詩論:再び偽りに終わったとしても - B-REVIEW
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エセ詩人

いでよ、エセ詩人!

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湯煙

硬派な作品

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体験記『呆気ない宣告』

それはあなたの現実かもしれない。

大概のことは呆気なくドラマティックではない。そうした現実の丁寧な模写が作品に厚みを増している。

ほば

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あなたにとっては何が、その理解が起きるピースになるだろうか?

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yasu.na

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パパの日曜日

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終着点

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美しくさわやか、そして深い意味が込められたシーン、均衡の取れた心情と思想、強い意志で最終連へと迫る引き締まった展開、我が胸にこの詩文を抱いて!

yasu.na

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afterglow

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たそがれに たれかある さくらのかおりがする

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言葉と詩に、導かれ救われ、時に誤りながらも、糧にしていく。 赤裸々に描写した生きざまは、素晴らしいとしか言いようがない。

羽田恭

喘息の少年の世界

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正直意味は判然としない。 だが、じんわりあぶり出される情景は、良い! 言葉に酔おう!

羽田恭

誰かがドアをノックしたから

久しぶりにビーレビ来たんだけどさ

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カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

最高です^ ^ありがとうございます!

この詩は心に響きました。とても美しく清らかな作品ですね。素晴らしいと思いました。心から感謝申し上げます。これからも良い詩を書いて下さい。私も良い詩が書ける様に頑張りたいと思います。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

これ大好き♡

読み込むと味が出ます。素晴らしいと思います。

きょこち(久遠恭子)

輝き

海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

アオゾラの約束

憧れ

こんなに良い詩を書いているのに、気付かなくてごめんね。北斗七星は君だよ。いつも見守ってくれてありがとう。

きょこち(久遠恭子)

紫の香り

少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

冬の手紙

居場所をありがとう。

暖かくて、心から感謝申し上げます。 この詩は誰にでも開かれています。読んでいるあなたにも、ほら、あなたにも、 そうして、私自身にも。 素晴らしいと思います。 ありがとうございます。みんなに読んでもらいたいです。

きょこち(久遠恭子)

カッパは黄色いのだから

良く目立ちます。 尻尾だけ見えているという事ですが、カッパには手足を出す穴がありますよね。 フードは、普通は顔が見えなくなるのであまり被せません。 それを見て、僕はきっと嬉しかったのでしょう。健気な可愛い姿に。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

永訣の詩

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羽田恭

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もし、あなたが「今年は、十月が足りてない」と お感じでしたら、それは『十月の質』が原因です。 詩の中に身を置くことで『短時間で十分な十月』を得ることができます。この十月の主成分は、百パーセント自然由

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だれのせいですか

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sorano

衝撃を受けました

ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

二酸化窒素

ずっと待っていた

渇いた心を満たす雨に満たされていく

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詩論:再び偽りに終わったとしても    

詩の投稿掲示板に参加するようになって一年になる。少しは上達したのだろうか。私が書く文章は私が憧れている作家が持つ魅力的な言葉に近づけているのだろうか。 『僕は、何度も狂気を作品で書きたいと挑戦します。残念ながら一度も本物の狂気は現せない。いつも偽りに終わる。』 詩を書き始めた頃の気持ちはこんな感じだった。単純に思う。私は一年間で本当に上達したのだろうか。それを私は知りたい。だから、もう一度、狂気を書きたいと思う。偽りの狂気で終わってしまっても、何もなかった一年だったと、残念に思うよりはいい。一年前と明らかに変わったと自覚できること。自らを罵倒できるようになったこと。 あんた読めないし書けないよ。


詩論:再び偽りに終わったとしても ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 16
P V 数 : 1207.4
お気に入り数: 0
投票数   : 0
ポイント数 : 0

作成日時 2017-08-23
コメント日時 2017-09-29
項目全期間(2024/03/19現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
可読性00
エンタメ00
技巧00
音韻00
構成00
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叙情性00
前衛性00
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 エンタメ00
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閲覧指数:1207.4
2024/03/19 15時42分45秒現在
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    作品に書かれた推薦文

