Adrienne Rich作『Diving into the Wreck』を読んで - B-REVIEW
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批評対象
作品を読む

Adrienne Rich作『Diving into the Wreck』を読んで    

<批評対象作品>
「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む)


このサイトでは批評なるものを投稿良いことになっている。これまで対象とされてきたのは、このサイトに投稿された作品だった。わたしは、新しい試みをしてみたい。ビーリビ投稿作品群の中からの作文ではなく、海外の作品を とりあげたい。【批評】という言葉自体があまり好きではないので、【おひょー】と感じた部分を 書いてみるだけの作文になると思う。 ※スタッフの方へ 著作権で全文は問題があるようですが、フレーズを見出し的に使用するのは大丈夫だと判断しています。 問題があるようなら 全文を削除していただいて結構です。 ●まず、第一の「おひょー」First having read the book of myths, 思うに、人が神に手を合わすとき 人はきっと真実に出会いたがっている。 そして、詩はフィクションであったリアルであったり様々だが、物事の本質にむかって旅する道程だ。そして 旅には準備が必要だ。なぜだろうか?この詩は英詩だというのに、まるで三種の神機みたいなことから 始まる。 簡単にいうと【鏡と剣と玉】の三つだ。わたしの心の中にも沈没船が棲んでいるので、探しに行こうと思う。装備は、やはり【鏡と剣と玉(玉とは わたしは魂の支え)】が必要だ。 まずは【鏡】。私自身を映すモノ。私が どのような人間なのかを表現してみたい。静謐に 胸に手をおいてみると、自分の顔みたいな変化しすぎているモノは、わたしの本質ではないと思える。大切な人々が 結構 大勢、あの世の人になってしまったな。わたしの中では、すこしも色あせていないというのに。そこで こんなのを書いてみた。 【白い神話】https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=3558 次に【剣】。剣に該当するモノは、南雲氏の言葉から拝借しよう。 「作品の中にある永久に癒えない傷」とは、まさしく剣のような言葉ではないか。べクトルが、なかなかの血みどろで【剣】にふさわしい感じがして、イイね。 すべてのものは、変化するものだ。諸行無常だ。なにひとつ 変化しないものはこの世には、ない。だからこそ この剣も 刃こぼれしないように 丹念に点検する必要がありそうだ。このサイトだって とりあえずなのかもしれないけれど、削除訂正をしないということは、永遠を目指しているってことだし。頑張れ剣!剣よ君も永遠を目指すんだ。 でもさあ 刃こぼれしないの?大丈夫?だつてさ、作品は 拙ければ拙いほど 永遠に癒えない傷も深い。という言い方だって可能だよね。やめたほうが良い気もするね。ただせっかく手にした【剣】なので しっかり鞘におさめて 道中の懐刀にしたいと思う。 三種の神器になぞえた三つ目は、【玉】。これは、わすれてはいけない。宝物。玉のような素晴らしい心意気で 翻訳を手掛けてくださったビーレビの有志 お二人survof 氏と黒髪氏に 謹んでお礼を申し上げるべきですね。これから私が書こうとしている私の感想文が。お二人の心をはじめ 多くの人々に届きますように(礼) ●第二のおひょーと感じた点I crawl like an insect down the ladder」は文法的に素直に訳したら「虫のようにはってハシゴをくだる」(直訳) 持ち物検査を経て、ダイブ用の服に着替えている話者だ。そして、いよいよ詩文は 海へと降りてゆく。 「 crawl like an insect down the ladder」は文法的に素直に訳したら「虫のようにはってハシゴをくだる」なのだそうだ。 survofさん曰く、「「crawl」の解釈も難しかったです。クロールで泳ぐという意味はありますが、基本的には「はって動く」「のそのそと動く」といった意味。」 ……だそうだ。英語力がゼロな私には、クロールが虫の歩み的表現であるということ自体が、おひょーである。クロールとは虫敵な意味があり しかもどうも羽虫ではなさそうだ。たぶん、芋虫! わたしは無人島でダイブする人々を見たことがある。小舟で潜りたいポイントに到達すると 梯子を下す。梯子は ゆらゆらと 波にゆれる。海は様々な色に変化する。海の青い色は特別な精神に出会える不思議な色だと思う。そういえば、わたしの父は泳ぎの得意な人だった。海のうなりは 表層と深層では まるで違うのだそうだ。  実際の話 表層では、芋虫のように ゆっくりとあるくようにおりるべきだろう。精神が生まれる場所は、青の深いところから湧くように精神は 生まれているんじゃあないだろうか。未知のようで未知ではない場所に、降りてゆくのだ。海の色は 深みにしたがって、ゆらぎながら様々に変化する。まるで深層の心理の深みにおりるかのように変化する。  梯子を糸に垂らし、ゆっくりと降りる。そして糸は 波に もまれて揺れている。これって、まるで 催眠術に私には思えた。 作者は読者を催眠術にかけているのではないだろうかと、わたしは感じた。 「あなたは ねむくなる ねむくなある。わたしが数を数えると、あなたは海にいます。あなたのほかには だれもいません。次第に ねむくなある1 2 3…」とかいって、糸の先に時計を吊るして ゆらしながら術を受けている感じがしたのだ。施術を受けた者(読者)は、揺れに心をゆだねて、ゆっくりと 芋虫のようなテンポで 梯子を下りてゆくという夢想体験をするという気が私はした。海へ降りてゆく描写を、糸を降りる虫のようなことをイメージしてみると、まるで蚕のようでもある。繭ごもりのような心地で、わたしは海に つつまれていくような感覚を得た。  ああ それにしても クロールは虫であったか。(結局、おひょう~なのは、そこだったりする)  ●第三の おひよ~。哀しみの発掘。toward the sun the evidence of damage 私個人は、私自身の事情から sun は そのままdamageを意味するが、詩編はクライマックスにおいて、沈没船や遺体を想起する描写になる。 日本人がこの箇所を読めば 多くの人が311を想起するのではないだろうか。 水の底にあるのは なんらかの原因で海底に沈んだ船で、損傷はかなり激しそうだ。 そして 詩人は 深層心理の海底で出会った読者に語る I am she: I am he 死が立ち込めている場所では もはや 人と人を隔てる境界が なくなっている共有感覚が I am she: I am heには表現されいると感じた わたしの拙い詩に「境界がない」という作品がある。できれば それも あわせて読んでいただきたい。 死への共感は 死者に永遠の命を 与えることであり 死者にあらたな命を与えることに きっとなると 私は信じている。 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=3559 最後に 貴重な詩編を教えてくださった南雲氏にこころよりの感謝をのべて終わります。 ありがとうございました。この おひょう文の冒頭に置いた三種の神機は大切にさせていただきます。(深礼)



