作品投稿掲示板 - B-REVIEW
お知らせ

   

作成日時 2019-07-17
コメント日時 2019-08-11

老人そして小さな子を見落とし続けたあなたの眼窩のそこにある脳髄/は/空っぽで楽し気に戦を殺し続けている/空虚の根底に辿り着くまでどこまで遡ればいい/殺戮の宴はどこにあるか/あらゆる語り部を聞き落したその耳を私のこの丈夫な歯で切り落とすまでお待ち/羽 隆々と盛り上がるしなやかな筋肉の若者のままであればよかった 若いころの肩甲骨は美しかった 天上にすら白い家を持てたであろうに 切り落とされた耳そして羽の音は 鳴る 銀の蛆が私の体にたかる からだ (数瞬の闇 きらびやかに輝き照り付ける白の星 今日の空は何色だ 紺か黒か赤色香 そのあからさまな光明のうちに 子を産んだ裸体を照らせ 原始の太陽はいま恒星となって刺繍されている どうだこの乳房この二の腕この腰回り 強い男に抱かれて妙なる美しい子を身に宿し逞しくなった閨 黒髪に大島椿油を数的塗りこんでつげの櫛で梳けば ポトッポトトトトトッ 滴るその虫 メタモルフォゼ 黒く光り強い目を放ち少年たちの王となって島で殺戮を繰り返せ 蠅の) 部屋に湧き廻る 虫の嵐とて あなたには水のはる国がない 小さな生とそして死を見落とし続けて 朗らかなあなたには 語るべき平和も戦争も持たない あなたの持つのはただのビラでありただのプラカードでしかない あなたのなかにはなにもない <思想その空虚><神を殺せ><王の器><ナイフとフォークでビフテキを食べる若いお前を><書記長><寄る辺のない寂しさ><女王たる聖女を地に引きずりおろし><全ての堕落そして裁きの日は孤児の娘によってひらかれる> (娘の所有するのは) 金に 夕映え  翡翠に 海の音の底の白い鮫と   赤真珠…… 波間にほどけ、て    消え、て(さくじょ)(さくじょさくじょさくじょ) シテ きょうじょ?   消えて 所有するものなど  ッテテテテテテテ 何もないことを る、るるるるるる 銀衣……吊り上がりのッ面 (何も持たない) 「私はおそらくは最期のときなにももたずに逝く」 (レモンの香がするね--ね、トパアズ色の香気はしなくともせめて明るい色で刺青すればそれくらいは萎びた皮膚のうえに) 「老いさらばえたこの体 もう髪は白く抜け落ちている かつて漲っていた女はすべて抜け落ち  ※吾れ死なば 焼くな 埋むな 野にさらせ やせたる犬の 腹こやせ  いや私は小野小町のようには美しくもない から ただ 雑木林の落ち葉の上によこたわる 手を組もうね、ね- 右手と左手を愛しくつなごうね」 「組み入った枝から分け入った光がきらめいて差し込んでいる」 ※故郷は遠きにありて思うものそして…… (かつての詩人の漂泊の詩歌) 目をつむる暗闇の そう この数瞬 力を抜いて流れ落ちていく 波だ その時初めて体に舞い降りる あたたかな天衣、 の ※小野小町の時世の句とされるもの ※室生犀星の詩「小景異情」より


項目全期間(2019/11/19現在)投稿後10日間
叙情性119
前衛性108
可読性20
エンタメ20
技巧1513
音韻00
構成97
総合ポイント4937
 平均値  中央値 
叙情性3.74
前衛性3.33
可読性0.70
 エンタメ0.70
技巧54
音韻00
構成33
総合16.317
閲覧指数:2520.3
2019/11/19 18時33分58秒現在
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コメント数(21)
survof (2019-07-17):

ある日、自分が小さな蠅になってしまって、羽根や手足をひとつずつ切り落とされていくのを直に私の感覚が知覚しているというような幻覚の、ひどく陰惨で神経症的な四肢の細やかな痙攣を、若くて健康的な(しかも西洋的な)肉体が大きく包み込んで束の間の休息を与えてくれたと思えば、今度は体の内側から虫が湧いて脈打つ臓腑を食いちぎられていることに気づいてはっと目を醒ましたときにひどく取り乱し、海の波に静かに揺られる小舟の中で横たわっている自分を想像しながら、やっとのことで少しばかりの心の平穏を得る、といったような感覚。悪夢と平穏が何のためらいもなく同居しているような不思議な感覚。かといって、「耽美」と表現するにはあまりに突き放された、ちょうど酷い交通事故現場の淡白な証拠写真のような、そしてその写真の背景に映る青空や雪山が非常に美しくて見惚れてしまうといったような、何回も読んで見たんですが、そんな感覚が自分の知覚する現実の肌触りと次々にリンクしていくようで、惹き込まれるものがありました。そこまで陰惨な表現が続く訳でもないと思うのですが、作品全体のどこかざらっとした舌触りと、一方でとても涼しげな、透明感のある清涼な感覚が同居しているのを私は強く感じて、それがとても現実味のあるものとして感じられました。 >トパアズ色の香気はしなくともせめて明るい色で刺青すればそれくらいは萎びた皮膚のうえに この表現、とくに好きです。

