作品投稿掲示板 - B-REVIEW

まりも

投稿作品数: 8
コメント数: 326
プロフィール:
B -review 応援隊員。 詩集、発売中です。 https://t.co/FmuDzLyNNo…


驚くほど直裁というのか、倫理性が強いというのか・・・ストレートに迫ってくる作品ですね。 中盤に「他の命を踏みにじって生きていることにいささかの罪悪感を持ち、命を差しだしてくれるものに対してほんの少し感謝して欲しいだけ」という、メッセージ性の強いフレーズが出てきますが、少し教訓めいて聞こえてしまうので、呼び掛けてはなく自分は~という方向にするとか、なにか一工夫あったほうがよいかもしれません。 映写機を媒介にするアイディアは、ドキュメンタリー映像を共に観ているような臨場感が出るので、効果的だと思いました。 (beautiful people )

2018-06-20

心の卵、このイメージに惹かれました。 最初の連が導入になっていて、そこから・・・自ずから自分の心が緩やかに開いていくまで、無理矢理(自制心や、他者へのそんたくや、社会常識に無理くり合わせたりするために)自分の気持ちを揺さぶったりするのは、もうよそう・・・それが全体のメッセージなのかなと思いました。 ストレートにメッセージを述べる作品は、時には説教臭くなったりするのですが、そこに豊かなファンタジーやユーモラスなイメージが持ち込まれると、とたんに作品に膨らみが増す。 比喩にはそんな力があると思います。 (心のブレーキ)

2018-06-20

最初の二行が、作品全体のテーマともなっているので・・・三行めから始めたほうが、作品がより締まったような気がします。 (初恋)

2018-06-20

疾走感が心地よかったです。 居間でテレビを見たり、ネットニュースを見たりしていると、隣人の様子よりも国際的な様々な事件が身近に感じられたりする。それでも、その身近さはまやかしで、瞬時に切り替わってしまう、流れていく日常なんですよね。 実体感が、薄れていく・・・そんな危うさを私たちが抱く、要因なのではないかと思っています。 (黒いカフェ)

2018-06-20

メンヘラ、という、様々なシチュエーション、様々な状況で用いられる(時には差別的に用いられることもある)言葉を、安易に用いることに、私は抵抗を覚えます。最後の作品は、もう少し吟味すべきではないかと思いました。あくまでも私個人の考えですが。 (イマラチオ)

2018-06-20

見えなくても、あるんだよ・・・ このフレーズを、いわば反転させた作品ということになるのでしょうけれども、金子みすず的な物の見方、感じ方こそ素晴らしい・・・というような、ある種の圧力を感じることもあるので、いやいや、そう思えること自体が、なんと素直なんだろう、というスタンスに、魅力を感じました。 私は、素直、というフレーズに、本当にそれでいいの?もっと疑問を持ったり、反発したりしたいよ、私は・・・という、反語的な意味合いというのか、反発心を読み取れるように思ったのですが、作者がこの「素直」を、ストレートな意味で使ったのか、シニカルな皮肉、ある種の批評性を込めて使ったのか、この短さでは、いまひとつ踏み込めないところがあります。 私なりの解釈ですが、素直、という言葉に批評性を見るとき、この作品は鋭さを持ったものとして見えてくるように思いました。 (お星さま)

2018-06-20

触覚から始まり、実体感の方に行くのかと思ったら、光の反映の方に向かうのですね。 全体に漂う透明感が新鮮でした。 かたち、像、光の揺らぎと、「なにか」が現れてくる、あるいは消えていく瞬間。 ことばの区切り方に呼吸が感じられて、リーディング向きの作品なのかとも思いますが、水溜まりや草木の葉先のきらめき、雨上がりのビル街等の写真と共に朗読すると映える作品のように思いました。 (輪郭・燐光)

2018-06-20

〈誰彼かの楽しみと私の憂鬱を交換したいんです 湿り気な部屋もさっぱりするかもしれません〉 こんな、誰もが抱くようなモヤモヤとした気持ちを、さっぱり入れ換えたい・・・というような、意外に難しそうなテーマを、空をかき混ぜるというような「動作」をキーにしてまとめたところに惹かれました。 ただ、なんだか物足りない・・・のはなぜでしょう。 すべての詩に切実さが必要というわけではないけれど、すべてをぶち壊してしまいたいとか、一切合切を洗い流してしまいたい・・・というような、やむにやまれず、という切迫感のようなものは、あまり伝わってこない。 ささやかなモヤモヤを、吹き飛ばしたい、というようなきっかけであれば、むしろユーモアの方に寄せて、竜が実際に家の中まで入ってくるとか、町をぐっちゃぐちゃにかき混ぜて、ペロリと呑み込んでしまった、というような「おはなし」、ストーリーテリングの面白さの方を、より強調してみてもよいのかもしれないと思いました。 (みとのまぐわい)

2018-06-20

きれいは醜い、醜いはきれい・・・マクベスの魔女のつぶやきにあったような・・・アンビバレントな感情は、直線の両端にあるのではなく、円周上で向かい合わせになっているような気もします。 確かに、不気味で怖いから逃れたい、と思うと同時に、その未知が人を引き付け、あらがいようのない魅力となる、ということもあるでしょう。大切なご指摘だと思います。 (E# minor)

2018-06-05

「敢えて語らない人  敢えて嘘を話す人もいる  いるんだよ  道化者を選択する人だって  いるんだ」  だから言葉の薄い膜をひっぺがして  だから意味をキャラメルみたいに弄んで  だから結局、なんにも残らなくて  ・・・いや、変な甘ったるさと  だんだん酸っぱくなっていく口の中の  かわきを覚えていく喉の  いがらっぽいざらつき  つきあっている/いない/いてもいなくてもどうでもいい  つくかつかぬか/敵も味方もどうでもいいよ  どっちから光をあてるか  どっち側に影が落ちるか  ただ、それだけの  それだけのこと、だよ  友達なんかいない/友達だらけで、埋まってる  あいまいな網目  途切れても誰も修復しない  ただ、認知だけする網目    それでも言葉は  清らかだ  言葉そのものは  実はなんにも染まっていない/染められていない、から    空虚だよね  からっぽにしないと  なにも入ってこない  からっぽにしていると  頼りなく風に吹かれて  すっからかん  それも、いいけど (軽薄な自我か記憶無き散文か)

2018-06-05

世界の時刻は進み、わたしの歩みを遅くする 耳鳴りは軋む歯車 ピリオドは行方不明のまま 道端のハルジオンは二拍子を刻み続ける 飛び出す変拍子のまばたきが繰り出した雨 わたしは完璧な水晶が欲しい 乱反射する光に耐えきれないなら眠れ こうした詩行が、印象に残りました。 ソネットの形式を踏襲しているようにも見えますが・・・もしかすると、もっと自由に開いていった方が、詩行どうしの連結がもっと面白く動いたかもしれません。 踏切のカンカンカン・・・という音が、気持ちを波立たせる、という層と、世界の時間と私の時間、というズレの感覚の層と・・・カタツムリに眼をとめたり、ハルジオンの揺れに眼をとめたりしている層が、脱線事故の幻影(?)という、時間の流れを断ち切る強力な外圧を夢想している層、さらには・・・クオーツからの連想だと思うのですが、自らの時間を刻む水晶が欲しい、という願望の層。 一つの連の中に混ぜ合わせられているので、なんとなく詰め込まれたような印象が生まれている気がして、もったいないと思いました。 かといって、連ごとにカタツムリの連、踏切の連、と区切ってしまうのも、全体の流れが途切れすぎてしまいますし・・・ 踏切の音と光のずれ、というコメントを拝読して、そのズレに焦点を絞っていくのも、ひとつの方法かもしれないと思いました。 (おやすみ、カタツムリ)

2018-06-05

額関節、これは顎関節、でしょうか・・・ゐる、の表記も気になりました。文語か口語、どちらかに統一した方がよいでしょう。 ひだり、に座っているのが語り手で・・・あなた、が右側の彼、ではなく、ひだり側のわたし、に振り向いてくれるように願っている。そんな想いを感じました。 (右利き)

2018-06-05

優しい/易しい表現ながら、意表を突くアイディア・・・思想というと大きすぎてしまうかもしれませんが、人間、あるいは生きる、ということへの作者の考え方が、ストレートに現れていると思いました。 「ほかの種のこどもは産めない/恋も愛もあるけど/先には つなげない」 他の動物だって、他の種のこどもは産めない、けれど・・・そういう実際的な問題について思考しているのではなくて、ほかの種の、という言葉の中に「ひと」は「ほかの種」には成り得ない、「ほかの種」のように、自然に溶け込んだ生き方、大地に溶け込んだような生き方はもうできない、ということへの悲しみが込められているように思いました。 「眠るなら碧い谷底がいい/ひとつの命になれるから」自然の営みの中で、響き合ういのちと溶け合って一体化したい、自らを忘れて、溶け込みたい、という願望が現れているように思いました。 (雑踏)

2018-06-05

彼方の先端、大切の行方・・・抽象的なものに方向性を持たせるという立ち上がり、夢はその先へはもう行かない、あの美しい詩行に通じるものがあると思いました。 はるばる、かいまみる、微妙な具合に韻を踏むようにリズムや音を揃えていく心地よさ。 「ボールになった僕の転がり/ぽつんと一つ/そこにいて」ぼ、そしてぽ、で連なりながら、そこにいて、まで流していくフレーズ。 口ずさみながら音を定めて行った作品であるような気がしました。 行方、には辿り着かないとしても、淋しさや諦念を感じさせないのは、なんどだってやり直す、という意志が、振り出し、や家路という言葉から感じられるからかもしれません。 「大切の行方の/目のなかであるかのように」このフレーズが、面白い、とも、わかりにくい、とも感じられる部分だと思います。 文脈から行くと、語り手はまるで見知らぬ場所であるかのような、振り出し地点に戻っている。そして、その地点に立っていると、まるで「大切の行方」の目のなかにいる、ような気がしてくる・・・振り出しに戻ってみたら、ここが求めていた憧れの場所、大切の行方、だった、ということ、になるのか・・・。 「大切の行方」に、見つめられている・・・そこから逸れたり、遠ざかっているばかりの自分を、見守っていてくれる目がある、という方向に読めそうな気がするのですが、作者がその意図を強く持っていたのか、どうか・・・そのあたりの決定打が見当たらないのですね。作者自身の迷いの反映かもしれません。 (・)

2018-06-05

春、の叙景から始まりますが、地面への視点から始まり・・・空へと目が向けられても、「晴れ間。穿たれた青い穴。 露わな傷を風が洗っている。」として受け止める、ここが印象に残りました。 やがて訪れる夏、「向日葵が咲く頃には彼に焦がれて 緑の塔を這い上がる姿も見られよう、 背に星を負った者の。」なんらかの宿命を負った者の・・・向日葵のような憧れの対象に向かって這い上っていく姿を予感しているようなフレーズもよいですね。 「錠剤三錠、カプセル一錠。」この連は、自らにツッコミを入れるというのか、諧謔を意図した、小休止的な連でしょうか。 「飛沫があたると人の顔で透きとおってゆく。」 「季節を梱包して投げ捨てたことがある。」 このフレーズもインパクトがありますが・・・若干、抽象性へ振り過ぎている感もあります。 最終連、締めの一連、ということなのでしょうけれど・・・この連を省略してもよかったかもしれません。 (道化唄)

2018-06-04

「浮かばれない悲しみなら  いっそ紙飛行機にして、放てたら良かった」 「涙にさえしなければ、誰にも何にも汚されないと握り締めていた  馬鹿だった」 「心臓の鼓動がそのまま筆跡だった」 「詩はいつも血を運んだ」 「公園内の四つ角には四人の孤独が陣取っているから、初めから負けの決まったゲームで  生まれてから死ぬまで必死に闘うことのどこに一体、嗤う余地などあるのか」 「チェーン店が競い合って、いつの間にか固有性をなくしていくその街を歩きながらこの 詩を書いた  ふと隣を見ると、祖母の命が消えた病院が立っていて」 「この町にも等しく罪はあり」 こうしたフレーズが、強く迫ってきました。 詩を書く、ということと・・・もう少し一般的な、ライバルと(好むと好まざるとに関わらず)無益かもしれない競争を強いられる、その不毛さの方が、喜びよりも勝ってしまう、そんな砂を噛むような感覚・・・が、重ねられているように思うのですが、重ねられている、からこそ・・・詩を書く、「詩が剣なら、それは人ではなく」というようなストレートな表現を、あえて伏せても良かったようにも思いました。 (四つ角に孤独)

2018-06-04

「桜は 木であることも知らず立っている」 「廊下はひかり」 この2フレーズが、不思議と印象に残りました。 病を告知された時の、衝撃というのか、心の空白感のようなものが、もっと強く出てもよかったのかな、とも思います。 初夏、の繰り返しが、ABA’Cのような心地よい安定感を産んでいますが、冒頭の初夏は、むしろジリジリと照り付けるような、違和感や疎外感を与える空気(陽炎のように、すべてを曖昧にしてしまう感じ)であり、後半の「初夏」が、心地よさに反転するきっかけになっていたら・・・絶望が未来への希望へと反転するような、よし、ジニアの種を育ててやる、ぜったいに、花をみてやる、という生きるエネルギーへと繋がっていくような気がするのですが、いかがでしょう。 今のままだと、現状の認識、受容→回想:過去の病の告知の衝撃→現状:新たな生きるきっかけを得る→現状:実際の行動、という流れに収まってしまうような気がしました。 (ジニア)

2018-06-04

たんたんと、気持ちの変化を綴っていくリアリティーが、とても良いと思いました。 「まるで命を与えていたものが 逆に食い殺そうとするかように」このフレーズは鮮烈。ドキリとさせられます。 最終連、「痛みを忘れた罰を受けてしまう」このフレーズがズシンと重みをもっているので、その後の「だから初期化させたいという考えをやめて」という説明的な一行を省略して、一行アキの余韻にしてもよいように思いました。 (入院)

2018-06-04

微妙なニュアンス、たゆたうような感覚をとらえようとする作品だと思いました。 一連目が、「いつも失い続けている」で始まるのに、一連目が「言葉を残している」で終わっているのは、詩を冒頭で閉じてしまう印象に繋がるような気がしました。 「言葉を残している」を、一連目から最終行に移動するのもいいかもしれない、と思います。 (或いは)

2018-06-04

疾走感がいいですね・・・ 「それでも生きてしまうという絶望は希望を持っていないと起こらない事件」 この、グサリとくるフレーズの「あいだ」を、交換可能性/不可能性・・・そんなこたあ、どうだっていいんだベイビー、みたいなノリ?で埋めていく、ような・・・(すみません、ベイビーというシャウト自体が、既に相当、古い、気がする・・・) 最後に一気に詰めこんだ部分、言葉が次のフレーズに接続していくというのか、変容していくような感覚があり、高速読みをしたらインパクトがあるだろうな、と思いました。 「人間死亡人間死亡・・・」の部分は、間をつなぐ小休止的な連なのかな、とも思ったのですが・・・半カッコに入れたり、配置を右にずらしたりして、外部から入って来るアナウンス、あるいは遠くから響いてくる声のような感じにしてもよかったようにも思います。 (菜々緒)

2018-06-04

部屋の四隅に置かれた水槽、というのが、妙に気になりますね。 古墳の四隅に、守り神として描かれた玄武や青龍の絵・・・悪霊が古墳に入り込むのを守る、と同時に、生霊となって墓から現れ、現世の人に災いをもたらさないように、という、結界の意味もあった、と聞いたことがあります。 そんな、守り神的な(自らを封印するための)アロワナであったような気がしました。 若干、長いので中だるみ感があるのが、残念。 萩原朔太郎の作品に、水槽の中にいたタコが、どうも居なくなったらしいのに、まだ気配だけ(魂だけ?)存在している、ような、なんとも不気味な作品があるのですが・・・ご存知かもしれませんが、あのインパクトは、参考になると思います。 (旋回)

2018-06-04

「実は一次創作としても読める二次創作」 ・・・一時創作としてしか、読めない、変な意味での文藝オタクです・・・ 漢は「おとこ」と読ませるのでしょうか。 冒頭から「暴力が薫る」と書いているのは、元ネタへのヒントを兼ねているのかもしれませんが・・・ 花の山のイメージ、馥郁とした香りが薫る、静かな景色のイメージが描かれた後に、大きな暖かい手で花をそっと包んで・・・それから、ゆっくり握りつぶす、「母」に捧げる。その時の香りが(どのように描写されることになるのか、興味があります)改めて山に広がっていく・・・というような描き方もあるかもしれない、と思いました。 (花の山)

2018-06-04

夕焼け、小詩集、といった塩梅ですが・・・ 三篇くらいに絞って、2、3回に分けて投稿した方がよかったのではないか、という・・・詩篇一篇一篇の構成というよりも、全体の編成に問題があるような気がしました。 良い意味で力の抜けた、ユーモラスな表現、改行の工夫で作り出す読みのリズム(呼吸)など、さりげない気配りの効いた作品群、だと思いました。が・・・群、としての編成、もう少し考えてみてはどうでしょう。 (夕焼けが足りない)

2018-06-04

大事な気づき、ですよね・・・ 「他人の顔色を気にしながら、他人に良く思われたい一心で、常に周りの目を気にかけて過ごしてきた。 そんなことをしても生まれてくるのは、不安な気持ちだけなのに」 たとえば、ここを 他人の顔色を気にしながら、他人に良く思われたい一心で、隙間をひたすら塗りつぶして」 というように、比喩を取り入れてみる、のはどうでしょう。 美術館に行ったとき、絵の心と「僕」の心の間、あるいは一緒に絵を見ている友人と僕の間・・・に、すっと光が走るような瞬間があったり、音(糸電話のような)震え、が、すっと走ったような瞬間があったり・・・しませんでしたか?そんな瞬間をとらえて、言葉で表すことができたら、とても素敵だと思いました。 (隙間)

2018-06-04

妙にリアルな未来予測の後に、SF的ほら話の展開が面白かったです。 最終連は、この話を本気で信じて「ベルグラード」に移住しようと思う人が現れたら困るという心配?をして、付け足したのでしょうか。もっとも、ベオグラードではなく、ベルですから、そもそもの設定が架空とも言えますが・・・ 現地妻云々というのも、一般的な男の欲望、的なイメージなのかもしれませんが、割合に安易な「幸福」の見積り方だなと言う印象もありますね。 エスケープルーム、その中身はいかに?というのが、意図的に描かれていないような消化不良感がありますが・・・ その部屋に入ると、未来予測シミュレーションゲームを、様々な条件のもとに試みることが出来る・・・とすると、ここに記されているような自分の将来を「見る」ことができるゲームを体験した人が、この文章を投稿したとも読めますね。 (Escape Room)

2018-06-02

あるは、という表現が・・・あるいは、という表現の、別の言い方なのか?と思いつつ・・・ ピアノを奏でながら、その曲が〈自家中毒を起こす/呆れるほどに誠実な身体に〉いかなる状況をもたらすのか。音楽が生み出す官能に、鋭敏に反応してしまう自らの肉体を、冷静に見つめている精神が語っているような、そんな印象を覚える作品でした。 ピアノを弾く、というイメージを持ったのは、打鍵のイメージを喚起する〈渇望を持て余し/今ここに/叩きつける。〉と言うフレーズから、の連想ですが・・・〈車内〉という場面設定からは、車の中で流れているピアノ曲のイメージも思い浮かびます。どちらなのでしょう。 〈毒〉とは、我を忘れる陶酔・・・音楽がもたらす魔力のようなものでしょうか。 夕方から夜にかけての鮮やかな天空の変化が、夜、という魔の時空に引き込まれていく光・・・陶酔に引き込まれていく精神・・・の比喩として重ねられているようにも思いますが、最終的に作品は〈この夕べは。〉という形で、壮大な夕景を前にした感慨、というところに落ち着いているようにも思われます。 主テーマが「音楽」なのか、夕景を前にした心の高ぶりなのか、もう一息、整理されていると良かったようにも思います。また、3連と8連の表現が、若干、装飾過多というのか・・・抽象的な形容やイメージに寄りすぎているような印象もありました。 言葉やイメージの美しさに惑わされてしまわないよう、音が心身に沁み込んでいく過程を捉える丁寧な手つきを大切にされると良いと思いました。 (慟哭、今流れゆき)

2018-05-31

〈電線に支えられて〉寝そべっているのは、曇天それ自体、なのでしょうね。 さらに言えば、曇天そのもの、に同化している、語り手の心。 中途半端な白さに、全てが塗り籠められているような、開放感があるのに閉塞感も感じさせる「鬱屈」、若い肉体が抱え込んでいる、解放したいのに、解放できないエナジーのようなもの、それを〈行き場のない熱が校庭にうずくまってる〉と捉える感覚に惹かれました。 〈平穏に飽いて〉いる少年たち。青葉の緑(そわそわと落ち着きがない)と、どこか余裕をもって(くすくす笑っている)ツツジのピンクの対比は、恋(青嵐)の予感に揺れる少年と、見つめられる(見染められる)ことを、どこか楽しんでいるような少女(もしくは、もう少し年上の女性)の暗喩のようにも読めて、面白かったです。 〈赤ん坊の叫び〉からの進行が、いささか急ぎ過ぎているようにも感じられました。 平穏を破る赤ん坊の声が意味するものは、なにか。恋の先にある、種族を繋いでいくという、現実の重み、生活の重み、なのだろうか・・・単純に、鋭い、不安な音(声)が響いて、場面が転換される、気持ちが切り替えられる、という情況を描きたかったのか。 青、が迫って来るというのは、こうした鬱屈した心情を暗示する曇天を追いやる青空であると同時に、青春を謳歌してやる!という気概、のようなものを表したかった、ということか・・・。「戦争」は、青春の荒れ狂う心情を予感した比喩でしょうか。 サイダーの爽やかに弾ける感じ、みずみずしい若さのイメージを最後に持ってきたところで、なんとなく作品が「収まった」感覚もありますが・・・ 「赤ん坊」の声が響く直前までの連が、とても繊細かつ独自の視点で「現在」の心境を捉えているように思われるのですが、「赤ん坊」以降、言い難い心情を一気に言い表そうとして、焦ってしまったというのか、少し乱暴な処理になっているような感覚も抱きました。後半をもう少し練り直すと、とても良い作品になるような気がします。 (夏待ち、曇天)

2018-05-31

E♯minor・・・どこか艶やかな短調のムードを予感させる題名。 整った無理のない文章、きちんと描写しているのに、余計な説明は省かれている度合い。たしかに、「上手い」と思います。それも、技巧的な上手さではなく、自然な上手さ。 二連目の〈沢山の4本足の人たちが、独り言を囁きながら闇の中に消えていく〉この不思議なフレーズに、誰も言及していないのですが・・・ 独り言、というからには、単体というのか、個体をイメージするわけですが、流れから類推すると、まるで二人で一人、のようなペア(アベック いまどき、言わないかもしれませんが)の動きを目で追っている。 どこか動物的、四つ足の獣的なイメージもまとう表現。そのペアたちを「美しい」と思う一方で、自分たちがそうした一体感を持てずにいること・・・もっと言えば、大柄で異性に対しても大胆で、俗にいう「肉食系」の彼女に飲み込まれそうになる自分が感じている違和感、嫌悪感を、どう扱っていいのか困惑しながら観察している・・・そんな「草食系」の青年の視点が面白かったです。 水は「女性性」の象徴ともいえるわけですが・・・肉欲、野生の本能になんの疑いもなく身を任せていくアベックたちの営みを「美しい」と思う一方で、性行為もしくは行為を終えた後の揺らぎを象徴するような水上のボートの動きを、まるで「水死体」のようで醜い、と感じる、このズレの度合いを、繊細に捉えていると思いました。 能動的に、野生、本能の世界に引き込んで行こうとする女性(感性)と、呑み込まれること、陶酔を期待しつつ、本能に身を任せることに抗うような男性(理性)の葛藤を擬人化したら、こんな関係性になるのかもしれません(ここでいう男性、女性は、実際の性うんぬんというより、いわゆるジェンダー的な、記号的な「仕分け」「区分」であって、厳密な定義づけ、ではありません・・・なんでこんなことを付け足すのか、と笑われてしまいそうですが・・・念のため、です(笑) (E# minor)

2018-05-31

「夏のように、立ち上がろう 彼はもう十二日も前に戦争を始めている 君の白いシャツが風に揺れる季節だ」 爽やかな青春讃歌だと思いました。若干、アジテーションに寄り気味、でしょうか・・・。 「天地開闢以来世界は半分地獄に浸っていた」漢語の持つ字面のイメージと意味の重さ、それに比して、具体的な内容に触れずに通り過ぎて行ってしまう、ある種の表層性ゆえに、こうした表現は、少し大仰に感じられてしまいます。 全体に呼びかけ、鼓舞の意思表示に満ちた作品なので、カッコイイ感じの言葉とか、言葉そのものに大きな、重い意味のある言葉は、少し控えめにする。あるいは、アクセント的に用いるなど、工夫を凝らした方が、効果が高まると思いました。 (賛歌)

2018-05-25

詩を読むって、何?というところにまで、つっこんで考えて行く、蔀県さんの思考の流れが、とても面白かったです。 (【4月分 感想】まあさんの「城」)

2018-05-25

西部劇のような舞台背景、ながら・・・「イスラム国」の処刑の衝撃場面を思い出したりしつつ・・・今、読むからかもしれませんが、自己判断を奪われて、機械的に命じられたことだけを実行する一兵卒となることを強いられている自身の現状、あるいは、そうした状況に置かれている青年に対する感情移入、そうした社会への憤り・・・などを感じました。 長島三芳という詩人の、戦後すぐに上梓された詩集『黒い果実』の中に、戦争中、敵兵に銃口を向け、引き金を引いた瞬間の描写が出てきます。撃ち殺した相手の顔が、自分の顔、そして、自分の母の顔として描かれる・・・その衝撃を、思い出しました。 (吹き矢とジョークと皆殺しの仮面)

2018-05-25

読みやすい作品だと思うと同時に・・・若干、小説よりというのか、説明口調が多いような印象もありました。 「目指すところだけが見えやすい」このワンフレーズ、そして、夢に向かって進んで行く青年がくぐっていかねばならない、ある種の通過儀礼的な「門」の怖さ・・・。 先に歩んでいる者に狙われ、撃ち抜かれる、ということ。自分もまた、同じことを繰り返すかもしれない、ということ。 なんとなく、芥川の『蜘蛛の糸』を思い出しました。険しい岩壁を一人で登っていく時の、自分と自然との「闘い」ではなく・・・ライバルを時に蹴落とし、狙い撃ちしながら目標に向かっていかねばならないような、そんな狭隘な道のり・・・ ここには、命じる者は出てきませんが。ここにもし、命じる者の圧力があれば、日大アメフト部の監督と学生の姿が重なって来るようにも思われました。 (天守閣)

2018-05-25

〈落莫たる時間を彷徨って見つけた真理はプラスチックで出来ていてどのデパートにも並んでる広告にも似ていた。〉と〈俺はきっと時間が在る限り怠けるだろう〉このフレーズに挟まれた、現代の寸評。〈頭の中に埋められた種〉は面白い視点です。その種が「多すぎる」ゆえに、芽吹かせることができないのか。そのことが、結局は「何もしない」「何も出来ない」まま、日々を浪費、蕩尽していくことへの「もどかしさ」へと繋がっていく、のか・・・。例示されていくエピソードが、身近で共感を得るものである分、もっと独自の、ユニークな視点を持ち込んでほしいという思いも残りました。 アパシー、久しぶりに聞いたと思いつつ・・・何もする気が起きない、喚起されない、感情が平坦に伸ばされてしまって、ある種の麻痺感覚を受けている、そんなイメージでしょうか。それが〈死ぬる程の苦しみ〉である、として・・・彼、の苦しみへの共感なのか、俺、の生き方、在り方の対峙、なのか・・・俺たち、という「語り手」も登場しますね。俺、の視点と、皆、彼、そして俺たち、次々に投入される主語を見ていると、俺の葛藤であると同時に、俺たち、皆への憤りや諦念を生け捕りにしたい(でも、うまくいかない)という作者の姿勢が見えるような気がしました。 (始発に乗って)

2018-05-24

「壊すの、全然好きじゃ無いんでしょう。  いつまでも壊されている気なの。  いつまで都合の良い夢を見ている気なの」 一行めは、割合に冷静に相手に告げているように読めます。二行目は陶酔感覚に浸っているような感覚があり、この三行めは問い詰めているような印象がある、こうした微妙な変化が面白いフレーズだと思いました。 全体に、気分のゆらぎというのか、勢いで突出する部分と、ふっとつぶやきがかすめるような部分とを取り交ぜて、音楽を作るように構成しているという印象を受けましたが、全体の流れとしては、若干、散漫な印象を受けてしまうのも、実感でした。 (pivot(或いは福音))

2018-05-24

映像がくっきり立ち上がって来る作品になっていると思いました。 「男」が、作り出そうとしていたものは、なにか。そこにファンタジーが及んでいる。 「男」が手品師のように「針金」に命をあたえ、「男」が共に踊っている間だけ、「針金」は「男」の幻想を現実化する・・・ 針金、が文字、であるなら。「男」は詩人、ということになるでしょう。 散文は歩行、韻文は舞踏、とたとえた詩人がいましたが・・・イメージを現実化する、ということを考え続けた作者が「見た」景色を、共に見ているような感覚を覚えました。 (フィラデルフィアの夜に Ⅵ)

2018-05-24

夜通し歩きながら、語り手が思い描いているのは、仮想の青空、なのでしょうか。 見上げた青空が、水の表面のように見えて、くらくらと眩暈がしたことがあります。 その先にあるのは、水底にある(はずの)あるいは海の向こうにある(はずの)異界・・・。 リーディングの際の(息継ぎのタイミングなどの)要素なのか、意識がほろほろと崩れていく感覚を文字に移したかったのか、中盤から後半にかけて、言葉のほつれていくような表現が魅力的ではあるのですが、どうしても法則性や意味を追ってしまう。 霧の中から、切れ切れに言葉が聞こえて来る、ようなイメージである、とするなら(仮定ですが)たとえば さらさらと 砂の匙 現れ また消え らる さらさらと れむに 眠る 砂の時間 菓子ざとう ここの部分を さらさらと 砂の匙 現れ また消え ・・・らる    さらさらと         れむに   眠る     砂の時間        菓子ざとう 配置や三点リーダーなどで、文字(音)が現れ、また消えていく・・・そんな余韻のようなものを「描いて」も面白いかな、とも思いました。(すみません、私の趣味に寄った意見ですので(笑) 適当に読み流してください。) 水を汲む、と言う行為と、空を汲む(汲めないものを、汲み続ける)という虚しさ(=くう空)青のイメージ、本来は湿潤なイメージとなるはずなのに、その虚しさが喚起する、砂を噛むような・・・砂をすくうような、手ごたえの無いイメージ。 そこに、無為に過ごしてしまった一日への想いがにじんでいるように思いました。 中盤以降の、言葉を捉えようとしているのに逃してしまっているのか、あるいは、意図的に捉えることを避けて、戯れるように、あるいは取り逃がすように言葉を先に進めているのか、なんとなくはっきりしない部分、おさまりが悪いような印象も受けます。 (空を汲む)

2018-05-24

はじめまして。春のうちがわ、という題名ですが、作者(あるいは語り手)が自分の「うちがわ」で感じ取った、春のイメージ、という印象で読みました。 春の天候と、様々なシチュエーションにおける「気分」を取り合わせていく。春、それは私にとって、こんなイメージですよ、と見本帳のように広げていく感覚が面白いと思う反面、それだけでは表層的な、気分の並列になりはしないか、という物足りなさも残りました。同じ文体、同じスタイルで繰り返される「のどかさ」「安定感」が生まれる、と言う効果もありますが・・・。 「買ったばかりの洗濯機」、そして、春の漠然とした不安。 社会人としての新生活、あるいは学生としての新しい生活が始まったばかりの主人公の目がとらえた、春の風景であろうと思うのですが、その視点が、もっと読者に伝わるような形で強調されていると、アクセントが生まれたと思います。 (春のうちがわ)

2018-05-24

桐ヶ谷さん作品の題名、誤植だと思います、要ご確認。 (花緒の選評<2018年4月分>)

2018-05-16

「雨の記号そのままに水針は合羽を突き抜けたが」 「休む私は雨を隔てられず 雨に貫かれているのだ」 この2フレーズが特に印象に残りました。 部屋の外、雨の中で仕事をしていれば、当然、グショグショになる、わけだけれど・・・そんな「当たり前」のことを、わざわざ言うのはなぜ?と思っていると、カッパをも貫いて、雨が刺さってくる、わけですね・・・ さらに、部屋の中にいても雨に貫かれている、その理由のひとつは、音に貫かれる、ということでもあるのでしょうけれど・・・ その、意外な展開、の前に・・・特に2連目のところ、説明してしまっているので、意外性をかえって予測できてしまうようなところが・・・その予測を吹っ飛ばしてしまうほどの意外性ではないので・・・もったいないかな。という気がしました。 部屋のなかでも雨に貫かれている、という体感的な事実があって、なんで?と思ったら、どうも、音に貫かれているらしい、とわかってくる、そんな展開も考えられそうです。 (二日連続で雨)

2018-05-15

大作の組ものですね・・・ 現代版の神謡集、といった趣でしょうか。 2節の、途切れがちの吐息混じりのような流れが面白いのですが、他の節ではそれほど文体には差がないのですね・・・最後に、歌うような呼び掛けが繰り返され、連祷となっていきますが、さて。 神々の宮居を失って久しい、その喪失を単純に歌う「哀歌」ではなく、どんな状況にあっても死と再生が繰り返されてきたし、これからもそうだろうという「ことがら」を歌うことによって、その「ことがら」の実現を希求する、祷の歌であると思いました。 自衛隊の基地が挿入されるリアルが、自然界で繰り返されてきた廻りに、何らかの影響を及ぼしている/いない、そのあたりの判断が、あえて曖昧に残されているように思いますが、 >演習場のアリアに己が子の耳を覆った、 蛇の卵のようなキノコの物語を、 私は忘れやしないだろう。 語り手が世紀を越えて生き続ける神的存在の位置に置かれているようなフレーズもあり、他方、いま、引用したように、未来の地点から「既に起きてしまった出来事」を振り返る、という形で、現状を憂うようなフレーズもあり・・・畏怖の観念も自然への敬愛も(自然からの恵みも)薄れていくような「廻り」を批判的に嘆き、戦闘機が青空を(硝子を割り砕くように)飛び交うような世界ではなく、かつての平穏な世界(神々の庭、のようなイメージでしょうか)が再来しますように、という祷の歌、なのでしょう。 ゴールデンカムイとの関連については、正直なところよくわからないのですが(スマホから打っているので、評が同意反復している懸念もありますが)アイヌ語を積極的に取り込むことが、象徴性を高める効果になっているか、エキゾチシズムやムードの招来に傾いていないか、今一度、検討の必要があるように思います。 (Elegy)

2018-05-12

バレエの名手、ヌレエフのバレエシューズがオークションに出され、とてつもない値がついた話を思い出しました。 一人の人生の歩みや、スポーツなどの辛苦を共にした靴の持つ意味。 気になる作品でした。 (靴)

2018-05-10

ひとつひとつの作品はとても魅力的で・・・小詩集のように読んだのですが、ひとつひとつの良さが、これだけ並ぶと、お互いに重なりあい、消しあってしまうような気がして、ちょっともったいないと思います。 違反してはいけない、というような「縛り」ではなかったと思いますが、3000字というのは、紙媒体の詩誌の見開き四ページくらいにあたる分量だと思います。 会社での困惑や、大阪弁?を軽やかに「ひょうげた」調子で取り込んだ作品群と、ひばりに象徴されるような心模様を描く作品、と、とりあえず仕分けしてみてはいかがでしょうか。 ()

2018-05-10

前作と続けて読むと、早逝したお父さんの気持ちに成り代わって、息子が歌っている歌、のように思われてきました。 祈りと言う題名が、ストレート過ぎるような気もしますが・・・ いのちのつながり、それは、たしかに「君」の身体の中にあるんだ、その確信を・・・頭でだけではなく、心でも、体でも、全てで感じ取りたい。そんな切実さも感じます。 どのように、内なる父、の存在を、息子は体感していくのか。その過程を(今後)読みたい、と思いました。 (祈り)

2018-05-06

「きみ」に、この言葉が、心底、届いてくれたらいいな。 そんな想いに駆られました。本当だよ。 (北極星)

2018-05-06

切実さや寂しさ、虚しさがストレートに伝わって来る作品だと思いました。 一行めが・・・言葉としては強いのですが、セックスと言う言葉が安易に使われるようになっている現代社会で、逆にインパクトを弱めてしまうような気もします。二行目から初めて、流れの中で(セックスでしか優しく出来ない)という現状認識と諦観、そうでない方向に行きたいのに行けない、というジレンマを出してみてはどうか。 また、題名が「心」、ナイーブなテーマであると同時に、受け止め手によって、極めて多様な解釈が生まれる、広い意味あいを持った言葉です。 最終行の「観測日記」無機的であるようでいて、作品の様態をよく示していて、なんだろう、という読者の好奇心をそそる単語でもあるので、これを題名にしてみてもよいかもしれない、と思いました。 (心)

2018-05-06

豊かな物語性を感じさせる作品ですね。 くり返されるなぞの書きつけ   「あなたと愛を交わした    見習い天使は 崖から    落ちて 死にました     R.I.P」 まるで一心同体であるような少年少女、あるいは、少女どうしをイメージしつつ・・・一人の肉体の中に二人の人格がいる、そういったドッペルゲンガー的な双子、のイメージもありました。 辛い現実(社会的な非難、学校と言う場での疎外)のゆえに、片方を死ぬがままに任せてしまった語り手。肉体、裸眼を思わせる瞳で始まり、義眼で終わる(現実、真実を見ない、という拒否の表現と取りたい)展開、異界的なエピソードの挿入など、構成に工夫が凝らされた、物語性、寓話性の強い作品だと思いました。 現実世界ではあり得ない看護学科(ハリーポッターが入学した魔法学校のような)場所に、むしろ逃避して、現実界のもう一人の「わたし」を見捨てた語り手、と読むことも出来そうです。 「わたしの兵隊」とは、何者か。辛い現実世界を見せないようにするための、自己抑制のための威力か。真実を知るために、片方の目を失う、というようなエピソードがしばしば神話に描かれますが、ここでは両目を失う設定ですね。 とするなら、現実を薄れさせ、人を幻想の中に閉じ込める、夢をもたらす存在が、兵士、ということになるのか・・・ もう少し散文的要素を増やして、物語的な展開を強調しても良いかもしれない、という読後感もありました。 (Dreams)

2018-05-06

最初の「~日替わりの人間」は、かくかくの行為をする人間、という一般名詞。2フレーズ目からの「~根拠も考えず人間」「~判断しているのだ人間」・・・「~家を建てまくり人間」までは、いわゆる種別というのか、○○人間、という表現になっていますね。 そして、最終フレーズで、「それに気づけない人間は人間」気づけない「人間」という種類の生きものであるところのホモサピエンスは、人らしさ、人間らしさ、という価値観を持った真の「人間」である、という結語になっている。 確かに、行分けにした方が読みやすいかもしれませんが・・・あえて分ける、なら、最初の1フレーズと最後の1フレーズだけ、改行で独立させて、真ん中を(あしなが人間とか、野菜好き人間、仕事マニア人間、というような、ある種の種別というか、類型化というか、定義づけ、のような羅列部分として)改行無しで詰め込む、というような手法もあったかもしれません。 題名、これでいいのか、どうか・・・定義、とか、分類、というような題でも面白いかもしれないと思いました。 (人間)