Adrienne Rich作『Diving into the Wreck』を読んで ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 14
P V 数 : 2510.5
お気に入り数: 0
投票数   : 0


作成日時 2019-06-12
コメント日時 2019-07-01

Adrienne Rich作『Diving into the Wreck』を読んで コメントセクション

コメント数(14)
るる
(2019-06-12)

鍵となる冒頭箇所の三種の神器について 書き漏れがありました。 該当の作品は、冒頭箇所において「本」と「カメラ」と「ナイフ」が出てきます。わたしは、それを 鏡と刀と玉と 似ていると発言しています。失礼しました。

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survof
(2019-06-12)

せっかくなので、まずは原文へのリンクを改めて貼っておきます。 https://poets.org/poem/diving-wreck/ この作品の魅力は何より多層的であることです。いろいろな角度から光を当てて、読んでいけることだと思いました。 この機会に私が個人的にこの詩をどう読んだかコメントさせてください。先日のやりとりをまとめながらになるので、ちょっと長くなるかもしれません。 ------ はじめに語り手は、ある神話の本を読んできたのがきっかけとなって、その神話の中にでてくる難船の物語、その現場を探索することにします。これは特定の神話を指すと読むことができると思います。 まず冒頭の「First having read the book of myths」という表現ですが、時制の取り扱いがちょっと難しい表現です。「First I have read the book, …」であれば、「最初に私はその本を読んだ」ですが「have」ではなく「having」が使われているので、これは続く動作、つまりカメラ、ナイフの準備、あるいは潜水道具一式を装備する動作よりも前に行われていることを示唆しています。ですから意味合いとしては「はじめにその神話の本を読んだので、・・・」という感じになるかと思います。おまけに「read a book」のように「神話に関するある本」とではなく「the」を使って「read the book」、つまり「神話に関するその本」と述べています。つまり神話に関する特定の本が一連の行動のきっかけになっているのでしょう。 もう一つのヒントは6連目の「The words are purpose / The words are maps」という表現です。「The words」ではなく「Words」であったならば抽象的概念としての「言葉」だったりもっと広い意味での「言葉」を指しますが、ここも「The」によって「言葉」は特定されています。つまりここでいう「The words」とは特定の言葉と読めます。ある特定の神話の本(のなかのおそらく特定の神話)に動かされて潜水行為をしているので、この特定の言葉たちは「その本のなかで読んだ言葉」つまり「その本の神話の物語」、語り手を突き動かした特定の物語を指すと読みました。であれば「The words are purpose / The words are maps」つまり直訳すると「それらの言葉は目的である」「それらの言葉は地図である」という表現も「自分の行動の目的は(直前の連で描写したような海中の生物の観察ではなく)あくまで神話を追うこと」であり「その探索にあたり、読んだ物語の文章が地図のような役割を果たした」というふうに読めそうです。 もう一つの手がかりは8連目の冒頭「This is the place」です。直訳すると「ここがその場所である」。つまり語り手は沈んだ船の瓦礫を発見し、たしかにこれが自分が読んだ難船んの神話の現場に違いないと確信している、と読むことができます。 であればこそ、この作品の一つの核心部ともいえる6連目の表現が作者の思想・意志が力強く迫ってくるように思えます。 the thing I came for:
the wreck and not the story of the wreck
