お知らせ

神の庭   

作成日時 2019-05-06
コメント日時 2019-05-24

1 この庭では神様の声だけが聞こえる 兄が私にそう微笑みかける。何度目の光景だったろうか。ヤマモモの木のちょうど良いところで別れた木の股に座って私にはわからない文庫本を読んでいる兄。夾竹桃の陰に隠れて軒先からは視線の届かない絶好の場所。 2 母の庭 私の生まれた日に母は亡くなった。それをきっかけに兵庫に住んでいた家族は岡山のはずれの庭のある家へと引っ越したと聞いた。それが何を目的としていたのか私にわかるはずもないが、結果として母の代わりにその庭が兄と父に与えられたことは事実だろう。 3 阪神タイガース 私の最も幼い頃の記憶は、無邪気な子供がやるように父のお腹を叩いている兄の姿だ。兄は私が泣き出すといつも酒に酔った父を私から遠ざけてテレビの方に引っ張っていった。テレビでは縦縞模様のユニフォームの選手がバットを持って立っていた。兄はしきりに野球の質問をしていた。父に甘えるように発せられる言葉とは裏腹に、脚はテレビに映っていた選手のように明確に何かの意志をもって身体を支えていた。その対比はとてもアンバランスだった。父が眠ってしまうと、血の混じる唾を洗面台に吐くように促され、頭を撫でてもらった。母さんが死んだのはお前のせいじゃない、という言葉には何百通りものバリエーションがあることを教えてくれたのは兄だった。 4 気持ち悪い 私が風邪で学校を休んだ日、家の外が騒がしかったので玄関口まで出ていくと、兄と同学年くらいの男の子の複数の笑い声が聞こえ、足音に気付くと奇妙な声を出し遠ざかっていった。郵便受けには一枚の便箋が入っていた。 「あきら君 私はあきら君のことが好きではありません。ごめんなさい。 君が教室で誰もいないのに独り言をしたり、笑いだしたりするのが気持ち悪いです。」 と綴られた手紙の最後に手書きの顔文字が歪んでいた。同性として、最後にその名前が記された女性の書いたものとはとても思えなかった。何かを考えるよりも先に、私は部屋に駆け戻って、手紙をびりびりに破いていた。そして隣の兄の部屋から一番遠い位置にあるベッドの奥、一番深くに一刻も早くそれを投棄してしまいたかった。 5 べっちょない いつもは兄が座っていたヤマモモの木にその日は私が座っていた。兄は私のふたつの膝の間に座って、優しく私の脚を開いた。「べっちょない」消え入るような声で呟いて、兄は私のスカート中に顔を突っ込んで、私の性器を下着の上から舐めた。最初は下着の上からだったが、日を置いて何度か繰り返すうちに、直接私の性器を舐めた。そのとき心と身体が金属に貼ったシールのように、つるっと剥がれていくのを感じた。 6 罪と罰 ある日、朝自室で着替えをしようとして戦慄を覚えた。下腹部から太ももの付け根にかけてまるで戦車にでも轢かれたかのように赤黒く発疹をおこしていた。そのことに気付いた兄はいつもより丹念に私の性器を舐めながら、「べっちょない」という言葉をか細い声で誰に言うでもなくいつまでも繰り返していた。 7 イシス 最初は家に入り込んだ犬の声かと思ったが、そのあまりにも人を不安にさせる音を辿り軒先に着くと、血に染まった枝切鋏が転がっており、その近くには赤黒くぶくぶくに太った蛭のようなものが落ちていた。何が起きたのかを察した私は丁度庭先に干してあった白いハンカチをつかみ取りそれを拾い、丁重に包みポケットにしまった。ヤマモモの木のそばには兄が倒れており、夾竹桃の赤い花弁と白い花弁が多量の血に染まって口からぽろぽろと零れていた。 8 告白 私は私たちに起きていたことを誰にも話すつもりはなかった。待合室で今にも死にそうな顔をしている父に母はなにを語り掛けるのだろうか。もしその言葉がわかるのなら、私はその言葉を唱えてあげたかった。日々酷くなっていく発疹を目の当たりにして兄が偽りの神の声を聞いたように。 9 たとえば首の短いキリン、あるいは鼻のつぶれた象 あんなに雑多に生えていた木や花をすべて刈り取った庭は随分と狭く感じられた。それは過ぎた歳月のせいかもしれない。父の様子からこれから何を切り出そうとしているかは容易に察せられた。もうそろそろ一緒に暮らすのも、と言いかけたとき、私の身体は震えだし、「怖い...」と発声した。 釈然としていない父を後目に逃げるように滑り込んだ自室のドアを後ろ手で閉め、目から分泌されているだろう涙を拭こうとした指には意外にも少しの湿り気も感じなかった。そのときだった。床に膝がついていることに気が付き、腕はいつの間にかうつぶせに崩れそうになる身体を支えていた。靄がかかったような意識の中で唯一自由に動かせる頭部で左右をゆっくりと眺めた。やがて視線はベッドの奥の隙間に注がれ、便箋はもうとうに処分したはずではあるが、まだそこに何かを忘れているような気分になった。すると、頬を伝うものがあることに気付いた。それは涙だった。その涙の理由に思い当たる節がなく、ゆえにとめる術もなく、この貧血のような事態に対処するにはしばらくこのままの姿勢でいるほかない、と高を括ってしまおうとする意識をかき消すように嗚咽がとめどなく聞こえてきた。 涙も涎も鼻水もぼろぼろと零しながら、胸の奥底からはい出てきた獣のような悲鳴をあげ、私は生まれて初めて泣いていたのだ。


