麗日 - B-REVIEW
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エセ詩人

いでよ、エセ詩人!

コトダマ とはよく言ったものだ。 ハキダセ と 男は言う。 おまえは誰だ? わたしは何者だ?   

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大概のことは呆気なくドラマティックではない。そうした現実の丁寧な模写が作品に厚みを増している。

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カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

最高です^ ^ありがとうございます!

この詩は心に響きました。とても美しく清らかな作品ですね。素晴らしいと思いました。心から感謝申し上げます。これからも良い詩を書いて下さい。私も良い詩が書ける様に頑張りたいと思います。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

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海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

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少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

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きょこち(久遠恭子)

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だれのせいですか

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ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

二酸化窒素

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麗日    

空の歌はきこえず さくら花しづかなり ひとときの翳り 野ばらの苦い永遠 約束よ―― 時折みじかい愛が囁かれ 美しい童子が立ちぎきをする 空の歌はきこえず 午後の風のさやかに揺する 春草はなつかしむ なごやかな四月 ヒバリの夢は稚い 銀の食器をささげて 新緑の服の少女は通る その目もとの涼しさ 千のあどけないまなざしよ…… 樹陰のほのかなあかるみ 温かい土のに 巡礼の様に釣人はねむる 空の歌はきこえず うららかな野辺の小川をながれる 白い手紙 晒した砂の様な かなしみよ ふと午後の風はあざやぎ 僕は立ち止る ひろびろと夕焼ける空の果てに トロンボオンを吹いてゐる 愁ひ顔の牧神に つめたい酒を贈らう 空の歌はきこえず さくら花閑かなり



麗日 ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 19
P V 数 : 3085.0
お気に入り数: 4
投票数   : 0
ポイント数 : 48

作成日時 2020-03-16
コメント日時 2020-03-29
#現代詩 #縦書き
項目全期間(2024/03/29現在)投稿後10日間
叙情性1312
前衛性00
可読性32
エンタメ00
技巧1110
音韻109
構成1111
総合ポイント4844
 平均値  中央値 
叙情性3.31
前衛性00
可読性0.81
 エンタメ00
技巧2.80.5
音韻2.51
構成2.80.5
総合123.5
閲覧指数:3085.0
2024/03/29 13時56分21秒現在
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    作品に書かれた推薦文

麗日 コメントセクション

コメント数(19)
福まる
福まる
作品へ
(2020-03-16)

空の歌は聞こえずという導入で最後は聞こえるんじゃないかと思いましたが勘違いでした私は空の歌は雨だと思っています

1
ほば
作品へ
(2020-03-16)

詩を読むのは行きては戻る事だなぁ、とつくづく思いました。ちょうどうちのベランダから見える桜の木が外灯に照らされているのですがまさに、さくら花閑かなり、という風情でした。詩の中は夜ではないのでしょうけれど。後、メリーベルと銀のばら、のエピソードを読み返したばかりなのにまた読みたくなりました。詩の話しから外れて自分のことばかり書いてしまった。失礼しました。

1
石村利勝
福まるさんへ
(2020-03-17)

福まる様、御高覧有難うございます。 この作品には雨は降らせられませんでした。空の歌は何なのか、答えは読み手の数だけあるかもしれません。空の歌がないかわりにトロンボオンをきいてもらうことにしました。

0
石村利勝
ほばさんへ
(2020-03-17)

帆場のダンナ、コメあざす。夜の桜だとコワすぎるので使えませんでした。そういやポーの一族ずいぶん読んでないな私。久しぶりに読んでみますわ。

0
トビラ
作品へ
(2020-03-17)

空の歌が聞こえない? じゃあ、部屋から出ようよ。 大丈夫。 散歩くらいしたって。 見上げてご覧よ、空に果てはないよ。 今日は、石村さんにもお願いがあって来ました。 どうか石村さんの人生で培った経験を、ここで分かちあっていただけませんか。 それは石村さんにとってもみんなにとっても、いいことになると思います。 方法は全て石村さんにお願いします。 どうか石村さんの豊かな経験を、みんなと分かちあっていただけないでしょうか。

