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祖母包茎   

百均@B-REVIEW ON/ 
作成日時 2018-01-31
コメント日時 2018-03-04

 

死に近づいた人間の、病院食の匂いが、たまらなく嫌いなのに、嗅いでいると、心が落ち着くのは、僕がもう死にたいと思っているからだと、祖母に言ってしまう 「ちがうのよ あなたはまだ子どもだから 全てを 死になぞらえて考えてしまうのよ」と口笛をふくように 伝えてくれる、その言葉の重たさ。 優しくて、重い、コバルトみたいな血管で編み込まれた、あの皮膚色で、やさしく包み込んでくれる、 僕の、死んだ、魚のような目では、決して分からない (((瞳の奥に見える人間の鱗、そこについている傷は人の記憶をつかさどる、祖母は傷の付け方、付けられ方を教えてくれない、父に似ている祖母もまた、教えてくれない、お前には早すぎると言う))) 「お前の体が欲しい お前になりたい わたしがお前であったら やりたい事があるのに」と 首をしめられてもおかしくない筈の 力強さで ふゆのひ みみもとで抱きしめられた、 こたつのなか あの生け簀の中で あの時の強さで もう一度僕を、包みこんでおくれ


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花緒 (2018-02-01):

うまくまとまっていると思う。であるがゆえに、タイトルは本当にそれでいいのか、と思ってしまった。 パンチはあるけれど、色物の色彩の強いタイトルだと思う。初読の印象です。

みうら (2018-02-01):

やばい。負けた。 百均さん投稿有難う御座います。

仲程仲程 (2018-02-01):

包まれていたり、つつんでいたりしてたときの、それぞれのにおいとか、少しずつ浮かんできます。記憶はあやしくて、気のせいかも知れませんが。

mojibakemojibake (2018-02-01):

生という舞台の上で、祖母と孫という開いた距離における二人の交流、身体の行き来が、感情や精神や体の強弱の対比を強め、作品の強さになっているのではないかと思いました。良作だと思います(偉そうですみません!)。 かっこを用いた段は難解でしたが、何か熱いものを感じるので、もう少し取っ掛かりが欲しかったです。

蔀 県蔀 県 (2018-02-01):

ぼくはすごく好きでした。とりわけ視覚的なリズムに惹かれました。語の拍数ではなく、読点過多で《切れる》感じ、連が移ると短文からの改行、そして三重括弧のやや抽象度の高い行からとつぜん感情的な結末に向かうさまなど、見ていて(読んでいて)ぐっときます。なおかつ内容は切実で、はじめは冗談としか思えない題名が、いい意味で裏切られる。何遍も読みたくなります。

完備 (2018-02-01):

「死に近づいた人間の、病院食の匂いが、たまらなく嫌いなのに、嗅いでいると、心が落ち着くのは、僕がもう死にたいと思っているからだと、祖母に言ってしまう」という冒頭は、チャラチャラした文体ではあるものの素晴らしいと感じました。しかし全体として尻すぼみな印象であり、特に最後の締め方はあまりにもありきたりにすぎる気がし、それでいいのかいう疑念を隠し切れません。

爺無能別邸爺無能別邸 (2018-02-02):

ポエジーの無さをカッコで隠してしまうあたりが、確かにタイトルにある通り包茎っぽい。これを意識してやっているなら、なるほど、自己分析をしているのだな。と感心するが、ただカッコを使ってしまっているなら、剥いてやるべきだ。そして「。」を使わなければ、詩であるというような思い込みのようなものを消し去り、詩と向き合うべきである。

まりも (2018-02-02):

タイトル、これでいいのか?という疑問は、私も感じました。 祖母/包茎 であれば、もう少し祖母と孫との関係性&対立性のようなものが明確に出るのかな、と思い・・・しかし、題名そのものが持つ、なんなんだこれは?的なオドロキ、は消えてしまう・・・。 自らの少年性であったり、俗にいう「青臭さ」、未熟さの象徴として・・・そういう意味合いを持たせた「包茎」であるのか、包む、という語の持つ意味合いを中心に置きたかったのか。 包む、ということであるなら、胞衣(えな)という語も選択枝の中に入って来るのではないか、と思ったり・・・タイトルの選択に、いまひとつ、必然性が汲み取れない。あえて耳目を引く言葉を持ってきたのではないか、と受け取られかねないワードであるがゆえに、幼さの象徴のような意味合いプラス包む、包まれること、という意味合いを重ねた選択であるなら、いささかあざとさが残るWord選択であるような気もします。難しい。 「包茎」という言葉が、性と結びつく言葉であるのかどうか、そのあたりの感覚も、実はよくわからないのですね。比喩的に「処女地」と呼んだりする、これは完全に未踏の地の意味であるわけですが、女性にあなたは処女ですか、と尋ねれば、これは完全にセクハラとなる。そこも含めて「処女」という言葉は、男性中心主義の中で使われてきた用語であるから、未踏の、といった表現に変えるべき、というような人たちもいる、けれども(私は、そこまで「言葉狩」をすることを良しとしませんが)「童貞」とか「包茎」と言ったワードも、男性に対して用いる時にはセクハラとなる、と教わった記憶もあり・・・ということは、自らの未熟さを自虐的に提示した、という意味合いもあるのかな、と思ったり・・・(このあたり、感覚的なものでもあるので、実際のところ、よくわからないのです) 性の快感が、性器の快感と言う局所的なものに限定されるのか、どうか。広い意味での「生」の快感へと「比喩」も含めて拡大されるとき、そこには乳幼児の時の母とのスキンシップであったり、本作における祖母とのスキンシップであったり・・・成人男女の間であっても、いわゆる包み、包まれる、という感覚、その感覚から生じる「安心感」であったり、「充実感」などの方が、実は重要なのではないか、とも思います。その意味で、本作ではこうした「生きる上での快感」について視点が向かっていて、とても良いと思いました。 疑問点ばかり書いてしまいましたが、ここからは、素晴らしい、と思ったことについて、書きますね。 保護されたい、という感情と、そこから激しく離脱したい、自立したい、という感情の葛藤が描かれているのではないか、という一般的な予測を、 〈「お前の体が欲しい/お前になりたい/わたしがお前であったら~〉以降の連が、実に良い意味で裏切ってくれる。 祖母が「人間」として持つ、自然の欲望、若さへの嫉妬、スキンシップ欲求。孫が「いけす」と感じる、自立への欲望、「飼われている」「世話をされている」ことに対する反発と、抱きしめられる、という直接的な行為から得る安心感、スキンシップを通じて得る快感、包まれる、という感覚。 魚のイメージで一貫して綴られることにより「冷血」のイメージも重なると同時に、系統発生的なイメージも重なり・・・瞳の奥に潜む「鱗」のイメージにも響き・・・重層的な比喩が浮かび上がって来る。メタファーが、しばしば「一対一対応」の意味の読み解き、いわゆる謎解きに陥ることが多々あるのだけれども、魚というメタファーが、実によい方向で多層化されている。 一気に、とぎれとぎれではあるけれども、ひといきに、吐き出すように発するフレーズ(一行で、句読点を打ちながら長く綴る)と、改行で余韻や言葉の間に含まれる時間をしめす、言葉の置き方も、と手も良いと思いました。

まりも (2018-02-02):

ついしん やはり、思い入れが強すぎる、というのか、最後の一行、要考ではないか、と思いました。

百均@B-REVIEW ON/ (2018-03-04):

