南雲 安晴

投稿作品数: 21
コメント数: 85
プロフィール:
#詩 #短歌 #ポエトリー #poetry 『ユリイカ』佳作一篇、「角川歌壇」佳作八首だけ。『pure crap』収載二篇。第一詩集『新しい照明』。I write in English at times.


時計

2019-06-07

黎明

2019-05-02

2019-05-01

砂場均し

2019-04-19

幻想離れ

2019-03-31

ネガティブ

2019-03-23

豊饒な世界

2019-02-11

符号

2018-11-26

お前は独り、

2018-11-21

新しい現在

2018-10-23

幕間の子守歌

2018-06-14

2018-05-31

四角い光の板

2018-05-17

 良いリズム。  造語的『めるふぇん』が生き生きしています。 >人魚のゆびさきは 笹船のように水をはじきます 『笹舟』にるるりらさんの想像力を感じます。 >滑舌の良いことばを急に喋れるようになり、変な感じがして みんな笑います  ここに、人魚みんなの心情の力強さを感じます。 (めるふぇん)

2019-07-04

 survofさん、早速のコメントありがとうございます。  survofさんとるるりらさんからの言葉がなかったなら、私はこのような「文章」を書きあらわさなかったでしょう。依然として個人的な楽しみの範囲を超えることなく詩を読んでいたでしょう。  今回は、「前提」について少し。  私はこの「文章」の作成過程をフォーラムにおいて報告していましたが、そこで左部右人さんから意義深いコメントをいただきました。 「論文」は、先達の研究を無視することを断じて許さないものである、という意味のご指摘を受けたのです。  左部さんのご指摘は、まったく正しいものです。ですから、私が投稿したこの「文章」は、「論文」ではありません。「学術論文」ではありません。「小論」と言うのもいけないことかもしれません。左部さんは、「評論」「批評」の類いであるとおっしゃっています。  とりあえずは、こういうことを最初に読者の皆様に伝えておかなければならないでしょう。 (『Diving into the Wreck』との対決)

2019-07-04

南雲より皆様へ。  私が書いたこの批評文が長い期間であれ短い期間であれビーレビのトップページに「人気の作品」として掲げられる資格を持つためには、一つの事が欠けています。  それは、私からの、るるりら氏への謝罪です。  それを私はここに書きます。  本批評文の中に、るるりら氏の気持ちや考えへの配慮を欠いた表現があり、それがるるりら氏を深く傷つけたことは消えない事実であり、このことについて、私はここにお詫び申し上げます。  なお、私には、少なくとも二つの課題が課されていることを、自身で認識しています。  一つは、「作品の中に永久に癒えない傷があること」という事とはいったい何なのかを明らかにすること、もう一つは、『Diving into the Wreck』を私がどう読んでいるのかを提出すること、です。  私は現在、後者の課題に全力で取り組んでいます。具体的に言えば、『『Diving into the Wreck』との対決』というタイトルの論文を書いています。大詩人の代表作との対決です。  できるだけ早くこの論文をビーレビに投稿できるように力を尽くしています。そのため、日々ビーレビに投稿される作品や批評文の数々を精読できない状態にあります。このことについて、どうかご理解ください。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-15

南雲より、るるりら様、survof様、その他読者諸氏へ。  私が書いて投稿した批評文『「文学」って何?(第3回)』は、諍いとも呼べるものを引き起こしてしまいました。私がコメント欄でコメントを断ったのも、すでに「荒れた」と判断したからです。あのような場合は、運営者に審判の役目をしてもらうしかないと思いました。  もう読まれたかもしれませんが、私は『「文学」って何?(第4回)』を書いて投稿しました。「文学」とは何かを問うことは、いつまでか分かりませんが、続けることにしました。ただし、批評態度を変え、「なになにを有しているからこれは文学であるらしい」という結論になるように書くことにし、そうできない場合は投稿しない、つまり公開しないことにします。ですので、批評対象作品の作者は、安心して読めるものとなることでしょう。  いつか再び、私は、「作品の中に永久に癒えない傷があること」という事を含有する投稿作品に出会いそうな予感がしています。そのときにはもう一段深くこの事について解説しなければならないでしょう。  諍いとも呼べるものを通過しました。そして今Adrienne Rich氏の『Diving into the Wreck』という詩作品を読む、あるいはこの作品の朗読を聞くという場面に事態はたどり着いたと見えます。この作品を「読め」「聞け」というような調子で私は皆様に迫っているのではもちろんありません。ただ、おすすめですよ、と言うだけです。  あのサイトにアクセスしてみた方、『Diving into the Wreck』を読んでみた方、あの朗読を聞いてみた方、すでに知っていた方、何の感動もしなかった方、さまざまでしょう。中に、今回の体験はまあまあ有益だった、と思われている方が三割くらい(?)いらっしゃれば、私としても良かったと思えることです。  私の、配慮に欠けた表現を含む批評文が、るるりら様を傷つけたことは消えない事実であり、そのことについてお詫び申し上げます。  今後は、上述した通り、批評対象作品の作者が安心して読める批評文を書くことを確約します。  では皆様、今日もこのビーレビから何かしら良きものを汲み取ることができるようにと願いながら、私はいったん筆を置かせていただきます。 (Adrienne Rich作『Diving into the Wreck』を読んで)

2019-06-14

夢野メチタ様、作者からのお言葉、ありがたく思います。  そうですね、作品の読まれ方については、作者は沈黙に近い態度でいた方がいいかもしれませんね。でも評文を書いた者としては、ひとかけら、作者からお言葉をいただけたことは、うれしいことです。『営巣』は味わい深い文芸作品だと思います。私の読み方に縛られず、たくさんの読者によって多様な読み方をして欲しいですね。 (「文学」って何?(第4回)(夢野メチタ氏『営巣』を読む))

2019-06-14

この作品に、私は良い意味で、ひかれます。今はまだその理由を書けません。これから精査することにします。その結果、やはり良い意味で、この作品が良いと考えられる場合には、その精査と結果について書くことにします。 (営巣)

2019-06-10

かるべまさひろ様、コメントをありがとうございます。詩のようなコメント文で、読むのにもちょっと苦労しました。  惜しいと感じさせてしまったことは、おそらく、私の想像力の浅さ、それによる描写の不足から来たものだと思われます。  この作品は、私の想像による、虚構です。どれほどまで読者の心に真実味を注ぐことができるか、私は心配していましたが、やはりそれが問題として浮かび上がったようです。  まだまだ私の虚構を表現する能力は弱いと自覚しています。  この『時計』の意図は、本当は、次に、仲程様への返信コメントに書くことです。 仲程様、コメントありがとうございます。  息子が帰ったところまで良いとのこと、うれしく思います。  しかしながら、私がこの『時計』を書いた本当のモチーフは、最後の部分にあるのです。もう閲覧数もだいぶ多くなった今、このことを明かしても良いかと思いますので、書くことにします。私は、最後の部分を書きたかったために、この『時計』を書き起こしました。ですが、伝わらなかったようで、私は自分の力不足を思い、課題を負いました。  この作品の最後の部分は、「私」が死ぬ瞬間を描いたものです。  私はこの作品を書き終えたとき、気分が悪くなりました。読み直してみても、やはり気分が悪くなりました。本当に死んでいくような体感を覚えたのです。  しかし、読者はこの体感をしなかったようなので、この作品は、失敗作であったと言えます。  私の実体験として、絶食により、死にそうな体感を覚えたことがあります。そのとき、私は時計を見ようとしました。そしてなぜか、もう夢の中には戻りたくないという思いを抱きました。このことを、今回私はそのままこの作品に書いたのです。  私は、表現力不足でした。読者に「死ぬ体感」を感じさせることができませんでした。どうしたら読者に死んでもらえるか、今後も考えていきたいと思います。 (時計)