the thing itself and not the myth 自分は神話の物語のためにここにきたわけではなく、船の瓦礫そのものを見にきたんだという意思表明として読むこともできます。 これは「神話を読んだだけでは事件の凄惨さは知ることはできない。だから私は直接この目で見てその傷跡を確かめたいのだ」ということなのでしょうか?そうだとすると難船した船の瓦礫は、自分が抱える何か大きな傷、あるいは時代、システム、イデオロギー、などなど、などもっと大きな何かが抱える大きな問題点、傷の隠喩であると捉えて読み、自分はあくまでもそれから目を逸らさない、決然として向き合って生きていくのだ、神話のように甘い物語では語らせない、という決意表明として読むこともできるのです。 そうやって読めば、作者がカメラとナイフを持参していることの意味が分かるよう気がしますし、ボディースーツを「body-armor」(armorは甲冑や鎧のこと)と表現している意味も分かるような気がします。つまり完全に先頭モードなんです。この読みでいくと、相手はそうした大きな傷、難破した船の瓦礫が象徴する特定の何か、です。 ところが、この作品はそこまで単純ではないと私は感じました。なぜならこの6連目のこの意思表明の直後から、作品は一気に幻想的な表現に様変わりし、ビタースイートなどこか眩惑的なムードに支配され始めるように感じられたからです。 瓦礫の船に寄せる、作者の暗い幻想は描写こそ暗いですが「the drowned face always staring / toward the sun」の表現(直訳すると「溺れた顔がいつも太陽を凝視している」)や破船の中の宝に触れる描写など、西洋的な神話の世界への憧れがダダ漏れではないか?と突っ込みたくなります。 さらにビックリするのが、先ほどまでは「I came for … the thing itself and not the myth」と息巻いていた作者が本当に幻想の世界に没入していくところです。 And I am here, the mermaid whose dark hair
streams black, the merman in his armored body. で、「私」は 「mermaid」 と「merman」 に分裂します。「mermaid」は女性の人魚、「merman」も人魚ですが、男性です。画家のウォーターハウスなどが男性の人魚を描いた習作などがあるので、西洋では男性の人魚というのもそれほどおかしな概念ではないようです。実際「merman」という言葉があるわけですし。この 「mermaid」 と「merman」 は「私」が二つの主体に分裂するという以上に、性別までもが二つに分裂するという意味においていっそうシュールな幻想といえます。「mermaid」 と「merman」という言葉の対比は「女と男」と同じくらいコントラストが強いものです。 そして続く表現は以下の通り。 We circle silently
about the wreck
we dive into the hold. ここでいう「We」つまり「私たち」は誰でしょうか?作者は読み手を含めて「私たち」といっているのでしょうか? 自分はそうでないと感じました。ここは「mermaid」 と「merman」 に分裂した二人の「私」そして「語り手の私」を合わせての「私たち」だと思います。私たちは船の瓦礫のまわりを静かに泳ぎ回って、そしてその中に潜り込んだことを描写する続く表現は、ですから、読者を自分の幻想に引き込むためのレトリックであると読むよりは、分裂した「私たち」が実際に泳ぎ回っているという作者の幻想の表現であると読んだほうがしっくる来るように思われました。 きわめつけは「I am she: I am he」です。つまり「mermaid」 と「merman」 ははっきり「語り手本人」である、しかも不可思議なことに「私はmermaidであると同時にmerman」である、というのです。「:」で結ばれているのはこの同時性を強調するためではないでしょうか?ここでこの作品は一気に神秘主義的なムードを強めます。まるで象徴派絵画の世界です。 先ほどまでに「神話」をきっぱり拒絶していた作者がその神話の現場を目の前にして、今度は自分の「神話」を自分で夢想しているかのようです。 ですから最終連の「We are, I am, you are」という呼びかけにおける「We」「you」も、もしかしたら、読者を包含しているのかもしれないし、あるいは、先ほどの幻想の延長なのかもしれない。あるいは作品を締めるにあたって、あえて、読者に呼びかけ、作品は幻想から目を覚まそうとしているのかもしれません。 この複雑な構成ゆえにこの作品は非常に多層的だな、と思うんです。 まずはダイビングの写実的な表現で始まり、船の瓦礫の遭遇して一気に夢想的な記述に突入していくこの構造そのものが、幻想の深みのなかにさながらダイブしていくかのようです。

