柴田蛇行

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芦野さん、こんばんは。お返事ずいぶん遅くなってしまってすみません。 芦野さんのレビューは文学極道でスタッフをやられていらっしゃった頃から知っていて、いつかレビューをいただけたら嬉しいなあと思っていたので、今回思い切って出してみて本当によかったなと思いました。 さて、さっそくお返事します。 >なぜ僕がこの詩をホラーとして読んでいたか、と言うと、僕には死んだ後に自分にとって大切な人が自分以外の誰かと一緒になって、幸せになってくれと祈る感覚というのを、そもそも信じることができないからだ。 そう読んだかあ、と、こういう読みはまったく想定していなかったんですよね。ここから自分のはなしになってしまって申し訳ないのですが、今まで書いたもののなかで「恋人と別れるはなし」というものをいくつか書いていて。その結論はいつもこんな感じなんですよね。 >きょうを分岐点として、とも君のとなりにもっと素敵な女の子がいることになるだろうし、きっと別れてよかったって思う日がすぐ来ます。 >さようなら、あのお化けがまた違うスカートを見つけることをちょっとだけ応援しているよ >手術は必ず成功することになっている あなたが乗ろうと乗らまいと 飛行機が空高く飛ぶのと同じように どれも別の文章なんですが、「頑張ってね!」や「あなたがいなくても大丈夫!」みたいないずれも同じスタンスなんですよね。つまりは、いつもこういう恋愛をしてきましたよ、と。(こうやって過去作を見てると心底気持ち悪くなってきますね、でもここを超えないと、もういよいよダメな気がしています) そこで、芦野さんはこう続けている。 >やはりそれでも僕はそんなものは架空であると、自ら内的な経験からそれを導き出さざるを得ない。だからこのような「架空」の思考を話者がもっているということに、どうにかして納得のいく説明を付けたいと願ったりする。 おっしゃる通り、やっぱり「架空」なのかもしれない。つまり、わたしはあり得ないことを書いていたのかもしれない、と。ではなぜ、思うままに書いていたのにこういうことが起きたのか、たぶんそこは誰も指摘できない、指摘しづらいことだと思うのだけれど、「わたしが本当に人を好きになったことがないからこういう現象が起きてる」んじゃないかと。自分で書いてて、これはけっこうきつい結論に達しているんだけど、そう考えるとすべて筋が通るんですよね。 >誰かを想うために。自分は自分であってはならない とありますけど、自分は自分でありたいと思うから、誰かを想うことができない、ということにも繋がりますよね。たぶん、わたしそっち側なんだろうなあ。だって、 >分かり合おうなんて余裕はなかったし、逆にわたしのことなんか好きじゃないんだろうなと捉えてしまって、あなたのことが嫌いというよりも、あなたと付き合っている自分が嫌いになり始めていた。 これも過去のものですけど、自分自身に関心が向いていて、あなたを理解しようとすることをあきらめている。誰かを愛することよりも、自分自身を保つことのほうがよっぽど大事なんです。だから、大好きなあなたへ思い続ける(つまりはそれは憎しみにも似た何か)よりも、あなたを応援できる心の広いわたしを選ぶわけです。だって、自分のほうが大切だから。でも、ほとんどの人はそうではない。それに気がつかず、きっとわかってもらえると思って書いていたことに恐怖を感じている六月です。やっぱり、これホラーとして読んでもらって正解かも。 「神の庭」でのレスで、 >そう、「わかる」ってしんどいよねって話だ。僕はたぶんここにいるみんな嫌いだよって話。 とおっしゃってましたが、わたしはこの作品、みんな「わかる」だろうなって思って書いて、あんまり「わかってもらえなかった」んですよね。でも、わかってもらえなくて良かったなと思っています。もし、理解できてしまうとしたら、それは私と同様、人を好きになれない人である可能性があるのだから。これからはお別れのシーンはちょっと憎しみを込めて、普通のひとの感覚の文章を目指していこうかなと。それは、経験したことのない感情だから、これから経験するか、想像するかの二択なんですけど、まあ後者になるのかなあ。 なんていうか、こういう気付きを引き出せるレビュワーって最強だなと改めて読んで思いました。どぎついレスをしてしまってすみませんでした。また芦野さんにレビューをもらえるような作品を頑張って書きます! (ラブレター・トゥ・ユー)