項目全期間(2019/05/25現在)投稿後10日間
叙情性315315
前衛性220220
可読性379379
エンタメ115115
技巧219219
音韻9090
構成221221
総合ポイント15591559
 平均値  中央値 
叙情性455
前衛性31.40
可読性54.13
 エンタメ16.44
技巧31.35
音韻12.90
構成31.65
総合222.735
閲覧指数:2719.7
2019/05/25 04時53分52秒現在
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コメント数(22)
鈴木 海飛 (2019-05-07):

ひととおりよんで ゆがんだ「癒」 兄妹の密かな儀式というものが頭に浮かびました。 ただそれは心理学みたいに共依存なんて簡単で馬鹿馬鹿しい名札がつけられないためににそういう言葉を感想に当てました。 この兄妹の置かれているひずみのある環境でただしくいきろ!という冷徹さが僕にはないため この兄妹を許すとか認めるなんて言葉が使えないほど、かやのそとにいるというのがわかります。 さて、あまり文学的教養はありませんので僕、個人の引き出しで気ままにいうならば もし妹と結婚して 義理の弟として兄になにかいうならば 最初は(兄を)脅してぶっ潰そうかと思ったけど、妹は絶対復讐なんて思わないのでしょうね。兄妹にはそういう話はよくあるらしい。 ゆがんだ「癒」が、 密教的なの儀式の秩序が 時に不条理な環境を生き延びさせる 義理の弟からすれば、とてつもない環境。世界が違う。 そんなふうにかやのそとから けして、そのかやのなかに入らないようにする。義理の弟として思うのでしょう。 ただ、なぜ兄が自分のポコチン?金玉をちょんぎる奇行におよんだのか そこは想像が拡散してまとまりがつかないのでいつか誰かちょっとヒントくれるか、僕のぼやけた視界のピントを合わせてくれる感想があるともっと深く読める気がするので楽しみに誰かの感想を待ってます。

鈴木 海飛 (2019-05-07):

あ、ポコチンじゃなくて舌だった。さーせん。読み直してきます

かるべまさひろ (2019-05-07):

感想です。 僕は最初、「私」が切り殺したけど自覚がない、のだと感じました。 読み進めると、いかような解釈でも大丈夫なように調節されている、と感じました。 女性作者が女体を書くとき「女詩的」な表現を用いる(凡庸か凡庸でないかで表現への僕の好意は全く変わりますが)ので、この詩の視点は男性だな、と感じました。 ただそこは意図で、「心と身体」が「シール」のように離れている描写なのだと思いました。ただ初っ端から「心と身体」が離れている気がして、そこは疑問に感じました。あと「シール」は正直、きれいに剥がせないもの、と僕の心は連想したので、つるっと剥がれるのは気持ちいいよな、と感じました。多分「読解」としては間違ってるんですが、僕は気持ちいいことはいいことだと思います。 9番目のシーンが感動できませんでした。なんでかなぁ、としばらく考えて、いろいろ泣きの描写で感動したものを読み返したり思い返したりしました。(根本的に涙もろくて、最近はミュウツーの逆襲の予告だけでもうるっとします。) おそらくなんですが、このシーンを役者が演技したら、僕はそれを見て、死ぬほど苦しんで泣けるとこまでは想像できた(声を漏らさないのが難しい)ので、テキストから実際の表情や目線ほど僕が情報を読み取れていなかったから感動できなかったのだと感じました。 ただ、それはきっと9番目のシーンで心と身体は結局くっついてるって気付かされるorくっついていくんだべ、っていう凡庸な期待を持たされて読んでしまったからなんです。この詩がいわゆる王道を行くのなら9番目が推敲されて、もっと泣けるようになったらいいなと思うのですが、いわゆる邪道を行くなら、結局心と身体はつるっと剥がれたままなのだという描写なのだと思います。 気持ちよく読みたい読者としては10番目のシーンが欲しいんですが、心と身体の問題意識の再確認としては9番目のシーンまでで充分感じられるな、と思い読みました。 その上で、僕は何を感じ得たのか、ということを更に感想として述べると、 自分はとにかくあたたかく生きようと思いました。

fiorina (2019-05-07):

樹木(ヤマモモ、キョウチクトウ)の毒が効果的に使われていると感じました。 それぞれの毒性と癒やしがひびきあって生き物を生かし、 育てる庭という場所に死角があると言うことも。 弱々しい「べっちょない」が通奏低音のようにきこえます。

芦野 夕狩 (2019-05-07):