花緒さん レスありがとうございます。 >うまくまとまっていると思う。であるがゆえに、タイトルは本当にそれでいいのか、と思ってしまった。 >パンチはあるけれど、色物の色彩の強いタイトルだと思う。初読の印象です。 上手くまとめるのが苦手なのですが、今回は自己評価としても割と落ちがついたのかなぁとか思っていたので、花緒さんからコメントいただきたとき、ちょっと安心しました。ただ、コメントを合わせて考えてみると、最後がある意味賛否両論なので、なんとなく僕はまとめる事ができないなぁと、難しいなぁという感じです。タイトルは最初に決めて書いたので、自分もまたタイトルをこえるような物を詩行に込められたのかというと、そうではなく、故に色々タイトル弄ってかんがえてみたのですがそのまま出してしまいました。インパクトに引きずられて作品が死んでしまったかもしれません。 三浦⌘∂admin∂⌘果実さん >やばい。負けた。 >百均さん投稿有難う御座います。 何に負けたんや! という事は思いますが、勝ったのかなぁ? 三浦さん色々ありがとうございます。 仲程さん レスありがとうございます。 >包まれていたり、つつんでいたりしてたときの、それぞれのにおいとか、少しずつ浮かんできます。記憶はあやしくて、気のせいかも知れませんが。 包茎というお題はなんというか、僕の中で恥という部分を引き抜いてですが、地味な思い出がいくつかある話なので、色々少しずつ書いてみようなと思っています。ここで頂いたコメントで、なんというか本当に昔の事いっぱい思い出したので。 mojibakeさん >生という舞台の上で、祖母と孫という開いた距離における二人の交流、身体の行き来が、感情や精神や体の強弱の対比を強め、作品の強さになっているのではないかと思いました。良作だと思います(偉そうですみません!) 祖母と孫という関係、僕自身は体験する事が殆どなく、間接的に色々母親から聞かされたのですが、僕の祖母はそれはそれは出来る人で、多分小説一個くらいかけるというかそういう人なのですが、そんな祖母の事なんか全く考えないまま、卒論で死にそうなときに勢いで書いたら祖母が出てきて、結果的にいつもは祖父の死に際の記憶がかけなくて苦しんでいたのですが、祖母だとここまですっきりかけるのかというくらい書けてしまいました。mojibakeさんから頂いた感想のおかげで、多分僕にとっては近かった祖父よりも祖母の方が描きやすいのではないかと気がつきました。 >>かっこを用いた段は難解でしたが、何か熱いものを感じるので、もう少し取っ掛かりが欲しかったです。 ここは本当にもうしわけないのですが、丁度卒論で死にそうになっているときにストレスを発散させるためにこれを書いたので卒論で扱った作品の中に出てきます。ですから、僕にとってはこの三重括弧は意味がありすぎてしまって、単なる記号ではなくなってしまいました。故に熱意が伝わったのはシンプルにうれしいのですが、そのまま投げ出してしまったという意味では、本当に申し訳ないです。多分これからも三重括弧は実験していく中で使いつつ色々試してみたいと思います。その中の一つが届くようにやっていきます。 蔀 県さん >ぼくはすごく好きでした。とりわけ視覚的なリズムに惹かれました。語の拍数ではなく、読点過多で《切れる》感じ、連が移ると短文からの改行、そして三重括弧のやや抽象度の高い行からとつぜん感情的な結末に向かうさまなど、見ていて(読んでいて)ぐっときます。なおかつ内容は切実で、はじめは冗談としか思えない題名が、いい意味で裏切られる。何遍も読みたくなります。 嬉しいレスありがとうございます。なんというか作者冥利に尽きますね。僕から何も言える事がなく、なんというか伝わった感じがものすごくして嬉しいです。この感慨は一ヶ月立った今でも最初に感想を拝見した当時変わりません。これからも書いていこうと思うことができます。ほんとうにありがとう。 完備さん >「死に近づいた人間の、病院食の匂いが、たまらなく嫌いなのに、嗅いでいると、心が落ち着くのは、僕がもう死にたいと思っているからだと、祖母に言ってしまう」という冒頭は、チャラチャラした文体ではあるものの素晴らしいと感じました。しかし全体として尻すぼみな印象であり、特に最後の締め方はあまりにもありきたりにすぎる気がし、それでいいのかいう疑念を隠し切れません。 冒頭の部分は、最初細かく行分けしていたのですが、最終的に読点でつなげました。それが結果的に上手くいったのかなぁと安心しています。読点でつなげるのは、昔にやったポッキリで久しぶりにやったのですが、朗読を基準に色々句読点調整していったので、今回の感じで割と上手く行ったのかなぁという感じがします。最後の部分は書いているとき、これでいいのか? とはやく終わりたいと、これで決まった! の三すくみで書いていたので、もうその通りですね。でもこのタイトルこの詩を書き始めた時点でさいしょから落ちは決まっていたのかなぁとも思います。それらを覆えす言葉があればよかったのですが、包茎である事から出ていく事はできなかったのかなぁと思います。 爺無能別邸さん >ポエジーの無さをカッコで隠してしまうあたりが、確かにタイトルにある通り包茎っぽい。これを意識してやっているなら、なるほど、自己分析をしているのだな。と感心するが、ただカッコを使ってしまっているなら、剥いてやるべきだ。そして「。」を使わなければ、詩であるというような思い込みのようなものを消し去り、詩と向き合うべきである。 レスありがとうございます。 ポエジーのなさについては、正におっしゃる通りで、包茎という語の持つニュアンスに親和性を背後にかんじながら、あるいは寄りかかりながら詩行を紡いで行ったという事を否定することはできません。この点は、花緒さん、まりもさんのレスへの返答と被る所があるのではと思います。三重括弧については、包茎も無論意味します。ある意味、包茎の内側にあるものにギリギリのポエジーみたいなものをしまいこんでいたし、それが剥かれるべきだというのも、激しく同意します。僕がこの三重括弧をつかった経緯としてある作品があるのですが、その作品も祖母の記憶を僕が受け継ぐ事によって三重括弧の中に祖母を受け入れ、結果的にその三重括弧は剥かれます。そういういみで、この三重括弧は僕にとっては確かに包茎そのものだったのではないかないかと、感想を読んで思わされました。 それから、そうですね、この詩には一箇所「。」が使われています。というかんじで、句読点の有無の話はそのとおりだと思いますし、僕も僕なりの意図で各種記号を使い分けています。特にこの詩は朗読を前提に作りましたので、「。」は特に重要だと思っています。それがうまく読み手の皆さんに機能していたらよかったのですが。 まりもさん レスありがとうございます。 >タイトル、これでいいのか?という疑問は、私も感じました。 >祖母/包茎 であれば、もう少し祖母と孫との関係性&対立性のようなものが明確に出るのかな、と思い・・・しかし、題名そのものが持つ、なんなんだこれは?的なオドロキ、は消えてしまう・・・。 この部分一回、/入れたのですが、結果的にぬいてしまいました。この話は僕の都合が入ってしまうので、省きたい話ではあるのですが、これを書いたときに向き合っていた卒論の作品に/が一杯出てくるんです。そこまで持って行ってしまうと、引っ張られすぎてしまうと思い、抜いたという経緯があります。ですので、まりもさんの推察というか提案が僕しかしらない事ですよね、そこに接近してきて大分ビビりました。まりもさんは本当に鋭いというか怖いです。なんでここまでわかるんだろう。 >自らの少年性であったり、俗にいう「青臭さ」、未熟さの象徴として・・・そういう意味合いを持たせた「包茎」であるのか、包む、という語の持つ意味合いを中心に置きたかったのか。 > >包む、ということであるなら、胞衣(えな)という語も選択枝の中に入って来るのではないか、と思ったり・・・タイトルの選択に、いまひとつ、必然性が汲み取れない。あえて耳目を引く言葉を持ってきたのではないか、と受け取られかねないワードであるがゆえに、幼さの象徴のような意味合いプラス包む、包まれること、という意味合いを重ねた選択であるなら、いささかあざとさが残るWord選択であるような気もします。難しい。 包茎には色々な意味合いがあると思っていて、故に多分タイトルとして置くには大味すぎたのかなと思いました。胞衣ですが、最近「シドニアの騎士」という漫画の中に出てきまして、地球外生命体のガウナを包んでいるというよりは構成している物質みたいな物が丁度胞衣というものでした。そういう事をもっと早くしっていれば、色々と脳内で紐付いて…ああ、知っていれば多分この詩はもっとたくさん変容させる事ができたかもしれないです。胞衣は僕の中で宿題になりそうです。多分数年かけて書いていくのではないかと今、直感的にかんじました。やっぱり物を書いていて思うのは、僕自身が語彙を持たなさすぎる事だという事を痛感しました。このタイトルにしたのは耳目を引くためというのも二次的な理由としてあるのですが、他に思いつかなかったというのは念頭にあります。そしてその念頭から抜け出せなかったというのがこの詩の限界を示しているように思います。 >「包茎」という言葉が、性と結びつく言葉であるのかどうか、そのあたりの感覚も、実はよくわからないのですね。比喩的に「処女地」と呼んだりする、これは完全に未踏の地の意味であるわけですが、女性にあなたは処女ですか、と尋ねれば、これは完全にセクハラとなる。そこも含めて「処女」という言葉は、男性中心主義の中で使われてきた用語であるから、未踏の、といった表現に変えるべき、というような人たちもいる、けれども(私は、そこまで「言葉狩」をすることを良しとしませんが)「童貞」とか「包茎」と言ったワードも、男性に対して用いる時にはセクハラとなる、と教わった記憶もあり・・・ということは、自らの未熟さを自虐的に提示した、という意味合いもあるのかな、と思ったり・・・(このあたり、感覚的なものでもあるので、実際のところ、よくわからないのです) > >性の快感が、性器の快感と言う局所的なものに限定されるのか、どうか。広い意味での「生」の快感へと「比喩」も含めて拡大されるとき、そこには乳幼児の時の母とのスキンシップであったり、本作における祖母とのスキンシップであったり・・・成人男女の間であっても、いわゆる包み、包まれる、という感覚、その感覚から生じる「安心感」であったり、「充実感」などの方が、実は重要なのではないか、とも思います。その意味で、本作ではこうした「生きる上での快感」について視点が向かっていて、とても良いと思いました。 > この点、色々かんがえたのですが、僕は処女という言葉あんまり使いたくなくて、それは僕が女ではないので、その感覚が分からないみたいな事があります。と同様の理由で、童貞はまずいのかもしれません。童貞がなんでいけないのか、みたいな事は多分もうすでに出尽くされた議論なのかなぁとも思います。あるいみ処女と童貞はコンプラに引っかかってしまう。という事を考えたとき、包茎というのはどうだろうかというのはちょっとだけ念頭においてありました。陰茎そのものと包茎の違いというのは、結構あるというか、包茎に纏わる思い出は僕の中に結構沢山あるので、なんというかこの返レスを書いて思わされるのは、僕は包茎についてエッセイ書きたいくらいの内容を持っている事に気がついた事です。 中々性をテーマにした詩というのは難しい物があるのと、他に優れた作品やもしくは議論があると思いますので、慎重に書いていくべきだともおもうのですが、故に失敗を恐れずに何度か形式を考えながらトライしてみたいと思います。 >疑問点ばかり書いてしまいましたが、ここからは、素晴らしい、と思ったことについて、書きますね。 > >保護されたい、という感情と、そこから激しく離脱したい、自立したい、という感情の葛藤が描かれているのではないか、という一般的な予測を、 >〈「お前の体が欲しい/お前になりたい/わたしがお前であったら~〉以降の連が、実に良い意味で裏切ってくれる。 >祖母が「人間」として持つ、自然の欲望、若さへの嫉妬、スキンシップ欲求。孫が「いけす」と感じる、自立への欲望、「飼われている」「世話をされている」ことに対する反発と、抱きしめられる、という直接的な行為から得る安心感、スキンシップを通じて得る快感、包まれる、という感覚。 > >魚のイメージで一貫して綴られることにより「冷血」のイメージも重なると同時に、系統発生的なイメージも重なり・・・瞳の奥に潜む「鱗」のイメージにも響き・・・重層的な比喩が浮かび上がって来る。メタファーが、しばしば「一対一対応」の意味の読み解き、いわゆる謎解きに陥ることが多々あるのだけれども、魚というメタファーが、実によい方向で多層化されている。 > >一気に、とぎれとぎれではあるけれども、ひといきに、吐き出すように発するフレーズ(一行で、句読点を打ちながら長く綴る)と、改行で余韻や言葉の間に含まれる時間をしめす、言葉の置き方も、と手も良いと思いました。 色々勉強になる事ばかりで、つまる所僕に返せる言葉がありません。いわゆる詩が謎解きであると揶揄される感覚、僕自身無い分けではないのですが、ではなぜ自分はそう思うのかよくわかりませんでしたが、一月の作品を通じて学んだ事ですが、僕は多分答えを提示する事は苦手なのですが、過程を、それは意味という形を取りながらなのかもしれないのですが、重なっているそのものの状態しか書けないという事には、なんというか上手く耽溺できたのかなみたいな感慨を、まりもさんのレスを読んでおもいました。重層的である事と葛藤そのものを=で結ぶ事は出来ないと思うのですが、それでも重なる部分はあるのだと思います。比喩の特性とは、論理的に詰めていけば重ならない二つ以上のモチーフの中から、特にその話題となるような主題を引っ張り出して重ねる事で共通点をより際立たせることだという記事を最近見かけて、なんとなく自分の中でくすぶっていた比喩との向き合い方が少しだけつかめたような気がしました。個人的には今換喩に漸く興味が湧いたというか、比喩に対する向き合い方も考えていくべきだなぁと思わされました。 >ついしん やはり、思い入れが強すぎる、というのか、最後の一行、要考ではないか、と思いました。 最後の一行については、色々考えました。平たく言ってしまえば祖母にまだまだべったりみたいなかんじなので、困ったものなんですが、どうしたらいいのかわかりませんでした。ずっと詩ってどうやって終わればいいのか悩んでいます。祖母を殺せばよかったのか、決別をいい渡せばよかったのか。なんなのかわかりません。という所からいつの日か抜け出せたらと思います。


社会   

百均@B-REVIEW ON/ 
作成日時 2018-01-11
コメント日時 2018-03-03

 

明日は雨上がりのまま いつまでもずぶ濡れで たちすくんでいるようだ 助けを求めている かわいそうな子犬みたいな そぶりをした語り手が 僕を形容している その気持ちは 僕からしたら形容しがたい 人と話すのが苦手だ おしゃべりがにがて いじられるのはすき たんじゅんな論理がすき だじゃれもすき ろんりーおんりー 虚空をたたくあめのにおい おと、かえでのはっぱ 名探偵にうまれればよかった そしたら こうかいなんて することもなかったのに あなたのひとみをみつめて 犯人ですよ、あなたは って 言えればよかったし 言えなければならない 社会よこんにちは 元気ですか? ぼくもげんきです


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まりも (2018-01-12):

一番最後のフレーズ、「魔女の宅急便」の「落ち込むこともあるけれど、私は元気です」(だったかな、そんな感じ)を思い出しました。似ているから駄目、ということではなく、ああ、この感情に通じるものがあるなあ、ということ、です。 冒頭に「~ようだ」「~みたいな」と「形容」が続くなあと思ったら、「そぶりをした語り手が/僕を形容している」次の連の言葉を借りれば、自分で自分を「いじって」いる、そんな諧謔味というのか、反転させる面白さを感じました。 二連目が少し弱いかな、と言う印象もありますが、三連目が軽めなのに面白い。犯人、この場合は、語り手を「こうかい」に追いやった張本人、そのことを言いたいのに言えないもどかしさ、のようなもの、を、うまく「形容」していると思います。 こうかい、は、後悔、航海、どちらも当てはまるような気がしました。二連目を引きずるなら後悔、三連目や四連目から推すと、比喩としての航海。公開、もあるのかな・・・。 犯人、は、人、ではなく、もの、や機会、も当てはまりそうです。誰かを、その「時と場」に追い込むきっかけ、となるもの。 題名、社会、でいいのか、どうか・・・私も、題名をつけるのが超絶苦手で、コメントするのも難しいのですが。なんとなく、社会、安易かな、という気はします。しかし、代替案・・・。思いつかない、今のところは。こうかい、とか?挨拶、なんていうのも、行けそう。

百均@B-REVIEW ON/ (2018-02-21):

まりもさん 返事が遅くなってしまい、大変申し訳ありません…ちょっと身辺が落ち着いてきましたのでゆっくり返していきたいと思っています。この詩は卒論の一次締め切りに間に合わなくて頭を下げまくった日にあった、飲み会の帰り道に勢いで書いた詩で多分書くのに十分もかかっていません。という所で、甘い部分滅茶苦茶あるとは思うのですが、その一方で普段忘れてしまっている素直な部分みたいなものが出ればいいなみたいな事も思っていました。 結果的に、読み返してみて、二連目は蛇足だったと思います。ある意味真面目にふざけて書いてしまったし、この作品のぜい肉になってしまったかなぁと思います。最後の締めについては、結論らしい結論が出ずに、投げ出してしまいました。魔女の宅急便も、思い返すと確かに念頭にあった感じもします。キキみたくなれればいいのかなぁというか、いま思うと、あの世界の魔女って(原作は未読ですが)社会の中に受け入れられた魔女なんだなぁと思うと、あれって魔女なのかなぁと思ったりもしなくないなぁと思いました。社会については、最近責任という虚構というポスモっぽい本を読んで、その中で読んだ事柄に割とこの作品縛られているのかなぁと思いました。確かにこのタイトル安直だと思うので、再考したいのですが、相変わらず再考する推敲するという過程が苦手です。コメント返すという過程を経ることで僕は漸く自分と向き合えているのかなと思いました。なんだかんだ一ヶ月考えて返せるコメントがこの程度の物で申し訳ないのですが、考えた事書かせて頂きました。 ありがとうございました。

あやめあやめ (2018-02-22):

わたしはこのような詩をどんなふうに読めばいいのかわかりません。寄り添うように読まなければならない詩というものでわたしは感動できないです。 あやめ

百均@B-REVIEW ON/ (2018-02-23):

あやめさん コメントありがとうございます。ついでですが、名前入力しておきました。 正直何も言い返せないですね。僕の中にはどこにもポエジーなんてものないので、外に求めてしまっています。僕は感動がないと生きてゆけません。これは感動が欲しくて、色々ないている詩なのかもしれません。色々普段忘れているつもりな事、コメント頂いて思い出しました。