2019-06-11

追記します。 >私にとって、ハラスメントされる側の人間、は特別なタンポポじゃないんですね。無駄に揶揄したり、矮小化したりしたいとは思わないし、ハラスメントする側の人間とは明確な峻別があるけれど、作品を発表する中でさえも、特別な保護を要するとは考えていないのです。 花緒さんのこの文章に一定の理解を示します。また、 「つまりは、両者とも社会的には弱者であり、わたしはどちらも糾弾できない立場にある。」と記載しましたが、「弱者である」というのは私の完全な偏見であり、事実とは異なることを明記しておきます。 ハラスメントに関しては、加害者でも被害者でもありませんが(今回のコメントで、傷つかれた方がいらっしゃったら加害者となっている可能性はありますが)、そういう事象が実際あるということに関して、非常に心が痛み、苦しみ、困惑し、現在進行形で悩んでいるため、考えがまとまらない状態でのコメントとなりました。非常に配慮に欠けたコメントとなってしまい、不快に思われた方がいらっしゃたら大変申し訳なかったと、ここにお詫び申し上げます。 (ノーカントリー)

2019-06-10

taishi ohiraさん、こんばんは。 ごめんなさい、ちょっとohiraさんのおっしゃっていることが理解できなかったです。 つまり、ohiraさんがわたしの作品を読んで感じたことは、わたしに何も伝わっていないということです。 せっかく読んでいただいたのに、それって悲しいですね。 わたしはここの運営の人をよく知らないし、どういう基準でカードを発行しているのかわからないけど、いつまでもそういうレスを続けていたら、またカードが発行されてしまう可能性があるんじゃないかなと危惧しているんですよ。 ohiraさんは詩がきっとお好きなんですよね?もしかしたら、わたしより好きなんじゃないかなと思うんですよ。それでも某文学サイトも出禁になって、ここでもカードが一枚発行されている。詩が好きなのにも関わらず、あなたの居場所はどんどんなくなる。どうすればいいと思いますか? わたしにはそれがわからないんですよ、わたしにはきっと救えない。あなたにとってわたしはただの画面上の向こう側の文字としてしか存在しえない。もしかしたら、あなたの言う、よくわからない数字と同じくらいの存在価値でしかないのかもしれない。 それでも、わたしは文章を信じたい。なぜかって?それはテキストを書いている人間の宿命だと思うんです。あきらかに病識がある人をスルーする人の書くラブレターだなんて、まるっきり価値がないなって思ったんですよ。嘘っぱちじゃん、いやまあ所詮はフィクションなんでしょうけど、そういうところを花緒さんはちゃんと見抜いていますよね、こいつは表面だけの愛しか語れないやつだってね。いや悔しいなって思って。悔しいことってこの世に山ほどありますよね、なんかもう、ありとあらゆることがやりきれない。せめて、ohiraさんだけでもカードをくらわず詩を続けていってほしい。 というわけで話は戻って、わたしは医者じゃないから診断はできないけど、ohiraさんの文章からは何らかの病識を感じるんですよ。病気って早期発見・早期治療が大切だと思うんです。とりあえず、お近くの内科に行ってみませんか?なんだか頭のなかが忙しくなって、混乱するときはありませんか? 病院に行くことが、ohiraさんにとって、良い選択となることを祈っています。(あらかじめ伝えておきますが、わたしはそれなりに年のいっているオバハンですので、あなたの大好きな女性とは、別のカテゴリーにいますのであしからず。セクハラしたら怒っちゃうからね!) (運営のみなさまへ、もしかしたら本来はフォーラムでやったほうが良いと思われることを、コメント欄で行ってしまったことお詫び申し上げます。カード発行に値することでしたらご自由にお出しください、わたしはohiraさんにとって何かできることがないか精一杯文章を送ることと、カードをくらうこと、どちらかを選べと言われたら前者を選びましたので。特にお返事は必要ございません) 芦野さんへのレスは疲れてしまったのでまた後日! (ラブレター・トゥ・ユー)

