哀愁亭

投稿作品数: 9
コメント数: 51


リス

2019-06-07

書物

2019-06-02

北極星

2019-05-08

シャボン玉

2019-05-01

2019-04-16

あなたへ

2019-04-12

とても好きです。テーマとしては過去を忘れられずにいる、つまり先へ進むことを拒む気持ちなのだと思いますが、このように行間をたっぷりあけることで読んでる方もゆっくり一つ一つの文章を味わうことになる。内容と手法がリンクされていて、とても面白いと思いました。行間からアルビノーニのアダージョが聞こえてきそうです。 (過去からの旅人)

2019-06-16

うわあ、めっちゃ面白かったです。最後の結論というかオチがあまりにくだらなく(もちろん、これは最大級の褒め言葉です)、そのこと自体が正にディレッタント・カットを象徴している。感服しました。 (ネット詩の読解の不可能性についてのディレッタント・カット)

2019-06-15

横からで大変申し訳ありませんが、渡辺八畳氏のmoooさんに対するコメント、見ていて大変不快ですし、そもそもこのサイトのガイドラインに反していると思います。なのでフォーラムにて抗議しました。 お前には関係ないだろうと思われるかもしれませんが、酷評なら何をどう言ってもいいのか、というのはこのサイトに参加している人すべての人に関係する問題だと思います。 moooさん、こんなコメント気にしないでいいですよ。僕は酷評OKタグなんて外してますよ。ここでまともな酷評が期待できるのかどうか、よく考えた方がいいです。ちゃんとしたことを言ってくれる人は、酷評OKタグなんてついてなくてもちゃんとしたことを言ってくれると思います。 コメント欄を汚してしまい申し訳ありません。あとはあっちでやりますので。 (日常)

2019-06-13

鈴木 海飛様 コメントありがとうございます! いやいや、そんなに気にしてるわけじゃないんですよ。あ、やっぱりwって思っただけで。 ただ、なんというか、僕はこの場所が戦いのリングでも処刑場でもあってほしくないと思うし、あの批評の前置きもそんなの嫌でしょ、という気持ちで書いたのですが、にもかかわらず、もしかしたらむしろ僕がこの場所をそうしたがっているように見えているのではないか、と思って。だから、ああ、言葉って難しいなって。 でも全て身から出た錆ですし、色んなことを考えつつも、やっぱり結局は書きたいことや書かなきゃと感じたものを書くことしかできないので、まあ考えるだけ無駄なのかなとも思っています。 気にかけてくださってありがとうございます。とても嬉しいです! (書物)

2019-06-12

survof様 ああ、仰っていること、すごくよく分かります。で、結局、そこなんですよね。僕らは互いに原文を参照しているから、こういう話ができるわけで。 だからこそ翻訳者の方々は偉大だと思いますし、だからこそ、外国の作品に触れる際には翻訳者の方々に寄りかかるのではなく、まず自分で訳してみて比較するのが大事だな、と思います。 この投稿、もしかすると消えてしまうのかもしれませんが、本当にgood jobです。ありがとうございます! (訳詩:Diving into the Wreck (by Adrienne Rich))

2019-06-08

TwoRivers様 コメントありがとうございます! 僕もいつもTwoRivers様の作品を拝読して同じことを思っていたので、まさかそんな風に言っていただけるなんて、嬉しいです。ありがとうございます! (リス)

2019-06-08

せいろん様 コメントありがとうございます! こういうタイプの作品は、どうしても軽く流されがちで、まあ、それはそれで仕方のないことだとは思うのですが、なのにこうして目を留めてくださって、とても嬉しいです。 タイトルは、恥ずかしながら僕がネーミングセンス皆無なのでいつもこんなことになっています(涙。でも、それを良い方に捉えてくださってありがとうございます。 (リス)