田中修子 (2019-07-18):

survofさん とてもうれしい、うれしいコメントをありがとうございます。 私はいま、書き物をうまく書こうというのを完全に手放しています。 私にとって言葉は絵の具のようなもので、子どもが、なんとなく最初にぱっと書きたいなにかがフワリと浮かんで、白い画面に向かって色をのせていくという感覚が強いです。あるいは、好きな写真や絵をカラーコピーして好きなところを切り取って、満足のゆくまで糊をつけてペタペタはっつけていく感じもあるかもしれません。 それで、できあがったものを見てわーい! となるものの、あとからみて自分で「なんじゃこりゃ?」となったりすることもこのところ強くって、どう見えますかっ? どう見えますかっ? というふうにいろんなひとに聞きたくて、投稿しているような気がします。 それで、survofさんに頂いた感想が、私にとって完全に満足のゆくものでした。とても幸せな気分です。 自分の書いた抽象画を、もう一度誰かが、私自身にも分かるように細やかに、細やかに絵に起こしていただいたような。 残酷なものと美しいものがさらっと同居しているという絵画に幼いころから惹かれてきました。 西洋絵画が多かったかもしれません。ドガの踊り子やクリムト、ミレーのオフィーリア。 それから残酷な戦争写真というのも思想教育上たくさん目にしてきて、ある時から私はそれを「残酷でやめなければならないもの」というよりはむしろ「これがそもそも人間のひとつの本性なのではないか」と淡々と受け止めるようになりました。子どもにそれを見せて平和と嬉々としている両親の内側にあるどうしようもないるサディズム、というものを感じ取ったのかもしれません。それでも実家は夕暮れ色の煉瓦とハナミズキ、雨に煙る紫陽花がお隣にはみ出しているという平安で美しい、小さな城のような家でした。 >「耽美」と表現するにはあまりに突き放された、ちょうど酷い交通事故現場の淡白な証拠写真のような、そしてその写真の背景に映る青空や雪山が非常に美しくて見惚れてしまうといったような バラバラになった私の内側にある衝動がばらけてはじけそうになるのを言語で結びつける、ということを幼いころからしてきて、自由詩というものに出会い、また自分を解き放ってものを書いてはつないでいます。私にとってこの作品にこの評を頂けたことが、ひび割れた食器(私の感覚)に金や銀の継ぎをあてて(survofさんの感覚)よりいっそういびつな完成に近づく、という感じがしました。 老婆のからだのどこかにある、明るい色の檸檬の刺青。てのひらなんかにあるとよいかもしれません。 ありがとうございます。

天淵鱗子 (2019-07-19):

文学極道のコテです。久しぶり。文化的な作品で、情緒がありました。待つという、響きが聞こえました。

田中修子 (2019-07-19):

ぎゃーコテさんー!! いや、天淵さん、またお会いできてうれしいです。 ふふ、あいかわらず素敵なコメントありがとうございます。 そうか、私は待っているのかもしれないなと、そう思わされました。

るるりら (2019-07-22):

