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ラファエロ   

作成日時 2019-09-11
コメント日時 3 時間前

軌道から外れた惑星の旅が、終わっていく夜。2019年の大晦日には、宇宙の隅で方舟が燃え上がる。降り注ぐ火花を仰ぎ見ている黒豹。 僕らの差し伸べた手は、炎に焼かれて誰のもとにも届かず。包帯だらけの天使は、ガラス張りの天井を見つめている。誰が望んだのでもない結末。不幸せな血肉。片目を失ったバッドエンディング。 「幸せの余りをあげるよ」 かつてそう口にしたラファエロは、今では僕らを冥府へとエスコートする死神。天使の涙も枯れてしまった。憐憫も慈悲もない荒れ地。そこではヒビの入った墓碑が、粉々に砕かれるのを待っている。 天使の日々は無為だった。 天使の日々は徒労だった。 天使の日々は無駄だった。 「幸せの余りをあげるよ」 ラファエロ、あなたは夢の都へ人々を導くはずではなかったのか。彼の描いた天使は、血で汚れた羽根をもがれてなお、神を信じている。誰も望まないディストピア。誰も望まない終焉。 「幸せの余りをあげるよ」 ラファエロ、あなたは誰をも傷つけない理想郷を目指したのではなかったのか。彼の描いた聖人は今では、空を舞う天使を機関銃で撃ち落としている。誰がこんな惨劇を望んだというのか。 手放したはずの絵画にこだわり、手放したはずの画材を引き寄せ、誰にも絵を描かせない。誰にも自由を与えない。画廊では黒豹が飼い殺しにされている。 奴隷たちが涙ながらに、黒い太陽のもとを歩き、夢魔がわずかな寄贈品で、王でさえ操れると思い込む世界。わずかな捧げもので女王でさえ娼婦に出来ると盲信する宇宙。 天使は邪魔だった。 天使は目障りだった 天使は駆逐すべきだった。 誰もが疲れ果て、ラファエロがその饒舌で、天使を自害へと誘う独断の地。ラファエロ、それがあなたの望んだ夢だったのか。それがあなたの望んだ未来だったのか。 ラファエロ、天使が監獄の中で凍えながら、祈りの手を燃やし尽くされる終末。それがあなたの望んだハッピーエンディング。 ラファエロ。 お前の肖像が燃え尽きていく。


項目全期間(2019/09/16現在)
叙情性4
前衛性4
可読性4
エンタメ4
技巧8
音韻0
構成2
総合ポイント26
 平均値  中央値 
叙情性1.32
前衛性1.32
可読性1.32
 エンタメ1.32
技巧2.72
音韻00
構成0.70
総合8.710
閲覧指数:2358.5
2019/09/16 05時39分42秒現在
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コメント数(57)
み う ら (2019-09-13):

これはダメだと思う。投稿するならば、自分を喜ばせるより、読者を喜ばせるより、俺の作品で世界を変えてやるという情念が宿っていなければならないと思う。

survof (2019-09-13):

ステレオさんの作品ってあえて形容詞をつけるならフィクショナルな詩って感じだと思うんですど、フィクションってとにかく細部の作り込みの甘さが如実に作品全体のリアリティを損なってしまうところがあると思います。以前の作品でも古い言葉をどう使うべきか、についてコメントしたときも似たようなことを考えていたんですが、ステレオさんのフィクションって世界観の構築が正直なところかなり甘いように感じてしまうのでした。SFの形式でもなんでもフィクションって深い思索(あえて思想とは呼びません)の上の結果でない限りただのハリボテになってしまいがちだと思っていて、ステレオさんの作品はハリボテ感が毎回結構半端ないです。で、そのハリボテ感こそが作品のテーマだといえるほどハリボテについての思索の跡が見られないように感じてしまうので、「これはハリボテですよ」というステレオさんのレスすらハリボテ感があるように思うんです。 この作品に限って言及すれば、それぞれの「小道具」が本当に小道具としての役割しか果たしていないように思います。 冒頭を例にあげれば >軌道から外れた惑星の旅が、終わっていく夜。 正直、この一行を掘り下げれば十分長い作品が一つや二つできるレベルです。一つのフレーズで作品がいくつもできてしまうようなフレーズが思索の跡もなく(もしかしたら実際にはすごい思索があるのかもしれませんが、少なくとも私は感じ取れなかったです)ただひたすらコラージュされていく。繰り返しになりますが、コラージュ的手法に対する自己批評性もあまりないのでやはり「小道具」の羅列というか、毎回ステレオさんのアイディア帳を読んでいる気分になるんです。 私はいま「俺ガイル」読んでいるんですが、あのラノベはすごいなって思えるところがすごくたくさんあって、深い思索を随所に感じます。ラノベなのに、何回も立ち止まってこちらも深く考えざるをえないフレーズで溢れています(異論は認めます、笑)。エンターテイメントとしてももちろんめちゃくちゃ面白いんですが、なんだろう、フィクションの奥深さを考えさせられました。ラノベって確かに普通の小説と同じ手法では細部のリアリティを追求していません。例えば、登場人物の造形については自分で想像することよりもイラストを想像することが前提になっています(多分)。で、優れたラノベというのはそうしたラノベ自信がもつテンプレート性みたいなものにすごく自覚的であるように感じます。つまり、「純文学」と同じ方法で細部のリアリティーを詰めてはいけなくてラノベの作法で詰めないと読者がついてこないってことを分かっているんだと思うんです。じゃあ、何が「リアル」なものとして残るかっていうと主人公の思考だったりだと思うんですが、そうしたものもテンプレ化したなかで進められます。ですのでいかにテンプレをうまく使いこなすか、がリアリティに繋がるというような側面があるように思うのです。 ちょっと論理としてうまくまとまっていないところがあり、ツッコミどころ満載だと、自分でも思うのですが、まあ、そんな感じのことを考えさせられました。

stereotype2085 (2019-09-13):

いやあ気持ちいいですねえ。昨夜のキャスではこちらがはばかられるほどの褒め言葉をいただいたんですが、それとは一変。ほぼ一言酷評。笑けてしまうくらい気持ちいいです。俺の作品で世界を変えるという情念。この作品にはそれがなかったかもしれませんね。あるのは個人的感情の浄化、昇華。作品として観れるものにするというアプローチ。それはそれで良いと個人的には思うのですが、みうらさんには届かなかったみたいですね。爽快感さえあります。昨日お話ししたり、幾度もディスカッションした信頼感の上に成り立つ、厳しい意見。中々良いですね。こういうこともありますよ。順風満帆で行きましょう。そして行くつもりです。 survofさんへの返信は今しばらくお待ちください。

鈴木歯車 (2019-09-13):

内容のわりに「宇宙」「天使」の単語がデカすぎると思った。 ぼくが中学2年生のときに書いたやつにとてもよく似ている。

stereotype2085 (2019-09-13):

鈴木歯車さんへ。中二の時に書いたやつによく似ている、というのは厨二病チックとのある種の揶揄でしょうが、この詩に秘められた意味を含めて考えると、似て非なるものですよ。あなたが中二の時に書いたものとは。似て非なるものです。

くろかみ (2019-09-13):

ものすごく孤独なものが、孤独を払おうとする物語が描かれていると思います。個の孤独は、真実としてまで、 受け取れました。ただの幸福な作り物ではないと言えます。 「僕らの差し伸べた手」というところなど、手を差し伸べるという言葉が、現実生活で、なかなかないような 映像として思い浮かばせられ、創作物ならではの、表現だと思います。手を差し伸べることの意味があります。 この詩は、親密だったものが、現実の中で救われず、終わっていく物語だと思いました。 なんとなく、作者ステレオさんには、こうした、力が報われずに、意図がずれていくことによる、「終末」というモチーフが よくあるような気がします。 「滅びの美学」というような言葉が思い浮かびました。http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CC%C7%A4%D3%A4%CE%C8%FE%B3%D8 終わりがあるから美しい。 そういうことを、はっきりと意識させられることは、僕の生きてきた今までまだありませんでしたが、 そういうことを、叙情的に描いている作品に触れ、感じて、思い返してみると、そこにも救いが美という 形であるのだと、考えられて、とても新しく受け取られました。 人類同胞への思いを考えさせられました。誰かが思うからこそ、未来がつながっていく。 大人になりたいものは大人になればいいし、子どもでいたいものは子供を生きればよい。 いずれ自然に行きつく先はある。では、自分を越えたものの中には、良いものはどれほどあるか? 人が、希望するものの中には、自分で意識して思い願ったことについて、それで十分に良いものであったと言いうるか。 自分の願ったものと、現実に得られたものは、結果として、完全に素晴らしいものであったのか。 本当に望むなら、何を望むのが良いことなのか。望みを知らずに終わることが、承服できないこと としてあります。可能である願いを願うことなく終わることのないように。

stereotype2085 (2019-09-13):

survofさん、コメントありがとうございます。ハリボテ感。それは思索も思想性も何もないといった意味でしょうか。確かにこの作品にはそういう一面があるかもしれませんね。なぜか。それはこの作品がノンフィクションをメタファーの渦で覆った作品であるからです。この作品はフィクションではありません。現実に則した人物、出来事を「ラファエロ」や「天使」に置き換えて、それから受けた感慨や感情を表した作品なのです。この詩には理想郷や冥府、天使と言った分かりやすい表現、言葉が出てきますが、それは暗喩だらけのこの作品の敷居を低くするためであり、読みやすくするためです。完全なフィクションを作る場合、今の私ならこのような表現は避けたでしょう。この作品はフィクションを扱っているため、詳細に種明かしをして作品自体を擁護するのが難しい作品でもあるのですが、ラストの一節、権威や形骸化した思想、権威主義といったものの象徴でもある「ラファエロ」の肖像が燃え尽きていくというのは、避けられない悲劇性と運命のようなものも表していて、なかなか劇的だったのではないでしょうか。自分ではとても気に入っています。 さてsurvofさん仰るところの「メモ帳…」というご指摘は中々に面白いなと思いました。実際私は頭のメモ帳からアイデアを引き出しているのかもしれないのですから。それは思春期や20代、最も多感だった時期に蓄えた貯蓄とでもいうべきものです。 最後に「俺ガイル」を引き合いに出しての分析。分かります。平明で分かりやすいテンプレ的な文章でも深い思索があれば、それが作品に反映され、厚みが出るという感覚。今回の作品は恐らく色々な原因が重なり、思索のあとがsurvofさんには感じられない詩になったのでしょうが、これまでもそしてこれからもより一層思索、思想性が感じられる作品を書いていきたいですね。貴重なご意見ありがとうございました。

survof (2019-09-13):

