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ストロボ   

作成日時 2018-09-02
コメント日時 2018-09-04

その夏のあの花火はいってみれば自傷だった。内臓の粘膜を低音で揺さぶる暗闇の裂け目は弾け飛んだ僕の肉片だった。可愛そうな俺の小さな身体はいつまでたっても友達の女の子の誰よりも小さくて、いつのまにか彼女たちに頭を撫でられる心地良さに慣れてしまったんだ、やっぱり可愛そうな僕はいつも寂しそうな顔をして、そうやって愛情と母性の落穂拾い。パラパラと音がして鮮やかに膨張した炸裂の、風に揺らめいたその残像はやっぱり僕の絶叫だった。 僕がお姉さんと呼んでいたその人は絶対に名前では呼ばせてくれなかったけど、彼女が僕のことを呼ぶ「君」というその呼び方が僕は本当に好きで。「この人が『誰でも良かった』なんていってるの、僕にはちょっとだけわかる気がする」っていったら彼女は本当に困った顔をして、それから僕の頬っぺたを軽くつねったのだった。 その日彼女が貸してくれたあの本は、想いが叶わなくて自分の心臓を拳銃で貫いた馬鹿な男について書いていて、作者が見たその死顔は当たり前だけど、とてつもなく浅ましかったそうだ。だからやっぱり彼女は最初から僕の頭蓋を綺麗に撃ち抜くべきだった、そう口に出そうとしたら揺らめいて、切り裂く音がパラパラと、人混みの中に消えた膨張した僕の残骸は夜の空を跳ぶこんなにも壮麗な滝の壁で、内臓の粘膜を低音で揺さぶる暗闇の裂け目は弾け飛んだ僕の肉片。あの夏のその花火はいってみれば自傷だった。


項目全期間(2020/01/23現在)投稿後10日間
叙情性11
前衛性11
可読性00
エンタメ11
技巧99
音韻00
構成44
総合ポイント1616
 平均値  中央値 
叙情性0.50.5
前衛性0.50.5
可読性00
 エンタメ0.50.5
技巧4.54.5
音韻00
構成22
総合88
閲覧指数:641.4
2020/01/23 21時28分28秒現在
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コメント数(7)
なかたつ (2018-09-02):

 僕は実体験から書くのですが、これはどうも創作話っぽさを感じさせます。その根拠を示すことはうまくできないのですが、場面の切り取り方が絶妙です。誰かとの思い出や記憶というのは、地続きの映像であり、何時間も一緒にお出かけとかしようとも、実際に思い出せるのはせいぜい10秒ずつぐらいなもので、そうした中で、いわゆる「大事な思い出」を語るということは、その小さな映像を繋ぎ合わせること、そして、どの映像を選択するのか、というその選択が大事になってくるのでしょう。  花火を映像として捉えるのではなく、音の記憶として捉えてあります。「愛情と母性の落穂拾い」という何でもない表現が実に巧みで、「花火」という言葉自体が比喩で、花のような火が散った後で、残るものは何もないのですが、その火がいずれは地面に落ちていて、花火が散った後の空間や時間について想いを馳せるという着想がこの「愛情と母性の落穂拾い」という表現に凝縮されていると思うと、とても惹かれました。ただ、花火の音によって、記憶されてしまったその映像に伴っているのは「僕の絶叫」であって、この絶叫がどうして生まれたかの詳細はわかりません。  そして、「お姉さん」が誰なのかも読み手にはわかりませんが、僕がお姉さんと呼んでいた人物がいたという過去があったのは確かなのでしょう。そして、単に「僕はお姉さんが好きだった」という短絡的な表現ではなく、「僕のことを呼ぶ『君』というその呼び方が僕は本当に好き」というのは、映像でありつつも、やはり、音の記憶なのです。花火の音、僕の絶叫が語り手の記憶である映像に付き物であるように、お姉さんとの記憶も僕への呼びかけという音が付き物なのです。  彼女はある本を貸してくれたのですが、僕はその本の物語を蔑みながらも、その物語のプロットを借りて、彼女に打ち抜いて欲しかったと願っています。それは「撃ち抜く」という音と同時に、読み手に花火の音を想起させます。思えば、花火は音だけでなく、その響きによって、体の振動を生んでおり、それが「内臓の粘膜を低音で揺さぶる」と描かれています。その響きによる振動がまるで、語り手の体が裂けてしまう衝動を感じさせており、花火の音/記憶というのは、語り手にとって振動で避けてしまうような痛みを伴うものであるからこそ、これが「自傷」であるのだと納得させられます。  一見ばらばらのような映像というのが、必然的に結び付けられていき、作品内における場面の選択の必然性というものを感じられ、そういう点で全く無駄がない完成度を感じました。それに、何とも言えない、この切なさが、読み手である僕はとてつもなく愛おしく感じました。

survof (2018-09-03):

