作品投稿掲示板 - B-REVIEW

るるりら

投稿作品数: 12
コメント数: 193


おはようございます。 この作品を書いてくださって、有難うございます。 わたしにとって、この作品は 私のために書かれたものにしか思えないのです。 はじめて この詩を読んだとき、この詩を書き写したいという衝動にかられました。 滋味深い食べ物を 良く噛んで食べるように、私に必要な薬効が この詩にはあるのです。 まず、わたしは まず6Bの鉛筆で 【冷凍の魚の眼 【あらゆる瞳は神の灯火のように美しい と、書いてみました。沁みます。力を入れずとも濃く太い文字になる6Bの詩句。 すべての方に この文字の薬効が働くとは思いません。わたしの母は目に病があるため、 実際に冷凍の魚や 煮魚のような目の色をしているので、私には特別の効き目がありました。この2行に出会えたことを、私は私の心に刻みます。 【戦争の記憶 】は、私自身も逃げずにテーマにして 考えたい事柄です。カオスとの対話は 骨が折れる作業です。なにしろ骨を消失するような事実との対話ですから。6Bで書いていると 鉛筆の芯も折れました。 けれど、そのあとに なだらかに続く詩句の 素晴らしさは いったいなんなんだろう。 【ああ全体が打ち上げられた花火のような空だなあ 年末に大合唱される第九のように、スゴイです。すごいです。ほんと、すごい。どっかーんです。ありがとうございました。また、書き写します。(深礼) (犬死にしたくない)

4 時間前

誤字訂正 ×こらから 大変な手術をするという日に 〇これから 失礼しました。 (父親が手術をします)

4 時間前

父親が手術をします 詩作品は作者と作品の主人公が同一人物であるとは限らないのものですが、この作品は、ちさとさんの心の中にある言語化しにくい苦しみを なんとか表現してみようとしておられる作品として拝見しました。 おそらく ちさとさんは 父親がお二人いらっしゃる境遇の方だと読み取りました。 個人的には、最後の連が 気になります。 >だけど嫌いだった父親が今日 >大変な手術をします >僕は幸せな家族の絵が最後まで描けませんでした こらから 大変な手術をするという日に(育ての お父さまが まだ亡くなってはいない時点で、僕(たぶん ちさとさん)の人生においての家族の絵が もう終わっている。この寂しさは、この詩文で昇華しきれているとは 私には思えませんでした。 参考になるかどうかわかりませんが、 父母の関係の希薄さをかかえつつ 卓越した卓越した詩や文章を書くようになった方といえば、室生 犀星がいます。 わたし自身が彼らのことに詳しいわけではありませんが、私の尊敬する とあるネット詩人さんが 室生 犀星を敬愛しておられます。室生 犀星は詩だけでなく 読みやすい小説なども書いています。彼の言葉は 父母に対する違和感から発せられているかもしれません。もしかしたら、ちさとさんの琴線に触れるものもあるような予感がしましたので 室生 犀星を紹介させていただきました。 (父親が手術をします)

4 時間前

こんにちは 中島みゆきは、【あの娘】という曲の中で 「よくある名前をつけた子は 忘れられづらいというけれど…」と歌いました。ふじりゅうさんの作品には ときおり人の名前が登場しますね。ちなみに、るるりらの本名にも 「ゆき」がつきます。 本作品は、ユキちゃんが 脳みそを不法投棄する物語ですね。ユキちゃんは、なぜ 脳を捨てる。それは、おそらく 自由のためだと思われます。けれど、星条旗は はたして自由の象徴なのか。星条旗が はためく中、★を消す。星条旗における★の意味を想いました。そして、次に 北を消すことの意味を想いました。 脳を捨てた ゆきちゃんならどのように 捉えるのかを聞いてみたくなりました。「わかんな~い」というのでしょうか?  どうやら今日は、日本の歴史において重要な儀式が とりおこなわれたようですが、この詩と そのことが関係あるのかないのかは、私は 存じ上げません。ただ、天皇が移動されることを行幸と書いて「みゆき」と申します。ユキという名前は 天皇と相性の良い名前であると私は思うのです。そして、わたしは「ゆき」のつく名前を祖父につけられたらしいです。(関係ない話を失礼しました)   詩文には、桜好きの多いこの国の写真がでてきますね。日本という国のことを距離をおいて眺めたいという現れだと思いました。この詩は、全体的に厭世的な印象でした。それでも 脳を捨てた ゆきちゃんと この物語の話し手に、そして桜の美しいこの国の人々に 幸おおかれと、祈らずにはいられません。 この詩は本日は拝読するのと 後日読むのは印象が違う気がしています。本日、拝読できてよかったです。ありがとうございました。  (深々と礼) (そしてユキは脳みそを捨てた)

2019-10-22

●遠藤ヒツジ 様へ はじめまして もしかしして、ビーレビ初参加コメントに私を 選んでくださいましたか?それだけで まず 感激です。しかも、非常に秀作との 光栄な評価をありがとうございます。とくに、「詩の原点を見せられる気持ち」との評に 身が引き締まる思いです。 難点についてですが、拙い指摘だなんてとんでもないです。ご指摘は、最終前二連の「るるる」という箇所が不必要では?とのご指摘と、題では「君」・作中では「あなた」に統一感が無いとのご指摘ですね。 どちらもその通りだと思います。ただし、「るるる」は、どなたかが仰ることは予想していましたが このようにしました。「君&あなた」は、きがつきませんでした。 「るるる」とは、なんぞや。この詩は わりと分かりやすい詩表現で書かれていると思うのです。この「るるる」だけは 意味不明ですよね? このところ「る」の文字について思索していたのです。形が美しい。私の名前を変えることがあっても この美しい すこし尖がりのある簡易渦巻型の ひらがなにしよう。と、おもっておりました。すべての根源へともぐる「る」の記号。そして「流転、類似、」と渾身の説明をしてみましたが、お分かりになられましたか?わかんないでしょ? わかんないと思います。 実は、ソコが狙いなんです。この詩は、分かりやすいのに分からないんです。(笑)  童女の話のように、わからない部分があるって部分を、 私は入れたかったんです。わからないがわかる…みたいな……。そういうふうに、人と人とか ふかいところで 触れ合うことができたら、最高だと思うのですが、いかがでしようか? なお、「君」「あなた」は、うっかりしました。この詩の表題は他人様が課題としただされたものんです。君という表現を 私はあまりしない性分であるため 「君」であると なにも 書けなかったかもしれません。目から鱗でした。 とても細部まで読み込んでくださって、感謝しています。とても嬉しくコメントを拝読いたしました。ありがとうございました。 (ホッチキスでとめただけの簡単な詩集、でもそれを君は本と呼んで)

2019-10-21

●仲程様へ タイトルは、ゴルのままです。詩文は ゴルに投稿したものとは、すこし違います。 「かなりいい、じわりときます。」と、ゴルをご存知の中程さんに言っていただけたので、もうもう私は もうほんとうに 嬉しいです。しかし、鱗が痛いの だけがひっかかってしまいましたか。そこは、ゴルに当初投稿した際には、なかった部分です。今の私は、「鱗が痛いの 」を、入れたかったのです。 なぜなら 恋のように書きたかったんです。嬉恥ずかしい恋のアノ 胸があつく痛い感じにも似た感じを、入れたかったのです。ところが、(>_<) イタイ感じになったかもしれません。残念。  でも、まあ……失敗を恐れず 入れなくても良いこともいれたことを 後悔しないでおこうと思っているところです。感想ありがとうございました。 (ホッチキスでとめただけの簡単な詩集、でもそれを君は本と呼んで)

2019-10-21

こんにちは 不思議な読書体験をさせていただきました。 と、いうのは……。私がこの詩を拝読した直後の感想が、眼前に海を見たときの感慨と似ていたのです。波がつぎづきに押し寄せてくるあの海。なにかを リズムカルに運んでくるというあの海を見ているような感慨でした。 どうしてだろう。なぜ 海を私は感じたのだろう。考えてみました。 冒頭の連は四行ですが、他の行は二行づつで成り立っており、それが 私に波を想起させたのかもしれません。 この詩には波があると思ってしまうと、さらに ミラクルなことに きがつきました。 ①歩きながら拾う貝殻の色 ②いつもより綺麗に映る鏡だ ①プリズムみたいに反射する笑顔 ②海に流して君に届けたいな ①閉じ込めていた気持ちを呼んだの ②目覚まし時計じゃ足りない音だよ ①曇らせてまた晴れ渡る空が ②光を音符に分けるとしたら ①指を切った日の熱を忘れずに ②痛みを抱えて会いに行けるんだ これは輪唱に できるできるかもしれません。 ①の後に どの②を選んでも ひとつの波として成立するような気がします。と、いうことは 童謡のかえるの合唱(かえるの歌)のようにカノンを奏でることも可能かもしれません。 複数の人々が この詩をずらして朗読するかえるの合唱(かえるの歌)のようながりを得られる気がして、私にとって 興味深い作品した。拝読できて 嬉しいです。ありがとうございます。 (感情回路)

2019-10-17

コメントに詩文中の語彙を用いて、ひと昔前の女子高生でもないのに もうしわけないんですけど ヤバいって言葉が なんども 浮かびました。ほんと。 まず、最初に 血とミルクの類似をさらっと書いておられるところで、ヤバし 惹きつけられました。その後も 血とミルクの飛沫が交互に押し寄せる感じが、狂気でした。狂気と言えるほど 生と死が甘くて辛い。そして、世界は分からないもので満ちていて、この詩は戦っている。そのように感じました。 (重力をミルクに漬けて)

2019-10-04

石川啄木の「ココアのひと匙」という詩のことを思い出しました。 啄木の場合はココアとテロリストが出てくるのに対して、この詩は コーヒーと戦いです。しかし、苦さや甘さという舌の感覚で「力」という口述しがたいものを表現しているという点では 啄木の「ココアのひと匙」と似ているので、思い出しました。 どちらの詩も、人の心の芯を突いておられると感じます。 また本作品の場合はコーヒーのことを珈琲とは言わず、「漆黒」とされたところにもセンスを感じました。  漆の黒は、艶やかで美しい色です。けれど、漆には 毒があります。漆の色は、毒を有益なものに変えるという匠がないと生じない深さを持った色であることを想いました。 単純ではないことの核心を 短い言葉で読者に感じさせるのは、あまりあることではありません。この詩は、ソコに成功しておられる。この詩は、素晴らしい作品です。 (漆黒を)

2019-09-28

すいません。コピーしてしまっていました。 (一滴の雫をたんとください)

2019-09-26

苦しみにある人を 近づけ 快楽にある人を 遠ざける ここだけ とりあげれば、天使的ですね。 味覚が腐ったおかげで の くだりは、皮膚が腐ったおかげ の ほうが、良いような きがしました。 天使的であることとは、悪魔的であることと、ある意味では似ていると、思いました。これは、目が覚める思いです。 あと、重箱のすみを つつくようで、申し訳ないのですが、 味覚が腐るて、イメージが 難しいのです。 皮膚が腐るなどのほうが良いような気がしました。 (一滴の雫をたんとください)

2019-09-26

はじめまして、私は シューの中にクリームを注入するという作業を仕事としていた時期のある読者です。社会的な含みのことをシュークリームに例えるという視点が素晴らしいです。魅力的な着眼をしておられるなあと、想いました。文章の全体も なかなか、納得性のある内容でした。  ただ、すこしだけ残念に感じた点があります。この物語の語り手のキャラクターや 登場人物のキャラクターが、もうすこし 引き立つ書き方があったのではないでしょうか? おもうに、第一連の文章に 問題があるように感じます。 第一連では、宗教を教える人の言っていた神様のシュークリームの例えから始まっています。シュークリームの教えはリアリティがあます。そして、{神様のシュークリーム}と、いう商品名も、キャッチィで 商品として 普通にあってもおかしくないと感じました。それに ひきかえ、語り手の提案した商品名って、商品名としてふさわしいの長さの言葉ではではないですよね。そんなことを やぶからぼうに店長に言う店員って、かなり性格悪くないですか?この書き方では、私の個人的な意見ですが、語り手に共感がもてなかったです。そして、それに対して店長が、「とても良い名前だね、本当にその通りだ。それはもちろん遵守しなければいけないことだけど、云々」って、有り得ないと思います。だって、商品名のプレートに書けない長さの名前は、まず つけないです。だから、普通の店の店長ならば「いや、君。寿限無じゃないだらね」などと言った内容の台詞で 店員を たしなめるのが普通ではないんでしょうか?  もしも この詩が、店長が新興宗教のようなモノにはまっているキャラクター設定が示されていたものだとします。店員より先に「{神様のシュークリーム}って名前にしようと思うのだが、どう思うか?」と尋ねたあとで、店員である語り手が 例の長くて嫌味な商品名を提案したとしたら、お話の流れが 私にもスムーズに理解ができるのです。  もしそうだとしたら、語り手の性格は悪くはなくて、この店には なにかしらの問題があるようだ。私も感じたはずだと、思うんですよ。 私は、この詩で表現したかった内容自体には、魅力を感じました。しかし、物語の冒頭には 若干の難を感じたのが素直な感想です。長文のコメントになり失礼しました。 (神様のシュークリームのはなし)

2019-09-26

ひとつ からだ ひとつで みてみよう こころ ひとつで うごいてみよう みはてぬ 夢は ひとつではない らいめいのように スターターが銃を撃つ いま すぐに行けと だれかが急かす げんこつを 天に突き んんーんと のびをする ざしたまま すべてを吸い込む いま わたしは生まれた。すべてを見るため聴くためだけに、生まれた。 **** 追伸。突然ですが、詩でお返事を記してみました。くろかみさんの詩作品の中にある >過去があり未来もある >現実はどこにある と、いう箇所が わたしのために書かれているかのように 想えて、わたしの現在を詩として掲示したいという衝動に駆られましたので、書かせていただきました。くろかみさんの作品の、最後の行が  やさしく示唆してくださっている終わりを想うにつけ、だからこそ、わたしは私の手で私の「ひとつ」を書いてみたくなったのです。 ちなみに、わたしの詩のようなモノの各行のはじめの文字を繋げると、 >過去があり未来もある >現実はどこにある への回答であることが 浮きあがってくるようにしてあります。(* ´艸`) (一つ)

2019-09-26

え?題名、好きですよ。 内容も、好きです。好きだということが言いたかったので、言わせせていただきました。 読ませていただきこちらこそ ありがとうございました。 (宇宙の臍)

2019-09-26

その後も次々と 転校生がきて、みんな手を空にかざして「々」という文字を指で書いていることでしよう。 (onaji)

2019-09-25

こんにちは たまたまテレビをつけた番組で大島真弓という女優さんが 癌のことを『「がん」だなんて言ういからいけないと思うの、「かん」って言えば良いのよ。気持ちが大事よ。」と言っておられるのを、つい いましがた聞きました。それで、本作品のコメントを書いてみようと思い立ちました。 ●本作品「猫が書いた詩、わたしが運ぶ詩」について。  本作品に初めて目を通した時に、私は聴覚が刺激されたんです。海苔の缶の中でも 円筒型の缶を開けるポンという音が聞こえたんです。 本作品「猫が書いた詩、わたしが運ぶ詩」は、「癌」という言葉の持つ重さを、手の中に納めることのできるサイズ感の事に比喩しようとしておられて 猫のような やわらかさを感じました。癌のことは、ただの缶だと思うとよいのかもしれません。 ●おまけの『かぐや姫壱夜』について。 この おまけ作品。好きです。細部に 魅力的な罠がしかけたられた 知的なお化け屋敷みたいで大好きです。個人的には ルルという登場人物がいるってだけで、何度も読み返したくなります。また読みたいと思っていますので、感想は短めに この作品が好きです。とだけ報告させていただきますね。よし、また読ませていただきますね。ではでは (猫が書いた詩、わたしが運ぶ詩 (おまけ付き))

2019-09-25

おはようございます。 まず、題名に惹かれました。宇宙の臍。題名になかなかの気概を感じます。宇宙なんていうものの臍だなんて、広大さで《世界の中心で愛を叫ぶ》を、はるかに超えています。しかし広大なだけではなく とても極小な臍を示している。宇宙という開放空間での話のようでもあると同時に、とてもinに入ってくる感じが常に しました。  まず、臍の蠕動とは すごいです。生物の臍が蠕動するのは、普通に考えるならば まだ胎盤や胎児がお腹の中にいて臍が 臍というよりも、栄養などを運搬するパイプであった頃が 臍が蠕動していた頃だと思うのです。だから、すごい。宇宙の臍という題名が、そもそもが ブラックホールを想起します。なにもかも吸い込み、なにかを吐き出しているとも言われているブラックホールです。母体が胎児に栄養などを供給するように 臍は蠕動しているんですよね。 エネルギーを供給している臍を探している。すごいです。宇宙ですし壮大なレボリューションではないですか! >宇宙のヘソが蠕動するとき >世から交換した桜が君の肺を咲いてしまう ここなんか、エネルギー変換が すごい。でも、なんだか 分かり難い表現方法をとっておられる。咲いてしまう。と、あるので 咲いてはいけないらしい。うわ。inに入ってくるわあ。 様々な箇所において、通常の使われ方を翻して使用しておられますね。分かるような分からないような 言葉のよじれが随所にあります。「太陽の抜け殻」とか、どういうことかしらと思っていたら、「私、逃げたくなった」と書かれているので きっとこの詩の話手は 太陽的であろうとして、太陽的ではない得体のしれない死に誘うようなモノと戦っている。と、読めたました。けなげな感じが、いいです。 >あなたの毒は私の血にさらりと溶けて羽を生やす >私、逃げたくなった ↑ここなんか、いいわあ。さきほどまで すっかりinに入ったので 外に出ようい欲求が生まれたんですね。太陽的になろうとしている。 「あなたにあいたいのです」 詩の冒頭部では わからなかったのですが、この詩って恋愛詩だったのですか?《宇宙の中心で愛を叫ぶ》ですね。(笑)  かわいいぢゃあないですか? かわいいんですけど、難解でした。緑色の彼女とか、今も 謎です。 かわいくないよね。(笑) インに入る。を 連呼してしまいしまたが、陰から なんとか出ようとしていているような気もさせていただけた作品でした。 (宇宙の臍)

2019-09-25

●ふじりゅうさんへ 点Pは、すこしだけ意識しました。がちがちな数学的発想でもなかったのですが、数学の図形は、一つの枠組みをただたどることで形は形成されますよね。 人々がだれそれのチャーミングポイントを言うときも、もしかしたら ひとつの枠組みで言うのかもしれません。たとえば、「彼女の笑い えくぼが チャーミングポイントだ」という誉め言葉や「あひる口が可愛い」とかいう誉め言葉も、枠にあてはめて該当したら誉めているのかもしれません。 それに対して、ポイントを指摘せずに 「彼女の全部が可愛い」という誉め言葉があったとする。すると、漠然としています。そして、可愛いと言っておけば良いという枠に該当しいるから誉めているだけと 受け取られることもあることでしょう。 ポイントをつかもうするのと、ポイントなんて考えないのとを比較して、 どちらが女子にとって有効かというと、なにかポイントを見つけるほうが 笑顔が継続する可能性が高いのは、別の良い点も見つけやすくなるという利点があるからかもしれません。女子は、ささいな好ましい点を探しては、旅をするものなんです。なんちゃってね。 (ciao ちゃあみんぐ)

2019-09-24

●エイクピアさんへ 人は、物にとって 物なのかもしれません。もしかすると 人とは、けものにとって のけもの、なのかもしれません。流線形であるなら水圧や風圧をうまく にがして動きやすくなるかもしれません。知識が自在に自由に動かせることに憧れます。そのようなことを願うのは、人だからかもしれません。 この詩を書いた後 正直、精神的に不安定になせさせるを得ない日常に、突入してしまい返信が遅れ 申し訳ないです。 ですが、この詩を書いたのは、私の中にある点を 未来にある点と結び付けたかったからでした。この返信が そのことを思い出させてくださいました。ありがとうございます。 (ciao ちゃあみんぐ)

2019-09-24

●藤 一紀 様 引力という通常の力は、別の違う力について描いた該当の箇所だけが詩だと思ってました。なので、分かっていただけて 嬉しいです。ありがとうございました。 (Mはman。そして、Wはwacko。)

2019-09-24

●舞浜 様へ 「人を殺したことがある」というショッキングな告白が宙に浮いてしまっていましたでしようか?別段、宙に浮かせるが狙いではありませんでした。もう少し、読み解くなにかを書くへきでした。 じつは実話なのです。悪気のない言葉が それも宗教的な人を救うためにこの世にある概念であるにも関わらず、コミュニケーション不足な関係の中で語られた場合は、死へと いざなうことがあるというお話が、コレで ございました。 川のこちらとあちら、自分が居ると信じているのはどちらなのか、ぐらぐらする感覚を味わっていただけて嬉しいです。私はそのような気持ちで描いたからです。 祖母は仏教を深く信じている人でした。祖母が亡くなって何年もたったころに、仏教の教えの中に、浄土に行く大きな船があるという教えがある事を知り、とても驚いたことがあります。わたしは、全く仏教に傾斜してしていない時期(ただの夢ではありますが)に、そのような船をみたことがあるからです。 ただし、有難い船の話で 命を落とされた方が実際におられることを想うと、私の心は動揺します。どう考えて良いのか 今でも分かりません。ただ、常識。つまり、常に意識にのぼっている善悪は なにかの拍子に ひっくりかえることがあります。それでも、自身を みうしなわないでいたいならば、だれかに 自分の思いが届くことを信じているしかない。そして、なにかしら行動するしかない。今回の場合は、詩作として掲示したことは良いことであった。と、下さっているコメントで感じました。だれかに伝えたいと願ううちは、なんとかなる。のです。わたしは、この詩を書いてよかったです。読んでいただいて ありがとうございます。  このたびは、このような人に普通は発言しないでいたことを、はじめて文字に おこしてみました。私は、人々が法に触れているという意味での人殺しは もちろんしたことはありません。しかし、本音では 私は人を殺したことがある。と、思ってきました。このような告白は、どう考えても 唐突でしたね。もっと説明を要します。しかし、私は 何しろ初めての告白でしたので このような稚拙な告白となりました。 おかげ様で、長年の悪を 吐き出せました。お目よごし 失礼しました。 (Mはman。そして、Wはwacko。)