今朝コメントしたときからまたいろいろ考えたので先ほどのコメントとは矛盾する点もあるかもしれませんが、再レスさせていただきます。 >ハリボテ感。それは思索も思想性も何もないといった意味でしょうか。 いえ、違います。言葉同士がきちんと組み合わさった関係性を構築できていないという意味です。ですので私の感想は鈴木歯車さんの感想ともとても近いのです。言葉一つ一つ、あるいはメタファーであるとおっしゃるのであればメタファーの一つ一つが悪目立ちしすぎていて、お互いに自分以外の言葉やメタファーがもつリズムや豊富な連想など無頓着なままそこにあるように思えるということです。この部分は思想性の問題というよりも技術的な問題かと思います。つまり凄く下手くそなオーケストラを聞いている気分だということなのですが、これが私の言おうとしていた「ハリボテ感」であり「コラージュ感」であるわけなのですが、では意図的にそれがなされたのか、というところ、作者がそういった言葉それぞれの不調和に自覚的であるようには感じられなかった、つまり「わざと」下手くそなオーケストラを意図的に演奏しているようには感じられない。なぜなら、そうした場合には作者は過去の作品からの自身がもつ作者としての文脈において、あるいは作品そのもののなかにおいて、それが自覚的また意図的になされたことを暗示するのが常であるからで、私が読む限りの作品においては、ステレオさんというコンテキストにおいてそうした暗示は感じられないし(たとえばサンプリングの作品においては、かつて指摘させていただいたように「作者が運営であることに伴って自然発生的に生じてしまう権力勾配的なものへの無自覚」を私は感じて、それゆえに、そしてただその一点のみにおいてあの作品は私にとってとても不愉快なものでした)この作品においてもそうした技術面での意図的な綻びをあるいは破綻を暗示させるものが、私にとってはですが、全くなかった、ので、そこからステレオさんはもしかしたらそうしたことをあまり深く考えてはおられないのではないか、少なくともステレオさんにとっての主な興味の対象ではないのではないかと帰納するに至った次第です。 そして鈴木歯車さんが暗示した「厨二っぽい」という印象は実は私も全く同感で、「厨二っぽい」とはどういうことかを私なりに定義すると、それは「客観性の欠如」なのですが、鈴木歯車さんのコメントに対して、ではなぜ鈴木歯車さんが「厨二っぽい」と感じたかについて思索をめぐらすことはなく(あるいはめぐらしたもののコメントには書かなかっただけかもしれない)むしろ「似て非なるもの」であると断言することによって、ステレオさんは客観性が欠けていること、少なくとも、その点について客観的に考えようとしていることを示さなかったという点において、逆説的ではありますが、暗にご自身の「客観性の欠如」を証明してしまったようなものだと思いました。つまりこの「客観性の欠如」こそが私が指摘している「思索の欠如」です。 「この作品はメタファーである」といって自己弁護してしまうのは容易いです。しかしそれすらも私のとっては「厨二っぽい」ハリボテな自己弁護にしか聞こえないのです。この作品のタイトルはラファエロです。そしてステレオさんは「ラファエロが形骸化した思想、権威主義」の「象徴」であるとおっしゃる。それはステレオさんご自身がラファエロの人生や作品を深く研究して至った結論でしょうか?それに現代日本に生きる私たちにとって果たしてそれは適切なメタファーでしょうか? 私はラファエロの人生についてはよく知りません。ただ、私は画家や彫刻家や作家、科学者の評伝を読むのが大好きです。レンブラント、ロダン、ヘミングウェイ、アインシュタイン、グレン・グールド。彼らの評伝を詳しく読めばいかに彼らのパブリック・イメージが彼らの「本当の」姿とかけ離れたものである場合が少なくないかを知ることができます。あるいはいかにそれを裏書きするかを。そして広くは知られていない苦悩、矛盾、葛藤に溢れています。ですからそうした著名人の名前は彼らの複雑で常にアンビバレントな思想、人間としての苦悩、時代との葛藤、あるいは成功の喜び、深い挫折(わたしのこれらの言葉がすでにハリボテなのは自覚しています)、そうしたものすべてを背負っている。つまりラファエロは何かの象徴であるとしてしまうこと、それをメタファーにしてしまう安易さ。それを私は改めてハリボテと指摘させていただきます。 ステレオさんは、ツイキャスで是非コメントが欲しい、とおっしゃった。なので私は自分をむき出しにしてコメントを書きました。多少きつい物言いがあったかもしれませんがご容赦願います。

survof (2019-09-13):

追記: 途中で「ハリボテ」の意味が肥大していますね。失礼しました。私の言葉も所詮ハリボテなのです

み う ら (2019-09-13):

ステレオさん 私はレスレスをやらない主義ですが、今回は書きます。一言だけ。 ステレオさんは、何もわかっていらっしゃらない。survofさん・歯車さんへのステレオさんから御二方へのレスをも含めて、読んでそう思いました。 更に、付記します。 何もわかっていらっしゃらない という一言で、全てをわかられる人はわかるのです。しかしながら、ステレオ さんにはこの付記が必要だということなのです。ステレオさんの今後にとって大事なことかと、勝手ながら考え言います。もっと御二方のコメントを読まれ、悩まれることを願います。以上です。

stereotype2085 (2019-09-13):

survofさんへ。非常に面倒なコメントが来たなという印象。ですがさすがsurvofさんとも思ったので丁寧な返信を。「下手くそなオーケストラ」という批評はまあ上滑りでとらえてしまえばどうでもいいことなので、いちいち拾いたくないけれど拾うならば、そういうことを言い出すと文字の世界、文章の世界ではあらゆる他人の文章が「下手くそなオーケストラ」に聴こえる可能性はありますよ。人間、他人の感情や気持ちの動きには時に不寛容だったりするものです。しかも文章には完璧な譜面と云うものがない。音楽に例えるならエディヴァンヘイレンのギターはただの騒音で音楽として聴くに値しない、と思う人もいるだろう一方で、彼の音楽は音楽史を変えたという人もいる。聴く人によって音楽の印象は変わるものです。ついでに言うと文章も。また「音楽は聴く気持ちのない人にとってはただの騒音である」との言葉もあります。以上のような条件を踏まえると、たまたまsurvofさんにとって合わなかったであろう音楽を「下手くそなオーケストラ」と紋切型で批判するのはいかがなものかと。それこそ不協和の騒音を聞かされている気分にもなります。こちらも熱を込めて書いている以上失礼を。 また客観性の欠如云々については。先のコメントにて客観性を示しているつもりですが、伝わっていないようですね。この作品には私情や私怨が深く込められた抒情詩であるがため、表層的に宇宙とか天使とかを安直に使っているのではない。齢を幾ばくか重ねた男性の心情が託されている。ですから表面的にスケールの大きな詩を書こうとして宇宙や天使が使用されているのではないということです。それが私の客観性の提示です。さてじゃあ歯車さんの作品はどうだったのかとなると、見てもいない、読みようもない中二の頃の作品と比較されても私は知りようがありませんし、またどうして私がそんな評にお付き合いしなければならないのか、理解に苦しむばかりというのが私の正直な感想です。 ラファエロの人生について深く思索し、調べた結果かとの指摘については。では逆にsurvofさんにお聞きしますが、誰か人名を使う時にあなたは、その人物の全生涯をつぶさに調べる義務があると考えておられますか。もしそうだとしたら詩を一つ書くよりも評伝を幾冊も書くことで人生が終わってしまうでしょう。私たちの人生は短いのです。ソフトバレエというバンドに「VIETNAM」という楽曲がありますが、そのタイトリングをした藤井麻輝さんは「特に意味はありません。最後楽曲が出来た時『VIETNAM』だったから『VIETNAM』にしただけで」と仰っています。私はそのような感覚、センスを尊びます。ラファエロの人生が詳細にどうだったか、そして後世においてそして現在の日本において、どのような位置づけかを事細かに定義して使うよりも、「形骸化した思想。ラファエロかな。だからラファエロだったという」という使い方です。これを思索の欠如としてsurvofさんが退けられるのなら、survofさんはインスピレーションとか、俗に「言葉が降ってくる」とかいうのを嫌い、疎み、軽蔑し、それらを一切しない詩人なのだなとの解釈に私はなりますが。繰り返しますが私たちの人生は短い。「作家は否が応にも技術を磨くべきなのだ。だからゲーテはインスピレーションを軽蔑したのだ(要約)」と仰っていた芥川龍之介さんは早めにこの世をお暇しましたからね。そういうことも含めて考えるとインスピレーションというのはあながち軽蔑出来ないと個人的には思っています。 さてお互い熱を込めて話し合ったあとで私の大好きな映画「王立宇宙軍」より、名シーンのセリフを引用してハリボテ論を締めくくりたいと思います。 シロツグ「おい、見ろよ!戦車だ!」 マティ「よく見ろ。ありゃハリボテだ」 遠方に見える宇宙ロケットを前にして。 シロツグ「ハーリボーテー♪ハリボーテー♪おぅ、超巨大なハーリボテッと!」 ハリボテの奴も意外とやるかもしれませんよ。

stereotype2085 (2019-09-13):

三浦さんへ。分かってらっしゃらないということの根拠を何一つ示さずに、何か私が問題のある詩書き、物書きであるかのように囲い込む。survofさんのコメには丁寧に返信しましたが、三浦さん、鈴木さんのコメには「俺は分かっているが」という根拠もない、明示もされていない権威めいたものを後ろ盾にしてる気がして、真剣に返礼する気になれない。ですが三浦さんの示されたステレオさんの今後にとって、という文言は意義がある気もするので受けとめようとは思いますよ。では。

survof (2019-09-13):

えっと、何も伝わっていない・・・という虚脱感を覚えると同時にタカンタさんと長々とやりとりしたときのエンドレス感を思い出しました、汗。本当にとてもよく似ています。 >誰か人名を使う時にあなたは、その人物の全生涯をつぶさに調べる義務があると考えておられますか。 例えば、これ。どうしてそうなるの?って感じです。私がいいたいのはそういうことじゃない。でも私が先ほどのコメントで書いた書き方でこれが要点じゃないってことが伝わらなかったのであれば、おそらくこの先どんなに論理的に意見交換しても不毛でしょう。私はタカンタさんとのやりとりでそのことを学びました。 そして、みうらさんの2回目のレスにすべては要約・集約されています。私は全く同感なので、みうらさんのこの発言を根拠がないと切り捨てられるにはとても残念です。あまりに勿体無い。暗示を汲み取れないのに優れた暗喩を書けるとは到底思えません。みうらさんの先ほどの暗示は結構な情報量ですよ?