2019-06-08

静かな視界様、コメントありがとうございます。  私の作品へのコメント、2回目であるとのこと、どなたか分かりませんが、ありがとうございます。忌憚なくコメントしていただければ、よっぽど恐ろしいものでない限り、私は受けとめることができると思います。  私は最近になって、イギリスの詩人、ロバート・ブラウニング(1812-1889)の詩集を手に入れました。この詩人から「劇的独白」という表現のしかたを学び、私も試してみようと思って作ったのがこの『時計』です。  作品中の「私」は、必ずしも実際の私ではなくてよく、私は「私」を創造し、「私」に作品中にあるようにさまざまな思いを語らせたのでした。  成功しているとも不成功であるとも、また、この表現形式が現代において特段新しいものではないではないか、または、うそを書いたのかとか、いろんな感想を持たれる向きがあるとは思いますが、作品中に実際の私の心が入り込むことは避けられなかったことでもあり、また当然全力で作った作品でもあり、読まれただけで、私はうれしいと感じています。 (時計)

2019-06-08

鈴木 海飛様、コメントをありがとうございます。  しかしながら、返信コメントを書くことは勝手ですがもうやめたいと思います。下記のことを参照してください。 読者諸氏へ  私は本批評文とコメントを、ビーレビのマナーガイドライン&ルールに従い、また文芸的な範囲の中で、そして誠実さをもって、書きました。  もし読者諸氏がそれを確認できず、また、本批評文や私のコメントの中に悪質な要素があるとお考えになる場合には、その旨を、運営者に伝達してください。  この投稿においての私からのコメントは、これをもって、最後のものとさせていただきます。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-07

survof様、るるりら様、コメントをありがとうございます。  現時点では、お二人からコメントをいただいた限りです。以下には、お二人のコメントに対して私から一個の返信を書くことにします。混成となるわけですが、その方が私にとっても、読む人にとっても、分かりやすいでしょう。  書くということは、宿命的に、なにものかとの対決です。  私が『「文学」って何?』と題して文を書き始めたのは、私みずからが「文学」という語をいろんな場面で多用しながら、それをどうとも定義できないでいたことに、自分で心地悪さを感じたからでした。この文は、まだ始まったばかりで、終わりが全然見えないものです。  私は、この題の文を、ビーレビにおいて批評文として書くことにしたのでした。ビーレビは主として「現代詩」を募るものであることに違いないので、私はビーレビに、「現代詩」が属する「文学」というものが豊富にあると信じ、ビーレビに投稿された作品から「文学」を汲み取るということをおこなうことにしたのでした。この試みは、どうしても、投稿された作品を批評することを伴ってしまうものでしょう。  この題の批評文の第1回目で、私は芦野 夕狩氏の『神の庭』を取り上げ、この作品から「文学」を汲み取ろうとした結果、「文学」の一つの条件として「作品の中に永久に癒えない傷があること」を得たのでした。このことは、「文学」とは何かを追究し始めたばかりの今の時点で語ることができることに過ぎません。  この題の批評文の第2回目では、ふじりゅう氏の『初化粧』という作品を取り上げました。私は、この作品を称賛しましたが、それは芦野 夕狩氏の『神の庭』から汲み取ったものとはまた違ったものを見出したからでした。『初化粧』に私は「永久に癒えない傷」を見出しませんでした。つまり、私の「文学」とは何かという問いは、始まったばかりの途上にあるものであり、私が作品から引き出すものは、多分に変動しやすい、まだ確実性を有することができないものなのです。  そうは言っても、「作品の中に永久に癒えない傷があること」という条件は「文学」の絶対条件ではないとは思いますが、このことを有する場合、その作品は「文学」である可能性が高いと私は感じています。なにごとも、足がかりが要るものです。  この条件により、私は今回、るるりら様の『そらおそろしい』を批評したわけです。  この作品を選択した理由を語ろうとして私は、読者にしてみれば私が自分の文学的嗜好を語っていると受けとめられる書き方をしてしまったのだろうと思います。  しかし私の本当の狙いはやはり「文学」とは何かということを追うことです。その方法として私は、ビーレビに投稿された作品から「文学」を汲み取ろうとするということを採用しているのです。このことには批評を伴わざるを得ません。  途方もないことであることを私は感じているために、論が「おしゃべり調」になることと、それを読む人が私が「文学」をどのようなものであると考えているかを感じ取っていただければよいと思っている、というようなやわらかい言葉を、あらかじめ置いているわけです。  survof様の言われる、性別を偽っているような投稿者のことは私も考えましたが、それは鈴が鳴った後のことだったので、なんとも答えようがありません。  最後に、るるりら様の言われることに返信します。  私の批評文の中に、一部分、修正しなければならない箇所があります。それは『るるりら氏が手に入れなければならないもの』という箇所で、正しく意味が伝わるために『るるりら氏の作品が手に入れなければならないもの』と直したいのです。「傷」のない人間が、いるはずがありません。  私の批評文の成り立ち、狙いは、すでに十分書いたつもりです。  女性、男性、何性、こういった観点は私の今回の批評の眼目ではまったくありません。ただるるりら様が「女性」という語を発するとき、鈴が鳴り、私が自分の「文学」体験を思い起こすということです。そして私は今回るるりら様の人気作を取り上げることになったというわけです。  以上で取り急ぎ返信となりそうな内容を書きました。  不十分なことがありましたら、またご指摘ください。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-06

ふじりゅう様、コメント返信が超絶に遅れてしまい、すみません!  実は、この数日間、タバコとコーヒーをやめようと頑張っていました。そのため、活動停止、思考停止の状態に陥っていました。なんにもできませんでした。今、喫煙を再開しました。まだ調子が悪いのですが、なんとか書けそうです。河島英五さんの『時代おくれ』は好きな歌ですが、タバコなんかは本当に時代おくれの物で、こんな物に依存しているとは、なんともダメなことです。  批評文の中で、私は勝手に『初化粧』の詩文を分解しました。作品の表面よりもっと奥に分け入りたかったからです。いったいどんな言葉たちからこの作品は成っているのだろうかと思いました。「見える」もの、「聞こえる」ものは確かにありました。しかし、なにゆえにそうなのだろうかと思ったわけです。また、日本語って、すごいですね、『初化粧』を外国語に翻訳するとどうなるのでしょうね。私はこんなことも意識して、詩文の分解をしたわけでした。そうして浮かび上がってきた言葉たちは、どれも活発で、気持ち良く、新鮮で、美しいものでした。  ビーレビの勢い、すごいですよね。  書くということをするときには、「著者の自由」と「読者の心」の両方を気にかけているのが好ましいと思います。それが普通で自然なことかもしれませんが。  読まれたい、こう願うのも自然なことです。  私は、「既視感のなさ」は、もちろん自然にそうなるのが一番良いとは思いますが、思い切って狙っていってもいいことであるとも思います。  著者みずからが、既視感の有無を判別できることは、大切です。  また、読まれるかどうかよりも、書いたものがこの現代において新しく提出されるに値するかどうかを著者みずからが判別できる能力、これはものを書く者に具わっていて欲しい能力だと思います。  ふじりゅう様を右脳派と断定してしまうのはもったいない感じがしてきました。イメージの操り手としてもすぐれているようですし、言語の使い手としてもすぐれていると思われるからです。  今後の作品、楽しみにしています! (「文学」って何?(第二回)(ふじりゅう氏『初化粧』を読んで))

2019-06-01

せいろん様、ありがとうございます。  いやぁ、私の批評なんて、形になっていますかねぇ(笑)  詩の書き手としても、全然だめです。  でも、とにかく全力で書くことが前進です。  これからも、怪物級の作品を相手にしながら、「文学」って何?と問い続けていくとともに、詩作の方もがんばりたいと思います。  こんな私の書く文の中に、一つでも宝石があったならと、願っています。 (「文学」って何?(第二回)(ふじりゅう氏『初化粧』を読んで))

2019-05-25

tOiLeT様、コメントありがとうございます。  そうですね、私は左脳寄りだと思います。でも、時々、「お前は感覚派だ」と言われたりします。「文学」なんかに取り組んでいるからかなぁ……。  今回のふじりゅう様の『初化粧』は、間違いなく、右脳寄りの作品だと思います。良い作品だと思いました。私は、右脳寄り、中間型、左脳寄り、どれも好きですよ。良いものは、どうしたって良い、って感じです。  右脳寄り、中間型、左脳寄り、こういうことを考えながら詩を読むのも、良いアプローチだと思いました。初めて聞きました。今後、取り入れていくかもしれません。ありがとうございました。 (「文学」って何?(第二回)(ふじりゅう氏『初化粧』を読んで))

