るるりら

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朗読の練習テキストとして優れているので、利用させていただきました。 声色の工夫だのという朗読という点で読むと、なかなか良い作品でした。 コメント欄に実際に記者会見の対処がまずくて 会社をたたんだ会社の名がありますね。その実例の会社って、その後その会社をたたんでいますよね。もしも、該当の方がこのコメント欄を読んだら「人生に起こり得る全てには必ず終わりはあるもんだとは言うものの、お話の世界には賞味期限って ないのかよ」と、嫌なお気持ちになる予感がします。 いまもこんなところで話題にされてしまわれていて、お気の毒です。 本作品の話し手の場合は「ご想像におまかせします。」としか言わない。心の中には 雀がめちゃめちゃのメタに盛んに鳴いている。シュールですね。こんな強靭なスルースキルの人って、現実には そーそー居ない気がします。でも、文芸の中には居る。文芸を愛するのも人間味。人生で なにか失敗をするのも人間味。 ふと、とあるCMの台詞が、頭をよぎりました。「そこに 愛は、あるんか? 」by大地真央 いろいろ考えさせらた作品でした。本作品を朗読の練習に使用しましたので、現実に会社をたたまれた例の会社の方にはなんだか申し訳ないです。ですので、 そっと 祈っとこうと思います。 よかったら、ふじりゅうさんも御唱和ください。 「どうぞ みなさんに幸ありますように」(深々と礼) (謝罪会見)

2019-07-18

●蛾兆ボルカさんへ 過分なお言葉をいただき 恐縮しています。大野一雄で検索をかけ いくつかの動画をみました。 なかでも、もっとも印象に残ったのは、車椅子になってからの彼の踊りでした。車椅子でおどっておられるということは、もっとも年齢を重ねられた時点での踊りだと思われます。私は彼の精神に心を奪われ 感が極まり涙がでました。 そして、目を閉じても彼のしぐさや表情が、わたしの胸に宿ってくるのを ずっと感じつづけています。彼の踊りは、命の礼讃が死のぎりぎりのところで 瞬いているようで 眩しいです。人の心を隔てるさまざなもの(国のよる文化や思考の違い、男女の別。年齢など)を超越した踊りをまえに文字通り「絶句」するしかない。 添付しておられるリンク先も もちろん、拝読したのですが、まだ 胸がつまっています。私の感じたものを、うまく言語化できません。また、言葉なんて超えている方のことを、なんとか言語化しようとする方のいとなみが これまた 美しいです。   私としては、蛾兆ボルカさんが 私に かけてくださつた言葉や情報に なんとか こたえようとはしているのです。  たとえば、たまたま「能」の考え方に触れていて、能の有名な本の中に ごく稀に老の花が咲くことがあると能の考え方が記されていることなども踏まえて、お礼を言わせていただこうとか 考えてははいたのです。ですが、こうやって そのまま言葉にしています。ですが、なんか違う。言葉にしきれないと感じている私が居るばかりなのです。  しかも このわたしが、この素晴らしい方々の言葉に例えられているということが、なんとも もったいなく どうしたら良いか分からなくなるのです。もったいないにもほどがあるのです。ですが、得難い目標となる方と出会わせていただきました。大野一雄。凄い方です。 感謝のあまり、蛾兆さんにお礼すらいいそびれてしまいそうな勢いです。 それでは、あんまりです。もうしわけがたちません。言わせてください。 言葉にできない大きなものを いただきました。ありがとうございます。 (めるふぇん)

2019-07-16

●藤 一紀 さんへ ありがとうございます。とくに、 特に最終連を、きらきらとみずみずしく、健康的で、つられて笑顔になってしまうといっていただけて嬉しいです。 この詩を書いたあと、肉体改造を本気で行いたくなっています。 泳ぎつかれたあとの 笑いみたいなものを体で体験したくなったんです。 いつも最後の行みたいな心境でいたいです。 ほんとうに この詩をきっかけに私の人生が変わります。ガハハハッ ほんとうに、ありがとうございます。 (めるふぇん)

2019-07-16

●タカンタさんへ この詩に必要なのは、技巧とのことでしたね。私は、技巧についての本を読んだり考えたりすることが苦手です。論理思考が苦手だからです。ですが、ご指摘を受けたので、レトリックの本を手にとってみました。たまたま開いたページには、人を傷つけるために発せられた言葉のレトリックの豊富さに驚く。と、説かれていました。そういえば詐欺犯罪者も言葉の技術という意味では、凄いものがあります。こんなことを踏まえると、技巧という意味で自身を改めるまえに、忘れてはならないことがあることに気が付きます。それは、自分はどんな人でありたいかです。  私は「純」でありたいです。技巧を追求しすぎると、「純」からは 離れてしまうことがあります。だから、注意がです。  さて、本題の本作品についてですが、技巧や独創性が伸ばせるとお考えのご様子ですね。言うのは簡単です。しかし、もっともっとを追求しても、物事が良くなるとは限りません。すくなくとも私の場合は、私にとっての技巧を 駆使することで失敗したケースや、より独創的であろうと目指した結果に 失敗したケースが、多々あるのです。  そうかと思うと、私自身にとっては独創性などといったものを、まったく追求したつもりがないにも関わらず「なんて独創的なんだ」と喜んでいただいたりすることも 稀にあるのです。  ひとつ独創性を追及し失敗した例を紹介させていただきましょう。人魚ネタです。独創性を追求して、失敗した例です。わたしは 上半身が魚で下半身が人の人魚という作品を書いたことがあります。自分では斬新であると思いました。ところが、世界は広いのです。んなことを考えていた人は他にもいることを知ることとなりました。しかも、エロい表現を苦手とする私だからかでしょうか?その自作詩を自分で読み返そうとすると、あまりにも辛いのです。私はその作品を自分の手で抹殺しました。わたしの場合は、私にとってはノーマルな発想の程度にしておかないと 私は詩を書きたくなくなる日が来てしまう嫌な予感がします。ごめんない。私は、超絶技巧を感じさせる詩よりも ふつうを目指します。独創性や技術性の高みをめざしても、わたしは成功しないんです。 それから「どうしてもアンデルセンを思い浮かべる人が多いので、それを連想させるべきか、否か、難しい主題です。」についてですが、なんだか、ハムレットの「to To be or not to be」みたいですね。堂々めぐりな詰問で なかなか劇場チックなイカスご意見でした。しかし、ごめんなさい。当の私は あんまり悩んでないんです。  なぜなら、私が どのような作品を書いたとしても かならず一定数の方が、人魚という語からアンデルセンを連想をされるはずだからです。たとえ、上半身が魚で下半身が人という人魚という妙な人魚を書いたとしても、「アンデルセンの人魚とは違うのね。」と、アンデルセンを想う人は 必ずいらっしゃることでしょう。それほど アンデルセンの人魚姫はスタンダードな作品です。 私はアンデルセン作品も好きです。なので、どなたかが私の作品のことをアンデルセンに似ているね。と言う方がいらしたら光栄に思います。ですが、やっぱり アンデルセンはアンデルセン。わたしのは わたしの人魚です。読者のみなさんには、比較する自由があります。しかし、わたしに とっては 比較されようがされまいが、どちらでも 良いです。そうでも おもわないことには、人魚なんて そもそもが、書けないのです。ご意見、ありがとうございました。 (めるふぇん)

2019-07-16

ビーフストロガノフに芸術性はあるに違いないです。 喉元をすぎたあとも カップにかすかにのこるスープに すこしゆらいで現れる虹色 一口つづ口に運ぶほどに体中にみなぎるエナジー おいしい料理をつくることのできる方は 芸術を超えた美ですとも。 御馳走様でした。おいしい詩でございました。 (ビーフストロガノフに芸術性はあるのか)

2019-07-12

コメントが月をまたいでしまったのですが、 わたしは ときどき この詩の最後の行のことを想うのです。 ビブラートかけられた悲しさ すごい一行であると感じます オブラートに他者や境遇など先の見えないトンネルのよう だって ビブラートかけられただから受動的なのですね。 ビブラートを能動的に楽器や自分の声などに効かせることができたら きっと もっと 開放的になれる気がしました。 トンネルの中から脱して、黒髪さんは もっともっと素敵に羽ばたくことの おできになる方だと 私は、感じています。 (目に見えない)

2019-07-12

●左部右人 さんへ 「めるふぇん」という言葉には求心力があったみたいで、嬉しいです。 先行する文献がでてきても オリジナルだと言い張るつもりです。でもまあ、そうはいうものの、この語感は だれがどうみても オリジナル性はあまり感じさせてないですよね。でもね。どなたかが先行しておられたら、その方は 実は人魚なんですよ。(キッパリ) 「真っ白な靴下」は、わたしのお気に入り箇所です。その部分も踏まえたうえで、どつぼと、いってくださって 嬉しいです。泳ぎだしたいほどです。ありがとうございます。 (めるふぇん)

2019-07-12

●st さん まあ童話ですか?この作品は 童話の一部ではないのですよ。正直いうと、これで完結のつもりではありました。しかし、もうすこし ながい文章量にしたら 紙芝居とか絵本とか、おっしゃっている賞に応募することもできなくはないのかもしれないですね。 子供たちが喜ぶようなものを是非書いてみたいです。こどもたちが実際に わたしの作品で笑うときの気持ちって、どんな感じなのかと思うと わくわくします。 アンデルセン童話賞(?)は、たぶん 今年も開催されるはずだと思っています。 人魚といえば、アンデルセンなのに この作品を提出できたら、わたしは私のハートの強さを 友人に自慢できそうです。ハードルが高いのですが やってみようかなあ。 予定は未定にして決定ではありませんが、もうすこし この世界観を広げて童話作品といえる分量にしてみようと思います。やる気をいただきました。ありがとうございます。 (めるふぇん)

2019-07-12

●あん さんへ 読み直してくださったのですね。ありがとうございます。 気にいってくださって 嬉しいです。あんさんは どんな声で読んでくださったのだろう。夢をみるような気持ちで コメントを拝見しました。ありがとうございます。 (めるふぇん)

2019-07-12

最後のほうで緋色の百合とは、なんて 書いてしまいました。きめつけはよくなかったです。 ×緋色の百合とは 〇緋色の百合で思いあたるのは に、訂正します。失礼しました。 (星辰)

2019-07-11

おはようございます。 音階は 神聖で特別な数である7音を基準としてつくられているという話をキリスト教の方の文章で読んだことがあります。この作品に於いては 様々な神聖さが満ち溢れているのですが、音もまた 神聖なのですね。 この作品に出てくる【聖典から産み落ちた星雲】の聖典とは どのような聖典なのかなと思いながら拝読しました。うつくしいですね。 そして、題名の【辰砂】を 何度もリフレインをしておられるのですね。 【辰砂】を存じ上げなかったので 検索してもると 日本の神社などで見かける「朱」の原材料でした。 辰砂は中国の辰州で多く生産されたことからその名が付けられており、硫化水銀から成る鉱物だとのこと。赤色系は血の色でもあるので 様々な宗教で生命力を表す色として重宝されているという記述がありました。日本でも鳥居など朱色に彩られているのは、生命を示す色だから神聖さを喚起するのかもしれません。 わたしには日本的な色な感じられる神社のあの朱色を想いながら 本作品を拝読すると、より味わい深いものがありました。 とくに↓この部分に 色味が炸裂している気がします。 >どうしたって数えなきゃならない >命があって >もう何カウントしたかわからない >僕の手には罪が刻まれていて >だからって、投げ出さない >命のレプリカなんてないから >せめてひこばえを育むんだ 「ひこばえ」、素敵ですね。わたしは山道入り口に住んでいるので 切り株の脇から ひこばえが育っているのを、よく見ます。【聖典から産み落ちた星雲】の聖典とは、おそらく輪廻カルマといった考え方を軸にしいる聖典なのだろうなあと思いました。 緋百合も、素敵です。 緋色の百合とは、今の季節に 私の住んでいる地域では「忘れ草」がいたるところに咲いています。 鮮やかな朱色をしており、和歌に「忘れ草」と詠まれている花で、嫌なことを忘れさせると言われている花で、英名は"daylily"は一日花。夕焼けの色のようでもあり しかも一日でしぼんでしまう花なので、いろんなことを いい具合に「わすれそう」な花だなあと 眺めている今日この頃です。 朝から、とても うつくしい詩文を拝読できました。ありがとうございます。 (星辰)

