柴田蛇行

投稿作品数: 3
コメント数: 10


 この作品のコメントを書く前に、作者が中原中也宛てのなんか長めの手紙みたいなのを書いていて、それを何の気なしに読んでしまったのだけれど、そのことを後悔している。ああいう立派なことを書かれたあとに何か物を書くのは本当にしんどい。それ分かっててやってるのか、天然でやってるのか気になるけど、個人的には前者じゃないかなと思ってる。ただでさえレビューが苦手で大したことも言えないのに、もうどうやって後に続けばいいのかわからない。くだらないことを書いて「ああコイツ、俺よりくだらないことを俺の後に書いていやがるな」と思われるのも癪だけど、そうするほかないから、いろいろと全部許してほしい。  この作者の作品って「一読してめちゃくちゃわかりやすいもの」と「あえて分からせないように作ってあるもの」に二極化しているなと感じていて、これはきっと後者にあてはまる作品だと思う。  このあえてすぐに分からせないように作ってあるものって、「これってどういうことなんだろう?」と考えさせることで、作品そのものを好きになってもらおうとしている目論見を感じてしまう。それって、ちょっと気になる女の子が意味深なことを別れ際に言って、家で考えているうちに知らず知らず好きになってしまう、みたいな心理状況に近い。個人的には、その手には乗らないぞ!と思って突き放してしまうことが多いのだけれど、作品にフックが仕掛けられていて、ちゃんと突き放さないような仕掛けができているんだから、そこらへんの手の込みようは憎いなと思う。  そしてそのフックを元にたどれば、なんか答えが見つかるんじゃないかと読者は思う。その「俺の人生の答え、ここにあるかも感」って詩において割とキーだなと思っていて、学問も宗教も、結局はそれに尽きるんじゃないかと思うと、この作品は人間の心理をよく理解して作ってるんだろうなと思ったりもする。まあきっと作者は他者の人生の答えなんて知ったこっちゃないし、勝手にやってろと思ってるんだろうけど。  さて、この作品の最大のフックは「感情の不在」だと思う。ヤマモモ、兵庫、阪神タイガース、あきら君、べっちょない、戦車、枝切鋏。こんなにたくさんもの具体的な固有名詞に囲まれながら、ここで登場する兄も私も父も死んだ母も、誰ひとりとして感情が読み取れない。その感情の不在に、読者は「このひとたち、いったい何を考えているんだろう?」と考え出す。そのまるで人形のような登場人物がセンセーショナルな行動を次々起こしてしまうんだから、(父の酒乱ぶり、兄の自傷行為、わたしの理由なき涙など)読み手としては「どうかしましたか!?」という驚きにつながり、そのストーリー展開のスリルさに酔いしれる。  個人的にはこういう飛躍の仕方は好きだし、それこそ話の楽しみどころというところもあるが、読み手によって(おそらく起承転結がはっきりしていて、感動モノを欲している人たち)はいささか置いていかれている感を抱く人はいるのかもしれない。それはかるべさんもコメントとして残しているが、散文形式ってもしかしたら、最後に何かあるのかもしれない、と期待する人がいるのかもしれないなと思う。だけど、その「感情の不在」の穴は「神の声」が埋めているように思う。それで、この話を読み終わった後に自分の家族を振り返り、その神の声が自分の声にいつの間にかすり替わり、人生の意味を考え始める。こういう構造って本当に美しいなあと思う。よく出来てるなあ。やっぱりすごいなと思う。  まあ、みんなどうせ心温まるお話が読みたいんでしょ、と読み手を舐めてかかって、てきとうにお涙ちょうだいやっているのが私なんですけど、それをやれというのも陳腐だし、そういう定型は書けない人間が仕方なくやることなので、気にしないでほしいと個人的には思う。だけど、読み手の幅を広げるということを視野に入れるとしたら、もう少し感情を描いてみても良かったのかもしれない。いちばん感情を書きやすかったのは死んだ母だと思う。亡くなった人はそこにいないから、いかように失敗してもまあまあ修正がきく。母には、兄の文庫本のカバーでも適当に手縫いさせておいて。  この手の作品、近親相姦を軸にしたものに対する賛否とか、性器を舐めるシーン、自傷行為などに対する生理的な快不快に関するコメントは必ずつくことを、作者は想定済ということを踏まえて、わたしはこういったことを言及することはスルーしたいと思う。別にいいんじゃない、というわけじゃないけど、こういう難しいことは頭の良い人で勝手に話し合ってくださいという感じ。社会的なことをここで話し合う必要性を感じないんですよね。たかだか数人で話し合ったとしても、出てくる答えなんてもう目に見えてるし、そんな時間あったらもっと楽しいことしようよと思う。  ひとつだけ言えるとしたら、詩として書いちゃいけないことってあるのかなっていうこと。もし、詩として「書いちゃいけないこと」があるとしたら、それはどうして書いちゃいけないのか、本当に書いてはいけないことなのか、限りなく神経質に、それは懇切丁寧に、根拠を明確にしたうえで話を切り出さなければならない。わたしは、ものすごく怒られるかもしれないけど、書いちゃいけないことなんてないって信じてる。読み手の生理現象に配慮した文章が詩であるならば、もうわたしは詩を書かないだろう。最初一読したとき、わたしは「こころに染みが残るような作品」と口に出したことを覚えている。悪口を言わず、くだらないことを言わずして人に嫌な気持ちを抱かせることは難しい。それをやってのけて、まるでワインをこぼすかのように、過去の記憶に染みを作ってしまうんだから、それって一万円より価値があるんじゃないかっていうはなし。   (神の庭)

