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物質の真実
彼は4年間仏教を学び修行していた 1年ほど前からヒンドゥー教も学び始めていた 彼はインドのサドゥーに憧れ 自分は二度とお酒とお菓子を食べないという戒律を作った 彼は禅定などを修め、高い悟りの境地にあるものの、欲界の最低限のルールが分からなかった 僕には、みんながまるで真理を得ていて、僕だけが真理を知らないように世界が見えてるんだ そうか 彼は鼻の穴にティッシュを詰め、耳の穴にティッシュを詰め、サングラスを掛けて視界を真っ暗にし、全ての五感を封じ込めた 結局は僕一人なんだよ、世界をいつも見てるから、色んなものがあると錯覚してしまうんだ そうか 僕はなんで存在するのか分からなくて、目を閉じながら、道を歩いてみた ああ、何もない、なのに、身体は目を閉じた外側で歩いている 自分ていうのは、いつもあるからね、これが全てだって思ってしまうんだ。肉体っていうのは、そこかしこの物質と何も変わらないのに、これが自分だ、全てだと錯覚してしまうんだ。その物質が作り出す全てを、僕は見ている。それがどこにあるかと考えたとき、世界という錯覚の元は肉体を自分だと思う錯覚だと思うんだ そうか、じゃあ物質的なものは私の肉体も全て、錯覚でしかないってことだね そう、物質は偽りだと思う 真昼の公園で彼は、静かな風を浴びていた 彼はどうしても真人間になりたくて でもそれができる人格ではなく、宗教に目覚めた 心さえ守れればいい、彼は強く思った
物質の真実 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1572.2
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 5
作成日時 2019-11-25
コメント日時 2019-12-01
項目 | 全期間(2024/12/10現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 2 | 2 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 2 | 2 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合ポイント | 5 | 5 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 2 | 2 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 2 | 2 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合 | 5 | 5 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
おはようございます。 真人間とは、はたして何だろうかと 自分の心に問うてみたくなりました。 私事の話をすこしだけします。わたしの母は目が悪いので、私は子供のころに たまに、道を目を閉じて歩いていました。すると、やはり 身体は目を閉じた外側で歩いているような感覚だったです。田舎に住んでいたので 田んぼに足を踏み入れてしまう。 母は耳も不自由になってきているので知覚することに難があるので、普通の人がサングラスをして耳栓をしている状態ですから、傍にいる私は 透明人間の心境になることが 日常茶飯事です。 見えたり聞こえなかったりすると、差が確認できないので 自身の輪郭がつかみにくくなります。自身が無いと感じるというのは不安なものです。そして、自身を他者と明確に大きな差をつけられると これまた不安になるものです。 心とは、なんなのしょうか? おおくの人は 他人と比べることで 自分の心がどうであるかを知り、喜んだり悲しんだりします。 禅などでは無にして 水平な境地を得るのだと聞いたことがあります。 ひとと くらべさえしなければ、おおくの苦しみはないはずですね。 目を閉じて人と くらべないことで 得られる 学びがあるでしょうし、見えない人も くらべない心を得ることができたら 平安を得られるに ちがいないと思いました。 他人と比べない心。それが、もしかしたら 真人間の心なのかもしれないです。
0物質の真実----深遠なテーマですね。この問題は哲学的な立場や宗教的 な立場、あるいは 量子力学などの物理学的な立場で追求する事が可能で す。この詩では、最初は宗教的な立場かなと思いましたが、最後のあた りでは、むしろ哲学的な立場になっているような気がしました。 私は物理学に興味があるので、物理学的な立場から、最新の情報に基づい て、この問題に触れたいと思います。というのは、その内容がこの詩の答 えとほぼ同じだからです。 物質の真実とは、物質の正体とその振舞いにあると思われます。つい最近、 物質の正体についての、これまでの最大の発見がありました。それは物質 に質量を与えるというヒッグス粒子の発見です。これで物質の正体がほぼ 分かったと言われています。 さて、その物質の振舞いがなんとも不思議なのです。即ち、粒子は観測す るとある位置に現れるのですが、観測しない場合、どこに存在しているか はっきりとは言えず、確率でのみ表現できるのです。観測とは、観測機器 によるものをいいます。従って厳密には、人間が見るという行為とは異な りますが、ほぼ同じとすると次のようになるのです。 我見るゆえに 我あり 我見るゆえに 物あり 即ち。見ていない時は我も物もどこにあるのか分からない---4次元のこの 世界ではなく、5次元の世界にいるかもしれず、まさに不可思議な世界と なるのです。そうすると、いかに物質の正体がほぼ分かったとはいえ、そ もそも、我も物も確実に存在しているのだろうか、という疑問が自然に発 生します。ここで、物理学と哲学や宗教が一致してしまうという、なんと もいえない面白さ、それがこの詩の真実だと思います。 >物質は偽りだと思う この言葉が、黄金の輝きをもっている事を証明してしまったようですね。
0るるりらさん、人が自分に傷つけるようなことを言っても、実際はその環境や、周りの人の雰囲気でそうなってるだけで、実際人はみんな、それさえなければみんな仲間だと思います。ありがとうございました。 stさん、物理を極めることで、禅定の境地まではゆけそうですね。仏陀の悟りは理解不能です。物質は私の肉体も含めて、全て偽りと気付き、何もないと悟るのが禅定なら、仏陀の悟りは何もないも、何もないになります。理解不能すぎて、それが理解できるには修行が足りません。ありがとうございました。
0>物理を極めることで、禅定の境地まではゆけそうですね そうですね。有名な物理学者で、この世界の神秘さに触れ、神父に なった人もいます。 返詩です。 ****神によりかくされた次元**** かくれた次元に秘密がある いな 神により かくされた次元と言うべきか そこはまるで 海のように 数々の波たちの 住みかだった ある波の振動数に共鳴して この世界の粒子が生まれる(超弦理論) そしてその粒子は 母なる かくされた次元の 別の波に導かれて この世界を漂う(波動関数) すなわち 粒子の本体は波であり かくされた次元の また別の波に導かれて この世界とかくされた次元を 動きまわる 量子の世界の 数々の謎はみなこの かくされた次元のなかにある このかくされた次元はなぜか 見られる事(観測機器により) を嫌い(観測問題) 見られていない時にだけ現れる まるで神のように 見られている時は 粒子はただの粒子となり この世界に確実に存在する しかし 見られていない時は 粒子はかくされた次元の 虜となり この世界のものではなくなる 不可思議な量子の振舞いは すべて このかくされた次元で説明できる いったい このかくされた次元とは何なのか 神だけが その答えを知っている
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