祖母包茎 - B-REVIEW
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祖母包茎    

死に近づいた人間の、病院食の匂いが、たまらなく嫌いなのに、嗅いでいると、心が落ち着くのは、僕がもう死にたいと思っているからだと、祖母に言ってしまう 「ちがうのよ あなたはまだ子どもだから 全てを 死になぞらえて考えてしまうのよ」と口笛をふくように 伝えてくれる、その言葉の重たさ。 優しくて、重い、コバルトみたいな血管で編み込まれた、あの皮膚色で、やさしく包み込んでくれる、 僕の、死んだ、魚のような目では、決して分からない (((瞳の奥に見える人間の鱗、そこについている傷は人の記憶をつかさどる、祖母は傷の付け方、付けられ方を教えてくれない、父に似ている祖母もまた、教えてくれない、お前には早すぎると言う))) 「お前の体が欲しい お前になりたい わたしがお前であったら やりたい事があるのに」と 首をしめられてもおかしくない筈の 力強さで ふゆのひ みみもとで抱きしめられた、 こたつのなか あの生け簀の中で あの時の強さで もう一度僕を、包みこんでおくれ


祖母包茎 ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 7
P V 数 : 1387.2
お気に入り数: 1
投票数   : 0
ポイント数 : 0

作成日時 2018-01-31
コメント日時 2018-03-04
項目全期間(2024/04/25現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
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閲覧指数:1387.2
2024/04/25 01時51分39秒現在
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    作品に書かれた推薦文

祖母包茎 コメントセクション

コメント数(7)
三浦果実
(2018-02-01)

やばい。負けた。 百均さん投稿有難う御座います。

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mojibake
(2018-02-01)

生という舞台の上で、祖母と孫という開いた距離における二人の交流、身体の行き来が、感情や精神や体の強弱の対比を強め、作品の強さになっているのではないかと思いました。良作だと思います(偉そうですみません!)。 かっこを用いた段は難解でしたが、何か熱いものを感じるので、もう少し取っ掛かりが欲しかったです。

0
完備
(2018-02-01)

「死に近づいた人間の、病院食の匂いが、たまらなく嫌いなのに、嗅いでいると、心が落ち着くのは、僕がもう死にたいと思っているからだと、祖母に言ってしまう」という冒頭は、チャラチャラした文体ではあるものの素晴らしいと感じました。しかし全体として尻すぼみな印象であり、特に最後の締め方はあまりにもありきたりにすぎる気がし、それでいいのかいう疑念を隠し切れません。

0
爺無能別邸
(2018-02-02)

ポエジーの無さをカッコで隠してしまうあたりが、確かにタイトルにある通り包茎っぽい。これを意識してやっているなら、なるほど、自己分析をしているのだな。と感心するが、ただカッコを使ってしまっているなら、剥いてやるべきだ。そして「。」を使わなければ、詩であるというような思い込みのようなものを消し去り、詩と向き合うべきである。

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まりも
(2018-02-02)