詩論:再び偽りに終わったとしても コメントセクション

コメント数(16)
sonetira
(2017-08-24)

三浦さんはツイッターで尖っているイメージがありましたが、こういうものを読んで人間を知れることは嬉しいです。 これは詩ではないというひともいるかもしれませんが、最後の一行でこれは確かに詩だなと思いました。

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三浦果実
(2017-08-24)

花緒くん。瑞々しいが、強度が足りていないと、書いて欲しかったなあ。しかし、相変わらず切れのあるコメント有難う。 り さん。「詩論を書けないやつは信用出来ない」という言葉をB-REVIEWに持ち込もうではないか。白島さんが自らの詩論の投稿によって示してくれたことを私なりに解釈すれば、ツッコミどころが満載なスカスカな文章であっても、投稿者はみんな、書きたいこと、書こうとしていることをステートメントするべきだと思う。なんとなく詩を書いてみましたでもいいのだけれど、それじゃ、他所の掲示板と変わらないと思う。だから、「なにがしたいの?」って突っ込まれてしまうのだ。書けていないと言われるよりも、「なにがしたいの?」なんていわれることのほうが哀しいだろ。

0
三浦果実
(2017-08-24)

sonetiraさん。コメント有難う。遠慮しないで、愚かな僕を君の詩で殺してくれ。。。

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竜野欠伸
(2017-08-24)

初めまして。 タイトルにあるように詩論として読みましたが、内容としては、反実仮想について、何らの論理展開があるとは思いました。それらは経験論としての叙述があってはいるところですが、最期の結語については、どのように結論がなされているのか、読み手にとっては分かりづらいと考えます。詩論としての本論が欠如していないか、と思いったので、少し残念でもあります。なるべく冗長にならないように、したのでしょう。しかし、詩論としては、論理に飛躍があるとの思いが拭えません。序論と本論と結論を結ぶ内容が必要でしょう。まだまだ工夫の余地はありますので、ガンバですねー。カキイレドキを見失わないうちにですネ。では。

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survof
(2017-08-24)

ものすごく素朴な感想なのですが、「狂気を書こう」とすればするほど、それは狂気からは離れていくような気もします。何をもって「狂気」とするか、の捉え方の問題なのですが、個人的には「狂気」ってもっと日常的な姿をしているイメージなんです。何をもって「狂気」とされているのか、三浦果実さんにとっての「狂気」とは何かっていう部分をもっと読みたかったな、、という気がします。こちらの読み取り不足もあるのかもしれませんが。。

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羽田恭
(2017-08-24)

即興で、返詩を。 それでも書いてゆこう。届かない世界へ目指して。 いくら悲しんでも、どこか覚めいる。 怒りに震えても、頭に風が吹く。 狂気へ自分を追い込んでも、仏性が止めさせる。 罵倒しよう。自分を際限なく。 自虐しよう。自分を永久に。 自傷しよう。自分を。 (そうだたのしいんだ 生きる喜び  たとえむねの傷がいたんでも) それでも書いてゆこう。 読んだ誰かは、何かを受け取る。

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三浦果実
(2017-08-25)

竜野さん コメント有難う御座います。「序論・本論・結論」!論と名付けて文章を書く際の基礎を私は知りませんでした。勉強になりました。半年後か一年後にまた書くであろう詩論へ活かしたい所存であります。 survofさん 狂気とは、自死する者が異常な状態にて直前に現すであろう言葉、そこに正常では感じることの出来ない生の充実があると考えます。しかし、ノーマルに生きる私にはその異常と正常が交りあう「ゾーン」へ突入することが難しい。そんなことは出来ないのが当たり前なのかもしれない。そこで、私は自分を追い込んでみました。ジョギングやヒルクライムで身体を苛めてみました。残念ながら、身体を苛めるだけでは得られないみたいです。「ゾーン」はもう少し、その先にあるようです。いずれにしましても、ノーマル日常生活のまま「ゾーン」へ突入することが出来ないかと、考えておる次第です。イタコかシャーマンみたいな。意味不明なレスレス失礼。 HAneda kyou さん みえてる。みえてる人ですね?kyouさん。上に、狂気についてレスレス書いたけれども、返詩の内容そのままでびっくり。

