自分勝手なロマンチスト - B-REVIEW
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パパの日曜日

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羽田恭

誰かがドアをノックしたから

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カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

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きょこち(久遠恭子)

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きょこち(久遠恭子)

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自分勝手なロマンチスト    

本棚に挟まったまま1時間くらいは経過した気がするけれども僕はまだ何となく落ち着かなくて本棚の側面と天板の角度の90度を何度も何度も確認してからほっと息をついて、それでもとても憂鬱な気分で本棚から抜け出せないまま、ああなんてちょうどいいサイズなんだ、この本棚を選んで正解だったとつくづく。 奥行きが前後に分かれていて、前の部分は幅が全体の半分。おまけにスライド式になっている。その残りの部分に僕はぴったり挟まってクヨクヨするのが好きだ。そして、今聴いているこの悲しい悲しい曲をあの人にも聴いてほしい。僕はこんなに可愛そうなんだってあの人の前で見せびらかして、少し背伸びするようにしてあの顔を覗き込めば、そうしたら彼女はいつもみたいにぽんって僕の頭を軽く叩いてからニッて唇で笑顔を作って、それから僕の事を叱ってくれるだろうか。 彼女が添削してくれた僕の英文はあちこち冠詞が抜けていて彼女はピンクのペンで「a」とか「the」とか。文書を大幅に直すでもなく、まして内容に触れることなどあるわけもなく、ただ読みましたよっていう事実だけを知らせるためだけに添削して返されたようなその紙はどうしてだかとてもいい匂いがして、ああそうだ、これは彼女と同じ匂いだって紙を鼻にくっつけながらやっぱり僕は本棚に挟まって今度は底板の冷たさを足の裏一杯に感じながら少し背伸びして天板を撫でた。 ・ 本棚。彼女の家の本棚はなぜか僕の本棚と同じようにスライド式の本棚で、それは本当にただの偶然で都会のアパートはどこも狭いから、だからなんだけど、なんだかとても嬉しくなって綺麗に並んだ沢山の本の背表紙に掌を当てて彼女が読んできたその凹凸をそっと確かめた。 さっきから水色の表紙をしたヘルマン・ヘッセの文庫を手に取ってパラパラとページをめくっているけど、本当は英語で会社の上司と長電話している彼女の仕草から、彼女が触れている僕の知らない世界の輪郭をどうにかして捉えたくて視界の端がとてもうずうずしている。 「ヘッセはね、自分勝手なロマンチストだから君と一緒。だから君は読まない方がいいかも。」あの人はさっきそんなふうにいいながら、彼女の本棚に並んだ彼の作品の中から「春の嵐」を取り出して手渡した。それから「まあでも好きにいろいろ見ていいよ」なんていいながら少し離れたところに行って電話をかけ始めたんだった。僕が自分勝手なロマンチストになってしまったのは、ああそうだこの匂いのせいだ、文庫本を鼻に近づけた。 ・ 「春の嵐」を四苦八苦しながら読んで夜更かししたせいだろうか、すごい頭痛がしてポカリスエットを飲みながら寝返りを打った。多分ここ2日くらいこんな調子で寝込んでいて、そういえばさっきチャイムが鳴った気がして玄関を開けたら果物が沢山入ったスーパーのビニール袋がドアノブにぶら下がって静かに揺れていた。そこには誰もいなくて、でも袋の中は僕の好きな果物とか見たこともない果物とか、なんだか匂いを嗅いだら色々な果物の匂いが混ざった野生の匂いがして、思わずくらっとした。 「沢山食べてはやく元気になれ」ってあの人から短いメールが入っていて、なんて残酷な人なんだって思ったけど、でもやっぱりとても嬉しくて「ありがとうございます」としか返信できないことに僕はとても苦しい気持ちになって、そして仰向けになってほら、またベッドの上。小舟に載せられながら海に送られる映画のなかのジョニー・デップになったつもりで遠くから聞こえる電車のコトンコトンが海の波のリズムに少し似ているな、なんて世界で一番のセンチメンタルに浸ってから、僕が知ってる世界で一番悲しい音楽、いつも聴いてるあの悲しい悲しいやつを大音量でかけて、やっぱり彼女にこの音楽を聴かせてやりたいなって思った。 そういえば、もらった果物は結局全部は食べきれなくて半分は腐らせてしまった。だって、あまりに量が多かったもんだから。


自分勝手なロマンチスト ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 46
P V 数 : 984.2
お気に入り数: 0
投票数   : 0
ポイント数 : 0

作成日時 2018-03-07
コメント日時 2018-04-06
項目全期間(2024/04/21現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
可読性00
エンタメ00
技巧00
音韻00
構成00
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閲覧指数:984.2
2024/04/21 00時24分10秒現在
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    作品に書かれた推薦文

自分勝手なロマンチスト コメントセクション

コメント数(46)
kaz.
(2018-03-08)

このタイトルならもっと違う内容になると僕は思う。タイトルは作品の鏡なので、別にどんなタイトルでもいいけど私はこの作品にこのタイトルはちょっと合わない、というかタイトルで少し損をしているかな、という気がするのですな。ここは、センスの問題。このタイトルは、なんというか以前流行ったドラマ、例えば『あなたのことはそれほど』とか、『君が心に棲みついた』とか、そういうテイストに近いのかもしれない。あなたがそれを狙っているとしたらそれはいいけど、私はあんまり好みじゃないの。

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るるりら
(2018-03-08)

こんにちは  ヘッセは 思春期に ほぼ全部読みました。熱病にとりつかれたみたいに 読んだ覚えがあるのですが ひとつひとつの作品内容を忘れてしまっています。こんなにスイートだったのだろうか。と、読み直したくなりました。この作品は 私にとっては、なんとも眩しい作品です。 ただ わたしも 題名が好きではありませんでした。 彼女の言葉から ひっぱるのではなく、話者の心が ちらと見えるような題名のほうが、効果的だったのではないでしょうか? たとえば、「僕が知ってる世界で一番悲しい音楽 」とかだったら わたしの場合は、さらに きゅんと きます。

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三浦果実
(2018-03-08)

ヘッセは「知と愛」が大好きで、自虐的な話でもあって、それって言いかた代えると「自分勝手なロマンチスト」だと思う。なるほどと思いました。しかしなあ、これはなんというか、三浦くんは自己愛パワーをロマンチストとはぐらかしながら生息してるんで、本作は自分が重なる箇所がいくつかあって。survofさんのこれは実はじゃないと思うんだけど、三浦くんはこれに近い感じがあってちょい恥ずかしいわ。というか、これで書かれてる心象がsurvofさんの実像に近いのであれば、やっぱりって言いたい (^ ^) 果物の臭いの使い方は上手いと思った。

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survof
(2018-03-08)

kazさん コメントありがとうございます!タイトルといえば、夏目漱石が「彼岸過迄」のタイトルについて「『彼岸過迄』というのは元日から始めて、彼岸過まで書くつもりだから単にそう名付けたまでに過ぎない実は空しい標題である。」と書いたのは有名な話ですが、夏目漱石のこのタイトルは個人的にはセンス抜群で大好きです。

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survof
(2018-03-08)

るるりらさん ヘッセ、自分は新潮文庫のあの水色の表紙がなんともかっこよく、何冊か読みました。「郷愁」「春の嵐」「ダミアン」の3冊だけだったと思います。独特の中毒性がありますよね!読み始めた経緯はこの作品に書いた通りですが、自分もるるりらさんと同じく内容はほとんど覚えていません。ただ、「春の嵐」のなかの一文が正確には思い出せないのですが、非常に印象に残っており、当時の自分が激しく共感した記憶があります。コメントありがとうございました!

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survof
(2018-03-08)

三浦さん 鋭い嗅覚ですね。。汗

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こうだたけみ
(2018-03-21)

わーこれいいなーって思いました。 タイトル、kaz.さんとるるりらさんには評判がよくないみたいですが(笑)、私はいいと思いますよ。彼女の言葉が、タイトルにしたいくらい心に残ってたんだなって思うから。 それにしても、本棚に挟まるっていうのがいいですね。冷静になって客観的に見たら、うわ、俺なにやってんだろって思うだろうに、たぶん、たびたびやってるんだろうなっていう感じが、ちょっと笑ってしまうくらい、とてもいいです。 それから、最後の〈そういえば、〜〉という連があるのとないのとではぜんぜん違いますね。これがないと、なんか恥ずかし〜ってなったまま終わってしまうので。 うん、とてもよかったです。三月の投稿作をアーカイブで上から読んでいるのですが、いいもの読んだ!って思えました。

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survof
(2018-03-21)

こうだたけみさん ありがとうございます!うれしいです。タイトルは実はこれ以外考えられないくらい自分のなかではこのタイトルであることが大事で、自分で解説してしまうのもあれなんですが、「自分勝手なロマンチスト」は「僕」のことでもあるし「ヘッセ」のことでもあるし「彼女」のことでもあるんです。彼女側視点から読んでみてもらえると納得していただけるんじゃないかな、、と思います。 本棚に挟まるっていうのは実は自分の過去の実体験から拾ってます、笑。かなり頻繁にやってた気がします。。最後は結構苦労して、全体的なスイートな感じをなんとかベタベタすぎない感じのところで着地させたくて、結局この形に落ち着いたんですが、「僕」の心情をぎゅっと凝縮できた最後にできたので自分でもお気に入りです。

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さしみ
(2018-03-21)

ロマンチックですごく惹かれました。感性が鋭い人が恋をするとき特有の拗らせ感(褒めています)が伝わって来ました。悲しい音楽を流して陶酔する、私もしそうです。私もタイトルはその拗らせ感がある今のままが好きです。

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survof
(2018-03-21)

さしみさん 「感性が鋭い人が恋をするとき特有の拗らせ感」という感想とても嬉しいです!かなり重度に拗じらせている話を書いたつもりだったので伝わってよかったです。コメントありがとうございました!