2018-05-06

コメント欄の議論が、非常に面白かったです。深い。 (恥一滴)

2018-05-06

「大犬の陰嚢」漢字で書くと、ええ!という感じになりますね(笑) オオイヌノフグリ、緑の濃くなってきた畔などに、まるで青空の欠片のように咲く小花。 そんな存在になりたかったのに・・・画一的な教育、空気を見ろよ、的な教室内のムード、全員平等といいながら、時には理不尽なカーストが厳然と存在している現実・・・まず、なによりも「逃れようのない」場所だと思える閉鎖性、そこが問題の根源であるような気もします。 同質性、同調圧力に「飲み込まれたくない」という意志を、どのように表現するか。 もっとも、誰からも「目に留められることのない」スクランブル交差点のアスファルトになってやる、という発想の転換、そして、アスファルトに眼鼻、口があって、空を見上げているような、豊かなファンタジーが魅力的な作品だと思いました。 (跡形も)

2018-05-06

野蛮、とは何か・・・今、台湾からの引揚者の回想録を読んでいるので、なおさらそう、思うのかもしれませんが・・・西脇順三郎が、台湾に代々住み続けた民を「土人」と呼び(もちろん、当時の社会性が影響していますが、西脇には差別的意図はなかったと考えています)土人=野蛮人=シュルレアリスト、としての、新たな可能性を見た。単なるエキゾチシズムともいえるかもしれませんが・・・ 他方、一般の「臣民」(当時の日本国民)は、植民地台湾を下等と見て、裸足でのびのびと遊ぶ、台湾引揚者の子供を野蛮人、といって嫌ったり差別したり、矯正しようとした・・・その、落差、について、考えています。 野蛮=下等、文明的=上等 これは、本当に正しいのか。 レヴィストロースによる反転、反証、ツイアビ酋長の言葉がヨーロッパに与えた衝撃・・・アドルノの「物象化」もそうですが、個としての「いのち」を、「人材」として消費、活用すること、それもいかに効率的に行うか(富を生み出すために)ということが文明化、であるならば、いのち、魂、を軽視している「先進国」は、極めて「野蛮」で下等な方向に退化している、とも言えますね・・・。 「夜」は、敬虔なキリスト教徒の方が読んだ場合のショックを考え、かなり迷った作品でもありました。 マホメットを揶揄した場合のみならず、社会批判に象徴的に用いた批判の場合であっても、かなり重大かつ深刻なショックを与えてしまうケースなども念頭にありました。 もっとも、聖母マリア信仰が浸透している地域では、文学的な反語やラジカルな批判という読み方も浸透しているであろう、という・・・見通しとしては甘いかもしれませんが、前提のもとに、見切り発車をした部分もあります。 ボルカ氏に、出典を示してほしかったと記したのは、以上のような懸念も含めてのことでしたが・・・いまのところ、文学的なシニカルな比喩として認知されているようなので、読者の側の寛容に、引き続き希望を持ちたいと思っています。 ちょっと脱線してしまいましたが・・・。 (【選評】「夜」)

2018-05-06

一連ごとに、短詩、もしくは俳句が「その先」に置かれているように思いました。 詩が生み出される一歩手前の、詩が発生した時点、自分の中に詩情が涌いてきた瞬間の写生。 丁寧な表現(ところどころ、丁寧過ぎて説明過多と感じる部分もありますが)なので、考え込まずにスムーズに読めますが、いわゆるメタポエム、詩とは何か、詩はいかにして発生するのか、という問を含んだ、詩論を内包した作品だと思いました。 (詩)

2018-05-06

「散った桜の水分が 踏まれた傷跡から 立ち昇っているから」 この発見、気づきが、とてもよいですね。 前半は、もう少し・・・詰めることもできる、かもしれないけれど。 肌にまとわりつく空気の質感を、うまく表現していると思いました。 (つぼみは、ひらくときに(裂けるので)痛いだろうか、と思いを馳せた詩人がいました、そういえば・・・) (ある春の帰り道)

2018-05-06

ひとつひとつのセンテンスから立ち上がって来るイメージや強度の問題と、全体のフレーズとして、ストーリーや連関としての強度の問題と・・・論理的連関の強度を強めていくことが散文の特性である、とするならば。 呼吸やリズムのみで(あるいは見た目の長さ、で、テキトーに、という安易さで)改行されていく、通常の「行分け詩」(改行を無視してつなげると、ひとつの冗漫な散文になってしまうようなたぐい)に、方法論的にアンチテーゼを突きつけているようにも思われました。 実際に読んでみて面白いと思ったのは、恐らく作者の意図が入っている(偶然の組み合わせであるとしても、その無限の偶然性の中で、一つの順列を選択する際に、なんらかの意図や直観が作用している、というような意味合いでの意図)順列どうりに読んで行ったときに醸し出される、生命現象や生存(社会的に延命させること、あるいは希死念慮のある人に生存を強要すること、されることと、自ら選び取ることとの間)といった問題への興味や、記憶の混乱といった現象への興味を意識的に提示していく、コンセプチュアルな側面と・・・番号を探しながら読んでいくうちに、今、読んだばかりの行のインパクトが急激に後退して・・・いわば、新たな情報によって上書きされていくような、不安定感、不安感が立ち上がって来ること、でしょうか。 現代社会における・・・時間としては継続しているはずなのに、(情報過多ゆえに)出来事としては不連続である、そんな体感を、作品そのものの読後感がひとつの比喩として提示しているようにも思いました。 コンセプト過多な作品ではありますが、文字やセンテンスとして「読解不能」であったり、独自言語を恣意的に作り出したりしているわけではない。文法のルールにのっとった上で、テクスト全体として新たな質感を提示する(全体で、体感を比喩する)という試みとして読ませて頂きました。 (00. Vexations (Tempo di Aritmia))

2018-05-06

藤一紀さん たしかに、エクリチュールの独り歩き、これは多々ありますね。その独り歩きを、あえて利用する、という手法もあり・・・ブレイクの、ひと粒の砂の中に云々、という部分も、かなり異なったイメージで引用されている時があって・・・一節、あるいは一言、から、自由に連想する面白さもまた、詩情と言えるのかもしれません。 花緒さん くつずり ゆう さんの作品ですね。官能性、比喩の豊かさ、右目と左目、その象徴性、など、とても上手い作品だと思いました。適度なタイミングで、アクセント的に会話(相手の言葉)を入れて来るセンスなども。ただ、その上手さのゆえに、右目と左目で見る世界の齟齬(光の世界と影の世界の齟齬、など)の観念性と、「私」と「あなた」との間にある「崩せない水槽」という物理的な隔たり、近づくことのできない壁のようなもの、の切実さが、いまひとつ、伝わってこないような感覚がありました。装飾性が強いというのか、修辞の鮮やかさが先に立つように感じられたことが、今回、言及しなかった理由、です。 なんとなく、「あなた」は、漁師のような野性味ある年上の男性(もしかしたら、学校の先生)で、「私」は女生徒、の設定をイメージしたのですが・・・男の方は、自分の世界に入っておいで、と誘っておきながら、崩せない水槽、のような、厳然たる壁があることを知っている。女の方も、男の「いろか」を「渇かない水溜りのあるひと」と的確にとらえ、二人の間を隔てる境界線の上を歩くジョロウグモの危うさに、自身の感情を託してもいる、けれども・・・洒落た比喩を考案したりする余裕がある。つまり、切実に、この男の「いろか」に参ってしまっている、わけでもなさそうそうですね。こうした関係性を、様々に想像させる、とても巧みで、面白い作品でした。 二条千河さん 自分の死を、未来の生が乗り越えていく・・・ユニークであると同時に、とても大切な、普遍的なことだと思いました。日々、夜ごと、眠りのたびに人は「死」に、また新たに生まれ直す。その断絶と接続を繋いでいるのは記憶の連続性、であるわけですが・・・その記憶が、容易に(ショックなどによって)書き換えられてしまったりする。その不可思議さ、怖さ、或は・・・自分で書き直していく、上書きしていく可能性も含めて、魅力は尽きません。 (【選評】3月投稿作品)

2018-05-05

雲一つない、一点の陰りもない青空(のような心)と読み替えると、その嘘くささ、偽善的な臭いに、不気味さや恐ろしさを感じるようにも思います。 何も隠れるところ(影)のない青空は、強烈な光に照らし出されている、ということでもあり・・・照らされてしまう、さらされてしまう恐怖、もありますね。 青の深さ、広大さが、空虚に通じる。そうした怖さもある、と思います。 青空の怖さに、なぜ、どのようにコワイ、恐ろしい、のか、もう少しそこを考えてみても面白いかもしれません。 (空を仰いで)

2018-05-05

喘息の苦しみでしょうか。 子供時代の苦悩と、その場でこらえている少年の苦悩がリンクし、内面の孤独という点においても、共感とは違う形で、いわば戦友のような・・・同志的な親近感で、少年の内面にまで、想いを馳せているのかもしれません。 最後の一行、旅立ちをイメージさせるものでもあるので・・・前半で出て来た少年に再び視点を戻して、少年が自身の孤独や苦しみに「さようなら」と呼びかけるような展開(そこに再び、自身を重ねる)もあり得たかもしれないと思いました。 (球体の想いで)

2018-05-05

目玉が裏返って、サイケデリックな脳内の(無限に広がる)宇宙空間を幻視する・・・ 外の世界に飽きた(とは書いていないけれど、飽和した、という感覚、情報過多の外部世界への拒否感を感じます)眼球の意志のようなものを感じました。 ナトリウム、エメラルド、などの鉱物系の語感、シナプスや海馬といった術語的な用語を、実際の意味よりも言葉の喚起するイメージでとらえ直すセンス、直接意味の繋がらない言葉同士を、言葉の音韻で飛び石のようにつないでいく音感など、とてもハイセンスな作品だと思いました。 欲を言えば、脳内に広がる無限/夢幻のきらめきを見た、その入り口で留まってしまっているので、もっともっと、その内部に踏み込んで行ってほしい、あるいは、そのきらめきの間に、なんらかの別個の意味や存在を見いだしてほしい、そんな読後感もありました。 (乱酔夢脳内夜景)

2018-05-05

断章形式の、非常に魅力的な作品だと思いました。 連ごとの外面的(情景的)な関連性が弱く、飛躍の幅が大きいので、各連ごとに*などで区切りを入れても良かったかもしれません。あるいは、無機的に番号を振っていく、など・・・。 引用、参照に関しては・・・そのままフレーズを引用しているのに、それを明示していない場合、無断引用、と「みなされる」ことがあります。「誰もが知っている」著名な作品からの引用であれば、本歌取りと同様の扱いを受けることもあります。イメージやアイディアを「参照」している場合・・・印刷物では、誰それの○○と言う作品からインスパイアされた部分がある、とか、参照した部分がある、参考にしている、などなど、なんらかの言及をすることが多いですね。「みなされる」と書いたのは、引用された側や、第三者による指摘があって、それから問題になることが多い、からです。何年も経ってから問題になることもあるので、出版などの際はかなり慎重になる方が多いです。 もちろん、問題になるから、いけない、ということではなくて、相手方へのリスペクトに欠ける、と見做される可能性があるからです。本来、相手方の作品に感化されたり、情感を喚起されたり、詩情を引き起こされたりする、つまりは、相手方へのリスペクトが「引用/参照」のきっかけであるのに、それが逆の意味合いで取られてしまったら、非常にもったいない(自分の作品を無断で「改良」された、と相手方が考える場合もあり・・・なかなか、難しいところです)と思います。 引用、参照、に関しては、幅広く捉えれば、私たちの言葉そのものが、父祖代々受け継がれてきた用語や用法を習い覚えて、例文を覚え、組み合わせを変えて「使える」ようになっていくもの、であるので、何かしらの引用、参照でほとんど全てが出来上がっている、と言えなくもない。 私自身、自然の情景などから詩情を喚起されることもありますが、他者の言葉に反応して、自分の中から言葉が出て来るときの方が多い。その意味でも、積極的に他者の作品のイメージやアイディアを自身の作品に取り込み、より膨らませて相手方に還す。相手方も、その応答の中に、自分が言いたくても上手く言えなかったこと・・・逃げていくポエジーの後ろ姿を見いだしたりする。そんな、ある種の共同作業が生み出されていけば、本当に素晴らしい、と思っています。 (参照点)

2018-05-05

補足です。 「人間の尊厳、もっとも大切な部分を根底において、そこから考える、と言う考え方を、どのように履行するか、という時に、右翼と呼ばれたり左翼、と呼ばれたりする、」この部分に、その履行のやり方、方法の差異、とる手法の違い、が、イデオロギー的な方法論の差異として現れる、ということもあるのではないか。と、補足します。 権力を有する側からの(啓蒙思想時代の、立件民主主義の原型のような考え方)改革、虐げられた側からの改革(革命)・・・いずれにしても、急進的になり、暴力的になり、ドラスティックに、自らの主張を他者に押し付けようとする強引さや、異なる意見を排除しようとする狭量さが現れて来れば、それは「人間」を損なうもの、となってしまう。 ひと、を損なわない・・・ひとりひとりが、少しだけ、自分の欲望をセーブしながら、寛容の精神で(多様性を楽しむ、という余裕をもって)生きることができる社会は、いつ、訪れるのでしょう。権力者が、人々のため、ではなく、自分たちの欲望の為、恣意的で短絡的で利己的な行為を「恥」と思わずに行っていて、それを(自らが利益のおこぼれを得るために)支持する一部の人々が、経済を牛耳っているように見える、この私の「社会の見え方」は、歪んでいるのか。間違っているのか。そのことに、言葉でなんらかの提示をしないこと、それ自体が、既に間違っているのか・・・いま、こうした問いが、私の中で渦巻いています。詩、で、その提示を行うべきか、否か、についても。 (「ふたたび殺戮の時代」のためのスケッチ)

2018-05-02

大事な論点を提示(ご指摘)頂きながら、日がたってしまいました・・・ 〈現政権とその支持者を「保守」と呼び、その反対者を「リベラル」と呼ぶ〉のは、詳細に見て行けば当然、思い込みの部分がいくらでも出て来る、と思いますが、一般的に、そのように理解する人が多いであろう、と推察しています。 その一般的な視点から見ると「正論」であるような意見を述べているように見せかけながら、実は反語としてあえて批判的に提示する、という方法もあるでしょうし、その反語的な(より一層の)強さを、私が読み取れなかった、読み落としている、という批判であれば、まさにその通りであるわけなので、ご指摘の通りだと首肯する次第、なのですが。 ・・・この私の返信自体が、ズレを生じているのではないか、という(ご指摘自体を誤読しているのではないか、という恐れ、ですね)思いも否定できません。 〈「私たちは多数だ~「そのひとびとは「私たちであり、あなたがたなのだ〉において展開される(一般に少数者、と言われる側が、実は多数者だ、という)逆説部分、なぜなら、それは〈私たちであり、あながたがなのだ〉それなのに、歪んだ政治を行い、歪んだ権力の行使を(自らの欲望のままに、一時的、短絡的な利己心のために)続けるのか、という叫び・・・に、非常に強く共感しています。 それゆえに(というのも変かもしれませんが)これほど「まっとう」なこと、本来であれば「当たり前」であること、尊重されてしかるべきこと、が、蔑にされている現状、ここに怒りを覚えずしてどうする、という「正論」が、真っすぐ過ぎて・・・かえって届きにくくなる、ということはあるまいか、という思いがあり、作品にコメントを入れました。 一般的に、「リベラル正論」的だと思われるような文言が、重複的に列挙されることによって、かえって、その効果が弱まりはしないか、ということです。 言い訳めくかもしれませんが、単純に本作品が「リベラル正論」すぎる、と批判しているわけではありません。一般に、リベラル正論的、と見做されるような言葉が、多数、列挙されているように感じた、と言う方が正確かと思います。そして、私個人として同意したり共感したり肯定したりしているかどうか、ということよりも、一般的に「〇〇の印象を受ける」のではないか、という・・・個人の想いをどちらかというと封印して、一般的にどのように受け止められるか、という思いが先に立って、「正論」すぎるのではないか、という言い方を、コメント欄に記した、と記憶しています。 〈私はむしろここに古いタイプのナショナリズムとの親和性がある〉 〈「金と力でこの土地に介入しながら~この土地のことは、この土地に生きて死んでいく者が決める」という信念〉 〈もっとも私はその危うさに気付きながら、私は私のなかの「私たち」の声を抑えつけることで「私たち」の独裁者になりたくはなかったので、むしろ「土地」という言葉を詩から取り除くことによって、これまでまったく違う角度から同じ自己決定権を求めてきた左翼にとってもやはり同意できるものにしようと努力しました。〉 特に、〈これまでまったく違う角度から同じ自己決定権を求めて来た左翼にとってもはやり同意できるものにしよう〉この部分ですね。 人間の尊厳、もっとも大切な部分を根底において、そこから考える、と言う考え方を、どのように履行するか、という時に、右翼と呼ばれたり左翼、と呼ばれたりする、のかもしれない・・・いずれにせよ、行き過ぎたイデオロギーは、右翼であっても左翼であっても、私は間違っていると思っています。 〈「はじめに「私たちがあった~「彼らの左右してよい国ではない「ここは私たちの国なのだ「私たちの国を取り戻そう、私たちの手に」〉原口さんの作品の、この部分、理想として実現されるならば、こんなに素晴らしいことはなく、また「まっとう」な意見であり、怒りの叫びであり、私も完全に同意する部分なのですが・・・その完全な同意、が、大多数の意見となって雪崩のように少数者の意見を飲み込むとき、それは・・・〈古いタイプのナショナリズムとの親和性〉を持つ「同調圧力」となるかもしれない。 私たちの国、として、私たちの手に取り戻そう、という言葉を、そのままに、この作品の主調として受け止めてよいのか。あるいは、反語として、批判的に、受け止めなくてはいけない、のか。 コメント欄に書きながら、だんだん、わからなくなってきました。もっと自分の考えをしっかりまとめてから、書くべきだったのかもしれない。前提として、原口さんのご指摘を、私が読み誤っているのではないか、という危惧があり、作品そのものを、ストレートに私が受け取りすぎているのか、あるいは、反語として受け止めるべきなのか、そのことにも、迷いが生じています。 コメント欄を拝読して、原口さんの(私のコメントの)受け止め方と、私が伝えたかったこと、の間に、そもそも齟齬がある、ような気もしないでもない、のですが・・・ いかがでしょうか。 (「ふたたび殺戮の時代」のためのスケッチ)

2018-05-02

たまきはる、と、玉の緒よ絶えなば絶えね・・・どちらが、よりぶっちぎれているのかな、と思う時もありますが・・・。 手作り詩集や私家版詩集も、月評担当の方は丁寧に取り上げて下さることがありますので(そのような方にご依頼している、ので)お送り頂ければ幸いです。 (たまきはる)

2018-05-02

私は、スラッシュの代りにスペース(ひと文字分アキ)を使います。人それぞれ、ですが! (PLANET NEWS LEVEL 7)

2018-05-02

少し離して「付け」られた、最後の一連、甘めの呼びかけ・・・この部分を添えるなら、半カッコにするとか、少し余韻的な響きにした方がよかったかな、と言う印象も持ちました。 言葉を発する、ということ・・・真実を、ほんとう、を、語ろうとすればするほど、それは騙りになっていく。嘘、になっていく。意図的に嘘をつく、こともある。その都度、心が血を流す人と、そうでない人、がいる・・・ 少年の純真さ、まっすぐさ。嘘を投げつけ合い、傷つけあい、あるいは守りあう、言葉を武器としてぶつけ合う、戦場。言葉を密に並べる部分と、読みの間合いを作る部分を「かたち」で作っていくメリハリの付け方も、良かったと思いました。 (a lie)

2018-05-02

立ち上がりが新鮮でした。クロアゲハ、死や不穏な予兆を優雅に印象付けるモチーフですが、ここではどんな意味を担っているのか。 黒揚羽を踏みつぶす、という暴力性(衝動)と、何が、誰が、黒揚羽を殺したのか、という問いかけとが対になっていて、奔放に飛んだり意味より音韻で即興的に続けたり、という詩行の流れに骨格を与えているように思いました。 重力を食べる、というフレーズに、レーサー(のような生き方)のGがかかるイメージを感じ、その様子を見つめるサーキットの娘を、目撃者に設定している(どちらも、作者の目線ではある)そんなイメージで読みました。 ガリと言えば「おすし」のガリ、を想うのですが・・・ガリと食べた、と記されると、ガリっと齧ったという擬音語のようでもあり、ガリさんという人と一緒に食べた、とも読める。そのあたりの遊び心のようなものも、面白かったです。 (ガリと私)

2018-05-02

半かっこで埋め尽くされた部分、国会前デモの群衆の声を大量に録音して、コラージュして作り上げたテキストのように思われました。 ただ、内容があまりにもリベラル的正論に寄りすぎていて(それだけ、せつじつであり、現在に必要な言葉でもあるのですが)重複するような内容を、もう少しセーブしても良いような気もしました。一つ一つに重厚な意味があり、切実さがあるゆえに、濃厚な絵の具(油やリキテックス)をひたすら重ねていったような、濃さが目についてしまう、と言えば伝わるでしょうか。もちろん、余白や余韻の作り方といった、好みの部分も大いに影響していますが。 後半の紫陽花部分も、水彩画の塗り重ねのようになっていて、ここももう少しセーブした方が、かえって印象が強まるように思いました。 個人的に秀逸と思ったのは以下の部分でした。 漏れる レジュメのうえに「こぼれた大量の記憶 「覚えられないことは   たとえば「国を追われるとき ひとつも持っていけない「だから 私は空を見るのが好きだ (「ふたたび殺戮の時代」のためのスケッチ)

2018-04-26

人名のように思わせる導入、天候の嵐だったかと思わせ、いや、心中の嵐かやはり、と展開させる中盤が、手慣れているというか、上手い作品だと思って読んでいたのですが・・・ 最後・・・処理が雑と言うか・・・作り物感が一気に加速してしまいます。 彼女の声が今日も聞こえてくる いつまでも16歳のままで とか・・・いま思い付いた案なので、まるでダメですが (無題)

2018-04-26

「お題」があったのですね。 たまきわる、と読むのでしょうけれど。題だけ見たら、玉木(環)はる そんな人名を連想してしまいました。 ひらがな、ゆえに丁寧に読み手は音を追いながら、後から意味を足していく。アフレコ、というよりは・・・腹話術芸人さんが、衛星放送、という芸を披露していましたが、そんなズレが楽しいですね。 たぶん、朗読で聞くとまた、そのズレが異なった速度で加わってくるのでしょう(あえて聞かずに、文字テクストとして読みますね)頭の中で反響する音と、セル画のように重なっていく意味。眼鏡ないと、あたりの、ちょっとしたユーモア、枠が無いとこぼれ落ちてしまうという切実さ、そこに、命をかけて「今日を生き直す」感覚がある。 重くなりそうなところを、ワクワク無いと、と持ってきて、楽しく生きよう、というメッセージ性も伝わってくるようなところがあって・・・重さが所々、空気抜きをするようにユーモアで彩られていく、そのセンスというかタイミングが良かったです。 (たまきはる)

2018-04-26

高望みせずに、まで読んで吹き出してしまいました(笑) 谷川俊太郎さんのソネットへの返歌とも言えそうな作品。 救出される、それは、果たして良いのか、どうなのか・・・舞台俳優が、舞台で演技をしている最中に死ねたら最高、みたいなことをよく言いますが。 異次元にトリップしてハイになって「詩」を書いたとして・・・そのときの陶酔感はサイコーなのに、「地上に戻って」我に返ってみると崩壊しまくりの作品で、見る影もない、そんな「詩人アルアル」を連想しました。 (PLANET NEWS LEVEL 7)

2018-04-26

一連め、二連目が、新入生でごった返すキャンパスや、新入生となかなか馴染めない教室での光景のようで、とても面白かったです。言葉の飛ばしかたや比喩の匙加減もいい感じ。 三連目が、若干、いきぎれぎみというか、安全圏に着地したという印象で、ちょっともったいなかったかな、という気がしました。 一連、二連くらいの(比喩の)粘りを持続させる、もしくはジャンピングボードとして、三連目でさらに飛べたら、もっといいかも。 (ぽい!)

2018-04-26

無鉄砲な、からの断章的と言うのか(一行詩なので、章とは言わないかもですが)スナップショットのような流れが、とても良いと思いました。 前半が、音感に行くのかイメージに行くのか。どちらに転ぶか決めかねている、ような曖昧さがあって、こちらにはあまり惹かれなかった・・・・後半推しの作品と言えばよいでしょうか。 (大行進)

2018-04-26

1、2連目は、若干、観念的かなぁ(それこそ、大学サークルの現代詩同好会などでは、優等生的、と言われるかな、的な)感覚があったのですが、三連目から、非常に面白い。 池井昌樹さんのリズムに(現代詩作家のなかでは)近いものがあると思いますが、連の最後での鮮やかな覆しかた、これがなんとも爽快ですね。 単に意味で引っくり返しているのではなく、グサッと刺さる鋭さを持って反転してくる。 最後の一行があるかないかで、また、かなり変わってくるようにも思いますが、この一行が置かれて・・・既に死者となった地点からの語りでもある(その事を想像してみた次元からの語りも含めて)ような気がしました。 (線)

2018-04-26

最終部分の・・・と書こうとしていて、既に三浦さんから質問が置かれていました。 自分を少しずつちぎりとって、出会う誰か、出会う何かの中にそっと埋め込んでいく。 言葉を発するというのは、そんな感覚もあって・・・ 誰か、の中に置かれた言葉は、変容し芽吹くこともあるかもしれない。 風の中に埋め込まれた言葉は、風化して粉になって消えていくかもしれない。 それでも、消える間際に、私のしらない場所に連れていってくれて、そこの景色を(言葉に、風が)見せてくれるかもしれない・・・そんなことも思います。 メッセージ性、というのは難しい言葉で・・・席を譲りましょうとか、自己主張して/せずに生きましょうとか、そういう、何らかの社会性というのか、ルールとか倫理性を含んだものをメッセージ、と呼ぶ人が多いような気がしていて・・・そんなものなら、交通標語みたいなもので済ませればよい、わざわざ詩に書かなくても良いと思うのだけれど。 石の言葉、木々の言葉、海の、空の言葉、人の内面の言葉、目に見えない、でも、そこにあるかもしれない言葉を、詩を書く人が「自分へのメッセージ」として読み取り、それを誰か不特定の人とシェアしたいとか、誰か特定の人に伝えたいと思ったとき、それは十二分に詩であって・・・そうしたときの「メッセージ」は、一般的な用法のメッセージとは、違う気がするんですよね。 作品とレス欄を見ていて、そんなことを考えました。 (笹竹)

2018-04-26

春風のなまあったかさが、あの人の温度、と、ある意味予想通りに持ってきたところからの、気味悪い、という予想外への持っていきかたとか、猫、雀、それぞれの「出現」にはなんの関係性もないし、その関係性と自分との関係性もないのに、飛び出してきて驚くとか、雀の飛ぶ軌跡に見惚れる、といった・・・偶然が産み出した心の動きを丁寧にとらえている。しかも、その動きに余計な意味を見いだしたり後付けたりせずに、なんか気になったから、書いておく、きっとこれって、大事、という直感に導かれていく感覚を丁寧に置いていく。 そのあたりが、とてもよいとおもいました。 偶然を必然とする、天の声のようなもの。 たまたまの出会いが、あとで、とっても大事な、神様に仕組まれた出会いだったのかもしれない、と思うくらいのきっかけとなって、記憶に残っていくということ。 そうした偶然の働きに素直に目を止めている。そして、そうしたことを薄々感づく、その縁をなぞるようにして、かろうじて生きてきた、というような、過去の物語(記憶)のまとめ方が、とても詩になっていると思いました。 (わたしは春虫)

2018-04-25

息の長い流れとリズム、区切り方の工夫が良かったです。 抽象的な「風」(人生におけるトラブル)から入って、家族の重さというテーマに入り、重くなりすぎる前に「桃太郎」的なギャグに重さをのがしていく。そこからマンドラゴラに「飛ばす」間合いと、ダンゴムシに焦点を合わせるユニークな比喩の距離感も「いい感じ」に力が抜けていて、そこから呪文のような「だから 目 を合わせない」のリフレインも陶酔感があって、面白かったです。 都会、というオトシ、決まりすぎと言えば言えるんですが(定番というか)題名との引き離し具合で、うまくバランスを取っているので、うまく収まった、スッキリした、という読後感を味わえました。 (負けた!そんな日曜日にふさわしいのかい?いや、そんな事はない。)

2018-04-23

1連目の終わり方の突き放しと、2連目のウケが生真面目にはまっていて、面白いと思いました。 三連目の激甘はなんとも・・・タフなビートを口笛で吹きながら、ここから、もう少し予想外というか、あさっての方向に飛ばしたら、もっと面白くなったんじゃないかと思いました。 (恋という138億年のビートが詩になって)

2018-04-23

「僕のためにある光」 「あちこちに光が蔓延して 夜景とかはちょっとした皮膚病っぽくて」 「僕は光になりたくて どうぞ僕を使ってくださいと思うけど」 「手の届かないチラチラしてるような光が好きだから 僕の眼のなかにそれを宿していたいとは思います」 この冒頭のモノローグの部分、光が実景になり、比喩になり、願望になる。 この変換がとても心地よいと思いました。 (うそのはなし)

2018-04-23

心の空洞が、グリセリンで埋まっている、この発想がユニークですね。 ひびだらけ、あかぎれだらけの心が、暗闇に浮かんでいて・・・ミラーボールのようなきらめきがその周りの空虚を埋めているような印象がありました。 (本文中に、歌詞や他作品の引用がある場合、注記などで触れておくとよいと思います。無断引用、さらには盗用になってしまうことがあるので。) (おやすみ)

2018-04-23

「部屋を舞う埃の一つ一つまでもがはっきりと照らされる 清潔な寂しさが部屋を満たす」 「太陽と空 空と大地の距離の孤独を煮込んだ ような金色が」 「凍り付くように止まった暖かい時間だ」 淋しさや孤独といった、言い表しがたいもの、感じられるのに表現しにくいもの、を体感の比喩に置き換えていく、探求のエネルギーに惹かれました。 凍り付く、と暖かい、この意味としては真逆の対比が面白いですね。 光を受けて静止しているかのような埃のきらめき・・・そこに孤独や寂しさが、「温度」や「質感」になぞらえて「たとえ」られ、さらにその瞬間の豊かさのようなものが、「暖かさ」に置き換えられる。 ある瞬間の「美しさ」、からっぽなのに満たされている感覚が・・・美しい記憶、として蓄積されていく、その予感が素敵な作品だと思いました。 (黄金時間)

2018-04-23

初夏の妖精を、リアルな質感で描き出しているように感じました。 「人生綱渡りならあんな風にって 寂しそうに学生がつぶやく」 「少年は空中で青葉になって 風に散る 空は一層深く青い」 季語の「青嵐」を思い出しました。 実際の季節の描写であると同時に、青春の嵐(恋愛や、夢中になって取り組んでいる何事か、に翻弄される心模様)の行方を、憧憬をもって描いているようにも感じられて、爽やかな印象が残りました。 春の終り、あるいは夏の始まり、と言葉で説明してしまうと、あっさり過ぎてしまうので・・・自然の事物のなんらかの変化(具体的な花の散り方とか、燕の飛来とか、風や光の変化の具合、など)を写生的に盛り込むのも良いかもしれませんね。 (迎夏)

2018-04-23

歌、として畳みかけていく部分を切り出して、 要素を加えていく形で分離して、連作、のような形に整えるといいように思いました。 映画をそのまま見せる、のではなく、 スチール写真と、その時のインパクトのある台詞を抜き出してレイアウトする、 そんな取り出し方で・・・凝縮していく、あるいは取り出していく、という方向性ですね。 たくさんの詩の種が分散してしまっているように思うので、それぞれの種を核として、ひとまとまりになるような形で整理してみるのも良いかもしれないと思いました。 (is this crap?)

2018-04-23

古風な表現が、アクセントになっているか、どうか、そこがポイントかな、と思いました。 最初の二行目くらいまで(大手拓次とか日夏耿之介などの活躍した時代のような)少し古風な、耽美的な象徴詩の世界を彷彿とさせるものがあり、そこからどのように展開されるのか。銀の赤子とは、なにものか・・・と興味をそそられたのですが・・・蛆と腐敗、なんとなく定番の組み合わせに落ち着いてしまったかな、という読後感がありました。 夢がキミを腐敗させてしまう、その「キミ」をえぐり取って洗い清めると、そこに残る空洞とはなにか。僕、君、キミと人称が入れ子のように出て来るのですが・・・もう少し関係性が、他者にもイメージしやすい比喩や空間配置などで表現されていると良いかもしれない、と思いました。 (銀の赤子)

2018-04-23

二行目、三行めの「~ない」の重なりが印象に残りますね。四行めは少し説明的で、読むスピードが鈍る印象もあるので、三行めから五行めに飛ぶ、というような形で少し推敲してみるのも良いかもしれません。 大事なことは、重ねて言う。でも、重ねすぎると、少しくどくなったり、進行がモタモタした感じになる・・・そのバランスを、何度も口ずさみながら、似たような部分は一方を省略する、伝えたいのに「色が薄いなあ」という部分は、言い換えながら重ねていく。そんな感じで、楽しみながら推敲してみると、もっとインパクトが増すと思います。 (いち)

2018-04-23

原口さんの批評の「なぜなら古い語法や主題で新しさを言い募るこのような詩は、かつて雑誌の投稿欄などに掲載されはしなかっただろうからです。その意味ではこの詩がここにあって誰にでも読まれ得るということは、「最新」の状況そのものだといえます。」 という状況分析に学び、貴音さんの、怒られているのか誉められているのか、という問いかけに、双方向性の掲示板の特性のようなものを見た思いがありました。 この詩は、自分が「言われてる」と思うとグサグサ刺さるし、あの人に言ってるのかな、と思うとうオー、爽快!って感じになりますし。 普段言えないことを、ある種の・・・陶酔感で、ループ的にリフレインしながらシャウトしているからなんだろうな、と、思いました。 以前、某文芸誌のエッセイ賞の下選を担当していたときに、精神的にキリキリ痛い、それを実感したことがあって・・・そのときに書いた詩を、今度投稿しますね。 (BABY NEAPOLITANS 3)

2018-04-18

コメントありがとうございます。「誰にも顧みられずに降りしきる「胚」」なるほど・・・毎月、身籠ることなく闇に流れていく卵子を歌った詩人がいましたが・・・実ることのない、育つことのないまま消えていく、そんな(成長しないまま終わっていく)胚、のイメージに近い、のでしょうか。胚というと、どうしても胚芽など、これから芽吹く、生命エネルギー溢れるもの、という先入見があったので・・・でも、その先入見を、無機質的な、全てが終わった後、のような、そんな灰に(言葉の響きにおいても、意味においても)たとえることで、新たな意味が付与されるのかもしれません。 (【選評】3月投稿作品)

2018-04-17

字解シリーズ、ですね。 重すぎる「愛」もまた、執着であり、枷である、とは言いますが・・・ それでは、あらゆる枷、から自由になって、人は地上に留まっていられるのか。 ふわふわと浮き上がり、流されて行ってしまうかもしれません。 幸、この字を、両手をひろげた子供の姿、と見立てたのでしょうか。 クリスチャンの方が、ふたつの十字に貼り付けられた人のように見えて、好きではない、 とボソッと語ったことがあって、なかなか強烈なタトエだったので、よく覚えています。 しあわせ、と読めば、仕合せ、めぐり合わせのこと。さきわい、と読めば、先を祝う、前もって言祝ぐこと。今の幸福をしあわせ、これからの幸せを願うことを幸い、というのだと、そう、思っています。 (手枷 ――「幸」字解)

2018-04-17

児童詩コンテストとか、童謡コンテスト、などもありますのでね・・・。子どもが楽しめるということを、主題にするのもひとつの方向性かと思います。 ヤギ先生が、変な曲だなあ、と「食べて」しまったらどうしよう、とドキドキしました。 みんなが笑う、ところで・・・みんなが思わず手拍子足拍子を始めて、みんなで踊って終り、みたいな展開もあり、かもしれませんね。 (ワルツざか)

2018-04-17

特に二連目が面白いと思ったのですが(日常からちょっと離れて、常人ならば感じないとされている、でもきっと、誰もが感じるのに封印している、なまのフィーリングをそのままぶつけてきているところ)題名との関連性が、いまひとつ、よくわからない・・・ 題名は遊んでいる感じなのですが・・・虚空のスキャットマン、とかだと、あまりに「そのまんま」の題名、になってしまうのかな・・・でも、このフレーズ、インパクトあります。 (鮮やかな店長の転調)

2018-04-17

翼の生えた救急車、からの連、四連になっていますが、三連で止めた方が、広がりがあって良かったのではないでしょうか・・・。 シュルレアリストの思考実験的な面白さがありますね。 「わたしのために夜を泣くのだ」ここで止めた方が(まあ、甘いといえば甘い、ですが・・・)カッコよく決まる、ような気がしました。 (救急車をスライスすると指になる)

2018-04-17

メガ&ミクロン、はともかくとして・・・「ミコルオ・マ・ゼガルガ」?検索したら第10の術なんていうものが出てきましたが・・・。「金色のガッシュ ディオガ系の術」に詳しい方、いらしたら教えてください。作者コメントでなにか教えてもらえたら、それも嬉しい。 (smaller)

2018-04-17

希臘語で ト・オン は 存在・・・The being 、なんとなくその響きが、脳内をぐるぐる回りました。ト・ペン・・・書く、ということの自立性。しかし、書き損ねる。 「きそく正しき/コロネル」このあたり、コロネルがわからなくて調べてみたのですが・・・規則正しい、下腹痛、精神的な「差し込み」のような感じ、でしょうか? ユリを切る・・・ここもガールズラブ的なユリ、をイメージしてよいのやら、どうなのやら・・・と放り出され感もあるのですが、テ、メ・・・君と私、その往還が「書き損ねる」きりきり、きゅうーっと夜中に生理的に差し込んでくる、痛みとなって戻って来る。その状態を、半ばうわごとのように「うつくしいよ」とつぶやく(誰に向かって?自分に、言い聞かせるように?)と読んでみると、なかなか、壮絶な作品だなと思いました。 (written)

2018-04-17

「青空を閉ざす灰色のシャッター 茜空を切り裂く白磁のカッター 太陽に下された死刑判決も 皆の記憶から薄らいでいる」 繰り返し予兆される終末の気配(を、誰よりも鋭く察知してしまう語り手)には、そのことに鈍感で頓着しない「皆」が、まるで猿のように見えてしまうのかもしれません。 ひとりだけ、終わりを予見してしまう宿命を担わされたような、そんな語り手の・・・きりきりと締めあげられていくような日々(同じ食べ物を見ても、他の人には新鮮なものに見えるのに、この歌い手には腐りきったなれの果て、のように見えてしまう、ような)を、言葉のイメージの連なりと、リズムや響きでアップテンポに転がしていくような、そんな印象を受ける作品でした。 (終わりと始まりを納棺する日々)

2018-04-17

いつまでも子供みたいな夫をなじる妻の話かと思ったのですが、古事記が出来て、はて・・・。国家を「あなた」、国民を「わたし」という設定の話なのかな、と思いながら読んで行ったのですが、最後に「徐々に僕も殺す」と、語り手の性別が転換するように見える。 ポーターは運び手、ならば輪廻転生した後の「魂」の語り、と言う設定なのか。 いずれにせよ、もう少しコンセプトが伝わるように整理していくと良いのではないかと思いました。 (魂のポーター)

