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ソナチネ   

作成日時 2019-10-07
コメント日時 2019-10-28

レースのカーテンで境界を滲ませて、揺らぐ呼吸のふくらみを陰影の濃淡に柔らかく包み込んでひかりは、些細な神経の震えさえも逃さずに、すべやかな肌に感傷を縫い付けてひとつ、またひとつ、ひそやかな 波に喩えてみたとして果たして。 憂いなど、なおさらで 時間の裂け目はそれぞれ頭をもたげて滑らかな砂のようにするりと線を越え、いよいよ淡く襟足をとかして少しずつ位置をずらしながら語り合うようだ。 静か。 その音は風に抱擁されて籾殻になってしまった。パチンと弾けたのはとても遠くのことで、その上澄みだけを濾過して風はまた色調を変えながらしたたか。 それは激しい混濁のような弦の響き なのか。 桐の木目は息の長さで旋律を手繰り寄せながら、同時に哀願を突き放して結び目は固く、固く。絞るように。 深く群青色に沈んで、記憶は黒い髪を水に浸して夜を窒息させた。小舟。結んで安らかに。揺らいで安らかにさめざめと遠くへ手放してソナチネは耳元にそっと。 逢えたならば、また歌えるように。


項目全期間(2020/01/22現在)投稿後10日間
叙情性83
前衛性00
可読性71
エンタメ11
技巧113
音韻72
構成92
総合ポイント4312
 平均値  中央値 
叙情性1.61
前衛性00
可読性1.41
 エンタメ0.20
技巧2.22
音韻1.40
構成1.81
総合8.64
閲覧指数:1903.2
2020/01/22 18時33分56秒現在
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コメント数(18)
survof (2019-10-07):

過去にオムニバスで投稿したものから抜粋して改稿したものです。 https://www.breview.org/keijiban/?id=3798

黒髪 (2019-10-07):

まず、境界という言葉が、面白いと思いました。境界の詩というのは、読んでみたくなります。 呼吸のふくらみという言葉は、ふっくらしていて、親しみが持てます。 読んでいくと、どうも海なのかという感じを受けたのですが、はっきりとは示してはありません。 >それは激しい混濁のような弦の響き >なのか。 この部分からは、吉増剛造の詩を、連想しました。「なのか」という問いかけが、読者に提示されていると 思いました。 >小舟 ちんまりしててかわいい感じがします。 >ソナチネは耳元にそっと 静かに終わりますね。 全体的に、誰が何を語っているか、ということを、言わずにでも詩が成り立っているのは、 映画を見るように仕掛けられているからなのかな、と思いました。つまり、イメージと音、 さらに、抽象的な感覚を、作り上げられた詩で、意識という難しいものを、下に見据え、 飛び跳ねていくような、自由度が高くて、語り手の意識は実は弾んでいる、かのように、 思えました。一種の神が(神の視点)、好きに踊っている感じがします。 この、踊るということは、詩については、静止と共に、重要なことだと思います。 つかみどころのない メッセージでいえば、 >結び目は固く、固く といった文は、固い物事が、やはり、強く確かめているようです。 リラックスしたムードのある世界観を作り上げるのは、なかなか難しいと思うのですが、 この作品は、割とそういったことを、軽々と作り上げているという感じです。 「ソナチネ」の映画を、見てみたくなりました。

survof (2019-10-08):

黒髪さん 丁寧に読んでくださってとても嬉しいです。境界はずっと前から折に触れてテーマにしてきたことなんですが、なかなか表現したい「境界」をいまだにうまく表現できずにいます。裏を返せば、うまく表現できない間はこのテーマをいつまでも掘り下げられるということなので、逆にうまく表現できてしまうというのは寂しいことなのかもしれませんね。 >全体的に、誰が何を語っているか、ということを、言わずにでも詩が成り立っている このように言っていただけるのがいちばん嬉しいです!抽象的な感覚、自分でもはっきりとは言葉にはできない感覚をなんとか言葉にして伝えたいという気持ちがあります。これもやはりなかなか満足には達成できないテーマではありますが、でもこのように読んでくださる方いるというだけで書いた甲斐があるというものです。 >意識という難しいものを、下に見据え、 つまりご指摘の通り「意識」なんだと思うんですよ。あるいは「無意識」なのかもしれない。ここで言葉の意味をどれくらい浮かび上がらせるかがとても課題で、あまりはっきりさせてしまうと「意識」よりも「言葉」が前に出てきてしまって、それは「意識」ではなくて「思考」や「感情」に接続されてしまうんです。でもあまりに訳のわからない言葉を使っても今度はまったく読めない作品になってしまう。そのさじ加減にいつも苦労しています。もっと精進せねば、と思いました。

真清水るる (2019-10-25):