鈴木 海飛さんへ お読みくださりありがとうございます。 >ゆがんだ「癒」 >兄妹の密かな儀式というものが頭に浮かびました。 >ゆがんだ「癒」が、 >密教的なの儀式の秩序が >時に不条理な環境を生き延びさせる とても鋭い解釈をしてくださって、嬉しい限りでありますこと、どうかお伝えさせてください。 「癒」という漢字、不思議な字ですよね、ヤマイダレでありますから、病気がなおる、ということから、癒し、というような言葉も生まれたのだろうと想像します。 同時に「癒着」という言葉がありますが、辞書を引くと「本来は分離しているはずの臓器・組織面が、外傷や炎症のために、くっつくこと。」と、全然癒しではない、傷や炎症、そういう外からのものに対して、そのままではだめになってしまう器官、組織が「治ろう」としてくっつくのでしょうかね。 そういう意味で、鈴木さんの仰るゆがんだ「癒」という言葉を読んでおりました。 僕はあまり美しいものを美しいと思わない性質なのですが、その愉は淫靡で美しい。これを書く前に、ジブリの「火垂るの墓」を見たのですが、あれも今この歳になってみると、押井守の言うように(近親相姦、カニバリズム等)相当に気持ち悪い映画でしたよね。それ故に美しい。 作品から離れましたが、美しい評にハッとしました。ありがとうございます。 この詩を書くときに「決して汲みつくせない泉を書きたい」と思っていました。どんなに大きな桶で汲み続けても枯れない物語を、と。それと同時に、それは汲みうる泉であらねばなるまいとも考えておりました。汲み取った桶にはちゃんとなみなみの水が注がれてなければならない、と。ですから、もし鈴木さんが男性器は間違いで、舌だろうと、ある種の「正解」の持つ力に、強制されるようなことをこの詩に感じられたのならば、それは僕の力不足以外の何物でもありません。汲み取ってくださった方の桶にすべて等しく、与えられる詩というものをいつの日か書くことが出来るだろうか。 そんなことを考えていました。 繰り返しになりますが、お読みくださりありがとうございます。

芦野 夕狩 (2019-05-07):

かるべまさひろさんへ お読みくださりありがとうございます。 >「心と身体」が「シール」のように離れている描写なのだと思いました。ただ初っ端から「心と身体」が離れている気がして、そこは疑問に感じました。あと「シール」は正直、きれいに剥がせないもの、と僕の心は連想したので、つるっと剥がれるのは気持ちいいよな、と感じました。多分「読解」としては間違ってるんですが、僕は気持ちいいことはいいことだと思います。 仰る通りでシールって実は簡単にはがせないものなのですよね。僕は以前「屑拾い」をしてたことがあるのですが、(あれは嫌がらせもあったと思うんですが)アルミ缶についているシールを一つ一つ剥せ、と言われるのですよね。なかには簡単に剥せるものもあるのですが、僕としても、シールは簡単にはがれない、というイメージが強いです。 ですから、その部分を書いているとき、かなりの背徳感を感じました。もしかるべさんが、僕のそのような束の間の淀みを感じてくださったのなら、幸いであると思いました。ええ、つるっと剥がれたほうが、気持ち良いですよね。 >この詩がいわゆる王道を行くのなら9番目が推敲されて、もっと泣けるようになったらいいなと思うのですが、いわゆる邪道を行くなら、結局心と身体はつるっと剥がれたままなのだという描写なのだと思います。 実のところ仰ることはほぼ理解しているつもりなのですが、このような鋭いご指摘をいただいてなお、倫理/非倫理の外側に向かう「文芸という泉」であることを作者である僕が願い、それをかるべさんの内に実現することが出来なかったことを申し訳なく思います。 お読みくださりありがとうございました。

芦野 夕狩 (2019-05-07):

fiorinaさんへ お読みくださりありがとうございます。 >それぞれの毒性と癒やしがひびきあって生き物を生かし、 >育てる庭という場所に死角があると言うことも。 僕自身、鈴木さんに頂いた評に引っ張られていることを自覚しておりますが、なんとなくですが「母というもの」を想像しました。あれは僕も経験したことがありますが、本当に人を育むものであると同時に、人を殺しうる毒であるというような奇跡だと思う時があります。 これは明確に後付けになりますが、そのようなものをもし書けているのであれば、それは僥倖であると思います。 「べっちょない」ですが、私は播州弁とは何のかかわりもない地域に住んでおります。ですからそのようなことを仰っていただけてとても安心するような気持ちです。 どうもありがとうございました。

芦野 夕狩 (2019-05-07):

訂正 鈴木 海飛さんへのレスですが その愉は淫靡で美しい。 → その喩は淫靡で美しい。  です。

みうら? (2019-05-09):

芦野夕狩さんはこんなのを書いていちゃダメだ。自己治癒なんてやってちゃダメなんだ。読んだやつらが憎悪するものを書かなくてはいけない。芦野夕狩さんこれは良いですねえなんて言わせるな。君が抱えてる残念さは誰もわかってたまるかよなものじゃないか。

芦野 夕狩 (2019-05-09):