田中修子作品のファンの私は、他の作品などと つい照らし合わせてしまいます。 はじめて、田中修子さんの作品をお読みになる方と 私とでは 同じ感想ではない気がします。 でもまあ、深く考えずに おもったことを想ったままに 書いてみようと思います。  一番、考えさせられたのは 女性の生き方についてです。一休というサイケなお坊様は 女性の生き方のことを 「世の中の娘が嫁と花咲いて嬶(かかあ)としぼんで婆と散りゆく」と、言ったそうです。一休さんの時代では、花みたいに綺麗なのが娘時代、そして結婚して家に入ると ふつうは、嫁の務めみたいなことを家父長制のもとで一通りこなした時代を経験し、そのうち女性は なんとはなしにぐんぐんと鼻が高くなってきて意気揚々となってくる。そして、そのあとで、静かに しぼんでお婆さんになるというのが普通だったのでしょう。    ですが、この詩の「老人そして小さな子を見落とし続けたあなた」の「あなた」は 一休時代の女性像とは違う。 この詩のこの「あなた」だけじゃなく今の時代の女性は、娘→嫁→嬶→婆とは違う。 いつの時点で〈女王たる聖女>の身分を確立するか 決まってないです。場合によっては娘の時代から 鼻高々な嬶で、嬶→婆への移行だけを気にしていることも、あるにはある気がします。また実年齢が「老」であっても、実年齢を超越して娘としての花を咲かし続けようとしている。それは、それで良いのでしょうけど、なにか 大切なことを 見落としているかもしれないなと思いました。 この詩の場合は、「老人そして小さな子を見落とし続けたあなた」の「小さな子」が、成長して 詩で抗議を発言している。他者に対する思い遣りが欠けてるんじゃあないですか?と訴えている。……のだと私は読みました。 圧力をかけてくる政治力<書記長>や<王の器>に対して反旗というか、強い批評を行っている詩が本作品だとして読みました。 偉い人々は、<ナイフとフォークでビフテキを食べ〉ながらふんぞりかえって、<平和>や〈戦争〉の回避を言ってる。でも、偉そうな人々って、ほんとうのほんとうに子どもや老人のことを考えているのかあ!と。 この国のことを 麗しい国だという人もいるが、「老人そして小さな子を見落とし続け」るならば、〈水のはる国がない>に等しいではないか!と。かつての「小さな子」が、成長して 詩で抗議を発言しているのだとして 本作品を読みました。 政治力みたいなものを もたずに、金の夕焼けや 翡翠に 海の音を しずかに感じることのできる生き方が、ある。 「老人そして小さな子を見落とし続けたあなた」のかつての「小さな子」には、ある。 レモンの香のような生き方が、かつての「小さな子」には、ある。んだと……作者は気がつたんだと思いました。素晴らしい気づきです。 本作品は、【蠅】だのという 嫌悪を感じさせる題名です。しかし この詩は私には、淡々とした生き方への賛歌だと私は感じました。 極端な感情は、異常に映ることがあります。たとえば極端な哀しみ表現が内心では笑っているようにみえたりすることがあります。極端に笑いすぎた生き方は、まるで泣いているかのように見えることがあります。あれって、極端ってモンは どこかが破綻しるてことなんじゃあないかしら。 政治的な大きな力 激烈なコールは、苛烈です。大事だから大声なんでしょうが。けれど、大声は、とても 大切なことを見落とすケースがある。大きな力なんかよりも、もっと 大切なことがある。 それは、口にしたとたんに ウソになってしまいがちな「愛」とか「思い遣り」とか……かもしれないです。

stereotype2085 (2019-07-23):

凄まじい力作だと思います。人間の業のようなものを断罪している「印象」もしましたが、「金に 夕映え」以降の八連目が特に僕は気に入りました。好きですね。こういう荘厳な口調の話者が、その担った役割の重さゆえに、ロジックや思考が一時崩壊するという点が。最後には崩壊や破壊からの再生が匂わされていて、白い輝きに包まれるような印象を受けました。素晴らしいと思います。

田中修子 (2019-07-24):

すこしずつレスさせていただきます。 るるりらさん こんにちは。おお、るるりらさんに読んでいただける日がくるとは……。 私はまだ、「書いた日を、その人なりに読んでいただく」ということに慣れていないので、返信に、いたらぬところがあったらご容赦ください&つっこんでください。 とても、素敵な感想を頂けたと思いました。 survofさんのレスへも書いた通り、この作品は、 >子どもが、なんとなく最初にぱっと書きたいなにかがフワリと浮かんで、白い画面に向かって色をのせていくという感覚が強いです。あるいは、好きな写真や絵をカラーコピーして好きなところを切り取って、満足のゆくまで糊をつけてペタペタはっつけていく感じ みたいに、書きました。だから、何が書きあげたのか、よくわからないんです。 一休さんの時代の女性像のこと、興味深く拝見しました。そんな女性像だったんですねえ。ある意味、そのくらいの女性のほうが、飢饉やらお産の大変さやら、生きたり死んだりすることに対してはもちろんいろいろあっただろうけど、生きる上での典型の形があって、楽だったのかな、と思う気がします。 いまの時代の女性像は、とてもとてもたくさんある。「自立する女性像」は、とてもいいことなんだけれど、河合隼雄さんなんか私は結構好きで読むんですけど、「自立自立は自立依存」「母の自立は孤立でしょ」なんてこともある。でも、あたりをみていると、孤立しないで自立しているお母さんもいっぱいいるようだ。 あ、でも、何が書かせたかわからないと書きながら、実は、これは父のことを思いながら書きました。だから、作中での抗議する対象は父で、子どもは私だったんです。(でも、作者がこう考えていたからと言って、読者がそう読まなければいけないわけでは、もちろんない) るるりらさんの感想で、この作品のなかの抗議対象が母である、という読み方もあるんだな、と気付きました。 そうすると、自分が書いた、「絵」のような作品が、全く別の見方ができて、興味深い……。 なんだろう、父なるものへの抵抗を思うとき、この作品は、黒と金(聖書のイメージカラー)に自然の色が拮抗しているような連想をしたのだけど、母なるものへの抵抗と思ったとき、ふと、全体がなんだか切ないような色になりました。 自然の中で育たなければいけないための強さを纏わなければならなかった、自然のコスモスの淡い色に、 「金の夕焼けや 翡翠に 海の音を しずかに感じ」ました。 自分の読み方だと、聖書に向かって自然が立ち向かっていた絵のようなもの、狂気と破壊が、るるりらさんの読みを通して再度読んでみると、花園に、金の夕焼けや翡翠や海の音が聞こえてきて、それから、レモンの香りがして、全体に調和がもたらされたような、そんな感じがしました。そして、そうですね、言葉にすると嘘っぽくなってしまう、「愛」「思いやり」のようなものが立ち上ってくる。大切な、小さなものを見落とすまいという思まで。 とてもすてきな感想を、ありがとうございます。 余談ですが、詩の読み方、というのはとてもとても、面白いですね。特に、この作品が、あんまりなにも考えないで書いたからかもしれないのですが。 survofさんの評を頂いた時、私は確かに、survofさんの目で自分の作品を読みました。神経症的で、リアルと夢のような感覚が混ざっている世界です。コテさんの評からは、作中主体が何かを待っている世界を。 そしてるるりらさんの評を頂いて、私はまず自分自身が父と思って書いたことを思いだして娘の私が父に反抗する金と黒と自然の争う世界を思い浮かべ、つぎにるるりらさんの評をいただいて読んだとき、「愛」や「思いやり」が存在する自然界とレモンの香りがしてくる豊かな世界を思い浮かべたのです。 詩を書く、詩を読む、誰かの読み方を通して自分の詩を再度発見する、なんて面白いことでしょう。 ありがとうございました。