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survof
(2018-03-22)

花緒さん ご指摘の通りで、おそらくこれで短編の小説が一個書けると思いますし、もし時間があれば是非書きたいな、と思っている内容で、試し書きの要素も結構強いかと思います。「僕の顔」のようにこの分量で完結しているというよりも、この分量でとりあえず書いたという部分もあり、作品の完成度の低さは自分自身認めざるをえないところです。ただ、ひとつ確実にいえるのは書いていてとても楽しかったということと、この分量に抑えるため本来であれば直接表現するであろう事柄や感情を登場するいろいろなものに隠したということです。心情をそのまま吐き出すようでいて、実はかなり丁寧に感情を文章に隠す作業をしました。それが読み手に伝わるほどうまくできたかどうかは別として、自分のなかのとても大切な感情は全部見えないところに隠す、というその作業が何より一番楽しかったです。

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こうだたけみ
(2018-03-25)

本棚に挟まるの、やっぱり実体験ですか! 笑。いいですねー。私がやってた、他人から見ると奇行っぽいことってなんだろう。小学生の頃、そのへんの木に心の中で話しかけてたことかしら。笑。公園の隅に一本だけ生えてる柳の木とか気になって仕方なかったな。はっ! 木だけに? 親父ギャグ! 〈自分勝手なロマンチスト〉が彼女のことも指す、というのは、読み返してみたけれどあんまりわからなかったです。もっと彼女についての描写があればわかるのかもしれないけれど、この作品に書かれているのはほとんど僕のことだけなので。 ところで、花緒さんのコメントを読んだら、「自分勝手なロマンチスト」より「僕の顔」のほうがいいというようなことが書いてあって、私とは真逆の評価で笑ってしまいました。そこで、ちょっと長くなりますが、両作に対する私の評価を書かせてもらいますね。 私、じつは「僕の顔」はあまり好きではなくて票も入れなかったのだけど(ごめんなさいね)、同作は、作者と感情の距離が近すぎるのと、ありきたりな大きな物語(この場合は思春期特有の事象)に回収されたがっている感じがどうも苦手でした。それでsurvofさんにしつこくコメントを書いたのだけど、survofさんが私への返信で〈私の思春期にはそんなゆとりなどまったくありませんでしたね。。〉と書かれた時に、あ、やっぱりこれは苦手だなって確信したんです。文体は、とてもとても好きなのだけれど。 私は、大概の人が共感できるであろう既存の大きな物語をなぞったものではなくて、作者の生を通して借り物でない言葉で書かれた、小さくても作者自身の物語のある作品を読みたいと思っていて、「僕の顔」は、思春期特有の事象=大きな物語に回収されるという点において、その基準からは外れる作品でした。 対して「自分勝手なロマンチスト」は、一見、恋愛というありきたりな大きな物語を書いているように見えますが、恋愛模様や恋愛感情を書いているというよりは、〈彼女〉と〈僕〉という独立した人間同士の固有の関係性や、僕の人間性に焦点を当てて書こうとしているところがよいと思いました。最後の連で、読者の意識を果物のほうへ外してみせたところも高評価です。〈彼女と僕の恋愛〉という大きな物語を書ききるには短すぎるでしょうが、〈彼女と僕の、この時の関係〉を切り取って提示したというふうに見ると、彼女の言葉から引いてきた〈自分勝手なロマンチスト〉というタイトルが効いてくると思います。 さてさて、私はこんなふうに読みましたがいかがでしょうか。花緒さん、出張から戻ってきたら、何かご意見くれないかしら? survofさん、コメント欄を長々と占拠してしまい、失礼いたしました。

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survof
(2018-03-25)

こうだたけみさん 再レスありがとうございます! 実体験という意味では両作ともほぼ自分の実話なんですよ、実は...(細部の脚色はもちろんありますが大筋において)。ですので「作者の生を通して借り物でない言葉で書かれた、小さくても作者自身の物語のある作品」という意味では紛れ間もなく両者とも私自身の物語であり、借り物でもなんでもない等身大の自分の人生の記憶の断片にすぎません。それを「借り物」と感じられたのであれば、私の当時の人生や感受性が、まさしく「借り物」にすぎなかったということであり、特に「僕の顔」においてはそうした自分の感受性の寄る辺なさ、あるいは自分の人生自体にリアリティーを感じられない頼りなさや心許なさを含めて作品に込めたつもりです。ですので、ある読者の方が、文体における主体の曖昧さや時系列の曖昧さについて触れてくださったときには非常に嬉しく思いましたし、花緒さんが推薦してくださったときにこうした作者の主体性の曖昧さ的なものに触れてくださっていたことがなにより嬉しく思いました。「僕の顔」においてなにより大事なのはあの文体であり、曖昧さでした。そのために最初に書いたときにははっきりとしていたいくつかの言葉をあえて曖昧にする作業をかなり丁寧に行いました。どちらにしてもずっと鏡を覗き込んでいるような「キモさ」のある作品であることは認めざるをえないです、笑。 こちらの「自分勝手なロマンチスト」はもう少し物語性に重点をおいて書きました。ですので「僕の顔」に比べると、読みやすさや物語としてのわかりやすさ、といったものを意識して書いたような気がしますし、視点としても前作に比べるとずっと引いた視点で書いています。もちろんこちらの私としてはいろいろ捻りをいれてあるのですが、捻り方が「僕の顔」とは全然方向性が違います。その捻りがなくても読めるように心を配ったつもりなので、こうださんなりにいろいろと読んでいただけてとても嬉しいです。 どちらにしても自分のことしか書いてないのは間違いないです、笑。 花緒さんのさらなる意見も聞いてみたいところですね。いずれにしてもコメントありがとうございました!

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survof
(2018-03-25)

こうだたけみさんへ 追記: 花緒さんとしては、その「捻り」の部分がこの作品においてはよくわからないから評価しずらい、、ということなのではないかと思います。確かに自分でもその部分がうまく昨日仕切れていないかな、、という反省点があります。

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こうだたけみ
(2018-03-25)

survofさんへ 返信ありがとうございます。 実体験に基づく作品だということはちゃんとわかってますよ〜(^_^) 私は、〈大概の人が共感できるであろう既存の大きな物語をなぞったものではなくて〉、なおかつ、〈作者の生を通して借り物でない言葉で書かれた、小さくても作者自身の物語のある作品〉を読みたいんですね。ちょっと書き方がよくなかったみたいです。 たしかに「僕の顔」は〈作者の生を通して借り物でない言葉で書かれた、小さくても作者自身の物語のある作品〉ではあるけれど、思春期特有の事象という大きな物語に回収されてしまう、つまり、〈大概の人が共感できるであろう既存の大きな物語をなぞったもの〉に見えてしまう点で、あまり評価はできないなと個人的に思ってるのです。 対して「自分勝手なロマンチスト」は、〈大概の人が共感できるであろう既存の大きな物語をなぞったものではなくて〉、なおかつ、〈作者の生を通して借り物でない言葉で書かれた、小さくても作者自身の物語のある作品〉だと思えたので、いいなと思ったのです。 うーん、伝わるかしら。 私、そもそも話すのが苦手なので、伝わるか自信がなくなってきた。

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survof
(2018-03-25)

こうだたけみさん 〈作者の生を通して借り物でない言葉で書かれた、小さくても作者自身の物語のある作品〉の部分で大きな価値観の行き違いがあるように感じます。おそらく伝わる、伝わらない以前私とこうださんの間にある感受性の大きな違い、あるいは何を作品に求めるかが大きく違う部分があるのではないかと思います。ですので、こちらもこれから書くことが伝わる自信がないのですが、わかるやつだけわかればいい、、というのもアレだと思うのであえて書くとすれば、作者自身の物語であるかどうか、もっといえば作者自身の人間としての存在は「僕の顔」においてまったく重要ではないんです。いぜん「遠く、朝は」という詩を書いたときにある方から作者の「実存」がまったく見えないというご指摘を受けましたが、それもそのはずで作品が逆の方向を向いているからです。あの作品においても「僕の顔」においても主語は作者でも話者でもなく、「感覚」であり書かれた「ことば」であり「文体」であり、決して人間の「実存」的な何かではないです。その意味で今回の作品ではより「話者」が主語になっているという意味で根本的に性質の違う作品だと思っています。意味不明だったらすみません。。

