作品投稿掲示板 - B-REVIEW

羽田恭


投稿作品数: 178
総コメント数: 1005
今月は6作品にコメントを付与しました。
プロフィール
記録
プロフィール:
元陸上自衛官で、牧場従業員の仏教オタ。経歴を元にした作品が多いです。 小説家になろう掲載の作品もどうぞ。

羽田恭の記録 ON_B-REVIEW・・・・

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牛煙

2024-03-08

2024-02-10

眠りの中で

2024-01-02

遺す

2023-12-16

今 声を出す

2023-11-16

空の下

2023-10-13

洗浄

2023-09-10

夏牛

2023-08-27

灼熱

2023-08-03

宣誓

2023-07-01

昼寝牛

2023-06-25

安楽殺

2023-05-04

漂白

2023-04-28

2023-04-14

よだれ糸

2023-03-30

牛の輝き

2023-03-18

駆け付け

2023-01-31

零下の夜

2022-12-29

慈悲を

2022-10-13

蛾花

2022-08-31

蝿取り紙

2022-08-18

泥沼(牛舎)

2022-06-29

牛団子

2022-06-15

照明弾

2022-05-13

砲撃音

2022-03-23

今はただ

2022-02-26

剖検

2022-02-05

通学路

2021-12-22

手紙

2021-12-16

子牛を拭う

2021-11-30

亡くした人へ

2021-11-17

うしうしと

2021-10-30

焼肉

2021-06-20

子牛 和牛

2021-04-12

眠っている

2021-03-07

氷割り

2021-02-24

赤い服

2021-01-01

シアン

2020-11-03

幻影

2020-09-26

目を開けた

2020-09-01

糞便

2020-08-05

偶像

2020-07-06

街並み

2020-06-25

気配

2020-06-24

尿溝

2020-06-04

激流

2020-05-15

絶叫

2020-04-11

別れ

2020-04-02

狭い中で

2020-02-09

106

2020-01-26

牛の今

2019-12-12

2019-12-05

真剣

2019-11-25

酪農

2019-09-28

漆黒を

2019-09-18

映像

2019-08-21

2019-08-17

上富

2019-06-15

ATM

2019-05-10

花畑にて

2019-04-22

ハレルヤ

2019-02-28

誰かの声

2019-02-02

黄金色

2019-01-21

今日の豊穣

2019-01-09

小銃射撃

2018-11-13

2018-10-18

友達

2018-09-26

自分語り

2018-09-13

僧の跡

2018-08-04

友よ

2018-07-27

音速超えて

2018-06-13

花の山

2018-05-02

赤いトンボ

2018-04-14

ロウソク一本

2018-04-07

自爆それと

2018-03-23

冬の中

2018-02-06

ここにあって

2018-01-22

僕は跳んで

2018-01-11

来るのを待つ

2017-12-06

MARIAへ

2017-11-01

行軍の名月

2017-10-03

同じ日に

2017-09-14

影光

2017-09-05

光 音

2017-08-24

声を出せ

2017-08-07

死にて死に

2017-07-03

雪が降る

2017-06-17

夕日の国

2017-06-08

餌を押す

2017-05-29

ただ詩が

2017-05-21

牛肉

2017-04-30

街星々

2017-04-07

では即興で返詩を。 モーモーと 鳴いて鳴いて 消える命 肉牛よ それでも生きるのだ 長くとも 短くとも 失うのはこの一瞬だけだ 一人になって 泣いて鳴いて 消え去るにしても この世界に向かって叫べ お前の命が悪い物には させない この身が届く限り 消える命よ 今は 生きれ (凛)

2 時間前

そう感じていただき、幸いです! (牛煙)

2 時間前

実は結構牛は煙を上げます。 息だったり、体からの湯気だったり、子牛が産まれる時の産道からだったり、絞ったばかりの牛乳だったり。 そういった事を仕事柄よく目にするので、上手く描写できたのかなと思います。 牛煙るという語感も良かったですね。 (牛煙)

2024-03-18

読んでいただき、感謝です! (牛煙)

2024-03-10

未だに最低気温がマイナス17度とかやっている北海道の牧場従業員です。 なので実体験を詠んでいます。 そういえば東京も雪で大変そうですね。 こうも寒いと牛も人も雲になります。 もう三月、いい加減暖かくなるはずです。 (牛煙)

2024-03-10

仕事の作品ばかり書いている羽田です。牛の詩とはすなわち仕事の詩。考えてみれば牛の誕生日の作品も多いじゃないか。 「誕生日の仕事」 穴に手を入れ 後頭部を確認する 曲がった手首をまっすぐにして 再度後頭部に手を回し 下方向に押し出していく いきみ 声を出す親牛から 両前足が見え始める 子牛の鼻が外気に触れ始め 零下の空気を吸い出している 真夜中の分娩当番 この手と判断だけが命綱 隣の牛が興味深く覗き込む中 人間は自分一人だ 血が 羊水が 親のいきみが この子を出そうとしている タイミングを合わせ 引く この手を 命綱として 黒い子牛が 滑り出た 焦点が合わない目が この世界を見始める ひくひく動く鼻が この世を吸い込む おめでとう 今日がお前の誕生日だ いずれ食肉になる運命のお前 それでも生きていけ この世界はそう悪い物ではないのだから 子牛はもう立ち上がり 母牛の母乳を飲もうとしている (B-REVIEW 3月のお題詩「誕生日」「仕事」 )

2024-03-08

子牛と小部屋(と言いますか小さいハッチと言った方が分かりやすいかも)にいた時、そこが小船のように思えました。 そこから子牛と少し漂流するのも面白いかなと。 そこの表現が上手くいき、よかったです。 (フィラデルフィアの夜に 48)

2024-03-06

>フィラデルフィアの夜にシリーズに現実とリンクする牛が出てきたの初めて見ました! そういえばそうですね! 実際子牛をヒーター付きの小部屋で哺乳している時に牧場で飼っている猫多数が覗き込んできた事から思いつきました。 あとツイッターで自分が物心をついた瞬間を描いた漫画がありまして、それも発想の元になっています。 こういうのもありかと。 (フィラデルフィアの夜に 48)

2024-03-03

>鳴かぬなら > 明日にしようか >  ホトトギス これいいですね。 なので返詩を。 鳴かぬなら 俺が鳴こうか ホトトギス (自由律俳句 三月)

2024-03-02

これを描写しましたか。 なかなか描きにくい物をうまく料理したと思います。 即興で返詩を川柳で。 募金箱 ちゃりんと鳴る 偽善箱 善は善 それで救いし 命あり (募金)

2024-02-20

連なる電車音 何処へ向かうのか 飛び交う 風 枯葉 花びら 我が友よ (連詩だよ「全員集合」)

2024-02-19

あまり気にせず肉は食べてほしいです。生産者としては。 漫画の「銀の匙」なんかを読んでもらうとわかりやすいと思いますが、そうやって人と牛などの家畜は生きてきました。 それと牛は昨日も明日もなく、ただただ今この時を全力で生きているだけではあります。 それと牛は痛いのは嫌なのは確かですが、死ぬ事については理解していないので死ぬ事は悲しいとは思わないかと。 最も長命の者も、最も早死する者も失う物は同じであるという事。なぜならば失いうるのは現在だけなのである。 マルクス・アウレリウス 自省録 2章 (星)

2024-02-17

もうなんだかんだ10年ほど牧場を変えつつ牛の世話をしております。 自分にとっては日常ですが、なかなか見れない日々ではありますね。 でかくて空気読まなくてベロベロ舐め回してきますが、かわいいです。 (星)

2024-02-16

腐敗した死体を全面に出していながら、きれいという評価が来るとは思いませんでした。 感謝です。 (星)

2024-02-16

田舎で生活しているので星がきれいだったりします。 そして真夜中に牛が出産するので度々星空を見る機会があるのです。 絶望する暇もなく牛が産まれて牛を世話しないといけない現実もあります。 死なせてしまった牛には申し訳ないものの、次に生かすしかないんですよね。 (星)

2024-02-12

命の重さと言いますか、体重800キロ以上の大人の牛の重量感と馬鹿力と、対照的にあっさり死んでいくあっけなさが結実してこの作品になったのが正確かなと。 今は最終的に食肉になる牛を育てて居ますし。 殺してしまった、死んでしまった命の上に命があるので、せめて今は輝けとの思いがあります。 (星)

2024-02-11

牛なんですよね。 人間の食糧になるために生きてもらっている訳ですが、それでも今この時を幸せでいられる様にするのは様々な点で重要だと思っています。 人員、環境的な問題と牛自身が体調不良を隠すのが難しいのですが。 もし命が星になるのなら、人間ではどうしようもない事に対して諸仏の導きを照らしてほしいです。 (星)

2024-02-10

実体験が元になっております。 先日も部署が別なのですが子牛が死んでしまいまして。しょっちゅう獣医と連絡を取り合い何とか体調が良くなるように黒いされているのがよく分かり、なんとかならないかと思っていたのですが、朝に死んでしまっているのが確認されました。 自分が世話している子牛もいきなり死んでしまう事がたまにありますし、命が星になるとは何か、と思う所がありました。 (星)

2024-02-10

塹壕に、雨が降る。 全てを濡らし、全てを腐らせ、全てを凍えさせる雨が。 体を爛れた様に思える土にまみれた男が、一人そこで銃口を覗き込んでいた。 真っ暗な先を、覗き込んでいた。 「う…………………」  何か、いる。 男は咄嗟に覗き込んでいた銃口をその声の方へ向けた。 半地下の塹壕、そこから伸びるトンネル。 見える。 聞こえる。 この場にふさわしくない風貌の誰かが。 「うらめしや……ああ、うやめしや……」 「誰だ」 「ああ、もう私が誰なのかさえ忘れてしまった。 ここがどこなのかさえもよくわからない。 ふとした時にうらめしや、うらめしやと呟くが、一体何がうらめしいのやら。 それでもかつての怒りが、妬みが強すぎるのかこんな暗がりで、呟きながら佇むことしかできないのだ。 ああ、うらめしいのはこんなわが身が一番うらめしい」 ガチャン 銃口には湿り切った泥が入り込み、錆にも見える赤土が、その銃にまとわりつく。 「俺だってそうだ。煽てられて気が付いたらここにいて、いつのまにか取り残されている。 俺は誰だった? 勇んでいたのは誰だった? ここで情けなくなっているのは誰なんだ? 俺は、本当は誰なんだ?」  ただただ雨は何の感情も抱くことなく、強くなり続ける。 鞭打つ雨が、降りしきる。 「生きろ」 声が聞こえる。 「お前さんは、その疑問を持てる人間なのだ。私とは違う」 黒い闇の中浮かぶ人影。 「……」 押し黙る男。 「ここから出ていくと言い。その銃を拾って。 本当にうらめしいのは、誰かでもなにかでもなく、きっと自分の姿でしかない。 だからきっと私は、うらめしい、うらめしいと延々と呟くのだ。 そうなっていない、お前さんはここから出て、生き続けてくれ」 「ああ、うらめしいという言葉以外に声を発したのはいつ振りか。 ああ、他の者にこの身を見られたのはいつ振りか。 恥ずかしいこの身でも、関わりを持てるのは、温かい」 重い腐ったような銃が、男の肩に再びかかる。 思い出したかのように、荷物から雨衣を取り出した。 「あなたの無事を祈ろう。うらめしやというのはもう飽きた」 男は一礼し、去って行く。  雨は収まり始め、銃声は響いてくる。 「うらめしや、うらめしや。無事でありますように」 人影が一人、呟いていた。 (B-REVIEW 2月のお題詩「幽霊」 「秘密] )

2024-02-10

返詩を、と思いましたがかなり自分の詩となってしまったのでリンクを張らせていただきます。 よかったらどうぞ。 https://www.breview.org/keijiban/?id=12367 (僕はね)

2024-02-10

しばしば牛の出産介助を行う牧場従業員として少し思う所がありますね。 世話しているのはいずれ肉になる和牛ですし。 これを返詩としておいておきますね。 https://www.breview.org/keijiban/?id=10430 (受難)

2024-02-05

それでは返詩代わりにこれを置いておきます。 よかったらどうぞ。 https://www.breview.org/keijiban/?id=1524 (自分の愛し方)

2024-02-05

ありがとうございます! (フィラデルフィアの夜に 47)

2024-02-03

作者の人生感がよく表れていますね。 即興で返詩を短歌で。 手を伸ばす 怒涛の雨垂れ 肉となれ 我が身となれ 茶を入れよう (夢見るなら怒濤の雨垂れも)

