survof

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まりもさん お久しぶりです、コメントありがとうございます! >論理の明快さとグルグル具合が絶妙で、面白かったです。 ありがとうございます!書いているときも本当に論理がグルグルとしていて自分でも何考えてるんだか、、、という感じで、まったくの迷子状態で、一つ一つの論理は明快なはずなのに、論理構築はどんどん暴走しつづけ、結果、論理的に破綻しつつも結局何かしら大きな論理的帰結が次々と導かれては論点は次々とスライドしていって、次々と論理は構築されては崩壊し、結局は大量の燃えかすが風に吹かれてパラパラとあちらこちらに散らばっているだけの寂しい夕暮れ時なのでした。 詩壇と詩集のお話は、まりもさんだからこそのお話でとても興味深くお読み致しました。 >紙媒体・・・は、実際のところ、発信してもほとんど反応はない、のれんに腕押し、というあやふやな「かんじ」しかなくて、合評等で作品を前にガチでやりあったりしたときの充実感の方が、いかにも「たしか」な時間を過ごしたなぁ、という実感として残るのですね。 なるほどです。確かにそうしたところにネット詩掲示板の意義というものが存在するのかもしれませんね。 ネットの隆盛により音楽の消費は、作品の消費がモノから体験の消費に移行した、CDを買って聞くことよりもライブ体験のような、よりフィジカルな側面が消費されるようになった、などとよく言われますが、詩に関しても同様のことがいえるのかもしれないな、と思いました。つまり、多くの人にとってもはや詩の作品そのものは目的ではなくなってきているのではないか、むしろ、作品を公にすることで発生する反応、そこから発展する人間関係、そうしたことに詩を書く人たちは意味や楽しみを見出し始めているのかもしれないと感じるのです。そう考えた時に「詩」の定義も自然と変化していくべきなのかもしれません。 >詩・・・なんなんでしょうね。語り得ない、でも、たしかに思ったり感じたりしたことを、ありとあらゆる手段と工夫を通じて書き表そうとして、結局、その途中経過報告や、問いを読者に投げるところで中断しているもの(特にそれを文字媒体で行う行為)とでも、言う他なさそうです。 これは綺麗事ではない「詩」の定義のひとつとして、私個人としてはとても好きですね。水とは何か?それはH2Oのことである、といったような元も子もないような即物的なこの定義、皮肉ではなく、とても気に入りました。特にこの定義で好きなのは「ありとあらゆる手段と工夫を通じて書き表そうとして」という部分です。「ありとあらゆる手段と工夫を」したくなるような衝動、それは感情なのかもしれないし、思考なのかもしれないし思想なのかもしれない、あるいは、おもいっきり言葉で遊びたいということなのかもしれないし、誰かと繋がりたいということなのかもしれない。それを「詩情」と呼ぶのかもしれません。 (ネット詩の読解の不可能性についてのディレッタント・カット)

2019-06-17

沙一さん コメントありがとうございます!面白いといっていただけると、やっぱり書いてよかったな、と心から思うのです。詩とは何か、などは実はどうでもいいのかもしれません。とにかく、読む人に笑ってほしい、って思って筆をとりつつ、やっぱり詩とは何か、実はどうでもよくなんかないのかもしれなくて、私の脳みそは渦になるのでありますが、やはり面白いといっていただけると、私は有頂天になって私の脳みそはさらに渦になるのでございます。 >先日、書店で、ボルヘスの「詩という仕事について」という本をみかけました。詩については答えを出すのではなく、謎を提示することしかできないという、著者の謙虚な姿勢に惹かれたのですが、survofさんの本批評もどこか通じるようです。 なるほど。なんか深いですね。「詩とは何か」について何かそれらしいことを書けば書くほど、空々しく何か嘘っぽくなってしまうような気も致します。しかも、もはや今となっては詩誌のもと某選者が「詩集をだせばもっと詩人らしくなる」とかなんとか訳のわからないことをのたまわっているような嘆かわしいともおめでたいともいえる現状ですので、もうその問い自体が普遍性などとっくに失った、「君たちはどう生きるか」とおなじくらいぞっとするような、深いような白々しいような、お金の匂いしかしないような、それでいてどこか切実で、人間臭く、鋭い根源的な問いかけなのかもしれません。 >語り得ないことについては、やはり語ることができず、示すことしかできないのかもしれません。 なので、結局は私もこの沙一さんと同じ結論に到るんです。つまり謎をひとつ提示することでしか語り得ないのではないか、という、これもまたなんという空々しさ、と自分でも思うのですが、やはり作品に詰め込むしかないですね。また気が向いたらこのテーマで何か書いてみたいと思います! (ネット詩の読解の不可能性についてのディレッタント・カット)

2019-06-17

花緒さん 恥の多い、ネット詩人生活を送ってきました。私には、人間の詩というものが、見当つかないのです。 そして私は、私の書いている詩のようなものが、詩ではなくて、詩のようなものでさえきっとなくて、詩とはつながっていない、本当は、詩と似ているとさえ考えてはいけない、詩とは全く違う、何か詩とは別のものでしかないことに最近気づかされることが多く、批評ではなく、批評のようなものでさえきっとなくて、批評とはつながっていない、本当は、批評と似ているとさえ考えてはいけない、批評とは全く違う、何か批評とはべつものものでしかない何かを書くことで、花緒さんの作品に対する何かしらの私なりの返答としたかったのです。前置きが大変長くなりました。何よりコメントいただけて本当に嬉しいです、ありがとうございます! >現在、フォーラムにおいて、酷評問題が取りざたされていますが、この場において必要なことはライトレスでも無く、ラフな酷評でも無く、元の作品を喰う勢いで書かれる批評文なのか、批評文のようなものなのか、批評文のように見えてそういうわけでもない、なんなのか分からない散文による通交のようなものなのではないかということに思いが及びますね。 ずっと前から一度やってみたかったんです。作品に対して作品で返すっていうのを今回初めてなんとか形にできた気がします。ブラックジョークに対してジョークで返すというちょっとリスキーな行為ではあるので正直いうと半分ヒヤヒヤしましたが、権威者として好意的に評価してくださり光栄です。これで私も晴れてネット詩人になることができたので胸をはっていきたい所存です。 花緒さんのコメントのなかにある「詩とは」に関するお話も興味深いですね。この辺りを掘り下げた花緒さんの「どこか詩のような作品」をまたいつか読んでみたいです。ネット詩なんてものは、恥ずかしいことだ、不潔なことだ、などと思いながら結局私も時々こうして書いてしまって困ってしまっているわけですが、やはり私の場合は、とにかくその場で思いっきり遊びたいっていうのが本心なのかもしれません。久しぶりに戻ってきて、なんだか楽しくないな、と思っていたのですが、また思いっきり遊ぶことができて楽しかったです。お付き合いいただきありがとうございました! (ネット詩の読解の不可能性についてのディレッタント・カット)

2019-06-17

こうだたけみさん やった!!嬉しい限りです。 (ネット詩の読解の不可能性についてのディレッタント・カット)

2019-06-15

哀愁亭さん 無駄に長いのに最後まで読んでくださってありがとうございます!「くだらない(笑)」って言ってもらえるのが一番嬉しいです!! (ネット詩の読解の不可能性についてのディレッタント・カット)

2019-06-15

突然何を、って感じだと思うんですが、実は私、欅坂46好きなんですよ。所詮、特定のターゲットの心を鷲掴みにするための虚構なんだ、ってわかった上でも、やっぱり、ああいうふうに「ストレートに」若者の鬱憤をアイドルがなんだか蠢きながら叫んでいる図っていうのがものすごい迫力あって、パフォーマンスみてて鳥肌たって思わず涙が出そうになることがあります。歌詞では大人たちを批判しながら、結局自分たちが一番立派な「大人たち」じゃないの?っていうツッコミもしたくなるんですけど、それでもやはり彼女たちのパフォーマンスは胸に刺さります。ちょっと悔しいです。 で、なんであれだけグサッとくるんだろうってちょっと考えたんですけど、やっぱり流石は世間擦れした「大人」が書いた歌詞なんですよ。だから青臭いこと歌っているんだけどもどこか含蓄があるように思うんです。つまり若者たちの「ありのままの叫び」なんかじゃないんです、本当は多分。(こう考えると彼女たちのパフォーマンスって構造がかなり複雑で興味深いです) もうひとつは彼女たちが歌う歌詞のもつ視点の繊細さがあると思います。やっぱり作り込みが細かいから「作り物」なのにリアリティーを感じさせるんです。 この「黒い鎧」もどこかにそういった含蓄のあるアフォリズム的な何かだったり、若者特有の鋭い感性や観察眼を盛り込むことができたなら「青臭い」からこそでる迫力みたいなものを表現できたのかもしれないな、と思いました。 ただ、欅坂46のパフォーマンスって歌詞を読むものでなくて、聞くだけのものでもなくてやっぱり観るもので、平手さんのあの迫真の演技力がなかったらもしかしたらほとんど感動しないかもしれないなと思ったりもすると(アンチの方、敏感に反応しないでくださいね、笑)こういうストレートな表現の言葉だけで読者を魅せるのはかなり難易度の高いことなのかもしれません。 (黒い鎧)

2019-06-14

南雲さん この場所では、もう諍いのことはいったん置いておいて、詩の話をしませんか?「Diving into the wreck」が自分にとって特別な作品であるとせっかく紹介してくださって、私はそれではじめてこの作品を知ったのですから、南雲さんがこの作品を具体的にどう読まれたのか、どういう感想を持たれたのかを私は知りたいです。 るるりらさん 南雲さんが「Diving into the wreck」をどう読まれたのか、知りたくないですか?るるりらさんがこの「おひょー」を書いた目的の半分は南雲さんの批評に対するカウンターアクションだとしても、私は我儘を承知で申し上げるのですが、私はこの場においては詩の話、とくに「Diving into the wreck」の話をしたいし、読みたい気がします。 (Adrienne Rich作『Diving into the Wreck』を読んで)

2019-06-14

私の場合は言葉の意味より、言葉の響きが先行するので、やろうとしていることがなんとなく分かるような気もします。非常に感覚的な予想にすぎないですけど。 音響的な効果というか、音楽でいうとノイズとかアンビエントとかドローンとかそういった系の感性なのかな?とか、そんな感じのことを思いました。そもそもそれを言葉だけで表現するのって難しいという一面もあると思うのですが、ただ例えば「ASA-CHANG&巡礼」とかって音だけじゃなくて歌詞を読むと、言葉や音の繰り返しの構成も、言葉ひとつひとつも、非常に練られていて練度が高いからこそのあの効果なんだと思います。 でも、こうした平易な言葉の繰り返しが、言葉だけでどこかヒプノティックな感覚を生み出せたらやっぱり読んでみたいな、とも思います。個人的にはその感覚、すでに発生しかけているようにも感じます。あと3倍長かったらだいぶ違っただろうな、とか。同時に、やっぱり言葉をよく読む、と誰でもなんとなく分かる上に青臭いって思われかねない「ある意味ベタな意味」を持ってしまっているのが、ネックなような気がしました。もし音先行のコンセプトで読ませたいのであれば、なるべく言葉の意味からは意識をそらせたほうが、とくに意味先行型の読み手にとってはより効果的な気がします。 「ベタな意味」でミスリードでしつつ、音的にはめちゃめちゃ面白いことになっている、ってところが一番格好良さそうですけど、難易度かなり高いですよね。 (日常)

2019-06-13

追記: 冒頭の「First having read the book of myths」 ずっとこの部分のニュアンスに悩んでいるんですが、ただ単に物事の前後関係をはっきりするために「having」を使っているにすぎず、本を読んだのを「理由にして」その後の行動が続く、というのは私の深読みのしすぎかもしれません。冒頭の出だしの立て続けにカメラ、ナイフと続くリズム感を考えると、どちらかというと「最初に本を読んだので」というよりも「最初に本を読んでから」というニュアンスのほうがやはりしっくりくるような気がしてきました。 ただ作品全体を読むと行動のきっかけとして読めなくもないかな・・・くらいの感じです。 (Adrienne Rich作『Diving into the Wreck』を読んで)

2019-06-12

私がこの作品を読んで連想した神話というのは「オデュッセイア」にでてくるワンシーンです。 私が好きなウォーターハウスさん含めたくさんの絵描きさんが作品にしています。 https://artsandculture.google.com/asset/ulysses-and-the-sirens/qQH6ni1OHjyz9A 私は「オデュッセイア」など読んだことがありませんし、美術が好きだからちょっと思い出した程度のものです。 で、欧米の芸術ってこういうギリシャ時代からの綿々たる文脈があって、それぞれの引用や言葉におそらくかなりの隠喩や寓意が含まれています。ですので、この作品を本気で読み解こうと思えば、作者が持つ詩人としての文脈もさることながら、それぞれの表現がもつ西欧文明の長い歴史と文脈を紐解かないといけないのではないかと思います。ですので、こうしたハイブローな作品は読むのが難しい、というより前提として必要な知識があまりに多いように感じます。それを人々は「教養」と読んでいます。芸術の世界って「教養」ある人たちが偉そうにしているイメージありますが、実際のところ、「教養」がないとやりとりできない言語で話し合っているのだと思います。でもそんな「教養」なんて、っていう気持ち、ローブローで行こうじゃないか、っていう気持ちもありますが、ハイブローなローブローっていうスタンスもあって、人間のプライド意識ってなかなか一筋縄ではいかないですね。 とはいえ、作者の意図を完全に把握できずとも、この作品はなぜだかとても胸に刺さりますね。 私はうまく表現できないところも多いですが、ご指摘のように催眠術的な魅力もあって、眩惑されます。イメージが強力なので深くまで染み込んでいくような感じがするんです。 >でもさあ 刃こぼれしないの?大丈夫?だつてさ、作品は 拙ければ拙いほど 永遠に癒えない傷も深い。という言い方だって可能だよね。やめたほうが良い気もするね。ただせっかく手にした【剣】なので しっかり鞘におさめて 道中の懐刀にしたいと思う。 この、るるりらさんのコメントには深い共感を覚えました。 (Adrienne Rich作『Diving into the Wreck』を読んで)

2019-06-12

誤字訂正 先頭モード --> 戦闘モード (Adrienne Rich作『Diving into the Wreck』を読んで)

2019-06-12

せっかくなので、まずは原文へのリンクを改めて貼っておきます。 https://poets.org/poem/diving-wreck/ この作品の魅力は何より多層的であることです。いろいろな角度から光を当てて、読んでいけることだと思いました。 この機会に私が個人的にこの詩をどう読んだかコメントさせてください。先日のやりとりをまとめながらになるので、ちょっと長くなるかもしれません。 ------ はじめに語り手は、ある神話の本を読んできたのがきっかけとなって、その神話の中にでてくる難船の物語、その現場を探索することにします。これは特定の神話を指すと読むことができると思います。 まず冒頭の「First having read the book of myths」という表現ですが、時制の取り扱いがちょっと難しい表現です。「First I have read the book, …」であれば、「最初に私はその本を読んだ」ですが「have」ではなく「having」が使われているので、これは続く動作、つまりカメラ、ナイフの準備、あるいは潜水道具一式を装備する動作よりも前に行われていることを示唆しています。ですから意味合いとしては「はじめにその神話の本を読んだので、・・・」という感じになるかと思います。おまけに「read a book」のように「神話に関するある本」とではなく「the」を使って「read the book」、つまり「神話に関するその本」と述べています。つまり神話に関する特定の本が一連の行動のきっかけになっているのでしょう。 もう一つのヒントは6連目の「The words are purpose / The words are maps」という表現です。「The words」ではなく「Words」であったならば抽象的概念としての「言葉」だったりもっと広い意味での「言葉」を指しますが、ここも「The」によって「言葉」は特定されています。つまりここでいう「The words」とは特定の言葉と読めます。ある特定の神話の本(のなかのおそらく特定の神話)に動かされて潜水行為をしているので、この特定の言葉たちは「その本のなかで読んだ言葉」つまり「その本の神話の物語」、語り手を突き動かした特定の物語を指すと読みました。であれば「The words are purpose / The words are maps」つまり直訳すると「それらの言葉は目的である」「それらの言葉は地図である」という表現も「自分の行動の目的は(直前の連で描写したような海中の生物の観察ではなく)あくまで神話を追うこと」であり「その探索にあたり、読んだ物語の文章が地図のような役割を果たした」というふうに読めそうです。 もう一つの手がかりは8連目の冒頭「This is the place」です。直訳すると「ここがその場所である」。つまり語り手は沈んだ船の瓦礫を発見し、たしかにこれが自分が読んだ難船んの神話の現場に違いないと確信している、と読むことができます。 であればこそ、この作品の一つの核心部ともいえる6連目の表現が作者の思想・意志が力強く迫ってくるように思えます。 the thing I came for:
the wreck and not the story of the wreck
the thing itself and not the myth 自分は神話の物語のためにここにきたわけではなく、船の瓦礫そのものを見にきたんだという意思表明として読むこともできます。 これは「神話を読んだだけでは事件の凄惨さは知ることはできない。だから私は直接この目で見てその傷跡を確かめたいのだ」ということなのでしょうか?そうだとすると難船した船の瓦礫は、自分が抱える何か大きな傷、あるいは時代、システム、イデオロギー、などなど、などもっと大きな何かが抱える大きな問題点、傷の隠喩であると捉えて読み、自分はあくまでもそれから目を逸らさない、決然として向き合って生きていくのだ、神話のように甘い物語では語らせない、という決意表明として読むこともできるのです。 そうやって読めば、作者がカメラとナイフを持参していることの意味が分かるよう気がしますし、ボディースーツを「body-armor」(armorは甲冑や鎧のこと)と表現している意味も分かるような気がします。つまり完全に先頭モードなんです。この読みでいくと、相手はそうした大きな傷、難破した船の瓦礫が象徴する特定の何か、です。 ところが、この作品はそこまで単純ではないと私は感じました。なぜならこの6連目のこの意思表明の直後から、作品は一気に幻想的な表現に様変わりし、ビタースイートなどこか眩惑的なムードに支配され始めるように感じられたからです。 瓦礫の船に寄せる、作者の暗い幻想は描写こそ暗いですが「the drowned face always staring / toward the sun」の表現(直訳すると「溺れた顔がいつも太陽を凝視している」)や破船の中の宝に触れる描写など、西洋的な神話の世界への憧れがダダ漏れではないか?と突っ込みたくなります。 さらにビックリするのが、先ほどまでは「I came for … the thing itself and not the myth」と息巻いていた作者が本当に幻想の世界に没入していくところです。 And I am here, the mermaid whose dark hair
streams black, the merman in his armored body. で、「私」は 「mermaid」 と「merman」 に分裂します。「mermaid」は女性の人魚、「merman」も人魚ですが、男性です。画家のウォーターハウスなどが男性の人魚を描いた習作などがあるので、西洋では男性の人魚というのもそれほどおかしな概念ではないようです。実際「merman」という言葉があるわけですし。この 「mermaid」 と「merman」 は「私」が二つの主体に分裂するという以上に、性別までもが二つに分裂するという意味においていっそうシュールな幻想といえます。「mermaid」 と「merman」という言葉の対比は「女と男」と同じくらいコントラストが強いものです。 そして続く表現は以下の通り。 We circle silently
about the wreck
we dive into the hold. ここでいう「We」つまり「私たち」は誰でしょうか?作者は読み手を含めて「私たち」といっているのでしょうか? 自分はそうでないと感じました。ここは「mermaid」 と「merman」 に分裂した二人の「私」そして「語り手の私」を合わせての「私たち」だと思います。私たちは船の瓦礫のまわりを静かに泳ぎ回って、そしてその中に潜り込んだことを描写する続く表現は、ですから、読者を自分の幻想に引き込むためのレトリックであると読むよりは、分裂した「私たち」が実際に泳ぎ回っているという作者の幻想の表現であると読んだほうがしっくる来るように思われました。 きわめつけは「I am she: I am he」です。つまり「mermaid」 と「merman」 ははっきり「語り手本人」である、しかも不可思議なことに「私はmermaidであると同時にmerman」である、というのです。「:」で結ばれているのはこの同時性を強調するためではないでしょうか?ここでこの作品は一気に神秘主義的なムードを強めます。まるで象徴派絵画の世界です。 先ほどまでに「神話」をきっぱり拒絶していた作者がその神話の現場を目の前にして、今度は自分の「神話」を自分で夢想しているかのようです。 ですから最終連の「We are, I am, you are」という呼びかけにおける「We」「you」も、もしかしたら、読者を包含しているのかもしれないし、あるいは、先ほどの幻想の延長なのかもしれない。あるいは作品を締めるにあたって、あえて、読者に呼びかけ、作品は幻想から目を覚まそうとしているのかもしれません。 この複雑な構成ゆえにこの作品は非常に多層的だな、と思うんです。 まずはダイビングの写実的な表現で始まり、船の瓦礫の遭遇して一気に夢想的な記述に突入していくこの構造そのものが、幻想の深みのなかにさながらダイブしていくかのようです。 (Adrienne Rich作『Diving into the Wreck』を読んで)

2019-06-12

おそらく吐き出すような滑らかさで言葉を紡ぐことがこの作品の意図の一つではないかと推測したのですが、そういう意味ではかなり成功しているのではないかな?と思いました。ただ、次から次へと嘔吐が止まらない、といったような「滑らかさ」ではなく、もっと上品で清潔な「滑らかさ」を感じさせます。「ラブ・ソング」や「ROCK」など特に強調されているフレーズや、みなさん指摘されているような「予定調和」なストーリー性と、そうした一種の文体の「上品さ」との不整合というかバランスの悪さが一番大きな弱点なのかな、という気がしました。文体としてはむしろ優雅だと思うんです。そうした上品さや優雅さにもっと自覚的であってもよいのかな、という気がいたしました。 (オウト・ロック!!)

2019-06-10

「白い神話」がとても気になりました。特に冒頭の連の非常に練られた強度のある表現、そして「三人は」で始まる6連以降の直線的リズムに支えられた歯をくいしばるような強靭さが印象的でした。6連目、7連目は短いフレーズが畳み掛けるように連なっていますが、工夫された音韻に緊張感があって効果的に効いているように思います。しかも冒頭から2連目にかけてまず一度畳み掛け、そのあと若干リズムが柔らかくなり、そこから後半また徐々に引き締まっていくような印象があり、そのために読んでいてがっつりと掴まれる感じがします。欲をいえば中間部分、三人の思い出が語られる部分は言葉の緊張感が緩み過ぎている感じもします。 >白から生じ白へ消えてしまうなどというのは >どう考えても神話的ではないか 「白から生じ白へ消える」というイメージはパソコンの画面の中の世界に慣れ過ぎた自分にはむしろ自然すぎるぐらいのことで、毎日膨大な数の文字や画像が白いディスプレイから現れてそしてまた同じ白い画面のなかに消えていく。人の生まれて死に至ることもそれと同じくらい自然なはずで、本当に自然なくらいさりげなくこともなげに時間は人に命を与えたと思えば、同じくらいの気まぐれで奪っていく、そのあまりの自然さはあまりに非情で、理不尽です。生から死を「白から生じ白へ消える」に喩える巧みさはの一つはその言葉が喚起するイメージがもつ一種の「自然さ」であるような気がしました。「白から生じたものが白に消える」というのは分かりきったこと。だから「どう考えても神話的ではないか」に込められた悔しさが実感として迫ってくるように感じられるんです。 ただ、イメージはイメージとして、それとは別に、実際に「白から生じたものが白に消える」ものってどれくらいあるのだろうと考えると、大抵のものは腐敗して汚くなって朽ちていく。やはりそう考えた時にも「どう考えても神話的ではないか」が非常に痛切に訴えかけてくるように感じます。生から死までなかばシステマチックに処理されていくが病院だとして、現代の病院というものは生も死も何もかも清潔に消毒でもしてくれるかのように感じられるけど、そんな訳はないだろう、と。 (白い神話に寄せて 二編)

2019-06-10

渡辺八畳さん ご指摘のとおり意図的ミスリードです。この批評が容易に誤読されうる書き方になってしまっていることに対する批判です。 >つまりそれは詩作上のレトリックであって、現実のものでは決してない。痛々しい作品を作る人が現実でも傷ついている人かどうかは別であることと同じだ。中島みゆきとかさ。 これが筆者の意図であったかどうかですね。私はこうしたはっきりとした反論を筆者本人から期待していたのですが、筆者は「自分は誠実に書いたから文句があるなら運営にいってくれ」という姿勢でもって具体的な議論から逃げてしまった。 もし渡辺さんのおっしゃる上記の意図がこの批評の趣旨であったとするならば、それこそ、その部分を掘り下げて論じないとただの暴論になってしまう。 読み手のなかに「なるほど要するにこれはレトリックについての話なんだ・・・」と納得できるような土台作りすらこの評論は放棄しているので、渡辺さんがそのように読解すること自体、読みの可能性を広げるという一種の優しさに過ぎないと思うんです。 「おそらく悪気がない」と私が書いたのは渡辺さんと同じことを私も思ったのですが、この批評にそう読める要素があまりない、むしろ読み手のほうで必死にフォローしなければそう読めない。それは書かれた内容の性質上当然、指摘されて当然のことかと思いますし、るるりらさんの誤読も仕方がないと言えると思います。 つまりこの場合、(まあ、これも私のミスリード的レトリックなのですが)るるりらさんが派手に誤読して感情を害されたこと自体がこの「批評」に対する最大の「酷評」であるともいえるわけで、しかも筆者が反論を一切拒否している以上「見当違いな読解で話」が進んでしまうのはまあ必然ではないでしょうか? たとえ、筆者そのものの「批評」が致命的な弱点を抱えていたとはいえ、もし筆者が自分の主張を補強するために丁寧に反駁を重ねていたなら、むしろ、このテーマは深く意義深い議論に発展する可能性もあった訳です。初回の対応において筆者自身がわたしやるるりらさんのコメントを派手に誤読している、つまりその真意を掴み損ねているともいえます。そういう意味ではわたしのコメントの書き方がまずまずかったのかもしれない。 そういう意味においては非常に残念です。ただ、本投稿を通してまったく別のところで「詩」をめぶった議論が多少なりとも発展したのはとても有意義なことでした。ビーレビにおいては、やはり全員が投稿者ということもあり、酷評されれば多かれ少なかれ傷つきます。文学論も方法論もまちまちのなかで健全な議論というのはなかなか発展しにくい。やはり第三者の作品というのはそうしたしがらみから解放されるので、議論しやすいのではないでしょうか? それでも、やはり十分には発展しなかったのには私自身多少物足りなさを感じています。第三者の作品に対する議論もあの程度で終わってしまってのであれば、投稿者どうしの議論は馴れ合いに終わるか、もしくは感情的な物別れになってしまうかのどちらかで、仕方なく思うと同時になんというか、投稿掲示板における建設的な議論に限界を感じてしまったりもするのでした。 権威、権威といわれますが文壇、詩壇が機能するのはこうした一種の客観性を担保できている側面があるのではないかと最近は思っています。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-10

削除前にもう一つだけ修正: とても恥ずかしいミスがそのままになってました grave ... 「墓」になってますがおそらく「厳しい」が正しいです grave, mask ときたので、death mask を連想してしまい、メモで「墓」と書いておいたのが、そのまま形容詞のgrave ではなくて名詞だと思い込んでしまってました 他にも直したいところはありますが、これまでとします。 とにかく2時間くらいで急いで訳したので悪戦苦闘、という感じでしたが、これをきっかけに今回こうして珍しく詩について具体的な議論が多少なりともできたのはとても嬉しかったです。参加してくださった皆さん本当にありがとうございました! (訳詩:Diving into the Wreck (by Adrienne Rich))

2019-06-09

Diving into the wreckは丁寧に読み直して見ましたが、上記のコメントにある感想は一回撤回します。 ポエトリー・リーディングの雰囲気に一気に持って行かれて、あまりきちんと読めていませんでした。 原文を丁寧に読んでみると、上記のように単純に語ることはできない、非常に深みのある作品でした。 訳あってここに再度コメントさせていただきます。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-09

かるべまさひろさん >survofさん、該当コメントですが、適当なコメントという理由では削除には原則応じられないので、その点はご理解いただければ幸いです。 了解しました。 よろしくお願いします。 (訳詩:Diving into the Wreck (by Adrienne Rich))

2019-06-09

かるべまさひろさん そうですね、悩めるところですね・・・ 議論自体はとても有意義だったので残しておきたい気持ちもありつつ、あまり中途半端なことはしたくないという個人的な性格上の理由から、できれば全削除を希望です。一通りやりとりが終わったら、全削除お願いできますでしょうか? よろしくお願いします。 ついでにわがままをひとつ この投稿のきっかけになった以下の投稿への私の最後の2つのコメントも削除していただけますでしょうか?コメント時点で作品をきちんと読めておらず、適当なコメントを残してしまったので(こちらは即時削除で大丈夫です) https://www.breview.org/keijiban/?id=3523 恐縮ですが、何卒よろしくお願いします。今回は大事なご指摘をいろいろとありがとうございました。 (訳詩:Diving into the Wreck (by Adrienne Rich))

2019-06-09

あと、 weed はsea weed のことなので、「雑草」ではなくおそらく「海藻」 instrument ... 通常、文学的表現では「楽器」を指すので「機械」ではなく「楽器」 (訳詩:Diving into the Wreck (by Adrienne Rich))

2019-06-09

ためんだ ーー> ためだ (訳詩:Diving into the Wreck (by Adrienne Rich))

2019-06-09

消える前に修正メモ 最初の行の「First having read the book of myths」の訳: その御伽噺の本を読んだのが始まりだった それから、カメラの準備をして そして、ナイフの羽先をチェックした 「the wreck and not the story of the wreck
/the thing itself and not the myth」の訳: それは物語のためではなく、瓦礫の船のためんだ 真実を見たいのだ、神話などではなく (訳詩:Diving into the Wreck (by Adrienne Rich))

2019-06-09

黒髪さん ご返信ありがとうございます! 黒髮さんのスタンスみたいなものをお聞きできて良かったです。スタンスの違いはそのまま訳し方にも現れてくるのでその違いを明確にしておくのは意義深いと思います。おそらく黒髮さんがお気づきのように、私に今回のスタンスというのはどちらかというと「透明な訳者」を指向したものです。 原文から感じられる言葉のリズム、感触は、もちろん不可能なことではあるんですが、できるだけ訳詩にも反映させたい、細かいニュアンスにできるだけ切り込んでいきたい、というのが私のスタンスで、どちらかというと分析的なアプローチが好きです。詩の「解釈」というのは普段はあまり考えないんですが、訳すに当たっては自分なりに解釈を確立させていって訳したいというのが本音です。ですから、本来なら1−2時間でばばっと訳してしまうんではなくて、作者や作品の背景もたっぷり時間をかけて深く掘り下げて、それを一行一行に反映させてみたかった、それができたらどんなに楽しいだろうな、と思います。 私は作家や芸術家の評伝を読むのがとても好きなんです。作品そのものと同じくらい作者に興味があります。私は書き手の存在を意識することなしに文章を読むことは少ないんじゃないかな、と思うんです。 ただ、こういうのは黒髪さんのスタンスもそうですが、その人それぞれにユニークなもので、そうした違いが必然的に訳し方の違いに大きく現れてくるというのは非常に興味深いことで、それぞれがその人の角度で作品に光を当てることによって作品はより立体的になっていく気がします。 ありがとうございました。 >途中で、妄想のようなものに、主人公は襲われ、幻のようにイメージを、挟み込んだ、一種の夢想的叙述を、楽しむものじゃないかな、と思いました。そして、縄はしごを下るとき、「恐怖と闘いながら」、とおっしゃっておられるのは、凄く面白いイメージだと思います。楽しめます。 なるほどです。 こういうところを議論して深めようと思うとどうしてもスタンスの差が壁になってしまいますね・・・。私が「恐怖と闘いながら」となぜ思ったのか?これは果たして夢想的記述なのか、それとも写実的な記述なのか?について作品中の例をあげながらまだまだ語れますし、そうしたところなのですが、黒髪さんはもっと感覚的な仕方で作品を楽しまれることを望んでおられるようなので、ここはあえて我慢することにします。 (ひとこと添えるとすれば、完全性を目指すということではなく、この英語をどう読むか?的な純粋な語学的な喜びを共有したいという気持ちが今回の私の追記の趣旨であるような気がします) 話はそれますが、翻訳を一般公開してしまうのはどうやら翻訳権に抵触する場合があるようなので、この投稿は削除をお願いしました。 短い間で名残惜しいですが、とても有意義なやりとりができてとても嬉しかったです。 本当にありがとうございました! (訳詩:Diving into the Wreck (by Adrienne Rich))

2019-06-08

冷静に考えると、「
I crawl like an insect down the ladder」は文法的に素直に訳したら「虫のようにはってハシゴをくだる」(直訳)となりますね (訳詩:Diving into the Wreck (by Adrienne Rich))

2019-06-08

黒髪さん 追記です。 黒髪さんと私の訳での一番大きな違いはダイブするタイミングだと思います。 「My flippers cripple me,
I crawl like an insect down the ladder
 and there is no one to tell me when the ocean 
will begin.」の「when the ocean 
will begin」部分、最初は私も同じように「どこから海が始まるのか」と読んだですが、ものすごく悩んだんです。 上記の記述は黒髮さんの訳のようにすでに海に入ったあとの描写としても読むことができると思うんです。 個人的には「
I crawl like an insect down the ladder」の描写であえてladderを比喩に含めていることから、縄ばしごを下る自分自身の描写と重ねているのではないか?と思い、ここではまだダイブしていない、ということにしました。 ただ、黒髮さんの訳を読むと、この部分はすでにダイブした後と読む方が自然なような気もするんです。となると「My flippers cripple me」の直前の「I go down」がダイブした行為を指すと読むことができます。 「crawl」の解釈も難しかったです。クロールで泳ぐという意味はありますが、基本的には「はって動く」「のそのそと動く」といった意味なので、とするとやはり恐怖と闘いながら縄はしごをくだっているシーンと捉える方が良い気がする一方 「My flippers cripple me」の部分、ハシゴを下るときにすごく邪魔だと私は読みましたが、これは海にはいって、一気に抵抗がましてフリッパーがまとわりつくような表現にも感じられます。 直後の連も「First the air is blue...」で始まっており、この直後の連が海に飛び込んでいくシーンだと私は解釈しましたが、なかなか難しいところでした。 私自身不勉強なところがあり、かなり悩んだ部分であります。もしお時間ありましたら、黒髮さんのご意見もお聞かせいただけると嬉しいです。 (訳詩:Diving into the Wreck (by Adrienne Rich))

2019-06-08

哀愁亭さん 本当に翻訳者の方々がいないと作品を知ることすらままならないですからね。場合によっては膨大な調査に基づいてなされる翻訳というお仕事に対する尊敬が深まりました。 >この投稿、もしかすると消えてしまうのかもしれませんが、本当にgood jobです。 でもこうして原文を囲んでいろいろな方とお話できたのは本当に貴重でした!こちらこそありがとうございます。 (訳詩:Diving into the Wreck (by Adrienne Rich))

2019-06-08

哀愁亭 さん コメントありがとうございます! >本来外国の文学は、とりわけ言葉の芸術である詩は、原文を読んで味わうべきもので、翻訳だけを読んでいいだの悪いだの言うのがおかしいです。 確かに原文で読んだ時の印象って全然違いますよね。といっても私にとっては特に文学で使われる英語ってとても難しくて、なかなかニュースの英語や仕事で使う英語を読むようには簡単に読ませてくれないです。また英語ネイティブ特有の言語感覚、ニュアンス、ユーモアといったものがあって、そこは絶対に超えられない壁なのかな、とも感じています。よく、文学の翻訳は、例えば英語から日本語への翻訳であれば日本語ネイティブにしかできない、といわれているようです。須賀敦子さんなどはイタリア語も堪能で、谷崎潤一郎などの日本文学をイタリア語に訳して、かつ高く評価されているようですが、それはなかなか珍しい例のようですね。よっぽど両方の言語に堪能でないといけないみたいです。おそらく日本人よりも日本文学の教養があるドナルド・キーンさんのような方もいらっしゃるので、あの方々はなんというか天上人です・・・。 哀愁亭 さんの訳もありがとうございます!同じ作品をみんなで訳してみるっていうのはとても面白いです。女性の語り口にするというのも確かにいいですね >特に最初のbook of mythsは、そのまま神話の本とか御伽噺の本というよりも、それくらい大事な本、って意味じゃないかな、と内容的に思います。 たしかにそうなのかもしれませんね。 個人的にこれを神話の本、御伽噺の本としたのは、「First having read the book of myths」と冒頭にあって、つまり「the book of myths」が一連の探索のきっかけになっているように感じたからなんです。「The words are purposes.
The words are maps.
」とあとで出てきてここはすごく訳に悩んだんですが、「the words」はその「the book of myths」で読んだ事柄と読むこともできる。「the thing I came for:
the wreck and not the story of the wreck
/the thing itself and not the myth」は、私はその本で読んだ船が難破する神話読んでそれに惹かれてここまで潜ってきたけれども、その神話の世界に浸るためにそうしたのではない、あくまでその事件の実態に触れたいのだ、との心情表明とも読み取れますし、その次の連の「This is the place.」は「ここがその場所だ」というのはやはり、ここがあの本つまり「the book of myths」で読んだ事柄が起きた場所なのだ、というふうに私は読んだんです。なので日本語として「御伽噺」が十分にこれを表現できていないのはちょっと悔しいんですけど、あくまで特定の本、特定の物語にこだわりました。 でも隠喩として作品全体を読む時、はたしてその「the book of myths」って何?っていうところで読みがどんどん深まっていくところだとは思っていて「これがなきゃ生きていけない」本、という解釈も大いにありだと思います。 (訳詩:Diving into the Wreck (by Adrienne Rich))

2019-06-08

なつさん コメントくださったようで、ありがとうございます!内容が飛んでしまって読めないのが残念です。 (訳詩:Diving into the Wreck (by Adrienne Rich))