2019-06-08

法律的なあれこれはさておき、survof様の試みは素晴らしいと思います。 本来外国の文学は、とりわけ言葉の芸術である詩は、原文を読んで味わうべきもので、翻訳だけを読んでいいだの悪いだの言うのがおかしいです。 小林秀雄みたいにロシア語知らないでドストエフスキー論を書く猛者もいますけど、ブローティガンのように翻訳者が良いから日本ではとりわけ人気がある、という詩人もいますし。 特に海外の言葉で書かれた詩の良さを僕ら日本人が本当の意味で理解するなんて不可能です。 でも、そのかわり、僕ら日本人には、その作品を好きに翻訳するという自由と楽しみがある。 なので、僕も自分なりに第一連を訳してみました。(ちなみに僕は英検3級ですが(汗)) まず、しっかり教本を読み終えなきゃね 次にカメラを首からかけて あと、ナイフの切先加減を確かめなきゃ それから私は身に纏うの 黒いゴムでできた鎧 うーん、まるでシュールなイルカみたいね あと、なにこの不細工なダイバーマスク まるで死体みたいじゃない どうもあの太陽の光を浴びた帆船に乗り込む クストーとその仲間たちみたいにはいかないわ でも、私はたった一人でそれをしなきゃいけないの なんてね。下手な訳でごめんなさい。 特に最初のbook of mythsは、そのまま神話の本とか御伽噺の本というよりも、それくらい大事な本、って意味じゃないかな、と内容的に思います。僕はかつてホームステイしてたことがあるんですけど、そのとき僕とホストシスターは英和辞書を「聖書(bible)」って呼んでました。これがなきゃ生きていけない、みたいな意味で。なんか、そういう感覚。 (訳詩:Diving into the Wreck (by Adrienne Rich))

2019-06-08

みやび様 コメントありがとうございます。 「”人は知らないものは探さない” だから、みんな知っているとも言える。探し物は何処ですか?と問われるならば、その人に ならば、ここですかと尋ね返すのが本を読ませる詩人の仕事かと…。」 そうですね。僕もほんとにそうだと思います。谷川俊太郎の詩で 「あなたに答えは贈らない あなたに一つの問いかけを贈る」 という言葉があるんですが、僕は詩というものは、いや、詩に限らず世の中の大抵のものは、「答え」ではなく「問いかけ」なのだろうと思います。 何らかの宗教を信じる人も、お経や聖書を「答え」にする人と「問いかけ」にする人がいると思います。詩や哲学もまた、それを「答え」にする人と「問いかけ」にする人がいる。 そしてすべてを「答え」ではなく「問いかけ」でしかない、という人は「答え」の存在を認めない人ではなく、むしろ「答え」を知っている人なのでしょう。「答え」を知っているから、それを言葉にすれば嘘になるということも知っている。 いただいたコメントから、また色々と考えたくなりました。 ありがとうございます! (書物)

2019-06-07

帆場蔵人様 コメントありがとうございます。 「同じ物など見れないから詩や音楽、文学があるんだろうなぁ」 というのは、僕もそう思います。ほんとにそうだと思います。 なんというか、僕は別に優れた詩やコメント、批評を期待しているというわけではないのです。ただ、ある作品があったとして、それがたとえ誰かにとって拙いように見えても、失敗作のように見えても、その作品はそれとして「完全なもの」なのだ、という前提がなければ、作品を通した対話というのは成り立たないのではないか、と感じています。 この詩の感想は詩でしか返せない気がする もう、それだけで本当に嬉しい感想の言葉です。ありがとうございます。 ところで、全然関係ない話ですが、「帆場蔵人」というお名前、素敵ですね。ちなみに僕の名前の由来はアイスティーです。 (書物)

2019-06-07

鈴木 海飛様 コメントありがとうございます。 うん、確かに、そうですね。言葉だけの力に頼っちゃいけないのかもしれない。 ヴィトゲンシュタインは「語り得ないものは沈黙しなければならない」と言ったけれど、それは語り得ないものの存在を認めているということであり、論理の限界を示している、その限界のもっと向こうに多分詩がある、そんな気がします。 そう、海飛様も仰るように 「やれやれ、まったく君は詩人だねぇ。」 ってもう互いに言い合うしかないような、そんな世界の存在を僕も信じています。 同じものを見て欲しいわけじゃないんですね。そうじゃなく、繋がってるということを感じて欲しいし、感じたいのかもしれない。 僕は理屈屋ですけれど、それ以上に詩を愛する者です。詩は理屈のもっと先にあり、批評はそれと知りつつどこまで理屈でそこに迫れるかという試みなのかな、なんて勝手に思っています。 ていうか、うーん、あの批評、やっぱりそんなに印象悪かったんですね(汗 (書物)