2024-01-28

レイ・ブラッドベリは知りませんが、銃夢は一通り読みました。続編は読んでいませんが。 そう言われるとクズ鉄街の雰囲気が近いですね。 ゴミだらけで汚れ切って色々腐敗してながら、人によっては地面に足を付けて懸命に生きている感とか。 実は小説家になろうの企画で勇気がテーマのファンタジーを募集していたので書いた作品になります。 あと先月に夢の中でというテーマの童話を募集していたもののフィラデルフィアシリーズで書き忘れていたので、そのテーマもついでに盛り込んでいます。 >汚れ切った一張羅に身を包まれながら。 この箇所ですが、自分も気に入っています。 自分が元普通科(要するに歩兵)の自衛官でそれからずっと牛相手に仕事をしていたのもあって、汚れた服というのは場合によっては勲章になり得るという思いがあります。 この人物にとってもきっとそうなのだと。 (フィラデルフィアの夜に 47)

2024-01-28

詩的な表現の中にこの世の片隅でどうしようもなくダメかもしれない存在への莫大なまでの愛を強く感じます。 瞬瞬さんでないと書けない空気です。 薬絵というのは初めて聞きましたが、治療効果のほどはともかくインパクトのあるものではありますね。 即興で返詩を、川柳で。 歌おうか 薬絵キメて 生きそびれ それでもよ 「かっこつけてぇ」 浅草線 大丈夫 薬絵飛ばす 赤い月 (「お・れ ÷ ひ・ず・み」)

2024-01-22

急患が運び込まれる。 大きな動物咬傷から血液が噴き出し、早急にオペの準備に取り掛かる。 グズグズとなった傷口は深く、骨にまで至っている。 本気で噛みついた、イヌ科動物の口特有の傷が目の前にある。 時間が止まる 視界はモノクロになり、彼の、噛みついた動物のヴィジョンが見えた 怖かったんだな。 度重なる警告を無視されて。 野生化した動物に、こちらの都合は何も通じない。 手を出した。それは親愛の証だったのかもしれない。 血管、神経が損傷し全治がいつになるのか見当がつかない大怪我として帰ってきた。 汚れた口、傷だらけの体、恐怖を重しとして引きずる毎日。怒り。 この患者の怪我に抗生物質を投与しする。 疑心暗鬼を発した、身を守ろうとした攻撃は、お互いの悲劇となる。 噛んだ彼がどうなるか、悲惨な展開しか思いつかない。 安楽の時を過ごしてくれ。 せめて走馬灯の中で。 願わくば、その中で時間を止めてくれ。 唸る患者は麻酔に浸り眠りについた。 滅菌された器具と共に、この傷との戦いに臨む。 (B-REVIEW 1月のお題詩「犬に噛まれる」 「時間停止AV] )

2024-01-17

元自衛官として思う所もある短歌もありますね。 >後ろ手に手枷繋がりはじめて輝けるイエス ひとの仔ならむ 大学がキリスト教系で聖書もある程度読んでいたので、これも印象に残ります。 即興で返詩を。 小銃 背負いておもい この平和 死ぬ事なかれ 花散るなかれ (短歌連作,「白花黄変」)

2024-01-08

最上の時にも最悪の時にも人は芸術を必要とする。 ゲーテ なんかこの言葉を思い出しましたね。 エセ詩人だとしても、芸術的な何かが欲しかったのかもしれません。 それはそうと、またしても妙な世界線にこの人を紛れ込ませてみますね。 いや、なんだかクロスさえて見たいのがありまして。  彼は、また何も書いてない紙に向かう。 一切の確信もなく、助けを求めるかのように。誰かを、自分を、欺くとしても。  何も書けないまま。 「レンジャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」  何故か背後に屈強な男たちがいた。 汗と泥で汚れた迷彩服に、重厚な装備を身に着け、肌が出ている部位にはべっとりと黒と緑と茶と黄色のドーランを塗り付け、それが煌々と光る眼球を目立たせている。 「レンジャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!」  あの、何……? 「レンジャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」 えーと。 「レンジャーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!」!!!!!!!!!!!!!」 するとレンジャー記章を配した紫の旗を突き出してきた。 え? と、思う間もなくつい手にした時。  身に着けている物が、彼らの者と一緒になった。 頭の鉄帽が早くも擦れ始め、戦闘靴はきつく、首から下げている小銃が食い込み、立つのもままならない程の背嚢が圧し掛かる。 「レンジャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!」 戸惑っていると。 「レンジャーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!」!!!!!!!!!!!!!」 「レンジャーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!」!!!!!!!!!!!!!」 「レンジャーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!」!!!!!!!!!!!!!」 「レンジャーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!」!!!!!!!!!!!!!」 絶叫する男たち。 そして教官、助教。 歴戦の戦士である彼らに胸ぐらを掴まれ、睨みと共に言われた。 「レンジャーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」!!!!!!!!!!!!!」 「1,1、2 レンジャー!」 「1,1、2 レンジャー!」 「1,1、2 レンジャー!」 「1,1、2 レンジャー!」 「1,1、2 レンジャー!」 「1,1、2 レンジャー!」 「1,1、2 レンジャー!」 「1,1、2 レンジャー!」 「1,1、2 レンジャー!」 歩調に合わせ、喉が潰れても声を挙げ続ける。 何も見えない真夜中の山中、少し前にはこんな事になるなんて思ってもない。 それでも引きずり込まれる様に彼らとただひたすら叫びながら、全身の痛みを堪える暇さえ与えられず、何処までも走り続ける。決して落としてはならないと本能が訴えるレンジャーの旗を手に握りしめながら。  暗闇の向こう。誰かいる。 「レンジャー!!」 教官の号令と共に、等間隔を見よう見まねで開き、直立姿勢でその誰かを前に整列する。 誰だ? 「レンジャー!」 すると彼らは全員の背嚢に明らかに重い石を入れ始めた。 ついでに砂が入った手りゅう弾に似せたペットボトルを背嚢のベルトに結び付ける。  そして、指を刺した。 「レンジャー!」  更に高い山の頂上を。  急斜面を滑りながら駆け続ける。自分のペースで足を運べない階段状の段差がこんなにキツイとは思わなかった。 それでも手を膝に乗せる訳にもいかない。 この旗を手にしているのだから。 「レンジャー!」 「レンジャー!」 「レンジャー!」 「レンジャー!」 後ろから彼らが押してくれ、幾分かは楽になる。 いや、それに頼る訳にはいかない。 屈強な彼らさえも限界が訪れているのだ。 「れ、レンジャー!!」 声を出し、進んでいく。  山頂にズダボロになって滑り込んでもそこはゴールじゃなかった。 水は持っていても飲めない。食料も持っていても食べられない。 死にかけた誰かのためのものだから。  固いアスファルト、極限の体力をゴリゴリ削っていく。 全身に掛かる重量は、何もかも追い詰めていく。  朝が明けていく。 何も見えなかった、本当に何も見えない闇の世界が、わずかづつ形態と色彩を取り戻していく。 アスリート以上の肉体のレンジャー訓練隊のみんなも、教官や助教ですら限界を超えているとわかりつつ、それでも走り続ける。 「1,1、2 レンジャー!」 声を出して。 目の前の風景が、慣れ親しんだ住宅街になっていく。 スタート地点となった家が見える。 そこにたどり着いた時。 「レンジャー!」 教官の号令と共に整列。 ただ、エセ詩人だった彼が一人立つその前に整列して。 「れ、れ…………レンジャー……」 レンジャーの旗を返納した。  彼は元の服装に戻った。 白い紙に虚無に向かっていたあの時の。  すると教官が迷彩柄の帽子を彼に、乱暴に被せつつ、叫ぶ。 「レンジャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」 「1,1、2 レンジャー!」 「1,1、2 レンジャー!」 「1,1、2 レンジャー!」 「1,1、2 レンジャー!」 「1,1、2 レンジャー!」 「1,1、2 レンジャー!」 レンジャ―訓練隊は号令と共に、走り去っていく。 体力も気力も限界何て言葉じゃ足りない状態なのに。  エセ詩人は涙ながらに直立不動、拙い挙手の敬礼をしたまま、見送った。  あのレンジャー訓練隊には、詩はない。 それどころか文学の欠片もない。 何かをやらなくてはいられないものは、果たしてあるのか。 酒と女と娯楽以外に。 ない。 あるのは体と心と使命感、義務感だけだ。  たった一晩、一緒に三途の川を渡る寸前まで走り続けてそれがわかった。  自らはエセ詩人なのだろう。 それでも体と心を持ち、何かの使命感、義務感に燃えるのならば、それはそれで価値があるのではなかろうか? 釈迦の言った言葉を思い出す。 「善い言葉のみを語れ」  自らはエセ詩人だとしても、自分とどこかの誰かにとって、例えばあのレンジャー部隊にとって善い言葉を語り続ければ、優れた何かにありえるのではないか。 使命感と義務感に燃えて。  迷彩帽を目深に被り、彼は家に。 そして、真っ白な紙に向かう。 目を閉じれば思い浮かぶ、あのレンジャー訓練隊を描き出す。 (エセ詩人)

2024-01-03

ここまで般若心経を引用した作品はそうそうないでしょう。 でもこれが諸仏の本願かもしれないです。 (眠りの中で)

2024-01-03

>一体ネズミたちはどこへ行ってしまったのか?そうして彼らは、インターネット上からも排斥されているような気がする。 「七対三が奇跡のバランス」だと言っていたキャラクターが銀魂にいましたね。それが気づかぬうちに損なわれたか。 時代の流れとはいえ、ある意味では多様性がなくなっていくのかもしれません。 >障害を負っていることさえ、それはドロドロとした人間味にタッチしない。 少々みんな疲れているかもしれないですね。生きてりゃ色々ありますんで。 ちなみにおすすめの雑誌は科学雑誌のニュートンです。赤い縁取りが印象的な。 普段なかなか手が出ない最新科学や数学の基礎、知られざる身近な生物の事柄なんかをわかりやすく解説しています。 大体の図書館にバックナンバーがそろっているので、時間があればどうぞ。 (2023年の書きおさめ)

2023-12-22

そこに諸仏が訪れる あまりに不穏な気配に 慈悲を念じ 天を覆うほどに 光と共に降臨する 轟き響く 筆に表れられないほどの 祈り (記憶の宝石(連詩の試み))

2023-12-22

剖検の結果、肺にマイコプラズマが潜んでいた膿瘍があってそこが破裂したのが原因なようです。 一時期かなり体調が悪かったのが持ち直したのですが、外見や聴診ではわからない爆弾が爆ぜてしまいました。 良くも悪くも世界は続いていく。それが痛感した出来事でしたね。 なので自分なりによい物を遺す所存です。 (遺す)

2023-12-16

これは力作ですね! 構図もいいですし、客観的な壁の描写とその壁に茂り続ける草の狂気じみた思考が並列に描かれるのは斬新でよいです。 即興で返詩を川柳で。 海のよに       食いつくす 壁に波打つ      傲慢不遜 茂る草        覚悟せよ (壁を覆う草の葉)

2023-12-14

コタツよな 温もり集う 牛団子 焦げるよな 赤熱線に 牛あくび 雪が降る 黒毛の上に 粉砂糖 それでも眠い コタツ下 餅のよに くっつきあって 目をつむり 犇(ひし)めき合って 眠り付く 辛うじて 繋ぎとめたる 命あり 低体温 生き延びろ 祈りと共に スイッチ入れ 原子力 石油石炭 火を灯し 紡ぎたりたる 牛命 絶えるなかれし 北の電力 冬になり ヒーター縋る 子牛たち 続けよ続け この平和 続けよ続け 牛たちの命 (B-REVIEW 12月のお題詩「こたつ」 )

2023-12-07

こういったシリーズをビーレビューに投稿してあるだけで46作品にもなってしまいました。 よければこの他のもどうぞ! (フィラデルフィアの夜に 46)

2023-12-06

奇妙な世界を書き続けている連作ではあります。 しつこく書き続ける所存なので、良ければどうぞ。 (フィラデルフィアの夜に 45)

2023-12-03

かなり好き勝手書いてはいますが、独自の世界観を作る事には成功しているようです。 今回は針金が思念が物質として現れたと言えますね。 (フィラデルフィアの夜に 45)

2023-12-03

今月号の科学雑誌ニュートンに生えている朽木を菌糸で青く染め上げる青いキノコと言うのが載っていまして、そこから発想を広げて不思議な方向に行ってしまったのが今回の話になります。 筆力が安定しているとのお言葉、褒めていただき感謝です。 早急にプロフィール文を送付いたします。 送ったと思ったのですが間違いがあったかもしれません。 (フィラデルフィアの夜に 45)