2018-04-17

だんだん、譲治の家族構成、今までの時間が明かされていく。 小説のような構成が印象に残りました。 沖縄にパスポートを持たずに渡航できるようになったのは、何年前からですか、と問いかけると、本土の人は、えっ、と言う感じで黙ってしまう。私は、たまたま、自分が「本土復帰」と同じ年に生まれたので、すぐにわかりますが・・・。 かつてのコザの話を書いた詩などを読むと、ああ、という言葉しか出てこないのですが・・・ベトナム戦争に出立する直前の米兵の異様にギラギラした目とか・・・その「ギラギラ」に心の半分を手渡した母親、その娘と孫を見守り続けたおばあ。おまじない、という「ことだま」が温かく包んでいる。その様子が伝わってきました。 (天国のない島)

2018-04-17

娘が、道徳か何かの授業で「飢え死にしそうなこどもをハゲワシが襲っている瞬間を、思わず写真に撮ってしまった写真家」の話を聞いたらしく・・・「ねーねー、どう思う?ぐろいよね」と言うので、「芥川にあったよね、牛車に娘を乗せて、焼き殺す瞬間を絵に描く絵描きの話。芸術というものの持つ狂気性とはなんぞや、というやつ」と言ったら、「あ~!」とびっくりしていました。全然、つながっていなかったようです。サメに娘が食い殺されそうになっている瞬間を、これもやはり、撮影してしまった写真家、の話もしたら、こちらはハゲワシを写真にとった写真家と同じような感じで受け止めていて・・・つまりは、文学作品の中の話は「虚構」だけれど、現実社会の話は「虚構」ではないので、ぐろい、ということのようでした。 「(心身の不調に)こたえて(悪化させて、影響して)しまった女生徒」は、虚構を虚構として受け止められない、そんな繊細な感受性を持っていた二人だったのかな、と思いました。 先生、への想いが主題なのか、女生徒の文学作品の受け止め方と、自分たちの受け止め方との差異に驚いた、ということが主題、なのか。先生が、文学作品を「国語の教材」として教えたのではなく、人生そのもの、あるいはリアルな現実、として教えた、のか・・・ 実際に創作することに骨身を削る方であればこそ、その人の授業は、単なる「教材」としての読み方ではなく、生きた物語、としての読み方を生徒に強いるものであったろうと思います。そこの部分を、もっと突っ込んで書いてあれば、より強度が強まったと思いました。 (その先生のことは案外、嫌いじゃなかった)

2018-04-17

「風はひとの魂だと言った人」風の知らせ、とか、風情、などなど、日本でもよく「風」は用いられてきましたが・・・日本で、息吹、というように、欧米でもプシケー(魂)とプネウマ(気息、風邪、呼吸、息吹)は、非常に密接な関係においてとらえられてきています。 誰にでも共感できる、優しく易しい作品であると同時に・・・アイディアが普遍的であるゆえに、あまり新鮮味が感じられない、ということになる、かもしれないですね。木々を揺らして吹き寄せる風の「癖」に注目して、もしかしたら、今、あそこで吹いている風は、あの人の魂かもしれない・・・と語り手が感じている、と、読者に感じさせるような仕組みを工夫すると、もっと面白い作品になると思いました。 (風)

2018-04-17

「ご無沙汰のかたさと/馴染みのやわらかさの/まざった言葉」 「暗い言葉が/整列して」 「灰色の言葉が/きれいに語り」 「不、義理の/償いの言葉が/座り込んで」 言葉を、物、のように、あるいは者、のようにとらえる生き生きした感覚が良いと思いました。 手描きの文字には、当然質感や息づかいが宿るわけですが、メールの文字が主流になった現在、メールの文字からも質感や息づかいを感じ取る感性が発達して来た、という事なのかもしれません。 最後は音、これも面白い。思わず漏れた生の肉声が、音。文字という形をとって初めて、音は言葉となる、そのようにも読めますね。 (友だち)

2018-04-17

トンボのトンボの部分はなくなった たんたんと記された、この一行の衝撃の深さ。たかがトンボ、されどトンボ。 実体験から導き出された作品でしょうか。 かつて、ゼロ戦の練習機(布張りの、張りぼてのような)が、赤トンボ、と呼ばれていたことも思い合わせ・・・奥行きの深い作品だと思いました。 (赤いトンボ)

2018-04-17

リズムがいいですね。一連目の「ポップな感じ」の軽さも面白いです。 「日常を日常でしか見られない目は 窓の外に張り付くさっきの雨の跡を 邪魔だともアートだとも水垢だともおもわない ましてそこにくちびるを押し当てたりなどしない」 目に留めない、ということは、記憶に残らない、ということ。 そこで出会った経験や体験が、その人にとって、無となってしまう、ということ。 日常を日常でしか見られない人が、増えているかもしれません。 それは、カスカスで空虚で、生きて来た、という実感を持たない人が量産されていく、ということでは、あるまいか。 窓の外にはりつく雨の跡を見て、「邪魔だ」と思ったり、「アートだ」と思ったり、あるいは、単なる「水垢」である、と分析し説明して見せたり、あるいは、「くちびるを押し当て」るなんて、エキセントリックなことを、してみたり・・・する人にとって、その時、その瞬間は、濃厚な記憶として心に残っていく。 この詩の語り手も「車窓に穴があいて雨が息を吹き返した」なんて捉え方をしていますよね。雨に命を見る、雨に息づかいを見る。周り中のものが生きている、と感じてしまう・・・こんな厄介な感受性を持っていたら、うるさくて賑やかでうっとおしくて、日々を送っていくのが、本当に大変だろうな、と思うけれども・・・何も思わない、何も感じない人の過去の時間がスカスカなのに、この厄介な感受性を持っている語り手は、ものすごく濃厚なライフヒストリーを、後で振り返って読み直すことができる。 人性は、常に「選択」だから・・・常に、あの夢を、あの可能性を、殺していく、つぶしていく、ことでもあり、そこに(厄介な感受性を持つ人は)いちいち、一回ごとに痛みや苦しみを感じてしまう、のだと思うけれど・・・作品が重くならないのは、リズムのせい、だけではなくて、 「未来の片隅にすべりこむ」常に、その先、に眼を向ける生き方であったり、「名前が消えていくことに落ち着いて」(必要以上に、過去を惜しんだりもったいながたりしないで、受け入れている、らしい)心の持ち方にあるのではないか、と思いました。 (梅田)

2018-04-17

どるちぇのおぶじぇ、とあまい響きの題名から、一行目の落差と言うかパンチ感がスゴイですね。 「未来から使われるようになった言葉なら 神経すり減らすこともないけど 傘のいらない雨でも体を蝕むから」 「未来から生きられるようになった言葉なら 丸い地球の端と端をつなげて 絆 って呼んで」 茨木のり子の、汲む、という詩の中に、こんなフレーズがあります。 「失語症 なめらかでないしぐさ  子どもの悪態にさえ傷ついてしまう  頼りない生牡蠣のような感受性  それらを鍛える必要は少しもなかったのだな」 生牡蠣のような、と大真面目に言われると、思わず吹き出しそうになるのですが、 なんとなく、このフレーズと、アスカさんのこの作品の一行目、そして、(今でなく)未来からの言葉、(今、効果をもつのではなく)未来から生きられるようになった言葉、の部分が、通じ合っているような気がしました。 今じゃなくて、未来に受け取りたかった言葉、を、今、喰らってしまったら。などなど。 防御膜を、厚くするほか、ないのか。いや、響きとユーモアでぶっ飛ばして行けば、 なんだよ、生牡蠣みたいに、ぐにゃぐにゃしていて、なんとまあ、頼りない、 それでも、まあ、これでいいのさ、これで・・・的な、ヨユウを持つことができそうだな、と思いました。 (ドルチェのオブジェ)

2018-04-17

あんしんして、あのとき、実はこう思ったんだよとか、あの時の私には、このように受け止めるしかなかった、とか、逆に、そんな想いをさせてしまったのか、と後から気づいたリ、とか・・・そのつど、沈黙が生じる。心地よい沈黙、気まずい沈黙、御馳走を頂いた後の、ああ、もう何も言いたくない、というような沈黙・・・ 黙って、ああ、そうだったか、そうだったね、と思いを手渡しあえるような、そんな沈黙って、素敵だなあ、と思いました。 (語り得ぬこと ※)

2018-04-17

中間の挿入部、憐れまれたくない、そんな少年の青い矜持と、少女の励ましたい、応援したい、という気持ちのすれ違う切なさが面白いと思いました。 前後の部分との関連というか脈絡が、今一つよくわからず・・・前後の叙景というのか、状況説明のナレーション的な部分・・・フィオリーナさんの通常分、平叙文ということになるのでしょうけれど、ここがいつも、翻訳文のようだと感じます。 前後、とまとめて書きましたが、プロローグの部分は第三者的視点、ナレーション的視点が強く、エピローグの部分は、「私」の物語、となっている。その構成から見直すと、少年と少女の物語は「私」の内面の自己葛藤が外部に投影されたもの、と見ることも出来そうです。 (海岸通り ※ )

2018-04-17

面白かったです。摂食障害的なイメージもあるけれど、どちらかというと食欲(性欲のメタファーとしての)障害? いわゆる「綺麗」な画像・・・雨、薔薇、鎖帷子、馬車、このあたりのイメージは、中世ヨーロッパを舞台にしたファンタジーアドベンチャーゲームの世界がオーバーラップしているような印象でした。 火のイメージが伏流のように潜んでいて、溶岩、火を噴く花、という感じに時折、突出する。感情の噴出のイメージなのだと思うけれども・・・虫や鳥がモチーフとして現れるのは、自由になりたい、ここから飛び立ちたい、脱出したい、というような願望が無意識的に形をとったものか・・・。 イメージの流れを追うのに忙しくて、未整理のまま出してしまっている印象が残りました。(それから、意図的な改行の「ずらし」なのか、改行ミスか不明のところが一か所。性行?は意図的な用法なのか、誤用か。「~かしら?」の「か」が抜けている、など・・・詰めが甘い読後感を与えてしまうので、要考だと思います) (シグレタ)

2018-04-17

目覚めの瞬間の不思議な気持ち 眠っているときにわからなかった愛 だれかが何処かへ向かった足跡がある 何十年か椅子の中で怒りを噛み潰すような人のことがわかる 「私のお気に入り」フレーズを抜き出してみました (命令)

2018-04-15

すきなものって なあに やわらかい おふとん はちみつとーすと ひるすぎに なりだす めざまし 部屋はもうからっぽで 死ぬまでの時間をひまつぶしみたいに いろえんぴつで塗りつぶしている リンゴがやわらかくならないうちに 食べてね 段ボールひとはこ だから きょうは アップルジャムを煮る ことことことこと かき混ぜながら ゆうひをポトンと落として きょうはもう おしまい (ライフる2)

2018-04-15

麻袋をかぶって集団リンチを仕掛けて、また闇に消えていく集団(クークラックスクランのような)を思いました。 (なにも知らない)

2018-04-15

意味が繋がりそうなとこらをあえてずらすとか、文体が崩れていく波を作るとか・・・独白の分節化された状態と、ナラティブに読ませる部分と、意識的にメリハリをつけていくと、何をやりたいのか。という方向性が明確に伝わるようになると思います! (きこえる)

2018-04-15

まず、題名にひかれました。離線?あるいは、利せんとする? 始まってすぐに謎は解かれて、軽妙で可愛らしい「自己投影」・・・イメージで作り出したキャラクターに実際の友人や自分を重ねて寓意的に物語を重ねていくのだな、と「油断」しながら読んでいて、虚を突かれました。 ゲームの世界で作り出した自らの「王国」を、放置したまま滅びに任せている、それは何を意味しているのか。 実際のゲームの描写かもしれないけれど・・・私には、かつて抱いていた夢、将来に向けて描いた青写真が、何らかの断念や事故によって崩壊してしまった・・・その後の内的世界を描いているように思いました。 人間の語りだと思っていたけれど、暴走し壊れ始めたAIの語る物語、とも読める。精神が崩壊していく様を、冷静に写し取っていく(あるいは、想像力で肉薄していく)とも読める。 失われ(それも自分の責任で)二度と戻らないもの、その断片の記憶が美しいがゆえに、なおさら迫ってくるものがありました。 (リセンの果て)

2018-04-14

軽快なテンポと軽めのユーモアが面白かったです。 クラウド、って、「どこに」あるんだろう・・・宇宙の果ての、星雲のようなものなのか。 自分の記憶を、脳内に保管するのではなく、外部に保存する「進化(退化)」を、人類は遂げつつあるような気がします。コピーのない時代に学生期を送った方は・・・当時、文献資料はすべて手書きで写したので・・・記憶中枢が鍛えられたらしく、八十代になっても、便覧を見れば出てくるような文学者の生没年や活躍期間を、すべてまるごと暗記していました(圧倒されましたが、もちろん、そうした記憶力の良さゆえに、失ったり開発されなかった能力もあるかもしれず) 現在は、保管場所を覚える能力と、それを検索するインデックスを整理して覚えておく能力が必要なのかもしれませんが・・・記憶(が素材となって作り上げるライフヒストリー)がその人のその人らしさを産み出すのだとするなら、自身の脳内保管ではなく、外部保管は恐ろしいことでもありますね。 子どもの人生を支配したい親や教師が、外部保管されている子どもの記憶データを修正したり削除したりして・・・会わせたくない友人との出会った場所や時間の記憶を抹消していく、なんて恐ろしい時代が、もうすぐそこに来ているのかもしれない。そんなことを考えました。 (New)

2018-04-13

る、という文字の可愛さ・・・おさるのるるる、という絵本を思い出しました。 蛇口をひねると水があふれる。考えたら不思議なことだけれど・・・モーツァルトの頭の中には蛇口があって、ひねると天上の音楽が溢れてくる、そう評した評論家がいました(名前は失念) 精気、までは、言わずにおくほうがいいのかな、とも思いますが・・・ 発想とか直感とか、あるいは生命力、といった目に見えない「ちから」が、ひねるとあふれだす、感じ。春にふさわしい作品だと思いました。 人類の母とも言える・・・いや、話がずれるのでやめます(笑) (今日も るーしーを探しに行く)

2018-04-13

前半は純文学、後半はエンタメ、どうなってるんだ?と思ったら、お題があったんですね(笑) となると、前半の「そいつ」は、化け狸となりますか・・・ 自分をどう呼ぶか。 ハンダman だったのかな・・・他者に名付けられた名前を、本当にふさわしいものであるのかどうか、確かめる。名付け直す。そこに、詩の発見があると思っています。 (鋳掛屋 )

2018-04-13

誰かの血肉になることを、子供に教えようとするのが桐ケ谷さんのなかの良識や理性で、素直にうなずいている子供が童心や感受性であるような気がしました。 この親子に、冗談じゃねぇ、俺は誰にも、俺を食わせねぇ!勝手に腐るにまかせるんだ❗と、殴り込みをかけるようなわんぱく坊主がいる公園であって欲しいなと、ちょっとですが、思いました。 (骨の魚)

2018-04-13

以前、自宅で幼児向けのお絵描き教室を開いていたとき、紙を替えず・・・くるま!雨が降ってきて、雷、ドカーン!・・・と、ストーリーをどんどん重ねながら描いていってしまう男の子に遭遇しました。車の絵が「現れた」時に紙を替えれば、今度は雨降りの絵が「現れ」そこで紙を替えれば、また雷の絵が生まれる。いちおう「先生」としては、紙を替えるタイミングを探っていたのですが・・・あまりに楽しそうに描いていたので、どんな経過を経て、このようなグッチャグチャの、灰色だか黒だかよーわからん、みたいな画面になったのか、文章化して、親御さんに渡すことにしました。最初は喜んでくれたけれど、やっぱり「作品」も欲しいというので、グッチャグチャになるまで描かせたあとに、白など単色の絵の具のドリッピングで遊んでもらい、それを「作品」として保存したり、もっと描かせて、破けるまで描いてもらって、それを次回の教室で、コラージュの素材として塚ってもらう。そんなやり方で、バリバリのアクションアートを量産するに至ったのでした。 言葉でうまく気持ちを表現できない子でした。だから、描きたいこと、が、たまっていたのかもしれません。 あ~スッキリした❗という感じで、無言でニコニコしている彼の描いているときの感じと、願い事を書きまくる主人公の感じが、とてもよく似ているように思いました。 (黒塗りの幸せ)

2018-04-13

「僕」が既に死者になっていて、実はそのことを自覚していない・・・そんな気がしました。作者の意図の、外を行く感想かもしれませんが・・・ ところで、前に書いた作品とのことなので、ここで聞いちゃいます‼ 階段を上ると沢山の人達が僕のもうやってきた。 さっき買った名前の知らない花々の根元を切って縫い付けた、というと残酷な花束を適当に置いた。 この2フレーズ、これで正しいですか?なかなか不思議な文章ですぞ。 (きこえる)

2018-04-13

・・・まあ、それにしても、万が一にでも実現してしまったら、なんとも恐ろしい近未来でもありますね・・・ (NEXT LANGUAGE)

2018-04-08

非常に面白かったです。50年後のブリタニカの記事のようです。 後ろから2段落目の「豊かな生に貢献するものとしての芸術が再考されるに至ったのである。」ここで切っても良かったのでは?という、思いも残りますが(以下の念押してきな部分を書き込むのは、いささかくどいのではないか、そこまで必要なのか?ということですね) この「記事」のもとになった経緯をリアリティーのある文体で書き上げれば、そのままSF的近未来小説になりそうです。 (NEXT LANGUAGE)

2018-04-08

読むの、ぜんぜん、面倒くさくなかったです、面白かった。なるほど~と思いながら、ワクワクしながら読みました。 なんというか・・・みんなでワイワイ、詩について話をしていて、作者や読者が、それらの言葉のハシバシから、あ、これいいぞ、とか、背中押してもらって嬉しいな、とか、そっか、ここはこんな風に伝わるのか、要考だな、とか、「自ら気づく」場があればいいな、と、ずっと思っていたのですね。そんな感じになりつつあるな、という。 (選評)

2018-04-08

自らの主観に立脚した、すばらしい選評だと思いました。 (【感想】一さんの「接触」)

2018-04-08

対面の合評会で、模造紙に印字した作品をホワイトボードに貼って、ガンガン書き込みながらプレゼンしている感じで、とても新鮮かつ懐かしい感じでした。 ネット慣れしていないシルバーエイジにも、この方式なら受け入れてもらえるかもしれないな、と思いました。 脱落者を出さない進行、その意味では「読者に親切」な構造だけれど、飛躍を取り込んでいるので解釈や読解に「親切」ではない。だからこそ、その飛躍の部分に着目してのプレゼン。つかみの良い選評だったと思います。 (【選評】峰 ひろ樹「彼の島」【動画】)

2018-04-07

さびれた、少し安っぽい屋上プレイランド。気だるいような、投げやりな社員は、いわゆる出世コースから外れてしまったのか。 胚が降る・・・降灰のイメージと夕暮れていく景色が火に呑まれていくイメージが重なり、社員が見ているディストピア的な世界・・・希望を奪われた社会を象徴しているような気がしました。 プレイランドでの情景を、孤独な中学生(家族という欺瞞にうんざりしているような)が記しているノートに描き出された物語、と見ることもできそうです。 幼い頃の自分、あるいは、近い将来の自分を投影した登場人物が、夕陽に照らされるノートの中に描き出されていく。 胚とは、そこから芽吹き、萌え出すもの、あるいは命の原型的なイメージがあるのですが、その「胚」が、終末を暗示するような「灰」のイメージに重ねられているところが新鮮でしたが、胚という言葉の持つ強さや意味が邪魔をして、胚が降る、という景が、なかなか腑に落ちてこない、納得いくものにならない。 最初は はいが降る、とひらがなにぼかしておいて、いつのまにか胚や灰へとずらしていくことで、読者を「知らぬまに世界に連れ込む」ようなギミックを仕掛けてもよいような気がしました。 (宝島)

2018-04-06

鳴っていた、とも、成っていった(そうなってしまった)とも異なる、タッタッ・・・・と舌でリズムを取るようなフレーズが、連の締めに置かれる。ふわりとした余韻を引き締めるような効果を感じました。 人が去っても、悲しみがほほを伝っても、日は「正しく」のぼりくだり、確実に時は過ぎていく。その正確な自然の進行に、任せきることができない・・・融け合うことができない、いつまでもシコリを抱えていたり、氷のような一部を抱え込んでいたりするのが、人の心のどうしようもなさであり、いとおしさでもあるような気がしました。 (「ちいさな傘を」)

2018-04-06

ふとう、ふね、ぶどう、はえ・・・ふ、の音で導かれていく心地よさ。 助詞をあえて抜いて、した足らずの印象を作り出そうとしたのか、七五調に整えようとしたのか・・・意味を考える間を与えず、韻律で先に運ぶはずの七五調の効果が、少しだけ不自然な進行によって留められる。心地よさがざらついた感じになるのが面白いと思いました。 題名は六四。滑らかに引っ掛かりなく読めるのに、語呂がよいはずの七五で音がかすかに途切れる。レコードのノイズのように。 自由な連想や解釈をゆるす作品だと思いますが、私は新盆を迎えた人が海辺に立っている様を思いました。お供えものの葡萄(故人の好物であったのかも知れず)の熟れていく匂い、かなたに去ったはずの「あなた」への思い。 (ここにいないあなたへ)

2018-04-06

ユニークな立ち上がりですね。 漢語の用い方や古風な言い回しも含めて、全体に漢詩的な重厚さを感じました。 春の陽気さに浮かれ出す人々が多いなかで、むしろ梅が開くくらいの時期の、少しキリリとした大気を愛する人が、花見の喧騒が過ぎた後の桜並木を歩きながら、桜の実の実る頃に思いを馳せている、そんな季節のはざまを好む人の姿を想像しました。 (春蒙に寄せて)

2018-04-05

作者にはわかっていて、伝えたいこと、を、読者にどの段階で伝えるか・・・どんな感じ、と伝えるか。そこを工夫していく面白さが、推敲の楽しさだと思います。 この作品でいえば、 この前まではあったのに、から始めてみると、あれ、この語り手は、何だろう、何をしているんだろう、と、読者の興味が先へ先へとのびていく。 題名で種明かしをしたり、一行目から内容を明かしていき、いかに展開して見せるか?という、やり方の面白さを伝える方法もありますが(私は刑事コロンボ方式、と呼んでいます)これはなかなか高度なので・・・どんな比喩を使ってみようかなとか、他の人が思い付かないような、でも、ピッタリした、感じ、を、言い当ててみよう。なんていう興味がわいてきたら、ぜひ挑戦してみてください。 (探しもの)

2018-04-05

ひらがなと漢字のバランスやレイアウトのセンス、丁寧に吟味された作品だとおもいました。 ~のおと、と読むと 音 が浮かび上がり、のおと と読むと、ノートあるいは、記していく、という行為が連想されます。 ビー玉のような目で見つめる、という、自身を外から見る視点が、とても重要ですね。 なんでも写しこむ無垢な眼差しのイメージととるか、人形のように意思を奪われ、外界を写すだけの状態ととるか。 ~のつもり、と断定をあえて避けていく進行も、ヒラヒラと幅広のリボンを裏返していくような軽やかさがあって、好感を持ちました。 (円)

2018-04-05

嘘をつくのが嫌いだ、と立ち上がった勢いを、そのまま繋げていって、 言葉で支配するのが嫌いだ、嘘でコントロールするのが苦手だ・・・ と、叫びで押していくという進行も面白いかもしれません。 ~すべきじゃない、とか、~だからではないか、と宣言的な言葉や解説的な言葉が入ってくると、何となく理屈っぽくなる、ことが多い・・・少なくとも、読み手としては、そんな印象を受けてしまう。 だったらいっそ、論文や社説スタイルの散文の方が伝わりやすいかもしれないのに、そうではなく、なぜ、詩のスタイルを選ぶのか?というところ、そこを考えていく面白さを、もっと楽しんでみて下さい。 (認知的不協和)

2018-04-05

るるりらさん う~ん・・・いつも、桜(というより、さくらんぼの花)が咲くと、煩いくらいに蜂がブンブンいうくらいによってくるのだけれど、あの日は、なぜかまったく来なかったのです。 携帯メールに、○○石油の火災で汚染物質が充満しているので、子供を外に出さないように&拡散してください、というメールが次々入り、すぐにガセネタのチェーンメールなので拡散しないように、というメールが回ってきたりして、かなり混乱していました。学校の連絡網も、回線のパンクでまったく機能せず、交通麻痺で夫も帰宅できず・・・ その中で、情報を得ようとしてテレビを見ると、押し流されていく家や車が映されていて・・・ その後、テレビ放映の際に、そこに映っていた人物を消した(視聴者に刺激を与えないように)という話(あくまでも伝聞です、噂かもしれない)を聞いたりして・・・結局、その時のことを、今でもよく把握できていない。なぜ、書かねばならないような気持ちに駆られるのかも(そして、それが妥当なことであるのかどうか、作品として発表すべきものであるのかどうか、それすらも)よくわからない。 ・・・というようなことを伝えるには、この詩は表層的過ぎるなぁ、と、改めて思いました。考え続けること、忘れないこと。今は、それだけです。 (写生)

2018-04-03

るるりらさん ありがとうございます。なんというか、詩を書く、ということに、すごく気負いとか恥ずかしさとかがあって・・・それで、起承転結とか、対句がどうとか、そういう「型」に寄っていってしまう、ということなのかな、と思います。詩評(というか、この詩、こんなところが素敵、と思うんだけど、あなたはどう?みたいな感じ)をやりたかったのですが、その為には詩人にならなければいけない、みたいな流れがあって、必死に勉強した、という・・・ようやく今、自分のやりたいことが、少しずつ出来るようになってきたのかなと思っています。(詩集のドングリは、私が子供たちと一緒に拾って、葉書絵に描いた絵です (火花)

2018-04-03

カタカナの時の目の滞留時間と、ひらがなの時の時間差、質感の相違について考えつつ・・・ 何かが起きたときに、その記憶に、区切りをつけて前に(先に)進んでいくことが、果たして出来るのだろうか・・・クテン(区切り点)を打つのは死の瞬間で、それまでは延々と、トウテン(読み点)をうちながら、呼吸や間合いを整えていくものなのかもしれない、そんなことを思いました。 (「、」も「。」も打てずにいるのに)

2018-04-02

らくがき、のような人造物の「自由さ」や一回性。対して、桜の花のような、微細な次元では一つとして同じものはないはずなのに、未来永劫、変わることなく繰り返すように思われる永続性。 人間、という生き物も、宇宙的な視点でみれば千年、二千年、ほとんど変わることなく続いているのでしょうね。 ひとつひとつの花びらの差異を見分けられる目を持ちたいと願うか、あるいは「らくがき」もまた、花びらに記された雨のシミや虫食いの痕のような微細な藻のと見る視点を持ちたいと願うか・・・そんな方向性について、少し考えてみたいと思いました。 (春寒の記憶)

2018-04-02

コメント欄に「詰めが甘い部分がとりわけ(ii)にあります」とあるのですが・・・私に一番響いてきたのは、(ii)の部分でした。実話か、そのような設定でシリアスな物語を想定しているのか、あるいはどなたか、実際にモデルがいるのか、そのあたりは分からないまでも・・・私は、この「戦争」を、病との戦い、と読みたく思いました。 上下にピースを寄せて行けば、ぴったりはまる、長方形の形象が現れる。逆に言えば、一つにつながった時間にヒビや断裂が入り、余白の時間によって隙間が引き伸ばされて、そこに言外の意味が生じる。 水、を、末期の水というように具体的に取るのか、彼岸と此岸とを分ける、隔ての川の水、というように取るのか・・・ここでの再婚、婚礼は、死との再婚であるような気もしました。 妻を彼岸に送り出し、一人で現世に戻って来るしかない男の悲しみを描いている。そんな静かな追悼作品であるように思いました。 (殺戮の時代)

2018-03-28

コメント欄を読みながら、なるほど、鉛筆にも見えるなあ、と・・・ 重いフレーズが包み隠さず置かれているのに、なんでこんなに、あっけらかんと、軽くスピーディーに出来上がっているんだろう・・・読み手を面白がらせたい、楽しませたい(その読み手、の中に、もちろん作者ご本人も入っている、のでしょうね)という気持ちが、前面に出ている、からかなあ、などと思いました。 義母が、20センチも腸を切ったのに、これでだいたい、普通の人と同じ長さになった、と言われたのよ~それも、すごいイケメンのお医者さんでね、と言いながら、美しき外科医の鼻梁~(季語は忘れました。秋暑し、だったかな・・・)という俳句を作って、句会の満点を獲得して帰って来ました。 生きているから書く、という人もいるし、生きるために書く、という人もいるけれど、書くこと、が、そのまま生きるバイタリティーになる人もいるのかもしれない、と(義母を見ながら)思ったりしています。 さかなの絵文字部分、ぎょぎょ、と音を付けながら読んでみました! (踏み止まるメザシ(千葉県産))

2018-03-28

ねじめ正一が、舞台で、猛烈な高速で「脳膜メンマ」を朗読?独演?しているのを(多分録画で)見たことがあって・・・あの時の、あっけにとられて、圧倒されて、「なんかやべえ、なんだこれ」と感じた時の感覚に近いなあ、と思いました。 言葉がどんどん変化していく。流れていく。とどまっていないスピード感が、適度に切り刻まれていて面白かったです。 (ケッコンしきますマスの語かつやくをネガってる)

2018-03-28

「脳内は夏の道端に落下したアイス」ここがとてもいいな、と思ったのですが、続く「甘い回想を漂わせた罪悪感」ここで、いいなと思った感触を説明されてしまった感があって、もったいないような気がしました。「嘘にまみれたまま協会で」ここは、教会、でしょうか・・・。 「ゴミの混じったコンタクトじゃ痛い」ここから、「あくび積み重ねたクリームパイに乗っかって」この、甘ったるいような不安定感、そして「外さなければいけないなんて知らなかったから」ロジックとしてはつながるけれども、実際に外す、ものはなんだろう・・・ゴミの混じったコンタクト、これは世間を見るために無理やり目玉にあてがった、なにかフィルターのようなものを連想しました。 「瞳は宇宙に透けて流れ星をこぼしていたこと」こういう、とてもきれいで透き通ったような・・・フレーズ、使い過ぎると感傷的になりすぎたり、甘くなりすぎたりもするのですが、一行だけで入って来ると、そこだけ、清涼感のある小休止のような感覚にもなりますね。 「もぐらの目に地球の欠片を詰めて、真空に埋めてしまう」ここも、見ようとすると目が痛いような、ゴミ入りのコンタクトを嵌めなくてはいけない、外すと何も見えない、という世界観に通じるものがありますね。 「火星の中に埋まっている湖も蒸発」「血の川を巡り巡って大きなうめき声をあげ脳を押しつぶした」この、破天荒な比喩でありながら、リアリティーのある追い込みの後に、「何万光年のさよなら」という、きれいなまとめ、というのか・・・「流れ星をこぼしていたこと」にも似た、宇宙的な煌めき感のある、夏野さんにとっての安心ワード、定型句というのか・・・安心できる和音に落ち着いている、というような感覚があって、それはそれで、座り心地が安定していていいのですが・・・この作品の場合は、脳を押しつぶす、くらいのぶっ飛んだリアリティー、で言い切ってしまった方がよかったような気もします・・・。 (ブラックホールでさよなら)

2018-03-28

特に農家のくだり、リアリティーがあって、一人語りの舞台を見ているようでした。 もっとも、「割に合わねえ家族ごっこ」の様子とか、その時の心情、それぞれの行き違いのようなもの・・・が、気になったというか、そこをサラッと過ぎてしまったので、そこが消化不良、という感覚です。 (空蝉の)

2018-03-28

題名から立ち上がるイメージ、最初はとんがった部分が上を向いている三角錐を想像したのですが、読み終わったら、コマのようにとがった部分を下にしている、不安定な三角錐(それも、地球儀たち、と複数)を想像していました。 一つ一つの地球儀=一個の世界=家族の構成員、一人一人。 縦列のギョッとするような一行、小学校高学年くらいの、ちょっと生意気になって、お父さんを避け始めた娘二人くらいが入れ替わり立ち代わりしている、朝の食卓や洗面所のイメージ。それから、なんとなく居場所がなくて、息を殺して・・・が言い過ぎなら、息をひそめて「棲息」している、父親の姿、を想起しました。 (三角錐の地球儀たち)

2018-03-28

まずは、私のことから。自分の影を少しずつちぎり取って、本のページの間に挟んで、気になるあの人、に手渡す。その本を読んでくれると、ページの間から影が落ちて、ひらひらと戻って来る・・・という設定で物語?童話?を書き始めて・・・「あの人」は次第に読んでくれなくなり、影も沢山、「あの人」の手元にたまって行って・・・ついには「私」の影が無くなってしまう。千々に乱れた私の影だけが、「あの人」の本棚のあちらこちらに挟まれたまま、「あの人」の家で息づいている・・・という展開になったところで、これはストーカーみたいで怖いよ、という読後感想を頂き、吹き出してしまったことがありました。そのまま中断しているのですが、あの、わけのわからない「おはなし」を、書き継いでみようかな、という気持ちになりました。 さて、作品を読んでの感想です。 思いの行き違いというのは、他者から見ると滑稽で、当事者にとっては真剣で(それゆえに、「なんて残酷な人なんだ」という言葉も出て来るのでしょうね)それをどの視点から、誰の視点から描くか、ということで、かなり面白みが異なって来ますよね。 篠原涼子が上司のCMがありました。あのシチュエーションを想像しました。 果物を腐らせてしまうような「うじうじ」具合、それを、もっとちゃっちゃと食べなさいよ、男だろう、うん?なんて、「くよくよ」している後輩君の顎のあたりを指先でくいっと持ち上げちゃう、そんなさばさばしたお姉さま、的な存在。 ・・・なんとなく文章にまとまりがないというか、全体にぶわあっと広がってしまっているような感覚があるのですが(語り手が、狭い隙間にぴっちりはまっている、にも拘らず)その間から、今書いたような登場人物のイメージが(私の勝手な想像ですが)くっきり立ち上がって来ることが魅力だと思いました。 チャイムを鳴らして、会いもしないでさっさと帰ってしまうあたりとか、けっこう、辛辣な言葉をストレートに投げておいて、「僕」が読むかどうか、ちょっと試しているようなところもある、感じとか・・・「僕」は、「ただ読みましたよっていう事実だけを知らせるためだけに添削して返されたような」と受け止めているけれども、きっと「彼女」の側は、最大限の尊重を払っている、その行き違いぶりなどが、とても面白いと思いました。 翻訳原稿の「は」と「が」の使い分けとか、助詞の微妙な使い分けを、唸りながら直したことがあるのですが・・・英語だと、これが定冠詞の使い方になったり、するのでしょうか。内容や表現に手を加えること以上に、神経を使うような気がします。自分の文章で直してしまう方が早い、それをやらずに、あくまでも相手の身に成り代わって、その人の文体や呼吸を最大限生かす形で、手を入れる、わけですから・・・。 君は自分勝手なロマンチスト、とスパッと言い切ってしまう、くらいに、「彼女」は、「僕」のことをよく観察し、その身になって考えている。それが、どうも「僕」には上手く伝わっていない・・・そんな行き違い、これは意図的なものなのか、偶然の産物かは、わかりませんが・・・その面白さについて考えました。それにしても、レス欄が、すごい賑わいですね。 (自分勝手なロマンチスト)

2018-03-28

たゆたうような、ためらうような・・・あるいは、直接「そのもの」を歌わずに、その周りをまわる、留まる、ことを楽しみながら歌っている作品のように思いました。 「幻のような痛み」「言葉の奥深い疼き」「切ない雪融けを待つ」など、痛みや辛さに言及しているようでいて、くるおしい甘美な痛みについて触れようとしている。 「きっと誰しもにとって海鳥とも呼びはしない Chimeraの確かな名前とは 鮮やかな記憶ですらないのでしょう」 誰にしも、海鳥とも、と限定したり強調したりしながら、呼ばない、と否定する。 確かな名前、と言い差し、鮮やかな記憶、と言い差して、~ですらない、と強調しながら否定する。この進行を好むかどうか、そんな質感の受け止め方によって、作品評価が分かれるような気がします。 模様の織り込まれた布を柔らかに広げかけてはまた閉じる、物語や映像の見えそうな部分を広げかけては、また折り畳む(ピシャっとシャットダウンするようなやりかたではなく、なめらかな素振りで、空気を織り込みながら)そんな、フレーズそのものが生み出す情感の中から、先に進みそうになりながら留まっている、そんな「たゆたい」の感覚を感じたわけです。 その「心地よさ」の中で、生まれなかった小さな命への思いを手放そう、追悼しよう、とする作品、あるいは、失ってしまった命を哀悼する作品のように鑑賞しましたが・・・先にも書いたように、言い差してはまた、言葉の揺らめきの中に戻る、どこか甘い悲しみの中に身を沈める、といった・・・ある種の停滞感のようなものを、私は強く感じました。 一連目の進行のような、映像やイメージを先に運んでいく部分を、中盤や終盤にも用意すると、もっと全体にメリハリが生まれたのではないか、という印象を持ちました。 (Chimeraが残す羽音を聞いて)

2018-03-28

具体的な「物」に、名前を付けよう、と思いつく・・・のは、なんとなく理解できるのですが、初めに「さみしさ」とか「かなしさ」といった、感情のような把握しがたい「もの」に名前を付けよう、と思ったのは、なぜなんだろう、とずっと考えていて・・・未だに答えが出ません。 二人で隣あって、はしゃいだり、一緒に泣いたりしている時に・・・ああ、今のこの気持ちを、嬉しい/悲しい/・・・と名付けよう、なんていう共感?があったのか。あるいは、離れている時の気持ち、を、あのときの感覚は、さみしい、と呼ぼうね、なんていうすり合わせ、があったのか・・・ 人から人へ、ある種の共感が生じた時に初めて、この時の、この感覚を、さみしい、と呼ぶんだよ、と伝えることが出来るのだろうな、と思い・・・と考えると、不思議でたまらない。 始めて「雷に打たれたような」なんて、とてつもない比喩を考え出したのは、誰なんだろう、とか・・・(その比喩が、おお、今のこの感覚にぴったりだ!と思う人が沢山いたから、皆に利用されるようにもなった、わけだし)感覚の伝達、ということが、気になっています。 ・・・作品から離れたコメントになってしまいましたが。派生するつぶやきコメントとしてお読みください。 (continuous)