2019-05-25

芦野 夕狩様、コメントありがとうございます。 批評対象作品の作者から直接のコメントをいただいた上に、共感とまで言っていただいて、私は非常な喜びを感じています。 自分の書いた批評文を読み返してみると、ずいぶんに言葉の足りない批評文を書いたなと、反省されるのですが、射た矢が、せめて的のはしっこには当たったようなので、これで良しとして、次に書くときには少しは進歩が見られるものを書きたいと思います。まだ私の「文学って何?」という問いは、やっと始まったばかりですし、ビーレビには読むのが追いつかないペースで作品が投稿されているのです。きっとそれらの集合は「文学」の宝庫でしょう。 『神の庭』は本当に良い作品でした。一生忘れられない読体験になったと思います。ありがとうございました! (「文学」って何?(芦野 夕狩氏『神の庭』を読んで))

2019-05-23

ふじりゅう様、コメントありがとうございます。  不倫のことを書いて、読者に受け入れられるかどうかかなり不安だったのですが、なんとか文学のレベルで読まれたようで、良かったです。何を文学とするかは、ここでは共通了解があるものとしておきます。日本国民などは、このようなことを書くことが許されているようですが、国民によってはこういうものは危険とされる場合があるので、手に汗です。  好評となった細かな表現ですが、実際頑張ったところです。やはり書くということをするときには、表現やその他いろいろな点で怠慢であってはいけません。それに、自身を客観的に検討することも怠ってはいけませんね。どんなに神経が疲労しようとも。  ところで、このビーレビという媒体が、最近とても元気がよく、盛り上がっているように感じられるのは、私だけの錯覚だろうか……。  これからも頑張って書いていきたいと思います。それから他の方々の書いた作品を読むことも。よろしくお願いいたします。 (黎明)

2019-05-15

 タイトルだけで読者が満足できるすばらしいタイトルですね! すごい。 >永遠の命はいらないというのに >若さには固執してしまう歪さ  この箇所には胸が痛みました。 >、繋げなくても私は私のままに  この終わり方もなぜか説明できないけれども、ジーンときました。  急ぎ印象コメントです。  ポイントは、〈叙情性〉〈前衛性〉〈エンタメ〉〈技巧〉〈音韻〉〈構成〉に1ポイントずつ。 (壊死する夕暮れ)

2019-05-13

 あまり考えすぎずに読んだ。 『羨望』なんて言葉、良いではないか。 『落つ』は『落つる』と連体形を用いるべきだったと思うが……。  ポイントは、〈叙情性〉〈前衛性〉〈構成〉に1ポイントずつ。 〉 (きるという時)

2019-05-13

 最後に言うべきことを最初に言うと、これはすばらしい作品である。  空隙なく最後まで続く重みのある言葉の流れ。  良い詩句、言い回しを挙げようとしても、多すぎる。  私は疑うことを忘れていない文が好きだが、この作品にはところどころ適度な回数、疑いが差し挟まれている。  全体を精査して意味内容を考えようとする読み方は、私の能力では即時には無理である。それに作者もそういうことを期待しているようには思えない。もちろん、作者の内部には意味内容があったから書くことをしたのだろうけれど、私は黙って見るように読むしかない。可読性がないと言い切ることが、私は悔しい。  どうやったら読んでいる最中このように息をすることも読み手に許さない言葉の集合を生み出すことができたのか。驚異である。  制作が、一息に簡単におこなわれたとは考えられないが、私はこの詩に作為的な、断絶を感じさせる箇所を見出せない。  具象が描写されているのではないし、何かメッセージを伝えようとしているようには感じられない。ただ内面のことが書かれているが、それがこんなにも豊富であることに驚く。  これ以上、この作者は書けるだろうか。一応、限界まで書けることを書いてしまったような感じを受ける。早くも、次に生まれるであろう作品に私は関心がある。  急いで印象を書いてみた。  ポイントは、〈叙情性〉〈前衛性〉〈技巧〉に1ポイントずつ。 (黙って話そう)

2019-05-06

技を身につけるためには馬鹿になっていなければならない、というような趣旨のことを確か宮城道雄が随筆で書いていたと思い出される。 論理的に整理したいと思って、一連と二連を私はちょっと次のように変えてみた。   正解を追い求めるのはやめた方がいいんじゃないの?   だってさほら、また何もできないでいるんでしょう?   馬鹿になれったって、既にもう駄目なのかもね。   でもいちいち考えて生きてる人なんていない。   滑稽な思考が僕の息を止める。   ただ生きてる。いや、死んでる。 どうだろうか。 原文六連、七連あたりはちょっと急にツァラが書いたようなダダっぽい文字列になっている。 前半とのバランスがどうかなと思ったけれど、書いているうちにそうならざるを得なかったのかな。 ポイントは、人生論的なことを評価したいのに、当てはまるポイント項目がないから、入れにくいのだけれども、強いて入れるとして、〈エンタメ〉に1ポイント。 (ミルク)

2019-05-06

 不倫はいけません。  が、この短い物語を楽しんでいただけたようですね。  書くということは、何を書くにしても、誰でも苦労するものです。私もこの短い物語を書くのに、苦労しました。文学らしさを衒うことは、基本的にはしなかったのですが、しっかりした描写をすること、そういう描写に考えや思いを暗示させたり象徴させたりすること、全体に情趣を持たせることは心がけました。また、『倫理』という言葉を登場させることによって、ふだん考えないことに読者がひっかかりを覚えるように、作ったつもりです。  最近は、私は小さな筋を含むものを書く傾向にあるようです。意識してそうなっているわけではありません。でも、そういうのもいいかなと自分では思っています。いつ変わるか分かりませんが。  文学はこれからどういうものになっていくのか、書き手はどうしたらいいのか、いつの時代でも考えられてきました。いつの時点から見ても、過去に偉大な先人たちがいました。そういった先人たちに憧れたり、傾倒したりしながら、私たちは書き続けてきました。  私はと言えば、先人たちがしたことはもうしないということを、いつも考えていますが、今のところ、失敗しているようで、せいぜいここに提出したような個別的な、そして、いつの時代にもあるような作品を書くにとどまっています。 (黎明)

2019-05-04

 私は今、『恋の走馬灯』という詩らしきものに付けられた音楽を聞きながら、このコメントを書いている。詩らしきものは、さきほど、読んだ。それで問いたいのだが、あの詩らしきものを私たち読者に提出したわけは何なのか?  私のどんな感覚も、考える力も、ものを思う力も、何も受け取らなかった。  私はあれを読んで、『俺』という人の『告白』も受け取らなかった。  私はあれを読んで、『胸をえぐ』られなかった。  私はあれを読んで、『生の体験』をしなかった。  内容的なものも、感性も、なかった。  今聞こえる音楽も、何を新しく伝えたいのか。  前の作品『黄昏の告別』は、『告白』や『胸をえぐるもの』や『生の体験』や文学的表現を持っていた。しかし、今回の作品は、いったい何を持っているのか。 (恋の走馬灯)

2019-05-03

別にタヒにちなまなくても良い詩だと思いますよ。 言葉というものに諦念を抱きながら(『決して牙を向かぬ』とは私は思わないが)後半部へ入っていく。 あれこれ言葉で伝えようと私も努力していますが、他者には伝わっていない『私の言葉』が無際限にあるのを感じることがあります。 時にはそれらが言葉ではなく「感じ」の段階にとどまっているものである場合もありますね。というか、そういう場合が多い。 表現は私たち個々人の自由。でもそれはやっぱり誰かに拾われたいものです。 望みを捨てきれず、この作品は終わっています。 表現者の胸を時折よぎる何か不安な、そして静かな思いを繊細にとらえた詩。 (タヒにちなんで)

