あの緑色 - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

死んだベテルギウス

衝撃を受けました

ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

二酸化窒素

七月の雨

ずっと待っていた

渇いた心を満たす雨に満たされていく

afterglow

桃太郎の神殿

幻想的な具体、具体的な幻想

時刻、刻々、刻むということは生きるということである。生きる、生まれる、死を予感する全ての事象が望む新たな幻想、書かれるべき詩、読まれるべき詩がここにある。

狂詩人

優しい人が好き

淡くうかびあがる差異のせつなさ

自分にとって「優しい人」と他者にとって「優しい人」は同じ「優しい人」だろうか。同じ言葉を使っていながら思いうかべるものは同じだといえるだろうか——

沙一

死ね、ニュートン

こいつはいい

こいつはいいよ。文体とイメージは翻訳ランボーの剽窃だが詩の勢いはホンモノ。

豆大福の日

ひとつ私に くださいな。

仮に、お伽噺のような平和があるとしても 敵は、存在するする。人には 雉、猿、そして犬のようなタイプの人のように個性が色々であっても、共通する敵が いる。敵に勝つために、もっとも大事なことは、共通する喜びに きがつくこと

真清水るる

ひらいて、とがって

ひらひらとひらかれひかれて

ひざこぞう、に出逢ってください。そして手をのばして作品の言葉にためすすがめつ、触れてほしい。

帆場 蔵人@⚰

薬売り

胡散臭さがたまらない

怪しいものや不思議なものが好きな方におすすめしたい、世にも奇妙な掌編——

沙一

書かざる言わざる、雄弁に水銀を

黙って笑ってろ、沈黙は金

これを見ているあなた、恥ずかしくはないんですか? 答えられないのですか。 なんでですか。 理由があるという訳でもないのですか? ああ、そうか。 全部、冗談だというのですね。

鳴海幸子

夏は夜。月のころはさらなり

田舎の夜道は暗くとも、恋は華やかで明るい——

沙一

あなたとどんぐりとハナミズ……

悪意のないホローポイント弾

ここには○○の残酷さが描かれている。 ○○が何なのかは、読めばわかる… …かもしれないし、わからないかもしれない。 感じ方は「人それぞれ」だから。

R

祖父の痕跡

黙想を貫いた彼が最後にみたものは…

祖父の遺物が並んだ「私」だけの世界… 彼の深層に踏み込むべく「私」は宝物箱に触れてしまうのか…祖父とは一体何なのか…

つつみ

直列つなぎ-うんこ!!(……

青春の現代詩

青春はいつも、エロくて汗臭い。そして切ないけど優しいところもあり、美しい瞬間もあるけど、昆虫たちも僕らも命を捨てて夫婦になることを受け入れる。それが生きるということだから。個人的には、僕は飯田華子さんの紙芝居を観に行きたい。