2019-06-07

鈴木 海飛様 コメント、というか返詩だと思うのですが、ありがとうございます! いいですよ、すごく。すごくいい。正直よく分からないですけど、でもきっと分からないからいい。分からないのに、なんか今、「この詩をめっちゃ分かってくれた!」って気持ちでいます。分からないのはきっと、僕が「味うことに自信がないだけ」なのかなって思ったり。僕が立ちすくんでる崖を「あっはっは‼️」と笑いながら飛び越えるなんて…すごいなあ。 いやもう、本当に素敵でした!ありがとうございます。 (書物)

2019-06-05

taishi ohira様 コメントいただきありがとうございます。 ですが、こちらからのコメントは控えさせていただきます。特に必要だとは思えないので。 (書物)

2019-06-02

mooo様 コメントありがとうございます。こちらこそ、素晴らしい作品を批評させていただきありがとうございました。 これからも素敵な詩をたくさん書いてくださいね。応援しています。 (批評:「どうして なんで」を追いかけて)

2019-06-01

とても興味深く拝読しました。 冒頭のイエイツの詩に加え、語り手の独白、「別れた妻にとてもよく似ている」という一行、そして最後の詩のような部分、恐らくそのすべてが本質的な意味での「詩」ではない(イエイツの詩ですら、多分それはかなり「詩」に似ているものであるけれど「詩」ではない)のだろうと思いました。そうすることで見えてくる、というよりもそれは決して見えないと意識せざるを得ないものとして「詩」を描いている。私たちは誰も「詩」など書けない。私たちが書けるのはただ「詩に似たもの」でしかなく、その差異によって、それらが「詩」になり得ないことによってしか「詩」を感じることはできない、と。 でも同時にこの作品は、そのような文脈でこの作品を語ること自体が作品内で描かれたパワハラクソ野郎と同じであり、そこから始まる会話などはすべてポルノ小説のような、あるいは意味のない一行の反復のようなものだ、ということでもあると思いました。お前はここから何かが見えるつもりか?と。 それは、差異をどれだけ反復しても見えてくる本質などはない、という叫びのように感じました。 この作品には何もコメントしないのが正解なのかな、と思ったのですが、なぜかコメントしているのは、多分、結局僕がこの作品に描かれたクソみたいな恥ずかしい「詩人」とそんなに「差異」がないからだと思います。 (ノーカントリー)

2019-05-31

エイクピア様 コメントいただきありがとうございます。 立体的、という言葉は言い得て妙だと思います。批評のような形で誰かの体験をすることは、作品ー受け手という平面的な関係に第三の視座を提示することになるのかもしれませんね。 本評がそのようなものになったのであれば、それは評者冥利につきるというものです。 ありがとうございました。 (批評:「どうして なんで」を追いかけて)

2019-05-31

stereotype2085様 コメントありがとうございます。 「批評対象作品である「どうして なんで」は、この論評を読んで改めて向き合った」 という言葉は、本当に嬉しいです。この評は誰かにとって当該作品に触れたり振り返ったりする機会になってくれたらいいな、というそのためだけに書いたものです。なので「よかった。言葉を受け取ってくださった」と思いました。ありがとうございます。 (批評:「どうして なんで」を追いかけて)

2019-05-31

かるべまさひろ様 作者としていくつかの重要なご指摘、ありがとうございます。 投稿詩は一つもないとも読める というのは、確かにその通りだと思いました。そのような解釈で改めて本作品をもう一度味わってみたいと思います。 また、そのことも含めて「構造が根本的にエスノグラフィー」だということも、なるほどと思いました。 さらに、そう述べた上でコメントの最後に評者の説を受け止めた文章を入れてくださったこと、評者としてはこの上ない喜びです。 批評、あるいは解釈は、結局は窓から見た風景みたいなものだと思います。窓の外の風景は、ずっとずっと広い。 そして詩や、あるいはコミュニティも、窓であると同時に風景でもあると思います。多様性とはなんでもありなわけでもなんでもいいわけでもなく、どこまで行ってもこの向こうには更に風景があるかもしれない、ということを受け入れることのような気がします。 お話を伺えてよかったです。 ありがとうございました。 (批評:そもそもBE-REVIEWは始まってたんですか?)