2019-09-24

おはようございます。 この詩を読む時間帯は、朝が 一番良いと感じました。 夜が明けたなあと、感じながら 読むと、身体が浄化します。 冒頭では >頭では全く違うこと >考えていた と、あるので きっと 自身の闇を見つめて闇が闇を増殖し膨れ上がり ドツボにはまるようなことを 考えていたのだろうなあ。と、思いました。私も よくやる思考だわ。それって。と、思いました。 世間では、よく光ある発想をしなさい。だの明るい方を向きなさい。ポジィティブに考えなさいだのというようなアドバイスが 古今東西の唄やお説教が語り掛けてくるのですが、実際の暗闇ドツボにどっぶりの時って、そんなの簡単ではありません。  ですが、ふと 自分が努力するのではなく、お日様のほうが私を見ていたなあ。と、気が付いたとき as soon as 世開けですよね。 あ。あれ?最後の行の字を良く見ると、「 世が開け 」たんですね。夜が明けるがごとく心境が書かれていると 最初はおもったんですが、もっと この詩は広いです。 鎖国の終わった日本のように 様々な事柄が変化することが期待できそうです。 さわやかな言葉が 読めました。ビバ 幕開け! 良い日にします。ありがとうございました。 (お日様は私を見てた)

2019-09-19

読んでいて、 ペーソスと笑いが イイ感じで  くせになります。この作品、好きです。 「これの標準語に近いバージョンも、このコメント欄に 投稿しますし、関西弁にはどのような効果があるのか? またはこれが津軽弁や鹿児島弁ならどうなるのか? そのアクセントやリズム感はどう変わるか? 色々検証できると面白いかもです。なんて思ってます。 とのことでしたが、やっぱり関西弁が一番 似合っていると感じます。 この詩を紙に印刷するとしたらバックに 道頓堀川界隈の画像をかぶせてほしい感じがしました。 (阪田寛夫に捧げる詩)

2019-09-18

おひさしぶりです。感想を書かせていただきますね。 最初に思い浮かんだ言葉があります。「生け花」です。「生け花」って、 生首みたいな漢字の組み合わせだとおもったことがあるんです。それを 思い出しました。 >空気が青白くなってきた ところに浮かび上がってくる 肌色がそこには きっとあるのだと感じます。(肌色といえば、昨今では 差別用語ですが、きっとヌーディな色に違いありませんが)。この詩って、絵画にしたくなる詩ですねぇ。 具体的にどうんな絵か想像してみます。冒頭では、首は花のような色味の首を連想しました。しかし、中頃では 食べる所作が描かれているので 果物のようですね。咲いていたはずが、いつしか実っていることになっています。そういえば、果物の色も 女性の化粧用品の色名によく登場します。たとえば、アプリコットとかね。だから、女性の顔は 色彩的に見て 花であり果実であるといえそうです。つまりは絵にするのは難しそうです。これは詩でないと だめですね。  女の顔色だけをとりあげてみましたが、色彩だけの問題でもない気がします。 色とは、色っぽいという言い方を持ち出すまでもなく 性的です。 性質も女性の顔って、花の役割や実があることを宣伝する果実の役目も実際にありそうです。異性のいない空間での たくさんの女の顔は みな同じ。怖いけど、同じ女性として心当たりのある心境だなと感じました。  女がひとりですごす時間には、花や果物が似合います。この詩は、どこが怖かっただろうかな。と、反芻してみました。すると、個人的には この家に鏡が一番、怖かったです。怖いという感情は 倒錯して なにか別のものになる感じのことを指すように思いました。倒錯しそうなのに、鏡がないのなら ふと我にかえることのない時間のことを指している気がします。それって、おそろしいです。  わたしは今、庭でできた葡萄を食べながら書いているんですが、葡萄みたいな色の生首にだけはなりたくないなあとも 思いました。おそろしいですもの。 でも、この詩は なんとはなし美味しいです。御馳走様でした。 (女の家)

2019-09-17

わたしは、この作品に恩を感じています。とはいえ初めて読んだときは あまり良い印象をもちませんでした。 わたしが この詩を初めて読んだ時、感情というものがなくなってしまう瀬戸際に私はいました。私の中で善悪の大どんでん返しが起きていたのです。私の母は、全盲目指して暗く厳しい状況に向かってすすんでいます。耳も、よく聞こえていない。日々、コミュニケーションが難しくなっているので、遠方にいらっしゃる名眼科医との誉れ高い病院への旅先で 私はこの詩を読みました。  医師は、けして良くはない結果を やんわりと伝え。母は けして悪くはないと理解したようです。そして 旅先の様々な人々は とても親切でしたが、 母は あきらかに おかしい ハプニングを色々としでかしてくれたので、厳しい状況を想い知った旅でした。 帰途についてからも、母と私の状況は 当然、厳しいです。以前から 毎日毎日、一メートルも 離れていないのに「おらんのか」と言われてきました。いままでの私は毎日毎日、一言の声かけも 六回くらいはしてました。小さな声から だんだんボリュームをあげて喋るような毎日でした。わたしとしては、それが最善だと思っていました。しかし、旅から帰ってきたある日、耳の不自由なはずの母の前に 普通においた食器の音が「暴力的だ」と罵られました。そのとき わたしは 発狂し、大声をあげ 人ではない獣のような声をあげました。とても轟音でした。声が枯れましたし。でも、その声は、母には聞こえず。すやすやと母は寝たのです。 天使の日々は無為だった。 天使の日々は徒労だった。 天使の日々は無駄だった。 この箇所が まししく私自身のことのようだと感じました。私にとっての善が無駄だったんです。なにもかも辞めたくなりました。夕方になると、意味のない大声を 遠吠えるかのように発することが 二日間ほど続きました。喉は常に痛い状況なので、声がでなくなりました。すべての会話が とても小声になりました。私の思考力は低下しました。友達との約束を記憶できてないことが複数あった。孤立傾向です。 そして、この詩を 再び読みかえしたとき、私は、なんと ちょっと笑えたんです。 >軌道から外れた惑星の旅が、終わっていく夜。2019年の大晦日には、宇宙の隅で方舟が燃え上がる。降り注ぐ火花を仰ぎ見ている黒豹。 宇宙的視点なのに、デジタルに世界が終わるんです。んなわけなんぢゃん。すこし笑えました。そうでしょ?ほんとうの物事って、デジタルみたいには終わりはしないもんでしょ?ある日突然 発火するような出来事があったとしても すべてが終わることはないんです。それって、笑えるではないですか? この作品は、記号で編纂されています。たとえば、【ラファエロ】。彼は、宗教画を多く描いた画家でした。宗教画というものは、様々な約束事のモチーフによって宗教を伝えるために描かれています。宗教がこの世にない時代でも きっと、世の中にできわくすべての事柄は 善と悪という二項対立にありわけて考えてしまうものであったことでしょう。それってカオスすぎて問題解決が困難です。だから、記号化です。ラファエロの描く善と悪は、明確で記号的。個々の人々がそれぞれの立場で、善と悪を当てはめるために 記号的表現がなされています。仮に善悪にふりわけることが人には必要だからだと思います。しかし、世の中は 実際には割り切れないことばかりです。人間は不器用な生き物なんだと思います。人とは一応は二項対立をしないと 身動きがとれない生き物。だから宗教では 一応は、しばしば二項を対立させるのだと思います。 しかし、現実では すばらしいと思える事柄だって、ある日突然に みすぼらしいへと 裏返る。この詩のような年末で世界が終わるどころか、ひとりの人間の心の内側では 秒単位で世界かが終わったかのような心境に陥ることは ある。しららずしらずに善悪を決めていた。それに 私は気が付きました。 この詩には大嘘があります。世界が終わったかもように思うことって、どう考えても大嘘ぢゃん。と、感じたとき。わたしは笑えた。すると変化が起きたんです。喉は変な声を出したせいで痛い状況でしたので声はでなくなってました。すべての会話は とても小声になった。でも すこし笑えると感じたら すこし穏やかになれたんです。すると、不思議なことに 母は わたしの言いたいことが理解できる傾向が現れはじめています。小声なのに なぜか母の耳に聞き取れるらしい。 ありがとうございます。なんか やってけそうなんです。 ※追伸。みなさまへ 私は私の身においてしかこの詩を読みませんでした。みなさまの文章も読まなかったわけではありません。ですが、お礼を言わせていただきますこと どうぞお許しくださいませ。 (ラファエロ)

2019-09-17

こんにちは。初読の印象は、親和性感じました。 わたしは、よく 「愛は、このごろ いつも百均でかえる」と、いう意味不明な自作の鼻歌をうたっていることがあります。そんなかんだで、わたしと 感覚の似ておられる点を おもちの方だなあと、おもいました。 わたしの鼻歌は 冒頭に紹介したフレーズしかなかったのですが、缶詰は わたしの鼻歌のバージョンアップに 役立てるな。鼻歌のクオリティをあげることができるなと、勝手なことを おもいました。 最近 アイって 具象的すぎて ポアンッとした 言葉ですよね。 この詩は、詩ではなく 歌としてリズムに意識をおいて書くと、さらに おもしろいんではないどろうかなと、おもいました。 詩は、記録される媒体だけど 歌は、時間の芸術なので この詩の内容に ふさわしいような予感がしました。 (アイの缶詰)

2019-09-15

●みうら氏のコメントをお読みのみなさまへ みうら氏は、私のツイッターを読んだので、このような謎コメントを書いておられるのです。みうら氏にしてみれば、るるりらは なにやら理由は定かではないが るるりらは傷ついていると 感じてくださっています。 ●みうら様へ その映画のことは なにも知らないのだけど、 彼氏が自分以外の人とデートしているときに、影で初めて泣いたのだという理解で良いですか?人前で泣くのは 私も苦手だな。その女子は 一世一代の演技力で最後まで泣かなかったんだと解ります。そして、一人で泣いた後のことを想像しました。 ひとりで泣いたあとに、街中で 彼氏と元彼女がデートをしているところに 出くわしたら、演技力をさらに磨いて 泣いたことなんて 無い。てな感じのふりをすることでしょう。 わたしは、泣いたことがあることを告白してしまったのでした。演技は気概をもっていきていくのには必要です。しかし、詩とは演技から生まれる何かではないと考えています。詩に嘘があることは しばしばですが、嘘によって真実に触れることをしようとするのが詩であると、私は思ってます。 わたしは演技はできないです。けれど、演技なんて 詩を書く人には、必要のないのだと思ってます。だから あれは アレで良いのだと思ってます。 日常生活で だれかが私のチャームポイントをみつけてくれた頃に帰ってきます。そのときは、みうらさんは 詩を読むことを続けていてください。では また。 (ciao ちゃあみんぐ)

2019-09-12

千才森 万葉様 この詩の産毛まで 撫でてくださっているかのようなコメントを ありがとうございます。やさしみのやさしみは 万葉さんの読み方によって 私に沁みてきました。 芯のところも ちゃんと 汲みとってくださっており感謝です。 そうです。嫌なことがあり、むしゃくしゃして言葉遊びと連想ゲームをしていたら、人に優しくしている人を見つけて心が穏やかになり、また先へと進めるようになった。そんな詩です。 チャームポイントって、他者を惹き付ける点であって、他人が居ないと教えてもらえない。自分じゃなかなか気が付かないものなのですかね。それは きがつきませんでした。 実は、この詩を書いた直後に 日常生活において、私のキャパでは手に負えないことにでくわしてしまいました。それで、ネットの友人全てに対してネット落ちを宣言した所でした。けれど、チャームポイントは ひとりきりになれば、けして みつからない物である可能性が高いですね。闇雲にチャームポイントを探すつもりでしたが、貴重なヒントをいただけました。ありがとうございます。 (ciao ちゃあみんぐ)

2019-09-12

ほほえましいなあと、ほっこりしました。 うちにも ミントオイルあります。オイルと書こうとして 自動変換が「老いる」になるくらいに  老いは わたしにも切実なだけに、癒されました。 (母のこと)

2019-09-10

良い調子で 人生をさらりと 唄っておられますね。浴衣で おどりの輪に はいりたくなりましたよ、よよいの よい。 (『Little Eggs Dodo it’s 飛べぬのろまの 歌うたい』)

2019-09-09

こんにちは この詩の主人公は、一言でいうと 【山の人】であるなと思うと同時に【植物人間】という言葉を思いつきました。 山の人とは、山に居る人のことです。そして、植物人間とは、いうまでもなく かつては 動くための五体を持っていながら 動くことが ままならなくなった人のことです。この詩は動物ではない生き物が かつては動くことができたという想定の物語ですよね。でもそれは、ある意味、植物人間であると思いました。  しかし、作者であるyamabitoさんは、とても骨太な作品をお書きになる方であり 実際にも 実際にも体幹がしっかりとしておられるのだと お見受けしています。 yamabitoさんは、たとえば、木を見ても 動き出せば良いのにと想像されるほど、動くが当たり前の方であるように 私は感じております。 わたしは、【植物人間】という言葉に対して、動くということの幸せをしっている人々の造った悲しい言葉だと思っています。そして、この詩も 同じ類の哀しさが漂っていると感じました。 「動かけないものに対して なにかの罪がある。」と、いうのですから 哀れみが この詩にはある。植物であるなら、光合成ができるだの 種は 遠くまで飛翔するだのということは この詩では関係がない。 ≫なにかを期待するわけでもなく ≫ただ、待ち続けるという事なのだ この結句なのですが、逆に なにかとても期待している事柄がある。と私は感じました。 たとえば、かつてのように 普通に 動き回りたい。 まっすぐに 背筋を伸ばして、動き出せる明日を 望んでいる。私は、そんなふうに感じました。 私のこの読みが誤読であるかもしれないです。詩は ときよりロールシャッハ・テストのように、読者の思いが投影されて読まれます。 わたしは、動けるような体幹が欲しいです。木を見て、動くと良いなあなどとは 思ったことのない私なのですが、(木が動ける)と良いのになあと妄想できような頭が欲しいです。 なので、私は 体幹を鍛えることにします。私の読みは、誤読がもしれません。しかし、良き気づきを いただけました。まずは、スクワットします。ありがとうございました。 (とある湿原にて)

2019-09-09

安達祐実みたいに 可愛らしく言いますが、「あまーーーーい!」。 (╹◡╹)×(╹◡╹)=無限大 好きな作品です。 ((╹◡╹))

2019-09-09

こんにちは、八咫烏を連想しました。カラスって、現代では ゴミあさりなどで迷惑がられていますが、神格化されている逸話のある生き物ですよね。 ≫お前の脊柱は決してバラバラになったりしないから、 ↑ ここが、好きでした。神ってます。生き物の脊柱は生きている間は そうそうバラバラにはならないはずですが、生きている限り いつかはきっと終わりがくるはずですが、【決して】バラバラにならない。だなんて、神を想いました。そして、 音楽性を可視化させたかのような表現が 随所にあるのも不思議で美しいと感じました。 「風景は作るもの。空の色もまた」 ↑ 風の色 雲の影すら 俯瞰できる 神々しい視座だと、感じました。 題名がまた、にくいですね。 なんとも いえない良さを感じているところです。 (逃げ水)

2019-09-05

こんにちは  カーテンを開けるといえば、私の場合は 荒井由実の「やさしさに 包まれたなら」という曲を思い出しました。その曲では、カーテンを開けて 新鮮な空気や光を部屋に取り込むと、やさしさに包まれるというのが、「やさしさに 包まれたなら」なのです。この詩においても カーテンを開けるという具体的な所作のある詩は良いなあと思いました。 話はすこし変わるのですが、わたしの知人に 長年ひきこもりを経験した人がいます。その人は朝夕が逆の暮らしをしているので 部屋の入口を固く閉ざしている人です。 世の中には まったく部屋からでようとしない生き方の方がいることを、私の場合は この詩で連想しました。 カーテンを 開けるという 一見、さりげない所作ですが、この詩がもし 高層マンションの窓のカーテンを 開けるときの心境を書いておられるなら、そのあとにつづく事象は 言うのも苦しい事象がある可能性を 私は思いました。それは、心の冷え冷えとする事象だと いわざるを得ません。 そんなことを考えてしまった私は、つい 荒井由実の「やさしさに 包まれたなら」という曲のような やさしさに つつまれてほしいなと 個人的には おもったのです。 (カーテンを開けたら)

2019-09-05

おはようございます。 抽象度の 高い作品に、思いました。 ひとつひとつの語が、うつくしいので なんとなく ダイヤモンドのブリリアントカットのような眩惑的世界を 描こうとされている気がしました。 しかし、正直もうしあげて 理解できませんでした。 (訪問者)

2019-08-29

こんにちは、 先日、電気屋のレコードプレーヤー売り場で、レコード針を落とすタイプのプレーヤーを見ました。いまどきの展示は、針部分が客には落とせないようにしてあります。レアだから しらない世代の人がすると壊すかもしれませんよね。今朝 傘の中で、ぷつぷつという雨音を聞いていると 針が落ちてしばらくの間のぷつぷつした音と この詩の冒頭のことを思い出したので コメントを書かせて頂くことにしました。 ≫もるる、 ≫うぐり この擬音 いいですね。 レコード針を落とすしてから はじめの 一音がスピーカーから出てくるときの感じでもある気がするし、虫を用いた朝の比喩だと書いてあるから そうなのでしょうが、朝に布団からでる前に もぞもぞしている あの身体感覚な感じも想起しました。腹の虫という表現もあるように、人の心は あんがい虫っぽいなと yamabitoさんの虫シリーズを読んでいて思ったてことがあるのですが、今回のは 過去に私が読んだものと すこし違うようです。ポップですね。 yamabitoさんの虫への違化を表現した詩群が好きなのですが、この詩の場合は変化ではなく そもそもが人とは蟲であるかのような身体感覚表現だと思いました。 虫であるかのような表現なのに、ポップですね。神様の肉厚の巨大な人差し指が、やる気スイッチを押しているかのようです。人差し指だから なんだか箱庭ゲームみたいでもあるとも 思いました。 !? とか!!! とか ポップが炸裂してる。 ≫最高ですか!? ≫さいこうです!!! このコール&レスポンスて 猪木の「元気ですか?」…ぽいです。って、言っても良いですか?筆致自体に対しても自問自答して、おられる気がする。なぜなら、結構ポップなのに、「解体す」という古文的な終り方。むむむ むむむ。意欲作であると感じました。 あと、「、」が いつもより多めですね。過去に 「、」を多用しておられる詩人さんに 「なんで多用しておられるですか」を伺うと、「俺のリズムだ」とか「感覚だ」という答が返ってきたことがあります。本作品の場合は、 yamabitoさんの心の汗のような気がしました。興味深い作品でした。読んでいて楽しかったです。 (小心者の朝)

2019-08-29

はじめまして とつぜんですが、甘めのコメントをつけるつもりです。 それは、わたしのとても個人的な理由からです。 わたしの使用しているハンドルと同じ音を 詩の中に発見してしまいました。 素晴らしい! でもごめんなさい。ほんとうに個人的な理由からの、絶賛でしたね。 メロディがあるような気がします。 題名は、「あめねこ」と読むのでしょうか?「あまねこ」でも良い感じですね。 猫で書いておられる点も、私にとっては ツボでした。 わたし自身への自己愛から なんの欠点もみつかりません。そこのところがかえって もうしわけないです。 けれど、良いわあ。と、思いました。人間、素直が大事かと思いましてコメントさせていただきました。(深礼) (雨猫)

2019-08-28

「黒猫はやはりただの猫ではない。」という学説(あえて、学説と呼びます)は、正しい。 イグノーベル賞受賞研究で猫がそもそも液体であるという論拠を参照する点において、わたしの住む地域にも黒猫家族が住みついていて撫でるとなにやら ただものではない感が漂うという点において、やはり他の猫よりも毛並みがいいという点において、体がやわらかく撫でると異様に手に馴染むという点において、「黒猫はやはりただの猫ではない。」という学説は正しい。 宇佐見踏繁氏によって 水たまりからの派生が報告されているが、他の地域である私の地域猫もただものではない感をかもしだしているということは小川や暗渠においても猫が発生していると考えられる。 道理で、街頭の少ない夜道を歩いていると 草などの茂っているところよりも小川や水たまりの場所のほうが黒さが際立っいる。しかも、すこしの光で水は猫の瞳のように輝くのである……なんちゃってね。 私は結局何が言いたいかというと、この作品が大好きだということが言いたいのです。終わり方なんて しびれます。わさわさ猫が発生するのですね。うわわわわわわわ。 わたしの住む地域の地域猫さんも黒猫なんですが、ある日突然 黒猫家族が現れました。 この作品のまんまな感じです。朝からゴキゲンな作品に出会えました。嬉しいです。ありがとうございます。 ≫みるみるうちに黒猫が一匹すっかり水たまりから姿を現した。それに続いて二匹三匹と次々に同じ色の頭が出た。 三匹の猫はあっという間に平気なふうに寝静まった街に消えていった。 キャーあ (黒猫の発生)

2019-08-22

つけくわえ 誤字は 絶対 撲滅します。 真っ白な気持ちです。ごめんなさい。 (古い月の粉 )

2019-08-21

藤 一紀 さんへ たしかに、「言葉」から意味や音を剥奪して図像化し、言葉というモノをつかったデザインをしています。実は、内容もなにかしらあるにはあるんなあ。と、読者に思っていただけたのなら 私としては成功です。 アイディアの一環として、ほかに「赤・青・黒」もやろうかしらと、ちらっと思っていました。音だの深い意味だのを剥奪するなら、他の色でもアリのはずだと おもったんですよ。 ただ、字ずらが 面白いのは、「白」になです。字の面構えが 一番、この形式には向いている気がしまして、四色の案は廃案になったといういきさつがあります。「面白い」という言葉は おもしろいです。物事を白紙にするような笑いのことをいうのかもしれません。 (古い月の粉 )

2019-08-21

渡辺八畳@祝儀敷 さんへ たしかに この作品のように行の終点を揃えようとすると、サイトによっては このようにいかないケースも多々あるようです。他のサイトでこのようなことをしようとしたことがあります。投稿前画面で確認して、成功すると思っていたのに ダメだったことがあります。すくなくとも私の場合は、私の環境と ビーレビのシステムは相性が良いようです。みなさんも一度は試してみられると、表現の幅の一つに成りえる気がしますね。 (古い月の粉 )

2019-08-21

ふじりゅうさんに面白がっていただいて 作者冥利につきます。 文字の繰り返しで視覚効果をねらった箇所のことを ある種水墨画といっていただいて ああ 視覚効果部分を筆で表現できたら もっと おもしろかったかもしれないなどと さらに妙な妄想をする贅沢時間を頂けきました。ありがとうございます。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-21

おはようございます。先日 十数年ほどひきこもりだった友人と会話をしました。 まさしく、その人は「誰にも相談しない子供は自分が助けを待っているとは気づかないでいる」……状態だと診断を受けたことのある人です。 わたしがささいなことに感じていることが、その方にとっては ささいなことでなかったりします。 この詩を拝読していると冒頭では「青に染まった空とも/ 人とも向き合わず /」とあるのですが、私の場合は その方と重なりました。中盤では「空のある私は/物的な答えをどのように扱ってでも//自分の苦しみから答えを出すことをしたくないから/」 と、「空」は 向き合っていないものから 空とは在るものとへの変化をしていることが 私には、励ましに思えて 美しく感じました。日本語って不思議ですね。 「みずから 」という言葉を思い出しました。「自ら」です。 「おのずと」という言葉と同じ漢字だなあと「自ずと」って書くなあ。空と似てるなあ。と、思ったのです。 自分でなんとかしようとしようとするのと 自然になんとかなるのは、この詩でいうところの「空」の二つの表現に似ているような気がします。そして、なんだか なんとなくなんですが、ひきこもりの私の友人と それとなく「空」を感じつつ触れ合えたらなあと励まされたのです。ありがとうございます。 (空に願う)

