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「文学」って何?(第二回)(ふじりゅう氏『初化粧』を読んで)   

作成日時 2019-05-24
コメント日時 2019-06-01
<批評対象作品>
初化粧


 前に私は『「文学」って何?』として批評文を書いた。それは芦野 夕狩氏の『神の庭』を批評対象としたものだった。今回はふじりゅう氏の『初化粧』を批評対象として『「文学」って何?』の第二回目を書こうとしているのである。芦野 夕狩氏の『神の庭』について私が書いた批評文は、まあまあ読まれたようで、私は満足している。  私が「文学」とは何なのかを追究するわけは、すでに前の批評文の中に書いたから、繰り返さないでいいだろう。この追究が、ビーレビに実際に投稿された作品から「文学」を汲み取るという方法を採用するということも変わらない。  どの作品を批評対象にするか、考えるところだが、やはりここはビーレビのトップページに人気の作品として掲げられている作品を第一に取り上げるのが、まずは良いと思う。ビーレビの、「顔」だから。  さっそく『初化粧』を読もう。  この作品は最初、「読む」ということを許可してくれないようだ。「読む」のではなく「見る」ことを求めてくるように思われる。そして「見える」ものは確かに美しいと感じる。  この作品の中の文は、分かりにくい。句読点がないから、文と言えるかどうかも分からない。それも、まあ、良かろう。しかし私はあえて文を「読む」ことをしてみたい。今、私は、イメージだけで主張してくる言語の群れを、手放しで許すことができない気持ちだ。一行一行、読んでいく。文の主語、述語、動詞は、括弧で囲むことにして、以下に、原文のすべてをこの方法で書き写すことにする。 (ぼけた)(雲)が(ニヤニヤし)ながら(見下ろしている) (2~3時間の命)しか(ない)(ロウソク)が 辛うじて火柱を(存命させている)ような 静かな(私たち) 線香花火の真ん中で 大海を(泳いでいる) (誰)も(助言)なんか(しちゃくれない) (遊び疲れて眠りだす)(家々) 言葉でしか(伝わらない)こころを 言葉以外で(伝えようとしていた) (いなか電車が)ことんことん 遠くを(過ぎる)けど 静寂を一層(駆り立てている) 空想のキャンバスにありったけのバカな恋を(描いて) (君と私)は今まるで(火影のようだ) ほっぺを(見たら)正常な(世界)が(爆撃されて) 最後の(火花)がゆっくり(散る)様を (焦りすぎて)(見えてもいなかった) バケツから終わりの(鐘)が(鳴る) (クローズアップされた)(土の粒) ぐちゃぐちゃの臓器から (捻り出した)言葉(「おわっちゃったね」) 恥ずかしいほど若やかな (葉っぱ)が風を(作る) 熱気を(持っていく) (薄ぼけた)(月)が(眩しすぎる)のは あの雲の(せいなのでしょうか) 夏祭りの余韻で(ぼけた)(空) (雲)は 「いつも」の分子と(混ざって)(まろやか) 片隅に(残っていた)初化粧の粉を (拭き取った)(母のほほえみ)は 水道の音に(溶け込んで)(分からない) (いってきます)が(叫ばれる) まだ焦土のままの脳みそで また扉を(開け) 母親の影を(追っていく)  以上のように、原文のすべての主語、述語、動詞を明らかにしてみた。このことにより、形容詞や副詞や名詞など、他の道具立てもはっきりしてくるだろう。私はここにこの詩の部分部分の意味を頑張って書こうとは思わない。私にも分からない部分が多いのだ。ただ、すでに鑑賞しやすく加工した、それで十分であろう。あとは読者の自由だ。  けっこう努力して、私は、何が分かったのだろうか。そろそろ、まとめにかからなければならない。  この詩は、私たちの、人生や、存在そのものの美しさを描いているのである。それがこの詩の意味である。この詩は、暗闇を吹き飛ばす肯定的なパワーを持っている。この詩は、通して意味を取りにくいわりに、音が良く、それから奇跡的に言葉がつながっている。さらに、既視感がない。  私はこの作品を評するのに、「詩」、この言葉しか思い浮かばない。どういう精神の働きがこんな言語芸術を生み出し得たのだろうかと、不思議に思う。  精神はもちろん筋道を持った働き方をすることがほとんどだが、時として、一瞬にして何かただならぬ一個の物体的なものをとらえることがある。それをこの『初化粧』は詩文として定着させたのではないだろうか。私にはそうとしか考えられない。精神というものに時として訪れる貴重な体験を、ふじりゅう氏は逃さなかったのだと思うのである。計算というものは、この作品からは感じられない。    私の問いである『「文学」って何?』は、ここではもっと広く『「芸術」って何?』とせねばならないようだ。精神が筋道を持った働き方をしない、あの貴重な一瞬、何かただならぬ一個の物体的なものをとらえたとき、そのつかんだものを一心に形に残した場合、結実するもの、それが芸術である、こう言うことで、今回の批評文を締めくくることにする。