2019-05-25

花緒様、コメントありがとうございます。 僕は花緒様が以前このサイトに投稿された「ネット詩人の墓」を拝読しており、コメントはしていませんが強く印象に残っていました。そのような作品を書かれた詩人の方からコメントを頂いたことを感激しています。 コメントを拝読して思ったことをいくつか述べさせてください。 ご指摘された「前提」について、もしも僕の解釈が間違っていないなら、それは「失われている」のではないように思います。敢えてそれを言葉にするなら、それは僕たちが「詩や批評という言葉の力を信じている」ということです。なんて、あまりにも陳腐で安っぽい表現ですが。 その陳腐で安っぽい「前提」のために、その陳腐さや安っぽさをごまかすために、さらに多くの「前提」があると僕は思います。それが「芸術」だったり「詩」だったり「現代詩」だったり「ネット詩」だったり「BE-REVIEW」だったり「出会い系サイト」だったりする。どこかの場やコミュニティそのものというよりも、その場やコミュニティに言葉を投稿する理由として。 前提が「ない」というよりもむしろ、今生きている僕たちは「前提をそのまま直視できない」。前提を直視できないまま、前提の上にさらに前提を重ねる。「前提」を直視しないまま、それでも「詩」だとか「BE-REVIEW」というものに何かを「見て」いる。その結果、あらゆるものが乱立して相対的に無価値のように感じてしまっている。そんな気がします。 ただ、それでもそういった大元の「前提」まで辿り着くような「詩」や「批評」といったものがあり、それこそが「普遍性」であり、優れた「言葉」なのかもしれない。なんて、こんな表現もまた、あまりに陳腐ですが。 あと、僕がこの評で定義した批評について。「なんらかの価値の体系を示し、その体系の中での位置付けを示す、ことも批評の役割」 というのは、正しく仰る通りだと思います。それは、恐らく今の僕にはできないことだけれど、そういうスタンスで批評する人がいてほしい。そう強く願います。 恐らくその価値体系は僕にとっては「虚像」です。でも、その「虚像」は必要なものだと思うから。先の話に繋げるならば、あらゆるものが乱立して相対的に無価値(虚像)になってしまっているとしても、そうじゃないと言い続ける人が必要です。お前が言うな、という話ですが(汗 そして僕のスタンスがご指摘されたように「一般的に通用する文脈と語彙で説明すること、以上のものにはなり得ない」というのも、その通りです。付け加えるならば(多分このことは敢えて触れずにおいてくださったのだと思いますが)、僕のスタンスは論理的な必然として、知名度が高いことや人気があること、というような凡俗な価値付けの肯定につながります。そうなることを回避する術を今の僕は持ち得ません。そして恐らく、このサイトはそのようなことのためにある場所ではない。 本評、並びに当該作品を「B-REVIEWとは関係がないものとして語った方が、実りがある」と仰っているにもかかわらず、その部分にこだわったコメントとなっていたら申し訳ありません。 本評に真っ当なご批判(この「批判」は通俗的な意味ではなく、本来の意味での「批判」です)を頂いたこと、心より感謝いたします。ありがとうございました。 (批評:そもそもBE-REVIEWは始まってたんですか?)

2019-05-23

改めて、これを読んでくださった方全てに申し上げます。 本論は当該作品批判でもこのサイト批判でもありません。 「BE-REViEW」という言葉が、普通に考えれば「BE-REVIEW」を想起させるということを考えた場合、評者としてはどうしても「BE-REVIEW」そのものについて無関心で批判的であるかのような立場を取る必要がありました。そうしなければ、本論は結局「いやいや、作者さん、このサイトはいいところじゃないですか」という所に落ち着かざるを得ないと思ったからです。 言い方云々についてもっと他にやりようがあっただろうと言われれば、その通りかもしれません。それは僕の力足らずな所です。 ただ、そう言うのであれば僕はこう申し上げたい。 だったらあんたがやれよ と。 それはこの作品に関しても同じです。僕は本論においてこの作品がこのサイト批判であるかどうかには触れていません。 また、この作品の表現手法云々についても同じです。それに文句をつけるならお前がやれよ、と僕は思うからです。それが批評する者としての作者への最低限の礼儀であると僕は考えます。 本論の書き方、論理の構成、そういうものに不満があるのであれば、あなたがより優れたこの作品に関する批評を書けばよい。 また、このことはこのサイトについても同じです。 僕は本論中でこのサイトに無関心であるかのように書いていますが、当然のことながらそれが本心ではないというか、常日頃そう考えているわけでもありません。 そうであればわざわざこのような批評を投稿したりはしません。 僕はこのサイトがより活気のある場所になることを願っていますし、この評論もまた、それに資するものとなると僕は信じて書きました。 どうかそれだけは御理解ください。その上で僕のことを何と思っていただいても僕は構いませんので。 (批評:そもそもBE-REVIEWは始まってたんですか?)