藤 一紀 (2018-02-23):

こんにちは。 とても悩ませられました。いや、勝手に悩んだのかな。とある状況でなにかを感じる、この作品の場合だと《僕》が茫然と立ち尽くすよう感情に陥ってしまう、ところが、そう感じた途端に《僕》は語り手として背後に下がり、先ほどまでの自分を、そういう状況に置かれた物語の主人公のように対象化してしまう、一瞬の離れ技を見た気がして、フワッとしてしまいました。入り込んだと思いきやビュッと離れて、つい今し方までの《僕》をさえ、対象化してしまう醒めた目の存在といえばいいのか。 で、悩んだのは《語り手》という言葉で、この作品自体の語り手が存在すると仮定しているからこそ、私はその語り手の語りを読もうとするのですが、作品のににも《語り手》が登場してしまう。でも、作品の中に登場する《語り手》は、この作品の語り手ではない。 そして、この登場人物としての《語り手》は、悲壮ぶっていて、そのことを《僕》は見抜いてしまっている。ということを作品自体の語り手が語っている。という風に、ひとつは作品自体の語り手、それから登場人物としての《語り手》、そして《僕》とが頭の中で入れ替わり立ち替わりぐるぐるしたからでした。表にでてきたり、奥に引っ込んだり、そこからさらに距離をおいてひとつの構図をつくりあげていたり。まったくハラハラして、面白いです。 いったい何のコメントだって感じで自分でも思うのですが、この感じもいわく形容しがたいのです。

蛾兆ボルカ蛾兆ボルカ (2018-02-24):

主題的に魔女の宅急便に通じるものがあるのかも知れませんね。 ひとは何度も何度も成長します。 でもひとつのステージが終わるごとに、感慨はあるし、それをセンチメンタルに感受するか、ドライに眺めるか、雨の日に缶ジュースを飲むような内面的な経験とするか。 その反応の仕方もステージごとですね。 初々しさがこの詩の魅力だとすれば、二連は少し硬いかな。 地を出そうとして緊張してしまった感があります。そこが流れたらリズムが内向的な詩情を生んだのでは、と思いました。

蛾兆ボルカ蛾兆ボルカ (2018-02-24):

好きなところは、3連でした。 名探偵ではない自分。すなわち語り手でもなく、登場人物でもない自分。かと言って批評家でもない、作者が、ひとつの激情に耐えて、穏やかに立っているイメージでした。 社会は、そんなふうな個人でできてますし。

高町トビラ高町トビラ (2018-02-24):

社会=他人、他者、自分以外の人として読みました。 一連目は、自分に対して色々なことを言う人(語り手)がいて、そのことにもどかしさを感じていると読みました。 三連目は、個人的には、「あなた」のために何か出来ればよかったけど出来なかったという物悲しさと、これからは何かをしていくんだという心強さを感じました。 そういう読みの上で、自分だったら題は「あなたに」とかつけるかなと思いました。

るるりら (2018-02-26):

わたしは、二連目が 好きでした。とくに、かえでの はっぱと、言葉遊びが、好きでした。 ご自身のレスを拝読して この詩に 欠けているのは、酩酊の告白が ないことだと 思いました。 酔いどれの名詩に、李白の【月下独酌】がありますが、月と自身と自身の影の三者で 酒を飲む詩です。本作品にも 自己と他者の判別が曖昧な去来がみられて 興味深いです。 酔いどれ詩だったんかー。強きと弱きが いりまじるよねー。と、思いました。 詩で、酔拳を やるのも楽しいかもしれないなーと、思わせて いただけました。

百均@B-REVIEW ON/ (2018-03-03):

藤一紀さん レスありがとうございます。 こんにちはです。 >とても悩ませられました。いや、勝手に悩んだのかな。とある状況でなにかを感じる、この作品の場合だと《僕》が茫然と立ち尽くすよう感情に陥ってしまう、ところが、そう感じた途端に《僕》は語り手として背後に下がり、先ほどまでの自分を、そういう状況に置かれた物語の主人公のように対象化してしまう、一瞬の離れ技を見た気がして、フワッとしてしまいました。入り込んだと思いきやビュッと離れて、つい今し方までの《僕》をさえ、対象化してしまう醒めた目の存在といえばいいのか。 > >で、悩んだのは《語り手》という言葉で、この作品自体の語り手が存在すると仮定しているからこそ、私はその語り手の語りを読もうとするのですが、作品のににも《語り手》が登場してしまう。でも、作品の中に登場する《語り手》は、この作品の語り手ではない。 >そして、この登場人物としての《語り手》は、悲壮ぶっていて、そのことを《僕》は見抜いてしまっている。ということを作品自体の語り手が語っている。という風に、ひとつは作品自体の語り手、それから登場人物としての《語り手》、そして《僕》とが頭の中で入れ替わり立ち替わりぐるぐるしたからでした。表にでてきたり、奥に引っ込んだり、そこからさらに距離をおいてひとつの構図をつくりあげていたり。まったくハラハラして、面白いです。 > >いったい何のコメントだって感じで自分でも思うのですが、この感じもいわく形容しがたいのです。 なんとなく詩を書くときでもなんでもそうなのかもしれないのですが、僕は答えみたいな物を提示するのが苦手で、誰がどのような事を言っていて、言っている何かが幾重にもたくさんの人たちの間で絡まり合いながら、その中で一つの回答を出さなくてはいけないというところが苦手だという事しかいえない。ですから、それそのものを僕は書くしかなかったし、こういう事を書いてもしょうがないと普段はわりかし思っているところもあるのですけれども、でも今回は酒に酔った勢いもあって書いてしまいました。そのように読んでいただけたこと本当にうれしいです。 僕自身、ずっと視野を広く持ちたい、誰とでも仲良くなりたいしやって行きたいみたいな感じでやってきたところもあるんですけど、最近とレスをいただいたり、話したりして思ったのは、このような感じで視野を狭めて行った方がここに大したものはある意味定時できないんですけれども、何か書く動機みたいな物が見つけられるのかなと思いました。 丁寧なレスありがとうございました。 蛾兆ボルカさん レスありがとうございます。 >主題的に魔女の宅急便に通じるものがあるのかも知れませんね。 > >ひとは何度も何度も成長します。 >でもひとつのステージが終わるごとに、感慨はあるし、それをセンチメンタルに感受するか、ドライに眺めるか、雨の日に缶ジュースを飲むような内面的な経験とするか。 >その反応の仕方もステージごとですね。 この詩を書いたのは、ここには書いてない事なのですけれども、卒論の締切日でした。その日の夜にサークルみたいな奴の新年会があって、そこの帰り道で書いたものでした。つまり、僕自身本当に社会人としてこれから生きていく訳ですけれども、だからこそ社会というタイトルを最後につけてしまったのですが、なんで自分でつけたのかあんまりよくわかっていませんでした。ボルカさんのレスを読んで、多分自分はステージの境目煮立っているのだなぁと思わされました。僕もまたキキと同じボジションに漸く立てるというのか。 >初々しさがこの詩の魅力だとすれば、二連は少し硬いかな。 地を出そうとして緊張してしまった感があります。そこが流れたらリズムが内向的な詩情を生んだのでは、と思いました。 ここは、僕も書いていて思う節がありました。(自覚していた心の隙を明確に突かれて、なんというか伝わってしまうものだなと頭を下げています)その点勢いで飛ばして書いてしまったのですが、少し立ち止まって書いた方がいいのではないかとおもいました。まりもさんからの指摘もあり、この部分を書いてしまう自分の存在を心の中に留めておきたいと思います。 >好きなところは、3連でした。 > >名探偵ではない自分。すなわち語り手でもなく、登場人物でもない自分。かと言って批評家でもない、作者が、ひとつの激情に耐えて、穏やかに立っているイメージでした。 > >社会は、そんなふうな個人でできてますし。 ありがとうございます。語り手の話を1連目に入れたのに名探偵を入れた理由がわかったような気がしました。僕は名探偵になりたかったというか、なりたい。そして社会は名探偵みたいな個人たちが集まって成り立っているというのは、まさにそうだと思いました。僕の中にはたくさんの語り手がいて色々惑わされるし、惑わされる事自体は必要な行為だと思うのですが、名探偵でありたいなぁとやっぱり思ってしまいます。 考えさせられるレスありがとうございました。

百均@B-REVIEW ON/ (2018-03-03):

高町トビラさん レスありがとうございます。 >社会=他人、他者、自分以外の人として読みました。 >一連目は、自分に対して色々なことを言う人(語り手)がいて、そのことにもどかしさを感じていると読みました。 >三連目は、個人的には、「あなた」のために何か出来ればよかったけど出来なかったという物悲しさと、これからは何かをしていくんだという心強さを感じました。 >そういう読みの上で、自分だったら題は「あなたに」とかつけるかなと思いました。 なんというか、色々心の中の芯を突かれたコメントで参りました。僕は結局のところ心根の部分は自分本位な存在というのがあるんですが、それらを解消したいのと、自分本位な自分そのものが気持ち悪いみたいな感覚があって、色々頑張って他者を取り込もうとしてきた、みたいな感じがあります。これはある意味ここに書いてない事だと思うのですが、読み返すとモロに僕の内側に食い込んでくるなぁと思わされました。 この詩は、だから僕にとってはびーれびゅーに対する詩でもあるのかなと思わされました。僕、一年近くこの場に携わってますが、肝心な事はみんな他の発起人やキュレーターが尽力してくれたからできた事ばかりで、僕本当に何も返せてないなみたいに思うことばかりですが、それでも今回いただいたレスを返すところからもう一度社会を始めていけたらと思います。 色々気づかされるレスありがとうございました。 るるりらさん レスありがとうございます。 >わたしは、二連目が 好きでした。とくに、かえでの はっぱと、言葉遊びが、好きでした。 > >ご自身のレスを拝読して この詩に 欠けているのは、酩酊の告白が ないことだと 思いました。 >酔いどれの名詩に、李白の【月下独酌】がありますが、月と自身と自身の影の三者で 酒を飲む詩です。本作品にも 自己と他者の判別が曖昧な去来がみられて 興味深いです。 > >酔いどれ詩だったんかー。強きと弱きが いりまじるよねー。と、思いました。 > >詩で、酔拳を やるのも楽しいかもしれないなーと、思わせて いただけました。 素直になるほど、と思わされました。なんというか、酒飲みの詩とか酔拳の詩僕はあんまり信じてなかったんですが(多分僕なりのプライドもあって、自力で何もかけないのに酒に頼るとは何事だという感じだと思います)、この詩を書いてるるりらさんからレスを頂いて、また、自分がこの詩を書いたときの境遇を思い出して、この詩には欠けている事や、足らない事だらけだと思うのですが、今の僕にとっては必要な事が詰まっているのかなとおもう事ができるようになりました。言葉の緩急みたいな所は確かにというか僕はどうせやるなら全編パンチラインじゃないとあかんみたいに、極端に思っていたとおもうのですが、別にそうじゃなくてもいいんだよなという事を今更ながら、再認識しました。 示唆を含んだレスありがとうございました。

いかいかいかいか (2018-03-03):

いかいかです 全体的に音も描写も、単調で読ませることに関して非常に意識が、低いように感じられます 無理矢理惰性で書かれたのが手にとるようにわかり、逆にそれを悟らせるような技巧的な下地も無いのがわかります また、自らの苦悩や社会との自己のあり方をあまりにも、安易な形式に、還元しているような、描きかたは肯定的に語れるものではないでしょう

百均@B-REVIEW ON/ (2018-03-03):

いかいかさん レスありがとうございます。 なんというかコメントしてくださったのが申し訳ないですね・・・いや、なんというかそのままの通りですし、なんというかコメントに色々救われたというよりは掬い上げられたように思います。色々分かられてしまっているのが、恥ずかしいですね。反論も出来ない程にその通りだと思います。結果的に言ってしまえば、そうしたら読ませることが出来るのか分からないのですね、故に技術の付け方も分からないので毎回付け焼き刃で、それは結局惰性としか言い様のないものでしょう。なんというか、まぁ僕の周りには僕より優れている人一杯いますので、大分困っています。取りあえず、今返信出来る事は以上です。


私に※   

fiorina 
作成日時 2018-01-01
コメント日時 2018-03-01

 

手負いの獣は 森の秘沼にかえり 半身を漬けて 睡る ながい彷徨いの果てに 沼のある森を見つけたら たたかいが 怖れるに足りないことを知るだろう 月光と 深いふかい傷と だれにも知られない 孤独の森 おまえだけの傷の治し方が 何処かにある 野生よ          1999作・改稿 ※bレビュウ杯不参加作品です。


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まりも (2018-01-08):