2019-08-21

おはようございます。 かっこいい作品ですね。高速で北極星の周りを星々が回っているみたいに言葉が回っている感じがしました。キリコの形而上宇宙という絵画自体が、 ひとつの恋愛詩のような気がしました。あまりにかっこいいです。映画が一本つくれそうなくらいに道具立てがたくさんですね。つい真似をしたくなりました。 ***************** 【メタフィジカ】 僕はこの混じりあうカオスで 君を見つけた まぶたとじめれば 幻惑の メタフィジカ ムービング・ウォークで止まったまま遠ざかる君しか ムーン・ウォークで後ろむきに進む僕にしか さようなら なんて いえないけれど 既成概念の崩壊したナポレオンとオフェーリアの悲恋 自動小銃が経を読んでいるかのような殺戮の機関銃トークをくぐりぬけ 廃墟と同意語の近代都市に きみだけを想う 睫毛ににじむ雫 息をするように、ふるえながら光る 君に出会えたことの歓び まさに「イシ」 風に煽られる新聞紙  君にまとわり はがれていく ラジオからもれている笑い声 残響音が海になる ビーナスが波間から現れる 姿態を人差し指でさししめす まさに「イシ」 (「残響」。)

2019-08-20

ふじりゅう さんへ おはようございます。 「白」が本来の漢字と違うところがあります。 たとえば、 白い胡粉は貝殻の粉だから螺鈿秘密の伸び白 白粉を湯で溶かせば海の死匂がしていたに白 伸びしろは、「白」では 間違えですし 死匂がしていたにしろ は「白」であるはずはないです。 面白がってくださって、ありがとうございます。こどもなので 率直な高評価が嬉しいです。新しい方のコメントを読んで 大半の方が不理解しかないかもしれないと思いましたが、発見がありました。不理解な感じに 懐かしさを覚えたのです。 祖父が日本画が描く人でして、その隣に何時間も座って見続けていた幼いころの私を客観視することができた気がします。何時間も四角の紙のすみずみまで凝視して白を塗る姿は不思議で おさない私にとっては楽しいものでした。 すこし成長したころに私はノートの隅々まで迷路を描く遊びに興じたりしました。 ノートの隅々まで書くということが単純に なぜか楽しかったのは、祖父の日本画の手法で紙の端にも注視するという目の動きを真似ていたののだと今、合点がいきました。 そして、創作した迷路ばかりのノートを他人にみせても すこしも面白くない評価しか得られなかったんです。懐かしい感じがして、はじめてきがつきました。 評価されない楽しい世界を持っているということは、やはり楽しいことです。そして案外 大切なことのような気もします。これが、私の 今日の発見です。ご清聴、ありがとうございました。 (古い月の粉 )

2019-08-20

こちらのサイトでは はじめまして もしも私に詩とはなんであるかを尋ねられたら返事に困ります。 しかし、この世に詩というものがあるのは、詩でしかできないことがあるからだと思うのです。絵でもなく音楽でもなくアニメ や 動画でもなく、身体感覚の発露ともうしますか。詩にしかできないことが、この詩に感じました。だから、私は この作品を まるで自身の痣を しげしげとみるように 見つめてしまいました。魅力ある作品でした。読めてよかったです。 (青痣)

2019-08-19

お読みいただき 批評ありがとうございます。 ほとんど 駄洒落です。 失礼しました。 (古い月の粉 )

2019-08-19

エイクピア さんへ 田圃まで登場人物のようで不思議な感覚は、すごいですね。読者の方の想像力は計り知れず、嬉しい悲鳴をあげているところです。 妹の輪郭はぼやけています。でもその輪郭などを回復させるのは読者ではないかとは、なんと ありがたい読書様でしょうか?実は、わたしも もはや 読者の立場になっておりまして、毎日 妹のイメージがちがって思えているところです。ありがたい評でした。ありがとうございます。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-19

まりも さんへ おひさしぶりです。とてもとても嬉しいです。 はい、ぬ から始まる、組もの。です。 「ぬし」のところは、私自身の自己評価として、一番 閃いた感があったのです。ですが、不評なのかもしれないという思いもありました。しかし、まりもさんに指摘をいただいたので 宝物になりました。ありがとうございます。 まりもさん好きな詩人さんは、伊東静雄のことだという理解であってますでしようか?水に流されたり海で溺れた少年たちが、しゃっぱになる、という伝承を織り込んだ詩を書いておられるのですね。しゃっぱって たぶんシャコのことですよね。あれは、美味しいです。泥の中に生きることを念頭に置いて リアルに描くという意味で、しゃっぱという選択は素晴らしい選択だと思いました。透明っていうのが良いですね。判然としてないところが この手の作品にむいています。 イセエビの幼生にガラスエビと呼ばれている時期があり やはり透明なのですが、成長するとあのような豪奢な身体を得るので この種の物語としては不適切なのですが、この手の話に成体が透明である生き物を示しておられる点が、その方は素晴らしいです。勉強になります。好奇心がかきたてられました。教えてくださって、ありがとうございます。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-19

こうだたけみ さんへ ≫るるりらさんの作品のよいところは、読んでいるうちに「私もやってみたい!」という気持ちになるところだと思っています。作品自体にエネルギーが溢れていて、「よーし、まっけないぞ~」ってなります(^^) ありがとうごいます。 読者の方が「私もやってみたい」とお思いになるとしたら こんな嬉しいことはないです。 ただ、わたしは誤字ばかりしていて やからしていることが多いのも事実でして、 アドバイスは欲しいのですが、「俺もやかしてみたい」と思わせていたら、どうしようかとまじめに頭をかかえています。でも、こうださんの応援をいただいたので、ちゃんと 褒めていただいたことを力にさせていただこうと思えました。ありがとうございます。 コメント (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-19

たこ吉 さんへ たこ吉さん、現代詩フォーラムの書き換えスレッドではお世話になりました。忘れるはずがないではありませんか。あのスレでは たこ吉 さんと私が詩のラリーを繰り返したではないですか。けれど、あのスレでは会話はなく ただひたすら たこ吉さんの提出された言葉を るるりら流に変更させていただいてました。あのスレのルールは基本的には対話をしない事でした。対話もせずに、人様の詩を粉々にして良いだなんて、ルールとはいえ ええんやろかと どきどきしながら やらせていただいてました。ここでようやく 人として対話ができました。ああ よかったあ。ビーレビありがとう。           回回回回          田田田田         田田田田        回回回回 めっちゃ面白いですか?ありがとうございます。でも 白白白白で囲っちゃうヤツのことは ごめんなさい、私はあの作品のことを忘れていました。だから、アレがこんな風に進化を遂げたわけではないんですよ。白で囲んだヤツは 正直 わたしとしては、不完全燃焼でした。せっかく たこ吉さんとお話をさせていただけたし、あの作品を推敲して、私自身が もうすこし満足できる形にして 投稿します。 アノ詩でやりたかった目標としては、 たこ吉さんが、油彩の絵の具が乾くまでを詩にしておられたので 私の場合は日本画材が乾くまでを詩にしたかった。そして、たこ吉さんの作品には「白」がたくさんあった作品だったのを受けて、わたしは白を増量したかったのです。けれど、読み直すと 私は私がしたかったことは まるで、できてはいないです。あれは、私としては納得できないなーい。たこ吉さんが ビーレビにきておられるので、白で囲んだアレを もうすこし書き直して すくなくとも私が満足する形にして提出しますね。よかったら閲覧してくださいね。 あ。そーだ。 本作品で気に入ってくださった箇所にも白を入れられなくはないですかも。            白白白白           回回回回          田田田田         田田田田        回回回回       白白白白 こうすると、またべつの意味あいが……。追加されたかもしれません。 ともかく、ようこそ ビーレビにおこしくださいました。お話ができて嬉しかったです。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-19

yamabito さんへ をお。進化だなんて太刀打ちできないだなんて凄みだなんて、めっそうもないです。山人さんはご存知のないことだろうと思うのですが、私は山人さんのお書きになるたくさんの詩のうち わたしは変身を描いた作品群が好きです。主人公が様々な姿に変わっていく詩編をなんどか拝読したことがあり、なんども読み返しているのですが、感想が上手く書けないため 返信コメントという形ではしてはきませんでしたが、私は山人さんに憧れてきました。変身を描いた山人作品も好きなのですが、自然や主人公が存在する場所の描写も山人作品には 学ぶことが多いです。あまりにも大ファンですので現代詩フォーラムの批評祭で絶賛させていただいたこともありました。この作品を書くにあたっても すこし山人さんのことも思い出していました。変化する生き物を魚ではなく、山人さんに似せて 山女(おさかなのなまえ)にする案も浮かんだほどです。イメージを固まらせるのは ちがうという気がしたので、止めたのです。 だから、ほんとうに 太刀打ちできないだなんて めっそうもないことです。 黙読しているにもかかわらず朗読しているような不思議な現象を体験を経験をされただなんて、ほんとうのほんとうに 嬉しすぎて 私は もう わけがわかりません。いや、なんともうしますか、本作品は 前作品でいただいたコメントをパッチワークしているだけなのですよ。わたしがひとりで書いたのではないですし、太刀打ちできないだなんて めっそうもないことです。でも嬉しかったです。ありがとうございました。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-19

×日本画の手法りひとつに 〇日本がの手法の ひとつ (古い月の粉 )

2019-08-19

この作品は、現代詩フォーラムの書き換え連詩スレッドという参加者が書いた作品を自分風に書き換える連詩を続けるスレにおいて、たこ吉さんの詩句にある言葉のあとに私が書いたものを、改訂したものです。 他人の作品を自分風に書き換える連詩スレは↓こちらです。 https://po-m.com/forum/thres.php?did=196983&did2=190 なお、この作品にすこし難しい画材に関わる語があるので注釈を添えます。 ※膠  にかわと読みます。胡粉という顔料をのばすのに使用します。 ※螺鈿 らでん。貝の内側は虹色に輝きますが、螺鈿細工は貝の輝きを利用した細工です。日本画の手法りひとつに 紙一面に胡粉を重ねて塗った上にはじめて絵を描くという手法があります。胡粉がコーティングされた紙に描かれた作品は見る角度によって細かな光の粒子が宿ります。さながら螺鈿細工のようです。 (古い月の粉 )

2019-08-19

この文章は、実際のハンドル名が多数でてますし、コメントには注意が必要ですね。わたしは、感謝したい点があるので書かせていただきます。 「植松聖に関しては、同じ環境にいても彼のような考えが頭を全くよぎらないかと考えてると 厳しいよね実行に移すかどうかは大きさな差だけど、でも逆に言えばその差しかない」というtweetに関してだけの部分については、それは私がコメントをした件ですね。その後、対話が成立しそうもないという猜疑心に 私はおちいったので、渡辺さんのtweetをブロックしましたので、その後の顛末は一切しりません。ですが、私の意見に「いいね」をくれた方もいらっしやいましたので絶望はしませんでした。しかし、確かに私は孤立も感じていました。 今回のこの記事内で花緒さんが、わたしの気持ちも 汲み取ろうとしてくださっていて 感謝です。ありがとうございました。対話のための努力を勉強させていただいたので、渡辺さのにTwitterブロックを解除しました。やはり責任ある方でお世話になっているので、ブロックが解除できて嬉しいです。花緒さん、ありがとうござました。おかげさまです。 また、タカンタさんとのやりとりについてですが、私は当事者の一人なので、どこかで風穴が開くことを望んでました。御意見が嬉しいです。ありがとうございます。 (表現の自由展・その後)

2019-08-13

●鹿又 夏実 さんへ こんにちは。 視覚的な部分や、聴覚的な部分。書いていて 楽しかったです。 稲妻が稲を妊娠させるという、ちょっとセクシーな詩でもあります。(赤面) 天と田をむすぶ路を言葉で表現する つもりで書いた してます。 遊び心を理解してくださって嬉しいです。ありがとうございました。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-10

藤 一紀さんへのコメントに人名の誤りがありました。 ×柳田邦夫 〇柳田国男 失礼しました。 今月の目標は、誤字を しないようにする。で、ございます。きをつけます。ぺこり。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-10

こんにちは まず、蕣の文字を知りませんでしたので検索にかけましたら 「あさがお」であるとか「むくげ」であるといった結果がでました。 まるで花姿が違う花なのに、なぜ 同じ漢字なのだろうかと思ったのですが、 「あさがお」も「むくげ」も一日花。つまり 花時期が一日のお花であり、キキョウの花も「あさがお」と呼んでいたという説もあるようです。びっくりしました。つまりは、刹那に咲く花を「あさがお」と呼んでいたとは 検索をかけるまでは知りませんでした。 繊細であることを 硝子の心臓であるということがあるように、短命な花になぞらえた心境は、いたいけな印象を受けました。跛行〔はこう〕は、足をひきずって歩くことだから、色々な身体の不具合を抱えておられる詩なのでしょうか?貝がらという季節。と、いう表現が美しいです。貝殻の季節とは、夏をイメージしました。けれど、選挙カーとあるので選挙の季節でもあり、貝殻とは貨幣になったことも物であることを ちらと勝手に思いました。 園芸の本を買って この世を どうにかする。どうにかするつもりなんでしょう?というのは なんだか愛らしい皮肉のような気がします。わたしは、「ルピナスさん」という絵本をお勧めしたいです。たくさんの美しいものを見てきた主人公の女性が、晩年になって たくさんの花を植えつづけて 世の中を美しくしてしつづける物語なのですが、花で この世は変わると、個人的には思える物語でした。もしよかったらお読みいただけたらなあと思いました。「ルピナスさん」バーバラ・クーニー/作 八木田宜子/脚本 それにしても、最後の連は 簡単ではない読書体験でした。生きることの たましいの継承の手触りがとても繊細で それこそ 一日花のように儚くて それでいて実を感じさせる筆致であると感じます。もうすこし繰り返して拝読したいです。 それと、蕣の文字がしれてよかったです。あさがおやむくげを見たときに刹那を 想えそうな気がいたします。 (呼吸癖)

2019-08-10

引用箇所にコピー間違いがおきました。失礼しました。 (球壜燈、単性磁極に拠る分節《わたしのピラマティスティーテ》)

2019-08-10

 おはようございます。まず、題名を目にしたときに、宮沢賢治が書いたもののなかで生前に唯一刊行され、現在でこそ多くの人に読まれている詩「春の修羅」の詩文「「わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明」 を本作の題名である「球壜燈、単性磁極に拠る分節《わたしのピラマティスティーテ》 」で思い出しました。 詩友とともに、「春と修羅」について 学びの場を持った経験があるからなのですが、賢治の作品が評価されたのは 亡くなってかなりの時間が経過してからであり、私達が学ばさせていただいて ああだこうだと勝手な解釈をする時間は とても有意義で楽しい時間だったものの……。ですが、もし 賢治が今の時代を生きており詩の投稿サイトに投稿して「春と修羅」クラスの難解な詩を私はリアルに閲覧したら、私は 故人である宮沢賢治と同じ様に ああだこうだと好き勝手な解釈を言えるだろうかなあと 思いました。それで、感想が書けない時間が過ぎてました。素敵だなあ。と、言ってもいいのかなあ~。と、詩を眺めておりました。(眺めるというのは、読むに至らないという意味です風景を観るのと変わらない心境という意味です。) けれど、掲示板なのだから コメントがつかないのはおかしいという、ごもっともなコメントを読んで、勇気を出して 私も書いてみようと思い立ちました。正直、ロールハッシャテストのようなことしか言えないと思われます。この詩が意味することは まるでわかってないなりに書くと、コメントした者の姿を表現することになりそうです。だから、最初に謝罪しておきます。自分(るるりら)のただの感想しか語れないことになることに間違いなさそうです。ぜったい、わかってないです。 ****************************************** 堰堤の素地を縫う夭き母より※堰むの素地を若い母親よりも 父性、愛尽きる迄わが児を啜り喰らう   子どもへの虐待が書かれているような気がしました。しかし、   鬼子母神のイメージも持ちました。若いころは、子供を食らう神を連想しました。   愛が尽きて狂気となり子をすすると書かれているのですが、この詩句は   冒頭に書かれた詩句なので、鬼子母神のように後で 慈愛が表出してくるのだろうと   推測したわけです。      しかし、この詩句のあとででてくるのは、なかなかの修羅でした。   ユディトが嬉々と抜剣そを振り下ろしてます。幼稚な母にそそのかされた少女が   首をかっきっているのでしょうか?でも位の高い少女の行った惨殺ならば、   群衆は静かに花をたむけて屍を踏み続けるしかないのでしょうか?   街は死の匂いがたちこめて、権力者は 絢爛豪華に美しく着飾るのかもしれません。   そして、自由。アポロンは 英雄のイメージ。   精緻な仕組みを整えることができれば、人々には太陽のしたのような明るさを   不吉な日蝕現象を冷静に 判断し、生きぬく知恵の縦糸と横糸を整えるがごとく   生き方が きっとある。 と、この詩は 語りかけてきました。それで、漠然と なんどとはなく 本作品を眺めていたのです。 いいなあと思う楽しい時間でした。ありがとうございます。    (球壜燈、単性磁極に拠る分節《わたしのピラマティスティーテ》)

2019-08-10

タカンタさんへ 8月7日の最初の私の書き込みにて、このコメント欄では 本作品以外の話は、一切 受け入れないことを、私は 宣言しています。わたしの詩作全般への ご意見でしたら、本作品以外の話に 該当しますので 遠慮いたします。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-08

タカンタさんへ わたしへのアドレスをしないとのこと。了解いたしました。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-08

タカンタさんへ 日本語の詩のあらゆる詩誌や、日本語で運営されている あらゆる詩サイトにおいて、日本語のおできにならないかたのために 英訳可能な 表現をする責任を もとめている場所は、ひとつとして ありません。ですから、英訳可能かどうかを 作者は考える必要はありません。 とくに、本作品の場合は ビーレビ以外の場所に転載する意思が、いまのところ作者である私にはありません。前作のコメント欄に おおくの アイデアをこのビーレビでいただいたので、ビーレビだけの閲覧を希望しています。よって、英訳可能かどうかを考えなければならない責任など、ありません。 また、蒼穹などの例をあげておられますが、本作品は身体感覚を重要視した作品なので、そのような種類の言葉は使用しません。その程度の語彙は私にもありますので、そのような親切は不要に願います。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-08

明日、読み直しますが ご指摘の箇所も 書き方に 甘さがあったかもしれません。 しずかな枝の影が畔になる それは、理想郷の地図を示しています。地図だから、縮尺は現実と差があるのです。水路の有りようや道が、樹木と同じである街を表現してます。 個人情報は、生まれは 広島ではないけれど。わたしは ほぼりゅうさん広島の人です。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-07

●左部右人 さんへ 「なめんなよという思いが溶けて 全身が 舌のように みみずのように泥を なめる 」 この2文が、本当に素晴らしい。っていってくださって、ありがとうございます。 みみずってね。ほんとうに全身で味を知覚するらしいです。この土、超おいしい。とか、 あわわ。塩水ぽーい、とか、みずずは知覚しているのかもしれません。 だけど、「私はるるりらさんの作品を先入観なしにはもう読めない。」って、どういうことでしょう。こわいです。先入観ですか。えー。この作品て、二度目に挑んでまして そりぁだんだん 想像は膨らんでもきますよ。いつもは、こんなの書かないのにぃ。えー。どうしよう。まいったなあ。 書かれるべくして書かれた作品というか、この詩って、パッチワークなキルト作品なんですけどねぇ~。でも、本当に、好きな詩といってくださって、心から嬉しかったです。ありがとうございます。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-07

●沙一 さんへ 回 回  齒 ぬへへへ うふふ。いいでしょう。いいでしよう 必殺、旧字体の技。みつけたとき、もう 嬉しくてね。なんか、かわいくないですか?ちゃんと、びっくりしてるでしょ。でしょ。 そういえば白米のことを舎利(仏の遺骨の意)と呼びますねぇ。 ぶっしゃり塔。子どものとき山の頂にあった仏舎利塔で、弟が大泣きしてました。「えーこの中、骨がはいってるのお」いやー。論理的に考えて お釈迦様の骨は 世界中にばらまかれてはいない気がするですけどねえ。思えば、死とはなにかを初めて考えたのは、私の場合は仏舎利塔でした。 すてきな顔アイディア。ありがとうございます。当分、ご機嫌です。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-07

