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ぬくい ≪令和元年八月版≫    

作成日時 2019-08-05
コメント日時 2019-08-21

【ぬくい】 ぬかったわ ふるぼこではないか ぼっこぼこではないか 荒廃した この さもしい自分は 一体どうしたら いいんだ。 ぬるいわ てぬるいではないか ぼけぼけではないか 泥沼の泥試合  あがけばあがくほど 泥と いったい化する 泥と化す どろよ どろどろよ どこまで つづく ドロップアウトよ なめんなよという思いが溶けて 全身が 舌のように みみずのように泥を なめる 目を閉じる まぶたの裏に風が走る 口の中の細かなぬねり  いっぴきの泥魚の人 あせるな 一歩つづ腰をかがめて歩け たちあがることだってできる 青い風が頬をかすめる 田田田田 回回回回 田田田田 田田田田 回回回回 田田田田 【ぬし】 あの恐ろしい水階段のような田は いつものうつくしさを とりもどした 一本の巨大な樹木の影からの風 綺羅星が生きている  毎日見ているのに懐かしい青く若い稲が風にしなる まだ穂なんて出してないのに もう微かにお米のなろうとする青い匂い めをとじる ひとすくいの水が喉をとおる とおるとおる大きな樹木の中にも水がとおる 綺羅星が生きている枝枝のすべてに水がほとばしる しずかな枝の影が畔になる 畔の傍の水路からの水が とどこおりなくとどけられている ぬしよ あなたの思いで町が興る  一本の巨大樹のような御影が そのまま いまでは 町の地図となっている 田田田田 回回回回 田田田田 田田田田 回回回回 田田田田 【ぬぐ】 すべてを 失ってしまったことがあった。あれは、豪雨の日だった。あれ以来、妹は帰って来ない。傾斜地の棚田は水の階段が滝のように暴れて、なにもかも持っていってしまった。行方不明の少女のことを、村人たちは魚になったのだと噂した。尾鰭のある少女を見たという者もいた。少女は 口を開くことができぬようすで、ときどき 子捨て岩の上に座るのだという。少女に手をとられて溺れてしまい喘いだらしい。そして呼吸が楽になったかと思うと、椅子の足の間にハヤが泳いでいたという。どうやら椅子と机は水の底に置かれているのだと知ったという。男の話では、机の上には 河骨の花がキチンと生けられていたらしい。  回 回    回 回   齒      齒 見上げるとピカピカと花火のように瞬いている光が見えたと言う。少女の腕は白く、目の前の光景の幻惑さに、その男は おもわず 来ているモノをすべてを脱いでしまっていたという。どこをどうやって家に帰ったか分からないが、家族が言うには男が居なくなった日は稲光が凄い日だったので、あの花火は雷であったのだと 後で知ったのだそうだ。 【ぬかづく】            田田田田           回回回回          田田田田         田田田田        回回回回       田田田田      田田田田     回回回回    田田田田   田田田田  回回回回 田田田田 雲間の光が袈裟懸けに差し込み 天と田とを結んでいる。 新米を にぎりめしにして ことばをうしなった妹に 捧げる。


項目全期間(2019/08/25現在)投稿後10日間
叙情性1713
前衛性106
可読性2727
エンタメ1414
技巧2621
音韻1613
構成2219
総合ポイント132113
 平均値  中央値 
叙情性2.11
前衛性1.30.5
可読性3.42
 エンタメ1.80
技巧3.32.5
音韻20.5
構成2.81.5
総合16.511.5
閲覧指数:2499.1
2019/08/25 07時58分30秒現在
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コメント数(34)
survof (2019-08-05):

個人的にはこちらのバージョンのほうが断然好きです。あちらはあちらで物語という面白さがありますが、こちらはさらに謎めいていて緊張感があって引き込まれます。「ぬくい」はさらに言葉の気持ち良さと独特の自虐的ユーモア(?)がパワーアップしてさらに最高になってます。暗唱したいくらいです。 (でも、コメントしやすいのは多分無印バージョンですね)

沙一 (2019-08-05):

