「世界の起源」は本当に網膜的だったか? - B-REVIEW
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たそがれに たれかある さくらのかおりがする

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カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

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きょこち(久遠恭子)

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海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

アオゾラの約束

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きょこち(久遠恭子)

紫の香り

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きょこち(久遠恭子)

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居場所をありがとう。

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きょこち(久遠恭子)

カッパは黄色いのだから

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きょこち(久遠恭子)

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ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

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「世界の起源」は本当に網膜的だったか?    

この世界を見下ろす目 燦々と照らす太陽は網膜に光を取り込む眼とは逆のプロセスで この世界を照らす光 太陽を見つめ網膜を焼いた後 本当の「世界の起源」が見える 光を失った瞳に本物の光が宿る 鼓膜を失った耳に本当の音が 声を失った喉から本物の声が聞こえる 言葉を失った詩に本当の言葉が… かくして戦争を失った世界に本物の戦争が幕をあける


「世界の起源」は本当に網膜的だったか? ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 5
P V 数 : 1552.3
お気に入り数: 0
投票数   : 0
ポイント数 : 0

作成日時 2019-11-13
コメント日時 2019-11-15
#テキスト
項目全期間(2024/03/29現在)投稿後10日間
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2024/03/29 04時40分03秒現在
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    作品に書かれた推薦文

「世界の起源」は本当に網膜的だったか? コメントセクション

コメント数(5)
/舜舜
/舜舜
(2019-11-14)

歌わないことが一番いいんだ、 そう、最近死んだフォーク歌手が歌ってたな。 あくまで、太陽が目であるという前提を飲み込まないと読めない作品であるが、その言葉だけではどうしてもそうとは思いきれなかった。

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あさぬま
(2019-11-14)

/舜舜さんコメントありがとうございます 太陽=目という説得力にかけるということでしょうか?

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/舜舜
/舜舜
(2019-11-14)

あさぬまさん あくまで、たまたま俺の中に、太陽=目のイメージが無かったため、作品世界に入りにくかったということです。

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るる
(2019-11-15)

主観での感想となりますが、禅問答のような詩作品であると思いました。 無の境地を得たときに 初めて開眼するというような 禅的なものを書いておられるように思いました。 私事となりますが、家族に全盲への道を進んでいる者がいます。その者は耳も不自由なのですが。 光を失った瞳に本物の光が宿ると良いなあ。耳が聞こえなくなることで 本当の音が聞こえると 良いなあとも思いました。 全体的に、禅の思想を感じました。禅には「無」に向かう姿勢があるからです。ですが、最後の行だけは 禅とは 全く 違う思想ですね。 最後の行のせいで、 私の場合は 本作品は、私には受け入れられない作品だと感じました。 最後の行を読んだとたんに、世界の起源というような大きな示唆が なにがどうして 網膜であるのかなんて 私には 考える必要が無いと思えてしまいました。けれど、作者は読者に 世界の起源がなぜ網膜なのか考えてほしかったのではないでしょうか? 失礼ながら 凄い言葉をならべて ご自分で酔いしれておられるだけなのではという気までしてしまいました。 つい正直に つらつら書かせていただきましたが、失礼のほど どうぞ おゆるしくださいませ

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あさぬま
(2019-11-15)

るるりらさんコメントありがとうございます。 クールベという画家の作品に『世界の起源』という絵があります。 デュシャンという現代アーティストが「クールベ以降の絵画は網膜的になった」と言って批判し、有名な『泉』という作品を作りました。 作ったと言っても、既製品のトイレにサインをしただけなので正確には作ったとは言えないかもしれません。これは中島敦の『名人伝』に出てくる不射之射みたいなもので、「もっとも芸術的な作品は作らない事だ」となり、現代アート界で大絶賛されます。詳しくはこのサイトを見て頂けると分かると思います。https://www.artpedia.asia/marcel-duchamp/ 要するにデュシャンは無芸術を志し、禅の思想を現代アートに持ち込んだ人物と言えるかもしれません。 つまりこの詩の題名はデュシャンに対する疑問なのです。「世界の起源」という作品は検索して頂けるとわかると思いますが、題名と実際の絵画のモチーフの関係に面白さがあるのです。果たして「世界の起源」は網膜的な絵画でしょうか?そしてそれはそのまま禅の思想に対する疑問でもあります。 禅の思想は確かに素晴らしい。しかし「無」の肯定は「有」の否定に繋がってしまうのではないかという疑問も僕にはあるのです。 つまりこの詩の6〜8行目で禅の思想を書き、9行目で既に禅の思想とは僕が決別している事がわかると思います。もし言葉のない詩に本当の言葉が宿ると僕が思っているのならばそもそもこの詩が存在するのはおかしいからです。 そしてるるりらさんが受け入れられないと思った最終行の「かくして、」というのは「Aを失ったBに本物のAが宿るという論理の当然の帰結として、」という意味です。つまり禅の思想を適用する範囲においては救いにもなるし、残酷な主張にもなりうるという事が最終行で僕が言いたかった事です。 作品の解説を作者がするのはずるいと言われればそれまでですが、凄い言葉を並べて自分で酔いしれているだけと言われてつい書いてしまいました。お許しください。

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