2023-12-03

ここまで根雪を押してくる会話と言うのもおもしろいですね。 即興で返詩を川柳で。 「根雪です」 霜下りずに 冬が来る 「根雪です」 薬出されて 春が来る 霜月で 根雪診断 雪埋もれ 「根雪です」 医者の正体 冬将軍 (病気)

2023-11-27

三内丸山遺跡と青森県郷土館を訪れ、以来縄文土偶マニアになってしまいました。 先月土偶を見るためだけに長野に旅行に行きまして、強行軍で主だった博物館・美術館の土器土偶を見てきました。 長野と山梨にある土器土偶は装飾性が強いので有名ですが、あまりに予想外想定外の形状と迫力に衝撃を受けての作品になります。 北海道にある土器土偶は比較的素朴なものが多いですが、長野では同時に展示されていた現代美術が完全に霞むものばかりでした。 素朴な物が悪い訳ではないのですけれど、あの長野で見た土器土偶たちから「お前も声を出しやがれ」と言われたような気がします。 (今 声を出す)

2023-11-17

こう言った対立については倉本圭造氏をおすすめしますね。 いかに対立せずに中道を歩むのか、具体的な考察をしています。 この記事辺りから読むのがいいかもしれないです。 https://note.com/keizokuramoto/n/nbd1dee869eb9 https://note.com/keizokuramoto/n/n3bae79115cea (言いたいこと)

2023-11-15

なんだか物凄く深読みをして下さっていますね! 全くそこまで考えていなかったのですが、 >自分で作り出した像に対して責任を取る姿勢が執拗な繰り返しにつながっているのかもしれない これとか斬新な解釈です。 責任を取るために繰り返すのは確かにあり得ます。 しかしなぜそこまでして責任を取らねばならないのかという問題が発生しますが。 自分では至らない発想をありがとうございます。 (フィラデルフィアの夜に 44)

2023-11-12

>子牛の死についても言及されているのかもしれません。 これは予想外の解釈ですが、そうも読めなくはないですね。 特に和牛の子牛の場合かなり病気に弱かったりしますし。今朝元気だったのに夕方死んでしまっていたケースも度々あります。 >「死」が全体を浄化している、あるいは浄化を願っている詩の祈り これも予想外です。 そう言われると浄化という祈りは存在しています。 この子牛を守るのが平和につながると考えるのは、そういう側面はあるかもしれません。 (空の下)

2023-11-12

都会の会社だとこのような会話が交わされているのでしょうか。 田舎の陸上自衛隊普通科連隊と田舎の牧場で牛にどつきどつかれる仕事しか経験がないので全くわからないのですが。 ではこの作品の人物二人に変な世界線に入ってもらいますね。なんだか思いついてしまったので。 筒井康隆「鬼」見たいなノリで。 モー 会話を交わす二人に聞きなれない声が届いた。 見るとすぐ横に、牛がいた。 推定体重800キロ、文句ないホルスタインだ。それもでかいホルスタインだ。 「キミ、なんだねこれは」 「牛です。それは間違いないです」 「だからなんでここにいるんだ?!」 「こっちが聞きたいです。東京の真ん中でここはビルの中です」 牛は好奇心旺盛な目で、二人を見る。 歯をちらり見せながら、鼻をゆっくりゆっくり近づけてくる。 フンフンフン、コーン風味の息を放ちながら社長が読んでいない手に持っている日経新聞と東洋経済に興味を示す。 「牛も興味を持つ日経新聞と東洋経済なのに社長は読まないんですね」 「牛が文字を読めるかよ」 長い大きな牛タンを伸ばし、日経新聞と東洋経済を舐め回す。 ついでに牧草の様に、日経新聞と東洋経済を咀嚼し出す。 「あ、こら。止めろ」 「食うんじゃない! 腹壊すぞ!」 すると牛は二人の手に舌を伸ばす。 金たわし並みの、下手なヤスリ以上のザラついた牛タンで二人のロレックスとその周囲の肌に襲い掛かる。 「痛い!」 「うわ、嘘だろ!」 その声に驚いた牛。 ぶもおおおおおおおおおおおおおお! 一気に駆けだした! 「うわ、止めろ!」 「そっち行くな!」 もう日経新聞も東洋経済もない。 知性も自信も意味がない。余裕さえも消え失せる。 社長にも社長の奥さんや社長の愛人に恩義を感じる暇もない。 ブルガリもダーバンも役に立たない。 ジムで鍛えはずの体力も一切通じない。 人の十倍以上の体重を誇る、遠目にはかわいい牛の暴走を押し留めるのに精いっぱいだ。 パニックになる会社中で、奮闘するのみだ。 牛は丁寧に磨かれた床に大小便を容赦なく垂れ流しそれに足を取られ、咀嚼しかけた重要書類を取返し、パソコンに近づけないので全体力を持っていかれる。 想定外の重量で椅子を壊し、机をひっくり返す。 扉は頭突き一発で破壊され、観葉植物は次の反芻のために第一胃に送られ、気分で放った後ろ蹴りで重い金庫が倒れた。 牛の匂いが会社中に充満した頃、二人の奮闘で牛を廊下に追い出すことに成功する。 牛は、なんだか満足した様で、まっすぐエレベータの方に行くと、鼻でスイッチを操作し、いい気分で悠々と一階へ降りて行った。 「…………」 「…………」 「あの……意見は色々違いますが仲良くしましょう」 「そうだな」 「もう体力は尽きてますが、片付けしますか」 「……だな。掃除道具を持ってくる」 最近読んでいる岩波文庫が足元に転がっている。 何となく読み出した原始仏典スッタニパータを訳した「ブッダのことば」が風にめくられ、ひとつの言葉が目に入る。 ”牛は友達である” 「……なら、本当はみんな友達なのかな」 (日経新聞と東洋経済に包まれて)

2023-11-04

どこまで実際あった事なのかかわかりませんが、リアリティを感じますね。 おばけのQ太郎の使い方はいい使い方だと思います。なかなか酷い悪ふざけですし。 即興で返詩を長歌で。 大人には なんかならないよ 子供にも なれはしないんだ 泣きながら 股間反り上げて 「ぼくはオバQ」 (「俺とおばQ」)

2023-11-04

ダメな人たちなのかもしれないのですが、なんだか愛おしい人たちと情景が浮かんできます。 即興で川柳を。返詩として。 クズだけど 笑いあおうよ 変わらずに (「吉原の子、好きになった 2011」)

2023-10-30

ドンキホーテ くるくる回る カフカと共にバレリーノ カードも 工場機械も回り 回る運命 木の精霊 司る (古城 (連詩の試み))

2023-10-30

動物も人間も後先考えずにその場の勢いで生きているところはあるので、”動物人間”という言葉はどうかなと思いますが。 >決して強くはない同じ生命同士、地道な営みを紡ぎながら支えあう。 「我々は協力するために産まれてきた」 マルクス・アウレリウス 自省録 この営みが互いを支えあい、平和につながるのを祈り信じるとしましょう。 (空の下)

2023-10-23

なんだか一つの詩のようなコメント感謝です! 根拠なく信じるしかないところはあるんですよね。 でもそれで良い方向を向けるならそう信じるのは悪くありません。 自分もまた続けます。 >その瞬間だけ、舜舜とした星空が満点に広がったよ。 一行詩としても十分評価できるコメントですね。 (空の下)

2023-10-21

なんだかんだ牛と肉体労働が性にあっていて好きでやっています。 何か問題が発生して牛が死んでしまう事はたまにあるのですが、それ以上に世話をしないといけない牛がいるので、それどころじゃないのはあります。 世間では知られていない、一部からは悪く言われる仕事について理解しようとしているのはありがたいです。 決して不遜なんかではありません。 コメント感謝です。 (空の下)

2023-10-20

最近子牛の哺乳を夕方から夜中にかけて行ったのですが、イスラエルの件が発生した後のことでした。 自分の仕事や営みが災難の解決に少しでも貢献できるのを願い信じるしかない所はあるので、こういった作品になりました。 四日ほど前には毛玉が胃に詰まったのが原因でその前の日まで元気だった子牛が亡くなるという事が起こっています。 生きる事が呪いであっても、死んでしまったら悲しく思うのも事実。 せめて今の時はできるだけ良くしていきたいですね。 良いとおもってくださり、幸いです。 (空の下)

2023-10-15

ここまでしつこく生業でもある牛を元にした詩を書く奴はいないのですが、それが好評なのが幸いです。 今回は出産直後のネグレトされた子牛の哺乳という酪農畜産の関係者しかわからない状況ですね。そう言えば。 これはつい最近、仕事終わりの夕方から夜中にかけて哺乳した体験が元になっています。 初産で産まれた子牛にも同じく哺乳して、母牛に付けたりしますが。 白眉と評された連、これも実体験です。 北海道はもう寒くなっており、寒さで震え出した子牛に真っ赤なヒーターで暖めました。その時にはもう星空が見える時間帯だったのです。 掲載の件は了解です! 割りに軽い気持ちの投稿だったので、掲載はうれしく思います。 ご連絡お待ちしてますね。 (空の下)

2023-10-15

>一隅を照らすこれ則ち国の宝なり 確か天台宗でよく言われている言葉ですね。 今できる事を全力でやるのは間違っていないでしょう。 それがどう良い方に繋がるかわからないのはありますが。 あと育児放棄してしてしまう牛はたまに出て来ます。 興奮気味に子牛をかわいがる牛ももちろんいます。 自分の仕事は食糧生産につながりますし、他の仕事もそう悪い事にはおそらくそう悪いことにならないと信じていきましょう。政治家の仕事にも注視しながら。 (空の下)

2023-10-15

なんでこのような情景が思い浮かぶのか自分でもわからず、またかなり書きながら考えて(というか掘り起こして引きずり出すというか)いるので、自分の中の不思議ボックスにいれたままだと整理がつかなくなりそうではあるのです。 確かに夢の中の出来事のようにも思える話です。 でも事実なのかもしれません。 まあわからないですが。 そういえば八咫烏は日本神話で神聖な存在でしたね。 ここのカラスはどういう存在なのかはっきりしませんが、悪い存在ではないのは確かそうです。 牛舎にカラスが入らなければそれだけでとても良いことなのですが。 (サルモネラを媒介する可能性があるのです) (フィラデルフィアの夜に 44)

2023-10-07

悪夢的と言われた事のある作品群ですが、悲劇的な事にはまずなっていません。 針金にまつわる不可思議な出来事が起こり、その描写に力を入れてます。 文体を書き分ける事で場面ごとの緊張感を変える事ができるのでは、と思いこのシリーズでは実験的に「ですます調」と「だ・である調」を両方使っています。 一定の効果はあるなと思っていたのですが、指摘されたのは初めてです。 やはり効果はあったのですね。 上手くいったようです。 (フィラデルフィアの夜に 44)

2023-10-04

こういう物を気が付いたら70作品書いています。 ビーレビューに投稿しているだけでも44作品です。 フィラデルフィアシリーズと気が付いたら称されております。 流石に初期の物は拙いですが。 今回は杉浦日向子の漫画「百物語」(新潮文庫版と愛蔵版があります)から発想を得ていまして。 その中に収録されている話の一つに、「奇妙な話を集めているご隠居の元に、不思議な体験をした女性が訪れる。彼女が言うには、気配がして目覚めると、鴉が旦那の目を引っ張って自分の胸元にくっつけていた。あっ、と叫ぼうとしたが鼻の下にはなにもない。鴉が『一晩借りるだけじゃ』と言いつつ振り返ると、旦那の目と自分の口が鴉の胸元にあった。夜が明けると元に戻ったが、旦那は空を飛ぶ夢を見たと言い、自分は散々叫んだのか喉が痛かった」というのがありました。  この鴉が目を借りるという発想を拝借しつつ、独自の世界を展開させてみました。 (フィラデルフィアの夜に 44)

2023-10-04

確かにそうですね。 どうにも反復が好きなので思いっきりやってしまいました。 (友よ 友よ 友よ)

2023-10-02

ではもう一つ。方向性を変えまして。 役目を終えし 土くれが 姿と呼吸を取り戻す 縄文土偶 この世で再び 声を出す (詩入門 五行歌)

2023-10-02

それでは即興で。今日見た光景でも。 あたたかくなって 眠りつく うつらうつらと 真っ黒な子牛の 牛団子 (詩入門 五行歌)

2023-10-01

愛別離苦とは昔から言われている事ですが。 別れる人には、祈りを捧げるのが礼儀ではあると思います。 今は、手を振るい、よい詩作ができるのを祈るのみです。 (友よ 友よ 友よ)