回 回  齒 びっくりして、まさしく目を回している表情ですね。歯の旧字体の「齒」も、ほんとに上下そろったむきだしの歯にみえます。おもしろい。 前作のコメント欄で、釈迦とお米についてお話しされていましたが、そういえば白米のことを舎利(仏の遺骨の意)と呼びますね。命を養うお米に、死を連想させる名がつけられていて不思議に思いましたが、私たちは他の生命を糧にしていることを考えれば、ありがたみを忘れないようにとの願いも込められているのかもしれません。 表裏一体の、死と生。それは今作の端々からも感じられました。

左部右人 (2019-08-05):

感想ですが、 「なめんなよという思いが溶けて 全身が 舌のように みみずのように泥を なめる 」 この2文が、本当に素晴らしい。私はるるりらさんの作品を先入観なしにはもう読めない。私はるるりらさんの詩を読んで情景を浮かべることをするが思考を巡らすことはしない。しかしその情景に鳥肌を立てるし、舌は乾くし目尻は熱くなる。形式が作品の主題を告げる、というのが私の姿勢ですが、その点るるりらさんの詩は形式からも文章からも主題(=主張=だだ洩れた言葉)を感じることが出来ます。 書かれるべくして書かれた作品だと思いました。本当に、好きな詩です。ありがとうございます。

survof (2019-08-06):

タカンタさん >芸術においては遠慮せず忌憚のない意見交換をすべきです。 かならずしも同じ「芸術観」を共有していないもの同士で果たしてそのような有意義な意見交換ができるでしょうか?ビーレビはそのことに挑戦しようとしてきて、結局失敗してきたように思います。結局、「面白くないと感じる作品」に対しては「どう読めば面白いと感じられるか」というアプローチを取るしかない。まあ、そのアプローチ自体は読み手としての技術向上には繋がるとは思いますが、つまりこのようなアプローチに収束したということで、ビーレビはこの問いに対してある意味で一つの現実的な答えをもう出してしまっています。そして、現在もはや当初の理念さえ失ってしまいました。 私とタカンタさんの対話が先日少しばかり成立したのはあくまで「「文学論」」についての云々であって、作品については一ミリほどしか触れていない。なぜなら、それは不可能だからです。結局同じ基盤を共有しないもの同士の意見交換など不毛ではないでしょうか?「「文学論」」について云々しあうことですら不毛なのであれば作品においてはなおさらです。 それよりも、どうしてある人の作品が特に好意的なコメントを集めるのか静かに考察したほうが面白いですよ。そして必ずそこに噛み付くひとが現れるのがなぜなのか、もです。 それに「芸術」というのはいまどき本当に成立しえるんでしょうか?「芸術」の役割ってもはやなんですか?詩の役割ってもはやなんですかか?Twitterのいわゆるポエムがすでに大半の需要を満たしてみます。 空気を読めとは思いません。でも「時代」は読もうよって思います。タカンタさんの文学論には根本的に「いま」という時代に対する洞察の根本的な欠落があるように感じられます。あるいは「時代」を変えられるとお考えなのでしょうか?時代を変えるのはインフルエンサーでもカリスマでも、政治家でもない、もはや。 それにお世辞コメントが見苦しいと思うなら、マナーの範囲で否定的コメントをすればいい、ただそれだけのことです。

るるりら (2019-08-06):

本作品に 関係のない話を、わたしの作品欄でしないでください。

survof (2019-08-06):

タカンタさんへ >集団心理によるもののように見え、気持ちのいいものではないですね。 ものすごく雑な言い方になりますが、私は集団心理から離れた「芸術」の「評価」がもはや成立しない(しにくい)ということがいいたいんですよ。 時代が変わる変わらないもこの小さな文脈で言っています。タカンタさんのおっしゃるような大きなスコープの話ではなく。 つまり、集団心理を離れた「芸術」の「評価」はそれ単体ではもう成立しえないのに(これは私の私感です)、あくまでそうした「芸術的評価」が成立しえることを前提に話をしていることに私は違和感を感じるのです。 なんかまた長くなりそうなので、このあたりにしておきます。 >上記以外の時代についての視点として、映画はDVDとなった時点で映画とは別物です。 グレン・グールドのことを考えると(私は彼の大ファンなのですが)、こうした議論は非常に虚しいものに感じられます。 るるりらさん つい、魔が差しました。長々と大変失礼しました。

survof (2019-08-06):

投稿被りました。投稿後にコメント拝読いたしました。大変申し訳ありません。

るるりら (2019-08-07):