2019-06-09

花緒さん、こんにちは。コメント、本当にどうもありがとうございます。 突然ですが、髪の毛はいつも同じ美容師さんに切ってもらっています。自分の髪質や癖がわかっている美容師さんのほうが、オーダーをするとき楽ですよね。詩に関しては花緒さんがそれに該当していて、前からわたしの作風を知ってくれているという経緯があるので、やっぱりこの人に読んでもらいたいな、みたいなのがあって。いつも本当にありがとうございます。 >私の理解では、愛、を直裁的且つ強度ある表現で描くことは、人類的に難しくなっているはず おお、なるほど。あんまりそういうの考えたことなかったですね。う~ん、でももうある程度、わたしたちが思いつくテーマって書きつくされているんじゃないですかね。だから、どちらかというとテーマの選定が悪かったというより、書き手の能力が残念だったというほうに話を持って行ったほうがしっくり来るような気がする。愛と平和ってそんな難しいかなあ。(こういう、気軽に身構えているところが弱みと出たか笑) >一行一行のクオリティが決して高くないし、一文一文が艶っぽくない。 なるほど!花緒さんがめちゃくちゃ暇でお時間があれば、クオリティの高い文章ってどんなものなのか、どなたかの具体的な作者名を教えていただけると嬉しいです。最近、上手な文章を書くことに興味を失っているんですよね。しばらくはこの話し言葉みたいな感じで書いていこうと思っていて。ただ、艶っぽくないっていうのはよろしくないなあ。読んでいて、美味しいとおもってもらえる艶感は出していきたい。 >おせっかいBBAに近しい感受性ではないだろうか。 これ、めっちゃ笑いました。笑 まあ最近はよく言われますよ、おかんみたいだよね、とか。笑 もっとネタバレしてしまうと、この作品は明確なターゲット層がいて、花緒さんはそのターゲット層ではないんですよ。もしかしたら、ビーレビにはいないのかもしれないなあ。でも、そのターゲット以外の人が読んで、納得できるものを書きたかったんですよね。そこまで読ませられなかったのはわたしの力量不足だなあと。というか、花緒さんが読んでわからないものは、そのターゲット層にも響かない可能性がめちゃくちゃ高い。こんな感じじゃ、これからどうしようかな、どうしていけばいいんだろう、路頭に迷ってしまいました。笑 (ラブレター・トゥ・ユー)

2019-06-08

初めまして、佐久さん。 作品とても面白く読ませていただきました。 特に題名の「寂しい子供は墓を作る」がとても素敵でした。 わたしは題名をつけるのが本当にへたくそなので、こういう題名をつけられるのってうらやましいなあと思いました。 作品のなかでこの一文が特に好きでした >毎日お墓が増えていく >空っぽのわたしが埋められていく 「さびしくて空っぽだから、死体を埋めていく、そのことでわたしが満たされていく」という構造は面白いですね。ふつうは寂しいってなったら、誰かと電話するなり、遊び相手を探すなり、人間を求める。だけどこの世界には誰もいないらしい。だったら、と死んだものを求めるって言うのはどういうことなんだろう、しかも三歳かよっていう。笑 気になるのは、この子の親はどうしているんだろう、ということ。育児放棄なのかな?それともただ単に夏休み?ここはただ単に想像にお任せします、ということだと、少し読者に対して丸投げ感があるかなとも思いました。空白部分が巨大すぎる印象です。まあでも、どこまで説明するかって難しい線引きがあるので、そこは好みがわかれるところかもしれません。 もしわたしがこういうテーマを扱うとしたら、母親が行方不明で、母親の墓を作りたいけど作れないから、たくさんのお墓を作ってしまう旦那とかを主人公に書いてしまいそうだな、なんて思いました。そうしたらもっとドロドロしてしまって、こういう素朴な印象の作品ではなくなってしまうんだろうなあ。 楽しく読ませていただきました、ありがとうございました。 (寂しい子供は墓を作る)