蛾兆ボルカ

ちがう星

ピッチャーとキャッチャーみたいだね

それから時々 おなじ星

三浦果実

いつまでもあいさつをしてゆ……

伝説の流行語はここから始まった

「かきかきたぶんしない」は伝説になった。わからない人には永遠にミューズは来ない。

三浦果実

粘土

こんにゃろっというやり場のない怒れる者よ

ほの暗い系男子がたどり着いた極北のモノローグがきみにはわかるまい

三浦果実

菊の花

2020年10月の裏番長/裏大賞

これの良さがわかるまで詩を書くんじゃない

三浦果実

死んだベテルギウス

地球は退屈な諦念に埋め尽くされてる

重力に支配された地球人にはわかるまい

三浦果実

風吹き抜ける青

残酷なロマンティズムがきみにはわかるまい

そのまま生き地獄で野垂れ死にするといいという孤高の美

三浦果実

ぢんせぃ

その喪失感は夢かうつつか

ネットとリアルがボーダーレスな、デジタルネイティブ世代の感性──

沙一

潮風

潮の香りにのまれるように

不思議な気配が手招きをしている

帆場 蔵人@⚰

空の下

大自然という舞台への出奔

二人が走り出す。広大な大自然という舞台へ。

羽田恭

明るい朝の歌

明るい朝のうらには、暗い夜があった

外をみつめることが、内をみつめることにつながっている──

沙一

震え 揺れ 回る

一気に詩情が注ぎ込まれていく。 それが 震え 揺れ 回る。 詩を詠み終えても、止まらない。

羽田恭

生きるためにパイを焼く

どうしようもなく生きていくということ

ただパイを焼く。それだけなのだけれど、衒いも奇抜さもなく心にぶつかってきて揺さぶられる。

帆場 蔵人@⚰

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あの緑色    

これまで生きてきた中で、 まやかしを犯したことがあったということくらい、  自分で端から分かっているのだ それでも歩んできた道は、どうしたって真実だ 輪郭のない過去だって、愛の対象となる事柄なのだ 今僕は、夜空に張り付いて動かない雲のように、  厚かましく悠々閑々としている 明け方には、雨のような少しの涙を落とすだろう 二度と体験することのあり得ないことが、  時々この身の感覚に甦って、胸が震える 当然少年にも、一人になる時間がある そんな時、かつて少年の僕は何をどう感じ、 何をどう考えていたのか 少年の僕は風景を見ていたのではなかった 形を見ていたのではなかった ただ色彩のみを見ていた ほとんどそれは、緑色だった どこまでも、どこまでも、 遠くへつながる緑色だった 内面世界の鼓動を聞いていただけで、  僕の目は形を見ていたのではなかったし、 何かを追究するような力をもって、  物事を考えていたのでもなかった 形を見て物事を考えるのは大人の特権だが 僕は今でも、心の中でものを言うことはしたくない それは陰険で、卑劣なことのように思える ところで僕は、セザンヌのようには緑色を使用できない とても無念だ とても無念だ あの緑色は、紛れもなく、風によって耳に当たるような、  同じ緑色であったはずなのに

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作成日時 2021-09-15
コメント日時 2021-09-16
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あの緑色 ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 7
P V 数 : 446.4
お気に入り数: 1
投票数   : 2
ポイント数 : 0
#現代詩 #縦書き
項目全期間(2021/09/20現在)
叙情性0
前衛性0
可読性0
エンタメ0
技巧0
音韻0
構成0
総合ポイント0
 平均値  中央値 
叙情性00
前衛性00
可読性00
 エンタメ00
技巧00
音韻00
構成00
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閲覧指数:446.4
2021/09/20 20時57分59秒現在
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    作品に書かれた推薦文

あの緑色 コメントセクション

コメント数(7)
YUMENOKENZI
作品へ
(2021-09-15)

yasu.na様 何か得も言われない情感が迫ってきました。 少年の頃に見た、見えたというその緑色の体験は、風景や形などではなく色彩であると ... ただ内面世界の鼓動を聞いていたと ... 少年の心を掴んで離さなかった、その緑色の世界が、いかに優しくあたたかいものであったのか、ただ想像するばかりです。

1
ささら
ささら
作品へ
(2021-09-15)

 ごく小さいころ,まだ文字が読めなかったときに漫画を眺めていたことを思い出しました。それは今の私が外国語を見る感覚とは全く違っていて,そもそも文字という概念が分かっていなかった感覚,形容できないものを見る感覚です。この感覚を詩で表現したいとは思いつつ,土台言葉で表現することに矛盾があるわけで,そういうふうに「僕」に共感を抱きました。「僕」が見たセザンヌの緑についてももっと知りたいと思いました。

1
yasu.na
YUMENOKENZIさんへ
(2021-09-15)