◎みまさまへ 最初に、私は 二個のお詫びと ひとつの抗議があります。 ①お詫びのひとつは、誤字を発見してしまいました。【ぬぐ】 のところに誤字があります。 ×その男は おもわず 来ている ○その男は おもわず 着ている ②もうひとつは、わたしの本作品と関係ない話が 本スレット内で行われました。本作品と関係ない話は以後 一切 受け入れません。ただ 一言だけ言わせていただきます。その書き込みが行われた日付は、昨日の八月六日でした。広島の原爆の日です。私は広島の人ですので 荒ぶる反応はしたくない日でございました。このだけは、もうしあげておきます。アインシュタイン、彼は、大変 功績のある方です。ただ、負のことにも関与しています。原爆の日に彼のことを私は、けして誉めません。反論のご意見は 当然あるでしょうが、わたしは この件については 全く受け付けませんので、 あしからず。 ③抗議について書きます。わたしにコメントをくださった方に対して、タカンタ さんが 「歯の浮くようなお世辞は止めましょう。あまりにも見苦しい。」と書かれました。このサイトは 作品を賞賛するライトレスを奨励しているサイトです。短文で誉めることは このサイトの倫理に かなっています。そのようなご発言は控えていただけますようお願いします。

るるりら (2019-08-07):

●survof さんへ いうまでもないことですが、この作品には同じ題名の作品があり、これは改訂版です。 改訂前の作品も、褒めていただけた冒頭箇所は 前回のままです。 本作品は、冒頭箇所の勢いを そこなわずに、最後まで 読者を詩の世界に引っ張ることを目標として書きました。なので、 「個人的にはこちらのバージョンのほうが断然好きです。」と言っていただけて、おもわず ガッツポーズになりました。「よっしゃあ」で、ございました。他の方にも様々なアドバイスを頂戴したのですが、survofさんの前回のアドバイスは詩に対する情熱の導火線に発火が起きました。おかげで楽しい詩作の時間を得ることができました。ありがとうございます。

るるりら (2019-08-07):