2019-07-11

はじめまして、感想でもなく批評でもなく解釈になることを目指して、書かせていただきます。 まず、全体的な字ずらが漢字が多いのが印象的でした。それで感じたのは、この詩は読むのではなく 声に出して詠うべきなのではないかと感じました。 まるで能を舞う人のように腰を据えた形で腹式呼吸で全力で声を地に這わすように詠うのが、この詩を読むときの作法のような気がしました。(もちろん、なんとなくです。)どーーーみーーーのーーーー どーーーみーーーのーーーー。と、低音を効かせて読みたくなりました。 しまった。これでは解釈ではありません。印象になってしまいました。気をとりなおして、解釈を書かせていただきます。あらかじめ申しますが、どのように私に この詩が映ったかを 素直に書いてみます。かなりの確率で作者様の意図とは、大幅に外れているという 妙な自信があるのですが、できたら ご笑納いただきたいです。 まず、私には とても豪儀な貸衣装を身に纏った人が見えます。 その人は厚化粧で完璧に造りこんでいる状態ですが、化粧の最後のしあげに 口紅をひくのですが、唇に黒い色の色彩を のせています。悪い奴をきどるような効果が、黒い口紅で表現できるはずです。話し手は、毒を吐きたいんだと感じました。 やあやあやあやあ戯れ軽蔑  (聴衆に向かって「さあお立合い軽蔑するがいいよ」と挑発している) 表面肌だけ触れ合っては  (あなたがたは、深く知り合おうともせず、表面だけで触れ合っているだけだ) どぷりと泳いだ目がみゆる  (だから闇の沼に沈んでいるかのような目をしている) 笑った嗤った私の蟲  (笑えよ。嗤えばいいじゃないか。わたしの本性をみせてあげるよ) 嘲笑った咲った誰ぞの滑稽 (嘲り笑えばいい。かぶいてやる。咲いているかのように。滑稽上等だ) 耳の龍笛 髪の琴 (耳を貫く龍笛の音 髪すら琴のように調べを奏でる) 歯垢はわらった桃源郷 (ちらと歯をみせて笑ってみせる 汚れた歯だか桃源郷を詠おう) 舞い散れ百合よ 赤黄赤 (百合が咲き乱れているかのように踊ろうぞ 色鮮やかに赤黄赤) 落ちた種の名 唯嫉妬 (綺麗ごとではない心のままに まきちらした心の種は 嫉妬の種) 咲いた蓮子を踏み躙る (私は狂うように咲いてては おのれで思いを蹂躙する) と、いうふうに解釈しました。書いていて、絶対間違えているという妙な自負があります。そんな悪文をアップする私は、解釈を求めておられるようだから、だったら 単純に やってみようとしただけなんで、どうぞ悪く思わないでくださいね。 解釈する際に、難しいと感じた箇所も ついでに書かせていただきます。 個人的には百合の花が舞うという表現が、百合らしくない気がしました。 理由としては、花は花の種類によって落ちるとか散るとか色々、表現があるのですが、 舞うは、梅が散るときに使用する表現だった気がしているからです。 あと、蓮子って なんでしょうか? 私は、知らないので 解釈するにも どうしたものかなと 思いました。 (歪熟れ面)

2019-07-10

こんにちは 不思議な作品ですね。題名が「帰宅遊泳」という世界観なのだから、不思議なのだろうなと読み進めると、結構 リアルな息づかいが感じられて 冒頭でいきなり息を呑みました。 > 窒息という言葉は、視線がズレを起こした車輌の繋ぎ目の隙間で産まれたそうだ。 なんて書いてあるのですもの、身体が大きくゆれて 電車の連列部分みたいに首が ガクつと うごいたりして、【ガシヤズゴン】とかいうような音をたてる列車の中に居るような気がしました。 息を呑むとき、意識は どっかに逝ってる感じは 確かに するものだなあと、変な感慨になりました。 息を呑むといえば、息を呑むほどの うつくしい人にであったりしたときの あの恍惚感は、具体的に表現しておられて 新鮮な気がしました。息を呑む、あの感じは、地上十二メートルくらいの夕景なのですね。結構な高さです。けど、恍惚感を リアルに可視化しておらる数字だと感じ、なぜか納得してしまいました。 (帰宅遊泳)

2019-07-10

こんにちは わたしがこの詩から受けたイメージは黄泉の国で 魑魅魍魎となって 様々な霊が混然一体になろうとしたり、 一体化することを拒みながら 彷徨っている様々な霊というイメージを 得ました。 全体的に古い時代の霊ばかりなのですが、 なぜか「試験管」と「フラスコ」だけが 妙に近代的です。 そこからなぜか 私は、勝手な妄想をいだいたので、ご紹介してみます。 この詩にでてくる様々な人々よりも 実はもっとも重要な人物は、現代人であり。 その人物は試験管を片手に様々な実験を行っています。 過去の遺物からDNAを検出して、掛け合わそうとしているふとどきの現代人が この詩の中には存在しているというのが、わたしの勝手な読みです。自由な読みをしてしまいました。失礼してしまったかもしれません。そのときは、ごめんなさい。 (皇居正門の真下で)

2019-07-08

●仲程さんへ めるはぁん  めるひぇん めるふぇん めるへん めるほぉん 羊水の中の物語の本は もっていまして 写真付きだったりします。 けれど、いろんないきものは どこかにていているというミラクルのことを最初に教えてくれたのは、わたしの場合は めるもちゃんでした。 (めるふぇん)

2019-07-08

●石村利勝 さんへ そうです。たいていの場合は、わたしは はしりすぎて すってんころんと転んでいることが普通なのです。誉められすぎて、こわくなっていたところです。 でも、石村さんがおっしゃるのだから けっこう 成功しているのですね。そうなのですか。  とくに「簡潔さと純良さに達しています。」とは、びっくりしています。わたしは純良なのか! あ。あれ?。もう滑りこけはじめてます。どうしましょうか?じつは、もうやらかしてしまった感があります。 今後とも ご指導ご鞭撻のほど よろしくおねがいします。 (めるふぇん)

2019-07-08

●トビラさんへ なかなか刺激的なコメントをありがとうございます。誤表記を教えてくださり、まずは ありがとうございます。 >朝日が燦々とあがると 「朝日が燦々と上ると(のぼる)」という意味です。 辞書と照らし合わせた結果。のぼる。と読むのが、正しいです。 ご指摘ありがとうございした。 誤表記の指摘は嬉しかったです。簡単にお礼が申せて安心だったからです。しかし、トビラさんと私が描きたかった世界とは、おおくの箇所で齟齬が生じていると感じています。そのせいで、トビラさんが言っておられることが 私には あまり良くわかりませんでした。 まず、わたしは人魚を描こうとしています。しかし、トビラさんは人魚とは一歳から二歳くらいの人間の比喩が人魚だと解釈をしておられます。むろん、詩作品を発表した後は、作品は作者の手を離れて読者のモノとなりますから、一歳から二歳くらいの人間の比喩が人魚でもかまわないはずなのです。  しかし、人間の比喩として捉えていただくにしても、詩文にある事柄をクリアーできる人物群像にしていただきたかったです。具体的に言うと、私のこの詩の人魚たちは 白い靴下を履くという【しきたり】をクリアできないといけません。気分次第で脱いでしまう年齢の子には難しいです。そして、海辺にある丘にのぼらないといけないのです。しきたりが守れるという集団行動が行える程度の知恵と、海辺の丘はのぼれるという筋力もないと この詩の群像のうちの ひとりにはなれません。それさえできれば、ステレオタイプな人魚のイメージである大人の女性の姿を想像していただいても わたしとしては かまわないし、お相撲さんのような方々が マワシではなく、白い靴下という【しきたり】を守っているという図だとしても、わたしとしてはかまいませんでした。  なぜ、靴下が必要かというと 魚から人の変化する際の程度が 人魚の個人で現れそうだと思いました。人魚たちが変化の度合いを競って 喧嘩とかをしてほしくなかったんです。それと、人のなりかけの人魚の群れに 人間として生まれ育った生粋の人間が もし、まじっていたとしも なんとなく その場に なじんでほしかったんです。  トビラさんのご意見で、私が首を傾げた箇所は、もうすこしあります。トビラさんは「大人と言われる齢になった僕らも、日々、めるふぇんを失っていく。誰にとっても避けようがなく。そういうことを表現している。」と書いておられるのですが、わたし自身は年齢のことを一切 書いておりません。わたし自身は、年齢を重ねるとメルヘンが減ると思ったことがないからです。    また私の造語である「めるふぇん」という表現のニュアンスも、どうも私の意図したことと違うことをトビラさんはとらえておられる気がします。  私の言う「めるふぇん」というのは、私の造語です。人魚たちの声が人間には そのように聞こえると書きました。たとえば、ウグイスは「ホーホケキョ」と鳴きます。人間には「ホーホケキョ」を連呼しているようにしか聞こえないのですが、ウグイス同志では違う意味があるはずです。たとえば「ねぇ、君。デートしない」とか「天敵がくるよ。急いで逃げよう」とか 様々なことを伝達している可能性があるのですが、人間の耳には「ホ~法華経(仏教の経典のことを鳥が叫んでいる)」と、聞こえるのと 私の「めるふぇん」という音の響きは似たところがあるのです。 トビラさんのお考えに共感できた箇所もありました。 「あぶく言葉だって、思い出せなくなっているだけで、心の中に眠っていて、水かきだって、もう二度と張らないわけじゃない。 」という箇所です。わたしは、この詩を書いた直後にプールに泳ぎに行ってみました。水に触れたくなったのです。水の中に入ってみると、すべての音は 響き方が実際に変わります。水の影響で くぐもった響きになります。耳に水がはいったので、結構長い間 通常ではない聞こえ方が実際になりました。 水からあがってすぐの人間の耳にとっては、あらゆる物音が いがいと ほんとうに あぶくのような響きのように実際に聞こえるものだなと思いました。海や川を知らない方だって、胎児の頃には水分に包まれていました。 わたしたちは、ほんとうに海から来たので母体は似非海だという説があります。地球上の動物といわれる種の生き物のすべてが胎生の時期は 魚の形状をしています。ヒレだってエラだって、すべての生き物の胎生の時期にはあります。けれど、ほかの生き物は忘れてしまってます。人間だけが、昔を懐かしんだり。様々な分析から昔の状態を構築する能力を獲得していると私は感じます。イメージの力こそが人の力です。イメージ力が、老いても衰えないことは よくあることです。  わたしの本作品で、魚から人に変化する様子に共感してくださったのは、人間にだけは魚だったころという途方のない時間のことすら、懐かしむ能力があるせいだと、わたし自身は感じています。 わたしは、本作品で 一番したかったのは、人魚が魚から人になる瞬間を描くことでした ですが、トビラさんには私が「現世の垢にまみれている(まみれていく)。それを甘受している。」ということを描いていると感じられたようですね。残念です。私は、そのようなことを読者の方々に想わせるような表記を、していません。 人になった人魚が やっぱ魚のほうがいいや。と、海に帰っていくという別の物語もアリです。それはそれでとても魅力的な物語だと思います。わたしは、この詩を投稿した直後に 私が実際に水に触れたくなったので、プールに行きました。つまり、私だって海に帰りたくなったんです。鯨やイルカは、実際に 一度は陸にあがったが、海の生活を選んだといわれています。人間だって、帰りたければ帰れば良いのです。空想の力で帰るのも素敵ですね。 ただ、わたしが本作品で、一番 やりたかったのは。新しい知らない環境を体験して、しかも自身の体が大きく変化するのは きっと妙な気分だろうなということと。それは、結構 笑けるに違いない。ってことを、読者の方々と共有したかったのです。 (めるふぇん)

