作品投稿掲示板 - B-REVIEW
お知らせ

球壜燈、単性磁極に拠る分節《わたしのピラマティスティーテ》   

作成日時 2019-08-01
コメント日時 2019-08-20

  堰堤の素地を縫う夭き母より  父性、愛尽きる迄わが児を啜り喰らう  叱責と遊園   夜毎に   昼毎に 濁る地球像の端整、  斥動起源の魔術剖検に死蝶手簡を   壊乱-少女ユディト      嬉々と抜剣そを振り下ろし   娶らざれば雌雄単性なる哀しみ 況してや髭蓄つつ 勇敢を誇れるをとこ   月籠に     花鉢に  恩寵の断首  銀杏、殻朽ちる迄結実を隧葬に臥やし   群衆壕花累々と自が屍を踏む 死の市街  架線は丹褐色の傷跡     血潮『績貌学』   或は    老朽‐楕円邸が落花燃ゆる経緯を  悉く威を縋り     綺羅を誇る、戦禍――わが血動を選べ、血脈優生的な、系統樹より――、  群畜のため躊躇うを    自由      死して璽後より驕る  円盤‐アポロンが   完膚 そを  機械天文時計に隔て       關さえ、も       人為たる     日蝕現象『地球箇葯』へ   緋繊翼果を


項目全期間(2019/11/18現在)投稿後10日間
叙情性50
前衛性00
可読性10
エンタメ00
技巧40
音韻00
構成00
総合ポイント100
 平均値  中央値 
叙情性55
前衛性00
可読性11
 エンタメ00
技巧44
音韻00
構成00
総合1010
閲覧指数:975.6
2019/11/18 08時52分06秒現在
※ポイントを入れるにはログインが必要です
※自作品にはポイントを入れられません。


コメント数(6)
yamabito (2019-08-10):

歴史にまつわる話なのでしょうか。 難しいですね。というか、とっかかりがないので、まったくなにかを想像できない私がおります。 文学極道ではこういった作品は評価の対象になり得るかもしれませんが、こちらでははたして読める方がおられるのかどうか?私のようなボンクラはどうあがいても無理なようです。 だったらレスするなよ!ってところでしょうけれど、レスがつかないのは掲示板なのですからおかしいと思うのです。

るるりら (2019-08-10):

 おはようございます。まず、題名を目にしたときに、宮沢賢治が書いたもののなかで生前に唯一刊行され、現在でこそ多くの人に読まれている詩「春の修羅」の詩文「「わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明」 を本作の題名である「球壜燈、単性磁極に拠る分節《わたしのピラマティスティーテ》 」で思い出しました。 詩友とともに、「春と修羅」について 学びの場を持った経験があるからなのですが、賢治の作品が評価されたのは 亡くなってかなりの時間が経過してからであり、私達が学ばさせていただいて ああだこうだと勝手な解釈をする時間は とても有意義で楽しい時間だったものの……。ですが、もし 賢治が今の時代を生きており詩の投稿サイトに投稿して「春と修羅」クラスの難解な詩を私はリアルに閲覧したら、私は 故人である宮沢賢治と同じ様に ああだこうだと好き勝手な解釈を言えるだろうかなあと 思いました。それで、感想が書けない時間が過ぎてました。素敵だなあ。と、言ってもいいのかなあ~。と、詩を眺めておりました。(眺めるというのは、読むに至らないという意味です風景を観るのと変わらない心境という意味です。) けれど、掲示板なのだから コメントがつかないのはおかしいという、ごもっともなコメントを読んで、勇気を出して 私も書いてみようと思い立ちました。正直、ロールハッシャテストのようなことしか言えないと思われます。この詩が意味することは まるでわかってないなりに書くと、コメントした者の姿を表現することになりそうです。だから、最初に謝罪しておきます。自分(るるりら)のただの感想しか語れないことになることに間違いなさそうです。ぜったい、わかってないです。 ****************************************** 堰堤の素地を縫う夭き母より※堰むの素地を若い母親よりも 父性、愛尽きる迄わが児を啜り喰らう   子どもへの虐待が書かれているような気がしました。しかし、   鬼子母神のイメージも持ちました。若いころは、子供を食らう神を連想しました。   愛が尽きて狂気となり子をすすると書かれているのですが、この詩句は   冒頭に書かれた詩句なので、鬼子母神のように後で 慈愛が表出してくるのだろうと   推測したわけです。      しかし、この詩句のあとででてくるのは、なかなかの修羅でした。   ユディトが嬉々と抜剣そを振り下ろしてます。幼稚な母にそそのかされた少女が   首をかっきっているのでしょうか?でも位の高い少女の行った惨殺ならば、   群衆は静かに花をたむけて屍を踏み続けるしかないのでしょうか?   街は死の匂いがたちこめて、権力者は 絢爛豪華に美しく着飾るのかもしれません。   そして、自由。アポロンは 英雄のイメージ。   精緻な仕組みを整えることができれば、人々には太陽のしたのような明るさを   不吉な日蝕現象を冷静に 判断し、生きぬく知恵の縦糸と横糸を整えるがごとく   生き方が きっとある。 と、この詩は 語りかけてきました。それで、漠然と なんどとはなく 本作品を眺めていたのです。 いいなあと思う楽しい時間でした。ありがとうございます。   