●タカンタ さんへ こんにちは。タカンタ さんが私にくださったアドバイスは、正直に申し上げて 私にとって内容の分かりにくいアドバイスでした。どこが、理解できなかったかを、後で、申し上げるつもりです。 まず、感謝している点を書きます。タカンタ さんにいただいた指摘の中で、自分では気がつかなった この詩の弱点に きがつくことができた点です。魚になるというアプローチ方法が 書き方として甘かったです。なぜ作者は魚にしたかったかを読者に感じていただくほどの描写に 本作品は 欠けていました。反省です。  タカンタ さんから、魚ではなく もっと悪しきモノであったほうが良かったというご意見でしたね。タカンタ さんの獲得しておられる集団に対する感覚と照らしあわせると、魚という牧歌的イメージでは そぐわないとのことでした。私自身は、魚という設定が気に入っております。ですが、作品は、人の目にさらした時点で、作者の手を離れております。タカンタ さんが ご自身で この詩をより良い形を模索してくださって、こうならばもっと良いのにと思索していただけて、嬉しいです。  タカンタ さんのご意見である「架空の物語であるが故に真実味が必要」というご意見には 私は賛成です。架空だからこそ、現実を見据えて真実とはなにかを踏まえる姿勢が作者にあるならば、詩は求心力を持ちえます。  あたりまえのことですが、お合いしたことのないタカンタさんと私とでは 生きている間に見てきた現実が違うと部分と、共通の部分があります。 この詩を書くにあたって、私が見てきた現実の世界でどこに焦点をあてたかったかをお話しておこうと思います。 私は、広島に住んでいる書き手です。数年前に私の住んでいる地域にほど近い場所で、大雨による大きな災害が起きたことがあります。被災地では、泥の妙な匂いが立ち込めていました。そして、ご近所の方やご家族の方が行方不明になると、たとえ死亡している可能性のほうが高いとしか思えぬ時間が経過しても なおも、「否、帰ってこれるに違いない」との思いを数多くの方が異口同音に おっしゃってました。わたしが、本作品で やりたかったのは、帰ってこない人が 実は平穏な暮らしをしている。帰ってこれないのには事情がある。別の生き物になってしまったからだ。暮らしぶり事体は 人間だったころとあまりかわらないという ささやかな お魚の設定の物語を書きたかったのです。 ご指摘は、「村人の迷信を語る個所が不自然な印象を与えます。」とのことでした。この文の最初に、正直に申し上げて 私にとって内容の分かりにくいアドバイスであると申し上げてますよね。タカンタ さんは ときどき、他の人々とは違う言葉、単語を独自の解釈で用いて、他者である他の人々は、その言葉は そのようには使わないために齟齬が生じておられることが多々あるようにお見受けしました。わたしは、村人の迷信を語る箇所は、描いていなんです。と、いうと どのように思われるでしょうか? 迷信という言葉は、昔の人々が論理的ではないことを頑なに信じていることを言います。「鰯の頭は信心から」とか、「夜に口笛を吹くと蛇が出る」が迷信です。私の詩で、行方不明の人が魚になったという噂がでてきます。あれは、迷信とは言わないです。ですが、タカンタ さんの指摘である もっと怖い生き物であるはずであるというご意見は深い洞察でいらっしゃいます。私の詩の世界に生きている人々には、深い恨み辛みの感情が きっとあるはずだと、タカンタ さんは感じられていないと言えないご指摘でした。それだけ 私の詩の世界に深く入ろうとしてくださったことに感謝します。 ただ、わたしとしては おろそしい生き物には、いたいけな少女には なってほしくないんです。なぜなら、わたしは 「ぬくい(おだやかな あたたかい ここちよい)世界が描きたいという思いで、この詩を書いています。だから、魚という選択を私はしているのです。この詩の冒頭くらいに、実は妹だけじゃなく、話し手も魚に変化したかもしれないという付箋を仕込んでいます。「泥魚の人」という表現なんですが、妹の話は登場してない時点で、魚がでてきています。つまり、村人だって話し手だって、みんな魚になった可能性があるという設定で私は書いたつもりでした。 でも、魚でない もっと悪い生き物の話も魅力ありますね。たとえば 龍とか蛇とかに変化したという噂がたっている話も魅力的かもしれませんね。溺れ死にそうな人の気持ちを 想像してみたのですが、もし 状況がすこしも改善されてないというのに、なぜかエラで呼吸できたとしたら、すごい変化に自分は龍になったんじゃあないかしら。とか、大蛇になったんじゃあないかしら?っていう万能感覚を得たかもしれません。死にかける経験をした人々は お辛い暮らしでしょうから、万能感覚のある生き物への変身願望があっても リアルティがあると思いました。 ただ、行方不明の方の帰りの待っているご家族のことを想うと、わたしの場合は、やっぱり お魚でいてほしいんです。ささやかな生き物に変化していてほしいです。少女の愛らしさが すこしでものこっている姿で、居てほしいです。だから、改編はできそうもありません。貴重なご意見ありがとうございました。

るるりら (2019-08-07):

●沙一 さんへ 回 回  齒 ぬへへへ うふふ。いいでしょう。いいでしよう 必殺、旧字体の技。みつけたとき、もう 嬉しくてね。なんか、かわいくないですか?ちゃんと、びっくりしてるでしょ。でしょ。 そういえば白米のことを舎利(仏の遺骨の意)と呼びますねぇ。 ぶっしゃり塔。子どものとき山の頂にあった仏舎利塔で、弟が大泣きしてました。「えーこの中、骨がはいってるのお」いやー。論理的に考えて お釈迦様の骨は 世界中にばらまかれてはいない気がするですけどねえ。思えば、死とはなにかを初めて考えたのは、私の場合は仏舎利塔でした。 すてきな顔アイディア。ありがとうございます。当分、ご機嫌です。

るるりら (2019-08-07):

●左部右人 さんへ 「なめんなよという思いが溶けて 全身が 舌のように みみずのように泥を なめる 」 この2文が、本当に素晴らしい。っていってくださって、ありがとうございます。 みみずってね。ほんとうに全身で味を知覚するらしいです。この土、超おいしい。とか、 あわわ。塩水ぽーい、とか、みずずは知覚しているのかもしれません。 だけど、「私はるるりらさんの作品を先入観なしにはもう読めない。」って、どういうことでしょう。こわいです。先入観ですか。えー。この作品て、二度目に挑んでまして そりぁだんだん 想像は膨らんでもきますよ。いつもは、こんなの書かないのにぃ。えー。どうしよう。まいったなあ。 書かれるべくして書かれた作品というか、この詩って、パッチワークなキルト作品なんですけどねぇ~。でも、本当に、好きな詩といってくださって、心から嬉しかったです。ありがとうございます。