さきほど 私の住む地域で レースのカーテンのような粉糠雨がふりました。 大気に波のある光景を見ていると、あ こんな風な詩を ビーレビで読んだ気がするなあと思って、探してみました。見つけました。この詩です。 音楽は、唄やリズムは、言葉では超えられない世界へと いざなってくれます。 しかし、言葉を超えた世界があることを知らせてくれるのは やはり言葉。 この詩にある呼吸のような強弱のある波は  なにがどうしたからという屁理屈を、越させてくれる風みたいに 私には思えました。 この詩は超越へのドアみたいな詩だと思います。   この詩を読むと、なにか素敵なことに出会える気がしてきました。

survof (2019-10-25):

るるりらさん >この詩にある呼吸のような強弱のある波は  >なにがどうしたからという屁理屈を、越させてくれる風みたいに 私には思えました。 嬉しいご感想ありがとうございます! ゆっくり呼吸しているような、あるいは潮の満ち引きのような、空気のような、なんかそんな感じのもの の上に言葉を浮かばせて それからまた 自分の五感が言葉に溶けていってぷかぷかと まどろむ ような もしかしたらこれは眠気なのかもしれない。 自分は寝ていてずっと夢を見ているだけなのかもしれない。本気でそんなことを感じたりすることがとても多かったりします。

よんじゅうよんじゅう (2019-10-25):

執拗なまでの描写に執念のようなものを感じ、と思ったんですがぼくはそういうの嬉しく思うタイプの人間なので読みごたえありました。題名のソナチネって響きがほんのちょっと憎たらしい印象でした。

survof (2019-10-25):

よんじゅうさん ありがとうございます!ちょっといろいろな書き方を試していて、最近投稿しているいくつかはこんな感じのちょっとくどい感じのやつを試してみてます。これで表現の幅が広がったらいいのにな、って思ってるんですが、どうしてもスタイルにハマっていく傾向があってなかなか苦戦してます。 題名は「sonatinen」とかにしたらもっと憎たらしくなったかな?笑。ちょっと恥ずかしいタイトルだな、と自分でも思いつつ、やっぱりこのタイトルの作品を一回は書いてみたかったんですよ。

南雲 安晴 (2019-10-26):

 これは手強い作品である。もし「言葉で音楽をやれ」とか「言葉で絵画をやれ」というコンテストに出された作品であるなら、準優勝するであろう。優勝作品にはやはり文学的要素が要ると思う。優れた音楽や絵画を鑑賞する時、私たちは何か文学を読むような感じもしないだろうか。  つまりここで私が思うのは、この作品は文学にしかできないことをしていない、ということである。このことについて論ずることは今の私には無理だ。大きな、難しい問題である。この私の思いを分かってくれる読者がいるだろうか。  確かに言葉の芸としてはすばらしい。  残念なことは、一つは、最後のあたり、具体的に「ソナチネ」という用語が出てくることである。ここは私なら「楽の音」としたいところだ。  もう一つ残念なのは、これも最後、最終行が美しくないことである。ここまで過剰なまでに美しかったのになぜだろう。  文学、これが何なのかを論ずることを今回保留にすることを許されたい。私も作品を書く人なので、文学を実践することでこの問題に向き合いたい。

原口昇平 (2019-10-26):

西洋古典音楽の演奏家になるための専門教育を受けた経験がある私は南雲さんとは真逆の感想を持っていて、この作品は音楽には絶対にできない、とくに日本語の詩にしかできないことをよく追求していると思います。その取り組みはどこに現れているかというとこの詩独特の文体です。survofさんはやっぱり文体の人なんだなあとつくづく思います。意味内容は文体に左右される、思想は文体にこそ宿る、だから文体の追求こそ作品制作であると考えておられるふしがあるなと、初めてsurvofさんの詩を読んだときから思っていました。

survof (2019-10-26):