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survof
(2019-06-12)

誤字訂正 先頭モード --> 戦闘モード

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survof
(2019-06-12)

私がこの作品を読んで連想した神話というのは「オデュッセイア」にでてくるワンシーンです。 私が好きなウォーターハウスさん含めたくさんの絵描きさんが作品にしています。 https://artsandculture.google.com/asset/ulysses-and-the-sirens/qQH6ni1OHjyz9A 私は「オデュッセイア」など読んだことがありませんし、美術が好きだからちょっと思い出した程度のものです。 で、欧米の芸術ってこういうギリシャ時代からの綿々たる文脈があって、それぞれの引用や言葉におそらくかなりの隠喩や寓意が含まれています。ですので、この作品を本気で読み解こうと思えば、作者が持つ詩人としての文脈もさることながら、それぞれの表現がもつ西欧文明の長い歴史と文脈を紐解かないといけないのではないかと思います。ですので、こうしたハイブローな作品は読むのが難しい、というより前提として必要な知識があまりに多いように感じます。それを人々は「教養」と読んでいます。芸術の世界って「教養」ある人たちが偉そうにしているイメージありますが、実際のところ、「教養」がないとやりとりできない言語で話し合っているのだと思います。でもそんな「教養」なんて、っていう気持ち、ローブローで行こうじゃないか、っていう気持ちもありますが、ハイブローなローブローっていうスタンスもあって、人間のプライド意識ってなかなか一筋縄ではいかないですね。 とはいえ、作者の意図を完全に把握できずとも、この作品はなぜだかとても胸に刺さりますね。 私はうまく表現できないところも多いですが、ご指摘のように催眠術的な魅力もあって、眩惑されます。イメージが強力なので深くまで染み込んでいくような感じがするんです。 >でもさあ 刃こぼれしないの?大丈夫?だつてさ、作品は 拙ければ拙いほど 永遠に癒えない傷も深い。という言い方だって可能だよね。やめたほうが良い気もするね。ただせっかく手にした【剣】なので しっかり鞘におさめて 道中の懐刀にしたいと思う。 この、るるりらさんのコメントには深い共感を覚えました。

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survof
(2019-06-12)

追記: 冒頭の「First having read the book of myths」 ずっとこの部分のニュアンスに悩んでいるんですが、ただ単に物事の前後関係をはっきりするために「having」を使っているにすぎず、本を読んだのを「理由にして」その後の行動が続く、というのは私の深読みのしすぎかもしれません。冒頭の出だしの立て続けにカメラ、ナイフと続くリズム感を考えると、どちらかというと「最初に本を読んだので」というよりも「最初に本を読んでから」というニュアンスのほうがやはりしっくりくるような気がしてきました。 ただ作品全体を読むと行動のきっかけとして読めなくもないかな・・・くらいの感じです。

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yasu.na
(2019-06-14)

