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選評:「うほうほ」におけるスパイラルモヒカンの誤用をめぐっての断章   

作成日時 2018-09-01
コメント日時 2018-10-09

うほうほ https://www.breview.org/keijiban/?id=2143 この作品「うほうほ」の見かけ上の肝は何と言っても現代詩の基本的な技法であるレイジ・アゲンスト・ザ・マシーン、スパイラル・モヒカン、あるいは「こぴぺ」やタヒの濫用であるが、この作品においてそれらは作者によるただのミスリードに過ぎない。つまり、この作品は「ウォシュレット」の文脈の上で語るよう巧妙に読者を誘っておきながら、その実、多層的な暗喩や隠喩によってより古典的な読みを求める実に古典的な作品であるということだ。それは作品を通じて登場する「否定」と「肯定」の頻度から容易に推測できることであるが、作者の狙いは間違いなくタヒの濫用によって読者をよりメタな読解へとミスリードし、そのせいでこの作品の本質を読み過ごしてしまう読者のことを嘲笑うことなのである。なんとも愚劣な作品である。 まず「肯定否定」あるいは「否定肯定」といった言葉は何であろうか?作品を丁寧に読んでいけば例えば「私の身体を肯定否定」「肯定肯定否定してる」「肯定否定肯定しながら」といった表現に見られるように名詞であると同時に「する」をつければ動詞になる言葉であることから「否定」と「肯定」を組み合わせた一見不可解なこれらの単語は動作または行為を表していると容易に理解することができる。また「否定」は「肯定」の対義語でありその逆もまたしかり。しかも「否定」と「肯定」は同じく行為を表す言葉にもなり得る。「否定する」の対義語、つまり逆の行為は「肯定する」ことである。ということは「否定」と「肯定」という二つの行為を同時に行うことはできないはずなのだ。 いや果たしてそうだろうか。ここに作者が言及している否定論理学の本質がある。我々はあるものを「否定」しつつ「肯定」、または「肯定」しつつ「否定」することがあるのではないだろうか。一番身近な例でいえば「ぶぶ漬けにしまひょか?」は表面的には客のさらなる滞在を「肯定」しつつ、実際には客に退去して欲しい旨を伝える表現、いや「帰れ」といって客のさらなる滞在をあからさまに「否定する」表現であり、日本語にはこうした慇懃無礼な表現に枚挙のいとまがない。つまり「肯定否定」もこの種の曖昧さを愛する日本人による日本語表現と深く関連していると考えるのが妥当である。もっというならば「ぶぶ漬けにしまひょか?」を否定論理学的に解体してみせた言葉が「肯定否定」なのだ。 ここまでの考察は「うほうほ」の読解にあたって鍵となる最も重要な点であるといってよい。この作品における「否定」と「肯定」の組み合わせの多種多様なバリエーションは日本語表現に潜むこうした複雑性を記号化することにより単純化したものに過ぎないのだ。となれば例えば冒頭の 「というとゾ、クッとしながらも僕は肯定否定肯定肯定、最終的にはやっばりどうじてもそうやっで私の身体を肯定否定でパラ)定できかもしれない、の否定肯)、つもりたけど、昔々あると肯定ほかもしれない最後のうほうほ」 という一見謎に満ちた前衛的ともいえるちょっとアレな導入は一つの解釈の可能性として例えば「私と仕事のどっちが大事なの?」という恋人への「いやっ、まじでそういうこと言うときのお前まじ怖いからちょっとまじでビビってしまうんだけど、どっちが大事かっていうと、みゆきちゃん4割、ひかりちゃん2割、春華ちゃん3割、仕事はできればしたくないからこの中から僕をヒモにしてくれそうな人にいま心が揺れているんだけど、キミといるときはいつも『うほうほ』な気分さ」というような返答といったところだろうか。 その複雑な心境は後半の 「否定、俺、はあいつの歌が全然好きじゃないんだんだ、自分でも言ってることの半分も否定肯定否定肯定だって自分でううほうほなんて到底無理なんどす。」 という表現によって再度激しく表出しており、これは明らかにジョン・レノンの「Julia」の一節「Half of what I say is meaningless」および「I am the Walrus」のあの有名な冒頭「I am he」への言及だろう。ここで作者はビートルズのホワイトアルバムを「レボリューションNo.9」を飛ばすことなく大音量で聴きながら、あだち充の「H2」を涙ながらに読破してしまったときのあの何とも言えない違和感をみごとに言い表している。「あいつの歌が全然好きじゃない」といいつつも「うまった時点るパラにコード進行が僕しはうはし」とあるようにジョン・レノンのコード進行に強く心が動かされた作者は作品の最終部分でついに論理の解体を招いてスパイラルにモヒカンする。つまりあだち充とビートルズの組み合わせは危険なのだ。 そのことは作者が言及している否定論理学においてゲーデルによって数学的にも証明されている点であり、彼の最大の功績である不完全性定理をこのケースにあてはめるなら、どんな作品、それがマンガであろうと小説であろうと、詩であろうと何であろうと、その作品内では解決し得ない問題が必ず存在する、いいかえるならば、「その作品とは全く独立でしかも作品と無矛盾な新たな作品設定が必ず存在する」ということであり、「タッチ」における決勝戦省略問題、あるいはあだち充作品においての主人公の顔の同一性問題やあだち充作品を読むときのジョン・レノンのスノッブ精神のややこしさ問題といったものはまさしくその最たる例といわなければならない。 そのことは末尾の文書において端的かつこの上なくシンプルに表現されておりそこにおいて「分解じそこのきないかもしれない訳だか」と激しく訴えかける作者がいかに精神的負担を味わったかを想像するに難くない。つまりこの作品は日本語表現における意味の多重性を批評的にいわばメタな視点で取り扱いながらも作品自身がその多重性の中に深く絡め取られているという意味において非常に興味深い構造を持っているといえるのだ。さらにいえば、読みを誤った読者を嘲笑うことを意図した作者が最終的にはその日本語の多重性に足を掬われる無様な姿によって逆に嘲笑われるという逆転の構図によりこの作品はその入れ子構造をさらに堅牢なものにしているわけであるが、その壮大なブーメラン性ゆえに、そしてそのただ一点だけのためにこの作品を私は高く評価せざるを得ない。 それにしても比呂とひかりが結ばれない理由は震えるほどよく分かる気がする。思い出すだけで泣けてきた。 ※ これは選評ではなく作品です