2019-07-08

●survof さんへ 身体感覚を感じさせる文章に わたしは憧れてきました。だから、人肌に触れるような繊細な温度感を伴って身体に浸透していくようだという評は、夢ではないかしらと おもえるほどです。 宮沢賢治の「やまなし」は、細部をわすれかけていたので 読み直してみました。水と光の揺らぐ感触が伝わる世界は 人魚の故郷と通じるものがあり興味深く読みました。検索で朗読を検索したら 知り合いが朗読をしていました。わたしは その方がなんとかぷかぷの蟹座であることを知っていました。わたしも蟹座でして。わたしは今、おもいがけず宮沢賢治の「やまなし」の二匹の蟹の子供のようにはしゃいでいるところです。 それから おかげ様で、私は自身の最大の弱点に きがつくことができました。それは、わたしはロジカルに物事を考えるのが苦手であるという点です。 論理は苦手なのです。論理から自由になったというより、論理的に考えるのは得意ではありません。しかし 論理的でないことで、ときには安心感をあたえる文にもなることを知りました。これは、わたしには希望です。ありがとうございます。 (めるふぇん)

2019-07-08

●羽衣なつの さんへ 過分なお褒めをいただき恐縮です。この詩を投稿した直後に、道を歩いているときに なんとなく、小学校のときの友達同士で相談をして 私が代表になって教師に嘘をつこうという話になったのを思い出していました。なぜ 突然ウソをついたことを思い出したのかコメントを拝読して、理由が分かりました。日頃は、断言めいた詩文をあまり書いたことなんてなかった私なのに、この詩文ではなぜか迷いのない断言的な詩文を書いているのです。 なぜ この書き方を選択したのかは、自分でもよくわかりません。けれど、よい効果が得られたようですね。コメントをいただいた おかげで羽衣なつのさんの心に届く詩が書けたことがよく分かりました。とても嬉しいです。ちょっとした奇跡を感じます。ありがとうございます。 ただ最後の行だけは、どうなのでしょうか? たまたま書けただけですよ。でもとても嬉しいです。投稿してよかったです。ほんとうにほんとうに、ありがとうございます。 (めるふぇん)

2019-07-08

●南雲 安晴 さんへ  >人魚のゆびさきは 笹船のように水をはじきます 『笹舟』にるるりらさんの想像力を感じます。 昨日は、七夕でした。『笹舟』は おもむきのある舟ですよね。七月七日のうちにありがとうございますが、いいたかったな。そこに 着目してくださって嬉しかったですよ。 >滑舌の良いことばを急に喋れるようになり、変な感じがして みんな笑います  ここに、人魚みんなの心情の力強さを感じます。 ↑ おおらかな感じに書いたつもりでしたので、力強さという評は 嬉しいです。ありがとうございます。 (めるふぇん)

2019-07-08

●蛾兆ボルカ さんへ あっと!蛾兆ボルカ さんのコメントをとてもひさびさにいただけしまた。とりあえず、とても嬉しいです。人魚といえば アンデルセンの人魚姫をまず思い浮かべるものですよね。あれは、悲劇でした。そして、悲劇といえば ギリシアの三大悲劇の条件は 失敗から始まると、どこかのだれかが言ってました。蛾兆さんは おもいがけず、コメントを書いたほうが良いとお思いになったのですね。嬉しいなあ。ああ私のは、ええそうですとも悲劇ではないです。そうです 喜びの詩ですとも。 あと、音素がとても良いです。だなんて、きゃあ。嬉しい。しかも先行する名作「一つのメルヘン」あれを読んだのはたしか学生時代の教科書でした。なにやらとても しずかですずやかな心境になったものです。 やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、 今迄流れてもいなかった川床に、水は さらさらと、さらさらと流れているのでありました…… すばらしすぎて、評することなんて 私にはできないほどの うつくしい変化です。ちいさな小川が私の胸のうちに生じた気がします。ありがとうございます。批評の準備ができてないとおっしゃっていたので、もし よろしければ、またコメントをくださいませ。ありがとうございます。 (めるふぇん)

2019-07-08

あ。もうすこし 正直にいいます。 わたしの駄作詩「そらおそろしい」が、駄作であると いうことの 証明になるはずです。そんなの、わたしも つかれるし、もう おしまいにしたいです。したがって、「永遠に癒えない傷」の件は、もう やめさせて いただきたいです。 (『Diving into the Wreck』との対決)

2019-07-04

こんにちは さぞ お疲れになったに違いないと 簡単に想像できるほどの文章量ですね。 ただ 私には分かりにくい文章でした。 そもそも なぜ この英文詩が話題になっているかというと、南雲さんが わたしの拙詩「そらおそろしい」に対する批評に この作品を紹介をしておられたからでしたね。 南雲さんのご発言によりますと、この作品には わたしの拙詩【そらおそろしい】にはない、「永遠に癒えない傷」がある。とのことでした。「永遠に癒えない傷」とは具体的になんであるかを知るには、この英詩を読むしか方法がなかったのです。 しかし、残念ながら、南雲さんのこの文章で 「永遠に癒えない傷」とは、具体的に どのようなものなのかを、わたしが うかがい知ることはできませんでした。 推測するに、どうも 南雲さんが記号や文法の説明に終始しておられる連に、「永遠に癒えない傷」が書かれていると 考えています。つまり、沈没船にたどりついて話手がみたであろう おぞましい光景のことです。 わたし自身が そのシーンをうけて感じたことを 私の詩としてアップしていますので、自作の拙詩から引用しますね。たとえば 沈没した船を探るのであれば >船室の蓋をあけたら >まばゆい光を放ち >生きている姿で現れるのだ >蓋が開かないかぎり だれも彼らの姿を見ることがない >蓋が開くと ほんの僅かな瞬間 生前の笑みを浮かべ 亡骸と化すのだ といったような おぞましい光景もあり得ると思うのです。上記のようなことを るるりらに想像させた箇所を、なぜか 南雲さんは お書きにはならなかった。 沈没船とは 社会の比喩というふうにおっしゃっているので、「永遠に癒えない傷」とはまるで沈没船のように 破綻した「社会」というのが、南雲さんのご意見なのでしょうか。「社会」といわれてしまうと、さらに具体性に欠けてしまったなと私は感じます。 話は変わりますが。 わたしには、 南雲さんに 相当ひどいことを申し上げた自覚があります。すみません。なので、もし お答えになるのがお辛いようでしたら、「永遠に癒えない傷」とは 具体的になんであるかという問いについての 回答をお書きにならなくとも、私自身は かまわないと思っています。 すばらしい詩編を おしえくださり こころから お礼を申し上げます。 ありがとうございました。(深礼) (『Diving into the Wreck』との対決)

2019-07-04

「でもすぐに色あせるのよ」という言葉とともに 色褪せることのなくなった鮮やかな思い出を想わせていただけました。人とは不思議で 愛おしい存在だなあとしみじみさせていただけました。ありがとうございます。 (石畳の道)

2019-07-02

わたしの拙詩「そらおそろしい」との比較は、論考の品格をおとしかねないです。 ほんとアホらしいです。きっと そんなことは、きがついておられることでしょう。 南雲さんの論考、たのしみですね。 (Adrienne Rich作『Diving into the Wreck』を読んで)

2019-07-01

「うさぎおいしかのやま♪」という「故郷」の曲のようなイメージすら 私は持つことのできない地域で暮らしているのですが、それなのに、熊がでたようです。熊の生活圏が狭まっているのでしょうか?以前ならあり得ない場所での目撃情報がニュースになって驚くことがあります。 つい先日も 私が住んでいる地域にある動物園の動物の檻ではない場所で、野生のツキノワグマが目撃されました。野生のウサギの血なんて言われても、体験がない私には 正直、 ピンとこないのです。でも、熊は居る。この現実には驚愕しているところです。そして、このように熊と格闘しておられる方々はいらっしゃる。血がひく思いがしました。 わたしとしては、素朴な疑問があります。熊がいる山であるなら、当然 ウサギくらい住んでいるでしようか?つまり、我が家のまわりにも 野兎が居るのかしら?本作品を読んで せめて想像してみる機会を得られて よかったです。拝読できてよかったです。ありがとうございました。 (雪原の記憶)

2019-07-01

返信ありがとうございます。私の「白い神話」は、ご指摘の通りです。「Diving into the wreck」からのインスピレーションです。黒髪さんとsurvofさんと あと白石かず子氏の訳文を 読み比べから感じたことを、わたしは拙詩に興しました。 わたしは「Diving into the wreck」で、まず最初に思い浮かんだのは「どん底なら 穴を掘れ」という言葉だったですよ。これは、解剖学者で「バカの壁」で知られている養老先生が なんかのインタビューでイタリアの諺だといっておられた言葉です。よく人を励ますときに、「どん底というものがあるから いくところまでいったら あとは浮上するだけだから大丈夫だ」という励まし方ならば聞いたことがあるのですが、「どん底にたどりついたら もっと 掘る」とは、不思議ですよね。意味を私に聞かないでくださいね。でも、わたしは本作品(「Diving into the wreck」)のようなことかもしれないと感じました。 沈没した船を探索するというのは どん底をようとする人の態度です。ですがこの詩は、底が見えたと思うやいなや、さらに、この詩は もっと深みに(幻想の海に)潜っていくのです。 わたしも どん底を掘ってみようとと思いました。できるだけ実直に自身を掘り下げてみようとおもい書いたのが、「白い神話」です。厳しくストレートなリズム感が似ていると言っていただけて嬉しいです。一気に書いてはみたものの、なにを書いていることやらと私自身は思ってます。正直いうと、読み返す勇気すら いまはないのです。ですが、たしかに123123…と、カウントを とっていました。(笑) (「Diving into the wreck」)は、よくできた詩です。詩の主人公は、道具であるヒレを装着して、海の底の深みに潜ってゆく物語なのですが、道具の扱い一つをとってみてもなんとも おぼつかない手つきです。潜水することに慣れた人なら フィンとか自在でしように、この詩はそうではない。おぼつかない。 ほんとうに沈没船を探索するのでしたらチームを組むのが普通でしように、この詩はたったひとりで もぐっていくのです。 確かな筆致でかかれたファンタジーは、人を傷つけません。現実との距離を読者に、ちゃんと感じさせて書かれているからです。読者は、たった独りきりで詩に向き合いますが、読者はファンタジックに死臭の中を泳ぐことができるのです。この詩にはそのような仕組みがちゃんとあると私は分析します。 ですが、わたしの作品は違います。自身の中に潜っただけです。わたしの心の中になんて、だれも もぐれはしないと書いてあるだけです。 さて、南雲氏が、「Diving into the wreck」)と格闘しておられるそうですよね。楽しみですね。もし ご都合があうようでしたら コメントをして 是非、さしあげてくださいね。 私は、どうしたら良いのか分からぬままに関連の記事内で爆走してしまった感があります。 これから南雲氏がこれからアップしようとされている文がどのようなものか 私が知るべくもないのですが。楽しみですよね。でも、私としては、本当の本当に もうそろそろ 私の言葉はすくめを心がけて対処させていただくつもりでいます。 勝ち負けだなんて言って心配をおかけしてしまいました。すみません。でも、ついこの間、私は凄すぎるお三方のタイプの違う詩人と比べて劣っているとの指摘を私が受けていることはご存知でしょ?ほんとだねぇ。るるりらさんは すっかり負けてるねーーって、いっしょに笑ってくださいませよ。 (Adrienne Rich作『Diving into the Wreck』を読んで)