2023-09-28

思う所はないわけではありませんが。 今のところ、前と同じく詩を書き続けるという事になります。 ビーレビューも出来る限り詩を残す空間でできる限りあり続けてほしいというのがユーザーからの願いです。 (友よ 友よ 友よ)

2023-09-28

現状、静観が妥当な気はします。 自分も状況はよくわからないのもあるのですが。 >同人誌の編集方針に関する悩みが詩として掲載されるというのはあまり健全ではない気がしますね。 愛着がある空間も異変についてですので、多少はよいかと思います。 あまり多くなるのはちょっと問題ですが。 (友よ 友よ 友よ)

2023-09-28

結構な人が去っていく事になってしまいました。 >ただ、この寂しさを受け入れて、今後の詩作の糧とすることにしようと、そんなふうに思いました。 今回はこれに尽きますね。 お互い良い詩作ができるように祈るのみです。 (友よ 友よ 友よ)

2023-09-24

歯を食いしばり 列車は煙を上げ続け走り続ける どこに行くのか自分にもわからない余りに 「うがあああああああああああああああああああああ!」 絶叫 (旅路 (連詩の試み))

2023-09-23

安定の瞬瞬世界ですね! しかしいきなりメールアドレスが侵入してきたり、よく見れば喜劇の様な傷害事件の描写があったり油断なりません。 どうにも即興で。ひとつ。 「あったかい?」 何かと聞かれ 「ガボの手って」 (「koko T」)

2023-09-23

ナウム・ガポの意味が分からなかったので調べて見たら、芸術家の名前みたいですね。 代表作のひとつがキュビズム的な女性像(この表現が間違っていたらすいません)になるのでしょうか。 となると、この作品に出てくる少女がもしこの女性像の外見をしていたとしたら、かなり印象が違ってきます。 >グロイ地下室 これは前衛芸術ばかりを集めた収蔵庫? >眩しさ、優しさ、ぜんぶ寂しいね 少女が忘れられていた芸術作品だったからそう言った? >あいつら、そっとしといてやろ あいつら、という複数形が使われていたのは、奪ったハイエースに少女と一緒に積んだ芸術作品? >ゆたか、もう死んでるだろうね ゆたかってコレクターの名前か? 最後の方の表現は、それだけ芸術作品と深く交わり、影響を受けたと言う詩的表現? もしやダブルミーイングの詩なのかもしれないと憶測しました。 即興で短歌を。 たまんねぇ クソな世界で 楽しんで 空っぽ俺たち 絶頂だよ (「ナウム・ガボ」)

2023-09-12

それでは返詩を。 「バカになりますよ」 馬鹿になろう。周利槃特のように。 「バカになりますよ」 馬鹿になろう。一心に塵を掃いて、垢を除く。 「バカになりますよ」 馬鹿になろう。牛糞を手づかみして、除く。 「バカになりますよ」 馬鹿になろう。木偶の坊と呼ばれよう。雨に負けることなく。 「バカになりますよ」 馬鹿になろう。沼に落ちた象を助け出そうとしよう。 「バカになりますよ」 馬鹿になろう。人知れず苦しむ牛馬を見つけ、癒そう。 「バカになりますよ」 馬鹿になろう。へばりついた糞を素手だろうと剥がしにかかろう。 「バカになりますよ」 馬鹿になるのだ。常に全てを軽んじなかった、軽んじられた菩薩を目指して。 「どんどんバカになりますよ」 馬鹿になるのだ。今この時も愚か者が必要とされている。 「早く私のような高次元の存在になりなさい」 そんなあなたのために、泥沼に汚泥に牛糞の山に飛び込みましょう。 あなたが輝きますように。 (またマンガを読んでいるんですか)

2023-09-11

わざわざありがとうございます。 動物福祉でしたね。勘違いしていました。 (洗浄)

2023-09-11

子牛たちは容赦なく壁を汚して去って行きました。 そんな汚れは見ようと思えば色々に見えてきます。この間高圧洗浄で洗い落としていた時に実際、牛の姿に見えたり。 そこから発想が広がってできた作品です。 今目の前にいる牛に、全力で対応するだけではあるのですが。 最後の連は、もう祈りみたいなものです。 (洗浄)

2023-09-10

この詩を書いている時に少し頭にあったのは某所の畜産センターの牛の扱いが酷いと言うネット記事でして。 話を切り取られている可能性はあるものの、牛の扱いが昭和のままだったのかなと思う話でした。 アニマルライツ(動物の権利)というのが最近欧米から入って来ていて多少なりともそれを考慮しないといけないものの、現実として限度があるよなとも。 本気で意地を張った体重600キロの巨大生物を動かすにはそんな事言ってられない現場がありますし。 大体、「あなたがそんなことされたら我慢できないだろう」と言う人はいるでしょうけど、人間の数倍の骨の強さと痛みの鈍感さと今この時しか生きていない脳を持っているのが牛なのです。 とは言え最大限やったつもりでも、どうだったのか、子牛たちは全力で生きているだけで答えてくれないです。 そういう祈りみたいなのが最後、出て来ました。 (洗浄)

2023-09-10

では昔自分にしばしば起こっていた事に置き換えて、返詩を。 あのね 牛って思ったより強くないのね ぬるくなった、地面に広がった、牛乳に顔が映り、その水面に向かって言った。 立てなくなった牛に、怒鳴り、蹴り上げ、立たせようとしても、その牛は立つ気を失っていた。 あのね 牛って思ったより 弱くもなかったの みんなの心は全部、下に溜まっていった。換気扇ががなり立てても、クラクラした。 あのね でもね 心はすでにボキって折れて。ここまでやった。もういいかなって。 タイミングを待って、一思いに牛が立ち上がっていた。 搾れなかった牛乳が乳頭より噴き出ている。乳房炎の薬で青い牛乳なんて飲めたもんじゃない。 それでも、そう、口の中に安堵の味が広がった。 (辞世の唄)

2023-09-04

最後の句がいいですね! ですので、即興で返詩を。 次回予告 それでも牛に 頭突きされ (酔い句 自由律俳句七編)

2023-09-04

北海道でも暑くて大変だったので、本州などではさらに大変だったでしょう。 何せ熱帯夜がありますので。こっちにはないのです。 牛に限らず、みなさん暑い中お疲れ様です。 また秋が来ます。 (夏牛)

2023-08-28

生き物相手なので大変ではありますが、結局好きで働いています。 「お疲れ」暑い中育ってくれる牛を見ると思わず出ました。 人様のことはまるで考えず全力で生きているだけの牛なんですけれど。 (夏牛)

2023-08-28

とてもいい品、という評価だけでもありがたいです。 もし再び読む機会があり、そのときにでもフラットに読んでいただけたら幸いです。 (夏牛)

2023-08-28

スマホだと思いっきり構成が崩れてしまっているかと。 それでも楽しんでくれたら幸いです。 あまり深く考えず書いていった所はあるので、参考になるでしょうか? 珍しい構成をやったのでサンプルにはなるかもしれませんが。 食欲の秋に頂いて下さい。 全力で生き抜いた牛と必死に育て上げた従業員の結晶ですので。 (夏牛)

2023-08-28

フィラデルフィアシリーズはアウトサイダーアートが元になっているのもあり、やりたいようにやっております。 警鐘というのは考えていません。世の中の流れから外れた人物や舞台を良く出しているのでそのように感じるのは当然かもしれないのですが。 自分の特性として基本的に仕事全般と牛が好きと言うのがあり、そのためプロレタリアートと言うより牛を主題にした労働賛歌の側面が強くなっています。 自衛隊時代の経験を元にした作品でもその傾向はあります。 好きな事を題材にしてしまうと苦しみというのは出にくくなるのではないでしょうか。 結局好きな事をやっているからプロレタリアートから離れて行ってしまったのかと。 (夏牛)

2023-08-28

北海道も今年はしつこく暑いのが続きましたが、ようやく落ち着いてきました。 文字の配置は自分のパソコンだと問題はないのですが、スマホだとなんだか訳が分からくなっていました。 少し特殊な配置なのでこれは仕方ありませんが。 夏だと基本的に暑さに弱い牛なので、病気が蔓延してしまう事があります。 換気を徹底して、牛舎を石灰塗布したり水槽を小まめに洗ったりしますが、なかなか完全に予防は難しいですね。 軽い熱中症になったのか、体温が高めで息も荒い牛も出ることがあります。 それでも夕方になって大分落ち着く事もあるので、最後から2連目は割と本心です。 (夏牛)

2023-08-28

では呼ぼう 黒い畑へ 大声で 灼熱で 焼けた黒い子よ 何を願い 望み祈りて 突き刺さる 「友よ友よ」と スケアクロウ 畑の同胞へ (交感 (連詩の試み))

2023-08-27

即興で返詩を川柳で。 「わが友よ」 電車に触れ 明日へ行く (電車)

2023-08-15

それでは一番最初の句からコークの季語を貰って返詩を。即興で。 傾けし コークの雫 喉に落ち (俳句)

2023-08-12

帯広という割と僻地でしかやっていない世界唯一の競馬ですが、お勧めですよ! 重量感とスピード感に注意して書き上げました。 そこは上手くいきました。 (灼熱)

2023-08-07

こないだ帯広に動物園のアメリカバイソンとばんえい競馬を見に行きまして。 (散々牛を毎日世話しているのに休みにまで牛を見に行くのは我ながら頭を牛にやられている) 実は一般的なサラブレッドのレースを生で見た事がないので比較はできないのですが、結構馬との距離が近い印象です。 その上、重種馬という体重一トン近くで体高も小柄な人並みにある巨大な馬がソリを引く競技ですので、独特の迫力と面白さがあります。 またばんえい用の馬とサラブレッド、ポニー、ミニチュアホースにヤギと兎まで展示しているミニ動物園が併設されているので、ギャンブルをやらない方にもお勧めです。 この動物園ではばんえいの馬に相当近くまで接近でき、迫力とかわいさを体感できる場所も他にないと思います。 もはや帯広でしか見る事の出来なくなった競馬ですが、レースはネットでも見る事が出来、また漫画「銀の匙」でも取り上げられているので、ご覧になってはいかがでしょうか。 (灼熱)

2023-08-03

はねだきょう、と名乗っております。 そういや少し名前が似ていますね。 すいません、フランスの詩自体ほぼ読んだことがありません。 ランボーを少し立ち読みした程度です。(その前にランボーがフランスで合っているのか?) ヘッセとゲーテは新潮文庫の詩集を持っているのですが。 自分なりに推敲した結果、フランス詩選集にあるような形態になったのかもしれないです。 (灼熱)

2023-08-03

>自衛隊に入ったらもうビールは飲めないのかな 自衛隊時代に散々ビールを飲みまくっていた、牧場従業員です。 民間の方のイメージってそうなんですね。 元々いた部隊の宴会では会場のビールをすべて飲み切っていた酒豪中隊にいました。 何気に36歳をとっくの昔に過ぎましたが、30代は延々と牛にもまれ続けていたので36歳だからどうこうというのもない気がします。 多分40代も変わりませんけど。 >その暗黒の思想といいますか、そういったものがもっと発露されてもいいのではないか。 なるほど。下手したら炎上する時代ですので以前より表現が難しくなっているのはあるのでしょう。 >それにしたって文学に「気迫」がないのかも知れません。 自分に言われている様な気もしました。 また無理のない範囲で作品を投稿してほしく思います。 こういうエッセイ的、私小説的なものもビーレビューのいい刺激になりますので。 (入院手記(鬼言(幻聴)2))

2023-07-30

詩やエッセイというよりビーレビューには珍しい私小説が正しい気がします。(私小説は2,3くらいしか読んだ事がないのでなんとも言えませんが) ちなみにインド仏教にお骨への信仰が皆無かというと、釈迦を火葬した際の骨(仏舎利)を数多くの人が求めて、最後の方だと灰まで持っていって方々で奉ったそうなので(マハーパリッニパーナ:漢訳だと涅槃経)在家の人にはあったのかなと。ちなみに卒塔婆や寺にある塔は仏舎利を奉納した建物が原型らしいです。 また生まれ変わりや死後の行き先について釈迦が言及した部位は意外とあちこち(自分が確認した限りだと原始仏典スッタニパータ、ダンマパダ、ウダーナヴァルガ、サンユッタニカーヤ。他にもあるかも)にあり、何が転生するのかというと後の考察だと認識能力ではないのか、とか。となると全くの0にはならないと考えたかもしれないです。 最も毒矢の例え(マッジマニカーヤ:中部経典)でそういうことは考えても無駄と答えていたりしますが。 自分個人は北海道の田舎で一人で勝手に原始仏典(需要が少ないせいでやたら高価です)を通読しているのですが、 >また、これは日蓮宗の作家である宮沢賢治の詩集に、又、何回も、何回も向き合っていこうと思ったのです。 この気持ちは少しわかります。 釈迦は「善い言葉のみを語れ」と言い残しました。 言い言葉を見つけられることを祈ります。 (鬼言(幻聴)忘備録)