●タカンタ さんへ こんにちは。タカンタ さんが私にくださったアドバイスは、正直に申し上げて 私にとって内容の分かりにくいアドバイスでした。どこが、理解できなかったかを、後で、申し上げるつもりです。 まず、感謝している点を書きます。タカンタ さんにいただいた指摘の中で、自分では気がつかなった この詩の弱点に きがつくことができた点です。魚になるというアプローチ方法が 書き方として甘かったです。なぜ作者は魚にしたかったかを読者に感じていただくほどの描写に 本作品は 欠けていました。反省です。  タカンタ さんから、魚ではなく もっと悪しきモノであったほうが良かったというご意見でしたね。タカンタ さんの獲得しておられる集団に対する感覚と照らしあわせると、魚という牧歌的イメージでは そぐわないとのことでした。私自身は、魚という設定が気に入っております。ですが、作品は、人の目にさらした時点で、作者の手を離れております。タカンタ さんが ご自身で この詩をより良い形を模索してくださって、こうならばもっと良いのにと思索していただけて、嬉しいです。  タカンタ さんのご意見である「架空の物語であるが故に真実味が必要」というご意見には 私は賛成です。架空だからこそ、現実を見据えて真実とはなにかを踏まえる姿勢が作者にあるならば、詩は求心力を持ちえます。  あたりまえのことですが、お合いしたことのないタカンタさんと私とでは 生きている間に見てきた現実が違うと部分と、共通の部分があります。 この詩を書くにあたって、私が見てきた現実の世界でどこに焦点をあてたかったかをお話しておこうと思います。 私は、広島に住んでいる書き手です。数年前に私の住んでいる地域にほど近い場所で、大雨による大きな災害が起きたことがあります。被災地では、泥の妙な匂いが立ち込めていました。そして、ご近所の方やご家族の方が行方不明になると、たとえ死亡している可能性のほうが高いとしか思えぬ時間が経過しても なおも、「否、帰ってこれるに違いない」との思いを数多くの方が異口同音に おっしゃってました。わたしが、本作品で やりたかったのは、帰ってこない人が 実は平穏な暮らしをしている。帰ってこれないのには事情がある。別の生き物になってしまったからだ。暮らしぶり事体は 人間だったころとあまりかわらないという ささやかな お魚の設定の物語を書きたかったのです。 ご指摘は、「村人の迷信を語る個所が不自然な印象を与えます。」とのことでした。この文の最初に、正直に申し上げて 私にとって内容の分かりにくいアドバイスであると申し上げてますよね。タカンタ さんは ときどき、他の人々とは違う言葉、単語を独自の解釈で用いて、他者である他の人々は、その言葉は そのようには使わないために齟齬が生じておられることが多々あるようにお見受けしました。わたしは、村人の迷信を語る箇所は、描いていなんです。と、いうと どのように思われるでしょうか? 迷信という言葉は、昔の人々が論理的ではないことを頑なに信じていることを言います。「鰯の頭は信心から」とか、「夜に口笛を吹くと蛇が出る」が迷信です。私の詩で、行方不明の人が魚になったという噂がでてきます。あれは、迷信とは言わないです。ですが、タカンタ さんの指摘である もっと怖い生き物であるはずであるというご意見は深い洞察でいらっしゃいます。私の詩の世界に生きている人々には、深い恨み辛みの感情が きっとあるはずだと、タカンタ さんは感じられていないと言えないご指摘でした。それだけ 私の詩の世界に深く入ろうとしてくださったことに感謝します。 ただ、わたしとしては おろそしい生き物には、いたいけな少女には なってほしくないんです。なぜなら、わたしは 「ぬくい(おだやかな あたたかい ここちよい)世界が描きたいという思いで、この詩を書いています。だから、魚という選択を私はしているのです。この詩の冒頭くらいに、実は妹だけじゃなく、話し手も魚に変化したかもしれないという付箋を仕込んでいます。「泥魚の人」という表現なんですが、妹の話は登場してない時点で、魚がでてきています。つまり、村人だって話し手だって、みんな魚になった可能性があるという設定で私は書いたつもりでした。 でも、魚でない もっと悪い生き物の話も魅力ありますね。たとえば 龍とか蛇とかに変化したという噂がたっている話も魅力的かもしれませんね。溺れ死にそうな人の気持ちを 想像してみたのですが、もし 状況がすこしも改善されてないというのに、なぜかエラで呼吸できたとしたら、すごい変化に自分は龍になったんじゃあないかしら。とか、大蛇になったんじゃあないかしら?っていう万能感覚を得たかもしれません。死にかける経験をした人々は お辛い暮らしでしょうから、万能感覚のある生き物への変身願望があっても リアルティがあると思いました。 ただ、行方不明の方の帰りの待っているご家族のことを想うと、わたしの場合は、やっぱり お魚でいてほしいんです。ささやかな生き物に変化していてほしいです。少女の愛らしさが すこしでものこっている姿で、居てほしいです。だから、改編はできそうもありません。貴重なご意見ありがとうございました。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-07

●survof さんへ いうまでもないことですが、この作品には同じ題名の作品があり、これは改訂版です。 改訂前の作品も、褒めていただけた冒頭箇所は 前回のままです。 本作品は、冒頭箇所の勢いを そこなわずに、最後まで 読者を詩の世界に引っ張ることを目標として書きました。なので、 「個人的にはこちらのバージョンのほうが断然好きです。」と言っていただけて、おもわず ガッツポーズになりました。「よっしゃあ」で、ございました。他の方にも様々なアドバイスを頂戴したのですが、survofさんの前回のアドバイスは詩に対する情熱の導火線に発火が起きました。おかげで楽しい詩作の時間を得ることができました。ありがとうございます。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-07

◎みまさまへ 最初に、私は 二個のお詫びと ひとつの抗議があります。 ①お詫びのひとつは、誤字を発見してしまいました。【ぬぐ】 のところに誤字があります。 ×その男は おもわず 来ている ○その男は おもわず 着ている ②もうひとつは、わたしの本作品と関係ない話が 本スレット内で行われました。本作品と関係ない話は以後 一切 受け入れません。ただ 一言だけ言わせていただきます。その書き込みが行われた日付は、昨日の八月六日でした。広島の原爆の日です。私は広島の人ですので 荒ぶる反応はしたくない日でございました。このだけは、もうしあげておきます。アインシュタイン、彼は、大変 功績のある方です。ただ、負のことにも関与しています。原爆の日に彼のことを私は、けして誉めません。反論のご意見は 当然あるでしょうが、わたしは この件については 全く受け付けませんので、 あしからず。 ③抗議について書きます。わたしにコメントをくださった方に対して、タカンタ さんが 「歯の浮くようなお世辞は止めましょう。あまりにも見苦しい。」と書かれました。このサイトは 作品を賞賛するライトレスを奨励しているサイトです。短文で誉めることは このサイトの倫理に かなっています。そのようなご発言は控えていただけますようお願いします。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-07

本作品に 関係のない話を、わたしの作品欄でしないでください。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-06

コメントを書いたつもりで なにも書かないで送信してしまいました。 失礼しました。個人的には、とても好きな詩です。 自傷気味に笑う感じから 都会でのひとり暮らしを連想しました。 話手は、「笑っちゃうでしょう」とか「困っちゃいましたね」といいながら「おやすみなさい、またあとで。」と言っているのですが、SNSで盛れるだけもって映える写真をつくりこんで載せてしまう人々とは対極にいる人の息遣いが感じられて好きでした。 真っ黒のカーテンの部屋で 電気もつけずに冷蔵庫を開けると 背徳感ただよう元生鮮食料品なんかが、だめ~な感じで 前衛芸術感をかもしだしているような気がして、フフフ。と、なりました。 (あるいはそれは)

2019-08-06

●羽田恭 さんへ そうなんですよ。桃源郷のような世界に迷い込んでしまったのです。 諸星大二郎の短編、こわいけど興味深いです。 蓮華の花は、つまり はっきりいって浄土も、イメージしましたあ。 羽田恭 さんの作品を拝読したところ、どうも仏教思想に傾斜しておられるみたいですね。わたしは仏教について あまり詳しくはないんです。けれど、本作品のベースにはさせていただいています。お坊さんの衣装である袈裟は、田んぼをイメージしたパッチワークが元になっているときいたこがあります。それと、お釈迦さまのお父さまのお名前は日本語では、「浄飯王」という文字が当てられていると聞いています。なんとも福々しいお名前でしょうか?釈迦族の方々って、なんとなくお米にご縁のありそうな方であるという点で、妙に親近感を感じたことが 私にはあるのです。そこで、わたしも米が最高だと感じているいうことを 作品が書いてみたくなったのが、本作品でございます。合掌。 (ぬくい)

2019-08-05

●survof さんへ 出だしの >ぬかったわ >ふるぼこではないか >ぼっこぼこではないか >荒廃した この さもしい自分は >一体どうしたら いいんだ。 は最高でしたか?ほんとうに?でも この一連目の緊張感が最後まで持続してくれたら本当に最高だったんですか。 そっかあ、やってみます。できるかしら?むむむ。 改訂版の冒頭で ご意見を反映させてみようと思います。 貴重なご意見をありがとうございます。 (ぬくい)

2019-08-05

●沙一 さんへ 稲妻の伝承、私も興味深いですか?ですよね。ですよね。そうですよねぇ。 わたしは むしろ そこをもっと、描きたくなりました。 回回 田田 ↑雷にびっくりして、まんまるくした目と、むきだしになった歯ですか? たしかに、みえますね。うわっ それは取り入れたいです。よろしかったら改訂版も書きましたのでお読みいただけると嬉しいです。 (ぬくい)

2019-08-05

●紅茶猫 さんへ 「陽炎より手が出て握り飯摑む」高野ムツオ この句は素晴らしいですね。こちらはあの世から死者が手を出してくるわけですね。凄いです。陽炎とは美しい自然現象ですよね。でも、わたしはカゲロウのことも想起しました。わたしも子供の頃は田んぼに家の周りを取り囲まれているような場所に住んでいたことがあります。カエルの卵のゲル状のものは なつかしいです。そういえば、わたしも タピオカは苦手です。でもイクラが好物だから、タピオカを私が苦手な理由はカエルのせいではないかもしれないです。大人になって、花田植えという伝統行事を体験したことがあります。愛らしい衣装に花笠をかぶって 牛と一緒に田植えをする行事です。ほんとうに若い少女たちが「むりぃ~泥がきもちわるすぎ~」と叫んでましたが、わたしは 育ちが素朴なので平然としてしてました。 実は、本作品は書き直しを行いました。おじいちゃんを誉めていただいたのですが、改訂版には おじぃさんはでてきません。そのかわり「カゲロウより手が出て握り飯掴む」イメージで書き直してみました。成虫になってカゲロウとなった状態だと口がなくなることからイメージした改訂稿です。よろしかったら、そちらも 読んでいただければ嬉しいです。 (ぬくい)

2019-08-05

●仲程 さんへ すてきな詩をいただきました。 若い穂のイメージをもっと詩にこめたくなりましたので、 本作品は改訂いたします。改訂稿には仲程さんのお書きくださって詩のイメージがうまく反映できればと思っています。 (ぬくい)

2019-08-05

●玄関の人 さんへ えーと、「病葉堆積」といいますと、下記のサイトに投稿した作品を読んでくださったんでしようか?http://golconda.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6005917#12814820 私としては 「病葉堆積」のことは すっかり忘れてまして読みなおしました。たしかに、年寄りっぽい((´∀`))ケラケラ。そして 本作品ともどこか似ている気も自分でもします。病葉堆積の冒頭の詩句は、大河ドラマで知った唄を参考にしています。古典ですから 年寄り感が漂うこと半端ないです。実際、わたしは年といえば年なんですよ。でも、小学校の頃のあだ名が「おばば」でして、転校しても「おばちゃん」だののあだ名がつくことあったんで、性根が 婆さんなのかもしれません。反動で、とても幼い感じの詩も たまに書きたくなります。まあ、だからその年齢は ゆるちて。 雷についてですが、よほど稲妻と書こうとも思いました。稲の稔りに稲妻が影響しているという伝承と、あと科学的根拠も発表されたことがあり、感動したことがあるんですよ。 蓮華草はねえ。こどものとき すごく 咲くのを楽しみにしてました。あたり一面が 蓮華の花の咲く地域で暮らしていたことがあるんです。日本人には そういう人が多いはずですが、蓮華の思い出がある人々は、ある程度の年齢を重ねている傾向があるんですよねぇ。(遠い目)まあ、だからその年齢は ゆるちて。 きがついてなかったのですが、もしかしたら わたし自身が、申し訳ないような気遣いしたいお年頃かもしれないですね。ええ塩梅の塩加減の評がいただけました。ありがとうございました。 (ぬくい)

2019-07-30

●黒バラ さんへ さて、一体だれが亡くなっているのでしょうか? とりあえず、お話の中ではっきりしているのは、おじいさんには もう会えなくなった。 主人公も逃げていったから 作者である私は読者の方々に主人公を合わすつもりはない。ってことは 言わせていただきますね。 現実の人間って、必ず 死にますよね。たとえお話でもドキュメントとして書くときは 劇中では生きていても、いずれは死ぬ。でも、この話は 生死がある世界観なのかどうかも曖昧に書きました。じゃあ一体なにが描きたかったかについてなのですが……。 黒バラ さんが「優しい作品でした。」と、うけとっていただけたので 私としては大満足です。 作品は書いてしまったあとは、読者のものですから。もう黒バラ さんの願い通り、 この主人公にはまだ人生が続いていて、また一から出直せるきっかけになっています。 読んでいただき 深く詩の中に入ってくださって、ありがとうございます。 (ぬくい)

2019-07-30

●エイクピア さんへ 抒情性、構成などがあると思っていただけて嬉しいです。謎は分からないから謎なんです。唐突過ぎて分かり辛かったですか?世の中の大抵のことは、さも わかるかのようにように示されているものですが、でも実際の自然な事柄は ほんとうのほんとうには分からないことのほうが多いです。 蓮華は田に鋤き込んで肥料とする。そうですよね。そういう意味で書きました。でも、謎でしょ?時系列が間違えていますよね。お爺さんの家の跡に蓮華が生え始めるんだよ。米は蓮華の花の後に苗を植えるもんだろ?って思いますよねえ。時系列も壊れている真実の世界って エイクピア さんは信じますか? (ぬくい)

2019-07-30

●藤 一紀 さんへ これってずるかったですかあ笑。ずるいといえば、シャ乱Q 『ズルい女』を歌う つんく♂さんを思い出してしまいました。たぶん おきにめしたんですね。ありがとうございます。でも、藤 一紀 さんも ずるいですよ。案山子って言い得て妙だとおもったんです。でも、回回×4だと案山子というのが わたしは謎でした。依り代って言葉は、素敵ですよね。すべて稲穂は神様の依り代(よりしろ)という考えがあるとは聞いてます。わたしは、重要な事柄に※つけてるのを見かけると、わい お米のマークだあ、と わたしは幸せになる簡単な人なんですよ。ずるいでしょ。(笑) (ぬくい)

2019-07-30

シリーズ「フィラデルフィアの夜に」のすべてを評することは、私には難しく。 フィラデルフィア・ワイヤーマンを元に書かれたものであるという予備知識のみでの感想を 書かせていただきます。 書き方は、ちがうのですが わたしも声を出せる、それだけで力を得る詩を 七月の鯛一作に書いたところでした。私の作品も 発語が難しい身体を持つ者が発語する話でした。  澄んだ声を朗々と出すことへの憧れという意味で、共鳴にも似た思いを持ちました。 街へ、人の前へ向かう力が 声にはあると感じます。 音声は 人の鼓膜を震わせるので、魂をも直接的に揺らすように感じるから 私は声に憧れるのかもしれません。音声は消え入るものであるからこそ 憧れるのかもしれません。いかなる音声も永遠ではないです。けれど、針金や詩に 人の願いのこもったとき 音声を超越するように 私は感じました。わたしは、この詩が好きです。 (フィラデルフィアの夜に Ⅹ)

2019-07-30

一貫して、横顔が うつくしい詩編で、ため息がでます。 半島、半年。の半分な感じ。そして、主人公が消息だけは伝えている横顔。 未明、小火。のほのぐらさ。やがて 主人公が秘めた思いは業火となって燃え盛るのでしょうか。映画のオープニングのような詩句だと感じ入りました。 (半島の青)

2019-07-25

今月の一番 はじめに本作品を拝見しました。けれど、今日までなにも書けずにいました。でも、私は よくアーカイブスを利用するので、アーカイブスだと一番上にある本作品を なんどとなく読んでいます。 まず、「清い」って感じました。この世界が好きで好きで好きすぎ。そして、ご自分を放り投げる。と、書いておられる。ここが私がコメントできずにいた理由になった箇所です。 世界に対しての憎悪からの自暴自棄になる話なら、よくきく話なのです。でもこの詩の場合は、世界に対する賞賛から ご自分を放り投げる。という境地です。わたしにはコメントが難しかった。本当は、思いついてたことはあるにはあるのです。いうと おばさん臭いと言われそうで 言わずにいたことなんです。今日は、勇気をだして ソレを書きますね。 禅の言葉に【放下着(ほうけじゃく)】という言葉があることを 思い出しました。 放下は「投げ捨てる」「放り投げる」の意味で、着は強調を意味し、放下着で「捨ててしまいなさい」という意味だと、禅の言葉を集めた小冊子で読んだことがあります。 あれやこれや考えず 捨ててしまいなさい。って禅は言うてるみたいですよ。 この詩は、自死の願望を書いておられるのかしら。どうなのかしら。そうではなく、 なにかと比べてお辛いなら、いっそ 比べることを 全部 ほうりなげておしまいになれたら良いのになあ、と 感じたのです。 失礼がありましたら、ごめんなさいです。 (この世界が大好き)

2019-07-25

●せいろんさんへ 興味をもって読んでいただきありがとうございます。 次回作ですか? なにか 書けると良いなあとは おもっています。 応援をありがとうございます。 (めるふぇん)

2019-07-25

●田中修子さんへ  この詩から ふくいくを連想していただけたなんて、びっくりです。嬉しいです。なぜなら、これは お魚ぽいお話なので、香という評は予想してなかったです。  ふくいくという言葉は、メディアなんかで耳にしたとき 気持ちの良い響きだなあと思っていた気がします。漢字では「馥郁」と書くみたいですね。我が家の庭に百合がさいててなかなか良い香りなのですが、なにか いつもより 別の香しさがありました。ふとみると、一輪のクチナシの花が咲いてた。どうりで香に、ひとことでいえないような ふくよかさをあるはずだと思いました。いただいたコメントの意外性が楽しいです。  さらに関係ない話になるかもですが、わたしは下関というフグの産地で生まれました。 怒らせると まんまるになるアノお魚です。アレを、ご当地では「ふく」と言います。福本来なら 濁音の「ふぐ」のはずなのに「ふく」と 言ってます。こうしてみると、「ふ」って音は、やっぱり、いい音ですよね。本作品の題名は、{ めるふぇん }。「ふ」にしてよかったなあ。(笑) 素敵なコメントでした。ありがとうございます。 (めるふぇん)

2019-07-25

初読では、正直いうと 全く ピンときませんでした。激しく誤読をしたんです。どんな誤読かというと、海辺に邸宅があって庭の前の部分に鯨がうちあげられて、さあたいへん。どしょうがでてきてこんにちは。……ならぬ、蝶蝶が砂のように舞い上がり、さあたいへん。泳ぐ魚もでてきて、こんにちはをするのかあ!と、いうような誤読です。 ですが、「聴砂」も「耳石」も同じ働きをするモノなんですね。前庭も耳の器官をしめしているんですね。学生時代には知ってたはずですが、まるで忘れていました。勉強になりましたので、拙詩を 書かせていただきました。 【カタツムリは語る】byるるりら 巨大なカタツムリがある 殻の内側は、海である 塩水で満たされた母なる海である 海には 鯨が住んでいたが ある日、一頭の鯨が 浜に打ち上げられてしまった 悲しい声で 鯨が鳴いている 海は 激しく搔き乱れ 飛沫が叫ぶ 海が鯨に 言いたいことがあるのだ 「帰っておいで 丘に行ってはいけないよ」 そして、 叱りつけるように荒れ狂う 「眩暈がするほど悲しいよ」 「おまえは海を忘れようとしては ダメなんだよ」 海は嘆く 鯨が泣いているから海も嘆く カタツムリが海だなんて、なんの話をしてるかって? 君の耳の中の物語さ 生気のない乾いた顔をしてる君の 物語さ わたしたちは、両の耳に ひとつづつ ふたつの海をもっている 耳をすませば 海の歌が聞こえるだろう 鯨の声だって たまに きこえるもんさ 海は たまに 時化る。 海は たまに とおい。でも ちかい。 かなしいときは しずかに 水平線を想うと いい。 わたしたちは、うみだ だから きっと 大いなるものを生み出せるにちがいないのさ わたしたちは、ふたつの海をもっているせいなのか なにかと比べずにはいられない けれど きっとそれだって 海へと続く道を知るために ふたつの海をもっているのさ ともだちが鯨の耳石をもっているそうだ  だけど それは、片方の耳石だけなんだってさ   まるで シンデレラの靴のようで 心臓が波打つ   (前庭で砂が踊る日に)

2019-07-24

田中修子作品のファンの私は、他の作品などと つい照らし合わせてしまいます。 はじめて、田中修子さんの作品をお読みになる方と 私とでは 同じ感想ではない気がします。 でもまあ、深く考えずに おもったことを想ったままに 書いてみようと思います。  一番、考えさせられたのは 女性の生き方についてです。一休というサイケなお坊様は 女性の生き方のことを 「世の中の娘が嫁と花咲いて嬶(かかあ)としぼんで婆と散りゆく」と、言ったそうです。一休さんの時代では、花みたいに綺麗なのが娘時代、そして結婚して家に入ると ふつうは、嫁の務めみたいなことを家父長制のもとで一通りこなした時代を経験し、そのうち女性は なんとはなしにぐんぐんと鼻が高くなってきて意気揚々となってくる。そして、そのあとで、静かに しぼんでお婆さんになるというのが普通だったのでしょう。    ですが、この詩の「老人そして小さな子を見落とし続けたあなた」の「あなた」は 一休時代の女性像とは違う。 この詩のこの「あなた」だけじゃなく今の時代の女性は、娘→嫁→嬶→婆とは違う。 いつの時点で〈女王たる聖女>の身分を確立するか 決まってないです。場合によっては娘の時代から 鼻高々な嬶で、嬶→婆への移行だけを気にしていることも、あるにはある気がします。また実年齢が「老」であっても、実年齢を超越して娘としての花を咲かし続けようとしている。それは、それで良いのでしょうけど、なにか 大切なことを 見落としているかもしれないなと思いました。 この詩の場合は、「老人そして小さな子を見落とし続けたあなた」の「小さな子」が、成長して 詩で抗議を発言している。他者に対する思い遣りが欠けてるんじゃあないですか?と訴えている。……のだと私は読みました。 圧力をかけてくる政治力<書記長>や<王の器>に対して反旗というか、強い批評を行っている詩が本作品だとして読みました。 偉い人々は、<ナイフとフォークでビフテキを食べ〉ながらふんぞりかえって、<平和>や〈戦争〉の回避を言ってる。でも、偉そうな人々って、ほんとうのほんとうに子どもや老人のことを考えているのかあ!と。 この国のことを 麗しい国だという人もいるが、「老人そして小さな子を見落とし続け」るならば、〈水のはる国がない>に等しいではないか!と。かつての「小さな子」が、成長して 詩で抗議を発言しているのだとして 本作品を読みました。 政治力みたいなものを もたずに、金の夕焼けや 翡翠に 海の音を しずかに感じることのできる生き方が、ある。 「老人そして小さな子を見落とし続けたあなた」のかつての「小さな子」には、ある。 レモンの香のような生き方が、かつての「小さな子」には、ある。んだと……作者は気がつたんだと思いました。素晴らしい気づきです。 本作品は、【蠅】だのという 嫌悪を感じさせる題名です。しかし この詩は私には、淡々とした生き方への賛歌だと私は感じました。 極端な感情は、異常に映ることがあります。たとえば極端な哀しみ表現が内心では笑っているようにみえたりすることがあります。極端に笑いすぎた生き方は、まるで泣いているかのように見えることがあります。あれって、極端ってモンは どこかが破綻しるてことなんじゃあないかしら。 政治的な大きな力 激烈なコールは、苛烈です。大事だから大声なんでしょうが。けれど、大声は、とても 大切なことを見落とすケースがある。大きな力なんかよりも、もっと 大切なことがある。 それは、口にしたとたんに ウソになってしまいがちな「愛」とか「思い遣り」とか……かもしれないです。 (蠅)