田中修子 (2019-07-24):

るるりらさんへのお返事の最初の方 私はまだ、「書いた日を、その人なりに読んでいただく」ということに慣れていないので、返信に、いたらぬところがあったらご容赦ください&つっこんでください。→書いた日ではなく、書いた詩 でした。 ほかにもところどころ重複があったり、分かりづらいところがあったりするなあ。申し訳ありません汗汗

田中修子 (2019-07-24):

stereotype2085さん こんばんは。コメントありがとうございます。 そうですか、力作に感じていただけましたか! 実はこれ、他サイトの白い画面に向かってぼーっと30分くらい向かっていたら書けていたんです。 で、なんだかよくわからないものができたなー、これはなんなのかなーと思ってこちらに投稿しました。 るるりらさんへの返信の通り、書いてみてから考えると、ああ、これは父(私はキリスト教の影響を強く受けているため、父=神という思考回路になりやすい)への反抗が根本にあったのかもしれないな、なんて思いますけど。 八連以降ですが、実は自分の作品をもじっちゃっているといういたずらをしていました。 https://po-m.com/forum/myframe.php?hid=11348&from=listdoc.php%3Fstart%3D120%26cat%3D1 (現代詩フォーラムという詩サイトの「赤真珠」という作品に飛びます) 終盤は、救いが欲しかったのでこうなった気がします。 破壊と再生というテーマが私の書くものにはよく見られます。きっとそういう人生を歩んできたのかな。 ともかく、何かを感じていただけて本当にうれしいです!

田中修子 (2019-07-24):

タカンタさん こんばんは。コメントありがとうございます。 あ、いえいえ、私は不快だとは感じません。 これは、あえてジャンル分けするならば自由詩ですね。たぶん象徴詩ではありません。 自由詩の自由は、自由だから自由なんじゃないかな―と思うのです。 タカンタさんにとって、どんな作品が「判然とした詩」なのか好奇心をおぼえました。よろしかったらご紹介くださいね。

藤 一紀 (2019-07-25):

こんばんは。言葉を継ぎつつも、既にある理解に足る意味の連なりや結びやすいイメージを拒否するかのように差異を与えて、その破れ目に詩を見いだそうとしているような印象をもちました。建設と破壊の繰り返しというか。 《金に 夕映え》からはじまる一連は音が文字になることで持たざるを得ない意味やイメージをもすっかり投げ出してゼロにしていくような感覚を覚えました。詩を見いだす内的運動の痕跡としての言葉、という印象です。

帆場蔵人 (2019-07-26):