最後に、野生よ、と呼びかけるところに、少し戸惑いを覚えました。 手負いの獣、野生の回復の力を秘めた森、森の魂のような沼。 野生の力の発露を、何らかの形で、文字によって顕在化することが出来たら、野性、という・・・抽象性の高い言葉、ある種の観念によって表現するのではなく、より筆者の心象に即した表現になるのではないかと思いました。 沼に浸る獣を遠目に見ているような視点で描いていますが、獣の体感を描く、獣を照らす月光の視点で描く、あるいは、痛みを抱えたものを呑み込む森(全体がひとつの生命体として)の鼓動が聞こえるような、森の意識が聞こえるような描き方をする・・・など、いろいろ、考えてはみたのですが・・・このままだと、獣を遠目に見ている景で満足してしまっている、そんな読後感というのか、もどかしさが残るような気がしました。

花緒 (2018-01-09):

手負いの獣は、森にかえるのだから、普段は森ではないところで暮らしているのでしょうか。森ではない、のだから、普段は、野生ではないところにいるのかもしれませんね。タイトル含めて、余白の部分に思いが及びます。わかりやすさとわかりにくさが同居していて、詩情のある作品だと思いました。

くつずり ゆうくつずり ゆう (2018-01-09):

野生よ、 と、広げられた腕のなかに飛び込んでいきたくなるような、包容力を感じました。

アラメルモアラメルモ (2018-01-09):

映像が浮かんできますね。ファンタジーに溢れた詩情性を感じてきます。欲を言えば、森の秘沼の箇所。フォンテーヌとかブルターニュの森だとか(ありきたりだ。笑)。あなたの好きなフランス~森、と名称で読みたかったです。

まあ (2018-01-09):

手負い、森、沼の描写がもっとあったらと思いました。 すらすら読めてしまってもったいなく思いました。

fiorina (2018-01-10):

*まりもさん、コメントありがとうございました。 >獣の体感を描く、獣を照らす月光の視点で描く、あるいは、 >痛みを抱えたものを呑み込む森(全体がひとつの生命体として)の鼓動が聞こえるような、 >森の意識が聞こえるような まさにこういうところを狙ったのですが、渦中にいるときの甘えというか、がでたのですね。 傷を治す場所でなく傷の治し方、というところに強く意識が働いていたような気がします。 「遠目に見ている景」として読むと、たしかにそうだなあと感じました。

fiorina (2018-01-10):

*花緒さん、コメントありがとうございました。 初稿の頃は都会にいて、ただ苦しいなと思いつつ書いた詩でしたが、治癒の方法としての沼や森や孤独があると感じ、 書いているうちにポロッと野生よ、という言葉が出て、なんか救われたような気がしました。 今読み返すと、短い割に重複が多いので悩みましたが、どれも削れませんでした。 詩情が少しでもあったとしたら、よかったです。

fiorina (2018-01-10):

*くつずり ゆうさん、コメントありがとうございました。 (祝・twitter連携、ということで、コメントを個々にさせていただきます。) お名前を拝見するたびに、不思議な感じにとらわれます。私には絶対思いつかないです。 多分以前のお名前を知っていると思うのですが、このふしぎ感をもうしばらく‥。 「野生よ」はどうして出てきたのかわからないように唐突に出てきたのですが、 まりもさんのコメント後に詩を読み返すと、全編野生のことしか書いてないですね(笑)。 そのことに気づいていませんでした。 呼び声のような感じに受け取っていただけて、よかったです。

fiorina (2018-01-10):

*アラメルモさん、コメントありがとうございました。 映像、ファンタジー、詩情。私の詩としてはアラメルモさんに評価していただけた方ですね。 ルールに則った酷評私は好きですので、よろしくお手柔らかにガンガンお願いします。 「森の秘沼」は、相当気に入っているところですが、全体として表現が硬いので、 固有名詞で、このよそよそしさを何とかできたかもしれませんね。 フランスの固有名詞は、この後うるさいほど出てきますので、お楽しみに~!

fiorina (2018-01-10):

*奇偶さん、コメントありがとうございました。 >手負い、森、沼の描写がもっとあったら ホントですね。 自作における物足りなさは、気づかないものですね。 この詩は、別の作品としてもう一度書いてみようと思います。 ありがとうございました。

杜 琴乃 (2018-01-10):

荘厳なファンタジーの序章のようで、私ももっと読みたいです。 月光と 深いふかい傷と だれにも知られない 孤独の森 ここの描写がとても好きです。美しい絵画を見ている気分になります。 別の作品でもう一度…と仰っているので、またどこかで読めたら嬉しいです。

田中修子 (2018-01-12):

この作品を拝読し、とても、不思議な感覚がしました。 「私へ」という、fiorinaさんがfiorinaさんに書かれたような題名の、1997年の作品でありながら、2017年の冬の田中修子という私の中にいた私へ、語りかけてくださったような感覚がしたからです。 くっきりと、森の風景が見えました。 私には、言葉少なだからこそ、見える、懐かしくてたまらないような風景でした。 誰かの中にある、底のもの、を拾って文字におこすことが、すぐれたものをかく人のすることである気がします。 それから、また、三か月ほど前でしょうか、なんとなくスマートフォンにメモして、あんまりにもう自分の中で書き尽くしたものだったので放置していた私の詩をふっと思い出したのです。そこには、fiorinaさんがこの詩で書かれた「森」に通じるかもしれない風景を、私もまた書いていました。 狼~首長竜らよ、までです。 fiorinaさんの中にある風景と、私の中にある風景に、トンネルや橋のようなものができて、すっと渡っていくような、そんな気分に勝手になりました。 返詩、ではないのですが……私もどーもすこし似たような風景を見ていた気がします、わーい!!(?) というお手紙のようなものでしょうか。 いつも、すてきな作品をありがとうございます。 「あなたという夜の母」 どすぐろいものが わたしをのみこんだ ひかりをくれ、と泣きながら あなたのため、と云いながら 可哀想であげた わたしを はは、というものに、すべてを そのころ わたしはまだほんとうに 笑っていた 光っていた あったかだった たたきこわされてこなごなになり 粉を練られて練りあがった土人形 その、腹の底 もうどすぐろい どうせなら わたしは冬の夜になりたい 狼の遠吠える 森の夜 枝にふりつもる 青い雪 月明り 星明り 乱反射して仄明るく 鏡の沼の底に泳ぐ 首長竜らよ ほろびはない 再生している それは、あなた わたしのうちにうずくまる ひんやりとした しずかな はは

fiorina (2018-01-14):

*杜 琴乃さん、ありがとうございます。 詩が、というより私の頭の中がファンタジーだったのか、 この頃は人生の中でも一番たくさん書いたものの、 どれもちゃんとしたものにはなりませんでした。 それらを拾いながら、少し長く書いてみたいと思っています。 おことば、励みになります。

fiorina (2018-01-14):

*田中修子さん、ありがとうございます~ 「あなたという夜の母」 森の夜の色、愛憎によって体感している温度が、眼に鮮やかです。 >それは、あなた >わたしのうちにうずくまる >ひんやりとした >しずかな はは 回復期にむかう終練の方に、むしろ静かな涙のあとを感じました。 >2017年の冬の田中修子という私の中にいた私へ、語りかけてくださったような感覚 思うのですが、「ワープ」とか「どこでもドア」という未来の夢みたいな現象は、魂レベルではもともと 実現されているのでしょうね。 修子さんにコメントをいただいて、魂が近いということもあるなと感じますが、 心にしろ体にしろ危機に瀕したときには、人間というより動物の仔に近くなるのではないか。 その際に訪れる、回復への最後の力が野生ではないかと思ったりします。 かつて苦しみの底にいたから動物であった経験。 そのときのことを、傷だらけの小さな生き物としてありありと記憶している。 同じ頃ともに月明かりの森にいたのかもしれませんね。 これは返詩になるかどうか‥。 修子さんの詩と同じ行がある、その頃書いた自虐的な詩を思い出しました。 (笑ってネ。)   *** 踊リカタデワカル キズノアリカニ マーマレード ミタイナ モウ毒ヌッテ アゲマショカ 月アカリ 星アカリ カナシイ瞳ノアカリ 麺麭ナンカ イラナイ モリノチイサナ イキモノヨ カナシミゴトゼンブ タベタゲル サメナイ夢 ミタコトナイノ?

fiorina (2018-01-14):

コメント修正です 回復期にむかう終練→回復期に向かう終連

みうら (2018-01-16):

これは、すみません、想像として不適切かもしれませんが、もののけ姫のイメージが浮かんできて、読んでいると、自分がもののけ姫にキスをするアシタカになった気持ちになりました。また、おまえだけの傷の治し方を私なりに想像しちゃったんですが、やっぱ好きな人に傷を舐めてもらう方法がいいのかなぁって思った次第です。

fiorina (2018-01-17):

*三浦さん、ありがとうございます。 「もののけ姫」はこの詩を書いた、もしくは「私」が森をさまよってた頃作られてたんですね! 検索したら、壮大な命と蘇りの物語で、傷ついた者のためにいつの世も森は待っている、 この頃観ていればどんなに救われたでしょう。 (タイトルに違和感があったのですが、このあとちゃんと観ます。) 私は子どもの頃、よく夕方から出かけて夜の山に入っていくことがありました。 心細いと懐かしいの半々で、どこまで行けるだろうとずんずん歩いて、 途中でくるりと踵を返すのですが、 帰り道は逆に怖さが押し寄せてきました。 そして気づいたら森に住んでいます。 myアシタカ?は今は遠くに住んでいますが、必要なときはやってきて、 にんげんができる治癒の方法を色々試みてくれます。 誰に教わることもなく傷を舐める、というのは、 森から離れたにんげんも動物も、いまだ森の力を秘めている現れでしょうか。 詩を読み合うことには、同じようなものがありますね。

緑川七十七 (2018-01-25):

「おまえだけの傷の治し方が/何処かにある」 この部分が、作者にとって「確かなこと」を書いている、と心にしみます。 語り手がその確信に至るためのイメージが、最初の連だと思います。 抽象的でコンパクトですが、むしろ、だからこそ語り手が必要なときに、何度でも立ち返ることができる心象風景なのだと思いました。 そのイメージが内側から立ち上がり、体感しているからこそ、 「野生よ」という呼びかけには語り手の内面にある生命の力、あるいは、他者の内面にある生命の力を発見し、これからも信じていく意思が表明されている。 強くてファンタジックで、この詩とっても好きです!

fiorina (2018-01-26):

*緑川七十七さん、ありがとうございます。 幸せな詩だ‥と、コメントを繰り返し読ませていただいています。 じつは最初、タイトルがあまりにもストレートだったので、 他の表現を探したのですが、これ以外にできませんでした。 その時のことを思い出しました。

田中修子 (2018-02-28):

笑ってしまいました! ふふー、こういう時期がfiorinaさんにも(きっと、みんな!)あったヨネ、と。 「あのね、私もこういうの書いたことあるの……」 「あっ、私も私も!」 月明かり星明かりの入り込む小さな部屋の、ランプの下で、かつての少女たちが、文芸部の同窓会をしているようです。 なんだか、懐かしくて、嬉しいなあ。

藤 一紀 (2018-03-01):

一枚の静謐な、抽象度の高い絵を思い浮かべました。イメージに満ちて、静かで、そのなかにも息づかいが聞えてくるようです。 最後の《野生よ》、ここが、余韻を残して、映像を再起させてくれます。


冬、いき   

弓巠 
作成日時 2018-01-07
コメント日時 2018-02-27

 

息、行き、生き、と ことばの影を 待ち人が数えていた 一つの影だけを もてたならよかった 冬の白い 歩道の一日に ただよっている と、いきがみえた 空きをたわませて あった その向こうにいきの影があった ほどけながら ただひとつのままに 溶けていった だからいきと影は同じだった あとには、ぼく だけが立ちすくんだ なぜあのときにやめなかったのだろう ただひとつのまま はじめて詩を書いたときに はじめて歌を聴いたときに ふれたときに 生まれたときに。 日がかわり、灯りがともり 影は何度もはがれ はがれていった 巡っていく 犬のような影 街のような影 人々のような影 伸びていく道のような、晴天のような影 たくさんの、ぼく、の影 の、ために ひとりだった そうしていきを体から 離した 日が溶かして いきは見えなく 影と同じになった 何度もはき、はいて 重ねたから 冬空は見えないいきであふれた 夜が暗いのは その影が見えるからと 思って、ここに、いる 待ち人のような影 そこに ぼく、が、それともその人が いないことだけが証していた 待ちつづけるぼくは はがれて いま、あるぼくが影なのか ないぼくが影なのか どちらともそうなのか わかりはしない だろう ただいる、ものたちは 冬の空に浸っている いきにまみれている 吸い、吸われながら 肺に何度も 影を巡らせていき すこしだけでも永い時、の 影をいき わからないなら いき、それでも、ひとつのまま


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まりも (2018-01-07):