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こうだたけみ
(2018-03-25)

survofさんへ おお、やっぱり伝わっていないですね。 どう説明したらいいかしら。実存が見えるかどうか? うーん、そんな話をしているつもりはないのだけれど。 私の二作品の評価の分かれ目は、大きな物語に頼っているかどうか、です。 「思春期ってこういう悩み持ったりするよね、わかる!」という読者の共感が得られるのを少しだけ想定して書かれているように感じた「僕の顔」よりも、「これはないわー」と全否定される可能性もあるのに投稿された「自分勝手なロマンチスト」のほうが、潔くて好きだ、ということです。 極端な例を挙げます。たとえば、十代の若い人に流行る恋愛の歌とか、年齢を問わず流行る応援歌とか、多くの人が共感する歌の歌詞って、大道を外れない表現がされています。大道があるということは、すでに誰かが書いて道をつくっているということです。そういう、すでにある大きな物語に頼っている歌詞は、どんなに流行ったとしても、その作詞家でなくても書けるよなあと、私は思ってしまうのです。 もちろん、survofさんの作品はこんな極端なものではないですよ。これはあくまでも例です。 連続で読んだから二作品を比べたのだけれど、よりsurvofさんが書くからいい、と私が思えたのは、「自分勝手なロマンチスト」のほうです。 どうだろう、実存?の話じゃないですよね? これで伝わらなければ諦めます。

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survof
(2018-03-25)

こうだたけみさん すみません。おっしゃることの意味はなんとなくわかりますが、私がいいたいのはまったく別のことです。「評価」というのは作者と読み手の間に「作品」の「意図」に関して一定の共有があってこそ成り立つものと考えますが、こうださんのコメントをお読みする限り「僕の顔」に関しては作品の意図に関して十分な共有ができていないな、と感じます。その上で下される「評価」というのは、こうださんの考える「こうあるべき」にどれだけ近いかという価値基準の押し付けにならないでしょうか?私はおそらくこうださんが考えているのとは全く別のことを考えて(つまり別の意図をもって)作品を書きました。ですので、私は作品の意図をお伝えしたわけですが、それに対してあくまでこうださんの評価基準を提示されていらっしゃる。これではいつまでたっても平行線です。私の作品の意図がうまく伝わらないのは私の表現力が乏しいからです。なので、その作品の「意図」に対して「評価」が与えられるならば、私はどんな罵声でも甘んじて受けるつもりです。その点、花緒さんの選評は完全とまではいかないまでも私の作品の意図の核心に触れたものでした。そのことを私は何より嬉しく思いましたし、「僕の顔」にコメントしてくださった方の中にもその作品の意図に近いところでなにかしら返信してくださった方が数人でもいたことをとても嬉しく思いました。そして私にとっては大賞など取らなくてもそれがあれば十分です。つまり何がいいたいかというと、作品の意図を共有しない限り「評価」というものは成立しえないということです。(掘り下げていくとネット詩掲示板において「評価」というものはその性質上どうしても成り立たないといのが持論ですが...) 「僕の顔」は<「思春期ってこういう悩み持ったりするよね、わかる!」という読者の共感が得られるのを少しだけ想定して書かれている>ものではまったくないです。意図がまったく違います。先ほども述べた通り、自分自身の存在や感覚の頼りなさ、寄る辺なさ、自分自身の感覚や感情の曖昧さ、自分自身の存在のリアリティーの薄さ、頼りなさ、離人感に近い感覚、自分の内面と外面、内側と外側、それらの境界の曖昧さ、いろいろなものの境界の曖昧さ、それに対する不安と同時に感じる一種の恍惚。そうしたものの集積をまるで頼りない主体性のない文体で具現化することです。もちろん、私自身自分の意図を実現するのにいまのところ全くの技術不足であることは百も承知です。だからといってまったく違う「意図」のもとに「評価」されるのは不本意です。音楽に例えるならシューゲイザー狙って作ったのにギターソロがきちんと弾けてないからダメだ。。と、言われている気分です。笑。 と同時にそうした意図とは無関係であっても私の作品を読んでくださって、何かしら楽しんでいただけたことは何よりの感謝ですし、そのことはとても嬉しく思います。コメントありがとうございました! 今回の作品に関しては<「これはないわー」と全否定される可能性もあるのに投稿された>というご指摘はかなり的を得ています。ので素直にコメント嬉しく思います。なんだか面倒臭いレスで非常に申し訳ないです。 という訳でこの辺にしませんか?あとは花緒さんのご意見なりお聞きすることにして。。笑

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こうだたけみ
(2018-03-26)

survofさんへ 私の2回目のコメントの意味が伝わっていないと思って、何度も同じことを書いてしまいました。すみません。 最後にいただいたコメントは、私の主張をぜんぶ読んでから書いてくれたとわかったのでよかったと思ったし、ああ、survofさんはこういうことを言いたかったのね!って、やっと理解ができました。遅いですね。笑。 作品を読むのもコメントを書くのもむずかしいです。私はどうしても、最初に提示した評価基準で作品を判断してしまうので。うん、私にキュレーターなんて無理だわーって改めて思いました。 twitterと併せて、長々とお付き合いいただきありがとうございました。

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fiorina
(2018-03-26)

お二人のコメントをたいへん面白く読みました。こうしたやりとりが、このサイトのあるべき姿では? 罵倒にはなっていませんし、互いに真摯、自説の展開が明確なので、学ぶところ大です。 また、評価基準の偏り?より、自分にとっての詩を大切にする態度を感じました。 <私にキュレーターなんて無理だわーって>ことはなく、こうだたけみさんがどんな独創的な選をされるか、みたいです。

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こうだたけみ
(2018-03-26)

fiorinaさんへ とてもとても好意的に見てくださってありがとうございます。 花緒さんがコメント書いてくれたのかなー? もう出張から帰ってきたの? 意外と早かったな〜って見にきたら、なんと別の方! びっくり。 survofさんの最後のコメントを読んで気づいたのですが、私は〈私の個人的な好き嫌いを判断する評価の基準〉の話をしているつもりだったのに、survofさんは〈批評とはなにか〉っていう大きな話をしていたんですね。二人とも、まったく別の話をしていて、そりゃ平行線にもなるわーって思いました。 途中、なんでこんなに必死にコメント書いてるんだろ、めんどくさーいって思ったりもしたのですが、好きな詩を書く人に、なんかわからないけどすごく否定されたままでは悲しいなあと思って、しつこくコメント書いてよかったなあと思っています。twitterで、「平行線のままではつまらないので、また何かお話ししましょう」って言ったら、「ぜひ〜」ってsurvofさんに言ってもらえたし! あ、でも社交辞令だったらどうしよう。したらめっちゃ悲しい。 そうそう、キュレーター云々と書いてしまったのは、つい最近、投稿作全部読むならついでにキュレーターやりませんか?って花緒さんに声をかけていただいて、とてもじゃないけど無理ですとお断りしたからです。 好き嫌いとか、なんでそう思ったかみたいな感想程度のことは書けますが、survofさんのおっしゃる〈作者と読み手の間に「作品」の「意図」に関して一定の共有があってこそ成り立つ〉批評、なんて、私には無理です。そもそも十数年前の卒論で、論じるとはなんぞやっていう初歩の初歩で躓いて、できの悪いエッセイみたいなものを二万字書いて、これじゃ卒業させられないと宣う先生にそこをなんとか!って縋り付いて卒業したくらいなので。笑。 どんな選をするか見てみたいと、そう言っていただけただけで、とてもうれしいです。ありがとうございます(*^_^*)

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fiorina
(2018-03-27)

survofさんのコメント欄なので、これまでにしますが…。 実は私も三浦さんに「一ヶ月だけでもやってみません?」といわれて、6月以降に一回だけ目標でやってみることにしたんですけど、そもそも現状10%位も詩が読めていないのですよね。気になる詩を後でじっくりと思って波の彼方にやってしまったものが300篇は下りません。しかも現代詩がよくわからない。 それなのにお引き受けしたのは、なんとか全部読む方法を自分なりに編み出したのと、読んだりコメントしたりで現代というダイナミズムを感じてみたい。 現代詩がわからないということを武器に読んでみるという手もあるな、と思ったのでした。 こういう、どんな詩誌にもサイトにもない、およそ選者というに?な人が含まれている選、というものが、なんか楽しい場所を作りそう、とも。 こうださんもsurvofさんも、とてもときめきのある相応しい方とおもうけどな~

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るるりら
(2018-03-27)

こうださんのレスを読んで、ヘッセがとても好きだった十代の頃の自分を思い出しました。そういえば、私がヘッセを読まなくなった理由は、ヘッセが嫌いだと言う人に恋をしてしまったことを、思い出してしまいました。 当時は恋だとはきがついてなかったのですが、わたしにとってヘッセばかりを読み続けること自体が ダメなことである。それでは両想いにならないと思ってしまったようです。したがって、この詩の題名はダメと判断する私になっているのだと思いました。  だから、私の場合は 彼女の気持ちからひっぱるのではなく、自分の気持ちから題名を引っ張った方が良いなどと 言ってしまうのだな~と 思いました。 おかげで、春らしい甘酸っぱい記憶が蘇りました。ありがとうございました。  

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survof
(2018-03-27)

fiorinaさん 暖かいコメントありがとうございます!確かに作品について多角的な議論が深まるのは掲示板での理想ですね。なかなか作品を読むのは難しいですが、いろいろな方のコメントを通して読み方が広がったり、自分では気づかなかった魅力に気付いたりするのでコメントが活性化するのはとても良いことだと思います!!