>老人そして小さな子を見落とし続けたあなたの眼窩のそこにある脳髄 見落とし続けられた老人と小さな子、にぼくの気持ちははひきつけられ、それが語り手であると自然に脳内で変換して読み進めました。そしてそれは、娘の所有するのは、の後の連で消去された景色への憧憬のような想いに変わってこの数日、ぼんやりとそればかり考えていました。 『ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの』 昔、地元を離れてこの詩に触れ直した時、初めて故郷というものがぼくの中に現れました。その故郷は現実と言うよりは自分の中で美化された環境である事を帰省すれば思い出していたわけですが、地元から離れれば離れるほどに故郷は鮮やかに立ち現れるものでした。現実にはない故郷、この詩で消去された景色も手に入らない遠い景色だったのだろうか?取り留めない語り、をしてすみません。 暗鬱な詩句があるものの苛烈に叩きつけるのでもなく、浮かんできた言葉が丁寧に置かれているような感覚、コメントにある色をのせていく、で納得できました。でもぼくは絵画よりも何か不思議なお店に迷いこんだように、薄暗い店内で棚にそっ、と置かれたものをみて歩いているような気分になりました。 後、 最終連を読み、以前書いた詩が頭に散らつきそれをコメにするのはどうなのか悩みましたが、下手な感想を続けるよりはマシかなぁ、と。 https://www.breview.org/keijiban/?id=1942 長々と失礼しました。

鷹枕可 (2019-07-27):

田中修子様へ。御作、拝読をさせて頂きました。 一言で片づけてしまいますなら、到底私如きが異論を唱えるのも烏滸がましい、筆舌に尽くしがたい絶品である、のは瞭然なのでございますが。 私達のなかに於きまして、 自衛隊の方々とそのお家族を除いてではございますが――自ら出征し、或は出征して行く血縁者を見送ったことの有る方がいらっしゃいますでしょうか。 当然、私はこの国に人と産れてより、戦争を現実に体験した経験はございません。 多くの方は、その起点に於いて平等であると思われます。 戦争写真とは――血の抜かれた肉の様に――意図的構図化を施された、現実の加工品である、と私は考えております。 そして広義に於いて芸術とは、普遍的人間性を超克し、 そのありのままの嗜虐心や殺戮の歓喜、毒に満ちた微笑や純然たる生存競争を、突き放しつつ――躊躇わず刻む、その様な行為でもある、と認識を致しております。 然し、其れだけなのでしょうか。われわれが残しうる人間性とは。 例えば、クレーの着色硝子の様に美しい視線や、カンディンスキーの線と線に拠る音楽的調和の様に、 純粋に美しく遺留された作品群は、今を生きる私達の胸にも曇なき感銘を呼び覚まし、已みません。 前段とは矛盾をして仕舞いますが――、 私達は、凡ゆる情報を歪像として、受容する事しか適わない存在なのではないかと、つまり超越的客観視、と言う物は幻像であり、 畢竟、私達は主観という獄舎より見える物をしか感得しえないのではないか、と思われるのでございます。  総てが美しい訳ではない、人間の本質を追及し、暴き出しても猶揺るがなき詩情を全うする姿勢には只管感服を致します事も頻りなのでございますが、 「語るべき平和も戦争も持たない あなたの持つのはただのビラでありただのプラカードでしかない あなたのなかにはなにもない」 と言う詩句に附きまして、 正直に申しますなら、虚を突かれた様に、私は怒りを覚えてしまったのでございます。つまり、図星だったのでしょう。私に限りますならば。 然し、身を擲ち、真摯に戦争を悲しみ、そを克服せんとする方々がいらっしゃるのも事実でございます。 少なくとも、此のネット媒体と言う仮想空間に於ける安全圏からではなく、 現実に行動を起こし、何某かを守らんとする、 時の趨勢、その嵐にも屈する事無く立ち向かい続けておられる方々の意志を「ビラであり、プラカードでしかない」と断罪をなされる権利は、 私達の誰一人とて持ち得ないのではないでしょうか。 作品批評より掛離れて仕舞いました様にて、允に申し訳ございません。 モンスタークレーマーの様に、重箱の隅を咎めんとする、私の愚かしさを、どうか笑い飛ばして遣ってくださいませ。

田中修子 (2019-07-28):