るるりら (2019-08-07):

明日、読み直しますが ご指摘の箇所も 書き方に 甘さがあったかもしれません。 しずかな枝の影が畔になる それは、理想郷の地図を示しています。地図だから、縮尺は現実と差があるのです。水路の有りようや道が、樹木と同じである街を表現してます。 個人情報は、生まれは 広島ではないけれど。わたしは ほぼりゅうさん広島の人です。

藤 一紀 (2019-08-08):

おはようございます。 《あせるな 一歩つづ腰をかがめて歩け たちあがることだってできる 》 ここの箇所、意気地というのか、生きようとする者の泥くさく、懸命な声を聞くようです。起きている状況に対する焦りや抵抗とも取れるところから、自己確認に転じるところがあるから、この《男》が、「言葉として」動くのが窺える。こうした細部って大事だな、と改めて思いました。 細部について言うと、なんと言ってもすごいのが「ハヤ」です。これは本当に素晴らしい。《椅子の足の間にハヤが泳いでいたという。》 この連だけでもいいからもう一度でも読み返して欲しいのは、「ハヤ」によって、かすかに動きが生まれているのを感じられるだろうから。だからこそ、机の上に置かれた《河骨の花》も立体感をもってくる。視線誘導も含めて、ここはもう絶讃したい。 余談になりますが、かつて年配の方が、河童の話なんかするから足をつったりした子どもが河童と思って緊張して溺れるんだから、あんなくだらない話はするものじゃない。と言っていました。私が思うに、昔、不幸にも川で溺れてしまった子どもや水死体であがった子どもがいて、あれは川遊びをしていて溺れてしまったんだよ、とみんなが言うとする。ところが、それがたとえ事実だとしても親は納得できずに塞ぎこんだり、悲嘆に暮れることは大いにありうる。そんな悲しみが、川には河童がいてね……という物語を生み出したのではないかしらん、だから、深い悲しみを慰めるためにモノガタリとして自然発生して定着したのだとしたら、くだらなくはないし、叡智の一つだよね。ということなんです。私は大分県に住んでいますが、県南には海があり、島もある。すると、昔はそういう地方では海難に遭って亡くなった方々も少なくないらしく、ある時期に鳥が飛来してくると誰々さんが帰ってきたといって喜ぶことがあったそうです。河童も鳥も、それってただの空想でしょ、って言えばそれまでなんです。でも、生きているひとの心の奥底に由来していて、そのひとを支えている物語というのは、外から見ればどこか実際とかけ離れていて、リアリティを欠いて見えるものでありながら、同時に、誰にとっても存在するリアルなファンタジーではないだろか。そんなことを考えました。 時に、前作と今作、第一稿と決定稿を読めて得した気持ちです。ありがとうございます。

るるりら (2019-08-08):

タカンタさんへ 日本語の詩のあらゆる詩誌や、日本語で運営されている あらゆる詩サイトにおいて、日本語のおできにならないかたのために 英訳可能な 表現をする責任を もとめている場所は、ひとつとして ありません。ですから、英訳可能かどうかを 作者は考える必要はありません。 とくに、本作品の場合は ビーレビ以外の場所に転載する意思が、いまのところ作者である私にはありません。前作のコメント欄に おおくの アイデアをこのビーレビでいただいたので、ビーレビだけの閲覧を希望しています。よって、英訳可能かどうかを考えなければならない責任など、ありません。 また、蒼穹などの例をあげておられますが、本作品は身体感覚を重要視した作品なので、そのような種類の言葉は使用しません。その程度の語彙は私にもありますので、そのような親切は不要に願います。

るるりら (2019-08-08):

タカンタさんへ わたしへのアドレスをしないとのこと。了解いたしました。

るるりら (2019-08-08):

タカンタさんへ 8月7日の最初の私の書き込みにて、このコメント欄では 本作品以外の話は、一切 受け入れないことを、私は 宣言しています。わたしの詩作全般への ご意見でしたら、本作品以外の話に 該当しますので 遠慮いたします。