2019-05-11

蔀 県さん。 こんにちは。お読みいただきありがとうございました。 また、思いもがけず楽しんでいただいたようで嬉しく思いました。 まだまだ修行中ですので、もっと良い文章を書けるように努力いたします。 ありがとうございました。 沙一さん お返事ありがとうございます。 そのように言っていただいて、非常に恐縮しております。 これからももっと良い文章を目指して精進してまいります。 こちらこそ、よろしくお願いいたします。 花緒さん 花緒さんにコメントしていただけないかな、と思っていたので コメントをいただけて嬉しいです。 最後のご指摘、非常に耳が痛いというか、自分でも違和感を感じていた箇所でした。 なかなかこういうフィードバックは有難いものがあります。 ありがとうございました。 藤 一紀さん こんにちは。 前回(菅田将暉のです)、コメントをいただいていたのに、お返事できずにすみませんでした。 気がつくのが遅くて、今さらコメントをして上げてしまっても皆様に申し訳ないな と思ってのことでした。 菅田将暉のくだりは、気づいてくださる方はいらっしゃらないだろうな、 という自己満足な部分でしたので、少し嬉しく思いました。 お読みいただき、ありがとうございました。 つきみさん はじめまして。お読みいただきありがとうございました。 ご指摘の箇所はごもっともであり、そうするには前半部分の話を削り、 選考の話だけでもっと情緒的にまとめればそうなったでしょうね。 ただ、そういう作品は今までたくさん書いてきたので、ちょっと飽きていて、 ふたつの話をいかに一つの作品にするかということ、 そしてどちらもあまりYOMENAIに帰結せずに、ゆるく繋げて書けるかということ 強く帰結しないことで最終的に読者をYOMENAI状態にさせること が目的でしたので、 皆さんのコメントを見ると読めない状態になっている読者がいないことから 目論見は随分失敗したな、という気持ちでいます。 鋭い読みをしていただいて、本当にありがとうございました。 これからもよろしくお願いいたします。 (YOMENAI)

2018-11-29

沙一さん、初めまして。 読んでいただきありがとうございました。 いかに言葉あそびや比喩を使わずつまらない日常を他人に読ませるか という試みをずっと続けていたので とりあえず最後まで読んでいただけたとのこと、 ホッとしております。 内容についてはどうでもいいというか、 いかに中身のないものを長文として綴れるか みたいなところだったので掴みが〜と言われると、 わたしは本当にまだまだなんだなと思いました。 つまらない文章をお読みいただき、ありがとうございました。 (YOMENAI)

2018-11-25

素敵だなと思いました。 ひらがなで書かれている作品は、 だいたい読みづらいか、変に子どもっぽくなってしまうのがオチですが こちらの作品は冬の寒さでうまく口が回らない感じや 時がものすごくゆっくり流れているような雰囲気を感じることができます。 また、最初の二行だけをひらがなにすることによって、 この二行がとても強いものとして読み手に印象づけられるように思いました。 それにしても、首を絞められた経験のないわたしにとって、 例えそれが比喩だとしても「いつも いきていました」なんて言葉、 どうしたら続けることができるんでしょうか。 そんな言葉、普通は出てきませんし、 そこにまりもさんの書き手としての強さを感じました。 読ませていただきありがとうございました。 (あなまどい)