2023-07-24

実は仏教オタです。一人で勝手に仏教関係の本を読み漁っています。 とは言え大乗仏教にはそこまで詳しくなく、原始仏典を通読しています。 岩波文庫のスッタニパータ、ダンマパダ、ウダーナヴァルガは数えきれない程読み返しました。 前半部は今の自分の心情みたいなのを表しまして、「言語道断、不立文字」というのは考えていませんでした。 結果的に近づいていったみたいです。 8連目はどちらかというと、悟りとは泥の中から美しい蓮が咲くようなものという例えがサンユッタニカーヤ(相応部経典)かどこかにあったのを思い出し、日ごろ牛の糞をかき分けているのもありこのような表現になりました。 10連目はマハーパリッニパーナ(涅槃経)の釈迦が涅槃に入られる直前に段々と一度相当高い悟りの境地に至り、そこからまた段階を踏んで戻ってこられたのをイメージしました。 そういえば十牛図もそのような描写がありましたね。 この詩を読むとどうにも自分の作詩の姿勢と仏典を思い起してしまい、即興で書いてみました。 哀しみの眼で詩を読む痛み、というのは慈悲に繋がるように思います。 それなら悟りに通じる行いなのかもしれません。 (哀しみの眼で詩を読む)

2023-07-20

即興で返詩を。 哀しみの眼で 詩を詠む 釈迦よ その遺された言葉で 多くの御救いがありました 仏如し 先人たちよ この筆先は 貴方たちの力が宿ります 諸仏よ 願わくばお守りを 痛みを感じ痛みを思い それは筆に宿る それでもこの身は 不具合を出して 言葉にならない 書け 描け 足掻け 抗え 届かぬ高みへ 触れようと試みて落ちた 己の力を超えろ その痛みは 何処へ行く 逃がすな これは良い物なのだ 善き物になり得るのだ 誰も捕まえなかった 誰も見いだせなかった それにこの筆先は 追い付いた 我が仏性よ 雑念だらけの頭に宿る 仏よ 顕すべき 汚れた中の 素晴らしき物が 糞尿の中の 宝石同然の 輝きがあるのを 照らしたまえ 新たな仏性が ここに花開きうるのだ 表現できない世界に たどり着く事のできない領域に 行ってしまったとしても 釈迦は 諸仏は そこから帰ってきた 仏性よ 心よ なおも詠もう 善き物が 探せば まだまだあるのだ 哀しみの眼で 詩を詠む 見えた 仄かな 一筋の 光 (哀しみの眼で詩を読む)

2023-07-17

育成牛舎と肥育牛舎を見回る 牛たちはいつも人が来たのを見ると じっと見つめ 耳を立てて 近づいてきて 匂いを嗅いでくる お互いを完全に忘却して ロボット哺乳が行われる自動哺育牛舎で 三か月世話してきたのだ なのに お互いがお互いを忘却してしまっている あれだけ接していたのに 治療と給餌に 心砕いて なついていたのに 肉牛はすぐ大きくなる 30キロで生まれた牛は 半年で200キロを時に超える 面影がすぐ消え 次から次に産まれてくる牛たちに 記憶が上書きされ続ける そして牛に 過去も未来もなく 永遠に続く今を生きている 今感じる全てが 命の全てなのだ お互いがお互いを忘却する ただ 残された記録が残っている 「ああ、お前か」 牛は 近づいてきて 大きく膨れ上がった体を見せつけ うしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうし と命を見せつけてくる 記録と経験は思い出として残る お前は全力で生きろ 肉なる その日まで (B-REVIEW 7月のお題詩「思い出」)

2023-07-16

それでは返詩を即興で書きたく思います。 釈迦は言われたのだ。 「自らと他人を引き比べて”劣っている”とも”優れている”とも”等しい”とも思うな。諸々の言葉により自らの価値を判断するな」と。 ローマ皇帝のマルクス・アウレリウスは言われたのだ。 「両足の如く、両腕の如く、歯列の如く、我々は協力するために生まれてきた」と。 陰キャはないのだ。陽キャもまたないのだ。 (色即是空 空即是色 般若心経  全ての物は実体がなく 実体がない物こそが全てであるのだ 悟りの境地からは) ただ、生き方が違う。 全ては苦痛である。(一切皆苦) 出会いも苦痛である。(怨憎会苦) 別れも苦痛である。(愛別離苦) 苦痛から離脱できたのは極わずかな仏陀だけだ。 今、笑っている者も仏陀でない以上、いずれ苦しむのだ。 生きとし生けるもの、全ては苦しみに悶えている。 故に慈悲を。 故に理解を。 故に精進を。 離脱しよう。 心と感覚と体とその他諸々を、正しく認識して。 世間の貪りと憂いは離脱できる。 呼吸を深く行おう。 姿勢を正しく保とう。 脱力に努めよう。 頭と体を動かし続けよう。 今、この時を快適かつ全力で生き続けるために。 善い言葉のみを語れ。 善い言葉を探せ。 過去の善い人々を辿れ。 自らを整える事で己を最上の主となせ。 苦痛の為に挙げた叫びよ。 世に満ち満ちている妄想分別を超えて。 その叫びが、いずれ。 善くありますように。 (陰キャとは何か。)

2023-07-13

確かにどの物語も儚い物と言えますね。 フィラデルフィアシリーズは多くの人の目に触れる話も多いのですが、一切誰にも気づかれる事なく始まって終わってしまう話も多いです。 それでも良いと言える物語を見つけ、書き続けたいところです。 例え儚くとも。 (フィラデルフィアの夜に 43)

2023-07-12

牧場従業員です。 どうにも死ぬ瞬間や死んで幾許もたっていない牛たちを思い起します。 悲しむ暇もなく生きている牛を幸せにしないといけないのですが。 死んでしまった牛たちの経験を積みながら。 即興で返詩を川柳で。 幸せか? 紡ぎ続ける 手動かす (マナツノユキ)

2023-07-09

>血反吐を吐き、血のような涙を流し、寝込んだりしながらも立ち上がってきた目指す一本の柱が自分を殴る丸太になり、わたしは人の形だけ留めた生命体になった。 正直この表現に対して相当な事があったのだと、言葉もありません。 だと言うのに「轢けよ、馬鹿」というのが何だか語感が良く、怒られそうな川柳をいくつか思いついてしまいました。 牛に頭をやられている牧場従業員の戯言として受け取ってもらえると幸いです。 「轢けよ、馬鹿」 「何か用かい」 牛が来る 「轢けよ、馬鹿」 「反芻するぞ」 牛匂う 「轢けよ、馬鹿」 「どうだ牛だぞ」 顔が来る 「轢けよ、馬鹿」 「おら、かわいいぞ」 子牛来る 「轢けよ、馬鹿」 「いいからなでろ」 牛囲む (轢けよ、馬鹿)

2023-07-04

改めて読み返すとリアルFPSという表現が一部の人の逆鱗に触れる気がしますね。 悲惨であるはずの戦争を楽しいゲームであるかのように表現するのは何事か、みたいな。 それでも今の人にとってこれが実感なかと。湾岸戦争をニンテンドーウォーと言われた様に。 ゲームが必ずしも楽しいとは決まってはいない訳ですし。 無論自分も実際の戦争は全く知らない訳ですが、かつての上官や同期、後輩が出動がかかる可能性は十分あり、自衛隊に今も所属する人たちを思いながら書いていくとこうなりました。 自衛隊内で感じた本気度、気楽さ、冗談、訓練演習、災害派遣で感じた空気、そう言ったものを多少なりとも出せたので、ファッション性は消えていったのだと思います。 服務の宣誓の引用もその効果はあったのかと。 (宣誓)

2023-07-03

書き忘れてました。 元々はてつふみさんの「戦場のタンポポ」への返詩ではあったのですが、自衛官の服務の宣誓を入れたりして自分独自のものになりすぎた気がしたので、自分の作品として投稿しました。 てつふみさんの作品の中ではタンポポは儚い平和の象徴みたいに描かれていたと感じましたが、深く根っこを張ってしぶとい生態をしているので、不屈の象徴としてみました。 護るべき命はしばしば強靭だったりしますしね。牛も危ういところからこれでもかと回復する事もありますし。 自衛隊が出動しないのが一番の幸いです。 生きとし生ける者が平和であるのを願います。 (宣誓)

2023-07-01

最後の方に全体を締める様な感じにしたかったのと、一個人がやれるのにも限界があるので祈りに近い物が出て来てしまうのです。 本当に何の患いもなく昼寝していてほしいんですが。 (昼寝牛)

2023-07-01

元自衛官です。 少し感じるところがあり、返詩をと思ったのですが自分独自の作風がかなり入ったので、自分の作品として投稿しました。 よかったらどうぞ。 https://www.breview.org/keijiban/?id=11269 (戦場のタンポポ)

2023-07-01

カッコ内の言葉は自衛隊員の服務の宣誓を一部省略した形で引用しております。 (宣誓)

2023-07-01

雫跳ね 色彩弾け 辺り飛び散り 花咲いて (明日の夕べ(試み))

2023-06-26

色々不安になる情勢が続いており、牛にも少なからず影響が出かねません。 韓国で発生した口蹄疫とか、正直凄く不安です。 ですが、こんな時にこそあくびすべきなのかもしれないですね。 >生き物の瞳に(そんなことより生きろよ)と教わるような想いです。 難しい所もありますが、見習うべきですね。 (昼寝牛)

2023-06-26

牛にはパーソナルスペースの概念も空気を読む感覚も衛生観念も全くなく、全力で牛をやっています。 そんな牛の世話に追われながら、牛をなんだかんだ愛でつつ、餌やりに治療におがくず交換や雑用に追われる日々です。いきなり死んでしまう事もありますし。 そんな牛ですが、川柳の体裁をとったためいい感じにデフォルメにできました。 >かりかりする前にあくびでもしましょうか。今日も今日が続いています。 将来はどうなるか不安になる事もありますが、自分も牛を見習って、あくびでもしますね。 (昼寝牛)

2023-06-26

蹴られるより足を踏まれる事の方が多いです。 自分が世話しているのは主に子牛ですが、気が付いたら200キロ近くになって、それで固い蹄で遠慮なしに踏まれる事があるので、痛いです。 太ったホルスタインとかだと800キロ近くなったりするので、シャレにならない痛さです。 今はメガファームの従業員なので現場にはそこまで大きな影響はありませんが、電気代上がったり、アメリカの穀物が干ばつで出来が悪かったり、円安で輸入飼料などが値上がったりどうなるかわからないところはあります。 それでも牛は浮世を離れてゆっくり昼寝してほしい所です。 (昼寝牛)

2023-06-26

ヤケクソに思えるも、それでも希望と熱を感じさえますね。 即興で川柳を。 ロキソニン それでも生きる さようなら 「ただ狂え この世は夢ぞ」 真面目顔 希望打つ ワクチン投与 祷り似て マスクする 戯言放つ 準備かな 熱を出す コロナのせいだ 詩を残し 我が主 且は我成り 命燃え (コロナ脳LIFE〜おっさんの戯言詩〜)

2023-06-24

このまま地味に力つきるまで続ける所存です! (フィラデルフィアの夜に 42)

2023-06-16

みんな 目を見開き それ以上の 大きな口を開け 人に向かって行く 「お前は違う」「お前は違う」「お前は違う」「お前は違う」「お前は違う」 叫び散らして 間違い探しの噛み付き合いが そこかしこに充満する 「お前は違う」「お前は違う」「お前は違う」「お前は違う」「お前は違う」 この世の誰にも理解されぬ思いと体を引きずり 「お前は違う」「お前は違う」「お前は違う」「お前は違う」「お前は違う」 過去の聖人たちが遺した言葉を辿り 「お前は違う」「お前は違う」「お前は違う」「お前は違う」「お前は違う」 正論と論破の名前をした 怒りと執着と妄想を超え 「お前は違う」「お前は違う」「お前は違う」「お前は違う」「お前は違う」 永遠に繰り返される 間違い探しを 「お前は違う」「お前は違う」「お前は違う」「お前は違う」「お前は違う」 今 止めるのだ 悪口雑言がわずかな隙をついて責め立てる この心に未だ残る間違い探しが 沸き立とうとしてくる 「お前は違う」「お前は違う」「お前は違う」「お前は違う」「お前は 呼吸を 「お前は違う」「お前は違う」「お前は違う」「お前は違 姿勢を正し 「お前は違う」「お前は 力を抜け 「」 合掌 自由であり続ける体勢を 聖人たちに導かれ維持し続ける 合掌 (B-REVIEW 6月のお題詩「間違い探し」)