2019-06-08

かるべまさひろさん >星の王子さまの池澤夏樹訳の漫画を愛読したり、戯曲の翻訳の違いとかは勉強したことがあるのですが、英語詩は不勉強なので挑戦したくなりました。 是非是非!もしかしたら、訳してみるのって詩作のいい勉強になるかもしれないって思いました。 投稿するしないは別として、またやってみたいなと思いました。 読んで浮かんだ情景や思念を日本語に置き換える作業の際に、日本語力すごく試される気がします。いちから詩作するのって結構大変ですし、自由すぎて自分の手癖にはまってしまったりしますが、訳す対象があると、ここは絶対こう表現したいな、っていうのがあって、どういう日本語が一番ふさわしいんだろう、、ってかなり悩むんです。私は結構惨敗していますが、汗。 外国文学をいろんな訳で読むのも面白いかもです。私はあまりやったことがないので、今度チャレンジしてみようかな、と思いました! (訳詩:Diving into the Wreck (by Adrienne Rich))

2019-06-08

黒髪さん ありがとうございます!めっちゃ嬉しいです。こういう偶然もあるものですね。 >改行に、詩情を作る意図が見え、その為の労を、一つの詩作品として、成り立たせている、その点に、可読性に秀でた訳になっている翻訳であると、感じました。 恐縮でございます。急いで訳したので、言葉を練る時間があまりなく、とくに冒頭の「First having read ... 」の部分、それから一番大事な場所であると私が感じている「the thing I came for:
the wreck and not the story of the wreck
/the thing itself and not the myth」の部分などなかなかうまい言葉が見つからず、なるべく私が作品から感じたことを反映させるようには努めたのですが、力不足を感じました。 辞書に関しては基本ネットで検索、どうしてもわからない場合はPenguinの分厚い英英辞典を調べて見たりしてます。リーダースはどうしても手が出ず、昔からいろんな人がおすすめしてくれたんですが、結局今に到るまで一度も買ったことがないです。おすすめしてくれる人が口をそれえて「とにかく単語の守備範囲が広い」といいますし、最近はアプリでも買えるのでお金があるときに検討してみます! それから私の場合、英語力不足以上に日本語力の不足を何より感じました。やってみるといろんな課題がみえてくるので勉強になります。 黒髮さんの訳は、本当に訳詩なのか?っていうくらい日本語として消化されていて素晴らしいと思いました。細かいところこそ確かにごまかしているともいえなくはないですが、それは訳す以上仕方がないことで、作品のどの部分を一番強調したいかによって、ある部分は省略してしまわなければ日本語の詩としたときに説得力が減ぜられるものです。それは私自身やってみて体感しました。 何よりも全体の言葉の流れの美しさ、自然さ、日本語としての美しさが少しも損なわれることのない訳で、というより原文もこうも美しい日本語に置き換えられるものかと唸りました。そもそも日本語の扱いのレベルが高いですよね。ひとつの作品として完成されていて、しかも私とは少し違う切り口の訳で、英語に関しても詩作に関しても学ぶところが非常に多いです。細かい訳し方など唸る箇所多数です。本当にありがとうございます! 最初はこの作品は「自分の傷のようなものから目を背けず対峙して戦っていく」作品なのかな?と思っていたんですが、訳しながら丹念に読んでいくと、神秘主義的なムードのほうが強い作品ですね。特に「the thing I came for:」で始まる6連目以降、荒廃した破船の瓦礫に寄せるダークなファンタジーがとてもヨーロッパ的で、その幻想も主語がだんだん分裂していって眩惑的です。絵画にたとえるとベックリンとウォータハウスを混ぜたような印象。 タイトルの「Diving into the wreck」も最初は作者自身のwreckへのDivingとかけているのかな?と思ったのですが、訳して見たら、うーん、そうじゃないかもしれないな、と感じました。なかなか読み応えのある作品でなんども読んでは情景を味わうとともに意味を考えてしまいます。 この度は本当にありがとうございました。 (訳詩:Diving into the Wreck (by Adrienne Rich))

2019-06-08

かるばまさひろさん リンク:https://poets.org/poem/diving-wreck/ 貼り忘れました、汗 (訳詩:Diving into the Wreck (by Adrienne Rich))

2019-06-08

かるべまさひろさん 著作権に関する大事なコメントありがとうございます! まず原文に関しては削除していただき、さしあたってはこちらのサイトのリンクに差し替えていただけますでしょうか? こちらのサイトの原文は著者、および著作権者の許可を得ているようです。(Reprinted by permission of the author and W. W. Norton & Companyの記載あり) 翻案権に関しても確かにですね。流れ次第では削除も大丈夫です。 (訳詩:Diving into the Wreck (by Adrienne Rich))

2019-06-08

るるりらさん コメントありがとうございます! 多分私のは間違いだらけなので白石さんの訳も見て見たいです。でも、確かに著作権問題迷いますよね・・・。部分的な引用とかならたしか大丈夫だったような気がします。 黒髪氏の訳も是非是非見て見たいです。私はここに載せていただいても大丈夫ですし、ブログとかに書かれるようでしたらリンク教えていただくでも大丈夫です。 詩は特にそのまま訳すっていうのがほぼ無理なので、他の方の訳は是非参考にしてみたいです! (訳詩:Diving into the Wreck (by Adrienne Rich))

2019-06-07

じっくり読んで見たら最初の印象と全然違いました。全然読めてなかったし、今回訳したけどもちゃんと読めてるのか不明です。 英語の詩を訳したのは多分初めてですが、難しすぎました。誤訳や改善点など沢山あると思いますので、英語詳しい方、あるいはこの詩人さんに詳しい方、ご指摘いただけると嬉しいです。 (訳詩:Diving into the Wreck (by Adrienne Rich))

2019-06-07

追記: 「the wreck」 と定冠詞付きなので「wreck」は特定の何かの隠喩 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-07

この「批評」文に関して言いたいことは上記二つのコメントでもう言いつくしました。私が批評対象であったなら、もっと怒っていたと思いますし、謝罪しろと粘着したかもしれません。でも筆者にはおそらく悪意はないんだと思います。私はその無意識(であると信じたい)の結果生じた「悪意」をこの「批評」の弱点として「酷評」したにすぎません。 私としても言いすぎた点がありました。それについては謝罪いたします。こんなことでやりとりが終わってしまうのはなんだか寂しいですので最後にDiving into the wreck を読んだ私の感想を書いて私はこれで終わりにします。 ---- Diving into the wreck wreckはおそらく"ship wreck"つまり難船のwreckで、「瓦礫」というより、海底に沈んだ破船に向かって潜るという詩で、また英語の"wreck"には船だけでなく人生などが大きく挫折すること、破滅することに対しても用いられる言葉かと思います。 Adrienne Richは"Diving into the wreck"のなかで、海に潜って破船を探索するという文字通りの"Diving into the wreck"(破船にむかって潜っていくこと)と、おそらく自分の人生が破滅に向かって突き進んでいること、もしくは忘れたいような過去の自分の辛い経験へと深く潜っていくこと、そういった比喩的な"Diving into the wreck"を重ねて書いています。 この作品はただ単にダイビングをするという詩ではない。作品全体に非常に痛切で不穏な緊張感に満ちており、同時に強い水圧(つまり自分を潰そうとする強い力)に抗おうとする力強い情感がこもっていて、それが読み人を震え上がらせるんです。海の色が青から緑に変わってそして最後に黒になり、そして作者はblack outして、そして作者は残骸と対面するんです。作中になんども登場する"damage"という単語が本当に辛い響きです。 "I came for: the wreck and not the story of the wreck"と何度か繰り返されています。「難船の物語を知るためにここに来たのではない。残骸のためだ」と語る作者は過去の自分の傷に向き合ってそれに対する闘いを宣言しているかのようです。おそらくこの"wreck"つまり破船の残骸は、癒えない心の傷が実体化したものです。作者が武装したような表現もそうした攻撃的な決意表明を暗示しているように思います。つまり過去のどうしようもない心の傷に向き合うために深く自身に沈潜し、目を背けたいような深い傷とあくまでも対峙していくんだ、喧嘩上等だ、私は絶対に押しつぶされない。という作品なんだと私は読みました。 なのでこの作品がこの「批評」に登場するのはこの「筆者」の文学論に照らせば必然です。 私はこのDiving into the wreck、完全に意味を把握できたとは思っていないですが、それでも、深く突き動かされます。なかなかこういう作品に出会うことはないです。 命を削って芸術に向き合った人、向き合わざるを得なかった人の作品っていうのは良くも悪くもとんでもないパワーを持っています。それは間違いないです。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-07

私は婉曲的な書き方をしました。伝わっていないようなのではっきり書きます。 ・あくまで「文学とは何か?」を本気で語りたいならば(そんな問いにいまさら意味があるとは私は思いませんが)、「私が「文学」をどのようなものと考えているかを感じ取っていただければよいと思っている」などと逃げ道を用意するべきではない。そんな逃げ道を用意しなければならないほどそのテーマが筆者にとって大きすぎるなら、あくまでこの「批評」は本人の「文学的嗜好を語るもの」にとどまることになるのではないでしょうか?文学的嗜好なら大いに語っていただきたいですし、読みたいです。筆者がどんな言い訳芸を展開したところで、やはり今回のような形で投稿作を取り上げることに何の必然性も感じられません。これ以上は水掛け論になるでしょうから反論はいりません。 ・筆者が第一回で取り上げ、殊更に評価した作品は近親相姦を連想させるものであり、またこの「批評」の前半部分において、筆者が特にお気に入りの詩人として紹介された詩人もそうしたものの被害者でそうした体験からくる傷に深く根ざした詩人である以上(そのことはるるりらさんのコメントから初めて知った訳ですが)、この流れで「批評」対象作品と書き手の「女性性」をあえて論じ(「女性性」を論じているというより作者が「女性」であるということに対する感傷を垂れ流し)、しかも作者が近親相姦を連想させるような作品や、そうした体験に苦しんだ詩人の作品がもっているのと同じような(必ずしも同じ種類とはいっていないが、しかしおそらく同じ程度の深さの)癒えない心の傷を作品において表現することが作者がいわゆる「文学」を得るために必要である、という一連の論理展開はおそらく無意識なのでしょうが、ほとんどセクハラです。その行為の是非については私は論じません。 ・相手が女性でないとしても「癒し得ない深い傷」が作品に足りないとして、それゆえにそれは「文学」ではないと論じるのは、いってみれば筆者のえげつない文学観でもって、その文学観を必ずしも共有していないかもしれない赤の他人をその「文学」観でもってぶん殴るようなものです。その行為の是非については私は論じません。 ・筆者の文学論に私はまったく賛成しませんが、おそらく議論したところ水掛け論になるでしょうから、あえてそこには反論しません。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-06

ちなみに『Diving into the Wreck』のポエトリーリーディングは聞いてみましたが超格好良かったです。意味は全然わからないですが。やはり英語は子音が作り出すエッジのある音韻が非常に魅力的ですね。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-05

筆者の論点を言い換えるなら ・「私」は「作品の中に永久に癒えない傷がある」ことを「文学」であるための必要条件の一つとしている ・批評対象の「そらおそろしい」という作品はその必要条件にかなっていない ・つまり「そらおそろしい」という作品は「私」にとって「文学」ではない ・るるりらさんが筆者にとっての「文学」を生み出すためには「深い耐久性のある傷」を手に入れる必要がある。 ここからあえて少しだけ論理を飛躍させて論点を要約すると ・つまり、筆者の文学的渇望を満たすために、るるりらさんは容易に癒えないような心の傷を負う必要がある。 (あるいはそうした「深い傷」をわざわざ内面から掘り出してきて、作品にきちんと投影させる必要がある) なかなかの暴挙だと思いました。 「私が「文学」をどのようなものと考えているかを感じ取っていただければよいと思っている」と筆者自ら書いているように、(もしその文面を裏表なく正直に受け取るとするならばですが)、この「批評」文の意図は筆者の文学的嗜好を語ることです。 筆者の文学的嗜好を語るのに、投稿作品の弱点を晒すことに建設的な意味を感じません。もちろん、私としては書き手の文学的な嗜好には興味があるので、この文章の前半部分などは興味深くお読みできた訳ですが・・ (といっても筆者のいう「文学」に私は同意しませんが、それはこの際どうでもいいことです) まあ、そんなことはさておき、この文章の筆者は、性別を偽っているような投稿者が、魅力的な人物を思わせるような魅力的な作品を書き、そしてさらに「女性」としての立場表明をする際、その時もやはり「鈴のようなものが、リンと鳴るのを感じ」られるのだろうか? この文章を読んで一番興味を覚えたのは上記の点である。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-05

ふじりゅうさん コメントありがとうございます! >その視点の移り変わりが極めてテクニカルに感じました。 この部分はちょっとわざとらしいかな、、と思ってなんども書き直したのですが、結局つぎはぎ感をうまく消すことができず、今後の課題としたいな、と感じていた部分でした。以前からこの種の強引な転換の手法はほとんど手癖になってしまっているので、要改善なんです。 >少女への、主人公が(勝手に)考えたストーリーがいかにも妄想らしく、情報を大して与えられていないのに主人公像が浮かび上がるところが素晴らしいです。 このコメントは滅茶うれしいです!語り手は少女のことを語っているようで実は自分のことしか語っていない、見る対象がことごとく語り手の鏡になっているっていう構造にしたかったので、少しでもその意図が伝わったのかな、、という気がします。 (葉子)

2019-06-04

仲程さん コメントありがとうございます!感想嬉しいです。本当は、語り手が目を奪われた対象の少女自身の「陰」も書きたかったのですが、なかなかそこまで手が回らず、、、でした。もう少しいろいろ書いて見て、また同じテーマに戻ってきたいな、と思っています。 なかたつさん いつも丁寧な読解ありがとうございます!いつも書き手の私が気づかなかった視点で読んでくださるので、なかたつさんのコメントは非常に新鮮ですし、貴重で、とても嬉しく思います。 >つまり、正面から向き合う関係性にはない相手との対峙ということを示している。正面から向き合うことのできる関係性というのは、既に構築された関係性であり、この一瞬の場面の切り取りというところで「横顔」を描くというのは、必然性がある。 これはなるほど!と思いました。であれば、最後に書いた、正面から老婆をとらえた肖像画にもそうした関係性を持ち込むことでもう少し掘って書くことができたかもしれないですね。 >名も知らぬ、その場で出会った人物に名付けるということは、それと同時に、その場面を切り取って、まるで額縁にかざるようにタイトル付けをするようなものである これもなかなか考えさせられるコメントでした。ご指摘いただいたように実際に私はこの文章でそれと同じことをやっているわけなので、とても鋭いご指摘だな、と思いました。 >「美しい」とは何であるか これは本当に考えさせられます。美しさ、醜さについて書くのは本当に難しいですね。でもこの作品を書いた直後に川端康成の「みずうみ」読んだんですけど(同じジャンルかもしれませんね)、とてもかなわないな、って思いました。自分が感じてたこと、書きたかったこと、全部表現されているんです。およびもつかないほど鋭く掘った上に自分の性癖まるだしのエグさ、感性の異常な鋭さ。 私が書こうとしていることが何かあったとてして、大抵そういうのって誰かがものすごく深く思索した上で、優れた作品に昇華させているな、と感じます。今の私に何か書いたり読んだりすることに楽しみや普遍性があるとすれば、それはもしかしたら「美しさ」のようないわゆる大きな「普遍的」テーマに取り組みことじゃなくて、もっとありふれた日常のささいな心の動き、あるいは些細なユーモアを描くことによって生じる自分のあるいは他人の呼吸を感じることなのではないかな、と感じたりもします。 鼻歌みたいなものを目指していきたいな、などとおもっております。 (葉子)

2019-06-02

コーエン兄弟は「ファーゴ」しかみたことがないのですが、あれを見た頃は、ブラックユーモアというのがよくわかっておらず、ただ絵がきれいだな、って感じで、結局雪の白い景色をただただみるために見てたんだな、、とそんなことを思い返しました。うん、多分私の感性は当時とあまり変わっていないし、それにしてもやはり、ブラックユーモアっていわれている作品ってユーモアっていうより、ただ単にブラックの極みですよね、そしてそのブラックをユーモアとするその感性がもう、ただただひたすら底知れず徹底的に何から何まで腐ったヘドロのようにブラックですよね。しかも理性的に理知的にインテリジェンスな抑制が効いていると、なんかもうブラックを通り越して徹底的に虚無です、もう食べ物が砂と石しかありません。読後感が砂利のようです。 (ノーカントリー)

2019-05-31

丁寧にご返信ありがとうございます! 〈諸作家のこと〉 村上春樹はひとつも読みきっていないのでそれを愛読しているひとたちについては一言もコメントできません。谷崎は「細雪」「春琴抄」だけですが読みました。太宰は最近すごくはまってたくさんよんでます。どちらも好きです。たしかに空っぽかもしれません。でもだからいいんです。あと川端康成の空っぽさも好きです。昔から残っている俳句や短歌も同じ意味でみんな空っぽです。空っぽを脱却しようとしている現代の短歌や俳句はとてもじゃないですが読めません。日本人でよかったな、、と思えるのはうまいおにぎりと味噌汁とうどんを食っているときと、こういう「空っぽな」日本文学を読んでいる時です。現代の作家の空っぽ加減とは違うと思うのですが、そこはもしかしたら私自身の感性にどこかアナクロなところがあって、こうした日本文学の大家の作品に見られる古き日本の雰囲気にほだされているだけなのかもしれません。というかおそらく文学に対する基本的な感受性に私とは大きな隔たりがあるように感じました。私はおそらく南雲さんが愛読されるようなもの(実例がないのでわかりませんが)はとても読めないんじゃないか、という気がしてきました。その点認識できたのでこの話題は意味があったと思います。 ついでにいうと私は町田康の初期作品が大好きです。ああダメだこいつ、っておもったら私の感想はすべてスルーしてください、笑 〈『砂場均し』の文体について〉 >冗長という言葉は、批評文の中によく登場する言葉で、私はいつも他人の作品を批評する時、使用を避けています。嫌いなのです。冗長だと言ってみたところで、何か言った気になれないのです。 とても便利な言葉なので私は大好きな言葉です。要するにどうとでもその意味するところを変えられる便利な言葉です。そういう空っぽな日本語が私は大好きです。 >長ったらしいものや説明的なものの中に一つ二つ輝く語句や内容的なものや感性的な色合いがあれば、私はそれで喜ぶことができます。 私はさらにそこに視点や感性の鋭さを求めます。日本のスカスカな大家の小説家はこの点で稀有のものをもっていると感じます。 せっかく輝く語句や感性的な色合いがあっても長ったらしい説明がそれを殺していては文章として失敗だと私は思うのです。あるいは長ったらしい説明自体がそうした感性の表現である場合は面白いと感じます。自分を晒して傷を舐め合う場所なら必ずしもそうではないかもしれませんが・・・ >私は会話部分の制作にあたっては、リズムよりは内容を、契約書でも作るように漏れなく記述することに努めました それがうまく機能すれば面白いと思います! 〈孤独と物語〉 この点に関しては正直にいうと私は南雲のおっしゃるところの孤独というものをおそらく知りません。これについては私がこれ以上何かを述べたところで、南雲さんと同じように孤独を感じている方々を深く傷つけるだけのような気がするのでやめておきます。 私も急ぎで書いたので、もろもろ酌量していただければ幸いです。 (砂場均し)

2019-04-25

村上春樹がとにかく読みにくくて、話の導入で読むのをやめてしまうような私の感想なので、もしかしたらずいぶん的はずれかもしれませんが・・・ とても冗長な作品なのに冗長さを活かしきれてないように感じました。おばさんとの会話のエピソードをもっと磨けばかなり深みがでたはずなのに勿体無い使い方に感じます。その会話部分もどこか不自然というか、会話としてはもちろん不自然なところはどこもないのですけど、会話部分のリズムが文章としてはあまりよくはないのに、そのぎこちなさがあまり効いてこないばかりか、語り手があまりにいろいろと観念的なことを説明しすぎるせいで読み手の想像力も次々に奪われていくので、文章が続けば続くほど作品の情景がどんどん死んでいくのがとても勿体無いな、というのが率直な感想です。 あと内容について突っ込むとすると >私には物語が欠けている。 >物語が欲しい。 いやいや、「何を初めてもまったく続かなかったっていう物語がきちんとあるじゃん!」って思わず激しく突っ込んでしまいました。それを「私には物語がない」と感傷にふける感受性を私は個人的にはあまり好きにはなれないっていうのは勿論あるんですが、「自分が欲しい物語」が手に入らなかっただけで物語がないわけではないと思うんですよ。だってこうやって長々と「物語が欲しい」って語っているこれ自体が一つの物語じゃないですか?なんか満たされない気持ちを抱えて、詩とか書いちゃうセンチメンタルな人生の物語がいままさにこの掲示板上にあるじゃないですか?そこに切り込んで欲しかったなあ、、というのは個人的なわがままですが、あるいはあえてその多重構造を用意したというのであれば、もっとこの「皮肉」に自覚的であることを鋭く示した表現が欲しかったです。 例えば >続くものと続かないもの、 の対比が一つ作品の軸になっているように思えます。 何を初めても続かなかったと嘆く語り手は自分には「物語がない」といい、つまり、「続くもの」を「物語」と暗に定義しているとするなら >そうして得るものはいつも孤独というもので、これだけが続くわけだ。 これは自分には「孤独」という「物語」があるとも読めますし、実際作者はこれを一つの物語としてここに提示しているわけで「物語」という言葉を巡る面白い循環が発生しかけていて、そういったある種のロジックの自己矛盾や「意味」の自己言及的循環にさらに言及すれば観念的思索に深みも増したかもしれないと思うのですが、そこのところでただ「孤独」という言葉に酔って終わってしまっているように感じられるところが非常に勿体無いと思いました。 あとこの作品においては改行はむしろ読みにくさを増長させているように思います。改行させてひとつひとつ味わうほどのものを感じることはできなかったし、改行によって特別効果的なリズムが生まれているわけでもないように感じるので、いっそ改行なしの散文の形式にしたほうがむしろ可読性も高まる上に、もしかしたらこの冗長さもいきてくるのではないかな、という気もしなくはないです。 もしかしたら書き手と読み手の感受性が違いすぎるのが原因で酷評しすぎたかもしれません。私の読解力不足によるところも多々あるかとは思いますが、結構長い分量のものをせっかく読んだのでコメントさせていただくことにしました。 (砂場均し)

2019-04-24

だいぶ様式が確立されていて、これはこれでとても面白いですし少しずつ磨きがかかっているようにも感じますが、違う枠組みや様式の作品も読んで見たいです。 (Anemone coronaria)

2019-04-24

ふじりゅうさん コメントありがとうございます! 最近、ずっと食わず嫌いだった太宰治を立て続けに読んだせいで、すごく影響を受けて書きました。特に淀みなく流れるような文体や「晩年」での実験的な手法などとても魅力的に感じていて、おまけに「女生徒」など女性の一人称の物語を語らせると絶品なので、自分も一つ書いてみようかな、、と思ったのがきっかけでした。が、だいぶ難しいことが判明しました。 個人的な課題としては本来は主人公の少女(一応そういう設定)の妄想の産物にすぎない「ミハイル」の存在感が大きくなりすぎて、主人公の人物像とか感慨が薄くなってしまった感があることが反省点です(ミハイルに対する主人公の想いをなるべくベタベタな表現にすることであくまで妄想上の存在であることを強調しようとしたのですが、地の文章のほうも結構ベタなのでその対比がうまく機能していないかもしれません)。 特に最後の >そろそろどこかに捨ててこようかな。そもそもそんな人いない訳だし、そんな小春日和。 の部分に一番伝えたいことを詰め込んだつもりなのですが、この辺りの「逆転の構図」みたいなものが十分機能しなかったかもしれないのがちょっと悔しい気もします。 ミハイルという名前も、北ヨーロッパっぽい名前だったらなんでもよかったんですが、いざ名前を探してみるとなんだかヨーロッパの名前は宗教的な由来のあるものが多くてニュートラルなものはなかなか難しく、結局あまり深く考えず一番響き自分の好みにあうもの(というより主人公の少女の人物像に近いと感じた響のもの)を選んでます。それをそのままタイトルにしてしまうのはどうなの?って感じもしますが、もっとタイトルだけでも工夫があればだいぶ違ったかもしれません。 >ねじ曲がったものをねじ曲がったまま、一気に突っ走らせるように読めてしまう構成 これは、とても嬉しい感想ありがとうございます!これは意識して結構凝って書いた部分だったのでそれだけでも伝わったのは嬉しいです。 (ミハイル)

2019-04-24

これ好きです。なんかこうださんと全く同じ感想になってしまいますが、ときどきあるんです、これ以上の言葉がでてこない作品。 > 授業中なんて、私の頭の上にだけ豪雨が降り続けてほしい。 とくにこの表現、情景を思い浮かべるだけでものすごく絵になるというか、しかも全体の構成もコンパクトにまとまっていて、これ好きなやつです。なんか分析するのも勿体無いくらいです。 (ポップコーン)

2019-04-18

まず何より、「ユリイカ佳作」などといった肩書き付きの作品ほどコメントしづらいものはない。持ち上げれば権威に媚びていると思われ、下げれば分かってないやつだと卑下され、などと自意識過剰な私のような読者にとっては、の話として、それはさておき、豊富な語彙を織り込みつつ、言葉のリズムを上手に構成して、文章の巧さはことさらに強調しながらも、通俗性をできる限り排除する、というのは、果たしてそれが作者の意図であるかは別としても非常に難易度の高い技であり、さらには、「特に意味がありそうで、なさそうで、ありそうな絶妙な雰囲気」に落とし込めれば(そして、この作品はこれらの条件をかなりの程度満たしていると感じさせられたわけであるが)おそらくある基準からすれば満点であろう。 通俗性を排除しようというこの感じがなんだかとても通俗的に感じられるのはおそらく私が偏屈な人間だからであるし、さらには「とはいってもまったく面白くはない」などという但し書きをつけてしまえばもはや負け犬の遠吠えといわれても言い訳できないのでやめておくが、こういった作品にほとんどコメントがつかなくなったのをみて、やはりビーレビの参加層が大きく変わってしまったんだな・・・と半年ぶりに参加してみた正直な感想なのでした(まあ、ポイント制度もあって下手にコメントして自爆するよりはポチポチしてたほうが安全だし、と思いつつ結局コメントしてしまったのでした、笑) (┣百┳もも┫┣色┳いろ┫┣打┳だー┫┣嗝┳ぐぁ┫)

2019-04-14

>夢と明言するか濁すかで全く別物になりますね。ただ、この主人公は目覚めてから自分の目鼻口の数を確かめることをせずに、ぼんやりと火災報知器を見て真実について考えています。つまり、さっきまでのは夢だったのだとはっきり認識していて、その上で夢の中に"真実"を見ています。わたしの技量の問題もありますが、この詩に関しては夢であることが重要でした。 なるほどです。だとすると私の感想は大きな誤読で、私の読解力を大きく超える作品になってしまいます。大変失礼しました。 作者の作品の意図は大事にしたいので、感想とポイントをひとまず全部撤回致します。 (真実)

2019-04-09

完備さんの短詩はいつもとても美しいな、と思います。月並みな表現ですが、何か美しいです。滑らかですらっとした肌触りが蠱惑的ですらあります。なにを表現しているんだろうとか、そういうことは私にとってはどうでも良いような気分にさせられて、その美しさをなんども味わいたいという気持ちになるのですが、かといってそれは「耽美」というのとはまた別の感覚で、どちらかというとアルプの彫刻のような。「間」の美学的な何か。 細かく見てみると、音韻に対する細やかな配慮を感じさせられ、たとえば1連目は末尾をi音揃え、2連目u音揃え、3連目と4連目はあえて揃えずにi音とu音、i音とa音、最後の5連目がe音揃えで、構成としては (i, i) - (u, u) - (i, u) - (i, a) - (e, e) となっており、非常に丁寧な数学的ともいえる設計が伺えるように感じます。すべての連で韻を踏んでしまうとくどくなりますし、かといって出鱈目に崩したらもしかしたら全体の統一感が失われてしまうのかもしれません。 また仮にこの次にo音揃いの連があってそれでしまっていたら、もしかしたら、この作品のような余韻はでないのかもしれません。 つまり 「い、う、(あ)、え」 ときて、読み手に潜在的「あいうえお」の流れを感じさせておきながら、あえて「え」で切ることで流れが宙吊りになってそれが深い余韻として残っているのかもしれないな、、と分析することもできると思いました。 さらに見てみると1連目は >さくらばなは火照り >わたくしは海へ種蒔き 「〜は、〜i音」 でダブルで韻を踏んでおいて 2連目は >肘から小指が痺れる >ような受粉に恍惚 ここでもきちんと 「〜a音、〜u音」 とダブルで韻を踏んでいるのですが、文を途中で改行することによる変則的なリズムで迎えて、全体の音韻を非常に柔らかいものにしているように感じます。 この改行が非常に効果的に感じられるのは、何気ないようでいてしっかりと音韻の設計がなされているからなのかな、と感じました。 などなど細かく見ていくとさらに注目したい点がたくさんあって、しかもこうしたものをセオリーとしてまとめたところで果たして真似して同じような美しさはだせないのではないだろうかと思ったりしますが、ここまですべて私の妄想的分析結果なので、この辺にしておきます。 (no)

2019-04-07

こうだたけみさん どうもお久しぶりです!なにやらシステムが変わって面白そうなことになっていたのでまた投稿して見ました。ご感想いただけてとても嬉しいです。言葉遊びはオヤジギャクっぽくてちょっとベタだな、、と自分でも思いつつ、なんだか歯がゆく思いながら書いたのですが楽しんでいただけて何よりです。ありがとうございます。 (おとしもの)

2019-04-06

このオチはまったく予想できませんでした。面白かったですし、何より作品の強度を感じさせられます。 シュールな設定がただの装飾にならずに、むしろ多様な読解や解釈、さらには叙情性や細やかな感情の機微までをも引き出す、不可欠な作品の骨子となっているように思われ、迫るものがあります。これだけシュールなのに人間の体温の温もりが伝わってくるようなところがとても好きです。 個人的な好みをいくつか申し上げるとすると、”真実”に至るまでの導入が少し説明しすぎていて全体の構成バランスを大きく崩しているようにも思いますし、出だしとしての引力が不足しているようにも感じられるのが残念でした。 > 彼女の顔には、パーツがひとつとして付いていなかった。 を書き出しに持ってきた方が作品の始まりとしてはずっとインパクトがありますし、読者も一気に引き込まれるかもしれないな、と思います。それから夢から醒めないほうが(つまりは、これが夢であることを明らかにしてしまわないほうが)作品としての強度がより増したのではないかとも感じられます。 「夢であること」が作品としてもどうしても重要であるならばもうひとひねりほしいかもしれない、と個人的な感想でした。 いろいろ勝手に感想を書いてしまいましたが、自分が同じレベルのものを書けっていわれても多分書けないです。 (真実)

2019-04-06

病的なテンション「で」文章を書くのということは、人によっては割と易しい場合もあるのかと思いますが、病的なテンション「を」書くのってプロのような文章が非常に達者な方にとってもとても難しいことなのかもしれない、と個人的に感じることがよくあります。逆説的ですが「病的なテンション」を伝えるためには「健康な」つまり「冷静で自己批評的な」テンション、というか視点のようなものが欠かせないのではないか?と考えています。この作品が「病的なテンションで書いたことを伝えるもの」なのか、あるいは「病的なテンションを伝えるために書いたもの」なのか、作者の意図によってその意図が達成されているかどうかは大きく変わってくるかと思いますが、前者であれば大いに成功している作品だと思いますし、もし後者であれば、やはりその意図を達成することの難しさについて深く考えさざるを得ません。 (病的テンション)

2019-04-06

そもそも、全員参加型キュレーションを提案したのは私だった気がしますし、今回の大賞についても候補が多数ある場合についての扱いに関して意見をはじめに述べたのはおそらく私なので、私なりの意見を書いておきます。 そもそも全員参加型キュレーションを提案した真意。「選考する」「評価する」ということの意味を鋭く問いたかったからです。運営側が一方的に選ぶというシステムでは必然的に運営に携わっている方々の詩観、価値観、美学、好みによって選ばれる作品が偏るのは当然のことで、それが詩誌なりほかの掲示板なりにおける選考の「個性」となってある場合には投稿者を惹きつけるわけですが、そもそも「選ぶ」という行為の本質ってなんなんだろう、ということです。その点において運営者と投稿者の関係をフラットにすることで見えてくるものがあるに違いないと思いました。そして、この提案を快く採用してくださった旧運営陣にはとても感謝していると同時に、この「実験」に踏み込むだけの先進性と旧運営陣の思考の深さ、鋭さに私は深い敬意と憧れを持っていました。それだけの問題意識と自己批評が旧運営陣の何よりの魅力であったと私は感じています。 その延長線上に多数決による大賞決定に対する私の疑問提起というものはありました。つまり、そこに運営側の問題意識や自己批評を私は見たかったのだと思います。私の意見の直後に方針の変更があったことから、何かしらの形で私の意見を汲んでくださったのかもしれないと思えばそこには感謝しかありませんが、なりゆきをみていてとても残念な気持ちになっています。とはいっても運営陣が変わった以上、運用哲学が変わるのは当然のことなので、残念に感じるということがそもそも筋違いなのかもしれません。運営哲学が変わったのであれば何事も同じ文脈では語り得ないからです。 たとえば先月の大賞選挙が最終的に決選投票になってしまったことはやむを得ないとしても、まだ投票していない人に絞るという謎のシステム。そして、作品の「降格」という謎の概念。さらに降格させるための条件がコメント数である謎、など。 これらの運用ポリシーには「選考」という投稿者にとって非常にセンシティブな問題に対する鋭い洞察力が激しく欠落しているように感じられてなりません。鋭い自己批評の哲学を失ったビーレビはもはや私を惹きつけてやまなかったかつてのビーレビではありません。もちろん「私にとって」ですが。 逆いうと、ビーレビは旧運営陣とはまったく違う哲学のもとに運営されはじめているということで(それが何なのかは私にはわかりません)、それに対して私はほとんど魅力を感じていないというだけのことです。前述の通り、これは運営陣が交代した以上当然のことです。それはまた、運営陣の投稿者に対する対応にもはっきりと現れているように感じます。私は一連の対応をみていて新運営陣の対応にあまり好意的な気持ちは持っていませんが、だから何だと言うのでしょう。 ビーレビという看板だけは同じでも、中身は変わったのですから、投稿者も旧運営陣の方々もビーレビはもはや全く別の掲示板なのだ、という認識を持つべきなのかもしれません。運用哲学が違うのならいっそのこと全員参加のキュレーションもやめてみてもいいのかもしれませんし、名前も新しく一新されても面白いかもしれませんね。せっかく生まれ変わった訳なので。 (《ビーレビへの意見とそれへの議論を書くスペース》)

2018-10-05

ふじりゅうさん 好意的なコメントありがとうございます!「普通の論理的な文章をユーモアチックなテイストに置き換えて書いている、とすら言いきれない独特のセンスを伴った文体は一見訳が分からなくて読みにくく感じるのですが、読むとこれが不思議なことにさらさらとスープを流し込むように読めてしまう。」とのご指摘はとても嬉しく思いました。 この作品の弱点は、あえて自分からバラしてしまうと、まずは「うほうほ」という作品が「多層的な暗喩や隠喩によってより古典的な読みを求める実に古典的な作品である」として、まったく何の意味もないただのガラクタ作品の「うおほうほ」に何かしらの意味づけを与えることによって、そうした「読解」そのものを皮肉るつもりで書いたところが、作者の側にまったくその力量がなく、結局メタな読解に終始してしまう。「うほうほ」はメタな読解へミスリードする作品であると明言しつつも結局はメタな視点からしか論じることができない。「読解」を皮肉るほどの読解力も教養もないのだということをさらけ出してしまっているこの「ブーメラン性」に「自覚的」なんだぜ、という作者のポーズのみでなりたったコンセプトの軟弱さ。このあたりです、笑。 でも面白かった、っていってもらえるのが一番嬉しいです!ありがとうございます。 (選評:「うほうほ」におけるスパイラルモヒカンの誤用をめぐっての断章)

2018-09-26

ふじりゅうさん いえいえ、特に謝ることは全然ないと思います。コメント本当に嬉しかったです!それからいつだかTwitterで私の作品紹介してくださっていましたよね?個人的に気に入っていた作品だったので嬉しかったです。 ヤエさん コメントありがとうございます!「消え行く刹那的な爆発力を持った花火と刹那的で爆発力を持った若者の恋は、映像として見事に重なり思い起こされるから」とのご指摘がとくに嬉しく思いました。そしてご指摘のように自分が当事者であったその時もし同じ内容を書いたならば、このような比喩としてなんとかまとめることもできず、もっとダイレクトな感情の吐露としてもっと剥き出しのものになってしまっていたと思います。「少し大きくなってから手のひらに収まる」という表現に大きく共感します。 (ストロボ)

2018-09-04

かるべまさひろさん こういうひねくれた作品を作ってしまったことがまずは最大の失敗ですね。。汗。もう一つはかるべさんが私がいっているところのこの作品の弱点にすぐさま気づかなかったという時点で私の作品作りは大失敗しているということです。それがかるべさんを読者とした場合のこの作品の最大のそしてかなりクリティカルな弱点です。 (選評:「うほうほ」におけるスパイラルモヒカンの誤用をめぐっての断章)

2018-09-04

藤 一紀さん コメントありがとうございます!あまり好きっていわれてしまうと困る作品ではあるのですが、それでもそう言っていただけて嬉しいです。 (うほうほ)

2018-09-03

三浦END果実さん 嫌悪感というか一種の同族嫌悪だと思いますよ、汗。作品読んだり、言動見聞きしてたりすると、なんとなく分かっちゃう気がするんですよ、三浦さんのなかにあるコンプレックスとかそういうのが。なので、半分は自己嫌悪なんじゃないかなあと......。あと、そんな嫌いじゃないですよ。言動が他人の影響受けやすくてことごとくパクりになっちゃうところとか、笑。嫌いな人のTwitterわざわざ覗きにいきませんから。 (0. my world.)

