わたしがミイラ男だったころ - B-REVIEW
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わたしがミイラ男だったころ    

ミイラ男だったころ 身体は包帯を巻いてひっかけるための ものでしかありませんでした 歩けば犬が吠え、親は子どもを隠します 皮膚が引き攣るのでよたよた、していると 見知らぬ人たちが不幸だ、不幸だと騒ぐ そんなことは知らない 痛みと熱、痒み、この爛れた皮膚 さらにぐるぐると巻けば包帯はすべて 遮ってくれる殻、蛹になりたい ひととせふたとせ待っても 羽化もしない 身体を捨てたくなって 墓を暴く盗人みたいな 手つきで 包帯をといていけば そこには何もない 空っぽ、あぁ、みんな包帯をみていたのか 包帯が風にさらわれていくなかで 何もないのに熱と痛みと痒みが 生きている、と訴えていた


わたしがミイラ男だったころ ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 21
P V 数 : 2798.5
お気に入り数: 0
投票数   : 0
ポイント数 : 73

作成日時 2019-04-13
コメント日時 2019-04-25
#テキスト #酷評OK
項目全期間(2024/03/29現在)投稿後10日間
叙情性2521
前衛性10
可読性1610
エンタメ1211
技巧76
音韻11
構成1110
総合ポイント7359
 平均値  中央値 
叙情性1.91
前衛性0.10
可読性1.21
 エンタメ0.91
技巧0.50
音韻0.10
構成0.80
総合5.65
閲覧指数:2798.5
2024/03/29 03時17分18秒現在
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    作品に書かれた推薦文

わたしがミイラ男だったころ コメントセクション

コメント数(21)
左部右人
(2019-04-13)

作者の切実さをひしと感じました。 ここで書かれる「包帯」の解釈をどのように考えるかで読み方が変わってくると思います。 私はこの「包帯」を「虚栄」と読みました。自信(=自身)のない「わたし」は自らを偽り周囲の目を欺いているようですが、肝心の「わたし」の目は欺けません。 「わたし」の中にいる「見知らぬ人たち」(「わたし」が勝手に想像する他者の視線)は「わたし」に対して「不幸だ、不幸だ」と「騒ぎ」ますが、「わたし」はそんな内なる声には耳を塞ぎます、「そんなことは知らない」と。 しかしそんなある時私は包帯(=虚栄)を巻き続けている「わたし」は「羽化」(=成長)なんてしないと悟ります。 そうして「わたし」は「包帯」(=虚栄)を脱ぎ捨て、裸一貫の身に受ける「痛み」を受け止め「生きている」と実感する。 ある1人の成長、イニシエーションの物語だと読みましたが、読んでいる内に、これは「ミイラ男」のモチーフより伝えやすいモチーフがあったのではないか、思ってしまいます。しかし一方で、作者が「ミイラ男」を選んだ理由に想いを馳せるべき詩のようにも思えます。 いずれにせよ、好きな詩です。主体が何かを変えようとしている作品は、読んでいて気持ちがいいなと感じます。

0
哀愁亭
(2019-04-14)

素晴らしい作品だと思いました。人は皆、包帯を見ていたから自分のことを不幸だ、ミイラ男だと言ったのだと作中の人物が気づき、包帯を解き始める。ミイラ男は完成体であり、蛹ではないから。だけど包帯を解いてミイラ男でなくなった自分は、もはや何者でもなくなってしまった。本当の完全体、オリジナルは自分はただの無だった。 この先の展開はきっと、どう描いても陳腐になってしまうのでしょう。その先なんて、誰も知らないから。きっとどう描いても、それは別の包帯にしかならないから。 本当の自分を知ることの空虚。絶望。それでも熱と痛みと痒みが生を訴えているという最後に強い意志のようなものを感じました。

0
石村利勝
(2019-04-14)

ポーやボードレールに擬したいような、間然とするところのない名品だと思います。天晴!