2019-05-02

survof様、返信への返信ありがとうございました。  スカスカ、空っぽということがどういうことを意味するのかについてもsurvof様と私とは思いの一致ができていないように感じました。  川端は、私も、単に読めると言うのを超えて、好きです。  町田康ですか。読んでみようかな。  過去に私が読んだ中では、日本のものでは、武田泰淳の短篇群、大岡昇平の戦争体験から出た文、石川淳の短篇群、古今和歌集、うつほ物語の一部などがインパクトありました。  今は日本永代蔵の現代語訳をちびりちびり読んで楽しんでいます。 『砂場均し』の文体と孤独についてはどうなんでしょうね。  この作品は私に大なる疲労と苦痛をもたらしました。今もそれは消えません。  早く次の制作に移りたいと感じています。    返信への返信への返信となってしまいました。これで終わりとしましょう。次の制作へと前進するために、ちょっと書き加えたかっただけです。 (砂場均し)

2019-04-26

survof様、コメントありがとうございます。  survof様への返信は、三つ題目を立てて、それらの中でものを語るというやり方でおこないたいと思います。 〈諸作家のこと〉  survof様はコメントを村上春樹という言葉で開始しておられます。私はこの作家の作品をいくつか途中で投げ出さずに最後まで読みました。いいな、とか、おもしろい、とか、そんな感想は持ちませんでした。ただみんなが読んでいるから、知っておくべきかなと思い、読んだに過ぎません。そうして読後、読みましたよ、という自己満足にひたっただけでした。  私は大学入学のために上京してきて、新しく知り合った人たちがだいたい熱っぽく村上春樹のことを好きだと言って語ることに驚きました。私はあの18歳の時点ではこの作家のものを読んでいなかったし、読むべき大作家だとも思っていなかったし、私の故郷では誰も読んでいる様子はありませんでした。なのに、東京、神奈川、千葉、埼玉の人たちがまるで古典のことを言うように村上春樹の名を出して語ったのでした。本当に驚きました。  今のところ、私が読めないのは、触れた限りでは、そして世間的にメジャーと思われる限りの作家では、森鴎外、太宰治、谷崎潤一郎、三島由紀夫などです。こんなことを言っては、ファンにまた突っ込まれるでしょうけれど、あえて言います。この人たちの作品はスカスカです。多くの現代作家の作品と同じように。  作家たちについて会話して楽しもうと思えばきりがないし、survof様のコメントに対する返信としては眼目とならないと思いますので、この辺でやめます。挿話として聞き流してください。 〈『砂場均し』の文体について〉  冗長という言葉は、批評文の中によく登場する言葉で、私はいつも他人の作品を批評する時、使用を避けています。嫌いなのです。冗長だと言ってみたところで、何か言った気になれないのです。  長ったらしいものや説明的なものの中に一つ二つ輝く語句や内容的なものや感性的な色合いがあれば、私はそれで喜ぶことができます。  拙作『砂場均し』の中にそういうものがなかったでしょうか。survof様にこのように多く、長くコメントを書いていただけたことは、私にとっては一つ良いポイントをいただいたことになり、うれしいのですが。  ちょっと逸れそうになりました。形の話をしましょう。  驚かれるかと思いますが、私はこれでも短く書いたつもりです。そしてその限られた長さの作中で読む人が飽きないように次々と情景や感情を変化させたつもりです。このことは一部的にはsurvof様にも了解されているようです。ですがそれを『文章が続けば続くほど作品の情景がどんどん死んでいく』と言われています。展開が生み出す効果に対する私の考えとsurvof様の考えが違うことをあらわしているようです。  もし、あれ以上、会話の部分が長くなっていたら、それこそ読もうとしてくれていた人は先を読むことをやめていただろうと私には思われます。  もっと違う場面を次々に見せて欲しいと願う人に向けて私は創造したつもりなのですが。  それから、リズムという問題を取り上げましょう。私は会話部分の制作にあたっては、リズムよりは内容を、契約書でも作るように漏れなく記述することに努めました。なので、リズムがよくないと言われても仕方ないです。そしてこの契約書作成的な態度は、作品全体に通じているように私自身にも思われます。  ならば改行はなぜおこなったのか、と問われるでしょう。私はここに至っても、やはりまだ、歌うように読んでいただけたらいいな、という望みを捨てきれなかったのです。散文小説のような書き方をすれば、視覚的に煩わしいでしょう。読む人の視界を文字でいっぱいにしたくなかった、そんな思いを汲み取っていただければいいのですが。 〈孤独と物語〉  ここに立てた問題は、私も自問に尽きることがありません。  作中の語り手は、確かに語ることができています。  書いた文字にも明らかに矛盾があらわれています。  曰く、 >私は何についても続かない人間なのだ。 >そうして得るものはいつも孤独というもので、これだけが続くわけだ。  孤独が続いているのだから、それは物語ではないのか、と。  書き方におかしなものが見られることを私は認めます。それはここまででお許しください。もう修正できません。  しかし考えることはやめるべきではないので論を続けましょう。  孤独とはどんなものだろうか。私は永久の「点」のように延長の可能性を持たないものだと考えます。物語は延長するものですが、孤独は延長しないものであると考えます。  孤独は恐ろしいものです。誰とも言葉を交わすことなく、自分に話しかけているうちに言葉すら忘れてしまうような境地です。  私は孤独をここに示したように詩文に取り上げることで、本当に孤独に陥っている寂し過ぎるたくさんの人たちに復活しようとする気概を注ぎたかった。  中には孤独の体験者となれない幸せな人もいます。そういう人たちには孤独は決して分からない。想像では決して分からない。  この『砂場均し』は、孤独の体験者、孤独から脱却している過程にある者、そういう者としての私からの、真に孤独に苦しんでいる人への主観的なメッセージの詩でもあるのです。  朝の短い時間を使ってここまで書きました。急ぎすぎた論の運びが見られるかもしれません。survof様のコメントを誤読している可能性もあります。が、今はここまででお許しください。手間でなければこの返信への返信をしてくださってもよいです。  なかなか長い『砂場均し』をお読みいただき、さらにあんなに細かく論評してくださりありがとうございました。 (砂場均し)

2019-04-25

ふじりゅう様、コメントありがとうございます。  投稿からだいぶ時間が経ってしまったこの拙作を自分で読み返すことになりました。  けっこう入り組んだ構図を言葉で表現したものです。  その構図がどうやら正しく伝わったようで良かったです。  文字列は私らしく、理屈っぽいですね。  ここには依然として、『孤独』というものを楽観視していないか、という問題が残されているように思われます。  なにやら私たちみんなが仲良しで、結ばれているような感じが詩文からたちのぼっているようです。  現実を見れば、とてもそうとは言えませんね。  私たちの間には、分断があります。あるいはこの詩から簡単に孤独死というものを連想することができ、それはどうなのかと問わざるを得ません。  こういう点でこの作はまだ甘い、そして問題提起していると、私自身で思います。 (教え子たちの星)