いき、は息をする、生きる、とおそらく同根。息吹きに対するイメージと、プネウマのイメージが類似していることを思い起こすとき、何千年時を隔てていても、場所や民族を違えていても、生きるということに対する意識は、あまり相違ないのかもしれません。 面白いのは、あき、といき、が対比的に現れるところ。この場合の あき は、今まであったはずのもの、が、いなくなったあと、の空虚なのか。実体という確たるものが、あったはずの場所から消えて、そこには影が残る。今、ここにある時間を生きている実体が、そこにいたという記憶だけを残して、その場から消える(そして新しい場所を占める) 冬の白い息のとらえどころのなさと、無数の影の残存として体感されていく記憶の残存とが、イメージの中で連結しているように思われました。 疑問というより質問なのですが、影は、いつから、光を物体が遮ったときに現れるシルエットを意味するようになったのでしょう。 たまたま「かぐや姫」の話を聞いてきたのですが、天皇がかぐや姫の実体を見るシーンがある。ここで、かぐや姫は 影 になるのだけれど、それは月影の影、光の固まりとしての影と解すべきだという。光そのものであった影が、いつから、光と物体とが生み出す黒い影に変容したのか・・・少し作品とは脱線しますが。

弓巠 (2018-01-12):

まりもさん コメントありがとうございます。  息をすること、生きることの連動は、この詩において重要なものなのだ、と僕も思います。後付け的に言うならば、この詩における、生きること、は、複数の影を持ってしまうことであり、一方で、息というものは、一つの影だけを持ったままに、消えていく。本来同根なはずなのに矛盾している。  僕にとっては、こうした矛盾が大切なものに思えたのです。  あき、と、いきの対比、は半ば自然発生的に出てきたものでもあるのですが、やはり、息をする、という行為が、空にいきを放っていく、ということと繋がる、ために生まれたものなのだと思います。息、生きは、空きが、前提となっているからあるのかもしれないですね、、、  「かげ」の話について、少し調べてみたのですが、なかなか奥が深そうで、はっきりとはわかりませんでした。「かげ」の語を光の固まり、とする用法、また、物が光をさえぎることで作り出すシルエット、とする用法、双方ともに、万葉集において見られるそうです。ただ、国語辞典、古語辞典の用例の引かれている数を見ると、「光の固まり」としての用法の方が多かったように見受けられ、「シルエット」の意味で使われているものは、一つしかないみたいです。そこから時代が降り、源氏物語になると、双方の意味での用例が見られるようになる。その過程として、「かぐや姫」はあったのでしょうね。  こうした移行の延長として、「シルエット」の用法を一般的に捉える現在の傾向がある、と考えて良さそうです。角川古語辞典には、「かげ」の意味を四つに大別していて、①光源、②(光を受けて浮かび上がる)形、③シルエット、④光が当たらないところ、となっています。この四つの用法が、順々に現れたのだとしたら、個人的には納得がいくかな、と思っています。  光源から、光を受けるものとしての形、姿、そこから、光を受けて作り出されるシルエット、最終的に、光が全く当たっていない状態、巨大なシルエットとしての、光が当たらないところ、という移行、ですかね。  見ること、と光、の関係を昔の人たちが意識していたのだとすれば、面白いですね。例えば、景なんて言葉は、まさに光と見えるもの、風景の結びつきの上にできているように思えます。

緑川七十七 (2018-01-31):

「息が一つ」 おぼろげながら白く息が形をとる。そんな冬だからこそ語られるべき感慨ですね。すごい感受性。 対比して、ぼくはたくさんの影や待ち人の中に溶け込んで、一つが判別できなくなっている。 「ただいる」という在り方への憧れがあるのでしょうか。

百均@B-REVIEW ON/ (2018-01-31):

>息、行き、生き、と >ことばの影を >待ち人が数えていた 始まり方が弓巠さんの他の作品と良く似ているけれども、少しだけ違う。でもその違いが大きな意味を作品の中で持っている所に僕は実験しているなという感じを持ちます。 >犬のような影 >街のような影 >人々のような影 >伸びていく道のような、晴天のような影 >たくさんの、ぼく、の影 音が同じであるけれども意味の異なるおちう意味の、同根である語の交錯はされてきたと思うのですけれども、ここではそこに影を加える事によって、イメージすら一つの影の中に収斂させながら、混交している事に成功しています。ここが今まで違うような感じを覚えます。 ダジャレみたいな所がずらしていくという所で終わるのではなく、ずらしていくことによって最終的に一つの影に纏まってしまうという所が、面白いと思いました。最初は分解するつもりだったのに、最終的に一つになっていて、その媒介として影があるのかなぁという印象です。 どちらかというと、これは僕の勘ですが、弓巠さんの作品は解体していくイメージで捉えるような事が多かったように思いますが、今回は最終的に纏まっているという感じを覚えました。 以上が簡単な雑感で、後気になる点が沢山ありますが、やっぱり心の中でもやもやしているのが待ち人のイメージがなんじゃらほいという所で、もう少し考えて読みたいと思ってますが、時間がなく取りあえずこんな所で、一応終わりにしたいと思います。

弓巠 (2018-02-06):

緑川七十七さん  コメントありがとうございます。  すごい感受性、と言っていただけて、純粋に嬉しいです。ほんの少しだけ舞台裏を話すと、僕は小学校から高校を卒業するまでの間、冬に多く雪が降り積もる地方に住んでいたのですが、そういうあたりでは、冬の朝など光が強い時間には、自分の吐いた白い息の、影がぼんやりと、雪の上に見えるのです。もちろん、白い息がすぐに消えてしまうように、その影もすぐに消えてしまうのですが。  読み解いてくださったように、この詩では、幾重にも影を持ってしまうこと、が、ただ影を持つものであること、ただあること、(そしてそれに対する憧れ)に逆行していくように描いています。それでも、「いき」という限り、それは一つである、という矛盾も孕んでいるわけですが、、、  書き手として、こうした矛盾についてどう考えていこうか、と思っています。少し思うのが、自意識とか、自分をどう認識するか、とはまた別の自己のようなもの、そうしたものが、「ただいる」ことへの契機なんじゃないか、ということですね。

弓巠 (2018-02-15):

百均さん ご無沙汰してます。コメントありがとうございます。 僕の作品には解体していくような、拡散していくようなところがある、という点、どこかわかるような気がしています。浮遊、というか、遠のいていく感覚ですかね。そうした感覚は、割と詩を書くときに重視、というか無視できない、といった感じがしています。 この詩では、おっしゃる通りに、拡散と収斂が、同時に起こっている、というか、いき、という言葉の中に、それが篭っていく、という感覚ですね。そこには、一つの矛盾があって、けれど、ある意味で、融和的なものなのだ、と僕は思っています。 待ち人、というのが何なのか、という点。作者ながら無責任なことを言うと、この詩には、分裂が、時間と関係付けられて語られている。時間を生きていくこと、それが、自己を分裂させていくことである、となっていて、でも、待ち人、というのを待ち続ける、ということは、一人の存在に意識を収斂させていくことでもある、ということなのかな、と漠然と考えてみました。

原口昇平原口昇平 (2018-02-27):

名状しがたい感覚をおぼえます。伝えるための言葉というよりは、手ごたえを確かめるための言葉。それは社会性や共通の表現などから遠のいていきながら、しかしより生に迫っていくようです。ろくな批評が書けません。すみません。私はこういう詩がすきです。


投身自殺   

エイクピア 
作成日時 2018-01-30
コメント日時 2018-02-18

 

人でないものが居る庭で ひふみんゼロひふみんゼロと 唱えると降って来る雪に 頭にかぶさる小型犬を意識させられて ヒデー雪だと思う 骨壺を抱かされて 匂って来るポンジュースと共に アスファルトを行く 明らかに正しい泡がバブルとなって 日本経済を支配していた 実体に絶望してミッキーマウスのゴミ箱を 蹴り付けて長い川に 投身自殺する私があった


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みうら (2018-01-31):

投稿ありがとうございます。意味性をなくしながらも、ビジュアル化ツールとして言語を用いる。 詩が万華鏡であることを思い出しました。

エイクピアエイクピア (2018-02-01):

三浦⌘∂admin∂⌘果実さんコメントを有難う御座います。そうですね、北園克衛をイメージしたわけではないのですが、ちょっとそう言ったビジュアル化ツールとして言語を用いる見たいな事は考えたのかもしれません。詩の万華鏡、そう言った事もちらと思ったのかも知れません。

まりも (2018-02-03):

時事を軽妙に取り込んでいると思いきや、中盤から批評性の重力が増していく。 評論家Nの投身自殺が、日本の将来を予兆しているように感じているときだったので、響くものがありました。

エイクピアエイクピア (2018-02-18):

まりもさんレスを有難う御座います。ああ、時事と言えば、忸怩たる思いは、この詩の後に、北陸地方での豪雪ニュースを知ったことですね。彼の地はもともと豪雪地帯とは言え、37年ぶりの何とかと知りました、確か福井県で。そして西部邁ですね、結構ショッキングだと思いました。どう詩と繋がって来るのかわかりませんが、私は詩に繋がると思いました。


今も沖には未来あり   

エイクピア 
作成日時 2018-01-31
コメント日時 2018-02-18

 

女の位置がおかしいと思うから 水を撒くから頭脳が愛おしかった 必死に衣装に目を縫い付けて 今朝の格子縞のドアとスリッパは 波をかぶっていた 習字道具の匂いは消えて カシューナッツを山ほど食べる ウェイクアップウェイクアップで 目覚めるまでが明らかに人で 目覚めてからや沖に 未來があると思う人は 人でないような気がして来た (海に用事がある人へ捧ぐ)


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みうら (2018-02-01):

毎度投稿有難う御座います。 デジタルユニバースと 声の大きさを競うハイネケンの広告塔が すべり台で砂を被る頃 泡の生い立ちと刃物職人の妻たちの犯す海域が 誤りで歩いて来た道が誤りであるはずだ 消し去られてしまうから 女の位置を解析しよう 砂浜の頭脳が溶けてしまうモンキー すみません、本作に影響を受けて、自分で即興でやってみたのですが、 不発に終わってしまいました。海には用事がない人種に隔離されたようです。 失礼しました。

花緒 (2018-02-01):

安定のエイクピア節ですね。1月もラストゲトーありがとうございます。12月の大晦日でさえラストゲトー頂いていたので、今月も期待しておりました。本作、一行目のパンチ力が良いですね。他方、今作、これまでの作より、やや意味が掴みにくい。私には、よく分からない感が強い作品でもあります。

エイクピアエイクピア (2018-02-01):

三浦⌘∂admin∂⌘果実さんコメントを有難う御座います。そうですね、即興的な側面、「女の位置の解析」こういった部分が印象的でした。「女の位置」は現実の女性とは無関係に表現したかったのですが、やはりプレッシャーはありました。「砂浜の頭脳が溶けて」も頂きたいフレーズですね。

エイクピアエイクピア (2018-02-01):

花緒@B-REVIEWさんコメントを有難う御座います。ああ、一行目、ここは自分でも思い入れのあるところでした。そうですね、意味からの離脱ではないですが、でも意味には強い執着を持ちたいと思い、「浜木綿や今も沖には未来あり 中村草田男」と言う引用を入れました。彼の俳句には結構親和性を感じることがありました。

完備 (2018-02-01):

「女の位置がおかしいと思うから」という一行を書きえたことにまず、敬意を払います。手癖で書いているのか、「本気」なのか、両方か、あるいはどちらでもないか、エイクピアさんの作品は私には判断しかねるところですが、言葉の使い方が非常に好みです。毎回、同じことしか言っておらず申し訳ないです。

グーグルグル夫グーグルグル夫 (2018-02-03):

一行目から位置がおかしいし、埃が立たないようにか、もてなしの気だてか、花に水をやる裁縫を楽しんだ素敵な女性を想像しました。 習字道具のにおいとカシューナッツを山ほど口の中に入れた食感からウェイクアップの流れは成長の過程が端的に表現されているかのごとくでした。 最後は超人の話のように思えて、ぐんっ、ぐんっ、ぐんっ、というのが二段階できたみたいになってとても面白かったです。

エイクピアエイクピア (2018-02-18):

完備さんレスを有難う御座います。女の位置のおかしさは逆に女性の安易な特権化、雛壇へ飾ろうと言う意図が透けて見えたりして、再逆転で、却って女を貶めている、と、とれるかもしれません。結局二転三転した挙句、最初の「おかしさ」に再帰して来る、そんな感じを憂えました。でもそんな意図は無いし、そうですね、「本気」かと問われれば、詩の言葉に対して私は本気ですが、そこはかとないユーモアがあればいいと思いました。

エイクピアエイクピア (2018-02-18):

グーグルグル夫さんレスを有難う御座います。そうですね、気立ての良い女性、素敵な女性、そんな風に取って頂けたら、この詩も引き立つと思いました。成長の過程ですか。期せずしてと言う側面はあるかもしれませんが、そのような詩内容が紡げて居れば最上だと思います。最後は超人の話ではないのですが、超人的な、そうですね、超人を当てはめると、何か再び詩の有機体動き出す様で、いいと思いました。


白い固定電話   

stereotype2085 
作成日時 2018-01-21
コメント日時 2018-02-17

 