2018-09-03

ふじりゅうさん コメントありがとうございます!詩は多面体ですし、作者と読者が同一人物でない以上、完璧な読解というものはないと思っていますが、なかたつさんの読解は一つの方角からその多面体を鋭く貫いてくださっていてとても嬉しかったです。だからといって他の方の読解の入る余地がないということはないかと思います。というのもふじりゅうさんがコメントしてくださった「主人公の自傷癖と言いますか、破裂を願う感情」もまた的確なご指摘であり、私が花火に込めたメタファーの一つだからです。しかもそれが本物の破滅欲のかたまりというよりも、若さに伴う青臭さであるとのご指摘も非常に鋭く嬉しく思いました。ありがとうございます。 (ストロボ)

2018-09-03

かるべまさひろさん 何を期待してくださってお読みになられたのかはわかりませんが、うほうほしていないことや印象が弱いことは私にとって本当にどうでもいいことです。この作品には一読してはっきりと分かるもっとクリティカルな弱点があるのです。否定的なライトレスに私が期待するものは鋭いキレですが、かるべさんの一連のライトレスをみていると、それがまったく感じられずとても残念です。 (選評:「うほうほ」におけるスパイラルモヒカンの誤用をめぐっての断章)

2018-09-03

なかたつさん とても嬉しいコメントと丁寧な読解、とても嬉しく思いました、ありがとうございます!創作かどうかに関しては、私としては過去の自分の話を書いていますが、一連の出来事を時系列で書いているというよりも記憶の断片のコラージュのようなもので、しかもだいぶ昔の記憶なのでほとんど創作といってもよいかもしれません。創作であると感じさせたという時点で、この体験は私のなかで完全に過去のものとして消化できているということなのかもしれません。「誰かとの思い出や記憶というのは、地続きの映像であり、何時間も一緒にお出かけとかしようとも、実際に思い出せるのはせいぜい10秒ずつぐらいなもの 」とのご指摘、まさに私にとってもその通りで、それがだいぶ過去のものとなれば、それらの断片をどう構築して自分が表現したいと思った感覚を浮かび上がらせることができるかが今回のおおきな課題だったのですが、なかたつさんの読解は私の狙いのかなりをほぼ正確に射抜いてくださっています。書き手にとってこんなに嬉しいことがあるでしょうか?いろいろな解釈で読まれることはある意味では作品としての成功なのかもしれませんし、それも悪くないですが、やはり自分が作品にこめた感情・感覚・思考を正確に掘り起こしてもらうことに勝る歓びはないのだと思います。 (ストロボ)

2018-09-03

取り上げてくださってありがとうございます!一気に書きあげたのは確かで、その間ものすごく時間が短く感じられたので本当は30-40分ではなく、推敲をいれると1-2時間だったかもしれません(書き終えたあとすぐ投稿したわけではなく、何回か読み返したり、別のことをしたりで投稿したのは書き始めから2Hくらいたっていました)。そのあたりちょっと曖昧ですみません。楽しんで読んでいただけたのが何よりとても嬉しいです。今回の作品は普段考えていることがものすごく反映されていると思うので選評でのご指摘もとても嬉しいです。 (8月分の選考。stereotype2085がタイを取りスーツを捨てた。《選評》)

2018-09-01

Twitterアカウントは閉鎖してしまいましたがそれでもときどき三浦さんのアカウントのぞいてます、笑。なんで、この間いきなり名指しで語りかけられてた時は正直ビビりました、汗。あええここであれに返信するとすると「お気持ちわかる気がします」。で、この作品はTwitterで先にお読みしましたが個人的にはこれまでの三浦さんの作品のなかでは一番好きかもしれないな、と思いました。花緒さんのご指摘にも同意するところはあるのですが、自分の感想としてはこうしたいわゆる「方言」を書き連ねざるをえないほどの承認欲求の切実さがこの作品からは生々しく感じられるところがあって、もしかしたらこれは作品単体ではなく「三浦さん」というコンテンツの文脈があるからそう感じるだけのかもしれませんが(そしてその可能性は高いかもしれません)、ただその感触の生々しさだけは「方言」の羅列の一言で片付けられないな、、と感じるわけです。その切実さにおいて、私はこの作品に好感を持ちました。 (0. my world.)

2018-09-01

ビーレビで選評を作品としてはじめて投稿されたのはたしかkaz.さんだったと思いますが、同じことをずっとやってみたくて、今回思い切って書いてみました。でも先月分の作品に関してはこれとは別にきちんとした選評を書きたいな、、と思っています(間に合えば)。 (選評:「うほうほ」におけるスパイラルモヒカンの誤用をめぐっての断章)

2018-09-01

私はなかたつさんのように作品にある言葉を丁寧に読み解いてその作品の核心に迫ろうとするようなそのような感想は書きたくてもどうしても書けないのですが、そういう感想を書きたいなと思わされました。詩の言葉ひとつひとつが実体と強さをもって深く心を貫くような感覚にとらわれて何度も何度も読んでしまいます。私はひねくれものですが、この作品の前では自分に対しても作品に対しても、そして作者に対しても心の底から誠実でなければいけない、という気持ちになります(「どうしようもなく、虚無僧になって」も同じような気持ちにさせられますね )。そして、本当に心に深く触れた作品を前にするとやはり言葉を失うのだな、、と改めて感じさせられました。 (語り、手)

2018-08-31

いや深読みは楽しみ方のひとつです。そういう意味では発表すると、作者の意図とは関係なく読み手が好きなように楽しみますね。それが投稿の醍醐味かと思います。 (ぼくの飼っている猫)

2018-08-28

この語り手は、猫に名前をつけてからしばらく経つまでその名前が自分の名前とか姉の名前と一緒だということに気づかなかった。良く考えるとそこがなんか凄いですね。。そこを深読みしていくとすでに結構シリアスな作品なのかもしれない、、と思ったりしました。だとするとこのユーモラスな語り口がより凄みをもって感じられます。これが単なる深読みのしすぎだとしてもこういうユーモアは好物です。 (ぼくの飼っている猫)

2018-08-28

語り手の人間としてのリアリティが非常に生々しいです。<どうでっか、詩になってまっか。>という最後の訴えが特に生々しい。「評価なんてどうでもいい」と「中原中也賞を取りたい」という気持ちはコインの裏と表。「表現」と呼ばれるものの一番醜いところを醜いままに描き出している本当に醜悪な作品として好感を持ちました。なによりも花緒さんにとって文章を書くことは非常に楽しいことに違いない、と毎回作品をお読みして感じるのですが、今回もその例にもれず。その感触がなにより花緒さんの作品の魅力であると感じています。 (ネット詩人の墓)

2018-08-27

あ、そうですね。今月はこのままのほうが良いかと思います。返信ありがとうございました! (【要読】大賞作品投票のお知らせ(2018年7月B-REVIEW杯))

2018-08-20

追記: あるいは候補数が一定数を超えた段階で重複があってもなくても投票にする、というほうが面白そうです。 いずれにしても「大賞」に関してはハードルが高ければ高いほど「大賞」の意味がある気がします。 (【要読】大賞作品投票のお知らせ(2018年7月B-REVIEW杯))

2018-08-20

大賞に関して思ったんですけど、これだけ乱立していて、しかも投票もものすごいばらけている状況ってつまりは、だれもが共通してよいと思っている作品がないってことだと思うんです。つまり「大賞該当なし」が本来は適切なのかなと思います。キュレーターの大賞候補が被った場合の「大賞」と候補乱立のなかの投票結果の「大賞」ではまるで重みが違うきがします。で、ご提案なのですが投票になった場合 ・投票数が会員数の一定の割合を超えていること(ふさわしい作品がないと棄権する方も多いはず) ・得票率が一定の割合を超えていること(たとえば5割とか) を満たす場合にのみ「大賞」とし、それ以外の場合は「大賞なし」とするのはいかがでしょうか(候補作品は準大賞)? まただれでもキュレーションできることから、大賞候補は乱立しやすくなりますので、単純に重複があれば「大賞」とするのではなく、あがった大賞候補の総数に応じて重複すべき回数を定めるのも面白そうだな、と思いました。たとえば候補が10あれば3人が重複していないと「大賞」ではないなど。 「大賞」が「大賞」ではなくなっている気がしていて、「大賞」というからにはやっぱりそれなりにシビアな条件を通過していて欲しいなという思いもあります。 みなさんのご意見もお聞きしたいところです。 (【要読】大賞作品投票のお知らせ(2018年7月B-REVIEW杯))

2018-08-20

三浦さん コメントありがとうございます!「大阪のミャンマー」も人気ですよね。個人的には「〜ている」など同じ語尾の多用や、いとつひとつのフレーズがぶつ切りになることで生じる全体的なリズムの硬直が気になって(これはこれで大きな波のようなリズムがあるにはあるのです)今回論じたような吸引力が足りないように感じたぶん、作品の世界観に入り込むのに個人的にちょっとだけ苦労した、という点で私にとっては「摂氏37℃」のほうが好きです。構図の優れた絵画というのは視線誘導が優れていてなかなか目が離せません。地球さんは詩における「構図」にとても優れていると感じます。そして「構図」の優れた作品は「心理誘導」(?)がとても優れていて目がなかなか離せない、何回も読んでしまう。「大阪のミャンマー」ではそれが弱かった、と感じて、おまけに私の場合、書かれている内容はほとんど、まずその作品に釘付けにされてはじめて入ってくるので、言葉の意味から読解していくタイプの読者の方とは「よかった、、」と思う作品が大きく異なるかもしれません。 一作品選には一作品選ならではの良さがあってとても好きですが、特に今月はいろいろな方がフルキュレーションされていて、色々な作品を紹介する場合、選者のポリシーのようなものがはっきりと浮かび上がるという点でとても面白いと感じました。フルキュレーションもとても魅力的ですね。 (7月分選評)

2018-08-16

取り上げてくださってありがとうございます!とても嬉しいです。 <この語り手を、そうは言っても語ってるよねって笑い飛ばしていいのかどうか。作者を、そうは言っても書いてるよねって笑い飛ばしていいのかどうか。> ここ鋭いです!当然この部分はそういうツッコミ待ちの部分であり、タイトルを「カタルシス」としたのも、結局あの作品そのものが一種のカタルシスだからです。「カタルシスなんていらない」って吐き捨てること自体がカタルシスになっちゃってるんじゃんって、まさにこうださんのご指摘の通りの効果を狙ったのですが<この終わり方では迷ってしまうなあと思いました。>というご指摘、真摯に受け止めます。ありがとうございました! (【選評】もどきのEある算数(フル))

2018-08-16

この選評はとても読み応えがありました。こんな読み方があったのかという新しい発見をもらえる上に文章としても非常に魅力的です。また、作品の内容だけでなく詩作における技術的な側面にも丁寧に触れているので非常に興味をそそられる上に、ゼンメツさんのポリシー的なものが明確に伝わってくる。アツいです。エモいです。 (【選評】ゼンメツ選、2018年7月分)

2018-08-15

楽しむのが一番です! (7月分選評)

2018-08-15

地球さん おお、そうだったんですね!地球さんの作品のきっかけになれたというのはとても嬉しいです! 私の経験からすると詩が「うまい」人って最初からそれなりにうまくて、それは運動できる人って別に部活入ってなくても、なんなら普段まったく運動していないのにやらせると普通にスポーツ全般すごいみたいな感覚に近くて、地球さんにはそういう感じがあります。なのでとても羨ましいです。また作品楽しみにしておりますね(プレッシャーにならないことを願いつつ)。 (7月分選評)

2018-08-15

右肩ヒサシさん 著しく品位に欠けるHNでしかも作品が全くセンスなしのお粗末でありながら、だれもが気にせざるを得ない存在。ある意味すごいですよね。。しかも爵位購入者とは!初めて知りましたが驚きを隠しきれません。「前衛詩で名を馳せた著名なネット詩人M氏」といえば、ほかにもう一人覚えがある人がいないでもないですが、おそらく男爵氏でしょうね。ある時から彼は「丸煙管公爵」っていう変名でも投稿するようになったので、おそらく間違いないです。偽造パスポートで思い出しましたが、彼はその手のことは詩を書くよりずっと得意だったらしく、ある時などは他人になり済ますために、他人のサインをプロジェクターに大きく映し出して、それをなぞる練習を重ねることで完全にその人のサインを書けるようにしたとか。。まあ、その時は彼の友人の遺体が彼が乗っていたボートから発見されたことでパスポート偽造がバレて逮捕されているんですが、いやはやそれにしても犯罪歴と逃亡率の高さはやばいですよ。そっか、今回も仮釈放中に火星に逃亡したかもしれないのか。。なんか生命力がゴキブリなみだ、汗。 (ウォシュレット)

2018-08-15

「アーライユーミー?」は確かに嫉妬するレベルですね!確かにうらやましい。。 (カタルシス)

2018-08-14

うれしいです!切腹だけはどうしても外せなかったんです、笑 (ウォシュレット)

2018-08-14

あれ?服役中だと書いてしまいましたが、宇宙旅行中だったのですね!?やはりただでは転びませんね。。笑 (ウォシュレット)

2018-08-14

こうだたけみさん Dance of the Line Riders!!実はめっちゃ好きです!でもやっぱりひやっとしますね。。汗。それはさておき「軽々しさ上等」に激しく同意!意味の全くわからない外国語を使って語感とリズムだけを頼りに詩を書いてみたいものです。 (カタルシス)

2018-08-14

stereotypeさんのおっしゃっていることと私のいいたかったこと、結構ニュアンスがちがくて、作品への作者の姿勢がどうあろうと、この手法を用いる限り意味の違いが立場によって必然的に不可抗力的に生まれてしまうということです。その違いは今は至極ミクロなものですが、その事実(だと私が思っていること)に作者自身が自覚的であることが作品から感じ取れるか否か、ということでした。なんだか泥仕合になりそうなのでこの辺りで引き上げます。リプありがとうございました! (サンプリング(REFRAIN))

2018-08-14

私がいいたかったのは、立場がかわると同じ引用やパロディでも意味合いが変わってしまうということです。一投稿者が他の作品を引用してサンプリングするのと、運営に携わっている方が同じことをするのでは大きく意味が違う。売れたミュージシャン(あるいは世界的にしられた作品)が売れていないミュージシャンの曲(マイナーな作品)を引用した場合と、その逆ではまったく意味が変わってくる。その点にstereoさんがどれほど敏感であったかということが私にとっての一番の関心でした。もちろん小さな投稿掲示板の運営と一般投稿者ではそれほど大きな違いはないかもしれない。でもそこにはやはり微妙な違いがあるはずなんです。その微妙な変化への敏感さ、鋭さがあまり感じられないのがとても残念だったということで、逆にそれが鋭く伝わってくる作品がかけるとするならば、前回のサンプリングと今回のサンプリングでその立場の変化を経験したstereoさんに他ならないはずです。それがすごく勿体無く感じられました。 (サンプリング(REFRAIN))

2018-08-14

まりもさん やはりこの方と面識があったのですね!例の隔月刊行誌、本当に手に入らないんですよ。一度だけ友人が実物をみせてくださったのですが、まず鉄格子にいれられて監禁された状態で、檻の外で1ページずつ友人がめくってくれるという何とも厳重な警戒体制でした。。。汗。しかも誰も手放さないからネットオークションや古本でも手に入れることができず、噂によるとバックナンバーの中古販売さえも密やかになされている模様。ディーラーに接触するだけで紹介料がウン十万、おまけにバックナンバー1冊にあまりにプレミアがついて家が建つほどだとか、そんな話も聞いたことがあります。どうりで、かの友人は風呂なしアパートに住んでいたわけだ。。 (ウォシュレット)

2018-08-14

と同時に、現在stereotype2085さんは運営される側に回られました。その立場への作者の鋭い自覚や自己批評がこの作品からはあまり感じられません。おそらく私がこの作品に対してあまり好意的な感情を抱けないの一番の理由はその部分かと思います。 (サンプリング(REFRAIN))

2018-08-14

「サンプリング」という概念に対するもっと鋭い切り込みと洞察が欲しかったな。。というのが正直な印象です。特に後半部分。折角、とある作品の形式を模して(しかもいくつかの作品をネタとして取り込みつつ)これだけの分量を確保しているにもかかわらず、内輪ネタとしても、純粋なコメディとしても不十分で物足りないです。サンプリングやパロディのネタにされることに対してはまったく何の否定的感情もありませんが、せっかくネタにされるんだったらカッコよくネタにされたいもんだな、、という私のわがままでございます。 (サンプリング(REFRAIN))

2018-08-14

fiorinaさん コメントありがとうございます!fiorinaさんのコメントには深く共感します。書くことに限らず「表現」と呼ばれるものは他者の評価を求めた瞬間にひどく虚しいものになるような気がしています。ビーレビでは純粋に楽しみのために書いて、楽しみのために読んで、そしてだれかが読んでくれて「評価」云々とは別の軸であるいは共感だったり伝達であったり共有であったり、それは非常に刺激的で、評価されることよりも何よりも深い歓びがそこにはあって、それがこの空間を何よりも魅力的な場所にしていると思います。それからfiorinaさんに筆力を褒めていただけるのは大変な光栄でございます! (ウォシュレット)

2018-08-14

三浦さん 三浦さんのコメント、はじめて本気で嬉しいと思いました。たしかに三浦さんと私はかなりの部分、同じものを共有していたと思いますよ。そしてそれを言語化する点において、やはり三浦さんのコメントのほうが私の作品なんかよりも数倍雄弁だ。「せめて嘘でもいい」。三浦さんが繰り返し使ってきたこの言葉、大っ嫌いですけど、今この瞬間だけはちょっとだけ同意してもいいかもしれない、なんてそんなくだらないセンチメンタルに汚されちまった哀しみはたった今、ウォシュレットの汚水と一緒に下水に流してまいりました。 (ウォシュレット)

2018-08-13

うなされました。(タイプミス) (うほうほ)

2018-08-13

stereotype2085さん コメントありがとうございます!「ウォシュレット」第二弾ということで、以前に書いた(けど投稿していない)作品を「ウォシュレット」の流れでリビルドしたものなんですが、非常に疲れてた時に書いたのでだいぶ崩壊してますね、汗。夢で若干なされました、笑。 (うほうほ)

2018-08-13

なつめさん コメントありがとうございます!これ投稿したときすごい疲れていてそのあとすごい睡魔に襲われたんですけど。夢にでてきました、、笑。今月ひとつめに投稿した「ウォシュレット」第二弾です。 かるべまさひろさん てコメン!僕ざいま・・)すもはロの『顔ト「あり「((。。「がれ)))ごほです。べさマンチ』」(ストでか肯定否嬉しくんのとうてうほう定がと!!! (うほうほ)

2018-08-13

いえいえ、好きなように読んでいただけるのが一番ですし、というか、私も自分の好きなようにしか読めませんし、というかそもそも掲示板の作品は大抵あまり真面目に読んでないので、こんなかっこいい評は書けないのでこういう評もらって嬉しいですし、もろもろ遠慮なくよろです。 (【選評】澤あづさ選2018年7月分)

2018-08-12

取り上げてくださってありがとうございます。いや、皮肉とはまったく思いませんし、「笑えた」という感想がなによりとても嬉しかったです。なんだったら前半をもっと陳腐にしてよりストレスフルにしてもよかったかな、、と思うくらいです。 <表現も読解もストレスだ。いつ来るとも逆にデストロイとも知れないカタルシスが欲しいがための。> うーん。。どうなんでしょう。。自分はそこまで必死に表現も読解もしていない、ただの冷やかし者なのかもしれないな、と感じないでもないです。書いたら楽しいし、辛い時は自分で自分のために自分が笑える文章が書きたいし、そういう意味ではこの作品はなんだか中途半端でどこか作品として完成させようという意図でてしまっているという意味では自分のなかでは全然「不純なもの」で、かといってこうして評していただけるものは大抵「不純なもの」ばかりで、「不純度」が高ければ高いほど誰かが真面目に語ってくれるので、なんというかとても拗らせた心情になります。皮肉ではなくある意味での「不純さ」こそが「表現」と呼ばれているものの核なのかもしれないな、と思う今日この頃です。といいつつ、本当に凹んだときはなんか暗い曲とか悲しい曲聞いて癒されている自分がいるので私の行っていることはやっぱり全部嘘です。 (【選評】澤あづさ選2018年7月分)

2018-08-11

stereotype2085さん コメントありがとうございます!多分ネタばらしをしてしまったほうが面白いと思うのでネタばらししてしまいますが、マルセル・デュシャンの「泉」っていう便器作品をネタにして書きました(ご存知かもですが。。。)。運営のみなさん退陣されるということなので、何かしらビーレビそのものをネタにしたものを書いてはなむけとしたいという思いがあり、一斉退陣される前に急いで書いた次第でございます。書いててとても楽しかったのでいろいろ褒めていただいてとても嬉しいです。「サンプリング」の次作、楽しみにしてますね。 (ウォシュレット)

2018-08-05

花緒さん コメントありがとうございます!そうですね、推敲含めて30-40分くらいで一気に書き上げました。ビーレビ運営のみなさんが退陣される前に是非1作こういう詩そのものをテーマにしたものをアップしておきたいな、との思いで書き上げたのでコメント本当に嬉しいです。これまで運営本当にお疲れ様&ありがとうございました!2代目ウォシュレットもまた気が向いたら書いて見ますね。 (ウォシュレット)

2018-08-05

鷹枕可 さん コメントありがとうございます!「スラップスティックな実験詩」とのお言葉とても嬉しいです。おそらくこうした表現手法には多くの先人がいるものと思われますが、今回は単純に私の個人的快楽のために書いた側面が強く、「コンセプトも揺るがない」とのお言葉、大変もったいない限りではございますが、「社会事象をグルグル腕に捲いて、急行電車をゼイゼイと追い抜いて行く様な」という形容には、おお、確かにそうかもしれない、と妙に納得させられるものがありました。 筒井康隆さんは恥ずかしながら、実は作品を直接お読みしたことはなくアニメ化されている「時をかける少女」と「パプリカ」を映画でみたくらいですが、「パプリカ」などは大好きで本当に何回も見ています。「パプリカ」はどちらかというと今敏が好き、といった感じなのですが、あのカオス感、いつ見てもワクワクさせられるものがあり、今回書く時もあの世界観は頭のどこかにあったのはおそらく確実です。 (K)

2018-07-28

ふじりゅうさん これは反応いただけてとても嬉しいです!全スルー覚悟で投稿したので、、汗。自分でも一体何を書いているんだ、って感じだったので、いやあ本当にじゃんじゃん突っ込んでくれて嬉しいです。とても疲れていたので自分でなんか笑える文章書きたいな、って思って自分で書いて自分で笑ってました(気持ち悪くてすみません)。「素晴らしい作品」とは勿体無いお言葉ですが、何かしら楽しんでいただけたのなら、投稿して本当によかったな、と思います。コメントありがとうございました! (K)

2018-07-28

夏生さん こめんとありがとうございます!たしかに「うんざり」という気分があったのかもです。ハマるときはとことんハマる性格なのですが、そのせいで飽きた時の反動がものすぎて「食傷」というよりも「嘔吐」に近い感覚になることがあります。エンターテイメントもほどほどにしないと楽しめるものも楽しめなくなりますね。。 (カタルシス)

2018-07-28

「それですべてがまるく、収まっている。」というフレーズ、最強ですね。この作品の感情、感覚がすべてこのフレーズに凝縮されていて、さもなければバラバラになってしまいそうな心許なさにきちんと文鎮をおいて、作品全体に息を吹きかけて生命感を添えているように思います。地球さんの作品にしては説明的な表現が多かったのが個人的にはちょっと物足りない感じがしました。 (大阪のミャンマー)

2018-07-27

ゼンメツさん おお、過去投稿作読んでくださったのですね。ありがとうございます!才能云々についてはあまり議論する意味がないと感じているので具体的なご指摘とても嬉しく思いました。<正直「細かい文脈を掬えない」方々からはただ口語で好き勝手書いてるようにしか見えないんですけど、でも僕、それって逆に、全然読解されなくても楽しんでもらえるってことだと思っていて>あたりのご指摘はまさにその通りだと思っていて、感性の合わない人にでも何かしら楽しんで読んでいただけるもの&感性のあう人にはさらにその先何かしら感じ取っていただけるもの、というのが理想っちゃ理想です。 <強いフレーズを作る力がかなりの弱点だと感じます>というご指摘は、そうですね、やはりそうだと思います。言葉ひとつでぐわっと景色や感情が広がるようなそういう詩作はものすごい弱点で、そこらへん克服できたらかなり濃い作品になるのかもしれませんね。 <そこが行分けの詩を書いているときには顕著に表れていて、きっと短文に詩情を作るのはだいぶ苦手なんじゃないかな。>いやあ、めっちゃ鋭いです。いわゆる「詩」を作るの下手くそだから途中から散文作品が増えてるんですよ、、正直なことをいうと。いわゆる詩の形式のものからうまく詩情を表現する技術がほとんどないですね。本当はそういうのに憧れているんですけど。。リルケとかやばいなって思います。まあただ、弱点とがっぷりよつで格闘するほど、その形式の詩に対して執着があるわけでもなく、イージーな方向に流れているというのが現状かと。ましてや、そこに何かしらの尖ったポリシーがあるわけでもなく。。でも文章を書くというのは楽しいものです。さらに上達できればもっと楽しいでしょうね。 言葉のリフレインに関するご指摘も確かに言われてみると「ABAB」形式が多いかも。この辺のテクニックは手持ちが少ないのでもっと精進せねばという感じです。 こんな具体的にアドバイスいただけるとは思わなかったのでおもがけずとても嬉しく思いました!馴れ合いに終わっても否定のしあいに終わっても不毛中の不毛ですが、こうした建設的な議論はとても有意義ですね。また機会がありましたら是非よろしくお願いします。 (カタルシス)

2018-07-27

ゼンメツさん コメントありがとうございます!確かに似てるようで似ていない文体かもですね。「この詩は表面のキャッチーさに対して、イメージの連なりや奥行きに関してはだいぶ物足りなく見えてしまう」とのご指摘はごもっともかと思います。この作品もそうですが、私の作品の多くは表面的な音感や言葉のリズムの扱いに主な意識が集中しており、言葉から喚起されるイメージに対しては十分配慮が行き届いてない場合が多く、未熟な部分だな、、と課題点となっているかと思います。「加速する自動筆記のような勢い」は保ちつつ、イメージ豊かなで多層的な読みができる内容にできれば理想ですね。過去投稿作品でもこのあたりのバランスをいろいろと試してみてはいるのでよかったら是非ご感想お聞かせください。 (カタルシス)

2018-07-27

地球さん ありがとうございます!「それでもすこし不協和音みたいにかんじるところがあったり、ざらざらとした感じ」とのご感想、とても嬉しいです。実はこれ書いたころは書いたものを音読するようにしてた頃で、これも書いた後に何回か音読してその時の五感をかなり大切にした記憶があります。 (カタルシス)

2018-07-26

藤 一紀さん コメントありがとうございます!文章そのものがもつ動静をなにより意識して書くことが多いので嬉しい感想でした。個人的にジェットコースターは本当に苦手です。乗り物酔いがひどいんですよね。。汗 (カタルシス)

2018-07-22

蛾兆ボルカさん コメントありがとうございます!なるほど、ミミズは音が聞こえるんですね?初めて知りました。鳥の鳴き声は私は非常に好きで人間の作るどんな音楽も及ばないと思うことがあります。突き抜ける、突き抜けないでいうと、自分は突き抜けないタイプかもしれません。離散的なものに惹かれる傾向があるというか、正確にいうと集中力が足りないというか、そんな気がいたします。それから、ご指摘くださった「アンチ・クライマックス」という言葉が自分の最近の気分にとてもしっくりきます。「アンチ・クライマックス」、いい言葉ですね。以前ははカタルシスを感じないものには一切魅力をおぼえなかったのですが、いまはカタルシス過剰だと拒絶反応がおきるので不思議なものです。 (カタルシス)

2018-07-22

かるべまさひろさん コメントありがとうございます!実は去年の九月くらいに書いたもので、ここに投稿し始めた頃に書いたものなんです。なのでここ最近書いたものとは少しタッチが違うのかもしれません。ポップとご指摘いただいた通り、これを書いたときはポップな気分だったような記憶があります。みどりっていうバンドのなんとかっていう曲でみどりさんが「Destrrrooooy!!!」って叫んでるやつをたまたま聞いた直後だった記憶に書いた記憶があります。自分でも改めて読んでみて、確かに引っかかる部分あまりないかも。。。ただノリで書いているだけというか。。。 (カタルシス)

2018-07-22

面白いです。運営が許すのであれば一回限りで終わらせずにこの手法をどんどん掘り下げていってコンセプトによりエッジがかかっていくのを期待したいです。 (サンプリング)

2018-07-21

初対面なのにいきなり重たい自分の身の上話をする人が私は個人的にすごく苦手で、何でかというととても重たいし、依存性を感じるからなんですが、この作品を読んだときの感想はそういうときに感じる感覚ととても近いものがありました。逆にいうならそれだけリアルなプライベートが作品に生々しく反映されているということなんだと思います。つまり非常にインパクトがあるし鬱陶しいと感じさせるほどの重みを作品が持ち得ているということで、それは表現力という観点からするとある意味の成功なのだと思います。苦手であるというのは私の好き嫌いの問題なので置いておくとして、でもよく考えると文学って何かしらそういうプライベートの侵食を免れるものではないな、とも感じました。 (ままごと)

2018-07-21

読ませる文章だな、と思いました。わがままをいうとYの読書感想文が優秀賞をとったことが「ありそうなこと」であると語り手が感じるに至る背景が薄っぺらく感じます。知的で頭がよく活発で勝気である、ということのほかに、例の件が「ありそうなこと」であると感じさせるだけの要素が彼女にはもっとあったに違いない、少なくとも語り手はそれを作品で語っている内容を超えてもっと確実な肌触りとして感じているに違いないと思わせるだけのものがこの作品にはあるからです。それだけ表現力が高いとも言えるのと思いますが、全体の表現力が高いその部分ちょっと勿体無いように感じました。全体的に抑制された表現はとても好感が持てるのに対し、その部分だけ「抑制されている」というよりは描ききれていないと感じてしまうからです。つまり知的であるといった表現をこえて、彼女の輪郭が作品全体を通して非常に具体的に浮かび上がってきているのに「頭がいい」という明確な表現によって読者の想像力がブツッと切れてしまうゆえに、むしろその輪郭が消えてしまうように思えました。 (Y)

2018-07-21

文体の方向性としてはとても好きな作品だな、と感じました。ただ散らかりきれていないし、まとまりきれていない、という印象がありました。もっとうまくまとめて散らかってたら古くなったコンバースのスニーカーが醸し出すゴミきれのような、かといって愛着を捨てきれないようなあの独特の「汚さ」と「ほんとね、さっさと死にたいです。」に言い表されたなんとも投げやりな人生観がうまくマッチしてよりリアリティーのある形で迫ってきたのではないかな。。。と感じました。古くなったコンバースが作品のひとつの鍵になっているところはめちゃくちゃ好きです。「数えるほどしか履かずに褪せたコンバース」という言葉だけで伝わってくるものが多々あります。 (無題)

2018-07-21

美しいコードっていうのがあると思うんです。それはアルゴリズムが非常に美しかったり、インデントや改行に非常に美しいリズムがあったり。コードは例えばコメントの付け方といった細部に到るまで、書くその人を映し出します。コードは詩そのものです。。。というようなありきたりな指摘はさておいて、個人的なわがままをいうと you == living の部分、その前段階で例えば you がクラスインスタンスとして定義されていて、そのクラス定義の中に書いた人の「人」あるいは「あなた」もしくは「人間関係」に対する深い洞察がふくまれていたり、同様にlivingの定義のなかに深い人生観が垣間見えるコードだったらすごい面白いのにな、、と思いました。もちろんJavascriptがわかる人にしかわからない作品にはなってしまいますが、安易にjsをつかって文字列をループされるよりは純粋なプログラムコードとしてのjsコードのなかに文学性を探る試みのほうがずっと面白そうだな、、、と個人的には思います。といいつつ、自分もやろうとして結局やらなかったんですけど。。汗。 あるいはループ性を強調するとするならたとえば while(true) {   live(); if (negative > positive) break; } くらいシンプルなほうが、インパクトでた気がします。 (life.js)

2018-06-24

取り上げてくださり、ありがとうございます!実はタイトルの「E#」って、つまりは「F」なんですが、誰も触れてくださらなかったのがちょっと残念でした。「どこか艶やかな短調の醸し出す雰囲気」というご指摘はとても嬉しいのですが、「E#minor」という調は「ない」です。 (BREVIEW5月選評)

2018-06-15

鬱海さん 嬉しいコメントありがとうございます!<愛してるはずの人のことをなぜだか醜く思う苦々しさみたい>なもの。確かにそんな感じの感情に近いかもしれません。 (E# minor)

2018-06-14

まりもさん 丁寧に読んでくださり本当にありがとうございます!とくに<肉欲、野生の本能になんの疑いもなく身を任せていくアベックたちの営みを「美しい」と思う一方で、性行為もしくは行為を終えた後の揺らぎを象徴するような水上のボートの動きを、まるで「水死体」のようで醜い、と感じる、このズレの度合い>とのご指摘は非常に嬉しく思いました。読んでくださった方が自分の作品から思い描いてくださる手触りが自分のそれに非常に近いとき、ああ書いて本当によかったな、と思います。「伝えること伝わる」ことが文章や詩のすべてではないというのが持論なのですが、それでも伝わることの歓びも決して無視できないものですね。 (E# minor)

2018-05-31

藤一紀 さん コメントありがとうございます!ご指摘の通り「嫌悪」や「醜さ」について書いてはいるのですが、全体的にグロテスクな印象にならないようバランスを取ることに気をつけました(矛盾しているようですが...)。ですので「全体としてはとても美しい作品」というご感想はとても嬉しく思いました。骨の数を数える部分は特に思い入れのある箇所です。 (E# minor)

2018-05-31

改行を意識して読むと途中で息切れしてしまって読み続けるのがしんどくなるのですが、改行を無視してつなげて読むと一つ一つの文がとても流暢に感じられ、全体の流れもとても心地よく感じられましたし、内容もすっと入ってくるような印象がありました。改行が逆効果になってしまっているように感じました。 (欲望の邂逅地点)

2018-05-03

「隙間のない人生を送って来ました。」という導入は太宰治のあのあまりに有名な書き出しを連想させてとても魅力的に感じました。この出だしから思いっきりシュールな展開が続いていたらとても面白そうですね。自分でも一本書いてみたい誘惑にかられました。ただ「隙間のない人生を送って来ました。」という最初の一文だけがやたらとウィットに富んでいて想像力を非常に掻き立てる一方、続く作品本体があまりに説明的で残念に感じました。 (隙間)

2018-05-02

日下ゆうみ コメントとそしてとても鋭い読解ありがとうございます!文章のテクニカルな側面のおいて私がやろうとしていたことはほとんど日下さんのご指摘くださった通りで、その読解の鋭さに舌を巻きました。 <しかし私が一方で疑問を覚えたのは、ここでの「僕」のやや受動的な(と形容すべきか少し怪しいのですが)傾向にある姿勢です。> そうですね。これは私の他の散文作品に共通していえることなんですが、他者との関係においてとにかく受動的な姿勢のものがとても多いです。それは私自身が特に人間関係(特に男女関係においては)わりと受動的な性格だからなのかもしれません。 <「僕」はただこのような醜さを感じさせている「彼女」に対しての苛立ちを全体において反復していて、その感情の原因をすぐに解決しようというような意欲は表象されていないように思います。> まったくその通りで、それは先ほどご指摘いただいた受動的な姿勢にそのまま繋がると思います。つまりこの作品の主人公は、自分勝手の極みなんです。 <私はこの詩において、このようなやや否定的な傾向にある感情を描写することによって何を目的としたのかということが気になりました> 特に目的というものはないです。「一つの可能性としては鑑賞者がただ増幅された相手への嫌悪感ばかりを受け取ってしまい、厭世的な感情へと陥らせてしまうこともある」とご指摘頂いた通りで、読者は主人公である「僕」とそして作者のあまりに自分勝手で自己陶酔的な感情の発露に付き合うしかありません。逆に肯定的な要素を作品にどうしても残さないといけないとお考えであるなら、その理由をぜひ知りたいなと感じます。例えば世の中には救いようがないほど暗い曲がたくさんありますが、それに対して私は「そこに肯定的な要素がなく、ただひたすら暗くて厭世観を煽る」ということに疑問を感じませんし、ときにはそのことがとても救いに感じられます。 この部分はむしろ、読者がこの作品のひたすらネガティブな感情描写に対して何を思うか、ではないかと思います。自分にも似た感情があったと共感するのか、理解不能で気持ちが悪いと嫌忌するのか、未知なものとしてこの感情を新しく発見するのか、あるいはこの作品を読んだ上でさらにポジティブに思考を重ねるのか、またはこの続きのあるいはこれに先立つ物語に思いを馳せるのか。それらはすべて読者に委ねられています。 少なくとも読者に後味の悪さを味あわせてやりたいといった悪意はないです。ただすたすら書きたいことを書きたいように書いたという点において、私自身も作品の「僕」と同様にどうしようもなく自分勝手な人間なのだな、という自覚はあるつもりでいます。 とても深いコメントありがとうございました!! (E# minor)

2018-05-02

花緒さん コメントありがとうございます!<美しい、醜い、という直裁なワードを使わないで同じことができたらもっと作品の高級感が高まったとは思う>とのご指摘、確かにそうかもしれないですね。こちらこそ勉強になりました! (E# minor)

2018-05-02

あ、あと28個じゃなくて27個の間違いです。 (E# minor)

2018-05-01

修正です。 修正前: 手首に8個の手根骨。掌の部分は肉の中に中手骨が手首から指にむけてバラバラに4本。その先の5本の指はそれぞれ3本ずつ指骨が間接で繋がっている。その28個の骨のうちのどれを探っても空っぽな手触りしかなかった。 修正後: 手首に8個の手根骨。掌の部分は肉の中に中手骨が手首から指にむけてバラバラに4本。その先の4本の指はそれぞれ3本ずつ指骨が間接で繋がっている。親指の根元の指骨は手首の手根骨の一つから大きく反り出すように付いていて、その先にさらに指骨が2本。全部で28個の骨のうちのどれを探っても空っぽな手触りしかなかった。 --- 以上読み替えてください。 (E# minor)