ふじりゅう (2019-09-13):

みうらさん、鈴木歯車さん、こんばんは。運営の藤井です。 批判的コメントを当サイトが制限するものではないが、批判的コメントを書かざるをえない場合、 >合評の名にかこつけた、他者を攻撃する行為を厳格に禁ずる。また、十分な理由を明示しない酷評/罵倒を禁ずる。一言コメントでの酷評はしないこと。批判的な評を書かざるを得ない場合、作者や場に資するように配慮して書くこと。 という、ガイドラインの規定を遵守するよう、お願い申し上げます。 批判的コメントが、必ずしも他者に明確に伝わるように、論文と見まがうほどに記述しろなどと申すわけではございませんが、両者のコメントは「十分な理由を明示しない」という箇所に接触しかねないと私は判断するところでございます。これは、B-REVIEWというサイトが「荒れない」サイトを目指すことによる、健全かつ円滑なコミュニケーションによって詩作への思慮を深めるためでございます。以上の点、どうかお守りの上、今後とも当サイトをご利用いただければと存じます。 本件に対する、このコメントフォームでのあらゆる発言を禁止します。ご返信なども不要です。本件に対して仰りたい事柄が存在する場合、当サイトのフォーラムや私への連絡などの方法を活用されますよう、お願い申し上げます。 最後に、このような形でコメント欄を使用致しましたstereotype2085さんに、深くお詫びを申し上げます。

stereotype2085 (2019-09-13):

ですねえ。survofさんのような優れた詩書きさんに断絶感を抱かれてしまうのは非常に残念ですが、そう思われたのなら仕方ありませんね。一日日を置くとまた違った景色が見えるでしょう。冷静に、見えることもあるかもしれません。暗示は汲み取っているんですよ。充分に。その目線、伝え方に余りいい印象を抱いていないだけで。とにかくもsurvofさんのような詩人と距離が出来てしまうのは残念でなりません。まあまた明日。人間には明日がありますから。適度に熱を冷ますのもいいことでしょう。私もsurvofさんも。では良い夜、良い週末を。

survof (2019-09-13):

ありがとうございます!ですね。一旦寝かせますか。

stereotype2085 (2019-09-13):

寝かせましょう!私としても余りに不興を被ったので、感情的になってしまった面もあるかもしれません。その点はお詫びを。今一度survofさんの意見に目を通してみようと思います。そうすれば「全生涯に目を通す…」云々などの反駁、反発は生まれないかもしれません。ここに私がsurvofさんと意見交換をする意義を見い出せます。まず優れたお人柄であること。持論を展開するより、相手の心情を慮った対話を重視する人物であること。survofさんはそのどちらにも該当します。ですから心では「痛いところ突いてくるなあ。だがただ『そうですね』では芸がないし」となってしまうのですよ。明日「優しい気持ちで~♪」また臨もうと思います。

stereotype2085 (2019-09-14):

この場でこの作品についての私見を述べることをご容赦ください。まず昨夜のふじりゅう氏と花緒氏のコラボキャスにおいて、花緒氏が再三に渡り「ラファエロは私ではないか」と仰っていましたが、ここにしっかりと言明させていただきます。ラファエロは花緒氏のことではありません。構造的に世の中に存在してしまう権威主義者とでもいうべき存在の置き換え、言い換えであるのです。ですからその対立軸、いや被虐者としての天使も花緒氏が考えられたように私のことではありません。そこまで憐憫の情が入っているのなら私はこの作品を公開しなかったでしょう。 それと今しがた三浦氏ともDMで軽いやり取りをしましたが、私に強い怒りを抱いているとのこと。理由も明らかにされず、「分かってらっしゃらない」などと仰ったことの意味を尋ねたのですが、それにお答えいただく気配もなく、お怒りの理由も示されずこちらも残念です。この作品で一部の方を困惑させてしまったことを深く省み、今後の創作活動に活かす所存です。それでは。

survof (2019-09-14):

おはようございます! まず前置きとして、今回の件に対する雑感を述べさせていただきますね。ツイキャスもお聞きしました。まずステレオさんは率直なご意見を求めていたはずです。それに対して、私は勇気をだして否定的なコメントをした。が、ステレオさんはそのコメントのいわんとしていることを汲み取ろうとはしてくださっていないように感じられた。それに私のコメントは決してステレオさんがキャスでおっしゃっていたような「作品のいわんとしていることを深読みした上での過敏な反応」では決してないんです(そこまで深く読ませるものがなかったのが正直なところです)。ステレオさんはいってみれば「なんでもいってね、怒らないですよ」というスタンスを取りながら、いざ正直なところをコメントしてみたら「怒って」しまったということだと思います。みうらさん、鈴木歯車さんの言葉も同様に受け止められることなくステレオさんは感情的になってしまった。ここにみうらさんが当初おっしゃっていた「ステレオさん作品へのコメントのしにくさ」というのを感じます。つまり、ステレオさんはやはり「プライドが高い」ので、今回の展開は予想されたものなのです。でも先回みうらさんとのキャスでステレオさんは「それでもコメントが欲しい、自分は受け止める所存である」的なニュアンスのことをおっしゃいましたよね?でも今回は結局「プライドが高い」ゆえにどの意見も受け止めずに自己弁護に終始しているような結果になってしまっているように思えます。「自己評価の高さ」と「矜持を持つ」とはまったく別のことである、というと私は思っていて、いまのステレオさんは「自己評価だけがとても高すぎて」(つまり「プライドが高い」)これ以上生産的な議論ができるかどうか、ちょっと心配なところです。私はさらにステレオさんの反論に対してさらなる反論を試みることはできますが、ステレオさんは本当に否定的な意見を受け止められますか?ご自分の都合のよいように、相手の言葉を捻じ曲げるのではなく、まずその言葉の真意を汲み取る心のゆとりはありますか?みうらさん、鈴木歯車さんも言葉は足りなかったかもしれませんが本当に感想としてツボをついていらっしゃいます。もし本当にステレオさんにその心のゆとり、自分の高すぎる自己評価と向き合う準備があるというのなら私はこの先さらに議論を進めたいです。私は、今回掲示板が荒れたとは思っておりません。荒れたのはステレオさんです。一度私が今回書いたことを深く考えて欲しいです。もしかしたら朝からまた気分を害されたかもしれない。しかも意味不明かもしれない。ですが、ここをクリアしない限り私は議論において前に進めないのであえて書かせていただきました。私からすれば掲示板が荒れたのではないではなく、ステレオさんが荒れたのです。 この点について、もしよろしければご意見お聞かせください。そのあともし建設的な話ができるようでしたら、作品について話し合いたいです。もしやはりお互い感情的になるようでしたら、宙ぶらりんで気持ちが悪いところはありますが、議論は打ち切ったほうがよいでしょう。 もう一度お聞きします。今回の件、本当に「掲示板が荒れた」と認識されていますか?あるいは荒らしたのはみうらさんや鈴木歯車さん、あるいは私のいずれかであると認識されていますか? 朝から偉そうにつらつらと書いてしまいました。私のいわんとしていることが伝わることを願います。

st (2019-09-14):

大変興味深い作品ですね。ステレオさんの好きな宇宙、惑星、方舟、天使、 ラファエロ.......を登場させて、2019年の大晦日----平成の30年間の最後 を、世紀末のようにとらえて、この作品をお創りになったように感じまし た。 新たな令和を迎えて、これまでの世界を振り返ってみると、この詩のよう な世界だった------。 >軌道から外れた惑星の旅が、終わっていく夜.... 平成の30年間と、その最後を表現していると思います。 ラファエロという絵画の世界の第一人者と、その描いた絵のなかの天使など を、その業績として使い、堕落した権威者の有様を表現した作品で、とても 興味深いものですが、ラファエロのファンにとっては、少し酷かもしれませ んね。

stereotype2085 (2019-09-14):

survofさん、おはようございます!「プライドだけが高く」「コメントしづらく」「荒れたのはステレオさん」。耳に痛い限りです。私としては自己弁護のつもりはなく、子供(作品)がちょっと困ったことになっているので、親として少しは守ってあげたいな程度の気持ちだったのですが、そう映ったのなら過敏な親でもあったのでしょう。 「掲示板が荒れた」かという点において「荒れたかも?」程度の認識は持っております。しかしそれはsurvofさんや三浦さん、そして歯車さんのせいではなく、私を含めてみなの意思疎通がうまく出来なかったことにあると思います。何よりも私はsurvofさんの返信に丁寧に応えたはずです。ですがそれが捻じ曲げた解釈と取られたのは私の読解力にも問題があったのでしょう。しかし誠実に応えていました。そこはしっかりとご理解いただきたいです。 さて作品についての議論を続けるかという点ではイエスです。survofさんが筆の労を惜しまず書いてくださるのはとても貴重なことですからね。拝聴したいと思います。ただこれ以上の私の掲示板上での人格や人柄についての叱咤、叱責は避けるようにお願いします。子供を守る親心が悪く作用したのは、認めているところですので。 作品についてのお話なら歓迎いたします。それではお話を再開致しましょう。返信は明日以降になるかもしれません。その点はご容赦を。 またこの詩に肯定的な評価をくださってるstさん、黒髪さんへの返信は今一度お待ちください。

survof (2019-09-14):

了解しました!それでは、昨日いただいた反論に対する私の反論含めて作品についてのコメントを後ほど書きますね。今回のコメントするに到るまでの経緯は忘れることにします。午後以降になるかと思いますので、ステレオさんの返信も明日以降で全然大丈夫です。むしろゆっくりとしたテンポのほうが建設的かもしれません。

渡辺八畳@祝儀敷 (2019-09-14):

あまりにコメント欄が長いので流し読みしかできていないが、survof氏がこの作品にて言っていることは、以前私がこの作品(https://www.breview.org/keijiban/?id=3681)にて石を例えに書いたものと意味は同じなんじゃないかなあと思っています。その作品にてステレオさんは石の例えを難解な語句と解釈していましたが、むしろ私は「含意量が多い語句」という意味で使っていました。食材で例えるならパクチー。あれって上手く使わないとほかの食材と全然調和せずに料理がただただパクチーの味になっちゃうじゃないですか。その料理の中にたとえば味噌、チーズ、くさや等、同じく主張の激しい食材が調和を目指さず入っていたら、主張と主張がぶつかり合ってしまう。つまりこの詩はそういう状態なのかなと。「料理に載った食材(=詩文に含まれた語句)」ではなく「食材同士が調和した料理(=語句を総合しての詩)」を目指すなら、調和はさせなくてはいけない。肉、玉子、米すべてが絶妙なバランスで成り立ったカツ丼が理想です。カツ丼協議会。 違かったら御免。

survof (2019-09-14):

渡辺さん あ、そうです!おそらくいっていることがほぼ同じです。

み う ら (2019-09-14):

ここが白熱でなくて、荒れてるというのなら、レッドカード覚悟で、書きます。ステレオさんが自分の作品について、多くの説明をコメント欄でさらておりますが、そこまで自説を加えなければならない作家の作品など二度と読みたくありません。潔く、作品をどのような受け取りでもいいとなぜに言えないのか。そこまでいうならば、この作品はハリボテ風とか厨二廟的にとらえないでくれと、コメント欄に書かずに、あらかじめ作品内にわかりやすく書いておいて欲しいと本気で思う。

stereotype2085 (2019-09-14):

みうらさんへ。その通りですね。今みうらさんの私への置き土産。「わかってらっしゃらない」を噛み締めているところです。どのような受け取り方でもいい。我が子(作品)を雨風に晒してでも過保護は良くない。たしかにその姿勢は今後私に必要となってくることでしょう。 また白熱とのこと。私も「荒れたかな?」程度の認識で、みんな燃えて熱くなってくれているなとの気持ちは持っております。ここまでみうらさんから厳しい言葉が出たのは、私が「わかってくれる」と思ってくれたからこそ、と捉えています。非常にこの作品において、二人の間にズレが生じてしまったのは、本当に残念で悲しむべきことだと思っています。 私は自分自身を深く省み、いつかまた陽気で明るい「miuステ!」をお送りしたい、また詩人同士として、知り合った者同士として二人の埋めたいと思っています。またこの溝を作ってしまったのも恐らく私に大部分の非があるのだろうとも思っています。また陽気に話せることを願って。それでは。

stereotype2085 (2019-09-14):

二人の溝を埋めたい○ 二人の埋めたい×

帆場蔵人 (2019-09-14):