鹿又 夏実鹿又 夏実 (2019-08-09):

こんにちは。 視覚的で稲妻の音も聞こえてきそうな、聴覚にも訴えてくるような詩ですね。稲妻が稲を妊娠させるという、天と田をむすぶ路を言葉で表現するとこのような詩になるのかなと思いました。パンチ効いてますね。

るるりら (2019-08-10):

●藤 一紀さんへ わたしは、小学校高学年の頃に、毎日 家の前の川で遊んでいました。粗野な遊びをするのは男の子くらいの年齢に達していたというのに、私ったらハヤの漁を男の子たちと追い込み素手で捕まえては、今でいうキャッチ&リリースをしていました。この詩にある椅子の足の下をハヤが泳ぐのは見たことがないのですが、わたしの足の間をハヤが抜けていくのは、毎日みてました。それで 懐かしくて、楽しくて つい 描写のひとつに加えてみました。 机の上に置かれた《河骨の花》への視点誘導は ふかく考えてたわけでもないのですが、漁をした経験だと、川では きょろきょろするのが普通だったからかもしれません。 びっくりしたのですが、私の祖父が とても河童の話を嫌がっていました。そうです。「あんなくだらない話はするものじゃない。」と言っていました。昔の方は、妖怪に真実味を感じておられたからこそ あんなに嫌がっていたのかもしれません。 ゲゲゲの鬼太郎だとか 妖怪ウオッチングなんかだと ほんとうには命の話だとは本気では思う人はいないでしようが、ただの河童の話がでただけで祖父は本気で怒ってました。(遠い目)河童という名前の地名の場所がありまして、祖父には どうしても 受け入れられないようでした。(あれは、怖がっていたんだと思います。) モノガタリとして自然発生して定着したのだとしたら、くだらなくはないし、叡智の一つだよね。ということだと言っていただけて嬉しいです。遠い昔に読んだ柳田邦夫の文章に触れたくなりました。あと、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)とかを再び読んでみたくなりました。小泉八雲のことなんかを想うと、ほんとに 土地に携わるファンタジーは、誰にも 存在するような気がします。 わたしのは、柳田邦夫とか小泉八雲とはちがって、妖怪なのかなんなのか良く分からない描き方ですが、それでも前作と今作、第一稿と決定稿を続けて読んでいただいてありがとうございます。

るるりら (2019-08-10):

藤 一紀さんへのコメントに人名の誤りがありました。 ×柳田邦夫 〇柳田国男 失礼しました。 今月の目標は、誤字を しないようにする。で、ございます。きをつけます。ぺこり。

るるりら (2019-08-10):

●鹿又 夏実 さんへ こんにちは。 視覚的な部分や、聴覚的な部分。書いていて 楽しかったです。 稲妻が稲を妊娠させるという、ちょっとセクシーな詩でもあります。(赤面) 天と田をむすぶ路を言葉で表現する つもりで書いた してます。 遊び心を理解してくださって嬉しいです。ありがとうございました。

yamabito (2019-08-14):

ざっと読みの感想ですみませんが、一言置いていきますね。 まず、るるりらさんは進化されていますね。 私のようなものには太刀打ちできない、感性と文体の凄みや滑らかさにさらに磨きがかかっているように感じました。 そして、純真なお人柄と強い信念をお持ちのように感じます。  あまり深読みはしませんでした。 それほど文に勢いがあり、黙読しているにもかかわらず朗読しているような錯覚にまでなったという、不思議な現象を体験できました。  ある事象を小難しく、難解にあらわす手法もあるようですが、るるりらさんの持ち前の流れる様な筆致にどんどん磨きがかかっているのだと思います。

たこ吉 (2019-08-14):

フォーラムの書き換えスレッドで遊んでもらったたこです。(覚えていらっしゃいますか…恥) お久しぶりです!           回回回回          田田田田         田田田田        回回回回 めっちゃ面白いです。そして、綺麗ですね。以前やられてた白白白白で囲っちゃうヤツを思い出しました。こんな風に進化を遂げるとは。 他の方と同じ感想になってしまいますが、文体に凄みはたこにもわかりました。民話的でありながらも、実際に見たもの体験と深く結びついている感じがしました。 今後も陰ながら応援してます(恥///