2018-03-28

鮮烈な作品ですね。 聖なるもの、真善美の象徴であるかのような「聖母マリア」という・・・実体のない、観念のようなものを、言葉としては極めて「野蛮」かつ暴力的な表現、強姦しにいく、という表現をあえて用いる、ということ。そして、その用い方さえも、まるで日常用語のような(散歩に行こうか、というような)軽さで用いている、ということ。 言葉そのものを、(作品の中で)暴力的に扱う、ということの実際を示しつつ・・・一見、反論しがたいような「正論」「正義」「善」なるものに潜む暴力性を照らし出しているように思いました。 当事者でない者は、語るべきではない、それが「人間としての」道義である、というようなことがしばしば(震災の折に)言われましたし・・・震災をとらえて「機会詩」のように、それを詩作の素材、として用いることの道義性も、しばしば問われたけれども・・・その時に、確実に立ちふさがるものがあった。それは、正義、善、良心、といった言葉に還元される、~すべきではない、という観念、目に見えない圧のようなものでした。 当事者でなくとも、その時の心象を残しておくことに、記録としての価値がある、というようなことも議論されたし・・・震災前に、あくまでも「比喩」として用いられた「津波」(津波がわたしの心にやってきて、根こそぎ押し流していった、というような、失恋の歌)が、震災以降は(あの災禍を思い出させずにはいられないから)震災のイメージから離れて読むことができなくなってしまった、そうなると、軽々しく「津波」を用いることに懸念や違和感を感じる、といった「議論」もありました。「機会詩」で儲けることはどうなんだ、といった、ほとんどやっかみや嫉妬にも類する批判、非難も飛び交っていた・・・。 ボルカさんの「今日詩を書くことが不可能になった理由を語り出す認識を侵食する。」この一行は、とても重要だと思いました。私たちは、その時に「善」である、「正義」である、「道理」である、とされる目に見えない、大きな波に・・・ボルカさんの言葉を借りれば、「いまそれは精神を完全に呑み尽そうとしているから、」押し流されていく、呑み込まれてしまうこともある。 開戦前後の『改造』などの記事を順に閲覧していて・・・欧米各国、特にアメリカは、太平洋の制海権を掌握し、アジアを経済的奴隷の地位に貶め、搾取しようとしているのを阻止しなければならない、という論理が、かなり説得力のある記事として、いわゆる文化人たち(インテリゲンツィアを自称し、国を導いていく立場にある、という矜持を少なからず持っていた人たち)を「侵蝕」していたことを知りました。賢治も、もう少し長生きしていたら・・・彼の信じるところに従って、現在であれば極右と呼ばれるような団体の中核で活動する思想家になっていたかもしれません。賢治の言う通りの施肥や作業工程を用いて農作業を改革しようとして、疲弊していった農民たちもいたこと(賢治の意図ではなかったにせよ)その矛盾についても、考え続けています。自分が正しい、善である、と信じる、そのこと自体を疑う視座を持ち続けることの、難しさ。 たかが詩、されど詩。これは真である、と他方で信じつつ、これは偽なのだ、単なる楽しみによる手すさびなのだ、という「うそぶき」もまた、詩作において忘れてはならない視点なのではないか、と思いました(と書いている文章自体が、~ねばならない、に支配されていますが・・・) 素直、と言う言葉が、日本では良い意味で用いられるけれども、英語に翻訳する時、ちょうどよい訳語がない、文脈によって「飼いならされた」「優しい」「柔軟な」などと使い分ける、という(アーサー・ビナードさんだったと思いますが)言葉を聞いて、なんとも言い難い気持ちになったことがあります。 様々なことを、考えるきっかけを与えてくれる作品でした。 (夜)

2018-03-28

穏やかな叙景詩かと思いきや・・・「救えなかった命」が「私」をひたと見据える、その問いかけの眼差しに、一番星の輝きが重なっていく・・・。 救えなかった、に続いて「殺した」と言い直されることによって、語り手の深い悔恨が際立つように思いました。 四連目の表現が、抑制したイメージの一二連と比べ、かなりドラマティックというのか、言葉の身振りが少し大きすぎるような印象もありました。 「汗ばんだシャツ」と「少しむっとしたアスファルト」というフレーズは初夏を思わせますし、「入道雲」、「膨大な蟬」というフレーズは盛夏を感じさせますが、いずれにせよ、暑い昼間の熱気が、ようやく落ち着いてきた頃あい、ということでしょう。その時に、延髄を抜けていく「氷の言葉」(の記憶)とは、語り手が言われた一言、なのか、自ら発した一言、なのか・・・。 まだ熱気の残る闇を貫いて、「私」を「冷たく」射抜く一番星(の眼差し)。語り手が背負っている過去の物語の重さを思いました。 (一番星)

2018-03-27

赤い外科室、このインパクトが最後まで続いていく。様々な赤がフィルターのように重なっていく感覚。心の痛みや精神の流す血の生々しさのように思われました。 青や蒼の言葉は出てきませんが、影や夕暮れに青がにじんでいるように感じます。 題名に詩の一行めをそのまま用いていますが、題名から受けるインパクトを、重ねて強調する効果をあげているか、どうか。題名をもう一工夫してみても良いかもしれません。 鮮やかに映像が見えて来るけれども・・・赤一色で埋め尽くされていくような単調さを感じてしまうのも事実です。もう一作の、イメージが乱舞するような激しさを持った作品と比較してしまうので、そう見えるのかもしれないな、と留保をつけつつ。 「僕」が「虚空」で失った「紅い熱病」とは、恋煩いでもあるのでしょうか。そうすると実際に病気や事故、怪我などで「君」を失った、というストーリーとは別に、「君」の心を荒療治して、「僕」との恋を奪っていった何者かの存在を「錆びついたメス」になぞらえる、そんな失恋の激しい痛みを、赤のストーリーの中に見ることが出来るかもしれません。 (君が呼吸を喪った、赤い外科室)

2018-03-27

喧嘩、という文字の鋭さに比して、言葉の運びのやわらかさや、詩行のなめらかさ。 四連、五連の、チャーミングな強さ。 喧嘩した夢を見てたの、と相手に直に言える関係性も最後にほのみえて・・・軽妙な日常が描かれていて、楽しい作品だと思いました。 コメント欄のやり取りが、面白かったです。 (喧嘩の夢)

2018-03-25

動詞を畳みかけていくタイミングに惹かれました。 今、いる場所が、安全圏、なのか。外には自分を喰らう魔物、がいる・・・それが、心の毒、である、ということになってくると・・・このあたりが入れ子になっていて、面白い。 自分の心の中にある、金魚鉢。その中で自由を求めて跳ねだそうとしている意欲と、外で「失敗するぞ」「上手くいかないぞ」とささやきかける、理性や良識・・・そんな読み方をしたくなります。 金魚鉢の「なか」から見た風景を見てみたいような気もしました(ちょうど、金魚鉢の中から見た作品を書いたばかりだったので!) (金魚ばち)

2018-03-25

コメント欄を読みつつ・・・まあ、もし、読めない漢字があるならば、コピペして検索してみると良いかもしれないので・・・読者の努力の問題かな、と言う気もします。 漢字を使うことによって生まれる効果について、読者の側から印象が提示されると、作者にとって益があるかもしれません。 あたかも、を、なぜ漢字で書くのか。しっている、をなぜ、知識の識の字をあてるのか。 あたかも、を「恰も」と表記すると、一昔前の文章を読んでいるような感覚を覚えます。「千紫万紅の/映画」というフレーズも、かつて、総天然色、などとコピーをつけた時代の映画を思い出させます。 百科事典に詰め込まれている、無数の時間や歴史の集積。イメージの乱舞といった、視覚的な万華鏡効果、だけではなく、歴史的な時間が並置されていくことで起こる(そのことを知った時に起きる)、目くるめくような感覚を、万華鏡と名付けたのではないか。そう考えると、なかなか面白い作品だと思いました。 (万華鏡)

2018-03-25

進行の軽快さ、間に古風なフレーズを挟んでいくなど、言葉を楽しんで創作されている様子が伝わってきました。 僕と君、との関係性が途切れそうで途切れない、そんな細いつながりで連なっていく、ように思われる、その細い縦糸の上に、スケッチ風に切り取った日常が置かれていく。恋愛と日常が、縒り合された糸が解かれるように分離していく作品なのかな、と思いながら読んで行ったのですが・・・ 母を問う、というフレーズ、アイロニーとも書かれているけれども、この展開と、その後に続く言葉遊び・・・に逃げている、意識を逃しているような部分が、とても気になりました。 軽さに逃げていくのであれば、もっと言葉を削って、凝縮させても良いのかもしれない。意識を意図的に逃している、のであれば、むしろそこを、深めていった方が面白い作品になるのではないかと思いました。 (くつのうら・舌の味・僕らの行方)

2018-03-25

九品仏寺の近くに通うことがあって、通りすがりに毎回、お参りをしていたことがありました。 こちらのそのときの気持ちによって、仏様のお顔が異なって見える。 人は、自分の見たいものを相手に見てしまうものなのかもしれません。 私は仏教徒でもキリスト教徒でもありませんが、様々な宗教や宗派の教義に興味があります。 神秘主義系は特に・・・そして、結局、すべては同じことを言おうとしている、その、表現法方が異なるだけだ、と思うのですね。 ハネダさんの、頭蓋を破壊せんとするばかりに自らを痛め付けずにはいられない(痛みを感じないということは、痛みの感覚すら麻痺してしまうということなのか、打ち付けるという妄想に身を浸しているのか)激しさに驚きましたが、動詞を整え、バリエーションをつけながら畳み掛けていく調子が、心地よいリズムを作っていると思いました。 わからなかったのは、 「涙が感情が 出てしまう度に人としての階級は下がって行く あまりの見苦しさのために」  という部分。詩としてわからないと言うよりも、感情を表に出すと、人としての階級が下がる、という部分が、内容的によくわからない。 様々な執着から逃れて、外に意識を広げながら、外部は私の感覚が見たいと望むものの投影であると夢想してみる・・・そうすると感情の荒立ちは薄れていくのでしょうけれど・・・その事が、人としての階級があがっていくことに繋がるのか、どうか・・・ 自分が網目のような存在で、一本一本の軸から吸い上げては拡散を繰り返す。そして、網目の体を風が吹き抜けていくに任せる。そんな立ち方をしてみたいと思います(なに言ってるのか、よくわからなくなってきました(笑)) (自爆それと)

2018-03-23

いわゆる「セイレーン」の設定と、アンデルセンの人魚の設定と、どちらが一般的なものかよくわからないのですが、ここでの人魚は不老不死の存在であるようです。 一連目の「背徳者」が一冊の本の題名になりそうな重量を持っているので、そこで何となくひっかかったのですが・・・三連目まで読むと、不老不死の人魚としての在り方を裏切り、有限の生を疾走する生き方を選んだ、ということになるのでしょう。 久遠などの文語的な詩語がアクセントとして聞いているかどうか、ということなのですが、ことよの海、とこわかの国、というような対語的な用法や音韻としての響きを活かした使い方の場合は、歌的な効果が加わるように思うのですが、口語的、散文的な部分に入れ込むと、装飾的な印象が強くなるように思いました。 復讐をエネルギーにして生きようと念じる少女と、銀のナイフのような鋭さと決意を持って海中を飛ぶように泳いでいく人魚とを、別個のエピソードの並列のように並べながら重ね合わせていくところに魅力を感じましたが、少女がいささか図式的というのか、観念的に(キャラ設定的に)描かれている感があり、そこにもどかしさを感じました。少女の切実さ、ギラギラと生きる欲望を光らせている様や理由が、暗示されているともっと強く読者を引き込む作品になったと思います。 (人魚)

2018-03-22

地獄のような、あらゆるものが崩壊し尽くされてしまった世界で、なおも人は、生き続けなくてはならない、としたら・・・現実を笑い、うそぶき、生きていることじたいをフィクションだと思い込むほか、なくなってしまうのかもしれません。 リフレインの入れ方、おしゃべり口調で綴る部分と、幻想の中の映像を繰り出していく部分、呼びかけ(働きかけという行為はそこにあるけれど、相手先に伝わっているのかどうか、ここではわからない、そんな、意味があるようなないような、不思議な音声)を入れていく部分、など・・・構成にメリハリがあって、楽しく読むことが出来ました。 深刻に、リアルに、重量級のメタファーで埋めるようにしながら、この作品に描かれた情景を描き出した、としたら・・・あまりにも空虚で悲惨で耐えられないような、重苦しいものになったかもしれませんね。 (終末メルヘン)

2018-03-19

海の手紙、たしかにすしネタにしても、軍艦のノリにしても、海からの手紙、ですよね。美味しさは、生きる秘密なのかもしれない。それを「味わう事」が、読む、ことなのかもしれない・・・ 鮮度が落ちると廃棄される。なんとなく、流れのはやい掲示板に置かれていく「お寿司」ならぬ「投稿詩」を連想しました。 誰にも読まれた、という痕跡が記されないまま、過去ログに流れていく大量の「詩」を見ながら、何とか応答しよう、とシャカリキになっていた時もありました。一人が読んでも、一人の扉しか開けられない。みんなであっちからもこっちからも読んでいくことで、ひとつの詩、という世界に入っていくための、たくさんの扉が開くんですよね・・・ と思いながら、ちょっとこの詩、長いよね・・・と思ったところで、「なんか冗長ですか?」と詩の中から切り返されて、吹き出してしまいました。自分で自作にツッコミ入れるくらいなら、もっと凝縮できるだろ!と返したいです。 マッチョな70歳の爺さん、この人がお寿司屋さんの大将なんですかねえ・・・お客ではなさそう。きときとのさかな、さいせいさんがよろこびそうな。 考えてみたら、お寿司というのも不思議な食べ物です。ベースはほとんど同じ。ネタによって、握り方を変えたりもするのでしょうが・・・詩も、そうかもしれませんね。いいたいこと、伝えたいことは、銀シャリのようにだいたい一緒で、ネタが異なっている。干からびたまずいネタは、誰も食べたいとは思わない。一度食べたことがあるネタでも、しばらくたつとまた、食べたくなる。お寿司と詩は、似ている、かもしれない。 (過密)

2018-03-19

〈部屋に落ち着くと同時に車の音が気になりだした。信号とカーブがあるために再発進する振動とエンジン音が、窓を閉めても旧式の冷蔵庫の中にいるように伝わってくる。道路から一番遠い玄関のドアの下まで逃げて、耳を塞いでうずくまった。食べたものを嘔吐し尽くして、夜はようやく眠ることができた。〉 これほどまでに生きることを堪えがたくする騒音・・・他者が引き起こすものであり、人の気配である、はずなのですが・・・そこから逃げ出すために得た静寂が、不安と恐怖にすり替わる。しかし、語り手は(この作品の場合、フィオリーナさんご自身と読んで差し支えないような気もします)パニックなどを起こすこともなく、非常に沈着冷静。様々な三段を練りつつも、数日を乗り切る覚悟までしている。逆に言えば、それほどまでに(人の暮らしの結果としての)騒音が耐え難く、人の気配のない、静寂を愛していた、という事なのかもしれないと思いました。 〈その後の3日間を、バルコニーに出ては外から戸を閉めたい恐怖と闘いながら過ごした。〉再び、一人きりで締めだされる恐怖を味わいたい、ということなのかもしれません。心は、刺激を求めたがる。たいがい、孤独に耐えかねて、喧騒という刺激を選ぶ人が多いのですが、ここでの主人公は真逆。 救出してくれた女性の〈周りにいつもたくさんの日本の男女がいたが、なぜか太い筆の墨でなぞったような孤独の輪郭線を持っていた。〉という一行がいいですね。ルオーの絵のようです。 自らの内に、深く孤独を秘めていて、それを大切にしている人同士なら、他者の抱え持つ孤独にも思いを馳せることができるのでしょう。『うたげと孤心』という名著がありますが、詩は、喧騒の中から刺激を受けることもあるけれど、一人で孤独と向き合う中から生まれてくるもの、のように思いました。 ( グリンピースのぜんざい~南仏紀行 ※)

2018-03-19

エイト君、と勝手にフリガナを振って読みました。エイトボールにも見えますね、色付きの⑧は・・・。 エイト君は、そもそもどこにいるのか。最所は、監獄のような場所なのでしょうね。 そこから、〈声が、近くなる方角へ〉向かって、旅が始まる。 〈夜に支配された街〉は、いわゆる歓楽街のような感じですね。ディスコ?ダンスホールのような場所、バー・・・「エルタポレの涙」いかにもテキーラを使った、強力なカクテルのような感じ。語感で作った言葉なのでしょうけれど。それを飲むと、探している女性の居場所が見える、そんなカクテルのような気がしました。 絵文字を使った部分は、ゲームの中に取り込まれているような感覚でした(私はゲームをやらないので、はたから見ている感覚に過ぎませんが)そこで、様々な「体験」をした、として、果たしてエイト君は、なにかの知恵を得ることができるのか・・・。 「エルタポレの涙」は、ペヨーテなど、いわゆる幻覚剤入りのカクテルのような気もしました。それを飲んでさらに、今度は(ゲームやサイバー空間ではなくて)自分自身の深層、無意識の闇の中に入り込んでいく、そこでも彼女を探し続ける・・・老人と会うあたりから、「青い花」などの物語世界も連想しました。ユング風に言えば、老賢者との出会い、ということになりますか。 貴音さんの設定で面白いのは、そもそも、探される側、の女性が、本心からなのか、いわされているのか、洗脳されているのかはわからないけれど、探されたくない、救済されたくない、と思っているらしい、こと。そして、そのことを漠然と知りつつ、それでもエイト君は、探し出し、(閉じ込められている?場所から)連れ出さなくてはいけない、と思っていること。「俺」が、エイトボールになってしまったのは、なにゆえか・・・(最後に、落っことされる、のでしょうか) 「老人」の勧め通り、「俺」は筆に従って、この作品を書いた、ということになるのでしょう。夜の歓楽街を、仮想空間を、そして無意識界を彷徨いながら、その過程を記していく、そんな旅物語のように思いました。 (➑くんESCAPE DAYS)

2018-03-19

投稿作品そのものも、孤塁を保っている、ような・・・ 三行、三行、五行、八行、と連分けをしてみると、もう少し他の読者が入りやすくなるかもしれないなと思いました。 私は、ペンギンが学生服やスーツを着た青年、飼育係がその親(あるいは指導者)、少女は、青年と密かに想いを通じ合っている恋人・・・のように読んでみました。 日本を脱出して自由に生きようと思ったのに、結局、都市生活者を支える工業社会の一員(一部品)にならざるを得ない。自由な開拓の場という幻想は、既にもう、残されていない。そんな現代の若者を象徴するような二人を、自由に渡りを繰り返す水鳥(地理的な距離だけではなくて、時間すら超える)が祝福しながら見守っている(そうあってほしい)というような。 (ヨモギちゃん?)

2018-03-19

冒頭の「銀の膨らみ」が、もう少し具体的なイメージで描かれていたら、入っていきやすくなるような気がします。私は、凸面鏡のようなものを連想したのですが・・・兵で始まり、鳥で終わる、流れが、あまり景を結ばないのですね。やがて兵士たちが来るから、消防士の仕事(火災の鎮火)も、代わりに肩代わりしてもらえる、というような「開放感」で消防士たちは笑いあっているのかな、とも考えたのですが・・・ 詩脚がそろっていて、とんとんとんと進んでいける反面、イメージの飛躍が大きくて、うまくつなぎ合わせることができない。そんなもどかしさが印象として残りました。 (無題)

2018-03-16

夢の中で「心中」を試みた、というようなシチュエーション、なのでしょうか・・・。 「掘り出し物のテーブルにあなたが、気づく前に 古びたバカラを叩き落とさなければ」 このあたりは、なんとなくアンティークの蚤の市で見つかりそうな品々を連想するのですが、崖から飛び降りて、体を離れた魂だけの旅が始まる・・・のかなと思って読み始めていたので、不思議な場所に迷い込んでしまったような感覚に、少し戸惑いました。 後半では、語り手は南の島にいるようです。目にたまった涙を透かして、椰子の実を見上げているような、そんなシチュエーションをイメージしましたが・・・二人で「死んだ」はずなのに、自分だけ、ひとり、生き残ってしまい、南の島に流れ着いた、そんな「物語」を想像してみました。 (ガーデン)

2018-03-16

針金で作られた彫刻(彫像)を見たことがあって、その不思議な質感(周りをぐるりと回って鑑賞すると、角度によって全く異なるものに見えたりする)が印象に残っているのですが、作者がこの造形作品を作っている時の心理を知りたい、その時の心境を体感してみたい、という気持ちにもかられました。 フィラデルフィアで起きた事件、その謎に触発されての連作だと思いますが・・・なぜ、作者はその「芸術作品」を作り出したのか、生み出したのか。創作過程で、何を感じ、考えていたのか・・・という部分に、作者の興味や関心が集中しているように思います。 自らの羽根を抜いて織物を織りあげる「鶴女房」のように、社会の翳が凝り固まって生まれたような「男」が、自らの翳を削り取りながら、針金のオブジェを突く出していくような印象もありました。 フィラデルフィアの事件、に限定することなく、画家や彫刻家などのアーティストの心性に迫っていくような、そんな方向性も面白いかもしれない、と思いました。 (フィラデルフィアの夜に Ⅴ)

2018-03-16

題名が既に「太陽の」なのですが、それにしても、「太陽の」と連呼する行頭のインパクトが強靭ですね。 情報の、と補足があるので、「伽藍堂の海」はパソコンの向こうに広がるサイバー空間なのかな、と思うのですが、そこは作者にとって、闇夜でもあるようです。 どうしても投稿日を意識してしまうのですが(バイブルが燃え、あまたの神も目を閉じてしまう、というような文言から、「神も仏もない」ような悲惨に見舞われた世界、を、想起してしまう)この作品は、震災とは、直接の関係はないのでしょうか。 そうであったとしても、太陽の「慟哭」も「咆哮」も届かない、という悲壮さは、ただ事ではない。 トランクに詰めたものとは、一般には人生の重荷やしがらみの比喩であるようにも思いますが、 「トランクに詰めた/価値あるものは」 「体を得たその瞬間に 消え失せる」 この表現が面白い。気になります。 サイバー空間に飛び込み、体を離れて闇を彷徨う意識が、その旅の間に得る経験が「価値あるもの」であるのか・・・。だとすると、最初に空っぽのトランクを路傍に投げ捨てる、というのは、どのような状況を描いている、のだろう・・・。 太陽の照らし出す世界が現実世界で、その光が届かないサイバー空間が仮想空間、と読んでいるだけでは、どうもつかみにくい。 あるいは、太陽の光の届く世界が生者の世界で、届かない領域は死者の空間(生者には、想像力を働かせないと思い描けない空間)と読むと、隔てられていることによって際立ってくる悲壮感が、なんとなく腑に落ちる、ような気もするのですが・・・。 (太陽の)

2018-03-16

情景描写の小説的な描写の部分と、寓意を効かせた寓話の部分を組み合わせている作品ですね。容疑者を尋問しているような情景を想像しながら読みましたが(設定に関しては、誤読かもしれません)容疑者に感情移入し、共感してしまう尋問官の苦悩、を描いているような気がしました。 読むときの間合いや、時間経過を示すための行分けなのでしょうか。全体に均等な行分けが施されているのですが、前後の小説的な部分は散文体にして、中央部分を行分けにすると、寓話的な部分の畳みかけていく緊張感が際立つような気がしました。 (『火砕流』)

2018-03-16

スマホから打っているので、推敲不足になっています。三浦さんへのレス、牡蠣→書き、です。survof さんへのレスでは、眈々と→淡々と。失礼しました。 (写生)

2018-03-16

二条千河さん 「あの日」のことを、いつか書いておかねば、という気持ちだけがあって、体験しないことを書くことができず・・・結局、なぜかわからないけれど、桜の絵を描くしかなかった、という、あの日のことを書きました。「詩」っぽくしよう、普通の表現ではつまらない、と、変な職人意識のようなものが働いていたかもしれません。まだ、あの日のことを上手く書けずにいます。 社町迅さん なんで、あんなことが起きているのに、ここは普段通り、いつも通りなのだろう・・・余震が来るたびに心臓が冷えて、その都度、ここが被災地でなくて良かった、と安堵し、すぐにそんな自分が嫌になる、という、なんとも言えない堂々巡りの中で・・・絵を描いていました。写生しているときは、無心になれるというか、空っぽになります。そんな、無の状態になりたかったのかもしれません。 三浦さん 童話を書きたくて(今でも書いていて)50くらい、書きかけのものも含めると、100くらいあります。でも、いわゆる「評価」を得られないまま時間が過ぎてしまい・・・これからも、たぶん、誰が認めてくれるわけではなくとも、童話を牡蠣続けると思います。 湯煙さん 私が住んでいるところは大田区なので、震災の実際の被害はなかったのですが、石油コンビナートの火災などがあり、空がどす黒く濁っていたのを覚えています。 放射能の影響だという人もいるし、化学物質のせいだとも、地磁気の異常のせいだとも聞いたりしますが、震災後、実際に蝶や蜂が減ったと感じました。いつもバラゾウムシの被害に遭うのに、あのときは虫に食われず、美しくバラが咲いて、なんとも言えない気持ちになりました。あの日のことを書いておかねばいけないような気がするのに、その時の自分の無力さや、呆けたような空白の時間しか思い出せないのですね。  花緒さん あの日のことを書いておかねば、という気持ちと、それに何の意味があるのか?という無力感とが、同時に存在しています。なぜ、ひたすら無心になりたいと思ったのか。なぜ、悠長に写生などしていたのか。なぜ、こんなことが起きているのに、桜はいつも通りに咲いているのか・・・美しくその時のことを書きたい、詩として上手く表現したい、という、職人的な欲求のようなものは、確かにあったと思います。そこを越えていかなくてはいけないのですが。 survof さん 喪失感を書きたかったというよりは、あんなことが起きているのに、なぜ、私は平常でいられるのだろう、なぜ、花はいつも通りに咲いているのだろう、ということに、愕然としたのですね。無論、震源地から離れているから、なのですが、理屈ではなく、そう感じたということと、その時の自分の無力感と、何かをしていなくてはいられなかった滑稽さを、同時に思い出します。 桜を写生しながら、いかに美しく、そのものを描き取るか、ということに神経を注いでいました。あとで見直すと、実際の枝を組み合わせて、過去、現在、未来とも取れる、三本の枝を重ね合わせた構図で描いていました。その時の、自分でも説明のつかない行動を書き記しておくべきであるような気がして書いたのですが、詩として面白く工夫されているか、詩として美しい景を描き出しているか、といったことに、意識を注いでいたような気もします。 実際に被災地にボランティアにいかれた方が、腐臭の中で拾い上げ、洗い清めた、誰かの家族写真のことを書いた詩や、波打ち際に、ひとつだけ赤い、かるい、全然壊れたり痛んだりしていない赤い靴があった、というところから想念を働かせていった詩を読んだり、被災地の養鶏を生業にされていた方が、ひよこを袋にいれて殺さねばならなかったことを、眈々と綴った詩を読んで・・・被災者でもない、関係者でもない人間に、何かを語る資格があるのか?とも、思ったりしました。それでも、被災地から離れた大田区にいた人が、そのとき、なにを感じ、何を欲していたのか、ということを、書いておきたかった。他の方のレスにも書いていますが、美しく、叙情的に書きたかったのかもしれません。 祈ることしかできないとき、せめて、作り出すものだけでも美しくあってほしい、というような気持ちが・・・比喩を工夫して、その時の情景をより、その時の心情に近い形で、なおかつ美しく表現できないか、という欲求の方に向いたのかな、という気がしています。 (写生)

2018-03-16

おほお・・・題名のセンス(ユーモア)と・・・ 右をのませていたら、左からもあふれてきてあわわわ、となりつつ、無性に幸せだった時のことを思い出しました。 本当に真剣に必死に、じいっと黒目で見つめながらのむ。 いわゆる性の快感とはまったくちがう、さあっと体の中が抜けていく感じ、あれはとてつもないものだったなぁ、と、今更ながら思い出しました。 (ときには 名もない おっぱいのように)

2018-03-14

すみません、設定されていたようです。題名は「写生」です。 (写生)

2018-03-11

〈特別な存在ながらも、昼の間は凡人になりすまし仮宿で暮らす。夜になると獣に戻り夜叉が跋扈する修行に救世を想った。〉このあたりの言葉の流れが流暢ですね。 少女から女性への変貌と、担がれた「教祖」から、自ら選び取った「教祖」への変貌。 教祖とは「より良き生」へと人々を導く、と教え導く存在、であるはず、なのだが、実際には(この作品の中では)適切なパフォーマンスによって人心を誘導していく、心理的アジテーターというのか、誘導者、のような存在である・・・。 この少女/女性の語る言葉こそが、「正義」であり、この言葉に従って生きていれば「真実」にたどり着く、そう錯覚させるものが、宗教である、的な。 面白い観点だと思いました。ナマな言葉を、あえてそのまま使っている、そのことには、正直、違和感を持つ、けれども・・・。 (相対化する宗教の欠片~まがいもの~)

2018-03-09

良かったです。柔らかで明解。かなりパンチの効いた批評性が貫いているのに、子供の語りというギミックと、ロジカルで明晰な構造が、ソフトで分かりやすい文体を作り出している。 一連目が、〈ロボット先生がやってくることになりました。〉で枠取りされ、二連目は〈ロボット先生は、勉強を教えたりはしません。/みなさんが自分でよく考えてください」とロボット先生はことあるごとに言うのです。〉で枠取りされる。 全体も〈ロボット先生がやってくる〉で始まり、〈ロボット先生がぼくの先生なんです。〉で閉じられる、額縁のような枠構造になっている。小さな入れ子が大きな枠組みに内包される。この大きな枠も、更に大きな枠に囲まれている(かもしれない)という、ある種のフラクタル構造を予測させる・・・。 三連目からは、人間的であることの「長所」ではなく、むしろ「短所」が、ロボットの 「長所」と比較される形で提示されていく。人間は、恣意的に権勢をふるったり、相手に合わせることなく、自分の勝手や誤認、思い込みによって「正しい」と思うことを教え込もうとしたりする・・・それは、直接的には人間の未熟さや認識の浅さ、ということに基づく。そして、根源的には、人間の承認欲求・・・世の為、人の為、になることをする=そのようにして、自己の存在基盤を確保する、承認欲求や自尊感情を満たす、という欲望に基づいている。 ロボットには、そうした「欲望」がプログラミングされていない、らしい。純粋に、本当に顧客一人一人の「為」になる最善の方法を算出し、細やかに対応する。そのことによって、顧客本来の力、自ら思考する能力を自発的に引き出していく。教育の、最終的な目標を柔軟に実現していく。人間であれば「究極の無私のボランティア精神」ともいえる手法を発揮して。 純粋な子どもであれば、その見事さに感動して、そのような「理想的な教師」になりたい、と望むかもしれません。 ・・・世間一般の望む「理想的な教師像」が、無私の精神でひたすらに生徒の為に尽くす、奉仕する教師、という、非人間的な・・・人間らしい欲望を封印した、滅私奉公である、ならば・・・。社会にとって、あるいは他者にとって「都合の良い」「理想的な」存在とは、ロボットのような存在であるのかもしれない。このあたりに、かなりシニカルな視点を感じます。 でも、それは人間らしさ・・・みっともなさや醜さや、嫉妬、喜怒哀楽や好き嫌いを、極限まで抑圧する、ことでもある、のかもしれない。そんなブラックユーモア・・・ソフトだけれど、痛烈な批評性を感じるゆえんです。 なんだろう、いわゆる、より良き人間であれ、という・・・社会的要請に自らを添わせていくことは、人間をロボット化していくこと、であって・・・ぐうたらでいいじゃんとか、嫉妬丸出しでいいじゃん、とか、えこひいきあってもいいじゃん、とか、そういう人間らしさ、のようなものを、濁りとして取り除いていくこと、なのかもしれないなあ、などと思いました。 私は人間なので、濁りの部分も大事に残しておきたいですね。滅私奉公的な「他者の為」の部分と、最終的には自尊感情に繋がっていく「自己の為」の部分、どちらもがバランスをとって併存するような・・・自他ともにウィンウィンとなる妥協点を探っていく、というような、そんな手探りをしていきたい。 たぶん、それが「人間らしい」「人間臭い」生存欲求の部分で・・・「ロボット」には、そんな生存欲求がプログラミングされていない、という事なのだろうなあ・・・〈人間から必要とされなくても生きていける、ロボットのような人間〉とは、誰かに必要とされたい、誰かを必要としたい、という「人間臭さ」を削ぎ落す欲望の表明であり・・・それは反語的に、隠された欲望を濃厚に示している一節であるようにも感じました。 ストレートに書いているように見えて、要所要所でかなりひねりを加えているなあ、と思った次第。 (ROBOT TEACHER, WHAT CAN I WRITE?)

2018-03-09

〈この終わらない行分けのような/五月〉 〈首筋を撃たれて/何も歌えなくなる〉 〈緑としか言いようのないほころびがめぶいていた  干からびた体から  血が吹き出したように  太陽がさんさんと輝いた〉 このあたりが、とてもいいなあ、と思いました。 詩の部分と、詩を書こうとしている思考回路というのか、創作回路というのか、そういう楽屋裏のような部分を描く時の描き方・・・描いてはいけない、ということではなくて、たとえば映画のメイキングビデオとか、不採用になった場面の集積などが、編集の仕方によってとても面白かったりする。そういう・・・メイキングビデオを作ってやる、というような視点で見直してみるのも面白いかもしれない、と思いました。 (五月とカステラ)

2018-03-09

ざわざわ、という擬音から始めた方が良かったかな、と思いつつ・・・ (故郷の川のほとりに立っている、というシチュエーション説明というのか、謎あかしのようなフレーズを冒頭に持ってくることの、面白さと難しさですね・・・) 涙を見るのは、自分の無力を突きつけられるということかもしれない。他方、自分も「目の前にいる人」に癒されたいと思うのに、それができない。 一緒にいるがゆえに、どうしようもなく、互いを受け止めきれない、支えきれないことを知る、そんなジレンマを、静かな語りの中に掬い上げているように思いました。 血管の中にいるようだという比喩は、同時に母の胎内にいて、血流を聞いているイメージに繋がる。 どうしようもない現実を前に、胎内回帰願望を密かに抱きながら、故郷の川のほとりにたっている。 夜半、どうにもならない思いを抱えながら、故郷の川の音を聞いている。 それは、一人であることを思い知らされる時間であるとともに、流れに包まれている、という安心感の実感でもあるでしょう。 故郷、水、のイメージが効いていると思いました。 見ず、と音が重なるのも面白いですね。 (水を観る)

2018-03-07

歌うような調子が印象に残りますね。 ことこと・・・風が窓枠をゆらす音なのかもしれませんか、そこに何かの訪れを聞くところから、詩が動き始める。 ことこと・・・頭韻が導く、小鳥、琴、鼓動、言葉。 実際に目撃する、羽虫の死骸、想像の中で「目撃」する、弦の切れた琴。いずれも、空虚であることに視点が注がれています。 題名のストレートさや、(特に琴の連の)たどたどしさが、初心の印象を与えるのですが・・・一般常識では鼓動を持たないはずの月に、いのちのかすかな拍動を感じ、その拍動が闇を揺らしている、暗夜に(か細いながらも)影響を与えている、というところに、強い詩情を感じました。 命が失われた後の空虚さを、羽虫の死骸に実感する繊細さ。 そこから、想像の中で切れた弦が、一瞬血を吹くような生々しさで声をあげ、語り手になにかをうったえかける、その余韻。 闇に押し潰されないように、かすかに拍動を重ねる、細い月。 それがいのちなのだと伝えたい、そのことを言葉にしたい、という想いが綴られた作品のように思いました。 (わたし いのち)

2018-03-07

女性の立場から(実際の体験に基づくにせよ、架空の設定であったとしても、主人公の身に寄り添って想定された上で)書かれた作品なのかなと思いながら読んでいたので、レスを拝見して、男性の作者だったのか、と、少し驚きがありました。 意に染まぬまま男に抱かれ、古い慣習から「傷物」と冷たく扱われ、自らを「燃やせるゴミ」の中に入れて無くしてしまいたい、と願う(実際には、傷を受ける以前の生を激しく求めながら、それを強力に自己否定するような)・・・俗な言い方になりますが、セカンドレイプに苦しんでいる女性の心情を思いながら綴られた作品(静かな告発ともなっている)のように思われました。 (傷物)

2018-03-07

不在性、と早い段階で抽象性の高い言葉を置くことの効果が、うまく効いているかどうか。 空っぽの皿に春の雨が跳ね返る、という具象的なイメージから、既に失われた人の声、記憶の中でのみ生きている人の面影が断続的に浮上してくる・・・という方向に広げていってもよいかもしれないと思いました。 〈さよならも言わずに 猶予だけ/与えて下さって有難かった〉 別れるまでの、心の身支度。心の準備を整える時間。 感傷や喪失に耽溺するのではなく、悲しみを記憶の「呼び出し」「呼び戻し」に置き換えていくために必要な時間や心の準備。それは、ナマの悲しみを思い出という懐かしさ、その人だけの財産に置換していくための時間だと思います。 その行為を「ゆるされ」たものと捉えるところに、恩寵と触れる一瞬への想いを感じました。 (世界を丹念に、でしょうか?) (sukuware)

2018-03-07

3月、私事でバタバタしていて、作品を十分に読めていませんが、半ばくらいからは時間を取れると思います。 皆々様のご尽力に多謝。 (<雑談、議論、要望等スペース> PART2)

2018-03-07

連星、を連想しました。ひとつに見えるのにふたつ。互いに激しく引き合いながら、遠心力で引き裂かれ続ける。 お互いの重力が互角だからそうなるわけですが・・・いっそ、ぶつかり合ってひとつに燃えて消滅してしまいたい、そんなジレンマに焼かれ続けながら、宇宙空間で対峙しつつ巡り続ける宿命を持った星ふたつ。 (星)

2018-03-05

白犬さんの言葉は、魂がじかに肉体をさらしていて、物質の肉体の方がどこかに行ってしまっているような感覚がありますね・・・ それで本人が困っているかと言えば、それほどでもなく・・・むしろ、宙ぶらりんの状態を、少し楽しんでいる感覚もある。 「痛々しい」言葉がならんでいるのに、むしろ、自ら進んで血しぶきを浴びているような。 リーディングとの関係もあるのでしょうか。 最後の一行が、1滴の甘みを添えていると思いました。感想のみで失礼。 (re:w)

2018-03-05

半身たち、が、半神たち、に見えてきますね・・・  互いに顔を背けながら、という反発の力と、殺し合いかねない強さで絡み合う体。 相手を思いやったり見守ったりする愛ではなく、自分を愛するか?さもなくば死ね、と強要する自己中心的な愛、支配欲にまみれた愛を、イメージで示したらこんな姿になるのかもしれないと思いました。 そして・・・恥も外聞もなく、愛と憎悪とをむき出しにして絡み合う様を、見ている他者がいる。見て、面白がっている、見世物になっている、それを自覚しているという悲しさ、滑稽さ。そこに注目するところに、この作品のユニークさがあると思います。 一行だけ、ポツンと置かれた行の作るリズムもいいですね。 花で飾られて外部に押し出されるということ、部外者として扱われるということ。それを自覚する、外部の視点を持つということ。そこまで、「僕たち」は、自分をさらけ出している、その覚悟を、君たちは見てくれているか?そんな読者への問いかけを感じる、ある種メタ的な要素を持った作品でした。 (半身たち)

2018-03-03

雪が「温もり」だけを残して熱を奪う、というのは、雪景色の見た目の温かさ、まどろみに誘うような柔らかさのイメージでしょうか。 声を雪が奪うというイメージ、眠りに誘われていく感覚。 もし雪に降り込められたら・・・という夢想(このまま眠り込んですべてを忘れてしまいたい、という願望)の中で、雪に抗して立つ木の凛とした強さに励まされ、自らの肉体に流れる血潮に目をとめ、生きる気力を取り戻す(気力があることに気づかされる)という方向性を感じさせる作品でした。 雪景色の描写や体感が、表層的な印象にとどまっているのが惜しいと思います。 最終行は、雪を握りしめて体温でとかす、そんな意志の力を暗示したかったのでしょうか? (雪景色)