2019-07-01

はじめまして 私は 読解力にあまり自信のない読み手でして、おまけに コメントの書き方にも問題があるのかもしれません。ですから、話を半分にして読んでください。 まず、とっても魅力を感じたのは、一行目です。 とても 心に残る鮮烈な言葉ですね。わたしだったら 一行詩として提出して あとは読者に自由に想像していただくことを選択するかもしれないと思えるほど、素敵です。 ただ、全体的に わたしらには理解するのが難しいと感じました。もっとも、理解されれば良い詩というわけではありません。ただ 一読者のるるりらとしては、すこしはわかる部分があると もうすこし詩に冒頭できるものですから、なぜ わたしには この詩が難しいのであろうかと 考えてみます。 まず第一に、人称代名詞や人物を表す言葉が多いですね。 わたしには解り難かったです。「ぼく」「彼らを撃った」「少女」「きみ」の、関係です。 >かつてある少女が北の国に住んでいた >少女はぼくを愛し、ぼくはきみを愛した >きみは今どこにいるのだろうか 「少女」と「きみ」は 同一人物だろうか?それとも三角関係だろうか? 「彼らを撃った」の彼らって どんな人々だろうか?どうしてうったかといえば「月曜日が嫌いだったから」 いろいろ謎しかなくて、そもそも「どうしてそんなことをしたの」というからには  なにをしたかくらいは イメージできないと詩の中に入り込めなかったのです。それには最初の一行がなにを比喩しているのかが分からないと 私には無理でした。 空を白銀のかんざしが通りすぎてゆく 飛行機かもしれない。矢かもしれない。 はたまた ほんとうに簪かもしれない。そこから よく分からなくて、 でも「空を白銀のかんざしが通りすぎてゆく」という詩句が とても好きです。 つっきっている感じが 強い印象として残りました。 (あるなんでもない日)

2019-06-27

霞が秋波を送る という箇所のクールビューティー加減に しびれました。 (霧と靄と霞…………キリとモヤとカスミ)

2019-06-26

前回、「泣きそうになった」ので、日をあらためて書きたいと いいました。それで、ふたたびコメントを書かせていただきます。 実は、個人的に自分をさらけだしすぎて しまったなと感じてしまっている出来事がありました。その直後に この詩を読んだものですから、「泣きそうになった」のです。 けちけちせず こころの中にあるものは だしてしまったけれど、それはそれで いいんだよ。と、諭された気がしたのです。そして ついでに 涙が でてしまいそうになったわけです。 >ドルフィンフィッシュ >見せてやるぜ わたしは この箇所を体現したいです。苦境を逆転させてやるぜ。と詩文は私を鼓舞してくれました。わたしにとって ドルフィンフィッシュとは、ドルフィンキックを想起するものであり、とてもリアルな表現に思えたからです。難しいとしか思えなかったはずのことを、すいすいと 難なくこなす能力の体得をイメージしました。 冒頭においては、 >あらゆる行為を禁じられ >私は北極に立っているかのように感じた と、あるのでネガティブな心を起点に描いておられるのでしょうが、読み返してみると ちがって思えるのです。  北極とは地球の軸であり、この詩には地球規模の風が渦巻いているように感じました。 この詩には壮大な軸がある。当然、関わる人は居る。そして、すごいのは 関わりつつも別れることをも想定内に入れている。この大きさに 私はすくわれました。 わたしも、美しいなら美しいというだけのことから初めてみたいです。御覧のように、今もこの詩の感想を上手くは言えてないのですが、何かを始めたいです。 たとえば、プールにいってドルフィンフィッシュになったつもりで実際に泳いでからなら、もっとこの詩が沁みる気がします。あきらめずに、すいすいと泳ぐように生きたいと思わせていただけました。ありがとうございます。 この詩にであえて よかったです。 (ある日特別)

2019-06-23

大事なことは割と勝手に行われてる。ほんとにそうです。 人々が大事だと騒いでいることは、そうでもないのかもしれません。 身体を点検したくなりました。 (気づいたこと)

2019-06-20

こんにちは 兼六園に私は行ったことがないなりに憧れがあります。しかし、 題名は「ひまわりのまわりを 」いい題名だけれども 兼六園のイメージではないな どうなるのだろと読み進めてみると、「どんぐりをポッケに」「枯葉の油絵」ということは秋の思い出。アルバムのようなとりとめのなさですね。 失った恋の思い出のつれづれでしょうか。 個人的には、春と冬の思い出がないところが 切なかったです。 (ひまわりのまわりを)

2019-06-20

命は日々の暮らしの中で削り続けています。のところで くすっと笑いました。 夏草や 詩書きどもが 夢のあと   なんちゃって。 (ブラックジョーク/ホワイトノイズ)

2019-06-20

はじめまして、ちいさい人への目線が、なんだか大人が持つであろう人格より 素晴らしいなにかを見い出しておられて素敵です。 先生に怒られてトイレに閉じ込められる。のくだりは かわいそうですね。  幼児とい題名で先生だから、幼稚園保育園とか託児所でししようが、嫌な先生ですね。 詩の中の話だというのに、やめてあげてほしいと 思いました。 拝読していて もっとも想像が楽しかったのは、最終連でした。 精霊が慰め、アドバイスを与える。でもその頃には、聖霊たちの言葉は君の耳には届かない。 ちいさい人は ときどき妙に醒めた目をしていたりすることがありますね。どこか覚醒しつづけている感じがよく出ていて、最終連をなんどか繰り返し読み返しました。 先生にトイレで閉じ込められるくだりは、かわいそうでした。詩の中のお話だというのに、理不尽な目にあわせないでほしいなと 思いました。 (幼児)

2019-06-20

わたしの詩に心をかけてくださってありがとうございます。 新潟山形において 強い地震が あったようですね。原発はどうであるかという報道が、まず報じられました。東北の大震災の石碑や わたしの住んでいる広島の土砂崩れ地域にも地名などに 昔の方のチチ忠告はあったのですが なかなか生かすことができずに後になって嘆くのですよね。まずは 新潟山形の方々の生活が安定されることを願ってやみません。 (太陽と原発と八時十五分に寄せて 二編)

2019-06-19

翻訳して海外の詩文を自身の語学力で読み解くことがおできになる方は、わたしからみたら みなさんが賢者です。わたしが太刀打ちができるはずない。だから勝ち負けではないと皆様に思っていただけるような雰囲気づくりをしておきたいです。(るるりら以外の方ははじめから、勝ち負けだとは思ってらっしゃらないのでしょうが、赤面)  日本以外の言語圏の方の言葉って直訳だけでは 理解が難しいことも多々あるのでしょうね?ちょっと聞きかじっただけなんですが、たとえば ドイツにはDrachenfutterという言葉があって、直訳したら「龍のえさ」だそうです。日本で龍といえば、やまたのおろち。その餌は お酒ですよね。でもドイツのDrachenfutterという 言葉は、退治するための餌ではないようです。例えば夫が悪いふるまいを妻に許してもらいために贈るプレゼントなんかを「Drachenfutter」というのだとか。火を吐く龍のような女性は やすやすと手がつけられないことでしょう。さぞ 細心の心の配り方が必要なのでしょう。「Drachenfutter」、なんか良いですね。おもいやり感じます。 脳天に炎がたちあがっていた私ですが、ぜひ 素敵なDrachenfutterを頂戴したいものです。(こら。と、いう誰かの声が聞こえたような……。) さて、わたしの批評ならぬ 「おひょ~」をもうすこし書き加えておきたいです。私が、脳天から火を出したせいで、触れることができなかった事柄があるのです。それは、「男と女の人魚問題」です。  人魚は、女とは限らない。これは、おひょ~度が、満点です。さっそく、ばかなりに掘り下げていくことにします。 男神の例に出会うのはあんがい簡単でした。検索で得た知識です。男神の人魚オアンネスという神がいるようです。バビロニアで崇拝されていた神です。後にノアの箱舟の話にでてくるノア家は、オアンネスの家族のことではないかという説があるそうです。それでノアの箱舟が描かれている宗教画には、人魚が描かれていることがあるという記事をネットで見つけました。 そうすると、冒頭の「本」とは、聖書か御伽噺かというと、 聖書もしくは古い伝承のニュアンスがあるのだなと、感じているところです。 初心にもどって、海に対する印象を考えると、海とは 私たち哺乳類の祖である魚類の棲まう場所です。私たちは、きっと海から来たのです。 この詩は、私達の深層心理にある共通項に いかに触れるか。死臭のするような歴史の繰り返しが私達の歴史です。しかし この詩は、そのような人間の 業の深さを さらにかいくぐり、深く深く潜ったその先に、到達せんとする詩だと思いました。 ほりさげて現れるのは、生をもつもの根源に触れようとしている。男とか女とかを超越したカオスから わたしたちはやってきたはずです。この詩を道案内にすれば 読者はカオスを 心に持つことができるかもしれません。 (Adrienne Rich作『Diving into the Wreck』を読んで)

2019-06-19

はじめまして ただ詩を拝読するよりも、まずプロフィールを拝見してから拝読すると、視野が広がるような思いをいただきました。  プロフィールをお変えにならないとも限らないので、せっかくなので転載させていただきます。 プロフィール: ここは標高1300mの山奥。僕はここで今、山を開拓し、一年中快適に住めるティピーを作るために活動しています。ここではその様子や、感じたことを呟いていきます。 さまざまな人が、この詩と同じことを考えて見聞きしているように思うのです。 たとえば、動植物の生態を観察から知ろうとする人も 同じ クエスチョンを持つと思います。たとえぱ、最初の人類も きっと 同じ疑問をもったことがあるような気がするし、一休禅師なんかは「世の中は起きて箱して(糞して)寝て食って後は死ぬを待つばかりなり」と言ったと聞いてます。この当たり前を、なんでやねんと 率直に言える人は凄いと思うのです。それが、 山を開拓しておられる方がこの詩を書いておられると思うと、なんというか、 頭の中や 肺のある胸が 涼しくなるような思いがしました。   (my earth)

2019-06-17

こんにちは はじめましてでしょうか? わたしは ここ最近「○○詩」と題した詩を書くのがマイブームなのですが、 この詩作品からうけた印象を、端的に表すとすると「歴詩」であるなと 思いました。歴史ではありません。歴詩です。  なぜかというと、まず 拝読していると一本の裸木が心の中に凛とそびえたっててくるのですが、そのあと まるで木のような人物像が うかびあがってきて、両者はまるで鏡の前で 座禅をする人のように思えました。「座禅詩」とも考えかのですが、「座」という漢字は 漢字の中に人の文字がふたつですが、人ではなく木という文字を入れ替えてみたのです。すると…… 「歴」であるなと おもったわけです。 大木のような歴史を 積み重ねたいものですね。 そんなことを想わせていただきました。背筋がのびました。読めてよかったです。 (等しく立って)