タカンタさん お返事ありがとうございます。 私の作風は固定されず、常に揺らいでいます。なぜならば、勉強したり、このようにやりとりをさせていただきながら、私のこころといったものあるいは頭脳といったものが、刺激を受けて日々進化しているからでしょう。また、ある程度評価をいただいて、ひとつの作品において手法というものができても、私はそれに固定されません。なぜならばそんなものができたら、書いていてつまらないからです。 ですので私の作品は、いつまでたっても判然としないものなのであろうと思います。でも、頂いたコメントで、象徴詩というものを読んでみようと思いました。ありがとうございます。 さて、ここから先は、ネット上のつまらない口論にもなりがちなものなのですが、そうならないように、たとえばここのコメント欄において延々不毛なレスが続かないように、注意して書いてみようと思います。 私はカフカは全作読んだと思います。昔ですね。今少し調べたら、やはり、読んだことがあるあらすじでした。でも、どちらかといえば、オーウエルの「1984」のほうが印象深いのです。こちらはなんとなく全体的なストーリーを思いだせます。 つまり私はカフカの「審判」よりオーウェルの「1984」に何かを「感じた」ということになります。私にとって、「何かを感じさせるもの」のほうが価値が高い。 では、私がタカンタさんに「あなたは芸術の価値をわかっていない」と言っていいのか? もちろん、そんなことはできません。私にわかるのは、「タカンタさんと私では芸術の価値観が大きく異なるのだろう」ということのみです。 そのひとの芸術観を否定することは、そのひとの人生の積み重ねを否定することであると私は思います。そうして否定したいとも私は感じません。多様性というものがあるからこその人間ですし、価値観の相違という孤独というそのものが文学のテーマにもなる。私のように芸術論に浅薄なものが軽々しく発する言葉は、破壊しかもたらさず、つまらないことであると思うからです。 美術館に火を放つように、皮膚を切り裂くように、破壊は簡単ですが、建設や再生は難しい。このところ、つくづく感じるところです。 では、「互いの芸術観の違いをどう埋めていくか」を建設的にやろうとするところで思うのが、タカンタさんは明らかに私のない才能をお持ちです。私は現実との生活の折り合いの中で、過去の名作をひたすら読み、筆写し、自分なりに何かを書いていくということで殆どいっぱいいっぱいで、文学史や詩史を言葉にしてまとめあげるという能力がありませんが、タカンタさんにはその力がおありになる。 このサイトは批評文も歓迎されている。つまりこのサイトで、タカンタさんなりの文学史・詩史などをよい文体で発表され、そこから学ぶことが、タカンタさんにとっても、私にとっても、そしてこのサイトにとっても、ひいては現代詩界すべてにおいて、最も利益となるのではないかと、私は思います。 丁寧で熱心なレスを下さって、感謝しております。ありがとうございました。

田中修子 (2019-07-28):

藤 一紀さん この作品は、ともかく自分が何を書いたのかわからない、なんかぼんやり言葉を置いていたらできていた、あえていえば自由詩なんだろうという。もしかしたら、ある意味では、ふざけた作品でもあるかもしれない……。 >言葉を継ぎつつも、既にある理解に足る意味の連なりや結びやすいイメージを拒否するかのように差異を与えて、その破れ目に詩を見いだそうとしているような印象をもちました。 どういうふうな「感じ」を与えるのか、それが知りたくて投稿したようなものですから、「印象」を教えてくださってとてもありがたいです。 >詩を見いだす内的運動の痕跡としての言葉 私は本当に無知なので、詩における内的運動? というのがよくわからず、ググりました。あとで辞書をひけたらいいな。 「内的運動制御は網様体脊髄路を主として伸展反射や姿勢反射に関与します。https://rinsyo-gakko.jp/2016/09/13/noukekkann03/」ということで、心の動きとして反射的に編んだ言葉の痕跡がこの文字列で詩になっている、ということなのかな、と。 反射的に編んだ言葉が詩になっているのなら、これ以上嬉しいことはありません。 コメントありがとうございます。

田中修子 (2019-07-28):

帆場蔵人さん 丁寧な、コメントそれ自体がエッセイという形になっているものを拝読し、とても嬉しいです。 私はあらゆる人の人生の成立に興味を覚える性質です。できれば違う人生であればあるほど、いい。 自分とは違う、そうして好きなタイプの詩を書く人の人生を知るということは、たとえば美しいと思う恐竜の化石の成り立ちを知る喜びに似たものがあると思うのです。 帆場さんにとっての故郷を知ってしんみりしました。 詩の双方向性、というものを感じさせられます。 たった数か月前まで私は、詩に、こんなふうに双方向のものがあることを知りませんでした。 正しい読み、正しい解釈があると思っていましたが、そうではないということ。 詩は魅力的ですね。どうりでやめられないはずです。 ひとつの作品から、ひとつのエッセイが、またひとつの詩が、想いが生まれていく。 ひとりひとりが沈黙しながら沈み込んでいる湖のなかから、水面に向かってその人の呼吸があがっていくような、そんな感じがします。 ぱちんとはじけて、小さなさざなみが起こり、文字が紡がれていくのです。 そうですか、不思議な雑貨屋さんですか。いいな、面白いな。 いまふと、女王や孤児やビフテキを食べる青年などの小さなミニチュア像が値段もはられずに並んでいて、古い詩歌やウィリアム・ゴールディング「蠅の王」の本が並ぶ薄暗い雑貨屋。よくよく見れば壁には不思議な政治的な言葉も書いてある。ここはなんのお店なんだろう、と少し不安になる、でも何かそれぞれの品物に懐かしいものを覚えて手に取ってしまう、そんな情景が浮かびました。 過去の詩もありがとう。ああ、とても素敵な詩です。この詩はもっと評価されていいのに、あるいはこの詩の「感じ」と私の「感じ」がたまたま一致してんだろうか。 うまく伝えられるか自信がないのですが、頑張って書いてみます。 >理解は出来ず感じることしか出来ない >砂粒ほどの些細な重みが >僕に付着して堆積していく > >払いのけることもなく >あるがままに >なすがままに > >ふりつもり、ふりつもり >やがてあなたが苦しみの吐息を忘れて >天にすべてを返す時まで >わたしは待っている これらが、私の書いた最後の、 >その時初めて体に舞い降りる >あたたかな天衣、 >の と不思議と何かつながっているような気がしました。天衣は、てんい、とひらがなにしようか少し迷ったのだけど、天意ともひらめくひとはひらめくようにおいた言葉です。 帆場さんの詩では、ふりつもるものが、「僕に付着し体積したもの」がいつか天に帰っていく。けれども私の詩では、最期になにかが天からおりて、体に衣としてふわりと掛けられる(羽衣のイメージと天意のイメージを重ねたかった)。 私の詩で最期、作中主体に舞い降りて覆ってくれる衣は、あるいは、帆場さんの詩で主体が最後に天に返したものなのかもしれないと、なんだかそんなふうに思いました。私は帆場さんのこの詩を以前目にしたことはないのだけど、一年と無意識の領域をかけて連作になっている。 奇妙に嬉しい気持ちになりました。 とてもすてきなレスをありがとうございます!