作業机の上に白い固定電話が置いてある その滑らかなフォルム 丸みを帯びた姿態に僕は見惚れる 1の隣に2が並び 3の下には6が置かれる という完璧なデザイン 機能性を重視した そのクリエイティヴィティに僕は感服さえする 音量調節のボタンもほどよい場所にある 固定電話の万能性の前に 僕はひれ伏すばかりだ この美しさの秘密に みなは気づいているのだろうか もし気づいているのならば 僕は敗北するはずだ 僕は視覚的要素だけでなく その機能面にも注目してみる 何と驚くべきことに ワンタッチダイヤルというものがあるのだ これはスマホの「連絡先登録」に先駆けたものと見てほぼ間違いない この固定電話の奥深い魅力 称えるべき底力を目にしては 大抵の家電製品はかすんでしまう もし僕が固定電話の有能さに気づいていたとしたら 今頃僕は巨富を築いていたことだろう だが今は固定電話は驚異的な数値を示すほど 各家庭に普及しているらしい 僕に先見の明がなかったことを嘆くしかない 多くの人がこの固定電話の汎用性に気づかずに もしくは当たり前のものとして看過していることが 僕のせめてのもの慰み 救いだろう 作業机の上に白い固定電話が置かれている 5の下には8が配置 という完璧なデザイン この固定電話のパーフェクトな作りについて語り尽くすことが出来れば 僕のジェラシーも少しは払拭できるかもしれない 僕は今から固定電話について夜通し語り尽くすつもりだ だがちょっと待って 今大切な人から電話がかかってきた この詩の続きはまたあとで 付き合ってくれてありがとう 今日も夜は寒いよ 温めて眠って 風邪をひかないようにね それじゃあまた


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沙一 (2018-01-21):

「白い」ということが、いかにもオフィスの備品を思わせています。デスク、ワイシャツ、営業車… 電話をかけてきた「大切な人」は、家族や友人の類ではなさそうですね。 職場の固定電話という無機質な題材を扱っているわりに、語りは熱っぽく、最後は人情味ある気遣いまでされており、対比に可笑しみがあると感じました。

みうら (2018-01-21):

投稿ありがとうございます。なんといいますか、固定電話についての語り、この口調、イメージしてしまったというか、思い出してしまいました。トムとジェリーの真ん中の話でよくあった、解説者の語りを。あのトムのジェリーの真ん中の話ではよく、文明を皮肉るような内容がよくあったのですが、その文明を皮肉る話には必ず、飄々とした、まさに本作の口調で説明するアナウンスが入ってました。 あれは警鐘を鳴らしてる意味はなく、たんに皮肉って笑いをとるアメリカンジョークなわけなんですが、本作「白い固定電話」には、皮肉ではない、「こんな風な固定電話、みなさんも知ってるっしょ?」的な、固定電話の存在意義を表現するためのいかにも固定電話らしい凡々な語りとして読める。良いか悪いかはわからないのですが、それも固定電話ですから、しょうがないかもしれません。 それじゃあまた。

stereotype2085 (2018-01-27):

沙一さん、コメントありがとうございます。返信遅れました。 対比に可笑しみがあると言っていただけて嬉しいです。この詩はある種のユーモアを交えながら書いたので、そのような感想をいただけて、届く人には届いたんだな、と思っています。「大切な人は友人や家族の類」ではない。その通りです。この詩は「だがちょっと待って」以降のパートのために仕上がったような作品ですので、大切な人は「恋人」と考えて間違いなさそうです。何か一つのことに熱中し、夢中になる余り、大切なことを忘れてしまわないで、というメッセージがこの詩には込められてもいます。綺麗だと思いませんか? 恋人からの電話で話を打ち切り、聞き手の体を気遣うなんて。とてもいい締めくくりだったと思います。閲覧ありがとうございました。

stereotype2085 (2018-01-27):

三浦さんコメントありがとうございます。 固定電話らしい凡々な語りとして読める。その通りです。この詩において大切なのは、「だがちょっと待って」以降のパートであり、その切り替えの美しさと面白味でもあるので。トムとジェリーのナレーションについて僕は残念ながら覚えていません。あの作品において文明批判がシニカルに入っていたとは。とても面白そうですね。今度機会があれば、観てみたいと思います。閲覧ありがとうございました。

百均@B-REVIEW ON/ (2018-02-02):

この詩はコメントが難しいですね。僕は長らく固定電話使っていないので、あんまり固定電話を美しいと言う観点から見たことがなかったので、あんまりよくわかんない感情でこの詩を読んでます。色々レス書いてみたのですが(例えば、いやいやスマフォの方がいいぞみたいな反論とか、数字の配列は本当に美しいのかとか)結局の所僕は携帯電話使うようになったのは高校生からなんですが、それから本当に固定電話使ってないなぁというのと、固定電話を使った記憶が殆どないし、使う時は無駄に緊張してたなぁみたいな感じです。固定電話によって他者と繋がるという感じは、やっぱり独特なのかもしれないなぁと思いました。つまり僕は固定電話の事全然考えた事なかったのですよね。 最後の切られ方も、読み手側が反論しようとしたらもう話は済んだというか、読み手よりも大事な相手と話しをする法が大事みたいな感じの切られ方で、本作の語り手が今とは違う位相空間にいるみたいな感じで、軽い断絶を感じました。僕はまだ学生なので、社会に出たら多分電話応対とかするようになると思うんですが、なんとなく億劫だなぁとも読んでて思いました。

stereotype2085 (2018-02-17):

百均様 コメントありがとうございます。長らくこのコメを放置していたのは理由がありまして。どう返していいのかわからない、というのが正直なところでした。 語り手に軽い断絶を感じる。というのは、実はですね。この詩は前半部分は比較的どうでもいいのです。詩にメッセージ性はいらない、という考えをユーモラスに、ギャグにしてみようと思いまして、この前半部分が出来上がりました。だから固定電話についての描写が凡々なのは当たり前なのです。固定電話を鑑賞する様を、さらに一つの鑑賞物(詩)に仕上げようとしただけなのだから、凡々になるのも致しかたなし。この詩において大切なのは最後のメッセージなのです。柔らかく、人あたりよく、聞き手、読み手を労わり、あなたも大切な人を大切にしてね、と仄めかしている。この美しさがこの詩の肝であり、全体のコンセプトを支えるものです。この詩の構成、コンセプト、面白味を少しでも分かっていただけるなら幸いです。 閲覧とコメ、まことにありがとうございました。長文失礼しました。


愛してる。   

miyastorage 
作成日時 2018-01-18
コメント日時 2018-02-16

 

どろんと星が落ちる それだけことのために、 出窓は燃えてしまった 糸車を回して、 虹彩に 宿る色を紡いで、 紡錘の虹を垂らして あなたから、 わたしに通じる、 枯れ花の順路を触診して、 消炭の刻印を指先に残しておきたい 木綿の宇宙服で渡る 星間距離を、 描線がにじみ、 混じりあうまで寄せ合った 鼻先で確かめたい 愛してる。 出窓が燃えている、 そのような平日の真昼に、 みな、文庫本を手に、木靴で 砂地へ、 薄緑の蝶の群れを、 まだ新しい表紙ではらって、 背表紙は守って、 虹色の稜線を、 鱗粉が焼いた出窓の、 煤まみれの木枠が 切り取った風景に、 解いていく それはまだ手折られない 背表紙にとまる蝶たちの、 堅い靴底に破砕された 羽音 の裡に、 暮れては明け、 虹は千切れ、 目を瞑れば、 燃える、 乾いた指先が、 わたしの頬に、 零度の熱傷を残して、 砂上の 丸めた文庫本が、 ばね仕掛けのように跳ね、 混じりあう、 そして眠りにつく 頤から耳にかかる、 航跡、 消炭色に、 ふたたび明けるなら、 燃え落ちる、 原初の星が、 もう誰にも手折られない、 一糸まとわぬ、 ひとすじの一頁をたずさえ、 わたしは、今夜も、 出窓に頬杖をついて、 往診を待つ


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みうら (2018-01-22):

投稿ありがとうございます。始まりの一節がとても惹くものがあり、好ましい作風でした。宇宙が砂つぶよりも小さな星々だというミクロな宇宙観も感じられる良い作品ではないかと思った次第です。

miyastoragemiyastorage (2018-01-23):

読んでいただきありがとうございます。 この作品に限らず、僕の作品は何も言っていないようなものですが、そのようにとらえていただけたのは 望外でした。

ロ三 (2018-01-24):

好きな感じです。二字熟語をほかの言い方に変えてちょっと減らしてパクりたい(だめ)と感じました。

もなかもなか (2018-01-24):

ネット詩において、とても古いスタイルの作風ですがなんだか安心しますね。 松本圭二を彷彿とさせる筆致です(異論は認めます笑)。行替えによる叙情が(個人的に)些か鼻につきますので(ポエジーの自動化)、散文化されたものを読みたく思いました。 楽しい読書経験でした。

miyastoragemiyastorage (2018-01-24):

読んでいただきありがとうございます。 ロ三さん 何かを書くと、おそらくほとんどの場合、過去に誰かによって書かれたものに行き当たるのだろうかと、 最近そんな気がしています。書くことは、ほぼもれなく誰かの剽窃に当たるのでは?ゾッとしますね。 もなかさん 「ポエジーの自動化」、素晴らしく言い得て妙だと思いました。一つ裏話を許していただくと、この作品、 元は散文詩だったんですよ。改行によりポエジーの誕生を狙う。そういういやらしい作者の手技が丸見えで 見苦しいですね。

アラメルモアラメルモ (2018-01-25):

木綿の宇宙服で渡る。なんてあり得ない事柄を。愛してる。 これは文庫本の中に読み取る世界観への憧れ。架空な愛を可能にしたいという欲求の表れ。この愛に向かう長い独白が意味するもの。それは物語のような世界観を成就してみたい、という願望のようなものでしょうか。

miyastoragemiyastorage (2018-01-26):

アラメルモさん 読んでいただきありがとうございます。 物語めいた世界観を成就したいなら、散文形式の方が自分には容易だったかもしれません。一行がきりきりと立った行分け詩に憧れがあるんですが、僕の技量では難しいみたいです。愛してる。と伝える方がなんぼか容易でした。

百均@B-REVIEW ON/ (2018-02-12):

アラメルモさんの感想で漸く入れた感じで、難しい詩でした。愛してるってなんだろう。そもそも愛ってなんだろうみたいなのは、僕には分かりません。愛してる。という事は愛されているかも、されてないかもしれないけれども、自分はその対象を愛している。という宣言なのかもしれないと思いながら、では何を愛しているのか、みたいな所で読んで行くと、一箇所だけ愛してるが出てくる所があります。 >あなたから、 >わたしに通じる、 >枯れ花の順路を触診して、 >消炭の刻印を指先に残しておきたい >木綿の宇宙服で渡る >星間距離を、 >描線がにじみ、 >混じりあうまで寄せ合った >鼻先で確かめたい >愛してる。  読む読むと、鼻先で「愛してる。」を確かめようとしているんだなぁと思いました。そこから僕なりに作品が読めるようになりました。鼻先をくっつける事で愛しているを確かめようとするというのは、色々ギリギリな感じがしました。なんというか。抱き合うでもなく、唇を交わすでもなく、鼻先をくっつけ合うだけとうのは、愛している事を確かめる行為として見た時に、ギリギリなんじゃないのかなと思います。  愛してるまでの部分、個人的に言及出来ない程濃密で、レスしにくいです。ここら辺僕の勉強不足で困った部分があるのですが、全体的に換喩的な感じがします。とか適当な事言ってしまいますが、以下僕がこのように読みましたという読書の痕跡を残しておきます。 >どろんと星が落ちる 星は恋のイメージです。多分、突然何かしらの恋に落ちてしまうのかなと。星が落ちてしまうほど、何かしらショックな事があったという事だとも思います。 >それだけことのために、 >出窓は燃えてしまった 出窓のイメージは、この作品のキーになっています。出窓はおそらく誰かに会うための場所でありますし、そこで本を読む場所でもあります。糸車を回す場所でもあります多分出窓の月明かりに照らされながら、糸車を引いたり、本を読んだりするための場所なのかなと。 >糸車を回して、 >虹彩に >宿る色を紡いで、 >紡錘の虹を垂らして >あなたから、 >わたしに通じる、 >枯れ花の順路を触診して、 >消炭の刻印を指先に残しておきたい >木綿の宇宙服で渡る >星間距離を、 >描線がにじみ、 >混じりあうまで寄せ合った >鼻先で確かめたい >愛してる。 ここがなんとも絶品で、ここでは「糸」を滅茶苦茶有効活用していると思います。言及出来ない程濃密です。糸車を回す所から日々の生活の繰り返しのイメージ。木綿の宇宙服のイメージ。そこに虹彩のイメージを絡ませる事で、あなたとわたしの視「線」のイメージ、そこから転じて虹のイメージから光りの織物としての虹のイメージ。それらを紡錘として下に垂らすイメージから、枯れ花の茎のイメージにも重なります重なります。最終的に星間「距離」の概念まで拡張されます。 なんとも言えないのが、そうやって色々糸の概念を展開させながらも、その描線は混じり合い消えてしまう所。丁度ブラックコーヒーに垂らした、渦巻き状の白いミルクの線をスプーンでかき混ぜた結果茶色になってしまうような感じがして、それまで比較的まっすぐだった線を、織り込んできた線が曲がってしまう所に、僕は愛を感じました。 恋のイメージは赤い糸で喩えられる事が多いのかなぁと思いますが。なんでなのかなぁと思います。でもここではその糸を頑張ってたぐり寄せて、鼻をくっつけようとしていて、そのために多分色々なイメージを総動員しているのかなと思います。一生懸命薔薇の花束を贈ろうとしている。というのか。 でも、そこで始まりとして提示された出窓が燃えてしまっている所に戻るんですね。ここが謎といえば謎で、なぜ出窓が燃えてしまうのかというのは、この詩のある意味大きな謎なのかなと思います。此処の部分他の人の読み、というよりはここでは直感でもいいので、見てみたいですね。多分受け取り方によってはもの凄く変容すると思います。僕は出窓が燃えるイメージというのを上手く言語化出来ないのですが、直感的に多分出窓は燃えちゃいけないのかなと思うんですけど、燃えてしまったという所が、愛してる。なのかなと。後は鼻先をくっつけた場所も多分出窓だと思います。でもキスとかしなかった。鼻先をくっつけあっただけで、愛している。その対象はどこか遠い宇宙に行ってしまったので、燃えてしまったのかなと。もう二度と会うことは出来ない。燃えてしまった出窓のある場所に寄りつく物はないからです。 ここから文庫本の話がでてきて、糸のイメージに多分紙のイメージと言葉のイメージが加わり、ここから第二連という感じがします。そこからの話としてはアラメルモさんの評が端的に示しているような気がするので、僕からは特段言う必要もないような気もします。後は最後に気になったのは、往診のイメージと触診のイメージについてで、語り手は多分治療されたがっているのか、もしくはしたがっているのかなみたいな事です。 最後の部分を見ると、最後の出窓は多分燃えていないような気がします。原始の星にまた戻っているのかなぁと思いました。雑な感想で申し訳ないのですが、もうちょっと他の方のレスも見たいという事で上げさせていただきます。