南雲より、るるりら様、survof様、その他読者諸氏へ。  私が書いて投稿した批評文『「文学」って何?(第3回)』は、諍いとも呼べるものを引き起こしてしまいました。私がコメント欄でコメントを断ったのも、すでに「荒れた」と判断したからです。あのような場合は、運営者に審判の役目をしてもらうしかないと思いました。  もう読まれたかもしれませんが、私は『「文学」って何?(第4回)』を書いて投稿しました。「文学」とは何かを問うことは、いつまでか分かりませんが、続けることにしました。ただし、批評態度を変え、「なになにを有しているからこれは文学であるらしい」という結論になるように書くことにし、そうできない場合は投稿しない、つまり公開しないことにします。ですので、批評対象作品の作者は、安心して読めるものとなることでしょう。  いつか再び、私は、「作品の中に永久に癒えない傷があること」という事を含有する投稿作品に出会いそうな予感がしています。そのときにはもう一段深くこの事について解説しなければならないでしょう。  諍いとも呼べるものを通過しました。そして今Adrienne Rich氏の『Diving into the Wreck』という詩作品を読む、あるいはこの作品の朗読を聞くという場面に事態はたどり着いたと見えます。この作品を「読め」「聞け」というような調子で私は皆様に迫っているのではもちろんありません。ただ、おすすめですよ、と言うだけです。  あのサイトにアクセスしてみた方、『Diving into the Wreck』を読んでみた方、あの朗読を聞いてみた方、すでに知っていた方、何の感動もしなかった方、さまざまでしょう。中に、今回の体験はまあまあ有益だった、と思われている方が三割くらい(?)いらっしゃれば、私としても良かったと思えることです。  私の、配慮に欠けた表現を含む批評文が、るるりら様を傷つけたことは消えない事実であり、そのことについてお詫び申し上げます。  今後は、上述した通り、批評対象作品の作者が安心して読める批評文を書くことを確約します。  では皆様、今日もこのビーレビから何かしら良きものを汲み取ることができるようにと願いながら、私はいったん筆を置かせていただきます。

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るる
(2019-06-14)

南雲 安晴様、おはようございます。まず 最初に素晴らしい詩編の紹介をしてい ただいたことについて もういちどお礼を申します。『Diving into the Wreck』を教えてくださり ありがとうございます。南雲様が 詩編について私が快諾しておられるという理解で、さらに 該当の詩編について読解を深めることを続けるつもりです。 それから、やっと 対話の檀上にあがっていただけ しかも 謝罪をしておられます。 さぞ 勇気をお出しになったことでしょう。ありがとうございます。おかげさまで 気持ちの整理が かなりつきました。 さて、「作品の中に永久に癒えない傷があること」というご発言についてですが、わたしは わたしの持っている言葉の全咀嚼力を使って、理解しようとし、そして こういうことではないかと思える自作品を このビーレビにアップいたしました。それが今月にアップした二作品(正確には四作品)です。 南雲様は「作品の中に永久に癒えない傷があること」という事を含有する投稿作品に出会いそうな予感がしています。と、書いておられます。つまりは、 わたしが今月にアップした二作品(正確には四作品)は、南雲様の考えておられる「作品の中に永久に癒えない傷」は、含有していないということですね。了解しました。つまり、わたしの理解力では あなたの言う「作品の中に永久に癒えない傷」は理解できませんでした。 ところで、「作品の中に永久に癒えない傷があること」という言葉について、わたし以外の方も疑問がもっておられることは、理解されておられますね。 つまり、渡辺八畳@祝儀敷 氏の下記のような指摘のことです。 「(前文略)「永久に癒えない傷」なんちゅう抽象すぎる表現に逃げているのが致命的。なによそれ? ってなる。批評ならば具体的に示さねば。」『「文学」って何?(第2回)』という南雲様への指摘のことです。 自由である場のすべてには、【ノーコメント】という選択の権利が 必ず必要だと私は思っています。けれど、あなたは『「文学」って何?(第3回)』で、その答をいずれ書くおつもりがあるとのことでした。 そのお話の相手は、私というより、渡辺八畳@祝儀敷 氏には 届く言葉で 説明をされるべきではありませんか?  もし、ほんとうに 答を書くおつもりがあるのでしたら、私がスレ主である こちらのスレではなく、南雲様の『「文学」って何?』のシリーズの中で お答えいただきますようお願いいたします。 理由は、このスレは『Diving into the Wreck』に対しての批評ならぬ おひょーを追及したスレだからです。

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survof
(2019-06-14)