2018-05-01

ささん コメントありがとうございます!今回は短い中にとにかく詰め込みました。もう少し詰め込んでも面白かったかもしれません。プロフ写真ってその人の人格がなんとなくにじみ出る気がします。いろいろなプロフ写真があるので面白いですよね。しかもプロフ写真によって、同じ言葉でも受ける印象が全く違くなるのがとても面白いな、と感じます。写真が変わった途端その人に対する印象が変わったり。 (鮮やかな店長の転調)

2018-04-30

浮遊する感覚。あちらこちらに偏在するような自分の記憶。この詩は何も説明してくれはしない、だからこそ読み手の感覚は自由にそして美しく飛翔する。読むたびに言葉が少しずつ質量をもってかたちをなぞりながら息をし始めて、自分の記憶の奥の方にある景色の残像を照らし出す。私なりの「詩」というものの理想形の一つを目の前にして、深いため息と憧憬と嫉妬を深く感じながら、何度も何度も読み返してしまいます。 (わたしは春虫)

2018-04-21

ギター1本じゃかじゃかとコードを掻き流しながら、パティー・スミスみたいにポエトリー・リーディングしたら格好良くなりそうですね。日本語だと英語と違ってパティ・スミスのような子音の連続のあの格好よさがどうしても出ないのが残念ですが。。 (終わりと始まりを納棺する日々)

2018-04-17

まりもさん 最後のパートの詩はもともとは「シュールレアリズムな感じで書き始めたんだけど、明らかに失敗している詩」あるいは「明らかに何かが間違っている詩」にしたかったんですが、なかなかうまくいきませんでした。と同時に4連目書いているときに自分が書いている物語世界からもう既に醒め始めてしまったんですよね。その感覚をそのまま出したいというのもありつつ、、なのですが、やっぱり着地としてイマイチ決まらないというか、決まらないなら決まらないでもっときちんとコケている感じが出て欲しかったですね。オチの部分は毎回大きな課題です。コメントありがとうございました! (救急車をスライスすると指になる)

2018-04-17

まりもさん コメントありがとうございます!2連目、どうしても言いたくて書きたくて、でもなかなか言えなかったこと、書けなかったことをやっと書いたという感じです。反応いただけて嬉しいです。 タイトルについてですが、そもそも作品全体が遊びなのが前提なのと、例えばモーツァルトの音楽みたいに気まぐれにしかも激しく転調するようにして、あるいはシューベルトみたいにスタイリッシュに、しかもあらゆる境界を巧みに跨ぎ続けるようにして、そんな転調し続ける文章を書いてみたいというのが最初の動機としてあって、そのときの思いつきのままに勢いでつけたタイトルですが個人的にはとても気に入っています。 虚空のスキャットマンのくだりの一節はピンク・フロイドの「狂気」(原題:the dark side of the moon)からの引用です。 (鮮やかな店長の転調)

2018-04-17

いや、こちらこそ虫のいどころが悪かったようで攻撃的なコメントになってしまいました、、なんだかすみません。挑発的な選評にイラっとしたのは事実ですが、やはり花緒さんのコメントがすべてですね。礼儀というか人に対するしかるべき敬意というか、なんかとても大事なものを忘れてしまったことに猛省しております。 (【選評】なかたつ氏ー3月投稿作品)

2018-04-16

ここに直接書かない(普通にコピペすればいいじゃんって思います)のは本人の意思なのでしょうか?だとしたら、「ああ、なんか分かる」って感じがします(笑)。そして、基本削除することができないこの掲示板に正々堂々とあの内容を書かないことを、ある意味とても「卑怯」だな、と感じます。(仮に、もし、三浦さんの判断でリンクだけをコピーしたというのなら、それはとんでもない怠慢だと思います)。 (【選評】なかたつ氏ー3月投稿作品)

2018-04-16

こちらこそ率直にいろいろな意見を聞かせてくださり、とても嬉しく思いました。特に私にはなかった視点で作品を読んでくださっていたのがとても勉強になりました。ありがとうございました! (【選評】もどいてひもといて意図)

2018-04-16

密度の強さのご指摘嬉しくおもいました!ただやはり、終わり方、難しいですね。。精進します! (鮮やかな店長の転調)

2018-04-12

いや、カオティクルさんはそんなこと言ってないんですけど、カオティクルさんの詩をよんで、なんかアグレッシブなパワーにぐわっと圧倒されて、ちょっと思いついたんで書いてみました。 (BABY NEAPOLITANS 3)

2018-04-11

攻撃的な言葉というのは攻撃的だというだけで一定の説得力をもつ。感情的な言葉というのは感情的だというだけで一定の感動をもたらす。あいつは嘘つきだと吐き捨てた人は、嘘つきだと吐き捨てたという事実だけで少しだけ免罪される。私は傷つきましたと叫べば、傷つきましたと叫んだという事実だけで無罪になる。ってほんの少しだけ本当にそうかもしれないって思っちゃいました、笑。 (BABY NEAPOLITANS 3)

2018-04-10

とても読みやすく、かつ、とても面白かった。こんなにすんなり読めて、それなりにいろいろ考えさせられてしかも面白いのだから文句のつけようもないのだが、読んでしまったあと、もう一度最初からじっくり読もうという気にはならない。別にそういうふうにならないといけないわけでもないし、必ずしもそういう作品を望んでいるわけでもないのだけれども、読みやすく面白く、かつメッセージ性のようなものがはっきりしてわかりやすくなればなるほど、作品としての曖昧さが持つ魅力がなくなってしまう気がして、自分はやはり曖昧な部分を残した文章に特に惹かれるし、自分の場合、そうした文章はじっくり味わって読んでみたいと思うのだな、と自分を再発見した。 (NEXT LANGUAGE)

2018-04-09

こうだたけみさんへ こうださんと私の考えていることは視点としては違うところに立っているようにみえるし、実際考えと言語化してしまうと、やはり全然違う意見をもっているようにみえるのですが、そうみえて根本的なところでは、実は考えていることはほとんど変わらないのかもしれないな、あるいは少なくとも半分くらいは同じことを感じたり考えているのか、、と感じました。思考の体系が違うと同じ考えを文章化するにしても、ものすごく異なった論理展開になることもあるのかな、、と。 <でもやっぱり私は、私が書いた、というその事実に意味を見出せたらいいなと、そんなふうに思っています。> この部分にはまったく同感なので。あとルーズソックスをはいた女子高生の例え、いいですね。いろいろと考えるヒントをいただいた気がします。 (自分勝手なロマンチスト)

2018-04-06

こうだたけみさん なかなか奥が深い話になりそうですね。自分はそこまで文学史、思想史に明るくないので、そのあたりあまり詳しく語れないのが残念ですが、ポストモダンといえば、自分のなかではデザインや建築の世界の直線的・無機質なモダニズム(形態は機能の具現化である)に対抗してのより装飾的で「無駄の多い」デザイン運動としてのポストモダンを思い浮かべます。どちらにしてもまだそういったポストモダンが「大きな物語」を終わらせたとは個人的には思えなくて、そのような大きな潮流と文脈があったこと自体、今の時代からすれば作られるものすべてが「大きな物語」の中に位置付けられるものだったのではないかなと感じています。それでも不思議に感じるのはネットが発達して、あらゆる分野において文脈の細分化が進んで「物語」の細分化が進んで、大きな文脈という意味での「大きな物語」の喪失がすすんでいるはずのこの21世紀が生み出しているものが、どういうわけかどれもこれも幾つかの雛形から生み出されたように似たものばかりの大量発生、つまり、こうだたけみさんのおっしゃるところの「大きな物語」に吸収されうるものばかりである、よりユニークな「個人の物語」として生み出されたものが非常に少なくなっているという印象をもつのですが、そのことがとても興味深く思えます。 つまり大きな文脈を持っていた時代のほうがよりユニークな作品が多かったのではないか、という見立てなのですが、私個人の意見では単純にものを作る人の人数が現代に比べて極端に少なかったからではないかと思っています。そして、作品の絶対数が少なかったぶん、一つ一つが求められるクオリティーが違っていたというシンプルな問題ではないかと。 何がいいたいかというと創作物が飽和しすぎて、消費する側が食傷気味になる、さらにそれぞれの作者が一つの作品にかけることができるエネルギーや時間やお金が圧倒的に少なくなっている(一つのパイを大量の人で奪い合っているから)状況のなかで、作品を熟成させ、よりユニークな個人の物語のものにしていくことが難しい、さらには情報量が多過ぎて消費する側も表面的な鑑賞にとどまってしまうのでわかりやすいものが求められる、こういった諸々が重なっているからこそうちらがなにかに接したときに「これは〇〇っぽい」「〜系」だよねというこうださんのいうところの「大きな物語」への吸収、つまり分類が生じてしまう。あるいはそうした形での作品、もとい商品作りに傾いていってしまう。これは時代の必然だと思っていて、だからこそ私のなかではそうした「大きな物語」や「個人の物語」へのこだわりがほとんどないのかもしれません。 たいていのものはやり尽くされて、その中で、純粋にものを作ることを楽しむこと、お金になることや有名になることからは離れて、あるいはユニークであることすら放棄してただ楽しみのために、あるいは人間の正常な営みの一部として創作活動を行うこと、これが私にとっての創作活動の理想なのかもしれません。その中で「大きな物語」に吸収されてしまうかどうかというのはほとんど意味を持たないように感じられます。 という私個人の持論はこの辺にしておいて、こういった意見をその部長さんに聞かせたらなんとお答えになるのかとても興味がありますね。それにしてもダイナミックな方だったのですね。その方の作品を読んでみたいような気もしますが、これだけ印象の強い方ですと、自分の頭のなかで空想を膨らませて私なりの「部長さん」の物語を作ってみたい気もします。 (自分勝手なロマンチスト)

2018-04-05

花緒さん コメントありがとうございます!<つい最近、>あたりからの破綻ぶりは意図したものでもあり、また話をきちんと着地させるのが面倒になったということでもあり、また着地させたくないという心理の表れでもあり、宙ぶらりんなものへの愛着でもあります。最後の詩、いかにも凡庸な感じ、伝わって何よりでした!最後の詩がうまい作品になってしまうとちょっと狙いと違くなってしまうので。。。(といいつつ、うまい詩が書けるのか?といえば、書けないですので、そんな自分への自虐も含めて) (救急車をスライスすると指になる)

2018-04-05

こうだたけみさん いえいえ、こちらこそ私にはなかった視点で作品を読んでくださり、本当に感謝です。 お亡くなりになられた文芸サークルの部長さんの言葉だったんですね。なるほどです。こだわりというのは必ず背後に潜在意識的な大きな何かが潜んでいると個人的に考えているので、その部長さんの心の中に何があったのかとても興味がありますね。それを想像するのも、あるいは自分もまたそのこだわりを引き継ぐことも、その部長さんを忘れないで覚えておく方法のひとつなのかもしれません。 (自分勝手なロマンチスト)

2018-04-05

好きです、この作品。何がどのようにいいのかっていうことより、純粋に読んでいて楽しいし気持ちが良かったです。思い付いたままの口語で文章が安易に並べられているように一見見えるけれども、こんなふうに一定のまとまりをもたせて文章のリズムとバランスを整えるのは意外と難しいのではないかと思います。ところどころ文章がちょっと意味不明だったり、破綻しかけているところがまたいい味出していると感じました。 (その先生のことは案外、嫌いじゃなかった)

2018-04-05

内容に関しては激しく突っ込みを入れたいというか、なんだか大人げなくも厳しく説教してやりたくなってしまいそうな、そんなもどかしさを覚えつつ、文体のさらさらとした流れには非常に心地よいものを感じました。ただ、終わりを「16歳の春」で終えてしまうのはちょっともったいなすぎる気がします。ここをちょっと捻るだけで作品全体の詩情が何倍にも膨らむのでは??と感じます。 (新学期)

2018-04-05

追記:長いので3つに分けました。 (自分勝手なロマンチスト)

2018-04-05

「自分勝手なロマンチスト」のほうも本当に鋭く読んでくださっているなと感じてとても嬉しかったです。 確かに自分もそこまでヘッセを全面に持ってくる意図はまったくなくて、ほんの小道具に過ぎなかったのですが、意外にたくさんの方が反応してくださって驚きました。やっぱりヘッセはファンが多いんですね。(といいつつ、「春の嵐」の主人公は身体障碍を持っておられるのですが、とにかく女性の母性の対象になることが多い。それで主人公はあるとき「多くの女性は私のようなかたわの人間もまた普通の人と同じように女性に思いを寄せるのだということを忘れているようだ」みたいなことを語るんです。正確なセリフは忘れてしまいましたが。。でこのセリフはこの作品のなかの「僕」の心情そのものであったりもして、ヘッセというよりも「春の嵐」という作品は結構思い入れがあったりはします)。 で、どちらかというと、ご指摘くださった本棚にずっとはさまっているエピソードとかを面白がって欲しかったな、、というのがあったのでこうださんの読みと分析はとても嬉しかったです。 大きな物語に回収されるか否かに関してはいまだに自分自身、まったくピンときていないというか、いまだにその視点で考えることができないでいます。何かのきっかけでそのことについて深く考えるときが将来くるかもしれません。そのときは今回のこうださんとの貴重なやりとりを必ず思い出すはずです。 私のほうもとても長くなってしまいましたが、深い意見交換ができてとても有意義でした。本当にありがとうございました! (自分勝手なロマンチスト)

2018-04-05

で、作品の話に戻ります。 まず「僕の顔」について。 こうださんが改めて書いてくださった分析や読み、とても深くてびっくりしました。こうださんは<はい、残念なくらい、survofさんの意図が読み取れていないですね。 >と書かれていますが、実はそんなことはなくて、内容に関してはかなり鋭い読みをしていただけていると感じました。いや、なんだか鋭すぎてかなりドキッとしました。私は作品を書くときに常に一つの意図やコンセプトで書く訳ではなく、いろいろやりたいことがあってそれらを同時に盛り込もうとしていることがとても多いです。「僕の顔」に関して言えば、一つは以前お書きしたような「感覚や自分自身の存在の不確かさ、曖昧さみたいなものを曖昧な文体でなんとか形にしてみたい」という意図があり、でもこれは「よし、このコンセプトで書いてやる」というようなものではなく、自分が文章を書くときに意識せずともどこかで必ず意識しているものです。 で、もう一つの楽しみとして、物語性をもった短い文章として作品をまとめるということがあります。とにかく文章を書くのが好きなんです。題材は本当になんでもよくて、ただ自分が体験したことを文章にするのはたとえばフィクションを書くよりも自分にとってはずっと楽なことなので、身近な題材としてプルオーバーシャツを素材に「プルオーバー」を書いたり、自分の思春期の体験を素材にして「僕の顔」や「自分勝手なロマンチスト」を書いたりしてます。 こうださんの読みのなかで非常に鋭いな、と思ったのは <話者が最後まで顔を気にしつづけていることから、作品に描かれた執着心と作者の距離が非常に近い感じがする。これが作者の実体験ならば、作者は、もしかしたらこの感情を手放せていないのかもしれない。手放せたから書いた、というより、手放すために書いた、という印象。> の部分ですね。いわれてみれば確かにそうなのかもしれないな、と感じます。あるいは手放そうとさえしていないかもしれないです。結局自分のことは自分が一番よくわかっていないものです。 そして <文体の、思考を一定の間途切らさず、一定時間息継ぎしないで書くような感じが個人的に好みで、それが極まった最終連の一文の長さがとてもよいと思う> というご指摘は、私自身そうした文体が好きで、その理由のひとつはこの手法を用いて文章を書くことに一種の快楽があるからです。書いていて「気持ちがいい」んです、単純に。 そして、もしかしたら「感覚や自分自身の存在の不確かさ、曖昧さみたいなもの」を感じている自分が無意識のうちにこうした文体を選ばせているのかもしれません。 で、その先のこうださんの感想をお読みして、これまでの行違いの原因のようなものがよりはっきりしたな、と感じたのは、こうださんがご自分の作品について論じているなかで <でも、読んで心を動かされない読み手は、こう思うのではないでしょうか。 「これってよくある恋愛詩だよね。わかる、わかる」 この瞬間、私が書いた詩は、〈よくある恋愛詩〉という大きな物語に回収されてしまう。結婚できない三十代女の恋愛、という詩の内容すらなくなる。私は、それがどうしても嫌です> というこうださんの感想です。 というのは自分のなかにこの感覚は全くないんです。自分の文章がどんなテンプレに回収されようとも、私は一切気にならないというか、全くそうしたことを考えたことがありません。つまり、私の文章や作品と自分との関係はもしかしたら「僕の顔」で表現されている「僕」と「僕の顔」の関係そのものなのかもしれないです。 これはこうださんとのやりとりがあって初めて気づいた点で、おそらく私のこの予想はあたっています。「他校の女子生徒に盗撮されるほどモテる」ことなどほとんど気にもかけないのに(あるいは内心とても嬉しく思いながらも)「「お前不細工になったな」「なんか可愛くなくなったね」という友人の言葉」には非常に繊細に反応する。自分の作品に対する読み手の反応に対するときの自分と「僕の顔」のなかの「僕」、つまり昔の私なわけですが、不思議なほど同じなのかもしれない。というか人間ってそう変わらないんだな、、とつくづく。結局「イヤホンで音楽を聴きながら深夜までずっと鏡越しに自分の顔を見つめ」ているんですよ、笑。 (自分勝手なロマンチスト)

2018-04-05

こうだたけみさんへ コメント本当にありがとうございます!ものすごく丁寧にそして深く私の作品を読んでくださっていることが伝わってきてとても嬉しかったのと同時に、普段自分は他の方の作品をここまで深く読めているだろうか、と深く反省させらたりもしました。 まず先に大賞受賞について、ですが、私なりの感想があるので書いてみますね。というのは、おそらくキュレーターに花緒さんがいなかったら「僕の顔」は大賞に推薦されることはもしかしたらなかったのかもしれない、ということを思います。花緒さんと私はもちろん違う人間なので違う価値観、感受性、詩観を持っているわけで、十人いればそれぞれが異なっていていて、で、人それぞれの感受性や詩観あるいは価値観あるいは好みにおいて、まず近い遠い、共通部分が多い少ない、ベクトルの方向が近い遠い、などがあると思います。花緒さんと私に関して言えば、ある事柄についてはとても遠いんだけど、ある事柄に関してはとても近い部分があって、それこそ作品を通して、そうした部分を共有できているな、と感じることがあります(もちろん、私の側の錯覚なのかもしれませんが。。) 以前、花緒さんとの間で音楽が私の作品のコメント欄で話題になったことがありました。花緒さんはなによりテクノに対する造詣が深く、実験的なタイプの電子音楽にもとても詳しい方です。もちろん、他のジャンルに関しても幅広く聞いておられるだろうと予測しています。私も音楽はかなり幅広く聴くほうですが、やはり電子音楽、日本ではエレクトロニカと呼ばれるジャンルは私がかなりの量と時間、聴くジャンルの一つで、例えばドローンアンビエントといってほとんど同じ音が10分くらい流れているようなものや、わざとCDを音飛びさせたようなグリッジといった手法を用いたもの、そういうタイプのノイズ系やアンビエント系と呼ばれているエレクトロニカがとても好きなんです。最近は色々ネットで漁りまくって聴いているので自分が聴いているものがなんというジャンルに属しているのか良くわからないですしあまり気にもしていないですが。。まあ、そんなわけで、好きな音楽のジャンルに関していうととても共通部分が多いと思うんです。 なぜ、音楽の話をしたか、というと、私の作品、主にその文体やコンセプトにおいて、あるいは世界観においてかなりそうした普段聴いている音楽の影響を受けているからです。つまり、自分が何か作品に意図を込めたときに、それを例えば音になぞらえて、あるいはそうした音楽の作品をイメージとして共有するということが可能であるとするならば、花緒さんと私はわりと共有しやすいほうではないかな、と感じます。とくにそうした雑音みたいな「音楽」って自分も最初はそうだったんですが、とにかく最初は何をやりたいのか分からなかったり、そもそもうるさく感じたり、文字通り「ノイズ」つまり雑音として感じられたりしますが、癖になり始めると非常に些細な音の変化やバランスの変化に非常な美しさや格好良さみたいなものを感じるようになります。なので、あまりそういう音楽が好きでない人とは滅多にその系統の音楽の話をしません。 自分の作品にはそういった部分があるのではないかと思っています。つまりあえて天邪鬼な方向性をもった部分です。逆に「僕の顔」やそれよりちょっと前に書いた「プルオーバー」といった作品は、そういった天邪鬼な部分はありつつも(というよりも自分が作品を書くとどうしてもそれが付いて回ります、良くも悪くも)、もっと文章として読みやすい作品を書いてみたいな、ということで書いた作品で、しかも個人的にはいわゆる「詩」のような作品をかくより散文のようなものを書く方が得意ですし楽しいです。作家さんでいうと、町田康、川端康成、綿矢りさ、須賀敦子あたりがとても好きで、無意識のうちにとても影響を受けていると思います。 (自分勝手なロマンチスト)

2018-04-05

るるりらさん ありがとうございます!「三月」は本当に心に残った作品だった(おそらくこの先忘れることはない)のでぜひいろんな方にじっくり味わってもらいたくて選評を書きました。 (選評)

2018-04-04

三浦さん あちこちでやられてません、笑? (選評)

2018-04-03

カオティクルConverge!!貴音さん♪ ビーレビのコーネリアス!なるほど!個人的にはコーネリアスよりももっと粒度が細かくよりセンシティブな印象がありました。どちらかというとカオティクルさんの作品のほうがコーネリアスっぽいなと思います。結構きつい冗談も織りまぜるあたりもすごく似てるなとよく思います。 (選評)

2018-04-03

原口昇平さん コメントめちゃくちゃ面白かったです!ありがとうございました。ロールシャッハテストで何がわかるんじゃい?って感じありますよね。テスト受ける側が作為的に病的な答えをするというのは想定できるんですが、原口さんのエピソードみたいに糖質っぽい答えを求められるとなると、もう何がなんだか、まるで悪質なテレビ番組みたいです、笑。そんなことがあるんですね?まあ、この作品の主人公はひどい不眠が続く上にそれなりの陽性反応が出はじめているんで、ロールシャッハテストしないお医者さんでもきちんとした薬だしたと思います、汗。 (救急車をスライスすると指になる)

2018-04-03

おおいしさん とても嬉しいコメントありがとうございます。特に冒頭の入りから一気に読者を引き込みたいという部分はかなり気を使って書いたつもりです。文章は導入が命だと思っているので、とても嬉しく思いました。 それから「語り手の視野の外にいる他者を強く意識させられました。」というコメントもとても嬉しく思いました。これまで少しボリュームのある作品を立て続けに投稿しているんですが、文章の視点として例えば「僕の顔」なんかは完全に自分が自分に向けた視線なんですけど、今回はもっと客観的な視点で語り手を意識できたらな、、という感じだったんです。 後半のパートの代名詞の多用はなんなんでしょうね、笑。個人的にはあえて「安直に」書いた「詩」として最後に書いたつもりで、その安直さで文章全体を引き締めようと思ったんおですが、割と普通の現代詩っぽくなってしまったのかな、、という反省点があります。いかにも安直に書いた、、って感じがもっとだせれば狙い通りだったんだけどな、、と、今後の課題にしたい部分でした。コメントありがとうございました! (救急車をスライスすると指になる)

2018-04-02

ささん ブログのときからチェックしてくださったんですね!とてもうれしです。ありがとうございます!後半の詩の部分はちょっと自分でも十分に納得いっていないところなんです。改めて読んでみると確かに最後の2行の部分、もう少し違う方法もあったのかもしれないな、と感じています。 (救急車をスライスすると指になる)

2018-04-02

カオティクルConverge!!貴音さん♪ コメントありがとうございます!気に入っていただけてとても嬉しいです。リアル感がだせているというのはとても嬉しいです。後半のパートはテクノチックというのも嬉しいですね。実は、本当に機械的に言葉を入れ替えることで作った部分なんです。ほとんど言葉遊びです。もう少しドライというか、シュールにかければよかったんですが、個人的にはあと一歩という感じで、なかなかうまく行かなかった悔しいパートでもあります。 (救急車をスライスすると指になる)

2018-04-02

花緒さん コメントありがとうございます!「作品の意味は読者が、読者自身の無意識を投射したかたちで見出すことになるのだと思います。」というご指摘、とても嬉しいです。(1)の評は私がやりたいことを半分くらい代弁してくださっている気がします。 こうだたけみさんへ 待ちに待った花緒さんのコメントいただきました!さらなるコメントも大歓迎ですので遠慮なく〜! (自分勝手なロマンチスト)

2018-03-30

まりもさん コメントありがとうございます!今コメントに対してレスすることの難しさについて考えています。読んでくださった上での感想というのはもうすでにその方のもので、その方のなかで作品が生き始めた時点でもうすでに作品は作者の手元を離れているんだな、、ということを今回のまりもさんのコメントはじめ、たくさんいただいたいろいろな方のコメントのやりとりをしながら痛切に感じています。「読んでくださってありがとうございます」という言葉以上のレスが必要なのか、、とても悩ましいところですね。例えば、ここで自分の作品の意図について自分で語ってしまうのは何か違う気がします。語りたいことは本当は文章のなかに全部込めている訳ですから。。逆に例えば文章の技術的な事柄についてのご指摘があれば、作者がなぜその文体を選んだのかについての議論がありえるかもしれませんし、作者の意図を汲んだうえで、例えばこうしたらもっとその意図をうまく表現できるかもしれない、という議論は成り立つと思うのです。ただ、内容についてどう感じたか、ということになるとそれはもうすでに作品自体が読み手の人生の一部に組み込まれていってる訳ですから、作者の入り込む余地はすでにあまりないのではないかな、、といったことを考えています。今回の「文章にまとまりがない」というご指摘についても、「まとまりがないスタイルで書いた」あるいは「まとまりがないスタイルにどうしてもなってしまう」または「それが作者の個性である」ということもできるでしょうし、あるいはかっちりまとまった文章にすることでまた違う表現が可能になるのかもしれません。あるいは文体に関してはかなりのところ好みの問題であるということもできます。といったことを延々と考えていると、要するに自分が書いたものを通して読者との間で何かしらのやりとりがあるということが、書き手にとっては一つの喜びであって、掲示板はそうしたもののを媒介するメディアにすぎないのかもしれない。あるいは文章や詩作の技術を向上させるための研鑽の場になりえる可能性もあるかもしれない。では、それはどういった場合か。ただ単に感想を述べあっているだけで果たしてそうした研鑽の場になりうるのか。。。内容に終始しがちな掲示板コメントに疑問を覚えつつも書き手としてはそれを何よりも喜びとしつつ、しかも同時に技術的な事柄に関する具体的なコメントが非常に少ないことへの落胆と、同時にではいざ自分がそうした有用なコメントが書けるのか?と問われた場合には否と答えるしかないこのもどかしさと、もろもろ整理できない感情がビーレビというとても魅力的な場所に対するなんともアンビバレントな感情を生み出し、延々とこんな文章を書いてしまったそんな今日の夜です。 (自分勝手なロマンチスト)

2018-03-28

るるりらさん 再レスありがとうございます!なかなか甘酸っぱい思い出ですね。自分はその逆パターンで相手が読んでたから読むようになったという経緯です。 タイトルに関しては、相手の言葉からの引用でもあるのですが、「僕」が「彼女」に対して抱いている感情そのものでもあるんです。ですので「自分勝手なロマンチスト」とは「僕」のことだけをさすのではなく「ヘッセ」そして「彼女」のことをさしています。あえて解題してしまいますが、たとえば「彼女」の果物が「あまりに量が多かった」というのは、つまり、「僕」の「彼女」に対する感情に対する「彼女」の鈍さ(おそらくわざと気づかないふりでもしているのでしょうが。。)と、そしてなんだかんだで世話を焼いてしまう自分勝手さ、そして何よりそうした優しさや一種の愛情を嬉しいと感じながらも「量が多すぎて」重たいと感じてしまっている、相手が大人すぎて相手の感情を受け止められないでいる「僕」の姿を一度に重ね合せるために使いました。が、そのあたりのそれぞれの感情の機微を十分に表現できなかったのが今回のなによりの反省点でしょうか。コメントありがとうございました! (自分勝手なロマンチスト)

2018-03-27

こうだたけみさん いや、社交辞令とかではないですよ!ぜひまたお話しましょう! 私の作品のうち「僕の顔」と今回の作品は特にですが、私が書いた諸々の意図とは別に、それに共感できない人でも楽しんでもらえるように書いたつもりです。エンターテイメント性みたいなものと両立できたら理想だな、、ってのがありました。ですので、こうださんのような読み方をしてくださっても全然問題ないですし、むしろ嬉しく思いました。私が書いた意図に関しては読解力云々ではなく分かる人には説明しなくても伝わるけど、分からない人には何度読んでもピンと来ない種類のことだと思います(分かる人がえらいというわけでもないし)。女性特有の物事について男性は決して本当の意味では理解できないことが多々あり、その逆もまた同様ですが、それと同じレベルのことだと思います。どんなに技術があったとしても、自分のすべての感覚や感情を共有できる訳ではないです。その点でもう少し、門戸を広げた書き方が私のほうにも求められているのかもしれません。 (自分勝手なロマンチスト)

2018-03-27

fiorinaさん 暖かいコメントありがとうございます!確かに作品について多角的な議論が深まるのは掲示板での理想ですね。なかなか作品を読むのは難しいですが、いろいろな方のコメントを通して読み方が広がったり、自分では気づかなかった魅力に気付いたりするのでコメントが活性化するのはとても良いことだと思います!! (自分勝手なロマンチスト)

2018-03-27

こうだたけみさん すみません。おっしゃることの意味はなんとなくわかりますが、私がいいたいのはまったく別のことです。「評価」というのは作者と読み手の間に「作品」の「意図」に関して一定の共有があってこそ成り立つものと考えますが、こうださんのコメントをお読みする限り「僕の顔」に関しては作品の意図に関して十分な共有ができていないな、と感じます。その上で下される「評価」というのは、こうださんの考える「こうあるべき」にどれだけ近いかという価値基準の押し付けにならないでしょうか?私はおそらくこうださんが考えているのとは全く別のことを考えて(つまり別の意図をもって)作品を書きました。ですので、私は作品の意図をお伝えしたわけですが、それに対してあくまでこうださんの評価基準を提示されていらっしゃる。これではいつまでたっても平行線です。私の作品の意図がうまく伝わらないのは私の表現力が乏しいからです。なので、その作品の「意図」に対して「評価」が与えられるならば、私はどんな罵声でも甘んじて受けるつもりです。その点、花緒さんの選評は完全とまではいかないまでも私の作品の意図の核心に触れたものでした。そのことを私は何より嬉しく思いましたし、「僕の顔」にコメントしてくださった方の中にもその作品の意図に近いところでなにかしら返信してくださった方が数人でもいたことをとても嬉しく思いました。そして私にとっては大賞など取らなくてもそれがあれば十分です。つまり何がいいたいかというと、作品の意図を共有しない限り「評価」というものは成立しえないということです。(掘り下げていくとネット詩掲示板において「評価」というものはその性質上どうしても成り立たないといのが持論ですが...) 「僕の顔」は<「思春期ってこういう悩み持ったりするよね、わかる!」という読者の共感が得られるのを少しだけ想定して書かれている>ものではまったくないです。意図がまったく違います。先ほども述べた通り、自分自身の存在や感覚の頼りなさ、寄る辺なさ、自分自身の感覚や感情の曖昧さ、自分自身の存在のリアリティーの薄さ、頼りなさ、離人感に近い感覚、自分の内面と外面、内側と外側、それらの境界の曖昧さ、いろいろなものの境界の曖昧さ、それに対する不安と同時に感じる一種の恍惚。そうしたものの集積をまるで頼りない主体性のない文体で具現化することです。もちろん、私自身自分の意図を実現するのにいまのところ全くの技術不足であることは百も承知です。だからといってまったく違う「意図」のもとに「評価」されるのは不本意です。音楽に例えるならシューゲイザー狙って作ったのにギターソロがきちんと弾けてないからダメだ。。と、言われている気分です。笑。 と同時にそうした意図とは無関係であっても私の作品を読んでくださって、何かしら楽しんでいただけたことは何よりの感謝ですし、そのことはとても嬉しく思います。コメントありがとうございました! 今回の作品に関しては<「これはないわー」と全否定される可能性もあるのに投稿された>というご指摘はかなり的を得ています。ので素直にコメント嬉しく思います。なんだか面倒臭いレスで非常に申し訳ないです。 という訳でこの辺にしませんか?あとは花緒さんのご意見なりお聞きすることにして。。笑 (自分勝手なロマンチスト)

2018-03-25

こうだたけみさん 〈作者の生を通して借り物でない言葉で書かれた、小さくても作者自身の物語のある作品〉の部分で大きな価値観の行き違いがあるように感じます。おそらく伝わる、伝わらない以前私とこうださんの間にある感受性の大きな違い、あるいは何を作品に求めるかが大きく違う部分があるのではないかと思います。ですので、こちらもこれから書くことが伝わる自信がないのですが、わかるやつだけわかればいい、、というのもアレだと思うのであえて書くとすれば、作者自身の物語であるかどうか、もっといえば作者自身の人間としての存在は「僕の顔」においてまったく重要ではないんです。いぜん「遠く、朝は」という詩を書いたときにある方から作者の「実存」がまったく見えないというご指摘を受けましたが、それもそのはずで作品が逆の方向を向いているからです。あの作品においても「僕の顔」においても主語は作者でも話者でもなく、「感覚」であり書かれた「ことば」であり「文体」であり、決して人間の「実存」的な何かではないです。その意味で今回の作品ではより「話者」が主語になっているという意味で根本的に性質の違う作品だと思っています。意味不明だったらすみません。。 (自分勝手なロマンチスト)

2018-03-25

こうだたけみさんへ 追記: 花緒さんとしては、その「捻り」の部分がこの作品においてはよくわからないから評価しずらい、、ということなのではないかと思います。確かに自分でもその部分がうまく昨日仕切れていないかな、、という反省点があります。 (自分勝手なロマンチスト)

2018-03-25

こうだたけみさん 再レスありがとうございます! 実体験という意味では両作ともほぼ自分の実話なんですよ、実は...(細部の脚色はもちろんありますが大筋において)。ですので「作者の生を通して借り物でない言葉で書かれた、小さくても作者自身の物語のある作品」という意味では紛れ間もなく両者とも私自身の物語であり、借り物でもなんでもない等身大の自分の人生の記憶の断片にすぎません。それを「借り物」と感じられたのであれば、私の当時の人生や感受性が、まさしく「借り物」にすぎなかったということであり、特に「僕の顔」においてはそうした自分の感受性の寄る辺なさ、あるいは自分の人生自体にリアリティーを感じられない頼りなさや心許なさを含めて作品に込めたつもりです。ですので、ある読者の方が、文体における主体の曖昧さや時系列の曖昧さについて触れてくださったときには非常に嬉しく思いましたし、花緒さんが推薦してくださったときにこうした作者の主体性の曖昧さ的なものに触れてくださっていたことがなにより嬉しく思いました。「僕の顔」においてなにより大事なのはあの文体であり、曖昧さでした。そのために最初に書いたときにははっきりとしていたいくつかの言葉をあえて曖昧にする作業をかなり丁寧に行いました。どちらにしてもずっと鏡を覗き込んでいるような「キモさ」のある作品であることは認めざるをえないです、笑。 こちらの「自分勝手なロマンチスト」はもう少し物語性に重点をおいて書きました。ですので「僕の顔」に比べると、読みやすさや物語としてのわかりやすさ、といったものを意識して書いたような気がしますし、視点としても前作に比べるとずっと引いた視点で書いています。もちろんこちらの私としてはいろいろ捻りをいれてあるのですが、捻り方が「僕の顔」とは全然方向性が違います。その捻りがなくても読めるように心を配ったつもりなので、こうださんなりにいろいろと読んでいただけてとても嬉しいです。 どちらにしても自分のことしか書いてないのは間違いないです、笑。 花緒さんのさらなる意見も聞いてみたいところですね。いずれにしてもコメントありがとうございました! (自分勝手なロマンチスト)

2018-03-25

自分は「最終兵器彼女」を思い出しました。それはさておき、闘う彼女に関する描写のなかで紋切り型の表現が目立っているのが気になります。そうした紋切り型な表現がアニメや漫画におけるサブカルな様式美的なものとうまく繋がれば作品としての深みが増したのかな、、と感じます。この部分の表現の仕方次第で、作品のバックグランドにあるサブカルへの造詣の深さを作品に投影させることにもなったのではないかと思いますが、そこがいまいち失敗してしまっている印象があるのが残念です。 (兵器少女とシティロマンス)

2018-03-23

花緒さん ご指摘の通りで、おそらくこれで短編の小説が一個書けると思いますし、もし時間があれば是非書きたいな、と思っている内容で、試し書きの要素も結構強いかと思います。「僕の顔」のようにこの分量で完結しているというよりも、この分量でとりあえず書いたという部分もあり、作品の完成度の低さは自分自身認めざるをえないところです。ただ、ひとつ確実にいえるのは書いていてとても楽しかったということと、この分量に抑えるため本来であれば直接表現するであろう事柄や感情を登場するいろいろなものに隠したということです。心情をそのまま吐き出すようでいて、実はかなり丁寧に感情を文章に隠す作業をしました。それが読み手に伝わるほどうまくできたかどうかは別として、自分のなかのとても大切な感情は全部見えないところに隠す、というその作業が何より一番楽しかったです。 (自分勝手なロマンチスト)

2018-03-22

さしみさん 「感性が鋭い人が恋をするとき特有の拗らせ感」という感想とても嬉しいです!かなり重度に拗じらせている話を書いたつもりだったので伝わってよかったです。コメントありがとうございました! (自分勝手なロマンチスト)

2018-03-21

こうだたけみさん ありがとうございます!うれしいです。タイトルは実はこれ以外考えられないくらい自分のなかではこのタイトルであることが大事で、自分で解説してしまうのもあれなんですが、「自分勝手なロマンチスト」は「僕」のことでもあるし「ヘッセ」のことでもあるし「彼女」のことでもあるんです。彼女側視点から読んでみてもらえると納得していただけるんじゃないかな、、と思います。 本棚に挟まるっていうのは実は自分の過去の実体験から拾ってます、笑。かなり頻繁にやってた気がします。。最後は結構苦労して、全体的なスイートな感じをなんとかベタベタすぎない感じのところで着地させたくて、結局この形に落ち着いたんですが、「僕」の心情をぎゅっと凝縮できた最後にできたので自分でもお気に入りです。 (自分勝手なロマンチスト)

2018-03-21

あまり喪失感を感じることができないのは、たとえば「蜜蜂だけが居なかった」というのを読んだ時に、では以前は「蜜蜂」がいたのか、というのをあまりリアルに想像できないからではないかな、と感じました。もしかしたら現地の蜜蜂農家さんから蜜蜂は大量に消えたのかもしれない。ただ、以前はあって今はないものの一つの喩えとして「蜜蜂」は私にとってはあまりに遠すぎるように感じます。それだけ自然と触れ合う機会が減ってしまったということでもあるのですが、「蜜蜂がいない」ということがどれほど異常なことなのかほとんどピンとこないんです。その部分の作り物感が邪魔をしてなかなか入っていけないという印象がありました。あるいは技術的にうますぎて整いすぎているという側面があるのかもしれません。 (写生)

2018-03-14

「あと3回読むと泣きそう」というコメント非常にわかります。作品全体を覆い尽くすユーモアの嵐が逆に鋭く刺してくる感じがしますね。最後まで読んでからタイトル読んで安心しました。 (踏み止まるメザシ(千葉県産))

2018-03-14

(i)の息の長いフレージングがとても魅力的に感じられます。「かぼそい」の繰り返しでたくみに導入のリズムを作り出し、「〜ような」と「〜て」が対となってゆっくりと正確に安定した「低音」を刻むことで息の長い文章を息切れさせることなく、そして全体を重くならせない絶妙なバランスで非常に魅力的な旋律を作り出していると感じました。 (iii)では「声がする」にはじまって「〜する」がいささか奇妙な使われ方で反復されることによって刃物の上を歩いているような緊張感を感じました。文章としては意味を失って錯綜したような状態になっているのに、あまりわざとらしさを感じさせず、むしろ明確なイメージを想起させられるのが非常に不思議です。「窓」や「青」「終わっている」といった言葉の使われ方、言葉の配置や構図の作り方が非常に効果的なのかもしれません。 (殺戮の時代)

2018-03-14

なんというか底知れぬ孤独感を感じました。とても気になる作品です。 (三月)

2018-03-12

だれかが悪さしてロボットをボコボコにしたらどうなるんだろう、という素朴な疑問はとりあえず一旦おいておいてですが、この先生ロボットを作ったのもまたおそらく人間である、ので、教える機能をもったロボットをもって「教育」という問題を解決する技術をもった人間が、「先生」に取って代わったという意味で、この話はロボット対人間の二項対立の話ではない。強いていうならばより高度な問題解決方法と技術を持った人間とそれを持たない人間だ。ロボット先生とはロボット先生を開発した人たちとその人たちの思想にほかならない。。。というようなことを読者に語らせてしまう「詰めの甘さ」的なものがこの作品の(というか花緒さん作品の)怖さだな、、と改めて感じました。作者がどれほど深く考えていたかには無関係に、多様な議論を引き出せる作品こそが素晴らしいという考え方もありますが、その意味では「素晴らしい作品」といわざるをえないです。 (ROBOT TEACHER, WHAT CAN I WRITE?)