2019-05-19

stereotype2085様 何を言ったか言わないかという言葉の厳密な意味についての話がしたいわけではありません。 また、僕の言葉遣いがstereotype2085様にとって不快であったということであれば、改めてその点について謝罪させていただきます。誠に申し訳ありませんでした。 (批評:そもそもBE-REVIEWは始まってたんですか?)

2019-05-19

stereotype2085さん、コメントありがとうございます。 数多の詩人が合評に加わり、切磋琢磨し、腕を磨いてきた事実への想像力が欠如しているのではないか というご批判は当然のことだと思います。古くからこのサイトに関わり、現在は運営にも関わっている、という方に不快な思いをさせてしまったのであれば、申し訳ありません。 ただ、それでは逆にお尋ねしますが、僕は多少言いすぎたかもしれませんが、本作品を批評するにおいて、このサイトに対してこれくらい突き放した態度をとらなくても可能であったとお考えでしょうか。 結果的には本論中でも述べたようにこの批評は内輪向けであることから抜け出せませんでしたが、評者としては少しでもそうならないようにしようという意思がありました。 なぜ僕がこの評論でわざわざ言わなくてもいいものをここまで言ったのか、ということも、想像していただければ幸いです。それは思慮に欠いたものだったかもしれませんが、必要なことでした。そしてそのことは、本作品が描こうとしたテーマとも関連するのではないでしょうか。 また、 実りある論評活動をし充実した合評サイトを作ろう ということについて、僕は異論ありません。そのつもりです。ご指摘の通り僕はまだ四作しか作品は投稿していませんが、批評は本論を含めて二作投稿していますし、割と積極的に他の方へのコメントもしているつもりです。少なくとも参加してからここまで、僕がこのサイトに積極的に関わろうとしていないとは僕には思えません。なぜそのような呼びかけをされるのか疑問です。 (批評:そもそもBE-REVIEWは始まってたんですか?)

2019-05-19

かるべまさひろさん、コメントありがとうございます。 言い訳ではありませんが、本論中でも述べたように、この評論は作品の批判でもこのサイトの批判でもありません。 そのことだけは御理解いただければと思います。 また、僕は批評は作者へのメッセージではないと思っています。批評が想定する読者は作者ではなく、自分以外の読者です。 もちろん、作品は当然作者様のものですから、意に添わぬ批評、見当違いで誤解される恐れのある批評があれば、作者としてそれに反論するのは当然の権利だと思います。 本論が少なくともそういうものではないことを心より願っています。 (批評:そもそもBE-REVIEWは始まってたんですか?)

2019-05-19

ジョディ・フォスター主演の「コンタクト」という映画の中で、主人公の宇宙飛行士が宇宙に行ったときに言うのです。「私は科学者である自分こそが宇宙に行くべきだと思ってた。でも、それは間違っていた。私には、この美しさを言葉にすることはできないから。宇宙に行くべきだったのは私じゃなく、詩人だ」と。 僕はこの映画のこのセリフがとても好きで、この作品を拝読して、そのことを思い出しました。詩人は、詩は、やはり美しさを語るものなんじゃないかと僕は思います。詩はそれだけのものではないとしても、それでもやっぱり。 この作品のような美しい詩を僕も書きたいです。 (一瞬の素描)

2019-05-18

読んですごく共感しました。自分と現実とのギャップって誰もが持っているもの。それってすごく大事なことだよ、なんてポジティブに言われることが多いけど、でもそれに囚われるのは怖いですよね。そういう感覚って大切だなと思います。あと、最後の「誰かと話したいな」という文章が特にいいなと思いました。ふっと、つい口から漏れたって感じで。 (どうして なんで)