タイトル、これでいいのか?という疑問は、私も感じました。 祖母/包茎 であれば、もう少し祖母と孫との関係性&対立性のようなものが明確に出るのかな、と思い・・・しかし、題名そのものが持つ、なんなんだこれは?的なオドロキ、は消えてしまう・・・。 自らの少年性であったり、俗にいう「青臭さ」、未熟さの象徴として・・・そういう意味合いを持たせた「包茎」であるのか、包む、という語の持つ意味合いを中心に置きたかったのか。 包む、ということであるなら、胞衣(えな)という語も選択枝の中に入って来るのではないか、と思ったり・・・タイトルの選択に、いまひとつ、必然性が汲み取れない。あえて耳目を引く言葉を持ってきたのではないか、と受け取られかねないワードであるがゆえに、幼さの象徴のような意味合いプラス包む、包まれること、という意味合いを重ねた選択であるなら、いささかあざとさが残るWord選択であるような気もします。難しい。 「包茎」という言葉が、性と結びつく言葉であるのかどうか、そのあたりの感覚も、実はよくわからないのですね。比喩的に「処女地」と呼んだりする、これは完全に未踏の地の意味であるわけですが、女性にあなたは処女ですか、と尋ねれば、これは完全にセクハラとなる。そこも含めて「処女」という言葉は、男性中心主義の中で使われてきた用語であるから、未踏の、といった表現に変えるべき、というような人たちもいる、けれども(私は、そこまで「言葉狩」をすることを良しとしませんが)「童貞」とか「包茎」と言ったワードも、男性に対して用いる時にはセクハラとなる、と教わった記憶もあり・・・ということは、自らの未熟さを自虐的に提示した、という意味合いもあるのかな、と思ったり・・・(このあたり、感覚的なものでもあるので、実際のところ、よくわからないのです) 性の快感が、性器の快感と言う局所的なものに限定されるのか、どうか。広い意味での「生」の快感へと「比喩」も含めて拡大されるとき、そこには乳幼児の時の母とのスキンシップであったり、本作における祖母とのスキンシップであったり・・・成人男女の間であっても、いわゆる包み、包まれる、という感覚、その感覚から生じる「安心感」であったり、「充実感」などの方が、実は重要なのではないか、とも思います。その意味で、本作ではこうした「生きる上での快感」について視点が向かっていて、とても良いと思いました。 疑問点ばかり書いてしまいましたが、ここからは、素晴らしい、と思ったことについて、書きますね。 保護されたい、という感情と、そこから激しく離脱したい、自立したい、という感情の葛藤が描かれているのではないか、という一般的な予測を、 〈「お前の体が欲しい/お前になりたい/わたしがお前であったら~〉以降の連が、実に良い意味で裏切ってくれる。 祖母が「人間」として持つ、自然の欲望、若さへの嫉妬、スキンシップ欲求。孫が「いけす」と感じる、自立への欲望、「飼われている」「世話をされている」ことに対する反発と、抱きしめられる、という直接的な行為から得る安心感、スキンシップを通じて得る快感、包まれる、という感覚。 魚のイメージで一貫して綴られることにより「冷血」のイメージも重なると同時に、系統発生的なイメージも重なり・・・瞳の奥に潜む「鱗」のイメージにも響き・・・重層的な比喩が浮かび上がって来る。メタファーが、しばしば「一対一対応」の意味の読み解き、いわゆる謎解きに陥ることが多々あるのだけれども、魚というメタファーが、実によい方向で多層化されている。 一気に、とぎれとぎれではあるけれども、ひといきに、吐き出すように発するフレーズ(一行で、句読点を打ちながら長く綴る)と、改行で余韻や言葉の間に含まれる時間をしめす、言葉の置き方も、と手も良いと思いました。

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まりも
(2018-02-02)

ついしん やはり、思い入れが強すぎる、というのか、最後の一行、要考ではないか、と思いました。

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百均
(2018-03-04)