2019年の大晦日てことは令和始めての大晦日なんですね。そう思うと終わり、と新たな始まり、一つの権威が燃えて新しいものが生まれようとしているのかもしれない。権威的なものへの恨みや失意だけでなく。。 読んでいて天使やラファエロなど一つ一つのの声がでかくて渋滞して流れが悪い印象。喩やその他の言葉が陳列されているだけで、意味が共鳴していない。詩においては喩と喩がぶつかるとき読み手のなかの意味に火が飛んで、書き手さへ予想しない詩情が生まれていくと考えています。それがこの詩では書き手の書きたい内容でストップしているような印象を受けました。 作中、ラファエロは理想であったり権威的なものを暗示していて、失墜するべくして失墜するものの末路と挫折、そんなものの象徴でしょうか。このラファエロをそれだけの存在としてしまったところが残念だなと。 ラファエロを詳しく知るわけではないが、権威や理想の象徴であったその存在自体も血が通った人物であったし華やかさの裏側や実像があったのではないだろうか。隠喩だから実在のラファエロは関係ない、ではなく作品世界のラファエロにもそういった背景があるはず。天使にも言える。詳細に描かれてなくともそれをちゃんと設定しているか、いないか、で詩は全く違う様相を呈すると思います。 それが垣間見えたとき、この作品は生き生きと動き出すのではないだろうか。今のままではこれは優れた散文の書き手のラフスケッチで終わっているように思えます。

survof (2019-09-14):

改めて、せっかく反論いただいたのでさらにコメントさせていただきますね。できるだけ作品論に徹するつもりですが、作家を語ることなしには語り得ない部分もあるかもしれません。できるだけ人格批判にならないように注意をしますが、やはり本気で書きたいので少し言葉が過ぎることはあるかもしれません。あらかじめご了承ください。 >「下手くそなオーケストラ」という批評はまあ上滑りでとらえてしまえばどうでもいいことなので、いちいち拾いたくないけれど拾うならば なぜ私があえて「オーケストラ」の例えを用いたのか考えていただきたいです。つまり「いちいち拾って」欲しい例えです。私は音楽について語っていたのではなくオーケストラについて語っていたからです。ゆえに Van Helen を使った返しは全くの的外れです。 >たまたまsurvofさんにとって合わなかったであろう音楽を「下手くそなオーケストラ」と紋切型で批判するのはいかがなものかと 繰り返しますが、私はステレオさんの作品を音楽としての「オーケストラ」に例えたのではありません。ですから「下手くそなオーケストラ」という例えは必ずしも「下手くそな作品」という意味ではないのです。ましてや作品が好みにあるかあわないかについて論じていたのではないです。 私の先のコメントを丁寧に読んでいただければお分かりいただけると思いますが、私は、言葉同士、あるいはメタファー同士の関係を語る文脈で「下手くそなオーケストラ」という例えを用いました。私は言葉通しの調和、メタファー同士の調和について論じていたのであり、しかもそれは好み以前に技術的な類の問題として提起したつもりです。 つまり「下手くそなオーケストラ」という例えにおいて私が意図したものは(「下手くそ」が言葉として強すぎて、扇情的出会ったかもしれない点はあったとしても)まさしく調和が乱れているという点であり、調和が乱れている以上、「下手くそなオーケストラ」がどんな音楽を演奏しているのだとしても、聞き手は調和がとれていないことに気を取られて、音楽には全く入っていけない、ということです。 例えば、オーケストラにおいて楽器のチューニングがバラバラならどうなるでしょうか?誰も指揮者をみずに各パートのリズムがズレズレだったらどうでしょうか?演奏されている曲が私の大好きな曲であろうとなかとうと、それ以前の問題ではないでしょうか? つまり要約すると、ステレオさんのこの部分の反論はそもそも私の批判の要点を完全に外しております。 (続く)

survof (2019-09-14):

(続き) 次に移ります。 >また客観性の欠如云々については。先のコメントにて客観性を示しているつもりですが、伝わっていないようですね。 はい、つたわっておりません。先ほどの論点をまた引き合いに出さねばなりませんが、「下手くそなオーケストラ」という例えに例えに対してのステレオさんの反応はまったく感情的であり、客観的なものではないと感じます。文脈に照らして論理的に整理すれば要点が容易にはっきりする点においていとも簡単に要点を外しています。同じように、私の批判に対するステレオさんの反論は全体として感情的なのです。 一つお聞きしますが、ステレオさんにとっての「客観性」とはなんですか? 私はここでちょっとずるい論理展開をしますが、是非ついてきてください。そもそも「客観性」なんてあるんでしょうか?本当に「客観的」に何かを論じることなど可能なのでしょうか?「客観性」を持ち出したのは私なので最悪の論理展開だと自負しておりますが、私はそんな「客観性」など実は1ミリも信じていないのです。どんなに「客観」を意識したとしても「主観」とその「客観」を隔てるものはなんでしょうか? >この作品には私情や私怨が深く込められた抒情詩であるがため、表層的に宇宙とか天使とかを安直に使っているのではない。 さて私にとって「客観を意識する」とは「読者が作品をどう捉えるかに対する鋭い意識」のことです。つまりそれは自分自身の思考に属するもので決してその外に出ることはできないという意味でそれはあくまで「主観」にすぎないというわけなのですが、「読者が作品をどう捉えるかに対する鋭い意識」が欠如しているのではないか?という点を「客観性の欠如」として私は指摘しました。 ですから、作者がどんなに作品に託した私情や私怨を託したと主張しても、あるいは作者どんなにそれが「表層的に宇宙とか天使とかを安直に使っているのではない」と論じたところで読者にそう感じさせてしまったのであれば、作品としてはそれまでなおではないでしょうか? 作品は発表した時点で作者の手を離れるものではないでしょうか?であれば「自分はこうこうこういうつもりで書いた、だから・・・」というのは反論にも何にもならないんです。 この点でいえば「この作品は花緒さん批判である」との可能性をあえて否定しないでおけば、作品として非常に面白いものになったと私は感じます。花緒さんが「これは自分のことだ」といっているのを聞いて、そしてその路線で読んではじめてこの作品はもしかしたら面白いかもしれないと思いました。 しかし、今ステレオさんはこれはもっと日常的な権力に対する批判である、花緒さんは全く無関係であると断言されている。断言してしまうことでステレオさんは読者の想像力を狭めたしまったわけです。ただでさえ想像力喚起力に乏しい作品に対してさらに読者の選択肢を狭めてしまった。であれば、作品は読者にとってステレオさんが規定した範囲でしか想像力を許されない。もしかしたら読者に関係のあることを扱っているのかもしれない。ただ、一連のステレオさんの発言から読者にとってはどちらかというと「よく分からないけどステレオのプライベートで起こった出来事をメタファーで置き換えて語っている作品」なんだな、ということになってしまう。 では、読者にとってそういった漠然としたメタファーによって暗号化されてしまった場合、どうやって作品を楽しめばよいのでしょうか?(これは、ステレオさんの作品に限らず現代詩、あるいは詩というものが抱える重大な問題の一つだと思います)読者に残された選択肢は純粋に言葉のもつ響き、言葉の組み合わせの響き、あるいはメタファーによって喚起されるイメージやそれらの組み合わせ、そういったものが孕む面白さ美しさに身を委ねる、あるいはストーリー性を楽しむということなのかもしれない。 そうなると、純粋に技巧的な部分の不調和が大きな問題として再び大きく首をもたげるわけです。そして、私の「下手くそなオーケストラ」へと論点は再び戻っていきわけです。 (続く)

survof (2019-09-14):

(続き) >ラファエロの人生について深く思索し、調べた結果かとの指摘については。では逆にsurvofさんにお聞きしますが、誰か人名を使う時にあなたは、その人物の全生涯をつぶさに調べる義務があると考えておられますか。もしそうだとしたら詩を一つ書くよりも評伝を幾冊も書くことで人生が終わってしまうでしょう。私たちの人生は短いのです。 これも例えの要点を思いっきり外しています。私は選択の安直さを指摘しているのです。美術に限って語るならなぜ権威の象徴としてたとえばブグローではなくラファエロだったのでしょうか? 印象派を蹴落とした権威としてラファエロは印象派以降の美術詩において、ブグローや彼が属していたいわゆるアカデミーの評価は地に落ちました。サロンアートは20世紀中盤まで悪趣味な作品群として揶揄の対象だったのです。では、印象派の反抗によって何が生じたか。そもそも印象派に属してたアーティストの大半がもともとはアカデミックな美術教育を受けていたいわゆるエリートであったわけですが、それはさておき今度は「現代美術」というものが一つの権威になりました。印象派からキュビズム、フォービズム、表現主義やデュシャンのダダイズムに現代の精神は受け継がれて戦後アメリカの抽象表現主義に至るわけですが、今度は彼らが、つまり「現代美術」の権威となったわけです。ですから抽象表現が終わって、ポップアート以降へと美術が発展してそれが「コンテンポラリーアート」と呼ばれるようになった過程でデュシャンと抽象表現主義への批評的、批判的言及が高く評価されるようになりました。こんどはポロックのような抽象画が「白人のアートの権威」として批判の対象になったのです。同時にかつてのブグローのようなサロンアートのようなアカデミックアートの再評価が20世紀後期に進みます。それは音楽でいえば、例えばラフマニノフやマーラーの再評価が同時期に進んだのと少し似ているかもしれません。 さて、ここまでの私の知識の開陳は対して意味はありません。重要なのは、例えば私よりももっと美術に詳しい読者が、例えばラファエロと同時代の美術に非常に詳しい人がこの作品を読んだとき何を感じるか、という点です。 ここで論点は先ほどの「客観性」に戻ります。つまり「読者が作品をどう捉えるかに対する鋭い意識」の必要性です。 そうした美術に詳しい読者にとってラファエロや天使といったキーワードは適切に扱われない限り作品を楽しむうえでの障害にならないでしょうか?こうした些細な綻びがある読者にとっては致命的なものとなり得るのですが、そのことに対する無自覚を私は批判したのです。 >ソフトバレエというバンドに「VIETNAM」という楽曲がありますが、そのタイトリングをした藤井麻輝さんは「特に意味はありません。最後楽曲が出来た時『VIETNAM』だったから『VIETNAM』にしただけで」と仰っています。私はそのような感覚、センスを尊びます。 ですので、この直感で何かを選ぶ、ということは特にラファエロというメタファーの導入に関していうならばかなり危険な行為であると感じます。なぜならこの作品においてラファエロはしっかりとした役割を与えられているからです。「VIETNAM」という曲を私は存じ上げませんが、「VIETNAM」という単語はその曲においてしっかりとした意味を与えられていますか?Rage Against the Machine がベトナム戦争に関連したイメージ(焼死自殺の僧侶の写真)をアルバムジャケットに使うのと「VIETNAM」というタイトルを感覚で選ぶことには大きな違いがあるわけですが、ステレオさんの「ラファエロ」のタイトルの選択はどちらかというとRage Against the Machineの選択に近いです。なぜなら明確にメッセージ性をそこに込めているからです。ステレオさんはあえて「ラファエロ」にしたわけですよね?権威の象徴として。 あるいは本当に軽い気持ちで「ラファエロ」を権威の象徴として選んだのであれば、作品自身も軽いもの、ということになりませんか? そうなるとやはり「ラファエロ」は「厨二病的な」小道具にしかならないのではないでしょうか? >そういうことも含めて考えるとインスピレーションというのはあながち軽蔑出来ないと個人的には思っています。 安易な選択をインスピレーションと混同してはいけないと思います。そもそもインスピレーションってステレオさんにとってはなんですか? 夏目漱石は「吾輩は猫である」のなかで次のように書いています 「職業によると逆上は余程大切な者で、逆上せんと何にも出来ない事がある。その中で尤も逆上を重んずるのは詩人である。詩人に逆上が必要なることは汽船に石炭が欠くべ可らざる様な者で、この供給が一日でも途切れると彼れ等は手を拱いて飯を食うより外に何等の能もない凡人になってしまう。尤も逆上は気違の異名で、気違にならないと家業が立ち行かんとあっては世間体が悪いから、彼らの仲間では逆上を呼ぶに逆上の名を以ってしない。申し合わせてインスピレーション、インスピレーションとあも勿体そうに称えている。 これは彼等が世間を瞞着(まんちゃく)する為に製造した名でその実は正に逆上である。プレートー(プラトンのこと)は彼等の肩を持ってこの種の逆上を神聖なる狂気と号したが、いくら神聖でも狂気では人が相手にしない。やはりインスピレーションと云う新発明の売薬の様な名を付けて置く方が彼等の為によかろうと思う」

survof (2019-09-14):