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survof
(2018-03-27)

こうだたけみさん いや、社交辞令とかではないですよ!ぜひまたお話しましょう! 私の作品のうち「僕の顔」と今回の作品は特にですが、私が書いた諸々の意図とは別に、それに共感できない人でも楽しんでもらえるように書いたつもりです。エンターテイメント性みたいなものと両立できたら理想だな、、ってのがありました。ですので、こうださんのような読み方をしてくださっても全然問題ないですし、むしろ嬉しく思いました。私が書いた意図に関しては読解力云々ではなく分かる人には説明しなくても伝わるけど、分からない人には何度読んでもピンと来ない種類のことだと思います(分かる人がえらいというわけでもないし)。女性特有の物事について男性は決して本当の意味では理解できないことが多々あり、その逆もまた同様ですが、それと同じレベルのことだと思います。どんなに技術があったとしても、自分のすべての感覚や感情を共有できる訳ではないです。その点でもう少し、門戸を広げた書き方が私のほうにも求められているのかもしれません。

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survof
(2018-03-27)

るるりらさん 再レスありがとうございます!なかなか甘酸っぱい思い出ですね。自分はその逆パターンで相手が読んでたから読むようになったという経緯です。 タイトルに関しては、相手の言葉からの引用でもあるのですが、「僕」が「彼女」に対して抱いている感情そのものでもあるんです。ですので「自分勝手なロマンチスト」とは「僕」のことだけをさすのではなく「ヘッセ」そして「彼女」のことをさしています。あえて解題してしまいますが、たとえば「彼女」の果物が「あまりに量が多かった」というのは、つまり、「僕」の「彼女」に対する感情に対する「彼女」の鈍さ(おそらくわざと気づかないふりでもしているのでしょうが。。)と、そしてなんだかんだで世話を焼いてしまう自分勝手さ、そして何よりそうした優しさや一種の愛情を嬉しいと感じながらも「量が多すぎて」重たいと感じてしまっている、相手が大人すぎて相手の感情を受け止められないでいる「僕」の姿を一度に重ね合せるために使いました。が、そのあたりのそれぞれの感情の機微を十分に表現できなかったのが今回のなによりの反省点でしょうか。コメントありがとうございました!

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三浦果実
(2018-03-27)

みなさん、こちらのやり取りは全て好意的に私も受けてます。自分の中でシナプスが繋がる触発の場になっているかと。ありがとうございます。 ちなみに私も、survofさんのこちらの作品の方が好きなんですよね。テクニカル的にも果物の描き方とか上手いですよね。

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こうだたけみ
(2018-03-27)

fiorinaさんへ わー! キュレーター引き受けたんですか? ステキ! どんな選評を出されるか、たのしみにしています。じつは私がキュレーターをお断りした最大の理由は体調の問題で、6月頃は人生初の手術かもって感じなので投稿できるかわからないけれど、fiorinaさんがどんなふうに立ち回られるのか、見守ってますね! るるりらさんへ 甘酸っぱい思い出を聞けてうれしいです! コメント書いてよかったーって思えました。いいなあ、ヘッセ嫌いの想い人。私の想い人は詩どころか小説すら読まないな。笑。ありがとうございます(*^_^*) survofさんへ 批評のはるか前段階の好き嫌いの話で騒いでごめんなさいね。好きな作品のこと、花緒さんが「これはちょっと……」って言ったんで、えーなんで!ってなって暴走してしまいました。 たぶんこれからもすぐあちこちで暴走すると思うので、もし見かけたら、どうどうってなだめてください。よろしくお願いします。 三浦さんへ 三浦さんの好きと私の好きはなんかちょっと違うような気がしていますが、味方が一人増えた!って、一応よろこんでおきます。 嘘です。笑。なんか、関わり方がお父さんっぽくていいなーって思いました。

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まりも
(2018-03-28)

まずは、私のことから。自分の影を少しずつちぎり取って、本のページの間に挟んで、気になるあの人、に手渡す。その本を読んでくれると、ページの間から影が落ちて、ひらひらと戻って来る・・・という設定で物語?童話?を書き始めて・・・「あの人」は次第に読んでくれなくなり、影も沢山、「あの人」の手元にたまって行って・・・ついには「私」の影が無くなってしまう。千々に乱れた私の影だけが、「あの人」の本棚のあちらこちらに挟まれたまま、「あの人」の家で息づいている・・・という展開になったところで、これはストーカーみたいで怖いよ、という読後感想を頂き、吹き出してしまったことがありました。そのまま中断しているのですが、あの、わけのわからない「おはなし」を、書き継いでみようかな、という気持ちになりました。 さて、作品を読んでの感想です。 思いの行き違いというのは、他者から見ると滑稽で、当事者にとっては真剣で(それゆえに、「なんて残酷な人なんだ」という言葉も出て来るのでしょうね)それをどの視点から、誰の視点から描くか、ということで、かなり面白みが異なって来ますよね。 篠原涼子が上司のCMがありました。あのシチュエーションを想像しました。 果物を腐らせてしまうような「うじうじ」具合、それを、もっとちゃっちゃと食べなさいよ、男だろう、うん?なんて、「くよくよ」している後輩君の顎のあたりを指先でくいっと持ち上げちゃう、そんなさばさばしたお姉さま、的な存在。 ・・・なんとなく文章にまとまりがないというか、全体にぶわあっと広がってしまっているような感覚があるのですが(語り手が、狭い隙間にぴっちりはまっている、にも拘らず)その間から、今書いたような登場人物のイメージが(私の勝手な想像ですが)くっきり立ち上がって来ることが魅力だと思いました。 チャイムを鳴らして、会いもしないでさっさと帰ってしまうあたりとか、けっこう、辛辣な言葉をストレートに投げておいて、「僕」が読むかどうか、ちょっと試しているようなところもある、感じとか・・・「僕」は、「ただ読みましたよっていう事実だけを知らせるためだけに添削して返されたような」と受け止めているけれども、きっと「彼女」の側は、最大限の尊重を払っている、その行き違いぶりなどが、とても面白いと思いました。 翻訳原稿の「は」と「が」の使い分けとか、助詞の微妙な使い分けを、唸りながら直したことがあるのですが・・・英語だと、これが定冠詞の使い方になったり、するのでしょうか。内容や表現に手を加えること以上に、神経を使うような気がします。自分の文章で直してしまう方が早い、それをやらずに、あくまでも相手の身に成り代わって、その人の文体や呼吸を最大限生かす形で、手を入れる、わけですから・・・。 君は自分勝手なロマンチスト、とスパッと言い切ってしまう、くらいに、「彼女」は、「僕」のことをよく観察し、その身になって考えている。それが、どうも「僕」には上手く伝わっていない・・・そんな行き違い、これは意図的なものなのか、偶然の産物かは、わかりませんが・・・その面白さについて考えました。それにしても、レス欄が、すごい賑わいですね。

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survof
(2018-03-28)