花緒さん レスありがとうございます。 >うまくまとまっていると思う。であるがゆえに、タイトルは本当にそれでいいのか、と思ってしまった。 >パンチはあるけれど、色物の色彩の強いタイトルだと思う。初読の印象です。 上手くまとめるのが苦手なのですが、今回は自己評価としても割と落ちがついたのかなぁとか思っていたので、花緒さんからコメントいただきたとき、ちょっと安心しました。ただ、コメントを合わせて考えてみると、最後がある意味賛否両論なので、なんとなく僕はまとめる事ができないなぁと、難しいなぁという感じです。タイトルは最初に決めて書いたので、自分もまたタイトルをこえるような物を詩行に込められたのかというと、そうではなく、故に色々タイトル弄ってかんがえてみたのですがそのまま出してしまいました。インパクトに引きずられて作品が死んでしまったかもしれません。 三浦⌘∂admin∂⌘果実さん >やばい。負けた。 >百均さん投稿有難う御座います。 何に負けたんや! という事は思いますが、勝ったのかなぁ? 三浦さん色々ありがとうございます。 仲程さん レスありがとうございます。 >包まれていたり、つつんでいたりしてたときの、それぞれのにおいとか、少しずつ浮かんできます。記憶はあやしくて、気のせいかも知れませんが。 包茎というお題はなんというか、僕の中で恥という部分を引き抜いてですが、地味な思い出がいくつかある話なので、色々少しずつ書いてみようなと思っています。ここで頂いたコメントで、なんというか本当に昔の事いっぱい思い出したので。 mojibakeさん >生という舞台の上で、祖母と孫という開いた距離における二人の交流、身体の行き来が、感情や精神や体の強弱の対比を強め、作品の強さになっているのではないかと思いました。良作だと思います(偉そうですみません!) 祖母と孫という関係、僕自身は体験する事が殆どなく、間接的に色々母親から聞かされたのですが、僕の祖母はそれはそれは出来る人で、多分小説一個くらいかけるというかそういう人なのですが、そんな祖母の事なんか全く考えないまま、卒論で死にそうなときに勢いで書いたら祖母が出てきて、結果的にいつもは祖父の死に際の記憶がかけなくて苦しんでいたのですが、祖母だとここまですっきりかけるのかというくらい書けてしまいました。mojibakeさんから頂いた感想のおかげで、多分僕にとっては近かった祖父よりも祖母の方が描きやすいのではないかと気がつきました。 >>かっこを用いた段は難解でしたが、何か熱いものを感じるので、もう少し取っ掛かりが欲しかったです。 ここは本当にもうしわけないのですが、丁度卒論で死にそうになっているときにストレスを発散させるためにこれを書いたので卒論で扱った作品の中に出てきます。ですから、僕にとってはこの三重括弧は意味がありすぎてしまって、単なる記号ではなくなってしまいました。故に熱意が伝わったのはシンプルにうれしいのですが、そのまま投げ出してしまったという意味では、本当に申し訳ないです。多分これからも三重括弧は実験していく中で使いつつ色々試してみたいと思います。その中の一つが届くようにやっていきます。 蔀 県さん >ぼくはすごく好きでした。とりわけ視覚的なリズムに惹かれました。語の拍数ではなく、読点過多で《切れる》感じ、連が移ると短文からの改行、そして三重括弧のやや抽象度の高い行からとつぜん感情的な結末に向かうさまなど、見ていて(読んでいて)ぐっときます。なおかつ内容は切実で、はじめは冗談としか思えない題名が、いい意味で裏切られる。何遍も読みたくなります。 嬉しいレスありがとうございます。なんというか作者冥利に尽きますね。僕から何も言える事がなく、なんというか伝わった感じがものすごくして嬉しいです。この感慨は一ヶ月立った今でも最初に感想を拝見した当時変わりません。これからも書いていこうと思うことができます。ほんとうにありがとう。 完備さん >「死に近づいた人間の、病院食の匂いが、たまらなく嫌いなのに、嗅いでいると、心が落ち着くのは、僕がもう死にたいと思っているからだと、祖母に言ってしまう」という冒頭は、チャラチャラした文体ではあるものの素晴らしいと感じました。しかし全体として尻すぼみな印象であり、特に最後の締め方はあまりにもありきたりにすぎる気がし、それでいいのかいう疑念を隠し切れません。 冒頭の部分は、最初細かく行分けしていたのですが、最終的に読点でつなげました。それが結果的に上手くいったのかなぁと安心しています。読点でつなげるのは、昔にやったポッキリで久しぶりにやったのですが、朗読を基準に色々句読点調整していったので、今回の感じで割と上手く行ったのかなぁという感じがします。最後の部分は書いているとき、これでいいのか? とはやく終わりたいと、これで決まった! の三すくみで書いていたので、もうその通りですね。でもこのタイトルこの詩を書き始めた時点でさいしょから落ちは決まっていたのかなぁとも思います。