作品投稿掲示板 - B-REVIEW

薄氷楓


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moooさま お返事いただき、ありがとうございます。 >答えなんか出ない、というかちゃんと向き合えていないような、重くなっていく気持ちを書きました。 そういう意図で書かれたのですね。 先のコメントでは、やっぱり自分の問題意識に引き寄せすぎたかな……と反省しました。でも、お役に立てる部分があったようで、嬉しく思います。 本作品は日常的な言葉によって構成されている事もあり、人それぞれ、いろんな読み方ができそうですね。読者の注目が集まっているのも、そこに理由があるのでは、と想像しました。 いかに自分の思考や感情をキープしつつ、読者との接点を設けておけるか……自分が詩を書く時、参考にしてみようと思います。 では、ありがとうございました。 (どうして なんで)

2019-05-25

はじめまして。ご作品、拝読しました。 寂しくて眠れない状態、見ていると吸い込まれそうになる空間、他人の痛みがダイレクトに迫ってくる感覚……なんとなく、SNSにどっぷりハマっていた頃の自分を思い出しました。 「どうして」「なんで」と自問したところで、そこは半ば非現実だから、答えなんか出てこない。それでも、誰かと話さずにいられない孤独……そんな気持ちで、私自身いまコメントを書いております。 厳密に言うと、ここはSNSじゃありませんし、もしかすると、だいぶ誤読しているかもしれませんが……。 (どうして なんで)

2019-05-23

はじめまして。主観的・観念的・直情的な言葉が四方八方に林立する中、淡々とした説明的な記述によって成り立っている本作品が目に留まり、立ち寄らせて頂きました。 個々の描写は淡白だけれど、適度な張りと味わいがあり、とても綺麗な文体であると感じました。 内部の様子が見えそうで見えず、そのくせ見えたと思い込ませる村の家々の構造は、それ自体が幻想や空想のメタファーでもある気がしました。そして作品末尾の一節は、文字に対する作者の信仰を表しているように見えます。 神の気まぐれ一つで簡単に壊れてしまうビジョン。その原形を可能な限り残しつつ、他者や社会や後世に向かって語り継ごうとする努力。ここに言葉の真価があるよ――そんな声が聞こえてきそうです。 (水の村)

2019-05-21

三浦果実さま お返事頂き、ありがとうございます。概ね同意です。ただし私なら、「怨念」という言葉の代わりに「ストレス」という言葉を使います。ストレスにも幾つかのグラデーションがあって、そのうち最も濃度の強いものが「怨念」になるのではないかと。 ふつう、人混みの中で怨念を放てば、監獄行き、という事になりますね。法に守られながら怨念を放てる場があるとすれば、それはやっぱり「文学」という事になるのでしょうか。 あなたは普通の人間だよ、と言って頂けたような気がして、とても嬉しくなりました。ごく平凡な感性を持つ人間として、これからも、何かを書き続けていきたいです。 (詩論:再び偽りに終わったとしても)

2017-09-29

三浦果実さま なんだか、誘導するような事を書いてしまって、申し訳なかったです。 コメント、ありがとうございます。 うろ覚えですが、ジャンケレヴィッチという哲学者が、死を「一人称的な死」「二人称的な死」「三人称的な死」……と三つに分けて考えている。……そんな趣旨の記事を、どこかで読んだような気がします。もう何年も前の事です。 三浦さまのコメントを拝読した時、不覚にも涙ぐんでしまいました。これまで言葉にラブコールを送り続けて、良かったなぁと思いました。 しかしながら、言葉の延命を願う以上、人は社会で生きられない。なんて皮肉な世の中でしょうね。 (あなたにとって死にがいとは)

2017-09-29

三浦果実さま 読みました。昨日投稿した詩「あなたにとって死にがいとは」を書く前に読んでいました。実は御詩論に触発されて、「あなたにとって」を書き始めた経緯があります。 過去にコメントなさっている方(survofさま&fiorinaさま)のご見解と、一部重複しそうではありますが……私も狂気とは、死の手前よりも日常生活の只中にこそ、存在するのではないかと思います。私は狂気に手を伸ばす事よりも、その存在を敏感にキャッチして、自分の体内へ注ぎ込み、かつ克服する事の方にこそ魅力を感じます。ここで「克服する」などと安易な口が利けるのは、私の念頭に置いている狂気たちが、比較的静的な質のものである為かもしれませんが。 私は基本、狂気を前面に出すような言葉は好みません。がしかし、とあるきっかけで自分の中のつらみが増えて、その重圧が如何ともし難いほど膨らみ始めてしまったので、心を軽くする意図で「あなたにとって死にがいとは」を書きました。これは、私自身の無意識や記憶を精算する為に書いた作品であると同時に、三浦さまがご自身に対して設営なさった問いに対する、私なりのアンサーでもあった気がします。 (詩論:再び偽りに終わったとしても)