長くなりましたが、ひとまずは以上です。

蛾兆ボルカ (2019-09-14):

こんにちは、stereotype2085さん。 3点、3レスに分けてコメントさせていただきます。(外出先からなので、ご容赦ください)。 前2点は、この詩を私が語るための詩論。最後の1つがこの詩への私の評価です。 (1)意味と言語 詩を構成する言葉も、他の散文における言葉と同様、意味を担っています。でも、詩では、それだけではない、と言うことが強調されますし、詩を書いていても、読んでいても、そこでは言葉が意味の担い手以外の仕事をしていることを実感する人が多かろうと思います。 その、「意味の担い手以外の仕事」を何と呼ぶか、それは諸説あり、我々の時代にはまだ、主流と呼ぶべき見解はない、と考えるべきかと思います。 現代の日本人である我々の中には、例えば、丸木正男によって名付けられた概念で理解している人も居るでしょうし、吉本隆明により理解している人も、岩成達也による人もいるでしょう。 夫々少しずつ違うのですが、どんな理解をしておくべきかというと、どれも最強学説ではなく、私はあなたにどれも薦めません。 しかし、「諸説あるけど、とにかく、意味以外の働きを言葉にさせることが、詩では重要と思われている。」と、認識しておくことは強くお薦めします。 言語と詩というものへの、こうしたベーシックな理解の影響で、詩を読むときにある一つの姿勢が我々の間で一般的になってます。 それは、(理由や理論はどうあれ)、詩に使われた言葉(時には文も)を、その言葉が伝える意味と無関係に、純粋に言葉として【も】読む、という姿勢です。 私は、【も】を強調しておきますが、そうした観点や姿勢を全く無視することは、あまり勝ち目のある戦法ではありません。 言葉のみを見る鑑賞を想定した詩作は、1980年代には既に山場を超えた古いレトリックの詩であり、私は読むにしろ書くにしろ全く逆に近い立ち位置なのですけど、想定外とするのは避けています。 そう読まれる、ということは、詩の内容や、そこで使われているレトリックをスルーして、単に個々の言葉の色や温度が作りなす一枚の絵として、眺められるということです。 例えば、この言葉は古語ではない現代語のほうがいい、という批評が起こりえます。その理由が、単に音として、隣にならぶ単語とイメージか韻か音の明るさなどが揃うから、とかでも、それはそれなりに尤もな一つの意見ではあると考えるしかないのです。 私はそうした言語観によって詩を書かないけど、語の強度にヌケやアナがある詩は良いと感じないし、その感覚は磨こうと努めています。 作品「ラファエロ」では、既に指摘されているように、冒頭の軌道を外れる惑星が語として浮いている、と私も感じました。この冒頭数行は弱くて、それに続く言葉とバランスがとれません。 私なら第2文から始め、第1文は第1スタンザの末尾に移動したうえ、この表現とは違う言葉を選びます。 (2、3)に続く

蛾兆ボルカ (2019-09-14):

(2)詩とレトリック さて、(1)で述べたように、レトリックと意味をブラックボックスにしたまま、詩を鑑賞することも可能であり、そこに触れずになされた批評もありえます。もう少し例を加えると、「この詩は短すぎるので、この3倍は長いほうがよい」という乱暴な批評も、(1)の観点から可能ですし、稀にはそれが有意義であるケースもありえます。 次に、レトリックは直喩と隠喩が全てではない、ということを書きます。 我々の国の超古代の神話では、クマかオオカミは獣の王と考えられており、それは人の一般より高い存在で、人の王や英雄と対等であると認識されてますから、当然思考したり語ったりします。 時代を数千年下って古事記までは、そうした神話的な思考が行われました。 古事記に記された神々の戦いは、朝鮮半島から侵略してきた民族がこの国を支配してゆく過程と関係はあると思われますが、テキストはその比喩ではありません。そこでは神の事柄が神の事柄として、そのままオフィシャルに語られ、それがこの国で共有されました。 古事記を最後に、公文はそうした神話を事実としては語らなくなってゆきます。一部に呪いや祈祷は(隠喩ではけっしてないものとして)あるわけですが。 そして現代では公文の中では、そうしたレトリックは消滅していますが、例えばジブリの「もののけ姫」や「となりのトトロ」では、隠喩ではけっしてないモノたちが大活躍して、国民に共有されます。 隠喩(メタファー)に似たものとして、一つにはそうした神話的な表現があり、それは批評したり説明したりするとなると、最も難しいレトリックなのですけど、作品そのものは無学でも、それこそ子供でも楽しめるし理解できるものとして現れます。 ラファエロの頃は人文主義と思いますが、その美術表現は、この神話的な思考に支えられているのでは、と私には思えます。それは隠喩とは違うものです。 また、ラファエロよりはるかに下る時代の美術で、神話を既に信じてはいないが、隠喩でもない表現を語る批評の言葉として、象徴という言葉が使われました。 象徴も隠喩ではありません。私事ですが、私は隠喩よりは象徴を詩作に多用します。 シュールやダダを踏まえると、更に隠喩ににて隠喩ではないものを指す言葉は増えますし、現代の我々となると、もはや読者としては戸惑うことが多いのですけど、作品「ラファエロ」の登場人物たちや事柄は、本当に隠喩なのか、という疑問を私は感じました。 作者が隠喩としているので、とりあえずは隠喩として読みますが、カフカの短編がそうであるように、意味深く、しかし読みとかれぬよう巧まれた表現として、「ある特殊な意味で、隠喩」だと私は解釈します。 (3に続く)

蛾兆ボルカ (2019-09-14):

(3)作品「ラファエロ」の解釈と感想 冒頭のスタンザは、その表面的な意味が難読だ。 ①軌道から外れた惑星の旅が、終わっていく夜。②2019年の大晦日には、宇宙の隅で方舟が燃え上がる。 この夜、すなわち語り手の現在と、2019年大晦日は同じ時間なのか? 同時刻だと仮定しない理由がないから、同時刻と解釈するが、2019年末が読者と筆者の現在より未来であることと、もしも惑星というのがこの地球であるならば(違うと解釈する根拠がない)、既に現在から兆候が現れているはずであることから、違和感が残る。 第1スタンザには黒ヒョウなど重要と思われるキャラが登場するし、場面を描いたのであろうとは思うが、読者には言葉の表そうとする意味が伝わらない。宇宙の隅という言葉の意味も、理解できない。 しかも、作者コメントを参照すると、これは意図的に意味を脱臼させ、言葉の独立性や強度を上げることを意図したものではないようだ。 なので、私としてはこの第1スタンザは全てカットしたほうが詩として良くなる、と思いました。 次に目につくのは、作中に登場する「僕」だが、言葉の表面的な意味として描かれた作中の階級社会で、「僕」はどの階級なのか? そこもわからない。 ラファエロ、人々、奴隷、天使などが夫々描かれてゆくけど、「僕」がもし「天使」なら、この作品を流れる一つの情動を読み取ることもできる。 天使について、3行のフレーズが、2度あるが、「僕」が天使なら、天使階級だけをこんなに丁寧に描くのも、さもありなんと思うわけだ。 しかし、そうなのだろうか? どこにもそれを読み解くキーはない。 なので、「僕」の位置とともに、天使を語ることに語り手が熱心であり、しかしこの詩のタイトルが「天使」ではないことは、不可解なこととして私の中に残されました。 その他にも多々あるのですが、この詩は、意味を示すという、言葉の基本的な部分で上手くいっていない箇所が多々あると思います。 前述したように、言葉の行う仕事のうち、意味を伝えるという仕事には重きをおかず、他の仕事を際立たせる詩法もあり、それを歓迎しうる詩論もあります。しかし、それは作者がコメントにより、この詩の作成意図としては否定したものと思われますので、そうとすると、これら意味の取りづらさはこの詩の欠点である、と私は思いました。 また、この詩を隠喩として読むために、私はこれを近未来を描いた予言として受け取るのですが、そうすると狂王ラファエロは、どんな隠喩と解せるだろう?と、考えました。 もしも隠喩ではなく象徴であるならば、ラファエロはこの国を支配する権力を表しているとも読める。だが、隠喩として安倍晋三と読むのは、アベのお腹の出っ張りは格好悪すぎて、難しい。 そこでもっと私的な、実際には権力というほどのものでもない人物の比喩として受け取りました。王というのは大げさでも、何かのリーダーであり、ある空間を破滅に導くことも可能な人物なのでしょう。 ラファエロを解釈すれば、他の補佐的、または奴隷的な登場人物も解釈される。ただ、隠喩としては、これは像を結ばない曖昧な隠喩だ。誰を示しているのかわかないが、わからないことによる効果が感じられず、私はこの詩ではラファエロが誰の隠喩なのか、読者が解釈できるヒントを入れるべきだったと思いました。 全編を通じて、この詩には情動が不足しているか、流れが混濁しており、それが作品の鑑賞を難しくしていると思う。 狂王ラファエロの悲しみや苦しみを歌うなら、天使を嘆く3行2回はやりすぎだ。ラファエロにより齎された惨状を、人々の憎悪として歌うなら、「肖像を焼く」ではあまりにも弱い。 詩を書くひとの感情の流れのラインを整理し、そのラインを乱さないように再構築したほうが良いのでは、と思いました。 以上です。 それと、これまでの鑑賞のなかで、黒髪さんのコメントは、私は共感しました。そう読む読者も理解できます。 降り注ぐ火花を仰ぎ見ている黒豹。 僕らの差し伸べた手は、炎に焼かれて誰のもとにも届かず。包帯だらけの天使は、ガラス張りの天井を見つめている。誰が望んだのでもない結末。不幸せな血肉。片目を失ったバッドエンディング。 「幸せの余りをあげるよ」 かつてそう口にしたラファエロは、今では僕らを冥府へとエスコートする死神。天使の涙も枯れてしまった。憐憫も慈悲もない荒れ地。そこではヒビの入った墓碑が、粉々に砕かれるのを待っている。 天使の日々は無為だった。 天使の日々は徒労だった。 天使の日々は無駄だった。 「幸せの余りをあげるよ」 ラファエロ、あなたは夢の都へ人々を導くはずではなかったのか。彼の描いた天使は、血で汚れた羽根をもがれてなお、神を信じている。誰も望まないディストピア。誰も望まない終焉。 「幸せの余りをあげるよ」 ラファエロ、あなたは誰をも傷つけない理想郷を目指したのではなかったのか。彼の描いた聖人は今では、空を舞う天使を機関銃で撃ち落としている。誰がこんな惨劇を望んだというのか。 手放したはずの絵画にこだわり、手放したはずの画材を引き寄せ、誰にも絵を描かせない。誰にも自由を与えない。画廊では黒豹が飼い殺しにされている。 奴隷たちが涙ながらに、黒い太陽のもとを歩き、夢魔がわずかな寄贈品で、王でさえ操れると思い込む世界。わずかな捧げもので女王でさえ娼婦に出来ると盲信する宇宙。 天使は邪魔だった。 天使は目障りだった 天使は駆逐すべきだった。 誰もが疲れ果て、ラファエロがその饒舌で、天使を自害へと誘う独断の地。ラファエロ、それがあなたの望んだ夢だったのか。それがあなたの望んだ未来だったのか。 ラファエロ、天使が監獄の中で凍えながら、祈りの手を燃やし尽くされる終末。それがあなたの望んだハッピーエンディング。 ラファエロ。 お前の肖像が燃え尽きていく。