南雲さん この場所では、もう諍いのことはいったん置いておいて、詩の話をしませんか?「Diving into the wreck」が自分にとって特別な作品であるとせっかく紹介してくださって、私はそれではじめてこの作品を知ったのですから、南雲さんがこの作品を具体的にどう読まれたのか、どういう感想を持たれたのかを私は知りたいです。 るるりらさん 南雲さんが「Diving into the wreck」をどう読まれたのか、知りたくないですか?るるりらさんがこの「おひょー」を書いた目的の半分は南雲さんの批評に対するカウンターアクションだとしても、私は我儘を承知で申し上げるのですが、私はこの場においては詩の話、とくに「Diving into the wreck」の話をしたいし、読みたい気がします。

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るる
(2019-06-14)

もちろんです。わたしも、是非 南雲さんのお話がうかがいたいです。

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るる
(2019-06-19)

翻訳して海外の詩文を自身の語学力で読み解くことがおできになる方は、わたしからみたら みなさんが賢者です。わたしが太刀打ちができるはずない。だから勝ち負けではないと皆様に思っていただけるような雰囲気づくりをしておきたいです。(るるりら以外の方ははじめから、勝ち負けだとは思ってらっしゃらないのでしょうが、赤面)  日本以外の言語圏の方の言葉って直訳だけでは 理解が難しいことも多々あるのでしょうね?ちょっと聞きかじっただけなんですが、たとえば ドイツにはDrachenfutterという言葉があって、直訳したら「龍のえさ」だそうです。日本で龍といえば、やまたのおろち。その餌は お酒ですよね。でもドイツのDrachenfutterという 言葉は、退治するための餌ではないようです。例えば夫が悪いふるまいを妻に許してもらいために贈るプレゼントなんかを「Drachenfutter」というのだとか。火を吐く龍のような女性は やすやすと手がつけられないことでしょう。さぞ 細心の心の配り方が必要なのでしょう。「Drachenfutter」、なんか良いですね。おもいやり感じます。 脳天に炎がたちあがっていた私ですが、ぜひ 素敵なDrachenfutterを頂戴したいものです。(こら。と、いう誰かの声が聞こえたような……。) さて、わたしの批評ならぬ 「おひょ~」をもうすこし書き加えておきたいです。私が、脳天から火を出したせいで、触れることができなかった事柄があるのです。それは、「男と女の人魚問題」です。  人魚は、女とは限らない。これは、おひょ~度が、満点です。さっそく、ばかなりに掘り下げていくことにします。 男神の例に出会うのはあんがい簡単でした。検索で得た知識です。男神の人魚オアンネスという神がいるようです。バビロニアで崇拝されていた神です。後にノアの箱舟の話にでてくるノア家は、オアンネスの家族のことではないかという説があるそうです。それでノアの箱舟が描かれている宗教画には、人魚が描かれていることがあるという記事をネットで見つけました。 そうすると、冒頭の「本」とは、聖書か御伽噺かというと、 聖書もしくは古い伝承のニュアンスがあるのだなと、感じているところです。 初心にもどって、海に対する印象を考えると、海とは 私たち哺乳類の祖である魚類の棲まう場所です。私たちは、きっと海から来たのです。 この詩は、私達の深層心理にある共通項に いかに触れるか。死臭のするような歴史の繰り返しが私達の歴史です。しかし この詩は、そのような人間の 業の深さを さらにかいくぐり、深く深く潜ったその先に、到達せんとする詩だと思いました。 ほりさげて現れるのは、生をもつもの根源に触れようとしている。男とか女とかを超越したカオスから わたしたちはやってきたはずです。この詩を道案内にすれば 読者はカオスを 心に持つことができるかもしれません。

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survof
(2019-06-19)