2019-05-18

「青春を追う」という最初の言葉に引き込まれました。この詩の語り手は、そして恐らく作者であるSrirカゲルさんも、まだ「青春」をもう過去のものとしてしまうような、そんな年齢ではないと思うのです。(違ってたらごめんなさい) なのに、「青春を追う」と言う。その感覚。でも、青春をもう過去のものとする僕(僕はもう中年です)でも、その感覚はあの頃、確かに感じたことがあるような気がします。ここにいていいはずなのに、なぜかそうじゃないと感じる気持ち。世界をくそったれと罵りながら、だけどその世界に順応して「平凡」でありたいという気持ち。 答えなんてなくていいと思います。答えなんてなくていいから、答えを求めるのだと思います。それもそれでいいのだと思います。 色んな気持ちが、詩という形でしか外に出せない気持ちがとても伝わりました。素敵な作品です。 (夢現)

2019-05-18

ふじりゅうさん、返信ありがとうございます。 こちらこそ、頂いたコメントに失礼な返答をしてしまい、申し訳ございません。 不快に感じたとか、そういうわけではないのです。 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 (シャボン玉)

2019-05-16

帆場蔵人さん、コメントありがとうございます。 そうなんですよね。後半のリズムについては、僕自身ももっとなんとかできないかなあ、と思っています。 (シャボン玉)

2019-05-15

ふじりゅうさん、コメントありがとうございます。 ただ、ごめんなさい。ふじりゅうさんが提案された第4連の方が、ずっとこの詩を「説明臭く」し、この詩を台無しにしてしまうと僕は思います。もちろん、これは僕自身の表現力のなさが問題なのだと思います。なのでご指摘には深く感謝いたします。 以下、長文になるのでご負担であれば読んでいただかなくてもかまいません。ただ、アドバイスが適切でないという理由を説明するために、僕がこの作品で何を表現しようとしたのかを説明します。(もちろん、そういう行為自体が野暮なものであり、本来すべきでないことだとは百も承知ですが) まず、第1連で僕は「君」がシャボン玉で遊んでいる風景を描きました。続く第2連では、語り手がシャボン玉が虹色の理由を「説明」します。この作品を「説明臭い」というご指摘はまさにごもっともです。ただ、語り手の「説明」はまったく具体的ではない、ということが重要だと僕は思っています。「嘘」なんです。「戯れ言」です。リアリティのかけらもありません。だからこの第2連の時点で「はあ?こいつ何言ってるのw」と思う人はそもそもこの作品の読者ではないのです。 そして第3連で「君」は語り手の無意味な、リアリティのない「説明」を受け入れた上で語り手に問いかけます。もしそうなら、自分の中にあるはずの思い出がシャボン玉に移ってしまってなくなっちゃうんじゃないか、と。これは、語り手の「説明」を頭から否定しているわけではないものの、それでも「君」は語り手よりは現実的だということです。その問いに対して、語り手は第4連で再び「戯れ言」でリアリティのない「説明」をします。というのがこの作品の骨子です。 さて、この語り手の行為は何の意味も、なんの価値もありません。表面的で空っぽです。故にこの作品もまた、何の意味もなく空っぽです。そして表面的です。 でも、それが僕の描きたかったものです。シャボン玉をするとなんか楽しい、というのと同じように。つまり、語り手は比喩的な意味でシャボン玉をしているわけです。 よって、この作品においてシャボン玉の具体性などは必要ありません。具体性を持ち込めば、この作品がファンタジーではなくなってしまうからです。僕がしたいのは幻想をリアルに描くことではなく、むしろその逆だからです。薄っぺらでなんの価値もなく、すぐに弾けて消えるようなものを描きたかったのです。リアリティなんてわざわざ描写するまでもない、と僕は思っているので。 長文失礼しました。 コメント頂いたことに関しては心から嬉しく思っています。 もしもこの返答を不快に感じられたら申し訳ありません。 僕は多分、色んな意味でこのサイトの空気にフィットしていないのだと思います。 (シャボン玉)

2019-05-15

tOiLeTさん、ありがとうございます。 ヴァレリーでしたかね、ボートは後ろ向きに漕ぐものだ、そんな風に人は未来へ進んでいくんだって言ったのは。なんかまあ、そんな気持ちで書きました。 (北極星)