2019-06-08

なかたつさん、こんにちは。 いつか、なかたつさんに選評をいただけたら嬉しいなあと思っていたので、思い切って作品を載せてよかったなと思っています。(作品をネット上に載せるのは本当に勇気がいりますね) さて、さっそくお返事します。 >作品内において、固有名詞を使うというのは、一種の勇気が必要である。 そ、そうなのか!(気にしてなかった) >いずれにしても、死した主体の唯一性を証明するのは、生きている主体による証言ではなく、死した主体そのものが為さなければならない。 そういえばそうか。(気にしてなかった) いや、まあ、幽霊ってすごくぼんやりしてるじゃないですか。いるの?いないの?どっちなの?っていう感じなので「過去にちゃんと生きてましたよマーク」でもつけとこうかなと思って。何聴かせとこうかなと考えて、それでaikoとか聴いてる女の子、ちょっと可愛いじゃないですか。ここはACIDMANじゃないでしょって思って。ACIDMAN聴いてる人はこの世の幽霊なんかにならずに、そのまま涅槃の道を進んで修業しそうですよね。すぐ雲に乗って笛とか吹くやつになれそう。それでなんか、適当にaikoでも聴かせとこって思って書いたんですけど、なかたつさんに言われて、あ、自分はこういうことを無意識にやってたんだなって。 なかたつさんの批評ってやっぱりすごく丁寧で、散らかることなく、綺麗にまとめられてますよね。そのまま教科書に載っけても違和感がない。素晴らしいなあと思って、過去の批評を探していたら、固有名詞に関して、こんな選評を出されていますね。 https://www.breview.org/keijiban/?id=2604 感動したのは、完備さんに関する固有名詞に関する評。完備さんの固有名詞の使い方ってめちゃくちゃかっこよくて、たまらないのだけれども、どう素晴らしいのかっていうのが私自身あまりうまく説明できなくって、いや、マジでサイコー!っていう一文で終わってしまう残念なことしか言えないのだけれど、 >そうだ、名詞、強いては、言葉はその再生という機能を持つ。 と、なかたつさんは完備さんの作品の名詞に関して、再生という機能があると説明する。 こんな風に、この名詞はどんな機能があるのかという風に、ひとつひとつ丁寧に検証していってくれていて、それはもう作者が気が付かないところまで洗ってくれるその姿勢に、言葉の研究者ってこんな感じなのかな、と思ったりします。 ところで、どうして私がこういうところに気がつかないかというと、この作品があまり面白くないということは一旦棚において説明をすると、もう自分自身が幽霊のつもりになって書いているところがあって。書くときは、おっし、今から透明になるぞって言って、自分がいようがいまいが、aiko聴いてようが、ブロッコリーは個人的に毎日茹でてるからいいとして、ラブレターは書いたことないけどまあいいやっていう感じで、何にも気にしないで、それはまあ自由に鼻歌でも歌いながら書いているんですよね。 だから、なかたつさんに、これってこうなっているんですよね、と、顕微鏡でひとつひとつの文章を検証してもらうと、自分で書いておきながら、そうなんだ~(そうなんだ、じゃないんでしょうけど)ってなるので、本当にありがたいなと思っています。 そういえば、なかたつさんビーレビで今年に入って初めてのコメントがこの作品だったようで、初っ端からこんなもの読ませてしまって、申し訳なかったなあと思っています。たまたまだったんでしょうけど、それでも初めていただいたのが自分のってちょっと嬉しいですよね。 批評って本当に骨が折れるというか、たまに誰が読んでるのかな、と思うときありますよね。でも、そう思わせてしまっているのは、良い作品が少ないからなのかなあと思ったりもします。 でも、これはヤバい!ていう作品は、やっぱり評を書きたくなりますよね。評が生まれない現状は、評を書かせるような素敵な作品を書けなかった側としても責任があるのかなあ、とぼんやり思ったりします。幽霊になりきって書いてる場合じゃねえぞ、と。なんていうか、また頑張って、なかたつさんに評をもらえるようなものを書けたらな、と思ったりもします。今度はリスになろうかな。クルミが大好きなリスのはなしでも。 (ラブレター・トゥ・ユー)