南雲さん >文学、これが何なのかを論ずることを今回保留にすることを許されたい。私も作品を書く人なので、文学を実践することでこの問題に向き合いたい。 コメントから南雲さんにとっての「文学」というものがバシバシ伝わってきてものすごくアツいものを感じました。やはりそういうアツさってとても重要だと思っています。私にとっての「文学」はおそらく南雲さんの「文学」とはちょっと違うものですが、違う文学観を持っている方のご意見のなかに非常に大切なヒントが隠れていることもあるのでコメントとても嬉しく思いました。 まずは些末な点から。 >残念なことは、一つは、最後のあたり、具体的に「ソナチネ」という用語が出てくることである。ここは私なら「楽の音」としたいところだ。 「楽の音」としてしまうとその音楽がピアノで奏でられるものであるという情報が欠落してしまうんです。 確かに言葉としては「楽の音」とすることで日本語としての美しさはもしかしたら増すのかもしれない。けれども、私はどうしてもここはピアノのイメージを喚起させたかったという意図があります。ただ、それが意図通りに効果を発揮しているかどうかは別ですね。具体的なイメージが伝わる前に読者が引っ掛かりを覚えるのであればそれは適切ではないということになります。引っ掛かりを覚えられたのはどうやら南雲さんだけではないので、ちょっと再考の余地はあるかな、と思っています。 >もう一つ残念なのは、これも最後、最終行が美しくないことである。ここまで過剰なまでに美しかったのになぜだろう。 最終行はとても大切な一行なんです。なのでそこだけはどうしても強調したかったというのがあります。そこだけ外す必要があったということです。 部分的な強調の際にはいくつか手法があると思うのですが、私がよく使うのはモードを一気に変化させるというものです。作品全体が言葉の美しさに傾倒しているようであれば、強調したい場合はそこだけあえて外す、あるいはその逆、みたいなことはよくやっている気がします。 >優れた音楽や絵画を鑑賞する時、私たちは何か文学を読むような感じもしないだろうか。 話がそれますが、私が大好きな抽象画の作家の中にマーク・ロスコとゲルハルト・リヒターがいます。マーク・ロスコの作品には本当に精神的に深く押し迫ってくるものがあり、彼自身「ベートーベンやモーツァルトが音楽でしたことを自分は絵画でやりたい」というようなことをいっています。 一方のリヒターはロスコの作品があまりに宗教的でエモーショナルであるとして、彼の作品を鋭く批判しているんです。抽象絵画はもっと「絵画についてものであるべき」、つまり「絵画そのもの」を主題とすべきである、と。つまりリヒターにとっての抽象画は本人曰く、感情や個人的思想を表現するためのものというよりも、もっと純粋に絵画的なもの、つまり色彩や構図やマチエール、あるいはもっとメタなテーマである「絵画そのものの存在意義」「写真と絵画」といったことを追求するためのものであると、そういうわけなのです(多分)。そのためリヒターの抽象画はどこか鑑賞者を拒絶するようなところがある。 一方でそこに絶対的な美があることも真実で、彼自身、別のもっと後年のインタビューでは「美は普遍的なもの」であって、それはなければならない、といっています。彼の態度には少し変化があったようで 「ある人々がロスコの絵をみて涙を流すように、あなたの絵をみて人々が涙を流しても構わないのか?」 という(リヒターのロスコへに批判的態度を念頭にいれた)問いに対して「構わない」と答えています。 さて、こうした事例を出したのは南雲さんの「文学にしかできないこと」に関して考えを深める参考になると思ったからです。もちろん、作品が「文学にしかできないこと」をするべきなのかどうか、を問うことは非常に重要なことだと思いますが、そもそも「文学にしかできないこと」とは何なのなのか?をもっとシビアに考えてもよいと思っています。 私はロスコが「音楽を絵画で実現できた」とは一切思いませんし、リヒターの抽象画が本人がいうほど即物的であるとは思いません。逆に「絵画でしかできないこと」をできたかどうか、という点で考えるとリヒターのほうが「絵画でしかできないこと」を追求しているのだな、という印象があります。 こう考えると、例えば「「中身のない」言葉の芸」は「「文学」でしかできないもの」の一つではないかと私には思えるのです。 普通、形式は中身や意味を伝えるための媒体、器として機能しますが、その逆があっても面白いのではないか。つまり中身や意味が形式のもつ美しさ、繊細さなどを伝えるための媒体、器として機能する作品があってもよいのではないか。 私は、そういう意味で、作品の持つストーリー性、言葉の持つ意味、思想性といったいわゆる中身は、なくてもいい、とまでは言わなくても少なくとも副次的なものとして扱っている節があるのかもしれません。 (これは原口さんがコメントのなかで直接言及されている通りです)

survof (2019-10-26):

原口さん >意味内容は文体に左右される、思想は文体にこそ宿る、だから文体の追求こそ作品制作であると考えておられるふしがある 南雲さんへの返信にもお書きしたとおり、まさしくそんなことを考えておりました。 音楽との関連性でいうと、意味内容を伝えることは音楽でも可能だと思います。その点においては文学がより有利な立場にあるように一見思えるのですが、実はそうではないのではないか。確かにストーリーを伝えるという意味では文学はかなりのアドバンテージを持ちます(映画やアニメは遥かに効果的ですが)。加えて論理を伝える点では文章は最強かもしれません。しかし、感情や思想を伝えるということになると、その優位性が揺らぐことがあるのではないか、と思うのです。勿論「思想」をどう捉えるかによっていろいろな意見があるかとは思います。 加えて、私は小学生くらいのときに日本の古くからの和歌や現代短歌にすごく魅了された時期が何度かあって、日本語文学の様式美みたいなものにはかなり影響を受けている気がします。文体ということでいえば、例えば谷崎潤一郎の「春琴抄」からあの文体を除いたら一体どれだけのものが残るんだろうか、と考えたりするんです。「春琴抄」はあの文体だからこそあれだけ深い感慨を残すのであって、それこそ文体に思想と意味内容が宿ったいい例ではないかと考えたりもします。もちろん遠く及びませんが・・・。 と、あまり考えがまとまっていないまま書き連ねたので突っ込みどころ満載ですが、ひとまず返信とさせていただきます。

survof (2019-10-26):