2019-05-10

最後の和歌は、紀友則の歌の意味を教えてくれた人に向けた歌ですよね。だからこの詩はそれ自体が相聞歌になっている。古き良きものを踏まえつつ、新しさもある。ああ、これはまさに令和の時代の日本の詩歌だなと思いました。素敵です。 (つくよみ)

2019-05-10

tOiLeTさん、コメントありがとうございます! 「誰もが共感できそう」というのは僕が目指しているところです。ありがとうございます。僕は誰にでも分かる詩が好きですし、そういうものをこそ書きたいです。 (シャボン玉)

2019-05-01

テーマは「進化」なのだと思うのですが、それが「魚になる」というのが面白いなと思いました。だって、魚になるのならば、それは「進化」ではなく「退化」ですものね。 でも、「進化」ってもしかしたらそういうことなのかもしれない。それは一見、「退化」にしか見えないものかもしれない。それこそ「人間に留まりた」い人にとっては。肺で呼吸し、のろのろと地上を歩き回る「人間」にとっては。 いい詩ですね。とても好きです。 (トビウオ)

2019-05-01

ものを見る視点がユニークでありながら、ちゃんと読む人にも「分かる」のが素晴らしいと感じました。 詩的な言葉は論理的な言葉ではないから本来は人に伝わりにくいものなのだけれど、それでも優れた詩の言葉は、むしろ論理的な言葉よりもものの本質を突き、それ故により人に伝わるものだと僕は思います。 この作品は正にそういった詩だと思います。うまく表現できないのですが、この詩を読んで感じたことは、確かに「近づきたい」よりも「潜っていきたい」でした。素敵な詩です。 (落下)

2019-04-29

僕は逆上がりができない子で、結局できないまま大人になりました。もう逆上がりはできないのだろうな、と思うと、なんだか少し寂しいような、でもまあ、そんなのどうでもいいことのような、不思議な感じです。 自分の力で何とかできることと、自分の力じゃどうしようもないこと。生きるというのは鉄の棒に掴まって、両者の間をぐるぐる回ることなのかな、と作品を読んで思いました。それでも空はやっぱり空で、ずっと向こうにあるんだな、と。 素敵な詩でした。出会えてよかったです。 (そらおそろしい)

2019-04-26

この作品には「俺」「貴方」「君」という3人の登場人物がいるのでしょうか。そして「貴方」は美しいままに死んでしまった。残された僕は「貴方」に憧れを抱きつつ、どこか冷めた目で見てもいる。 消えてしまった「君」とはなんだろう。「俺」と「貴方」の関係性の中にいて、まぼろしとなった「君」。 多分こういうことかな、というのはあるのですが、答えを突き詰めようとすれば、どこかで「これが答えだ」と思ってしまえば、きっとくだらなくなってしまう(それはこの作品が、ということではなく、詩を読むという行為そのものが)。 だから本当のことなんて分からないままで、この詩を、この詩の中の言葉をまだ味わっていようと思います。流されるままに。 って、批評ではなくただの感想ですみません。 (君の名前はまぼろしになった)

2019-04-25

どれだけ減点されても、最後の一点の価値があまりにあまりに大きくて。最後まで読んで胸が詰まりました。素敵な詩です。ありがとうこざいます。 (産声)

2019-04-25

ふじりゅうさん、ありがとうございます! ほんとですね(汗)言われてみれば確かに…。ご指摘ありがとうこざいます! (箱)

2019-04-23

最初に思い浮かべる花畑のイメージがどんどん変わっていくのが面白いと思いました。そして最後にはやはり最初の花畑のイメージに戻っていく。哲学的で映像的。とても素敵です。 (花畑にて)

2019-04-22

一行目で一般論としての文章を提示し、二段落目から少しずつずらしていって四段落めで語り手が一般人と少し違った地平に立っていると述べる。ところが、そこで行き着いた結論は、実は一行目の一般論と意味は違うのだけれど同じ文章になっている、というように僕は読みました。 もしそうなのだとしたら、僕ならもう一回最後に一行目を繰り返すかなあ。でもそれだとしつこいのかもしれない。僕はしつこいくらいが好きだけれど。 なんて、うーん、全然違う読み方をしていたらごめんなさい。 短い文章の中に色んな読み方ができる面白い作品だと思いました。 (三日月)