蛾兆ボルカ (2019-09-14):

すみません、後半に、覚え書きのため貼っておいた詩作品の一部を、消し忘れてそのまま付けてしまいました。 作品全部でないこともあり、作者に大変失礼しました。

stereotype2085 (2019-09-14):

さてお待たせしました。survofさんを先にして返信することをお許しください。まず「下手くそなオーケストラ」が何を指すのかという点について。「言葉同士の不調和」納得しました。確かにこの作品において、暗喩の衝突、不調和が多く起こっているのは自覚しているところです。そして私の多くの作品においても暗喩や表現の衝突が起こっている、という指摘も納得できるものがあります。今回は非常に込み入った事情でこの素材、特定の人物を責め立てるような作品にしてしまったため、より一層言葉同士の衝突が「下手くそなオーケストラ」のように響き、目立ってしまっただろうことは容易に想像出来ます。作品自体を音楽に例えて「下手くそだ」と指摘していると誤解してしまったのは、私のフライングであり、ミステイクでしょう。過去の私の作品たちも含めて下手くそな「音楽(作品)」だ仰っているのではないという点は極めて私を安心させました。良かったです。 次に「客観性」とはどのようなものか、という点について。「読者にどう読まれるかを意識する客観性の欠如」。それも私にはあったことでしょう。私の客観性の提示が不十分であったのも認めるところです。私は主観が大部分において差し挟まれると判断するなら、今後自作について多くを語ろうとはしないでしょう。実は昔文極で「あなたのレスポンスはオウム返しだ」と批判されたことがあり、より一層言葉を尽くして作品の解説に努めようとしたのです。私は作品についての自論を滔々と喋りたいのではなかった。ひとえに過去の反省から来るものです。それが今、作品論として機能していない可能性があるのなら、それを吟味し多くを語るのを自重することでしょう。これでみうらさんへの返礼の一つにもなると思います。 では三つめラファエロを「形骸化した思想」の象徴として扱ったのは完璧に失敗だったと思っています。私自身ラファエロの偉大さは知っていますし、私が最も尊敬するサルバドール・ダリは「近代絵画がラファエロを超えたと思うならどうかこの本なんて読まずに愚直に人生をお生きなさい」と著書の中で、画家を目指す者たちのメッセージとして書いています。そこまでラファエロの知識、功績を知りながらなぜラファエロを「形骸化した…」の象徴として選んでしまったのか。それは日本語で云う不思議な感覚によるものですが、それが安直なチョイスであり、「厨二病的」と指摘されるのなら、私は甘んじてそれを受けるでしょう。ちなみに私は厨二病という言葉が好きでもなく、大して重きを置いていません。ある分野の表現やその傾向を切り捨てるには便利かもしれません。しかし表現の幅を狭める可能性もこの言葉には宿っていると感じています。しかしこれはあくまで蛇足です。次に行きましょう。 四つめ。ラファエロが花緒氏ではない、と明言したのは想像の余地を奪ってしまったのではないか、という点も納得です。しかし花緒氏を貶めるつもりがないのはこの作品の真実の一つであり、口にはしないといけなかった。花緒氏のためにも私自身のためにも。結果このような面白味がないと読み手に解釈される作品になってしまったところは私も自覚するところです。個人的私怨、私情をテーマにしたものは、よほどの完成形を見ない限り公開してはならない、という点を今回は学びました。 さあ最後の五つめ。ラファエロを私自身の知識を無視してまで、選んだのは私の中の「不思議」が作用した結果です。しかしそれが安直な選択だと、客観性の一つである「読み手がどう感じるか」という点においてそう見えたのなら、私の「不思議」はとても弱いインスピレーションの一つだったと言えるでしょう。またインスピレ―ションとはどのようなものとお考えか、との質問に対しては引用していただいた漱石の文面にもあるように劇薬でもあり、天啓に近いものとも捉えています。しかし預言者や聖者などと呼ばれる人々が、多くの知恵と知識をたくわえた上で閃きを得ていたことは、またより絶大な力を持つ「不思議」を獲得していたことは、現在では恐らく多くの人が知るところであり、今後一層安直な選択か、高度なインスピレーションかの選別を図りたいと思います。 さてこれで私の返信は終わりです。survofさんとの対話として進めたつもりですが、納得し、満足していただけたでしょうか。私はこの返信において最大限の誠実さと冷静な客観性でもって臨みました。まだ不足があるなら、あるいはこれだけはステレオさんに伝えておきたいというメッセージがあるなら、この作品のコメ欄でもツイッターでも、またsurvofさんが時折遊びに来てくださる、ツイキャスにおいても呼びかけてください。それでは今日はこれにて。以上です。忌憚なきご意見、まことにありがとうございました。

survof (2019-09-14):

丁寧にご返信ありがとうございます。最後にひとつだけ、夏目漱石の引用部分ですが、ぜひ「吾輩は猫である」をできれば全体を通して読んで見てください。あの引用部分はかなりきつめのブラックジョークですよ、笑。つまりバカにしてるんです(あの本はかなり自虐入っていますのでそれがさらに面白い) ステレオさんには本当にこの本をおすすめしたいです。 最後に今回のやりとり、お付き合いいただき、こちらこそありがとうございました!

stereotype2085 (2019-09-15):

返信の順番が前後するのをご容赦ください。まずは蛾兆ボルカさんへ。 【意味と言語】 「その言葉が伝える意味と無関係に、純粋に言葉として【も】読む、という姿勢です」 この指摘は大いに今となっては感得出来るところです。「ラファエロ」においては含められた意味を想像して楽しんでもらうことを企図していましたが、純粋に言葉として読めば、表現のある種のチープさと平明さが読み手を興ざめさせ、客観性のない感情の発露と捉えられかねない作品になっていたのは自覚するところです。また冒頭数行は浮いているとのご指摘。私は音楽のイントロデュースのように食いつきの良さそうなフレーズを狙って持ってくることが時折あるのですが、この作品においてはかなりの部分失敗したようです。 【詩とレトリック】 「作品「ラファエロ」の登場人物たちや事柄は、本当に隠喩なのか、という疑問を私は感じました。作者が隠喩としているので、とりあえずは隠喩として読みますが、カフカの短編がそうであるように、意味深く、しかし読みとかれぬよう巧まれた表現として、『ある特殊な意味で、隠喩』だと私は解釈します」 私は隠喩、直喩、そして詩におけるレトリックについて恥ずかしながら、ボルカさんほどの思索をしたことはありません。しかしボルカさんから頂いた思考の材料を借りるならば、「ラファエロ」は象徴と隠喩が混然一体となったため、読み手を困惑させ、読むのに乗り切れない作品になったであろうことは想像出来ます。また「ある特殊な意味で、隠喩」と解釈していただいたことは、作品の提供者としてとても助かるところであります。隠喩。詳細に規定すれば効果的に力を発揮するが、今作のようにおぼろげに「これは隠喩です」として使ってしまうと空疎な作品になることも大いに理解できます。またこの箇所の返信において、私の解釈不足があるだろうと思われますが、その点は私の情報不足。ご容赦ください。 【『ラファエロ』の解釈と感想】 私としては「僕ら」=守るべき人々。「天使」=守る存在。「ラファエロ」=天使を生み出した存在。などと規定していますが、それが伝わらなかったのは、大部分において読み手にたいしての情報不足、親切なエスコート不足であっただろうと思っています。これも感情の書きなぐりの一面が当作においてあったためですので、ご容赦ください。第一スタンザについては先述しましたように、特殊な楽曲のイントロデュースとして機能させたつもりですが、コメントを拝見する限りやはり上手く行かなかったのでしょう。 「詩を書くひとの感情の流れのラインを整理し、そのラインを乱さないように再構築したほうが良いのでは」 全くその通りかもしれません。この詩は現実で起こったことを仄めかしながら進むという作品だったのですが、その現実についての詳細な言及、種明かしがなければ、仄めかしの連続で読者にとって読みづらい、感得しづらい、そして物足りないものになったのは大いに理解出来ます。 最後になりますが、これほどの貴重な進言を、これほどの長文にて授けてくれたことに最大級の感謝を。返信に物足りないところがあるとするならば、ひとえに私の実力不足でしょう。それでは、今後ともよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

stereotype2085 (2019-09-15):

帆場蔵人さんへ。使われる単語が大きすぎて渋滞、そして書き手が書きたいことでストップしてる印象。今となっては、まったくもってその通りだと思います。まず今作においては書きたいことがあった。それをどれだけ直截に言い表さず、書き記すかが、書き手としてのテーマだった。しかしその書きたいことに執着する余り、盲目になっていたのかもしれませんね。まったくもって心に思い当たる節のある指摘ばかりです。ラファエロと天使についての詳細な記述があれば作品がもっと活き活きと、という進言はありがたい限りです。ですが私はこの路線の詩はもう書かないでしょう(私情を過度に交えたものとして)。帆場さんのアドバイスについては、驚く形であるいはひっそりと気づかない形で私の今後の詩作に反映されるでしょう。ありがとうございました。 追記・2019年の大晦日を終わりと、新たな始まりと解釈していただいたことは嬉しい限りでした。では。

stereotype2085 (2019-09-15):

渡辺八畳さんへ。「含有量が多い語句」という指摘は大いに納得できるところです。まだ治っていませんね。笑えてしまいますが。パクチーとカツ丼を使った例え、示唆もとても役立つものでした。ありがとうございました。

stereotype2085 (2019-09-15):

stさんへ。好意的なコメントありがとうございます。2019年というのは平成の終わりでもあり、令和の始まりでもあるという意識が、潜在的に私の心にあったのは想像出来ます。それを世紀末ととらえて、振り返ってみると…という解釈は僕が狙っていた一部分をしっかりと把握していただき、嬉しく思います。2019年という年はなんだったんでしょうね。またどうなるのでしょう。僕にとってもプライベートでも色々なことが起こり、不思議な感慨を抱いています。一つの時代が終われば、オプティミスティックになること。それしかないと思っています。ありがとうございました。

stereotype2085 (2019-09-15):

