピソードがあって、心の中に止むことのない驟雨が降り注いでいるのか。そう読んでいくと、全体がつながって来る気もするのですが・・・酒に逃げるようなシーンや、異性との関係性を暗示するシーンなどが盛り込まれて、全体に惑わされてしまう、そんな読後感が残りました。

北村灰色 (2017-07-02):

花緒さま 確かに読み返してみると、妙な浮遊の仕方をしているというか、滑りやすい場所を何故か滑りやすい靴を履いて転びそうになっているような感じがしました。

北村灰色 (2017-07-02):

まりもさま アルコール、雨、藍色、(心が)渇いてゆくことの四点を主眼に置いて、そこから想像できる事象をランダムに書いた作品なので、確かに言いたいことが不明だったり、幻惑されるような詩になっている気がします。 >社会に対する、言葉にならない叫び ご指摘頂いた、このエピソードを主軸にすれば、詩の輪郭や主張がもう少し明瞭になったのかもしれません。

静かな視界静かな視界 (2017-07-02):

はじめまして。 これ、気に入りました。 語彙も素敵ですし、なんとなくラップをイメージしたかのようですね。 何となくですが、これを散文化したものを読んでみたい気分になりました。

黒髪 (2017-07-02):

「アルコール何色 愛せよ何を?」 静かな視界さんもおっしゃっておられますが、ラップのような、おしゃれで、真似のできない新しさを感じました。 そして、内容もすごくいいと思います。いきなり強い語句から始まり、バーとか薬液とか出てきて、圧倒的に さらっとしたおしゃれ感に、酔わせられてしまいます。かっこいいです。 >高層ビル44階 変死体のオブジェ >一つ二つ三つ それとも1人2人3人 こういう書き方ができるって、すごいことだと思いますよ。こういう書き方も、出来るんだなあと、 脳みそをやられました。 あらゆる語句が、意味のために、緊密に連関しあっている。その、密度と、独創性は、素晴らしいなと思いました。 器の大きさと、独創性の備わった、ネット詩という風に区分けされる限りの領域で、一番先の辺りで おられる人だ、というふうに、思いました。次の作品も読みたいです。

北村灰色 (2017-07-04):

静かな視界さま ラップの要素は結構あると思います。ヒップホップやラップを取り入れた、ミクスチャー・ロックやトリップホップといった音楽に傾倒していた時があり、それらの影響が少なからず出た作品なのかもしれません。 散文化、できたら作品の色彩や世界観がまた異なったものになれそうで興味深いです。

北村灰色 (2017-07-04):

黒髪さま 最初のフレーズは私も気に入っているのですが、其処から段々浄化というか、色合いや酩酊を深めていければという意図を念頭において綴りました。 自分も他人も死体みたいに見えるし、死にたくなるようなこの世界を構成する(為の)オブジェや無機質なモノにも見える、そうした日々の現実に於ける幻覚を描き出したのですが、そこに着目頂けてとても嬉しいです。


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