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羽田恭
(2017-08-25)

みえてるつもりはないんですけども。 なんだかアンパンマンマーチを思い浮かべてしまいまして。 あの歌詞はどこかで命綱のように正気に続いているかもしれませんね。 ところで今思ったんですが、「陽極まれば陰となり 陰極まれば陽となる」のなら正気でいることは狂気に意外と簡単に続いてますよね。 だから中道でいなければならないのかなと。

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survof
(2017-08-25)

返信ありがとうございます。なかなかに衝撃的な内容でした。 ノーマル日常生活のまま「ゾーン」へ突入することが出来ないかと、考えておる次第です ノーマルであることを厳しく自覚しながらも「自死する者が異常な状態にて直前に現すであろう言葉」としての「狂気」に、ある意味激しく憧れ、その境地に達するために自分の心身を激しく痛めつけていく。三浦果実さんの定義する「狂気」とは違うかもしれませんが、これは私にとってはある意味立派な「狂気」です。HAneda kyou さんのの最後のコメントに通じるものがあるかもしれません。 そういう意味では、ひとつひとつの作品だけでは決して完結しえず、三浦果実さんの生き方、言動そのものが、あるいは作品となるのかもしれませんし、もしかしたらそうした作品を意図されているのではないか、、などといろいろと深く考えさせられました。表現することに本質に触れる問題を提起してくださっているように感じますし、表現物がそれ単体では「表現」として完成しえないことの多さについて考えさせられます。形式が持つコンテキストからは独立し得ないということもそうですが、表現者自身がもつ文脈とは無縁ではいられないということについてです。 (私個人としては表現そのものが単体としてもつ強度や普遍性というものに対してもっと純粋でありたい、と望んでいますが、それはもしかしたら叶わないことなのかもしれないと思ったりもします)

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まりも
(2017-08-26)

詩論、って、なんぞや、ということにもなるのですが・・・自分にとって、詩とはなんぞや?と問い続け、書き続け、これが「詩」である、と規定されるものの枠内に収まりつつ独自性を発揮するのか、そこから逸脱し続ける孤独な道を選ぶのか、という選択を迫られる・・・ということでもあるでしょう。 上達したのか、と他者に問う時点で、口語自由詩100年の歴史の中で、なんとなく、これが「詩」である、と規定され、認知されている枠組みにおいて、うまくなってる?と問いかけているように思うのですが・・・ 〈もう一度、狂気を書きたいと思う。偽りの狂気で終わってしまっても、〉この一節が明確に自覚されている時点で、旧来の枠組みからは逸脱してやるぜ、という意識も垣間見えるのですね。そこに矛盾を感じました。 書いても書いても書いても、とらえられない感情を、これでどうだ!と他者に向かって突きつけていくのか・・・自分が忘我の境地で迷い込んだ異界での体験を、持ち帰って「こんなところがありました」と提示するのか・・・ 自分で自分の成長記録の為に(自己認識の文字化のために)「作品」を書くのであれば、日記や創作メモで良いわけです。草稿を提示する必要もない。 狂気、その姿を捉えることが、俺にとっての詩なんだ!・・・ということなのか、自ら狂気の域に達して、憑かれたように書きまくる、それが、俺にとっての詩なんだ!・・・なのか。 「美しく発狂した」という過去の名フレーズを、果たして超えることができるのかどうか、そこに、詩史的な意味での「上達」がある、のかもしれませんが・・・自分自身を否定し、殺害し、また再生させて乗り越えていく、そうした狂気じみた行為の中から出てくるものを読みたい、書きたい、ということであるなら・・・(なんだか仮定ばかりの文章になっていますが)やはり、これは詩論だな、と思いつつ。 前半部分の、やたらに丁寧な「説明」部分、やっぱり、いらなかった、ような、気がします・・・