田中修子 (2019-07-28):

鷹枕可さんへ わ~、こちらでまた再会できて、コメントまでいただけて、とってもとっても嬉しいです! レス、拝見しました。モンスタークレーマーだとは思いませんよ。とてもとても、考えさせられています。 私のこの考えがきちんとまとまるまで、すこし、お時間ください。この感覚だと、お返事を書くのに、三日から一週間くらいかかるかなと、そう思います。 ぜったいにお返事するので、すこしお待ちください。その間にも、鷹枕可さんの作品、こちらで拝見してコメントさせてくださいね。 再会に感謝します。

鷹枕可 (2019-07-28):

田中修子さまへ。 知恵の乏しい、私のような者に、恐れ多いおことばを賜りまして、允に嬉しく存じます。 いっその事、と思う日々も、朽ち木より降る枯葉の様に、切株の傷痕の様に、淡々と過ぎて行くものでございます。 あなたがいと高くご成長を遂げてあられますことを、心より安堵と――目映く繁れる樹を見上げますように、嬉しく思っております。 あなたの誠実な、真摯な創作への姿勢に、ただ、心をうたれております。 これからもご健勝であられますことを、遠くより、群衆の一粒として、願い已みません。

エイクピア (2019-07-30):

これはやられましたね、数的、数滴見たいな細かいところが気になるぐらい、全体が活力に漲っている詩、象徴的な意味で、だと思いました。小野小町まで出て来て、室生犀星の詩の引用まで、高村光太郎の智恵子抄まで意識できるし、梶井基次郎まで、背後にある様な。当然ボードレールの揺曳もあり、もしかしたらエルキュールポワロの灰色の脳髄まであるようなそんな気がしました。読んでよかった。

トビラトビラ (2019-08-01):

僕も、「あなたには水のはる国がない 小さな生とそして死を見落とし続けて 朗らかなあなたには 語るべき平和も戦争も持たない あなたの持つのはただのビラでありただのプラカードでしかない あなたのなかにはなにもない」という連にはグサッとくるものがありましたね。図星だから。ただ、よく考えてみて、そうじゃないなとも思いました。少なくとも自分の中は空っぽじゃなくて、蓋をしているだけ。蓋の上は空間が広がっていても、蓋の下には何かいろんなものが渦巻いている。そういう意味では、本当に中身が空っぽの人っているのかなとも思いました。空っぽのように思える人はたくさんいるとしても。 >金に 夕映え で始まる連は何となく文字それ自体が魚群のように感じられました。 >原始の太陽はいま恒星となって刺繍されている この表現が、剝き出しの生命エネルギーが内含されているようで好きです。 天衣ーてんいー天意は、気づきませんでした。ただ、その解説を拝読して、最後の「の」の一言が、「野」のようにも見えて、なんだか野原が広がってゆくようにも感じます。 醜い(とされる)ものの中にある美を見出そうとするような、田中さんにとってチャレンジ精神あふれる作品のように思いました。 これはどうでもいい愚痴です。 最近やっと気づいたんですよね、作家や芸術家は聖人じゃないって。そう気づいて、作家や芸術家というものに幻滅してしまいました。勝手に憧れて、勝手に幻滅するなんて、どこの乙女なんだという話ですが。

田中修子 (2019-08-11):