まりもさん コメントありがとうございます!今コメントに対してレスすることの難しさについて考えています。読んでくださった上での感想というのはもうすでにその方のもので、その方のなかで作品が生き始めた時点でもうすでに作品は作者の手元を離れているんだな、、ということを今回のまりもさんのコメントはじめ、たくさんいただいたいろいろな方のコメントのやりとりをしながら痛切に感じています。「読んでくださってありがとうございます」という言葉以上のレスが必要なのか、、とても悩ましいところですね。例えば、ここで自分の作品の意図について自分で語ってしまうのは何か違う気がします。語りたいことは本当は文章のなかに全部込めている訳ですから。。逆に例えば文章の技術的な事柄についてのご指摘があれば、作者がなぜその文体を選んだのかについての議論がありえるかもしれませんし、作者の意図を汲んだうえで、例えばこうしたらもっとその意図をうまく表現できるかもしれない、という議論は成り立つと思うのです。ただ、内容についてどう感じたか、ということになるとそれはもうすでに作品自体が読み手の人生の一部に組み込まれていってる訳ですから、作者の入り込む余地はすでにあまりないのではないかな、、といったことを考えています。今回の「文章にまとまりがない」というご指摘についても、「まとまりがないスタイルで書いた」あるいは「まとまりがないスタイルにどうしてもなってしまう」または「それが作者の個性である」ということもできるでしょうし、あるいはかっちりまとまった文章にすることでまた違う表現が可能になるのかもしれません。あるいは文体に関してはかなりのところ好みの問題であるということもできます。といったことを延々と考えていると、要するに自分が書いたものを通して読者との間で何かしらのやりとりがあるということが、書き手にとっては一つの喜びであって、掲示板はそうしたもののを媒介するメディアにすぎないのかもしれない。あるいは文章や詩作の技術を向上させるための研鑽の場になりえる可能性もあるかもしれない。では、それはどういった場合か。ただ単に感想を述べあっているだけで果たしてそうした研鑽の場になりうるのか。。。内容に終始しがちな掲示板コメントに疑問を覚えつつも書き手としてはそれを何よりも喜びとしつつ、しかも同時に技術的な事柄に関する具体的なコメントが非常に少ないことへの落胆と、同時にではいざ自分がそうした有用なコメントが書けるのか?と問われた場合には否と答えるしかないこのもどかしさと、もろもろ整理できない感情がビーレビというとても魅力的な場所に対するなんともアンビバレントな感情を生み出し、延々とこんな文章を書いてしまったそんな今日の夜です。

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survof
(2018-03-30)

花緒さん コメントありがとうございます!「作品の意味は読者が、読者自身の無意識を投射したかたちで見出すことになるのだと思います。」というご指摘、とても嬉しいです。(1)の評は私がやりたいことを半分くらい代弁してくださっている気がします。 こうだたけみさんへ 待ちに待った花緒さんのコメントいただきました!さらなるコメントも大歓迎ですので遠慮なく〜!

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こうだたけみ
(2018-04-02)

花緒さん、いらしてくださってありがとうございます。 いま一生懸命コメントを書いているのだけれど、ぜんっぜんまとまらなくて困っています。 そうこうしているうちに治療日が。それから数日は抜け殻になるので、もう少し、お待ちください。 survofさん、コメント書いていいよって言ってくださってありがたいです。かなりご迷惑かなーと思っていたので。コメントがまとまったらまた来ます〜。

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こうだたけみ
(2018-04-05)

花緒さんへ 出張、お疲れさまでした。いまさらですがお帰りなさい。 そもそも花緒さんと意見交換したくてコメントを書いたはずのに、いらっしゃる前にエネルギーを使い果たした愚か者は私です。いつにも増して思考がまとまらず時間ばかりかかりましたが、せっかく来ていただけたので、何か書かなければとやってきました。 それにしても、花緒さんの評価はまったく変わらなかったですね。笑。今作への評価が少しでも上がればいいな、と淡い期待を抱いていたのですが。でも私は、今作のほうがより好きなんだ!という主張ができた、それだけで満足していたりします。思っても、滅多に表明することはないので。 survofさんへ 書くのが遅くてごめんなさい。 ご許可をいただいたので、再びコメ欄を占拠します。よろしくお願いします。 またなにか気に触るようなこと言ったらごめんなさいね。先に謝ります。 では本題へ。花緒さんのご意見の(2)をまるごと引きます。 〈こうだたけみさんのおっしゃる、大きな物語、ですが、いわゆる「俗情との結託」とでもいうのでしょうか、すでに世の中に認知されている分かりやすいドラマ設定やありふれたパターンに依拠して作品が編まれているか否か、という意味だと受け取りました。〉 えーと、大きな物語は、たぶん「俗情との結託」ではないです。私の書き方が悪かったです(こんなのばっかり)。大きな物語に寄りかかりすぎると「俗情との結託」になりかねないとは思いますが。 たとえば、AさんとBさんが恋愛詩について話をしています。互いに恋愛詩=この作品という具体的に共有できるものがない場合、AさんとBさんはそれぞれ、恋愛詩とはこんな感じのもの、というイメージを思い浮かべながら話します。その、頭の中に思い浮かべているイメージの〈恋愛詩〉は〈大きな物語〉です。この漠然としたイメージは、自身が知っていて、かつ、会話する相手を含めた世間に認知されていると思われる作品の集積からできています。しかし、実在するものではありません。言ってみれば幻想です。 だから、大きな物語とは、ある言葉に付随する、誰もが想起するであろうイメージのこと、と言ったらいいのかも? ごめんなさい、自分で使ってるくせにきちんと定義できていなくて。こういう感じが、批評に向いていないと自覚はしております。 〈前述の通り、本作も、僕の顔も、そもそも、ストーリーや意味を読むものではないと思うので、設定云々は作品の本質からズレるような印象はあるのですが、〉 すみません、ここで意見を挟みます。 花緒さんは両作をきちんと読み込んで、作品の意図を汲み取って、そのうえで解釈なり批評なりをしようとしている人です。(1)でおっしゃることはわかります。花緒さんの選評も、survofさんご本人の意図まで読ませていただけたし(なんて幸福!)。 しかし残念なことに、私はそれより前の段階の、批評ってなに?というところで立ち止まっているような人間です。survofさんの作品を何作か読んで、好みの詩を書く人だなと思っているから両作を最後まで読んだし、こうして意見を言おうとしているから何度も読み返しました。けれど申し訳ないことに、私は作者の意図を読み取るところまでは至っていません。というか、解釈や(公に開けた)評価なんてできないですし、自分基準の好き嫌いの判断程度しかできそうにないです。 そしてさらに、この先で私が言及したいのは、両作に対して好意的な態度を取らない読み手について。さらっと読んで、あーこういうことねってわかったつもりになる読者についてだったりします。 〈設定がありふれているか否か、でいうと、私には本作の方がありふれたもののように思えます。僕の顔は、私の選評にも書かせて頂いた通り、草食系的な、その心理メカニズムが十分に言語化されていない、イマドキの若者が話者であった一方で、本作は、恋愛中の人間の心理という、より普遍性を感じさせる設定で作品が編まれているからです。私には本作の方が、大きな物語、に依拠しているように見えます。ただし、前述の通り、私は、設定を云々する必要はそこまでないかなとは思っているのですけれど。〉 私は、草食系という名を得たから広く認知されただけで性愛に積極的でない男性は昔からいたんじゃないかなと思うので、「僕の顔」の話者のどの部分を以って〈イマドキの若者〉と言うのかイマイチわからなかったのですが、(1)を読んで、それが花緒さんのおっしゃる〈読者自身の無意識を投射したかたちで見出す〉ということであり、これは花緒さん自身の投射ってことなのだなあと、納得できました。

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こうだたけみ
(2018-04-05)

では、両作を読んだ私の感想を書きます。 まずは「僕の顔」から。 私が同作から読み取れたのは以下の通り。 【内容について】 ・話者は僕 ・医者からコンタクトを禁止され、ど近眼なのに嫌いという理由だけで眼鏡はかけない ・視界がぼんやりして相手の表情がわからないから平気で好きな子を見つめつづける。そのせいでその子が好きだとクラス中にバレても動じない(視界がぼんやりしていることに安心しきっているのかもしれない) ・他校の女子生徒に盗撮されるほどモテる ・両親の仲が悪い ・卒業した(中学のときに〜という記述があることから、卒業したのは高校) ・女子から遊びに誘われても応じたことがない ・卒業間際に体調を崩しがちになり痩せた ・「お前不細工になったな」「なんか可愛くなくなったね」という友人の言葉が引き金となり顔にコンプレックスを持つ ・イヤホンで音楽を聴きながら深夜までずっと鏡越しに自分の顔を見つめる ・昼まで寝て深夜のバイトをしてだらだらと暮らし、どうやったらもとの顔に戻るかばかり気にしている。顔が醜い、ということだけがどうでもよくない事象であり、それ以外のことはどうでもいい 【その他】 ・思考を一定の間途切らさず、一定時間息継ぎしないで書くような独特な文体 ・最終連でその文体の特徴が極まる 詩って、こんなふうに箇条書きにしてしまうとつまらなくなりますね。詩を冒涜するようなことをしてごめんなさい。でも、詩は詩という形を保っているから魅力があるんだってことが改めてわかったので、個人的にはよかったような気がしています。 これらの情報をもとに、私は「僕の顔」という作品を以下のように読みました。 「僕の顔」は、思春期にある話者が両親の不仲などの家庭の事情で精神的にも体調的にも不安定になり、その話者の姿を見た友人からの不用意な言葉で醜形恐怖のような状態に陥ったことを描いた作品。ど近眼なのに眼鏡をかけないから視界がぼんやりしているという表現が何度も出てくるが、鏡を近づけて見る自分の顔だけははっきりと見えているはずであり、自分の顔にとても執着していることが見て取れる。話者が最後まで顔を気にしつづけていることから、作品に描かれた執着心と作者の距離が非常に近い感じがする。これが作者の実体験ならば、作者は、もしかしたらこの感情を手放せていないのかもしれない。手放せたから書いた、というより、手放すために書いた、という印象。文体の、思考を一定の間途切らさず、一定時間息継ぎしないで書くような感じが個人的に好みで、それが極まった最終連の一文の長さがとてもよいと思う(ここに何か作者の想いが込められていそうだけれど、私にはわからない)。この文体を私は好きだけれど苦手な人はいるはずで、そういった読者には、そもそも読まれないかもしれないとも思う。 はい、残念なくらい、survofさんの意図が読み取れていないですね。ごめんなさい。 この感想から、私はこのように考えました。 同作に好意的な態度を取らない読者、文体が苦手、長さが苦手、描かれているものが苦手などの理由で、さらっと読んで終わらせるような読者がいたとして、その読者が「自分にはわからない」という感想を持つことが許せないタイプであった場合、「これって思春期特有の現象を書いた詩でしょ。わかる、わかる」と言うのではないか。同作は、〈思春期特有の現象を書いた詩〉という大きな物語に回収される可能性があるのではないか。

