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ピーティクル・パーティクル
べるるとるるべは まわりながら 唄をうたっている べるるるるるる るるるるるるべ 単車の荷台の女の子が からのバケツを三つも抱えたまま とおさんの背中に しがみついてる 顔にあたる潮風は 幽霊船の匂いがして みんな まだ いきている ピーチクルパーティクルは 光をまき散らすから 髪が草原になる 「空がピンクだよ。パーティだよ。」 はらっぱも うなばらも いっぱいのピンク とおさんに 大きな声で伝えようとするのだけど 風下の少女に聞こえている鳥の歌や潮騒のおしゃべりをしてみせるけど 「とうさんは きこえんぞー」 「貝掘り鬼ぃ!」と叫ぶと、それだけは 通じた。だって、海につくと からっぽだったバケツに 貝が みるみる集まるんだもの 明日の朝には 少女は 鬼子母神になって かわいいアサリたちを バケツいっぱい たいあげる http://golconda.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6173859#13306444 即興ゴルコンダ仮 参加作品です。ゴルに於いては、るるりらの筆名での投稿しました。
作成日時 2021-02-12
コメント日時 2021-02-21
ピーティクル・パーティクル ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1130.7
お気に入り数: 3
投票数 : 4
ポイント数 : 6
項目 | 全期間(2021/02/25現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 4 | 4 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 1 | 1 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 6 | 6 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 2 | 2 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0.5 | 0.5 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0.5 | 0.5 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 3 | 3 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
ずるい、というかはまってしまった。 勝手に、賢治の「やまなし」の雰囲気がわいてくる。 なんだろ、明るいけど、ひたすらに寂しいも感じてしまう。 最後の言葉、そのままにしたんですね。
1あ、投票チェック忘れた
1パーティ楽しそうですね。ひょっとして潮干狩りでしょうか?生活風景が想像できて良い詩でとおもいます
1やまなし だと いっていただいて 嬉しいです。 そういえば、とても影響を受けていると思います。 それから たいあげる、は平らげる。に するべきでした。ゴルと同時に このサイトに投稿したので せっかく 間違いを指摘していただいたのに 訂正できませんでした。 もっと 謙虚にそして あせらず 行動できるようになります。これからも 応援をよろしくお願いします。
0正解です。これは、潮干狩りを描いてます。わかっていただけて 嬉しいです。良い詩といっていただくと 次回も なんか書ける気がしてきました。ありがとうございます。
0幽霊船の匂いに、とても惹かれました。どんな匂いだろう。潮風に、幽霊船という死を思わせる匂いを嗅ぎながらも、浜辺でアサリという生きものを漁る。ときに生命を奪う危険もあるけど、たくさんの生命を育んでいる、海。生と死の揺籃を、無邪気に謳っている光景が印象的でした。
1私はパウル・クレーの『造形ノート』という書物を持っているのだが、るるりらさんの作品を読むと、いつからかこの書物のことを思い出すようになっています。「造形」ということ。これがるるりらさんの作品の特徴だと思っています。 私はたいそうなことを言ってしまうが、自己の感覚を思い切り信頼し、それと物事との軋轢を書く、問題提起型、社会詩に近いものを書くけれども、るるりらさんの作品は違う。 もちろん造形は何らかの動機から為されるのだろうけれど、その臭さがないんですよね。 >顔にあたる潮風は >幽霊船の匂いがして みんな まだ いきている こういうところは造形型であろうと問題提起型であろうと、すぐれた詩句だと思います。
1かわいいとかなしいが混ざり合って、明るくて切ない。エモいです。
1幽霊船の匂いの箇所は、私自身が この作品の中でもっとも好きな箇所です。この箇所以外は ところてんしきに出てきたのですが、幽霊船の匂いをおもいついたときは 詩に心臓が生まれた感じがしました。この箇所のことを、生と死の揺籃といっていただいたことで 私にとってこの詩でのやりとりが得難い宝物になりました。ありがとうございます。
1ほんとうに、ありがとうございます。というのは、るるりらさん(真清水本人)という書き手の書く詩が わからなくなってきていたのです。ごく最近に 現代詩フォーラムの私信にて、「ほんとうに、るるりらさんですか?」というご質問を受けました。多くの作品を担保に るるりらを名乗っている場所が現フオです。そこの私信欄に於いて その質問を受けることは、私にとって 結構な とまどいでした。しかし 考えてみたら、るるりらさんの作品の傾向を わたし自身は 客観視した経験が無いのです。どうしたらよいものか、分からないまま とりあえず新作を書いてみたのが 本作品なのです。 「パウル・クレーのいうところの「造形」が、るるりらである。」←そうなのですか?これは、私自身が 私の作品を知るうえで とても大きなヒントになりそうです。 パウル・クレーといえば、私の尊敬するとある詩人の方か ハンドルを示す画像に使っておられたことがあります。パウル・クレーについて 私は不勉強なのですが それでも なんの前置きもなく画像を見た時に、それがクレーであると直感できた自分が 妙に 嬉しかったです。 今回、ざっと 検索にひっかかるだけのパウル・クレー作品を見てみたのですが、私にクレーに対して親和性があるのは 子どもの頃に クレーの絵の真似をして遊んでいたことがあるのを思い出しました。適当な線を書いて 生じた形に色を塗っていだけなのですが、幼い頃の私は その落書きを「げいじゅつだ。」と、ご満悦だったのです。祖父が日本画を描くことを趣味としていたこともあり 線と色で現すことに対する憧れもありました。つまり、こどものころの私は クレーと お友達でした。 実は私も「物事との軋轢を書く、問題提起型、社会詩に近いものを書」いているつもりのこともあるのですよ。けれど、よくよく考えてみると 私の詩作品の場合は 人間関係の軋轢を解決しようという意志のベクトルが無いかもしれません。軋轢を書くにしても、軋轢があるよね~(以上、おわり。)社会の醜い面を描こうとするとしても、醜いものを醜いままに書こうとしているだけということが 私の作品にはある気がします。 パウル・クレーの『造形ノート』という本は すこし入手が難しいようですが、もうすこしパウル・クレーについて勉強をしてみます。このたびは、貴重なご意見をありがとうございました。パウル・クレーののいう『造形』とは 何であるかについて すこし勉強をしてみます。
1「る」という文字を並べるとちょっと目がまわる感じがしますね。 まずここで視覚的な面白さ。 「とおさん」という物言いが風を孕んでいて、単車の起こす風と合わさって何とも心地よいですね。 でもそのうちにちょっとした異変のようなものを感じるのですが、風の皮膜の向こう側という気がしました。 「たいあげる」は言葉足らずな感じが、人なのか物の怪なのかよく分からないキャラに親しみを感じると言いますか、くすっとする良いポイントになっているような気がします。
0訂正です。 ×言葉足らず ○舌足らず
0エモいと言っていただいて 嬉しいです。 感情を叫ぶみたいに 描きたかったから、そういう意味では 書けたのかもしれないですね。ありがとうございます。
0「る」は、いつもより 多めに回してみました♪ 「たいあげる」は、うけを狙ったんじゃあなかったんですが、楽しんでいただけてよかったです。ありがとうございます。
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