項目全期間(2019/09/17現在)投稿後10日間
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2019/09/17 23時54分28秒現在
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コメント数(9)
survof (2018-09-01):

ビーレビで選評を作品としてはじめて投稿されたのはたしかkaz.さんだったと思いますが、同じことをずっとやってみたくて、今回思い切って書いてみました。でも先月分の作品に関してはこれとは別にきちんとした選評を書きたいな、、と思っています(間に合えば)。

かるべまさひろ (2018-09-03):

最初、自作を推薦しとる、と思って読み始めたらまったくうほうほしてないから、あーね、となりました。 survofさんの作品や架空の作品か実際の皆さんの投稿作品から選ぶフルキュレーションを模した作品などもあり得そうですね。 バクマン。を読んでいると作中作が読みたくなるのですが、作中作が印象弱いのが少し残念でした。作中作がまったくうほうほしていないです。

survof (2018-09-03):

かるべまさひろさん 何を期待してくださってお読みになられたのかはわかりませんが、うほうほしていないことや印象が弱いことは私にとって本当にどうでもいいことです。この作品には一読してはっきりと分かるもっとクリティカルな弱点があるのです。否定的なライトレスに私が期待するものは鋭いキレですが、かるべさんの一連のライトレスをみていると、それがまったく感じられずとても残念です。

