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ラブレター・トゥ・ユー   

作成日時 2019-05-31
コメント日時 2019-06-11

 どうして彼女が初めて家に来る日に、前もって掃除しておかないの?心配になって様子を見に来たけど、近くのコンビニで30分も待たせるって段取り悪すぎ。わたしと結婚していた頃から全然変わってないんだね。埃をかぶったルンバも、髪の毛だらけの排水溝も今さらどうしようもないから、とにかく使っていない台所に早く物をぜんぶ押し込んで。あなたより随分若そうな彼女、予想以上にお金を稼いでるし天然なふりして計算高いし、そんなに癒し系じゃないけど、このチャンスを逃さずちゃんと捕まえておくのよ。もう少し見守っていたいけど、そろそろあなたの近くにいるのは限界かも。この世に来るとものすごく疲れちゃうの。あ、もしかしてわたしの写真、寝室の奥のクローゼットにまだあるんじゃない?ちゃんと確認しておいて。    そっちはどう?とか思わず口に出しても何の返事もないことで、ここはやっぱり天国なんだなと思う。どうして死んじゃったのか思い出せなくて、覚えているのはリリースされたばかりのaikoのベストアルバムを聴きながら、ブロッコリーを茹でていたということ。本当はみんな覚えているのが普通らしいんだけど、自殺とか不慮の事故とか、思い出さないほうがいいって神様が判断した場合は忘れちゃうんだって。隣に住んでるおじいさんが、知らなくたっていいことってあるんだよ、と言って頭をなでるからあんまり考えないようにしてるけど、ねえ、わたしそんなひどい最期だったのかな?あなたのこと、すごく悲しませちゃったのかな。今日は新月だから潮がいつもより満ちていて、ここからでも海の表面がいつもより膨らんでいるのがわかる。気がつかなかったけど、海って思っていたより暗くて深いんだね。苦手じゃなかったはずなんだけど、見れば見るほど怖くなってくるのはどうしてなんだろう。  ムンクの『太陽』っていう作品知ってる?若い頃は鬱屈した世界ばかりを表現していたんだけれど、晩年になってものすごく光に満ちあふれる作品を描いたの。ここから昇る日の出はまさにあの絵のように、誕生そのものが爆発している。こんな希望に満ちた夜明け、天国じゃなきゃ見れなかった。生きてるときは、まぶたの裏に感じるまばらな温もりを一生懸命守っていた感覚だったけど、今は違う。目にする風景全てが発光していて、それによって生じる影すらもまた光に吸収されていく。わたしはもう死なない。悲しみや怒りも感じない。それはそんなに悪いことじゃないよ。これからわたし達は、神様によって射精される存在になるために、ある空間へ四つん這いの状態で向かう。そこは火傷でただれてしまうほど熱くて台風みたいに強い風が吹いている、真っ赤な空洞。進んでいくうちに病気の有無や、肌の色や、性別も見分けがつかないようになって、最後は自分が自分だということがわからなくなってしまう。天国はその場所へ行くまでの待合室なの。そうして神様がある瞬間を迎えて背中にうっすらと汗をかくとき、わたし達はとても良い予感となって、光り輝きながら現実に舞い戻ってくる。暗い海底で目を瞑り続けている人びとに、太陽を思い出してもらうために。  おはよう朝だよ、早く起きて!その歯ぎしりする癖、ぜんぜん変わってないね。カーテンを開けて、春の花粉といっしょに踊ってるわたしを見つけてよ。そういえばあなたが好きだった、ブロッコリーとキャベツのパスタ、覚えてる?あなたと暮らしていた数年間に重ねた、たくさんの料理によって編み込まれた美味しさは、一時の食欲を消化するためだけに用意したわけじゃないよ。こうして、わたしの手によって形を変えられたビタミンやたんぱく質は、未来のあなたの細胞を作っていたんだよ。飽きるぐらい繰り返し作ってたご飯たちが、今夜の心臓のひとふるえになっていたとしたら、あなたと結婚して本当に良かったなと思う。短い人生のなかで、あなたと命を分け合えたこと、すごく感謝してる。そうして今度はあなたが、これからの彼女を作っていってあげて。かつてわたしに流れてた温かい血が、今のあなたに脈々と流れ未来の彼女へ受け継がれていく。絆なんて言葉はあんまり好きじゃないけど、赤の他人が見えない糸で繋がっていく様子は、絆と呼んでもいいのかなと思う。  ねえ、わたし、天国に来てから一度も泣いてないよ。たぶん、真面目で優しいあなたのことだから、どうしてわたしが死んじゃったんだろうとか、どうすればもっと生きながらえることができたんだろうとか、あの時あの場所で俺がこうしていればみたいな、たられば妄想を繰り返しているんじゃないかなと思って。生きていても、死んでいても、わたしはわたしだよ。それはあなただってそうでしょ。命って、目に見えないところでたくさん光っている。あと詳しいことは、あなたの心臓にでも聞いてみて。そうしていつもの癖でつい噛み締めちゃう奥歯を緩めたら、たまには空を見上げてよ。気分がいい時には複雑な模様の海岸線に沿って、読まれるはずのないラブレターをたくさん降らせるつもり。あなたはそれを見て、きっと彼女に柄にもなく手紙を書き出す。どこにもいないわたしを、忘れるでもなく、愛するでもない、大好きなあなたのままで。