勝ち負けだ、なんてとんでもないです。そういう印象を与えてしまったようで、申し訳ありません。 私の訳詩の投稿が削除予定になってしまったので、せっかくの議論が消えてしまうのももったいな、と思い、つい長々とコメントを書いてしまいました。 読むときのアプローチも手元に日本語訳のものなかったので、どうしても原文に頼らざるを得ず、また英語は私の母国語でないためどうしても分析的になってしまいました。(日本語訳の本はアマゾンで探しましたが絶版でしかも中古本にまあまあのプレミアがついていて手がでませんでした、汗) 英語圏ではこの作品、かなり人気あるようで、検索するといろいろな人がいろいろ解釈を書いてたりするんですが、やっぱりハイカルチャーな(ようするにインテリな)読み方が多くて、それこそ最初に、るるりらさんがウィキペディアから引用してくださったような作者の背景や作者の他の著作との比較などからこの作品を読み解こうとする人が多いような印象があります。そうすることで、作品が書かれた時代やその時代の思想について、あるいは作者の人間像を知ることができて、それはそれでとても面白いのですが、結局、作品を解明するなんてことはインテリの人たちにだってできなくて、結局作品の謎は謎のままで、読者に託されていて、逆にそのことが作品としての強い魅力に繋がっていると思います。 (そういえば余談になりますが、ボブ・ディランってちょっと不思議な歌詞が多くて、インテリの人たちはああいうのを解釈したがったりするっぽいですが、本人の「そういうのはすごく嫌だ」みたいな発言を、CDのライナーノーツかなんかで読んだことがあります。心のどこかでは嬉しいのが半分だったりして、と意地悪な私は思ったりしますが) 日本語に訳された詩を読むことの何よりの良さは、訳された言葉から自由に想像を羽ばたかせることができることだと思います。イメージや連想の豊かさでいうと母国語にかなうものはないと思うからです。 私の場合、訳す作業からしばらく時間をおいたことで、やっと、るるりらさんが本文やコメントで書かれている感覚が体感として感じられるようになった気がします(普段の日常生活で考えたり会話したりするためには使わないものなので、結局外国語は読めたところで「情報」に過ぎないんです) >この詩は、私達の深層心理にある共通項に いかに触れるか。死臭のするような歴史の繰り返しが私達の歴史です。しかし >この詩は、そのような人間の >業の深さを さらにかいくぐり、深く深く潜ったその先に、到達せんとする詩だと思いました。 私も似たような印象を持ちました。「真実そのもの」を求めて潜っていったのに、やっぱり船の瓦礫だけでは飽き足らなくて、そこから先は内面的な描写が続くので、読んでいてそれこそ深層心理のなかでぷかぷかしているような感覚に陥りました。しかも船の瓦礫を前にしてのことですから、どこか「死臭」が漂っているんですよね。この作品の最後で「旅の続き」(もしくは「続きとしての旅」)がほのめかされているので、「死臭のするような歴史の繰り返し」に言及されたコメントにはなるほどな、と思うと同時に新鮮なイメージが立ち上がって私のなかでの作品の持つ世界が一気に広がったようにも感じられました。 また本文のなかで言及されていますが >作者は読者を催眠術にかけているのではないだろうかと、わたしは感じた。 この感覚が自分としては一番ピシャリときました。最初は明晰だった風景がだんだんぼやけていって、溶けていくような感覚です。そして最後には境界がなくなっていくような感覚です。 >死が立ち込めている場所では もはや 人と人を隔てる境界が なくなっている共有感覚 そして、過去と現在と未来の時間感覚さえも数直線がぐるっと輪になって渦まいていくような不思議な感覚があります。もしかしたら、詩とは無縁のはずの日常生活にもこの境界がなくなっている感覚は潜んでいるんじゃないか、って感じることがあります。 それから、るるりらさんの「白い神話」は「Diving into the wreck」からのインスピレーションを一番強く感じました。しかも原文を一番最初に読んだときに感じた、厳しくストレートなリズム感をそのまま取り入れたような感じだったので、特に響くものがありました。自分もああいうドライブ感のある文章書きたいモードになっています。 またもや長文失礼しました。

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るる
(2019-07-01)