1
石村利勝
トビラさんへ
(2020-03-18)

トビラさん、ご高覧有難うございます。中年には運動が必須なので毎日外を散歩しております。 さして豊かでもない私なんぞの経験が何の足しになるかわかりませんが、コメントやら批評文やらを通じて、皆さんにお伝えしたいことは伝えてゆく積りであります。あまり期待せず見守っていてくださいまし。

0
るる
作品へ
(2020-03-20)

なぜか、童謡【おぼろ月夜】(冒頭は「菜の花畠に入日薄れ……」)を 思い出しました。それは、この作品には 風景描写が ふんだんにあるからからしれません。千のあどけないまなざしは(美しい童子、新緑の服の少女は) 田中の小道を巡る人(by童謡【おぼろ月夜】)みたいに行き来しているので、私は 【おぼろ月夜】を連想したのかもしれません。 この作品の中では 僕だけが立ち止まり、かなしみを見ている。そして、僕と同様に 愁いのある牧神(架空の親友)にお酒を贈っている。 わたしの場合は、この麗日に童謡【おぼろ月夜】を贈ります。風景に溶け込み一体となるかのような感情に酔いました。

1
石村利勝
るるさんへ
(2020-03-20)

るる姐さん、【おぼろ月夜】頂きました。ありがとうございまるる。 うん、あのメロディーがたしかに合いますね。今ずっと頭のなかでループしてます。トロンボオンで吹いて貰ったらさらに佳し。

抒情:0 前衛:0 可読:0 エンタメ:0 技巧:0 音韻:0 構成:0  
1
トビラ
石村利勝さんへ
(2020-03-20)

ありがとうございます。 よろしくお願いいたしますね。

0
獣偏
作品へ
(2020-03-21)

来世は美しい童子になってパブリックスクールの図書室でこの詩を読みたいと思いました。

1
石村利勝
獣偏さんへ
(2020-03-22)

獣偏さま、ご高覧有難うございます。 パブリックスクールですかぁ。 じゃあ、私は11月のギムナジウムの図書室で、美しい童子にウェレー訳の源氏物語でも朗読させようかなどと思いました。

0
藤 一紀
作品へ
(2020-03-24)