2019-04-24

るるりら様、コメントありがとうございます。  今、こんなに早くに目が覚めてしまいました(4:30)。『砂場均し』の話し手と同じように、『悪い夢』を見ました。  まずは、るるりら様が分からなかったことを私が理解し、そしてもう一度私の思いを言ってみようと思います。  るるりら様は、あの中年女性が現れなくなったことが話し手が過去を悔いるきっかけであると解していると思われます。  しかし私は話し手が自分の過去を気にしているのは日常のことであるように書いたつもりです。 >「悪い夢ですか。毎日見るのですか?」 >「はい」  このあたりです。あらかじめ、話し手には自分の過去に負い目があったのです。その上に、 >しかし公園に着くと、またあのおばさんの姿はなかった。 >私は、世界が少し変わったな、と感じた。 >そして、またか、と思った。  という事態がかぶさってくるわけです。ちょっと話し手の神経は鋭敏過ぎると思われるかもしれませんが、これは私自身の本当の神経を描きました。  また、るるりら様が『主導権』という語で言い表していること、これは己の『意思』というものだと思われます。私は次のように書きました。 >時々何か沈まなかった無力なものが、  という箇所です。  人の『意思』は『永久』『定め』の中にあってなんと頼りない、無力なものであろうかという私の感想を書いてみました。  ただ、あの『辞めた』ことを列挙した箇所は強く己の『主導権』を読み手に感受させる書き方であったと私も今、思っています。ここは、『恋』のことを主に想定して読んでいただきたい。己の『意思』がうまく通らない事柄としてです。他の事柄にしても、己の『意思』だけで決定付けられるものだけではなく、『定め』が大いに働いている場合があるものです。  この私の作『砂場均し』は長いです。忍耐強く読んでくださったことに感謝申し上げます。  るるりら様は、私の文章に対する熱情について言っておられます。  雑談を少し。  私はかつて特にJoseph Conradの文章に学んだところが多く、この作家を敬愛しています。この人の文章は、小説というより詩であるように読めます。  青春時代に岩波文庫の中野好夫訳『闇の奥』を読み、今もこの作家の文章へのあこがれは一通りのものではないです。『闇の奥』『青春』は原文で読み通し、『ノストローモ』も原文で半分まで読みました。中野好夫の本も持っています。素人にしてはけっこうがんばっていると言えるのではないでしょうか。  もちろんあまりこの人だけというふうに強調するのも誤るもとでしょう。他にもあれこれ読んでいます。そして、あれこれ読んで勉強したからといって何かが書けるわけでもないのが創作の世界です。大変ですね。雑談の方が長くなりそうです。るるりら様のコメントに対する返信として不足があったとしたらまたご指摘ください。ありがとうございました。  (砂場均し)

2019-04-24

 これぐらいの文字数が、作者にとっても読者にとっても、作品を一望することのできる量であろうし、人に、読んでみようかな、という意欲を催させる量でもあるか。  それで読んだところ、意味を取れなかった。でも、ここには確かに日本語で表現されたものが一定量あったのだし、せっかく目を通し、黙読もしたのだから、評を残そうと思う。  意味が取れなかったけれども、作品が意味の取れる文や語句で創造されなければならないというわけでもないから、意味を取ろうとするのではなくて、触るように、あるいは見るようにとか聞くようにとかして鑑賞する手もあるだろう。  この『微熱』という作品は、見たところ、六つの連に分かれている。  まずは言っておこう、第三連の『飴玉』の後、『虫たち』の後、それから第四連の『メロディー』の後で助詞を省いたのは、失敗だったと思う。  全体を触るようにして読んでみると、第四連までの感触と、その後第五連、第六連の感触が異なっているように感じる。前者は良い、後者はダメ、という感じである。  ものを書くためには、何か異変を感じる必要があると思う。不良になる必要があると言ってもあまり違わないと思う。そして私がこの作品の第四連までは良いと言ったのは、そこまでは何か異変を感じている、不良になっている、そういうような感触を受けるからである。それに対し第五連、第六連は、そこまで持ちこたえてきた不良的な基調を壊していて、優等生が書いたようである。『暫くここにいていいんだよ』とか『さだめ』とか『夕暮れ』とかいった言葉は、作品によっては生きる言葉かもしれないが、この作品では生きない。  でも、この甘さが、『微熱』をあらわしているのかな。  良い詩句もいくつかあった。  ポイントは、〈エンタメ〉〈技巧〉〈音韻〉〈構成〉のそれぞれに1ポイントずつ入れる。 (微熱)

2019-04-23

せいろん様、コメントありがとうございます。  楽しんでいただいて、うれしいです。この作品を書いている時、私の胸には、「自由に書けばいいんだ!」という思いと、「はたして受け入れられるだろうか?」という心配の気持ちの両方がありましたので。まあ、誰でもこれは同じで、当たり前のことかもしれませんが。  書くということは大変なことですね。疲れましたよ。 「!」の記号を何か所かに使いましたが、これも、「これでいいのか?」と心配でした。「詩文を力強いものにするのに、この記号に安易に頼っていいのだろうか?」と。余計には使用しなかったつもりです。  ともかくも、読んでいただけたこと、これだけで非常な喜びを感じます。酷評も待っています。ありがとうございました。 (砂場均し)

2019-04-22

 作品をどのように鑑賞するかは人それぞれの自由だと思うが、また一方で、正しい鑑賞を目指すということもなければならないと思う。その目的もあってこのようなコメント欄やポイント欄が設けられているのだろうと思う。  それでちょっと私が気になったのが、この作品について投じられたポイントの数を見るに、現在『エンタメ』に11ポイントとなっており、『前衛性』と並んで、他の項目よりも二倍ほど高いということである。  『前衛性』は分かる気がする。しかし『エンタメ』が私には分かりにくい。『エンタメ』という語の意味を広く取れば、まあ分かるかな、といった感じである。  この作品については私も未だ「分かった」と言えるほどではないが、どうもかなり深刻で、暗くて、重い内容を持った作品だと思う。『エンタメ』にポイントを入れる気になれない。  もし『思想性』『精神性』『人間性』といった類いのポイント項目があれば、私はそこにポイントを入れたい。そしてこういうポイント項目に合う作品はけっこうあるのではないだろうか。 (黄昏の告別)

2019-04-20

なゆた創a.k.a.NORANEKO様、コメントありがとうございます。 この拙作の構成は、結果的にできあがったものでして、初め、私は、写生文として書き始めたのでした。そのうちに日頃思っていたこと、考えていたことが入り込んできて、筆を進めていったところ、このようにまとまりました。 書くということは、自然、なんらかの構成を書き手に求めてくるものなのでしょう。 また「美文によるフレーズの快楽を極力抑制しながら」と指摘されました。 私は他の方々がしていることを避けて書こうとした結果、作中に見られるように、平明な表現をすることになりました。 ありがとうございました。 (砂場均し)

2019-04-20

 私は帆場蔵人様の作品に『文学極道』というサイトで初めて出会いました。『養蜂箱』が登場する作品でした。そして私はその作品について「良いと思う」と発信したのでした。それ以来、気になる書き手だと思っていましたが、他の作品を読まずにいました。今回、この作品を読んでみました。  タイトルだけ見れば、魅力は感じません。  『ミイラ男』というような夢幻的でゲームにでも出てくるような言葉を私は好みません。  また、詩の中身も『養蜂箱』の詩に比して密度が落ちているような気がするのです。  どこか帆場様らしくないものがこの詩に入り込んでしまった感じがします。  よくある発想、よくある詩句、ありがちな技術、そういうものを感じます。  本当に帆場様の詩なのだろうかと、ちょっと、あれれ? といった驚きを感じました。  これがこの作品についての私の率直な印象と感想です。酷評にはならないと思いますが、本当に、あれれ? と思ったのでした。 (わたしがミイラ男だったころ)

2019-04-15

 不調和感を読者にもたらすことを成功と見ることもまた良いでしょう。でもやはり私は作品に一貫した美をとりたいです。  どんな陰惨なことを書いても、美が立ち現れるものです。   『さかくだり』。  抒情の中に例のセリフを埋め込みましたね。滋味豊かな作品になっています。一見平板ですが、記憶、孤独、不満、不和といったものが美しく書かれていて、こういうものを私は受け入れたいのでした。うるさい私も言うことがありません。  詩人、詩の実作者という者とはどんな者かを私はるるりら様に認めました。そのスピリットには頭が上がりません。いや本当に。 (そらおそろしい)

2019-04-12

>フィリポの十字架 >地面と垂直に勃起したペニス。 >騎乗位のときのペニスは、天をむいた聖ペトロ十字であり、創造主ブラフマーである「女」に最も喜ばれる体位のひとつである。  この部分は、性を扱った表現という一面的な観点からすると、私の狭い読書体験から感じることだが、ヘンリー・ミラーや村上春樹がおこなった表現に並ぶか、それらよりもすぐれているのではないだろうか。 (黄昏の告別)