項目全期間(2019/08/22現在)投稿後10日間
叙情性4141
前衛性1616
可読性3939
エンタメ2727
技巧2929
音韻1010
構成3939
総合ポイント201201
 平均値  中央値 
叙情性6.82
前衛性2.70
可読性6.51.5
 エンタメ4.51.5
技巧4.83.5
音韻1.70
構成6.51
総合33.57
閲覧指数:1148.2
2019/08/22 14時23分58秒現在
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※自作品にはポイントを入れられません。


コメント数(9)
なかたつ (2019-06-01):

見えている世界に干渉できるかできないか。例えば、電車に乗ったとしても、その走る時間というのは、暗黙の了解で遅らせるわけにはいかず、時に電車内で起きる不和の出来事を見過ごさなくてはいけないことがある。何かがおかしい、という、主体の感情の行き場はどこにもなく、目の前にしている世界には、不干渉でなくてはならないことが往々にしてある。 「覚えているのはリリースされたばかりのaikoのベストアルバムを聴きながら、ブロッコリーを茹でていたということ」という、具体的な場面展開。作品内において、固有名詞を使うというのは、一種の勇気が必要である。具体的であるということは、限定的であるということとほぼ同義でありながらも、個的・唯一性を纏うための手段である。覚えていないとする、死の場面でありながらも、それなら覚えていることを記しておこうという行為が、またしても主体の唯一性を浮き上がらせる。 いずれにしても、死した主体の唯一性を証明するのは、生きている主体による証言ではなく、死した主体そのものが為さなければならない。 「ムンクの『太陽』っていう作品知ってる?」という問いは、作中の「あなた」に呼びかけながらも、この連は読者への呼びかけにもなっている。死した主体の唯一性というのは、この主体も意識的か無意識的かはわからないが、その執着はきっとあるというのが「最後は自分が自分だということがわからなくなってしまう」という感慨にこめられているのではないだろうか。 「そういえばあなたが好きだった、ブロッコリーとキャベツのパスタ、覚えてる?」というフレーズから、死した場面のブロッコリーを茹でていた理由がわかる。「aiko」という死した主体の好物と「ブロッコリー」という「あなた」の好物が一緒に混在する空間。その空間こそ、この主体が存在していたからこそ存在しうる空間である。はたして「あなた」は、今になって「aiko」を聴いているのだろうか。きっと聴いていない。 「読まれるはずのないラブレター」というのは、生死に関わらず、存在しうるものだ。物理的な死が訪れていなくても、読まれないラブレターは存在しうる。だが、読まれないラブレターが存在するためには、トートロジー的になってしまうが、そもそもラブレターが存在しなくてはならないし、そのラブレターを書く主体が存在しなければならない。「読まれるはずのない」というのは、「届くはずのない」に置き換えることができる。このラブレターを書くということ、そして、その中でこの主体の唯一性が証明されているということ、この唯一性の証明こそが、この主体における大きな意義だったのではないだろうか。

柴田蛇行 (2019-06-02):