こんにちは。何日も眺めているのですが、美しすぎて、何を書いていいんだかわかりません(実は何度かチャレンジはしてみた笑)。しかし、やっぱり何かしらコメント欄に残しておきたいので頑張ってみますね。 まず《空の歌はきこえず/さくら花閑かなり》について。この冒頭からつかまれました。「空の歌」というのはほとんどの読み手に、なんとなく感覚的にはわかると思うんですね。たとえば村上春樹の『風の歌を聴け』の「風の歌」とか、風ではないけれども「木々のざわめき」とか「波のつぶやき」のように自然物が歌ったり語ったりしているかのような表現は珍しくないので。だから、人によってはさらっと読めると思います。ところがそこがにくいところで、「きこえず」と否定することによって、「空の歌」があること、語り手には「空の歌」が(もしかしたら当たり前のことのように)聞こえることを語っています。だから語り手の世界においては「空の歌」はきこえる。それがいまはきこえないのです。読み手である私は「きこえず」によって、作中の「空」に「歌」(音・音楽)があるのを感じる。または「きこえず」によって「空」に「歌」(音・音楽)が生まれるのを見る。ああ、空には歌があるんだな、と。ところがそれがきこえなくなる。「きこえず」でパッと消えてなくなる。聞こえていたはずの音が聞こえない。この深閑とした静けさ、果てしない寂寥感のようなものが拡がるのを感じます。それと「さくら花」の「閑かなり」が重なってくる。さくらが満開になった時の花の色の、外部に溢れだす華やかさ、視覚的でありながら同時にこれも「歌」(音・音楽)です。しかし、「閑かなり」と打ち消される。「さくら花」が目に浮かんだかと思えば、消えてしまう。「僕」の寂寥感たるやいかほどかと感じ入らざるをえません。  技法としては目新しいものはなく、むしろいまとなっては技法とすら意識されないほど伝統的な、否定のレトリックです。島崎藤村の『千曲川旅情の歌』にも現れます。《緑なす繁縷は萌えず/籍くによしなし》など(「繁縷」の字がちがう汗)。ですから、技法としてはこういうことが挙げられるのだけれども、そういうことじゃなくて、たった短い二行で(語り手の)世界が、視覚的にも聴覚的にも、心情としても、明暗の対比を明確にしつつ、鮮やかに提示しているところに芸術性を感じます。この鮮やかさのために漢文的な語り口や「ず」、「なり」といった断定的文語表現がひと役も二役も買っていることは明らかで、言えばこれが口語であった場合、ここまで鮮明な像を立ち上げることがどこまでできるだろうかということです。  さて、どこをとっても切り離せないくらい美しいのですが、《新緑の服の少女は通る》からの三行も、私にはいままさに〈春〉が通るのを見るような心地がして言葉を飲みます。  あー、ダメだ。まだまだ時間がかかりそうです泣。というわけで、尻尾を巻いて退散しますが、文語表現を用いることに対して、また「童子」「牧神」といった〈語としては〉古風ともとられかねない言葉を用いることについて、文字通り古風と受け取る方もいるだろうなあ、と──使われる語が語でありながら甘いところ(隙)がないにもかかわらず──思いながら読んでいたのですが、折よく面白い文章を見つけたので、それを引用して終わりたいと思います。 「文語であろうと口語であろうと、それ自体はどうでもよいことだ。おもしろければよい、というのが一般的ないい方だが、ときとして詩は、肺腑を衝き魂をえぐる。それは人間の精神が避けがたくそういう経験に遭遇するということであり、また人間の精神が悲傷を悲傷のままに存在せしめる言葉の構造体を作りうるということである。そうであるならば、定型であろうとなかろうと、口語であろうとなかろうと、どうでもいいことだ」(『殉情詩集』を読む・辻征夫)

1
石村利勝
藤 一紀さんへ
(2020-03-25)

藤 一紀様、貧しい作を熟読して下さり、感謝に堪えません。有難うございました。 《空の歌はきこえず/さくら花閑かなり》はむろんこの作のライトモティーフですが、思い付いたというよりはこの言葉の連なりが私に取り憑いてきて、その続きを書くように強いてきたという体のものです。 このモティーフをどこまで展開できたか、活きて響かせることができたか、そこが作者の技量が問われるところですが、才貧しいなりに精魂を使い果たすところまで書き切れたかを思うと何ともおぼつかなく、心もとない気が致します。

1
三浦果実
作品へ
(2020-03-25)

知り合いの作品はやはり、興味があるので読みます。で、時々訴えてしまいたくなる作品にでくわします。今作にそれを覚えました。石村さんこれでいいのか、と。たしかに詩であり、韻もいいし、縦書き仕様は石村さんの作風に適していてスタイルとしても抜群によいのでしょう。詩が降ってくるタイミングを大事にされているし、常にある牧歌的な感じもいい。ですが、これでいいのか、石村さんと、訴えなければならぬ使命感にかられました。受け手の私のタイミングでしかありませんが、これでいいのか、石村さん、とコメントします。

1
黒髪
作品へ
(2020-03-25)

たくさんのイメージを味わうことができました。 無限の豊かさにつながりさえするような手法だと思います。 つまり、この詩の中に無限を見ることができる、ということ、自分で、また現実に帰って、夢想するとき、この詩のようであるということを、考えずに済ませられない。

2
石村利勝
三浦果実さんへ
(2020-03-26)