2019-06-17

●南雲 安晴 さんへ  謝罪を受け取りました。お書きになっていること すべて承知しました。   ●鈴木 海飛 さんへ 「るるりらさんの作品んを経たあとの 南雲さんの悩みという面が強い気がしますね。私にはそんな感じだよ。」 そうでしょうね。南雲さんには気の毒なことをしました。南雲さん、ごめんなさいね。出血大サービスをイタイ意味で おこないました。  鈴木 海飛 さんのコメントで有難かったのは、 「そらおそろしい」自体に むきあってくれたことです。 私自身もそうだから自業自得なのですが、この批評スレで 「そらおそろしい」に語られている割合は とても少ないので、貴重です。本編では好意的な評もあるのにお礼も言えていないので、嬉しいついでに お礼を書いておきます。本編で誉めてくださった みなさま ありがとうございます。 この詩について発言できて嬉しいです。海飛 さん、塩味がうすすぎましたか?塩味は人によって好みが分かれるだけでなく その人の体調にもよりますし、難しいですね。 わたしは人様にいわれて自身の詩を改訂することが たまに あります。この詩も変えたものも提出しています。しかし↓の箇所は変える気の全くない箇所です。この文言は わたしの脳内でいつでも生の状態でとりだせる貴重な声なんです。 >おまえんちの家の前の空き地に >むかし なまくびが ならべられとったんど >じゃけえ おまえんち のろわれとるんじゃ けけけ この箇所のことを、南雲 安晴さんによって本編で二度の指摘を受けました。 二度目は お気に召すような形に書き換えを行いました。そして、でもやっぱり 「なまくび」という不快な語はあるのでした。南雲さんからしたら お嫌いな語をなんども読むはめとなりました。そして「なまくび」という語のことを「もはや消耗品。」という批判を 受けたのかもしれません。  わたしは、身内の死をたてつづけに 経験したことがあります。気が狂いそうでした。でも、私の脳には 私に自身に危機がきたら危機を脱出する機構があるのです。機構がオンになると、 >むかし なまくびが ならべられとったんど >じゃけえ おまえんち のろわれとるんじゃ けけけ というフレーズがオートマチックに脳内で再生されるのです。そしてミラクルがおきるのです。私の脳内が瞬時に とても若くなるのです。そして、いつも危機を脱出する私がいるのでした。 今回はどうやら、脳内で 若返りスイッチの連打が起きました。 こどもになりました。すると、泣くもんです。悲しがるのはしょうがないことです。 みなさまを大人と見込んで お願いします。わたしのことを、ゆるしてやってくださいませ。おぎゃあと るるりらが うまれちまったねぇくらいのハピネスだと どうぞ受け止めてやってください。 わたしは、フォーラムで 私をかわいそうに思うなら このスレ以外のスレに 善を投入してほしいという みっともない呼びかけをしているところです。 だからもう このスレは、当分  南雲さん以外は書かないでほしいです。このスレは彼のスレですから わたしは彼にスレの主導権をお返しします。(深々と礼) (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-16

生涯をかけた問いなのだろうなと、 おもいました。 ただ、論理的に考えて 死んだら なにも 確認できないはずですから、この問いは けして 解決されることは、なさそうです。 (喜ぶ人も悲しむ人も)

2019-06-14

もちろんです。わたしも、是非 南雲さんのお話がうかがいたいです。 (Adrienne Rich作『Diving into the Wreck』を読んで)

2019-06-14

南雲 安晴様、おはようございます。まず 最初に素晴らしい詩編の紹介をしてい ただいたことについて もういちどお礼を申します。『Diving into the Wreck』を教えてくださり ありがとうございます。南雲様が 詩編について私が快諾しておられるという理解で、さらに 該当の詩編について読解を深めることを続けるつもりです。 それから、やっと 対話の檀上にあがっていただけ しかも 謝罪をしておられます。 さぞ 勇気をお出しになったことでしょう。ありがとうございます。おかげさまで 気持ちの整理が かなりつきました。 さて、「作品の中に永久に癒えない傷があること」というご発言についてですが、わたしは わたしの持っている言葉の全咀嚼力を使って、理解しようとし、そして こういうことではないかと思える自作品を このビーレビにアップいたしました。それが今月にアップした二作品(正確には四作品)です。 南雲様は「作品の中に永久に癒えない傷があること」という事を含有する投稿作品に出会いそうな予感がしています。と、書いておられます。つまりは、 わたしが今月にアップした二作品(正確には四作品)は、南雲様の考えておられる「作品の中に永久に癒えない傷」は、含有していないということですね。了解しました。つまり、わたしの理解力では あなたの言う「作品の中に永久に癒えない傷」は理解できませんでした。 ところで、「作品の中に永久に癒えない傷があること」という言葉について、わたし以外の方も疑問がもっておられることは、理解されておられますね。 つまり、渡辺八畳@祝儀敷 氏の下記のような指摘のことです。 「(前文略)「永久に癒えない傷」なんちゅう抽象すぎる表現に逃げているのが致命的。なによそれ? ってなる。批評ならば具体的に示さねば。」『「文学」って何?(第2回)』という南雲様への指摘のことです。 自由である場のすべてには、【ノーコメント】という選択の権利が 必ず必要だと私は思っています。けれど、あなたは『「文学」って何?(第3回)』で、その答をいずれ書くおつもりがあるとのことでした。 そのお話の相手は、私というより、渡辺八畳@祝儀敷 氏には 届く言葉で 説明をされるべきではありませんか?  もし、ほんとうに 答を書くおつもりがあるのでしたら、私がスレ主である こちらのスレではなく、南雲様の『「文学」って何?』のシリーズの中で お答えいただきますようお願いいたします。 理由は、このスレは『Diving into the Wreck』に対しての批評ならぬ おひょーを追及したスレだからです。 (Adrienne Rich作『Diving into the Wreck』を読んで)

2019-06-14

×そうでにい順番 〇そうでない順番 失礼しました。 (白い神話に寄せて 二編)

2019-06-13

●帆場蔵人様 わお。うん。あら。そーですか。いえね。「帆場蔵人」というハンドルについてなのですが、なんだその めちゃめちゃ私ごのみのハンドルって何?って、わたしは前から 思ってました。ここだけの話、初めてお名前をみかけたときは、ペーパークラフトの帆掛け船を購入したし。でも ホーバークラフト(?ほうばくろうど?)だから ペーパーは違うんですけどね(笑) 年功序列で人が死んでいく、というのは 正確にいうと、年功序列で人が死んでいくことをそうでにい順番で死んでいくことよりは、望んでいるケースが多い。と言ったほうが正確かもしれません。わたしの祖母は乳飲み子を大勢亡くしてますし、年功序列で人が死んでいくはずはないのですが、でも 「あんたは まだ若いんだから大丈夫よ。なんぼでも やりなおしがきくわよ」とかいう励ましとかを聞くことがあるのですが、正直。 それって、なんの保証もない話だよね。と、思うのです。おもうのですよーーーーー。 ねー。(遠い目) お読みいただいたううえに、 ご自身のことも教えてくださって ありがとうございます。 (白い神話に寄せて 二編)

2019-06-13

●竜野欠伸様 長渕剛さんて、リリックと楽曲と脚本の著作者なんですか?長渕剛さんて喋りの上手い方という印象は わたしにもありました。ぶっちゃけこの詩のスタイルって、変ですよね。 なぜ二編編纂にしてるんだ。しかも なぜ次の投稿作品も二編編纂にしてるんだという点は、つっこみどころですよね。 そうなんです。できることなら しゃべくりながら自作品をおりまぜるというのが、やりたかった。息切れをおこしたため とりあえず、二編編纂×二作品という形にしたのです。二編にはしてはいるが、一遍の作品だと言えなくはないというチョイスにしてます。 たしかに、もう少しねせると更に風合いも醸し出される感触に、舌鼓が打てたのかもしれませんね。 実はね自分でも すこし そんな気がしています。 するどき指摘をありがとうございます。 (白い神話に寄せて 二編)

2019-06-13

●survof 様 詳細に読んでいただきありがとうございます。おおむねsurvof 様にとっては この詩の中に入りやすい詩文であったようで、嬉しいです。残念だったのは 中間部分ですね。送信三十秒後に、やらかしてしまったと、頭を垂れてしまったのがご指摘の箇所です。 「白から生じ白へ消える」についての洞察が また興味深く拝読しました。 パソコン画面と照らし合わせて読んでおられるのは、私にとっては新鮮な読解でした。 大自然を見渡せば、言われてみれば あまりありませんね。生き物は萎れたり腐敗したりしますし。けれど、四季は冬から数えるなら 冬の雪景色から来冬の雪景色までのサイクルで区切ろうとおもえば、白から白かもしれません。 結婚のことを人生のスタートとして白で演出することがありますが、死に装束も白いことがあり宗教概念のゆるい日本ですが、色彩の中でも白は宗教色を感じるのは私だけでしょうか?そういえば、日本の色彩名では「赤い・青い・白い・黒い」の四つだけが形容詞だという指摘を読んだことがあります。その話というのは、この四つは ほかの色とは違って、色の質を示していたという話でした。 赤=明るい色 青=ぼんやりとした色 白=はっきりした色 黒=暗い色 白は、はっきりくっきりした なにかしらの祭事に区切るために、用いられてきたのかもしれません。それにしても、「どう考えても神話的ではないか」に込められた悔しさ。感じててただけて嬉しいです。ありがとうごさいます。 (白い神話に寄せて 二編)

2019-06-13

なぜか なきそうに なりました。 言語化できたら 報告させていただきます。 そのまえに、ひとことだけ。 よかったです。 (ある日特別)

2019-06-13

鍵となる冒頭箇所の三種の神器について 書き漏れがありました。 該当の作品は、冒頭箇所において「本」と「カメラ」と「ナイフ」が出てきます。わたしは、それを 鏡と刀と玉と 似ていると発言しています。失礼しました。 (Adrienne Rich作『Diving into the Wreck』を読んで)

2019-06-12

お線香の けむりを みてるみたいに ほわほわしてますね (しぜん)

2019-06-10

余計なことって たいて してしまってから きがつきますよね 加圧ガードルに にたものに 王子様用 タイツがあります。 ぜひ はいてみましょう。 (よけいなことに)

2019-06-10

こんにちは わたしの初恋さんは、たまたま水泳部男子で、しかも あだなが たくくんだったから、勝手に 胸きゅんでした。 包帯で 泳ぐなら、古式泳法でないと無理だから、クロールには 勝てそうもないですね。 あかいながれ なぞですね。オームなら攻撃色でしたっけ ミイラなら血がにじんでいたのかなあ。そのあたり もうすこし、書き込んでほしかったです。 (ミイラ男は泳げない)

2019-06-10

こんにちは さまざまな 読み方が可能な詩篇として 拝読しました。ひとつには 透明は 霧や雨と同じく 虹と 同じ性質があるから透明なビニール傘でも虹のように見える可能性。もうひとつは、題名から忘れ物紛失物を集めて販売している場所の色とりどりの傘です。 短詩には 短詩の面白さがありますね。これくらいの分量なら、ツイッター詩として成立しそうです。わたしのやってるツイッター詩のグループは たまたま 明日のお題目が「傘」みたいなので 投稿してみられたら良いのになー。と、思いました。 (忘れ傘)

2019-06-10

ちなみに四(^-^)vというの vは、一ブイ 指で三をつくると 二ブイ 鈍い 指で四をつくると 指の谷間が三つだから ミブルイ 指で五をつくると 四ブイ 渋いです。 言葉ではないでし どなたにも わからないことを いれてみました。 失礼しました。 (白い神話に寄せて 二編)