2018-03-03

電球の中に海がある、という立ち上がりはとてもいいですね。 ただ、歌うように言い直す二行目で、「かそけき」という・・・装飾的な詩語に流れてしまうところが、もったいないような気もします。 最後のリフレインのところも、ゆかしき、というあまやかな詩情を醸し出すような詩語に流れてしまっている。 2どめのいい直しであり、軽めの強調であって、サンドイッチのように「甘さ」で中身(あなた、の見聞きし、感じているであろう世界の追体験)を挟んでいるのだ、という見方もできますが・・・ 二行目の装飾性を見直してみる、あるいは、二行目の冒頭に半かっこをおいて印象を「こだま」的なものに弱める、そんな工夫をしてみても良いかもしれないと思いました。 (電球の海)

2018-03-03

9・11の「衝撃」が、「旅行者」である語り手に、何を残したのか、残さなかったのか・・・ 美しい場所には死の匂いがする。様々な文学者が、入れ替わり立ち替わり「その不思議」について語ろう、物語ろうとし続け、常に「その人の物語」は現れたとしても、普遍的な「答え」は見いだされない。それでも問い続けることに、文字を綴るということの意味と必然があるのだとは思うのですが・・・ あまりにも抑制された筆致が、事件の衝撃をあえて遠ざけよう、ひとつの事象としてとらえようとする心性によるものなのか(自身の精神を守るための、自然な防御反応ですね) 事件の大きさを把握できないまま、何らかの麻痺状態にあった、ということなのか。 それでも、この美しすぎる場所が破壊されるかもしれないとしても・・・という仮定が脳裏をかすめた時点で、語り手の精神は事件の影響下にあるわけです。 死に蝕まれている肉体が、目の前の場所の「美」の完成のために(それは未完に終わるとしても)手を尽くし続ける。 そのようにしてしか、事件を「受け止める」ことが出来ない、という1つの限界と、自身には受け止めきれない大きな悲惨と、いかにして向き合うか、という問いへの自分なりの答えを、語り手はつかんだ、ということなのではないか。 だとするなら・・・そこに焦点をあてて、掘り下げていく試みを、もっと工夫してみたらどうでしょうか。 全体に抑制され過ぎていて・・・隠れたテーマとも言える、明日、世界が滅びるとしても、私は今日、リンゴの木を植える、という「今」との接し方、生き方に気づいた瞬間の心のおののきのようなもの・・・までが、抑制されてしまっているように思われました。 (シャルロットの庭※)

2018-03-03

私自身も、最近、エッセイと散文詩の間を行くような作品を書き始めているので、興味深く読ませて頂きました。 あえて感情を抑えた前半の語り。 鉄仮面の「幽閉」されていた場所と、「比類無い清らかさ」の教会の対比が、重要な伏線となるのだと思うのですが・・・その時に受けた感慨を、比類無い、とさらりと流してしまうのではなく・・・「皮膚の冷たい光沢」のような、観察を活かした比喩的な描写を入れていくことで、端正で抑制された表現の奥に流れる情動が、よりくっきりと立ち上がってくるような気がしました。 (希望の丘※)

2018-03-03

一連目、言葉の響きを重ねてみよう、とか、そこに意味も重ねてみよう、というような意欲と硬さが目立つような気がしました。肩に力が入っている、というべきか。 2連目からの「のっていく」感じがいいですね。 「秩序をトースターで焼けば」「斜め四十五度 濁った視線のなか」「オレンジが潰れ 出血熱の会釈」等の飛ばし方が、とても良かったです。後半は、逆に勢いに身を任せすぎた感がありました。 (青信号を渡らない赤子)

2018-03-02

「ありふれた」日常、会話を、あとから振り返ったとき、それは特別な時間だったと気づく・・・多くの人がたどってくる道のりであるからこそ、「ありふれた」ことの具体的な中身が気になります。 なにか、そう自分に実感させた、象徴的なエピソードや出来事、他者が目に止めない、でも自分にとっては大切な何か・・・に言及すると、もっと良いのではないかと思いました。 (1095)

2018-03-02

ポンポンと跳ねていくような、適度な意味の幅、文脈の開きを持った詩行が心地よいと思いました。  最初の2連、とても大事なことだけれど、3連目以降で伝えたいことのダイジェストというのか、内容そのものを、この2連で言ってしまっているような印象がありますね。 最初で、今さら、それを言う?という導入になってしまうと、後半の適度な意外性や新鮮さの中から、「当たり前だけれど普段気に止めていない大事なこと」がにじみ出す、という構成の良さが見えにくくなると思いました。 (暗闇の少年は街頭を友達にかくれんぼをする(改訂版))

2018-03-02

自らをムチ打つような作品ですが、歌うようなリズムがあり、読むときの緩急を意識したような改行が施されており、内から沸き上がる思いをただ書きなぐったかのように見せつつ、なかなかよく考えられた(あるいは何度も口ずさみながら練られた)作品なのではないかと思いました。 立ち上がりの一行に引き付けられます。働いて得るはずの金銭が、命に直結するということ。様々な経緯によって家を、家族を、仕事を失った人にとって、まだ食べられるのに処分される食品とは、いったいどのように目に写るのか。 語り手は、捨てられる食品を「ゴミ」と見る側にいるけれど、そのことに特権的意識を持ったり、別世界のこととして突き放して傍観するのではなく、むしろ 汚れたくない、関わりたくない、と傍らをすり抜けていく側にいる自分を含めて、傍観者を「ムチ打って」いる。そして、付け焼き刃の思い付きの善意や、表面的な社会正義などを唱える人々にも共感したり同意したりできずにいる。 その根っこにあるのは、もしかしたら、自分が母を「殺して」しまった、ということへの自罰感情なのかもしれないと思いました。 原罪的な罪に対する、根元的な感情、そのことに、個人的な視点と社会的な視点の双方からアプローチしているところがとても良いと思いました。 罪と罰と存在理由、人の無力の自覚と、感覚を麻痺させられない鋭敏さに傷つく繊細な感性。 しんどいだろうとは思いますが、その混沌の中から、文学は生まれるのだと思います。 (ゴミ)

2018-02-24

題名から、るるりらさんのようなイメージを抱きましたが、カズオ、という名前から、数を連想しました。 視覚的には、最初は6つのゲートがあるのにすぐに4つに減り、途中から2つの通路のみになる。そんな「減っていく道」について、思いが至りました。 疑問としては、なぜ、註記を作品末尾ではなくコメント欄に入れたのかということ。 読者が気づくのを待つ(気づかなくても構わない)のであれば、言及するコメントや質問が出てから書けば良かったのではないか? もし、この註記も作品の一部であるなら、コメント欄を活用する意味がよくわからない。 コンセプチュアルアートで、キャプションを見てはじめて素材や制作過程が特殊なものであることを知ったり、別添のパンフレットを見て、そうした新たな鑑賞の視点を得る、という面白さを狙ったのか・・・ 私は、詩歌とは、汎用性のある日本語を用いたもの、と考えているので、私の狭い概念に当てはめるなら、これは詩作品ではない、のですが・・・コンセプト、視覚的なイメージ、題名のインパクト含め、言葉と数字によるビジュアルアート作品として受け止めました。そして、アート作品として、とても魅力的な作品だと思いました。 (カズオ・イシグロ)

2018-02-24

古戸もが→子供が でした。 (birth)

2018-02-22

お誕生日をお祝いするのは、いくつくらいまででしょう・・・ 十代後半くらいから遠ざかって、また古戸もが生まれた頃から復活する・・・そんなパターンが多いかもしれません。 内部をのぞきこむ。このイメージが、まるで子宮のなかをのぞいているような質感があり、しかもその「内部」がミクロコスモスとしての自己の内面へと無理なくスライドしていく。 自らについて問いかける、それが存在「の観念」への自覚だとするなら・・・自分の中心で、自分のことなどまったく意に介さなかった子供時代から、自分を外から、客体として見る思春期を経て、人は「大人」になっていく。 「大人」とは、存在の意味とか、意義といった答えの出ない問を問うことを、時間のムダ、と諦めてしまう人のことだと、勝手に思っているのです。 その問を諦めない人が、大人になりきれないまま、詩にとらわれたり、美にとらわれたりするような気がします。 いくら客体視しても、自らの「ほんとう」を捉えることは出来ない、そのもどかしさを知りながら、自らを問うことをやめられない。 万華鏡のイメージに展開し、ミクロコスモスにおいて原子レベルまで自己を細分化するという思考実験を試みつつ、その原子が内部空間を満たし、誕生の驚きをさざ波のように伝え、響きあっている。遍在する自己という難しいテーマを、比較的易しい言葉や、イメージしやすい比喩で捉えているところが素敵な作品でした。 (birth)

2018-02-22

100歳を越えた祖母を見舞ったときのことをなぜか思い出しつつ・・・ 虹は希望の色なのか?異界へと渡るための橋なのか・・・ まっすぐに語るのが怖い。その気持ちが詩となってあふれ、迂回させているようにも思われましたが・・・ いわゆる、ストレートには読み解けない作品ですね。何度も読み返しながら、行間を感じる作品というべきか。 人の魂は鳥になって飛び立つと言います。痩せ細った人が、静かに翼を開いて飛び立とうとしている。まだ、肉体という籠の中に、魂は待っていてくれるけれど・・・ 私の勝手な(物語を重ねていく)読み方かもしれませんが・・・ 肉体の目や耳と、心の目や耳が重ねられているように思われる、そこが、慣れない読者には難しいかもしれないと思いました。 (ナナイロ)

2018-02-22

言葉のはしご段を所々はずしていくような面白さがあるな、と思いながら読み進めて・・・「巣立ち」以降は、こうした「はずし」や「ずらし」、「かえし」や「かさね」がない。凝縮された、いわゆる短詩になっている。 巣だったのは誰だったのだろう、と思いつつ・・・あるいは「現代詩」が、「わたし」から巣だっていったのかもしれない、と、読んでも面白いかなと思いました。 (家族八景)

2018-02-22

蔦(つた)と鶯(うぐいす)が似ていることに、いま、気づきました(笑) あなたの蔦、不思議な表現ですね。蔦の絡まる洋館の壁面。つた、の音はツイッターに似ているけど、それはこの場合、関係ないでしょうね・・・ 詩を書いていると、何となく自分が「すごい」というような、根拠の無い自信や、逆にすべての人に虐げられているような、これもまた根拠の無い心細さのようなものに襲われる・・・それは、いつのまにか髪や爪が延びていて、気づいたときには鬱陶しいまでに長くなってしまっている、あとはもう、切り捨てる他無い・・・というような、気持ちの絡み合ったような感覚を表したかったのかな、と思いつつ・・・もしそうだとして、いきなり蔦という視覚的なイメージに飛ぶのは、ちょっと跳躍の幅が大きすぎるかな、という気がします。 (蔦に、からむ。)

2018-02-22

「私の道の中で最高傑作ができた朝」私の中で、ではなく、私の道の中で・・・とても気になる表現でした。 最高傑作ということは、創作表現を主とする研究室で、無我夢中になって「勉強」した、ということなのだろうと思いつつ・・・ あえて日記風の、あるいは手記風の「語り」を用いているのかなと思ったのですが、作中話者(この場合は、限りなく作者自身を投影しているのでしょうね)は、「誰に対して」語っているという想定なのか、お尋ねしたくなりました。 まだ若々しい両親と過ごしていた、当たり前だと思って気にも止めていなかった「平凡な」日常。退屈でめんどくさくて、何となく縛られているような堅苦しさもあって、そこから離れてせいせいしていた、はずなのに・・・という感慨を、どのように表現していくか?ということなのかなと思いました。 八十代の方が、息子は私が歳を取るってことを知らないのよ、とぼやいていたことがありましたが・・・老いていくこと、衰えていくことは止められない。若い頃には、両親はいつまでもこのまま元気、そんな錯覚に襲われる(意識的に見ないようにしている)ものなのかもしれません。あるいは、自身の老いと共にその事に気づく。気づいたときには、親は既に無い。 (幸福の形、不幸の形)

2018-02-22

エンターテイメント色の強い読み物かと楽しく拝読していたら・・・鯨と「名乗り」があって、まず いちビックリ。 そこから鯨のうた=本当の詩、という流れかな・・・と思わせての、水爆実験への無言の反歌となったトビウオ坊やの名作に重なり、にビックリ。 捕鯨船からさらし鯨の小鉢かよ!・・・というオチの流れに さんビックリ。でした。 しがない・・・に 詩が無い、をかけているであろうところ、逆にちょっと目立ってしまっているかな・・・鯨の話を聞いた聞き書き、が、詩になりました、という流れもいいかもしれない(野良猫ルドルフみたいですが)何て、ちょこっとですが、思いました。楽しかったです、奥行きもあって、重厚な印象も頂きました。鯨の寅さん。さくらはいるのかな。 (おもてなし妖怪2018)

2018-02-22

カンキツいろ、という言葉の響きと、レモンからオレンジまでの階調、爽やかな香りと酸っぱさと甘さのない交ぜになった味わい・・・に飢えていたという「フィーリング」が、一連目から伝わってきますね。 2連目の少女と絵本と髪の毛の取り合わせ・・・つい黒髪を想像してしまうのですが、一連目の色彩の余韻と、ラプンツェルのイメージが後から来るので、そこで金髪からレモンイエロー、ゴールドの髪の毛と・・・安寧だけれども退屈な場所から、逃れたくても逃れられない、そんな「少女」を連想しました。 あなたのかけら、とは何か・・・あなたの気配を感じさせる痕跡を、かけら、という質感に置き換えうるか・・・ ないこと、あること、その根元的な問を、観念ではなく感覚でとらえるには・・・と観念を働かせている印象を覚えました(私自身にも覚えがあるので、このあたりは自戒しつつの、課題ですね) 三連目が、若干、ルーティンに陥っているようにも思われるのですが、そこから一気に、食べる、という身体的な体感に持っていくところで、うまくバランスを取れたのではないかと思いました。 四連目。客体として、あるいは何らかの憧れを持った存在を象徴する他者として描かれていた「少女」が、内面の存在、ユング風に言えばアニマのような存在として捉え直され、「感覚したもの」を食べるように飲むように自らの内に取り込む存在として描かれる。少女と「わたし」が一瞬同化し、自らの成長/変容と共に「去っていった」もののように読むことが出来そうです(そのような読み方を想定しているかどうかは別として)このあたり、特に少女が男になるという飛躍に、少し無理があるようにも思います。 男へなる、という書き方になっているのは、男へ(実が/身が)成る、と重ねているのかも知れませんが・・・ そう読んでくると、少女は、ラプンツェル的な魂の表象であると同時に、童心の擬人化でもあるように思われますね。ミヒャエル・エンデが『はてしない物語』の中で描いた、モンデンキントのように。 有無と生むの重ねは、言葉の響きが必然的に呼び出したというよりは、観念が呼び寄せた感じの言葉ですよね。 一連目の立ち上がりと、訴えてくる力が強かったので・・・イメージの世界へ沈降する2連から先、特に3連以降が、観念に頼っている感覚もあり・・・イメージの新鮮さが失速しているような印象がありました。 (あなたにたくさんの柑橘)

2018-02-21

くつずり ゆうさん 優しい印象が残ったとのこと、嬉しく拝読しました。 春の日差しのイメージ、春風のイメージ、だんだん暖かくなってきて、体も何となくゆるんでくる頃・・・のイメージで書きました。 娘の実名を出すかどうか、仮名にするかどうか・・・童話など、明らかにフィクションであるものなら、作品総体に意味を持つような象徴的な名付けや、遊び心を入れた名付けをするかもしれません。 詩歌もフィクションですが・・・事実を下敷きにしたものから、完全に空想世界で紡ぐものまで様々ですよね。 今回は、少し私小説的な、事実から得た感動をもとにした部分もあったので、仮名は用いませんでした。 (陽だまり)

2018-02-21

藤一紀さん 芦野さんの作品へのコメントの中でも書いたのですが、石が生きている❗と、一瞬、息が止まるほど驚いたのですね。何でそう感じたのかと言えば、息をしているように見えた、という単純なことなのですが・・・息をする、体外と体内で空気を交換する、養分を取り込み、不要物を排出する・・・その営みが、命「ある」とされるものと、「ない」とされるものとを分けている。その不思議に思い至ったのでした。 分子物理学のレベルに至れば、電子のやり取りなどあるわけですし・・・運動、を生命力のひとつと見なせば、無機物と有機物の区別すら曖昧になる。命は、どこから始まり、どこで終わるのだろう、と考えながら、火山の胎内で育まれた石の一生に思いを拡大してみました。 (陽だまり)

2018-02-21

アラメルモさん 文字、と記したときに、言葉、ではなく、図像、形象としての「文字」を多くの人は連想するようです。 うまく言えないのですが、自然という書物、葉っぱや石という書物に記された、人間には読み取れない、しかし命あるものには、漠然と伝わるメッセージのような暗号のようなもの、音としての言葉ではなく、意味やしるし、兆候としてのなにか、のようなイメージなのですが・・・文字、という言葉の前後関係からそれを伝えられているか?と問われると、かなり不十分だなぁ、という気がします。 これからも挑戦し続けたいと思います。 (陽だまり)

2018-02-21

叙述性、一義性、散文性を高めていけば、可読性は高まりますが、冗漫さや散漫さが目立ってきますね。そこを補うのが文体のリズムや言葉の調べ、全体の構成や連による場面の切り替え・・・等ではないかと思います。芦野さんの作品は、私には若干、冗漫に過ぎる部分があるようにも感じましたが、全体に非常によく構成されていて、エモーションに訴えてくるものがあったと思います。 短歌的な抒情と俳句的な叙景、という言い方をするなら、私の作は俳句的な要素がより強いかもしれません。 改行や切り替えによる飛躍や、象徴性を意図した多義性、情に流され過ぎないようにあえて切っていく切断など、俳句的な手法を意識してはいますが・・・ 詩集に入れた作品の中では、意味がよくわからない/宇宙的な深度がある、と賛否が別れたものでもあるので、叙述を切り詰めすぎていると感じる方も、たくさんおられると思います。 (陽だまり)

2018-02-19

詩の背景を問われて、その時の思いなどをモロモロ話したら・・・いま、話しているように書いたらよかったのに、と言われたことがありました。 その時のことを思い出しました。 手紙を綴るように書く、語るように、話しかけるように書く。 そのような流れの中で、いつしか、歌うようなリズムが生まれたら、そこで筆を止める・・・。 陳さんに、この詩と思いが、届くといいですね。 (陳さん)

2018-02-19

縦に読んだり横に読んだり、斜めに読んだり・・・ エル字型に読んだりしました。 幾通りにも読める。 迷路みたいなのに明解。面白かったです。 (ノノシル)

2018-02-19

なんとなく、また、百合読みをしたくなります(笑) とはいいつつ。留学中の子供からの便りを待つ母親、的な視点で読んでも面白いと思いました。 じわっと伝わって来るものがあります。 もうすぐ三月。「海に流された街」に、被災地のことを思いました。 いろいろなことが、わらなくなって、旅に出た「きみ」の消息を、静かに、根気強く、待ち続ける語り手。 ときどきイレギュラーなリズムを作る改行、そして唐突に、思い出したように置かれる「読点」のアクセント。 流れの心地よい作品でした。 (structure)

2018-02-19

〈アベンチュリンの若葉を 湛えた私の両目が鏡の中で溺れている〉 アベンチュリンにはピンクなどの色もあるようですが、ここでは翡翠色をイメージしました。 透明感のある色彩に惹かれました。 鏡は、異界への入口であり、湖面でもあり・・・そこで目が溺れる、という体感。 溺れるのは、本来は苦しい、避けたいことなのかもしれませんが、 (光を消す、堪える、という否定や抑制の言葉も影響していますし) 愛に溺れる、イメージに溺れる、という時の語感は、むしろ耽溺する、魅惑されに行く、という、 積極的にまみれに行くイメージに転換する。 まぶしい、の連呼とも重なり、どれほど光を消しても、目を塞いでも、君の若さがまぶしくてたまらない・・・ 語り手が、鏡の中の異界を覗き込んでいる、ような・・・君に、耽溺したい私、と、それを拒否する私、のような。 最後の  (と なのですが、直前の「眩しい」に「と」が付いているので、「眩しいと、と、と・・・」のフェイドアウト的なイメージなのかなとも思いましたが、正直、よくわからない。どのような効果を狙ったものなのでしょうか。 行数を絞った作品なので、(と の曖昧さが気になってしまいます。 (過眠)

2018-02-19

こんにちは。魂、という「答え」を最初に出してしまっているので、ちょっともったいないような気もしました。 たとえば、それは/冬の光/それは/夏の音/それは/私の手が・・・というように記していくのも、ひとつの方法かもしれません。 (魂 soul)

2018-02-19

まゆだま、むげん、まるく、ねむる。mとnの音の持つ柔らかさを、まず最初に感じました。 詩脚を揃えて、帯のように連ねていく詩行。ゆるやかなカーブを描く詩形もまた、目にやわらかく映ります。 繭玉の中でまどろむ立ち上がりは、飛躍の前の眠り、旅立ちの前の休息、エネルギーを蓄える休養期間のイメージでした。 対する、窓の外から覗く巨大な目は、社会の総体としての「目」であるのかもしれませんが、超自我の象徴でもあるように思います。 居心地のよい眠りの中の「わたし」と、恐怖を引き起こすような超越的なものに見つめられている「わたし」。はかないもの、美しいもの/醜いもの、恐ろしいもの、として、「わたし」の意識の中に流れ込んでくる夢幻的イメージ。覚醒直前の夢想の中で、詩的イメージが現れては消えていくのを見ている。 今は「見ている」だけだけれど、見ている「わたし」は、今後、このイメージの中に分け入っていくのか。どれかひとつを取り出して、吟味しながら作品へと構築していくのか。繭の内から、羽化していくのか、そのまま眠りの中に留まるのか・・・これからどうなるのだろう、という思いを引き寄せる作品でした。 (繭玉深く夢幻)

2018-02-19

一連目の鮮やかなイメージの乱舞、二連目のディストピア的世界観を被写体として捉えるカメラマンのような目線が面白かったです。 三連目・・・透明なイメージの中で、静かに沸騰していく気持ち、のような感覚でしょうか。1連、2連が視覚的イメージなのに対して、3連目は体感とも言い切れず、視覚世界とも言い切れず・・・形の無い世界を彷徨う感覚を、観念とイメージを結びつけながら言葉にしようと試みている、そんな試行を感じました。 (秋の牢獄)

2018-02-19

推敲後のイメージで読ませて頂きました。 たちのたてき~とタ、の音の連打が居心地悪いということでしょうか・・・意味やイメージが先にあって、それを言葉にしていくタイプの詩作をなさっているのかなと思いました。 なぜか、おみわたり、凍りついた湖面にささくれたようにそそりたつあの氷の柱(板)の群れと、その道筋を思いました。目に見えない、二つの力の拮抗。 男鹿半島と竜飛岬と美しい湖の姫を巡る物語を思い出したりもしました。  それにしても、昔話では織物が重要なタームとなりますね。 竪機、文字から見ると何か重機のようなものかとも思いましたが、直前の糸のイメージもあり、織機を想定して読んでみました。 (凍傷)

2018-02-18

ブンガクのはなし、しよーぜーって言ってて、なんかモロモロ先送りになってますね・・・ 震災後の、自分は被災者でも何でもないのに、なんにも出来ないことに打ちのめされて、自分がボロ切れみたいに感じていたときに、ネットに投稿される作品が、読まれないまま・・・あるいは、読んだという痕跡が記されないまま、過去ログに流れていくのを見ていて・・・とりあえず、読んで応答しよう、と決めたんですよね。 それが思いもかけず、たくさんの人に喜んでもらえて、実は自分が一番、嬉しかった。投稿作品に刺激されて自分でも書きはじめて、詩誌に投稿しはじめて、詩の賞に応募して・・・勢いだけで突っ走ってきた感じがあるけど、キホン、まずは読んで応答すること、が、私の根幹だし、それはこれからも変わらないと思う。 それが私のresponse、れすぽんさびりてぃーなのかな、と思っています。 詩が生まれたら、また遊びに来てくださいね。 (さよなら、インターネット)

2018-02-16

渡辺さんのコメントを読みながら、なるほどなあ、と、ただ、唸る他ないですね。「新次元」では、「けものフレンズ」を知らない読者、として読む、と、もちろん断って「読んで」いる、わけですが・・・それって、知っているのが当たり前、とか、大好きで、リスペクトもして二次創作をしている人達から見ると、不遜、に映るかもしれないなあ、と思いました。ロックをテーマにした作品を書評する時、知らずに書くわけにはいかない、と思い・・・ユーチューブで可能な限り聞いて、それでも足りなくて、借りたり、買ったりして聴きながら(歌詞も参照しながら)書評した、わけだけれど・・・私自身に、アニメや漫画を、文学の側の人は特に知らなくてもいいのでは?という「おごり」というのか、傲慢さがあったかもしれないなあ、と思いました。 古今和歌集を知っていること、を前提として新古今が編まれており・・・そこを探り合う面白さが「深さ」に通じると共に、閉鎖性をも生む。当然、修辞過多へと傾き、そこから万葉の素朴さ、純朴さを称揚するという反動が起きたりする・・・当時展開された「詩論」と、吉本隆明のゼロ年代詩批判を巡る様々な議論の往還との構造が、実によく似ている、という指摘を聞いたことがあり・・・その時のことも思い出しました。 西洋詩を読むときに、聖書や西洋古典、ギリシア、ラテン文学などの素養があるかどうか、そこをふまえているかどうか・・・注釈を参照しながら読んでいる段階では、「おべんきょう」でしかない。ハッキリ言って、面白くない。でも、こうした古典教養を「楽しみ」として読んでいる者からすれば、他の人が「知らない」かもしれないこと、を読み解ける、それは、推理小説を読み解いていくような楽しみでもある・・・いわゆるハナ高自慢になりかねない、時にはイヤミな読み方、でしょうけれど。 西脇なんて、まさにそうですよね。でも、注釈を「読んでいない」段階、知らない段階で読んで、衝撃を受ける、面白いと思う、そんなフレーズに触れたとするなら・・・それこそ、テキストの力、といえるのではないか、とも思う。 とりいそぎ、雑感です。 (君について行く)

2018-02-15

夜更かしした太陽が言う この一行、ユーモラスで新鮮で、とてもいいですね。 〈月の残光〉という立ち上がりは、実際の月のことをさしているのか、とも思ったのですが、 太陽、が、まるで「太陽のような友人」の擬人化に思われ・・・語り手の心に淋しくも美しい印象を残して消えて行った「月のような君」を歌った作品として、読みたくなりました。 湯煙さんのコメントにもありますが、誰に呼びかけているのか、そこが、やはり気になります。 (「月花」)

2018-02-15

全体に「神話的」な荘重なムードが漂っている、わけですが・・・さて。 重々しい語り口、無駄を省いて断片的に置いて行く言葉のリズムなどに、好ましさを覚える、のではありますが。 ミューズ(ギリシア神話)バビロン(ギルガメシュ/聖書)、大きな物語へと誘うイメージが、わりあいと簡便に持ち込まれている感覚があり・・・意味の重さというよりも、オシャレな記号、といった雰囲気を出したかったのかな、とは思うのですが・・・言葉の身振りの大きさのゆえに、読者が手前側で拒まれているような感覚もありました。 〈警告をビームする/回生をギークする〉古代神話をモチーフにしたゲームに一人興じている夜、そんな自分を外から見た視点で語られた作品、そんな読後感もありました。 (メル)

2018-02-15

たまたま、音読される機会を得ているので・・・ 「この、牛くん」と言う読み方、ではなく、「このうし」君、という読み方であったことが、強烈に印象に残っている、のですね。もし、イラストを付けたい、と言う方が現れたら、ぜひ、その方の前で音読すると良いと思いました。 絵本のダミーをいくつか作成して、実際に数社の絵本会社の方に見てもらった経験もある、のですが・・・商業ベースに乗せていくのであれば、特に後半部分がなかなか難しいだろうなと思いつつ、そこがこの作品の「キモ」でもあるような印象もあり・・・しかし同時に、この、とか、その、と特定できない、無名性に還元されていく、という方向が主題であるのか、survofさんのおっしゃるような、食の倫理性について・・・が主題であるのか。テーマが分裂している(作者の中ではそうではないのかもしれませんが、読者目線では、分裂しているようにみえる)ここが、ネックとなる部分かな、と思いました。ナンセンス絵本として、うしがずらりと並んで、最初の「うしくん」はど~れだ、的な方向への遊びが入ると、幼稚園の月刊配布絵本のような枠に入る可能性もある、かもしれませんが・・・。 ぱく きょんみ さんが福音館で絵本を出した時、編集者と交渉を重ねながらテキストを直しに直して・・・結局、あしかけ8年、かかったそうです。司修さんの宮沢賢治「雁の童子」に至っては、最初に企画が持ち込まれてから、実現するまでに25年かかっている、という話も聞きました。 文字テクストとして見たとき、〈うしのはんすうし〉という題名が、牛のハンス牛・・・/牛の半数詩/牛の(が)反芻し・・・と、もろもろに読める。〈はんすうしながら〉ここも、ハンス牛ながら・・・/反芻しながら・・・と読める。ハンス、が、なんとなくアルプスっぽい名前であることも、そんなイメージに影響しているのかもしれません。 (うしのはんすうし (B-REVIEW EDITION))

2018-02-15

一連目がとても直叙的で、入っていくのに抵抗感を覚えます。 比較して二連目が印象的な立ち上がりなので、ここから始めてみるのも一案かもしれないと思いました。 飯代の足しにもならない、千羽鶴の束から一羽をちぎり取って、見出されない「彼岸」への道のりを辿りながら、街中をあてもなく彷徨う。ヘンゼルとグレーテルが森の中を迷いながら、目印となるパンをちぎって置いて行ったような・・・そんな「目印」としての鶴。 (遺された町)

2018-02-12

心に食い込んでくる湿潤でヒリヒリ刺さる痛み。「口内炎」の痛み、のような。 グラスの上に燃える透明な炎、揺らめく外界、次第に酔いが回って来る感覚。 パラフィン紙という実感のある「隔てるもの」が、心と外界との間に置かれる。 その内容は明示されていないけれど、傘が雨を遮る、という具体的なイメージにずらされ、 その雨が〈星(の光)〉に重ねられ、〈死者の新譜〉と星のイメージが重なり・・・ 星の光のように降る、死者の声が、私の中に浮かび上がって来る気がしました。 さらに〈小糠雨〉という質感によって、知らぬ間に肌に沁みとおって来るような体感を帯びて来る。 〈水溜り〉には、降り注いだ〈雨〉が、死者の声が、溜まっている、のか・・・。それを、避ける意味。 避けても、遮っても、肌に沁みとおって来るもの、その冷たさ。 酔いの中に見つめる炎を透かして見えるバーのカウンター、ここに現れない、見えない聞き手の姿。 あるいは、一人で飲んでいて・・・聞き手は既に死者であるのかもしれない、とも思いました。 〈立ち眩む耳は 数取器に巻き取られる端材に過ぎず 間断を失った靴音は次第に その音色を捨て杉綾の俳句に接近していく〉 かずとりき、初めて聞いた言葉。道路の交通調査などでカチカチ押されている、あの道具で良いでしょうか。 個人が数に変換されていくイメージが新鮮でした。〈杉綾〉で立ち上がる、風情のあるコートを着た後ろ姿。 俳句、まで飛躍しているところで、少し「置いて行かれた感」がありましたが、 山頭火の「うしろ姿の時雨てゆくか」を脇に置いてみると、なんとなくしっくり、腑に落ちるような気もしました。 (ストロワヤ)

2018-02-12

花緒さんのコメントにほぼ同意ですね・・・たとえば二連目を、 〈毎週路上で3人組がひらひら/誰も足を止めない/顔を覚えた/交わらない人たち〉 思い切ってこのくらいまでカットしてみても良いかもしれません。 ベッキーが「キックボクシング」を無理やりやらされて、痛めつけられるのを皆が見て笑っている、少し前に問題となったシーンを思い出しました。 芸能界に復帰する、芸能界で生き残る、ため・・・であったのかどうか、わかりませんが・・・自ら叩かれ役、殴られ役を買って出る。それを皆が取り巻いて、娯楽として(気晴らしとして)眺めている。殴る側は心理的な痛みを、殴られる側は身体的な痛みを覚え・・・同じ痛みでも、それは決して交わることがない。見ている観客はなおさら。 様々な事柄の寓意として、鮮烈に訴えて来るものがあると思いました。 (常温の飲むヨーグルト)

2018-02-12

虫を巡る断章・・・という形式をとりつつ、心より先に感じる、ということへの問いかけが繰り返される。 虫のイメージとあいまって、心の触角のありかを探しているようにも思われました。 昆虫は前足で味を感じ取ったりするそうですね。脇腹に呼吸器を持つ感覚とは、どのようなものかと思ったり・・・カブトムシが夜中に「キュッキュッ」と軋むような音を立てながらつがっているのを、なんとも言えない感慨で眺めたりしたことを思い出しました。 少なくとも、昆虫はスキンシップの快感を知らない。視覚や聴覚、嗅覚が優先する。 皮膚を持つ生き物が「心より先に」感じるもの・・・触覚や嗅覚、味覚といった感覚のもたらすものと、そこをスキップして直接、結び付く昆虫。 考えたこともなかったけれど、面白い思考実験のように思いました。 (虫の生態(AB説))

2018-02-10

読んでいて・・・生まれ直してみたいという願望の先にあるのは、自らの経験や記憶以外に頼るものがない、という未知の恐ろしさなのではないかと思いました。 それは、これから訪れる未来が未知であることの恐ろしさ、見通しがきかないことへの不安と、同義なのではないか。 一瞬、一瞬を、生まれ直すその瞬間と、とらえ直すことが出来たらいいですね。 それは、過去を他者であった自分として、突き放して見つめることであるのかもしれません。 中盤から後半にかけて、リズムが整ってくる感覚が良かったです。 立ち上がりは、少し力が入りすぎというか・・・観念の重さに耐えながら積み重ねている、その危うい均衡を見ているような印象がありました。リフレインが、硬質な問いかけの繰り返しであることも要因かもしれません。 耳心地という言葉が面白い。押し寄せる概念や観念、不安などが・・・押し寄せる波のイメージに重なっていく。 観念や概念を、もう少し手触りのあるイメージで言い直してみる、なんていう方法を試してみるのも良いかもしれません。 (薄い、それでも、膜。けれど、とても、薄い。薄い。)

2018-02-10

~の/~る で作り出すリズムで始まり、~の/~た で止める後半。その中で、~ない の言い切りが、強い印象を残しますね。~開き/~いて/~ままの 連用形で引き伸ばしながら畳みかけていく三行の強さも。 〈誰かが言った。〉ここと対になるような〈、言った。〉この読点の前に、何が、誰が、置かれていたのか。そんなことも考えさせられました。 〈その台所の窓を開き〉語り手が開いた、ようにも読めるけれど・・・この三行が、読みの呼吸で途切れてはいても、ひとつに繋がっていると読みたい(読ませられてしまう)ので、家族連れの姿をじっと眺めている人の後ろ姿、が、台所の窓の向こうに見えて来るような気がしました。(その人のを後ろ姿を、ここは、をの重複でしょうか?) イメージでいうなら、ワイエスの絵。その、という言葉の使い方も含めて、じっと背を見せて坐っている人への思いの深さが伝わってくるのですが・・・それを、淋しさ、と一言で、あっさり定義してしまってよいのだろうか。 もう使われなくなった大鍋、といった小道具を持ち込むのは、あまりにも芝居がかっている、でしょうし・・・私はなんとなく(勝手な想像ですが)この後ろ姿の人が、空中に何度も何度も指先で輪を描いていて・・・実はそれは、息子の家の電話番号だった(昔の黒電話の時代の)というような、かすかな「動き」を妄想しました。 (小網戸)

2018-02-09

「て」止め、の効果を考えている時&「風」について考えている時に、この作品を読みました・・・タイミングにびっくりです。 風、とは何か。風狂、風の便り、~風・・・○○風を吹かしやがって、なんて毒づく?時にも使われますよね。 題名の「おわって」は、もちろん「終わって」なのでしょうけれど、おわっ、うわっ・・・と吹いてくる、なまあたたかい春先の風、を感じました。 〈てばなして風が〉ここは、手放して風、とは切らないのですね。 〈浮かばされて〉のリフレインは、浮かばれない、という慣用句を思い出しながら読みました。自分自身を、弔うことすらできない、イメージ。それも、自らの意志でそうなっている、のではなく、無理やり「浮かばせてやっただろう、浮かばれない、なんて嘆くな」と、何者かの強権によって、無理やり〈割れて破れて破裂して〉抜け殻のようにさせられてしまっている。そんな事後感を感じます。 果て、は、涯でもあるのでしょうけれど、命の尽きる、その果て、のイメージもあり・・・浮かばれない、のイメージと合わせて、この作品の影に、自分はもう死んだ、そう呟いている語り手の姿を感じました。 その意味では、一人で自らを弔う、そんな哀悼詩でもある、と思います。(もちろん、そこからまた、新たに始まる、わけですが。) (おわって、風)

2018-02-09

断片、という言葉には、断つ、という強い言葉が含まれている。 その思いの強さ、塊のような圧迫感を持つ語感から、二連目以降、まるで手紙のように薄く積み重なっていくイメージに変じ、さらには〈断片をつなげて~〉以降の、シロツメクサやレンゲの花輪を編むようなイメージに変化していく。 断片、という言葉の語感は、人それぞれですが、舞い上がる、のであれば、欠片、のような言葉の方が似合うかもしれないし、はなびらのような軽さを帯びていく後半では、ひとひら、というような言い方に替えてみてもよいかもしれない。全体にきっちりとまとまった形、言葉を区切っていく時のリズムの取り方に一つの「型」を当てはめている感覚があるので・・・音楽でいえば、バロック音楽のような・・・もちろん、このままでもよいのですが、イメージの微妙な変化に合わせて、詩形もゆるめてみたり、ひらがなをふやしてみたり、言葉の息遣いを短く切るところから、ながめに継いでいく、というように変化をつけてみたり・・・というような工夫を凝らしてみるのも、面白いかもしれません。 もちろん、この作品はこのままで、ひとつの「型」を有していると思いますが・・・。 (思いの断片)

2018-02-09

皆さんのコメントを読みながら、なるほど、一連目と四連目があっての、2連、3連なのだな、と思いました。 〈そんなかたちだったか/空間のあざ〉、〈水を換えろ、と/母親のような声〉肌感覚の違和感を、あざ、と視覚化したり、抑圧されたり、強迫されたりするような感覚を、母親のような声、と聴覚化するあたりに、感受の「ずらし」を感じて、面白かったです。 (angle)

2018-02-09

ユーモアに満ちた作品だと思いました。歌うような軽さが印象に残ります。 読後感としては、〈君〉は、ぐいぐい飼い主のリードを引っ張る、大型犬、のようなイメージもあったのですが・・・ 冒頭の〈山に~廃墟に〉、ここまで壮大だと、月とか太陽のような天体なのかな、とか、あるいは夢想や想像力のような、自分の力では制御しきれない、まるで生き物のように飛び出していく、なにか目に見えないもの、なのかな、という印象も受けました。 〈今日の理由も~〉の歌謡体のような調子の良さ、ここまで軽くする、ということの裏には、実は重すぎる現実、があるような気もしています。重さを、軽い言葉に置換することによって、乗り越える(まではいかなくとも、やりすごす)日々の歌。 二連目以降は、最後の「アライさん」も含めて・・・自由奔放に走り回る、若年性認知症を患っている方の介護のシーンを連想したりもしました。 (君について行く)