2019-04-12

補って書かせていただきます。 私も現実的なこと、社会的なこと、体験的なことから目をそむけることは不可能なのですが、この作品では、第二連以外のところの美しい詩の面と第二連の現実的な面との間に段差があり、第二連だけがちょっと(ちょっとです)調和していないように思ったのです。 第二連のなまくびは、また別の詩の中にあってこそ、調和して生きるのではないかなと…… 実際私は第二連をとばしてこの作品を読んでみたが、良かった! (そらおそろしい)

2019-04-11

 かなり知見に差があるようで、私は自分の勉強不足を認めざるを得ません。それにもかかわらず私は、自分の持っている限りの力で、ソクラテスの前で自分の考えを言う者のように、コメントを続けたいと思います。  この『黄昏の告別』という作品は、大きな改行を二回おこない、三つの連に分けて書かれています。急ですが、最後の連について言わせていただきます。なぜならこの連に、一応は(一応はです!)、『黄昏の告別』というタイトルの由来をうかがうことができるからです。 >闇は今日も豊穣であった。  と、完了形になっていることで『告別』であることを察することができ、また、次行(最終行)に『夕日』が出てくることから『黄昏』であることを知ることができます。明確には第二連に多く『告別』を読み取ることができるのですが……。  そしてここの『闇』という字は、この作品中で八度目で最後の使用ですね。  単純ですが、私はこの連から、以前読んだ『真昼の暗黒』という小説のタイトルを思い出しました(アーサー・ケストラー著 中島賢二訳 岩波文庫)。『闇』が『今日』の昼にあったと言うのですから。  最終行は穏やかならぬ、現実的な(リアルな)描写をしていますね。この『リアルな』という語は、第一連の中に出てきます。 >俺はリアルなものをもとめているんだ!  今回のコメントでは、とりあえず上に書いたような確認をしたかったのみです。 (黄昏の告別)

2019-04-11

初めの三行についての所感。 >人間の愛は実に複雑だ。 >しかし、私は、物事を単純に見て解決するすべを覚えつつある。 >魔術師と儀式主義者は、最も地に足をつけた種族である。 私はこの部分を読んで、自分がかつて「機械になりたい」と表明したことがあるのを思い出しました。 機械はこの複雑な世界で、何をしても誤ることのないものです。 そして私は『魔術師と儀式主義者』の次に『機械』を並べてもよいと思いました。 『Let it be』『Let it go』などの教訓的な言葉も慰めとなったり良い結果につながることもありますが、私はこういう軽い教訓に従った結果、誤った帰結に至ったことがあります。 多くの場合、魔術や儀式は計り知れない経験の賜物です。 それらには誤りや迷いを避けるための機能が備わっていることが多いです。 肯ける三行でした。 (黄昏の告別)

2019-04-09

何回かに分けてコメントを送ることになると思います。 今回は、この作品の長さ、多さに、単純に感激したことを伝えます。 短い作品が多く、またそれらがけっこう好評を得る中、そして私もそれらの中に良いものがあることを認めてきているのですが、少し物足りなさを、時には「またこの手の詩か」というような困惑の気持ちを持つこともある中、この『黄昏の告別』という作品のように、長く、多く書かれたものを発見して、私はとてもうれしいです。 (黄昏の告別)

2019-04-09

>静物を壊した 私にはこの詩句だけで十分感動的です。 画像はあまり…… (「頑張れ」という刄)

2019-04-08

叙情としてまとまっていると思った。 『虚無感』とか『永遠』という語は私も好きで、それこそ永遠の題だと思っているので、それだけにここにはまだ長く説明的でもいいから掘り下げて書く余地があったのではないかと惜しむ気持ちを抱いた。 (永遠)

2019-04-08

私の読む力が足りないのか、肝腎な『おれ』が出てくる二連目の意味が分からなくて苦しかったけれども、全体としては一息に最後まで歌うように読ませてくれました。 一字一字が音楽の音符のようだと思いました。 (俺)

2019-04-08

taishi ohira様、コメントありがとうございます。 お言葉が頭から離れません。宿題をいただきました。しばらく考えさせてください。 (教え子たちの星)

2019-04-05

良い詩ですね。久々にしっかりした日本語と構成で書かれた詩を読みました。想像力もすごい。 『日本語にないことに驚く』『人類はこれでいいのか』というような疑いも私は大好きです。 (揉む)

2019-04-04

多読ではない私も、古今和歌集はざっと読みました。それで『袖をまくしあげた少年とすれ違う』というところの含意もなんとなく分かるのですが、他にも古今和歌集を連想させる箇所があったらもっとおもしろい詩になったのではないかなと思いました。 あと、走っている割には走っている感じが伝わってこなかったです。 ちなみに、こんなところですみません、引用の書き方(>の記号と文字列を斜体にし、文字色を変えるやり方)が分からないので私はいつも『』を使っています。引用の書き方を教えていただけませんか。すみません。 (走る)

2019-04-04

『跳ね』の語が三か所あるが、それぞれ、誰かに跳ねられ、私(?)が跳ね、『奴』に跳ねられていて、読みほぐしにくいと感じた。もしかしてそれが狙い? 『明日を祈ってる僕』は『運命』という語で蹴られる。 それでも『未来はそんなもん』だと言い切らずに『今日生き』て明日もあさっても生きて未来を築こうではありませんか。 まあ、このように詩を書く以上、本当には未来はあると信じていることを証しているようには感じるのですが。 (跳ねた先の未来)

2019-04-03

次々と生み出されてつながってゆく感嘆すべき詩句の数々。 タイトルをどうするか難しい詩だと思う。 最後に、それまで動きの激しかった調子から転調するようにして『ところで君/ただ花を握って 歩いてきたんだね』とあり、こう話しかけられた読者はとても癒される。 (熱っぽい夜の終わり)

2019-04-03

すぐれた想像力、記述力ですね。書かれていることを読者が体験できます。 目が覚めた時、こういう感覚ありますよね。身近なものの真実を思いながら、たった今見ていた不思議な、しかし現実に表現できるような夢を重ねる。消えてしまったけれども真実味のある夢を。その夢を、真実化された夢と言ってよいでしょう。 そして私は真実化という過程を嘔吐の場面に読み取ったのですが。 「気分はどう」と彼女が言った場面は痛快でした。 最後、『わたし』がなにも答えなかったのが残念で、なにか答えて欲しかったです。 (真実)

2019-04-02

季節や自然の状態や時代といったものの変化はあらかじめ永久の中にのまれている。その中に私たちも存在し、きっと、一瞬一瞬において、無作為であるかのように誰かと出会っているのだろう。 ぎこちなく綴られているようにも感じるが、ものごとのはかなさと確かさの両方を詠み込んだ詩だと思った。 (春のかほり)

2019-04-02

静かな視界 様、コメントありがとうございます。 この私の拙作に説明調があることは確かです。 私は書くということをする時、結果が小説になるかとか詩になるかとか論文になるかとかいうことは考えず、言いたいことをとにかく作品内に定着させることを狙います。 しかし本当は私は詩を書きたいと思っており、私にとっても或る定まった形式或いは音楽的な構造の中に言いたいことをうたいあげることは理想でもあります。 今度、またはいつか、そういう作品を書きたいと思います。 沙一様、コメントありがとうございます。 実は本当に私はあの自由に、開放的に幻想をふくらませることのできた幼少期の自分に憧憬の念を抱いています。 しかし大人である現在、幻想には制約が必要であろうと思います。 望ましくない幻想にとらわれて悪を犯す場合があります。 幻想という語は様々に議論されるべきです。 どんな幻想も個人の勝手であるという段階にはもはやなく、やはり正しさというものが求められるのではないかと思います。 (幻想離れ)

2019-04-01

これは何だろう? 私には意味が取れない。が、イメージが頭に出来る。土地と人間の営為の密着である。忌日、測量、記帳といった言葉の使用に新味がある。 (決定した)

2019-04-01

一回読んで、短くて横着で無内容だなと思ったけれど、二回三回と読み直しているうちに背筋が冷たくなりました。 (仮の住まい)

2019-04-01

さかあがりがとても良いのだけれども、なまくびはちょっとゆきすぎたノイズでは? なまくび以外のところは好きです。 (そらおそろしい)