2018-03-11

三浦さん 鋭い嗅覚ですね。。汗 (自分勝手なロマンチスト)

2018-03-08

るるりらさん ヘッセ、自分は新潮文庫のあの水色の表紙がなんともかっこよく、何冊か読みました。「郷愁」「春の嵐」「ダミアン」の3冊だけだったと思います。独特の中毒性がありますよね!読み始めた経緯はこの作品に書いた通りですが、自分もるるりらさんと同じく内容はほとんど覚えていません。ただ、「春の嵐」のなかの一文が正確には思い出せないのですが、非常に印象に残っており、当時の自分が激しく共感した記憶があります。コメントありがとうございました! (自分勝手なロマンチスト)

2018-03-08

kazさん コメントありがとうございます!タイトルといえば、夏目漱石が「彼岸過迄」のタイトルについて「『彼岸過迄』というのは元日から始めて、彼岸過まで書くつもりだから単にそう名付けたまでに過ぎない実は空しい標題である。」と書いたのは有名な話ですが、夏目漱石のこのタイトルは個人的にはセンス抜群で大好きです。 (自分勝手なロマンチスト)

2018-03-08

新鮮なこともあり【変わってくれないユニの為に】が一番好きです。随所随所かなり笑いました。面白いです! (ヨミテニ・タクス3)

2018-03-07

全体的に説明しすぎている感じや随所であえて平仮名を使うことなど、が例えば小学生の卒業文集にある作文のような雰囲気を醸し出していて、それが独特の世界観と魅力を作り出していると感じます。あえて稚拙に書かれた文体のなかで「女医」という言葉や「個が群の圧政につぶされる様子、あるいは群が個を脅迫する様子」といった表現、明らかに「大人」に属する言葉や表現が随所随所に紛れているのがとても興味深く印象的なのですが、そのコントラストがあと少しだけ鋭かったならより面白かったのではないか、あるいは「この発想はぼくを惹きつけてやみませんでした。」の一文でこの作品が終わっていたならば、全体の印象がよりミステリアスで緊迫したものになったのではないか、、といった印象を持ちました。 (記録)

2018-03-07

三浦さんの魅力って大量の矛盾と欲求を抱えたまま、その巨大な姿で突進しているところだと個人的には思っているんですが、詩になった瞬間に綺麗にまとめようとしすぎてしまってその魅力が全部損なわれてしまっているように感じてしまいます。三浦さんのことはリムーブしながらもちょくしょく三浦さんのTwitterをのぞいたりしている私こそ矛盾だらけの人間なのですが、ビーレビのコメント欄やTwitterで三浦さんが時々見せるほとばしる咆哮からくるわけのわからない感動に比べてしまうととても物足りなく感じてしまいます。もっとさらけ出してかけば面白いのにな、、と感じてしまいます。 (SΦNSかみさま断絶をください)

2018-03-07

文体のもつ独特のフックがかかったリズムが特に魅力的な作品だと思いました。読み手の心理に激しく揺さぶりをかける芯のあるリズム感を持っていると感じます。 (金魚ばち)

2018-03-07

文章がことごとく「u」音で終わっているのが興味深いですね。他の方も指摘されていますが、構成に対する丁寧なこだわりを感じさせます。個人的には少しくどく感じたのですが、最後の一文がそのくどさを一手に背負って全体を引き締めている気がします。 (Mr.±0)

2018-03-07

三浦さん 実は私も投稿する前に何度か音読してみたんですよ。で、三浦さんと同じような感覚に陥りました。つまり、文章を「意味あるもの」にしようとして無意識に読点の箇所を何かの音で補足しようとしてしまうんです。 もっと正確にいうと、この作品の作り方として、まったく「意味のない」語感の良さだけから選んだいくつかの音のつならりをスマホ上でコピペ&カットペーストしてシャッフルしたのち、その中から浮かび上がってきたより具体的な風景や感覚というものがあって、それに「花」や「撃て」という言葉をあてました(そして文章や意味としてきちんと成立する直前でなんとか言葉を宙ぶらりんにさせたいという意図もありました)。 結局、心の中に確かにある感情や感覚を投影する結果になるのですが、潜在意識を汲み取っているようで不思議な感覚がありました。こんな感じで三浦さんがされた音読とほぼ似た過程を経て作品になったという感じなので、今回のコメントとても驚きましたし、嬉しく思いました!ありがとうございます。 (はな、うてと)

2018-03-04

追記: 「Gum」はSENSUOUSに入ってましたね。いつも曲名みないで聞いていることが多いのでうっかりしてしまいました。 (はな、うてと)

2018-03-04

カオティクルConverge!!貴音さん♪� Cornelius大好きです!アルバムでいうと特に「SENSUOUS」あたりが好きですが「Gum」は初めて知りました。調べたら海外限定のシングルだったんですね。リンクありがとうございます。聞きましたが、いや、ドンピシャでした。しかも、あれきちんとした歌詞がついていてその詩がまたよかったです。 読点の打ち所はニュアンスが全然変わってしまうし、読み方に関わるので私も毎回相当悩みます。が、今回はわりとのびのびと使って見ました。やってみて読点が持つ効果に改めて気づかされた部分が多々ありました。 Corneliusの音楽のような詩が書けたら最高ですね。目指したいところです!コメントとても嬉しく思いました。ありがとうございます。 (はな、うてと)

2018-03-03

渡辺八畳@祝儀敷さん コメントありがとうございます!小笠原鳥類さんの作品を一切読んだことがないのでなんとお返ししたらよいのやら、という感じですが、折があれば読んで見ますね。普段、現代詩含めあまり詩は読まないんです。詩人の作品よりも新聞の片隅の小さな投稿欄にある小学生の詩に深く心を動かされることのほうが多いかもしれません。ネットの詩にはときどき似たような感動があります。プロではない方の作品にとても興味を持っています。 (はな、うてと)

2018-03-03

原口昇平さん 返詩ありがとうございます!原口さんが描き出してくださった風景や感覚、感情と、私の作品には切実に通底するものがあるような気がしてなりません。もしあえてこの返詩にさらに返詩を書くとするならば、私はこの作品をやはり差し出すことになるかと思います。ありがとうございました。 (はな、うてと)

2018-03-01

こうだたけみさん ああ、なるほど。外見というか人の魅力に関するこうだたけみさんの意見にはまったく同感です!とはいえ、この作品のベースになっている私の思春期にはそんなゆとりなどまったくありませんでしたね。。他の人の顔が羨ましくて仕方なかったです。 (僕の顔)

2018-02-24

社町 迅さん 楽しんでいただけて嬉しいです。「詩を読み進めるほどにダメージが重なってく様」、実は結構意識したので嬉しいです!自分の思考は連想に歯止めが効かないタイプなのでいろいろと鋭いご指摘だなと思いました。ありがとうございます! (僕の顔)

2018-02-23

蔀 県 さん コメントありがとうございます!「思考はまとまりなく動いていて、それは言い換えればいろんなことに知覚が及んでいるということで、つまり皮膚感覚が鋭い」というご感想、おそらくいままでビーレビでいただいた感想のなかで一番嬉しいです!まさにその感覚こそが自分がいろいろな形で表現しようとしてきたもの一つなのですが、それをこのように直接感想でご指摘いただけるのは非常に嬉しく思いました。 (僕の顔)

2018-02-22

朗読も聞きました。真ん中の部分(朗読で一気にテンポアップする部分)が特に好きです。こういうスタイルのだーっとリズムにのって言葉を紡ぐ系の作品、自分も時々試そうとするんですが、なかなかうまくいかないのでちょっと嫉妬しました。「の心中は察しなくてもいいさまたげないでサマーまたげないで」のフレーズとか特にやられたな、、と思いました。同時に朗読は特にどこかお坊さんのお経のようで、毎週生ゴミを出さないといけないような温度感の日常にピタッと死の影が寄り添っているような感覚がなんだかとても鮮烈で、亡くなったお父様に捧げられたという最後の注意書きがたとえば、台所の三角コーナーのなかの生ゴミの臭いと同じくらいに生々しく感じられたりもしました(さっきまでゴミの整理をしていたのでこんな例えでスミマセン)。 (四駆スカンクラップアドロッカー)

2018-02-22

こうだたけみさん こめんとありがとうございます!いや、嬉しいです!この書き方、自分でもかなり気に入っているので。書いている側の意識としては私としても「思考を一定の間途切らさずに書く、とか、一定時間息継ぎしないで書く」のほうが感覚として近いです。が、「だらだら」という感覚にもかなり近いんです。息継ぎしないで書いているのに、実際はものすごく無駄な動作をだらだらと延々と続けている文章ではないかな、、と自分でも思います。内容的にも。 顔に関しては「他人からどう見えているかなんてどうでもいい」と思えているうちはブサイクだろうが何だろうが全然いいんだと思うんですよ。でも人って結構外見で人の扱いを変えてしまう生き物なんだと思います。残酷なくらい正直に扱いを変えてしまうと自分でも自分ことをそう思います。大きな容姿の変化を人生で度々経験してもなお「顔なんてどうでもいい」、そう言えるのであればその人はよっぽど強い人だと思います。人間について語るとき顔だけを取り出していい悪いをいうものではない、という意味では顔はそれほど大切ではない。「外見は内面の一番外側」という言葉には結構同意するところがあるものの「外見の印象でその人の何が分かるのか?」という気持ちもあり、そう意味では「顔はそれほど大切ではないな」と思います。でも、人は人を特に最初は外見でしか判断できない。そういう意味では「顔はとても大事だな」と思います。なんか、長くなってしまいました。とてもいいコメントいただいたので嬉しくなってつい色々書いてしまいました、笑。 (僕の顔)

2018-02-21

渚鳥 さん 確かに勉強した記述があまりないですね...いわれて初めて気づきました、笑。作中の「僕」は確かに人がいいところがありますが、裏を返せば、自分以外どうでもいいという極度に自己中なところもあるのかもしれませんね(想像ですけど)。逆にそういうタイプの人って人を差別したりせずにものすごく人あたりもよく、接し方もフラットだし基本親切だったりして不思議だな、と思うことがあります。 (僕の顔)

2018-02-12

不勉強なことにブローディガンを知らないのですが、花緒さんが使っておられる「洒脱」という言葉がやはりぴったりだなと感じました。一種のダンディズムですね。ウィットに溢れる含蓄を感じます。どこか自嘲的でもあり、それでも書くことへの深い愛着が感じられるところがこの作品をより魅力的にしているようにも思うのですが、この詩を人間の所作に喩えるとするなら美しく年齢を重ねた方のちょっとした笑い方に現れるその人の生きた時間の重みであり、立ち姿に現れる強い信念であり、夕日を映し出す瞳に陰る深い悲哀であり、己を笑えるゆとりと知恵であり、慈しむようにウィスキーのはいったグラスをなでる洗練された指の動きであるな、、と、随分と感覚的な感想になってしまいましたが、トイレットペーパーの芯ならぬ人間としての太い芯というか軸を感じさせる作品だと思いました。 (トイレット・ペーパーの芯)

2018-02-12

いつもの散文的な作品に見られる花緒さんのロジカルなスマートさは影を潜めて、ここにあるのは無骨でメカニカルなシンプルさ。その分、「食べ物としてうし」がよりリアリティをもって迫ってくる気がします。一定のリズムでまるで「かごめかごめ」のように同じようなフレーズをリフレインさせ構造としてもループさせることで、「食べ物としてうし」がスーパーに並ぶひき肉のパックと同じようにお互いに交換可能なもの、無名なもの、メカニカルに処理されるものとして描かれているのに対して、その「食べ物としてうし」に「ぼく」という一人称を与えることで、命を食することへの倫理に鋭く切り込んでいるようにも見えますが、このあたりは花緒さんの他の作品にも一貫して通底しているテーマのような気がします。そのテーマに新鮮さはあまり感じませんが、花緒さんの作品群がなぜか魅力的なのは、「命を食すること」の是非を云々しているように見せかけておいて(あるいは実際にそうなのかもしれませんが。。)ただそこにある一つの現実として即物的に描いているような一種の冷静さ、冷徹さがあるように感じられることです。あるいは捕鯨反対家のように煮えたぎる動物愛護主義がその向こう側にあるのかもしれませんが、私は個人的にそういった事柄は考えても仕方がない、、と醒めてしまうたちなので、こういった読み方になってしまうのかもしれません。 (うしのはんすうし (B-REVIEW EDITION))

2018-02-12

なんという詩情、なんというノスタルジー。短いながら語られるべきことはすべて語り尽くされている気がします。強烈に胸に迫るセピア色の美しいおとぎ話。しかも「子供の自分」のことが必ずしも「古き良き時代」として語られるのではなく、かといってもう過去のようなことがなくなってしまった現在がよりいい時代として語られることもなく、どちらかというと深い喪失感と古い時代への憧憬をいくらか含んでいるようなニュアンスの語り口がこの物語に寓意と感情が何層にも重なり合った厚みと深みを与えていると感じました。 (思い出す詩のことなど)

2018-02-12

花緒さん おそらく今回は「だらだら書いていたら次第にコンセプトが浮かび上がることになった」のほうが正解だと思います。それから花緒さんのご指摘もとても的を得て射たもので嬉しく思いました。「外界からの視線への意識」の変化は特に意識して書いた点だったように思いますし、それがとても「内省的」であるというのは鋭いご指摘だな、と感じました。過去の自分を色濃く投影した部分も多々あり、だらだらと書いた割にはかなり思い入れの強い作品でもあります。私の作品のなかではだいぶ「意味」を含ませた作品なのではないかと。。とてもうれしいコメントでした。ありがとうございました! (僕の顔)

2018-02-12

まりもさん 「〜て」あるいは「て〜」という使われ方の中での「て」ということば自体、日本語として多彩なニュアンスを包含していて文脈によって様々に表情をかえるところがとても魅力的だと感じています。「〈てばなして風が〉ここは、手放して風、とは切らないのですね。」とのことですが、ここを「手放して風、」と切ってしまうと同じリズムの反復になってしまい文章が一気に硬くなってしまう気がします。「が」をいれるだけで言葉の抑揚がまったく別物になってしまうのが不思議です。 「一人で自らを弔う、そんな哀悼詩」や「事後感」といったキーワードも感想としてとても嬉しいものでした。私自身は死後の魂云々信じていませんが、私の感覚によって生み出したものが読み手の死生観といった深いところにまで響いたのだとしたらそれはとても嬉しいことです。私の詩に隠喩はほとんどありません。ですので文章に意味が「ある」のか「ない」のか問われれば、おそらく「意味はない」。だけれどもそれは決して中身がないわけではなく、確かに私の中のイメージや感覚をなんとか具現化させたものではあると思います。私の中の感覚・感情をことばを使って表現するというその行為と、私のてもとから離れて完全に読み手のものとなる読み手の方のイメージや感覚あるいは感情、あるいは解釈。そのギリギリのせめぎ合いにとても興味がありますし面白さを感じます。ありがとうございました! (おわって、風)

2018-02-12

原口昇平さん とても嬉しいコメントありがとうございます!どんな作品を書かれる方なのだろうとお読みしましたが、短い方の詩、とても美しい作品でした。あのような作品を書かれる方から「音の流れと微細なニュアンスに対する類まれな配慮」を感じるといっていただけるのは最高に嬉しいです。どちらも作品を書く際に特に注意を払っている点です。ありがとうございます! (おわって、風)

2018-02-12

いきなり話が変わってしまって恐縮なのですが、無調性バリバリのいわゆる現代音楽を聞くととても個人的にとても古臭く感じます。そのときの感覚と隠喩ばりばりの詩を読んだ時に感じる「なんか古臭くてださい」という私の個人的な感覚はとても似ているんです。あえてバリバリの隠喩を使うその感受性そのものがとても古臭いと感じてしまう、というところがあって、もしかしたらポエム派の方々が隠喩を嫌う理由もただ理解できないから、というよりも隠喩自体がまとっている一種のカビ臭さを感じ取ってしまうからではないか、ということをこの作品を読んで感じさせられました。そういう意味ではライトな部分とベタは隠喩パートの対比は一定の効果を奏していると感じます。ただ、コンセプトを読まなければコンセプトがわからない、というのにも同意で、コンセプトしてはうまく機能していない気がします。コンセプトなしで深読みするならば、隠喩のレベルをあえて低いものにとどめておくころや有名な隠喩の一説をこれ見よがしに引用することで「隠喩」そのものを揶揄している作品と取ることもできる。かといってポエムパートもやはりポエムになきれておらず(あるいはあえてポエム風にとどめておいて)、良質なポエムがもつ含蓄もない。そういった表層にあえてとどまることで「ポエム」そのものを揶揄しているようにも読み取れる。あるいは作品のなかにおいてはポエムの対義語を「隠喩」として安易に定義することで、ポエムを嫌って難解な隠喩を使うことに酔いしれる現代詩愛好家に対する皮肉とも取れなくはない。何が言いたいかというと、コンセプトなしで読んだ方が深読みの幅が広がり作品としてより面白い読解が可能になるところを、コンセプトを解題してしまうことでその面白みがほとんどなくなってしまったことがとても勿体無いな、、ということでした。 (ワタシのきもち (エルサポエム))

2018-02-12

原口昇平さん 自分が意識しているものも、していないものも含めて的確にコメントくださりとても嬉しいです。なんだか作品にとってとても良い読み手に良いタイミングで出会えている気がしてとても嬉しく感じました。特に「まさにだらだらしゃべりながら時系列も性別も超えてうろうろしっぱなし」というご指摘とても嬉しい感想です。ありがとうございます! (僕の顔)

2018-02-11

この作品は読めば読むほど美しいです。言葉一つ一つがもつ響き、そしてその言葉が作り出す力学をとても大切にされていて、丁寧に文章を紡ぎ出されていると感じるので読めば読むほど味わいが深まる。詩句から立ち上がるイメージが非常に立体的で広大ですらあるのに、非常に引き締まっていてコンパクトに収束する美しさがあります。そして読み手自ら「語り得ぬことへの沈黙」へと誘われていくようです。 (語り手と聞き手のいる風景)

2018-02-07

なんだか文章が全部格好いいですね。面白かったです。音読はレベル高くて挫折しました。。 (言葉の体操 ― 創作早口言葉)

2018-02-06

アラメルモさん 「動きのあるイメージだけに趣きを読ませた作品」を意図したわけではないのですが、ご指摘どおり確かに形式的にもう少し遊びがあってもよいかもしれません。その辺りの引き出しは多くはないのでコメントとても勉強になりました。ありがとうございます! (おわって、風)

2018-02-06

グーグルグル夫さん コメントありがとうございます。「漂白感」という言葉とても嬉しいです。何かしら具体的なイメージを思い浮かべてもらえてとても嬉しく思いました。 (おわって、風)

2018-02-06

三浦さん いえ、こちらこそ過剰反応してしまいまして大変失礼いたしました。嬉しいコメントありがとうございます! (おわって、風)

2018-02-02

三浦さん 返詩ありがとうございます。いかようにも読める返詩で、穿った読み方をすれば「お前の作品はくだらん技術の集積にすぎないのだから誰でも真似して同じものが簡単に作れてしまうんだよ、ほれ作ってやったから」というメッセージにも取れますし、あるいは単純に私の作品に被せて何かしら書きたい気持ちになっただけなのかもしれませんが、いずれにせよ、大切なことは何一つ伝わっていないし、感じ取っていただけなかったということだけは明白なので、非常に忸怩たる気持ちでおります。私も三浦さんの作品からはほとんど何も感じないので感受性や詩観に大きな隔たりがあるのかもしれませんね。いずれにしてもありがとうございました。 (おわって、風)

2018-02-02

「悲しみ」という感情について語っているのに、それがとても即物的なものとして扱われていて、読んでいるうちに自分の中にある「悲しみ」のイメージや感情がたとえば「コップ」とか「鉛筆」とか、なんでもいいんですけど、その辺にある物体としてのモノに変換されていくような不思議な感覚がありました。そして、また頭から読み直すと「悲しみ」「悲しむ」はたとえば「広さ」「広げる」に置換しても文章として十分に成り立つことが非常に興味深く感じられました。そして、そうしたまったく無関係なことばに置き換えたとしても文章としての魅力はそのままのように感じられるんです。「悲しみ」について語っているのだけれども、「悲しみ」はモノに変換されて思考だけがぐるぐると回転し続ける。その渦の中心に残されているのは思考を持て余した作者の存在。言葉や感情をこえて物体としての作者が強烈に迫ってくるように感じられました。 (昨日私は悲しみについての詩を書いた)

2018-01-30

「...のです」「...のですよ」という語尾の繰り返しが非常に魅力的なリズムを作り出していて、ことば一つ一つが丁寧に自分の心の中に入ってくるような感覚がありました。最後の2行がリズムを崩しているようで個人的にはないほうが好きですが、何度も読んでしまうような不思議な吸引力がある作品ですね。「わけのわからないことでまた心が安らぐのですよ」の一文が特に好きです。 (つばさ)

2018-01-30

獣なのかなんなのか、未確認生物なのか、もじゃもじゃと蠢く濃い生命の気配を文字の集積から感じさせられます。「へのへのもへじ」は文字通り、文字を顔のパーツになぞらえたものですが、この作品も文字一つ一つが形としての強い力というか生命感を持っているように感じられ、視覚を強烈に刺激するという点で非常に面白い作品だと思いました。しかも時間軸をともなった形として実際にうごめいているように見えるという点がとても不思議です。おまけに、読んでみてもも面白い。音読して見ると口のなかに蛆虫がぐわーっと湧くような不気味な感覚があります。 (もぬけの穴のけもの)

2018-01-30

映画の予告編のナレーションみたい興味深いな、と思いました。自分のなかでナレーションの声とか効果音とか映像とか音楽とかを勝手に想像したりしながら読むと結構面白いですね。最後の締めもビシっときまってる感じでいい感じだと思いました。 (Singularity)

2018-01-28

コメントありがとうございます!私にとって夢をみるとは時には心地よい経験ですが、多くの場合、迷子になったときのようなどこか落ち着かない、不安定な感覚を伴います。「嫌」と「棄」という漢字の効果によって読者を「迷子」にならせることを意図した訳ではないのですが、その部分からどこか腑に落ちない感覚や文章としての不安定さ、あるいは「迷子」になったような感覚、そういったものを感じていただけたということでしたら、それはとても嬉しいことです。私の夢ってライトだけどどこか不条理なんです。あと、エッグマンに存在のリアリティを感じていただけて嬉しいです。思い入れのあるキャラなので、笑 (嫌な夢)

2018-01-27

たしかに、「一緒に連れて行って欲しかった」って言ったら、笑われたっけ」の部分、特に自己陶酔的なものを感じました。だけども、その直前「寄せるとき、砂だけが海に向かってさらわれていくのが美しかった」の1行は個人的にはこの詩のなかで一番美しく、深みがあるな、と感じた部分でもあります。その次の行の「一緒に連れて行って欲しかった」という感情をその一文がすでに内包しているようにも感じられたからでもあり、その情景を思い出した時のちょっとひやっとする感覚を思い出したからでもあります。で、「...笑われたっけ」の部分をふくめ全体的に自己陶酔的に感じられるのはなんでなんだろうかと私も考えてみたんですが、彼女に対する視線が「僕」から「君」へ一方通行だからなのかな、という気もします。つまり「笑われた」という事実自体に彼女のなかの「僕」に対するどこか醒めた視線(それは「海にしか見せない」表情がある彼女の姿に通じるものがあると思います)だったり、あるいはもう少しアンビバレントな感情が含まれているのではないかと感じるのですが、そういった「彼女」から「僕」に向けられた視線を、受動態ではなくもう少し客観的な位置から描く方法もあったのかもしれないな、と感じました。情景描写にとどめるというのもまた違った緊張感が生まれていいかもしれませんね。どちらにしても同じようなものを私が書いてもこの作品のようなビタースイートな透明感は表現できないので、それはユウさん独特の良さ、感性の鋭さだと思っています。 (「夢に見た」、そう言ってでも会えたことにしたかった)

2018-01-25

追記: 「「僕と君」系の文章はそれなりの技巧がないと読み手が恥ずかしくなってしまう」とお書きしたんですが、ここでいう技巧とは、その文章を読み手が自分の話として読めるかどうか、かなと思いました。どれだけ自分や自分の経験を投影できるか、ということだと思います。 (「夢に見た」、そう言ってでも会えたことにしたかった)

2018-01-24

どこか自己陶酔的な透明感がとても美しい作品だな、と感じました。三浦さんのご指摘には私も賛成で「僕と君」系の文章はそれなりの技巧がないと読み手が恥ずかしくなってしまう部分があるのだと思います。ただ、この作品に関しては、一種の緊張感に支えられたぎりぎりの均衡の上になりたちつつあるな、と感じます。「つつある」というのは、作品が持つ陶酔感と、それとは別の醒めた目線の両方が共存していることがこの作品の魅力のひとつであるのだけれども、どちらかというと陶酔感の方に多めに引っ張られてしまっている感じがしてしまうので、共存する醒めた目線と陶酔感との駆け引きのバランスにおいて、陶酔感からもう少しだけ距離がある位置に作品を置くことができるなら、心地よい緊張感で磨き上げられた透明を作り出すことができなのかもしれない、と感じます。 (「夢に見た」、そう言ってでも会えたことにしたかった)

2018-01-24

「夏の標本作り」とは果たしてなんであろうか?例えばそれが一種感傷的な夏の心象風景を読者に伝わる形で表現することであるとするならば、確かに完備さんのご指摘のとおり、この作品は「心象風景の言語化に失敗している」のかもしれない。が、しかし「夏の標本作り」が「心象風景の言語化」そのものであると仮定するならば、この作品はまさしくその失敗について言及しているのであって、作品として成立していないどころか、感覚や心象をうまく言語化できないことのもどかしさについて、自己言及的に論理を循環させるような奇妙な魅力を持って非常に巧みに描いていると読むこともできるのかもしれない。確かにねらった比喩であるならもっと洗練された比喩が欲しいと感じる点では確かにそうなのかもしれないのだが、いや、果たしてどうだろう。比喩の失敗をあえてそのままに放置することによって、この作品そのものを「瓶の中で腐った」夏にすることに成功しているとも取れるのではないか。と、読んでみると、なかなか感覚が言葉にならないときに自分が感じる激しいもどかしさや、自分が書きかけたの詩の断片のあまりの陳腐さを思い出して、なかなかに共感できる作品なのかもしれないと感じたりもしました。深読みだったらすみません。 (夏の標本づくりの失敗について)

2018-01-21

追記: あえてメタに深読みするなら文字通り「ヒトを食った」作品といえるのかもしれません。 (ニンゲンのナカマ)

2018-01-20

この作品から何かしらの寓意を引き出そうとするのもとても面白い読み方だと思うし、それこそ、読み手の思考が深ければ深いほど、深い読みが可能になるような作品なのではないか、と感じるのですが、そうしたこよりもむしろ、文章としての面白さ、ストーリーとしての面白さに何より惹きつけられますし、あるいは細部の描写の奇妙なリアリティーにそうした寓意を超えた親近感を感じさせられました。あるいはもっと細かく読んでいくと、他の方が指摘されているような細かい部分での「論理の矛盾や破綻」に見え隠れするいい意味での「勢いで書きました感」。何かしら深い意味をチラつかせておきながら、「実はたいして深い意味などないかもしれない」という一種の批評性を感じさせる部分でもあり、この作品に対して与えられるであろう批評に対してあらかじめ地雷を仕掛けてあるような巧妙な文章構造。このあたりのメタに構造が循環する文章作りは花緒さんならでは魅力健在だなと感じさせられました。 (ニンゲンのナカマ)

2018-01-20

なかたつさん コメントありがとうございます!夢分析のようなコメントでとても楽しませていただきました。夢分析の面白さはどこか無理やりといういうか、こじつけっぽいところだと私は思っていて、理屈で分解しなくてもいいものをあえて理屈で分解しないと気が済まないような無理やり感が時にとても魅力的な論理的飛躍を生み出すところだと思います。書き手にとって特に意味がないものに意味を付与し解析し、書き手にとって意味があるものをさらりと流す。結果、書き手の意図とは全く関係のない解釈が生まれる。とても面白いな、と思いますし、意外なものが意図しない形で繋がっていて自分の意図しない意味が発生している。たとえば、カボチャと卵とりんごの共通点。まったく意識していなかったので、とても新鮮でした。作品を読むということにもそれぞれの人の強烈な個性が反映されるものだと感じていて、そのことに非常に興味をそそられますし、その多様性を非常に魅力的だと思っています。また是非コメントください! (嫌な夢)

2018-01-17

<だって地面に落ちた花びらはまるで びっしりと魚の鱗みたいだから> この感性、とても好きです。 (春とバナナとシーラカンスの速さ)

2018-01-15

<わたしはいつも首を傾げているので、この前独逸語の先生に首がおかしいのかと聞かれた。その独逸語の先生はもう一人の独逸語の先生とうりふたつで、独逸語の先生になるには資格がいるなと思った>の部分、秀逸だな、と思いました。描かれている情景は徹頭徹尾とてもシュールで、まるでシュールレアリズム絵画のようなのに、どこかものすごい現実感というか日常感というか。違うな、正確にはデジャヴかな。この景色知ってる気がする、見たことある気がするという気持ちにさせられるのがとても不思議です。冒頭の連の最後の<捨てっちまいなさい>に始まり、随所随所、細かいところで独特の言い回しが魅力的なリズムを産み出していて、しかもそれが内容にしてはグロテスクでもなく、どこか爽やかさのある軽快でコミカルなリズムがとても洒落ているなと思いました。大好物なスタイルであることもあいまってか、非常に印象的で刺激的・魅力的な作品でした。 (魚とバナナとラクダの話)

2018-01-15

まりもさん 今回自分のなかでは過去投稿作の中では一番「適当に」書いた作品で、それにも関わらず沢山の方にコメント頂いて嬉しくもあり、同時に複雑な気持ちでもあります、が基本コメントいただけるのはとても嬉しいものですね。もしかしたら肩の力を抜ききったときに何かしらいいものができるのかもしれません。味についてのコメントは、ああ、なるほどー、と思いました。この作品を書く時に自分の過去の経験をいくつか思い出しながら書いたのですが、その時の気持ちを考えると確かに一理あるな、と妙に納得したのでした。 <嫌な夢を見ても、それを棄てられる間はいい。嫌な夢の中に生きてしまっている、としたら。 そんなときこそ、あまい、予定調和的な味わいに戻って、そこからまた、歩き始めるのかもしれない。> この作品の本質を鋭くついているコメントで非常に嬉しく思いました。この作品全体を貫くテーマがまさしくこれに近い何かで、少しでも私の心の奥底に澱のように溜まってっているぼんやりとした感覚が伝わったのかな、、と、書いた甲斐があったなと思いました。「適当に」書いたとはいいつつ、今まで書いた作品のなかで一番本音に近い、嘘の少ない作品かな、と思います。 (嫌な夢)

2018-01-15

花緒さん 好意的なコメントとても嬉しくお読みしました、ありがとうございます!おっしゃる通り単体としてはちょっと弱さがあるかな、と自分でも思います。こういうのはシリーズで書いてみたいですね。ビーレビ杯不参加は作品の性質云々というよりも、不参加にしたほうが自分はもっとこの場を楽しめると思ったから、というのが大きいです。そこまで作品作りに時間を割けない事情もあり、評価を気にするのではなく自分の文章ときちんと丁寧に向き合いたいです。いろいろな方のアドバイスも頂きたいですし、いろいろな作品をお読みして自分の技を磨いていきたいな、という気分でいます。また気分が変わったら是非参加させてください! (プルオーバー)

2018-01-15

三浦果実さん 嬉しいコメントありがとうございます!今回はプルオーバーに全部持って行ってもらいました、笑。プルオーバー本当に好きなので。『遠く、朝は』のような作品はよっぽど感受性が研ぎ澄まされている時でないとでてこないです。なかなかそうした時間というのは稀です。と同時に同じようなスタイルで書くのはどうしても飽きてしまうんです。 (プルオーバー)

2018-01-15

この作品はビーレビ杯不参加でよろしくお願いします (嫌な夢)

2018-01-15

この作品はビーレビ杯不参加でよろしくお願いします (プルオーバー)

2018-01-15

花緒さんが書いておられますが、普段の会話って本当にこんな感じだと思います。そのぶん、この作品を読んだとき、いろんな状況でのありとあらゆるコミュニケーションが巨大な複合体となってぐわっと押し寄せてくるような感覚を覚えました。会話が、音が、表情が、笑いが、怒号が、スマホ画面が、光が...今まで自分が見てみたすべてのコミュニケーションの音像・映像がお互いにオーバーラップして巨大に膨れ上がって脳をブルブルにする感じです。で、最後の「な。」で一気に現実に引き戻される。痺れました。読む日によって感想が異なる作品でもありそうで、とにかく初読の印象としてはとてもゾクゾクしました。 (な)

2018-01-14

変数を適当にぶち込むと作品ができあがるみたいな詩を作る関数みたいなのがあって、それは現代詩自動生成プログラムみたいなものとは違ってもっとはっきりとした構造を持った何かで、どちらかというと公式に近い何かで、おそらく何か新しい関数でも作ってみたのでそれに適当に変数ぶち込んでみたらこの作品ができた、みたいなそんなことを延々と続けている詩人の人生自体が作品に近い何かで、で、その作品の風景はとても砂漠に似ていて(以下略)という映画を今勝手に妄想しました。 (……からの、)

2018-01-14

kazさんの作品は毎回とても読んでいて心地よく、文章としてとても面白いと感じるのですが、惰性で延々とビールを飲み続けているようなそんな感覚もあります。呑んでいる時みたいに「これ美味ぇな」とか「やっぱビール最高だな」と酔いが深まれば深まるほど、貧弱な語彙でしか相槌ちを打てなくなる感覚にどこか似ていて、コメントする際にも「これ上手ぇな」とか「やっぱkazさんの文章最高だな」としか返せないでいる自分がいます。 (瞼の彩り)

2018-01-14

「感受性が豊かな俺たち」感が満載なのがものすごく傲慢な感じが気がして、しかもド直球に表現されているので読んでいてちょっとシンドイ感じがあります。それでも1連目の情景はどこかシュールでとても新鮮な印象を受けました。 (真珠)

2018-01-14

これものすごく好きです。タイトルも最高です。ライトなレスですみません。。 (花子はある朝突然比喩した)