こうだたけみ (2019-08-16):

私も改訂後のほうが好きです。 漢字そのものの形を何かに見立てるっておもしろいですね。とても参考になります。 るるりらさんの作品のよいところは、読んでいるうちに「私もやってみたい!」という気持ちになるところだと思っています。作品自体にエネルギーが溢れていて、「よーし、まっけないぞ〜」ってなります(^^)

まりも (2019-08-18):

ぬ から始まる、組もの。 ひとつのテーマを、立場を変え、見方を変え、多角的に描き出そうとしているように感じました。 その地の主のような樹木と、共感力によって同化しているかのような語り手。天と地を繋ぐ樹木、天と地の往還を繰り返す水。いずれも詩と再生を(そして、そのとどおこりない循環が続いていくことを)祈る想いが背後にあるように思いました。 水に流されて亡くなった少女が魚になるというイメージ。 私の好きな詩人が、水に流されたり海で溺れた少年たちが、しゃっぱになる、という伝承を織り込んだ詩を書いています。有明海の干潟の泥のなかに生きる、海老のような透明な生き物だとか(伊東静雄)。そんなことも思い出しました。

まりも (2019-08-18):

詩と再生→死と再生・・・ 誤変換 !

エイクピア (2019-08-18):

田圃まで登場人物のようで不思議な感覚を味わいました。回顧、解雇など漢字変換的な、同音異義語的な背景によりかかれない、依存できない実質が析出されているようでもありました。妹の輪郭はぼやけている。でもその輪郭などを回復させるのは我々詩読者ではないかと思いました。

るるりら (2019-08-19):

yamabito さんへ をお。進化だなんて太刀打ちできないだなんて凄みだなんて、めっそうもないです。山人さんはご存知のないことだろうと思うのですが、私は山人さんのお書きになるたくさんの詩のうち わたしは変身を描いた作品群が好きです。主人公が様々な姿に変わっていく詩編をなんどか拝読したことがあり、なんども読み返しているのですが、感想が上手く書けないため 返信コメントという形ではしてはきませんでしたが、私は山人さんに憧れてきました。変身を描いた山人作品も好きなのですが、自然や主人公が存在する場所の描写も山人作品には 学ぶことが多いです。あまりにも大ファンですので現代詩フォーラムの批評祭で絶賛させていただいたこともありました。この作品を書くにあたっても すこし山人さんのことも思い出していました。変化する生き物を魚ではなく、山人さんに似せて 山女(おさかなのなまえ)にする案も浮かんだほどです。イメージを固まらせるのは ちがうという気がしたので、止めたのです。 だから、ほんとうに 太刀打ちできないだなんて めっそうもないことです。 黙読しているにもかかわらず朗読しているような不思議な現象を体験を経験をされただなんて、ほんとうのほんとうに 嬉しすぎて 私は もう わけがわかりません。いや、なんともうしますか、本作品は 前作品でいただいたコメントをパッチワークしているだけなのですよ。わたしがひとりで書いたのではないですし、太刀打ちできないだなんて めっそうもないことです。でも嬉しかったです。ありがとうございました。

るるりら (2019-08-19):

たこ吉 さんへ たこ吉さん、現代詩フォーラムの書き換えスレッドではお世話になりました。忘れるはずがないではありませんか。あのスレでは たこ吉 さんと私が詩のラリーを繰り返したではないですか。けれど、あのスレでは会話はなく ただひたすら たこ吉さんの提出された言葉を るるりら流に変更させていただいてました。あのスレのルールは基本的には対話をしない事でした。対話もせずに、人様の詩を粉々にして良いだなんて、ルールとはいえ ええんやろかと どきどきしながら やらせていただいてました。ここでようやく 人として対話ができました。ああ よかったあ。ビーレビありがとう。           回回回回          田田田田         田田田田        回回回回 めっちゃ面白いですか?ありがとうございます。でも 白白白白で囲っちゃうヤツのことは ごめんなさい、私はあの作品のことを忘れていました。だから、アレがこんな風に進化を遂げたわけではないんですよ。白で囲んだヤツは 正直 わたしとしては、不完全燃焼でした。せっかく たこ吉さんとお話をさせていただけたし、あの作品を推敲して、私自身が もうすこし満足できる形にして 投稿します。 アノ詩でやりたかった目標としては、 たこ吉さんが、油彩の絵の具が乾くまでを詩にしておられたので 私の場合は日本画材が乾くまでを詩にしたかった。そして、たこ吉さんの作品には「白」がたくさんあった作品だったのを受けて、わたしは白を増量したかったのです。けれど、読み直すと 私は私がしたかったことは まるで、できてはいないです。あれは、私としては納得できないなーい。たこ吉さんが ビーレビにきておられるので、白で囲んだアレを もうすこし書き直して すくなくとも私が満足する形にして提出しますね。よかったら閲覧してくださいね。 あ。そーだ。 本作品で気に入ってくださった箇所にも白を入れられなくはないですかも。            白白白白           回回回回          田田田田         田田田田        回回回回       白白白白 こうすると、またべつの意味あいが……。追加されたかもしれません。 ともかく、ようこそ ビーレビにおこしくださいました。お話ができて嬉しかったです。