2019-06-02

花緒さん、こんばんは。 ひさびさに花緒さんの作品が読めて嬉しかったです。 どうして嬉しいのかな?と考えてみたのですが、 それはやっぱり花緒さんは既存の詩っぽい感じがしないからなんですよね。 よくあるメンヘラ的なわたしの気持ち聞いてくださいみたいな感じとは違うし、 自然を感じて季節を黄昏れる感じでもないし、 もうわけわかんなくなってる現代アートみたいな感じでもない。 それって「文字の権威」に屈せず、ちゃんと花緒さんが詩ってなんだろうって自問自答している証拠だと思うんですよね。 そういうところがとても良いと思うし、だから嬉しいんだなと思いました。 前置きが長くなってしまいましたが、さて、この作品、まず他人の詩の引用から始まっているんですね。 イエイツさんという方(ごめんなさい、知らないです、なぜ花緒さんがこれを読んだのか教えてほしい) らしいのですが、こういう詩の引用って地獄だなと思うんですよね。 自分の作品と否応なしに比べられるし、ある意味食われちゃうこともある。 この作品はギリギリ、食べられない位置にまで持ってきているとは思うけれど、引用がけっこう作品を引っ張っていっている感は否めないですね。 こういうの、普通の人はビビッてやらないと思うんですよね、でも花緒さんはやる。 そういうチャレンジャーというか、いろいろやってみよう!っていうところがとても良いなと思いました。 さて、中身に関してですが、この男性から女性に対する誘導の文章はまさに真骨頂だなと。 十八番持ってきたなとニヤニヤしながら見てたんですが、このあたりのコミュニケーション方法というか、交渉術というのは本当に面白い分野ですね。 (勘違いしないでいただきたいのは、それは花緒さんがハラスメントをするような人物だ、と思っていないことはちゃんと分かっていただきたいです。) >今、君は僕の目の前にいる女で、僕は君の目の前にいる男だ。君は別れた妻じゃない。(事実) >僕の別れた妻じゃない女になりたいって、ほら、さっき、そう思ったんだろう?(感情の誘導) >ほら、ここ触れよ!(行動の誘導) >なあ!ずっと口で咥えたかったんだろう?思ったことをそのまま言ってみせろよ!(行動の誘導) 事実と誘導を並べると一見筋が通っているように見えますが、事実と誘導に何ら因果関係がないんですよね。 でもちょいちょい事実を入れるとそれっぽく見えてしまう。 しかも誘導の順番を感情→行動にするといかにも論理的っぽく見えるんですね。 単純にこの洗脳らしき何かの構造を見て楽しんでいるんですが、こういうのを詩のなかでサラッとやってしまうところがクールだなあと思います。 さて、ここからはちょっとわたしも言及しづらいところを頑張って話そうと思います。 この手の作品、もし仮にハラスメントを受けた方が読んだらどんな気持ちになると思いますか? わたしはハラスメントを過去に受けたことがないので、そういう方の気持ちは想像することしかできない立場にあります。しかもその想像が当たっているとも限らない。 たぶん、たぶんね、花緒さんはハラスメントという行為に対して怒りを感じている方だと思うんですよ。 だから、読む人によっては、この文章を読んで気を楽にする方もいるかもしれない。 もしくは自分の体験を思い出して、気分が悪くなってしまう人もいるかもしれない。 でもそれって、ハラスメントに関する文章に限らずおおむね全ての文章に言えることですよね。 そういうリスクをどれくらい回避しながら表現していくかっていう線引きってとても難しい。 ここで、わたしの立場をはっきりと言っておくと、基本的には「書いちゃいけない文章なんてない」と思っているんです。 だから、こういう文章を読んだら傷つく人がいるから書くのをやめましょう、だなんて言うつもりは毛頭ない。 けれど、書いた文章の意図が読み手にすべて伝わることなんてないわけですから、少なからずそう言われる方って必ずいるんですよね。 そのあたり、自分自身でも話の落としどころが見つからなくて、花緒さんに逆に聞いてみたいなと思うところでもあって。 まあもっと言ってしまうと、わたしは福祉を学んできた人間なので、ハラスメントを行う人間も受ける人間も、両方とも救う対象になってしまうんですよね。 つまりは、両者とも社会的には弱者であり、わたしはどちらも糾弾できない立場にある。 幼少期に公園で遊んでいて、知らない間にたんぽぽがたくさん咲いているゾーンに足を踏み入れてしまったことがあって、母親に名前を呼ばれても、たんぽぽが踏めなかったので、どこへも移動できずその場で泣いていたことがあったらしいのですが、 性格ってそうそう変わらないもので、ハラスメントをする人間も受ける人間も、それを看過しているバカな人間たちも、誰も悪くなくて、全員ただただちょっとずつ弱いっていうだけで、そう思うと、足元たんぽぽ状態で何にも書けなくなってしまうんですよね。 そういう、誰も踏めずにただ泣いているところから生まれる詩情って、どんなものなのかなとも思います。 それよりも、リスクをとってちゃんと何かを言及する今回のようなものこそが詩なのかな、とも。 (ノーカントリー)