2019-07-22

朗読の練習テキストとして優れているので、利用させていただきました。 声色の工夫だのという朗読という点で読むと、なかなか良い作品でした。 コメント欄に実際に記者会見の対処がまずくて 会社をたたんだ会社の名がありますね。その実例の会社って、その後その会社をたたんでいますよね。もしも、該当の方がこのコメント欄を読んだら「人生に起こり得る全てには必ず終わりはあるもんだとは言うものの、お話の世界には賞味期限って ないのかよ」と、嫌なお気持ちになる予感がします。 いまもこんなところで話題にされてしまわれていて、お気の毒です。 本作品の話し手の場合は「ご想像におまかせします。」としか言わない。心の中には 雀がめちゃめちゃのメタに盛んに鳴いている。シュールですね。こんな強靭なスルースキルの人って、現実には そーそー居ない気がします。でも、文芸の中には居る。文芸を愛するのも人間味。人生で なにか失敗をするのも人間味。 ふと、とあるCMの台詞が、頭をよぎりました。「そこに 愛は、あるんか? 」by大地真央 いろいろ考えさせらた作品でした。本作品を朗読の練習に使用しましたので、現実に会社をたたまれた例の会社の方にはなんだか申し訳ないです。ですので、 そっと 祈っとこうと思います。 よかったら、ふじりゅうさんも御唱和ください。 「どうぞ みなさんに幸ありますように」(深々と礼) (謝罪会見)

2019-07-18

●蛾兆ボルカさんへ 過分なお言葉をいただき 恐縮しています。大野一雄で検索をかけ いくつかの動画をみました。 なかでも、もっとも印象に残ったのは、車椅子になってからの彼の踊りでした。車椅子でおどっておられるということは、もっとも年齢を重ねられた時点での踊りだと思われます。私は彼の精神に心を奪われ 感が極まり涙がでました。 そして、目を閉じても彼のしぐさや表情が、わたしの胸に宿ってくるのを ずっと感じつづけています。彼の踊りは、命の礼讃が死のぎりぎりのところで 瞬いているようで 眩しいです。人の心を隔てるさまざなもの(国のよる文化や思考の違い、男女の別。年齢など)を超越した踊りをまえに文字通り「絶句」するしかない。 添付しておられるリンク先も もちろん、拝読したのですが、まだ 胸がつまっています。私の感じたものを、うまく言語化できません。また、言葉なんて超えている方のことを、なんとか言語化しようとする方のいとなみが これまた 美しいです。   私としては、蛾兆ボルカさんが 私に かけてくださつた言葉や情報に なんとか こたえようとはしているのです。  たとえば、たまたま「能」の考え方に触れていて、能の有名な本の中に ごく稀に老の花が咲くことがあると能の考え方が記されていることなども踏まえて、お礼を言わせていただこうとか 考えてははいたのです。ですが、こうやって そのまま言葉にしています。ですが、なんか違う。言葉にしきれないと感じている私が居るばかりなのです。  しかも このわたしが、この素晴らしい方々の言葉に例えられているということが、なんとも もったいなく どうしたら良いか分からなくなるのです。もったいないにもほどがあるのです。ですが、得難い目標となる方と出会わせていただきました。大野一雄。凄い方です。 感謝のあまり、蛾兆さんにお礼すらいいそびれてしまいそうな勢いです。 それでは、あんまりです。もうしわけがたちません。言わせてください。 言葉にできない大きなものを いただきました。ありがとうございます。 (めるふぇん)

2019-07-16

●藤 一紀 さんへ ありがとうございます。とくに、 特に最終連を、きらきらとみずみずしく、健康的で、つられて笑顔になってしまうといっていただけて嬉しいです。 この詩を書いたあと、肉体改造を本気で行いたくなっています。 泳ぎつかれたあとの 笑いみたいなものを体で体験したくなったんです。 いつも最後の行みたいな心境でいたいです。 ほんとうに この詩をきっかけに私の人生が変わります。ガハハハッ ほんとうに、ありがとうございます。 (めるふぇん)

2019-07-16

●タカンタさんへ この詩に必要なのは、技巧とのことでしたね。私は、技巧についての本を読んだり考えたりすることが苦手です。論理思考が苦手だからです。ですが、ご指摘を受けたので、レトリックの本を手にとってみました。たまたま開いたページには、人を傷つけるために発せられた言葉のレトリックの豊富さに驚く。と、説かれていました。そういえば詐欺犯罪者も言葉の技術という意味では、凄いものがあります。こんなことを踏まえると、技巧という意味で自身を改めるまえに、忘れてはならないことがあることに気が付きます。それは、自分はどんな人でありたいかです。  私は「純」でありたいです。技巧を追求しすぎると、「純」からは 離れてしまうことがあります。だから、注意がです。  さて、本題の本作品についてですが、技巧や独創性が伸ばせるとお考えのご様子ですね。言うのは簡単です。しかし、もっともっとを追求しても、物事が良くなるとは限りません。すくなくとも私の場合は、私にとっての技巧を 駆使することで失敗したケースや、より独創的であろうと目指した結果に 失敗したケースが、多々あるのです。  そうかと思うと、私自身にとっては独創性などといったものを、まったく追求したつもりがないにも関わらず「なんて独創的なんだ」と喜んでいただいたりすることも 稀にあるのです。  ひとつ独創性を追及し失敗した例を紹介させていただきましょう。人魚ネタです。独創性を追求して、失敗した例です。わたしは 上半身が魚で下半身が人の人魚という作品を書いたことがあります。自分では斬新であると思いました。ところが、世界は広いのです。んなことを考えていた人は他にもいることを知ることとなりました。しかも、エロい表現を苦手とする私だからかでしょうか?その自作詩を自分で読み返そうとすると、あまりにも辛いのです。私はその作品を自分の手で抹殺しました。わたしの場合は、私にとってはノーマルな発想の程度にしておかないと 私は詩を書きたくなくなる日が来てしまう嫌な予感がします。ごめんない。私は、超絶技巧を感じさせる詩よりも ふつうを目指します。独創性や技術性の高みをめざしても、わたしは成功しないんです。 それから「どうしてもアンデルセンを思い浮かべる人が多いので、それを連想させるべきか、否か、難しい主題です。」についてですが、なんだか、ハムレットの「to To be or not to be」みたいですね。堂々めぐりな詰問で なかなか劇場チックなイカスご意見でした。しかし、ごめんなさい。当の私は あんまり悩んでないんです。  なぜなら、私が どのような作品を書いたとしても かならず一定数の方が、人魚という語からアンデルセンを連想をされるはずだからです。たとえ、上半身が魚で下半身が人という人魚という妙な人魚を書いたとしても、「アンデルセンの人魚とは違うのね。」と、アンデルセンを想う人は 必ずいらっしゃることでしょう。それほど アンデルセンの人魚姫はスタンダードな作品です。 私はアンデルセン作品も好きです。なので、どなたかが私の作品のことをアンデルセンに似ているね。と言う方がいらしたら光栄に思います。ですが、やっぱり アンデルセンはアンデルセン。わたしのは わたしの人魚です。読者のみなさんには、比較する自由があります。しかし、わたしに とっては 比較されようがされまいが、どちらでも 良いです。そうでも おもわないことには、人魚なんて そもそもが、書けないのです。ご意見、ありがとうございました。 (めるふぇん)

2019-07-16

ビーフストロガノフに芸術性はあるに違いないです。 喉元をすぎたあとも カップにかすかにのこるスープに すこしゆらいで現れる虹色 一口つづ口に運ぶほどに体中にみなぎるエナジー おいしい料理をつくることのできる方は 芸術を超えた美ですとも。 御馳走様でした。おいしい詩でございました。 (ビーフストロガノフに芸術性はあるのか)

2019-07-12

コメントが月をまたいでしまったのですが、 わたしは ときどき この詩の最後の行のことを想うのです。 ビブラートかけられた悲しさ すごい一行であると感じます オブラートに他者や境遇など先の見えないトンネルのよう だって ビブラートかけられただから受動的なのですね。 ビブラートを能動的に楽器や自分の声などに効かせることができたら きっと もっと 開放的になれる気がしました。 トンネルの中から脱して、黒髪さんは もっともっと素敵に羽ばたくことの おできになる方だと 私は、感じています。 (目に見えない)

2019-07-12

●左部右人 さんへ 「めるふぇん」という言葉には求心力があったみたいで、嬉しいです。 先行する文献がでてきても オリジナルだと言い張るつもりです。でもまあ、そうはいうものの、この語感は だれがどうみても オリジナル性はあまり感じさせてないですよね。でもね。どなたかが先行しておられたら、その方は 実は人魚なんですよ。(キッパリ) 「真っ白な靴下」は、わたしのお気に入り箇所です。その部分も踏まえたうえで、どつぼと、いってくださって 嬉しいです。泳ぎだしたいほどです。ありがとうございます。 (めるふぇん)

2019-07-12

●st さん まあ童話ですか?この作品は 童話の一部ではないのですよ。正直いうと、これで完結のつもりではありました。しかし、もうすこし ながい文章量にしたら 紙芝居とか絵本とか、おっしゃっている賞に応募することもできなくはないのかもしれないですね。 子供たちが喜ぶようなものを是非書いてみたいです。こどもたちが実際に わたしの作品で笑うときの気持ちって、どんな感じなのかと思うと わくわくします。 アンデルセン童話賞(?)は、たぶん 今年も開催されるはずだと思っています。 人魚といえば、アンデルセンなのに この作品を提出できたら、わたしは私のハートの強さを 友人に自慢できそうです。ハードルが高いのですが やってみようかなあ。 予定は未定にして決定ではありませんが、もうすこし この世界観を広げて童話作品といえる分量にしてみようと思います。やる気をいただきました。ありがとうございます。 (めるふぇん)

2019-07-12

●あん さんへ 読み直してくださったのですね。ありがとうございます。 気にいってくださって 嬉しいです。あんさんは どんな声で読んでくださったのだろう。夢をみるような気持ちで コメントを拝見しました。ありがとうございます。 (めるふぇん)

2019-07-12

最後のほうで緋色の百合とは、なんて 書いてしまいました。きめつけはよくなかったです。 ×緋色の百合とは 〇緋色の百合で思いあたるのは に、訂正します。失礼しました。 (星辰)

2019-07-11

おはようございます。 音階は 神聖で特別な数である7音を基準としてつくられているという話をキリスト教の方の文章で読んだことがあります。この作品に於いては 様々な神聖さが満ち溢れているのですが、音もまた 神聖なのですね。 この作品に出てくる【聖典から産み落ちた星雲】の聖典とは どのような聖典なのかなと思いながら拝読しました。うつくしいですね。 そして、題名の【辰砂】を 何度もリフレインをしておられるのですね。 【辰砂】を存じ上げなかったので 検索してもると 日本の神社などで見かける「朱」の原材料でした。 辰砂は中国の辰州で多く生産されたことからその名が付けられており、硫化水銀から成る鉱物だとのこと。赤色系は血の色でもあるので 様々な宗教で生命力を表す色として重宝されているという記述がありました。日本でも鳥居など朱色に彩られているのは、生命を示す色だから神聖さを喚起するのかもしれません。 わたしには日本的な色な感じられる神社のあの朱色を想いながら 本作品を拝読すると、より味わい深いものがありました。 とくに↓この部分に 色味が炸裂している気がします。 >どうしたって数えなきゃならない >命があって >もう何カウントしたかわからない >僕の手には罪が刻まれていて >だからって、投げ出さない >命のレプリカなんてないから >せめてひこばえを育むんだ 「ひこばえ」、素敵ですね。わたしは山道入り口に住んでいるので 切り株の脇から ひこばえが育っているのを、よく見ます。【聖典から産み落ちた星雲】の聖典とは、おそらく輪廻カルマといった考え方を軸にしいる聖典なのだろうなあと思いました。 緋百合も、素敵です。 緋色の百合とは、今の季節に 私の住んでいる地域では「忘れ草」がいたるところに咲いています。 鮮やかな朱色をしており、和歌に「忘れ草」と詠まれている花で、嫌なことを忘れさせると言われている花で、英名は"daylily"は一日花。夕焼けの色のようでもあり しかも一日でしぼんでしまう花なので、いろんなことを いい具合に「わすれそう」な花だなあと 眺めている今日この頃です。 朝から、とても うつくしい詩文を拝読できました。ありがとうございます。 (星辰)

2019-07-11

はじめまして、感想でもなく批評でもなく解釈になることを目指して、書かせていただきます。 まず、全体的な字ずらが漢字が多いのが印象的でした。それで感じたのは、この詩は読むのではなく 声に出して詠うべきなのではないかと感じました。 まるで能を舞う人のように腰を据えた形で腹式呼吸で全力で声を地に這わすように詠うのが、この詩を読むときの作法のような気がしました。(もちろん、なんとなくです。)どーーーみーーーのーーーー どーーーみーーーのーーーー。と、低音を効かせて読みたくなりました。 しまった。これでは解釈ではありません。印象になってしまいました。気をとりなおして、解釈を書かせていただきます。あらかじめ申しますが、どのように私に この詩が映ったかを 素直に書いてみます。かなりの確率で作者様の意図とは、大幅に外れているという 妙な自信があるのですが、できたら ご笑納いただきたいです。 まず、私には とても豪儀な貸衣装を身に纏った人が見えます。 その人は厚化粧で完璧に造りこんでいる状態ですが、化粧の最後のしあげに 口紅をひくのですが、唇に黒い色の色彩を のせています。悪い奴をきどるような効果が、黒い口紅で表現できるはずです。話し手は、毒を吐きたいんだと感じました。 やあやあやあやあ戯れ軽蔑  (聴衆に向かって「さあお立合い軽蔑するがいいよ」と挑発している) 表面肌だけ触れ合っては  (あなたがたは、深く知り合おうともせず、表面だけで触れ合っているだけだ) どぷりと泳いだ目がみゆる  (だから闇の沼に沈んでいるかのような目をしている) 笑った嗤った私の蟲  (笑えよ。嗤えばいいじゃないか。わたしの本性をみせてあげるよ) 嘲笑った咲った誰ぞの滑稽 (嘲り笑えばいい。かぶいてやる。咲いているかのように。滑稽上等だ) 耳の龍笛 髪の琴 (耳を貫く龍笛の音 髪すら琴のように調べを奏でる) 歯垢はわらった桃源郷 (ちらと歯をみせて笑ってみせる 汚れた歯だか桃源郷を詠おう) 舞い散れ百合よ 赤黄赤 (百合が咲き乱れているかのように踊ろうぞ 色鮮やかに赤黄赤) 落ちた種の名 唯嫉妬 (綺麗ごとではない心のままに まきちらした心の種は 嫉妬の種) 咲いた蓮子を踏み躙る (私は狂うように咲いてては おのれで思いを蹂躙する) と、いうふうに解釈しました。書いていて、絶対間違えているという妙な自負があります。そんな悪文をアップする私は、解釈を求めておられるようだから、だったら 単純に やってみようとしただけなんで、どうぞ悪く思わないでくださいね。 解釈する際に、難しいと感じた箇所も ついでに書かせていただきます。 個人的には百合の花が舞うという表現が、百合らしくない気がしました。 理由としては、花は花の種類によって落ちるとか散るとか色々、表現があるのですが、 舞うは、梅が散るときに使用する表現だった気がしているからです。 あと、蓮子って なんでしょうか? 私は、知らないので 解釈するにも どうしたものかなと 思いました。 (歪熟れ面)

2019-07-10

こんにちは 不思議な作品ですね。題名が「帰宅遊泳」という世界観なのだから、不思議なのだろうなと読み進めると、結構 リアルな息づかいが感じられて 冒頭でいきなり息を呑みました。 > 窒息という言葉は、視線がズレを起こした車輌の繋ぎ目の隙間で産まれたそうだ。 なんて書いてあるのですもの、身体が大きくゆれて 電車の連列部分みたいに首が ガクつと うごいたりして、【ガシヤズゴン】とかいうような音をたてる列車の中に居るような気がしました。 息を呑むとき、意識は どっかに逝ってる感じは 確かに するものだなあと、変な感慨になりました。 息を呑むといえば、息を呑むほどの うつくしい人にであったりしたときの あの恍惚感は、具体的に表現しておられて 新鮮な気がしました。息を呑む、あの感じは、地上十二メートルくらいの夕景なのですね。結構な高さです。けど、恍惚感を リアルに可視化しておらる数字だと感じ、なぜか納得してしまいました。 (帰宅遊泳)

2019-07-10

こんにちは わたしがこの詩から受けたイメージは黄泉の国で 魑魅魍魎となって 様々な霊が混然一体になろうとしたり、 一体化することを拒みながら 彷徨っている様々な霊というイメージを 得ました。 全体的に古い時代の霊ばかりなのですが、 なぜか「試験管」と「フラスコ」だけが 妙に近代的です。 そこからなぜか 私は、勝手な妄想をいだいたので、ご紹介してみます。 この詩にでてくる様々な人々よりも 実はもっとも重要な人物は、現代人であり。 その人物は試験管を片手に様々な実験を行っています。 過去の遺物からDNAを検出して、掛け合わそうとしているふとどきの現代人が この詩の中には存在しているというのが、わたしの勝手な読みです。自由な読みをしてしまいました。失礼してしまったかもしれません。そのときは、ごめんなさい。 (皇居正門の真下で)

2019-07-08

●仲程さんへ めるはぁん  めるひぇん めるふぇん めるへん めるほぉん 羊水の中の物語の本は もっていまして 写真付きだったりします。 けれど、いろんないきものは どこかにていているというミラクルのことを最初に教えてくれたのは、わたしの場合は めるもちゃんでした。 (めるふぇん)

2019-07-08

●石村利勝 さんへ そうです。たいていの場合は、わたしは はしりすぎて すってんころんと転んでいることが普通なのです。誉められすぎて、こわくなっていたところです。 でも、石村さんがおっしゃるのだから けっこう 成功しているのですね。そうなのですか。  とくに「簡潔さと純良さに達しています。」とは、びっくりしています。わたしは純良なのか! あ。あれ?。もう滑りこけはじめてます。どうしましょうか?じつは、もうやらかしてしまった感があります。 今後とも ご指導ご鞭撻のほど よろしくおねがいします。 (めるふぇん)

2019-07-08

●トビラさんへ なかなか刺激的なコメントをありがとうございます。誤表記を教えてくださり、まずは ありがとうございます。 >朝日が燦々とあがると 「朝日が燦々と上ると(のぼる)」という意味です。 辞書と照らし合わせた結果。のぼる。と読むのが、正しいです。 ご指摘ありがとうございした。 誤表記の指摘は嬉しかったです。簡単にお礼が申せて安心だったからです。しかし、トビラさんと私が描きたかった世界とは、おおくの箇所で齟齬が生じていると感じています。そのせいで、トビラさんが言っておられることが 私には あまり良くわかりませんでした。 まず、わたしは人魚を描こうとしています。しかし、トビラさんは人魚とは一歳から二歳くらいの人間の比喩が人魚だと解釈をしておられます。むろん、詩作品を発表した後は、作品は作者の手を離れて読者のモノとなりますから、一歳から二歳くらいの人間の比喩が人魚でもかまわないはずなのです。  しかし、人間の比喩として捉えていただくにしても、詩文にある事柄をクリアーできる人物群像にしていただきたかったです。具体的に言うと、私のこの詩の人魚たちは 白い靴下を履くという【しきたり】をクリアできないといけません。気分次第で脱いでしまう年齢の子には難しいです。そして、海辺にある丘にのぼらないといけないのです。しきたりが守れるという集団行動が行える程度の知恵と、海辺の丘はのぼれるという筋力もないと この詩の群像のうちの ひとりにはなれません。それさえできれば、ステレオタイプな人魚のイメージである大人の女性の姿を想像していただいても わたしとしては かまわないし、お相撲さんのような方々が マワシではなく、白い靴下という【しきたり】を守っているという図だとしても、わたしとしてはかまいませんでした。  なぜ、靴下が必要かというと 魚から人の変化する際の程度が 人魚の個人で現れそうだと思いました。人魚たちが変化の度合いを競って 喧嘩とかをしてほしくなかったんです。それと、人のなりかけの人魚の群れに 人間として生まれ育った生粋の人間が もし、まじっていたとしも なんとなく その場に なじんでほしかったんです。  トビラさんのご意見で、私が首を傾げた箇所は、もうすこしあります。トビラさんは「大人と言われる齢になった僕らも、日々、めるふぇんを失っていく。誰にとっても避けようがなく。そういうことを表現している。」と書いておられるのですが、わたし自身は年齢のことを一切 書いておりません。わたし自身は、年齢を重ねるとメルヘンが減ると思ったことがないからです。    また私の造語である「めるふぇん」という表現のニュアンスも、どうも私の意図したことと違うことをトビラさんはとらえておられる気がします。  私の言う「めるふぇん」というのは、私の造語です。人魚たちの声が人間には そのように聞こえると書きました。たとえば、ウグイスは「ホーホケキョ」と鳴きます。人間には「ホーホケキョ」を連呼しているようにしか聞こえないのですが、ウグイス同志では違う意味があるはずです。たとえば「ねぇ、君。デートしない」とか「天敵がくるよ。急いで逃げよう」とか 様々なことを伝達している可能性があるのですが、人間の耳には「ホ~法華経(仏教の経典のことを鳥が叫んでいる)」と、聞こえるのと 私の「めるふぇん」という音の響きは似たところがあるのです。 トビラさんのお考えに共感できた箇所もありました。 「あぶく言葉だって、思い出せなくなっているだけで、心の中に眠っていて、水かきだって、もう二度と張らないわけじゃない。 」という箇所です。わたしは、この詩を書いた直後にプールに泳ぎに行ってみました。水に触れたくなったのです。水の中に入ってみると、すべての音は 響き方が実際に変わります。水の影響で くぐもった響きになります。耳に水がはいったので、結構長い間 通常ではない聞こえ方が実際になりました。 水からあがってすぐの人間の耳にとっては、あらゆる物音が いがいと ほんとうに あぶくのような響きのように実際に聞こえるものだなと思いました。海や川を知らない方だって、胎児の頃には水分に包まれていました。 わたしたちは、ほんとうに海から来たので母体は似非海だという説があります。地球上の動物といわれる種の生き物のすべてが胎生の時期は 魚の形状をしています。ヒレだってエラだって、すべての生き物の胎生の時期にはあります。けれど、ほかの生き物は忘れてしまってます。人間だけが、昔を懐かしんだり。様々な分析から昔の状態を構築する能力を獲得していると私は感じます。イメージの力こそが人の力です。イメージ力が、老いても衰えないことは よくあることです。  わたしの本作品で、魚から人に変化する様子に共感してくださったのは、人間にだけは魚だったころという途方のない時間のことすら、懐かしむ能力があるせいだと、わたし自身は感じています。 わたしは、本作品で 一番したかったのは、人魚が魚から人になる瞬間を描くことでした ですが、トビラさんには私が「現世の垢にまみれている(まみれていく)。それを甘受している。」ということを描いていると感じられたようですね。残念です。私は、そのようなことを読者の方々に想わせるような表記を、していません。 人になった人魚が やっぱ魚のほうがいいや。と、海に帰っていくという別の物語もアリです。それはそれでとても魅力的な物語だと思います。わたしは、この詩を投稿した直後に 私が実際に水に触れたくなったので、プールに行きました。つまり、私だって海に帰りたくなったんです。鯨やイルカは、実際に 一度は陸にあがったが、海の生活を選んだといわれています。人間だって、帰りたければ帰れば良いのです。空想の力で帰るのも素敵ですね。 ただ、わたしが本作品で、一番 やりたかったのは。新しい知らない環境を体験して、しかも自身の体が大きく変化するのは きっと妙な気分だろうなということと。それは、結構 笑けるに違いない。ってことを、読者の方々と共有したかったのです。 (めるふぇん)