なかたつさん、こんにちは。 いつか、なかたつさんに選評をいただけたら嬉しいなあと思っていたので、思い切って作品を載せてよかったなと思っています。(作品をネット上に載せるのは本当に勇気がいりますね) さて、さっそくお返事します。 >作品内において、固有名詞を使うというのは、一種の勇気が必要である。 そ、そうなのか!(気にしてなかった) >いずれにしても、死した主体の唯一性を証明するのは、生きている主体による証言ではなく、死した主体そのものが為さなければならない。 そういえばそうか。(気にしてなかった) いや、まあ、幽霊ってすごくぼんやりしてるじゃないですか。いるの?いないの?どっちなの?っていう感じなので「過去にちゃんと生きてましたよマーク」でもつけとこうかなと思って。何聴かせとこうかなと考えて、それでaikoとか聴いてる女の子、ちょっと可愛いじゃないですか。ここはACIDMANじゃないでしょって思って。ACIDMAN聴いてる人はこの世の幽霊なんかにならずに、そのまま涅槃の道を進んで修業しそうですよね。すぐ雲に乗って笛とか吹くやつになれそう。それでなんか、適当にaikoでも聴かせとこって思って書いたんですけど、なかたつさんに言われて、あ、自分はこういうことを無意識にやってたんだなって。 なかたつさんの批評ってやっぱりすごく丁寧で、散らかることなく、綺麗にまとめられてますよね。そのまま教科書に載っけても違和感がない。素晴らしいなあと思って、過去の批評を探していたら、固有名詞に関して、こんな選評を出されていますね。 https://www.breview.org/keijiban/?id=2604 感動したのは、完備さんに関する固有名詞に関する評。完備さんの固有名詞の使い方ってめちゃくちゃかっこよくて、たまらないのだけれども、どう素晴らしいのかっていうのが私自身あまりうまく説明できなくって、いや、マジでサイコー!っていう一文で終わってしまう残念なことしか言えないのだけれど、 >そうだ、名詞、強いては、言葉はその再生という機能を持つ。 と、なかたつさんは完備さんの作品の名詞に関して、再生という機能があると説明する。 こんな風に、この名詞はどんな機能があるのかという風に、ひとつひとつ丁寧に検証していってくれていて、それはもう作者が気が付かないところまで洗ってくれるその姿勢に、言葉の研究者ってこんな感じなのかな、と思ったりします。 ところで、どうして私がこういうところに気がつかないかというと、この作品があまり面白くないということは一旦棚において説明をすると、もう自分自身が幽霊のつもりになって書いているところがあって。書くときは、おっし、今から透明になるぞって言って、自分がいようがいまいが、aiko聴いてようが、ブロッコリーは個人的に毎日茹でてるからいいとして、ラブレターは書いたことないけどまあいいやっていう感じで、何にも気にしないで、それはまあ自由に鼻歌でも歌いながら書いているんですよね。 だから、なかたつさんに、これってこうなっているんですよね、と、顕微鏡でひとつひとつの文章を検証してもらうと、自分で書いておきながら、そうなんだ~(そうなんだ、じゃないんでしょうけど)ってなるので、本当にありがたいなと思っています。 そういえば、なかたつさんビーレビで今年に入って初めてのコメントがこの作品だったようで、初っ端からこんなもの読ませてしまって、申し訳なかったなあと思っています。たまたまだったんでしょうけど、それでも初めていただいたのが自分のってちょっと嬉しいですよね。 批評って本当に骨が折れるというか、たまに誰が読んでるのかな、と思うときありますよね。でも、そう思わせてしまっているのは、良い作品が少ないからなのかなあと思ったりもします。 でも、これはヤバい!ていう作品は、やっぱり評を書きたくなりますよね。評が生まれない現状は、評を書かせるような素敵な作品を書けなかった側としても責任があるのかなあ、とぼんやり思ったりします。幽霊になりきって書いてる場合じゃねえぞ、と。なんていうか、また頑張って、なかたつさんに評をもらえるようなものを書けたらな、と思ったりもします。今度はリスになろうかな。クルミが大好きなリスのはなしでも。

花緒 (2019-06-02):