みうらさんへ お読みいただきありがとうございます 今朝仕事前になんとなし、twitterを見ていたら三浦さんが僕の名前を出して謝っていらしゃる、いったい何のことか、と思って聞いてみたら、こちらのコメントのことであるとのこと。みうらさんの言によると「すみません、中原中也が夕狩さんの新作にコメントを書かせてたんです。」 ああ、つまりみうらさんのお友達か何かの誤ってみうらさんのアカウントを使ってこちらに書き込んでしまったということなのであろうが、「中原中也」この名前には僕もいささか思うところがある。 もし、みうらさんのお友達があの中原中也本人でなかったとしたら、大変な失礼に当たるかもしれないが、こんな機会またとないであろうから、僕はこのタイプをやめることが出来ないだろう。先に謝っておく。大変申し訳ない。 先ず、中原君、君の言ってることは本当に尤もだと思っている。僕としても、日本の詩の現状の袋小路を考えると、果たしてこれまでの詩というもの文学というものを大きく刷新する文章を書かねばならない、と本気で思っているんだ。 >芦野夕狩さんこれは良いですねえなんて言わせるな。 その通りだ。でもひとつわかってほしいのは、僕はそんなつもりでこの詩を書いたわけではもちろんない。結果として君の中でそうなってしまっているのは僕の力不足であることは否定しようのない事実なのだけれどね。 >自己治癒なんてやってちゃダメなんだ。 これに関しては、おいおい、君は自分が書いた詩を忘れたのか、と吹き出してしまった。ユーモアのつもりだったら、もう少しわかりやすく書いたほうが、いいと思うよ。何しろ今はネットですべてが完了する時代で、君のいるその時代の、常に相手の顔が目の前にあって、表情でだいたいのニュアンスが伝わるようなわかりやすさは現代にはないんだ。春日狂騒の最初の二行でもコピペしてくれていれば、ちゃんと10割笑えたんだから。 >読んだやつらが憎悪するものを書かなくてはいけない。 これに関しては、「君は一度だってそんな詩を書けたことはなかったではないか」と、ちょっと語気を荒げてしまうのを許してほしい。僕も君がいる時代に思いを馳せると、君は君なりに、まだ詩というものが根付いていないなかで必死に何かを残そうとしたことは想像に難くない。けれど君の時代にもすでに多くの文学は花開いていたはずだ。偉大な才能が、その才能のままに、人間という深い闇の中に侵入していくさなか、 なぜ君はあんな表層的な言葉を弄って、それを詩と呼んでしまったんだい。 それがすべての悲劇の始まりではないのかい? 今僕が生きている時代、詩は日本では、メインストリームから外れて、偏執狂的な細部へのこだわりのみが、まるで詩であるかのように語られているよ。 >トタンがセンベイ食べて >春の日の夕暮は穏かです 君の書いたものを多くの人がありがたがっている。こんなくだらないものであるにも関わらず、だ。あるいは >汚れっちまった悲しみに >今日も小雪の降りかかる 君から始まった、そのひたすらに自分の性器だけを撫でているだけにすぎないくだらない自意識を、まるで詩の手本のように真似したがる輩の責任は、僕に押し付けるだけではなく、すこしは君自身も感じてほしいと思うわけだ。 君はボードレールを知っていたはずなのに、どうして、詩にはもっと偉大なことが為せる、と信じなかったのか。凡ての価値を転覆させるような文学は、詩から生まれるべきだったのではなかったのか。物語という、人類史上最も優れた発明でさえ、詩からは今追い出されようとしているのだ。人の生きるということに、それ無しでどうして迫れよう。朝の光や木の花なんかを、洒落た言い回しで喩えて、それでどうして人間という奈落について書くことができるのだろうか。 実のところ僕は君を恨んでいる。君がひねり損ねた糞を拭いてやっているのに、君を持ち出して僕のやり方は正統ではない、などという人たちが多すぎてうんざりしているのだ。 恨み言を言いすぎてしまったが、君は君一人で多くのことを為したと思っている。君もたぶん文学の神に「今はまだ無法図すぎて」と自分の無力を嘆いたことであろう。それは十分に理解している。そのうえで一つ言わせてくれ。君が為し得なかったことを、あたかも詩の正統として語りだす人間に、君が為そうとしたことをどうか語ってやってくれ。 そして、もう少し待ってくれ。

白犬 (2019-05-09):

ごめんなさい、三浦さんのこめに釣られてこめ。先に言っておくと、disです。 下品な人間の書く詩だと思います。 理由としてあげるのは、作者が男性であると言うこと。そして作中の「兄」を、私は作者の精神的排泄物の象徴ような人物として読みました。 自分自身の性欲を含む「排泄物」を、「精神障害的な傾向のある人物像」になすりつけ、自分はのうのうと詩人面をしている。 そのような詩に読めました。神の庭?どこがやねん、ざけんな、と思いました。 てめーの性欲は自分で責任取れや。 酔っ払ってるので、挑発的なこめになってごめんなさい。芦野さんのきゃらは好きです。

芦野 夕狩 (2019-05-10):