みうらさんコメント有難う。 みうらさん自身が「これでいいのか」と「訴えなければならぬ使命感にかられ」るのは何故なのか、そこを見て、ぜひ書いて欲しいね。そういう批評なら作者に届くし、実にもなるよ。 「これでいいのか」はマイクアピールの意図で書いたのかもしれないし、それに付き合ってプロレスするのも別に嫌じゃないけど、俺を煽ってもあまり面白い試合にはならんよ(笑)。 こないだのイカ臭君のディスりツイートなんかが典型だけど、尤もらしい賢ぶった言葉をいくつも並べていかにも物を見て考えている様子を繕ってもさ、そう感じる自分の性根の部分だけは断じて見ないでおく評言ていうのは、批評でも何でもないんだよ。それが絶大な賞賛であれ辛辣な批判であれ、作者には届かない、全くどうでもいい空疎な言葉にしかならない。 一応質問に答えておこうか。作品を書いて人目に晒すと決めた時は、これでいいともこれで悪いとも思やしないよ。そんな問題設定をする感覚は少なくとも俺にはないね。書いてしまったものは書いてしまったんだ。いいも悪いも知ったことかね。それがどう評価されようと、そこには己の姿が隠しようもなく表れている。それを晒す覚悟以外に何があるんだろうね。そこを聞きたいね。みうらさんだけじゃなくほかの書き手さんたちに。 というわけで、気が向いたらそういう批評を書いてもらえると嬉しいです。それでは。

1
石村利勝
黒髪さんへ
(2020-03-26)

黒髪さん、ご高覧有難うございます。 この作に「無限を見る」ことができる、黒髪さんのビジョネールとしての豊饒さこそがむしろ貴重なものに思われます。この貧しい作が黒髪さんの想像力を掻き立てることにいくらかでも資するものであったのなら本望です。

0
stereotype2085
作品へ
(2020-03-28)

石村さん作品にコメをするのは一つの挑戦でもあります、とまず言明します。この詩長い間感想を残すと言ってためらっていたのですが、自身の創作もひと段落ついたのでコメを。まず「約束よ!」までの出だし相変わらず素晴らしい。手練の詩書きの腕を見た印象。「空の歌きこえず さくら花閑かなり」とは、人が仮に一人取り残されたとしても季節を移り、変わる。閑かに、という感興を思い起こさせて良いです。しかしそれ以降中盤。生の喜びや美しさの豊潤さ、豊満さが描かれているのですが、それがふわりとして長く、長閑になりすぎている感がしました。丁度小学生の頃にクラシックがなぜか退屈だった想い出を思い出しました。多くの人には浮き沈みがあり、人生には美しさもあざとさもある。それは石村さんならとっくの昔にご存知のはずです。この詩は美しさに焦点を長い間当てすぎたように思います。明暗はくっきりしているほど美しいとも言うではありませんか。僕は石村さんの詩にはいつも期待し、やはり何かを感じ、そして「あと少し欲しい」と注文をつけてしまいます。それもやはり期待ゆえ。何とかまだ見ぬ詩世界を石村さんには見せていただきたいものです。さてこのコメも冗長になりすぎると、緩んでしまうとさくらも言っている気がします。すべては「閑かなり」を良しとし、失礼します。

1
石村利勝
stereotype2085さんへ
(2020-03-29)

ステレオさん、ご高覧有難うございます。またいつもながら過分なご期待と注文を下さること、大いに励みにしております(笑)。 ご指摘の点、要はエッジやアクセントになる要素が乏しいわけですが、それゆえにこそ美しい怠惰の永遠性に至るまでに精製・蒸留されているのであれば、文句はないわけです。和風の端正なデカダンスみたいなものを目指したのですが、有無を言わせぬ美に達するには、技量も精神の凝縮もまだ足りていない(これは藤さんへの返信でも触れたことですが)。 はい、励みにして、もっと骨身を削らんといかんということですね。もう歳だからそういうのしんどいんだけど(笑)。

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