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こうだたけみ
(2018-04-05)

さてここで、なぜ私がこんなにも大きな物語にこだわるのか、花緒さんもsurvofさんも読んでくださったようなので、拙作「踏み止まるメザシ(千葉県産)」を例に説明させてください。 ‪http://breview.main.jp/keijiban/?id=1489‬ これは、語り手個人の恋愛体験について書かれた恋愛詩ということは明白です。ただ、全体が魚のフォルムになっていたり魚の絵文字が使われていたりして、恋愛だけがメインとは見えないのではないかと思います。 これを、私がもっとも書きたかった「太鼓の達人の前で起きた出来事」の部分だけを切り取ってストレートに描写した詩として書くとします。それは、結婚したいのにできそうもない三十代女の悲しみが前面に出た痛々しい恋愛詩になると思われます(そんなのつまらないから書かないけれど)。読んで共感できる読み手は「いいね!」と言ってくれるかもしれない。でも、読んで心を動かされない読み手は、こう思うのではないでしょうか。 「これってよくある恋愛詩だよね。わかる、わかる」 この瞬間、私が書いた詩は、〈よくある恋愛詩〉という大きな物語に回収されてしまう。結婚できない三十代女の恋愛、という詩の内容すらなくなる。私は、それがどうしても嫌です(まあ、この場合はなくてもいいくらいの内容ですが)。〈よくある〇〇詩〉でしょ、と簡単にわかったつもりになられるのが嫌だ、と言い換えてもいいのですが。 人様の作品を読んでいて、これは〈よくある〇〇詩〉と言いたくなるものにときどき出合うことがあります。これは〈ポエム〉だな、とか。すると私は反射的に、まるで自分のことのように、「それでいいの? 私なら嫌だ!」と思ってしまいます。その「嫌だ!」が足枷になってそこから先へ進めなくなります。よって、そこが好きと嫌いを決する分かれ目、初読時の評価基準となるのです。 このようなとても個人的な基準をもとに、私は「僕の顔」という作品を、〈思春期特有の現象を書いた詩〉という大きな物語に回収されてしまう可能性があるような気がして、あまり好きにはなれない部分のある詩だなと判断しました。 ちなみに、私が言葉遊びや視覚詩ばかり書くのは、内容から〈よくある〇〇詩〉と言われるくらいなら、「こうだの詩は言葉遊びとか視覚詩ばかりでくだらない」と言われるほうがマシだと思うからです。読者(主に未来の私)をたのしませたいという気持ちと、大きな物語へ回収されないための抵抗という二つの意味があったりします。でも、書いている今の私がたのしいっていうのが一番大きいのだけれど。

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こうだたけみ
(2018-04-05)

横道に逸れてごめんなさい。 次に、「自分勝手なロマンチスト」への感想を述べます。 同作から読み取れたものは以下の通り。 【内容について】 ・話者は僕 ・僕は本棚に挟まっている ・側面と天板の90度の角度を何度も確認し、なんてちょうどいいサイズなんだ、この本棚を選んで正解だったと思う ・本棚はスライド式 ・本棚に挟まってクヨクヨするのが好き ・今聴いている悲しい曲を聴かせたい人がいる。僕を叱ってくれるような大人びた女性だ ・彼女は僕の英文の添削をしてくれる。彼女から返された紙は彼女と同じいい匂いがする ・本棚に挟まって、底板の冷たさを足の裏一杯に感じながら少し背伸びして天板を撫でる ・彼女の家の本棚もスライド式 ・ヘッセの文庫をパラパラとめくるふりをしながら、英語で会社の上司と長電話する彼女の声に聞き耳を立てる ・彼女は「ヘッセはね、自分勝手なロマンチストだから君と一緒。だから君は読まない方がいいかも。」といいながら「春の嵐」を僕に手渡す ・自分勝手なロマンチストになったのはこの匂いのせいだと文庫本の匂いを嗅ぐ ・「春の嵐」を読んで、僕は2日ほど寝込む ・チャイムが鳴った気がして玄関を開けるとドアノブに果物の入ったビニール袋がぶら下がっている。野生の匂い ・彼女から「沢山食べてはやく元気になれ」と短いメール ・「ありがとうございます」としか返信できない自分にやきもきする ・ベッドに仰向けになって空想に浸りながら、世界で一番悲しい音楽を大音量でかけ、やっぱり彼女に聴かせたいなと思う ・果物は食べきれず半分は腐らせてしまった これらの情報をもとに、私は「自分勝手なロマンチスト」を以下のように読みました。 冒頭から、話者が本棚に挟まっているというシュールな情景で始まる。そんなことをするのは小学生まででしょと思ったので、話者は小学生くらいの男の子かと思ったのだけれど、英語の勉強を見てくれる社会人の女性(家庭教師?)に想いを寄せているようだから中学生、いや高校生か? 本棚の中で背伸びをするように、年上の彼女に振り向いてもらいたい一心で背伸びをする、ずいぶんと子供っぽい男の子のようだ。ヘッセを軸にして、8連目まではずっと甘ったるい恋愛が描かれていて、そろそろおなかいっぱいと思ったところへ急に、果物を中心に描かれる最終連が投げ込まれる。視点が恋愛から果物へと逸れる。甘ったるさからの解放。最終連の〈もらった果物は結局全部は食べきれなくて半分は腐らせてしまった。だって、あまりに量が多かったもんだから。〉は全体にかかっているように思われる。彼女への甘ったるい恋愛感情も、空想に浸ってばかりの子供っぽい自分自身も、背伸びしたけれど持て余して半分は腐らせてしまった。それが自覚できているから、この話者は、最初に感じたよりもはるかに大人だ。 同作は、「僕の顔」とは打って変わって、描かれているものと作者との距離が開いている感じがして私好みでした。それから、同作は明らかに〈恋愛詩〉という括りに入るけれど、話者が本棚に挟まるなどの奇抜な行動を取るので、〈よくある恋愛詩〉だよね、とは簡単には言い難いと思います。普遍性のある恋愛を取り上げているからこそ、かえって話者の奇行が際立ち、読者は「これは自分の恋愛とは別物だ」と思うはず。よって、同作は〈よくある恋愛詩〉という大きな物語に回収されることのない、作者独自の恋愛詩となると思います。 ただ、他の方のコメントを読むと、ヘッセの部分に共感する方が多いようで、この部分が際立ちすぎると〈よくある恋愛詩〉に回収されることもあるのかな、と思いました。あんなに執拗に本棚の記述があるのに、ヘッセパワーってすごい。 それと、花緒さんは(3)で同作について、〈後半など、ほんの少々、ポエムっぽく読めてしまうところがあって、その意味で隙が残っているように思います〉とおっしゃったけれど、私は〈ポエム〉だとは思いません。私の中でのいわゆる〈ポエム〉の定義は、「話者の特徴が示されず、誰でも感情移入ができるように意図的に作られていて、誰もが一度はどこかで見たことがあるような表現(大道を外れない表現)ばかり用いられている詩」であり、大きな物語に寄りかかっている詩の代表例なので、同作はそれに当たらないと思います。ポエムっぽい書き方はひとつの技術であって、イコール〈ポエム〉ではない。いわゆる〈ポエム〉とは、別物だと思っております。 以上、私は「僕の顔」には好きになれない部分があるけれど、「自分勝手なロマンチスト」はとても好きで、その理由はこれです、という個人的な主張でした。結局おなじことを何度も書いてるだけじゃないかって言われそうな予感がしておりますが、こうやって無理やりにでも参加することで、「批評とはなんぞや」というのを少しでも学びたいと思っている次第です。 最後に、survofさん、2月の大賞受賞おめでとうございます。 なんだか大賞作にたてつくような感じになってしまって失敗したなあと思っています。そんなつもりはなかったのだけど。反省しております。

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survof
(2018-04-05)