2019-04-01

わたくしは海へ種蒔き、この詩句好きです。 けれども一作品としてはなんか未完であるような感じを受けます。 (no)

2019-04-01

エイクピア様、コメントありがとうございます。 幻想は人間の頭脳に宿るものですが、それは健全な生を生み出す大切なものです。 最近私には幻想が欠けているのでこのような文を書きました。 (幻想離れ)

2019-04-01

かるべまさひろ様、コメントありがとうございます。 文学というものに足がついていないで泳いでいるような状況にある私ですが、まだ何か書き続けていきたいと思います。 完備様、コメントありがとうございます。 まだどう答えるか考えている最中なのですが、あまり時間が経っても良くないと思うので、少し書きます。 自己完結という指摘には言いたいことがあります。 あまりにも多く感じ取ってしまって粉々になりそうな時が誰にもあると思うのです。 そういう時、あえて下を向き、暗く、小さく、意識の灯を弱くして生き抜こうと私はこれを読む人に話したかったのです。 (ネガティブ)

2019-03-31

こういうふうにイメージを連ねてまとめるのは難しいことだと思います。 ちょっと羨ましいです。 (古い友人に書いた手紙からのお返詩)

2019-03-24

歌か文の原型のようだと感じました。 作品としてはまだ粗いかなと思いましたが、こうなる理由はなんとなく感覚的に私には分かります。 レトロな場景が見えるようで心地良いです。 (雨)

2019-03-24

いろいろな音が書かれています。 書かれがちなありきたりの音も多いように思うのですが、中に、 『木々が枝を伸ばす音』『飛行機が青空を切り裂く音』『建物が崩れる音』『最後の呻き』があり、これらの音にはハッとさせられました。 新しい、書かれるべき、聞くべき音だと思いました。 (音)

2019-03-24

コメントありがとうございます。 情けないことですが、オブジェクト指向論を知らないので、調べようと思います。 (豊饒な世界)

2019-02-11

かるべまさひろ様、コメントありがとうございます。 この文は、行き詰まった僕自身を慰めるために素直に書いた独白のようなものです。 丁寧に読んでいただいてうれしいです。 これを書いたことによって少し初心に立ち返ることができたような感じがします。 このような文も受け容れていただけるビーレビという場に感謝しています。 (純粋な雑念への短い敵意)

2019-02-07

いい詩ですね。 女性の語り方で書かれていますが、それは越えて、男性の僕も心、それから身体を直接的に強くつかまれる体感がありました。 身体に感じられる感覚を通して情景を描き出しているのはいいですね。 表現されている気持ちや情景がさわやかで偽りがなく簡明で美しいです。 (春になれば)

2019-02-06

たとえば、青信号が、渡ってもよいという意味だと誰かが教えなければ、青信号にはまだ意味が無いということになります。こういう場合の青信号を何という語で呼べばよいのか。また、たとえば、遠方へ何か意味を伝えるために火をおこすといった場合、この火そのもののみを、何という語で呼べばよいのか。 悩んだ末、私の思いつく限りで、合う語は『符号』でした。 (符号)

2018-11-27

『人類愛』と『傍観者』、『おまえだけの人生じゃない』と『おまえの人生だろ』と、しょっちゅう人が片方だけに寄りかかるアイディアが、パワフルな調子で書きとめられていて気になる詩だと思いました。悲しいことですが、私の能力では、今のところ、二連と三連の意味は取れていません。でも、死にたがり、伝統、マニュアル、といった道具の登場は、良いと感じます。 (リコール17)

2018-11-23

この作品では、目の前のこと、日常というもの、とりあえず近くにあることにつながれている人間の、もう一つの側面が、すなわち、想像力や推察、気づきによって、遠い事実を知って苦しんでしまうという人間の側面が、書かれています。私も高校時代、自分がこうやって受験勉強をしている間にも、幼い頃遊んだ自然、川や林が失われているという事実を思いやって苦しんだ経験があります。この作品の中には、社会の事実を細かく書いた箇所があって、見どころになっているのは確かです。が、読者は、この作品をしばらく眺めているといつしか、もっと広く、人間の内面の物語として読んでいる、あるいは感受している自分に気づくことでしょう。 (嗚咽 *)

2018-11-23

帆場蔵人様、コメントありがとうございます。 私はこの自作品について、今時虚無云云とはなんだ、と批判されるのではないかと案じていました。たぶん、そう批判したい人はいると思われます。ちょっとまっすぐに言ってしまったかなという反省が私の胸にあります。が、何かを作ったり見たりする時、やはり私たちの頭には、虚無や充足の類いが霞のようにあって拭い難いのは確かだと思うのです。その向こうにあるものをつかむためにも、また、私の実体験を記録するためにも、一度、書きたかった詩です。 なお、取り上げていただいた箇所の一部は、 鳩のように群れて飛ぶ ことはできない と改行した方が良かったと考えています。 (お前は独り、)

2018-11-22

好意的なコメントありがとうございます。私としては、こういう作品も良しとして投稿したわけですが、もっとまとまりのない作品を作りたいと願ってもいます。 (お前は独り、)

2018-11-22

仲程さん、コメントへのコメントありがとうございます。 実作者の感覚としては、こういう書き方も自然なものなのでしょうね。 読者が引っ掛かりを覚えるということは、とても大切なこと、文学の命みたいなことだと思います。 B-REVIEWは勉強になります。 (彼女のrの発音/魔法使いじゃないので)

2018-11-06

読ませていただきました。 良いですね。「クリエイティブライティング」です。 掲示板をなんとなく見てはめくっていたらこの作品に目がとまりました。 まずlu, lu,……という箇所、それから1r、2r……という特殊な箇条書き、それから食材の部分が目についたのです。 なので最初に戻って一字一字読んでいきました。 確かな日本語の使い手でした。彼女と交換しているやわらかい感覚が伝わってきました。 ちなみに私は第55回ロシア語能力検定試験3級に合格しました。でもすでに上に書いた通り、このことがこの作品を読ませていただいた理由ではありません。 (彼女のrの発音/魔法使いじゃないので)

2018-11-05

読ませていただきました。 良いですね。使用し尽くされた表現が、ないです。新鮮です。音も良いです。 ただ、描かれたことを、具体的に、論理的に、あるいは感覚的にも頭の中に構成しようとすると、うまく出来ない感じがします。そんな感じは『指先』以降の部分に由来するようです。音的には破綻していないと思います。が、タイトルをこの部分から取ってくるのはちょっと傷かなと思います。 でも、何度も読みたい詩です。 (ほどける)

2018-10-30

読ませていただきました。 『……教えてあげる』までとても良いと思いました。 『一日中』から後は、無くてよかったのではないかと感じました。 音も意味もここを境に切れて、何と言うか、軽くなっているように感じました。 (おやすみ)

2018-10-28

ふじりゅう様、オオサカダニケ様、コメントありがとうございます。 自分が書いたものについて何か書くということは簡単ではありません。誰にとってよりも近いところに厳然と自分で書いたテキストが存在するからです。 しかし黙っているのも良くないので、刑について書き始めることから、この自作について解説したいと思います。 通常、刑は、人の精神的な前進を停滞させるものだと思われます。行動を制限されるわけですから。そして私たちは、意識していても意識していなくても、そういう刑のもとに生きていて、それを意識している時には特に、精神は前進しているのではなく、後退しているように感じるものです。しかし実際には、人生に後退などというものはありません。常にそれは新しい状態にあるのです。 刑に服していることが意識されなくなった時、私たちは前進を再開したように感じます。その時の心境は、何か懐かしさを伴っていることでしょう。意識がありつつ刑に服していた期間、自分は後ろ向きに変わってしまったのだと思い返すのですが、同時に、自分は自分であることを一時もやめなかったのだと思いもします。 現在とは何でしょう。それは自分が思い描いていたものとは違っている場合がほとんどだと思われますが、あるいは現在自分は成功したのだという感覚に襲われることもあります。この時、人は思い上がります。現在とは、時間と成長の流れの最も新しい部分であるだけなのに。しかしほどなく、ここで賢明な人は、顧みるということをします。そして、私たちの傲慢を待ち受けているものは、意識であるということになります。私たちは、再び意識下の刑のもとに戻るのです。 未来という遠大なものは、夢です。人は一生出会うことができないでしょう。出会うことができるのは、時間と成長の流れの最も新しい部分です。前進が何かの障害によって制限されたことを悔しく思ったり、現在の成功した状態を自ら手に入れたのだと思い上がったりしつつ、時間と成長の流れを見つめた時、そのような流れにかつて休止はなかったことと、決して変化しなかった自分の存在がそこに映っているのを確認するのです。 (新しい現在)