なかたつさん とても嬉しいコメントと丁寧な読解、とても嬉しく思いました、ありがとうございます!創作かどうかに関しては、私としては過去の自分の話を書いていますが、一連の出来事を時系列で書いているというよりも記憶の断片のコラージュのようなもので、しかもだいぶ昔の記憶なのでほとんど創作といってもよいかもしれません。創作であると感じさせたという時点で、この体験は私のなかで完全に過去のものとして消化できているということなのかもしれません。「誰かとの思い出や記憶というのは、地続きの映像であり、何時間も一緒にお出かけとかしようとも、実際に思い出せるのはせいぜい10秒ずつぐらいなもの 」とのご指摘、まさに私にとってもその通りで、それがだいぶ過去のものとなれば、それらの断片をどう構築して自分が表現したいと思った感覚を浮かび上がらせることができるかが今回のおおきな課題だったのですが、なかたつさんの読解は私の狙いのかなりをほぼ正確に射抜いてくださっています。書き手にとってこんなに嬉しいことがあるでしょうか?いろいろな解釈で読まれることはある意味では作品としての成功なのかもしれませんし、それも悪くないですが、やはり自分が作品にこめた感情・感覚・思考を正確に掘り起こしてもらうことに勝る歓びはないのだと思います。

ふじりゅう (2018-09-03):

拝見しました。感想を書こう!と思いました。 先にうっかりなかたつさんの感想を見てしまい、なかたつさんがこの作品を完璧に分析なされてて私の入る余地がない事が発覚しました。 兎にも角にも感想ですが、やはり主人公が花火を自己と重ね合わせて、自分の消滅、というより破裂を願う異常性。しかしそれを狂気のまま作品にするのではなく、青春の甘酸っぱい1ページのような切なさを感じさせる技法が魅力的だと感じます。主人公の自傷癖と言いますか、破裂を願う感情が書かれてありますが、しかし本当に完璧にそうではない、むしろ自分を救い出して欲しいとも取れる描写が、どことなく年若さ、青春を感じさせる詩となっていると感じました。

survof (2018-09-03):

ふじりゅうさん コメントありがとうございます!詩は多面体ですし、作者と読者が同一人物でない以上、完璧な読解というものはないと思っていますが、なかたつさんの読解は一つの方角からその多面体を鋭く貫いてくださっていてとても嬉しかったです。だからといって他の方の読解の入る余地がないということはないかと思います。というのもふじりゅうさんがコメントしてくださった「主人公の自傷癖と言いますか、破裂を願う感情」もまた的確なご指摘であり、私が花火に込めたメタファーの一つだからです。しかもそれが本物の破滅欲のかたまりというよりも、若さに伴う青臭さであるとのご指摘も非常に鋭く嬉しく思いました。ありがとうございます。

ふじりゅう (2018-09-04):

追記です。上記の件「私の入る余地がない」と発言してしまった事をお詫び訂正申し上げます。決して他者の入りうる余地がないという意味ではございませんし、この作品におけるレビューの制限を発言したものではありません。申し訳ございませんでした。

ヤエ (2018-09-04):

上手く表現できる自信が無いのですが、私もこの作品がとても好きなので、評を書きたいと思います。 まず、最初の一文、あの花火はいってみれば自傷だったとあり、どういう意味だろう?と大変興味を引かれました。読み進めると若者の苦い恋の話だと分かり、カタルシスを得ることができました。消え行く刹那的な爆発力を持った花火と刹那的で爆発力を持った若者の恋は、映像として見事に重なり思い起こされるからです。花火というモチーフの使いかたがとても上手なのだと思います。 また、「だった」と過去形で語られるところもテーマに奥行きを持たせていると思いました。若いときのモヤモヤは、当事者であるときは言葉にならず、少し大きくなってから手のひらに収まると思うからです。テーマ、花火という音と映像の比喩、文体が三位一体であると感じました。少し悲しいような、愛しいような読後感があり、この気持ちを大事にしたい。そんな詩であると思いました。

survof (2018-09-04):

ふじりゅうさん いえいえ、特に謝ることは全然ないと思います。コメント本当に嬉しかったです!それからいつだかTwitterで私の作品紹介してくださっていましたよね?個人的に気に入っていた作品だったので嬉しかったです。 ヤエさん コメントありがとうございます!「消え行く刹那的な爆発力を持った花火と刹那的で爆発力を持った若者の恋は、映像として見事に重なり思い起こされるから」とのご指摘がとくに嬉しく思いました。そしてご指摘のように自分が当事者であったその時もし同じ内容を書いたならば、このような比喩としてなんとかまとめることもできず、もっとダイレクトな感情の吐露としてもっと剥き出しのものになってしまっていたと思います。「少し大きくなってから手のひらに収まる」という表現に大きく共感します。

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