追記: よく考えてみたら「春琴抄」はプロットだけでも十分楽しめるから例としてはちょっと違う気がしてきました。日本文学の有名作品だと川端康成の「雪国」のほうが例としてはふさわしいのかもしれません。プロットそのものが割と空っぽなので。

楽子楽子 (2019-10-26):

 私はsurvofさんの詩を読むたびに世界が救われる気がします(笑)(いや笑いごとではない)  依然逃げ水の感想に返事をくださったときに、勧めていただいた四つの詩のうちのひとつですね。私が四つの中で一番好きな詩でもあったのでうれしいです。   「レースのカーテンで境界を滲ませて、揺らぐ呼吸のふくらみを陰影の濃淡に柔らかく包み込んでひかりは、些細な神経の震えさえも逃さずに、すべやかな肌に感傷を縫い付けてひとつ、またひとつ、ひそやかな 波に喩えてみたとして果たして。」  こういう瞬間、あるんですよ本当に。  「カーテンのふくらみ」をみたときに感じる、あのうつくしさ、泣き出したいくらいの柔らかさなんです。私にはこれだけで終ってしまう世界を切り取って広げて、美しくしてしまう。すごいです。  私にはカーテンのふくらみを波にたとえられた時点で勝ちのようなものだけど、survofさまはそれではまだ足りないんですね。  そこから境界を見つめる、以降へと繋がっていくのはもう圧巻でした。  ふくらんで、しぼんで、ゆらいで、押し寄せて、ひいて、  不安になったり幸福になったりしました。  素敵です。

survof (2019-10-27):

楽子さん 四つの作品読んで下さったんですね、とても嬉しく思います! >こういう瞬間、あるんですよ本当に。 ですよね?!いやあ、感覚的レベルで共感していただけるのはやっぱり書いて投稿した甲斐があるものです。 時間帯でいえばちょうどご飯食べ終わってぐったりしてる昼過ぎあたりの静かな光とレースのカーテン、とても静謐な感じでうっとりしてしまいます。晴れ時々曇りの日が一番美しいです。 レースのカーテン繋がりだったら、ウタ・バース(Uta Barth)さんという方の写真作品がおすすめです。多分気に入ってもらえると思います。是非是非! http://utabarth.net/work/and-to-draw-a-bright-white-line-with-light/ ↓こっちのほうが作品たくさんみれる http://www.andrehn-schiptjenko.com/uta-barth-solo-exhibition-february-16-march-28-2013/

藤 一紀 (2019-10-28):

何を書いているのかさっぱりわからない。そこがいい。言い直すと、何を書いているのかさっぱりわからないけれど、何かを書こうとしていることがよくわかる。何に触れているのか丹念に注意深く、手探りで確かめようとしているのだけど、はっきりとわからないけれど、その言葉の手つきによって、はっきりとそれとわからないものに触れていて、わからないものがそこにあるのがわかる。そこがいいと思います。 全体的な語感としては柔らかく、且つ弾力もあるおっぱいを連想できました。

沙一 (2019-10-28):

巧みな文章構成には感嘆させられます。とくに改行されるとき、そこに衣摺れの音を聴く思いがしました。ただ、 静か。 といった直截的な語は、無くてもよかったのではないかと思います。レースのカーテンが光りにたゆたっている静けさは、作品内にみちあふれていますから。

survof (2019-10-28):

藤 一紀 さん おお、なんかすごいコメント貰っちゃいました!正直なことをいうと自分でも何を書いているのかわからないのです。でも、何かを書きたいと思ったのは確かで、その何かは確実に何かなんです。書かなきゃいけない何かだったんですよ。あるいは、その何かは「その何かを探るときの手つき」なのかもしれません。全体的な語感の弾力性の具合はかなり微調整を施した記憶があります。

survof (2019-10-28):

沙一 さん ありがとうございます!改行の仕方にはとても気を遣ったのでその部分褒めていただいてとても嬉しいです。 >静か。といった直截的な語は、無くてもよかったのではないかと思います。 なるほど。確かに「静か」っていう言葉でないほうが良かったかもしれないですね。ただ、ここで一度、ピタッと時間を止めたかったんです。もう少し巧みな方法があったかもしれません。ご指摘ありがとうございました。

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