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「文学」って何?(芦野 夕狩氏『神の庭』を読んで)   

作成日時 2019-05-19
コメント日時 2019-05-23
<批評対象作品>
神の庭


 私はビーレビ内でコメントするとき、「文学」という言葉をどうとも定義しないで使ってきた。いちいち「文学」ってうるさい奴だな、と自分で思ったりする。そして最近そう思ってなんだかみずから心地悪さを感じてきたから、ここに『文学って何?』と題して、批評文を書こうと思う。でも「文学とはなになにである」といった書き方はできそうにない。おしゃべり調の書き方になると思う。そんな文面から、私が「文学」をどんなものごとだと考えているか読む人が感受できればいいと思っている。もちろん批評文として書くのだから、論理的であることは目指そうと思う。また、多くの人に読んでもらいたいから、なるべく短く書きたい。もしかすると、今回を第一回として、続編を書くことになるかもしれない。というのも、実際に投稿された作品から「文学」を汲み取るということをしてみたいから。  ビーレビのトップページを見れば、すぐにこのサイトが、主に「現代詩」の隆盛と進化を目指すものであることが知られる。まことに頼もしいことである。サイトのねらいがほぼ誤解されようもなく厳然と入場者に知らされている。このことが、このままずっとブレないで維持されていくことを私は願う。そうであることが、ビーレビの高い質と信頼感を担保し続けていくだろうから。それに、私がいちいち「文学」という言葉を口にする理由も、「文学」の一つの種である「現代詩」の高い質を持った作品、意欲的な作品がこのビーレビに集まり続け、その結果、このサイトの信頼感が保たれることを、一人の参加者でありながら願っているからなのである。ここは強調しておきたい。  話は飛んで、さっそく投稿作を読んで、そこから「文学」を汲み取る試みをしよう。今回はとりあえず現在人気の作品としてトップページに掲げられている芦野 夕狩氏の『神の庭』を読もう。  実は今日まで、私はこの作品を読んでいなかった。題名も、出だしも、読んでみようかなという意欲をそそらなかったのだ。たぶん、私が「神」という言葉が嫌いであることと、1になになにというような書き方が嫌いであることが理由である。  この作品を読むことは私にとってかなり疲れることなのだが、言い出した以上は読まなければならない。  斜め読みしてみたところ、やはりなんだか抵抗感がある。気持ち良い抵抗感、把捉感ではなくて、できれば読みたくない、早く通り過ぎて行きたい、避けて通りたい、意味なんか取りたくない、面倒だ、といった感じである。  美しさは感じられない。音声は聞こえず、とても静かな感じがする。質感が、ツルツルした感じがする。  これは厄介な作品を取り上げてしまった、本当に私に読めるだろうか、と心もとない。  この作品は、物語ではあるようだが、読者が自然な想像力をもって物語の中に入りこめるようには設計されていない。舞台や伏線を説明する箇所があって、なめらかではない。このことは、私は、作者の拙さによることではなく、仕方なかった、あるいは意図したことなのだと、好意的に考えることにする。なにしろ、題材・内容が常人の手に余るものだと思われるし、私も実作するから、なんとなく分かるのである。もっと粘れば、よりなめらかな流れを持った作品になったとは思われるのだが。ここで私が言っているのは、1、2、3、4の連のことである。  父、母、兄、妹、こういう構成の家族は、多いだろうが、どんな性質を持つものか考えたとき、非常に複雑なものだと思いつくのは難しいことではあるまい。この『神の庭』という作品は、この複雑なものを扱ったという点だけで、評価に値する。  1から4の連でなにやら暗い予感がするが、5の連で、読むのが非常につらい文を読まされることになる。兄が妹の性器を舐めることを始めるのである。  私は、もちろん書かれた行為については最上級の不快を感じるものだが、これを書いた作者には最上級の賛辞をおくりたい。作者は逃げなかった。  性は、難しい題材だ。書いている人はたくさんいる。でもだいたいハッピーなものに終始したり、ペニスとかいう名詞を使うことで悦に入ったり、あるいは性の悪の面を描いても報道的な事案としていつしか当事者をおいて流れて行ってしまいがちだ。性を「文学」の中に書くということは、そんなことであってはなるまい。  生きていようと死んでいようと、人は性から逃れられない。それから、家族というものからも。『神の庭』は、人が逃れられないものから逃げなかった。  のみならず、そういうものを、深い傷のように癒えない、消えないものであるままにして読者に提出したのである。作品の中に永久に癒えない傷があること、このことが、『神の庭』のすぐれたところではないか。  9の連は文字数が一番多い連になっていて、劇としての文としては一番読み応えのある連でもあり、作者の感情が最もあらわされた連でもあろう。この作品の締めくくりとして、良いと思う。  それで、私は「文学」とは何かという問いについて少しは答えに近づいただろうか。私としては、そうだと思う。  芦野 夕狩氏の『神の庭』は、上述したように、「作品の中に永久に癒えない傷があること」、こういうように私をして書かせたのである。このことが、今のところ、私に言える「文学」の条件の一つである。  だいぶ疲れたし、お腹もすいたので、いったんここで筆をおくことにする。




コメント数(2)
芦野 夕狩 (2019-05-20):

南雲 安晴さんへ お読みくださり、その上批評文まで書いてくださり、ありがとうございます。 無粋になってしまいますのであまり口数を多くするつもりはございませんが、 >「作品の中に永久に癒えない傷があること」 というお考えに甚く共感する思いであることをお伝えさせていただきます。 実のところ、僕自身は「詩とは」「文学とは」という問いを発することは一切しないのでこういう他人様の考えに共感することは稀なのですが。 ありがとうございました。 あしや

南雲 安晴 (2019-05-23):

芦野 夕狩様、コメントありがとうございます。 批評対象作品の作者から直接のコメントをいただいた上に、共感とまで言っていただいて、私は非常な喜びを感じています。 自分の書いた批評文を読み返してみると、ずいぶんに言葉の足りない批評文を書いたなと、反省されるのですが、射た矢が、せめて的のはしっこには当たったようなので、これで良しとして、次に書くときには少しは進歩が見られるものを書きたいと思います。まだ私の「文学って何?」という問いは、やっと始まったばかりですし、ビーレビには読むのが追いつかないペースで作品が投稿されているのです。きっとそれらの集合は「文学」の宝庫でしょう。 『神の庭』は本当に良い作品でした。一生忘れられない読体験になったと思います。ありがとうございました!

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