白犬さんへ 仰る通り、僕は下品な人間です、決して上品な類ではありませんよ。なんてずるい逃げ方をしてしまうと、白犬さんだけではなく多くの方が、そういう言い逃れができる類のものではなく、いわば魂の高潔さの問題として、下品である、と仰りたいのだと思いますが、それについても特に否定するつもりはございません。 実のところこの批判には多くの示唆があるわけですが、それについてあまり饒舌になるのは宜しくないので、一点だけ。 白犬さんのご批判、換言すると、「ある精神障碍者が、彼の汚れなき魂のあるのに関わらず、生得の彼を苦しめる影が、彼の運命を掴み、やがてその無垢なる魂もろとも握りつぶした」と口上されるようなテンプレートな感動劇、いわば24時間テレビの感動ポルノの逆バージョンといいましょうか、そういう見世物として受け取られた、ということかと思います。 色々と悩み、昨日の段階では、あろうことか汚い言葉を吐きかけました、未遂とはいえお許しください。 一晩経ちまして、今はむしろそのような下劣とすら呼べぬ汚物を想起させてしまった自らの文章力の無さを恥じるばかりです。 不快な心持にさせてしまって大変申し訳ございませんでした。 真剣にお読みくださりありがとうございます。

柴田蛇行 (2019-05-11):

 この作品のコメントを書く前に、作者が中原中也宛てのなんか長めの手紙みたいなのを書いていて、それを何の気なしに読んでしまったのだけれど、そのことを後悔している。ああいう立派なことを書かれたあとに何か物を書くのは本当にしんどい。それ分かっててやってるのか、天然でやってるのか気になるけど、個人的には前者じゃないかなと思ってる。ただでさえレビューが苦手で大したことも言えないのに、もうどうやって後に続けばいいのかわからない。くだらないことを書いて「ああコイツ、俺よりくだらないことを俺の後に書いていやがるな」と思われるのも癪だけど、そうするほかないから、いろいろと全部許してほしい。  この作者の作品って「一読してめちゃくちゃわかりやすいもの」と「あえて分からせないように作ってあるもの」に二極化しているなと感じていて、これはきっと後者にあてはまる作品だと思う。  このあえてすぐに分からせないように作ってあるものって、「これってどういうことなんだろう?」と考えさせることで、作品そのものを好きになってもらおうとしている目論見を感じてしまう。それって、ちょっと気になる女の子が意味深なことを別れ際に言って、家で考えているうちに知らず知らず好きになってしまう、みたいな心理状況に近い。個人的には、その手には乗らないぞ!と思って突き放してしまうことが多いのだけれど、作品にフックが仕掛けられていて、ちゃんと突き放さないような仕掛けができているんだから、そこらへんの手の込みようは憎いなと思う。  そしてそのフックを元にたどれば、なんか答えが見つかるんじゃないかと読者は思う。その「俺の人生の答え、ここにあるかも感」って詩において割とキーだなと思っていて、学問も宗教も、結局はそれに尽きるんじゃないかと思うと、この作品は人間の心理をよく理解して作ってるんだろうなと思ったりもする。まあきっと作者は他者の人生の答えなんて知ったこっちゃないし、勝手にやってろと思ってるんだろうけど。  さて、この作品の最大のフックは「感情の不在」だと思う。ヤマモモ、兵庫、阪神タイガース、あきら君、べっちょない、戦車、枝切鋏。こんなにたくさんもの具体的な固有名詞に囲まれながら、ここで登場する兄も私も父も死んだ母も、誰ひとりとして感情が読み取れない。その感情の不在に、読者は「このひとたち、いったい何を考えているんだろう?」と考え出す。そのまるで人形のような登場人物がセンセーショナルな行動を次々起こしてしまうんだから、(父の酒乱ぶり、兄の自傷行為、わたしの理由なき涙など)読み手としては「どうかしましたか!?」という驚きにつながり、そのストーリー展開のスリルさに酔いしれる。  個人的にはこういう飛躍の仕方は好きだし、それこそ話の楽しみどころというところもあるが、読み手によって(おそらく起承転結がはっきりしていて、感動モノを欲している人たち)はいささか置いていかれている感を抱く人はいるのかもしれない。それはかるべさんもコメントとして残しているが、散文形式ってもしかしたら、最後に何かあるのかもしれない、と期待する人がいるのかもしれないなと思う。だけど、その「感情の不在」の穴は「神の声」が埋めているように思う。それで、この話を読み終わった後に自分の家族を振り返り、その神の声が自分の声にいつの間にかすり替わり、人生の意味を考え始める。こういう構造って本当に美しいなあと思う。よく出来てるなあ。やっぱりすごいなと思う。  まあ、みんなどうせ心温まるお話が読みたいんでしょ、と読み手を舐めてかかって、てきとうにお涙ちょうだいやっているのが私なんですけど、それをやれというのも陳腐だし、そういう定型は書けない人間が仕方なくやることなので、気にしないでほしいと個人的には思う。だけど、読み手の幅を広げるということを視野に入れるとしたら、もう少し感情を描いてみても良かったのかもしれない。いちばん感情を書きやすかったのは死んだ母だと思う。亡くなった人はそこにいないから、いかように失敗してもまあまあ修正がきく。母には、兄の文庫本のカバーでも適当に手縫いさせておいて。  この手の作品、近親相姦を軸にしたものに対する賛否とか、性器を舐めるシーン、自傷行為などに対する生理的な快不快に関するコメントは必ずつくことを、作者は想定済ということを踏まえて、わたしはこういったことを言及することはスルーしたいと思う。別にいいんじゃない、というわけじゃないけど、こういう難しいことは頭の良い人で勝手に話し合ってくださいという感じ。社会的なことをここで話し合う必要性を感じないんですよね。たかだか数人で話し合ったとしても、出てくる答えなんてもう目に見えてるし、そんな時間あったらもっと楽しいことしようよと思う。  ひとつだけ言えるとしたら、詩として書いちゃいけないことってあるのかなっていうこと。もし、詩として「書いちゃいけないこと」があるとしたら、それはどうして書いちゃいけないのか、本当に書いてはいけないことなのか、限りなく神経質に、それは懇切丁寧に、根拠を明確にしたうえで話を切り出さなければならない。わたしは、ものすごく怒られるかもしれないけど、書いちゃいけないことなんてないって信じてる。読み手の生理現象に配慮した文章が詩であるならば、もうわたしは詩を書かないだろう。最初一読したとき、わたしは「こころに染みが残るような作品」と口に出したことを覚えている。悪口を言わず、くだらないことを言わずして人に嫌な気持ちを抱かせることは難しい。それをやってのけて、まるでワインをこぼすかのように、過去の記憶に染みを作ってしまうんだから、それって一万円より価値があるんじゃないかっていうはなし。  