miyastoragemiyastorage (2018-02-15):

百均さん 読んでいただきありがとうございます。 どろんと落ちる星って、昔、短歌を作っていたら出てきたフレーズでした。お先にどろんします、ってリバイバルしてるみたいですけど、本当にそんなこと言ってたのかな、当時は。 それで最初は散文詩で書いて、愛してる。というフレーズを埋没させることで処理しようと試みたりしていましたが、あえて行分けにしてみることで得られるものはなんだろうと。しかし色々難しいな、正直中途半端な作品だなと思いながら投稿の場をお借りしたものの、色々な意見をいただき、本当にありがたい。 往診は話者か、もしくは愛してる。対象かがやってくるイメージかもしれないし、触診はもしかすると行為のイメージかもしれません。マービン・ゲイのSexual Healing的な。 出窓はなぜ燃えたのか?出窓って採光面積は広いけど、雨戸をつけられないし、広い分だけ放熱面積も広くなるわけで一長一短らしいですね。でも出窓で頬杖ついてるイメージって好きなんです。できれば平日の午前10時半頃、かすかに掃除機の音も聞こえる郊外、通り過ぎる自転車やベビーカー。安寧のフルセットみたいなイメージの中に、ひらく薔薇色の傷口みたいな出窓。それで窓越しに、確かめ合う。でも燃えてるんだから、それは死のイメージを内包しているかもしれない。でも、死は安寧のイメージも内包しているかもしれない。僕は熾火の方が好きだから、畢竟この作品に現れるようなフレーズを選択するのだろうと思います。焼けて、まだ燻っている出窓で、内と外から語り合う。鼻先で確かめ合う。内は此岸で、外は彼岸。やってきた人の腐れた身体から、やがて実さえ付けるであろう花が芽吹き、そのまま花畑になるような。そういうものも、描きたいのかもしれません。

5or6(ゴロちゃん。) (2018-02-16):

美しい文だと思います。 上手く言葉を削いで結晶化を図った感がしました。

miyastoragemiyastorage (2018-02-16):

5or6さん 読んでいただきありがとうございます。 できれば置物のようでも、静物のようでもある作品を書きたいと思ってます。だからそのご意見、 ありがたく受け取ります。


ワタシのきもち (エルサポエム)   

渡辺八畳@祝儀敷 
作成日時 2018-01-31
コメント日時 2018-02-16

 

いつまでもいっしょにいたいって わがままかもしれないけれど でも心の底からそうおもってるの 運命の人に出会えたシアワセ それをずっと抱きしめていたい キミをすきになればなるほど キミをおもうワタシのきもちは増えていって 「あいしているよ」って キミがいってくれるだけで ワタシのしあわせが積もっていく キミとLINEしてると キミをすぐ近くに感じて 返信を待つもどかしさや 手術台の上で潰される無花果まで とっても愛おしく思えてくる キミと手をつなぐとき ミシンの剛腕は盲目と果てた犬を覆し こころがあったっかくなる 裏切り者の天秤は日光の咎を捏造した この時間が永遠につづいてほしいなって サヨナラしてすぐにキミと逢いたくなる 液晶は恥じらうこと無く媚態を晒し コウモリ傘は石綿へと変貌する 電子の予知までもが屠られてしまった 恋ってこういうことなんだね 無線機が粗暴な計画を公表する度に 連峰が乾いた怒号を放つが 白い土壁に絡まった蜘蛛の死骸が 忘れられた瀧だとは誰も気づかない ずっとずっとダイスキだよ! 腐乱した聖書がそこらじゅうに落ちている 四肢の生えた拡声器はまったく憚らない 老婆は稀薄になりながら彷徨うばかりだ 注意すべき大気なぞもはや存在しない 病原菌は固化した葉脈を駆け巡っていく


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渡辺八畳@祝儀敷 (2018-01-31):

詩にのめり込み過ぎて現在人生設計が狂ってしまっているのでしばらく投稿はお休みしようと思っていたのだが、時事ネタができたのでこれは投稿する。こういうのは鮮度が命だし。 http://milfile.jp/poimis/view/35952

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-01-31):

爆撃先追加 http://bbs6.sekkaku.net/bbs/sae2485o/ http://kamin.mints.ne.jp/door/mts.cgi?mode=viewno=1id=hachijo http://poems.hac.or.jp/poems/view/183108 あと万が一消されたときのために魚拓もとった https://megalodon.jp/2018-0131-0230-12/milfile.jp/poimis/view/35952 https://megalodon.jp/2018-0131-0311-44/bbs6.sekkaku.net/bbs/sae2485o/ https://megalodon.jp/2018-0131-0315-18/kamin.mints.ne.jp/door/mts.cgi?mode=viewno=1id=hachijo https://megalodon.jp/2018-0131-0321-45/poems.hac.or.jp/poems/view/183108

エイクピアエイクピア (2018-01-31):

やはりシュールレアリスムと言うのか発掘されたロートレモン伯爵の「手術台の上のミシンと蝙蝠傘」が想起されました。この詩自体はそう言うものとは関係がないのかもしれませんが、やはり引用されて居る様に感じられ、溶け込んでいると思いました。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-01-31):

エイクピアさん 伯爵は意識しました。隠喩というものを説明するにあたりあの一文が一番代表的な例となるんじゃあないかと。多分異論はそんなないかと思います。なのでアイコン的に引用しました。 いわゆるポエムといわゆる現代詩の大きな違いは比喩、とくに隠喩の有無だと考えています。てかやっぱ隠喩って文章表現の中でも突出して特異な表現方法だと思うんですね。だからそれに慣れていない人にとってはノイズか、さらには不快の元にもなるんじゃないかと。 (じゃあ現代詩の読者のすべてが隠喩を求めているのかってなるとそうではではないですが)、ポエムの享受者のほぼ全くは隠喩表現を求めていないでしょうね。そうなると、詩が不快の元にもなれるんじゃないかと、そういった実験でもあります。 この詩における表現が普通の詩作行為内のものでなくそういった意図あってのものとわかってもらうためにの手術台、ミシン、コウモリ傘の引用です。 いやでもこれ書くのは意外に大変だった。ポエムの文体は普段書いていないからいざ真似しようとすると難しい。多分これでもまだ現代詩の硬さが残っている。その一方でエルサゲートならぬエルサポエムな隠喩パートもキツイ。私ってそんな隠喩やる人じゃないし。ここを書くにあたっては、私が思う一番隠喩だらけの現代詩人の本を片手に持ち参考にしながら書きました。

みうら (2018-01-31):

投稿ありがとうございます。カジュアルな作風があって、そこから生まれる詩的なるものがあるとしたら、それはラインのチャットフォルムなんだろうなあと、思いました。で、情緒的なものが、ポエジーと誤認識され、そのうち「感情」という言葉の意味合いがポエジーに代わっていくんじゃないかと、ふと思いました。今作でいえば、 ずっとずっとダイスキだよ! の「!」がポエジーなんだと。近未来にAIから生まれる詩がビックリマークだらけになっていたら、なんか愉快なことですね。あ、いや、そういう作品って今でも時々投稿されていますね。失礼しました。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-02-02):

三浦さん 先にこの詩の制作意図を書いてしまうとですね。 ↓ https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/389665/ (魚拓 https://megalodon.jp/2018-0128-1839-20/https://www.nishinippon.co.jp:443/nnp/national/article/389665/) 「インターネットの動画サイトで子どもにアニメを見せていたら、いきなり残酷な内容に-。子育て中の親の間で、そうした悪質な動画が問題化している。(中略)ディズニーの人気キャラクターに似たキャラが映る画面をクリックすると、10分半の動画が始まった。最初こそキャラクターが絵を描いているが、排せつ行為や木から転落して流血、女性が挑発的に誘惑する場面が出てくる。 こうした動画は「エルサゲート」と呼ばれている。有名アニメ映画「アナと雪の女王」のヒロインの名と、政治スキャンダルを呼ぶ際に使われる英語の接尾語を合わせた造語だ。」 最近話題のこの「エルサゲート」を詩でできないかっていうのがきっかけです。 いわゆるポエムといわゆる現代詩の大きな違いは比喩、とくに隠喩の有無だと考えています。文章表現のなかでも隠喩は突出して得意な表現方法でしょう。だからそれに慣れていない人やそれを求めていない人にとって隠喩はノイズか、さらには不快の元にもなり得るのではないかと。 ポエムの享受者のほぼ全員が隠喩表現を求めていないのでは。そういった層に向けて不可抗力的に隠喩を見せつけるのがこの詩。釣り動画ならぬ釣りポエム。 ァタシたちのポエムだ...ゃっぱイイょね...と思って読んでいたらガチガチな隠喩表現がだんだんと侵食してくる。「不適切なポエム読者向け詩」、エルサポエムだ。エルサゲートと違うのは広告収入が得られないところだけ。 。。。。。。。。。。。。。。。 上記のコメントでのURLはポエム系な詩の投稿サイトにこの詩を投下した先です。一部サイトでは少し工作して週間ランキングで1位に仕立て上げた。 「ネット詩爆撃プロジェクト」を意識しての「投下」「爆撃先」という表現。「ポエム爆撃プロジェクト」か。だけど別にポエムを敵対視しちゃあいないしなんなら融合したいと思う側です。んなのでポエムパートも気を抜かずこの表現方法においてベストを尽くしました。それが「詩的なるもの」が表出した所以なのならうれしいことです。

花緒 (2018-02-09):

コメ欄を読んで漸くコンセプトを理解しました。中盤から、もっと隠喩を爆裂させて、前半との対比がもっと強烈だった方がよかったのではと思ってしまった。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-02-11):

花緒さん 1日返信が遅れるだけでそうとう後ろに流れっちまいますね。回転率がすごい。 隠喩は、まぁ正直得意ではないんですよね。隠喩隠喩しすぎて言葉のサラダボウルになってしまったら意味無いしつまらない詩になる。ぶぅぅっちゃけ、名は出しませんがエイクピアさんへの返信で書いた「私が思う一番隠喩だらけの現代詩人」の作品は私には合わない、面白いとは思えなくて。私は隠喩での飛躍でなくて実像を結ぶ系の詩人だと思っています。ダリみたいに強烈な視覚性を保ちながらもダブルミーニングを押さえている、というのが理想なんでしょうが、まだその域には達せていない。

蛾兆ボルカ蛾兆ボルカ (2018-02-12):