コメント依頼頂戴しまして有難うございます。光栄に思います。 礼儀として、思ったことをそのまま書きますので悪しからず。 (1) まず、私の読解を書いておくと、作中話者は、記憶から消し去ってしまっているくらい随分ひどい目にあって、死に至ったらしい。が、死んでからは、あるいは死ぬ前からそういった要素はあったのかもしれないが、<あなた>に対して、母性的なLOVEを感じるに至ったらしい。<あなた>は彼女を作って、家まで呼んでいるようなのだが、それに対して怒るわけでも悲しむわけでもなく、むしろおせっかい的LOVEを語っている。 作中話者の心情変化は、ムンクとのアナロジーで語りうるらしく、(私はムンクのことはさっぱりよく知らないが)、絶望だか叫びだかを経て、愛、光、多幸感!に至っているということのよう。 (2) 私の理解では、愛、を直裁的且つ強度ある表現で描くことは、人類的に難しくなっているはずで、例えば軽音楽をとってみても、ビートルズの初期なんかは、LOVE&PEACEな感じが強度を伴って表現されているが、後期ビートルズはヒッピー色が強くなっているし、サマーオブラブ以降の軽音楽史を見ても、パンク→オルタナ・テクノ・レイブと変遷していて、直球でのLOVE&PEACEはもう難しくなっていると思料。 要するに誰にとっても難し過ぎるテーマに本作は割と真正面から挑もうとして、正直ベースでいうと、作品クオリティとしては決して善戦できてはいないという印象。 (3) 一行一行のクオリティが決して高くないし、一文一文が艶っぽくない。端的に言って、私が適当に書く女性話者とかと似たレベルであり、男が書いてんじゃね?と思われかねない水準。そもそもタイトルからして甘すぎるし、よほど一文一文に強度がないと、この作品は読ませられない。 (4) 多分、作者にとって、これは一番書きたかったネタでありテーマなんじゃないだろうか。なんかそんな気がする。書きたいことを書くと、駄作になりがち、という例のアレだと思う。適当に、作品だけに集中して、自分が書きたいこと、を脇に置いた方が、一般にクオリティは上がるわけだけれど、まあ、そんなことは百も承知でチャレンジしたんだろう。 チャレンジャー精神は認めるが、成否は別。 文字って難しくて、悲しい悲しい悲しいと連呼しても読む人は悲しくならないし、LOVE&PEACE!LOVE&PEACE!LOVE&PEACE!と連呼しても、LOVE&PEACE!が表現できたことにはらない。その意味では、細部に力がやどらなければ、書かれていること=表現できたこと、にはならない。 書きたいことと、表現形式が合ってない気がする。この分量とこの形態の作品が、本作に最も適した箱なのか疑問。 (5) 私が思うには、作者は、「あなた」を大して信頼していないように感じる。「あなた」はすぐに女ができるみたいだし、まあ、すぐ女ができたらいけないってわけでもないけれど、人間に対する信頼がここには書かれていないように感じる。作中話者の想像を超えて、「あなた」が悲しんでいたり、傷ついていたり、苦しんでいたりする可能性に対する感性を感じない。 平たくいうと、私は人間に対する、男に対する信頼は相当失っているけれど、それでも、貴方達を慈しむように愛せるのよ!と言っているようにみえるが、信頼することにこそ、LOVE&PEACEの精神があり、信頼してないけど愛しているのよ!というのはおせっかいBBAに近しい感受性ではないだろうか。

花緒 (2019-06-02):

(6) 要するに、作者の筆力何如を問わず、難しいことにチャレンジし過ぎているということを私は思う。このテーマで、直球で書けたら、歴史に名を残せるレベルでは?と思ってしまう。

taishi ohira (2019-06-02):

天国は、至福という意味で、直観原理である4と関係しています。 海底は、感情の世界と関係しているように思います。

芦野 夕狩 (2019-06-02):