るるりら (2019-08-10):

引用箇所にコピー間違いがおきました。失礼しました。

鷹枕可 (2019-08-11):

yamabito様へ。 辺境迄、ようこそおいでくださりました。 訳の分からぬシロモノにレスを賜りました、あなたの優しさに心より、感謝を致します。 私は文学極道でも落目なものでございますから、どうぞレスに於きましても遠慮などをなさらないでくださいますことを、切に願い已みません。 るるりら様へ。 斯様に無価値な代物にレスを賜り、尚且つ読解まで記述をしていただきまして、允、幸甚の至りでございます。 返礼と致しまして、自註、読解を致しましたものを下記に記させて頂きます。 しかし、作品を如何受けとめ、読解をして頂くか、は言うまでも無く、読者様の自由でございます。 下記は飽く迄、自作の一読者たる私の、読解の一例に過ぎません。それを念頭に置かれまして、閲覧して頂けましたならば幸いでございます。 __ 「夭き」母性‐「夭」は若死の象意、つまり既にして死せる母の意。 父性(クロノス・ゼウス)‐支配、征服欲の象徴としての子殺し、或はカニバリズムを継承する者としての男系、血脈。 幼時の虐待を「叱責と遊園」から「地球像の端整」が「濁る」ことに拠り暗示し、 「斥動」は斥力つまり斥ける力の意、斯くして成長をした「少女ユディト」は高らかに宣言する、魔術的解剖のこころみに蝶の死体に書かれた手簡を、と。 「娶らざれば~恩寵の断首」迄は殺害に拠り隠蔽されたホロフェルネスの説明‐描写、 結句、銀杏の実はその堅い殻を腐敗するまで埋葬ならず「隧」葬に費やし(「隧は墓孔、或は墓孔までの道の意) その隧の上を歩く群衆、壕に累々と降り積もる花は、結果として自らの屍(喩えて腐敗した銀杏の実)を踏んでいる、といった、処でございましょうか。 やや、力尽きましたので、以下、断片的な説明を。 「死の市街」は毒瓦斯に拠り無人となった市街、等を想像し、 『積貌学』は造語、ナチスドイツ時代の頭蓋‐観相学的人格特徴統計実験などを思い浮べつつしたためさせていただきました。 「楕円邸」は旧前衛建築をイメージ、 「綺羅を誇る~アポロンが完膚」迄は少々、説明致しますのが厄介なのでございますが、 背景には字義の通り、ナチスの優生学的思想を展開しつつ、 その象徴としてのアポロン、そしてヒュアキントス(土着神話の奔放象徴、つまり「自由」)の死の理由を劣性遺伝の結果として驕る(円盤はその神話に由来し)、 酷薄にして冷淡な寵児、そして新たな支配者としてのアポロン、と言う印象を以て、したためさせて頂きました。 「機械天文時計」はアンティキティラ島の歯車より着想を得、「關」はかんぬきの別字、 「人為」つまり人工の、「日蝕」の只中の「地球」を花の部位の名称「葯」に見立てさせて頂きました。 最終行、「翼果」は楓や冬楡の種子の呼称なのでございますが、 それが緋色の繊毛を纏った種でございましたなら、尚更麗しいのではないか、と想像をした産物、つまり造語でございます。 __ 以上、 雑把に説明をさせて頂きましたが、自身でも説明に甚だしく苦慮を憶え、 且つ説明不十分である様な創物を理解し得る御方がいらっしゃるとは、露程にも思えませんので。 次作はなるべく可読性の高いモノを投稿させていただきたく存じ上げる次第でございます。 若し、宜しければ。

ふじりゅう (2019-08-18):

筆者が述べている通り大変難解で、私のような無学にとっては、本作を理解するのは油を塗りたくったのぼりぼうを毛糸の手袋で昇るに等しい、つまり極めて困難なような気がします。 ただ、なんだろう、るるりらさんの仰る「春の修羅」のような、見るだけで圧倒されるなにかが詩句に存在するような気が致しました。ただ難しい漢字を羅列しただけでは絶対に得られない、詩文に広がる圧倒されるような、おどろおどろしいような何か。それは何だろうか自分はわかり得ようもなさそうですが、非常に記憶に焼き付く作品であり、他の皆様の感想も読んでみたい心境です。

鷹枕可 (2019-08-20):

ふじりゅう様へ。お返事の程、遅くなりまして允に申訳ございません。 ご称讃を賜りまして、心より嬉しく存じます。 身勝手な論ではございますが。 詩とは、理解は出来なくとも善いものなのではないでしょうか。 私自身、自己の詩擬きを理解出来得ているか、と問われれば口を濁す外には無いようにも思われます。 理性の条理とは論理を学とするものならば、 詩とは感情の条理とでも呼ぶべき某かを命題とする物であるのでは、等と仮想を膨らませているのでございます。

投稿作品数: 3