かるべまさひろ (2018-09-04):

survofさん、期待に添えないのは申し訳ありませんでした。鋭いキレは意識してみますね。(一連のライトレスまで目を通してくださっていたのは、本当にありがとうございます。) 弱点、はsurvofさん自身があるとわかっているということですが、単純な質問なのですがどういうことでしょうか……?

survof (2018-09-04):

かるべまさひろさん こういうひねくれた作品を作ってしまったことがまずは最大の失敗ですね。。汗。もう一つはかるべさんが私がいっているところのこの作品の弱点にすぐさま気づかなかったという時点で私の作品作りは大失敗しているということです。それがかるべさんを読者とした場合のこの作品の最大のそしてかなりクリティカルな弱点です。

かるべまさひろ (2018-09-04):

survofさん、お返事ありがとうございます。なるほど、それは、ううむ、気付いていたら読みが深まる反面、弱点としてつつきたくなる。気付かないと、読みが深まらず、弱点をつつきたくなることも起こらず、読者と作者の距離が(少なくとも僕にはいささか)寂しく残るというような解釈をしました。 ぜひ他の方の読みを待ってみたいと思います。気付かされて生まれるものもあると思えるのが一対一に限らないコメント欄の反射だと思っておりますので。

ふじりゅう (2018-09-25):

拝見しました。 これはある意味survofさんの真骨頂とでも申しましょうか、こういった作品を展開できるのが筆者様の素晴らしい所であります。 かるべさんとのやり取りを見てから感想書いております。ので、クリティカルな弱点についても論ずるべきなのだと考えるところであります。 さて。 まず弱点は保留にします。 で。 中盤、「私と仕事のどっちが大事なの?」の部分が個人的には1番のお気に入りです。なんといっても、続く男の回答は圧倒的なセンスのあるユーモアであります。正直笑いました。 基本的には訳が分からないという点でsurvofさんらしい。普通の論理的な文章をユーモアチックなテイストに置き換えて書いている、とすら言いきれない独特のセンスを伴った文体は一見訳が分からなくて読みにくく感じるのですが、読むとこれが不思議なことにさらさらとスープを流し込むように読めてしまう。うーんなんとも不思議であります。 個人的に唯一残念な所は、最後の※の部分ですね。確かにこれを書かないとならないのは分かるのですが、何とかしたかった、と、ないものねだりをしたい気分であります。 弱点ですが、分かりません 笑。他の方にお任せする所存であります。

survof (2018-09-26):

ふじりゅうさん 好意的なコメントありがとうございます!「普通の論理的な文章をユーモアチックなテイストに置き換えて書いている、とすら言いきれない独特のセンスを伴った文体は一見訳が分からなくて読みにくく感じるのですが、読むとこれが不思議なことにさらさらとスープを流し込むように読めてしまう。」とのご指摘はとても嬉しく思いました。 この作品の弱点は、あえて自分からバラしてしまうと、まずは「うほうほ」という作品が「多層的な暗喩や隠喩によってより古典的な読みを求める実に古典的な作品である」として、まったく何の意味もないただのガラクタ作品の「うおほうほ」に何かしらの意味づけを与えることによって、そうした「読解」そのものを皮肉るつもりで書いたところが、作者の側にまったくその力量がなく、結局メタな読解に終始してしまう。「うほうほ」はメタな読解へミスリードする作品であると明言しつつも結局はメタな視点からしか論じることができない。「読解」を皮肉るほどの読解力も教養もないのだということをさらけ出してしまっているこの「ブーメラン性」に「自覚的」なんだぜ、という作者のポーズのみでなりたったコンセプトの軟弱さ。このあたりです、笑。 でも面白かった、っていってもらえるのが一番嬉しいです!ありがとうございます。

こうだたけみ (2018-10-09):

途中、名前を呼ばれました。あ、本名のほうです。本命になれたらよかったのに。ほんめいだけに。ぷぷ。

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