2019-05-31

 この作品のコメントを書く前に、作者が中原中也宛てのなんか長めの手紙みたいなのを書いていて、それを何の気なしに読んでしまったのだけれど、そのことを後悔している。ああいう立派なことを書かれたあとに何か物を書くのは本当にしんどい。それ分かっててやってるのか、天然でやってるのか気になるけど、個人的には前者じゃないかなと思ってる。ただでさえレビューが苦手で大したことも言えないのに、もうどうやって後に続けばいいのかわからない。くだらないことを書いて「ああコイツ、俺よりくだらないことを俺の後に書いていやがるな」と思われるのも癪だけど、そうするほかないから、いろいろと全部許してほしい。  この作者の作品って「一読してめちゃくちゃわかりやすいもの」と「あえて分からせないように作ってあるもの」に二極化しているなと感じていて、これはきっと後者にあてはまる作品だと思う。  このあえてすぐに分からせないように作ってあるものって、「これってどういうことなんだろう?」と考えさせることで、作品そのものを好きになってもらおうとしている目論見を感じてしまう。それって、ちょっと気になる女の子が意味深なことを別れ際に言って、家で考えているうちに知らず知らず好きになってしまう、みたいな心理状況に近い。個人的には、その手には乗らないぞ!と思って突き放してしまうことが多いのだけれど、作品にフックが仕掛けられていて、ちゃんと突き放さないような仕掛けができているんだから、そこらへんの手の込みようは憎いなと思う。  そしてそのフックを元にたどれば、なんか答えが見つかるんじゃないかと読者は思う。その「俺の人生の答え、ここにあるかも感」って詩において割とキーだなと思っていて、学問も宗教も、結局はそれに尽きるんじゃないかと思うと、この作品は人間の心理をよく理解して作ってるんだろうなと思ったりもする。まあきっと作者は他者の人生の答えなんて知ったこっちゃないし、勝手にやってろと思ってるんだろうけど。  さて、この作品の最大のフックは「感情の不在」だと思う。ヤマモモ、兵庫、阪神タイガース、あきら君、べっちょない、戦車、枝切鋏。こんなにたくさんもの具体的な固有名詞に囲まれながら、ここで登場する兄も私も父も死んだ母も、誰ひとりとして感情が読み取れない。その感情の不在に、読者は「このひとたち、いったい何を考えているんだろう?」と考え出す。そのまるで人形のような登場人物がセンセーショナルな行動を次々起こしてしまうんだから、(父の酒乱ぶり、兄の自傷行為、わたしの理由なき涙など)読み手としては「どうかしましたか!?」という驚きにつながり、そのストーリー展開のスリルさに酔いしれる。  個人的にはこういう飛躍の仕方は好きだし、それこそ話の楽しみどころというところもあるが、読み手によって(おそらく起承転結がはっきりしていて、感動モノを欲している人たち)はいささか置いていかれている感を抱く人はいるのかもしれない。それはかるべさんもコメントとして残しているが、散文形式ってもしかしたら、最後に何かあるのかもしれない、と期待する人がいるのかもしれないなと思う。だけど、その「感情の不在」の穴は「神の声」が埋めているように思う。それで、この話を読み終わった後に自分の家族を振り返り、その神の声が自分の声にいつの間にかすり替わり、人生の意味を考え始める。こういう構造って本当に美しいなあと思う。よく出来てるなあ。やっぱりすごいなと思う。  まあ、みんなどうせ心温まるお話が読みたいんでしょ、と読み手を舐めてかかって、てきとうにお涙ちょうだいやっているのが私なんですけど、それをやれというのも陳腐だし、そういう定型は書けない人間が仕方なくやることなので、気にしないでほしいと個人的には思う。だけど、読み手の幅を広げるということを視野に入れるとしたら、もう少し感情を描いてみても良かったのかもしれない。いちばん感情を書きやすかったのは死んだ母だと思う。亡くなった人はそこにいないから、いかように失敗してもまあまあ修正がきく。母には、兄の文庫本のカバーでも適当に手縫いさせておいて。  この手の作品、近親相姦を軸にしたものに対する賛否とか、性器を舐めるシーン、自傷行為などに対する生理的な快不快に関するコメントは必ずつくことを、作者は想定済ということを踏まえて、わたしはこういったことを言及することはスルーしたいと思う。別にいいんじゃない、というわけじゃないけど、こういう難しいことは頭の良い人で勝手に話し合ってくださいという感じ。社会的なことをここで話し合う必要性を感じないんですよね。たかだか数人で話し合ったとしても、出てくる答えなんてもう目に見えてるし、そんな時間あったらもっと楽しいことしようよと思う。  ひとつだけ言えるとしたら、詩として書いちゃいけないことってあるのかなっていうこと。もし、詩として「書いちゃいけないこと」があるとしたら、それはどうして書いちゃいけないのか、本当に書いてはいけないことなのか、限りなく神経質に、それは懇切丁寧に、根拠を明確にしたうえで話を切り出さなければならない。わたしは、ものすごく怒られるかもしれないけど、書いちゃいけないことなんてないって信じてる。読み手の生理現象に配慮した文章が詩であるならば、もうわたしは詩を書かないだろう。最初一読したとき、わたしは「こころに染みが残るような作品」と口に出したことを覚えている。悪口を言わず、くだらないことを言わずして人に嫌な気持ちを抱かせることは難しい。それをやってのけて、まるでワインをこぼすかのように、過去の記憶に染みを作ってしまうんだから、それって一万円より価値があるんじゃないかっていうはなし。   (神の庭)