エルク (2019-05-12):

体調がすこぶる優れないので気合の入ったコメントはできないのですが、 芦野さんの作品をこうして読めるということが何故かうれしく思います。

芦野 夕狩 (2019-05-14):

柴田蛇行さんへ お読みくださりありがとうございます。 中原さん、いや三浦さんへの返信に関しては必ずしもふざけていたばかりではないですが、やるなら別口でやるべきであったな、と少し思っています。せっかくの機会であったのと、人の作品になんだかそれっぽい挑発を入れておきながらtwitterでは冗談だったことをほのめかすようなやり方には御忠告いたしたかったので、あのようなこと書き申し上げた次第です。僕は酷評は今までずっと正面から真顔でやってきた人間なので、何を言われてもいいですが、裏で握手を求めるようなやり方は流儀に合いません。 別口でやるべきであったな、というのは、そのことで読んでくださる方、評を付けてくださる方に対してノイズになってしまうのは避けられない、というデメリットと、三浦さん本人が感じたであろうご意見をないがしろにしている点です。三浦さんの仰りたい旨は別個でちゃんと受け取っておりますので、ご安心いただければ幸いです。 この詩に関してですが甚く丁寧に読んでくださり、誠にありがとうございます。仰っていただいたことひとつひとつに僕が思ったことを書き連ねたいですが、それではあまりにも無粋になってしまいますので、かなわぬことどうかお許しください。 >まあ、みんなどうせ心温まるお話が読みたいんでしょ、と読み手を舐めてかかって、てきとうにお涙ちょうだいやっているのが私なんですけど これは僕のような書き手からするとちょっとした皮肉きこえる 笑 少しひねくれすぎですかね。というのも、僕だって書けるものなら読み手の心を「満たす」ものを書きたいですよ。でもそれが出来るのは、「書いたものが詩になってしまう」一部の書き手だけなんですよね。残念ながら僕はそういう文章を書けない。そのうえで色々な試行錯誤のをして出来上がったものです。お褒め頂き本当にありがとうございます。 感情の不在というものは、まぁこれだけ露骨にしてあるわけですから、殊更に作者の意図を隠すつもりもないでしょうね。たぶんヌーベルバーグあたり、実験的な文学運動ではすでに試みられていることでしょう。アンチ物語、とまでは申しませんが、仰られるような「こういうの読みたいんでしょ」というものへの反感は少しあるのかもしれません。それは別に頭の中で理屈だてて考えられたものではなく、元からそういうものが好きなんですよね。人様の文章にあれこれ申し上げるつもりはございませんが、自分の書くものくらい自分の趣味で書くわけで、「わかる」ってとてもしんどい時があって、僕はどちらかというと、いや、どちらか選ぶ隙もなく、誰かと分かりあうことなんてもうとうの昔に諦めたような顔をしていたいんですよ、いけすかないでしょ? 全然関係ない話なんですが、小さいころ狭いところだとか、暗いところが好きで、押し入れとかずっと入ってることがよくあったんですよね。こういう話すると、出た、詩人エピソード! って言われちゃうけど、僕はそうすることによって、なんか耳とか鼻みたいな感覚器、新しい感覚器が背中の後ろから生えてくるんじゃないか、とまじめに思っていました。それは音とか臭いを近くするんじゃなくて、ただひたすら暗いことを知覚するためのなんか触手みたいなもので、後ろ向きで、腐ってて終わってて、どうしようもないものだけに反応するそれでいつか、誰かと巡り合えるような気がしていた。でも巡りあってもそれは普通の出会いじゃなく、なんか憎しみに近い感情で、その感覚器を触れ合わせる、それで終わり、みたいな。 え、これなんの話だろう。わかんないけど柴田さんの感想読んでいて、わかんないこと、について考えてたら色々でてきて自分でもびっくりしていて、そう、「わかる」ってしんどいよねって話だ。僕はたぶんここにいるみんな嫌いだよって話。柴田さんに至っては一周まわって好きかも知れない。え、これなんの話だろう。 とにかく読んでくださってありがとうございます。うまくレス返せてるかわからないけど、すごく時間かかっちゃって申し訳ないです。 エルクさんへ お読みくださりありがとうございます。 季節の変わり目ですのでどうかご自愛くださいませ。 昔は多作だったのですが、ここ最近チキンなんですよ。何がチキンかっていうと駄作を書く度胸がないんですよね。 駄作を書けないやつに傑作をかけるわけがないだろう、っていつも思うんですけど、チキってしまします。でもそういうふうに仰ってくれているってことは、きっとなにかとてもホッとさせてしまったんだろうな、とちょっと罪悪感。次はなにか少しでもホッとさせないようなものを書きたいな、とか思っています。 どうもありがとうございます。