0
ほば
(2019-04-14)

左部右人 様 好きな詩であるというコメント嬉しく思います。ミイラ男、にした背景は申しませんが少なくとも他の語句では自分の中でかわるものがなかったのは確かです。ありがとうございます。

0
ほば
(2019-04-14)

哀愁亭 様 詩作のなかでやはり過去、現在の自分と向き合うこと、知ろうとするときに詩の言葉が生まれてくることがあります。本当の自分、未だもってみえないが生きて詩らしきものを書いているだけで、幸せかもしれない、など考えてしまいますね。ありがとうございます。

0
ほば
(2019-04-14)

石村利勝 様 比するのもびくびくする名前が! こんばんから御二方が枕元に現れるやもしれない……ある意味素晴らしいな。 天晴!頂きました!ありがとうございます。

0
yasu.na
(2019-04-15)

 私は帆場蔵人様の作品に『文学極道』というサイトで初めて出会いました。『養蜂箱』が登場する作品でした。そして私はその作品について「良いと思う」と発信したのでした。それ以来、気になる書き手だと思っていましたが、他の作品を読まずにいました。今回、この作品を読んでみました。  タイトルだけ見れば、魅力は感じません。  『ミイラ男』というような夢幻的でゲームにでも出てくるような言葉を私は好みません。  また、詩の中身も『養蜂箱』の詩に比して密度が落ちているような気がするのです。  どこか帆場様らしくないものがこの詩に入り込んでしまった感じがします。  よくある発想、よくある詩句、ありがちな技術、そういうものを感じます。  本当に帆場様の詩なのだろうかと、ちょっと、あれれ? といった驚きを感じました。  これがこの作品についての私の率直な印象と感想です。酷評にはならないと思いますが、本当に、あれれ? と思ったのでした。

0
ほば
(2019-04-15)

南雲 安晴 様 まずは率直なご感想ありがとうございます。あれれ?としか思って頂けなかったのは残念ですが。 言われているのは『耳鳴りの羽音』です ね。この作品と比べると書き連ねた量は遥かにあちらが多いとは思います。ただ単純に密度が低いのか、というと言い切れない。この詩を耳鳴りの羽音のように書くことは可能ですが、書きたいことの密度は逆に薄まる気がします。 ミイラ男という詩句について。 ゲームに出て来るからと言うのは、どうでしょうか?確かに俗なイメージかもしれないですが、ゲームに使われる以前からミイラ男と言うものは映画にも絵本にも使われていると思います。またこの詩の場合、その俗でチープなイメージが主体が感じる深刻さと相まって妙味が生まれるのではないか?(これは後付けで、ご指摘後に改めて読み直して感じた、感想です) 色々と繰り申しましたが、耳鳴りの羽音も含めて拙作について語って頂いたことを有り難く思います。これを糧に次作を考えたいと思います。ありがとうございました。

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ほば
(2019-04-15)

沙一 様 空っぽ、の自分。さてなんだったのでしょうか。そこは読まれた方のご想像にお任せします。詩が、包帯になってくれる、これは素敵な例えですね。疲れきった時に好きな詩を暗誦することがあります。詩歌に救われた人も多いのでしょうね。コメント、ありがとうございます。

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るるりら
(2019-04-15)

わたしは、身体感覚のある詩が好きです。身体を離れて無限に広がる想像力で書かれた作品を多く読みすぎてきたせいかもしれません。脳みそだけで考えたとこは、一見 個性的のようで 実感を共感しにくいという点で どこかで読んだ無個性の作品に思えるのです。  本作品は、わたしには 個性的だと感じられました。 >ミイラ男だったころ >身体は包帯を巻いてひっかけるための >ものでしかありませんでした ↑身体は本来、いろんな動作や行動ができるはずなのに そうではない状態。 身体はいつも、脳を活動させて いろんなことをさせているのですが、脳でできることは どこかのだれかもしていているもんだとも いえます。 >歩けば犬が吠え、親は子どもを隠します >皮膚が引き攣るのでよたよた、していると >見知らぬ人たちが不幸だ、不幸だと騒ぐ ↑個性的な者は、迫害にあうことが多いのです。 >包帯をといていけば >そこには何もない >空っぽ、あぁ、みんな包帯をみていたのか >包帯が風にさらわれていくなかで >何もないのに熱と痛みと痒みが >生きている、と訴えていた 「なにもない」とか「空っぽ」とは、意味が深いように私には思えました。 透明人間なのか?いや ちがう。透明人間のような なにもないではなく、熱と痛みと痒みがあるが その他にはなにもない。これって つまり、脳が機動していないことを意味していて、強い身体性を感じます。 脳の活動がやたら高速で回転していると、人は人として 正しいし健康なのかもしれない。脳活動が高速で回転しているような 多くの作品よりも、 本作品のように身体性のある作品のほうが、好きです。 身体性あることを この詩は。空っぽっていうけれど。からだが からっぽなのは、なんだか 音の響きも似ているし、身体というもの本質のような気までしている私なのです。