この詩を初めて読んだ時に抱いた感想は、気持ち悪いな、というものだった。 それは別に悪い意味ではなくて、ある種のホラーを読んだ時に感じる(特に意味が解ると怖い系)あの独特ないやぁな感触のことである。 なぜ僕がこの詩をホラーとして読んでいたか、と言うと、僕には死んだ後に自分にとって大切な人が自分以外の誰かと一緒になって、幸せになってくれと祈る感覚というのを、そもそも信じることができないからだ。 こんなことを書いてしまうと、人間性を疑われてしまうかもしれないが、やはりそれでも僕はそんなものは架空であると、自ら内的な経験からそれを導き出さざるを得ない。だからこのような「架空」の思考を話者がもっているということに、どうにかして納得のいく説明を付けたいと願ったりする。 >本当はみんな覚えているのが普通らしいんだけど、自殺とか不慮の事故とか、思い出さないほうがいいって神様が判断した場合は忘れちゃうんだって。 例えば、この死因の不確定であるこが、何か重大な秘密であるかのように考えることによって、納得ができるのではないか、と。例えば、この話者は生前はただのストーカーであったとか、「あなた」はこの話者と結婚しているときからこの彼女とデキていて、その不義ゆに自殺せねばならなかった、とか。 そう、今考えても無理矢理感否めないが、そのように何とかこの話者を怨霊か何かに変換することによって、僕は何とか納得出来るような気がしていた。 さて、前置きが長くなった 改めて読んでみると、僕はこの話者を怨霊の類とは思わなかった。そう変換せずとも、自らのうちの近しい考えによってこの作品の根底に流れるものをうまく汲み取れたような気がしている。 誰かを想うことと、自分が自分であることは矛盾する。 それが僕がこの作品から感じていた最も重大なことであったと思う。人によっては、それが矛盾するだなんて思わないかもしれないし、矛盾するだなんて思わない人はやさしい人なのだろうな、とすら思う。 同時に僕は、それが矛盾することだと確信する人が僕の他にもいることを知っている。 そういう人たちは大体「愛」というものを大事にしている。「愛」はこうあらねばならない、という戒律を持っているし、自らがそれに忠実に生きているかを気にしている。その人に、一生添い遂げるべきパートナーが出来たときには、「愛」というものの名のもとに、そのパートナーのためにできることすべてを為そうとする。時には命すら投げ出す人もいる。 しかしそれは「誰かを想うこと」ではない。自分の信ずる「愛」という神のもとに自らを投げ捨てることによって、自分が自分にとって「許されうる」自分であることを証明するための儀式、つまり自己愛、だと僕は思う。 そういう人たち、「愛」を自分が自分であるための手段とする人たち、は往々にして、人を純粋に想うことができない。なぜなら、そういう人たちは「愛」が命ずるからそうしている、という自意識が先に立ち、誰かを想うことの純粋性を疑い、永遠の懐疑の内に取り込まれてしまう。 僕はこの詩を再読して、何故話者が死者でなければならなかったのか、 >真っ赤な空洞。進んでいくうちに病気の有無や、肌の色や、性別も見分けがつかないようになって、最後は自分が自分だということがわからなくなってしまう。天国はその場所へ行くまでの待合室なの。 何故、自分が自分でなくなるのを待っている存在でなければならなかったのか、というのがとても自明の理として受け止められる。それは「誰かを想うために」という言葉で簡潔に表現されうる。「誰かを想うために。自分は自分であってはならない」と。 だから、この詩で「あなた」に新しいパートナーがいることは、痛みもなければ血もでない自傷行為であり。生前、「あなた」に作っていた「ブロッコリーとキャベツのパスタ」の話をするところは、声も、息の乱れすらない、悲鳴、なのだ、と。 自傷行為、悲鳴、と強い言葉を使ったが、それは怨霊めいた、どうしようもなく強い情念の比喩ではない。「自分が自分である」という現象に突き立てられた戒めの比喩である。 最後に ラブレターは、通常誰かに読まれることを想定されて書かれるものではあるが、ここに書かれているのは「読まれるはずのないラブレター」である。これは、仮に「誰かを想うことと。自分が自分であること」が矛盾しない世界があるとするならば、そこでしか書かれえないものであろうと思うし、それはむしろ人の愛よりは神の愛に似ているのだろう。 あしや

柴田蛇行 (2019-06-08):