芦野 夕狩 (2019-05-14):

訂正 殊更に作者の意図を隠すつもりもないでしょうね。 → 殊更に作者の意図を隠すつもりもないです。 それは音とか臭いを近くするんじゃなくて → それは音とか臭いを知覚するんじゃなくて

tOiLeT (2019-05-19):

『背徳感』がキーポイントのように感じました。 関係性が希薄にも見える作中家族を関係づけていた要素の一つに、この背徳感があるのでしょうか? それにより人間の業というものを浮かび上がらせているようにも・・・ 最後主人公はなぜ泣いたのでしょう? よくも悪くも家族を関係づけていた要素(行為と人物、それによる背徳感)を失ったことによる喪失感でしょうか? 失ったことにより神に近づいたのでしょうか、それとも遠ざかったのでしょうか? 個人的には遠ざかった、もしくは神との埋めがたい距離が決定づけられたようにも思います。 そしてそういうときこそ、人は神にすがるのかも知れませんね。

stereotype2085 (2019-05-19):

読むのに時間がかかりました。体調、詩の分量併せて鑑みて。読んだ感想を一言。「暗い」。三島由紀夫が、来日したビートルズに熱狂する若い女性を指して「どこか暗い」と表現したということですが、その「暗さ」に通じるものがこの作品にはあると思います。性的な敗北、挫折が描かれていて、尚且つその敗北を招いた当事者である「兄」が精神疾患者だとは。これ以上に苦く、暗澹とした描写、構成があるでしょうか。まるで敗戦後、性の価値観を欧米諸国に上書きされた日本という国そのものに通じるようではないですか。その点も含めてどこまで筆者様が、この性の敗北についての物語を記されたのかは分かりませんが、やはり「暗く」「陰鬱」としている感は拭えません。「神の庭」というタイトルに甘美なペシミズムを感じると評したことがありましたが、そうではなかった。甘美であるどころか、苦く、辛く、鬱蒼としている。ここで語られる神は迷妄の産物ではないかと感じました。以上が感想です。しかしこれほどの反響を呼ぶ筆者様の詩書きとして実力は、やはり無視出来ないものだと思います。

芦野 夕狩 (2019-05-20):

(すみません前記事の訂正ですが 柴田蛇行さんへの返信 ヌーベルバーグ → ヌーヴォーロマン です) tOiLeTさんへ お読みくださりありがとうございます。 ちょっと実は読んでくださる皆さまに申し訳ないな、と感じていることが一つありまして、それはなにかと申すと、あまりにこれまで付けてくださったコメントに対して、雄弁に答えてしまった(僕なりの必死のサービス精神だと思っていただけると幸いですが)ため、まるで「作者である僕がこの作品について一番何かを知っているかのような空気感」というのを出してしまったな、と。 つまり、言い換えると、作者が作品のこと知っているとは僕は思っていません。一般論的にもこの作品においても。 ですから、 >最後主人公はなぜ泣いたのでしょう? という問いに、僕は答えを当然のようにもっていないのですね。 意外なことと思われるかもしれませんが、作者が書いたものと、今ここに書かれてるもの、って決定的に異なるんですよね、ってことをうまーく >個人的には遠ざかった、もしくは神との埋めがたい距離が決定づけられたようにも思います。 というお話に繋げたかったんですが、そんなオシャレな真似はできないということに今おののいています。 つまり、神に近づくということ、これを詩を読む行為において、「正答」に近づく行為、と仮にした場合、 「作者の意図」というのは「神の声」であるな、ってことをですね、もっと洒落乙に言いたかった... いや、まあ直感なんですが、大変興味深い示唆をいただき嬉しく思っております。 ありがとうございます。 stereotype2085さんへ お読みくださりありがとうございます。 ちょっと趣向を変えてお返事書かせていただきます。 と言うのも、さすがにこの詩、何度も皆様のお目に触れさせてしまうのは申し訳ない。せめてコメントくらい気の利いたこといえや、という皆様の心の声をがっちりキャッチしていく所存です。 鈴木 海飛さんいわく >ゆがんだ「癒」が、 >密教的なの儀式の秩序が fiorinaさん曰く >樹木(ヤマモモ、キョウチクトウ)の毒が効果的に使われていると感じました。 >それぞれの毒性と癒やしがひびきあって生き物を生かし、 柴田さん曰く >この手の作品、近親相姦を軸にしたものに対する賛否とか、性器を舐めるシーン、自傷行為などに対する生理的な快不快に関するコメントは必ずつくことを、作者は想定済ということを踏まえて、わたしはこういったことを言及することはスルーしたいと思う。 tOiLeTさん曰く >『背徳感』がキーポイントのように感じました。 そしてstereotype2085さん曰く、 >「どこか暗い」 共通して、やはりどこか、「負」のイメージを皆様持たれている。そのこと自体僕が否定すべくものではないのですが、 それは何故だろうか? というのは意外と根源的な問いのように思われるわけです。 そう申し上げるのも >性の価値観を欧米諸国に上書きされた日本という国そのものに通じるようではないですか。 という視点を新たに取り入れると、とてもわかりやすく。日本という国は、夜這い文化とかを調べているとわかる通り性に関してはとても奔放でタブーの少ない民族であったことは想像に難くないですね。 「欧米諸国に上書きされた性の価値観」というものを禁欲主義的な、厳粛な結婚制度と性、というものの輸入と考えたとき、それまであった、奔放さはいったいどこに消え失せてしまったのだろうか。 或いはキリスト教が普及する前の、各ヨーロッパ地域に分布していた「神々」の末路。あるいは仏教が日本を覆う前に各地にいたであろう異形のものたちは? という問いと似ているのかもしれません。 おそらくstereotype2085さんが仰りたい、「どこか暗い」という言葉は、行為の後ろ暗さや、表面的な人の悲劇ではなく、その背後にある「なぜ負の認識を持つのだろうか」ということを自らに発したときに気付く、その「失われたもの」へのうしろめたさ、なのでしょう。 >ここで語られる神は迷妄の産物ではないかと感じました。 かつで神であったものが迷妄になり果てる、というと文意をかなり変えてしまうかもしれませんが、そのようにご批評拝受し、大変自らの内に興味深い発見がありましたことをここにご報告させていただきます。 ありがとうございます あしや