今日は。 僕もコメントを読んで初めてコンセプトがわかりました。 まず、その時点で(僕に対しては)作品が失敗していますので、おそらく、ポエムしか愛さず隠喩を嫌うひとに対しても、嫌悪より前に無理解を齎してしまうかもしれないな、と思いました。 再読して、感想としては、「この作者さんは宮沢賢治を愛してしまえば良いのに。」と、思いました。 「マルドロールの歌」は、幼児を虐殺することを喜びとするシリアル・キラーを主人公にした、数百ページに及ぶ長編詩ですが、この詩でパスティーシュされてるところは、直喩の一部です。 直喩は、AがBではないことを前提に、AはBのようだ、と語ります。 例えばマドンナのライク・ア・ヴァージンは、ヴァージンじゃないことが前提であり、マルドロールの歌も、そこで直喩が使われたことは意味深であり、全編をピュアなラブソングと解するひともいたと思います。 それと対象的に「俺は一人の修羅なのだ」、と語ったのが宮沢賢治であり、ふわふわした童話しか愛さない読者層に、彼は強烈なビンタをかまし続けて、もうすぐ百年ですか(^^) そんなことを考えました。

survof (2018-02-12):

いきなり話が変わってしまって恐縮なのですが、無調性バリバリのいわゆる現代音楽を聞くととても個人的にとても古臭く感じます。そのときの感覚と隠喩ばりばりの詩を読んだ時に感じる「なんか古臭くてださい」という私の個人的な感覚はとても似ているんです。あえてバリバリの隠喩を使うその感受性そのものがとても古臭いと感じてしまう、というところがあって、もしかしたらポエム派の方々が隠喩を嫌う理由もただ理解できないから、というよりも隠喩自体がまとっている一種のカビ臭さを感じ取ってしまうからではないか、ということをこの作品を読んで感じさせられました。そういう意味ではライトな部分とベタは隠喩パートの対比は一定の効果を奏していると感じます。ただ、コンセプトを読まなければコンセプトがわからない、というのにも同意で、コンセプトしてはうまく機能していない気がします。コンセプトなしで深読みするならば、隠喩のレベルをあえて低いものにとどめておくころや有名な隠喩の一説をこれ見よがしに引用することで「隠喩」そのものを揶揄している作品と取ることもできる。かといってポエムパートもやはりポエムになきれておらず(あるいはあえてポエム風にとどめておいて)、良質なポエムがもつ含蓄もない。そういった表層にあえてとどまることで「ポエム」そのものを揶揄しているようにも読み取れる。あるいは作品のなかにおいてはポエムの対義語を「隠喩」として安易に定義することで、ポエムを嫌って難解な隠喩を使うことに酔いしれる現代詩愛好家に対する皮肉とも取れなくはない。何が言いたいかというと、コンセプトなしで読んだ方が深読みの幅が広がり作品としてより面白い読解が可能になるところを、コンセプトを解題してしまうことでその面白みがほとんどなくなってしまったことがとても勿体無いな、、ということでした。

岡田直樹岡田直樹 (2018-02-12):

コンセプトはすごく面白いです。どこかで自分も同じコンセプトで書いたような。1月に揚げた『ねがい』でした。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-02-14):

蛾兆ボルカさん 他サイトではむしろ題名のカッコでネタバレしてしまった、無いほうがいいって意見もありまして。隠喩に対しての態度よりも現代のネットの事象に聡いかどうかがこの詩を一発で解せるかどうかなのでしょう。他サイトの人は私基準では一般日本人よりは聡い人だと思います。聡い人と疎い人とどちらに合わせるかとなったらやはり後者になってしまう(そうでないと無理解に至ってしまう)のでしょう。入れるかどうか悩んだのですが、そういった理由で(エルサポエム)と入れたんですね。このヒントがあれば察することもできるだろう。でも実際はそのヒントを以てしても不十分であったわけでして。コンセプトを伝えられないとなるとかなり難しいことになる。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-02-14):

survofさん 隠喩に対するカビ臭さ、わかりますね。多分私はポエム派な感性です。 てか結局今の現代詩の隠喩って戦後詩の延長をずっとやっているだけでしょ。戦争の反省とか言って。もぉ~いいんじゃね!? 四半世紀とっくに過ぎたし。やってた当時は先鋭的だったかもしれないけどさぁ。あれね、「ニューミュージック」の範疇にある井上陽水や中島みゆきって(現役だし今だって素晴らしいミュージシャンだけど)今は懐メロじゃん。名前にnewがあったとしても万物はいずれ古くなるのであって、過去の感覚で「新しい」ものだったものもいつかは古いものになる。感覚に惑わされちゃいけねぇよ、キミが抱いたその感覚はその時代とセットではじめて成り立つものであってじゃあ時代が変わったらどうなるかって話だ。 この詩に関しては作者自身としてはテキスト本体での面白さは無いと思っていまして。コンセプトがあってはじめて成立している。現代アートがキャプションないと駄目なのと同じなもんで。だから三浦さんの反応は意外だし、survofさんの読解も全く予想外でした。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-02-14):

岡田直樹さん 「ねがい」読みましたが、同じかなぁ……まぁ、あざっす

藤 一紀 (2018-02-14):

拝読。 ポエムしか書いたことがないひとは、こういった作品は書かないだろうし、詩の読者以外の読み手を想定していないひとは試みもしないだろうなと思います。 各連のポエムの行と詩行の噛み合わなさが、読んでいるこちらの感覚を刺激するのかな、と思っていたのですが、噛み合わないというよりも、ヒット&アウェイの技術と思い直せば鮮やかです。

日下ゆうみ (2018-02-14):

コンセプトを見てしまってから書いているのですが、現代詩なるものとポエムなるものの鑑賞者を近づけようとする作品であるとしたら、面白い試みだと思いました(ただ、この詩の試みとして「これが好きなんだろう」という迎合的な形で隠喩表現が用いられているのだとしたら、〔手術台、ミシン、コウモリ傘の引用などは特にそうしたものかもしれません〕ここに詩情を読み込んでしまうのはやや躊躇われますが……)。 特にその表現の混合は、この詩が愛情表現として語られ始めるという部分で一つには意味を持っているように感じます。つまり、愛の表現のテンプレートに、例えばRakeの『100万回の「I love you」』にある「愛してるの言葉じゃ足りないくらいに君が好き」というような言葉がありますが、私としてはこのように直接的な表現では伝えられないものがあるからこそ(愛情表現に限らず)特殊な表現として詩的な言語を用いるのであり、この詩はポエムなるものから現代詩なるものへという過程を通してそのような表現を一つ実践しているように感じました。しかし、この一連の詩が仮に愛情表現であるとした場合に、隠喩表現は直接伝わらないという問題も抱えていて、実際に愛情表現においてはそのことが致命的だというのが同時に面白い点でもあると思います。従って、愛情表現という形態において、ポエムなるものの限界が現代詩なるものによって乗り越えられようとしているが、かつその現代詩なるものの限界をポエムが支えてもいるという詩として読めるのかもしれないと思いました。 ただ、このような読みは内容と少しばかり関係していて、このように純粋に詩というジャンルに対するメタ的な思考のみならずそれ以前の一次的な詩の読解(つまり作者ではなくテキストそのものが何を言おうとしているかが読解されうる)を可能にしているという点では、この詩がこのように純粋にコンセプチュアルなものではなくなっていることによって、そのコンセプトを説明する必要性がより生じているのかもしれないと思いました。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-02-16):

藤一紀さん 詩―ポエムに限らず、私は従来の詩人の外からやってきた外来種としての自覚があります。そしてそれをうまいよう詩に反映させたいと。やはり一つのコミュニティしか知らない見ようとしないならば狭量になってしまうでしょう。様々な混血児を作っていくべきです。 ヒット&アウェイ、言い得て妙だなと思いました。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-02-16):

Rixia_7oceansさん 互いに存在すらも認識していない者同士を意識させるだけでも、近づけることが狙いなら効果はあるでしょう。 どう返信していいかわからないと素直に白状しますが、よいコメントだと思ったのは確かです。それだけでも伝えます。


買い物   

mojibake 
作成日時 2018-01-31
コメント日時 2018-02-15

 

言葉を買いに行ってきた、黒しか残っていなかった、帰宅して見直したレシートには あ ¥100 い ¥100 う ¥100 ん 2個✖️単1000 ¥2000 ——————————— 小計 ¥2,300 税 ¥184 計 ¥2,484 カード支払い 今晩のおかずは、ああまたシャンプーを忘れていた、袋は要りませんと言い忘れたからビニール袋があいうんん、袋はなるべくもらわないようにしているのに。


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みうら (2018-01-31):

投稿ありがとうございます。あ、面白いと一読して思いました。しかしながら、併せて冒頭の 言葉を買いに行ってきた、 が、狙ってる感といいますか、読者を引き込むようでいながら「レトリックの読解とメタ読みが必要な作品が始まるのかなあ」という醒める感もありました。

エイクピアエイクピア (2018-01-31):

極めて面白い試みだと思いました。今晩のおかずが訳が分かりませんね。「あ」とか「い」とか「う」とかから空想しなくてはいけない、そこが想像力を刺激すると思いました。

花緒 (2018-02-01):

面白い試みですね。あ、い、うはさておき、んんはもっといい使い方がなかったのでしょうか。二千円も払った割には、あ、い、う、と大して変わらない使い方なのが、面白いような、寂しいような。

mojibakemojibake (2018-02-01):

三浦様 一番にコメントをありがとうございます! 出だしについては、タイトルにしようかとも思ったのですが、言葉を買いに行ったという行為自体がテーマではないので、本文に入れました。作品全体として「レトリックの読解とメタ読み」が目的ではなかったつもりなのですが(そもそもそれらが何を指すのか、無学なものでよくわかりません)、何等かのずらしが狙いであることは確かなので、それを面倒くさいと感じさせてしまったのは残念です。わたくしの力不足です。 三浦様がこの詩のどんなところを面白いと感じてくださったのかについても、もう少し詳しくお聞きしたかったです。ともあれ、ありがとうございました!

mojibakemojibake (2018-02-01):

花緒様 コメントありがとうございます! なるほどそうですね。買った言葉を使う行為は作品中には含めないつもりでいたのですが、最後のところで登場させてしまっているので、そのあたりが曖昧になり、ん、の扱いも、曖昧なまま終わってしまった感じはありますね。イキイキとした「ん」であるとか、死んだ「ん」であるとかとにかく、もう少し目配りができたら良かったです。 ありがとうございました!

mojibakemojibake (2018-02-01):

エイクピア様 順番が前後してしまいすみません。 想像を少しでも喚起できたとしたら光栄です。訳のわからなさをどこまで読者に許容してもらえるかは、作品の全体的な強度によるのかなと思いましたが、許していただける範囲に収まったでしょうか? もう少し華やかに楽しくなるような展開もできたかなとレシートを見つめながら思いました。(具体的には、なぜ100円にしたのか、97円と55円と398円と1980円でもよかったではないか、とも後で思いました。これで華やかになるとしたらですが、笑) ありがとうございました!

百均@B-REVIEW ON/ (2018-02-11):

面白いというか、レシートそのもの貼り付ける詩を見た事がありまえんでしたので、うーん、いや詩って本当になんでもありだななぁと頭柔らかくなりました。世の中の誰かやってない訳ではないとは思いますけれども それから、この詩は本当に色々と軽々しくぶっ込んでいると思うのですが、レシートというのは情報の集積なので、その人がどういう人間なのかみたいなのってレシートをプロファイルの専門家に見せると割と分かっちゃうみたいなの昔テレビでやってたなぁとは思いました。例えば、ここではカード支払いですが、現金だとその人の人となりがよくでたりするそうです。僕は可能な限り小銭を出して一円を早く消滅させたい人間なので、一円単位できっちり払います。みたいな。 後は、単純な事ですけれども、消費税は変わるので案外数年後とか見返したらこの詩はその時代を明確に切り取ったみたいな証拠になるかもしれないですよ。それから、ここでは言葉を買っているので、言葉を金でやりとりするみたいなイメージも多分解釈を広げていくと面白くなるかもしれません。レターポットとかだと一文字5円で買うことによって実際に一文字=5円の世界みたいなことやってますが、そういう風に考えていくとSF的な文脈で見ても良いかもしれませんし。 言葉を買う事が常識化された世界ってなんだろうという事を考えていくと、この詩の見え方もまた色々変わってきます。そしてこの詩の一番面白い所は袋を買っている所ですかね。「ビニール袋があいうんん、袋はなるべくもらわないようにしているのに。」袋で100円ってなんだ、1000円ってなんだみたいな所を考えていくと、これでまた、大分面白いのかなぁと思いました。つまり袋一つ作るのに結構お金が掛かる世界みたいな感じとかでもいいし、真面目に考える必要もないのですが、意味付けて考えていくと、割と面白くなるのかなぁとは思います。単純に流してしまってもいいのですが、僕が言いたいのはこの文章字体十数分で書いた程度には、全体的に想像力を喚起させられる作ではないかなぁと思ったという事です。

まあ (2018-02-15):

「ん」が高い。何故。 しかもひらがな1文字単位で買うんですね。 相当リッチでないと何もできないですね。 自分もビニール袋要らないのにいつも言うの忘れてもらってしまう派です。

さしみさしみ (2018-02-15):

率直に面白い詩だと思いました。頭の中で、文字が売ってある様子が浮かんで、想像力が掻き立てられたような気がします。


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