るるりら (2019-08-19):

こうだたけみ さんへ ≫るるりらさんの作品のよいところは、読んでいるうちに「私もやってみたい!」という気持ちになるところだと思っています。作品自体にエネルギーが溢れていて、「よーし、まっけないぞ~」ってなります(^^) ありがとうごいます。 読者の方が「私もやってみたい」とお思いになるとしたら こんな嬉しいことはないです。 ただ、わたしは誤字ばかりしていて やからしていることが多いのも事実でして、 アドバイスは欲しいのですが、「俺もやかしてみたい」と思わせていたら、どうしようかとまじめに頭をかかえています。でも、こうださんの応援をいただいたので、ちゃんと 褒めていただいたことを力にさせていただこうと思えました。ありがとうございます。 コメント

るるりら (2019-08-19):

まりも さんへ おひさしぶりです。とてもとても嬉しいです。 はい、ぬ から始まる、組もの。です。 「ぬし」のところは、私自身の自己評価として、一番 閃いた感があったのです。ですが、不評なのかもしれないという思いもありました。しかし、まりもさんに指摘をいただいたので 宝物になりました。ありがとうございます。 まりもさん好きな詩人さんは、伊東静雄のことだという理解であってますでしようか?水に流されたり海で溺れた少年たちが、しゃっぱになる、という伝承を織り込んだ詩を書いておられるのですね。しゃっぱって たぶんシャコのことですよね。あれは、美味しいです。泥の中に生きることを念頭に置いて リアルに描くという意味で、しゃっぱという選択は素晴らしい選択だと思いました。透明っていうのが良いですね。判然としてないところが この手の作品にむいています。 イセエビの幼生にガラスエビと呼ばれている時期があり やはり透明なのですが、成長するとあのような豪奢な身体を得るので この種の物語としては不適切なのですが、この手の話に成体が透明である生き物を示しておられる点が、その方は素晴らしいです。勉強になります。好奇心がかきたてられました。教えてくださって、ありがとうございます。

るるりら (2019-08-19):

エイクピア さんへ 田圃まで登場人物のようで不思議な感覚は、すごいですね。読者の方の想像力は計り知れず、嬉しい悲鳴をあげているところです。 妹の輪郭はぼやけています。でもその輪郭などを回復させるのは読者ではないかとは、なんと ありがたい読書様でしょうか?実は、わたしも もはや 読者の立場になっておりまして、毎日 妹のイメージがちがって思えているところです。ありがたい評でした。ありがとうございます。

ふじりゅう (2019-08-20):

実に面白いことをされているなという印象を受けました。 本作は特に、田舎の牧歌的な場所で言い伝えられている、嘘か誠かも分からぬ話、逸話を、言わば客観的に眺めているような作品という印象を受けました。 視覚的表現も、同じ文字を使って様々な景色を描く事で、ある種水墨画のようななんとも言えぬ古風の味を出していると思います。

るるりら (2019-08-21):

ふじりゅうさんに面白がっていただいて 作者冥利につきます。 文字の繰り返しで視覚効果をねらった箇所のことを ある種水墨画といっていただいて ああ 視覚効果部分を筆で表現できたら もっと おもしろかったかもしれないなどと さらに妙な妄想をする贅沢時間を頂けきました。ありがとうございます。

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