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fiorina
(2017-08-26)

この世、今見えているものみな幻であり、リアルと信じていること自体狂気で、自分を含め道行く人は皆狂人だと思います。 自分にとってのありふれたを書き切れば、結果として狂気が描けているのではないでしょうか。

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薄氷楓
(2017-09-27)

三浦果実さま 読みました。昨日投稿した詩「あなたにとって死にがいとは」を書く前に読んでいました。実は御詩論に触発されて、「あなたにとって」を書き始めた経緯があります。 過去にコメントなさっている方(survofさま&fiorinaさま)のご見解と、一部重複しそうではありますが……私も狂気とは、死の手前よりも日常生活の只中にこそ、存在するのではないかと思います。私は狂気に手を伸ばす事よりも、その存在を敏感にキャッチして、自分の体内へ注ぎ込み、かつ克服する事の方にこそ魅力を感じます。ここで「克服する」などと安易な口が利けるのは、私の念頭に置いている狂気たちが、比較的静的な質のものである為かもしれませんが。 私は基本、狂気を前面に出すような言葉は好みません。がしかし、とあるきっかけで自分の中のつらみが増えて、その重圧が如何ともし難いほど膨らみ始めてしまったので、心を軽くする意図で「あなたにとって死にがいとは」を書きました。これは、私自身の無意識や記憶を精算する為に書いた作品であると同時に、三浦さまがご自身に対して設営なさった問いに対する、私なりのアンサーでもあった気がします。

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まりにゃん
(2017-09-28)

kaz.さんへの返信ですよね。

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まりにゃん
(2017-09-28)

とおもったけどぜんぜん違うかもしれない……。

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三浦果実
(2017-09-28)

HAneda kyouさん 中道について。ノーマルに生きるとは、ある意味、バランスが取れるということなのかもしれません。バランスを取らなくてよい生き方、それは、真の孤独。田中一村が奄美大島の掘立小屋を晩年の創作場所としたような。 まりもさん 憑かれたように書きまくる。そうです。晩年の田中一村が呼ばれたように、死神と呼ばれる姿。 fiorina さん ありふれた日常のなかに狂気は宿っている、かもしれません。が、往々にして人はそれを観てみぬふりをする。私が詩文を書きたい気持ちになるのはもしかしたら、観てみぬふりをしたくないだけなのかもしれません。 薄氷楓さん もしかしたら、狂気を誘発するのは、怨念なのかもしれません。皆が怨念を隠しながらノーマルを装う。その怨念を放てる確実な場所は、真の孤独な場所なのかもしれません。が、人は真の孤独な場所へは、大概は向かわない。作り笑いを持って人の輪へ紛れ込む。視点を変えれば、孤高の人であることがノーマルで、作り笑いで世間に潜むことの方が狂人なのかもしれません。 まりにゃんさん kaz.さんの作品へのまりにゃんさんのコメントは拝見しておりました。一つのビジネスにも成りえる狂気。偽りの狂気を群衆に与える。ほら、格好いいだろう?この狂気、みたいな。ファッション狂気。

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薄氷楓
(2017-09-29)

三浦果実さま お返事頂き、ありがとうございます。概ね同意です。ただし私なら、「怨念」という言葉の代わりに「ストレス」という言葉を使います。ストレスにも幾つかのグラデーションがあって、そのうち最も濃度の強いものが「怨念」になるのではないかと。 ふつう、人混みの中で怨念を放てば、監獄行き、という事になりますね。法に守られながら怨念を放てる場があるとすれば、それはやっぱり「文学」という事になるのでしょうか。 あなたは普通の人間だよ、と言って頂けたような気がして、とても嬉しくなりました。ごく平凡な感性を持つ人間として、これからも、何かを書き続けていきたいです。

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