2023-06-14

完全に自己流でやっていてそれが強固な癖になってしまっています。 どこまで改善できるかわかりませんが、ご指摘感謝です。 (フィラデルフィアの夜に 42)

2023-06-11

>透明が充実していた 上手く言えませんが秀逸な表現です。 ふと思い出した事を描きつつ、また表現を拝借しつつ返詩を。 透明が充実していた ここに子牛を埋める事になった 耳標を付ける前に死んでしまった子牛 産まれたばかりで 何で死んだのか もう誰もわからない 死んだ者の体温は氷より冷たい 死体を見て あらためて気づく 生き物は死ぬのだ 子牛の白い毛が 黒い斑模様が 茶色い土に隠れていく 重機で掘られた穴の中に 眠ったような子牛 ウドのつまらない花だけが咲く ヤブ蚊が飛び交い 中年男たちが腕を掻き毟る 無言のまま 子牛は土の中に 隠され 忘れ去られて 眠り付く 「昔はよくやってたな」 「本当はもうやっちゃダメだけどな」 透明が 充実する 無数の手に 気づくことなく 追いすがる事に 気づくことなく 土で汚れた重機に乗って 中年男たちは 帰っていく 当然のごとく 誰にも言わない事は決まっていた けれど ここには きっと 透明が充実していた (透明が充実していた)

2023-06-05

よく読んでいただけるとわかるかと思いますが、痛みの描写がないんですよね。 体に刻み付けられているように見えただけのつもりでした。 しかもまた最後には吸い寄せられるように坑道に向かっている事からそこまで不快ではなかったのかと。 あと、この連作はフィラデルフィア・ワイヤーマンと仮に呼ばれている、フィラデルフィアで偶然見つかった誰かの作品群を元にしていまして。 そのため舞台は一応アメリカのフィラデルフィアではありますが、大きな意味はないのです。 (フィラデルフィアの夜に 42)

2023-06-05

ありがとうございます! (フィラデルフィアの夜に 42)

2023-06-04

どちらかというとアウトサイダーアートですね。発想のもとになっているのがどこかの誰か(仮にフィラデルフィア・ワイヤーマンと呼ばれている誰か)が誰にも知られる事なく作って偶然発見された作品群ですので。 アウトサイダーアートは美術教育を受けていない人(一概には言えませんが知的障害を持っている人の作品がそう称される事が多いです)が自分の為に作ったケースが多いので >生活や仕事、部屋の絵画を飾り立てるもの、物語や記憶を刻むもの。 となる事が結構あると思います。 自分の知識は書籍と美術番組と旭川美術館で催されたアウトサイダーアート展に行ったくらいですが。 >幽霊の様に捉える事が可能なものなのかもしれません。 この点は確かに。超常的な出来事を描くことがおおいですし。 アウトサイダーアートの幽霊を描き続けているのかもしれません。 (フィラデルフィアの夜に 42)

2023-06-04

おそらく作者以上に読み込んでくださっている事に感謝します。 過去に書いたのをそこまで読み返していなかったので、そこは今思うと悪かったかもしれないです。 似たような展開と思われたのはそこに原因があるかもしれません。 ただ仮にライバルを出したところですぐに出さなくなってしまう気がしてなりません。 ひとつの話を書けて終わりになりかねないです。 似たような展開といわれてもなお、針金とこの世界観でまだまだやっていきたいというどうしようもない執着が拭いきれません。 我ながら何故にここまで書くのか? 果てが来るまで、飽きが来るまで、マナーを守りつつこの調子で書かせて貰いたく存じます。 (フィラデルフィアの夜に 42)

2023-06-03

今日、分娩が一頭いました。牧場従業員です。 肉となる和牛の世話をしております。 あまりに牛が子供を産みまくるため、「細かい事はいいから安産でいてくれ」としか思わなくなってしまっていますが(難産がものすごく大変なのです。しかもどれだけ手を尽くしても死んでしまう事もあります)なるほど人の親になるとはこのようなものなのかもしれません。 自分の場合、情緒に浸かる事もなく知識と経験から異常はないかと観察するのに躍起になる職業病を発症しそうですが。 >僕は産めない >けれど、パパになる。 ここが凄く良いと思いました。 (羊水)

2023-06-02

福まるさんの作品としては平和ですね。そして自省的。 個人的には主義主張の強いものよりこう言った物を読みたいです。 それと励みになった言葉を張っておきます。 自らを他と引き比べて「優れている」とも「劣っている」とも「等しい」とも思うな。 自らの価値を諸々の言葉により判断しないようにせよ。 釈迦 スッタニパータ (母と父)

2023-06-02

>花に対して檄を飛ばす詩は初めて読んだような気がします。 そう言われるとそうですね。 ただ今回の花が六花とも言われる雪なのがそうなってしまった要因です。 以前勤めていた牧場が冬になると日本海の暴風雪がもろに来る過酷な環境だったのと、北海道民にとって雪は時に友であり、時に宿敵だったりしますし。 (視界が吹雪で奪われるホワイトアウトは正直もう経験したくないです) 雪だからこそ斬新なテーマになったようです。 (漂白)

2023-05-27

今月の始めはストーブつける程寒かったのに、今は半袖じゃないと暑くてたまらない北海道です。 どちらかと言うと、雪を花に見立てていたのですが、植物の花としても読めるみたいですね。 〉花よ 〉咲いてくれ 〉消えてくれ 自分が思っていた以上に奥行きのある個所になったのでしょうか。 それにしても花は何を人間たちに思わせたいのでしょうね。 (漂白)

2023-05-27

>宇宙の下 >踏まれ続ける私たちと、その怪獣に >あと何回キスが出来るだろう? 出だしが面白いですね。 この出だしでこの作品を読んでみようと思いました。 怪獣に惑星、太陽それに地球の地形。 それらと人の記憶や思いが交差する。 よくできた作品です。 (その人)

2023-05-26

フィラデルフィアの夜に 番外編 フィラデルフィアの夜に(╹◡╹)が描かれます。  雑踏。 その足元は誰も見ることはありません。 特に、夜になってしまったら。 暗く、埃が立ち、ゴミが転がっています。 排泄物が放置され、死骸がそれらにまみれ見えないものとして処理されています。 また誰かが埃を掃き出し、ゴミを捨て、排泄しては、誰かが死んで、道端で見えない何かとして処理されて放置されていきます。  次々に次々に、夜の道端に転がって捨てられていくばかりです。 命の火が消えた者がまた増えます。 (╹◡╹)  見ている。 光を無くした命の瞳に映る。 ゴミの輝く金属に。 (╹◡╹) 見つめている。 積もり上がった埃に。それはかつて豪邸の片隅にいた。 哀れに嫌悪される排泄物に。小さな植物と蟲の糧になっている。 (╹◡╹) 見つめ、見ている。 この街を。 細い針金の顔が、そこかしこに現れて。 誰にも気づかれない道々の足元に。 誰も気づかないだけで、この街の全てにこの顔が。 朝、風が吹きます。 埃が飛散し、ゴミが吹き溜まります。 排泄物と死体の悪臭は感じません。 (   ) 顔も消えました。 また、どこかに現れる事でしょう。 この街と万象を見るために。 (B-REVIEW 5月のお題詩「(╹◡╹)」)

2023-05-17

>一箇所、第二連の最後のところ、「精巧な花」は「精巧な虫」の間違いかもしれないなと思いました。 あ! 確かに間違えてます! やってしまいました。 すいません。 >いいことが有ったなあという思い出とともに、フィラデルフィアシリーズの初感想とさせていただきます。 よい思い出を想起させる事ができたのは幸いです。 (フィラデルフィアの夜に 41)

2023-05-17

昔なんとなく頭にあったものをフィラデルフィアシリーズに落としこみました。 針金で何かを作る人とそれを壊して元の針金にしてしまう人のパフォーマンスみたいな。 それを不気味さ不思議さなんかを足して形を整えたのがこの作品になります。 ループにするつもりはなかったのですが、この状況はそういえば延々と続いてもおかしくはないループになりえますね。 そう思うと悶々としてしまう。 それにしてもここまで分析してくれるとは思いませんでした。 もはやちょっとした小論文です。 ありがとうございます。 (フィラデルフィアの夜に 41)

2023-05-17

>作者の方に対する自らの想像力に不足があったのではないかと思われました。それは特に他者の痛みを想像するということにおいてです。 再びコメントありがとうございます。 そこまで考えなくてもよい気はします。酪農畜産では避けて通れない事柄ですし、その他の直接命に関係する職業においても同様ですので、覚悟の上でやっていることです。 しかもそれはしばしば全く理解されない事でもあります。 理解しようとするだけでも十分ありがたいです。 かく言う自分もどこまで理解しているのかわかりません。 考え続けるのがとりあえずの答えになるのでしょうか。 また投稿しますので、読んでいただけると幸いです。 (安楽殺)

2023-05-09

励みになったようで良かったです。 自分もまた厄介なものに悩まされましたが、釈迦を始めとする人々が遺した言葉や方法によりたまに迷いながら脱しつつはあります。 ちなみに 「劣っているとも、優れているとも、等しいとも思うな」 はスッタニパータからの引用です。 岩波文庫「ブッダのことば」に収録されております。 「物事について起こってはならない。なぜなら物事の方ではそんな事はお構いなしなのだから」 これは古代ローマ皇帝にして哲学者でもあったマルクス・アウレリウスの「自省録」からの引用です。 これも岩波文庫にあります。 善くありますように。 (敗北)

2023-05-08

では即興で返詩を。以前勤めていた牧場にこんな奴が実際いたのです。 ハァハァと激しい息遣いで ブモブモ鳴きながら 後ろから近づいてくる ヤバイ あいつだ 振り向きざまに正拳を繰り出す 額に一撃を加えるも 全く動じず襲い掛かって来る 四六時中何故か興奮しているホルスタイン 耳標番号3045 推定体重600キロ 切ったはずの角が微妙に伸びて それで軽トラ並みの重量と推進力で 突っ込んでくる そいつは充血気味の瞳で こっちを捕えて 「ぶもおおおおおおおおおおお!」 と叫んで追って来る 普通に死ねる 殺される殺意に 「来んなああああああ!」 と今日も叫びながら柵の向こうに逃げ出す 他の牛がモーと小さく我関せずに呟く牛舎内 例の興奮した牛は柵や柱に頭突きし続ける 人間ではもうまともに抑えが効かない それでも搾乳パーラーにこいつも誘導しないといけない 毎日二回 嫌になりながらなんとか連れて行く 牛は牛として 最初から完成している それなら 人は人として ある意味ではもう完成しているのだ 「劣っているとも、優れているとも、等しいとも思うな」と 釈迦は言い残した 全ての命は苦しみに悶える儚い存在にすぎないのだ その点では何者も平等だ 苦痛から脱した 仏陀の前では 「物事について起こってはならない。なぜなら物事の方ではそんな事はお構いなしなのだから」 自らを省みながら哲人の言葉を思い起しつつ 牛について怒らないように また怪我しないのが 平和に決まっている あの牛はまだ興奮している 覚悟決めてまた柵を超える (敗北)

2023-05-07

>もう不在の、そして跡形を遺すことすら認められないその命たちにとっては、本作がせめてもの形見のように感じられてなりません。 数多くの自分が見てきた不慮の事故病気に殺処分及び安楽殺されてきた牛たちにとってそうであればいいですが。 やはりあまり見ていいものではありませんね。 (安楽殺)

2023-05-05

先日、起立不能になった子牛の安楽殺を行いました。 正確には職場の先輩が薬を投与し、自分が痙攣を押さえつけていたのですが。 産業廃棄物として処理され、業者が引き取っていきました。 こうなってしまったら、冥福を祈り、次に生かすしかないのですが。 合掌。 (安楽殺)

2023-05-05

今年の北海道はなかなか春が来ませんでした。 春に降りしきった雪と死んでしまった牛が連動してこの作品になりました。 (漂白)

2023-05-05

雪を六花という事があるのです。読み方はろっか、もしくは、りっかです。 拳銃のリボルバーは六発装填が多いのでそのような連想をされたようですね。 戦争については考えていなかったのですが、そういう解釈の余地はありそうです。 (漂白)