それらを覆えす言葉があればよかったのですが、包茎である事から出ていく事はできなかったのかなぁと思います。 爺無能別邸さん >ポエジーの無さをカッコで隠してしまうあたりが、確かにタイトルにある通り包茎っぽい。これを意識してやっているなら、なるほど、自己分析をしているのだな。と感心するが、ただカッコを使ってしまっているなら、剥いてやるべきだ。そして「。」を使わなければ、詩であるというような思い込みのようなものを消し去り、詩と向き合うべきである。 レスありがとうございます。 ポエジーのなさについては、正におっしゃる通りで、包茎という語の持つニュアンスに親和性を背後にかんじながら、あるいは寄りかかりながら詩行を紡いで行ったという事を否定することはできません。この点は、花緒さん、まりもさんのレスへの返答と被る所があるのではと思います。三重括弧については、包茎も無論意味します。ある意味、包茎の内側にあるものにギリギリのポエジーみたいなものをしまいこんでいたし、それが剥かれるべきだというのも、激しく同意します。僕がこの三重括弧をつかった経緯としてある作品があるのですが、その作品も祖母の記憶を僕が受け継ぐ事によって三重括弧の中に祖母を受け入れ、結果的にその三重括弧は剥かれます。そういういみで、この三重括弧は僕にとっては確かに包茎そのものだったのではないかないかと、感想を読んで思わされました。 それから、そうですね、この詩には一箇所「。」が使われています。というかんじで、句読点の有無の話はそのとおりだと思いますし、僕も僕なりの意図で各種記号を使い分けています。特にこの詩は朗読を前提に作りましたので、「。」は特に重要だと思っています。それがうまく読み手の皆さんに機能していたらよかったのですが。 まりもさん レスありがとうございます。 >タイトル、これでいいのか?という疑問は、私も感じました。 >祖母/包茎 であれば、もう少し祖母と孫との関係性&対立性のようなものが明確に出るのかな、と思い・・・しかし、題名そのものが持つ、なんなんだこれは?的なオドロキ、は消えてしまう・・・。 この部分一回、/入れたのですが、結果的にぬいてしまいました。この話は僕の都合が入ってしまうので、省きたい話ではあるのですが、これを書いたときに向き合っていた卒論の作品に/が一杯出てくるんです。そこまで持って行ってしまうと、引っ張られすぎてしまうと思い、抜いたという経緯があります。ですので、まりもさんの推察というか提案が僕しかしらない事ですよね、そこに接近してきて大分ビビりました。まりもさんは本当に鋭いというか怖いです。なんでここまでわかるんだろう。 >自らの少年性であったり、俗にいう「青臭さ」、未熟さの象徴として・・・そういう意味合いを持たせた「包茎」であるのか、包む、という語の持つ意味合いを中心に置きたかったのか。 > >包む、ということであるなら、胞衣(えな)という語も選択枝の中に入って来るのではないか、と思ったり・・・タイトルの選択に、いまひとつ、必然性が汲み取れない。あえて耳目を引く言葉を持ってきたのではないか、と受け取られかねないワードであるがゆえに、幼さの象徴のような意味合いプラス包む、包まれること、という意味合いを重ねた選択であるなら、いささかあざとさが残るWord選択であるような気もします。難しい。 包茎には色々な意味合いがあると思っていて、故に多分タイトルとして置くには大味すぎたのかなと思いました。胞衣ですが、最近「シドニアの騎士」という漫画の中に出てきまして、地球外生命体のガウナを包んでいるというよりは構成している物質みたいな物が丁度胞衣というものでした。そういう事をもっと早くしっていれば、色々と脳内で紐付いて…ああ、知っていれば多分この詩はもっとたくさん変容させる事ができたかもしれないです。胞衣は僕の中で宿題になりそうです。多分数年かけて書いていくのではないかと今、直感的にかんじました。やっぱり物を書いていて思うのは、僕自身が語彙を持たなさすぎる事だという事を痛感しました。このタイトルにしたのは耳目を引くためというのも二次的な理由としてあるのですが、他に思いつかなかったというのは念頭にあります。そしてその念頭から抜け出せなかったというのがこの詩の限界を示しているように思います。 >「包茎」という言葉が、性と結びつく言葉であるのかどうか、そのあたりの感覚も、実はよくわからないのですね。比喩的に「処女地」と呼んだりする、これは完全に未踏の地の意味であるわけですが、女性にあなたは処女ですか、と尋ねれば、これは完全にセクハラとなる。そこも含めて「処女」という言葉は、男性中心主義の中で使われてきた用語であるから、未踏の、といった表現に変えるべき、というような人たちもいる、けれども(私は、そこまで「言葉狩」をすることを良しとしませんが)「童貞」とか「包茎」と言ったワードも、男性に対して用いる時にはセクハラとなる、と教わった記憶もあり・・・ということは、自らの未熟さを自虐的に提示した、という意味合いもあるのかな、と思ったり・・・(このあたり、感覚的なものでもあるので、実際のところ、よくわからないのです) > >性の快感が、性器の快感と言う局所的なものに限定されるのか、どうか。