黒髪さんへ。コメントありがとうございます。いつも思うのですが、黒髪さんのコメントはそれ自体が詩的で独立した読み物としても読めるような印象がしています。だから黒髪さんからコメントを貰うのはとてもありがたく、嬉しいことだとも思っています。破滅の美学。僕にはそれがあるかもしれません。隠したり、克服したはずの視点、視座の一つなのですが時折、それが見え隠れしてしまうというのは、私の根っこにあるものの一つなのでしょう。やはり。避けられない。現実の中で救われず終わっていくという感覚。これはある種のヒロイズムだとも考えているのですが、僕はこうした感覚、感受を表現することも多いかもしれません。とにかくもこの作品にここまでの感情を抱いていただけたのは喜びに堪えません。人類同胞への視点もそこまでこの作品の意図したところを汎用して感じてくださり(実際僕が狙っていた以上の感想、感情を黒髪さんは抱いてくださった)ちょっと当惑するほど嬉しく思っています。死にも、終わりにも救いがある、というのは黒髪さんとこの作品で共有出来た感覚として、今後も胸の隅にしまって大切にしていきたいと思います。ありがとうございました。

花緒 (2019-09-15):

私は、本件作品投稿全体に関して、大きな疑問があります。 本件コメント蘭が盛り上がる前より一貫して、作者はしきりに、コメント蘭及びツイッター上で、本件投稿作が、私怨の産物であること、特定の個人を投影したものであること、を述べています。 「特定の個人への私怨をベースに書いたものである」という作者のステートメントを読んだ後、本作を読めば、当然のことながら、「特定個人への私怨をベースにして書かれた本作」が批評の俎上にあがるのが自然であり、作者の私怨とは切り離されたテクストとしての、即ち作者とは別個独立したものとしての「作品」としての感受は難しくなるでしょう。 特定個人への私怨のために書かれた作品として読めば、 ・一方的にラファエロだの天使だのと書かれていて、多様な視点が織り込まれていない。特定個人への私怨に対して、「被害を受けた」とされるものを、「天使」と言い切るほどの無謬性を前提に書くのは、流石に、中二病を彷彿とさせる幼稚さを醸し出しはしないか。 ・そもそもなぜこのようなことが起こったのか、という状況への分析的視点が皆無であり、片方は天使、片方はラファエロとして、粗雑な図式が設定され、イニシャルトーク的に、愚痴を垂れ流しているとしか思えない。要するに、「私怨」というストレスを緩和させるために、気慰みとして書いただけではないのか。原因や背景を分析し、自身の反省に生かすという内省の証跡がなく、幼稚な精神の産物と感じる。 ・いい年の大人が、私怨を持つ、ということがそもそも分からない。理不尽なことや怒りを感じることは、いくらでもあるだろうが、理不尽な状況の中でも、自身や家族・仲間の利益や安全を確保できるよう上手く立ち回れるよう期待されるのが大人なのであり、他者への憤りを、「私怨」にまで高めてしまうのは、無能であり、幼稚である証左では無いか。 ・と言うような上記視点をディフェンスできる文言を、作品の中に織り込もうとしているとは思われ無いため、自身のものとは異なる「客観的」視点を想定できておらず、幼稚な精神性の産物であるように感じる。 というような批評しか私はもはや思い浮かばない。 上記批評は、作者の人格を批判する色彩を含んでしまっているかもしれない しかしながら、作者自身が、「特的個人への私怨をベースに書いた」と幾度となくアピールしている以上、「特的個人への私怨をベースに本作品を書くこと」の全体が批評の俎上に上がってしまうのは当然で、平たくいうと、「私怨だーって言いながら、ラファエロ、天使!て書くのって幼稚すぎません?中学生レベルかよwww」という意の批評が生じてしまうのは致し方がないのではないだろうか。 一体、なんのために「特定個人への私怨である」ことを幾度となく明言し、作品投稿をするのか全く意味が分からない。 なんのためにそんなことをするのか? また、本件コメント欄に寄せられた酷評に対して、作者への人格批判であると憤っておられたのを目にしたが、「率直な意見が欲しい」、「特定個人への私怨がベース」と書いて投稿しておいて、一体、どんなコメントが返ってくると想定しておられたのか、甚だ疑問である。 やや、話は逸脱するかもしれないが、先般、本件作者と運営に関する議論を行った際、直接的には目立った反論をしていなかったにもかかわらず、終わるや否や、エアリプを飛ばして、一方的に「悪人」だの、「詭弁」だのと、論拠も示さず私を批判しておられたように感じたが、全くもって言論のルールを逸脱しており、幼稚すぎる振る舞いとして軽蔑されても致し方がない。こうした事象から数週間とおかず、イニシャルトーク的に特定個人を批判する作品を投稿すれば、どう見えるかくらい考えないのだろうか。私は、私を対象とする作品と読んだのだが、そうした読みが生じるのも、「特定個人への私怨がベース」と明言しながら投稿する企図が全く不明であったからだ。 繰り返しになるが、「率直な意見が欲しい」、「特定個人への私怨がベース」と表明して、本作を投稿した真意をお伺いしたい。 すでにつけられた酷評の多くが、作者の事前の期待にそぐわないものであることはよく分かったが、では、一体、どんなリアクションを期待していたのか?

stereotype2085 (2019-09-15):

花緒さんへ。今一度確認して、再発信させていただきますが「ラファエロ」は花緒さんのことではありません。これ以上話すとプライベートも絡んでしまうので、ラファエロがどういった存在、人物からイメージ、造形されたものであるかはお答えできません。このような私怨を交えた作品を「どうにかなるかなー」レベルで投稿したのは、私のミステイクであり幼稚と批判されるのも仕方ないでしょう。繰り返しますがラファエロが花緒さんでない以上、仮定での批評にはお答えしかねます。申し訳ありません。 続いてツイッターで詭弁家、悪人とかを花緒さんへ向けてエアリプを飛ばしたとのご指摘も、あれは一般論として思い描いたものを痛切に呟いたもので、花緒さんを標的としたエアリプではないのをご了承ください。 重ね重ね私怨の謎解き、種明かしが出来ない作品を投稿し、批評の遡上に乗せたのは私のミスであり、花緒さんへいらぬ疑念を抱かせたのは私の軽挙の一つでしょう。 最後に二つの疑問にお答えしますが、一つ「率直な感想が欲しい」と思ったのは、単純にどう映ったかを知りたかっただけです。しかしそれをキャス上で催促したのは運営として相応しくない行為だったとの認識は有しております。また「特定個人の私怨がベース」の作品を投稿したのは苦しみを吐露、示したいとの平凡な欲求からきたものであり、それが稚拙だとか幼稚だとか批判されるのは今ではしっかりと認識しております。 それでは以上です。これ以上のレスポンスにはお答えかねます。その理由は上記に示した通りです。

survof (2019-09-15):

単純に疑問なのですが、ステレオさんはすでに削除されたツイートのなかでこの作品には「炎上要素がある」という趣旨のことをいっておられましたよね? 読者が「種明かしが出来ない作品」のどこに「炎上要素」があるのですか? (別の仕方で炎上したわけですが、このツイートはたしかステレオさんがみうらさんのキャスにてコメント欲しい旨表明する前のものです)

stereotype2085 (2019-09-15):

炎上要素とは、まさに私怨をこのレベルで披露したことへの言及です。ほらお前天使なのかよ、ほらお前の敵はラファエロなのかよ。幼稚だな、稚拙だな、という点です。 survofさんへ。

survof (2019-09-15):

いかなる色のカードも覚悟の上でいいますが、改めてステレオさんの返信は全体として「政治家的である」との感想を述べさせていただきます。

stereotype2085 (2019-09-15):

政治家的とは、事実を覆い隠して、はぐらかすといった印象でしょうか。 実際事実を述べたのに、覆い隠したと思われるのは残念です。 これも政治家的と言われるのでしょうか。残念です。 survofさんへ。

survof (2019-09-15):

これはメタファーですので「政治家的である」ことの意味は残念ながらここで詳細に述べることはできません。これ以上の返信にはお答えしかねますし、これ以上ここにはコメント致しません。長々と失礼しました。それでは。

stereotype2085 (2019-09-15):

素晴らしい皮肉を込めたコメが入ったのて「炎上要素」についてもう少し詳しく話しましょう。 私は私怨というキーワードがネット上の誰かを標的にしたと誤解される恐れがある、という点をも「炎上要素」としたのです。 事実私のことではないか、と花緒さんから指摘されたわけですし。 私が予想した展開の一つが現れたわけです。 そういう要素をわかっていながら、当作をどう読んでいただけるかと公にしたのを、今ではとても後悔しています。省みることも多々です。 以後このような軽はずみな投稿は控えるでしょう。 以上で少しは謎解きが出来たしょうか。 survofさんへ。

み う ら (2019-09-15):

ステレオさん以外の運営者の方々 これ以上コメントが続きますと、本作品スレッドが「荒れる」と懸念しますが、審議を要求します。 先のふじりゅうさんからの当スレッドにおける勧告を考慮しての要求です。 どこまでの内容のコメントであればガイドライン内なのかお示しいただけますと助かります。

ふじりゅう (2019-09-15):

皆様、こんにちは。運営の藤井です。 本件、まず謝意を申し上げたいのは、私の前回の忠告は「白熱するのは全然OKだが、ガイドラインの引用文面に引っ掛かっていると推察できるから気をつけてね」とする意図でありました、が、議論をやめろ、口調が悪いぞ、と述べるような文面となってしまい、折角皆様が思い思いの合評を繰り広げられている中水をさすような行為となってしまったのは痛恨の極みです。大変申し訳ございませんでした。 さて、こちらのスレッドですが、荒れる、と表現するのはいかがかな、と私見を述べさせて頂きます。私は前回の文面当時は存じ上げなかったのですが、当作品の作者は本サイトとは全く別のアプリ「ツイキャス」におきまして、作者が「忌憚なき意見」を求められたと情報が入っております。そして、本作はどうやら作者自身が「私怨」を描写した作品であると述べたとされており、それを作者は否定していないことから、事実であると認識しました。 まず、こちらに寄せられたコメントは上記の情報から考慮するに、悪質な荒らしであると断定することはとてもじゃないができません。むしろ、皆様が真摯に本作に向き合って頂けたと感じる所でございます。そのことに関しては非常にありがたく、うれしく思っております。 そして、これもまた私見ではあるのですが、「忌憚なき意見」を求めておいて、いざ忌憚なき批判意見が散乱するとコメントフォームを閉じるというのはよろしくないかな、と考えておりますし、こちらに寄せられた非常に素晴らしいコメント群を否定することになりかねません。よって、コメントフォームは私としては、閉じない方がいいかな、と考えております。 そして。 例えばツイキャスにおいて、「ガイドライン違反してもいいからどんどん罵倒してくれ」と発言した場合、そして実際にそのようなコメントが多数寄せられた場合、部外者でありその事実を全く存じ上げない運営からすれば「マナー違反」としても何の問題もないわけですし、その意味ではツイキャス(など別媒体の発言、行動)における発言を運営としての判断に反映させるのは、あまりよろしくないのかもしれません。 ただ、そこまで厳格に「他所での発言を本サイトに反映することを厳格に禁止し、どのような事情、あらゆる状況下であっってもガイドラインがすべてだ、やりあいたいなら外でやれ」とするのは、本質を見失っている気もします。あくまでマナーを守るということがそれこそ「円滑なコミュニケーションの実現による詩作の向上」「コメントフォームという媒体におけるコミュニケーションに、ただの不毛な罵倒合戦ではなく他者に伝達しうる有意義な情報交換をしようぜというフックをかける」ことに目的があるとすれば、前述の制限は「荒れない」ことだけを目標としていて、目的となる本質が置き去りになっている気もします。 よって、マナーということがどういう事かを突き詰めれば「他者に伝わるか」「ただの不毛な罵倒合戦になっていないか」というところにあり、お互いの合意の上でのこちらでのやり取りを制限するのは表現をする場という貴重なチャンスを失っているとも考えることができます。 で。 私がしてほしかったのは一点。そのことを運営にもしくはコメントフォームでだれかが伝えておいて頂ければな、と真に思います。私は完全に勘違いをしておりましたし、これはまずいんじゃないか、と考えたのは件の発言などを知らなかったことに寄ると思います。 ガイドライン関連に関して細かく書きたいのですが、それを記述し多数の方からコメントが寄せられることを考慮するとフォーラムに場所を移した方がよいのではないかと思い至るところです。よって、続きはフォーラムにて記述したいと考えるところであります。 以下に要点を載せます。 1.コメントフォームは閉鎖しない。 2.議論が白熱したことに感謝している。 3.私の忠告文面の言い方に対する謝意。 長文失礼いたしました。