返信ありがとうございます。私の「白い神話」は、ご指摘の通りです。「Diving into the wreck」からのインスピレーションです。黒髪さんとsurvofさんと あと白石かず子氏の訳文を 読み比べから感じたことを、わたしは拙詩に興しました。 わたしは「Diving into the wreck」で、まず最初に思い浮かんだのは「どん底なら 穴を掘れ」という言葉だったですよ。これは、解剖学者で「バカの壁」で知られている養老先生が なんかのインタビューでイタリアの諺だといっておられた言葉です。よく人を励ますときに、「どん底というものがあるから いくところまでいったら あとは浮上するだけだから大丈夫だ」という励まし方ならば聞いたことがあるのですが、「どん底にたどりついたら もっと 掘る」とは、不思議ですよね。意味を私に聞かないでくださいね。でも、わたしは本作品(「Diving into the wreck」)のようなことかもしれないと感じました。 沈没した船を探索するというのは どん底をようとする人の態度です。ですがこの詩は、底が見えたと思うやいなや、さらに、この詩は もっと深みに(幻想の海に)潜っていくのです。 わたしも どん底を掘ってみようとと思いました。できるだけ実直に自身を掘り下げてみようとおもい書いたのが、「白い神話」です。厳しくストレートなリズム感が似ていると言っていただけて嬉しいです。一気に書いてはみたものの、なにを書いていることやらと私自身は思ってます。正直いうと、読み返す勇気すら いまはないのです。ですが、たしかに123123…と、カウントを とっていました。(笑) (「Diving into the wreck」)は、よくできた詩です。詩の主人公は、道具であるヒレを装着して、海の底の深みに潜ってゆく物語なのですが、道具の扱い一つをとってみてもなんとも おぼつかない手つきです。潜水することに慣れた人なら フィンとか自在でしように、この詩はそうではない。おぼつかない。 ほんとうに沈没船を探索するのでしたらチームを組むのが普通でしように、この詩はたったひとりで もぐっていくのです。 確かな筆致でかかれたファンタジーは、人を傷つけません。現実との距離を読者に、ちゃんと感じさせて書かれているからです。読者は、たった独りきりで詩に向き合いますが、読者はファンタジックに死臭の中を泳ぐことができるのです。この詩にはそのような仕組みがちゃんとあると私は分析します。 ですが、わたしの作品は違います。自身の中に潜っただけです。わたしの心の中になんて、だれも もぐれはしないと書いてあるだけです。 さて、南雲氏が、「Diving into the wreck」)と格闘しておられるそうですよね。楽しみですね。もし ご都合があうようでしたら コメントをして 是非、さしあげてくださいね。 私は、どうしたら良いのか分からぬままに関連の記事内で爆走してしまった感があります。 これから南雲氏がこれからアップしようとされている文がどのようなものか 私が知るべくもないのですが。楽しみですよね。でも、私としては、本当の本当に もうそろそろ 私の言葉はすくめを心がけて対処させていただくつもりでいます。 勝ち負けだなんて言って心配をおかけしてしまいました。すみません。でも、ついこの間、私は凄すぎるお三方のタイプの違う詩人と比べて劣っているとの指摘を私が受けていることはご存知でしょ?ほんとだねぇ。るるりらさんは すっかり負けてるねーーって、いっしょに笑ってくださいませよ。

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survof
(2019-07-01)

>ついこの間、私は凄すぎるお三方のタイプの違う詩人と比べて劣っているとの指摘を私が受けていることはご存知でしょ? いや、全然知りませんでした。 何をもって優劣を指摘されているのかはわかりませんが、「Diving into the wreck」は本当にすごい詩だな、と思います。あんな作品を前にして、読み手の優劣云々など、それが語学力云々なのか読解力云々なのか知識云々なのか、ちょっと分からないんですが、そういう諸々は全部とてもつまらないことだと思います。 >ですがこの詩は、底が見えたと思うやいなや、さらに、この詩は もっと深みに(幻想の海に)潜っていくのです そうなんですよね。それがなんとも魅力的で、またるるりらさんのお言葉をお借りすることになりますけど潜在意識の深みのなかでぷかぷかと浮かんでいるような一種の浮遊感があって、私にはそれがなんとも心地よく感じられます。 >確かな筆致でかかれたファンタジーは、人を傷つけません。 たしかに。最初読んだ時はうちにも外にももっと攻撃的な作品なのかと思いましたが、読めば読むほど、攻撃的というよりもっと複雑な力学に支配されているように感じます。ご指摘の「現実との距離感」もとても不思議ですよね。この距離感が作品の魅力の鍵なのかもしれないな、と思ったりしました。 あとコメントされている点ですが、本当はチームを組んで探索するはずのところを一人でやっているっていうのがまた不思議です。実際の状況を描いているようでいて、実際虚構な部分が多い気がするんです。こういう細かいところに作者の「現実との距離感」を演出する手つきを感じさせます。作品自体が読者にとっての深い水槽のようになっている、つまり「読者が泳ぐための...仕組み」。 >ですが、わたしの作品は違います。自身の中に潜っただけです。わたしの心の中になんて、だれも もぐれはしないと書いてあるだけです。 これが「白い神話」の一番の魅力ではないでしょうか。 南雲さんの論考は個人的に非常に楽しみにしているんです。なにより、ひとつの詩をめぐっていろいろな方のいろいろな読み方、感じ方を共有できるのが何より面白いです。

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るる
(2019-07-01)

わたしの拙詩「そらおそろしい」との比較は、論考の品格をおとしかねないです。 ほんとアホらしいです。きっと そんなことは、きがついておられることでしょう。 南雲さんの論考、たのしみですね。

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