2019-07-08

●survof さんへ 身体感覚を感じさせる文章に わたしは憧れてきました。だから、人肌に触れるような繊細な温度感を伴って身体に浸透していくようだという評は、夢ではないかしらと おもえるほどです。 宮沢賢治の「やまなし」は、細部をわすれかけていたので 読み直してみました。水と光の揺らぐ感触が伝わる世界は 人魚の故郷と通じるものがあり興味深く読みました。検索で朗読を検索したら 知り合いが朗読をしていました。わたしは その方がなんとかぷかぷの蟹座であることを知っていました。わたしも蟹座でして。わたしは今、おもいがけず宮沢賢治の「やまなし」の二匹の蟹の子供のようにはしゃいでいるところです。 それから おかげ様で、私は自身の最大の弱点に きがつくことができました。それは、わたしはロジカルに物事を考えるのが苦手であるという点です。 論理は苦手なのです。論理から自由になったというより、論理的に考えるのは得意ではありません。しかし 論理的でないことで、ときには安心感をあたえる文にもなることを知りました。これは、わたしには希望です。ありがとうございます。 (めるふぇん)

2019-07-08

●羽衣なつの さんへ 過分なお褒めをいただき恐縮です。この詩を投稿した直後に、道を歩いているときに なんとなく、小学校のときの友達同士で相談をして 私が代表になって教師に嘘をつこうという話になったのを思い出していました。なぜ 突然ウソをついたことを思い出したのかコメントを拝読して、理由が分かりました。日頃は、断言めいた詩文をあまり書いたことなんてなかった私なのに、この詩文ではなぜか迷いのない断言的な詩文を書いているのです。 なぜ この書き方を選択したのかは、自分でもよくわかりません。けれど、よい効果が得られたようですね。コメントをいただいた おかげで羽衣なつのさんの心に届く詩が書けたことがよく分かりました。とても嬉しいです。ちょっとした奇跡を感じます。ありがとうございます。 ただ最後の行だけは、どうなのでしょうか? たまたま書けただけですよ。でもとても嬉しいです。投稿してよかったです。ほんとうにほんとうに、ありがとうございます。 (めるふぇん)

2019-07-08

●南雲 安晴 さんへ  >人魚のゆびさきは 笹船のように水をはじきます 『笹舟』にるるりらさんの想像力を感じます。 昨日は、七夕でした。『笹舟』は おもむきのある舟ですよね。七月七日のうちにありがとうございますが、いいたかったな。そこに 着目してくださって嬉しかったですよ。 >滑舌の良いことばを急に喋れるようになり、変な感じがして みんな笑います  ここに、人魚みんなの心情の力強さを感じます。 ↑ おおらかな感じに書いたつもりでしたので、力強さという評は 嬉しいです。ありがとうございます。 (めるふぇん)

2019-07-08

●蛾兆ボルカ さんへ あっと!蛾兆ボルカ さんのコメントをとてもひさびさにいただけしまた。とりあえず、とても嬉しいです。人魚といえば アンデルセンの人魚姫をまず思い浮かべるものですよね。あれは、悲劇でした。そして、悲劇といえば ギリシアの三大悲劇の条件は 失敗から始まると、どこかのだれかが言ってました。蛾兆さんは おもいがけず、コメントを書いたほうが良いとお思いになったのですね。嬉しいなあ。ああ私のは、ええそうですとも悲劇ではないです。そうです 喜びの詩ですとも。 あと、音素がとても良いです。だなんて、きゃあ。嬉しい。しかも先行する名作「一つのメルヘン」あれを読んだのはたしか学生時代の教科書でした。なにやらとても しずかですずやかな心境になったものです。 やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、 今迄流れてもいなかった川床に、水は さらさらと、さらさらと流れているのでありました…… すばらしすぎて、評することなんて 私にはできないほどの うつくしい変化です。ちいさな小川が私の胸のうちに生じた気がします。ありがとうございます。批評の準備ができてないとおっしゃっていたので、もし よろしければ、またコメントをくださいませ。ありがとうございます。 (めるふぇん)

2019-07-08

あ。もうすこし 正直にいいます。 わたしの駄作詩「そらおそろしい」が、駄作であると いうことの 証明になるはずです。そんなの、わたしも つかれるし、もう おしまいにしたいです。したがって、「永遠に癒えない傷」の件は、もう やめさせて いただきたいです。 (『Diving into the Wreck』との対決)

2019-07-04

こんにちは さぞ お疲れになったに違いないと 簡単に想像できるほどの文章量ですね。 ただ 私には分かりにくい文章でした。 そもそも なぜ この英文詩が話題になっているかというと、南雲さんが わたしの拙詩「そらおそろしい」に対する批評に この作品を紹介をしておられたからでしたね。 南雲さんのご発言によりますと、この作品には わたしの拙詩【そらおそろしい】にはない、「永遠に癒えない傷」がある。とのことでした。「永遠に癒えない傷」とは具体的になんであるかを知るには、この英詩を読むしか方法がなかったのです。 しかし、残念ながら、南雲さんのこの文章で 「永遠に癒えない傷」とは、具体的に どのようなものなのかを、わたしが うかがい知ることはできませんでした。 推測するに、どうも 南雲さんが記号や文法の説明に終始しておられる連に、「永遠に癒えない傷」が書かれていると 考えています。つまり、沈没船にたどりついて話手がみたであろう おぞましい光景のことです。 わたし自身が そのシーンをうけて感じたことを 私の詩としてアップしていますので、自作の拙詩から引用しますね。たとえば 沈没した船を探るのであれば >船室の蓋をあけたら >まばゆい光を放ち >生きている姿で現れるのだ >蓋が開かないかぎり だれも彼らの姿を見ることがない >蓋が開くと ほんの僅かな瞬間 生前の笑みを浮かべ 亡骸と化すのだ といったような おぞましい光景もあり得ると思うのです。上記のようなことを るるりらに想像させた箇所を、なぜか 南雲さんは お書きにはならなかった。 沈没船とは 社会の比喩というふうにおっしゃっているので、「永遠に癒えない傷」とはまるで沈没船のように 破綻した「社会」というのが、南雲さんのご意見なのでしょうか。「社会」といわれてしまうと、さらに具体性に欠けてしまったなと私は感じます。 話は変わりますが。 わたしには、 南雲さんに 相当ひどいことを申し上げた自覚があります。すみません。なので、もし お答えになるのがお辛いようでしたら、「永遠に癒えない傷」とは 具体的になんであるかという問いについての 回答をお書きにならなくとも、私自身は かまわないと思っています。 すばらしい詩編を おしえくださり こころから お礼を申し上げます。 ありがとうございました。(深礼) (『Diving into the Wreck』との対決)

2019-07-04

「でもすぐに色あせるのよ」という言葉とともに 色褪せることのなくなった鮮やかな思い出を想わせていただけました。人とは不思議で 愛おしい存在だなあとしみじみさせていただけました。ありがとうございます。 (石畳の道)

2019-07-02

わたしの拙詩「そらおそろしい」との比較は、論考の品格をおとしかねないです。 ほんとアホらしいです。きっと そんなことは、きがついておられることでしょう。 南雲さんの論考、たのしみですね。 (Adrienne Rich作『Diving into the Wreck』を読んで)

2019-07-01

「うさぎおいしかのやま♪」という「故郷」の曲のようなイメージすら 私は持つことのできない地域で暮らしているのですが、それなのに、熊がでたようです。熊の生活圏が狭まっているのでしょうか?以前ならあり得ない場所での目撃情報がニュースになって驚くことがあります。 つい先日も 私が住んでいる地域にある動物園の動物の檻ではない場所で、野生のツキノワグマが目撃されました。野生のウサギの血なんて言われても、体験がない私には 正直、 ピンとこないのです。でも、熊は居る。この現実には驚愕しているところです。そして、このように熊と格闘しておられる方々はいらっしゃる。血がひく思いがしました。 わたしとしては、素朴な疑問があります。熊がいる山であるなら、当然 ウサギくらい住んでいるでしようか?つまり、我が家のまわりにも 野兎が居るのかしら?本作品を読んで せめて想像してみる機会を得られて よかったです。拝読できてよかったです。ありがとうございました。 (雪原の記憶)

2019-07-01

返信ありがとうございます。私の「白い神話」は、ご指摘の通りです。「Diving into the wreck」からのインスピレーションです。黒髪さんとsurvofさんと あと白石かず子氏の訳文を 読み比べから感じたことを、わたしは拙詩に興しました。 わたしは「Diving into the wreck」で、まず最初に思い浮かんだのは「どん底なら 穴を掘れ」という言葉だったですよ。これは、解剖学者で「バカの壁」で知られている養老先生が なんかのインタビューでイタリアの諺だといっておられた言葉です。よく人を励ますときに、「どん底というものがあるから いくところまでいったら あとは浮上するだけだから大丈夫だ」という励まし方ならば聞いたことがあるのですが、「どん底にたどりついたら もっと 掘る」とは、不思議ですよね。意味を私に聞かないでくださいね。でも、わたしは本作品(「Diving into the wreck」)のようなことかもしれないと感じました。 沈没した船を探索するというのは どん底をようとする人の態度です。ですがこの詩は、底が見えたと思うやいなや、さらに、この詩は もっと深みに(幻想の海に)潜っていくのです。 わたしも どん底を掘ってみようとと思いました。できるだけ実直に自身を掘り下げてみようとおもい書いたのが、「白い神話」です。厳しくストレートなリズム感が似ていると言っていただけて嬉しいです。一気に書いてはみたものの、なにを書いていることやらと私自身は思ってます。正直いうと、読み返す勇気すら いまはないのです。ですが、たしかに123123…と、カウントを とっていました。(笑) (「Diving into the wreck」)は、よくできた詩です。詩の主人公は、道具であるヒレを装着して、海の底の深みに潜ってゆく物語なのですが、道具の扱い一つをとってみてもなんとも おぼつかない手つきです。潜水することに慣れた人なら フィンとか自在でしように、この詩はそうではない。おぼつかない。 ほんとうに沈没船を探索するのでしたらチームを組むのが普通でしように、この詩はたったひとりで もぐっていくのです。 確かな筆致でかかれたファンタジーは、人を傷つけません。現実との距離を読者に、ちゃんと感じさせて書かれているからです。読者は、たった独りきりで詩に向き合いますが、読者はファンタジックに死臭の中を泳ぐことができるのです。この詩にはそのような仕組みがちゃんとあると私は分析します。 ですが、わたしの作品は違います。自身の中に潜っただけです。わたしの心の中になんて、だれも もぐれはしないと書いてあるだけです。 さて、南雲氏が、「Diving into the wreck」)と格闘しておられるそうですよね。楽しみですね。もし ご都合があうようでしたら コメントをして 是非、さしあげてくださいね。 私は、どうしたら良いのか分からぬままに関連の記事内で爆走してしまった感があります。 これから南雲氏がこれからアップしようとされている文がどのようなものか 私が知るべくもないのですが。楽しみですよね。でも、私としては、本当の本当に もうそろそろ 私の言葉はすくめを心がけて対処させていただくつもりでいます。 勝ち負けだなんて言って心配をおかけしてしまいました。すみません。でも、ついこの間、私は凄すぎるお三方のタイプの違う詩人と比べて劣っているとの指摘を私が受けていることはご存知でしょ?ほんとだねぇ。るるりらさんは すっかり負けてるねーーって、いっしょに笑ってくださいませよ。 (Adrienne Rich作『Diving into the Wreck』を読んで)

2019-07-01

はじめまして 私は 読解力にあまり自信のない読み手でして、おまけに コメントの書き方にも問題があるのかもしれません。ですから、話を半分にして読んでください。 まず、とっても魅力を感じたのは、一行目です。 とても 心に残る鮮烈な言葉ですね。わたしだったら 一行詩として提出して あとは読者に自由に想像していただくことを選択するかもしれないと思えるほど、素敵です。 ただ、全体的に わたしらには理解するのが難しいと感じました。もっとも、理解されれば良い詩というわけではありません。ただ 一読者のるるりらとしては、すこしはわかる部分があると もうすこし詩に冒頭できるものですから、なぜ わたしには この詩が難しいのであろうかと 考えてみます。 まず第一に、人称代名詞や人物を表す言葉が多いですね。 わたしには解り難かったです。「ぼく」「彼らを撃った」「少女」「きみ」の、関係です。 >かつてある少女が北の国に住んでいた >少女はぼくを愛し、ぼくはきみを愛した >きみは今どこにいるのだろうか 「少女」と「きみ」は 同一人物だろうか?それとも三角関係だろうか? 「彼らを撃った」の彼らって どんな人々だろうか?どうしてうったかといえば「月曜日が嫌いだったから」 いろいろ謎しかなくて、そもそも「どうしてそんなことをしたの」というからには  なにをしたかくらいは イメージできないと詩の中に入り込めなかったのです。それには最初の一行がなにを比喩しているのかが分からないと 私には無理でした。 空を白銀のかんざしが通りすぎてゆく 飛行機かもしれない。矢かもしれない。 はたまた ほんとうに簪かもしれない。そこから よく分からなくて、 でも「空を白銀のかんざしが通りすぎてゆく」という詩句が とても好きです。 つっきっている感じが 強い印象として残りました。 (あるなんでもない日)

2019-06-27

霞が秋波を送る という箇所のクールビューティー加減に しびれました。 (霧と靄と霞…………キリとモヤとカスミ)

2019-06-26

前回、「泣きそうになった」ので、日をあらためて書きたいと いいました。それで、ふたたびコメントを書かせていただきます。 実は、個人的に自分をさらけだしすぎて しまったなと感じてしまっている出来事がありました。その直後に この詩を読んだものですから、「泣きそうになった」のです。 けちけちせず こころの中にあるものは だしてしまったけれど、それはそれで いいんだよ。と、諭された気がしたのです。そして ついでに 涙が でてしまいそうになったわけです。 >ドルフィンフィッシュ >見せてやるぜ わたしは この箇所を体現したいです。苦境を逆転させてやるぜ。と詩文は私を鼓舞してくれました。わたしにとって ドルフィンフィッシュとは、ドルフィンキックを想起するものであり、とてもリアルな表現に思えたからです。難しいとしか思えなかったはずのことを、すいすいと 難なくこなす能力の体得をイメージしました。 冒頭においては、 >あらゆる行為を禁じられ >私は北極に立っているかのように感じた と、あるのでネガティブな心を起点に描いておられるのでしょうが、読み返してみると ちがって思えるのです。  北極とは地球の軸であり、この詩には地球規模の風が渦巻いているように感じました。 この詩には壮大な軸がある。当然、関わる人は居る。そして、すごいのは 関わりつつも別れることをも想定内に入れている。この大きさに 私はすくわれました。 わたしも、美しいなら美しいというだけのことから初めてみたいです。御覧のように、今もこの詩の感想を上手くは言えてないのですが、何かを始めたいです。 たとえば、プールにいってドルフィンフィッシュになったつもりで実際に泳いでからなら、もっとこの詩が沁みる気がします。あきらめずに、すいすいと泳ぐように生きたいと思わせていただけました。ありがとうございます。 この詩にであえて よかったです。 (ある日特別)

2019-06-23

大事なことは割と勝手に行われてる。ほんとにそうです。 人々が大事だと騒いでいることは、そうでもないのかもしれません。 身体を点検したくなりました。 (気づいたこと)

2019-06-20

こんにちは 兼六園に私は行ったことがないなりに憧れがあります。しかし、 題名は「ひまわりのまわりを 」いい題名だけれども 兼六園のイメージではないな どうなるのだろと読み進めてみると、「どんぐりをポッケに」「枯葉の油絵」ということは秋の思い出。アルバムのようなとりとめのなさですね。 失った恋の思い出のつれづれでしょうか。 個人的には、春と冬の思い出がないところが 切なかったです。 (ひまわりのまわりを)

2019-06-20

命は日々の暮らしの中で削り続けています。のところで くすっと笑いました。 夏草や 詩書きどもが 夢のあと   なんちゃって。 (ブラックジョーク/ホワイトノイズ)

2019-06-20

はじめまして、ちいさい人への目線が、なんだか大人が持つであろう人格より 素晴らしいなにかを見い出しておられて素敵です。 先生に怒られてトイレに閉じ込められる。のくだりは かわいそうですね。  幼児とい題名で先生だから、幼稚園保育園とか託児所でししようが、嫌な先生ですね。 詩の中の話だというのに、やめてあげてほしいと 思いました。 拝読していて もっとも想像が楽しかったのは、最終連でした。 精霊が慰め、アドバイスを与える。でもその頃には、聖霊たちの言葉は君の耳には届かない。 ちいさい人は ときどき妙に醒めた目をしていたりすることがありますね。どこか覚醒しつづけている感じがよく出ていて、最終連をなんどか繰り返し読み返しました。 先生にトイレで閉じ込められるくだりは、かわいそうでした。詩の中のお話だというのに、理不尽な目にあわせないでほしいなと 思いました。 (幼児)

2019-06-20

わたしの詩に心をかけてくださってありがとうございます。 新潟山形において 強い地震が あったようですね。原発はどうであるかという報道が、まず報じられました。東北の大震災の石碑や わたしの住んでいる広島の土砂崩れ地域にも地名などに 昔の方のチチ忠告はあったのですが なかなか生かすことができずに後になって嘆くのですよね。まずは 新潟山形の方々の生活が安定されることを願ってやみません。 (太陽と原発と八時十五分に寄せて 二編)

2019-06-19

翻訳して海外の詩文を自身の語学力で読み解くことがおできになる方は、わたしからみたら みなさんが賢者です。わたしが太刀打ちができるはずない。だから勝ち負けではないと皆様に思っていただけるような雰囲気づくりをしておきたいです。(るるりら以外の方ははじめから、勝ち負けだとは思ってらっしゃらないのでしょうが、赤面)  日本以外の言語圏の方の言葉って直訳だけでは 理解が難しいことも多々あるのでしょうね?ちょっと聞きかじっただけなんですが、たとえば ドイツにはDrachenfutterという言葉があって、直訳したら「龍のえさ」だそうです。日本で龍といえば、やまたのおろち。その餌は お酒ですよね。でもドイツのDrachenfutterという 言葉は、退治するための餌ではないようです。例えば夫が悪いふるまいを妻に許してもらいために贈るプレゼントなんかを「Drachenfutter」というのだとか。火を吐く龍のような女性は やすやすと手がつけられないことでしょう。さぞ 細心の心の配り方が必要なのでしょう。「Drachenfutter」、なんか良いですね。おもいやり感じます。 脳天に炎がたちあがっていた私ですが、ぜひ 素敵なDrachenfutterを頂戴したいものです。(こら。と、いう誰かの声が聞こえたような……。) さて、わたしの批評ならぬ 「おひょ~」をもうすこし書き加えておきたいです。私が、脳天から火を出したせいで、触れることができなかった事柄があるのです。それは、「男と女の人魚問題」です。  人魚は、女とは限らない。これは、おひょ~度が、満点です。さっそく、ばかなりに掘り下げていくことにします。 男神の例に出会うのはあんがい簡単でした。検索で得た知識です。男神の人魚オアンネスという神がいるようです。バビロニアで崇拝されていた神です。後にノアの箱舟の話にでてくるノア家は、オアンネスの家族のことではないかという説があるそうです。それでノアの箱舟が描かれている宗教画には、人魚が描かれていることがあるという記事をネットで見つけました。 そうすると、冒頭の「本」とは、聖書か御伽噺かというと、 聖書もしくは古い伝承のニュアンスがあるのだなと、感じているところです。 初心にもどって、海に対する印象を考えると、海とは 私たち哺乳類の祖である魚類の棲まう場所です。私たちは、きっと海から来たのです。 この詩は、私達の深層心理にある共通項に いかに触れるか。死臭のするような歴史の繰り返しが私達の歴史です。しかし この詩は、そのような人間の 業の深さを さらにかいくぐり、深く深く潜ったその先に、到達せんとする詩だと思いました。 ほりさげて現れるのは、生をもつもの根源に触れようとしている。男とか女とかを超越したカオスから わたしたちはやってきたはずです。この詩を道案内にすれば 読者はカオスを 心に持つことができるかもしれません。 (Adrienne Rich作『Diving into the Wreck』を読んで)

2019-06-19

はじめまして ただ詩を拝読するよりも、まずプロフィールを拝見してから拝読すると、視野が広がるような思いをいただきました。  プロフィールをお変えにならないとも限らないので、せっかくなので転載させていただきます。 プロフィール: ここは標高1300mの山奥。僕はここで今、山を開拓し、一年中快適に住めるティピーを作るために活動しています。ここではその様子や、感じたことを呟いていきます。 さまざまな人が、この詩と同じことを考えて見聞きしているように思うのです。 たとえば、動植物の生態を観察から知ろうとする人も 同じ クエスチョンを持つと思います。たとえぱ、最初の人類も きっと 同じ疑問をもったことがあるような気がするし、一休禅師なんかは「世の中は起きて箱して(糞して)寝て食って後は死ぬを待つばかりなり」と言ったと聞いてます。この当たり前を、なんでやねんと 率直に言える人は凄いと思うのです。それが、 山を開拓しておられる方がこの詩を書いておられると思うと、なんというか、 頭の中や 肺のある胸が 涼しくなるような思いがしました。   (my earth)

2019-06-17

こんにちは はじめましてでしょうか? わたしは ここ最近「○○詩」と題した詩を書くのがマイブームなのですが、 この詩作品からうけた印象を、端的に表すとすると「歴詩」であるなと 思いました。歴史ではありません。歴詩です。  なぜかというと、まず 拝読していると一本の裸木が心の中に凛とそびえたっててくるのですが、そのあと まるで木のような人物像が うかびあがってきて、両者はまるで鏡の前で 座禅をする人のように思えました。「座禅詩」とも考えかのですが、「座」という漢字は 漢字の中に人の文字がふたつですが、人ではなく木という文字を入れ替えてみたのです。すると…… 「歴」であるなと おもったわけです。 大木のような歴史を 積み重ねたいものですね。 そんなことを想わせていただきました。背筋がのびました。読めてよかったです。 (等しく立って)