広い意味での「生」の快感へと「比喩」も含めて拡大されるとき、そこには乳幼児の時の母とのスキンシップであったり、本作における祖母とのスキンシップであったり・・・成人男女の間であっても、いわゆる包み、包まれる、という感覚、その感覚から生じる「安心感」であったり、「充実感」などの方が、実は重要なのではないか、とも思います。その意味で、本作ではこうした「生きる上での快感」について視点が向かっていて、とても良いと思いました。 > この点、色々かんがえたのですが、僕は処女という言葉あんまり使いたくなくて、それは僕が女ではないので、その感覚が分からないみたいな事があります。と同様の理由で、童貞はまずいのかもしれません。童貞がなんでいけないのか、みたいな事は多分もうすでに出尽くされた議論なのかなぁとも思います。あるいみ処女と童貞はコンプラに引っかかってしまう。という事を考えたとき、包茎というのはどうだろうかというのはちょっとだけ念頭においてありました。陰茎そのものと包茎の違いというのは、結構あるというか、包茎に纏わる思い出は僕の中に結構沢山あるので、なんというかこの返レスを書いて思わされるのは、僕は包茎についてエッセイ書きたいくらいの内容を持っている事に気がついた事です。 中々性をテーマにした詩というのは難しい物があるのと、他に優れた作品やもしくは議論があると思いますので、慎重に書いていくべきだともおもうのですが、故に失敗を恐れずに何度か形式を考えながらトライしてみたいと思います。 >疑問点ばかり書いてしまいましたが、ここからは、素晴らしい、と思ったことについて、書きますね。 > >保護されたい、という感情と、そこから激しく離脱したい、自立したい、という感情の葛藤が描かれているのではないか、という一般的な予測を、 >〈「お前の体が欲しい/お前になりたい/わたしがお前であったら~〉以降の連が、実に良い意味で裏切ってくれる。 >祖母が「人間」として持つ、自然の欲望、若さへの嫉妬、スキンシップ欲求。孫が「いけす」と感じる、自立への欲望、「飼われている」「世話をされている」ことに対する反発と、抱きしめられる、という直接的な行為から得る安心感、スキンシップを通じて得る快感、包まれる、という感覚。 > >魚のイメージで一貫して綴られることにより「冷血」のイメージも重なると同時に、系統発生的なイメージも重なり・・・瞳の奥に潜む「鱗」のイメージにも響き・・・重層的な比喩が浮かび上がって来る。メタファーが、しばしば「一対一対応」の意味の読み解き、いわゆる謎解きに陥ることが多々あるのだけれども、魚というメタファーが、実によい方向で多層化されている。 > >一気に、とぎれとぎれではあるけれども、ひといきに、吐き出すように発するフレーズ(一行で、句読点を打ちながら長く綴る)と、改行で余韻や言葉の間に含まれる時間をしめす、言葉の置き方も、と手も良いと思いました。 色々勉強になる事ばかりで、つまる所僕に返せる言葉がありません。いわゆる詩が謎解きであると揶揄される感覚、僕自身無い分けではないのですが、ではなぜ自分はそう思うのかよくわかりませんでしたが、一月の作品を通じて学んだ事ですが、僕は多分答えを提示する事は苦手なのですが、過程を、それは意味という形を取りながらなのかもしれないのですが、重なっているそのものの状態しか書けないという事には、なんというか上手く耽溺できたのかなみたいな感慨を、まりもさんのレスを読んでおもいました。重層的である事と葛藤そのものを=で結ぶ事は出来ないと思うのですが、それでも重なる部分はあるのだと思います。比喩の特性とは、論理的に詰めていけば重ならない二つ以上のモチーフの中から、特にその話題となるような主題を引っ張り出して重ねる事で共通点をより際立たせることだという記事を最近見かけて、なんとなく自分の中でくすぶっていた比喩との向き合い方が少しだけつかめたような気がしました。個人的には今換喩に漸く興味が湧いたというか、比喩に対する向き合い方も考えていくべきだなぁと思わされました。 >ついしん やはり、思い入れが強すぎる、というのか、最後の一行、要考ではないか、と思いました。 最後の一行については、色々考えました。平たく言ってしまえば祖母にまだまだべったりみたいなかんじなので、困ったものなんですが、どうしたらいいのかわかりませんでした。ずっと詩ってどうやって終わればいいのか悩んでいます。祖母を殺せばよかったのか、決別をいい渡せばよかったのか。なんなのかわかりません。という所からいつの日か抜け出せたらと思います。

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