み う ら (2019-09-15):

ふじりゅうさん わかりました。私からはこれ以上特に申し上げることはありません。ご対応ありがとうございました。

survof (2019-09-15):

stereotype2085さん 今回の謎は解くのにとても時間がかかりました。が、私のなかでは解けました。以下に私の推理を書きます。 ミステリーもののフィクションとしてお楽しみください。形式としてはクリエイティブ・ライティングの形式を取らせていただきます。 ■まず「炎上要素」について >炎上要素とは、まさに私怨をこのレベルで披露したことへの言及です。ほらお前天使なのかよ、ほらお前の敵はラファエロなのかよ。幼稚だな、稚拙だな、という点です。 しかし、私とのやりとりにおいてstereotype2085さんは「表面的にスケールの大きな詩を書こうとして宇宙や天使が使用されているのではない」とはっきりと言明されました。つまり私へのこの反論の時点でのstereotype2085さんの主張はこれらの「メタファー」が「表面的ではない」ということです。 ところが、この「炎上要素」でのstereotype2085さんの発言からは、みうらさんに作品に対するコメントを求める前の段階で、すでにstereotype2085さんがこれらの「メタファー」の「幼稚さ」を自覚していたことになります。 このことから導き出される「事実」は可能性として ・stereotype2085さんは本当に作品作成当初に「作品の幼稚さ」に自覚的であり、私への反論の際にはその自覚とは反対のことを論じた ・あるいは、その逆に当初は「表面的なものではない」と「作品の幼稚さ」を自覚していなかったものの、コメントのやりとりを通してそれを少なくとも表面上は認めざるを得ない形となった(もしくは本気で認められた)が、どういうわけか「炎上要素」について突っ込まれた時に「作品の幼稚さ」に言及した もし一つ目が真実であるなら、私とのコメントのやりとりは茶番だった、ということになりもし二つ目が真実であるなら「炎上要素」についてstereotype2085さんは何かしらごまかさなければならないことがあった、ということになります。 stereotype2085さんが誠意を持って対応してくださったことを信じているので私とのやりとりが茶番だったとは思いません。 となると「炎上要素」についてstereotype2085さんは何かしらごまかさなければならないことがあった。これが真実です。 ■さて次に「政治家的である」ことについて 私が「政治家的である」ことについて言及した際、私は上記の「炎上要素」についてのやりとりの流れでそのような発言をしました。 作品の「炎上要素」についてのstereotype2085さんの返答にたいする私の返答としてです。 ですから、私はその際「事実を覆い隠して、はぐらかす」類のことについては一切触れていなかったわけです。 しかし私の >改めてステレオさんの返信は全体として「政治家的である」との感想を述べさせていただきます。 に対する返信 >政治家的とは、事実を覆い隠して、はぐらかすといった印象でしょうか。 >実際事実を述べたのに、覆い隠したと思われるのは残念です。 のなかで、stereotype2085さんはなぜまず事実の隠蔽に言及したのでしょうか? 可能性がいくつかあります ・私が「ステレオさんの返信全体」を対象にして述べていたので、それを早合点して、直前の花緒さんとのやりとりでのstereotype2085さんの返信に対する言及ととらえられた(私がコメントしたタイミングもその早合点を促進した) ・実際に事実を隠蔽していたのでそのことを後ろめたく思った さて、私は「政治的発言」といった際、まさしくstereotype2085さんの返信すべてに対してその表現を使いました。なのになぜいきなり事実の隠蔽に話がでてきたか。 まず「炎上要素」についての推理で「炎上要素」についてstereotype2085さんは何かしらごまかさなければならないことがあった、ことが私の推理(笑)によって判明しています。 そのことを踏まえると2番目のオプションである、実際に事実を隠蔽していたのでそのことを後ろめたく思った、可能性がより信憑性が高いものとして浮上してくるように思われるのです ■ラファエロだ誰か? これもstereotype2085さん自身のコメントから推理することしましょう。 >私は私怨というキーワードがネット上の誰かを標的にしたと誤解される恐れがある、という点をも「炎上要素」としたのです。 さて、なぜこれが「炎上要素」になりえるのでしょうか?それは読者の中にラファエロにかぶさって読める人物がいたから、ではないでしょうか? もしラファエロが誰にも被らないならそもそも炎上のしようがないからです。 さて、本作品をきちんと読むとわかることですがビーレビユーザー(つまり反応して炎上する可能性のある人たち)の中にラファエロがかぶる可能性のある人物は本当に限られた数しかいません。花緒さんもその一人ですが、そのほかにいるとしても本当に限られた人数でしょう。少なくとも私ではない。しかも権威として象徴される存在。現運営の方々、旧運営の方々。そのうち今の作品を読む可能性のある人物。しかも「私怨」の対象になりうる人物。 前述の結論である、stereotype2085さんが事実を隠蔽していた、ということが真実であるならば、話の流れからいって「花緒さんを対象にして書いたものではない」ことを隠蔽した、というのが真実であるということになります。 そして花緒さんを念頭に読むと確かにぴったりと当てはまる。 つまり、コメントの一連の流れのなかでstereotype2085さんはラファエロが実は花緒さんであることを間接的に証明してしまったのです。 ラファエロはやはり花緒さんなのではないでしょうか? ■結論 上述の私の推理(笑)にはいくつかの論理的弱点があります。ですからこれは「推理(笑)」なのであって、あくまで可能性としての結論です。 さて、私はstereotype2085さんをどこまで信用すべきでしょうか? stereotype2085さんの発言を、作品をどこまで信用すべきでしょうか? 私はstereotype2085さんが私の作品に対するコメントに対しては非常に辛抱しながら丁寧に、かつ誠実さの限りを尽くして対応してくださったことを確信しています。 しかし、この作品は「私怨」がテーマであると公言されています。少なくとも花緒さんはラファエロはこれは自分のことではないかと勘ぐった。そして第三者の私からしてもそう考えるだけの十分の証拠が私の推理(笑)によって得られた。 では本当に花緒さんでないならば、「私怨」がテーマです。stereotype2085さんは少なくとも花緒さんとのさらなるやりとりを拒否するような対応をすべきではなかったと思います。「私怨」の当事者だと思ってしまった読者に対しては最大限誠実に対応すべきではないでしょうか? それこそ私の作品に対する批判などは極論をいえば、こいつわかってねーな、と軽くあしらっても何も問題はないでしょう。しかし私怨を向けられたと感じた当人に対しては本当に誠意を尽くすべきである。とくに「作品のテーマが私怨である」と公言している以上ななおさらです。 これが私の意見です。 以上、最後までおつきあいいただきありがとうございました。

stereotype2085 (4 時間前):

survofさんへ。とても面白味のある、かつ長大な推理をまずありがとうございます。私の作品にここまでこだわってくれたことに感謝します。結論から言うと、やはりラファエロは花緒さんではないのです。申し訳ない。ここまで懇切丁寧に推理を重ねていただいたのに淡泊な返答になってしまって。今作を作っていた時の私の一連の心の流れを詳細に説明します。まず冒頭の「軌道を外れた惑星」は私の人生自体が軌道から外れていたとの印象から私自身のことに近いなと感じていました。そして天使、僕らと言ったフレーズは私にとって心地の良い響きを持つものをそれこそ感覚的に配置していきました。僕ら=守られるべき純粋な人々。天使=彼らを守るべき奉仕的な存在、として描いていきました。その中で天使というフレーズからの連想でラファエロという画家が登場したのですが、初めは形骸化した権威などの意味合いは持たせていませんでした。しかし書き進めていく内に、これは天使や僕らと対立構図を持たせた方が良さそうだとの制作意図が芽生えました。そこで初めて形骸化した権威という意味を後付けとして設けたのです。そしてここに正直に言います。書いている途中、熱がこもっていく内にラファエロが花緒さんではないかと誤解される恐れがあるなと思い始めたのも事実です。ですから私はツイッターで「炎上要素がある」と呟いたのはそのことなのです。花緒さんが(この言葉を花緒さんに使うのは失礼なのでなるべく避けたいのですが)誤解もしくは勘ぐる可能性がある、少し良くない作品だなと感じていたがゆえの呟きだったのです。花緒さんは舌鋒鋭くロジカルに、しかしある一定の方向に結論を導いていくのが技術的にとても素晴らしい方です。実際キャスでお話させていただいた際、私はあらゆる選択肢を封じられ、花緒さんの求める結論へ導かれる感覚を感じていました。ですからこのラファエロ=花緒さん説も花緒さんの痛切な論旨(実際彼は幼稚な精神性ということに四点の批評ですべて言及されています)で私が一定の結論に導かれる恐れがあった。ですから今となっては本当に失礼だったかもと思うのですが、あのような形でこれ以上のレスポンスにはお付き合いしかねます、と述べさせていただいたのです。ここに私に一定の非があったのは認めるところです。ラファエロ=花緒さん説はとても面白いものです。ここまでsurvofさんを夢中にさせたのもそのような要因によるところが大きいでしょう。そして私も実際その説が浮上することを半ば自覚的に知っていた。ですがやはりラファエロは花緒さんではない。今では花緒さんと誤解される恐れがある作品だと自覚していながら、投稿したのは本当に失敗であり、よくないことだったと大きく省みています。ここに花緒さんにも誤解させ、不快にさせてしまったであろうことに謝意を表したいと思います。これでも不十分であると仰るならラファエロが誰をモチーフにして描いたかということに言及しなければならないでしょう。根幹にあるのは私の学生時代の教師です。それにこれまで私が見聞きした権威的な人物(メディアを通して知ったり、その後の社会生活で出会った人なり)を複合的に重ねていった。その中で今現在における花緒さんと私との関係性において、花緒さんを彷彿とさせかねない描写も無意識的にてじょうが書いていた。それが事実です。以上で回答になっているでしょうか。survofさんの推理はラファエロ=花緒さん説を追求するのに最高峰の出来栄えと思っています。それに私も誠実に応えた。これ以上ラファエロ=花緒さん説について私に語るべきことはないように思います。なおこの作品が権威とその権威に打ちのめされる人々を描いた作品として、非常にテンプレートな作品になってしまったのは、今としては多くの優れた物書きさんから指摘され認めるところです。それではこれにて失礼させていただきます。

み う ら (3 時間前):

ステレオさんのこの返信、読んでよかったです。おやすみなさい。これへの返信は不要です。

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