花緒さん、こんにちは。コメント、本当にどうもありがとうございます。 突然ですが、髪の毛はいつも同じ美容師さんに切ってもらっています。自分の髪質や癖がわかっている美容師さんのほうが、オーダーをするとき楽ですよね。詩に関しては花緒さんがそれに該当していて、前からわたしの作風を知ってくれているという経緯があるので、やっぱりこの人に読んでもらいたいな、みたいなのがあって。いつも本当にありがとうございます。 >私の理解では、愛、を直裁的且つ強度ある表現で描くことは、人類的に難しくなっているはず おお、なるほど。あんまりそういうの考えたことなかったですね。う~ん、でももうある程度、わたしたちが思いつくテーマって書きつくされているんじゃないですかね。だから、どちらかというとテーマの選定が悪かったというより、書き手の能力が残念だったというほうに話を持って行ったほうがしっくり来るような気がする。愛と平和ってそんな難しいかなあ。(こういう、気軽に身構えているところが弱みと出たか笑) >一行一行のクオリティが決して高くないし、一文一文が艶っぽくない。 なるほど!花緒さんがめちゃくちゃ暇でお時間があれば、クオリティの高い文章ってどんなものなのか、どなたかの具体的な作者名を教えていただけると嬉しいです。最近、上手な文章を書くことに興味を失っているんですよね。しばらくはこの話し言葉みたいな感じで書いていこうと思っていて。ただ、艶っぽくないっていうのはよろしくないなあ。読んでいて、美味しいとおもってもらえる艶感は出していきたい。 >おせっかいBBAに近しい感受性ではないだろうか。 これ、めっちゃ笑いました。笑 まあ最近はよく言われますよ、おかんみたいだよね、とか。笑 もっとネタバレしてしまうと、この作品は明確なターゲット層がいて、花緒さんはそのターゲット層ではないんですよ。もしかしたら、ビーレビにはいないのかもしれないなあ。でも、そのターゲット以外の人が読んで、納得できるものを書きたかったんですよね。そこまで読ませられなかったのはわたしの力量不足だなあと。というか、花緒さんが読んでわからないものは、そのターゲット層にも響かない可能性がめちゃくちゃ高い。こんな感じじゃ、これからどうしようかな、どうしていけばいいんだろう、路頭に迷ってしまいました。笑

柴田蛇行 (2019-06-09):

taishi ohiraさん、こんばんは。 ごめんなさい、ちょっとohiraさんのおっしゃっていることが理解できなかったです。 つまり、ohiraさんがわたしの作品を読んで感じたことは、わたしに何も伝わっていないということです。 せっかく読んでいただいたのに、それって悲しいですね。 わたしはここの運営の人をよく知らないし、どういう基準でカードを発行しているのかわからないけど、いつまでもそういうレスを続けていたら、またカードが発行されてしまう可能性があるんじゃないかなと危惧しているんですよ。 ohiraさんは詩がきっとお好きなんですよね?もしかしたら、わたしより好きなんじゃないかなと思うんですよ。それでも某文学サイトも出禁になって、ここでもカードが一枚発行されている。詩が好きなのにも関わらず、あなたの居場所はどんどんなくなる。どうすればいいと思いますか? わたしにはそれがわからないんですよ、わたしにはきっと救えない。あなたにとってわたしはただの画面上の向こう側の文字としてしか存在しえない。もしかしたら、あなたの言う、よくわからない数字と同じくらいの存在価値でしかないのかもしれない。 それでも、わたしは文章を信じたい。なぜかって?それはテキストを書いている人間の宿命だと思うんです。あきらかに病識がある人をスルーする人の書くラブレターだなんて、まるっきり価値がないなって思ったんですよ。嘘っぱちじゃん、いやまあ所詮はフィクションなんでしょうけど、そういうところを花緒さんはちゃんと見抜いていますよね、こいつは表面だけの愛しか語れないやつだってね。いや悔しいなって思って。悔しいことってこの世に山ほどありますよね、なんかもう、ありとあらゆることがやりきれない。せめて、ohiraさんだけでもカードをくらわず詩を続けていってほしい。 というわけで話は戻って、わたしは医者じゃないから診断はできないけど、ohiraさんの文章からは何らかの病識を感じるんですよ。病気って早期発見・早期治療が大切だと思うんです。とりあえず、お近くの内科に行ってみませんか?なんだか頭のなかが忙しくなって、混乱するときはありませんか? 病院に行くことが、ohiraさんにとって、良い選択となることを祈っています。(あらかじめ伝えておきますが、わたしはそれなりに年のいっているオバハンですので、あなたの大好きな女性とは、別のカテゴリーにいますのであしからず。セクハラしたら怒っちゃうからね!) (運営のみなさまへ、もしかしたら本来はフォーラムでやったほうが良いと思われることを、コメント欄で行ってしまったことお詫び申し上げます。カード発行に値することでしたらご自由にお出しください、わたしはohiraさんにとって何かできることがないか精一杯文章を送ることと、カードをくらうこと、どちらかを選べと言われたら前者を選びましたので。特にお返事は必要ございません) 芦野さんへのレスは疲れてしまったのでまた後日!