2018-02-09

「春になってもまだ、好きかもしれん、~」ここが「みうらくん」で、 歩道橋で。しょんぼりしとったね~ ここが、「みうらくん」を見守るガールフレンド、で、 「気づかんかったって、泣いとったちゃんね~」ここは、もしかしたら「先生」で、 嫌いやけんって。いつも描くのばやめて~ ここはガールフレンド、 「はぐらかしよったけん先生、声、きいておれんし~」ここは「みうらくん」 父親が夜逃げするっちゃろう。行かんでいいとね~ ここは「先生」 「卒業制作の絵、どうしたらいいとうかいなね」ここは「みうらくん」 絵は春まで。部屋に置いとくけん。また遊ぼうか。みうらくん。子供やけんね。 ここは「先生」 そんな感じで読んでみました。(あっているかどうかは、聴きません) 「先生」も、ちょっと年上の、お姉さんみたいな先生、なんだろうなあ、と思いつつ。 好き、が、異性を好き/絵を好き、双方に重なっているようにも思いました。 (相対化する高校生の欠片)

2018-02-09

らくだのこぶの間に〈存在しているような~痛み〉が、〈深夜、柱に擦りつけもがいている生き物〉のようでもある、この二行のユニークな体感表現に惹かれました。生き物、とは、語り手自身のことかもしれませんが、痛みそのものが生き物として擬人化されている感覚も覚えます。※らくだ、というと、「駱駝の瘤にまたがって」を思い出すのですが(上々颱風の歌詞にも用いられている、らしい)ここでは、関係ないのかな・・・でも、なんとなく「借景」にもなりそうですね。 〈引き戸のガラスに薄く映された暗いシルエットの後ろでは、〉ここは、文字で読むとくどい様にも感じるのですが、音として意識すると、ド、ガ、という濁音の重さが先に来て、(う)すく (う)つされた (う)しろ と、口すぼまりの暗めの音が続く。リーディングするとしたら、少しこの行は長いようにも思うのですが・・・あえて前のめりに、畳みかけるように進行させる、という方法もありそうですね。もっとも、シルエット=黒い影、ですから、暗い、と重ねる必要がある、のか・・・。とは思いました。 映像から考えると、むしろ、人の形に黒く抜けた引き戸のガラスの向こう側で、粉雪が舞っている、のではないでしょうか。黒いシルエット以外の部分は、室内の明りを反射している、わけです。人の形に空いた黒い穴、そこで、粉雪が踊っている・・・景を想起しました。 〈「はぁ」という吐息の音よりもずっと、〉という、という説明的な文言、個人的な好みから言えば、省いた方がよいかもしれないな、と・・・。 はぁ 吐息の音よりもずっと大きい 声、だけが 遅れて僕に戻って来る というニュアンスなのかな、と考えました。自分の声が、他人の物のように、あとから、遅れて聞こえて来る、という体感。気づく、と説明的に済ませてしまうと、この体感そのものが置き去りにされてしまうようで、もったいない気もします。 三連目の〈創生〉〈照射〉という語感の固さは、創世記なども踏まえたもの、であるのかもしれませんが、若干、ぎこちなさを感じます。 〈右側の蝶々だけ大きく作る癖も平常運転〉蝶結びが、右側だけ大きくなる・・・という癖からの発想かもしれませんが、蝶々だけ大きく作る、という言葉の並びが作り出す光景が、新鮮な驚きを呼び込んでくる。とても面白いと思いました。 最後の二行は・・・四つ這いになって七転八倒しているような、そんな夜の苦しみを抜けて、人としての歩みを始める朝、というイメージでしょうか。朝になって、「人」に戻らねばならない、それは歓びなのか、苦しみなのか。むしろ、夜の生き物として生きている方が、自由であるのかもしれない・・・そんなことも考えます。 朝は歌う、この題名は、いわゆる讃歌のニュアンスなのでしょうか。夜は泣いて苦しんでいる、けれど、朝には歌うよ、というニュアンスなのか・・・。 涙が〈くぼみ〉を埋める、という感覚も良かったです。 (朝は歌う)

2018-02-09

一連目の、〈断つ〉という言葉の強さと、〈あなたは〉で止める息詰まる改行の効果。 二連目の、~の、とやさしい音で畳みかけていく広がりを持った展開と、〈空を~心臓に据えて〉という表現、そして連用形で、流れを抑えつつ次に繋いでいく止め方が、素敵だと思いました。 二連目の〈心臓〉は、語り手の心臓なのかと思ったのですが(三連目で〈私のこころは左手首に固定された〉とあるので)三連目の最初に〈その断片の半分を私に〉という行から察するに・・・〈あなた〉が自身の〈心臓〉に〈雲一つない青空〉を据えて、その半分をさらに語り手の〈私〉に移植してくれた、ということ、なのかな、と考えました。 心臓とこころ、重なる様で重ならない、不思議な感覚ですが・・・工藤直子の詩、「痛い」という作品を思い出しました。 すきになる ということは 心を ちぎってあげるのか だから こんなに痛いのか という、三行の詩。〈あなた〉が自身の心臓に持つ青空を、その断片を、さらに半分にちぎって〈私〉に埋め込んでくれた、のか。 青空、を切り取って、〈移植〉する。〈埋められた空を/忘却されない〉ために。すると、青空は語り手の中に根付いて、蒼穹となって大きく広がる・・・。 細かいことを言えば、〈けれどそれは埋められた空を/忘却されない意味になる〉ここが、なんとなく文法的に引っかかる。おかしい、ということではないのですが・・・通常なら、それは、が仮主語で、忘却させない、となる、のでしょうけれども・・・ 〈傷跡は一生消えないだろう/けれどそれ(消えないこと)は、(あなたによって)埋められた空を(空が)(わたしの希死念慮によって)忘却され(てしまわ)ない(ように、わたしに告げ続ける、知らせ続ける、スティグマ、その時の思いや決意を伝える)意味になる〉という散文を、ぎゅうっと凝縮した結果なのではないだろうか。それゆえの「引っ掛かり」は、むしろ、アクセントとして機能するのではないか。そんなことを思いました。 〈行って来ます、とあなたは朝玄関を開ける〉ここ、漢字が三文字(朝玄関)並んでしまうので、朝、玄関を開ける、と読点を打ってもよいのかな、とか・・・行ってきます、はそもそも「朝」なので、朝を省いてもいいのかな、とか・・・あなたはのあ、朝のあ、と、開けるのあ、が響きあうので、やはり 朝、玄関を開ける、という流れがいいのかな、などとも考えました。(口を大きく開ける音が多いと、全体が長調というのか、明るいムードを帯びます) あえて傷痕の残る〈左手〉をふるのは、あなたの気持ちを、忘れていないよ、というメッセージであり、あなたの青空 私も半分、共有しているよ、という喜びを確認する行為でもあるのかな、と思います。手を振る軌跡がアーチを描く。蒼穹のアーチと重なる印象もありました。傷痕自体も、アーチを描いているのかな・・・。 左手の軌跡(奇跡と同音)なんて題名もいいかもしれない(渡辺さんのコメントを読んで)思ったり・・・いっそ、左手、だけでもよいかな、などなど。 (左手の蒼穹)

2018-02-09

大事な友人に、重篤な身体障碍と知的障碍を持つお子さんのいる方がいるので・・・ヘルパーさんのお話、としてではなく、その友人の話、のような気持ちで読んでいました。 散文エッセイのように淡々と描かれているけれども、~た、と小気味よく刻まれていく終止のリズムや、繰り返される〈くるくるくるっ。ぱっ!〉という、ユーモラスな・・・ちちんぷいぷい、のような、どこか「おまじない」「祈り」のイメージも含んだ言葉の明るさなどが、詩的なリズムを作り出していると思いました。 余計な装飾、表現を盛り上げるためのデフォルメなどはない、そこがいいですね。 説明なく挿入される『うち、普通に生まれて普通にそだって、普通に大きくなって、普通に生きたかった!』 この一行が、叫びとして迫ってきます。 欲を言えば、〈かてて加えて~〉以降の部分が、様々な過去のエピソードを俯瞰してまとめて説明する、という印象で、駆け足、かつ、説明過多、であるような気がします。 店員とのやり取りというエピソードを丁寧に切り取った、映像的かつリズミカルな前半を、〈常識だ義務だ自己責任だと迫り、犯罪だ暴力だ詐欺だ、と次々罠を~〉の部分のうちのひとつを象徴するエピソードとして描き、また別の作品で、また別のエピソードを描く、という形にしても良いかもしれない、と思いました。多くの作品、断片的なエピソードを連ねていくことによって立ち現れて来る、〈常識だ義務だ~〉としかけられる、罠の数々。静かだけれども、リアリティーに飛んだ告発。 あなのあいた財布。欠損。それを、欠けているもの、社会的には無用のもの、と見るのか。つくろえば大丈夫、ちょっとした手助けがあれば、大丈夫、と見るのか。ユニバーサル、という言葉が安易に使われるけれども・・・欠損、ではなく、単なる手助け、でもなく・・・〈ぼくはゆみちゃんのすんごい器用な手と足。くるくるくるっ。ぱっ!〉と、その瞬間、なり切れるか、どうか、という視点なのではないか・・・というようなことを、考えさせられました。 自分自身で、買い物を、なぜさせてもらえないのか・・・それを許してくれない社会。わざと財布を落とした、などと疑わせてしまう、社会。ヘルパーが、本人の手足になって買い物を本人が行う、のではなく、ヘルパーが、本人の代理として買い物をすることしか、許されない社会・・・。最後に、ぱっと気持ちを切り替えていく展開が爽やかで、明るい余韻が漂っていると思いました。 (あなのあいたサイフ)

2018-02-09

漢語の響きとイメージが、美しく散りばめられた作品だと思いました。 イメージによりかかりすぎてしまうと、全体の「美しさ」が、感覚や気持ちの感動から、装飾的な方向にずれて行ってしまうかもしれません。 縫う、編む。雨が糸のように細く長く、月光を微かに帯びて光りながら降る。その雨脚を、縦糸として織りあげていく織物に、縫い付けられていく宝石のような「繊月」「石盤」「氷輪」といった漢語。 記憶、追憶、これも漢語ですが、観念的かつ抽象的で、意外に漠然と広がってしまう言葉ですし(読者によって、捉え方がまちまちなので、あいまいにぼけてしまい、インパクトを与えられない)追憶、などの甘さに頼ってしまうと、全体が緩さの方に流れてしまう気がします。 イメージでいうなら、「繊月」「石盤」「氷輪」などが、硬質の輝きを帯びて読者に迫って来るのに対し、記憶、追憶、などは、色をぼんやりと染め付けたような、そんな広がりを持っている、と思います。 〈月の楔〉月のくさび、と読むのでしょうけれども・・・私は契約の文字を連想し、約束、宿命に縛られる・・・そんなイメージも抱きました。縫う、という言葉が何度も用いられていますが・・・割れかけている、こわれかけている「私」を縫い留めよう、としてくれている雨、ということ、なのか・・・。繰り返すことによって、むしろ意味や感覚が散漫になってしまうこともあるので、動詞のリフレインは、その効果も含めてよく見直してみると良いと思いました。 (背反を穿つ)

2018-02-07

一行目の立ち上がりが、とてもよいと思いました。手をつなぐ、ということの意味。 それは、ぬくもりを分かち合う、ということなのだ、それを、〈ひとり〉の私がすり抜けていく。 続く行で、〈体に〉と、わざわざ言う必要があるのかな、これは省けるな、と思ったのですが・・・ 〈手の感覚はとうに消えている〉が続く。冒頭の、恋人たちは〈手〉を通じて、体の温みを分かち合っている。 それなのに、私は・・・という孤独、寂しさが、体、手、という言葉を、あえてここに置かせたのだと思いました。 〈私は水を覗いてみた〉〈私はしばし、この魅力的な案について考えた〉というようなフレーズは、特にその行為を強調する必要が無ければ、省略した方がよいかもしれません。 その時の「気持ち」や、「感覚」に、なるべく早く、言葉で辿り着きたい。散文(通常の、新聞などに掲載される説明文)であれば、その「気持ち」に到るまでのシチュエーションというのか、状況の説明が入り、段階を追って核心に近づいていく、わけですが・・・その「段階」を、イマジネーションで飛び越えてしまう、その飛躍の力というのか、凝縮の力に、詩の魅力のひとつが隠れている、ように思うので・・・(もちろん、そうでない魅力を備えた詩も、たくさんありますが) 現実の光景の「夢のような」美しさは、実際には淋しさと背中合わせの美しさ。 水面に映る世界は、現世の反転である、ように見えて・・・「私」にしか見えない、私だけの、私の為の世界。うっとおしい恋人たちなどいない、消えてしまっている、世界。 その美しい夢想世界(鏡像の世界)に溶けてしまいたい、一体化してしまいたい・・・という誘惑を、いったい、誰が、何が、呼びかけているのか。 それが、水の底に蠢く、暗闇が実体化したような、なにか得体のしれないもの・・・河合隼雄風に言えば、自身の無意識の中に眠っている、自分自身の影、半身、ということになるのでしょう。 影との遭遇、なのか、ニアミス、なのか。影との対話、なのか。夢の世界もまた、まやかしであることを、理智は悟っている、のか・・・。 美しい映像の背後に潜む、自身の闇が垣間見える作品だと思いました。 (水の誘惑)

2018-02-07

河原に再び還された石のいのちは、ほんのひととき、現世に生きる者の気持ちの問題として「埋葬」されたとしても、そのいのちが途切れることはない・・・そんな、奇妙な直観を、否定することが出来ずにいます。 作品から受ける「想い」の重さとは別に(そもそも、切り離す事自体がおかしいのですが)作品自体から受ける印象を述べるなら、物語性の強さと、歌うように、刻むように進行していくリズム・・・いわば、読み手の呼吸のリズムが心地よい余韻を残す作品でした。分量が全体に多いような気もしますが・・・感情が高ぶりすぎないように、一定の抑制されたリズムで全体を進めていく、そんな配慮もうかがわれるような気がしました。 散文体がふさわしい作品なのかもしれませんが・・・おそらく、書き手/読み手の呼吸を合わせる、というような、そんな静けさも(無意識のうちに)意図されていたのかな、と・・・そんな気もしました。ひとつの、物語る、という意識の強い散文詩を、書き手の心の進行と息遣いに合わせて、軽く区切っていく。その息遣いを読者にも共感してもらう、ための、改行。 少し、話はずれますが・・・私の娘が三歳の頃、河原で拾ってきた丸くて平たい石を、大切に「かわいがっていた」ことを思い出しました。 その石をタオルの上に寝かせて、ティッシュの「ふとん」をかけて、娘が添い寝していた時・・・ 石の上にかけられていたティッシュが、ふわ、ふわ、と息をするように上下し、ああ、生きている!と瞬間、驚愕し・・・すぐに、隣で「添い寝」している娘の息で動いているのだ、と気づいた、のですが・・・ ああ、この石は生きている。そう、直感した時の「想い」は、今でも鮮明に覚えている、のですね。 その時のことを書いた作品)を、掲示板に投稿したいと思います。ご機会があれば、お読みください。 (letters)

2018-02-07

くつずりさん そうだったんですね。 数年前だとすると、むしろ今の方が、感情に即して自然な発露としての描写が生まれているのかもしれませんね。 ささやかな感動を、どこまでクローズアップしていくのか、デフォルメしていくのか・・・難しいけれど、面白いところですね。ご返信ありがとうございました。 (砂の道)

2018-02-06

移り込む→映りこむ、です。 (砂の道)

2018-02-06

〈六個の黒目と/十本の足〉 目がふたつの三固体、四つ足が二固体、二本足が一個体、ということでしょうか。 〈短い雑草は/白髪の髭のような/つまった氷の棘に覆われていた〉霜の降りた寒さの描写のようでもあり、老いと、その老いがもたらす〈痛み〉を重ねているようでもあり。 〈傷ついた水晶体のような/ひとりと いっぴきが/のめり込む痛々しさのなかに/あたたかく屈折した光をとじこめている〉みつめあう老人と老犬、その瞳に移り込む両者の人生/犬生。傷、というイメージと痛みのイメージを重ねつつ、そこに温かさをみる。 〈老人のすりきれた帽子からは/マホガニーの薫りが漂う/まるでフランスの投票所からきた人のように〉かなり凝った描写で、老人のオシャレなムードを捉える、「上手さ」と「技巧」のとりわけ際立った比喩。 〈 ショートカットのわたしの外耳を/ 汐風が宙ぶらりんにしてゆく夢〉語り手(人間)の夢想、老人も大海に漕ぎ出すような人生を夢見ていた時代(若さ)があった、ということへの感傷、でしょうか。 〈自分たちが こぼしてきた砂を/さも、其処にあるように 〉記憶(生きて来た時間)を砂時計の砂にたとえて視覚化する。とりこぼしてきた記憶へ、夢想を馳せる、シーンと言えばいいのかもしれないですが・・・少し、技巧が先走っている感もありました。 〈ひらかれた秘めごと/わたしの心臓をさしあげるごと〉脚韻的な響きを意識しているのかもしれませんが、わたしの心臓をさしあげる、という切迫感というのか、必然性のようなものが感じられないので、なんとなく大仰な比喩に見えてしまいます。 〈老人のたれた耳を/老犬のせいめいせんを/夜の波がてらす〉老人、老犬、そして〈わたし〉の意識が、お互いを見つめ合う視線がからみあうように、瞳に移り込むように、相互に意識が入れ替わり、混ざり合うような感覚を覚える、面白いシーン。面白いけれども、夜の波、という夢想の中に回収しているので、意識の混交という面白さではなく、美しい夢想、に留まってしまった感もあり。 〈わたし〉がみかけた、老人と老犬の「見えない」時間。積み重ねられた記憶、相互の歴史への感傷・・・が呼び覚ました感興から引き出された作品だと思いましたが、うまさ、技巧が、若干先走っている感もあり・・・。 私自身の課題とするところでもあります。読者の驚きや、謎へと結びつけつつ、ユニークな表現を探して行く事と、置き換えの効かない、これしかない、という表現を比喩で探し求める事、比喩を技巧や装飾とせず、必然として探し求めていくこと・・・伝えるために、どうしても必要、である表現を求める事。自戒も込めて、若干、辛口になってしまいましたが、記したいと思います。 (砂の道)

2018-02-06

時事を軽妙に取り込んでいると思いきや、中盤から批評性の重力が増していく。 評論家Nの投身自殺が、日本の将来を予兆しているように感じているときだったので、響くものがありました。 (投身自殺)

2018-02-03

『ナルニア国物語』の中で、タンスの洋服の中を分け入って進んでいくと、異界に出る、というシーンがありました。 台所の奥の納戸のような場所・・・以前、農家の後ろの岩肌をそのまま削って冷蔵庫代わりに使っていた古民家を見たことがありますが、そんなイメージも重ねつつ・・・藁敷き、濡れた岩肌を持った洞窟が台所の奥に続いている、そんな不思議な「異界」への連絡通路を連想。それが、築二十年の家に、果たして「実際に」付属しているのか、どうか。過去の防空壕跡を、ワインセラーとして使っている例があって、その入り口と台所の裏口とが連結されていましたが・・・ここでは、「実際」の光景というよりは、夢想世界にのみ存在している異界への通路である、と、私は読んでみたいと思います。その読み方でいくなら・・・ 〈前までは〉これは、子供時代には冒険の洞窟、として想像力の中にあった、ということか・・・。 〈それが今はその中で〉出口を探すことなく・・・セックス、とは言っても、相手、が居ない。精神的な充足行為、という意味合い、でしょうか。もともと、洞窟や空洞は膣や子宮を暗示するものではありますが。精神的にこの洞窟にこもって、自己再生を図っている、そんな、墓場であると同時に、子宮でもある場所。 〈陽が廻る間を分や秒で分けた 陽が見えなくなってしまったら、出てくるまで律儀に待ってまた分けた 分けた先で面倒臭くなって一瞬て呼んだ だけどそれは量の単位じゃない〉 この一節に特に惹かれました。逆に言えば、ここに至るまでの展開が、若干、丁寧過ぎるというのか、口語風にくだけすぎている、というのか・・・実況中継的で、まだるっこしいような印象を受けました。 プラモデル、とは何か。後半の感覚器官の分離と再構築(のイメージ)を読むと、自分自身をプラモデルのパーツのように組み立てている、そんな作業場であるようにも思います。 皿に乗せられた目のイメージ、聖女ルチアのささげもつ、銀盤にのせられた二つの目玉の絵を思い出しました。 真実を見極める目、時間という見えないものを見よう、として見切れなかった目。外界に適応する自分自身を作り直す、再構築する為の、お籠りの場。そんな、洞窟。 前半の書き方を、もっと緊密に、スピーディーに進めても良かったのではないか、と思う一方、後半の視点がユニークな作品だと思いました。 (プラモデル)

2018-02-02

台所で、ふと覚醒した瞬間。語り手の手には、スポンジがある。今、私はどこにいるのだろう、そんな瞬間ということでしょうか。 急に「鄙びたスーパー」が現れる、ここになんの「説明」もないところに、クワンさんは「詩」を感じられたのかもしれませんね。恐らく、語り手が買い物に行った先のスーパーでの光景、干からびた「はるさめ」に、詩情が抜けて干からびた心の自身を重ねている。春雨、という商品名を記すことによって、雨、が語り手の心に呼び出される。春の雨、語り手の心を再生させる雨、雨水・・・そんな繋がりを想起しました。 三連目は、森の中、土の中で冬眠から目覚める虫、春になって這い出してくる虫や、萌え出る植物の芽のイメージですね。 台所での夢想と覚醒の一瞬(1連)、日常の鬱屈に封じ込められているような日々(冬眠にも似た日々)の回想(2連)、そして心を自由に(想像力によって)芽吹き始めた春の大地に飛ばし、そこでのひととき(一体化)を経て、また現実の肉体に戻って来る(3連)そんな心の旅路を描いた、と読むことができそうです。 序破急の形に良く整えられていると思いますが、イメージの飛躍の仕方が少し急すぎるような印象もありました。 鄙びた~と春雨が~の2行を一字下げにして、心の居場所が少し変わっている、そんな視点の相違を示してみる、とか・・・全体を4連にして、2連目に到る情景を書き込むとか(それだと、重いシーンが2連続くことになってしまうので、)あるいは3連目に飛ぶ心の飛躍を描く、とか・・・(春の日差しをあびて、霜が溶けていく窓、とか・・・そこを透過して、心だけが外の「芽吹き」の場所に誘われていく、というようなシチュエーションを間に挟む)全体に4連構成にしてみるという方法もありそうです。 (覚醒までのスケッチ)

2018-02-02

俳句をたしなんでおられるのでしょうか。 題名に「感傷」と入れてしまうのは、自句自解になるような気もします。 断章形式、と言えばいいでしょうか。自分自身の感情、心に感興を引き起こした瞬間のスケッチ、その断片を連ねていく・・・俳句の連作を並べていく感覚に近いようにも思います。 〈朽ちた杭に 白い蝶〉く、の音の連なりが生み出す音楽的な感覚、体言止めで映像として浮かび上がる蝶、改行によってその幻を消し去る進行。印象に残る出だしですね。 幻、とすぐに提示してしまうのではなく、なにかもっと違う言葉で表せると良かったかもしれない、と思いました。たとえば、冬の陽があわくちぎれ飛ぶ波間に、白い蝶が現れては消える、というような方向性に持って行ってみる。幻、とは言わずに、実際にそこにいるのか、いないのか、よくわからないけれど、自分にとっては「いる」「いた」と実感できる、というような書き方を試してみる、などすると、良いかもしれません。 〈さざなみの透明なわらい〉これも印象に残るフレーズでした。この「わらい」が「笑い」なのか「嗤い」なのか、と思ったところで〈風が冷たく 吹いていった〉と来るので、ああ、風に(心理的に)冷たく、嗤われた、ということなのだな、とわかる、のですが・・・風は「吹く」ものだ、とツッコミを入れたくなってしまう。〈ぼくは口笛を 吹いてやった〉と対応させるための「吹く」である、のでしょうけれど・・・ 〈さざなみの透明なわらい  ぼくは口笛を 吹いてやった  すり抜けていく風の後ろ姿に〉というように、少し語順を入れ替えたり、視点を変えたりしてみると良いかもしれません。 (感傷・冬)

2018-02-02

前半部分、あまりにも素直というのか、ストレートで驚いたのですが・・・ 大人だって子供になりたいときもあるし、子供だって大人になりたい時、ありますよね(お母さんごっことか、ヒーローごっこ、をしていてもよい、それが子供時代の特権、かもしれない。もっとも、今は「お母さん」ごっこではなく、「家族」ごっこ、と幼稚園などでは呼ばせるようですが。) 「両親学級」で、初産で多少なりとも不安を抱いている妊婦さんたちを前に、妊娠した時から、女性は母として一週目、二週目と成長していき、出産と同時に「母親」も生まれる。誕生日が一緒なんです、だから、一緒に成長していけばいいんです、というような話があって、涙ぐんでいる女性もいたことを思い出しました。女性は、生まれつき「母性」に恵まれている、というような「神話」や、社会人として一人前であるのだから、母親としてもそうであるべきだ、というような重圧に苦しむ女性が多いようです。核家族化が進んでいるので、多世代の声や、別の家庭の声を聴くことも少ない。余計な口出しをされている、と感じることも多々ありますが、夫の両親との完全同居で得るものは(私の場合は)大きかったように思います。 自分の両親との同居は、ある意味で自分の生まれ育った「文化」から、外に出ることがない。核家族も同様、夫は自分の「文化」を子育てに持ち込むことは少ないですから・・・。 作品評から離れてしまいましたが、これから「おかあさん」になることに悩んだり、「お母さん」であらねばならない、「良い母」であらねばならない、というような悩みを抱えているグループの自助支援の場などで紹介されるとよい詩だなあ、と思いました。そんな機会があると良いですね。 (『にぃぬぅふぁぶし(北極星)』)

2018-02-02

ついしん やはり、思い入れが強すぎる、というのか、最後の一行、要考ではないか、と思いました。 (祖母包茎)

2018-02-02

タイトル、これでいいのか?という疑問は、私も感じました。 祖母/包茎 であれば、もう少し祖母と孫との関係性&対立性のようなものが明確に出るのかな、と思い・・・しかし、題名そのものが持つ、なんなんだこれは?的なオドロキ、は消えてしまう・・・。 自らの少年性であったり、俗にいう「青臭さ」、未熟さの象徴として・・・そういう意味合いを持たせた「包茎」であるのか、包む、という語の持つ意味合いを中心に置きたかったのか。 包む、ということであるなら、胞衣(えな)という語も選択枝の中に入って来るのではないか、と思ったり・・・タイトルの選択に、いまひとつ、必然性が汲み取れない。あえて耳目を引く言葉を持ってきたのではないか、と受け取られかねないワードであるがゆえに、幼さの象徴のような意味合いプラス包む、包まれること、という意味合いを重ねた選択であるなら、いささかあざとさが残るWord選択であるような気もします。難しい。 「包茎」という言葉が、性と結びつく言葉であるのかどうか、そのあたりの感覚も、実はよくわからないのですね。比喩的に「処女地」と呼んだりする、これは完全に未踏の地の意味であるわけですが、女性にあなたは処女ですか、と尋ねれば、これは完全にセクハラとなる。そこも含めて「処女」という言葉は、男性中心主義の中で使われてきた用語であるから、未踏の、といった表現に変えるべき、というような人たちもいる、けれども(私は、そこまで「言葉狩」をすることを良しとしませんが)「童貞」とか「包茎」と言ったワードも、男性に対して用いる時にはセクハラとなる、と教わった記憶もあり・・・ということは、自らの未熟さを自虐的に提示した、という意味合いもあるのかな、と思ったり・・・(このあたり、感覚的なものでもあるので、実際のところ、よくわからないのです) 性の快感が、性器の快感と言う局所的なものに限定されるのか、どうか。広い意味での「生」の快感へと「比喩」も含めて拡大されるとき、そこには乳幼児の時の母とのスキンシップであったり、本作における祖母とのスキンシップであったり・・・成人男女の間であっても、いわゆる包み、包まれる、という感覚、その感覚から生じる「安心感」であったり、「充実感」などの方が、実は重要なのではないか、とも思います。その意味で、本作ではこうした「生きる上での快感」について視点が向かっていて、とても良いと思いました。 疑問点ばかり書いてしまいましたが、ここからは、素晴らしい、と思ったことについて、書きますね。 保護されたい、という感情と、そこから激しく離脱したい、自立したい、という感情の葛藤が描かれているのではないか、という一般的な予測を、 〈「お前の体が欲しい/お前になりたい/わたしがお前であったら~〉以降の連が、実に良い意味で裏切ってくれる。 祖母が「人間」として持つ、自然の欲望、若さへの嫉妬、スキンシップ欲求。孫が「いけす」と感じる、自立への欲望、「飼われている」「世話をされている」ことに対する反発と、抱きしめられる、という直接的な行為から得る安心感、スキンシップを通じて得る快感、包まれる、という感覚。 魚のイメージで一貫して綴られることにより「冷血」のイメージも重なると同時に、系統発生的なイメージも重なり・・・瞳の奥に潜む「鱗」のイメージにも響き・・・重層的な比喩が浮かび上がって来る。メタファーが、しばしば「一対一対応」の意味の読み解き、いわゆる謎解きに陥ることが多々あるのだけれども、魚というメタファーが、実によい方向で多層化されている。 一気に、とぎれとぎれではあるけれども、ひといきに、吐き出すように発するフレーズ(一行で、句読点を打ちながら長く綴る)と、改行で余韻や言葉の間に含まれる時間をしめす、言葉の置き方も、と手も良いと思いました。 (祖母包茎)

2018-02-02

言葉の勢いとかリズム感などをいかして、体で書いている、そんなイメージを受けました。 その分、意味の重さが削がれているように思います。それが目的であるなら、成功している、と言えるのかもしれませんが・・・ 夢想、と夢葬。夢を埋葬した人々の行き交う街、という「設定」が、大きく前面に出ていて、その中を言葉のリズムや音の面白さで埋めていくような感覚もありました。 最終行、ひと息に「読み切らせる」ことを意図している、のでしょうか。 「成長に飽きた雑草たちの退屈まぎれのお喋り」このフレーズが面白いので、 一気に続けないで、こうしたフレーズをもっと大事にした方がいいと思います。 また、純粋とか曖昧、といった、漠然とした観念的な言葉を、できるだけ具体的なイメージに結び付けていくと、もっと手ごたえのある、音も面白い作品になるのではないか、と思いました。 (夢葬)

2018-02-01

お湯の出ない生活・・・ガスが止められてしまった、のでしょうか。 でも、やかんは湧いている。焚火、練炭?石油ストーブだけ、残っている、のか・・・。 せいかつ、がひらがなに開かれて、生活感を感じさせないため、でしょうか。 手袋の片割れ・・・つい最近、なくしかけた手袋が戻って来て、ああ、よかった、その瞬間の気持ちを描いた詩に出会ったばかりでした。ふたつ揃って、よかったね。最後は一緒に捨てよう、それまでいっしょ、という・・・幸せ、と残酷さとがないまぜになったような表現にドキリ、とした、のですが。 防護ネットに吊るされた手袋は、持ち主を失った、片方の手袋、なのでしょうか。 自分もまた、同じように(パートナーに)置いて行かれた、片割れ、そんなイメージを重ねているのかな、と思うと同時に、片方の手袋を無くした人の「寒さ」「冷たさ」に想いを馳せながら、自分はまだ、蒸気で手を温めることができる、と、そんな余力も持ち合わせている、そんな語り手のバイタリティーを感じました。 (あっちいね)

2018-02-01

渚鳥さん ありがとうございます。流れるように生まれて来た、というよりは、パーツを組み合わせていった、という書き方をしたかもしれません・・・すっかり忘れていましたが、なるほど、つなぎ目・・・読後感とご批評を頂いて、なるほど、と納得しました。なかなか、盛り上がったまま、自然に最後まで持って行くのは難しいですね。 (童話 月夜にくらげが光るのは(後編))

2018-02-01

たとえば だったら もしかして だとしたら そうまでしなければ 冒頭に置かれることによって、アクセントとなって立ち上がるフレーズ。 色、とはなにか・・・・私には、愛、のように思われました。 その人、との思いが、一気に様々な色と質感、苦みを伴ってあふれ出す。 火葬、の現場、その衝撃を、このように表現されるとは。 「検める」「認められる」そして、「証してみせた」。 あらためる、したためる、あかしする。 漢字の持つ強さについて、改めて考えさせられました。 白、という漢字の持つ、迫力についても。 (証 ――「白」字解)

2018-01-30

題名が black、そこに 黒い液、黒い歌、黒く染まったその歌・・・と重ねていく、わけですが・・・ 黒、という抽象性が、あまり深められていないように感じました。黒によりかかりすぎている、というのか・・・。 (暗示、闇、悪、憎悪、嫌な感じ、嫌悪、その他もろもろのイメージ)を持つ、黒。 冒頭は「液」という具体的なもので、なんらかの映像を結びそうにも見えるのですが、すぐに「歌」を形容する抽象名詞になってしまい、その「黒さ」がいったい、何に由来するのか、曖昧なまま、同じ単語を重ねていってしまう。 もったいないような気がしました。同じワードを重ねる時、言い換えるとどうなるのか、重ねていくことによって、どんなバリエーションや変化が現れるのか、それをじっくり、吟味してみると良いかもしれません。 (black)

2018-01-30

それだけのこと・・・その瞬間には、そうした映像的な記憶だけが残り、やがて「人心地」ついたころから、じわじわと怖さがやってくる、ものなのでしょう。 殺される、その「予測」が迫って来る瞬間が「怖い」「恐ろしい」のであって、「予測」できない時には、それこそ「あっという間」しかない。 前半の2連が「語る」部分で、後半3連はリフレインを聞かせた「うたう」部分。 〈わかったことって言えば〉この、ある種、説明的な部分が「つなぎ」の役割を果たしているので、それを際立たせるために・・・ この連の〈唐突に〉は、一回だけの出現にしてインパクトと説明感を出し、その次の2連で「うたう」形にしてもよいのかな、という気がしました。 (恐怖について)

2018-01-30

植物は「考えない」「感じない」考えたり感じたりするように「私」が「感じた」ことを書くのは、擬人化である、と、言われてきたけれど・・・植物の中を流れる微弱な電流であったか、そういうものを検出できるようになったら、まるで「人間と同じように」植物にも「気分」の変動があるらしい、ということがわかった・・・というような話を思い出しました。 ○○についての詩を書いた、というメタフィクション的な作りですが、存在することの悲しみ、さびしさ、というような名状しがたいものを、私は詩に書くのだ、という、詩論的な作品になっていると思います (昨日私は悲しみについての詩を書いた)

2018-01-29

不思議なハンドルネームですね。お名前も作品の一部のようです。 鋭い星が飛び交う、このイメージの「尖り」と、鋭角の冬のイメージがよく合致していると思いますが、題名が冬、しかもすぐに 寒い と、冬からもっとも容易に連想される言葉を持ってきてしまうのが、もったいない。 春 てふてふが一匹ダッタン海峡を渡って行った。(※ダッタンは、本来は漢字表記) あまりにも有名ですが・・・春と蝶々は近い連想から出てくるけれど、そのあとのダッタン海峡との落差が激しい。ここに面白さや驚きがあるんですよね。 今回の作品なら・・・例えば、星が飛び交うイメージから願い事、それを「寒い」という語で距離をとる。 題名を、願い、とか、希望、等にすると、どんなイメージになるか。あるいは、鋭く飛び交うのを視線と見て、友情とか、会議、等にしてみると、寒い、の語が、急に孤独や寂しさの比喩として見えてきますね。 (冬)

2018-01-29

腐敗していく夏をただ遠くから眺めるだけの冬は、白く鋭い。 この一行がとてもいいなと思いました。 毎年失敗する、という部分に、まだまだ夏が続く、という感覚があり、そこに若さを感じますね。 キョウチクトウの、毒から連想したのかもしれないけれど・・・ひとなつの思い出を透明なままに閉じこめておきたいのに、いつも腐っていくのを観ている、それも冬に・・・という読み方をするなら・・・ 夏の高温と気持ちの沸き立ち、湿度のある空気を、ほのかな恋心を抱いた時、として・・・やがて、想い人の裏面のようなものが見えてしまって心が冷える、凍てついてしまう、そんな冬の季節を迎える。そんな繰り返しを描いているようにも見えます。 キョウチクトウのイメージが、現実の毒気のイメージに引きずられて、うまく機能していない、そこに課題が残るような気がしました。 (夏の標本づくりの失敗について)

2018-01-29

歌詞のような軽やかさが持ち味の作品だと思いました。 フライングバレンタインという題名、インパクトがあるけれど、そのぶん、ヒットソングを連想してしまうところがもったいないかなと思ったり・・・ バレンタイン、で、日本ではチョコレートを連想するので、おひとつどうぞ、から始める方が意外感があって良いかもしれないと思いました。 (フライングバレンタイン)

2018-01-28

「死」が身近にあった時代から、「死」は忌むべきものとして退けられた時代へ。 私たちは、死の間際の断末魔の苦しみを、ごく身近な者の死という衝撃と共に、人生で数度、出会うか出会わないか・・・そんな頻度でしか「体験」しなくなっています。 食育、として、屠殺場を見学させたり、写真集などで生きたものが食肉となるまでを「学ばせる」ことの是否が問われたこともありました。 進化の系統樹上で、人間に近い生き物であるほど、その死の衝撃は大きくなると思ったこともあります。 そんなことを思いながら、生理的なインパクトと共に、目前に動かしがたいような事実として迫ってくる迫力に牽かれました。            、 (ここにあって)

2018-01-28

リプライから作品が生まれることってありますよね。 自分が無知であることを知っている、それゆえに、おまえは世界で一番賢い、その言葉を受け入れた「産婆」に、少し、近づけたでしょうか(笑) (アメリカの少年※)

2018-01-27

一連目の助走部分、丁寧だけれど・・・2連目から読んだとしても、あれ、これはもしかしたら、雪だるまの心の声なのではないか?と、わかるような気がします。 2連目から始めた方が、えっ?という驚きを読者に与えることができるような気がしました。 2連目以降の流れは、とても面白かったです。 (作られた雪だるま)

2018-01-27

正当化が~ないよ、まで、ひとつの文章を口から、もしくは文字として発する前に、なかば無意識に繰り返される言い直し、推敲の過程が、そのまま置かれているように思いました。 そのあとは、モデルがいるのかいないのかはわかりませんが、他者になりきって自分を見つめながら言葉を置いている感覚があり・・・ ねえ、から以降の呼びかけてきなフレーズは、縦糸にエロスが仕組まれているように思いました。 詩を書く、というひとつの「陶酔」もまた、エロスなんでしょうね・・・ 藤本義一の描いた三味線引きの路上芸人の女性を、何となく思い起こしました。 (さもしいひと)

2018-01-27

そんなものだと ほうりだすには尊くて 青い血の流れる手の甲を見つめながら 今日も白いノートをひらく いっそ 真っ暗に塗りつぶしてしまいたい ボールペンで何度も何度も 紙がよれて 渦が移って 波打った紙が破れてちぎれて 次のその次のページまでもが 赤に青に黒に濁って 見通しがきかない それでも僕は 螺旋を描き続けるのをやめない 青い血の流れる手の甲を見つめながら 爪の間からにじむ赤い祈りを かみになすりつけて 僕は 天を 仰ぐ (BLUE)

2018-01-27

なかなかスリリングな試みと思いつつ、半分くらいに絞った方が凝縮されて良いように思いました。 自己解説を入れていますが、そこを自身の内面のつぶやきのみにして、かみわあわない謎の対話のような、不条理劇のような方向に持っていっても面白いのではないか。あくまでも案ですが、自問自答のモノローグを傍らで聞いている感覚が残る。 謎のダイアローグを展開するのを、語り手自身も一人の目線から見守って書き留める、というスタイル。工夫の余地のある作品だと思いました。 (きみは変態)