エルク (2019-05-21):

人の触れ得ぬものを禁忌として遠ざける、または理解の及ばないものに畏怖する、ということは自己と対象との距離を(漠然とであっても)再確認することであると思います。再確認という言葉を「再定義する」と言い換えてもいいですが、ここでは兄と神様との関係、兄と私との関係、父または母と子たちの関係、などがタブーとして一般的には認識される事柄として触れていく。触れているかのようにみせかけて本質を語ることを回避していく、ということに「再定義」されていく事柄が関係性を強化されていき距離が生まれていく。距離とは人と人の物理的な距離から関係性といった精神的な距離感も含んでいて、それがそのまま禁忌(畏れ)との距離感をあらわしている。 何が言いたいかというと、禁忌に触れているようでいて触れ得ぬままにいる登場人物たちの関係性が書かれた物語であり、禁忌に畏怖し、必要以上に畏れを肥大化させ、禁忌という怪物を自ら育ててしまった家族の物語でもあるのかなと読みました。

芦野 夕狩 (2019-05-24):

エルクさんへ ご返信遅くなってしまい大変申し訳ありません、 再び、お読みくださりありがとうございます。 >禁忌という怪物を自ら育ててしまった家族の物語でもあるのかなと読みました。 後ろから読みますね。 これは実感としてよくわかります、例えば、幼いころ育った街では入ってはならないとされていた路地があったんですが、蓋を開けてみればなんてことない、ごくありふれた人種差別だったりするのですよね。 ただ、家族という閉ざされた空間においてはそういうものは往々にして怪物的な力を得てしまう。それを踏まえて >ここでは兄と神様との関係、兄と私との関係、父または母と子たちの関係、などがタブーとして一般的には認識される事柄として触れていく。触れているかのようにみせかけて本質を語ることを回避していく、ということに「再定義」されていく事柄が関係性を強化されていき距離が生まれていく。 実にハンサムな評ですね。とどこから目線なのかわからない言葉を投げかけさせてください。僕も「自分の作品」というものとの距離を測りかねてじりじりしているこの庭の住人であることに今更ながら気づいているウスノロなので僕がもはや「どこから目線」なのかもうわからないんですよね。 そして、「禁忌」の本質は対象の侵しがたさではなく、その距離であることに僕も同意します。 >何が言いたいかというと、禁忌に触れているようでいて触れ得ぬままにいる登場人物たちの関係性が書かれた物語であり、 話はそれますが「北九州監禁殺人事件」の概要のみを書きだして、その事件について何かを知りうると思いますでしょうか。 僕はそれを何度も繰り返した過去があるのですが、何度やっても無理でした。たぶんそれは禁忌の持つ距離に対して俯瞰できる位置から覗いても、何もわからないということ。 あるいは、そこに一つのフィクションを置いてみることはできます。ある登場人物の人生観、これまでなめてきた辛酸、どうにも弁護しがたい性格、そういうものを置いた途端、すべてがわかるような気がすると同時に、すべてがフィクションになる。その過程として置かれた存在は「首の短いキリン」なんですよね、どこまでいっても。 このお話で果たして応えることができているか、少し疑問ですが、作品の心臓を貫くような評をいただき大変うれしく思います。 ありがとうございました。

芦野 夕狩 (2019-05-24):

訂正 その過程として → その仮定として 失礼しました あしや

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