2018-01-14

fiorinaさん コメントありがとうございます!雪国のくだり楽しんでいただけてとても嬉しいです。プルオーバーのあの魅力はなんなんでしょうね、笑。不便とわかりつつついつい買ってしまう。プルオーバーニットも何着か持っているんですが、さすがに温度調整に難あり、でほとんど着ておりませぬ。文頭の部分は確かに除いてみると、随分導入としてスッキリしますし、全体が引き締まりますね。なるほどです。貴重なアドバイスありがとうございます! 白井草介さん 楽しんでいただけて何よりです!<だからこそ自分が普段、見ていないものが文章になっているおもしろさをかんじました>とのことですが、なるほど、そのような楽しみ方があるのですね。コメントありがとうございました。 kaz. さん 私も生粋のMacユーザーなのでkazさんのハンドルネームにアップルマークがついたのがとても嬉しいです。コメントありがとうございます!コルタサルさんってどこぞの誰ぞ?という感じなのですが、日常的なことをコミカルでライトな文体で書かれるそういう名前の作家さんがおられるのですね?もし笑って読めそうであれば読んでみたいと思います。 (プルオーバー)

2018-01-14

花緒さん コメントありがとうございます!<この作品自体が、嫌なことを書いているのか、そうでないのか、浮遊感が漂っているようにみえます>とのご感想、とても嬉しく思いました。「嫌な」も「綺麗」も本来の「嫌な」とか「綺麗」とは違うかもしれないな、と読み返してみて思います。この詩のなかでは「嫌な」も「綺麗な」もほとんど同じ意味をもっているのかもしれません。そうした曖昧さ、境界線のなさ、みたいなものが伝わったとすればとても嬉しいです。 (嫌な夢)

2018-01-08

こうだたけみさん こうださんの夢もなかなかインパクトありますね。「シンドラーのリスト」という映画にそういう演出があったのを思い出しました。自分のみたキャスティングが表示される夢というのは、実際に夢にでてきた人たちが表示されるというより、何かの映画の映像がそのまま流れている感じでした。だからキャスティングの文字までは読めないんですが、道路が映し出されていて、バイクとか車が通りすぎていって、そこに静かにキャスティングの文字らしきものがが次々と表示されていくという。。映画の夢をみた、、という感じでしょうか。。涙の味に関しては涙を流すたびに(といってもそんなに泣かないですけど、笑)いつも今日はしょっぱいな、、とか今日はなんかおいしいな、とかそんなことを考えている気がします。 (嫌な夢)

2018-01-08

完備さん コメントありがとうございます!完備さんの作品をいつもお読みして細部に神経が行き届いた方だなと感じることが多いので、このように細かい部分に目をとめて下さってとても嬉しいです。後半の部分は惰性で書いてしまいましたね。ご指摘の通りかと思います。 (嫌な夢)

2018-01-07

<私が薔薇で、君が私でも>の部分、ビートルズの「I Am The Walrus」の冒頭をちょっと思い出しました。あの曲のようにナンセンスなヴァースというわけではなく立場が逆になっているだけだと思うのですが、とても好きな曲なのでつい。ところで、4連目の冒頭の「それでも」という接続詞がとてもアクセントになっている気がします。日常における相手との平凡な距離感の隙間は、渦巻く感情が濃密に埋め尽くしている。最後の1連、その様子を視覚的にとても美しく描いた情景だと感じました。 (薔薇)

2018-01-07

アラメルモさん コメントありがとうございます!おそらくこの作品には明確な「嫌」という感情はないんです。もっと漠然としたボンヤリとした何かなんです。それを「嫌な」という形容詞でしか表現できなかったところに私の表現力の限界があるのかもしれませんね。 エイクピアさん ありがとうございます!最初に漠然としたイメージがいくつかあって、料理との関連付けはそれとは別になんだかふっと湧いてきたもので、どうしてだか自分でもよく分からないんですがとてもしっくり来たので、面白くてこの作品ができました。特に自分が見た夢について書いたものではないんですが、でも表現しようとしている感覚に対して一番しっくりきた言葉が「夢」でした。自分も時々本当に嫌な夢を見ます。嫌な夢ほど現実に近いものだったりします。 こうだたけみさん 最後の終わり方、自分も気に入っているのでとても嬉しいです。時々本当に綺麗な夢をみます。しばらく余韻に浸りたくなるような…。綺麗な夢とは別なんですっが、一番印象に残ってる夢は、エンドロールというか、映像の上にキャスティングが表示される夢ですね。なんかとても不思議な気分でした。 蛾兆ボルカさん コメントありがとうございます!とても嬉しくお読みしました。私も言葉の流れや切れに関しては上手くいく時と全くダメな時があって、上手くいくときは殆どそのままでも気に入った感じになるんですが、ダメなとき、というか中途半端な時が一番厄介で、何回も推敲してるうちにどんどん言葉が硬くなっていって、削られていって最後には俳句くらいの短い言葉しか残らない、ということがよくあります。本当にダメな時は逆に推敲していくことで凄くいいものになったりで、なかなか難しいものですね。しかも思い入れのあるものを書こうとするとだいたいうまくいかなくて、息を抜いて書くとなんかいい感じになったりもします。自分にとって本当に大切な感情や感覚は、未だにきちんと言葉にできていないのではないかと思います。何度かトライはしているんですが、ことごとく玉砕しています。まだ早いのかもしれません。それから涙って純粋に美味しいですよね。心は辛いのに味覚だけ楽しんでる状態になっていつも不思議な気持ちになります。 (嫌な夢)

2018-01-07

締めの<あの草の陰にもう蝶はいない/蝶は飛んだだろうか>がとても好きです。全体を引き締めると同時に深い余韻を残してくれる2行だな、と感じました。それからその直前の<永い永い雨だ/空に向けて傘をさせば/雨音は足音のようでもあり/羽ばたきのようでもある>から始まる最後から二番目の連、リズム感があって言葉は跳ねるような印象がありながらも<いつも静かだった>に着地する。イメージがすっと躍動したかと思うとまたすっと何事もなかったように静かになる。そして「蝶はいない」。視覚や聴覚に訴えることばを並べてリズムを作ってから「静か」という観念的な言葉、さらにこれまで述べられてきた思索に暗に言及した最後の2文に繋ぐ。とても巧みな表現だなと感じました。思索にふけっていてふと気づいたら一瞬物音が聞こえてきてはっと我に返る、そんな瞬間に似ています。 (Butterfly)

2018-01-05

「肌のにおいが若さそのもの」という表現にはっとさせられました。年齢によって自分の肌のにおい、汗のにおい、変わってきたな、というのを思い出します。実は自分にも若い頃はそれこそ「膝小僧」のにおいを嗅ぐという変な癖がありました。最近やってなかったので久しぶりにやってみましたけど、もうその当時のにおいは思い出せません(笑)。 (まりちゃん)

2018-01-05

もなかさんの「この快楽は明日には忘れてしまう」という趣旨のご感想には同感ですが、やっぱり気持ちいいですね。特におそらくコピペで生み出されたであろう全く無意味な文字化けの部分の不必要な長さがなんとも。その上、いかにもな文字化けらしい細工をしてあるわけでもなくただただ「?」と「ウ」みたいな半角カタカナを羅列するという捨て鉢な冗長さ。この部分がもっともらしい文字化けだったらこの気持ち良さはなかったのではないかと思います。 (泣けたい。)

2018-01-05

この話知ってる気がする。いや自分の記憶の中に似た光景がある。そんな風に思わせられる文章でした。読み手がこれは自分の話だ、と思わせることができるかどうか...というような話をある作家さんがしていたようなことを思い出しました。毎回上質で味わい深い文章で、とても楽しみにしております。<辞書ほどのフランス語の知識を持ったやさしい少年の顔を、私はテレビのニュースの画面につい探してしまう。>のラストは特に好きです。一読者にすぎない自分の心さえも見透かされてしまっているような、そんな鋭さを感じさせる一文でした。 (アメリカの少年※)

2018-01-05

アラメルモさん あるものを「読み取って欲しいかどうか」を問われれば、「そんなことはどうでもいい」と答えるほかないです。傲慢かもしれませんが伝わる人にだけ伝わればいい。「実存」がどうのと持ち出す人にはわかってもらわなくていい、というのが正直なところです。おそらくアラメルモさんが詩に求めているものを私は詩から努めて排除しているように思います。この先は平行線ではないかと思います。いずれにしてもコメントありがとうございました! (遠く、朝は)

2017-12-22

追記 この作品の主語は「感覚」そして書かれた「言葉」ですね、おそらく。 (遠く、朝は)

2017-12-21

アラメルモさん うーん、そこは何を作品に求めるかでしょうね。私としてはあまり実存としての語り手の存在は出したくありません。そこは努めて曖昧にしています。主語は語り手ではなく、あくまで語り手の感覚と潜在意識なので。いや、語り手という言葉さえいらないかもしれませんね。主語は「感覚」であると。あるいはその感覚の表現に物足りなさを感じられるということなのかもしれませんね。いずれにしても参考になるコメントありがとうございます! (遠く、朝は)

2017-12-21

アラメルモさん コメントありがとうございます!「誰かが言ったのだから、対比的に語り手の様態がどうしてもほしくなる。」とご指摘いただきましたが、実は設定としてはこの誰かというのは第三者ではないんです。「誰かが言った」とは書いていますが、内発的な声と表現すべきかもしれません。ですのでニュアンスとしては「聞こえた気がした」が正確なのですがそこをあえて誰かにそう呼びかけられているように表現してみました。その部分が伝わりきらなかったのはやはり改善の余地があるということだと思います。ご指摘いただいた「リアルに伝わる空間」の手触り的なもの、表現できるように次回作以降で工夫してみたいと思います。貴重なご感想ありがとうございました! (遠く、朝は)

2017-12-21

百均さん そうなんです、超繰り返しています。どれだけ少ない構成要素でどれだけ自然に変奏を繰り返せるかということのひとつの実験であるというのがひとつと、今月のもう一作では連続的にイメージの断片を流れるように紡ぐことを意識したのに対して、こちらの作品では一つのイメージを分断されたいくつかの言葉の響きに託してみるということを意識しています。ひとつの言葉であっても文脈によって微妙にその滲み方、響き方が変わってくるので、そのあたりを味わえるような作品にしてみたかったという思いがありました。手法としては真逆ですが、やろうとしていることの根本はどちらも同じようなことだと思っています。古語っぽい和語を使ったのはクラムボンというグループに「たゆたう」という曲があるのですが、その詩が古語を使っていて、とても美しいんです。とても短くて美しいんだけども意味は全然分からない。曲自体はタイトルのまま音がひたすらたゆたっているような曲ですが、その歌詞だけ取り出して読んだ時に非常に衝撃を覚えました。その体験がベースとなっていますし、アイディアもかなり拝借しております。 (遠く、朝は)

2017-12-20

百均さん コメントありがとうございます!がっつり読んでくださって本当に嬉しいです。樋口一葉さんほど洗練された言葉をつかえているかどうかは自信が全くないですが、ひとつ本質的な違いをあげるとするとこの作品では物語性を排除しているということだと思います。詩にはいろいろな形があると思いますが、あえて詩という形式でしかできないこと、その形式でしか伝えられないことを伝えたいという思いが強くあり、論理的な文章という形では捉えきれなかったもの あるいは捉えられないものを捉えたいという気持ちが強くあります。ですので「この文章が掴み所のない」ものであるというご指摘はまさに的を射たもので、逆に掴みどころのないものを言葉やイメージの断片を紡ぐようにしてなんとかして掴むことはできないものか、という私なりの試行錯誤の結果でもあるのかな、と感じます。そして私が捉えたいと思っているものの中核にはいつでも何かしらの「美しさ」があるのだと思います。ですので「何をやってるのか分からない」けれども、「それでも最後の「美しい朝」という帰結に嫉妬を覚えるくらいに読んでそう思う感覚が脳内で暴れている。」とうご感想はそれこそ暴れたくなるほど嬉しいものです。非常に感覚的で意識の潜在的なところに訴えかけるもの、理屈では解体できないものを創りたいと願っているからです。そして、私はこの世のすべての美しさ(あるいは醜さ)はそのようなものだと思っています。コメント本当に嬉しく思いました!ありがとうございます。 (明るい部屋)

2017-12-20

この場合、「天才」と「バカ」はベクトルが違うだけで、凡庸ではない(「フツーではない」)という意味においてはほぼ同じ価値を持っているように思います。凡庸であることの苦しさや危機感がこの作品を生み出したのだとすれば、その凡庸にこそ切り込みを鋭く入れていただきたかったな、、というのが正直な感想です。あるいはこういう発想こそが凡庸なのだ、ということをメタ的に示していると読むべきなのかもしれません。花緒さんが言及されているように文脈の影響を受けやすいと私も感じます。普段の三浦さんの言動をご存知の方が読めば面白く読めるかもしれません。 (バカモノ論)

2017-12-18

最近読んだ川端康成の「禽獣」を思い出しました。「禽獣」の主人公が自分が飼っている鳥に示す異常なほどの愛情もなかなかのインパクトだったんですが、この詩をお読みしてやはり時代の違いというか、もっと現代的な、どこか猟奇的な愛情の歪みを感じさせられました。「禽獣」の主人公は鳥たちの関わり合いから過去に自分と関わってきたいろいろな人たちのことに思いを馳せますが、この詩においては作中人物の愛情はただピーコに対してのみ激しく向けられる。ピーコに投影されるのは過去に出会った人々の思い出でもなく、今関わりのある他の誰かのことでもなく、ただ詩を語る本人とその内面だけです。そしてこうした閉塞的な関係性はペットとの関係に留まらず、人間関係において誰もがどこかに心当たりがあるのではないかと思いました。現代とはなんと孤独な時代なのだろう、と改めて感じさせられた、という点において非常にリアルで同時代性のある作品だと感じました。 (「籠の外」)

2017-12-16

これで1本、映画が撮れそうですね。重くて深くて哀しい余韻がじんわりと尾を引きます。 (かみさまのはなし)

2017-12-16

理屈抜きでささりました。最終連「過去を引き伸ばしたおかげでまだら模様になった光が突き刺さってます」という表現、特にすきです。 (高橋先生)

2017-12-16

面白いです!《食罪》《洗罪》が特に好きです。しかも最後「終心刑」って結局死んでます? (最終判決)

2017-12-16

私にはこの文章を読んでそこから何かを読み取るって深く考えるほどの教養もなければ読解力もないしそれをしたいとも思わない。そういう意味で私にとってはただの駄文だ。とても心地のよい読む歓びに満ちた最高の駄文だ。しかもどこか既視感があるゆえに生じる匿名性のようなもの。つまりこれは落書きである。めちゃくちゃ文章力のある最高の落書きである。ときにはこんな文章ばかりをひたすら読んで一日を過ごしてみたいものだ。 (書が好きよ、街を出よう《クリエイティブ・ライティングとしての所作》)

2017-12-16

この圧倒的な情報量の多さと無意味さがとにかくものすごいインパクトあるというか、時代性を感じさせるというか、前にも他の作品で似たような感想を書いた気もしますが、で、あとは実際に細かく読んでみるととても面白いです。全体的に読むことの快楽があります。『世紀末ポア(カバー)』も凄まじいです。これを書くメンタルまで持っていけてしまえるってのが何よりすごいというかやばいです。 (お子さん、SUNgです。)

2017-12-15

やっぱりkazさんが書く文章はかっこいいですね。それからナンセンスさもずば抜けてセンスがいいと思います。なんか矛盾するようですが、ここまでナンセンスだと本当に読みやすいです。中毒性ありです。これはすごい好きです。 (砂)

2017-12-14

素敵な随想です。するめのように読めば読むほど深い味がでるとはまさにこのことですね。コミカルな内容なのになんだか懐かしいような切ないような胸が焦げるような締め付けられるような感覚、そしてなぜかまるで自分の過去を振り返っているような不思議な感覚がありました。 ( 楢山節考※)

2017-12-14

なんかめちゃくちゃかっこいいです。タイトルも始まり方も終わり方も、それぞれの連の締め方もどれもこれもかっこいい。文章そのものが渦をまいているようでそれがまたかっこいい。 (それ)

2017-12-14

自分の親の片方の田舎は西のほうで、祖父はとてもなまっていてしかも東京弁が分からないので私は祖父と会話ができませんでした。そんなことを思い出しつつ。。関東育ちの私には西の訛りへの憧れがずっとありますが、やはり西の言葉が持つ独特のリズムと温もりが魅力的なんだと思います。黒人の方の英語は普通に話しているだけでヒップホップのようだと感じることがありますが、関西の言葉もそんな音楽的な魅力があるように感じます。言葉のリズムやいいまわしってそのまま詩になり得るんだなと、タイトルの「ミシシッピ・ブルー」と西の言葉で書かれた言葉の心地よさをリンクさせながらそんなことを考えました。 (ミシシッピ・ブルー)

2017-12-14

さりげなく踏まれた韻が心地よい流れを作り出すなかで「・・・ことはわかる」でぐっとリズムを引っ掛ける。あえてひらがなを多く用いることで生まれる「均質性」。描かれているものはグロテスクでさえあるのに、なぜかすっと透明な風景が目の前にひろがっていくようなそんな軽やかな感覚。そのギャップ。言葉が本来の重たい意味を失って感情の残骸や感覚の渦としてただそこにある有様。くせになって何度も読み返したくなるような作品でした。 (沈黙)

2017-12-14

りさん コメント本当に嬉しいです。詩を書くとは私にとってはっきりとした言葉や論理や思考になりえなかったものの残骸を拾い集める作業に似ていて、りさんのおっしゃるところの「精神の中に詩が湧くところがある」というお言葉には深い共感を覚えます。そうしたものを拾いきれない「哀しさ」、もどかしさは私にとっての「詩の根っこ」です。その「詩の根っこ」の部分は私自身ものすごく大切にしたいと感じております。「読む日によって内容がかわりそうな」作品は私のなかの理想の一つなので非常に嬉しい感想でした!ありがとうございます! (蝶々)

2017-12-14

夏野ほたるさん ありがとうございます!「まどろみから醒めれずにいるまま夢と現実の間をさ迷っているような」感覚。まさにそれです!朝目が覚めてからしばらく布団の中にいることが多く、そのときよく詩を書きます。 (遠く、朝は)

2017-12-11

うたもちさん その感覚を味わっていただいただけで私は大満足です。嬉しいコメントありがとうございます! (遠く、朝は)

2017-12-10

三浦果実さん 「美しい詩」というご感想は素直にとても嬉しいです。なによりも美しさを愛しています。「小説でなくなぜ詩で表現するのか」という問いはとても大切なものだなと私自身鋭く感じています。「詩」だからこそ表現できることに敏感でありたいと思っております。コメントありがとうございました! ふじりゅうさん 「詩の流れと相まってふわふわした印象を抱く作品」とのご感想、とても嬉しいです。浮遊感といっていいのかちょっとわからないのですが、光のなかを埃がふわふわとたゆたっているような、あの感じがこの作品を支配していてほしい、という思いで書きました。細部には非常に気を配って苦労した作品でもあるので「詩としての練り込みが細部に渡っていると感じました。」というご感想も本当に嬉しいです。さらに細部への磨き込みの技術磨いていきたいです。コメントありがとうございました! (遠く、朝は)

2017-12-10

花緒さん 好意的なコメント嬉しいです、ありがとうございます!そうなんですよ、ギリギリのところを攻めようと思って書いたんですが、結構難しくて苦労しました。儚い感じも伝わって嬉しいです。言葉の選択に関しては私のポリシーとして、できるだけ平易な言葉で詩を書いていたいな、という思いがあるのですが、陳腐にならないようにするのがなかなか難しいですね。今回はちょっとわざとらしさが残ってしまったかな、、というのが個人的な反省点ではあるんですが、これはこれでとても気に入っています。 (遠く、朝は)

2017-12-10

cotonoさん とても嬉しい感想ありがとうございます!何かを書こうとするとき、何かを考えている時、仕事で問題を解決しないといけない時、思考の扉がバタンバタン。cotonoさんのおっしゃる通り「この現象の名前が分からなくて上手く言い表せない、いまもまたバタン、バタンとだけ聞こえます」。なんだか感覚が共有できた気がしてとても嬉しいです!頑張って書いた甲斐がありました。 (明るい部屋)

2017-12-06

まりもさん ほとんどリライトしてくださったといってもいい感じ詩のような素敵なご感想ありがとうございます! (明るい部屋)

2017-12-05

沙一さん 「指先や思考は忙しなく動くけど、詩のなかの当人は、部屋から動くことはないんですね。」と書いてくださいましたがまさしくその通りなんです。「空想の氾濫」と「経験」。確かに私の日常や意識はこの狭間でいつもいったりきたりしているような気がします。とても嬉しい言葉いただきました。コメントありがとうございました! (明るい部屋)

2017-12-01

ゲシュタルト崩壊しますね。。あとガチで怖いです。。汗 (国語の授業)

2017-11-21

花緒さんと同様の感想を持ちました。つまり作者自身は自分が「奴隷として生きている」ということを自覚しているのか、あるいは「自分は奴隷ではない」と思っているのか、という作者自身にむけられた視線が作品の中に欠けているように感じられるのがこの作品の弱点だと思います。ただ、このような作品を書かれたということ自体が、作者がそれだけ鋭くそういった自問自答を普段されている、ということの何よりの証拠だと感じるので「奴隷と知らずに 知ろうともせずに/奴隷として生きている生よ/お前らは生きているのか?」という最後の問いかけが上から目線に感じられてしまうのが少し残念でした(という上から目線のコメントでスミマセン。。汗) (奴隷)

2017-11-19

ちょっと難解ですが、それでも知的な雰囲気のあるとても洗練された印象のある一作ですね。雰囲気の向こう側をあまり感じられないという感覚もあるのですが、それが作品中の「むこう側には興味はない/正体とかそんなものには動かされない/大事なのは表層だ」というステートメントと被さりあって作品が入れ子構造のようになっているようにも感じられるのがとても興味深いと思いました。であればこそ(欲を言えば)もっとこの作品の「美しい表にのみ」自分の「内部」が「揺さぶられる」感覚を味わってみたかったな、というのが正直な感想です。 (表層)

2017-11-19

実際の歴史と被せて書かれているところが本当は作者としても大事なところなのかもしれないしそうではないかもしれないしなどと考えつつ、個人的にはそこがちょっと残念でした。実際の歴史に絡めた話しから始まって最後には話がぶっ飛んだフィクションにまで飛躍する超絶な超展開だったらもっと面白かったかもしれないな、、と思いました。。が、純粋に読み物としては非常に面白かったです!そしてカップ麺食べたくなりました。今家にストックがないので買いにいこうかな...。 (カップ麺)

2017-11-18

一気に駆け抜けるようなリズム感、疾走感が依然として健在ですね。こういう一種の焦燥感、個人的にはすごい好きです。内容はさておき、このように文体のリズム感で最後まで一気に読ませるというのはそれなりに技術の必要なことだと思います(本当はゆっくり読むものなのかもしれませんが、自分は一気に読まされてしまいました)。内容というか、具体的に何かを伝えようとしている作品だとするなら、その部分に関しては自分はよく分からなかった、というのが正直な感想ですが、私は個人的にそういうものがはっきり伝わってくる作品よりも、そうしたものはある程度曖昧なまま、感覚的に文章を文章として楽しめる要素のある作品が好きで、もちろんこの作品を後者の仕方で私は楽しんだんですが、もしかしたら両者を併せ持った作品が、より多くの読者を惹きつけるのかもしれないな、などと考えさせられました。あとタイトルがカッコイイです! (ぶち切られるために生きてる)

2017-11-18

後半は自分にはちょっと難しく感じましたが、前半の一連の流れとても綺麗だな、いいな、と思いました。特に2連目と3連目の「(あらわれる 姿)」までは特に好きです。2回出てくる「あしたの約束など/どうでもよいと思うのです」という着地点、とても詩的ですね。 (蹄の音)

2017-11-18

感覚を理屈で分解してしまうような語り口はどちらかというと好きなのですが、こういうこと考えている人多そうだな、というべきか、できればもっと突き抜けた理屈っぽさが欲しい、がっしりとした、しかもユニークでもっと面倒臭い、そんな思想体系を感じさせられたらもっと面白かったかもしれない、と個人的なワガママですが、そんな印象がありました。あるいはもっと感覚的な表現に徹するかしたほうが...などと感じてしまいますが、私の好みもあるので他の方の感想にも興味があります。描かれている感覚は、なんとなくわかる気がするというか、とても親しみの持てる、あまり人ごととは思えないような、そのようなものに感じられました。 (地下鉄)

2017-11-18

具体的な描写が多いことで逆に表現としては作り物っぽさが増してしまう、深く迫ってくるものが薄まってしまう、そういうこともあるのかもしれません。あるいは表現しようとしていたことが幅広く、このボリュームでは納まらない(もしかしたら少なくとも短編の小説とかエッセーくらいのボリュームが必要なのかもしれない)ということなのかもしれません。それぞれのパーツが繊細で深みを持つ感情や感覚、もしくは思考を扱っているにも関わらず、そうした繊細さが具体的な描写によって損なわれてしまっているような印象を受けました。日常の「死」と思想としての「死」が同時に語られていて、それをうまく交差させて読めないもどかしさがあります。おそらくまりもさんの思想のなかでの「死」の観念(例えば5連目に垣間見えるような死生観)と私の死生観が大きく違うせいもあるのかな、とも思います。ただ、人が呼吸をやめてからやがて朽ちていくまでの宙吊りの状態に鋭く反応するまりもさんの感性には大いに共感するところがあります。 (海)

2017-11-18

まりもさん 再レスありがとうございます!書き手としては自分が描いていたイメージとは全く違うイメージを持っていただけることはとても嬉しいです。むしろ、同じイメージしか共有できないとしたら私はそれをとても寂しく感じると思います。せっかくの詩なので(これは個人的な詩観なのですが)、そういった余地をできるだけ残しておきたいと常々考えております。そしてそういった自分が想像もしていなかった解釈が実は、自分の奥底にある感情や景色、欲求と深く繋がっていてハっとさせられることがままあるんです。そういった意味では読者さんのコメントというのは時に鏡のように本当の自分を映し出すことがあるので、それこそコメントをいただくというのは「嬉しくもあり、怖くもあり、楽しみでもあ」ることです。 仲程 さん 最終連、最初は冒頭と全く同じ内容だったのですが、どうもしっくりこなくてなかなか纏まらず苦労した部分なんです。とても嬉しく思います。実は「電車かもしれない」ですね。何かしら情景をイメージして頂けたのだとしたら、書いてそして投稿してよかったな...と思います。コメントありがとうございました! (宇宙)

2017-11-12

なるほど<小さなマンションの一室に「とらえられた」女性>のイメージ。私が書いた時に思い描いていたイメージとは全然違うのですが、まりもさんのコメントをお読みしてからもう一度読み直すと、なんだかその路線のイメージもぴったりですね。<〈私〉の醒めた視線の鋭利さ>に触れてくださったのはとても嬉しいです。コメントありがとうございました! (宇宙)

2017-11-12

<言語を解体し、言語の物質性に差し迫るようなものを求めている>あるいは <コミュニケーション性そのものに対するアンチテーゼとして、こういう作品を打ち出しているわけです> これはそういうことなんだろうな、とは思いますが、私はこの方向性には限界を感じますし、この種の問いかけなら別に誰も知らない言語に翻訳してそれを載せてもいい訳です。あるいは自分で言語を作ってしまうとか。例えばですが。なぜそれをせずにあえてモールス信号を選んだのか?そこにコンセプトとしての必然性や強度は果たしてあるのか?そこを問いたいです。それを感じとることができなかった以上、記号としての美しさでしか読み得ないと感じました。 飽和状態に対してはそれに対して個人的に何かしら訴えることはできても、それで何かを変えられるとは思っていませんし、こうした挑戦そのものが逆説的にむしろ飽和状態をさらに飽和させる気もしています。ネットとはそういうものではないかと、一種の諦めしかないです。その飽和状態とコミュニケーション過剰、そういったネット特有の諸々、それが私にとっては都会の美しい夜景のごとくに感じられます。たとえそれがどんな闇を隠しているとしても、その中でどれほどの人がどれほど苦しんでいようと、明滅する夜の光の美しさのまえでは「美しい」というほかないのと同じように、この作品の前では「美しい」という言葉しかありません。その裏にどんな挑戦が隠れていようともです。つまり私にとってこの作品は一種の都会の夜景なんです。 (かもめ)

2017-11-11

ミニマルでアンビエント。非常に美しいと感じました。あえてもとの詩はお読みしていませんが、「・」と「ー」が作り出すリズムがとても美しいなと思いました。コンセプト的に、もしかしたら同じアイディアで複数作品を作るのは難しい(2回目以降はまったく新鮮味を失ってしまう)という点では一発勝負的な作品でもあるかな、とは思いますが、いつまでも眺めていたい、そして気が向いたら一部を「読んで」、というふうに作品全体の持つ大きな波と、細部に宿る繊細なノイズ両方に耳をすませていたくなるようなとても美しい作品だと思います。 (かもめ)

2017-11-10

『理想の詩とは心で読む物なのかも…』の直前のアスキーアートみたいなやつとても美しいですね。砂漠なのか浜辺なのか、はっと心を奪われました。「ディキトゥーヤ」で始まる1連目(?)も最高です。全体を通してドーパピン大放出な感じで大好きです。この圧倒的な無意味さ。。しかも全く意味不明ですが、私はなぜかなんども読んでしまいます。もちろん通して再読はなかなか厳しいですが、気になったところ何度も気になって読み返してしまいます。そしてやっぱりアスキーアートで描かれた風景が美しいんです。そこだけ静かな別世界のようで、なんだかとても不思議なものをお読みしました。 (ヨミテニ・タクス)

2017-11-09

ああ、素敵な詩だな...と思いました。特に唐突に始まる中間部分のモノローグと蝉の情景の対比が素敵です。それにしても中間部分、なんだが頷きながら読んでしまいましたが最後の「今はもうあなたを必要としていないなのに/何故こんなにも甘苦しくあなたの事ばかりを」が特に好きです。 まりもさんはタイトルに言及しておられますが、私だったら多分「蝉」ってタイトルにしますね。私の感性では「空蝉」だとちょっと説明的すぎるというかちょっと重たい感じがしてしまうというか意味を乗せ過ぎてしまう気がしてちょっと躊躇すると思います。ただ、詩の内容をうまく一言でまとめているという意味ではとてもいいタイトルなのではないかと感じました。 (「空蝉」)

2017-11-09

町田康がループ詩を書いてみた、的なノリですね。面白くお読みしました。欲をいえばカオスというか理不尽さというかそういう種類のシュールさがもっともっと欲しかったです(いや、すでに十分シュールなんですけど、さらにぶっちぎった感)。 (芝刈レビュー 〜あなたの芝刈り見せてください〜)

2017-11-09

リズムが心地よくて最後まで一気に読ませますね。大好きなスタイルです。流れるイメージが残像になり、次々と音が声が生じては残響となってオーバラップしていく感覚。鮮烈でとても素敵だな、と思いました。 (曇天サーカス)

2017-11-09

ノートの上にそれぞれバラバラにただ思いついたまま書かれた落書きが、どういうわけか全体として構図として成立してしまってどこか心地よい、みたいなそんな印象を受けます(作品に一貫して通底する感情がおそらくあるからだとと思いますが...)。Cy Twombly の絵画に近いものを感じたりもしました。最後の唐突な「soiree」の一言はなぜか、とてもびびっときました。この謎なラストがあるおかげで全体がぎりぎりバラバラにならないで済んでいる、という感じさえあります。それからタイトルは文句なしに格好いいです! (それもetude)

2017-11-03

まりもさん いつも丁寧に読んでくださり、ありがとうございます。ご指摘、とても鋭く、ああ、なるほど、そういうことか、といろいろ気づかされました。<言葉の流れの美しさや、響きの心地よさに「流されて」いないか、という部分(それは、好みの問題にもなってきますが)が、少し気になるところでした。>とのことですが、これは正直に書きますが完全に流されて書いています。自分でも言葉や意味を取りこぼしながら、ただただ感覚のおもむくまま、そして最後には自分さえ「置き去り」にされながら書いた感があり、ただ、その即興性はどうしてもダメにしたくないという強い想いがありました。 音楽において、奏者が自ら奏でる音楽によって操られるかのようなときがあって、そのような時にこそ素晴らしい演奏は生まれるのではないか。同様に詩においても、作者よりも詩そのものが主体性を持ち得たときに詩は詩としてより生き生きとしたものになるのではないのか。という思いがあり、同時にまた、言葉の意味や物語性からは一歩引いた目線と感性で詩を書いていたいし読んでいたい、という強い想いも持っています。そう意味では一種の均質性を感じてくださったという感想はとても嬉しいものです。 ただ、はたして今回の作品が詩そのものとして主体性を持つほどの強度をもっているのか、あるいはただ表面的な美しさや心地よさに「流されている」だけなのか、そのあたりは自分に鋭く問いかけていきたい点でもあり、課題として意識すべき点だなと感じています。 (蝶々)

2017-11-03

なんだか悪夢ですね。心がざわっとします。短いがゆえに、イメージの断片と「確かに気味が悪かった」という感触だけが残っている、というような悪夢を見た後のあの独特でゆめうつつな感覚が再現されているような印象を受けました。 (2017年の秋祭り)

2017-11-03

特に最終連が面白いな、と感じました。例えば「あのとき渢(みなも)をアルく」では「アル」というカタカナから「アル中」を連想します。同じような感じで「滑てが目耳にナッたからだ」の「ナッた」の部分からは「ナッツ」をするなど、カタカナが用いられることで、描かれている情景とは全く無関係なイメージが唐突に差し込まれているような印象があり、それが非常に面白いです。ときどき例えば電車の中の中吊り広告(あるいは新聞でもいいかもしれません)に、実際には書かれていない文言が書かれているように見えて、よく見ると、それはあちこちに散らばった言葉を脳が勝手に合成して、あたかもそこに書かれているかのように錯覚するみたいなことがあるんですが、そのときの体験と似たものを感じます。最後の2行「ひトツぶヒとつブ/カエらズにめグっテいる」など、すべてひらがなとカタカナで書かれていることもあり、もはやイメージの闇鍋状態といった感ありです。とても興味深く拝読させて頂いました。 (なガれ)

2017-11-03

祝儀敷さん ご指摘の通りですね。鋭いコメントありがとうございます! (蝶々)

2017-11-03

ひとりごとですが、そういえばリズムって五感でいうとどれなんだろうな、と自分でコメント書きながら考えました。音楽におけるリズムも、グレン・グールドが主張していた「パルス」とかっていわゆる「音楽的なリズム」とは別物の何かを彼自身が感じ表現していて、だからこそ「リズム」とは別の言葉を選んだのではないかとか、あるいか「詩」におけるリズムは果たして「音楽的」なものなのだろうか?ということを考えています。もちろん音楽的な側面が強いリズムもあるのかもしれないですが、言葉のリズムにはそれとは別のもっと何かがあるのではないか、と自分でも「音楽性」という言葉を使いながら、何かもっと別の感触を感じたりもしているのでした。言葉とは不思議なものだな、と感じます。 (蝶々)

2017-11-02

花緒さん 「回転しながら流れていくような」感覚が伝わってとても嬉しく思います。また前作、脱構築性よりも一種の「音楽性」(あるいは音響性もしくは聴覚的な何か)を軸に置いて書いたつもりだったので「音楽性」で捉えてくださっていることもとても嬉しいです。 桐ヶ谷忍さん 非常に嬉しいコメントありがとうございます!私の記憶の多くはまさに「動画に近い静止画」(あるいは静止画に近い動画)の集まりのような感じなので、この感想は特に嬉しく思いました。 (蝶々)

2017-11-02

追記: 「意味をなくしてしまったらまずい」と書きましたが、「意味」とはなんぞや?ということになり、そこに深く切り込むつもりの作品でもないのでちょっと表現が難しいです。「文章として何かを伝える」という「内容」としての意味はもしかしたら、ほとんど無いに等しいのかもしれませんが、感覚に訴えかけたいという強い動機付けはあるので、それをこの作品における「意味」として捉えていただければよいのかもしれないな、と...なかなかすっとうまくまとめられません。というより、もしかしたら今伝えようとしていることそのもの、かもしれませんね。私がこの詩に託したのは。。 (意味はない)

2017-10-25

エルクさん コメントありがとうございます!辛口コメント大歓迎ですよ。いくつか自己弁護させていただくとするなら、この作品は「壊す」ことを目的とはしていないということと、「無意味さ」を作り出すことを意図してはいないということです。もしそれらを目的としたのならば、それこそエルクさんのお知り合いの方のようなパズル的アプローチを試みるかもしれません。つまり、この作品に関しては壊れてしまってはまずい、意味をなくしてしまったらまずい、ということです。エルクさんがあげてくださった方々の作品をお読みしていないので断言はできないと思いますが、その方々の作品と私のやろうとしていること(それが成功しているかどうかは別としてですが...)は、おそらくかなり違うのではないかと推測します。「重心をズラす」というご指摘は技術的なことに関していえば的を得たご指摘かと思います。いずれにせよ、私の作品はどれもなかなかレスがつきにくいのでコメントとても嬉しく思いました。ありがとうございます! (意味はない)

2017-10-25

細かい改行のせいでしょうか、とてもカクカクとした不思議なリズムを感じます。意味がよく分からないのはあまり気にならないんですが、言葉の構築が少し理屈っぽい気がします。なので映像としてイメージがあまり立ち上がってこないのがもどかしいです。あるいはそれなりに全体として意味の繋がりということなのでしょうか...。私とは全然違う感性や認知構造をもった方が読めば全然違う感想になる作品ではないかな、と思いました。 (水柱の重さに)

2017-10-22

まず、タイトルと1連目に痺れました。「いま、世界の難解さは息を潜めて/なお、ポエジーはしなない」。この表現すごい好きです。作品全体としても、かなり尖った感性で書かれている印象なのに滅茶苦茶ポップ。そのギャップがたまりません。この作品好きです。 (いちにちの終わりのピカピカのポエジーのピカピカの終わりのいちにち)