柴田蛇行 (2019-06-11):

芦野さん、こんばんは。お返事ずいぶん遅くなってしまってすみません。 芦野さんのレビューは文学極道でスタッフをやられていらっしゃった頃から知っていて、いつかレビューをいただけたら嬉しいなあと思っていたので、今回思い切って出してみて本当によかったなと思いました。 さて、さっそくお返事します。 >なぜ僕がこの詩をホラーとして読んでいたか、と言うと、僕には死んだ後に自分にとって大切な人が自分以外の誰かと一緒になって、幸せになってくれと祈る感覚というのを、そもそも信じることができないからだ。 そう読んだかあ、と、こういう読みはまったく想定していなかったんですよね。ここから自分のはなしになってしまって申し訳ないのですが、今まで書いたもののなかで「恋人と別れるはなし」というものをいくつか書いていて。その結論はいつもこんな感じなんですよね。 >きょうを分岐点として、とも君のとなりにもっと素敵な女の子がいることになるだろうし、きっと別れてよかったって思う日がすぐ来ます。 >さようなら、あのお化けがまた違うスカートを見つけることをちょっとだけ応援しているよ >手術は必ず成功することになっている あなたが乗ろうと乗らまいと 飛行機が空高く飛ぶのと同じように どれも別の文章なんですが、「頑張ってね!」や「あなたがいなくても大丈夫!」みたいないずれも同じスタンスなんですよね。つまりは、いつもこういう恋愛をしてきましたよ、と。(こうやって過去作を見てると心底気持ち悪くなってきますね、でもここを超えないと、もういよいよダメな気がしています) そこで、芦野さんはこう続けている。 >やはりそれでも僕はそんなものは架空であると、自ら内的な経験からそれを導き出さざるを得ない。だからこのような「架空」の思考を話者がもっているということに、どうにかして納得のいく説明を付けたいと願ったりする。 おっしゃる通り、やっぱり「架空」なのかもしれない。つまり、わたしはあり得ないことを書いていたのかもしれない、と。ではなぜ、思うままに書いていたのにこういうことが起きたのか、たぶんそこは誰も指摘できない、指摘しづらいことだと思うのだけれど、「わたしが本当に人を好きになったことがないからこういう現象が起きてる」んじゃないかと。自分で書いてて、これはけっこうきつい結論に達しているんだけど、そう考えるとすべて筋が通るんですよね。 >誰かを想うために。自分は自分であってはならない とありますけど、自分は自分でありたいと思うから、誰かを想うことができない、ということにも繋がりますよね。たぶん、わたしそっち側なんだろうなあ。だって、 >分かり合おうなんて余裕はなかったし、逆にわたしのことなんか好きじゃないんだろうなと捉えてしまって、あなたのことが嫌いというよりも、あなたと付き合っている自分が嫌いになり始めていた。 これも過去のものですけど、自分自身に関心が向いていて、あなたを理解しようとすることをあきらめている。誰かを愛することよりも、自分自身を保つことのほうがよっぽど大事なんです。だから、大好きなあなたへ思い続ける(つまりはそれは憎しみにも似た何か)よりも、あなたを応援できる心の広いわたしを選ぶわけです。だって、自分のほうが大切だから。でも、ほとんどの人はそうではない。それに気がつかず、きっとわかってもらえると思って書いていたことに恐怖を感じている六月です。やっぱり、これホラーとして読んでもらって正解かも。 「神の庭」でのレスで、 >そう、「わかる」ってしんどいよねって話だ。僕はたぶんここにいるみんな嫌いだよって話。 とおっしゃってましたが、わたしはこの作品、みんな「わかる」だろうなって思って書いて、あんまり「わかってもらえなかった」んですよね。でも、わかってもらえなくて良かったなと思っています。もし、理解できてしまうとしたら、それは私と同様、人を好きになれない人である可能性があるのだから。これからはお別れのシーンはちょっと憎しみを込めて、普通のひとの感覚の文章を目指していこうかなと。それは、経験したことのない感情だから、これから経験するか、想像するかの二択なんですけど、まあ後者になるのかなあ。 なんていうか、こういう気付きを引き出せるレビュワーって最強だなと改めて読んで思いました。どぎついレスをしてしまってすみませんでした。また芦野さんにレビューをもらえるような作品を頑張って書きます!

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