2017-09-27

花緒さま はじめまして。丁寧なご高評、ありがとうございます。 前作、併せて目を留めてくださったのですね。 本作は、自分の中にわだかまる情念を裁断し、理性によって捻じ伏せる意図で書きました。……なので、情の威力を維持する方向で推敲する事は、難しいように思われます。 ただ、推敲の余地があるのは事実だろうと思います。もっと自分の言葉を大事にしながら書けていれば、ある点において、今よりもクオリティの高い詩になっていたかもしれません(ただ、そうする事は――現実的な意味において――危険であるような気もしています)。 二つ前の段落で、私は「情感」ではなく「情念」という言葉を使いました。「独特な情感」の籠もった詩として最初に思いつくのは、田村隆一の「帰途」ですが……ああいう書き方ができれば良いなぁとも思います。もしも今後機会があれば、情に力点を置く方向で、書いてみます。 タイトルは、ほぼフィーリングで決めています。何か、読者の心に残るものがあるならば、私としては幸甚です。 (あなたにとって死にがいとは)

2017-09-27

森田拓也さま 丁寧な鑑賞&コメント、ありがとうございます。 おっしゃる通り、最後の最後まで、言い切りの形を避けるような書き方をしました。これは多分、三島由紀夫の<イカロス>という詩(『太陽と鉄』、中公文庫、115~119ページに収録)が、自分の頭に蟠っていたからだと思います。同作も、(作品の途中途中で何度か言い切りの形が挟まれますが)一つ一つのセンテンスが冗長で、読んでいると呼吸の疲れを感じるような類の詩です。 もしも今回の作品に或る種のユーモアを感じてくださったなら、それは(三島と自分を同一化するわけじゃありませんが)憂鬱と表裏一体のユーモアが、私の中にも存在する為だろうと思います。私、(痛々しいもの書いてるなぁ……)と思いつつ書いていて、これを投稿する事に多少の躊躇いが無かったわけじゃないので、「痛々しさ」以外の要素を見出してくださった事を、素朴に嬉しく思います。 最後に余談ではありますが、「途切れることのない語り」を、純粋なユーモアとして表現する事に成功している作品として、(詩ではなく小説ですが)保坂和志『季節の記憶』(中公文庫)をご紹介させて頂きます。 (あなたにとって死にがいとは)

2017-09-26

【追伸】 すみません。自分の作品を読み直しましたが、私自身が「正義」という表現を使っていたのでした。これは少し大袈裟に過ぎる単語であって、本来ならば「正しい」「妥当」などの言葉を使うべき所ですね。 自分の心理的葛藤を必要以上に膨らませつつ考える事によって、生きる意味を自分で再確認するような癖が私にはあります。 (非対称な鏡の言い分)

2017-09-21

三浦果実さま コメント頂き、ありがとうございます。 なるほど、そんな見方もあるんだな……と興味深く拝読しました。 私が念頭に置いていたのは、「『僕』と『君』が向き合いながら(つまり合わせ鏡の位置関係にありながら)、お互いに少しずつ異なる像を鏡の面に描いている状態」でした。 人は他者と関わる際、(とりわけある種の好意や愛着を持った相手に対しては)自分と似ている部分を発見し、自分の思い描くイメージを、相手の心に投影しがち……そんな傾向があるように思います。 しかし実際には、多少のズレや歪みを伴っている場合がほとんどで、それに気付かず交流を続けていると、ある段階で自分の幻想が崩されてしまう。そして深く傷付いてしまう。 私は最近、こうした状況をしばしば経験していました。それで「もともと君の描いているイメージは幻想でしかないんだぞ」「君のイメージがどうであろうと、僕は僕の生を生きていく」……そんな言い訳めいた事を書きたくなって仕上がったのが、本作「非対称な鏡の言い分」でした。 三浦さまの仰る「背を向け合う鏡」のイメージは、本作を書く上で念頭にありませんでした。……がしかし、「僕と君」の間に存在するズレや歪みが前景化して、深く傷付け合ってしまった場合には、背中合わせの位置関係に早変わりして、おのおの相手に対して異なる図像を描き始めるのかもしれませんね。 この状態を、例えば国同士の外交関係に置き換えるなら、「正義の反義語は別の正義である」が成り立つのでは、と思います。 (非対称な鏡の言い分)

2017-09-21

拝読しました。ツイッターにおけるコメントとは、ちょっと違った角度からの感想になりますが、ずっと前に観た『アヒルと鴨のコインロッカー』という映画を、ふと思い出しました。 「生きたい」という強い気持ちを感じました。そして「幸福でありたい」という強い願いを。 真剣に読み解こうと試みるなら、見る側の目が潰れてしまいかねないほどの、眩しい光。 昨年ノーベル文学賞を受賞した、ボブ・ディランの歌が静かに鼓膜を揺すります。 (マックシェイク飲む、いつも。)

2017-08-16