2017-10-22

追記:ちょうどムンクの絵画作品のようです。非常に個人的で切実なムンクの作品を前にして、それが優れているのかどうかを語るのが非常に難しいように、この作品が詩として優れているのかを語るのは難しい気がします。同様の切実さをこの作品は持っていると私は感じています。 (行き先不明、朝8時15分)

2017-10-22

不安神経症的な、あるいは統合失調症的な意味での病的な不安感、妄想感を感じます。無機物のものであるはずのものたちがなぜか意志を持っているように感じる。意味のないはずのものが自分にとって特別な意味を持っているように感じる。思考の混濁。鋭敏になりすぎた五感。「いやな感応をしている」という言葉が非常に生々しく、そうした病的な感覚が読み手である自分のものとして感じられるような気がしてきます。おそらく「いやな感応をしている」という言葉以外にしっくり来る言葉はなかったはず、と思わせるほどこの言葉の選択に説得力を感じます。 (行き先不明、朝8時15分)

2017-10-22

最初に投稿された時から気になって折に触れて何度も読み返しているのですが、うまく感想を言葉にできないでもどかしい思いでいます。意味を考えることを放棄して読んだとき、非常に美しい作品だと思いました。ただ、おそらく何かしらの比喩としての作品なのだろうな、という印象があるのですが、その部分になかなかたどり着けず...。何度読んでも言葉やリズムの簡潔な美しさに眩まされて、「表面」をひたすら撫で続けているようなそんな感覚に陥ります。いろいろな方のレスをお読みすればもっと具体的な何かを掴めるのかもしれないと思ったのですが、やはりそれでも読む時に私の感覚はひたすら作品の表面を周回します。あるいは、そんな作品なのかもしれません(私は個人的に詩に意味を求めないことが多いのでそれはそれで十分なのですが...)。開かれて、そして紡がれては閉じられていくイメージの断片、美しいです。 (ゆくえ)

2017-10-22

--- 追記: やはり花緒さんの作品のようにある程度息の長い文章でループを書くのは難しいですね。なかなか簡単に書けるものではないと思いました。それにしてもこの作品、中毒性があります。 (なぞる  (B-REVIEW EDITION))

2017-10-22

自分もループ詩書きたくなりました。返詩書きます! --- 書く(返詩) 書いて書いても消している 消して書いても消している 書いて消しても消している 消して消しても書いている 書いては消してまた消して 消しては書いてまた書いて 書いては書いてまた書いて 消して書いては書いている 消しては書いてまた消して 書いては消してまた書いて 消しては消してまた書いて 消して書いては消している 書いては消   してまた     書いて  消しては消し  て  また消して 書   いては  書いて ま た消して 書  いて 消 しては  消している 消しては消してまた消して 書いては消してまた消して 消しては書いてまた消して 書いて書いても分からない 書いて書いても消している 消  して書いても  消して   いる 書いて消し ても       消 している 消して消しても書いている 書いて消しては書いている 書い  て書 いても      分からな   い書    いて消しても書い   て  いる 消し   て書いても 書いている書いている書い  て いる書い て いる  書いている消  している 消しては書いて消している 書いては消してまた消して 消しては書いてまた書いて 書いては書いてまた書いて 消して書いては書いている 書いて書いても分からない 書いて消しても分からない 消して書いても書いている 書いて書いても消している (なぞる  (B-REVIEW EDITION))

2017-10-22

一連の連想が無関係のようでいて、その実とても繊細なつながりがありとても素晴らしいと思いました。特に「人生にこと」から始まった連想の連鎖が「つまりそれは裸のまま外に出たことを/改札を過ぎた後で気づいてしまったことと同じだ」の2行の着地するあたり、ああ、なんていい表現なんだと唸ってしまいました。わがままをいうと、タイトルと最後の2連がとても勿体無い気がします。最初の5連がとても緊密に組まれていて最後だけ取ってつけたような印象があります。かといって5連目で終わりにするのだとちょっと物足りない。あるいは、最後だけ緊張の紐をわざと緩めた、ということなのかもしれないのですが(だとしたらもっと一気に緩んでも良かった気がします)、個人的には最初の5連と同じ緊張感でビシッと練りこまれたラストも読んで見たかったです。 (辞書でしらべたこと)

2017-10-18

これは何かとても凄い何かですね。何かとても切実な何かで何かとても大好きです。「何かは何かのように何かされ、何かの上で何か何かしていました。」のラストが何かとてもヤバいくて何か鳥肌のような何かでした。何かしながら何かしら何かしてしまうんじゃないかと思って本当に何度も読んでしまいましたが、何度読んでもやはり何かが何かしてしまいそうです。これは本当に何らかの何かを何かしてしまう何かだ...。 (南下する太平洋の横断幕)

2017-10-14

まりもさん またもや返詩ありがとうございます!たしかに連詩になりそうですね、楽しいです。これは夕景を描いたものですが、実はそこにそれを重ねていたんです! では最後自分の返詩で締めますね。即興なので今ひとつ緩いですが... --- 伽藍堂になった闇は濃度を深めながら 反時計回りにぜんまいを巻いては回転し 密かに鼓動を孕ませる 赤でもない、ぼうっとした色、滲むとき やわらかに (17:58)

2017-10-13

homaさん コメントありがとうございます!風景を想像していただけて嬉しいです。それから、終わり方はとても悩んだので、このように言っていただけて非常に嬉しく思います。 (17:58)

2017-10-13

再レスします。ノリで書いちゃいました的なこれだけの薄っぺらな内容で(いや、だからこそ)、これだけのディープな反応を引き出してしまうのは作品が扱っているモチーフからすれば当然のことなのだと思いますが、この作品がヤバいのは、例えば「私のようにありとあらゆる社会的評価から見放されている」といった表現に見られるように「障碍者に対する健常者の視線」そのものが作品のなかにビルトインされてしまっている以上「障碍者を軽々しく扱っている」といった拒否反応含め、そうした反応すべてが作品の一部として吸収されてしまうところではないかと...。極端な言い方をするなら強烈な反応があればあるほど、このコメント欄をもって作品が完結するような狡猾な(とてもずるい)構造を作品が持っている(あるいは、持ってしまった)こと。意図されたものかどうかは別としてですが、例えるなら作品自体は台風の目みたいなもので、どんな非難を受けようともおそらく痛くもかゆくもないのではないでしょうか? (OYO THE FREEDOM)

2017-10-12

まりもさん返詩ありがとうございます。美しい! せっかくなのでさらに返詩を... --- 覆うだけで、すぐにでも剥がれそうな 膜の軽さに皮膚は驚き 少しばかり震えては、また 黙するばかりで、抗うこともなく やがて塞がれて炎に横たわる (17:58)

2017-10-12

骨子の2行とはおそらく最後の「ニャー/   と哭く」ではないかな?と思いました。この構造は仲程さんのレスを読んで始めて気づいたんですが、おそらく語り手は冒頭の逃げた猫なのかもしれないな、という前提で読むと、なるほど、と腑に落ちる部分があります。 (花火の夜(江戸川))

2017-10-12

「突然/アップデートしていく/自動更新で/どんどん僕が/リニューアルする」の出だしがとても魅力的でした。使ってるスマホやアプリがいつも自分の意志とは無関係にどんどんアプデされていく感覚を思い出します。もしその感覚と自分自身の(人間としての?)「アップデート」を重ねようとする試みだとするなら、その発想はとても面白いと思ったのですが、「自分自身のアップデート」とつなぎ合わせることに縛られてしまって、勝手にアップデートされていくあのなんともいえない(いらいらでもないし、かといって特段嬉しいわけでもない)不思議な感覚を表現することの面白さがいささか犠牲になってしまっているように感じました(そんな意図はないといわれればそれまでなのですが...)。「自分自身のアップデートとは?」みたいな人生の教訓に対する思索的なものを思い切って切り捨てて、より感覚的な部分にフォーカスしたほうが詩としてはより面白くなったのではないかと感じます。感想として、完全に自分の好みの問題なのですが、徐々にでいいからさんの以前の作品を思い出しながら、感覚的な部分を、説明的にならず、より鋭くコンパクトにまとめる力量がある方なのでは、、と感じていたので、そういったものをもっと読みたいというワガママな気持ちがあるのかもしれません。 (自動更新)

2017-10-10

待ち合わせ場所が夢中夢というのはこれまた随分と距離を感じさせますね。この設定には悪夢と甘さを掛け合わせたような独特の魅力を感じます。それから2連目、とても魅力的でした。視点が手元からふわっと空にひろがっていく感覚、空間が一瞬重力を失うかのようなそんな感覚があります。「青年がニスを塗るように/憧れをなぞるてのひら」以降は構成に難を感じました。「わたしたち/遠いの?/遠いよ/遠くても/遠いから//会おうよ」の部分も読んでいて生ぬるいというか、ちょっと恥ずかしくなります。「愛してる?」「愛してるよ」っていうやりとりを読まされているような感覚に似ています。1−2連の非常に魅力的な立ち上がりと、夢中夢という着地点、もっと巧い繋ぎ方があったのではないかな、、と、着地点がとても魅力的なだけに、そんな感想を持ちました。 (link)

2017-10-10

まりもさん <(幼稚園に)いきたくない、を言えなくて、いたくない、いたくない、と泣いていた子どものことを思い出しました> まさしくこれですね。小さい子供って言いたいことは明確にはっきりしているけど、言語能力がおっつかなくて、時々こういう欠損した表現が生まれて、そこにものすごい必死さを感じたりします。言葉が「意味」をなしていなくても(あるいは文法上、崩壊していても)確実にメッセージはあるというのはよくあることだと思っていて、例えば全然わからない言語の映画でも、その発話の語感から感情をなんとなく読み取れるような感覚。音読を繰り返しながら推敲したのは、その感じをどれだけ出せるか、というのを意識していたからかもしれません。 <書いたって、の書をはずすと、「いたって」という副詞が現れる、居たって、と漢字を当てると、また別の意味が現れる> そうなんです。これは書きながら自分でも新鮮な発見がいくつかありました。読む人によってたとえば「いたって」をどう解釈するのか変わってくるのではないかと思います。そういう面白さは是非楽しんでもらいたいなと思いました。ただ、この部分に関してはいろいろな組み合わせが他にもたくさんあるのでもっと派手に実験してもよかったのかな、、という思いもあります。ただ、それをやり過ぎてしまうと、花緒さんがおっしゃるところの「ループ」感がなくなってしまう。なかなかバランスが難しいものです。 <意図しない、為にあえて意図された作品> おそらく、「意味」ということを軸にして考えていくと、自己言及のパラドックスじゃないですけど、論理が自己循環を起こし始めて埒があかなくなる気がします。今回自分が考えていたのはもう少しプリミティブなことで「意味」ということについて深く掘り下げた結果こうした作品コンセプトに至った訳ではないんじゃないかと思います。ちょっと言葉にするのが難しいのです。説明できないから、この作品を書いたってことなんですけど、自分でもこの作品について語ろうとすれば語ろうとするほど迷宮に入っていきますね。。作品の外見からイメージされるほど、コンセプチュアルな作品ではないと、個人的には思っています。音楽性とまではいかなくても、もう少し直観的な何かです。もしかしたら、その感覚自体が若干メタ寄りなのかもしれませんが。。 (意味はない)

2017-10-10

壁紙の向こう側に大きな目があることのシュールさと、受験勉強中にそれを見つけてしまうという状況のシュールさに、ホラーよりもむしろコミカルなものを感じました。シュールな笑いとして読むとそれなりに楽しめる作品だと思います。 「高校の数学問題にはその全てに正解が用意されている」の表現はあまりに説明的すぎるので少し興ざめしてしまいます(果たしてそうだろうか?という疑問も含めて...)。「あらゆる数字や代数はカッコの中へと集約されていく」はとても巧みな言い回しだと思いました。ただ、あえて受験勉強の内容が数学に限定されていることにより、この詩的な表現が柔軟性を失ってしまっている気がします。「数学では虚数iも存在の一つだ」という表現も虚数の「虚」という文字に振り回されすぎなような印象を受けます。個人的に「虚数」が「存在の一つだ」ということに対して「?」とは思わないので、むしろ「数学では虚数iも存在の一つだ」とあえて宣言しなければならないことに「?」となってしまいました。 (受験勉強)

2017-10-08

冒頭の出だしはとてもリズミカルで一連目は、それだけで一気に作品の世界観に引き込むような吸引力があると思います。が、その後の繋がりが散漫でせっかく一つの世界観の中に引きずり込んでくれたのに、急に追い出されてしまったような感覚に陥ってしまいました。そこが残念に思います。特に「そのような午後の世界に」の部分、とても面白い試みだと思うのですが、うまく機能していないように感じられます。それから「午後の世界」「一握の詩」「国際色の喧騒」、どれも興味深い表現だと思いましたが、どこか借り物の言葉を使っておられるような印象があり、言葉がきちんと詩の一部になりきれていない気がします。表現自体はそれなりの面白さがあると思いますが、作品の一連の文脈の中では連想の豊かさを失ってしまってイメージや意味が膨らんで行かず、言葉が硬直している印象があります。 (花火の夜(江戸川))

2017-10-08

KIHON THE BASIC に引き続き、面白いです。対になってひとつの作品、どちらも一種の「メタ詩」だな、と思いました。自分の場合、KIHON THE BASIC の価値観と今回の OYO THE FREEDOM の価値観(これも必ずしも正反対とは限らないとは思いますが...)の板挟みになることが色々な分野でよくあり(詩を書く時はあまりないです...)、このシリーズには特に共感(といっていいのか分かりませんが)を覚えます。KIHON THE BASICとこの作品に関しては、分量こそ若干長めですが無駄がないように感じます。いや正確に表現すると、必要な無駄だけで構成されている気がします。 (OYO THE FREEDOM)

2017-10-07

真夜中を「真 夜世 中」、夢を「夢芽」、闇を「闇見」落ちるを「落散る」、目を瞑るを「目芽を    摘むる」、そして夜を「夜流」、などと言い(書き)換えてるのでしょうか、言葉が、音が重なりあい、意味がすっと深まっていくような、文字ならではの味わいのある表現だと思いました。かくかくとした、どこか不気味な舞踊(それも人形が痙攣するような...)を感じます。 (舞踏)

2017-10-05

1連目〜3連目の冒頭にかけて、「弾けて割れた」湯呑、走る「蒼白い閃光」、「脳髄の先端」そして「ぴちょん ぷちゅん」と(おそらく音をたてて)「鎮まること」のない波紋、そして広い「空洞」、このイメージの連鎖がとても鋭く、激しさと冷たさを同時に表現したような鮮烈さを感じました。それに対して3連目からは、例えるならいきなりモノローグが展開されるような語り口で、冒頭のスピード感との落差から、いささか説明的になりすぎているような感覚を受けてしまいます。あるいは、作品の本体は3連目からで逆に冒頭の部分を演出しすぎた、ということなのかもしれません。いずれにしても、何度もじっくり読まされました。 (焼成)

2017-10-05

とても語呂がよくて気持ちいいですね。私の頭の中ではラップ調で脳内再生されます。 (きっとカジュアル)

2017-10-03

意味は全然分かりませんが、ものすごく好きです。何度も読み返したくなる中毒性のある作品ですね。よく読むとシュールなのに、わざとらしさがなくて非常にコンパクトにまとまっているあたり、凄いなぁと憧れてしまいます。 (工事中)

2017-10-02

「飛英」、私も初めてみた言葉だったんですが調べたら「花びらが散ること」「散る花びらのこと」といった意味があるようですね。その意味を知った時に「海鳥たちがひとつの飛英を/共有する」という表現がとても美しく感じられました。「波紋は隙間なく/夥しい改竄を繰り返し」という表現もとても好きです。なかなか思いつかない表現だな、、と思いましたが、なんだかとてもしっくりきます。まりにゃんさんが指摘しておられる語尾の重複に関しては同じ感想を持ちました。特に「海鳥たちがひとつの飛英を/共有するから」と「〜ながら」で「ら」が連続してしまっているのはとても勿体無いな、と感じました。 (No title)

2017-10-02

いくつかの風景が重ねられた多重露出の映像のようだな、と感じました。書かれたそれぞれの短い言葉がお互いにオーバーラップして重なり合うような錯覚を覚えます。とりたてて鮮烈に視覚に訴えかけてくる言葉や表現があるわけでもなく、どちらかというと平易な言葉が選ばれているにもかかわらず視覚、聴覚がとても刺激されるのが不思議です。 いくつかの筋に解体して読んでみたいような誘惑にもかられますが、非常に巧みにより合わされているようにも感じられ、「誰も見なかったのだ まだ誰も見なかったことにはできない」といった分断された表現や、まりもさんが指摘されておられるような不統一も、作品の魅力をそこなうというより、どこかポリフォニックな感覚を演出するのに一役買っている気がします。 (単調な旋律)

2017-10-02

エイクピアさん コメントありがとうございます!「書いたって意味が(は)ない」をスマホ上で解体してコピペなどしながら、再構築して作った作品でした。ですので、解体された見かけをしていますが、解体する作業よりも構築するほうにたくさん時間がかかった作品(つまり構築した作品)でもあります。音読しながら何回も推敲を重ねました。読んでくださる方が色々感じ取ったり、あるいは「意味」を付与したり、または何かを考えたりしてくださるきっかけになるような作品になればといいなと思っています。 花緒さん このように言って頂けるのは純粋にとても嬉しいです。ビーレビューでいろいろな方の作品やコメントに触れるなかで考えさせられた事や刺激を受けた事柄が沢山あり、そうした諸々がこの作品を書く動機となっています。もちろん、花緒さんの作品にインスパイアされている部分もあるのではないかと思います。ビーレビ運営に関してはいろいろと大変なこともあるかと思いますが、とても刺激的かつ面白い場所であることには間違いがないので、今後より洗練された刺激的な場所になるのをとても楽しみにしております。 (意味はない)

2017-10-01

>完備さん やはりそうだったんですね。以前お読みした「units」が数学用語だらけだったので、もしや?と思いました。 (誰にでもわかるような僕の悲しみについて)

2017-09-30

「好きな人に彼氏がいる」という悲しみを「誰にでもわかるような僕の悲しみ」として説明することで、それが「誰にでもわかるわけではなく、僕にしかわからない悲しみ」であるということを表現しようとしたのかな、と感じました。だとするなら、とても面白い試みだな、と感じます。もう少し緊密にそれぞれの要素が絡み合っていたら、よりグッとくる文章になったのではないかな、と、これは読み手としての我儘なんですが、そんな感想を持ちました。完備さんが指摘しておられる「解」の用い方に関しては、同感です。完備さん、ハンドルネームから察するに数学がお好きなんですね? (誰にでもわかるような僕の悲しみについて)

2017-09-30

追記:立派な詩歴を持っておられると知られている方が、こうした作品を投稿した場合とそうでない場合、の違いについても。。 (あくむ)

2017-09-30

ネット文化そのものが「荒らし」や「冷やかし」を内包していると感じるので、ネット特有の言い回しを用いることに関しては賛否両論あるかと思いますが、ネットスラング含めネット文化特有の言語世界・言語表現というものがあって、そうしたものとの接点を探るというのはとても面白いと感じます。ただ、2chのような掲示板では、そうした独特の言葉や記号に対して一定の文法が存在しており、文脈を把握していないと理解できないやりとりやユーモアが多数あるのも事実だと思います。私などは「( ^ω^)」も「〜お」で終わる文体もそれがどういう文脈で、またどういうニュアンスで用いられるものなのか分かりません。ですので、こうした表現がもつ新鮮さは面白いな、と感じるわけですが、さらに面白いな、と感じたのはこれは一種の風刺にもなり得るな、ということです。いわゆる「詩」の形をとりながら語尾だけはネットの文法に従う、という形式。高度にハイコンテキストになってしまっている「現代詩」は、「現代詩」に深くかかわらない人からすると、この作品を読んだ時と同じような違和感をもしかしたら覚えるかもしれない(自分は時々覚える)、ということを考えさせられました。「詩」「現代詩」「ポエム」「散文」といった言葉で作品を安易に分類してしまうことは要するに既存の価値観・美意識に寄りかかっているにすぎない。ただ詩において、いろいろな人たちの実験を通して、ここまで言語表現が自由になってしまった以上そうした枠組みで縛る他ない、ということもあるのかな、とも思ったりします。一番先鋭的な実験作になればなるほど、評価されるためには、ある意味「保守的」にならざるを得ないのではないか、ということです。この作品の本意は私にはしっかりと読み取ることはできなかったですが(これが仮にただの冷やかしだったとしても)、そうしたことをもろもろ考えさせられる作品でした。 (あくむ)

2017-09-30

この作品好きです。特にスマホで読んだら、とてもよかったです。夜の中央線に揺られながら読みたい気がしました。 (中央特快)

2017-09-28

あ、自分もMacユーザーなので、あの音で脳内再生でしたよ、笑。 (あったこともないのによく知ってる感じ)

2017-09-28

こういう遊び心大好きです。「オーバー/ヒートな十年を経ては(ファーン!)」の「(ファーン!)」が特に好きです。 (あったこともないのによく知ってる感じ)

2017-09-28

キュレーターさんの作品だけにどう読んでいいのか悩んでしまう部分があります。冒頭の「いますぐしんじゃいそうな/わたしのうつを/癒しておくれ」からしてかなりのインパクトで、こういう表現をあえて確信犯的に使うことで、難しい言葉や隠喩を使いたがる「お偉い」感受性を逆に揶揄していると取るべきなのか、あるいは揶揄というより三浦さんがコメントしておられるように単に自虐風コメディーとして読むべきなのか、あるいはものすごいメタな構造が仕掛けられていて、よっぽどの予備知識がないと掴めないなにかがあるのか、あるいは普通に素直に読むべきなのか...。全体的にもゆるっとしていて全然締まりが感じや、言葉のリズム感がグダグダな感じなど、自分としては自虐風コメディーとして読んでみたいところなんですが、だとしたら少し物足りないです。笑いのツボが少しずれていたというだけなのかもしれません。個人的にはこういう「ポエムな」言葉選びは決して嫌いではないので、もう少し引き締まった形でまとまっていれば、普通に素直に読んで楽しめたかもしれません。すべては好みの問題なのかもしれませんね。 (音楽)

2017-09-28

意味は全然分かりませんでしたが、どこか音楽のようだと思いました。文体に酔わされて、良く分からないのに最後まで読んでしまいました。文章が作り出すうねりがとても気持ちよかったです。 (Sept Papillons)

2017-09-28

感想をうまく言葉にできないでいるのですが、この作品もとても好きです。読んでいてとても心地いいのと、何か通奏低音のようなものが全体に流れているような感覚もあるせいなのか、全体が散漫にならないで分散しそうなところでギリギリきっちりまとまっているようなそんな印象もあります。 (ケレケレのはなし (B-REVIEW EDITION))

2017-09-25

まりもさんへ  まりもさんの今回のコメントには深く頷く部分がとても多いです。<理念が先行した手法と、結果的に同様の手法を取るに至った場合、の差異、について> これは私も考えさせられた点で、もし<結果的に同様の手法を取るに至った場合>はやはりそれなりの必然性が欲しい。どうしてもこの手法をとらざるを得なかったという説得力が欲しいと感じます。その点、この作品が結果としてこの手法を選んだ作品であると仮定した場合、「結果的にこの手法を取るに至った」、取らざるを得なかったという必然性をあまり私は感じることができません。それは作品の完成度のせいなのか、あるいはそもそも「結果的に...手法を取るに至った」作品ではなく「理念が先行した手法」であるからかもしれない。(kaz.さんの他の実験的な作品を含めて)おそらく後者の度合いが強いのだろうと思うのですが、後者だとしても、もしかしたら何かしらの切実さがその「理念が先行した」実験へと作者を駆り立てているのかもしれない...。だとすると、「結果的にこの手法を取るに至った」ということに、やはりなるのではないか、と思考がループしてしまうのが難しいところです。 コンセプトを明瞭にするという一種の割り切りのなかに、時には個人的な感覚・感情を散りばめていくという手法もあると思うのですが、kaz.さんの作品においてはその方法は取られていないように感じるんです(あるいは取ろうとして失敗しているのか...)。まりもさんの言葉をお借りすると「既知のものを既知の言葉で語る、それが標準化している世界を描いた前半部と、未知のもの(いわく言い難い感情)を、語ろうと苦悩する後半部」で完全に分離してしまっているように感じます。それが脈略もなく共存してしまっている。それを「問いかけ」と取るべきなのか、実験の「失敗」と取るべきなのか、あるいはこれを含めて「表現」と取るべきなのか、それともそもそも作者は「表現の誠実さ」のようなものに懐疑的であるために、こうした「実験」を繰り返しているのか...。最後のが本当だとすれば読者が真面目に考えたり、語ったりするほど馬鹿馬鹿しいということにもなると思うのですが、だとしたらもっと吹っ切れていて欲しい(そうなると「詩の解体作業」ということにやはりなるのかもしれませんが、解体しきれていないところに何か意図があるのか、あるいは...)。といったことを考えています。そうしたアンビバレンスを内包している状態(作品そのものではなく作品の有様がアンビバレントである)に魅力を感じる、もっといえばその一点だけに魅力が集中しているともいえるのかな、というのが今の個人的な感想です。なかなか考えがまとまっていないところもあるのですが、(作者の他の実験的作品を含め)こうした議論を喚起できた時点で、作品としてはある程度成功しているという見方もできるのかもしれません。 (コリドラスの夢彩)

2017-09-25

まりもさんへ まりもさんの「私には、その脱線によって、淡水、熱帯魚を巡る思考という本来のテーマが、真綿でくるまれるように曖昧にぼかされていく印象があり、その真綿の質感の方に意識が削がれてしまう、そんな不満を感じたのでした」という印象にはとても賛成です。ただ、脱線していく有様、さらにいえば脱線することによって全体の意味が不明瞭になっていく有様そのものにこの作品が表現したかったかもしれない「感覚」が宿っていると感じました。つまり「言葉がもつ意味」によって「意味」の伝達を図るのではなく、「言葉」が配置されている有様(たとえば論理が解体されていく有様)によって「意味」の伝達を図る、言葉を超えたところで感覚の共有を図っている、そうした感覚がこの作品の面白さなのかもしれないな、と私は感じています。仮にそれが意図であるとするならば、手段や手法が真逆のベクトルを持つということはあるのかもしれませんが、必ずしもまりもさんのおっしゃる<個別的体験から「詩」を取り出していく、生み出していく、方向性>とこの作品が真逆のベクトルを持っているとは感じません。勿論作品としての完成度の問題は残りますが、「詩の解体作業」として単純に片付けてしまうのは少し寂しい気がします。と、私自信もうまく自分の感覚をまとめられたかどうか...というところですが。。 (コリドラスの夢彩)

2017-09-22

「そこまで書いて私は眠気覚ましに真水を飲んだ。」から絵文字が出てくる直前の「その辺に埋めておくと猫が掘り返すことが往々にしてあるため、水に流してやるしかないのである。」までの部分、それから「五月雨と書いて、さつきあめ、さみだれと読む。」から始まる段落。全く別の話題へと次々としかも非常に滑らかに遷移していく様。非常に論理的な文体で綴られ、理路整然と論理を展開しているかのうように文章が振舞っていてるにもかかわらず、その実、論理的にはどんどん解体していく様子がとても魅力的でした。そうした見かけの整合性と内容の論理的な繋がりの不整合性のギャップから生まれる不思議な違和感はとても好きなのですが、(仮にそれが作品の一つの狙いであるとするなら)絵文字の使用や、唐突な引用、冒頭の詩などは、そうした「整合性の皮を被った不整合」の魅力を損ねてしまっているように感じられ、残念に感じました。あるいは、論理的な文体はあえて犠牲にして「言葉のサラダ」感にもっと寄せていったほうが絵文字や唐突な引用は効果を発揮したのではないか、とそんな気もします。私が感じたのとは全く別の効果を狙って書かれたものかもしれないので、あくまで個人的な感想ですが...。 (コリドラスの夢彩)

2017-09-20

フォーラムで森田さんがお好きだ、ということでマグリットを挙げておられましたが、「僕は青空を飛翔する/そんな鳥の絵」といった表現をはじめ、まさにマグリットの絵を想起させる世界観だなと感じました。「僕」の「悲しみの感情」の理由には一切ふれられていないのが、「悲しみ」という言葉を重さから解き放つ効果を持っている気がして、コンパクトな美しさを感じさせます。そういったとことも含めてマグリットの絵っぽいな...と感じました。 (リトル・ムーヴメント)

2017-09-20

森田拓也さん こんにちは。コメントありがとうございます。世界観が好きと言ってた頂けるのはなによりも嬉しいです。最後の1行、人によって感想が別れる部分かもしれないですね。何かしら感覚を共有できてとても嬉しいです。 (君の写真)

2017-09-20

ベタつかないどこかクールな温度感と透明感が感じられて、それがとても魅力的でとても好きです。気になった点があるとすると「僕はたったひとり、ひとりきりなのだとわかった」で、「ひとり」が被っている部分、読んでいて少し突っかかる感じがあったのでどっちかを削るともっと格好よくなったのでは、と思いましたが、これはこれで魅力的な気もします。「また明日にひらく朝顔ではないので僕たちは永遠に取り込まれなくてはならない」「ただ硝子のようにすべらかに僕とのつながりを阻む」といった表現がとても好きです。 (語られない言語)

2017-09-18

まりもさん コメントありがとうございます。勝手にまりもさんの作品を引き合いに出してしまい、こちらこそ恐縮です(しかも、まりもさんの本来の意図とは無関係に自分が感じたことを主体に語ってしまいました)。その後、まりもさんがコメントでメシアンに言及されていたのでメシアンの「鳥のカタログ」を聴きながら改めて「奏楽」をお読みしたのですが、なるほどイメージに相通じるものがある気がしました。メシアン自身、共感覚に似た感覚の持ち主だったと云われていますので、音から色や形や空間が自然に生まれていく、そうした「生成」のイメージはメシアンの曲にちょうどぴったりのものかもしれませんね。 それぞれの詩を丁寧に読んで下さりとても嬉しいです。ご指摘の通り1連目はわりと緊密に書けたな、という気がしているのですが2連目はまだ書き途中の段階でこの作品に無理やり組み込んだ感があり、やはり後半部分、散漫になってしまったのは否定できません。もちろん、ご指摘のように「不統一のもたらす不安感」を狙った部分はあるのですが(ちょうどショパンのソナタ2番の終楽章のような…)もう少し練り込む必要がありました。具体的なご指摘、とても嬉しく思います。ちなみに「誰かが弾くショパン」、これは自分のなかではまさしくプレリュードです。でもワルツでもいいかもしれませんね。楽しいはずなのにどこか心許なげで、不安さえ顔を覗かせる、そんなところがワルツのひとつの魅力だと思います。 <三連目。ここは、三面鏡を直角に立てて覗き込んだ時の、永遠の回廊に迷い込んだような心細さと酩酊感を思い出す部分でした> このご感想はとても嬉しいです。「酩酊感」!まさしくそれなんです、表現したかったものは!あと最後の部分はご指摘の通り、もうちょっといい表現がありそうですね。改めて読んでみて〈出鱈目な永遠という事になるらしい〉の部分で、確かに集中力が切れてしまってる感があるなあ、と気づかされました。 <冷蔵庫の中にそれを探す、という無茶ぶりが、逆に面白いと思いました> この4連目に関して言うとこれは冷蔵庫じゃないとどうしても駄目なんです、ごく個人的な理由なんですけど、冷蔵庫がとても大事でこれは外せませんでした、笑。自分のなかではどれも関連しあっているんですが、確かに全体的にちょっとシュールな連鎖かもしれないですね…。「深い所でつながっている、そう納得させるものがあります」と言って頂けたのがとても嬉しいです。 「花葬」という言葉に関して言うとちょっと安易に使いすぎたな、、と思っています。改めて読んでみて、ただでさえ無関連に思えるものが連鎖している表現のなかで「花葬」というさらにイメージの強烈な(しかも「人によって、かなりイメージも異なる」)言葉を持ってきたのは無謀だったかもしれません。もう少し静謐な雰囲気の言葉を慎重に選ぶべきだったかもしれないな、と思います。 いろいろと勉強になりました。丁寧な読解、ありがとうございました。 (不眠症のポエム)

2017-09-18

深尾貞一郎さん コメントありがとうございます。こういう具体的なご指摘はとても嬉しいです。ご指摘の二つの表現は最後の最後まで入れるか入れないか悩んだんです。個人的には「僕」がどう感じたかは極力排除しほのめかす程度にしつつ読者に読み取ってもらいたいな...という気持ちがあって、どちらの表現も当初はなかったものなんですが、これだとあまりに宙ぶらりんで伝わりにくいかな...という気もして付け加えたんですが、改めて読んで見て、やはりご指摘の通り、どちらもないほうがしっくりくるような気がします。特に最後の一文はやっぱりどう考えてもわざとらしいというか、余計ですね。ありがとうございました! (君の写真)

2017-09-17

コメント修正)「例えばその部分の文章をカルチャーショック的な内容に絞って」ーー>「例えば1段落目の文章をカルチャーショック的な内容に絞って」 でした。失礼しました。 (アメリカ論)

2017-09-15

アメリカの田舎の風景にはどこか憧れがあって、自分は主にヴェンダースや初期のジム・ジャームッシュの映画を通してしかそういう風景は見たことがないんですが続編をもっと読んで見たいと思いました。2段落目の最初の文章で「ところで、所謂バックパッカーとして旅をしてきて一番大きなカルチャーショックを受けた国はどこかと聞かれればそれはインドネシアでもミャンマーでも、グアテマラでもなく、アメリカ合衆国、それもほとんど旅行者がいかないような田舎だ。」の部分なんですが、1段落目の語り口がどこか淡々としていて、カルチャーショック度合いがあまり伝わってこなかったように感じてしまったので、例えばその部分の文章をカルチャーショック的な内容に絞って、その他の雑感を省略するなどすると、もしかしたら、2段落目の最初の「実は秘境とは一般的に思われていないアメリカが秘境だったんですよ!」っていう驚きがもっと強烈に表現できたのかもしれないな、などと感じたりもしました。もしかしたら「アメリカの秘境」というものを風景としてもっと強烈に感じたいという自分の中の勝手な憧れがそう感じさせたのかもしれません。 (アメリカ論)

2017-09-15

この詩からはとても潔い読後感があってどこか爽快でした。答えを要求されているのに答えを出すこと自体を放棄する。っていうときには爽快な割り切りの結果である場合と、なんだか捻くれてしまったような自暴自棄の結果である場合がある気がします。分からないことには分からないって素直に言える人でありたいと思うし、ときには要求されている正解に対してあえて白紙でもって答えるそんな潔さも持ち合わせていたいな、と、この詩を読んで感じました。 (白紙)

2017-09-15

沢山ご説明ありがとうございます!ちょっと咀嚼に時間がかかりそうです、もう少し読み込んでみます。 「感覚的に何かを感じることさえ拒まれている印象」と、感じたことをそのまま書いてしまったのですが、もしかしたら感じることを拒否していたのは私のほうなのかもしれないですね。 (ペルセポネの哀しみ)

2017-09-14

m.tasakiさん コメントありがとうございます。複雑なだけになかなか表現するのが難しいものですね。精進します! (君の写真)

2017-09-14

内容については私が無学なせいだと思いますが、非常に難解で、感覚的に何かを感じることさえ拒まれている印象を受けました。「詩行の形は、冥府への下り坂を、 一段一段、階段を降りていくイメージ」ということに関しては、おそらく縦書きであれば直感的に感じられるものだったかもしれない、というのが少し残念です。日本語を縦書きで書くという行為そのものが上から下に向かう一定の重力を持っているものだと思います。作者が縦書きで書いた文章と横書きで書いた文章、あるいはアナログで書かれたものとデジタルで書かれたもの、デジタルであってもキーボードで入力されたものとフリック入力されたもの、内容は似ていても「書く」という行為に付随する重力というか物理的な力学はそれぞれ違っているので、必然的にそうした物理的要素が内容にも反映されるのかもしないな...といったことを深く考えさせられました。 (ペルセポネの哀しみ)

2017-09-14

作品のなでも「浮遊」という言葉が何度も出てきますが、文章自体にも不思議な浮遊感があって非常に魅力的に感じました。「この世界全部が夢でも幻影でもなく本当に存在しているのかどうか確信が持てない」といった説明的な表現もあまり説明的とは感じさせないところがとても不思議です。「137センチ」や「5.9センチ」といった半端で具体的な数字が度々出てくるのも、また、いちいち木槌で叩いて「本当にそこに存在しているかどうかを」確かめるといった行動を取るといった描写もなかなかに偏執症的だと思うんですが、それが淡々とした語り口のせいなのか、強迫的で神経質に感じられるというよりはむしろ、ふわふわとした独特の心地よさと共に感じられる気がします。表現されている感覚に対するある程度の共感もあるのかもしれません。 (視点)

2017-09-14

返詩、荒らしと紙一重だったので投稿しようかどうか悩んだんですが、うまく伝わったようでとても嬉しく思いました。それから過去作品へのリンクありがとうございます!いくつか読み始めていますが、やはりとても好きな作品が多いです。特に短い作品ほど惹かれるものがあります。意味が分かるとか分からないを超えたところで感じる恍惚とした美しさがあります。沢山書かれているので、じっくり読んでいきたいと思います。 (紙の本という文化は、地球上で最も奇妙なビジネスの一つである。(未完成))

2017-09-11

こういう実験スピリットは嫌いじゃないです。がkaz.さんの作品の中では、叙情的な小品がとても印象に残っており、もっとそういう作品が読みたいな、という我儘な気持ちもあります。 せっかくなので返詩を書きます。 --- 拡散希望(完) #拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望#拡散希望 (+261/140) (紙の本という文化は、地球上で最も奇妙なビジネスの一つである。(未完成))