コメント数(6)
tOiLeT (2019-05-25):

人間には『右脳型(イメージなど)・左脳型(言語など)』があるなどと言われてますが、 詩も『右脳型の詩・左脳型の詩』があるのかも知れませんね。 以前読んだ本で「詩を読むと頭が良くなる」「なぜなら詩は右脳と左脳を両方刺激するから」という説があったのを思い出します。 『いい詩』の定義は人それぞれかと思いますが、 脳への刺激という観点からは『中間型』というのは一つの指標になりうるのかな?などとも思いますし、 右脳型の傑作、左脳型の傑作なんてのもあるのかも知れませんね。 なお、私自身は右脳寄りだと思っており、それゆえ左脳寄りの人に喜ばれるような詩を書くのが難しいのでは?さらには左脳型の人はどう詩を読んでいるのか?などにも興味がありましたが、おそらくは左脳寄り(と勝手に思ってるのですが)の南雲様の今回の詩の分析方法は、大変興味深く読ませていただきました。 今回のふじりゅう様の作品は、やはり『右脳寄り』となるでしょうか。 批評という観点からも「どちら寄りの詩か」理解しながら読むのも、一つのヒントになりうるのかも知れませんね。

南雲 安晴 (2019-05-25):

tOiLeT様、コメントありがとうございます。  そうですね、私は左脳寄りだと思います。でも、時々、「お前は感覚派だ」と言われたりします。「文学」なんかに取り組んでいるからかなぁ……。  今回のふじりゅう様の『初化粧』は、間違いなく、右脳寄りの作品だと思います。良い作品だと思いました。私は、右脳寄り、中間型、左脳寄り、どれも好きですよ。良いものは、どうしたって良い、って感じです。  右脳寄り、中間型、左脳寄り、こういうことを考えながら詩を読むのも、良いアプローチだと思いました。初めて聞きました。今後、取り入れていくかもしれません。ありがとうございました。

せいろん (2019-05-25):

南雲 安晴さん ふじりゅうさんの作品、とても良いと私も思いました。南雲さんの批評も素晴らしいと思います。ふじりゅうさんの詩は人間味が出ていて私も好きなんです。tOiLeTさんの出された話題は、ツイッターでも拝見しました。とても面白く、興味深い内容ですよね! 素晴らしい作品と批評でした。ありがとうございます。

南雲 安晴 (2019-05-25):

せいろん様、ありがとうございます。  いやぁ、私の批評なんて、形になっていますかねぇ(笑)  詩の書き手としても、全然だめです。  でも、とにかく全力で書くことが前進です。  これからも、怪物級の作品を相手にしながら、「文学」って何?と問い続けていくとともに、詩作の方もがんばりたいと思います。  こんな私の書く文の中に、一つでも宝石があったならと、願っています。

ふじりゅう (2019-05-29):