 コメントありがとうございます。  子どもはその感覚機能も子どもらしく未成熟ですね。私には子どもの感覚機能の特徴はものの形より先に、色や音や風を感じることだと思われます。体験からそう思うのです。形から自由であるのです。  まやかし、輪郭のないもの、曖昧なもの、ぼんやりしたもの、こういったものにも色彩だけはあるように思われます。  私は時々、大人の感覚機能を脱ぎ捨てて、子どものそれを取り戻すことができます。誰でもできると思います。一人になって、体の力をぬいて、呼吸を静かにして、視神経を弛緩させると、ものの形は遠退き、色彩だけに身を包まれるようです。  私は少年時代を緑豊かな土地で過ごしたので、緑色が心の、と言うか、目の奥のあたりに、拭いがたく染みついているのでしょう。

1
yasu.na
ささらさんへ
(2021-09-15)

 お読み下さりありがとうございます。  子どもの感覚を追体験する方法はYUMENOKENZIさんへの返信コメントに書いたようなものです。  特に変なことではないのでご安心下さい。  そうですね、誰でも子どもの頃の感覚を思い出すことがあるようです。詩に表現すると、今回のような作品になりました。何かしら伝わり、ささらさんも子どもの頃の感覚を思い出すことができたようです。言葉ではないものを何かにして伝える、人間ができることの一つです。チャレンジングなことですが。  子どもの感覚ということで、シューマンやチャイコフスキーのピアノ曲の小品のことを私は思い出したりもします。  セザンヌ。この偉大な画家へはさまざまなアプローチができます。皮肉なのか、「形」が主たるアプローチであることは否定できませんが、私はこの画家の描く緑色の比類のない透明さが、素直に好きです。その緑色は、私の中に染みついている緑色にとても似ているのです。中学3年の時に出会いました。ぜひ鑑賞してみて下さい。

2
YUMENOKENZI
作品へ
(2021-09-16)

yasu.na様 コメントにご返事をくださりありがとうございます。 ささら様への返信も同時に読ませていただきました。 yasu.na様の目の奥に染み付いた緑色の透明さ ... それは、中学三年のある時から、今に至るまでずっと、まさに自分だけの、かけがえのない宝物となっているんですね! 私も一人静かに自分の憧れの色を、自分の中に見出すときがあるんです。深い青で 、やはりとても透明で ... 私自身の心の色でありたいと願っています。 yasu.na様、今作でも、とても丁寧に詩の世界を案内してくださりありがとうございました。 YUMENOKENZI

1
湖湖
湖湖
作品へ
(2021-09-16)

若い頃、緑色マニアでした。緑色にも階調があり、鬱を孕むものや、毒を感じるもの、癒し、森など、いろいろとありますね。正直で真摯な語り掛けが漠然とした色について語ることを補強し、一連の出だしがいいです。セザンヌの緑というと健康的できれいな緑、と言う感じでしょうか。

1
yasu.na
湖湖さんへ
(2021-09-16)

 お読み下さりありがとうございます。  私も高校1年の頃、セザンヌのような絵が描きたくて、何か描いていました。地方の町に暮らしていたのですが、品揃えの良い画材店が一軒あって、よく通い、買い物をしていました。特に、色鉛筆と水彩画の絵の具を買っていたのですが、水彩絵の具は緑色のものをたくさん買っていました。本当に、緑色と言ってもたくさんの緑色があります。贅沢ですよね。ブランドは「ホルバイン」と言ったかな、間違っていたらすみません。  セザンヌの絵画の緑色は、とにかく透きとおっていて、微風さえ感じるくらいで、観ると自分がその中に溶け入ってしまうように感じるものです。憧れて、真似事をしていたのです。絵の具にお金をかければセザンヌのように描けるわけでもないのに。  次第に絵画を描くことからは離れて、文学の方面に向かいました。でもセザンヌの絵画には特別な思いを持ち続けています。  少し前、岩波文庫で『セザンヌ』というタイトルの本が復刊されていました。売り切れちゃったかも。でも、私は読まなくてもいいのです。この胸に、私のセザンヌがいるから。

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