鷹枕可さんとトビラさんの一部のコメントに、取り急ぎお返事いたします。遅くなりました。 他箇所のコメント、エイクピアさんへのお返事、すこしお時間ください。 私にとっては長いお付き合いのあるおふたりの意見がかぶっていたのと、そして、私もそのコメントによって考えるものがあり、それがやっと今日まとまって、さきにお返事しなければならないと感じたからです。 鷹枕可さんの >「語るべき平和も戦争も持たない あなたの持つのはただのビラでありただのプラカードでしかない あなたのなかにはなにもない」 >と言う詩句に附きまして、 >正直に申しますなら、虚を突かれた様に、私は怒りを覚えてしまったのでございます。つまり、図星だったのでしょう。私に限りますならば。 > >然し、身を擲ち、真摯に戦争を悲しみ、そを克服せんとする方々がいらっしゃるのも事実でございます。 >少なくとも、此のネット媒体と言う仮想空間に於ける安全圏からではなく、 >現実に行動を起こし、何某かを守らんとする、 >時の趨勢、その嵐にも屈する事無く立ち向かい続けておられる方々の意志を「ビラであり、プラカードでしかない」と断罪をなされる権利は、 >私達の誰一人とて持ち得ないのではないでしょうか。 トビラさんの >僕も、「あなたには水のはる国がない 小さな生とそして死を見落とし続けて 朗らかなあなたには 語るべき平和も戦争も持たない あなたの持つのはただのビラでありただのプラカードでしかない あなたのなかにはなにもない」という連にはグサッとくるものがありましたね。図星だから。ただ、よく考えてみて、そうじゃないなとも思いました。少なくとも自分の中は空っぽじゃなくて、蓋をしているだけ。蓋の上は空間が広がっていても、蓋の下には何かいろんなものが渦巻いている。そういう意味では、本当に中身が空っぽの人っているのかなとも思いました。空っぽのように思える人はたくさんいるとしても。 ですね。 この作品は選挙中に書いたものでして、私の成育歴もあって、特にここは書かざるをえない衝動があったのだといま思います。私は、反・反戦詩によって平和詩を書けないかと願う、アホな人間です。 それから、お伝えしたいのが、詩の世界というのはいわゆる平和活動とかかわりが深い方も多いです。 実際に、ほんとうに、平和を思って活動されている方がいらっしゃり、そういった方と触れ合えて、かえって安心してポンと出てきた言葉であることもお伝えしたいです。 私は、戦争反対者二人による、虐待あるいは子どものabuse(乱用)経験者です。私もかつては家庭の方針で、プラカードを持ちビラを配っていたのです。左翼活動のかなり内部まで入れさせられました。「全共闘世代夢の子症候群」という、異常に認知の歪んだ状態を心理治療でいまも治し続けています。ほとんど治りましたが。 両親とも反戦運動にのめりこみ、私を振り向きませんでした。 母は、あるいは、本当に戦争によるPTSDを負ったのかもしれない。経済的な苦労もしたと聞いています。戦争さえなければ、彼女が私をabuseするようなことはなかったのかもしれない。そんな思いを抱いて、彼女は反戦活動にのめりこんだあるいは、利用されたのかもしれない。 母は、晩年は、左翼活動から身を引いていました。 では父はというと、両親によって経済的な苦労から全く免れ、甘やかされて育ったただのわがまま坊やです。 私は、幼いころから、両親の反戦活動をほめさせられる役でした。私が、両親を褒めて、反戦活動をするのはすごいねすごいねと言わなければ、あの人たちは満足しなかった。母は心理治療を受け続けたので、いつか、反戦活動家に幼児期に満たされなかった自己承認欲求を利用され、壮絶に子育てを失敗したことに気づいたのでしょう。私には父は未だ空っぽに見える。 そうして、この家族・私のこころの危機といったものにまったく無関心だった、母の葬式のときに「あなたは完璧に幸福な家庭で育ったわのよ!」と言い放った、この地域の反戦活動家というものを、私は心底軽蔑しています。 私が幼児期を過ごさざるを得なかった地域・時期の、そういった人々が極度に異常なだけだったのかもしれないし、あるいはそれはいまはもう改善されているのかもしれない。 ただ、私のように両親を反戦活動家にもった子どもたちの嘆きは、なぜかいまだ聞こえてくるのです。 この文章を違和感としてとらえてくださったお二人は、きっと、自分の内部を見つめられることでしょう。 そしてもしおふたりがプラカードを持ちビラを配られるとき、それは本当に平和を思われてのことでしょう。それは素晴らしいことだと心から思います。 私もまた、政治利用というったものと切り離されて、本当に平和に貢献できる小さなことがあるのであれば、いつかする機会もあるかもしれません。 なぜこの言葉を置いたのか、おふたりのご指摘によって考え、置いた理由を言語化して、やっと自分が分かりました。ありがとうございます。 だらだらレスしていきますことをお許しください。

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