2019-06-17

●南雲 安晴 さんへ  謝罪を受け取りました。お書きになっていること すべて承知しました。   ●鈴木 海飛 さんへ 「るるりらさんの作品んを経たあとの 南雲さんの悩みという面が強い気がしますね。私にはそんな感じだよ。」 そうでしょうね。南雲さんには気の毒なことをしました。南雲さん、ごめんなさいね。出血大サービスをイタイ意味で おこないました。  鈴木 海飛 さんのコメントで有難かったのは、 「そらおそろしい」自体に むきあってくれたことです。 私自身もそうだから自業自得なのですが、この批評スレで 「そらおそろしい」に語られている割合は とても少ないので、貴重です。本編では好意的な評もあるのにお礼も言えていないので、嬉しいついでに お礼を書いておきます。本編で誉めてくださった みなさま ありがとうございます。 この詩について発言できて嬉しいです。海飛 さん、塩味がうすすぎましたか?塩味は人によって好みが分かれるだけでなく その人の体調にもよりますし、難しいですね。 わたしは人様にいわれて自身の詩を改訂することが たまに あります。この詩も変えたものも提出しています。しかし↓の箇所は変える気の全くない箇所です。この文言は わたしの脳内でいつでも生の状態でとりだせる貴重な声なんです。 >おまえんちの家の前の空き地に >むかし なまくびが ならべられとったんど >じゃけえ おまえんち のろわれとるんじゃ けけけ この箇所のことを、南雲 安晴さんによって本編で二度の指摘を受けました。 二度目は お気に召すような形に書き換えを行いました。そして、でもやっぱり 「なまくび」という不快な語はあるのでした。南雲さんからしたら お嫌いな語をなんども読むはめとなりました。そして「なまくび」という語のことを「もはや消耗品。」という批判を 受けたのかもしれません。  わたしは、身内の死をたてつづけに 経験したことがあります。気が狂いそうでした。でも、私の脳には 私に自身に危機がきたら危機を脱出する機構があるのです。機構がオンになると、 >むかし なまくびが ならべられとったんど >じゃけえ おまえんち のろわれとるんじゃ けけけ というフレーズがオートマチックに脳内で再生されるのです。そしてミラクルがおきるのです。私の脳内が瞬時に とても若くなるのです。そして、いつも危機を脱出する私がいるのでした。 今回はどうやら、脳内で 若返りスイッチの連打が起きました。 こどもになりました。すると、泣くもんです。悲しがるのはしょうがないことです。 みなさまを大人と見込んで お願いします。わたしのことを、ゆるしてやってくださいませ。おぎゃあと るるりらが うまれちまったねぇくらいのハピネスだと どうぞ受け止めてやってください。 わたしは、フォーラムで 私をかわいそうに思うなら このスレ以外のスレに 善を投入してほしいという みっともない呼びかけをしているところです。 だからもう このスレは、当分  南雲さん以外は書かないでほしいです。このスレは彼のスレですから わたしは彼にスレの主導権をお返しします。(深々と礼) (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-16

生涯をかけた問いなのだろうなと、 おもいました。 ただ、論理的に考えて 死んだら なにも 確認できないはずですから、この問いは けして 解決されることは、なさそうです。 (喜ぶ人も悲しむ人も)

2019-06-14

もちろんです。わたしも、是非 南雲さんのお話がうかがいたいです。 (Adrienne Rich作『Diving into the Wreck』を読んで)

2019-06-14

南雲 安晴様、おはようございます。まず 最初に素晴らしい詩編の紹介をしてい ただいたことについて もういちどお礼を申します。『Diving into the Wreck』を教えてくださり ありがとうございます。南雲様が 詩編について私が快諾しておられるという理解で、さらに 該当の詩編について読解を深めることを続けるつもりです。 それから、やっと 対話の檀上にあがっていただけ しかも 謝罪をしておられます。 さぞ 勇気をお出しになったことでしょう。ありがとうございます。おかげさまで 気持ちの整理が かなりつきました。 さて、「作品の中に永久に癒えない傷があること」というご発言についてですが、わたしは わたしの持っている言葉の全咀嚼力を使って、理解しようとし、そして こういうことではないかと思える自作品を このビーレビにアップいたしました。それが今月にアップした二作品(正確には四作品)です。 南雲様は「作品の中に永久に癒えない傷があること」という事を含有する投稿作品に出会いそうな予感がしています。と、書いておられます。つまりは、 わたしが今月にアップした二作品(正確には四作品)は、南雲様の考えておられる「作品の中に永久に癒えない傷」は、含有していないということですね。了解しました。つまり、わたしの理解力では あなたの言う「作品の中に永久に癒えない傷」は理解できませんでした。 ところで、「作品の中に永久に癒えない傷があること」という言葉について、わたし以外の方も疑問がもっておられることは、理解されておられますね。 つまり、渡辺八畳@祝儀敷 氏の下記のような指摘のことです。 「(前文略)「永久に癒えない傷」なんちゅう抽象すぎる表現に逃げているのが致命的。なによそれ? ってなる。批評ならば具体的に示さねば。」『「文学」って何?(第2回)』という南雲様への指摘のことです。 自由である場のすべてには、【ノーコメント】という選択の権利が 必ず必要だと私は思っています。けれど、あなたは『「文学」って何?(第3回)』で、その答をいずれ書くおつもりがあるとのことでした。 そのお話の相手は、私というより、渡辺八畳@祝儀敷 氏には 届く言葉で 説明をされるべきではありませんか?  もし、ほんとうに 答を書くおつもりがあるのでしたら、私がスレ主である こちらのスレではなく、南雲様の『「文学」って何?』のシリーズの中で お答えいただきますようお願いいたします。 理由は、このスレは『Diving into the Wreck』に対しての批評ならぬ おひょーを追及したスレだからです。 (Adrienne Rich作『Diving into the Wreck』を読んで)

2019-06-14

×そうでにい順番 〇そうでない順番 失礼しました。 (白い神話に寄せて 二編)

2019-06-13

●帆場蔵人様 わお。うん。あら。そーですか。いえね。「帆場蔵人」というハンドルについてなのですが、なんだその めちゃめちゃ私ごのみのハンドルって何?って、わたしは前から 思ってました。ここだけの話、初めてお名前をみかけたときは、ペーパークラフトの帆掛け船を購入したし。でも ホーバークラフト(?ほうばくろうど?)だから ペーパーは違うんですけどね(笑) 年功序列で人が死んでいく、というのは 正確にいうと、年功序列で人が死んでいくことをそうでにい順番で死んでいくことよりは、望んでいるケースが多い。と言ったほうが正確かもしれません。わたしの祖母は乳飲み子を大勢亡くしてますし、年功序列で人が死んでいくはずはないのですが、でも 「あんたは まだ若いんだから大丈夫よ。なんぼでも やりなおしがきくわよ」とかいう励ましとかを聞くことがあるのですが、正直。 それって、なんの保証もない話だよね。と、思うのです。おもうのですよーーーーー。 ねー。(遠い目) お読みいただいたううえに、 ご自身のことも教えてくださって ありがとうございます。 (白い神話に寄せて 二編)

2019-06-13

●竜野欠伸様 長渕剛さんて、リリックと楽曲と脚本の著作者なんですか?長渕剛さんて喋りの上手い方という印象は わたしにもありました。ぶっちゃけこの詩のスタイルって、変ですよね。 なぜ二編編纂にしてるんだ。しかも なぜ次の投稿作品も二編編纂にしてるんだという点は、つっこみどころですよね。 そうなんです。できることなら しゃべくりながら自作品をおりまぜるというのが、やりたかった。息切れをおこしたため とりあえず、二編編纂×二作品という形にしたのです。二編にはしてはいるが、一遍の作品だと言えなくはないというチョイスにしてます。 たしかに、もう少しねせると更に風合いも醸し出される感触に、舌鼓が打てたのかもしれませんね。 実はね自分でも すこし そんな気がしています。 するどき指摘をありがとうございます。 (白い神話に寄せて 二編)

2019-06-13

●survof 様 詳細に読んでいただきありがとうございます。おおむねsurvof 様にとっては この詩の中に入りやすい詩文であったようで、嬉しいです。残念だったのは 中間部分ですね。送信三十秒後に、やらかしてしまったと、頭を垂れてしまったのがご指摘の箇所です。 「白から生じ白へ消える」についての洞察が また興味深く拝読しました。 パソコン画面と照らし合わせて読んでおられるのは、私にとっては新鮮な読解でした。 大自然を見渡せば、言われてみれば あまりありませんね。生き物は萎れたり腐敗したりしますし。けれど、四季は冬から数えるなら 冬の雪景色から来冬の雪景色までのサイクルで区切ろうとおもえば、白から白かもしれません。 結婚のことを人生のスタートとして白で演出することがありますが、死に装束も白いことがあり宗教概念のゆるい日本ですが、色彩の中でも白は宗教色を感じるのは私だけでしょうか?そういえば、日本の色彩名では「赤い・青い・白い・黒い」の四つだけが形容詞だという指摘を読んだことがあります。その話というのは、この四つは ほかの色とは違って、色の質を示していたという話でした。 赤=明るい色 青=ぼんやりとした色 白=はっきりした色 黒=暗い色 白は、はっきりくっきりした なにかしらの祭事に区切るために、用いられてきたのかもしれません。それにしても、「どう考えても神話的ではないか」に込められた悔しさ。感じててただけて嬉しいです。ありがとうごさいます。 (白い神話に寄せて 二編)

2019-06-13

なぜか なきそうに なりました。 言語化できたら 報告させていただきます。 そのまえに、ひとことだけ。 よかったです。 (ある日特別)

2019-06-13

鍵となる冒頭箇所の三種の神器について 書き漏れがありました。 該当の作品は、冒頭箇所において「本」と「カメラ」と「ナイフ」が出てきます。わたしは、それを 鏡と刀と玉と 似ていると発言しています。失礼しました。 (Adrienne Rich作『Diving into the Wreck』を読んで)

2019-06-12

お線香の けむりを みてるみたいに ほわほわしてますね (しぜん)

2019-06-10

余計なことって たいて してしまってから きがつきますよね 加圧ガードルに にたものに 王子様用 タイツがあります。 ぜひ はいてみましょう。 (よけいなことに)

2019-06-10

こんにちは わたしの初恋さんは、たまたま水泳部男子で、しかも あだなが たくくんだったから、勝手に 胸きゅんでした。 包帯で 泳ぐなら、古式泳法でないと無理だから、クロールには 勝てそうもないですね。 あかいながれ なぞですね。オームなら攻撃色でしたっけ ミイラなら血がにじんでいたのかなあ。そのあたり もうすこし、書き込んでほしかったです。 (ミイラ男は泳げない)

2019-06-10

こんにちは さまざまな 読み方が可能な詩篇として 拝読しました。ひとつには 透明は 霧や雨と同じく 虹と 同じ性質があるから透明なビニール傘でも虹のように見える可能性。もうひとつは、題名から忘れ物紛失物を集めて販売している場所の色とりどりの傘です。 短詩には 短詩の面白さがありますね。これくらいの分量なら、ツイッター詩として成立しそうです。わたしのやってるツイッター詩のグループは たまたま 明日のお題目が「傘」みたいなので 投稿してみられたら良いのになー。と、思いました。 (忘れ傘)

2019-06-10

ちなみに四(^-^)vというの vは、一ブイ 指で三をつくると 二ブイ 鈍い 指で四をつくると 指の谷間が三つだから ミブルイ 指で五をつくると 四ブイ 渋いです。 言葉ではないでし どなたにも わからないことを いれてみました。 失礼しました。 (白い神話に寄せて 二編)

2019-06-10

渡辺さん 誤読でも なんでも 良いでは? 彼自身は、このスレに書きこみをしないと言ったっきりです。 書きたければ、書けば 良いのですが、誤解があるとしても 誤解のままで 良いというのが、彼の判断であるならば、ここに 最終的に対処するのは、常に わたしって ことになります。しょうがありませんでしょ。 わたしたちは自身のいたらなさを 詫びつつ 議論をしてきました。 彼は、ご自分のいたらなさが きにくわないなら、カードを出せば良いと 私に言ってます。 わたしは、そんなこと いちども いうつもりは ありませんでした。 だから、問題は なにもないです。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-10

連発で投稿しましたが、こちらを 先に読んでほしいので、あげます。 (白い神話に寄せて 二編)

2019-06-10

できたら もう このスレは、サゲ方向の反応に なると いいなあと、個人的には おもっているところです。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-10

渡辺さん「永久に癒えない傷」て、謎ですね。なんでしょうね。 永遠に癒えないならば、とうぜん わたしの致命傷になり得る傷のはずですよね。まじ死なんと、嘘なんじやあないのかな? それを 晒せと、書いてあると 私は読めるなと 思いました。 むかしの話ですが、人様に見せもせず「永遠を凝視する眼球」と題して、なん年も同じテーマで書いてた時期が、私にはあります。親しい人に、きちがいじみてるって言われました。だから、そこそこの傷が、わたしにも ないわけでは、ないです。 でも 私は、そんな傷は癒えちゃいました。 永遠に癒えない傷を人間が得た場合は、ふつうは死にますよ。そんな あたりまえが おわかりにならないほどに、文学への憧れで思考が沸騰しておられたんじやあないかしらと私は感じています。 いま、じつは【永遠に癒えない傷】を モチーフにした自作詩を 書きあげました。でも 投稿するかしないかで 迷ってる段階です。 いまは、投稿をせずに とりあえず ほかのかたがたへのコメントなどを するつもりです。 このスレへコメントしてくださり ありがとうございます。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-10

了解させていただいて おります。 該当作品に出会えて よかったです。ほんとうに (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-09

うわー。白石訳の著作の訳とかをここに載せたいきもしますが、著作権とかにうとくて迷います。 あと、まえに お話した黒髪氏の訳をプログに載せるつもりだったのだけど、ここに載せてもいいのかなあ。 ご本人にお願いして、みます。 (訳詩:Diving into the Wreck (by Adrienne Rich))

2019-06-07

うわー。白石訳の著作の訳とかをここに載せたいきもしますが、著作権とかにうとくて迷います。 あと、まえに お話した黒髪氏の訳をプログに載せるつもりだったのだけど、ここに載せてもいいのかなあ。 ご本人にお願いして、みます。 (訳詩:Diving into the Wreck (by Adrienne Rich))

2019-06-07

×馬頭 〇罵倒 誤字でした。失礼しました。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-07

鈴木 海飛 様 わたしらしからぬ発言をしてしまいました。 あなたにはいつも「喧嘩よえーな」と言われてきましたね。 すげえ弱いのですが、めずらしく馬頭の言葉を探しました。 男性がいちばん 傷つく言葉だと聞いたことのある言葉を吐いたものの 使いなれてなくて、一晩中 胸が痛くなりました。衛生兵とは、言い得て妙だと思います。 この批評文には 神の庭との比較が書かれていますよね。 「神の庭」については、あなたがお書きになった批評のほうに私の意見を書きこみをしているので、アドレスをここに 貼らせてもらいますね。 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=3409 ありがとうございました。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-07

survof 様 論理的に物事を話きることのできにくい私のために 心をくだいてくださり とても感謝しています。 正直、ほんとうに 心おれそうなが心境でございました。ありがとうございます。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-07

まず 最初に このスレッドに来ないと言い放ったことについて お詫びするとともに、本批評で紹介していただいたアドリエンヌ リッチの【瓦礫の中へ飛び込む】という作品を 英語力のない私も読むことができました。 白石かずこ氏の翻訳を 心ある詩友が見せてくれたのと、わざわざ わたしのために 御自身で翻訳を手がけてくださった黒髪氏に心からの感謝を申し上げます。ありがとうございました。 さて、アドリエンヌ リッチの【瓦礫の中へ飛び込む】という詩編は、素晴らしいものでした。私は、夏に子供らと無人島で生活してみようという企画物の体験をしたことが何度かあり 海に潜ることで得られる体現経験があることもあり わたしにとって記憶を喚起させてくれる作品でした。 ざっくり内容を紹介させていただくと、神話とカメラとナイフをもった話者が、たったひとりで沈没した船の中に入り 様々なものを持ち帰るドラマが描かれている作品でしたが、描写の美しさ正確さ詩情。心が洗われるとは このことをいうのだと思います。 しかしながら、南雲氏が なぜ わたしの批評を行うにあたって、詩編にわたしの詩編とは一切の類似点のない アドリエンヌ リッチの【瓦礫の中へ飛び込む】を紹介する気になったのか いまも不思議です。ですが、もう追及は いたしません。 とても素晴らしい詩編を 紹介していただきました。わたしの宝が増えました。ありがとうございます。 本題である私の詩作品への批評についてですが、そこは やはり受け入れられません。 芦野 夕狩氏の作品『神の庭』を批評対象とした拙論において提出した「文学」の条件の一つ、「作品の中に永久に癒えない傷があること」は 私にとって 良い作品の条件ではないことは、前に言ったとおりです。 芦野 夕狩氏の作品『神の庭』にたいするわたしの感想を書き添えさせていただくなら、あの作品は 女性の話者という形をとりながらも 男性目線の詩であると私は感じました。 わたしの感覚では女性が もし書いたのであれば、あのような表現にはならないという点がいくつかあるため。あの作品のようであれという批評態度そのものが 私には受け入れがたかったのでございます。 ですが、南雲様に たいへん失礼な物言いがあったことを こころから謝罪します。 もうしわけありませんでした。とても素晴らしい詩編を教えてくださり ありがとうございます。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-07

ティンパニは、 ぶあゎん ぱんぱん ぱん に、訂正します。ねぼけて、脳内で ドラがなりました。m(_ _)m。 (魚屋でギター売っちゃ悪いのかよ)

2019-06-07

【へいらっしゃい】るるりら作 へいらっしゃい らしゃい らしゃああい 近所の魚屋に楽器が売られていてなにが悪い ちよいとみとくれよ こちとら海軍御用達の看板を磨いて ぴっかぴか こいつはまた活きのいい六絃琴(※ギター)じゃないか ちょいと失礼、ろくげんきんでうたいましょ  げんきんないないなぞ きにすんな おかみのためなら だいじょうぶ かんこんきんこん 三角鉄(※トライアングル) ちょいとお前さん、いいがたいしてるじやねえか これなんかどうだ 妖怪的四弦(※バス)で 大入道さまのご登場 ばしゃゃゃゃゃゃゃん  しゃんしゃんしや あ これか いきなりの大きな音で さすがに驚いたか? 半円鍋型ぎゅう縛り高低自在太鼓(※ティンパニー)っていうのさ 兄さん も ならしたいだろ?な?どう?買うてよ (魚屋でギター売っちゃ悪いのかよ)

2019-06-07

筆者の文学論は、賛成しません。 ただし、恒久的傷を描いた作品を わたしの過去作品には あります。 おとこだ おんなだと いうことは、 恒久的傷ではありません。 死んでも 亡くならないものが、わたしに とっての 恒久だからです。 お邪魔いたしました。つかれましたので、いご 書きこみを、遠慮いたします。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-06

おはようございます。 生理的に無理である点がありますので、はっきり申し上げておきます。南雲様にとって 女性、男性、何性、こういった観点は 本作品の批評の眼目ではまったくないにもかかわず、わたしが「女性」という語を発するとき、南雲さんの鈴とやらが鳴るとかいう意味不明な告白は、迷惑であると はっきり申しあげておきます。 わたしが 性別で扱われることを 嫌がっているにもかかわらず、わたしの発する「女性」という語に 南雲様の鈴が鳴っていると思うと、気持ちが悪くてしょうがありません。さらに もうしあげましよう。迷惑です。 ちなみに、わたしが「女性」を名乗るとき 男性の心をゆらしたいなどという考えはありません。むしろ同性の方に もし女性用車両があるならば、わたしも その車両に乗るよというメッセージでしか ありません。 なお 本作品については、本作品欄にて 南雲さんにとっての難点のある作品であることは、すでに頂戴しております。そして、わたしは ご意見を謙虚に受け取り、できるかぎり ご期待にそえることを願っての別作品も すでに 本作品の投稿欄にてアップしています。 こういった私の善処を 無駄にして、善処する前の作品を 本作品が文学ではないと発言しなければならない理由は 何ですか? 鈴がリンとなったからですよね。鈴は煤にしてください。おねがいいたします。最後に あらためてもうしあげます。迷惑です。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-06

拙詩そらおそろしいを 批評対象作品として お選びいただき ありがとうございます。 本批評文には、女流詩人の優れた作品の紹介もしていただきました。おそらく、わたしだけではなく おおくの方にとって意味のある批評なのかもしれません。 しかし、残念ながら 現在私のパソコンはユーチューブへの接続が不安定であるのと、わたしは英語の語学力には問題があるため、南雲さんが紹介してくださったアドリエンヌ・リッチ氏の 『Diving into the Wreck』を拝読することが 現在の私には難しいです。しょうがないので 彼女の生い立ちを検索しました。 ゛ 引用開始★1951年の最初の詩集『世界の変容』は、形而上詩人の伝統に沿った端正なもので高い評価を得たが、1960年代以後、ウィメンズ・リブ運動に加わり、作品の主題も、ヴェトナム戦争、人種問題、女性解放などになった。1971年、『廃墟への跳躍』で全米図書賞受賞。ニューヨーク大学教授を務めた。少女時代に兄弟から受けた性的虐待を描いた詩は最も衝撃的で、その女性論エッセイの「強制的異性愛とレズビアン存在」で「レズビアン連続体」「強制的異性愛」という概念を示し、フェミニズム批評に影響を与えた(『血、パン、詩』所収)。しかしリッチの概念は、女に育てられた結果、男は自然に愛着の相手を別の女に移行させられるのに対し、女はむしろ女同士の絆に移行するほうが自然で、愛着の対象を男に変えることには無理が伴うと論じている。★引用終わり どうやら 彼女は、女性としての立場から書く著名で優れた詩人であるようですね。そして私は たしかにビーレビ上でコメントするとき、自分が女性であるという「立場の表明」をおこなうことがあります。ですが、わたしは とりたてて女性詩を書いきたという自覚はあまりありません。ご批評してくださっている「拙詩そらおそろしい」は特に、女性詩とカテゴライズできる作品ではないです。理由は、話者にしても女性とも男性ともいえない思春期にも達していない人物を話者として私は選んでおります。   南雲さんの御説では、「文学」の条件の一つ、「作品の中に永久に癒えない傷があること」ださうですが、 あきらかに 小学生ではない書き手が 小学生時代の物語を語るとき、年齢を経た作者には癒えていない傷があるとは、お考えにはならないのですね?  わたしには卓越した日本語表現能力の所有者であると言っていただいて、お恥ずかしいかぎりです。しかし、わたしが手に入れなければならないもの、それは消耗品に終わらないもっと深い耐久性のある「傷」なのですか? まさかアドリエンヌ・リッチ氏が獲得しておられる傷を 私が保有したほうが良いとおっしゃっておられますか?ご指摘の夕狩作品の登場人物が持っている傷を、まさか 私がもったほうが良いと おっしゃってますか? わたしは、女性として名乗って作品を挙げてはいますが、女性特有の詩の数は少ない書き手です。いくら文芸にとって傷が有効であるとしても、わたしは作品づくりのために 癒えない傷を獲得する気は まったくありません。女性としての傷なら なおさら獲得するつもりはありません。ですが、わたしとて人間ですから無傷でもありませんよ。いままで詩として表出していない傷ならばあります。それを出せというのが 本批評なのかもしれませんね。考えててはみますね。  アドリエンヌ・リッチ氏の詩の中でも薦めてくださっている作品を読みもしないで書き込みを行っている失礼をお許しください。 貴重なご意見をありがとうございました。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-05