2019-06-10

渡辺さん 誤読でも なんでも 良いでは? 彼自身は、このスレに書きこみをしないと言ったっきりです。 書きたければ、書けば 良いのですが、誤解があるとしても 誤解のままで 良いというのが、彼の判断であるならば、ここに 最終的に対処するのは、常に わたしって ことになります。しょうがありませんでしょ。 わたしたちは自身のいたらなさを 詫びつつ 議論をしてきました。 彼は、ご自分のいたらなさが きにくわないなら、カードを出せば良いと 私に言ってます。 わたしは、そんなこと いちども いうつもりは ありませんでした。 だから、問題は なにもないです。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-10

連発で投稿しましたが、こちらを 先に読んでほしいので、あげます。 (白い神話に寄せて 二編)

2019-06-10

できたら もう このスレは、サゲ方向の反応に なると いいなあと、個人的には おもっているところです。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-10

渡辺さん「永久に癒えない傷」て、謎ですね。なんでしょうね。 永遠に癒えないならば、とうぜん わたしの致命傷になり得る傷のはずですよね。まじ死なんと、嘘なんじやあないのかな? それを 晒せと、書いてあると 私は読めるなと 思いました。 むかしの話ですが、人様に見せもせず「永遠を凝視する眼球」と題して、なん年も同じテーマで書いてた時期が、私にはあります。親しい人に、きちがいじみてるって言われました。だから、そこそこの傷が、わたしにも ないわけでは、ないです。 でも 私は、そんな傷は癒えちゃいました。 永遠に癒えない傷を人間が得た場合は、ふつうは死にますよ。そんな あたりまえが おわかりにならないほどに、文学への憧れで思考が沸騰しておられたんじやあないかしらと私は感じています。 いま、じつは【永遠に癒えない傷】を モチーフにした自作詩を 書きあげました。でも 投稿するかしないかで 迷ってる段階です。 いまは、投稿をせずに とりあえず ほかのかたがたへのコメントなどを するつもりです。 このスレへコメントしてくださり ありがとうございます。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-10

了解させていただいて おります。 該当作品に出会えて よかったです。ほんとうに (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-09

うわー。白石訳の著作の訳とかをここに載せたいきもしますが、著作権とかにうとくて迷います。 あと、まえに お話した黒髪氏の訳をプログに載せるつもりだったのだけど、ここに載せてもいいのかなあ。 ご本人にお願いして、みます。 (訳詩:Diving into the Wreck (by Adrienne Rich))

2019-06-07

うわー。白石訳の著作の訳とかをここに載せたいきもしますが、著作権とかにうとくて迷います。 あと、まえに お話した黒髪氏の訳をプログに載せるつもりだったのだけど、ここに載せてもいいのかなあ。 ご本人にお願いして、みます。 (訳詩:Diving into the Wreck (by Adrienne Rich))

2019-06-07

×馬頭 〇罵倒 誤字でした。失礼しました。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-07

鈴木 海飛 様 わたしらしからぬ発言をしてしまいました。 あなたにはいつも「喧嘩よえーな」と言われてきましたね。 すげえ弱いのですが、めずらしく馬頭の言葉を探しました。 男性がいちばん 傷つく言葉だと聞いたことのある言葉を吐いたものの 使いなれてなくて、一晩中 胸が痛くなりました。衛生兵とは、言い得て妙だと思います。 この批評文には 神の庭との比較が書かれていますよね。 「神の庭」については、あなたがお書きになった批評のほうに私の意見を書きこみをしているので、アドレスをここに 貼らせてもらいますね。 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=3409 ありがとうございました。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-07

survof 様 論理的に物事を話きることのできにくい私のために 心をくだいてくださり とても感謝しています。 正直、ほんとうに 心おれそうなが心境でございました。ありがとうございます。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-07

まず 最初に このスレッドに来ないと言い放ったことについて お詫びするとともに、本批評で紹介していただいたアドリエンヌ リッチの【瓦礫の中へ飛び込む】という作品を 英語力のない私も読むことができました。 白石かずこ氏の翻訳を 心ある詩友が見せてくれたのと、わざわざ わたしのために 御自身で翻訳を手がけてくださった黒髪氏に心からの感謝を申し上げます。ありがとうございました。 さて、アドリエンヌ リッチの【瓦礫の中へ飛び込む】という詩編は、素晴らしいものでした。私は、夏に子供らと無人島で生活してみようという企画物の体験をしたことが何度かあり 海に潜ることで得られる体現経験があることもあり わたしにとって記憶を喚起させてくれる作品でした。 ざっくり内容を紹介させていただくと、神話とカメラとナイフをもった話者が、たったひとりで沈没した船の中に入り 様々なものを持ち帰るドラマが描かれている作品でしたが、描写の美しさ正確さ詩情。心が洗われるとは このことをいうのだと思います。 しかしながら、南雲氏が なぜ わたしの批評を行うにあたって、詩編にわたしの詩編とは一切の類似点のない アドリエンヌ リッチの【瓦礫の中へ飛び込む】を紹介する気になったのか いまも不思議です。ですが、もう追及は いたしません。 とても素晴らしい詩編を 紹介していただきました。わたしの宝が増えました。ありがとうございます。 本題である私の詩作品への批評についてですが、そこは やはり受け入れられません。 芦野 夕狩氏の作品『神の庭』を批評対象とした拙論において提出した「文学」の条件の一つ、「作品の中に永久に癒えない傷があること」は 私にとって 良い作品の条件ではないことは、前に言ったとおりです。 芦野 夕狩氏の作品『神の庭』にたいするわたしの感想を書き添えさせていただくなら、あの作品は 女性の話者という形をとりながらも 男性目線の詩であると私は感じました。 わたしの感覚では女性が もし書いたのであれば、あのような表現にはならないという点がいくつかあるため。あの作品のようであれという批評態度そのものが 私には受け入れがたかったのでございます。 ですが、南雲様に たいへん失礼な物言いがあったことを こころから謝罪します。 もうしわけありませんでした。とても素晴らしい詩編を教えてくださり ありがとうございます。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-07

ティンパニは、 ぶあゎん ぱんぱん ぱん に、訂正します。ねぼけて、脳内で ドラがなりました。m(_ _)m。 (魚屋でギター売っちゃ悪いのかよ)

2019-06-07

【へいらっしゃい】るるりら作 へいらっしゃい らしゃい らしゃああい 近所の魚屋に楽器が売られていてなにが悪い ちよいとみとくれよ こちとら海軍御用達の看板を磨いて ぴっかぴか こいつはまた活きのいい六絃琴(※ギター)じゃないか ちょいと失礼、ろくげんきんでうたいましょ  げんきんないないなぞ きにすんな おかみのためなら だいじょうぶ かんこんきんこん 三角鉄(※トライアングル) ちょいとお前さん、いいがたいしてるじやねえか これなんかどうだ 妖怪的四弦(※バス)で 大入道さまのご登場 ばしゃゃゃゃゃゃゃん  しゃんしゃんしや あ これか いきなりの大きな音で さすがに驚いたか? 半円鍋型ぎゅう縛り高低自在太鼓(※ティンパニー)っていうのさ 兄さん も ならしたいだろ?な?どう?買うてよ (魚屋でギター売っちゃ悪いのかよ)

2019-06-07

筆者の文学論は、賛成しません。 ただし、恒久的傷を描いた作品を わたしの過去作品には あります。 おとこだ おんなだと いうことは、 恒久的傷ではありません。 死んでも 亡くならないものが、わたしに とっての 恒久だからです。 お邪魔いたしました。つかれましたので、いご 書きこみを、遠慮いたします。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-06

おはようございます。 生理的に無理である点がありますので、はっきり申し上げておきます。南雲様にとって 女性、男性、何性、こういった観点は 本作品の批評の眼目ではまったくないにもかかわず、わたしが「女性」という語を発するとき、南雲さんの鈴とやらが鳴るとかいう意味不明な告白は、迷惑であると はっきり申しあげておきます。 わたしが 性別で扱われることを 嫌がっているにもかかわらず、わたしの発する「女性」という語に 南雲様の鈴が鳴っていると思うと、気持ちが悪くてしょうがありません。さらに もうしあげましよう。迷惑です。 ちなみに、わたしが「女性」を名乗るとき 男性の心をゆらしたいなどという考えはありません。むしろ同性の方に もし女性用車両があるならば、わたしも その車両に乗るよというメッセージでしか ありません。 なお 本作品については、本作品欄にて 南雲さんにとっての難点のある作品であることは、すでに頂戴しております。そして、わたしは ご意見を謙虚に受け取り、できるかぎり ご期待にそえることを願っての別作品も すでに 本作品の投稿欄にてアップしています。 こういった私の善処を 無駄にして、善処する前の作品を 本作品が文学ではないと発言しなければならない理由は 何ですか? 鈴がリンとなったからですよね。鈴は煤にしてください。おねがいいたします。最後に あらためてもうしあげます。迷惑です。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-06

拙詩そらおそろしいを 批評対象作品として お選びいただき ありがとうございます。 本批評文には、女流詩人の優れた作品の紹介もしていただきました。おそらく、わたしだけではなく おおくの方にとって意味のある批評なのかもしれません。 しかし、残念ながら 現在私のパソコンはユーチューブへの接続が不安定であるのと、わたしは英語の語学力には問題があるため、南雲さんが紹介してくださったアドリエンヌ・リッチ氏の 『Diving into the Wreck』を拝読することが 現在の私には難しいです。しょうがないので 彼女の生い立ちを検索しました。 ゛ 引用開始★1951年の最初の詩集『世界の変容』は、形而上詩人の伝統に沿った端正なもので高い評価を得たが、1960年代以後、ウィメンズ・リブ運動に加わり、作品の主題も、ヴェトナム戦争、人種問題、女性解放などになった。1971年、『廃墟への跳躍』で全米図書賞受賞。ニューヨーク大学教授を務めた。少女時代に兄弟から受けた性的虐待を描いた詩は最も衝撃的で、その女性論エッセイの「強制的異性愛とレズビアン存在」で「レズビアン連続体」「強制的異性愛」という概念を示し、フェミニズム批評に影響を与えた(『血、パン、詩』所収)。しかしリッチの概念は、女に育てられた結果、男は自然に愛着の相手を別の女に移行させられるのに対し、女はむしろ女同士の絆に移行するほうが自然で、愛着の対象を男に変えることには無理が伴うと論じている。★引用終わり どうやら 彼女は、女性としての立場から書く著名で優れた詩人であるようですね。そして私は たしかにビーレビ上でコメントするとき、自分が女性であるという「立場の表明」をおこなうことがあります。ですが、わたしは とりたてて女性詩を書いきたという自覚はあまりありません。ご批評してくださっている「拙詩そらおそろしい」は特に、女性詩とカテゴライズできる作品ではないです。理由は、話者にしても女性とも男性ともいえない思春期にも達していない人物を話者として私は選んでおります。   南雲さんの御説では、「文学」の条件の一つ、「作品の中に永久に癒えない傷があること」ださうですが、 あきらかに 小学生ではない書き手が 小学生時代の物語を語るとき、年齢を経た作者には癒えていない傷があるとは、お考えにはならないのですね?  わたしには卓越した日本語表現能力の所有者であると言っていただいて、お恥ずかしいかぎりです。しかし、わたしが手に入れなければならないもの、それは消耗品に終わらないもっと深い耐久性のある「傷」なのですか? まさかアドリエンヌ・リッチ氏が獲得しておられる傷を 私が保有したほうが良いとおっしゃっておられますか?ご指摘の夕狩作品の登場人物が持っている傷を、まさか 私がもったほうが良いと おっしゃってますか? わたしは、女性として名乗って作品を挙げてはいますが、女性特有の詩の数は少ない書き手です。いくら文芸にとって傷が有効であるとしても、わたしは作品づくりのために 癒えない傷を獲得する気は まったくありません。女性としての傷なら なおさら獲得するつもりはありません。ですが、わたしとて人間ですから無傷でもありませんよ。いままで詩として表出していない傷ならばあります。それを出せというのが 本批評なのかもしれませんね。考えててはみますね。  アドリエンヌ・リッチ氏の詩の中でも薦めてくださっている作品を読みもしないで書き込みを行っている失礼をお許しください。 貴重なご意見をありがとうございました。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-05