2023-05-05

高評価ありがとうございます! 北海道もようやくまともに春です。 (漂白)

2023-05-03

>命繋ぐ者よ >生き残れ 死んでしまった子牛を見て、この言葉が湧きました。 生き延びないといけないし、生かさないといけなく、幸せにしないといけないです。 (漂白)

2023-05-03

二週間くらい前まで雪が降っていた北海道から投稿しております。 ようやく桜が咲き始めました。 春の陽気から一転、冬景色になるのはままあるのですが、世話していた子牛がいきなり死んでしまいまして。 朝に投薬した時には全く異常がなく、昼も眠そうにしていたのを確認していたのに夕方の餌をやりに行ったら、死んでいました。 全く原因はわかりません。 この体験から >命繋ぐ者よ >生き残れ という表現に至りました。 雪の結晶は六つの花弁を持つようにも見える事から六花とも呼ばれるそうです。 春にこれ以上咲かないでほしい北海道民です。 (漂白)

2023-04-30

>わたしたちの体、おつかれさまです。 そういや、確かに! >久しぶりにちゃんと丁寧に磨こうと思います。 予想外の方向にこの作品が役立ったみたいですね。 自分も早めにやります。 (穴)

2023-04-28

>人の欲望、煩悩、エゴーというものがあって、それにさらされていると >反対にじぶんのこころの内は、潔癖すぎるほど清浄でありたい、という >反対の、欲望を生むのかな、と。凄く大雑把に書けば。 そこまでは考えていなかったのですが、そういう解釈もありですね。 >この作品は個人的に、分かり味深く、またエンターテイメントとしても >しっかり成立しているなと思います。 評価感謝です。 (穴)

2023-04-26

>自分が一番可愛いだろう >自分よりも弱い立場の方々に >押しつけるから問題なんだ 自分自身ほど愛しい者はいない。だからこそ自らのために他を害してはならない。 釈迦 サンユッタニカーヤ 及び スッタニパータ 大変正しい気持ちを正直に表したのだなと思います。 ただもう少しおめかしして出した方がよりよくなる作品かなと。 正直に出し過ぎて詩情が少なくなってしまっているので。 いっそ行数を減らして余韻を持たせたり、読者に想像をさせたりするのも良いかもしれないです。 (死)

2023-04-23

ライトレス感謝です。 その詩は全く知らないのですが、同じような発想をした人はおられるようですね。 今の自分ではこれ以上のユーモアは無理でした。 精進します。 (穴)

2023-04-23

では即興で返詩を。 「生きる意味って何?」 牛に聞いてみた ただひたすら興味深く 目を見開いて 耳を立てて フンフン勢いよく匂いを嗅いでくる 気が付いたらそんな牛に囲まれていて 舌を伸ばしてきては みんなで舐め回してくる ザラザラザラザラ 牛の舌は痛い 糞と尿を力みなく地面に落とす いつしか肉になる牛たち そんな日々を気に留める事もなく 全力で牛の命を生き続ける 牛に意味なんて 意味がない きっと人にとっても ただ全力で生き続ける この天地の狭間で 牛の舌は痛い ザラザラザラザラ まだ舐め回している (なんで)

2023-04-22

ボットン便所を考えてみると落ちてしまったら地獄以外の何物でもないなというのと、便所は異界への入り口という民間信仰があると聞いた事があるので、こういう表現になりました。 言われてみるとユーモラスかもしれません。 (穴)

2023-04-21

哲学的ゾンビについて書かれたのかと思いました。 ウィキペディアをから引用すると「人間と哲学的ゾンビの唯一の違いは、哲学的ゾンビにはその際に「楽しさ」の感覚も、「怒り」の感覚も、議論の厄介さに対する「苛々する」という感覚質も持つことがなく、クオリアというものが全くない、という点である」だとか。 ただ思わずそのゾンビに対して”生きている”と感じてしまう事があるのも事実。 嗤うAIに怒りを感じてしまうのもあり得ますし。 ただ >霞の如く消え去る時が >来るのだろうか 本当に必要で善い物であれば消えないと思いますが。 (AI)

2023-04-15

>蜘蛛の糸を切ったのはお釈迦様ではなく、カンダタ自身だと思います。 よくよく思い出せば、確かにカンダタでしたね。間違えました。 トイレの汚れに困っているのではなく、牛の水飲み水槽がたまにとんでもなく汚れていたりしてまして。 牛に衛生の観念がないがために、汚物を水槽に入れてしまっている事があるのです。 実際、この作品の着想は牛舎の水槽掃除の時に浮かびました。 また「自らの内の、善なる泉を汲み出せ」というのは古代ローマ皇帝マルクス・アウレリウスの自省録からの一部を変えての引用です。 哲学者でもあったマルクスが書いた自省録はしばしば仏典にあってもおかしくない言葉が多くあり、最近読みふけっていました。 あとトイレの汚さは最近見たゴミ屋敷専門の清掃業者の動画を参考にしています。 尿石が凄い事になっている動画があったのです。 >それはともかく、とても面白い詩だと思いました。 評価、感謝です。 (穴)

2023-04-14

卵に向かい 細い棒を持って 薄めた 精液を届ける 牛は暴れ 押さえつける従業員と 棒を操る授精師を跳ね飛ばし それでも細い棒は 差し込まれる 発情した子宮へと届く 蹄の跡は打撲 飛び散った糞は陰鬱にさせる 卵よ 受精してくれ 子を孕まないお前の母の 最後の望みは お前と薄い液が出会う事なのだ 屠畜予定の母牛は 不意に吠え出し暴れ興奮する 強く発情し 生き残る 最後の望みとしてお前が来たのだ 白黒の母牛から 真っ黒な子牛が産まれた 受精しやすい 小さい和牛の子供は びっくりした顔で この世界を見る (B-REVIEW 4月のお題詩「卵」)

2023-04-13

北海道もそろそろ山菜の季節です。 ふきのとうを大量に捕獲してます。 即興で返詩を俳句で。 つくし出た 逃げ出しそうな 春しっぽ (どこもかしこも)

2023-04-06

>末尾に「人と牛」とありますが、人の垂らすよだれ糸とは何でしょう。 文字通りのよだれ糸になります。自衛隊時代に限界を超えて走ったフル装備での武装走競技会、10キロを背負ってのクロスカントリースキー競技会、熱射病になりかけた真夏の40キロ行軍などでよだれ糸を垂らし続けた経験があるのです。 ですので今回はそこまで明確に牛を描写していないのです。 >牛がよだれ糸を垂らすのは、反芻をしているためでしょうか。 それもあると思いますが、乾ききった草を食べられるように唾液が多いのもありそうです。 >家畜である牛の直接の祖先である野生種の牛は、もう既に絶滅して存在しないと何かで読みました。 オーロックスですね。ヨーロッパに生息していたそうですが、18世紀位に絶滅したようです。 家畜となった牛は相当な品種改良がされており、牛と人の結びつきは強いのは確かです。 >この詩は、そんな牛の圧倒的な存在感を、言葉を探しながら表現しようとしているような、そんな印象を受けました。 春風に子牛のよだれ糸が飛んで行ったのを見たのがきっかけの作品だったりします。 なんだかんだ牛が好きで色々表現してます。 ありがとうございます。 (よだれ糸)

2023-03-31

即興で返詩を。 どうせ誰にもわからない 絶叫 分かち合えることすら不可能だ 歯をすり減らし 頭を打ち砕き 掻き毟り 声なく叫び散らし 涙浮かべ 無視され 異常がられて 嫌悪が 全てから向けられていく 自らを呪う言葉だけが脳裏に浮かぶ 絶叫 「自らを整える事で最上の主を得る」 「自らを島とし、善い言葉を頼りとすべきである」 釈迦の言葉に縋り 呼吸をし 生きていく (孤独)

2023-03-30

ありがとうございます! (牛の輝き)

2023-03-18

>この詩の牛とは、聖なる愚者の表象であるような印象を受けました 実体験だったりします。牧場従業員なのです。そのような解釈も悪くありませんけど。 >そこかしこに聞こえてくる危機と悲劇 世界情勢が良くないですからね。牛もかなり影響を受けてしまっています。 「私は自分の義務を行う」(マルクス・アウレリウス 自省録)しかないのですが。 自分も牛も。 >昨日も明日もないお前たち 聖書や釈迦の言葉が頭にありました。 「明日を思い煩うな」(新約聖書) 「賢者は明日をあせくせせず、昨日を思い悩まないから、輝いている」(ダンマパダ) >愚鈍で汚ならしく見える牛の姿は、実は我々の隠れた品性の投影なのかもしれません。 そうなんですよね。 まあ、それでもかわいいんですけど。 (牛の輝き)

2023-03-18

銃弾を撃ち 銃弾が返ってくる 積み上げられた土嚢 掘られた塹壕 その向こうに送り主がいる 送られてくる殺意 送り返す発砲 生きているのかという銃の声に 生きているよという 銃の声で返事する 微かに見える迷彩服 僅かに感じる気配 狙いを定めて 撃発する ガク引き気味に引金握り 弾丸は不規則に跳弾した 銃弾を撃ち 何も返って来なくなる 手紙のやり取りを終え 号令と共に 次の陣地に前進する 後ろ目に 送りあった誰かを気に止めながら (B-REVIEW 3月のお題詩「手紙」)

2023-03-18

こちらもいいですね! >おれのなか > >すりよってくる なんだかここで日々顔を合わせいる牛たちを思い起しました。 (うし)

2023-03-12

即興で返詩を。 こえがする おれのなか ありがとう おまえの ちちとにくが おれのなかで こえをだす ありがとう ありがとう おんがえし できないけど せめておまえと おんなじうしを かわいがって しあわせにする ありがとう おまえのこえ だいじにするよ (うし)

2023-03-09

ビーレビューに投稿した物だけで40で、合計は66にもなっていました。 予想外に続いており、感無量です。 (フィラデルフィアの夜に 40)

2023-02-26

実は気にいらないのも含めると合計66作品にもなっています。 https://ncode.syosetu.com/n5588fv/ 1982年のフィラデルフィアで見つかった作品群を元にした連作になります。 それで今回の元ネタは張六郎の漫画「千年狐」の最新話です。 中国の古典「捜神記」を元にしたこの漫画、別の古典の「神仙記」を話を元にしているみたいです。 https://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_MF01200324010000_68/ それをフィラデルフィアで見つかった作品群の作者が世の中から離れた人物が作ったのではないかという考えから、色々組み立てた結果こうなりました。 主題が少し分散しすぎましたか。 そこは注意した方がよさそうですね。 ありがとうございます。 (フィラデルフィアの夜に 40)

2023-02-26

感想ありがとうございます。 まだまだ掴むべきものが掴めていないと言われたら、事実でしょう。 それでも懲りずに書き続け、投稿し続ける所存です。 何と言われようとも書き足りないので、精進します。 (フィラデルフィアの夜に 40)

2023-02-26

「ニャー」 お前は何を考えとるんだ 必死になって治療し 躍起になって準備し 億劫になりながら働いていく 「ニャー」 猫はそんな俺を見つけるなり 鳴き続ける 振り向いたらもうおらず 気が付いたら 俺の服にへばりついて昇ってきている 「ニャー」 はい邪魔だからね ひっかかった爪を外し 遠くへ置いておく でも猫は動くから また足元でなんかやっている 「モー」 「ニャー」 お前らそういやどっちも瞳孔が細長いのな 同じような瞳で 自由の中 走り回れ 俺の分まで (B-REVIEW 2月のお題詩「猫」)

2023-02-20

一部の偏った人にとっては、牛舎って牛の座敷牢だよなと思ってしまった牧場従業員です。 思わず思考がそれに捕らわれたので、そういう返詩を。 なんだかすいません。こういう目にしばしば遭うんです。 牛は人の事を何とも思っていない とにかく逃げ出したかった 空は青く風は冷たく花は咲いて雨が降った 花を反芻しながら 喜びを発揮し駆けだしていく 牛舎の中で 人々の英知により交配された子牛は 麦稈 稲藁 ヘイキューブ 配合飼料 意味を微かに覚えながら 疾走し 遥か高い扉を飛び越えた 叫んでも 手を伸ばしても 大勢でも 投げ縄使っても 子牛は軽快に逃げていく ここが この世界がどうなろうと考えもせず 自由を握りしめて 牧場内を激走する まだまだ走りたがっている 従業員の苦労を知りもせず 牛と労力が隔たっている (解錠)