2017-09-11

花緒さん ちょっと、というかだいぶ長くなりますが、改めて返信させて頂きます。自分のコンセプト的なことを直接書いてしまうのはあまり好きではないのですが、今回はなんか語りたい気分なので、お時間があるときにでも読んでくだされば嬉しいです。 まず花緒さんのコメントで「日を変えながら何度も読んだ。」という言葉がとても嬉しかったです。というのは、そもそも作品をこの形に閉じ込めたのは、ネットにおいて表現物(詩、文章に限らずイラスト、写真そういったものすべて)は、本当の意味で深く鑑賞されることはあり得ないかもしれないし、自分もまるで消費するかのように鑑賞してしまっている(情報量の多さゆえにそうせざるを得ないし、おそらくこれからもそうだろう)、という一種の諦めが出発点となっているからです。 消費するように表現物を鑑賞してしまうというのは、あるいはネット上のことだけではないのかもしれません。自分の場合、昔のいわゆる文豪が書いた文学作品などはそれこそ時間をかけて本当にじっくり味わいながら読みますが、最近の作家さんの作品はどうしても消費するように読んでしまうものが多い。自分の怠慢だと云われればそれまでの話なのですが…。 詩であれば、例えばリルケの詩を読むときは一つ一つ隠喩の意味を考えながらじっくり読むのに、最果タヒさんの詩の場合は理解することをある意味放棄して、表面の感覚だけをさらうように読んでしまうところがある。(ちなみに最果タヒさんは大好きで詩集は何冊も持ってます。自分は詩のコンテキストにはあまり通じていないので、あくまで素人意見なのですが「グッドモーニング」などを読んでると、自ら他者の理解や共感を拒否して書かれているようにも感じます。一番好きな詩集のひとつです) で、自分の作品の話になるんですが、今回の4連はもともと別々の作品として書いたものです。自分が個人的に体験した感覚とか、または論理的な文章にはならない思考とか、そういったものをどうしても表現したくて、技術的には拙いながらも、かなり切実な思いで書いたものです。 で、最初の出発点に戻るんですが、どんなに切実な思いで書いても、それは読者には伝わらないのではないかという疑念、そして自分も他の人の詩に対してそこまでじっくり対面できていないし、もしかしたらものすごく切実な思いで書かれたものに対して、とても的はずれで辛辣なコメントをしているかもしれない。そう考えたときに、じゃあいっそのこと、自分が大切な思いで描いたこれらの作品を表面的に扱われるようにしてしまおうと考えたんです。 そして、どうすれば表面的にしか読んでもらえないような形に落とし込めるか、ってことを考えたときに、まりもさんの「奏楽」をお読みしたときの自分の感覚を思い出しました。まず綺麗な長方形のフォルムに目を奪われてなかなか読み始められなかった。もう一つは読み始めてもなかなか頭に入ってこなかった。ということです。ただ、まりもさんの詩は個人的にとても好きなのでやっぱりきちんと読みたいと思った。何回も読んで、少しずつ頭に入ってきたな、と感じたときに、詩で描かれている情景がとてもコンパクトに感じられてこれは非常に美しい、と感じました。それでそのフォルムをそのまま自分の作品にも適用してみようと、ということが一つあります。 (すごく好きだなと思う詩人さんは他にも何人かいらっしゃって、それでも残念ながらじっくりと対面するというところまでは読み込めない。スマホで読むときはもっと親密さをもって読むことができたりするんですが、それでもやはり深いところまではなかなか潜れない。) もう一つは消費される表現、ということを考えた場合にやはりTwitterが頭に浮かぶんです。なので、Twitterの制限文字数140文字ぴったりに収めて、なおかつ長方形のフォルムしてみたら、フォルムは綺麗になるし、読みやすさは減るかもしれない。やってみると、どの小品もだいたい140文字前後。あとは改行の位置の都合であちこち微調整をする。でも、改行を意識して仕上げたのでそのままツイートしたら言葉のちょっとリズムとかが変わってしまう。そのこだわりは残したい。限りなくツイートのよう見えて、厳密にいうとツイートではない、ツイートできない。 長方形のフォルムに無理やり押し込めることで、自ら理解されること、共感されることをある意味拒んでおきながら(というより、そういう心持ちでいながら)、やっぱり消費されるように鑑賞されたくはないという気持ちがあって、この方法は自分の今のアンビバレントな感覚にうまくマッチしている。などと、いろいろグチグチ考えた結果、この表現に落ち着きました。 意図どおりの効果がでているかどうかは、まだ自分でも客観視できていないので他の方の意見が欲しいところでもありますが、まずこのコメントで書いていること自体、正確に理解されないのではないかという思いもありつつ……(あるいは自分がきちんと書ききれていないのではないか、という問題もありますが….) <書かれている内容というよりは筆致を楽しむタイプの作品だと思う。とするならば、純粋に技術力こそが批評の俎上に上がるべきだが、下手だとは思わないが、秀でて上手いと思わせる詩文もない。> 以上の流れがあって作品を作ったので、花緒さんのこのご指摘は、私にとってとても核心をついたものに感じられました。おっしゃる通りで、もし自分が「純粋に技術力こそが批評の俎上に上がる」ような詩文を書けていれば、もっと格好がついていたはずで、それこそ Taylor Deupree のようなミニマルな美しさをより十分に表現できたかもしれません(そして内容に関してはじっくり読んでくれた限られた人だけに何かしらが伝わればいい)。ただ、こればかりは一朝一夕では何ともし難く、あとは数書いて技術を磨くほかないのが今の所なんとも悔しく、またもどかしいところであります。 と以上、長文失礼しました。 (不眠症のポエム)

2017-09-10

花緒 さん コメントありがとうございます。レスしにくいという点に関して言うと、前作は無意識のうちにそんなものができあがってしまった。今回は、レッサーが評価しにくいものをわざと作ってみたい、と意図したところがあります。が、とんだブーメランですね。いざレスを頂くと(勿論とても嬉しいのですが)、レスに対するレスを返すのが非常に難しいです(汗)。Taylor Deupree をあげてくださったのはとても嬉しかったです(大好きなので)。しかも、Taylor Deupree の作品のなかでも4つ打ち系の作品ではなくアンビエント系の曲を挙げてくださってたのが特に。 花緒さんのコメントでいろいろ考えさせられたことがあるので、もう少し頭を整理してから(うまくまとまるかどうか自信はないのですが)また後日改めて返信させてください。 (不眠症のポエム)

2017-09-10

コメント修正:「全面」(誤)... 正しくは「前面」です (君の写真)

2017-09-10

まりもさん いつも丁寧に読んで下さり、ありがとうございます。他の方の作品へのまりもさんのコメントもよく読むのですが、詩の読み方や書き方について学ばされる点、新鮮な点が多々あり、いつも興味深く拝見させて頂いています。 <凄惨だけれども(だからこそ)興味をそそられて、聴いてみたい、と、〈君〉が思うことはないのか。そんな、ちょっとひねくれたことを考えたりもします。> このコメントはとても嬉しく思いました。この作品で自分が表現したいと思ったことがいくつか明確にあるのですが、その一つがまさにこれに近いことだったからです。全体の読みも、この路線でもっとひねくれて読んでいただいたほうが自分の意図をもっとお伝えできたのではないかと思うのですが、そこは完全に自分の技量不足です。 <チャンネルを変えた時の、〈君〉の態度が、さりげなく示されていたら。また、〈僕〉の絵に、何が描かれているのか(ここは、読者の想像に任せる、という方法もあるでしょう)そんな案が浮かびました。> なるほど。そうですね。確かに最初のセクションは、推敲していく過程でも一切いじることなく、最初に書き起こしたときからそのままだったので、工夫が足りない部分だな、とご指摘を受けて思いました。中間部分はかなり悩んで何回も書き直したのですが、なかなかうまい表現が見つからず、でも、もっとうまい書き方があったと思います。ご指摘ありがとうございます。 これは今回一番力量不足を感じた点なのですが、「もうとっくに手遅れだった」ものが果たして本当に「僕」と「君」との関係だけだったのか、「感覚のずれ」以上の何かがあったのではないか、そもそもこれは二人の関係に関する作品なのか、といった部分へのもっと深い読み、まりもさんの言葉を借りれば一種の「ひねくれ」た読みにもっと読者を誘いたかったな、というのが正直なところで、かといってあまりそれをダイレクトに全面に出したくはない。表現の引き出しが少ないというのも原因の一つだと思うのですが、表現したいと思っていることを、きちんと読者に伝わるように表現するというのはとても難しいことなんだ、と自分で書いてみて改めて、文章のプロの方達の凄さを感じています。今後の課題としていきたいと思います。 (君の写真)

2017-09-10

ツイッターの制限文字数で書くというのは使い古されたネタではありますが、書いていて楽しかったです。 (不眠症のポエム)

2017-09-07

追記:文章の分断そのものよりも、その分断に気付かずに書かれた文章であるというのが気味の悪さの本当の正体なのかな、という気もします。 (君の写真)

2017-09-06

花緒さん ありがとうございます。感覚を共有して頂けたのがとても嬉しいです。どこからどう見てもヘタクソな文章なので(感傷的なものを書こうとして派手に失敗してる文章に見える)、この奇妙な感覚は伝わらないままスルーされるか、影で揶揄されて終わるだろうな、と思っていたのでとても嬉しいです。 実は当初この3倍くらいの分量で、全体のまとまりや繋がりをかなり意識して書いた散文だったのですが(それが果たしてまとまりのある文章だったかはさておき...)、とても感傷的な仕上がりになってしまったのが気に入らず、そこから無駄だと思えるものを片っ端から削いでいったり、細部を何度も書き換えたりした結果こうなりました。推敲の段階では、花緒さんが言及しておられる「気持ち悪い感じ」「何度か読んでも、やはり変な感覚」というのには自分でも気付かず、出来上がってみて初めて「あ、なんかこれ気味が悪い」と自分でも感じたという経緯があり、作為的にこの感覚を作った訳ではないんです。自分で読んでもあまりに気味が悪かったので、全面的に書き直そうかとも思ったのですが、ただ、その気味の悪い感じが、ちょうど自分が表現しようとしていたことに実はぴったりなのかもしれない、ということに気づいたので、そのままでいくことにしました。 この「変な感覚」は意図的に作り出したものというより自然発生的に生まれてしまったものなので、その感覚のカラクリは自分でもはっきりとはわからないです。ただ自己分析してみて、おそらく文章が分断されている(つまり文章が全体としてものすごくヘタクソである)ことが主な原因ではないかな、と思っています。文章が論理的に、あるいは情緒的にこの次繋がっていくのだな、と頭が経験的に予測し、その次にむけて待ち構えているところで突然繋がりが失われてしまう。連の区切りである「・」の使用も当初は長めの散文を章ごとに区切る意味合いで使っていたので、全く別の意味をもっていたのですが、最終的にはその分断に一役買っている気がします。文章がどれも「〜だ」「〜た」で終わってるのもかなり大きいと思います(これも意識的に行ったわけではないのですが...)。これで全体のリズムや繋がりが著しく損なわれている気がするんです。だからどこか気持ち悪い。もしかしたら内容そのもの(例えば「怖い」という言葉の濫用)よりもむしろ、こうした文体由来の気持ち悪さの比重が大きいのかもしれないと感じたりしています。 もしこの文章を読んで似たような奇妙な感覚を覚えた方がいらしたら、是非感想をお聞きしたいところです。 コメントありがとうございました! (君の写真)

2017-09-06

追記:もしかしたらどこかで既出の意見かもしれませんが。。 (門)

2017-09-05

「ネットならではの」実験ということであれば、例えばニコニコ動画での弾幕やアスキーアートといったネットカルチャー独特の文字表現、言語表現への意識的な言及があるともっと重層的な作品になったのではないか、と、ふとそんな感想を持ちました。 (門)

2017-09-05

機会があったら是非またこういう辛口ジョーク書いてください。心から楽しみにしてます(笑)。 (ちなみにノイズ、グリッチ大好きですね) (KIHON THE BASIC)

2017-09-04

これ滅茶苦茶好きです。花緒さんの作品なので、できれば気の利いたカッコいい寸評の一つでも残したいところなのですが、今は感想を言葉にするのがすごく勿体無いように感じます。何度も読み返していろいろ考えたり感じたりしたいです。とにかくいろいろツボにはまりました。 (KIHON THE BASIC)

2017-09-04

追記: 長文投下したうえに追記だなんて、申し訳ありません。上記読み返して見て、批判とは取られたくないな、と思ったので追記します。B-REVIEWの運営の方は全く頭が下がることにほとんどすべての投稿に対して誰かしらがコメントされています(つまり評価を試みておられます)。なので、この掲示板の存在によって、面白みを見いだせる文章の幅をどんどん広げていきたいという「脱権威主義」的な理念もあると思っています。それはとても素晴らしいことだと思います。 なんだか全体的に理屈っぽくなってしまい申し訳ありません。。 (こんなに-し合っている私と君は)

2017-09-03

ポエム論、なかなか面白そうな議題なので参加させてください! ポエム問題(とポエムを蔑視する風潮問題)は花緒さんが貼ってくださったリンク先のページにあるように、ネットの普及との関連が一番大きいのではないかと思います。昔は、イラストであれ文章であれ、音楽であれ、写真であれ、他の人に見てもらったり読んでもらうためには同人活動をするか、あるいはそれなりに権威のある雑誌といったメディアに投稿して、そこの審査員に認められる必要があったのに対して、ネットの登場でそうしたフィルターがいらなくなった。一種の権威主義が崩壊したというか、それとは別の軸が発生してむしろそちらがメインストリームになっていったという印象があります。で、ツイッターとかの普及によって、ちょっとしたの感傷的なつぶやきとかを共有できるようになって、そういった手軽なものが、<感情を共有するという役割を果たすものとしての「詩」>の役割を果たすようになったのではないかなあと(例えばですが)。なので個人的な意見なんですが、「ポエム」として蔑視されるものと一般に「詩」として評価されるもの一番大きな違いは、それを評価・批評する枠組み(というか権威)があるかないかの違いだと思います。 花緒さんのおっしゃる「中学生がノートに書いて喜んでるような若気の至りな詩篇をポエム」と呼ぶ、という定義はつまり、そうした「若気の至りな詩篇」は詩、文学、思想のもつ文脈に照らした本格的な(あるいはアカデミックな)批評に耐えうるものではない、よって「詩」とは呼べない、ということではないかと感じました。じゃあB-REVIEWにおける「詩」とは何なのかということになるんですが、意地悪な言い方をすればB-REVIEW運営の方達(という一種の権威)が何かしらの形で評価し得るものかどうか、シンプルにただその一点に尽きるのではないかと思います。つまり運営側の花緒さんが「構築されていたり抑制されていたり重層性の伴うものを詩と呼ぶ」と定義されている以上、B-REVIEWにおける詩というのはそういうもの(あるいは運営の他の方が詩だと定義できるもの)であるというほかないのではないかと。良い悪いではないとは思いますが、それはこうした掲示板の性質上どうしても避けられないことではないかと思います。おそらく運営の方々もその辺りのことにはとても自覚的でいらっしゃって、それに伴って発生する問題については頭を悩ませておられるのではないでしょうか? 個人的には、よく揶揄されるようなネット上の「ポエム」に対してはどちらかというと肯定的です。気軽にみんなが感情や感覚を共有しようとしているのだから、それは素晴らしいことじゃないのかと......。あとは好き嫌いでしかない、という気持ちがあります(アカデミックで権威主義的な批評も最終的には好き嫌いの問題に行き着くといういうのが持論ですが、ここを語り始めるとさらに長くなりそうなので、このへんで、笑) (こんなに-し合っている私と君は)

2017-09-03

焦燥というんでしょうか、生き急ぐようなリズムが文章としてはとても心地よく、ぐっと引き込まれて最後まで一気に読まされました。投げやりに言葉を叩きつけていく感覚もあってそれが全体の疾走感と合間って、息苦しさをうまく表現されていると思いました。 花緒さんは「愚痴っぽくなってしまっている」と書かれていて、そのご指摘は的を射てるものだと思いますが、私にとってはその「愚痴っぽさ」がこの詩の最大の魅力です。そして終盤の皮肉めいた「おめでとう」がとても胸に刺さります。 (初めて覚えた言葉が最期の言葉になるのなら、言葉なんかいったい何になるのとあなたが言ったから)

2017-09-02

中間部分の読みにくさに関してですが、私の場合、特に情緒的な文章を読むとき大抵頭のなかで音読しながら読むことが多いんです(というか、そうしないと読めないんです。もちろん実際の音読とは微妙に違うのですが.......)。で、そのせいもあるのだと思います、シンプルに途中で息切れしてしまって読むのがしんどくなってしまうというのがあるかもしれません。かといって分量的には一気に読んでしまいたい誘惑にかられるので、そこで感覚の齟齬が生じるという感じです。 あとは視覚的イメージの話になりますが、一つ一つの言葉に対してイメージを膨らめせていくと、頭の中が自分のなかにある青のイメージでどんどん埋め尽くされてしまいパンクしてしまうといえばいいんでしょうか、、「青の断章」どころではなくなり「青の氾濫」となってしまう感覚を覚えました。 とても個人的な感覚なのですが、少しでも参考にしていただければと思ってコメントしました。 最初と最後の1行は個人的にはとても味わい深く読ませて頂きました。「青にはなれない青。見られることのない青。」はそこに人生を重ねることもできるかもしれません。どこかとても切ないですし、「眼はいつまでもその姿を見ることができない。」という自己言及のパラドックス的フレーズもとても好きです。ロラン・バルトの「エッフェル塔」というエッセイを思い出しました。 (青の断章)

2017-09-02

>自分だけ作風がちょっと頭でっかちなのじゃないか、と憂鬱になったりもしますが……。 いや、そんなことはないと思います、どちらかというと読み手としての私の問題かなと...。というのは自分は小説読むときなんかも基本的に頭の中で映像化・音声化してからでないと読めないので読む速度が遅いですし(論理的文章だとまた違うのですが)、意味を理解するのにとても時間がかかるタイプなんです。ただ、友人のなかには自分の倍くらいのスピードで読んでも自分以上に中身を理解している人などもいるので、そうした人それぞれの特性の違いも関係しているのかな、と感じました。文章を読むのが速い人に話を聞くと必ずしも文章を映像化・音声化しているわけではなかったりして驚いたことがあります。 (道へ)

2017-09-02

文章がただひたすら美しすぎます。言葉が生み出す色彩だけで頭のなかがいっぱいになってしまい、私の脳内で容量不足発生、肝心の詩の内容をイメージしようとするときに、例えば古いパソコンで動画がカクカクしてしまうような独特の感覚になってしまって全体をうまくイメージできない、でもひたすら美しい。そんな不思議な体験をしています(断片的な映像は浮かぶのですが、それぞれがどうしても繋がって行ってくれない)。どちらにせよ何度読み返しても言葉とリズムの美しさに目と脳がくらみます。 「鶯の歌も、遠い街の花火も、幻想は波のうえでだけ舞うのであって、乾いた土が濡れるのはただ、紙片がめくられつづけるからだ」はこの一文だけでもものすごく味わいがあってとても好きです。暗唱したいくらいです。 (道へ)

2017-09-02

完備さん >「ヘタクソだと感じました」 そうですね。自分でも読めば読むほど下手くそですね。コメントありがとうございます。 (薔薇の花弁)

2017-09-01

6行を6連、しかもすべての行を(空白ふくめて)同じ文字数にしてしまった技術的な凄さもさることながら、文字でできた正方形の塊が6つあるという一種の威圧感というか、とんでもない存在感にまず圧倒されました。そして、躊躇しながらも読み始めて、すこしずつ見え始める景色はコンクリートのようにソリッドな外観からは想像もつかないほど繊細で柔軟な広がりと揺らめきを持つもので、その対比が、分厚い石のカーテンで仕切られて全く見えない向こう側を、そこに開けられたとても小さな窓から覗き見るような感覚を生み出していると思いました。 表現に制約があると逆に想像力が刺激されて景色が広く感じられたりするものですが、こんな方法があったんだと、とても新鮮でした。それと同時に、響き渡っているはずの「奏楽」がとても遠くに聞こえ、「決して自分がその風景の一部になることはないんだ」という、詩で表現されている世界に対する一種の疎外感を感じてしまったのも否めません。それは裏を返せば描かれている風景にとても憧れを感じるからこそなのですが...。 ひとによって大きく感想が変わってくる作品だと思うので色々な方の感想も見てみたいです。 (奏楽)

2017-09-01

徐々にでいいから さん 嬉しいコメントありがとうございます。詩って嘘をつかないものですね。キザなことを考えてるときは自然と言葉もキザになってしまうのかもしれません。よくも悪くも自分がそのまま出てしまう、というのが詩の一番の面白みの一つなんじゃないかなと個人的に思います。 (薔薇の花弁)

2017-09-01

まりもさん 私はバラがとても好きなんですけど、バラが枯れていくときのあの感じが最初は衝撃的で「なんて汚いんだろう」と思ったのを思い出します。でも、そんな枯れ方がどこか人間に似てるな、とも思っていて、美しさについて、特に人間が持つ美しさと醜さについてよく考えさせられます。 それからバラを「薔薇」と書いてしまうことで発生する引力というか重力には凄まじいものがありますね。「薔薇」という字面にまとわりつくどこか退廃的で耽美な世界観とか滅びの美学とかにはそういうのには強く反発する自分がいて、それでも、まりもさんの言葉を借りれば結局自分自身が「若く美しい間に散りたい、という、美意識を持っている人」(あるいは過去形になるのかもしれませんが...)なのかもしれないな、、などと鏡に自分の顔を映し出されたようにも感じました。 (薔薇の花弁)

2017-09-01

この詩かなり好きです。やりすぎると品が悪くなってしまいがちなところを、丁度いいところで整える、そんな絶妙なユーモアに知性を感じさせられました。「角が立つ」という冒頭から連想したのですが、初期の夏目漱石のあの独特のユーモアとどこか共通のものがあるような気がします。こういう風に書けたらなあ、、と憧れさえ感じます。 (斜になる)

2017-09-01

補足: 自分がこれを読んだときに感じたのはもしかしてこれは単なる恋愛の詩ではなく、モチーフは実は死別なのでは、という連想でした。だとすると文体のライトさと内容の深刻さの対比が物凄く重たいものになって、鳥肌がたったんです。(あくまで、深読みなんですけどね...) (Adieu...)

2017-09-01

とても素敵な詩で何度も読み返しました。情景がくっきり立ち上がって、音まで聞こえるようです。「細かい傷が目立つ/しかし清潔な/ガラスのコップ」が自分にもとても愛おしいもの(ひと)に感じられ、この詩の隠喩がもつ独特な曖昧さそのままで、この叙情的な世界観に浸っていたいな、とそう感じられました。 (contour)

2017-09-01

何回も繰り返される「また逢えるよな/サヨナラじゃないよな」のフレーズは「また逢えるよな(?)」「サヨナラじゃないよな(?)」という問いかけとも取れるし「また逢えるよ(う)な/サヨナラじゃないよな」とも取れるように感じました。深読みしすぎなのかもしれませんが、このフレーズをこの二重の意味で捉えながら読むととても胸が締め付けられます。最後のほうで二回繰り返される「すべて 本当だよ」が何かしら不穏な出来事を暗示しているようで、また何とも切なく感じられました。 (Adieu...)

2017-08-31

三浦果実さん 何かしらテーマを読み取ってくださり「私もこのテーマで書きたくなった」と言っていただけるのはとても嬉しいです。もしかしたら、私が自分で思っているよりもずっと「他者の美意識や感覚の差異」についての詩なのかもしれないな、とコメント頂いて気づきました。ありがとうございます。 美意識の差異ってどうしようもなくって、それでもその差異に寛容でいられる人には憧れます。結局そういう一種のおおらかさがその人の美意識を深めるものなのかもしれないな、と思ったりします。 (薔薇の花弁)

2017-08-31

追記: 発起人の方の作品ということで思ったことをズバズバと書いてしまいましたが、そういえば、酷評しておきながら具体的な理由を書いていませんでしたね。マナー違反で失礼しました。 「詩が本来持つべき内発的な何かが作品から根本的に脱落しているように」感じた理由というのは、コメントに対する三浦果実さんのレスのほうにはそうしたものを強く感じたにも関わらず、コメントで語られているその熱い思いが詩からはあまり感じることができなかったということです。前回の「持論」もそのように感じたというのも大きいです。作品よりもむしろ私コメントに対するレスの方が持論としてきちんと成立していると感じたくらいで、今回もコメントと作品が逆だったら表現としてより説得力があるのにな、と感じました。なかなか作品の内容そのものに触れることができずすみません。 (夏のハルディン急行)

2017-08-30

全体としてリズムや比喩がそれなりに計算されていて、詩としての形をそれなりに保っており、さらにそれなりのひねりも加えられているのにも関わらず、詩が本来持つべき(だと私が個人的に考える)内発的な何か(作者の動機や衝動、思想などとといいかえてもいいのかもしれませんが、承認欲求を超えたもっと切実なもの)が作品から根本的に脱落しているように感じました。 細かな表現一つ一つに感じる若干の違和感については、まりもさんがコメントのなかですべて語り尽くしてくださっている感じで同感です。とくに2連目は...。 あるいは、もしかしたらこれが音楽の歌詞だったら、ものすごく魅力的だったのかもしれないな、、と感じたりしました(ネットで「ハルディン・ホテル」で検索したときに、平沢進さんという方のそのタイトルの曲がヒットして聞いてみたんですが、ああ、もしかしたらこういう音楽が三浦果実さんの頭のなかで流れていたのかもしれないな、、と詩のイメージと一致する部分がありなんだか妙に納得したりしました) (夏のハルディン急行)

2017-08-30

冒頭の「わたしには拇指か人差し指がない/あるいはどちらもなくて/なにか余分なものがついただけ」がとても印象的でした。何か喪失感というか虚無感というか、心の中で何かがひどく欠落してしまって、もうどうしようもなくなってしまったもどかしさや痛みみたいなものが伝わってきました。これはなかなか凄い表現だな...と。とても好きです。 ただ、もし仮に最後の「純白」が「純潔」を指すのだとしても(自分はそう読んだんですが)、そうでないとしても、全体にもう一捻りあればより味わい深い作品になったのではないかと思ったりします。というのは「もう戻ってこない」ものとして「上履き、筆箱の中身、食卓、」が挙げられていて、それらが戻ってこないことの意味を一つ一つ考えた時に、激しい痛みを読み手として感じたからで、詩のなかにこの3つを失うことに関する表現がもう少しあったら全体のまとまりとしてもよりよかった気がしますし、「わたしには拇指か人差し指がない/あるいはどちらもなくて/なにか余分なものがついただけ」という表現がさらにインパクトを持ったのではないかと感じました。 (拇指)

2017-08-30

なかたつさん とても丁寧に読んでくださりとても嬉しく思いました。私はあまりこうした解析的な読み方を普段ほとんどしないのですが、こうして丁寧に解析していただくと自分でも見えなかったところが見えてくるように感じます。  <展開される詩行は「未来」について語られたものですが、その「未来」を「過去」と置き換えても違和感がないようになっています。> これは鋭いご指摘です。それが意図のひとつだったので。。 <これは、これから起きるはずであることを先取りしたものなのか、それとも、過去に起きたことが未来に繰り返されることを予測しているのか。> 自分のなかには、この点に関してはっきりとした答えというか前提みたいなものがあるのですが、あえて明言は避けます。が、この詩で一番表現したかったことの本質に触れてくださっている一文でしたのでとても嬉しく思いました。この詩全体が、なかたつさんのこの言葉の周辺にある感覚と感情に関するものなんです。作品としてもう少し上手に表現したいと思っているので、これからもこの感覚・感情の表現にトライしたいと思っています。 他にもドキッとさせられるご指摘がいくつかありました。中には「まさにその通り」というものもあり、そうした点を共有できたことをとても嬉しく思います。 丁寧なご感想ありがとうございました。 (未来の)

2017-08-27

まりもさん コメントありがとうございます。なるほど、確かに架空恋愛としても確かに読めますね。私にとってとても新鮮な解釈でとても嬉しく思いました。 実は詩の着想となる具体的なモチーフ(人生のおける出来事とでもいいったほうが正確かもしれません)があってそれをもとこの詩をに書いたのですが、 そのモチーフを直接連想させる言葉はできるだけ削って、読者に解釈の余地を多分に残した抽象性を持たせる、ということを今回強く意識したんです。 <美しい思い出だけを残して、全てを(事前に)棄ててしまいたい。そんな未来を憧憬しながら悲嘆するという、不思議なジレンマが歌われているように感じました。> 自分が詩にすることでしか表現できなかった感情、感覚をこうして読んでくださった方が言葉にしてくださるのがとても嬉しいです。「ああ、そうか自分の表現したかった感覚って論理的に説明するとこういうことなのか」と。「未来を憧憬しながら悲嘆する」はまさしくそのような言葉です。 (未来の)

2017-08-27

ご対応頂きありがとうございます。ただいまgmail宛にメール致しました。ご確認のほど宜しくお願い致します。 (《雑談/議論/自己紹介スペース》)

2017-08-27

修正: 「タイトルにも「夜」からそのように感じるのかもしれません。」 → タイトルにすでに「夜」が含まれていて、そこからすで夜のイメージは十分頭の中に広がっていくのに対して、「夜」が二重になることで「重さ」に関するイメージが限定されてしまう感じがしてしまう。 という感じのことをいいたかったです。 文章を修正中に「送信」をおしてしまい、連投してしまいました。すみません。。 (夜の水遣り)

2017-08-27

この短さがとても好きです。たくさんの音や色が実際に見える気がして詩の持つ世界にグッと引き込まれました。都会の狭いアパートのベランダ、とそこに置かれたいくつかのプランター。外から聞こえてくる車の音、ブザーの音、切り替わる信号の色、遠くの電車の音、ジョロで水をあげる音、花の色、窓から吹き込む風の音、室内のテレビの音、切れかけた蛍光灯の色。。 少し勿体無いな、と感じたのは「夜の重さ」と書くことで「重さに揺れる花」のイメージが「夜」という言葉にしばられてしまうことで、頭の中で「重さ」に関する連想が重なっていかないもどかしさを感じました。おそらく、タイトルにも「夜」からそのように感じるのかもしれません。 (夜の水遣り)

2017-08-27

言葉をできるだけ削っていく姿勢、とても好きです。また「赤い旗」を「〜赤い/旗」と改行することで生まれる独特のリズム感・独特の突き放すような感覚に対して、最後ではそこを改行せずに「赤い旗」と書くことによって生まれる対比・最後の連での風景の広がりにハッとさせられました。 それから「彼らは今頃赤/い旗の向こうで生活/でもしているのか愚問」のフレーズがかなり好きです。 (手を振る)

2017-08-27

追記: ちなみにパスワードを保存されているブラウザは一度ログアウトしてもログインできます(http://breview.main.jp/keijiban/login.html)。ただ、こちらのブラウザでも他のログインページ(http://breview.main.jp/index/login/)ですと同様の問題が発生します。他のブラウザや端末から新規ログインしようとする場合はどちらの画面でも同じエラーが表示されます。 (《雑談/議論/自己紹介スペース》)

2017-08-27

すでにログイン済みのブラウザ(パスワードを保存させている)ではログインした状態で使えているのですが、他のブラウザや他の端末で新規ログインしようとするとログインできません。パスワード再発行画面でユーザー名、メールアドレス、いずれを入力しても「登録されていないユーザー名・メールアドレスです」という趣旨のエラーメッセージが表示されます。何かの不具合でしょうか?ご確認のほど宜しくお願い致します。 (《雑談/議論/自己紹介スペース》)

2017-08-27

好みはいろいろだと思いますが、自分はこれ好きです。最後の一文が特に。抑え気味の淡々とした流れのなかで、相手に対する本当の気持ちが最後にどうしても抑えられなくてはみ出てる感。 (好きだった人にいっそ嫌いと言ってもらいたい)

2017-08-26

三浦果実さん 鋭い感想をありがとうございます。 「明るい未来を望んでるのに、最初からバッドエンドはわかってんだよ、という切なさなのかもしれないし、その切なさを、今作「未来の」は表現したかったのかもしれない。」 ニューシネマの映画自体はあまり観ていないのでニューシネマの雰囲気についてはあまりよくわからないのですが、それでもこのご指摘はかなり近いです。この言葉で表現して頂いて自分でもはっとさせられたくらいです。こうして自分の表現したいことを形にすることで、他の人が自分のことを自分より正確に映し出してくれるということもあるのかもしれませんね。何かしらの形で自分を表現をすることの意味を新しくひとつ見つけた気がします。 「その視点でみると時間軸のねじれ方がよくわかるんだけど、何かもうワンパンチ足りないような気がする。」 これはおっしゃる通りなんです。できるだけ重たくならないように、センチメンタルになりすぎないように、深刻になりすぎないように、ある意味突き放すように、ということにかなり気を使って書いたのですが、なかなか難しいものですね。「時間軸」に関してはまだまだ表現したいこと、表現しきれていないことがあまりに多く、これから少しずつ深めていきたいと思っているテーマの一つです。 (未来の)

2017-08-25

返信ありがとうございます。なかなかに衝撃的な内容でした。 ノーマル日常生活のまま「ゾーン」へ突入することが出来ないかと、考えておる次第です ノーマルであることを厳しく自覚しながらも「自死する者が異常な状態にて直前に現すであろう言葉」としての「狂気」に、ある意味激しく憧れ、その境地に達するために自分の心身を激しく痛めつけていく。三浦果実さんの定義する「狂気」とは違うかもしれませんが、これは私にとってはある意味立派な「狂気」です。HAneda kyou さんのの最後のコメントに通じるものがあるかもしれません。 そういう意味では、ひとつひとつの作品だけでは決して完結しえず、三浦果実さんの生き方、言動そのものが、あるいは作品となるのかもしれませんし、もしかしたらそうした作品を意図されているのではないか、、などといろいろと深く考えさせられました。表現することに本質に触れる問題を提起してくださっているように感じますし、表現物がそれ単体では「表現」として完成しえないことの多さについて考えさせられます。形式が持つコンテキストからは独立し得ないということもそうですが、表現者自身がもつ文脈とは無縁ではいられないということについてです。 (私個人としては表現そのものが単体としてもつ強度や普遍性というものに対してもっと純粋でありたい、と望んでいますが、それはもしかしたら叶わないことなのかもしれないと思ったりもします) (詩論:再び偽りに終わったとしても)

2017-08-25

花緒さん コメントと素敵な解釈ありがとうございます。解釈そのものが一つの作品のようで、このようなコメントを書けるのはとても素敵なことだと思います。個人的には解釈をあえて公にすることに関して、ちょっとした違和感をいままで感じていたのですが、いざ自分の書いたものに対して解釈をいただけると、こんなに嬉しいものなのかと、経験としてとても新鮮なものでした。改めて自分の詩を読んだときに新たな景色が見えてぐっと視界が広がったような気がしました。ありがとうございます。 (未来の)

2017-08-25

ネットにはたくさんの言葉とか写真とかイラストとかが溢れていて、たくさんみてもらいたいとか、もっと「いいね」が欲しいとか、そんな欲求が世界を回しているけれども、すごく好きなものって「いいね」もなにもしないでそっと自分の携帯に保存して何度も何度も見返したり、読み返したり。本当はそれが一番純粋な鑑賞方法なのかなと思ったり。でも、そうしてるだけだといつのまにか作るのをやめて消えてしまうひとが多かったり。せっかく素敵だったのにって残念になるけど、でも反応や共感ってどこまで本物で純粋なんだろうっていう一種の疑いもあって、あえて反応しないでいたい自分がいたり。。あえて反応してみてあとで自己嫌悪に陥ったり。。なんだか自分でも意味不明ですが、そんなことを色々と考えさせられるくらい好きな作品でした。「好き」しか言葉がないのかと、ちょっと情けなくなりますが。 (不法投棄)

2017-08-24

「生きた人はもう、/ずいぶんと前に/作りました」の部分の衝撃が深く深く余韻を刻んで何度も読み返してしまいました。本当に好きな詩に巡り合った時っていつも言葉を無くします。あまりに語ってしまうと何かがダメになりそうに感じてしまって、ただただ何回も読み直します。 (手作りの命)

2017-08-24

ものすごく素朴な感想なのですが、「狂気を書こう」とすればするほど、それは狂気からは離れていくような気もします。何をもって「狂気」とするか、の捉え方の問題なのですが、個人的には「狂気」ってもっと日常的な姿をしているイメージなんです。何をもって「狂気」とされているのか、三浦果実さんにとっての「狂気」とは何かっていう部分をもっと読みたかったな、、という気がします。こちらの読み取り不足もあるのかもしれませんが。。 (詩論:再び偽りに終わったとしても)

2017-08-24

「ずるぷかる君」というネーミングあまりに秀逸で、このネーミングがなければあるいは最後まで読めなかったかもしれないな、と思いました。こればかりは、なかたつさんの意図もあるのでどうにもならないことなんだと思いますが、最後にもう一度「ずるぷかる君」に会いたかった気がします。個人的には「ずるぷかる君」ということばの響きとその響きが喚起する豊富なイメージ、それから「23:15:53」を口に出して読んだ時に自分が感んじた語呂のよさ、がこの作品で特に気に入ったポイントでした。 (縁)

2017-08-24

「すくってもすくっても/てのひらは濡れず/ただ指の間を流れ去る」の部分がとても心に響きました。昔大好きだった石川啄木の歌を思い出したからかもしれません(「いのちなき 砂のかなしさよさらさらと 握れば指のあひだより落つ」)。 流れるように滑らかな文体にはどこか視覚を刺激するものがあり、美しい波文様をみているような気分になりました。とても好きです。 (流露)

2017-08-23

リズムがとても気持ちいいです。音楽的でとても好きです。ただ、「男も、喫煙者も、北朝鮮人も」の下りが(時勢的な問題もあるのだと思います)私にはノイズが多い言葉となってしまうのか、ひっかかりを感じてしまい全体のリズムを壊されてしまったように感じとても残念でした。全体のリズムがとても心地いいからこその感想です。ただそれだけひっかかりを感じてということは、その部分がもしかしたらこの詩のなかで一番大事な部分だったりするのかもしれませんね。 (ローリン、ローリン)

2017-08-23