コメントありがとうございます。普通は可動域ですよね。 稼働で連想するのは 稼働中とか稼働率とか稼働人数とかですよね。 稼働で範囲を示すなら、稼働領域なら いうこともあるかもしれませんね。 稼働は働くだから 脳のいろんな箇所を通過させた思考があるのでしょうが 可動は動くだから 頭を使っているかもしれないけど 筋肉を動かす箇所だけを使用してる感じがします。 いいたかったのは、頭でっかちにならないぞ!ということが表現したかったのですが、いやいやどうして、結構 あたまでっかちな詩です。 (稼働域フェチ)

2019-06-03

このお魚屋さんは 昔は、海軍御用達の店だったてことは きっと戦争中は 庶民が食べることのできない良い魚を用意していることを誇りにしておられる感じですね。 魚屋のおじいさんが素敵です。息子が弾いていたギターをきっかけに始めたギターが 結構、 達者になってるなんて魅力的な おじいさんですね。 魚屋さんを辞めたわけではないので 漁連の競りにも きっと参加してて、新鮮な魚が手にはいるんでしょうね。おいしそう。けど、懸命に魚を売る気なんて、ない。あぶらを売るためみたいにギターが置かれていて 「魚屋でギター売っちゃ悪いのかよ」と言い切る粋な自由さが いいです。 我が家にもギターが何本か あるのですが弦の部分が 魚の背みたいに等間隔だし 絵的にも 魚とギターって すこし 似ているところもある気がします。 魚屋というと 声の商売って気が個人的にはしているところも、音楽との相性も良い気がしました。それで つい勝手に 二次創作的な妄想もしました。 一般常識から考えて、魚屋ではギターは売られてはいないけれど、個人的には 魚が売られている。海軍御用達の店だったころに 洋楽器もあつかっていて「へい らっしゃいらっしゃい〇〇弦(敵性語)だよ 」みたいなかんじの 無茶な妄想もしました。 この詩は、日常の中のしゃれた会話って感じがして良いです。つい妄想がふくらみすぎて もっとリアルに楽器屋にしてしまいそうになった わたしの脳内が はずかしいです。(けど、おしらせしてみました。) (魚屋でギター売っちゃ悪いのかよ)

2019-06-03

ぶっはは はっは。ひぃ。 うけました。 ガシッ❗️ (稼働域フェチ)

2019-05-31

はじめまして 拝読していて なにか新しい社会に飛び込んだときの自分を想いました。 たとえば、学校に入学したとき 新社会人になったときの気持ちです。 そのような時は、自分をしっかり持つことと 我儘の境界についての具合をいつも気にしていたような気がします。 なんやかやいうて、 >やはり自己を 中心にしないと 生きられない部分も ありますよね。チェスト―! きばってくださいませ。 拝読していて、なんだか私も もすこし 私自身の我儘と協調の堺を探ってみる勇気をいただけました。 (裏切り)

2019-05-29

わたしはこの詩が好きです。詩はその詩がどこを目指しているかと、読者がなにを欲しているかで評価が分かれるものでしょうが、短詩に希望を見出しがちな私には この詩は たまらないものがありました。 こちらの作品は短詩であり一見 すらすらと読める。しかし 私の心に、まっすぐに心になにかしら降りてくるものがありました。日々を急いで、実を見失いがちなのではないかかと 私を立ち止まらせてもくれました。 特に、 >亀は変化と進歩の >本当の意味を知っている この箇所に 惹かれました。 そういえば、浦島太郎が乗ったのも亀でした。昔話では、さまざまな変化のいきつく先にある玉手箱を開けると、真実がつきつけられたのでした。 亀は万年 鶴は千年。と、昔の人はいっていたそうですね。亀山神社だのと亀を祀ったところもあるようです。亀という生き物は、変化への洞察に導くのに ふさわしい生き物のようです。 >花は季節を待ち という行も好きです。この詩の鍵は、「時間」だと個人的には思っているからです。 「待」 あれ?「時」も「待」も 詩に 字形がにてますよね。びっくりしませんか? こんな風に なにかと意味を探したくなるのは私だけでしょうか? さまざまな方向から 人は意味を見つけ出そうとする。 けれど、本当の意味を知るのは 人ではなく亀だというところが この詩の一番深いところかもしれません。もしも、曖昧や理不尽な出来事に発狂しそうになったら、わたしは この詩の【本当の意味を知るのは 人ではなく亀だ】ということを 思い出せたらなあと 祈るような気持ちになりました。 (庭園にて)

2019-05-28

ふじりゅうさま、コメントありがとうございます。正直もうしあげて、どなたもなにもコメントを書いてはくださらないのだと すっかりあきらめていたところでした。コメントが書きにくい作品であったと思います。 静と動のカドウが好きだというのが本作品です。だから それで どうしたのかが 無い作品なのですが、オリジナリティー溢れる作品として好感をもっていただけて嬉しいです。 この詩をとりあげていただけたので 今週は、……そうだな。 プールにいってみたり 自身の身体の可動域を広げてみようと思います。ありがとうございました。うれしかったです。 (稼働域フェチ)

2019-05-27

拝読しました。チャートの一位を獲得できたようなグループが、引退後に話をするという設定の作品のようですね。本作品内にメタに組み込まれている「TO THE MOTHER LAND」という曲は、フレディ・マーキュリーの生前最後の歌声だと言われている「マザー・ラヴ」という曲と、母体回帰をテーマとしているという点と、恋愛や華々しい競争に嫌気がさしていることを歌っている点で 似ているなあと思いました。 フレディとちがって、作品中の彼の場合は 今後クリエイター支援の枠組みを作るつもりとあるので、この作品の場合は終焉ではなく※詩遊園づくりの詩な感じがして、イイ感じだなあと 思うのです。 (※詩遊園というのは終焉と書こうとしたら タイプミス&変な変換がおきました。いい得て妙なきがしたので、コメントの表現に採用しました。) (TO THE MOTHER LAND)

2019-05-27

はじめに、わたしは 女性に対する暴力や近親相関をモチーフとしたあらゆる創作作品が苦手です。源氏物語ですら、わたしには鬼畜です。こんな私ですから普段であるなら、この詩に対してなんの反応もしなかったことでしよう。しかし たこすけさんのお書きになっているオープニングを読んで、 本作品へのレスではなく、こちらの批評文へのレスであれば、心を開いて、できるだけ この詩を鑑賞することが不可能ではないかしれません。 わたしは、たこすけさんが作者には「心をちっちゃく萎縮させるつもりは」作者に は無い。という言葉を信じてみます。いやあ、こんなに女性がひどいめにあっている作品を読んで びびって当然だと思うのですが、 それでも 『この詩を書くときに「決して汲みつくせない泉を書きたい」と思っていました。どんなに大きな桶で汲み続けても枯れない物語を、と。それと同時に、それは汲みうる泉であらねばなるまいとも考えておりました』と、言っているという たこすけさんの言葉を信じて、たこすけさんのこの詩への熱い感情を杖にして 読み進めてみようと思います。 -----作品より引用------- 1 この庭では神様の声だけが聞こえる 兄が私にそう微笑みかける。何度目の光景だったろうか。ヤマモモの木のちょうど良いところで別れた木の股に座って私にはわからない文庫本を読んでいる兄。夾竹桃の陰に隠れて軒先からは視線の届かない絶好の場所。 -----引用終わり この詩の景は、たこすけさんも言っているように確かに、壮大で 自然描写も美しい。 ヤマモモと夾竹桃は、どちらにも【桃】が言葉に含まれている。わたしには 堕天使と天使のように 対の意味が込められている気がした。ヤマモモは美味しいが、夾竹桃には毒があることから、この作品でのヤマモモは豊穣の象徴で、夾竹桃は邪悪の象徴であるように感じた。なぜなら、この作品の題名は、【神】を冠としているので 風景も神を意味しているかもしれないという読みをしました。 -----作品より引用------- 2 母の庭 私の生まれた日に母は亡くなった。それをきっかけに兵庫に住んでいた家族は岡山のはずれの庭のある家へと引っ越したと聞いた。それが何を目的としていたのか私にわかるはずもないが、結果として母の代わりにその庭が兄と父に与えられたことは事実だろう。 -----引用終わり この詩に対して、わたしは女性として この【2 母の庭】と【4 気持ち悪い】の部分で違和感を覚えました。  まず、この【2 母の庭の章】では、「母の代わりにその庭が兄と父に与えられたことは事実だろう。」とあります。兄と父には おそらく母親の生前の姿をしっている。すると、は庭が かけがえのない人であった母の代わりにはならないはずです。にも かかわらず、詩文には「結果として母の代わりにその庭が兄と父に与えられたことは事実だろう。」と書かれています。いやいや 娘さん、貴女だけが母が 庭となり得るのでは?と、私は思いました。  そして、【4 気持ち悪い】においては、男子たちがふざけた様子で通り過ぎた後に、ラブレターが置かれており、そのことを娘さんが「同性として、最後にその名前が記された女性の書いたものとはとても思えなかった。」と言っている点です。 いやいや そのシチュエーションだったら 男女を問わず、男子たちの悪戯と思うでしょうよ。と、感じました。なぜ、ここで女性として感じたことになっているのか。という点に、わたしは男性目線で書かれていることを強く感じました。つまり、娘さん自身に女だという自覚をもっていてほしいという願望を、感じました。わたしには、気持ち悪かったです。   たこすけさんが、兄妹というタブーの檻から 解き放つのに「癒」という表現などで 詩とむきあっておられて、人間て捨てたもんじゃないと思いました。 兄がぶづふつなにかいっている姿のことを、そのような人を見たら「神の声を聴いているという風にみようとする提案のような発言に、ああ人間て捨てたもんじゃないと思いました。腰を折って祈つているような人を 正面にまわって 正論をたたきつけるのは、下品なことかもしれません。 そして、やっぱり最初から最期まで付箋である神って どんな神だろう。 【7 イシス】と、ありますが イシスって、女性神だなと思いました。 【8 告白】「兄が偽りの神の声を聞いたように。」とあるので この詩では男性的なものは、偽りの神なのかもしれないです。 【9 たとえば首の短いキリン、あるいは鼻のつぶれた象】←既存の形が壊れてますね。 私は生まれて初めて泣いていたのだ。人は悲しすぎると涙なんて、でないそうです。 生まれて初めてなくのは、ふつうは 産声ですよね。でも、ここで表現されている膨大な涙は、やっと人として生まれることができた安堵かもしれない。おそらく、いままで怖がることすらどういうことを知らなかったのでしょうから。 暴力や人々の揶揄や、レイプなど たいへん きっつい物語でしたが、 やさしい読者目線の方をてかがりにして拝読できて よかったです。 さいごに たこすけさんの二次創作作品【④ 本章】をうけて さらなる虹創作。 ******************************** 題名【神ってるのは、貼っても剥がせるシールです】 兄と妹のシールを剥がそうと 悪戦苦闘 ごくろうさん はらはらしながら 読んだ手紙 いたいのいたいの飛んでけ癒しの泉まで とんでいけ はらはらと泣いたのは どこの子 男だ男だと威張んなよ 女神さまのシールは 涙といっしょにながします にしても なんなんだこの男どもは すこしは イグ ノーベル賞で話題になった虫を 見習え 男女の役割が逆転した虫ですら、女性に栄養をとどけてるんだぞ ええかげんに しろ! ( 推薦 芦野夕狩 「神の庭」 ~想像の導火線~)