こうだたけみさんへ コメント本当にありがとうございます!ものすごく丁寧にそして深く私の作品を読んでくださっていることが伝わってきてとても嬉しかったのと同時に、普段自分は他の方の作品をここまで深く読めているだろうか、と深く反省させらたりもしました。 まず先に大賞受賞について、ですが、私なりの感想があるので書いてみますね。というのは、おそらくキュレーターに花緒さんがいなかったら「僕の顔」は大賞に推薦されることはもしかしたらなかったのかもしれない、ということを思います。花緒さんと私はもちろん違う人間なので違う価値観、感受性、詩観を持っているわけで、十人いればそれぞれが異なっていていて、で、人それぞれの感受性や詩観あるいは価値観あるいは好みにおいて、まず近い遠い、共通部分が多い少ない、ベクトルの方向が近い遠い、などがあると思います。花緒さんと私に関して言えば、ある事柄についてはとても遠いんだけど、ある事柄に関してはとても近い部分があって、それこそ作品を通して、そうした部分を共有できているな、と感じることがあります(もちろん、私の側の錯覚なのかもしれませんが。。) 以前、花緒さんとの間で音楽が私の作品のコメント欄で話題になったことがありました。花緒さんはなによりテクノに対する造詣が深く、実験的なタイプの電子音楽にもとても詳しい方です。もちろん、他のジャンルに関しても幅広く聞いておられるだろうと予測しています。私も音楽はかなり幅広く聴くほうですが、やはり電子音楽、日本ではエレクトロニカと呼ばれるジャンルは私がかなりの量と時間、聴くジャンルの一つで、例えばドローンアンビエントといってほとんど同じ音が10分くらい流れているようなものや、わざとCDを音飛びさせたようなグリッジといった手法を用いたもの、そういうタイプのノイズ系やアンビエント系と呼ばれているエレクトロニカがとても好きなんです。最近は色々ネットで漁りまくって聴いているので自分が聴いているものがなんというジャンルに属しているのか良くわからないですしあまり気にもしていないですが。。まあ、そんなわけで、好きな音楽のジャンルに関していうととても共通部分が多いと思うんです。 なぜ、音楽の話をしたか、というと、私の作品、主にその文体やコンセプトにおいて、あるいは世界観においてかなりそうした普段聴いている音楽の影響を受けているからです。つまり、自分が何か作品に意図を込めたときに、それを例えば音になぞらえて、あるいはそうした音楽の作品をイメージとして共有するということが可能であるとするならば、花緒さんと私はわりと共有しやすいほうではないかな、と感じます。とくにそうした雑音みたいな「音楽」って自分も最初はそうだったんですが、とにかく最初は何をやりたいのか分からなかったり、そもそもうるさく感じたり、文字通り「ノイズ」つまり雑音として感じられたりしますが、癖になり始めると非常に些細な音の変化やバランスの変化に非常な美しさや格好良さみたいなものを感じるようになります。なので、あまりそういう音楽が好きでない人とは滅多にその系統の音楽の話をしません。 自分の作品にはそういった部分があるのではないかと思っています。つまりあえて天邪鬼な方向性をもった部分です。逆に「僕の顔」やそれよりちょっと前に書いた「プルオーバー」といった作品は、そういった天邪鬼な部分はありつつも(というよりも自分が作品を書くとどうしてもそれが付いて回ります、良くも悪くも)、もっと文章として読みやすい作品を書いてみたいな、ということで書いた作品で、しかも個人的にはいわゆる「詩」のような作品をかくより散文のようなものを書く方が得意ですし楽しいです。作家さんでいうと、町田康、川端康成、綿矢りさ、須賀敦子あたりがとても好きで、無意識のうちにとても影響を受けていると思います。

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survof
(2018-04-05)

で、作品の話に戻ります。 まず「僕の顔」について。 こうださんが改めて書いてくださった分析や読み、とても深くてびっくりしました。こうださんは<はい、残念なくらい、survofさんの意図が読み取れていないですね。 >と書かれていますが、実はそんなことはなくて、内容に関してはかなり鋭い読みをしていただけていると感じました。いや、なんだか鋭すぎてかなりドキッとしました。私は作品を書くときに常に一つの意図やコンセプトで書く訳ではなく、いろいろやりたいことがあってそれらを同時に盛り込もうとしていることがとても多いです。「僕の顔」に関して言えば、一つは以前お書きしたような「感覚や自分自身の存在の不確かさ、曖昧さみたいなものを曖昧な文体でなんとか形にしてみたい」という意図があり、でもこれは「よし、このコンセプトで書いてやる」というようなものではなく、自分が文章を書くときに意識せずともどこかで必ず意識しているものです。 で、もう一つの楽しみとして、物語性をもった短い文章として作品をまとめるということがあります。とにかく文章を書くのが好きなんです。題材は本当になんでもよくて、ただ自分が体験したことを文章にするのはたとえばフィクションを書くよりも自分にとってはずっと楽なことなので、身近な題材としてプルオーバーシャツを素材に「プルオーバー」を書いたり、自分の思春期の体験を素材にして「僕の顔」や「自分勝手なロマンチスト」を書いたりしてます。 こうださんの読みのなかで非常に鋭いな、と思ったのは <話者が最後まで顔を気にしつづけていることから、作品に描かれた執着心と作者の距離が非常に近い感じがする。これが作者の実体験ならば、作者は、もしかしたらこの感情を手放せていないのかもしれない。手放せたから書いた、というより、手放すために書いた、という印象。> の部分ですね。いわれてみれば確かにそうなのかもしれないな、と感じます。あるいは手放そうとさえしていないかもしれないです。結局自分のことは自分が一番よくわかっていないものです。 そして <文体の、思考を一定の間途切らさず、一定時間息継ぎしないで書くような感じが個人的に好みで、それが極まった最終連の一文の長さがとてもよいと思う> というご指摘は、私自身そうした文体が好きで、その理由のひとつはこの手法を用いて文章を書くことに一種の快楽があるからです。書いていて「気持ちがいい」んです、単純に。 そして、もしかしたら「感覚や自分自身の存在の不確かさ、曖昧さみたいなもの」を感じている自分が無意識のうちにこうした文体を選ばせているのかもしれません。 で、その先のこうださんの感想をお読みして、これまでの行違いの原因のようなものがよりはっきりしたな、と感じたのは、こうださんがご自分の作品について論じているなかで <でも、読んで心を動かされない読み手は、こう思うのではないでしょうか。 「これってよくある恋愛詩だよね。わかる、わかる」 この瞬間、私が書いた詩は、〈よくある恋愛詩〉という大きな物語に回収されてしまう。結婚できない三十代女の恋愛、という詩の内容すらなくなる。私は、それがどうしても嫌です> というこうださんの感想です。 というのは自分のなかにこの感覚は全くないんです。自分の文章がどんなテンプレに回収されようとも、私は一切気にならないというか、全くそうしたことを考えたことがありません。つまり、私の文章や作品と自分との関係はもしかしたら「僕の顔」で表現されている「僕」と「僕の顔」の関係そのものなのかもしれないです。 これはこうださんとのやりとりがあって初めて気づいた点で、おそらく私のこの予想はあたっています。「他校の女子生徒に盗撮されるほどモテる」ことなどほとんど気にもかけないのに(あるいは内心とても嬉しく思いながらも)「「お前不細工になったな」「なんか可愛くなくなったね」という友人の言葉」には非常に繊細に反応する。自分の作品に対する読み手の反応に対するときの自分と「僕の顔」のなかの「僕」、つまり昔の私なわけですが、不思議なほど同じなのかもしれない。というか人間ってそう変わらないんだな、、とつくづく。結局「イヤホンで音楽を聴きながら深夜までずっと鏡越しに自分の顔を見つめ」ているんですよ、笑。

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survof
(2018-04-05)

「自分勝手なロマンチスト」のほうも本当に鋭く読んでくださっているなと感じてとても嬉しかったです。 確かに自分もそこまでヘッセを全面に持ってくる意図はまったくなくて、ほんの小道具に過ぎなかったのですが、意外にたくさんの方が反応してくださって驚きました。やっぱりヘッセはファンが多いんですね。(といいつつ、「春の嵐」の主人公は身体障碍を持っておられるのですが、とにかく女性の母性の対象になることが多い。それで主人公はあるとき「多くの女性は私のようなかたわの人間もまた普通の人と同じように女性に思いを寄せるのだということを忘れているようだ」みたいなことを語るんです。正確なセリフは忘れてしまいましたが。。でこのセリフはこの作品のなかの「僕」の心情そのものであったりもして、ヘッセというよりも「春の嵐」という作品は結構思い入れがあったりはします)。 で、どちらかというと、ご指摘くださった本棚にずっとはさまっているエピソードとかを面白がって欲しかったな、、というのがあったのでこうださんの読みと分析はとても嬉しかったです。 大きな物語に回収されるか否かに関してはいまだに自分自身、まったくピンときていないというか、いまだにその視点で考えることができないでいます。何かのきっかけでそのことについて深く考えるときが将来くるかもしれません。そのときは今回のこうださんとの貴重なやりとりを必ず思い出すはずです。 私のほうもとても長くなってしまいましたが、深い意見交換ができてとても有意義でした。本当にありがとうございました!