2019-05-11

蔀 県さん。 こんにちは。お読みいただきありがとうございました。 また、思いもがけず楽しんでいただいたようで嬉しく思いました。 まだまだ修行中ですので、もっと良い文章を書けるように努力いたします。 ありがとうございました。 沙一さん お返事ありがとうございます。 そのように言っていただいて、非常に恐縮しております。 これからももっと良い文章を目指して精進してまいります。 こちらこそ、よろしくお願いいたします。 花緒さん 花緒さんにコメントしていただけないかな、と思っていたので コメントをいただけて嬉しいです。 最後のご指摘、非常に耳が痛いというか、自分でも違和感を感じていた箇所でした。 なかなかこういうフィードバックは有難いものがあります。 ありがとうございました。 藤 一紀さん こんにちは。 前回(菅田将暉のです)、コメントをいただいていたのに、お返事できずにすみませんでした。 気がつくのが遅くて、今さらコメントをして上げてしまっても皆様に申し訳ないな と思ってのことでした。 菅田将暉のくだりは、気づいてくださる方はいらっしゃらないだろうな、 という自己満足な部分でしたので、少し嬉しく思いました。 お読みいただき、ありがとうございました。 つきみさん はじめまして。お読みいただきありがとうございました。 ご指摘の箇所はごもっともであり、そうするには前半部分の話を削り、 選考の話だけでもっと情緒的にまとめればそうなったでしょうね。 ただ、そういう作品は今までたくさん書いてきたので、ちょっと飽きていて、 ふたつの話をいかに一つの作品にするかということ、 そしてどちらもあまりYOMENAIに帰結せずに、ゆるく繋げて書けるかということ 強く帰結しないことで最終的に読者をYOMENAI状態にさせること が目的でしたので、 皆さんのコメントを見ると読めない状態になっている読者がいないことから 目論見は随分失敗したな、という気持ちでいます。 鋭い読みをしていただいて、本当にありがとうございました。 これからもよろしくお願いいたします。 (YOMENAI)

2018-11-29

沙一さん、初めまして。 読んでいただきありがとうございました。 いかに言葉あそびや比喩を使わずつまらない日常を他人に読ませるか という試みをずっと続けていたので とりあえず最後まで読んでいただけたとのこと、 ホッとしております。 内容についてはどうでもいいというか、 いかに中身のないものを長文として綴れるか みたいなところだったので掴みが〜と言われると、 わたしは本当にまだまだなんだなと思いました。 つまらない文章をお読みいただき、ありがとうございました。 (YOMENAI)

2018-11-25

素敵だなと思いました。 ひらがなで書かれている作品は、 だいたい読みづらいか、変に子どもっぽくなってしまうのがオチですが こちらの作品は冬の寒さでうまく口が回らない感じや 時がものすごくゆっくり流れているような雰囲気を感じることができます。 また、最初の二行だけをひらがなにすることによって、 この二行がとても強いものとして読み手に印象づけられるように思いました。 それにしても、首を絞められた経験のないわたしにとって、 例えそれが比喩だとしても「いつも いきていました」なんて言葉、 どうしたら続けることができるんでしょうか。 そんな言葉、普通は出てきませんし、 そこにまりもさんの書き手としての強さを感じました。 読ませていただきありがとうございました。 (あなまどい)