2018-11-24

あやめさん、こんばんは。 コメントどうもありがとうございます。 あやめさんのことは別のサイトでお見かけしてから、 素敵な作品を書かれるなあと思っていたので コメントいただけて嬉しいです。 「サイレント映画を見ているときのような」と評していただいたことを受けて、 確かにこの頃はそういう雰囲気が好きでよくやっていたなあと思い出しました。 過去に書いたものが今もこうして読んでくださる方がいることに、 なんだか不思議な感覚を抱いています。 どうもありがとうございました。 (おとなになる)

2018-06-15

かるべさん、こんばんは。 先ほどはコメントどうもありがとうございました。お礼に、コメントさせていただきます。 作品、読ませていただきました。 すごく、すごくいいですね。 >まさに、わたしたちは催事場と書いて修羅場と読んだ。 ここの主語を「わたしたち」と持ってくるところ、述語を「読んだ」とするところ、非常に言葉の選び方にセンスを感じます。 ただ全体的に何が言いたかったのかを考えると、ちょっとわかりづらかったです。 個人的には「よくわからないもの」が割と好きな方なので最後のオチも面白く読みましたが、 たいがいの人は「よくわからないもの」は「よくわからないもの」としてあまり面白がってくれない気がします。 ここから先はかるべさんが「誰に読んで欲しいのか?」という問いになってくるのですが、 わたしは詩を書かない人に読んでもらいたいと思っているので、できる限り「わからないもの」は書かないように徹底してきました。 ただそうすると言葉遊びの面白みがなくなったり、小難しいものが好きな人からの評価は失われるのかな、なんて思ったりもします。 その辺り、かるべさんがかるべさん作品をブランディングしていくにあたって、どのように書いていくのかが気になります。 また別の作品も読みたくなりました。 次の作品も、ぜひ読ませてください。 (陸でおよぐ)

2018-06-11

かるべまさひろさん、こんばんは。 コメント、どうもありがとうございます。 なるほど、確かに最後の(十)が説明的と言うか、直接的な表現になっていますね。自分では気がつかなかったので、コメントをいただけてよかったです。 これは19才の時に書いたもので、かるべさんのおっしゃる通り、ちゃんと大人にならないとって思って書いたものでした。 お読みいただき、本当にありがとうございました。 (おとなになる)

2018-06-11

こんばんは、初めまして。 確かになあ、そうですよね。 一般的に「ごめんなさい」って結構なパワーワードですよね。 ただそのワードをどうしても口に出せない人ってやっぱり一定数いて、 それはたぶんTPOだったり性格的なものだったりと色々あると思うんですが、 じゃあ「謝ることのできない人」を主人公にして読者に共感させたらそれはそれで面白いのかな、なんて思います。 と言うか最近はすぐ謝る人が多くて、本当に悪いと思ってるのかな、なんて思いますね。 (ひねくれていて、ごめんなさい) (ぼやく)

2018-06-09

花緒さん、こんばんは。 コメントどうもありがとうございます。 ※以下がオチと感じられたとのことですね。 確かに菅田くんをモデルにはしているのですが、菅田くんが出演していると書いた映画(実際、サレ半島の夢という映画は存在しません)やラジオでのセリフなどは全くのフィクションですので、このような脚注を書かせていただきました。 ちょこちょこ嘘が混じっているにも関わらず、リアリティを感じていただいたことは喜ばしいことかもしれませんが、 結局脚注に全て奪われてしまったとなると、筆力不足を感じますね。 それか脚注を別の書き方で書けば良かったのか…。 うーん…。 お読みいただきまして、どうもありがとうございました。 しばらくの間、修行させてください。 よろしくお願いします。 (菅田将暉くんへのファンレター)

2018-06-04

はじめまして。 面白いなあと思いました。 特に、 >水はないのに水面がある >その中に二次元の色が線を引いている >呼吸できなくなった肌が泡を吹き出してた などの表現が、現実と夢を行き来するような感じで、 音楽で言ったらドリームポップ路線といったところでしょうか。 ご自身での描写というものが確立されているように思うので、 あとは読者に共感さえさせたら、もう少し読者層の幅が広くなりそうな気がします。 しかしあまり共感を求める作品でなくても、強度が保てそうな感じもありますので、その辺りはご自身のブランディングをどのようにするかといった問題でしょうか。 感覚的なものを感覚で書けるのはとても強みだと思います。 また次回の作品もぜひ、読ませてください。 応援しています。 (うたた寝)

2018-06-03