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survof
(2018-04-05)

追記:長いので3つに分けました。

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こうだたけみ
(2018-04-05)

survofさんへ わーい! 無駄に長いのに読んでいただけてうれしいです。しかも、よろこんでいただけたみたいでホッとしました。 twitterでも書いたのですが、私は論理的な思考をするのが本当に苦手で。気づくと枝葉の部分に気を取られて本筋とは別のことを考えていて、あれ?なんのこと考えてたんだっけ?ってなるのはしょっちゅうで。それどころか、実際に人に話をしていても、途中から上の空になってどうでもよくなってしまうこともあったりして。気を抜くと、ホントにひどいんです。 そんなわけで、先ほどのコメントを書くのにものすごく苦労したので、survofさんによろこんでもらえて報われたなあと思いました。きっと、きちんと論理的に書かれている花緒さんのご意見を引きながら書いたのがよかったんでしょうね。 しかも! survofさんがどんなふうに創作するのか、好きな音楽がもたらす効果、影響を受けた作家など、いろんなお話が聞けて興味深かったです。そんなお話を引き出せたということだけでも、こうしてコメントした甲斐がありました。 そうそう、私が大きな物語にこだわる理由は、じつは今回のコメントとは全然別のところにもあったりします。学生の頃に所属していた文芸サークルの部長さんが事あるごとに大きな物語の話を口にしていて、それがどういうことなのかいまだにわからなくて。しかもその人は、たぶん亡くなってしまったのでもう話を聞くこともできないのです。 話してみたい人とは生きているうちに! また機会があればこうしてお話しさせてくださいね。ありがとうございました(*^^*)

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survof
(2018-04-05)

こうだたけみさん いえいえ、こちらこそ私にはなかった視点で作品を読んでくださり、本当に感謝です。 お亡くなりになられた文芸サークルの部長さんの言葉だったんですね。なるほどです。こだわりというのは必ず背後に潜在意識的な大きな何かが潜んでいると個人的に考えているので、その部長さんの心の中に何があったのかとても興味がありますね。それを想像するのも、あるいは自分もまたそのこだわりを引き継ぐことも、その部長さんを忘れないで覚えておく方法のひとつなのかもしれません。

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こうだたけみ
(2018-04-05)

survofさんへ これ以上書くとしつこすぎるのでやめようか迷ったのですが。 「ポストモダンは大きな物語の終焉だ」という言い方があって、部長さんの言っていた大きな物語はそこからきているとは思うのです。 忘れようにも忘れられないくらいおかしな人でした。いつも革パン姿で、服のまま海に飛び込んだり、カラオケで床にマイクを叩きつけたり、路駐してるバイクを倒して回ったり。 は! なんかセンチメンタルになってますね。笑 長々とありがとうございました。

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survof
(2018-04-05)

こうだたけみさん なかなか奥が深い話になりそうですね。自分はそこまで文学史、思想史に明るくないので、そのあたりあまり詳しく語れないのが残念ですが、ポストモダンといえば、自分のなかではデザインや建築の世界の直線的・無機質なモダニズム(形態は機能の具現化である)に対抗してのより装飾的で「無駄の多い」デザイン運動としてのポストモダンを思い浮かべます。どちらにしてもまだそういったポストモダンが「大きな物語」を終わらせたとは個人的には思えなくて、そのような大きな潮流と文脈があったこと自体、今の時代からすれば作られるものすべてが「大きな物語」の中に位置付けられるものだったのではないかなと感じています。それでも不思議に感じるのはネットが発達して、あらゆる分野において文脈の細分化が進んで「物語」の細分化が進んで、大きな文脈という意味での「大きな物語」の喪失がすすんでいるはずのこの21世紀が生み出しているものが、どういうわけかどれもこれも幾つかの雛形から生み出されたように似たものばかりの大量発生、つまり、こうだたけみさんのおっしゃるところの「大きな物語」に吸収されうるものばかりである、よりユニークな「個人の物語」として生み出されたものが非常に少なくなっているという印象をもつのですが、そのことがとても興味深く思えます。 つまり大きな文脈を持っていた時代のほうがよりユニークな作品が多かったのではないか、という見立てなのですが、私個人の意見では単純にものを作る人の人数が現代に比べて極端に少なかったからではないかと思っています。そして、作品の絶対数が少なかったぶん、一つ一つが求められるクオリティーが違っていたというシンプルな問題ではないかと。 何がいいたいかというと創作物が飽和しすぎて、消費する側が食傷気味になる、さらにそれぞれの作者が一つの作品にかけることができるエネルギーや時間やお金が圧倒的に少なくなっている(一つのパイを大量の人で奪い合っているから)状況のなかで、作品を熟成させ、よりユニークな個人の物語のものにしていくことが難しい、さらには情報量が多過ぎて消費する側も表面的な鑑賞にとどまってしまうのでわかりやすいものが求められる、こういった諸々が重なっているからこそうちらがなにかに接したときに「これは〇〇っぽい」「〜系」だよねというこうださんのいうところの「大きな物語」への吸収、つまり分類が生じてしまう。あるいはそうした形での作品、もとい商品作りに傾いていってしまう。これは時代の必然だと思っていて、だからこそ私のなかではそうした「大きな物語」や「個人の物語」へのこだわりがほとんどないのかもしれません。 たいていのものはやり尽くされて、その中で、純粋にものを作ることを楽しむこと、お金になることや有名になることからは離れて、あるいはユニークであることすら放棄してただ楽しみのために、あるいは人間の正常な営みの一部として創作活動を行うこと、これが私にとっての創作活動の理想なのかもしれません。その中で「大きな物語」に吸収されてしまうかどうかというのはほとんど意味を持たないように感じられます。 という私個人の持論はこの辺にしておいて、こういった意見をその部長さんに聞かせたらなんとお答えになるのかとても興味がありますね。それにしてもダイナミックな方だったのですね。その方の作品を読んでみたいような気もしますが、これだけ印象の強い方ですと、自分の頭のなかで空想を膨らませて私なりの「部長さん」の物語を作ってみたい気もします。

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こうだたけみ
(2018-04-06)

survofさんへ 私なんかより、survofさんと部長さんが直接話せたらおもしろそうですね。部長さんのところには、他サークルや他大学から人が来ていたことを思い出します。私はまた学生の時のように、なんかよくわからんけどおもしろいなーって思いながら側で話を聞いていたいです。それで、本気なのかからかってるのかわからない顔で「たけみちゃんはがんばってるよ〜」って部長さんに言われたいです。 実現はしないけれど。笑 私は、自分の書くものは言葉を使っている以上、最初から、過去の人間が作ってきたもの=言葉を借りて作っているのだと思っています。そのうえでさらに大きな物語をなぞることは、借りものの借りものみたいでとても嫌だなと思うのです。 だから、そうならないように注意を払っているつもりだし、だからこそ、簡単に大きな物語に回収されてしまうと嫌だと感じるのかなと思います。 なんかよく理解できていないものの上に乗って話をしているので、余計よくわからないですね私の話。すみません。 survofさんの〈不思議に感じるのはネットが発達して、あらゆる分野において文脈の細分化が進んで「物語」の細分化が進んで、大きな文脈という意味での「大きな物語」の喪失がすすんでいるはずのこの21世紀が生み出しているものが、どういうわけかどれもこれも幾つかの雛形から生み出されたように似たものばかりの大量発生、つまり、こうだたけみさんのおっしゃるところの「大きな物語」に吸収されうるものばかりである、よりユニークな「個人の物語」として生み出されたものが非常に少なくなっているという印象をもつのですが、そのことがとても興味深く思えます。〉というご意見を読んでいて、まったく関係ないのですが、ルーズソックスとかが流行った頃の女子高生の制服のことを思い浮かべていました。 校則から逃れたくてしているはずの格好が、同じように校則から逃れようとする子たちと同じになり画一的になっていく。個性って、ユニークってなんでしょうね。最初にやってみせた人がすごいのか。でもそれだってすでに存在しているものから生まれていて。 でもやっぱり私は、私が書いた、というその事実に意味を見出せたらいいなと、そんなふうに思っています。

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survof
(2018-04-06)

こうだたけみさんへ こうださんと私の考えていることは視点としては違うところに立っているようにみえるし、実際考えと言語化してしまうと、やはり全然違う意見をもっているようにみえるのですが、そうみえて根本的なところでは、実は考えていることはほとんど変わらないのかもしれないな、あるいは少なくとも半分くらいは同じことを感じたり考えているのか、、と感じました。思考の体系が違うと同じ考えを文章化するにしても、ものすごく異なった論理展開になることもあるのかな、、と。 <でもやっぱり私は、私が書いた、というその事実に意味を見出せたらいいなと、そんなふうに思っています。> この部分にはまったく同感なので。あとルーズソックスをはいた女子高生の例え、いいですね。いろいろと考えるヒントをいただいた気がします。

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