2018-01-27

暗夜行路、ならぬ、暗夜こうかい・・・航海/後悔/公開  一見すると言葉遊びのようなフレーズが、視覚的に喚起するもの、聴覚的に呼び寄せるもの、そのズレや豊かさも詩の面白さの一つだと思います。 灯光、は投稿、でもあり、道しるべでもあり・・・ひとまず、投稿、して、寝ます。 (暗夜こうかい、灯光)

2018-01-26

大荒れの海にもちゃんと 押し引きがあると知った ただ、風の強い爽やかな青いひで 寄せるとき、砂だけが海に向かってさらわれていくのが美しかった ここがとてもいいなと思ったのだけれど。美しかった、と語り手が自分で評する、判断するところが、一般的な使い方でいう「エッセイ」に近い印象を与えるのでしょう。 エッセイのように書くことが悪いわけではないけれど、そこに読者を驚きをもって引き込むのは難しいかもしれない。 なぜ、「君」は海にしか見せないものがあるのか。そのことに、「僕」が苛立ちを感じているのか、心を乱されながらも、むしろ平穏を感じているのか・・・ 青いひ、さりげないけれど気になる、光る表現。 (「夢に見た」、そう言ってでも会えたことにしたかった)

2018-01-25

返信ありがとうございます。もちろん、猟奇的殺人を正当化したり、煽ったりする作品だとは思っていない(むしろその逆だと思っている)のですが、完全にフィクションの世界で描かれる「人喰い系」のアニメや映画などの「エンタメ系」作品とは異なるリアリティーを持った作品なので、今回、コメント欄で頂いたような作者からの註記を、付しておく方が良いかもしれないとは思いました。 論理、宗教観等が異なれば、事後的に成立する「倫理」は根底から崩れる。 しかし同時に、本能的な(生物学的な)忌避感情を喚起する行為に関して、それは事後的な倫理なのか?という問いかけを含んでいると思います。 人を実際に「喰らう」ことも、比喩的に人を「食い潰す」ことも、人間の自然本性(自然に発露する情感)に照らすならば、忌避され、悪と認識されるのではないか。 しかし、事後的に与えられる論理や宗教観によっては、自然本性に照らせば「悪」と感じられること・・・平たくいえば、感情的、生理的に嫌だな、と思うこと・・・が、「善」に反転されてしまう可能性がある。 ブラック企業における論理(その企業にのみ、あるいはその企業が属す社会においてのみ成立する企業倫理)は、こうした自然本性に基づく倫理観ではなく、事後的な・・・企業は発展、拡大することが善である(本来は拡大する欲望という利己心に基づくもの)という論理を前提としているのではないか。 諷刺や揶揄、広い意味での文明批評、という問題系だけではなく、こうした「企業倫理」が「社会倫理」と化している現代についての問題系を含んでいるとも思いました。長々失礼。 (ニンゲンのナカマ)

2018-01-23

明解な語りとロジックで組み立てた「文明」批評/風刺。ここまで徹底すると見事ですね。 相模原事件や座間での事件を「ネタ」として取り込んでいる、と見るか、こうした事件が起きる背景を批判的に風刺するために、あえて「事件」を想起させる具体性を重ねている、と見るか・・・。 食人がタブーとして扱われるのは、食人が猟奇性や個々人の嗜好といった「異常」の範囲に限定される文化圏において。正当、正常なる行為とみなされている文化圏では、むしろ「ニンゲンを食べない」ことが、「異常」と扱われる。もっとも、「動物」は本能的に共食いはしない。弱者である怪我をした仲間や子供を守ろうとすらする。そうした「感情」や「情愛」的なものを廃し、時には共食いもする合理性を身に着けたのは、社会性動物、と呼ばれる、群れをなす昆虫たちであるのかもしれない。いわゆるブラック企業は、ミツバチや蟻のように、徹底した役割分担と企業体の存続のための自己犠牲を是とする論理を突き詰めた企業、と言えるのかもしれません。 『パパラギ』で描かれた風刺、批評性を思い起こしつつ・・・本作は根本的に異なっている。 なぜだろう、と考えていたのですが・・・完全に架空の「クニ」、まったく異なる価値観において成立している「クニ」を論理で成立させている所に、その理由があるように思います。 「無数の小魚を殺してパック詰めにする」ことが、(身体を養うほどの養分を持たない無数の「命」を、単に「舌を楽しませる」ためだけに殺すのは)「穢れ」と認識される世界。「命」は尊重されるべきだ、という論理を突き詰めていけば、たしかに、できるだけ「命」を無駄にせず、できるだけ少ない「命」の犠牲によって、多数の「命」を養うことが善、とされるでしょう。数の論理。 この「クニ」では、他者の為になる、ということが絶対的な善である、らしい。その点を合理的に突き詰めていけば、他者の為にならない「無能」なニンゲンは、「有能」なニンゲンの食料として消費されることが、もっとも合理的な使い道、ということになるでしょう。できるだけ無駄をなくして、有効利用する、という論理の合理性に、感情が入る余地はない、と思うのですが、「アニ」が登場し・・・おそらく血縁であるがゆえの感情が生起して、「アニはせっかく殺されたのに、食べられることさえなかった」ことを悔やむような「感情」が描きこまれる理由は、なぜなんだろう。アラメルモさんに同意する部分です。 考えてみれば、知能が高い「動物」は殺したり食べたりしてはいけない、でも、知能が低い「動物」ならばよい、という理由で、イルカやクジラを食べるのは残酷、犬を食べるのは野蛮、でも、牛や豚を肥育して殺して食べるのは問題なし。この論理も、相当自分勝手。安全に美味しく安定的に肉を食べたい、その人間の欲望にとって、いかに都合の良い論理であることか。 その「構造」内で暮らしている限り、違和感を感じないけれども・・・野生の動物を自分の生死を賭して狩り、「対決」し、勝利した時にのみ「感謝」と共に食することができる。そんな文化に生きる人にとっては、大切に育てた動物を殺して食べる、しかも、無防備で抵抗できない状態にしてから殺す、という「残酷さ」は理解しがたい、許しがたいものであるでしょう。 死者の身体を体内に取り込んで、死者の力を分有する、そのようにして死者を「生かす」「再生させる」ことが本当の弔いである、と考える文化においては、死者の肉体をそのまま埋葬してしまうというのは、再生の機会を奪うことになる、冷酷で無慈悲な行為かもしれない。過去の欧州のように、火葬したら復活できない、と信じていた文化圏において火葬は最も死者にとって残酷なやり方だった。「火あぶり」の刑のように、復活しては困る「罪人」に対して行われる行為であった、わけです。 冷酷とか、残酷、という、感情や倫理に発する価値観も、人間が作りだした幻想に過ぎないのでしょうね。 それでもなお・・・自然淘汰を「残酷」「冷酷」と判断するのが、人間の作り上げて来た「文化」の特徴ではないのか。それは、平和な状況においてのみ、成立する文化ともいえる。 社会的な有用性がない、ように見えるニンゲンでも、他者の助力によって生きていける世界、補いあい、助け合うことによって成立する社会を作り上げよう、とする。これが、動物であるニンゲンが、人間としての「文化」を成立させ、最終的にもっとも繁栄する「動物」となった理由ではないのか。 それは弱者の論理、奴隷根性の論理であって、人類全体の「進歩」のためには、優生思想をこそ尊重すべきだ、という「論理」も成立する、けれども・・・相互扶助、ではなく、一方的に扶養される「だけ」のように思われる存在であっても、多様性の担保に「有用」である、という論理も成立するわけ、ですが、さて。 これこそが資本主義の論理なのだ、と提示されている、ような気もしますね。 (ニンゲンのナカマ)

2018-01-21

「愛」を求め、すがりつきながらも・・・与えられる「愛」は、息子にとって痛みを伴うものであった・・・そんな寓話として読みました。片方にしか乳房がない、ここで何となく「アマゾネス」のような、戦う母、を連想したのですが、しぼんでしまって垂れ下がって用をなさない、そういう意味での片方、なのかな・・・土気色の乳房に吸い付く、という情景に、死姦のイメージもなんとなく重なりました。母子二人で、棺桶(のような家)の中に封じ込められたまま、年月だけが過ぎていく、そんなイメージ。 (種子)

2018-01-21

「あなたが空からやってくる」というフレーズや、雷、雨、のイメージから、金の雨となって恋人のもとに忍び込んだゼウスの物語(というか、その物語を題名にして描いたクリムトの絵)を想起したのですが、「あなたが空で眠るから」・・・「あなた」は、既に死者として帰天している、のでしょう。 窓際ということは、室内にいる。雨に抱かれる、とは、雨音に抱かれる、と言い換えてもよいのでしょう。あまだれ。私のいる家を濡らす雨のように、私の心もまた濡れている、という、濡れそぼつイメージ。 冒頭一連を伏せて、二連目から始める、とか・・・題名が少し説明的なので、変えてみる、とか・・・「遠雷」なんていいかもしれないですね。冒頭からいきなり「説明」してしまわないで(語り手の心理状況を語らないで)情景描写や、あれ、なんだろう、という驚きのようなものから、詩を初めて見るのもよいかもしれません。 (窓際にて想う)

2018-01-20

私も「永い永い雨だ 空に向けて傘をさせば 雨音は足音のようでもあり 羽ばたきのようでもある けれど蝶が飛び立つときは いつも静かだった」このフレーズを抜いたのですが・・・ コメント欄を見ると、同じフレーズに触れている方が多いですね。 その他の部分が、少し言葉を重ねすぎているかな、という印象もありました。 蝶、魂のアナロジーとしてしばしば歌われる存在でありますが・・・ 夢、希望、そんな抽象的なものを、具体的な姿としてとらえたイメージのように思われました。 草の端から滴る滴、傘に当たる雨音、リアルな映像が立ち上がる、体感できる。 そのリアリティーがあるゆえに、蝶が「いない」ということが、現実的な喪失として迫って来るような気がしました。 (Butterfly)

2018-01-20

「貴方の声が~血管の中に染み込む」「私の汗腺を塞いでいた あなたの脂」 から喚起される、「貴方」との濃密な関係と、その関係が失われた後の空虚、 諦めきれずに「貴方の好きな惣菜を求め」てしまう語り手の素振りが印象に残りました。 前半と後半、語り方というのか、文体が微妙に異なるところに惹かれます。 前半は女性、後半は男性として、この二人の間に何があったのか。そんな物語を想像しながら読むのも面白いと思います。 (あな)

2018-01-20

知らんけど 急に、ポイっと投げ出されるように置かれた言葉。 かのじょ、と読むのでしょうけれど、なぜか「かのおんな」と、最初は読んでいました。 全体に、突き放すような距離感と諦念のようなものがあるのは、語り手から働きかける運動性があるのに対し、相手からは、特に何も受け入れていない、観察しているような距離感があるから、かもしれません。 女性の恋人どうしの「物語」を連想。 (quasi-)

2018-01-20

からの かびん かくうの この、連続する「か」の音の強さ。 「星の王子さま」に出て来る「薔薇」、世界でただひとつの、特別な存在として、王子様の「愛」を確かめ続ける・・・王子様の「愛」を、確信できない、その不安が、王子様に不平不満を言い続け、困惑させる、という行為を「薔薇」に強いる。その行為が、王子様を追い詰めていき、その関係に疲弊して、王子様は星を棄てて旅に出る、わけですが・・・。 執着する愛、縋りつかずにはいられない愛、所有せずにはいられない愛。欲望と暴力とがないまぜになったような、愛の狂気、それもまた、「愛」の一面であろうと思います。 聖母マリアの象徴であるとされる一方で、女陰のメタファーとしても用いられる薔薇。園芸品種として、芸術の域にまで高められたがゆえに、ひたすら世話を受け、手間暇をかけてもらい、虫や病気から守ってもらわなければ咲くことすらできない、薔薇。身を守るために、棘を身に着けた薔薇。世話をされなければ生きられないのに、世話をしてくれる人の手を傷つけ続ける運命に生まれついた、薔薇。 牡丹では、成立しないでしょう。緊張感を持った異性との関係性が、「朝ごはん」という日常の中にも潜んでいる。映像が鮮明で、影の濃い作品だと思いました。 (薔薇)

2018-01-20

靴のままでいい、というのは、ホテルなどの室内のイメージでしょうか。 声、が「つくる」わたし、とは、他者が作り上げる語り手の幻像。 「魔法の症状」とは、なんだろう・・・幸せな幻像に惑うことができる、そんな一瞬でしょうか。 もう少し情報があってもよいかな、と思いました。 (警笛)

2018-01-20

もうすぐ充電が切れる・・・スマホで別れ話をしている二人、あるいは、充電が切れるまでは、君の話を聞くよ、というスタンスで、悩みを聞いてあげている語り手。そんな「物語」を感じました。 中盤、スパゲッティーのイメージがちらほら・・・長いものには巻かれろよ、という処世訓のようにも読めるし・・・そらしといろさんの「血管スパゲティ」を何となく思い出したりもしました。 (全てはただの箱になる )

2018-01-20

aphorismでしょうか、花緒さんが伝えたかったこと、は・・・。石泥さん、アフォリズム、でググり直してみてください。 行間を、ここまで開けるのは、スマホ環境を意識しているのか、それとも、読むときの速度をゆるめたい、次の行が現れるまでの時間を取りたい、ということなのか。 全体に、説明と言うか、解説部分が多いような気がして、せっかくの「気づき」が埋もれていくようなもどかしさを感じました。 ビルと人体、道路と人体組織のアナロジー・・・生命体としての都市のイメージ・・・見えないものを見ようとするところから想像や思念を膨らませていくところが良いと思いました。 (白眼ヶ浦)

2018-01-20

冒頭、「闇が濃すぎるのではなく、ぶ厚い堤防だった」この体感に惹かれました。カエルの声が幻聴のような耳鳴とも、心に響く心理的な圧とも取れ・・・なおかつ、還る、帰る、の声がざわざわと連呼している、その「闇」に押しつぶされそうになっているような感じがありました。 神殿の柱のような、白い円柱。そこに足を踏み入れれば、退屈だけれど安定していて、しかも規律で縛られているような、そんな生活が待っている、そこに飛び込んでいきたいような衝動に駆られつつ、自由を手放したくなくて、後ずさりしながら抵抗している、そんなイメージで読み始めて・・・ 急に11階が出て来る。ここから先は、室内の景でしょうか。 「背中に空いた二つの穴を見つめた」自分自身の背を、自分から遊離した意識が見つめているのか。 二つの穴は、他者の監視によって穿たれた穴か・・・ 「よく考えると~」と繰り返しながら伸びていくフレーズは、マザーグースの「これはハンスの建てた家」のような、 同じフレーズをリフレインしながら言葉が足されていく、どこまで続くのか怖くなるような唄の感じに似ていると思いました。 「白く立ち込める湯気の先に強烈な眠気がある」シンク、流し台。湯で食器(箸)を洗いながら、語り手が感じている切迫感や抑圧感が伝わって来る言葉の並びでありながら、意味や論理から離れているところが新鮮でした。 >「真横で蠢く重機をボートから眺めている2人」 「水面を破断する鉄板のクローズアップ」 ここは、シンクで食器を洗う情景を、比喩的に表現している、のか・・・気になる表現ですが、唐突な感もあります。 部屋、に封じ込められているような、語り手が感じている圧迫感や抑圧感が伝わってくるのですが、読者の側としては、シンクで何かを洗い流す、というイメージと部屋の内部のイメージとに、興味が分散してしまう。どちらに重点を置きたかったのか、そのあたりが気になりました。 (シンク)

2018-01-20

最初の一行目、流れが心地よいと思って読み直したら、ワルツのような三拍子のリズムが隠れているような気がしました。時、と時、でそろえて、「合間の針」という、何気ないけれど新鮮なフレーズが置かれる。 「似ているようで違うようで似ている奥底が」この、うたうような、たゆたうようなフレーズも素敵だと思いました。 「哺乳瓶を抱えて唯一持っている理性知性で 檻の中にいる同じ動物に餌を食べさせてる」このあたりの、やわらかな口調の批評性も面白い。 最後に、少しだけ形を崩す。僕は永遠を諦めないよ、という宣言にも読めますね。 ~いてくださいな、このユーモアを含んだような呼びかけにも惹かれました。 「愛してると繰り返し伝え合って傷つけあって 笑いあって混じり合って未来は見ないフリで」このあたりは、ラップ風のリーディングをイメージしました。 (親しい他人)

2018-01-20

気持ちの延命・・・考えたこともなかったけれど、自分の意識とはまったく別物、そんな異種の生き物のように感じることは多々あり・・・その体感を、うまくとらえていると思いました。 流れていく、気持ち。 あなたと私の、温度差。 気持ちは、霧散したり、どこかから不思議に湧いてきたりする、感覚もありますが、雨のように降ってくる、ことは無い、かもしれないですね。そう考えると、面白いものがあります。 問いかけ、命令形、願い、いずれも「あなた」への呼びかけ、ですよね。 自分に言い聞かせる部分もありますが、呼びかけが続くとかえって平板になるような印象もありました。 どうか、とか、せめて、という強い念のこもる言葉は、ここぞ、というところで繰り出すのが、よいかもしれません。 (柳)

2018-01-19

語り手は、目の充血の原因を知っている(そして、そのことを読者には伏せている)そんな気がしました。 なぜ、フランス語を学ぶのか。他者に対して誠実で、自己に対して厳しく、それでいて周囲をなごませるジョークや雑談などの配慮を忘れない苦学生。 彼は、国連職員になりたかったのではないか?・・・そんな気がします。 目の充血の原因は、あるいは失恋の悲しみで泣き腫らしているのかもしれないし、不穏な世界情勢を懸念しているのかもしれない。アメリカの少年/青年であるなら、戦場に兵士として立つことも有りうる。 911以降の世界の不安定さを、日本に住む私たちは、まるで素通りして来てしまったけれども・・・311の時も、アラブの春、と同時期で、中東が戦禍に見舞われていた時期でもある。当時、海外にいた人の方が、原発の事故に関しても、世界と日本との認識の落差についても、肌で感じていたのではないか?と思います。 アラメルモさんのご指摘にも重なりますが、語り手の気持ちが揺れないように、意図的に平坦に、抑制された筆致で描かれているように思いました。ドラマティックに盛り上げていくのを、あえて避ける、慎重に「物語る」ことに徹する。 ロシアのダンス・・・何となく白鳥などの水鳥の動きを思い起こしました。民族舞踊団のダンスなのか、バレエやモダンダンスなのか・・・春の祭典とか火の鳥などの公演の際にも、モダンダンスであっても民族衣装を身に付けますよね。 フランスの国際性と、そこで民族色を表現として打ち出す民族性、固有性。 それをアメリカと日本、別々の出身地の二人が、二人とも別々の席で、同じものを観て感動を共有する。 故郷から離れているという心もとなさと、故郷の想いや特色を忘れない表現、その表現が国境を越え人種を越え、人を心身ともに癒す効果をもたらしているかもしれない、ということ・・・ うまくまとまりませんが、感想です。 (アメリカの少年※)

2018-01-18

極限まで高められたような時刻を発見した それは夜の手前の時間 鐘のように呼びかけている この景色は 吹きすさぶ風 白色に 立ち向かう このフレーズが、とても良かったです。 この瞬間、を思い出して、そのプロローグとエピローグも連結させて、一つの作品にしたような印象でした。 三連に分けてみる、と、どうなるだろう。そんなことも思います。 (静かな時に)

2018-01-18

歌詞の訳詩、ということ、でしょうか・・・あるいは、翻案? 歌詞の場合、メロディーと共に刻まれていくリフレインが、恐らく残像のように心に残って味わいとなるのでしょうけれど、文字の場合は、逆に見慣れて、意味やインパクト、面白さが薄まってしまう場合もあるのかもしれない。 全体を拝読して、文字だとリフレインの部分が冗漫に感じる(最初に出て来るときの驚き感が薄れてしまう)のではないか。そんな「発見」をしたような気がします。 (BREAKDOWN. 訳詩。)

2018-01-18

もしかしたら無意識に呼び出されているのかもしれませんが、 ヨろこんで/ヨうい さプライズ/サしだす というように、よ、の音とさ、の音が重なりながら響き、 そこに きみに/きみから と畳みかけていく音感が素敵だと思いました。 〈先回りして〉驚くような「物」を用意したのに・・・さぞや喜んでくれるだろう、と思ったのに・・・さほどではなかった。むしろ、がっかり、あるいは困惑、されてしまった。その時きづいた、〈きみ〉が望んでいたのは、〈僕〉と並んで〈一緒に〉〈驚くこと〉だった、と。 2人で一緒に、驚くような体験をしたり、素晴らしい光景に出会ったり・・・そうした、共有することのできる思い出を共にしたかった、それが〈きみ〉の希望だったのでしょう。 この身近さの中で、同じ言葉や同じような意味合いの言葉を重ねていく効果について考えます。圧縮されて、何度も塗り重ねられるように印象が強く残る、ということであるとしても・・・ 先回りして用意したサプライズ きみに差し出すと きみからの意外な反応 きみが欲しかったのは 並んで 一緒に 顔を見合わせて 驚くことだった 事実、行為の配列の中から、語り手の気持ちがにじんでくるような、そんな描き方もあるかもしれません。 (喜んでもらいたくて)

2018-01-18

スマホ画面で見た時には、意味と言葉の連続に見えたのですが、パソコン画面で見ると、縦軸の時間に横から定期的に圧がかかり、一気に横に噴出する時間があって、また再び縦軸の時間に戻る・・・というような・・・淡々と過ぎていく時間を感じる日々の中に、やむにやまれぬ、という感じで内から(外部からの圧と共に)時間に関わらず噴出していく「なにか」がある、それを視覚的に表しているような感覚がありました。 縦軸に流れる時間にあらがって、独自の時間を紡ぐのが「物語」なのかもしれません。 (瞼の彩り)

2018-01-18

皆さんの感想が面白い。私は、辞書を想起しました。 つい最近、娘に それな って、なに?と聞いて呆れられ、息子に フラグが立ちました ってなに?と訪ねたものの、こちらは優しく説明してくれたけれど、やっぱり、いみふめい。何を言いたいかというと、息子は母に優しい、ということです(笑) (な)

2018-01-16

ああ、もう、うたうしかない、嘆息するしかない、乗りきる・・・ことができるのかどうかすら既に定かでなくとも、少なくとも今日1日を、なんとかやり過ごして明日に送ることができればいい・・・そんな時があるように思いました。 いずれ訪れる別れの時まで、どのように過ごすのか・・・100を越えた祖母が、死にたいを通り越して、殺して、と言い続けたときには本当に・・・力なく笑う他、なにもできなかったのですが・・・絞め殺して、と私の手をつかんで首もとに持っていくので、そのまま鎖骨のあたりをマッサージしてあげたら、気持ちいちねぇ、と。で、おならをぶっと出したので、皆で笑いました。 そうやって、日々を、ちょっとずつの気持ちよさで、送っていく他はない。それが、後に思い出になるのだと思います。 (無題(#Me Too))

2018-01-16

〈光が朝になるために〉という表現に惹かれました。種が花になる。これはなんとなく、その通りだな、と思うのだけれど、光、が朝を読んでくる、呼び出す、朝になる・・・そうか、という思いがあります。 〈ほどいた手をもう一度つなぐために 一行の詩が眠っていたものを呼び醒ますために〉 ここまでのロマンティシズムが、本当の願い、であり、真の願い、であり・・・あるいは、そうあってほしい、願いであり・・・しかし、その願いを実現する為に、経なければならないことは何か。 その後に続く(緑川さんの評をお借りすれば)不穏な願い、生きる為に「背に腹は代えられぬ」と、時に人を裏切ったり、残虐なことをしたり、見殺しにしたりする、そんな生きるための経済闘争・・・への欲望も、同時に夜明けをむかえるかのような、そんなリアリティーがありました。 光があたれば、影ができる。影の形によって、人は実体を知る。 影の持つ欲望と、光の持つねがい、両方をみたしていくことが、できるでしょうか。 (ねがい)

2018-01-15

くつずり ゆうさん なるほど、旅立つ、ということば・・・。 幼生時代のくらげ(着床生活をしている)状態から、傘をひらいて、海の中にふわり、ふわりと旅立っていく映像を見て・・・それをいつか、描いてみたいとも思っていたのですが・・・ここはなかなか難しい。なんとなく、たまごからいきなりクラゲが生まれて来るようなイメージもありますしね。 考えてみます。ありがとうございました。 (童話 月夜にくらげが光るのは(後編))

2018-01-15

たくさん、レスがついていますね・・・ 〈トマトにバニラとチョコレート〉この味を想像したときの、なんとなく胸騒ぎするような違和感と、 〈シナモンとハチミツそしてチョコレート〉この、予定調和的な、しかし安定して、懐かしいような美味しさ(の感じ。) 胸がざわつくような「味」を求める時は、気持ちが前向きで、頑張ってみたい、色々なことに挑戦してみたい、と思う時で、安定した美味しさを求める時は、その逆の気持ちになっているとき、なのかもしれない、と思いました。 嫌な夢を見ても、それを棄てられる間はいい。嫌な夢の中に生きてしまっている、としたら。 そんなときこそ、あまい、予定調和的な味わいに戻って、そこからまた、歩き始めるのかもしれない。 そんなことを思いました。 (嫌な夢)

2018-01-15

沢山レスがついているけれども・・・ムードとか、雰囲気に惹かれる、という感想も多いようです。 〈粗くなる景色に 佇む固有名詞〉 記憶の中で、歯抜けのようにモロモロと景色が崩れていくような不安な感じ、あるいは、モザイクがかかったように 世界が非日常的に遠のいていく、そんな感覚を想像しました。 大好きな人との一瞬を思い出したい。でもそれは、自分にとってつらい、思い出したくない一瞬でもある。 それゆえに、彼女との思い出の景色が、粗く、崩れていく・・・その景色を支えるように、杭を打つように 「そこにある」固有名詞。その、存在感。後ろから来て、追い越していく。振り向かない、彼女。 京都の鴨川ぞいを歩いた時、夏だったのですが、緑が色とりどりで驚きました。 緑の色も濃いのですが、木の種類が沢山あるのです。一種類ではない。 京都、という町の多様性を象徴するような木々の植樹だと思いました。余談です。 (moment)

2018-01-15

うた、を感じますね・・・ゆったりと時が流れる感じ。 伸ばす音が多いから、でしょうか。 漢字が多いせいか、右側の共通語訳部分が黒ぽく見えるのですが、 全体の形も含め、縦書きにしたら機関車のようだ、と思いました。 横書きで見ているときと、縦書きはまた、異なって見えるような気がします。 (かでぃなー 嘉手納)

2018-01-15

冒頭、ある冬の朝、とありますが、すぐに〈雲が氷っていた。〉という印象的な言葉が続くので、冬、を入れない方がインパクトが増すかもしれません。もちろん、冬、だから、凍る、という、自然な流れから、それにしても雲が凍りついて動かない・・・という異常事態、に持って行く方法もあるのかもしれませんが。 気になったのは、氷って 解けて という表現。氷りつく、などの言い方も(常用外ですが)あるようなので、こおりっていた、ではなく、こおっていた、と読ませるのでしょうし、文字から「氷」の印象がより強く入って来るので、「氷って」は、このままでよい、と思うのですが・・・「解けて」は、意図的な用法でしょうか。解放された、解き放たれた、と言うイメージを伝えたいなら、この字で良いと思いますが、一般には「融けて」を用いると思うので、誤用と読まれる可能性もあります。 現実の景のように描かれていますが、異常気象が具体的に述べられているようなリアリティーがあり、そのリアリティーゆえに、寓意的な作品という印象が強くなる。 精神的に氷ついていた時代が、何かをきっかけとして(光臨をきっかけとして)あたたかな「雪融け」を迎える。その喜び、ということになるのでしょう。 〈誰も職場に向かう事はなく、〉という「冬」の期間(冬眠のような状態)と、〈早朝から深夜まで働き詰めだった夫も、定時に帰宅するようになった〉「春」が対比されている、わけですが・・・この「冬」をもたらしたものこそ、〈早朝から深夜まで働き詰め〉であった状態、なのではないか。とすると、働きづめだった秋、が前提とされるのではないか。伏線として、あるいは「春」の時点に、全てが氷りつく前には、というような言葉が入ると、ロジックがうまく繋がるのかな、と思いました。 大震災時の日本の状況と、そこから「家族」の大切さを改めて考え直すようになった(なりつつある、と思いたい、ですが)その後、の時間、その寓意とも読みたいような気もします。 (光臨)

2018-01-12

よりの、を、寄りの、と読みかけたのですが、から、が続くので、因りの、と読み直しました。真分数、複素数体・・・数学の苦手な私には受け止めきれないのですが、文字から受ける印象だけでいうなら、真実を求めたいのに、それらしいものが、わらわらと沢山、現れてしまう、という思考のプロセスや、自然物(蝶の翅脈や葉脈のような、芸術品としか呼びようのない、自然が作りだした造形物)を前にした時の・・・うまく言葉にならないような心ふるえる感じ、を、10分間の沈黙、という「状態」によって表現しているように思いました。 その「ふるえ」を言葉にしようとすればするほど、「雄大壮麗」になっていき、嘘くさくなる。結局、沈黙するしかない、というような。 「気づ/く/まで」という区切り方は、呟くような「状態」、進行のリズムを区切りで表しているようにも思われ、違和感なく受け止めたのですが、「余/剰を」の区切り方は、なんとなく不自然に思われました。余り、という字を、先に出したかった、注目させたかった、ということ、でもあるのか・・・。 「紫都」からイメージするのは、夕方の都市、ですが・・・「21:17」とか「10m」という時間表示に、裏切られてしまう。なにか出典があるのか、と思って検索してみたら、台北の有名?料理店に行きつきました。・・・つきましたが、どうも、それとは関係ないようですね。 (……からの、)

2018-01-12

一番最後のフレーズ、「魔女の宅急便」の「落ち込むこともあるけれど、私は元気です」(だったかな、そんな感じ)を思い出しました。似ているから駄目、ということではなく、ああ、この感情に通じるものがあるなあ、ということ、です。 冒頭に「~ようだ」「~みたいな」と「形容」が続くなあと思ったら、「そぶりをした語り手が/僕を形容している」次の連の言葉を借りれば、自分で自分を「いじって」いる、そんな諧謔味というのか、反転させる面白さを感じました。 二連目が少し弱いかな、と言う印象もありますが、三連目が軽めなのに面白い。犯人、この場合は、語り手を「こうかい」に追いやった張本人、そのことを言いたいのに言えないもどかしさ、のようなもの、を、うまく「形容」していると思います。 こうかい、は、後悔、航海、どちらも当てはまるような気がしました。二連目を引きずるなら後悔、三連目や四連目から推すと、比喩としての航海。公開、もあるのかな・・・。 犯人、は、人、ではなく、もの、や機会、も当てはまりそうです。誰かを、その「時と場」に追い込むきっかけ、となるもの。 題名、社会、でいいのか、どうか・・・私も、題名をつけるのが超絶苦手で、コメントするのも難しいのですが。なんとなく、社会、安易かな、という気はします。しかし、代替案・・・。思いつかない、今のところは。こうかい、とか?挨拶、なんていうのも、行けそう。 (社会)

2018-01-12

の、を削除しました。ご確認ください。 現状、投稿者が自分で訂正は出来ないことになっています。 投稿作品に、レスがついた後に作品が改変された場合(より良い作品にするための推敲であっても)レスと作品とが食い違ったり、コメント欄での議論が噛み合わなくなったりすることを避ける、という意味合いもあろうかと思います。 (姉の自慰)

2018-01-10

カオティクルConverge!!貴音さん♪のコメントを拝読 投稿ボックスの端に、文字数表記が出るようなシステムがあればいいな、と思いました。うっかりミスを減らせますよね。 作品評からは外れるので、続きはフォーラムの方に書きます。 (泣けたい。)

2018-01-10

時間をひたす、という「体感」に惹かれました。 時間にひたる、のではなく、時間をひたす。自ら、時間を管理し得る瞬間。 いらなかった痛み、とは、欲しくはなかった痛み、でもあるのでしょう。自ら買って出て、負ってしまった痛み、というべきか。 臆病者の記録、これも面白い。臆病者の記憶、なら、自らの記憶に刻まれた悔恨かもしれないけれど・・・ 記録、自らの外部に記すもの。記録が~遡る、というあたりに、自分の力ではままならない、なにか強制的な流れを感じました。 正しく、間違っていない 正しくはないけれど、間違ってはいない どちらがよいのでしょう。正しくはない、ことが沢山ある、世界において、自分の取り得る最善を尽くすことが、間違ってはいない、ことなのだとは思います。 正しく、そして間違っていない、と、確信を持って言える程、人間は「正しさ」を信用することができない、のではなかろうか・・・。正しさ、とは何か。法律やルールを守っている、こと?その「正しさ」は、人間が作りだしたものに過ぎない。間違っている、間違っていない、と感じる心の仕組みは、もともと人間に備わっているもの。そう考えると、人間ではなく自然が付与した判断力、ともいえる。 正しい/正しくない を判別する理性と、 間違っている/間違っていない を判別する悟性、そんなことを考えさせられました。 (未明)

2018-01-09

ヤマト運輸とか、佐川急便の名前を使った釣りメールが横行している、と聞いたばかりでしたが・・・なるほど、大手出版社名を使った釣りメールも、可能性としてはありそうだなあ、と思いました。もっとも、俳句をたしなんでいる知人のところに、頻繁に○○先生のお作品を拝読いたしました、つきましては当社の・・・的な流れで、いかにも企画出版風の話を持ち掛けて来るパターンはしばしば聞き及んでいるので(中身は自費)有り得ない話ではないなあ、とも思った次第。 ~して頂けたい、これは確かに、日本語として変ですが、花緒さんのフォーラムでのコメントの中に~やめられたい、という言い回しがあって、不思議な言い方だな、と、ずっと気になっていたのでした。~されたい、というような言い方。 ~して頂けたい、は、~して頂きたい、が「正しい」。いわゆる、誤用ですよね。 ~やめられたい、~されたい、は、やめて頂きたい、~して頂きたい、という意味なのでしょうけれど・・・参照されたい、などの用法もあるようなので、ビジネス用語なのでしょうか。 動詞+「れる・られる(尊敬)」+「たい(希望)」・・・~されたし、という古語的な、かしこまった感じの、それでいて強めの文語口調の表現を口語風に直したもの、なのか。 いずれにせよ、日常ではあまり使わない用語法ですね。 ~されたい、が正しい用法なら、する(未然形)+れる+たい、敬語に不慣れな外国語ユーザーが、e音の活用+たい、という「文法」を勝手に作り上げることも、充分にありえる。泣きたい、を、泣けたい、と誤記?するように。 (泣けたい。)

2018-01-09

なからいとうすい、半井桃水、そういえば同じ発音ですね・・・陶酔と透水と・・・。 バベルの塔と氏神様。駄弁るの問うと土地神様。 氷晶なのか氷床なのか。ドロドロに溶けるのであれば、表象が溶ける方が面白い。 美脚とキノコ狩り・・・はて。落雷、雷と来ると、思い出すのはゼウス、ですが、さて。 昼間のキノコ狩りなのでなんとも言えませんが、夜間のキノコ狩りならば夜這いの逆転パターンの・・・(以下略) カッパドキアの地下に広がる鍾乳洞?を連想しつつ。 火山灰土の透水層は、陶酔文化に連なるや、これいかに。 (透水文化学入門)

2018-01-08

最後に、野生よ、と呼びかけるところに、少し戸惑いを覚えました。 手負いの獣、野生の回復の力を秘めた森、森の魂のような沼。 野生の力の発露を、何らかの形で、文字によって顕在化することが出来たら、野性、という・・・抽象性の高い言葉、ある種の観念によって表現するのではなく、より筆者の心象に即した表現になるのではないかと思いました。 沼に浸る獣を遠目に見ているような視点で描いていますが、獣の体感を描く、獣を照らす月光の視点で描く、あるいは、痛みを抱えたものを呑み込む森(全体がひとつの生命体として)の鼓動が聞こえるような、森の意識が聞こえるような描き方をする・・・など、いろいろ、考えてはみたのですが・・・このままだと、獣を遠目に見ている景で満足してしまっている、そんな読後感というのか、もどかしさが残るような気がしました。 (私に※)

2018-01-08

言葉の区切り方が、記憶をひとつひとつ確かめていくような、流されないように、こらえながら辿っていくようなリズムがあって・・・思い出したくない、何らかの葛藤と闘いながら想起する営みについて、考えさせられました。 春とは、なんだろう・・・お前など、決して受からない、と(おそらくは未婚の)女性教師に罵倒されていた主人公が、希望の学校に受かった報告をしに行ったのか(女性教師を見返すような気持ちと共に)あるいは、恋人なんて一生見つからない、と、これまた暴言を吐かれた主人公が、恋人ができたことを伝えたときの反応か。 語り手が男性か女性か明示されていないので、女子高での教師と生徒との葛藤とも読めるし・・・共学であるなら、男子学生から恋の告白、と無理くりですが、読めないこともないな、と思いつつ・・・ このような形で、ゆっくり、じっくり、記憶の中に再生されるような出会いが、幸福であるのか不幸であるのか、わからないけれども・・・思い出す、という行為の中に、詩情の巣があるような気がしました。 (音信)

2018-01-08

私小説的な世界に、一歩近づいたのかな、という印象がありました。魂という「もの」の捉え方がユニークかつ具体的で、そこに強くひかれました。 小説的な世界により踏み込んでいくなら、痛みやエピソードの(虚実は別として)より詳細でリアルな散文的描写が必要でしょうし・・・(私の考える範囲での)詩により深く踏み込もうとするなら、比喩による異化や、事実としてのエピソードを、真実を語るための寓意的な物語に転換したりして、そのときの感覚や心情を凝縮していくことが必要であるのかもしれない・・・その、中間地点にいるような読後感がありました。 (shepherd dog)

2018-01-08

あえて、音声は聞かずに文字で読んで・・・ 文字だと、~だけどさ となりそうなところ(ある種、投げやりに、言葉を放り出す感じになりそうなところ)が、~だけれども、と、とても丁寧に始末してあるのが面白い。 細かいところまで丁寧に仕上げようとする性格なのかなと、ぜんぜんちがうかもしれないけれど、そんなことを思いました。 本音をぶつけあって、後残りも無しに、スッキリさっぱり理解しあって、そうかそうか、そいつぁ悪かった、と、肩を抱き合って和解する・・・的な流れが、誰とでも作り出せれば最高なんだけど、なかなかそうはいかない。 でも、最近、相手を傷つけないように・・・なんて(自分の狭い経験値の中でそんたくして)婉曲に言ったりして、やっぱ、伝わんないじゃん、とがっかりしたりとか・・・他の人の努力や誠意を、かえって阻害したりすることになるんじゃないのか、的なことを言われて、それもそうだな、と思ったり、とか・・・色々思うところあり、ぶつかり合うこともやむ無し、と思うところもあり・・・ 的なことをいろいろ、思ったり考えたりする作品でした。 (スカルブレイン)

2018-01-08

ああ、とは、何か・・・ 行き着くところまで行き着かないと気がすまないような、そんな性的な興奮、淫夢に襲われたときの体感の中で、自分を引き留めよう、としている場面。 死にたい、と念じ続けて、気絶寸前の感覚、「落ちる」瞬間の感覚を体感し、幽体離脱的なところにまで行きたがる自己を、なんとか留めようとしている場面。 クイズ番組でアハ体験、という言葉を知りましたが、疑問にとらわれたり、わからないことに苛立ったりして悶々としている状態が、スッキリ解消した瞬間の快感・・・ 「点きかけた電球と、消えかけた電球のちがい」点滅する命、弱まるのか強まるのか、いずれにせよギリギリの不安定な時間。フィオリーナさんのコメントを、興味深く拝見しました。私があげた中で、2番目にあたるのでしょうか。 (ああ)