2018-11-24

あやめさん、こんばんは。 コメントどうもありがとうございます。 あやめさんのことは別のサイトでお見かけしてから、 素敵な作品を書かれるなあと思っていたので コメントいただけて嬉しいです。 「サイレント映画を見ているときのような」と評していただいたことを受けて、 確かにこの頃はそういう雰囲気が好きでよくやっていたなあと思い出しました。 過去に書いたものが今もこうして読んでくださる方がいることに、 なんだか不思議な感覚を抱いています。 どうもありがとうございました。 (おとなになる)

2018-06-15

かるべさん、こんばんは。 先ほどはコメントどうもありがとうございました。お礼に、コメントさせていただきます。 作品、読ませていただきました。 すごく、すごくいいですね。 >まさに、わたしたちは催事場と書いて修羅場と読んだ。 ここの主語を「わたしたち」と持ってくるところ、述語を「読んだ」とするところ、非常に言葉の選び方にセンスを感じます。 ただ全体的に何が言いたかったのかを考えると、ちょっとわかりづらかったです。 個人的には「よくわからないもの」が割と好きな方なので最後のオチも面白く読みましたが、 たいがいの人は「よくわからないもの」は「よくわからないもの」としてあまり面白がってくれない気がします。 ここから先はかるべさんが「誰に読んで欲しいのか?」という問いになってくるのですが、 わたしは詩を書かない人に読んでもらいたいと思っているので、できる限り「わからないもの」は書かないように徹底してきました。 ただそうすると言葉遊びの面白みがなくなったり、小難しいものが好きな人からの評価は失われるのかな、なんて思ったりもします。 その辺り、かるべさんがかるべさん作品をブランディングしていくにあたって、どのように書いていくのかが気になります。 また別の作品も読みたくなりました。 次の作品も、ぜひ読ませてください。 (陸でおよぐ)

2018-06-11

かるべまさひろさん、こんばんは。 コメント、どうもありがとうございます。 なるほど、確かに最後の(十)が説明的と言うか、直接的な表現になっていますね。自分では気がつかなかったので、コメントをいただけてよかったです。 これは19才の時に書いたもので、かるべさんのおっしゃる通り、ちゃんと大人にならないとって思って書いたものでした。 お読みいただき、本当にありがとうございました。 (おとなになる)

2018-06-11

こんばんは、初めまして。 確かになあ、そうですよね。 一般的に「ごめんなさい」って結構なパワーワードですよね。 ただそのワードをどうしても口に出せない人ってやっぱり一定数いて、 それはたぶんTPOだったり性格的なものだったりと色々あると思うんですが、 じゃあ「謝ることのできない人」を主人公にして読者に共感させたらそれはそれで面白いのかな、なんて思います。 と言うか最近はすぐ謝る人が多くて、本当に悪いと思ってるのかな、なんて思いますね。 (ひねくれていて、ごめんなさい) (ぼやく)

2018-06-09

花緒さん、こんばんは。 コメントどうもありがとうございます。 ※以下がオチと感じられたとのことですね。 確かに菅田くんをモデルにはしているのですが、菅田くんが出演していると書いた映画(実際、サレ半島の夢という映画は存在しません)やラジオでのセリフなどは全くのフィクションですので、このような脚注を書かせていただきました。 ちょこちょこ嘘が混じっているにも関わらず、リアリティを感じていただいたことは喜ばしいことかもしれませんが、 結局脚注に全て奪われてしまったとなると、筆力不足を感じますね。 それか脚注を別の書き方で書けば良かったのか…。 うーん…。 お読みいただきまして、どうもありがとうございました。 しばらくの間、修行させてください。 よろしくお願いします。 (菅田将暉くんへのファンレター)

2018-06-04

はじめまして。 面白いなあと思いました。 特に、 >水はないのに水面がある >その中に二次元の色が線を引いている >呼吸できなくなった肌が泡を吹き出してた などの表現が、現実と夢を行き来するような感じで、 音楽で言ったらドリームポップ路線といったところでしょうか。 ご自身での描写というものが確立されているように思うので、 あとは読者に共感さえさせたら、もう少し読者層の幅が広くなりそうな気がします。 しかしあまり共感を求める作品でなくても、強度が保てそうな感じもありますので、その辺りはご自身のブランディングをどのようにするかといった問題でしょうか。 感覚的なものを感覚で書けるのはとても強みだと思います。 また次回の作品もぜひ、読ませてください。 応援しています。 (うたた寝)

2018-06-03