0
ほば
(2019-04-15)

るるりら 様 はるか昔の体験をずっと考えて来ました。当時、言葉にならなかった感覚が長い時間を経て溢れるように言葉になったように思います。ぼく個人の辛い、とか苦しい、を越えてようやく人様にお見せ出来る詩になったのだと思います。 今、書きながら空っぽであることは素晴らしいことだという、タオという老子の言葉を訳した詩集を思い出しました。器は空っぽであるからものが入る。そんなもんになりたい、、、 うまいレスが思いつきないのですが、拙作でたくさんのことを感じて頂けて嬉しい限りです。ありがとうございます。

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鈴木歯車
(2019-04-16)

安部公房の短編「赤い繭」を思い出しました。 なんというか、ミイラ男が包帯として解かれ尽くしたあとのはかない余韻を、ぼくは想像しました。死者のような、見えない感覚だけがそこにあって、もう誰からも見られることはないという。

0
ほば
(2019-04-16)

鈴木歯車 様 安部公房、良く名前が出てくるので笑う月を読みました。箱男もあるはずなんだが、見つかりません。 誰からも見られない感覚、死は解放でしょうか。しかし、もう誰からも見られない、という余韻はわかるように思います。コメント、ありがとうございます。

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かるべまさひろ
(2019-04-20)

すみません、今月3作目の投稿のようで、気が付きませんでした。 時期に、システムで制限するようしますので、お気を付けて。来月1作でお願いします。 ミイラが、 包帯という イメージの出処を調べていたら、なかなか面白かったです。それを調べたくなる好奇心がわくような刺激がありました。

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ほば
(2019-04-20)

かるべ様 申し訳ありません。今、確認しました。月始めの一作目を先月と勘違いしておりました。注意いたします。対応、ありがとうございます。次月、投稿の件、承りました。

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佐久 乱
(2019-04-23)

はじめてコメントします。 >何もないのに熱と痛みと痒みが >生きている、と訴えていた ここで涙が込み上げてきました。 感覚だけが残されて、実(じつ)を見つけられない。 でもその痛みなどの感覚だけが「生きている」証拠で。 最後の2行で胃の奥をぎゅっと掴まれたように思いました。 上手く表現できず、ごめんなさい。

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鹿又 夏実
鹿又 夏実
(2019-04-25)

読みやすく、ミイラ男の虚無が伝わりました。ミイラ男が詩で語られる時、包帯の中身は言葉ということになるのでしょうか。オカルト的存在なのに、風にさらわれる包帯という儚げなイメージがミイラ男の側面を物語っているようです。

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ほば
(2019-04-25)

佐久 乱 様 コメントありがとうございます。 うまく表現できる必要はないですよ。感じ入っていただいた事がぼくは嬉しいです。 ぼくもコメント下手なので 笑

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ほば
(2019-04-25)

鹿又 夏実 様 今回は読みやすさ、も意識していたのでまずはほっ、としました。包帯の中身は、さて、言葉であるのか。読まれた方々が様々な情景を描いておられるようで嬉しい限りです。

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tOiLeT
(2019-04-25)

はじめてコメントします。 どこか夢のような空気感で、でもだからこそ包帯を説いた後の『熱と痛み痒みが』という表現が、 シンプルだけど心地いい刺激のように感じられたのかな、などと思いました。 個人的には全体として好きな空気感です。

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ほば
(2019-04-25)

tOiLeT 様 コメントありがとうございます。ある意味、生きる実感をとらえなおしたような所がありますね。それが心地よい刺激になったのかな、と思います。

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