2018-01-07

いき、は息をする、生きる、とおそらく同根。息吹きに対するイメージと、プネウマのイメージが類似していることを思い起こすとき、何千年時を隔てていても、場所や民族を違えていても、生きるということに対する意識は、あまり相違ないのかもしれません。 面白いのは、あき、といき、が対比的に現れるところ。この場合の あき は、今まであったはずのもの、が、いなくなったあと、の空虚なのか。実体という確たるものが、あったはずの場所から消えて、そこには影が残る。今、ここにある時間を生きている実体が、そこにいたという記憶だけを残して、その場から消える(そして新しい場所を占める) 冬の白い息のとらえどころのなさと、無数の影の残存として体感されていく記憶の残存とが、イメージの中で連結しているように思われました。 疑問というより質問なのですが、影は、いつから、光を物体が遮ったときに現れるシルエットを意味するようになったのでしょう。 たまたま「かぐや姫」の話を聞いてきたのですが、天皇がかぐや姫の実体を見るシーンがある。ここで、かぐや姫は 影 になるのだけれど、それは月影の影、光の固まりとしての影と解すべきだという。光そのものであった影が、いつから、光と物体とが生み出す黒い影に変容したのか・・・少し作品とは脱線しますが。 (冬、いき)

2018-01-07

渚鳥さん コメントありがとうございます。 「童話」を集中的に書いていた頃があって・・・その頃は、犬や熊の気持ちになるだけではなく、イモリやカエル、スコップや縄跳びの縄など、いろんなものに「成りきって」遊んでいました。 幼年向けは原稿用紙5~6枚が多いのですが、さすがに子供向け過ぎる。大人の中の子供の部分に響くように書こうとすると、低学年から中学年向き、原稿用紙10枚~15枚くらいになるので、前半後半に分ける形になりますね。 一月に2編まで投稿可能なので、一月読みきり童話、を、しばらく試みてもいいかな、という気もしています。明日の夜あたり、後編をアップしますね。 (童話 月夜にくらげが光るのは(前編))

2018-01-02

〈耳の穴から腕の生えている/素敵な生き物〉 眠りの中でだけ会える、言葉からすると「異様」としか言いようのない、しかし〈僕〉にとっては〈素敵〉な生き物、これはいったいなんだろう。こんな不可思議な伏線が用意されているのに、どなたも、ここには言及していないですね。 耳をすませて、あらゆる気配を〈腕〉でかき集めていく行為を具体化したら、こんな生き物になるのだろうか。聴く、ということの、欲望。それは、隣室(存在するかどうかすら、不明の・・・心の中にある自分の部屋の隣で行われている、もう一人の自分の行為、であるかもしれず)に耳をすませる、ということ、見えないものに意識を注ぐということでもある。イメージとしてはヒエロニムス・ボスの描いた奇妙な生き物たちを比肩したくなるのですが・・・人間の欲望を「教化する」というタテマエを付与されて、実際には生理的欲望をむしろ喚起する為に具象化された生き物たち。 非常に魅力的な登場人物(登場動物?)なのに、ちらりと現れただけなのが、とても残念に思いました。 この耳から生えた腕、が、姉の自慰を行う指を持つ腕、であるのか・・・とも考えたけれど、うまくつながらない。 ネットゲームが喚起する生理的興奮、株のトレーディングが喚起する生理的興奮、そして、性行為が呼び起こす生理的興奮。脳内ドーパミンが分泌されるためには、他にも様々な刺激的な行為が存在する、のでしょうけれども・・・自慰は、他者とのコミュニケーションを必要としない(自分の内にこもった、自己完結する)生理的興奮ですよね。生殖の目的以外の性・・・コミュニケーションと生理的欲望の充足という二項を満たすための性行為は(ボノボやピグミーチンパンジーなど、類人猿の一部に認められているけれども)人間特有の行為だと言ってもいい。 自慰の場合は、コミュニケーションの充足の面は欠落していて、自己の欲望の充足だけが中心となる。想像力によって、見えない他者、見えない恋人の愛撫を妄想する、という仮想のコミュニケーションは存在するかもしれませんが。 ネットゲームの場合も、見えない他者がいるのかもしれませんが、見えないがゆえに、仮想の他者に限りなく近い。ソフトの中に組み込まれている、プログラミングされた「他者」との交流であるならば、これは完全な仮想の他者ということになるのでしょう。株のネットトレーディングも、見えない他者が存在している、はずだけれども・・・仮想の他者に近い存在なのではないか。数値の変化という極めて無機的な表示が、有機的に変動していくという株式市場の動きと、そのうねりに身を任せて、仮想の他者を相手に賭け事に近いような興奮を得るという行為。 指値や仕手筋といった、手や指に絡む言葉が喚起するイメージからの発想なのかもしれない、と思いました。「見えない手」が経済という生き物の肉体を愛撫したり弄んだりしている、ように、隣室という見えない場で、見えない手や指が、見えない姉の身体を快感へと導いていく。株式市場に身を揉まれる興奮とのアナロジーを生理的に捉えているようでもあり、とてもユニークな発想だと思いました。 5連目の、マンションを買おうと思っている、あたりから、また別の寓意性が現れるように思いました。少し論理的になる、ロジックが立ってくる、とも言えますね。 堅実な生活(姉の声の聞こえないマンションの一室)を購入する、その決断がなかなかつかない、と読むと、生理的興奮に導くもの、行為、から身を引き離して、一喜一憂する刺激的かつ内向的、自己完結的な暮らしから、一般的な平穏な生活へと脱したいと望みつつ、生理的な刺激を得られる場が〈小さい箱〉たとえばラジオから流れて来る音楽による、一時的な興奮、といったものに矮小化される、ということに、耐えられそうもないから、今の刺激的で内向的な生活をやめられない、という読み方をしたくなります。 (姉の自慰)

2018-01-02

群読された朗読詩、もしくは「詩劇」として演じられたものの文字再録を読んでいるような感覚がありました。 台本では薄れてしまう「読み」の勢いや加減、つまりは演出家が行う演出の部分まで、ご自身で表示しようと工夫されているように思われます。 文字テクストを「読む」ことを主体としてきているので、興味を強く惹かれつつ・・・カタカナ表記の部分が、特に、黙読の読者に対して、一つの読み方をのみ提示するような、限定的な表現として感じられた、という、率直な印象を述べておきます。カタカナ表記の工夫の部分が、目の前に薄いカーテンを降ろされてしまった感覚になる、と言えばよいか・・・。朗読劇として「体感」したい、という意識の方が強かったですね。 (ジョンビ)

2018-01-01

〈喉の奥がしんと冷たい〉この一行に、実感がこもっていて、いいですね。 全体、そして、最後の一行を含め・・・ちょっと古いですが、『カモメのジョナサン』を思い出しました。 (陽だまりと常、流れ)

2018-01-01

大河ドラマならぬタイガードラマ、二時間、虹・・・言葉遊び的な面白さ。 虎の威を借りる、のではなくて狐の威を借りる、というカーニヴァル的な意味の反転。 産後、は、実際の産後だけではなく、詩の産後、にまで意味をひろげたい、と思いました。 眠れない夜に、羊のような、ふわふわ、もやもやしたイメージが、胸に居ついている、そんな読み方をしてみるのも一興。 (虹)

2018-01-01

あけましておめでとうございます。 初詣にいき(向こう三軒、くらいの距離ですが)甘酒をいただいて帰って来ました。 ノアの洪水が首に刺さる・・・どういう情況?と、まずはここからびっくり。 咽喉に刺さる、と読み替えてみるも・・・喉にひっかかるとか、喉に詰まる、ような体感、にすり替えて読みつつ。 洪水のように訪れる睡魔にどっぷりと腰を落として・・・というイメージ。 二月がなぜ、出て来るのか。そういえば、ビーレビューが開設されたのは二月でしたね。 テレビスタッフ、幕張・・・トレンディ―、オシャレ、軽薄、そんな印象を(個人的に)持っている言葉。 〈腰に来る爆弾〉は、自制しがたい感覚で押し寄せるリビドーを、体感的に上手く捉えているように感じました。 (少女を叩いた)

2018-01-01

あけましておめでとうございます。 地元の八幡神社、お稲荷さん、出世観音、お地蔵さん(正式名称わからず)にお参りしてきました。全部半径30メートル以内(家から)しかも家の前はフランチェスコ会系修道院という、宗教のるつぼ?のような場所に住んでいます。 〈もし、花に骨があれば こんな風に切り売りされることもなかったでしょうに 〉 〈骨のある花に生まれ変われたら 無下に手折られることもないでしょう 〉 という彼女の言葉。 地植え(まだ大地に繋がっている、生きている)花々に向かって、一枚の花弁を「放る」のは、 花を葬る、のか。それとも、命の華やいでいる場所に(分身のような一枚を)紛れ込ませたい、のか。 行分けになっていて、呼吸と言うか、読み方の速度が示されているようで「読みやすい」のですが、 全体が小説風というのか、映画を観ているような感覚なので、句読点を用いた散文体にしてもスムーズに読める。 むしろその方が、読者の速度で読める面白さがあるかもしれない、と思いました。 (花の骨)

2018-01-01

新宿の高層ビル街を歩いている時、水槽の底にいるような気がして、くらくらと気持ちが悪くなったことがありました。 周りは見えているのに、金魚鉢の側面から見るように歪んでいて、姿は見えるのに声が聞こえない。そんな感覚。 どこに行っても、その壁を壊しても、抜け出しても、再びまた、別の水槽の中にいる・・・と思いつつ。 もしかしたら、その水槽の中こそ、自分に許されたプライベート空間で、その空間を持ち歩いているのかもしれない、自ら作りだしているのかもしれない、と思う時もあります。 入れ子のような構造を視覚化して、体験しているところが面白いと思いました。 (眠れなかった時代)

2017-12-31

虚ろな新宿の、ではなく、虚ろが、なんですね。 鋭利な刃物で切り裂かれた都市の写真が構築的にコラージュされて、新たな都市風景を作りだしている、ような・・・ 青赤白、を黒と白の一気にあふれ出す独白が横一文字に区切り・・・青黄赤のLEDライトの世界に切り替わる。 そこからさらに赤と白の二択に移り、ロゼ・・・中間がない。 三色(三つの選択肢)のうちのどれか、かと思いきや(一色だけかぶってはいるけれど)異なる二色(二択)からの選択を迫られる。 ヴァリエーションで「二択を迫られる」イメージが繰り返されて増幅されたあと、首が落ちたり落ちそうになったり、血まみれで死んでも生きているような殺伐とした異世界に到る。リストラされることを「首になる」と言うけれども・・・そんな慣用句をリアルな映像にして実感させられるような感覚もありました。 (虚ろが新宿のユメを彷徨う)

2017-12-31

原稿用紙、ではなく、方眼用紙。五ミリ方眼の、その升目に・・・この勢いなら、升目に関わらず文字を書きなぐっていく、のでしょう。升目があるのに、マスに収まらない文字のうねり。 前半は、書いている私、を、ある程度客観的に見ている、印象の文が続きます。 丁寧に前連を受けて、次の連に引き継いでいく、若干もたつきすら感じられる速度。 それがやがて、物語そのものの中に取り込まれていく。丁寧な言葉の重ねが消えて、スピーディーに紡がれていく。 その速度感と共に(時々、方眼用紙に書いているのだ、と自ら言い聞かせるように言葉が挟まれるのに) 自分の手が、意志とは関わらずに文字を生み出している、そこからどんどん世界が立ち上がって行って、 自分ではもうどうにもならない。そんな世界に取り込まれていく、ような、切迫感や恐怖感を感じて、 創作のスリルを味合わせてくれる作品だと思いました。 ゆめオチ的に、悪夢から解放されて、日常に回帰する。読者をほっとさせるための仕掛け、なのか・・・ 「こらっ」の前であえて止めて、物語の中に読者を取り残すような中断の仕方も、面白いかもしれないと思いました。 日常に戻って来ることが、安心であると同時に、そこから逃れられないことを実感する、というアンビバレント。 母の信仰を、自分は受け入れることも、同化することもできない、かといって愛する母を悲しませることはできない・・・オイディプスの呪いといえば良いのでしょうか。私は父を殺さなければ、自由になれない、という強迫観念のような・・・。 日常、にとらわれていた、としても。日常に居る限り、「父」を殺さなければならない、という強迫からは自由でいられるのかもしれませんね。父よ、なぜ、私をお見捨てになったのですか、と言葉を発して十字架上で死を迎えた、キリストの生誕を祝う夜に、父殺しから解放されたことを確かめながら、甘いケーキをほおばる・・・しかしそれは、物語の中に埋没することは許されない、そのことを実感すること、でもある。 (方眼用紙)

2017-12-30

なるほど、スマホで読む方が増えてくれば、スマホの表示画面の横幅が標準仕様となる・・・・以前、別の方から、スマホでの表示が読みにくい、というご指摘もありました。数えたかぎりでは、12文字、これは、かなり少なめですよね。 技術的なことは、私にはわからないのですが、このあたりも改善の余地がありそうです。コメントありがとうございました。 (記述)

2017-12-29

全体に二度、ピークがある、という印象があり・・・いわば、バリエーションを重ねていく形になるのですけれども、文字として読むときには、少し長い(くどい)印象を受けたのですが、レスを拝読、リーディング向きの作品であると伺い、納得しました。 リーディングの場合、一つのピークが聴衆に余韻を残している段階で、もうひとつのピークが来る。 重ね塗りのような相乗効果が出るものと思われます。 文字の場合、目で見た印象と、脳内で再生された音声とが、それぞれの読者のペースで「余韻」を作る。 同じような内容を、文字で(視覚情報として)重ねられてしまうと、くどさ、という印象になってしまう場合がある。 リフレインやバリエーションの難しさです。 リフレインの重ね方も、同内容を重ねていくことで音声の場合は強まっていくケースが多いと思われますが、文字の場合は目が慣れて、かえって意味が薄くなっていくこともある。 この作品の場合には、言葉の一つ一つの意味が強く(絵画でいえば、色彩がはっきりしていて、モチーフがくっきりしている)動詞で切っていく強さも加わるので(絵画でいえば、マチエールの強さ・・・筆で重ねていくより、ナイフで絵の具を厚く盛り上げていくような、また、輪郭をくっきりと区切って描き出すような)最初の一山でコンパクトにまとめる方が(文字で読む場合には)心に残るかもしれないと思いました。 (求愛)

2017-12-28

この掲示板は現状縦書きなので・・・ スクロールしながら読んでいくわけですが、ながーく、つらなっている印象が否めず、詩形からワンパターンのイメージが生まれてしまうのではないか、という印象を持ちました。 やだ、からの二連目を、あえて横長に、一文字アケとか、スラッシュ(/)で区切りながら、勢いであふれ出す、ように並べてみて、読者の視線を揺らしてみる、とか・・・いいの、からの連も、ひと息に絞り出すようなイメージなので、ここもあえて横長に並べてみる、など・・・ 全体に(目線の動きを利用して)メリハリをつけてみると、また印象が変わるかもしれないと思いました。一案ですが。 (記述)

2017-12-28

〈定めのように一線は延びている〉のに、何処に向かうのか、その行方が定かではない。 見失ってしまった目標と、行く先が見えているようでいて(遮るものもない、のに)行く先がわからない、不安。 夜陰を一人で歩きながら、街灯が現れるたびに、長く伸びた影が現れ、短く、濃くなり、回転し、やがてまた闇に消えていく・・・そんなサイクルと、コツコツと響く足音がリアルに伝わって来るような臨場感がありました。 百均さんが、三つの光(光源)と一つの光(星、目標)に触れています。車の光は、行く先を知っている者が、見失っている者に無神経に放つ光、とも読み取れそうです。月は、全体を照らしてくれるけれど、自分を導いてはくれない。 〈一点の光は存在を増す/一方通行の視認だ〉道を歩く時に、一方通行は意味を持ちません。道が人生の道でもある、と感じるがゆえに、不可逆的な一方通行であることを突きつけられる。その時、目標とする光を見いだしている、というところが、この作品における大切な部分だと思いました。 全体に、情景を丁寧に描こうとするゆえだと思いますが、似たような意味の言葉が重ねられたり、言い直されたりしていて、もたついた印象が残るような気がします。何度か朗読しながら(脳内再生でもいいですが)言葉の運びや、音の響きなどにも気を配って、削る方向で推敲してみてはいかがでしょうか。 (歩く)

2017-12-28

最初の三行は、手拍子を打ちたくなるような調子の良さ。そこに変拍子で入って来るのが、バレンタインの〈チョコレートは自分で買って食べる〉〈祈りはない〉という断ち切るような潔さ。 次の連で〈便乗せよ〉から〈呪詛の味がする〉にまで到る小気味よいフレーズ。俺は、私は、絶対に扇動されんぞ、というような、断固とした意志が感じられます。 〈いたずらに口を実たすこと〉満たす、の誤記かと思ったのですが、二度繰り返される。意図を持った〈実〉の用法なのでしょう。内実は空虚、ということか。いくら「意味」や「祈り」を付加して食べたとしても、結局残るのは〈食べるという行為だけ〉。 そうした即物的な潔さの中で、〈ケーキだけは食べる〉という習慣は残しているクリスマス。 子供時代のキラキラした夢のようなクリスマス、は既に消えてしまっていて・・・その感傷に浸るのではなく、生きるなんてそんなものさ、と切り返していくような「小気味よさ」(何度も使っていますね、この言葉を・・・)があります。 最後に、単純な「蕎麦」ではなく、ちょいとオシャレな「ビストロ」で、蕎麦粉のガレットを食す。 本場ブルターニュでは、むしろ素朴な郷土料理であるはずのものが、日本ではやたらオシャレで「インスタ映え」する、お高い、モード感のある「料理」に化けている感もあるのですが(ビストロ、も、トラットリアと並んで、大衆食堂のはずなのに、なぜかオシャレなデートスポットのように扱われていますね)、そうした流行だって、俺は知らないわけじゃないんだぜ、という、ちょっと斜めに構えたようなユーモラスなオチも面白かったです。 (口実)

2017-12-28

バラード・・・語り物的な要素の強い、シャンソンのような印象でした。 リフレインが心に残ります。 リストラされて、精神的に参っている、あるいはすでに精神を病んでしまっているパートナー・・・ というような具体的なシチュエーションで読むのか。 人間どうしの関係性を、寓話的に描いた作品と読むのか。 あるいは、もっと拡大解釈して、〈あなた(かれ)〉を、日本の現政権、〈わたし〉を国民として読んでみる、という読み方も面白いかもしれないですね。 だんだん、怖さを増していく手つき。「平日」という、普通、日常、を思わせる題名との落差が、さらに怖さを増幅します。 アンニュイに歌いかけるような調子でありながら、鏡に向かって独白しているような(応答が返ってこない)虚しさ、がらんどうの部屋に声が響いているような哀しさも感じました。〈あなた〉からの返信が、型で押したように同じ音声だから、かもしれません。 〈そのときあなたが 頭をかきむしった理由は。〉俺も電車に飛び込んでしまえばよかった、それすら、俺にはできないのか・・・という、心の叫びが聞こえてくるような切ない一行。そのことに、あえて言及しないまま、じっと〈あなた〉を見ているしかない、〈わたし〉。その祈りは、血のように赤い。 便器の中に現れる金魚、私には女性が流す血の色にも見えて来るのですが・・・(妊娠を望みながら、ああ、また今月も駄目だった、という絶望に駆られたことのある女性なら、月経血を金魚のように見るかもしれない、せめて、この子だけでも釣り上げたい、と思うかもしれないな、とか・・・)こんなことは男性には思い浮かばない発想でしょうし、「解釈」でしょう・・・曲解ともいえる読み方かもしれないけれど。金魚というイメージには、そんな艶やかさと哀しさがあります。 不可能であることを知りながら(あるいは知らないで・・・信じ込んでいることを〈わたし〉は知っている、状況で)「釣り糸」を垂らさずにはいられない、焦燥感に駆られている〈あなた〉の心情。 〈つりいと〉〈たべるの〉〈おく〉など、ひらがなで置かれた言葉が、柔らかさを感じさせます。 照明を落としたシャンソンバーで、静かに耳を傾けながら聞きたい。そんな気持ちになる一作でした。 (平日)

2017-12-28

立原正秋の『名残の雪』の中に、少しいびつな白磁の壺、という表現が出て来て・・・主人公の女性を表現するメタファーなのですが、それがなんとも「ぴったり」している。そのイメージもあり・・・つぼ、は、入れるもの、であるがゆえに、女性のメタファーでもあり・・・という背景がある、ということもあって、やはり、冒頭に置くこのスタイルだと、壺は女性(見られる側)である、という印象が残りますね。 ここでいう「女性」は、あくまでも文学上の、ジェンダー的な言い方であって、実際の女性うんぬんとは、少し異なることは、言うまでもありませんが。構成に一工夫、必要かもしれません。あるいは、なんらかの伏線。 でも、壺=主人公の女性、とする方が、作品に広がりが出るかもしれませんね。 (花瓶)

2017-12-26

雑談的になりますが・・・ 卒業論文で、チマブーエという画家の磔刑図をテーマに選び、どうしてもその作品を見たくて、大学三年生の時にイタリアに行きました。フィレンツェの目抜き通りを歩いている時、まるで「代官山」を歩いているみたいだ(実際は逆で、日本が真似している、のですが)と思い、ぜんぜん新鮮さを感じなかったのですが・・・フィレンツェからバスでシエナやアレッツォなど、周辺都市へ出かけ、帰って来る時・・・そして、夕方の色の濃い翳に浸された石壁の間から、ドゥオーモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ、花の大聖堂)を見かけるたびに・・・ちょうど夕陽が当たって、オレンジ色の屋根が輝いているのを見るたびに、不思議と「帰って来た」という感覚になりました。ショーウィンドウなどに邪魔されずに、建造当時の聖堂を見上げる感覚を体感できる一瞬でした。都市には、そういう時間がある、と思うのです。タイムワープできるような、一瞬が。 アレッツォは、いわゆる観光都市とは異なって、伝統をふまえた地方都市の味わいが残る、素敵な町でした。チマブーエの描いた磔刑図が、実際に聖堂の中に安置されている町でもあります。その磔刑図と対面したのは、背後から西日が射す瞬間で・・・黒い十字架のシルエットが光の中に刻み込まれて、耀いていました。信徒ではない私も神々しさに打たれたのでした。 それまでの、屈託なく十字架上で死に打ち勝った歓びの笑みを浮かべている、どんぐりまなこの、ユーモラスで快活なキリスト像から、人としての痛みや哀しみ、苦悩を抑制された、なおかつ優美な形態の中に描き出す作品に変容させたチマブーエ・・・ヨハネ黙示録の、激しく世界が崩壊していく様を、俯瞰的な視点と主観的な視点を同時に用いるという手法でドラマティックに壁画に描いた画家。ビザンティン美術の洗練された古典美の影響を取り込みつつ、「人」としての質感を描き出しつつ、同時に聖なるもの、としての崇高さ、高貴さ、優美さも描き出した画家が、700年、800年前に歩いた場所を、私も歩いてみたかった、のでした。 ルンバ・カタラーナ、ユーチューブの録音や、北さんの練習録音を視聴しただけなのですが、無性に胸を揺さぶる音楽ですね。いつか、生演奏で聴いてみたいです。 (埃立つ)

2017-12-26

ありがとうございます。ご興味、あります(笑) ということは、偶然の一致とか、あるいは、漠然としたイメージからの「使用」ではなく、ガウディと並び評される建築家にちなむ・・・ムンタネール、ですね。 もし、実際にご旅行などされていましたら、そのときのことなども含めて、教えていただけると嬉しいです。 (埃立つ)

2017-12-26

竹馬の友、ではなく、干し柿の友。ふむ・・・ 新鮮な言葉なのに、なぜか懐かしいのは、あの朱赤の色が黒ずんでくる時間感覚、軒先に吊るされた景の懐かしさのゆえかもしれません。 〈善人ならばそれを弾よけにしてもよい〉弾よけ、とは、また不穏な・・・。善人ならば、と前置きがあるところがまた。罪なき者が、石を投げよ、という一節を思い出しました。弾よけ、ならぬ、石よけ。 糸杉、ここで急にヨーロッパにイメージが飛ぶのですが・・・ゴッホの糸杉のイメージが重なりました。なぜでしょう。死のイメージが、全体を支配しているから、でしょうか。(そもそも、題名のドライフラワーからして。) 〈烏賊は地中海を渡り砂漠を越えてやって来た〉国際的、というよりも、モロッコ産のタコのたこ焼きとか、オマーン産のインゲンといったスーパーマーケットの品ぞろえを連想。ドライフラワー、干し柿の流れで、スルメイカ(あたりめ)を思いました。炙っていただく、酒のつまみ。 最後の二行の鮮烈。語り手は、仏壇(二か月も前の仏花が、既にドライフラワーのようになっている、かなり荒んだイメージの仏壇)の前で、ひとり、酒を酌み交わしている。スルメを炙って、齧りながら・・・そんな景を思いました。 冒頭の「友」と、ツリーのイメージが取り残されたままになっていて・・・友のことを思いながら、ツリー(にみたてた、なにか)に、ひとりのクリスマスの飾りを飾っている、そんな光景でしょうか・・・。でこぼこの固い図面、これは、なんだろう・・・それが、ひらひら、揺れているイメージ。 (ドライフラワー)

2017-12-25

命ある木が、突然に命を絶たれ、運ばれ、がんじがらめに(色とりどりの針金で)縛り上げられ・・・ そこに、月が輝く一瞬。木は、クリスマスツリーとしての役割を果たす。 その美しい景が、樹木による贖罪、人々の罪の贖いでもあるように思われました。 役割を果たした木は、再び乱暴に転がされながら、針金を引き剥がされ、放置される・・・ 木が大切にされる、のではなく。木の周りに巻かれた針金が光を反射する、その芯としての用件を果たしている間だけ、人に重宝され、また打ち捨てられていく。 クリスマスツリーのイメージと、フィラデルフィアシリーズ(あの、不思議な事件)の融合。 暗闇と光、音と映像が印象に残りました。 (フィラデルフィアの夜に Ⅳ)

2017-12-25

とても面白かったです。 でも、レイアウトが、ぎっちり詰まっていて、読みにくい、というか・・・。 埃立つ、と言う題名から、いきなり「祈り」が飛び出して、なおかつ、祈りが体にぶら下がっている、という痛みと重みと、どこか情けなさを秘めた感じが、一気に流れ出す。 ムンタネール、どこか外国なのかもしれないけれど、イーハトーブのような、童話的な響きも感じました。 そこから〈五本の鉤爪がつけた血糊の跡〉〈魔女裁判の炎〉〈恋に愛に国に引き裂かれぬよう〉と弾んで行って、中世を舞台にした童話の世界に紛れ込んだような感覚があり・・・そこから急に〈誰かが焼いているケーキとシナモンの香りが燈る道端で、蝋燭の火が揺れている。〉と、今の時空に戻って来る、感覚、体感。 〈俺の瞳の中の火事なのか、悲しみをくれないか。〉韻を踏みながら先へ先へと進みながら、自らにナイフを突き立てる(突き立てたい)現在と、〈麗しい日々、森のように裕福な時〉が対比され・・・どの時空なのか、と思ったところで、母の胎内にたどりつく。 〈指先に炎をおこし、誰の心の中で歌おうか、〉指先に込める情熱の炎が、実際に光り、きらめているように見える。 唄となって、言葉となって俺から離れていく歌詞。〈俺の心の叫び、舞い散る言葉の文字列は、街路樹の周りで、愛しいお前の、周りを行ったり来たりした。〉お前の周りを、風に舞う落葉のように、くるくる舞う、歌詞。 〈押し戻された木枯らしの影〉木枯らしにも、影がある。実体がある、感覚も面白い。 海に出て木枯帰るところなし。 唄だけが、愛する〈お前〉の周りを舞飛んでいる。ギタリストの指先には、火が燃えていて・・・。 (埃立つ)

2017-12-25

ろうそくがゆれて 影がのびて 扉の影から 笑い声だけが こそ     こそ  こ       そ   こ     そ            ネズミの王様              鉛の兵隊                こんぺいとう              *       きら     き             ⁂           ら         きら          *   きら        *          ら        ら           ら             ら あなたに         あいたい      それなのに ほのおだけが         ゆれて       (ホーリー)

2017-12-25

〈幾つものいのちが死んで終わる〉 〈いのち全体が過呼吸〉 〈今年もまた 死にきれなかった〉 刻んでいくひとことひとことが、とても印象に残りました。 生きているかのごとく(生きるばかりに)光る月・・・物質としては「死んで」いるはずなのに。 ずっと、私なんかより、生きているじゃないか・・・その冷たくあたたかく浸みて来る月の光。 無きながら食べるクリスマスケーキ。 なぜか、生きていることの「罪深さ」を抱えて、今年もまた生き延びてしまった、ことを歌っている語り手。 生き延びてしまったことを、言祝いでほしい。そんなクリスマスでありますように・・・ (ケーキと福音)

2017-12-25

最初の四行が、イイ立ち上がりだな、と思い・・・「てめえ」というよびかけが、果たしてふさわしいかどうか、しばし考えてしまいました。 あえてべらんめえ口調を使ってみた、という風情が出て(大袈裟になるというのか、デフォルメされるというのか) 夕陽の中で髑髏に釘を打つ、という凄まじいような美の景が、後退してしまうような気がしました。 もちろん、「まじめ」に、景を描いていくことが良いかどうか、は、異論があるにしても。 お前、僕、てめえ、の混交が、どうもうまく馴染んでいない。お前、僕、あるいは お前と俺、君と僕、に絞った方がよかったかもしれない。「てめえ」を使い慣れていない印象が残ります。 (泡)

2017-12-25

冒頭は、重みを押し付けていくような四拍子。 続く行は、軽くはないけれど、三拍子。ラ行の~で四拍子に戻り、 〈拡張する 〉でポーンと休止をとり、〈空間の渦〉は二拍子に戻る・・・ 変拍子の具合にカタカナの軽やかさ、漢語の重さが絡んで、言葉による音楽空間を作りだしていると思いました。 (光速螺旋)

2017-12-25

幸福幸福幸福・・・こうふくこうふくこうふく・・・繰り返すうちに現れるのは、降伏、降服、なのか・・・ 最近では、口福、なんて造語もありますね。 書き続ける「こうふく」は、果たして幸福、なのか、降服、なのか・・・ 〈油が溜まった出前皿の山積み、使い済みの歯ブラシをリボンで連ねた意味不明な物などが散乱する幹線道路の上に虹色のアーチな歩道橋があり〉 私たちが歩く世界。夢の懸け橋が、都市の上にかかり・・・ 打ち捨てられた子供、それは私たちであるのかもしれない。神々に打ち捨てられた子供、として。 〈僕でしかない範囲の青〉その青に吸い込まれていく「幸福/降服」。 (誰もが幸福してる)

2017-12-24

アステリスク、題名のように置かれると、不思議に一番星に見えてきます。 その後にひびく「かりがね」の音と、雁がブイ字型になって空を渡っていくイメージ。 西の空は茜色に燃えていて 東の空は藍色に沈んで、ようやく一つの星が、光始める。 最初のひとつ、が現れ、その後、無数の光が暗闇に点滅を始める、 そんな宇宙の中に、私たちが住んでいる、ということ・・・ 無彩色という色彩を、モノトーンの微妙な差異の中に、 無限の色彩の諧調を見いだす、ということ。 むこうの島、を、べックリーンの「死の島」を引き寄せながら、読み重ねていました。 いつの、まにか・・・。 ウシツツキ・・・を鳥のイメージとして捉えるなら、 古代の犀(誇大の差異と、音が同じ、なのだなぁ、などと思いつつ)の背に乗っていたウシツツキを連想、するわけですが・・・ うつししき、と、空目したのです。 現識と書いたとしても・・・それは、現世(うつしよ)のうつし、ではなく、ゲンシキ、と読むのでしょうけれど。 それでも、夢の中をスライドしていくような本作を拝読しながら、ウシツツキがいつのまにか現識などと、読みたがえてしまう。その惑いを、楽しんでいる感覚がありました。 落葉の浮いたプールのわびしさ、言の葉のイメージ、蜂の巣、蝶・・・蝶の卵巣とあるけれども、私はなぜか、カマキリの卵巣(泡立ったまま固形化して、風に吹かれている、乾いたゆりかご)を連想しました・・・ 馬の首(なんとなく一角獣の白い首筋を思いつつ)紙の吐息(紙吹雪きの舞う人工空間と、神の吐息、のイメージを重ねつつ)ひかる茸、のイメージ・・・そして、果樹園。 豊かさの、そして淋しさの(死を種子として熟れていく果樹の)木立の中で、紙吹雪のように落ちていく葉を眺めながら、私たちは何を聴くのでしょうね・・・。 (*)

2017-12-24

>私は、どうしてよいのかわからなくて >もし振り返れば、ちいさな腕を伸ばすちびの、悲痛な顔を見てしまいそうな気がして そこに、人間の誰もが持つ、弱さやためらい、どうせ・・・しても、仕方がない、というような諦めといった心情のようなものが、現れているように思いました。語り手は、すぐに思い直して拾いに戻る。 >駆け戻ったんだけど >すでにパンはなかったんだ 黄色くて丸い、大きなパン・・・その子にとっては、お月様のような、パン。きっと、その子の心をいっぱいにしてくれる、それだけでもう、しあわせ、にしてくれる、そんなパン・・・語り手は、その子の笑顔を見て、その子の胸を満たしている満足感に想いを馳せたのでしょう。だからこそ、今の自分の満たされない心情が逆照射される。 >思えばものすごく沢山のことがダメだった >いろんなことを、やろうとしたのに いささか、唐突な感じで出て来るこのフレーズも、その子の胸いっぱいの幸せに照らされたがゆえの空虚感があって・・・それゆえに出て来たフレーズなのだろう、と思いました。 語り口が、~した、ではなく、~したんだ、と語りかけるような調子であるがゆえに、若干、ぜんたいに弛緩した感じが出ていると思うのですが・・・作者が、全体にまったりした感覚、ゆるい流れの中に、ああ、俺は謝りたかったんだ、というオチに結びつけるような流れを作りたかった、のであれば、この語り口がふさわしいのかな、と思いました。 (黄色くて丸いパン)

2017-12-24

頭韻によって引き出された響きや、体言止めで作るリズム、動詞を畳みかけていくリズムなど、リーディングを意識した作品でもあるように感じました。 濃度を増していくような水蒸気がまとわりついてくる感じ。何かのメタファーなのかとも思うのですが、それほど強い寓意や批評性は感じられない。そのままの体感を書いただけ、と言うスタイル。 でも、何かが起きそう、どんどん不快感が立ち込めて来る、充満してきている、でも、誰も反応しない、何かが起きそうなのに、何も起きない(今のところ)という切迫感を持った不穏さ、後ろに山が迫っている、という圧迫感のようなもの。 なにかが迫ってきている、と言う予感、のようなもの。 石垣りんの「雪崩のとき」に通じるものを感じました。 「挨拶」の最後、〈やすらかに 美しく 油断していた〉のような、バシッと決める一言が、最後にあるとかっこいいなあ、と思ったりもします。 (市営のシエスタ)

2017-12-24

ふじりゅうさんも書いておられるけれど、雪と、ねじ・・・ビックリしますが、なんとも納得してしまう。 雪を下から見上げていると、灰色の無数の影の欠片のように見えますよね。太陽の日差しを遮って落ちてくるから、なのでしょうけれど・・・ネジがこぼれて、抜けて降ってくる、という捉え方の中に、なにかが壊れて、静かに崩壊が進んでいく。そんな季節の捉え方が隠れているように思いました。「死の世界から吐き出された 夢の逆再生なのか」というイメージが生まれるのも、そのせいなのかもしれません。そして、そこから新たにうまれるものがある。それが、再生、再開、そして、再会、なのだと思いました。 (再開)

2017-12-23

いっぱいレスがついているので、遠慮しようかと思ったのですが・・・ 全体にユーモアのきいた、柔らかい語りになっているところが、好感度大だと思いました。 作者のレスのなかで、とんでもない高橋「先生」が居て・・・そういえば、私が唯一キライだった先生(小学2年の時の外山先生)も、教卓に腰かけてタバコ吸いながら授業したり、俺のクラスではトランプやってもいいぞとか、勝手気まま、気に入らないことがあると、連帯責任、と言って、その班全員を怒り、たたせてギロチン(耳の上あたりの髪の毛を左右に引っ張る)ムチャクチャな先生だったことをおもいだしました。 読書感想文で学校の代表に選出されることになったのですが、お前の文章は子供らしくない、と、わざわざ書き直させられ、しかも清書は、お前は字が下手だから、と、字のうまい子にやらせて、それを私は脇に立って見ていました。 おかしいと抗議したら、お前が授業をしろと教壇に立たせられて、気に入らないやつを指名して怒れ、と言われ・・・よそ見していた子を指名したら、田中(旧姓)は、お前のことがキライなんだってよ、といい放つ。今でも許せない(笑) それでも、その先生が保護者や先生方に支持されていた(らしい)のは、不良グループをうまく取り込んで、更正させたから、らしい。 すみません、脱線しまくりですね。 高橋先生は、自分の出世のため、成績向上のためなら、他者をどんどん蹴落とせ、と「指導」する、生徒の成績向上を自らの手柄としてのしあがろうとするような、人格教育を無視した先生、であるようなきがしました。 そして、大人になってその事に気づいた語り手が、皮肉をこめて、風刺的に、本当の人間らしさとは、どのようなものですか?と、問いかけているように感じました。高橋先生宛になって入るけれど・・・読者にも向けられている問でもあり、語り手自身が自らに問いかけているようにも読めますね。 (高橋先生)

2017-12-23

テスト。「ツイッター投稿有効」で、コメントを入れてみます。 大賞作品、「投票」に迷っておられる方、まだの方は、ぜひ。 (大賞作投票ボックスのお知らせ)

2017-12-23

ツイッター連携がうまくいかず、再登録しました・・・ とりま、あげます。皆さん、ぜひご投票を。 (大賞作投票ボックスのお知らせ)

2017-12-23

俳句、とは何か、と言い出すときりがないのかもしれませんが・・・いわゆる きれ があるかどうか、という部分で、俳句と一行詩は別れるような気がします。その意味では、今回の連作は、俳句の韻律を用いた一行詩の連作であると思いました。 寒月が蛇の卵、に「見えた」のではなく、その「艶やかさ」で光っていた、という捉え方、とても素敵だと思う一方で・・・形容動詞を名詞化して用いているわけですが、それゆえに形容性が強くなる。 寒月が、産みたての蛇の卵のようにつやつやと輝いている、という景なのか、今にも蛇が生まれてきそうな不気味さ、不穏さを秘めた月光なのか・・・ そこも自由に想像してください、という作品であるのかもしれません。 坂下の墓地、刺青と、ひなびた温泉宿、夜飛ぶ鳥の声・・・鵺(ぬえ)が、雪もまだ被らない安達太良山の眠りを破るが如く、闇を切り裂いていく・・・ 自由律のリズムを試してみるだけではなく、おくの細道のように地の文と俳句を組み合わせるとか、自由詩の中に俳句を埋め込むというような手法も良いかもしれないと思いました。 (寒月とその他)

2017-12-22