南雲さん、ありがとうございます! まさか私の批評文が掲載されるとは驚きです。 バックボーンから説明致しますと、私は元々毒々しい詩といいますか、陰湿な、あるいはジメジメした詩を書く事を得意分野としておりました。そこで、次はあえて明るい詩に挑戦してみようと考え本作が生まれました。 また、本作のモチーフがもうひとつ。テレビ番組「プレバト」の俳句コーナーにて、(実際の句は忘れてしまいましたが)「線香花火が終わったあと、帰ってしまう彼へ(行かないで)と思う気持ち」を表した句がありました。本作はそんな恋の乙女を、私なりに描写したものです。 さて、個人的に凄く嬉しかった部分がこちら >通して意味を取りにくいわりに、音が良く、それから奇跡的に言葉がつながっている。さらに、既視感がない。 > 私はこの作品を評するのに、「詩」、この言葉しか思い浮かばない。どういう精神の働きがこんな言語芸術を生み出し得たのだろうかと、不思議に思う。 確かに、私は意味を取りにくい言葉を使いたがるクセがあります。そこを払拭出来ぬのはひとえに実力不足の表れかと思いますが、転じて「既視感」についてもお話させてください。 ビーレビは月に何十何百という作品が投稿される、まさに激戦区です。そんな中で目に止まり、良いと思える作品はやはりどこかに「既視感のなさ」がありました。勿論、評価の為に詩を書くのか、というご指摘もあるかとは存じますが、あえて言わせて頂くならば〈自作を見てもらいたい〉という思いがあることは確かです。それがいい作品を作りたい、という思いに先行することはありませんが、それら3つは連動しているとも思えます。つまりいい作品を書きたいなら、他人と同じ詩句より違った、個性的なモノを作っていきたい、個性的なモノを書けば沢山の方に見てもらえるかもしれない、といった感じです。 奇跡的に言葉が繋がっているとの評、私にとってはこれ以上の褒め言葉はないでしょう。嬉しさの余り踊りだしそうです。 別件ですが、私は右脳派の人間となるのでしょうか。確かに、降って湧くように詩が書ける時もあれば全然書けない時もありますし、仰る通り文の構成の型からは外れた、計算していない詩ですね 笑 ありがとうございます!励みになります!

南雲 安晴 (2019-06-01):

ふじりゅう様、コメント返信が超絶に遅れてしまい、すみません!  実は、この数日間、タバコとコーヒーをやめようと頑張っていました。そのため、活動停止、思考停止の状態に陥っていました。なんにもできませんでした。今、喫煙を再開しました。まだ調子が悪いのですが、なんとか書けそうです。河島英五さんの『時代おくれ』は好きな歌ですが、タバコなんかは本当に時代おくれの物で、こんな物に依存しているとは、なんともダメなことです。  批評文の中で、私は勝手に『初化粧』の詩文を分解しました。作品の表面よりもっと奥に分け入りたかったからです。いったいどんな言葉たちからこの作品は成っているのだろうかと思いました。「見える」もの、「聞こえる」ものは確かにありました。しかし、なにゆえにそうなのだろうかと思ったわけです。また、日本語って、すごいですね、『初化粧』を外国語に翻訳するとどうなるのでしょうね。私はこんなことも意識して、詩文の分解をしたわけでした。そうして浮かび上がってきた言葉たちは、どれも活発で、気持ち良く、新鮮で、美しいものでした。  ビーレビの勢い、すごいですよね。  書くということをするときには、「著者の自由」と「読者の心」の両方を気にかけているのが好ましいと思います。それが普通で自然なことかもしれませんが。  読まれたい、こう願うのも自然なことです。  私は、「既視感のなさ」は、もちろん自然にそうなるのが一番良いとは思いますが、思い切って狙っていってもいいことであるとも思います。  著者みずからが、既視感の有無を判別できることは、大切です。  また、読まれるかどうかよりも、書いたものがこの現代において新しく提出されるに値するかどうかを著者みずからが判別できる能力、これはものを書く者に具わっていて欲しい能力だと思います。  ふじりゅう様を右脳派と断定してしまうのはもったいない感じがしてきました。イメージの操り手としてもすぐれているようですし、言語の使い手としてもすぐれていると思われるからです。  今後の作品、楽しみにしています!

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