2019-05-23

広島に きまっとるし。 (現代お好み焼き概論)

2019-05-21

ちいさい人の行動を見ていると、ときどき 虚空を ぼーっとみつめて、あきらかに なにかが見えているとしか思えないかのような様子のときがあることを想いました。 夏実さんは、その不思議ななにかのことを「かぜさん」と呼んでいる気がします。ちいさい人の世界をうつくしくいいあてている素敵な表現だなと思いました。それから えまちゃんというお名前が 個人的には結構 すきです。エマ・ワトソン。 エマ・ストーン くらいしかおもいうかばないけれど、たまたまおもいつく ふたりの幼いころの美人な感じで この詩を読んでしまいました。 (えまちゃんと風)

2019-05-17

いえいえ ピノキオの例があります。あの童話では たしか リンゴを食したあとで、しばらくしてから リンゴの芯なども 食するのです。 (腐った林檎)

2019-05-13

まちがえて、送信しとしまいました。 なんと いうか 「なんくるないさー」と。お伝えしたいです。 (おいらの話)

2019-05-13

(おいらの話)

2019-05-13

(腐った林檎)

2019-05-13

きっと 歌詞なのだと おもわれます。 歌って いただきたいです。 (人見知り)

2019-05-13

形式美を感じました。うつくしすぎて なにも考えたくなりました。そして、スマホを 高速でスクロールしましたところ 「或るひと」と「つの……」の間に、白い線の現れることを わたしは目撃しました。ほかの 皆様も ためしてみてほしいという お知らせをさせていただきます。 ちなみに、わたしには その謎の白線は、未来への滑走路に おもえました。どなたかに わたしの妄想を可視化させた動画を つくっていただきたいものです。 (終り)

2019-05-13

どんだけ この映画が、お好きなんですか? (20世紀少年)

2019-05-13

生が、ななめにしてありますね。 なるほど。 逝で終わる言葉えらびは、可能ですね。 わたしは、単に 詩の形が四角が うつくしいとおもっただけだったのですが、四角にすると、生がななめ配列であることも きわだつはずだとは思います。 (きるという時)

2019-05-13

今日を語るのは、愛とおなじことを語っているのもしれないな。と、おもいました。なにげないことと、うつろいやすいところが ……です。 (今日)

2019-05-12

どうしたんすか 緊張だけが つたわりました。 (無名)

2019-05-12

なにげに おかれた 星が るうるう、という表現に出会えて嬉しいです。ありがとう。 (湖歩行)

2019-05-12

さいごが六文字だったとしても 問題ないのでは?と、おもいました。 (きるという時)

2019-05-12

さいごに、すくわれる感じも すてきです。 (魚座)

2019-05-12

本作品は、拙詩【そらおそろしい】に於いて 南雲安晴氏にいただいたコメントを 参考に 書かせていただきました。 (くだる)

2019-05-08

こうださん 拝聴しました。こうださんの元の作品をなんどか聞いて、音声を妄想しながら書いたので、超うれしい。冒頭から、そーそー そんな感じ、イメージのとおりだ。とおもいながら聞いて「かくしてんね」で、よすぎで 爆笑しました。結語も、、、(以下略) ともかく、ありがとうございました。今日は エンドレスで本作品と私のを 聞きたおすことでしょう。 (Anemone coronaria)

2019-04-24

丁寧な返信。ありがとうございました。 (砂場均し)

2019-04-24

はじめまして わたしは、管理人ではなく 一般参加者なのですが、ひとこと。 こちらのサイトでは、1ヶ月の投稿は 二作品。と いうルールで あります。ですから、どれか ひとつが削除対象になってしまいます。もうすぐ四月ですし、春さんのほうで 来月投稿にしたい作品を選ばれると良いですよ。 (ずっとそこに)

2019-03-31

改訂後の詩が 拝読できて よかったです。 二行めの 「血よ」は、改訂前では ひらがなであったので、「血」である可能性と「ちよ」という名前である可能性があるとして、拝読しておりました。漢字だと千代さんの物語としても、想像をしていた訳です。 改訂されたことで、世界観が 明確に かんじられるようになりました。 「しおさがして 」の部分も改訂前後で、かなり印象が違いますね。当初の作品では、潮を 想定して拝読しました。寒流と暖流が混じり会うかのような 大きな潮流を 顕微鏡の中に観ていると、作者は 表現しておられると 最初は 思いました。 (imaginary)

2019-03-30

★仲程さまへ すごく好みな作品です。と、言っていただけて 嬉しいです。ありがとうございます。 「確かに共鳴しましたボタン」みたいなものを何度も激押しまくっている光景を妄想して 楽しくなってしまいました。ありがとうございます。 語りてが後半、向こうの人になってるのが判らないままで終えたらどうだろうなんでしょうね。グリコのおまけというのは、たしか 即興詩サイト ゴルコンダ仮でだされたお題だったのです。出題されて何分もしないうちに、ものすごいスピード感で書き上げたのです。そういえば。中盤ぐらいまではそういえば書いているつもりはなかったのです。だから最後まで、死者であるかどうかが判然としない描き方もあったのかもしれません。ただ わたしには それは難しい書き方です。そっかあ もうひとつの世界かあ。それも ありですねぇ。 ★ishimuratoshi58さまへ しみたんかね。ほうね。そりあぁ えかった。ありがとう。 広島弁は 私がネイティブで喋れるから書いたんかもしれん。 標準語ゆうんは、どこにもない うその言葉なんじゃろうか。生と死のきわにある言葉って ある気がする。宮澤賢治も 「あめゆとてきて 」とか 書いて、もっとも大事な部分は、標準語では 書いてんなかったね。 詩人ゆうんは いなげな生き物で、ほんまのところで息だか粋だか生きだかしてて ほんま やねこいよね。方言といえば、東京で 電車にのっとったら 「いなげ」って大きな看板が でとった。いなげ屋さんという店があるから東京の人には普通なのに、広島人だけは笑う。すくなくとも わたしは、笑ろうた。  方言で かくことで 現れる 沁みる感じもある反面。なんもかんも書いても その方言以外の人には どうもこうも通じないこともある。 言葉って、やねこいね。どうも言葉 ひとつひとつに、謎の射程ってもんがあるみたい。 ほんまの詩は、謎の射程を 超越するかもしれなんね。あ 旧かなづかいって、超えるヒントがありそうじゃね。石村ワールド たのしみにしてます。ぺこりん。 ★ 黒髪さまへ はい。随分と前のこととなりました。よくわかんないのですが、バカなのか 自分で読むと、なんだか 泣ける。文章中に、「泣く」という言葉の頻度が 醜いほどなんですが、わたしは それでも、私自身が読むと 泣けてしまうのでした。 その完成しているさまを、美しい声で聴く。をお なんいう 麗しい表現でしようか。 今、我が家のちかくで 「ほうほけきょ」と鳥が鳴いているのですが、昔の人は 鳥の鳴き声も 法と華を聞いたらしいです。完成しているさまを、美しい声で聴く。とは、まさしく そんな感じをイメージしました。ありがとうございます。 動画の添付も ありがとうございます。いいですねえ。 (グリコのおまけ)

2019-03-14

この詩のような文章は、過去にかいたものです。話者に 、「きちがいじみた詩とかいうもの、」と、わたしは言わせましたが、詩への昇華活動は けして きちがいじみたことであるとは、現在のわたしは思ってないことを、追記させていただいておきます。 (グリコのおまけ)

2019-03-06

作者名を読まずに一行目から 読んで、嗚呼 良いなあと 思っていたら石村さんでした。全体の詩文への感想としては、絶句でした。 わたしは 弟を亡くしている ひとりの姉なのですが……。 弟の名前が たまたま「隆」なのですわ。絶句は、しょうがないです。いたこだと感じてしまったら感想なんてかけません。でも、わたしだけは この詩を忘れないことでしょう。 (室内)

2019-03-06

まど みちおの「くまさん」という詩を想いました。たんぼぼと 熊がでてくるというそれだけの類似点なので すこし言うのが はばかれたのですが、きにさわったらごめんなさい。でも わたしは、数おおい詩人のなかで まどさんは別格中の別格です。黒髪さんは もしかしたら、今を生きている まどさんなのかもしれない。 良いタンポポも悪いタンポポの部分では 谷山浩子さんの「たんぽぽ食べて」という不思議な曲を思い出しました。タンポポには、良いタンポポも悪いタンポポも ないきがするのですが、萌え出る様々な事象の比喩に タンポポをもってこられるあたりは、なんだか あいくるしいですね。 (タンポポ小景)

2019-03-06

おはようございます。感じたままに感想を書かせていただきます。 へぇ そんな読み方をする人もいるんだな程度に 受け取っていただければ嬉しいです。 いいんだ 花は さかなくてもいいんだ この第一連目は、わたしにとって衝撃でした。わたしは、生来の花好きだからです。 ガーデナーは いかに咲かすかに心を尽くすし、人々は その人の花をどう咲かすかに苦心します。だからこそ、人は苦しむ。人の場合は、咲いたら咲いたで ほかの人の花のほうが立派だのと 比べて、落ち込んだりする不思議な生き物です。咲いているかのようにみえても幸せとは、限らない様子です。 植物を じっとみておりますと、花を咲かしているときと 葉を茂らせているときだけのときと どちらからが幸せか 感知しないで咲いているようです。うん。別に 花を咲かしていない植物も幸せそうに お日様を探している様子です。人は、人としての花が咲いてないと、苦しむのです。 いいんだ 花は さかなくてもいいんだ と、思っているかのような植物のような心を、私の場合は 思いました。 先日、「あん」という映画がテレビ放送されて、わたしは 本作品を再読したいという思いになったのです。映画では、服役経験という罪や後悔を背負った中年男性が、樹木希林さん演じる 餡づくりのうまいお婆さん(樹木希林さん演者)にであい、餡のできあがる工程でじっと餡を見ついる姿と 寄り添うことで、心がほどけてゆく話なのですが。 なかでも 心に残ったセリフが、この詩を私に思い出させてくれたのです。記憶を頼りに書くので間違えるているかもですが、映画内の言葉を 書きますね。 「もし 私達は、この世を観るためために 聞くためだけに、生まれてきたとしたら、何かになれないとしても、生きる意味があんのよ」 ふるえる心でものを見、モノを聞く。うつくしい音楽が世の中に溢れていますが、自身が 音を発せられなくても、良いものは良いとしっかりと聞くことのできる境地に広がる地平が この詩には ひらけている。 私には、そのように感じられました。 (罪)

2019-02-22

丁寧に読んでいただいて どのように感謝をあらわせばよいか、よくわからないのですが、ありかとうございます。 自己啓発というほどではないのですが、たしかに 自制と自発でした。 次回は もっと はっちゃけたいです。指だけでなく 全身で書いたなと おもわせる詩が書きたいものだと思わせていただけました。ありがとうございます。 (B=REVIEW 2019年1月投稿作品 選評)

2019-02-20

こんにちは 私は不勉強で、 本作品の月清という人物を存じません。 親鸞聖人が亡くなったあとの時代に、教えが世間に間違って伝わっていることを嘆いて 正すために書かれた書物の引用がありますので、親鸞聖人に関係する方でしょうか?それとも エクスペリアさんが 書いておられる人物が、本作品の月清という人物でしょうか? 本作品の観賞のために、教えていただけると幸甚です。 (【哲学の道散策】※)

2018-12-31