2019-04-21

るるりらさん、ありがとうございます! 箱は地球だ。ああ、その解釈いいですね。大好きです。思わず「それ正解!」って言いたくなりました。そんなのないのに。 こちらこそ、楽しく読ませていただきました。ありがとうございます! (箱)

2019-04-17

せいろんさん、コメントありがとうございます! 学校とか組織ですか。そうかもしれませんね。読んでくださった方が一番ピンと来るものを当てはめてもらえばいいと思います。 ありがとうございました! (箱)

2019-04-17

>正しい人間にならないといけないから、正しくない人を攻撃しないといけない。 というのは、ああそうだよな、と思いました。別に自分が正しいと思ってたらそれでいいわけで、わざわざ誰かを攻撃しなくてもいいのにね。 まあ、とか言いながら、僕も時々それやっちゃいますけど(汗 多分作者さんはこの詩自体も「正論」になっている、ということはきっと分かってて、だからこそ、そこにもう、どうしようもない無常感みたいなのを感じてるんだな、と僕は思いました。 そうじゃなければ、作者自身がこの一連の文章に「詩情」を感じないだろうから。 もちろん、読者には作者の本心なんてわかるはずがないですけど。それでも、あなたの詩を読んで勝手に共感した読者がここにいますよと、申し上げておきますね。 上手な詩ではないかもしれない。でも僕は嫌いじゃないですよ。 なんてね、世の中にはそんな「正論」もあります。 (正論)

2019-04-17

素晴らしい作品だと思いました。人は皆、包帯を見ていたから自分のことを不幸だ、ミイラ男だと言ったのだと作中の人物が気づき、包帯を解き始める。ミイラ男は完成体であり、蛹ではないから。だけど包帯を解いてミイラ男でなくなった自分は、もはや何者でもなくなってしまった。本当の完全体、オリジナルは自分はただの無だった。 この先の展開はきっと、どう描いても陳腐になってしまうのでしょう。その先なんて、誰も知らないから。きっとどう描いても、それは別の包帯にしかならないから。 本当の自分を知ることの空虚。絶望。それでも熱と痛みと痒みが生を訴えているという最後に強い意志のようなものを感じました。 (わたしがミイラ男だったころ)

2019-04-14

>大事なことはすでに どこかに書かれている という最初の2行からもうこの作品の世界に引き込まれました。とても素敵です。 (クジラの耳の中に)

2019-04-13

ごめんなさい。お名前間違えました。エイクピアさん、失礼しました。申し訳ありません。 (ただ移動するだけだということ)

2019-04-13

エイクスピアさん、コメントありがとうございます。 ただ、これはタグにもあるようにものつきひとさんの「おひっこし」という作品に対する「批評」です。批評のような詩じゃないです。100%完全に批評のつもりで書いたものです。 (ただ移動するだけだということ)

2019-04-13

沙一さん、小寄道さん、せいろんさん、コメントありがとうございます! とりあえず最初の投稿ってことでちょっと自分の意思表明みたいなところはありました。 でも僕の書くものは大体この作品みたいな感じですけど^^; また読んでいただけると嬉しいです。 よろしくお願いいたします! (あなたへ)

2019-04-13

普通を演じていながら、ちょっと非日常なことをしてみて「本当の自分はそうじゃない」とも思っている少年。だけど彼の目に映っているものは結局グリコのシチューだったりコカコーラの自販機だったりといった「商品」でしかない。 とても皮肉で、でも、だからこそとてもリアリティのある作品だと感じました。 (クレアおばさんゆさゆさ)

2019-04-13

でも、感動したのでしょうか。それとも、やっぱりしなかったのかなあ。「現実」はどうだったのだろう。読者としてそれを想像するのが楽しいです。読み終えた後の余韻とはこういうことだな、と思いました。 (空想と星空)

2019-04-12

美しさとはなにか。やがて終わりが来るから美しいのか、それとも永遠だから美しいのか。永遠のためには一度終わりをむかえなければならないのか。ならば永遠とは一体なにか。 美しさと永遠であることの関係性について深く考えさせられる作品でした。 (永遠)

2019-04-12