コメントありがとうございます。普通は可動域ですよね。 稼働で連想するのは 稼働中とか稼働率とか稼働人数とかですよね。 稼働で範囲を示すなら、稼働領域なら いうこともあるかもしれませんね。 稼働は働くだから 脳のいろんな箇所を通過させた思考があるのでしょうが 可動は動くだから 頭を使っているかもしれないけど 筋肉を動かす箇所だけを使用してる感じがします。 いいたかったのは、頭でっかちにならないぞ!ということが表現したかったのですが、いやいやどうして、結構 あたまでっかちな詩です。 (稼働域フェチ)

2019-06-03

このお魚屋さんは 昔は、海軍御用達の店だったてことは きっと戦争中は 庶民が食べることのできない良い魚を用意していることを誇りにしておられる感じですね。 魚屋のおじいさんが素敵です。息子が弾いていたギターをきっかけに始めたギターが 結構、 達者になってるなんて魅力的な おじいさんですね。 魚屋さんを辞めたわけではないので 漁連の競りにも きっと参加してて、新鮮な魚が手にはいるんでしょうね。おいしそう。けど、懸命に魚を売る気なんて、ない。あぶらを売るためみたいにギターが置かれていて 「魚屋でギター売っちゃ悪いのかよ」と言い切る粋な自由さが いいです。 我が家にもギターが何本か あるのですが弦の部分が 魚の背みたいに等間隔だし 絵的にも 魚とギターって すこし 似ているところもある気がします。 魚屋というと 声の商売って気が個人的にはしているところも、音楽との相性も良い気がしました。それで つい勝手に 二次創作的な妄想もしました。 一般常識から考えて、魚屋ではギターは売られてはいないけれど、個人的には 魚が売られている。海軍御用達の店だったころに 洋楽器もあつかっていて「へい らっしゃいらっしゃい〇〇弦(敵性語)だよ 」みたいなかんじの 無茶な妄想もしました。 この詩は、日常の中のしゃれた会話って感じがして良いです。つい妄想がふくらみすぎて もっとリアルに楽器屋にしてしまいそうになった わたしの脳内が はずかしいです。(けど、おしらせしてみました。) (魚屋でギター売っちゃ悪いのかよ)

2019-06-03

ぶっはは はっは。ひぃ。 うけました。 ガシッ❗️ (稼働域フェチ)

2019-05-31

はじめまして 拝読していて なにか新しい社会に飛び込んだときの自分を想いました。 たとえば、学校に入学したとき 新社会人になったときの気持ちです。 そのような時は、自分をしっかり持つことと 我儘の境界についての具合をいつも気にしていたような気がします。 なんやかやいうて、 >やはり自己を 中心にしないと 生きられない部分も ありますよね。チェスト―! きばってくださいませ。 拝読していて、なんだか私も もすこし 私自身の我儘と協調の堺を探ってみる勇気をいただけました。 (裏切り)

2019-05-29

わたしはこの詩が好きです。詩はその詩がどこを目指しているかと、読者がなにを欲しているかで評価が分かれるものでしょうが、短詩に希望を見出しがちな私には この詩は たまらないものがありました。 こちらの作品は短詩であり一見 すらすらと読める。しかし 私の心に、まっすぐに心になにかしら降りてくるものがありました。日々を急いで、実を見失いがちなのではないかかと 私を立ち止まらせてもくれました。 特に、 >亀は変化と進歩の >本当の意味を知っている この箇所に 惹かれました。 そういえば、浦島太郎が乗ったのも亀でした。昔話では、さまざまな変化のいきつく先にある玉手箱を開けると、真実がつきつけられたのでした。 亀は万年 鶴は千年。と、昔の人はいっていたそうですね。亀山神社だのと亀を祀ったところもあるようです。亀という生き物は、変化への洞察に導くのに ふさわしい生き物のようです。 >花は季節を待ち という行も好きです。この詩の鍵は、「時間」だと個人的には思っているからです。 「待」 あれ?「時」も「待」も 詩に 字形がにてますよね。びっくりしませんか? こんな風に なにかと意味を探したくなるのは私だけでしょうか? さまざまな方向から 人は意味を見つけ出そうとする。 けれど、本当の意味を知るのは 人ではなく亀だというところが この詩の一番深いところかもしれません。もしも、曖昧や理不尽な出来事に発狂しそうになったら、わたしは この詩の【本当の意味を知るのは 人ではなく亀だ】ということを 思い出せたらなあと 祈るような気持ちになりました。 (庭園にて)

2019-05-28

ふじりゅうさま、コメントありがとうございます。正直もうしあげて、どなたもなにもコメントを書いてはくださらないのだと すっかりあきらめていたところでした。コメントが書きにくい作品であったと思います。 静と動のカドウが好きだというのが本作品です。だから それで どうしたのかが 無い作品なのですが、オリジナリティー溢れる作品として好感をもっていただけて嬉しいです。 この詩をとりあげていただけたので 今週は、……そうだな。 プールにいってみたり 自身の身体の可動域を広げてみようと思います。ありがとうございました。うれしかったです。 (稼働域フェチ)

2019-05-27

拝読しました。チャートの一位を獲得できたようなグループが、引退後に話をするという設定の作品のようですね。本作品内にメタに組み込まれている「TO THE MOTHER LAND」という曲は、フレディ・マーキュリーの生前最後の歌声だと言われている「マザー・ラヴ」という曲と、母体回帰をテーマとしているという点と、恋愛や華々しい競争に嫌気がさしていることを歌っている点で 似ているなあと思いました。 フレディとちがって、作品中の彼の場合は 今後クリエイター支援の枠組みを作るつもりとあるので、この作品の場合は終焉ではなく※詩遊園づくりの詩な感じがして、イイ感じだなあと 思うのです。 (※詩遊園というのは終焉と書こうとしたら タイプミス&変な変換がおきました。いい得て妙なきがしたので、コメントの表現に採用しました。) (TO THE MOTHER LAND)

2019-05-27

はじめに、わたしは 女性に対する暴力や近親相関をモチーフとしたあらゆる創作作品が苦手です。源氏物語ですら、わたしには鬼畜です。こんな私ですから普段であるなら、この詩に対してなんの反応もしなかったことでしよう。しかし たこすけさんのお書きになっているオープニングを読んで、 本作品へのレスではなく、こちらの批評文へのレスであれば、心を開いて、できるだけ この詩を鑑賞することが不可能ではないかしれません。 わたしは、たこすけさんが作者には「心をちっちゃく萎縮させるつもりは」作者に は無い。という言葉を信じてみます。いやあ、こんなに女性がひどいめにあっている作品を読んで びびって当然だと思うのですが、 それでも 『この詩を書くときに「決して汲みつくせない泉を書きたい」と思っていました。どんなに大きな桶で汲み続けても枯れない物語を、と。それと同時に、それは汲みうる泉であらねばなるまいとも考えておりました』と、言っているという たこすけさんの言葉を信じて、たこすけさんのこの詩への熱い感情を杖にして 読み進めてみようと思います。 -----作品より引用------- 1 この庭では神様の声だけが聞こえる 兄が私にそう微笑みかける。何度目の光景だったろうか。ヤマモモの木のちょうど良いところで別れた木の股に座って私にはわからない文庫本を読んでいる兄。夾竹桃の陰に隠れて軒先からは視線の届かない絶好の場所。 -----引用終わり この詩の景は、たこすけさんも言っているように確かに、壮大で 自然描写も美しい。 ヤマモモと夾竹桃は、どちらにも【桃】が言葉に含まれている。わたしには 堕天使と天使のように 対の意味が込められている気がした。ヤマモモは美味しいが、夾竹桃には毒があることから、この作品でのヤマモモは豊穣の象徴で、夾竹桃は邪悪の象徴であるように感じた。なぜなら、この作品の題名は、【神】を冠としているので 風景も神を意味しているかもしれないという読みをしました。 -----作品より引用------- 2 母の庭 私の生まれた日に母は亡くなった。それをきっかけに兵庫に住んでいた家族は岡山のはずれの庭のある家へと引っ越したと聞いた。それが何を目的としていたのか私にわかるはずもないが、結果として母の代わりにその庭が兄と父に与えられたことは事実だろう。 -----引用終わり この詩に対して、わたしは女性として この【2 母の庭】と【4 気持ち悪い】の部分で違和感を覚えました。  まず、この【2 母の庭の章】では、「母の代わりにその庭が兄と父に与えられたことは事実だろう。」とあります。兄と父には おそらく母親の生前の姿をしっている。すると、は庭が かけがえのない人であった母の代わりにはならないはずです。にも かかわらず、詩文には「結果として母の代わりにその庭が兄と父に与えられたことは事実だろう。」と書かれています。いやいや 娘さん、貴女だけが母が 庭となり得るのでは?と、私は思いました。  そして、【4 気持ち悪い】においては、男子たちがふざけた様子で通り過ぎた後に、ラブレターが置かれており、そのことを娘さんが「同性として、最後にその名前が記された女性の書いたものとはとても思えなかった。」と言っている点です。 いやいや そのシチュエーションだったら 男女を問わず、男子たちの悪戯と思うでしょうよ。と、感じました。なぜ、ここで女性として感じたことになっているのか。という点に、わたしは男性目線で書かれていることを強く感じました。つまり、娘さん自身に女だという自覚をもっていてほしいという願望を、感じました。わたしには、気持ち悪かったです。   たこすけさんが、兄妹というタブーの檻から 解き放つのに「癒」という表現などで 詩とむきあっておられて、人間て捨てたもんじゃないと思いました。 兄がぶづふつなにかいっている姿のことを、そのような人を見たら「神の声を聴いているという風にみようとする提案のような発言に、ああ人間て捨てたもんじゃないと思いました。腰を折って祈つているような人を 正面にまわって 正論をたたきつけるのは、下品なことかもしれません。 そして、やっぱり最初から最期まで付箋である神って どんな神だろう。 【7 イシス】と、ありますが イシスって、女性神だなと思いました。 【8 告白】「兄が偽りの神の声を聞いたように。」とあるので この詩では男性的なものは、偽りの神なのかもしれないです。 【9 たとえば首の短いキリン、あるいは鼻のつぶれた象】←既存の形が壊れてますね。 私は生まれて初めて泣いていたのだ。人は悲しすぎると涙なんて、でないそうです。 生まれて初めてなくのは、ふつうは 産声ですよね。でも、ここで表現されている膨大な涙は、やっと人として生まれることができた安堵かもしれない。おそらく、いままで怖がることすらどういうことを知らなかったのでしょうから。 暴力や人々の揶揄や、レイプなど たいへん きっつい物語でしたが、 やさしい読者目線の方をてかがりにして拝読できて よかったです。 さいごに たこすけさんの二次創作作品【④ 本章】をうけて さらなる虹創作。 ******************************** 題名【神ってるのは、貼っても剥がせるシールです】 兄と妹のシールを剥がそうと 悪戦苦闘 ごくろうさん はらはらしながら 読んだ手紙 いたいのいたいの飛んでけ癒しの泉まで とんでいけ はらはらと泣いたのは どこの子 男だ男だと威張んなよ 女神さまのシールは 涙といっしょにながします にしても なんなんだこの男どもは すこしは イグ ノーベル賞で話題になった虫を 見習え 男女の役割が逆転した虫ですら、女性に栄養をとどけてるんだぞ ええかげんに しろ! ( 推薦 芦野夕狩 「神の庭」 ~想像の導火線~)

2019-05-23

広島に きまっとるし。 (現代お好み焼き概論)

2019-05-21

ちいさい人の行動を見ていると、ときどき 虚空を ぼーっとみつめて、あきらかに なにかが見えているとしか思えないかのような様子のときがあることを想いました。 夏実さんは、その不思議ななにかのことを「かぜさん」と呼んでいる気がします。ちいさい人の世界をうつくしくいいあてている素敵な表現だなと思いました。それから えまちゃんというお名前が 個人的には結構 すきです。エマ・ワトソン。 エマ・ストーン くらいしかおもいうかばないけれど、たまたまおもいつく ふたりの幼いころの美人な感じで この詩を読んでしまいました。 (えまちゃんと風)

2019-05-17

いえいえ ピノキオの例があります。あの童話では たしか リンゴを食したあとで、しばらくしてから リンゴの芯なども 食するのです。 (腐った林檎)

2019-05-13

まちがえて、送信しとしまいました。 なんと いうか 「なんくるないさー」と。お伝えしたいです。 (おいらの話)

2019-05-13

(おいらの話)

2019-05-13

(腐った林檎)

2019-05-13

きっと 歌詞なのだと おもわれます。 歌って いただきたいです。 (人見知り)

2019-05-13

形式美を感じました。うつくしすぎて なにも考えたくなりました。そして、スマホを 高速でスクロールしましたところ 「或るひと」と「つの……」の間に、白い線の現れることを わたしは目撃しました。ほかの 皆様も ためしてみてほしいという お知らせをさせていただきます。 ちなみに、わたしには その謎の白線は、未来への滑走路に おもえました。どなたかに わたしの妄想を可視化させた動画を つくっていただきたいものです。 (終り)

2019-05-13

どんだけ この映画が、お好きなんですか? (20世紀少年)

2019-05-13

生が、ななめにしてありますね。 なるほど。 逝で終わる言葉えらびは、可能ですね。 わたしは、単に 詩の形が四角が うつくしいとおもっただけだったのですが、四角にすると、生がななめ配列であることも きわだつはずだとは思います。 (きるという時)

2019-05-13

今日を語るのは、愛とおなじことを語っているのもしれないな。と、おもいました。なにげないことと、うつろいやすいところが ……です。 (今日)

2019-05-12

どうしたんすか 緊張だけが つたわりました。 (無名)

2019-05-12

なにげに おかれた 星が るうるう、という表現に出会えて嬉しいです。ありがとう。 (湖歩行)

2019-05-12

さいごが六文字だったとしても 問題ないのでは?と、おもいました。 (きるという時)

2019-05-12

さいごに、すくわれる感じも すてきです。 (魚座)

2019-05-12

本作品は、拙詩【そらおそろしい】に於いて 南雲安晴氏にいただいたコメントを 参考に 書かせていただきました。 (くだる)

2019-05-08

こうださん 拝聴しました。こうださんの元の作品をなんどか聞いて、音声を妄想しながら書いたので、超うれしい。冒頭から、そーそー そんな感じ、イメージのとおりだ。とおもいながら聞いて「かくしてんね」で、よすぎで 爆笑しました。結語も、、、(以下略) ともかく、ありがとうございました。今日は エンドレスで本作品と私のを 聞きたおすことでしょう。 (Anemone coronaria)

2019-04-24

丁寧な返信。ありがとうございました。 (砂場均し)

2019-04-24

はじめまして わたしは、管理人ではなく 一般参加者なのですが、ひとこと。 こちらのサイトでは、1ヶ月の投稿は 二作品。と いうルールで あります。ですから、どれか ひとつが削除対象になってしまいます。もうすぐ四月ですし、春さんのほうで 来月投稿にしたい作品を選ばれると良いですよ。 (ずっとそこに)

2019-03-31

改訂後の詩が 拝読できて よかったです。 二行めの 「血よ」は、改訂前では ひらがなであったので、「血」である可能性と「ちよ」という名前である可能性があるとして、拝読しておりました。漢字だと千代さんの物語としても、想像をしていた訳です。 改訂されたことで、世界観が 明確に かんじられるようになりました。 「しおさがして 」の部分も改訂前後で、かなり印象が違いますね。当初の作品では、潮を 想定して拝読しました。寒流と暖流が混じり会うかのような 大きな潮流を 顕微鏡の中に観ていると、作者は 表現しておられると 最初は 思いました。 (imaginary)

2019-03-30

★仲程さまへ すごく好みな作品です。と、言っていただけて 嬉しいです。ありがとうございます。 「確かに共鳴しましたボタン」みたいなものを何度も激押しまくっている光景を妄想して 楽しくなってしまいました。ありがとうございます。 語りてが後半、向こうの人になってるのが判らないままで終えたらどうだろうなんでしょうね。グリコのおまけというのは、たしか 即興詩サイト ゴルコンダ仮でだされたお題だったのです。出題されて何分もしないうちに、ものすごいスピード感で書き上げたのです。そういえば。中盤ぐらいまではそういえば書いているつもりはなかったのです。だから最後まで、死者であるかどうかが判然としない描き方もあったのかもしれません。ただ わたしには それは難しい書き方です。そっかあ もうひとつの世界かあ。それも ありですねぇ。 ★ishimuratoshi58さまへ しみたんかね。ほうね。そりあぁ えかった。ありがとう。 広島弁は 私がネイティブで喋れるから書いたんかもしれん。 標準語ゆうんは、どこにもない うその言葉なんじゃろうか。生と死のきわにある言葉って ある気がする。宮澤賢治も 「あめゆとてきて 」とか 書いて、もっとも大事な部分は、標準語では 書いてんなかったね。 詩人ゆうんは いなげな生き物で、ほんまのところで息だか粋だか生きだかしてて ほんま やねこいよね。方言といえば、東京で 電車にのっとったら 「いなげ」って大きな看板が でとった。いなげ屋さんという店があるから東京の人には普通なのに、広島人だけは笑う。すくなくとも わたしは、笑ろうた。  方言で かくことで 現れる 沁みる感じもある反面。なんもかんも書いても その方言以外の人には どうもこうも通じないこともある。 言葉って、やねこいね。どうも言葉 ひとつひとつに、謎の射程ってもんがあるみたい。 ほんまの詩は、謎の射程を 超越するかもしれなんね。あ 旧かなづかいって、超えるヒントがありそうじゃね。石村ワールド たのしみにしてます。ぺこりん。 ★ 黒髪さまへ はい。随分と前のこととなりました。よくわかんないのですが、バカなのか 自分で読むと、なんだか 泣ける。文章中に、「泣く」という言葉の頻度が 醜いほどなんですが、わたしは それでも、私自身が読むと 泣けてしまうのでした。 その完成しているさまを、美しい声で聴く。をお なんいう 麗しい表現でしようか。 今、我が家のちかくで 「ほうほけきょ」と鳥が鳴いているのですが、昔の人は 鳥の鳴き声も 法と華を聞いたらしいです。完成しているさまを、美しい声で聴く。とは、まさしく そんな感じをイメージしました。ありがとうございます。 動画の添付も ありがとうございます。いいですねえ。 (グリコのおまけ)

2019-03-14

この詩のような文章は、過去にかいたものです。話者に 、「きちがいじみた詩とかいうもの、」と、わたしは言わせましたが、詩への昇華活動は けして きちがいじみたことであるとは、現在のわたしは思ってないことを、追記させていただいておきます。 (グリコのおまけ)

2019-03-06

作者名を読まずに一行目から 読んで、嗚呼 良いなあと 思っていたら石村さんでした。全体の詩文への感想としては、絶句でした。 わたしは 弟を亡くしている ひとりの姉なのですが……。 弟の名前が たまたま「隆」なのですわ。絶句は、しょうがないです。いたこだと感じてしまったら感想なんてかけません。でも、わたしだけは この詩を忘れないことでしょう。 (室内)

2019-03-06

まど みちおの「くまさん」という詩を想いました。たんぼぼと 熊がでてくるというそれだけの類似点なので すこし言うのが はばかれたのですが、きにさわったらごめんなさい。でも わたしは、数おおい詩人のなかで まどさんは別格中の別格です。黒髪さんは もしかしたら、今を生きている まどさんなのかもしれない。 良いタンポポも悪いタンポポの部分では 谷山浩子さんの「たんぽぽ食べて」という不思議な曲を思い出しました。タンポポには、良いタンポポも悪いタンポポも ないきがするのですが、萌え出る様々な事象の比喩に タンポポをもってこられるあたりは、なんだか あいくるしいですね。 (タンポポ小景)

2019-03-06

おはようございます。感じたままに感想を書かせていただきます。 へぇ そんな読み方をする人もいるんだな程度に 受け取っていただければ嬉しいです。 いいんだ 花は さかなくてもいいんだ この第一連目は、わたしにとって衝撃でした。わたしは、生来の花好きだからです。 ガーデナーは いかに咲かすかに心を尽くすし、人々は その人の花をどう咲かすかに苦心します。だからこそ、人は苦しむ。人の場合は、咲いたら咲いたで ほかの人の花のほうが立派だのと 比べて、落ち込んだりする不思議な生き物です。咲いているかのようにみえても幸せとは、限らない様子です。 植物を じっとみておりますと、花を咲かしているときと 葉を茂らせているときだけのときと どちらからが幸せか 感知しないで咲いているようです。うん。別に 花を咲かしていない植物も幸せそうに お日様を探している様子です。人は、人としての花が咲いてないと、苦しむのです。 いいんだ 花は さかなくてもいいんだ と、思っているかのような植物のような心を、私の場合は 思いました。 先日、「あん」という映画がテレビ放送されて、わたしは 本作品を再読したいという思いになったのです。映画では、服役経験という罪や後悔を背負った中年男性が、樹木希林さん演じる 餡づくりのうまいお婆さん(樹木希林さん演者)にであい、餡のできあがる工程でじっと餡を見ついる姿と 寄り添うことで、心がほどけてゆく話なのですが。 なかでも 心に残ったセリフが、この詩を私に思い出させてくれたのです。記憶を頼りに書くので間違えるているかもですが、映画内の言葉を 書きますね。 「もし 私達は、この世を観るためために 聞くためだけに、生まれてきたとしたら、何かになれないとしても、生きる意味があんのよ」 ふるえる心でものを見、モノを聞く。うつくしい音楽が世の中に溢れていますが、自身が 音を発せられなくても、良いものは良いとしっかりと聞くことのできる境地に広がる地平が この詩には ひらけている。 私には、そのように感じられました。 (罪)

2019-02-22

丁寧に読んでいただいて どのように感謝をあらわせばよいか、よくわからないのですが、ありかとうございます。 自己啓発というほどではないのですが、たしかに 自制と自発でした。 次回は もっと はっちゃけたいです。指だけでなく 全身で書いたなと おもわせる詩が書きたいものだと思わせていただけました。ありがとうございます。 (B=REVIEW 2019年1月投稿作品 選評)

2019-02-20

こんにちは 私は不勉強で、 本作品の月清という人物を存じません。 親鸞聖人が亡くなったあとの時代に、教えが世間に間違って伝わっていることを嘆いて 正すために書かれた書物の引用がありますので、親鸞聖人に関係する方でしょうか?それとも エクスペリアさんが 書いておられる人物が、本作品の月清という人物でしょうか? 本作品の観賞のために、教えていただけると幸甚です。 (【哲学の道散策】※)

2018-12-31