2018-10-27

コメントありがとうございます。 私たちの頭や心の中にある思いや考えは昼夜を問わずすべて夢で、それを現実化しようとしたり、ただ見つめたりすることで、私たちは生きています。 夢にもさまざまな種類があるもので、中に、現実から遊離してしまった夢があります。 そういう夢は、現実逃避や慰めにはちょうどいいかもしれませんが、現実を認識するという私たちの作業を誤ったものにしてしまう可能性があります。 私はそれが恐ろしいので、そういう思いを、この詩の中に書き込んだわけでした。 文体について。確かに、一種の語りかけの調子で書き起こしてしまったため、それを最後まで貫こうと腐心しました。 丁寧に読んでくださり、ありがとうございます。 (幕間の子守歌)

2018-06-19

コメントありがとうございます。 ずっとどなたからもコメントをいただけなかったのでうれしいです。 何か、バシッとこないものを書いてしまったという感じが自分にもあります。 (幕間の子守歌)

2018-06-18

この作品、気になります。良い意味で。 「わたし」という語だけは陳腐で狭く、できれば使わずに書ければよかったですね。 「わたし」とか「あなた」という語はもう使わない方が良いでしょう。飽きました。 さて、悪い意味で気になるのはこういうことだけで、他の点では、完璧で傑作です。 まず、他の人が使ってしまいそうな語を(「わたし」という語は使っているけどそれ以外で)全然使わずに避けて通している。 また、この作品の意味をとるのは難しいので私はあまり頑張ろうとは思わないけれど、何回も繰り返し読みたい詩なので、いつか分かる時が来るでしょう。 なんだかパウル・ツェラーンの詩みたいだなぁ。 (薪)

2018-06-14

コメントありがとうございます。 私は最近は詩はあまり書かず、短歌ばかり作っています。原稿用紙を言葉でどんなに多量に埋めてみても、だいたい最後は短歌になってしまいます。 詩作は難しいと感じます。今の私にとって詩作は、水のような素材で石像のような確かな物を表し立てるような感触の作業です。 何によらず創作における私の心がけとしては、一つにはやはり既視感を感じさせるものは作らないようにすることです。詩も、歴史が長く、豊かな成果があるので、同じことをしないように注意し実行することはとても難しいですね。 (歌)

2018-06-10

丁寧な評文ありがとうございます。私の詩作品についての評文だとは分かりながら、単独で読んでもまるで一篇の散文詩のように感じられる文章ですね。 この現代において、何か言語を書きつけてみて、それが詩であると言えるようになる所以となるものは何なのだろうかといつも考えつつ私は書くという行為をしています。 また、この世界、悩ましいことですが、どんなに美しいことであっても、どんなに気になることであっても、何でも詩になるわけではなく、詩にならないことがあるのは確かで、何故そういうことになるのか、考えてもいます。 (《選評》2018年5月分・ワンポイント)

2018-06-10

湯煙様、コメントありがとうございます。 私は最近、厄介な事態ですが、自分の作品に自分で何か語を加えることは、テキストを改変してしまうような感じがして、ためらいがあり 、テキストを読んでいただき、思われるままに受け取っていただきたいと感じています。 ただ私自身も、自分でこの詩のテキストを読み、感じるところがあるのですが、湯煙様のコメントにあることと重なる部分があるような感 じはしています。 本当に申し訳ないのですが、この詩のみについては、というか詩一般についても、今あまり語れそうにありません。 なので無理はせず、何も言わないことにします。 時間が経てば、事態は変わるかもしれませんが。 どうか御容赦ください。 しかし曖昧ながら、一言。 或る虚しさ、或る疑いに、私はとりつかれているようです。 (歌)

2018-06-04

かるべまさひろ様、コメントありがとうございます。 本当に、さまざまな詩がB-REVIEWには投稿されていますね。 どんなものであれ、何かを真摯に書き上げるということに、私は敬意を持っています。 ですので、批評批判をおこなうことはとても難しいと感じます。 私は詩作における自分の目標を表明しましたが、それに合わないものでも良いものはどうしても良いです。 最近私は自分の理想に合う詩を生み出そうと苦心しています。 書く上で、起承転結、ストーリー、オチなどから脱するには、どうしたらいいのか、試験しています。 どうやって書き起こせばいいのでしょう? どうやって書き終えればいいのでしょう? 筋や論理から解き放たれることができるのでしょうか? 私は一方では意味の無いことを書きたくはありません。 意味や言いたいことはしっかり織り込まれているものを書きたいです。 B-REVIEWに投稿できるのは月に二回までなのですね。 今月はあと一回の機会がありますが、間に合うかどうか。 私の努力の過程を見ることのできる詩を投稿できればいいと思いますが、必ずしも私の理想に捕らわれているものを書くとも限りません。 ただ怠惰ではありたくないです。 (四角い光の板)

2018-05-29

コメントありがとうございます。私は前言において自分の詩『四角い光の板』がまだずいぶんと割る余地を持っていることを挙げて自己批判しました。私は詩が今なお、起承転結、ストーリー、オチ、こういったものを多くの場合持つということに疑問を持っています。こういったものにはもう十分出会いました。こういったものから脱したいのです。私としてはこのような態度で詩作に臨んでいきたいと思っています。 (四角い光の板)

2018-05-23

コメントありがとうございます。私が自分の詩にコメントをいただくのは、人生で今回が初めてです。私は自分で、この詩はそもそも書かれるべきではなかったのではないかと投稿後すぐに考えました。何を言いたいのかが分からない詩です。また、拙い小説か何かから一部取り外してきたかのような単なる散文的描写に過ぎません。その点から批評されることは予測しておりましたが、そうではありませんでした。私は、詩の条件として指示代名詞の多寡は問題ではないと考えます。また詩は必ずしも切り詰めなければならないものでもないと考えます。冗長で、読みづらいものであってよいのです。そして演出しなければならないくらいなら、書かない方がいいと思われます。詩は言葉で遊ぶものでもなく、言葉の飾りでもなく、調べも要らないものです。詩は、私にとっては、それ以上割れない一つの言語的個物です。この点で、私の今回の詩は、駄作と言えます。 (四角い光の板)

2018-05-22

「個」的な「えー、あー、」が「連続」的な水中、海中に発せられて、しかもその「えー、あー、」によって「ひとりぼっちの世界」に「つながりはある」世界構造。よく考え、とらえられた世界観だと思う。最後の「あなた」の語が、突然過ぎて少し気になるか。「わたくし」もしくは「わたくしたち」として止めておいた方が良かったように感じた。 (In Blue)

2018-05-20

詩の言語的な側面から言うと、良い音、良いリズム。内容の面から言うと、奇想的で楽しく、平和な感じがして、癒される。 (マヨネーズをめぐる愛憎劇)

2018-05-20

ありきたりの「枯葉」というものを語って「この星の内部の充溢したエネルギーを感じる」と締めくくったところが秀逸。タイトルが『枯葉』とはなっておらず『葉脈』となっていることに納得。 (葉脈)

2018-05-19

「卵を産む生物」とそうではない生物の一種である私という対比の着想がまれに見るおもしろさ。そして「あなた」の存在が重い。 (さえずり)

2018-05-19

「詩を求めてる人しかいないですねぇ」とは、よく表明できたものだと感心しました。 (問答)

2018-05-19

「誰もが魔法を信じている」という詩句だけは、詩歌に持ち込むには甘く、軽いと感じたが、通読して、全体としては迫力のある、勝れた作品だと思いました。 (エゴ)

2018-05-19