2023-02-19

返信ありがとうございます。 確かに現実的な仕掛けを使い切ってはいないですね。マジックリアリズム自体知らなかったですし。 >非現実的な描写が効果的に作用する為の作業があまり意識されていないのでは無いかと言う意味ですね。 全くをもって考えていませんでした。 どこまでこれをやれるかわかりませんが、少しは考えてみても良さそうです。 (フィラデルフィアの夜に 39)

2023-02-13

結構な量がある中、半分程読んでいただきありがとうございます。 マジックリアリズムという言葉を初めて目にし、少し調べてみた限りではそれに近い物がある様に思います。 こういうカテゴリーがあったのですね。 飽和状態、相が変わる様な意識の昇華などそのような事は一切考えずひたすら自分なりに良い物を書こうとして気づいたらこうなったようなものなので、浅いと言われても仕方ないです。 飽和状態という概念はどのようなものなのか、興味あります。 (フィラデルフィアの夜に 39)

2023-02-13

>毎日のように善きひとに触れています。 それは何よりです。 (駆け付け)

2023-02-02

そういえば書き忘れていました。 元になったものに自分の勤め先の牧場では子牛が産まれそうになったら通報するセンサーがあり、夜中に持ち回りで夜中も当番することになっています。 それを「駆け付け」と称しており、それがこの作品の元です。 もしかしたら難産で危ない状況かもしれないという切迫感が出てきたかもしれないです。 (駆け付け)

2023-02-02

この間最低気温がマイナス28度を記録しました。 しばれると言うより、ただただ手足が痛かったです。 外に出ないといけない仕事なので、余計に。 寒い日の良い物、ということでダイヤモンドダストを置いてみました。 寒すぎて見る暇もなさそうですが。 (駆け付け)

2023-02-01

どうやらこの作品をきっかけに、色々思う所が表面化したようですね。 この世界も過去も全ての事は認識次第ではあるようです。物事それ自体には意味はなく、そのように認識してしまっているに過ぎない、という一面はあるとか。 認識次第で過去は変わるかもしれないですね。 そのような認識、考えは妄想の一種だという話を聞いた事があります。 だとするならそれが苦痛である場合、「怒りには慈悲を、欲望には無常を、妄想には感覚に集中せよ」という釈迦の言葉が有効そうです。この感覚に集中するという事は演練が結構必要ですが。自分もあまり出来てませんし。 それでも根本を変えうる手段ではありそうです。 善い、とはなんでしょう。 何分仏教オタなので釈迦に依るのですが。 何が正しいのか問われた際、釈迦は言ったのは要するに「何が正しいのかは、利益や安楽が得られる善いと確認できたものが善い。自分の考えだとか偉い人が言ったとかではなくて」となりそうです。 (阿含経増支部経典) ちなみに出家していない人が正しい方法で快楽を得るのは釈迦はむしろ評価している記述があります。 (阿含経増支部経典) 漠然と恐ろしいのはただの妄想でしかない可能性はないでしょうか? もしそうなったら姿勢を正し、正しく呼吸するのに徹してみる事で脱出できるかもしれません。 また釈迦はこのような言葉も遺しています。 「他人と自分を引き比べて勝っているとも、劣っているとも、等しいとも思うな。諸々の言葉により自らの価値を判断しないようにせよ」 (ダンマパダ) 他人を評価せざる得ないのがこの社会ですが、そこは中道で、過度に反応や評価に走らないのがよいように思います。 最後に自分の励みになった釈迦の言葉を。 「勤め励むのを楽しめ、己の心を守れ、自己を難所から救い出せ。沼に落ち込んだ象の様に」 (ダンマパダ) 善くありますように。 (駆け付け)

2023-02-01

>食糧の物価高騰が、この不思議な話と何か関わりがあるのなら 全く関係はありません。 発想の元は「南島の神話」(後藤明 中公文庫)に日本神話のオホゲツヒメ、ウケモチの系統の体から食物を出す女神が出てくる神話が紹介されていまして。 そこから発想を広げていって、フィラデルフィアシリーズとして書いてみたのです。 とは言え、そのような発想も悪くはないと思います。 (フィラデルフィアの夜に XXXⅦ)

2023-01-25

去年と今年 途切れることなく牛は生き続け このわが身は続いていく 去年も今年も来年もない 抱負  ただ 今なすべき事をなしていく ただ 目の前の牛と このわが身が 良いように この体と脳を使い続けていく 至らないこの体と脳を懴悔し 頼れる島になるようこの体と脳に 合掌する 正しい呼吸を 正しい姿勢を 正しい見解を このわが身と牛が 良くありますように 仕事終わり オーバーヒート寸前の脳から 血が下がっていく この労働が諸々を護りますように 合掌 (B-REVIEW 1月のお題詩「抱負」)

2023-01-20

どの短歌も読みごたえを感じさせます。 三首目が気に入りました。 即興で返詩を。三首目を拝借しながら。 僕たちも いつか死ぬのだ 店頭に 並びし牛と 黙り込みつつ (短歌「母が死んでから」)

2023-01-04

産まれて死んでは、食卓に並びます。 そして誰かの命になります。 (零下の夜)

2023-01-02

印象深いシーンを淡々と追いかけていくだけでも詩になりうるかなと思い、しばしば牛に関する詩はこういう感じになっています。 詩の中のリアルといえば、この作品はそうかもしれません。 (零下の夜)

2023-01-01

コメントしてくれてありがたいです! (零下の夜)

2022-12-30

大体の親牛は産んだ子牛をすぐさま懸命に舐め回すのですが、たまに育児放棄する親牛がいます。 この子牛を産んだ親牛がそのパターンでした。 人が近くにいるのならさほど問題はないのですが。 >誰かの「生」のために生まれ、生きそして命おとす現実を日々触れる人の存在も尊いと思いました。 そう言っていただき、感謝です。 日本中の牧場従業員を代表してお礼を言いたいです。 (零下の夜)

2022-12-30

そう思っていただけるだけでこの作品は書いた甲斐がありました。 ちなみに今月の実体験です。 この子牛の前に体重50キロの子牛が産まれ、持ち上げるのが大変でした。 二頭とも元気に育っています。 (零下の夜)

2022-12-30

読んでいただき、ありがとうございます。 >阿部公房的な不条理。辻褄の齟齬、余白 なかなか難しいですね。 まずは阿部公房を読んでみます。 (フィラデルフィアの夜に XXXⅧ)

2022-12-16

風呂にのぼせて浮かんだ妄想に国産み神話が入り込んだ様な雰囲気がとてもよいと思います。 (長風呂でふやけた神話)

2022-12-14

伏せた状態から走り出す 喉から声を張り上げ 盛られた土に身を隠す 銃弾が 贈り物が 連続で届き続ける その想定で 一発数百円の実弾代わりに 一発数十円の空砲を連続で贈り返す 山に響き渡る銃声に守られる様に 次の盛土に走り伏せる 泥水に汚れながら なおも残る 空砲の炸裂音をさらに送り届ける 着剣 絶叫 想定敵に贈る 最後の贈り物は 熱気だ 終了 贈られた戦闘服と鉄帽は 泥と汗にまみれ 儀式に渡された小銃は 煤で黒く 錆で赤く 全てまた自分で時間をかけ洗い 磨く この汚れと時間が 徒労で終わりませんように 新隊員教育隊 一人前として部隊に贈られる前の日々 (B-REVIEW 12月のお題詩「ギフト」)

2022-12-13

酪農を牧場をまたいで7年、肉牛を1年9カ月世話している現役牧場従業員です。 ホルスタインを世話していた時の空気感を思い出しました。 肉牛はまた少し違うんですよね。 そして本気で牛と向き合っていたんだなと端端に感じます。 人間の都合で殺してしまう訳ですけど、生きている内はせめて全ての牛が幸せであってほしいです。 >そしてその責任を取る最大の方法が、食べてやることなのだと、思う。 この箇所は自分としては理解できます。 最後を看取るに近い事だと思うので。 野生では生きていけない形に乳牛も肉牛も改良されてしまいました。 この家畜は人間が滅んだら間違いなく共倒れです。 せめて人間の活動の中で精いっぱい幸せにするのが責任かと。 よって産まれてきた牛を命懸けで健康を保たせ苦痛なく幸せにして、死んで肉となった牛を食べるのもまた、責任だと個人的には思っています。 生きとし生けるものが幸せでありますように。 たとえ人間の欺瞞、偽善でも。 (bebe)

2022-12-11

フィラデルフィア・ワイヤーマンの作品を見ると、捨てられるはずのものが勝ち誇っているように感じました。 なのでこういう締めにしました。 今読み返すと、ついに透き通る、というのは儚い感じが強く出て効果的ですね。 (フィラデルフィアの夜に XXXⅥ)

2022-12-08

フィラデルフィア・ワイヤーマンの作品はゴミのような物に荒々しく針金を巻きつけたものになるので、見捨てられた物に針金が巻かれていく事が多いです。 でも作者としてはこの描写がとても良い気がしております。 今回、上手く書けました。 良かったです。 (フィラデルフィアの夜に XXXⅥ)

2022-12-07

元々フィラデルフィア・ワイヤーマンと仮に呼ばれている人物の作品群から着想を得たシリーズです。 大規模な捜索にも関わらず一体誰なのかわからないままとなっています。 ですのでフィラデルフィアという題は重要だと考えております。 (元ネタを山の怪談、アイヌの昔話、カムイユカラ、金枝篇、ネット記事などからも取っており、どんどん離れて行っていますが) フィラデルフィアの夜に、という入り方は「むかしむかし、あるところに」に近い感もありますし。 完成しているという評価は、感謝です。 (フィラデルフィアの夜に XXXⅥ)

2022-12-07

牛の場合、ミルクを飲むのが下手な奴がたまにいたりしますが、ミルクを飲むのにもの凄い生命力と執着を感じさせます。 ちゅっちゅく、これに哺乳類の生きようとする気持ちが全て込められているのかもしれません。 (ちゅっちゅくと)

2022-11-28

実際問題、奇をてらったところのある実験的なものではあるので、評価されてうれしくおもいます。 先日も新たな子牛たちがロボット搾乳に切り替わるために、哺乳を誘導したところちゅっちゅくやられました。 しつこいやつは、地獄の餓鬼の化身かと思うほどに本当にしつこいです。 (ちゅっちゅくと)

2022-11-27

肉が焼かれ 肉が配られ 肉が食われていく 油滴り 舌つづみが打たれ続け 咀嚼と共に嚥下されていく 祝祭の日 食われていく肉 かつてその肉を携えていた君よ 幸せだったのか 肉が咀嚼され嚥下されていく 黄金色の酒に流し込まれ 体の一部となっていく その血肉を受け継いでいく 祝祭 笑顔と共に 死んだ者を受け継いでいく 祝いの日 (B-REVIEW 11月のお題詩「祝祭」)

2022-11-22

一連目がいいですね! >なみせんを もがき ふけることは 波線の事かと思いますが、そこでもがく発想はありませんでした。 詩的で意味がはっきりしないものの、かなり印象に残ります。 連それぞれ調子が違うのも効果を上げています。 評価したい作品です。 (中空蘭鋳)

2022-11-21

即興で返詩を川柳で。 グイと飲む 青いグラスで 夏冬も 友のよな 青きグラスで 乾杯し (冷蔵庫)

2022-11-18

即興で返詩を川柳で。 変幻し 命育め 水如く 人に水 渇き詩情 如く在れ 忘れるな 水の如く在れ わが命 (Be like Water)

2022-11-14

自分も最近肉親を亡くしまして。 その葬式を思い出しました。 仕事柄、牛が死んでしまうのはもう百回以上経験してはいるのですが、人が死んでしまうのはやはり違いますね。 即興で川柳で返詩を。 「笑いなさい」  「泣きなさい」 顔を壊して     顔を壊して 合掌し       合掌す (葬式)

2022-10-31

瞬瞬さんにしては静かな冒頭からサキと呼びかける辺りで速度が増していく。 暴力と切なさ、寂しさが入り混じった独自の世界を作るのに成功しています。 これはもしかして、凄いのでは。 この返詩でよいのか、即興で川柳を。 抱きしめて 血まみれ苦痛の しかんぼう (「しかんぼう・しかんや」)

2022-10-25

停電、ですか。 >った8時間の停電で終わる命があることを > >たった8分の動画で知った 北海道の人間としては地震による大規模停電を思い出してしまいます。 停電のため搾乳機を使えず搾乳できず死んでしまった牛がいたとも聞きました。 (乳牛はあまりに多くの牛乳を生産できるように改良されてしまったため、搾乳しないと乳房炎、人間で言う乳腺炎になって、最悪死んでしまうのです) そのことを表した動画なのかとも思ってしまいました。 >いったい、聞こえるふりをして > >みな、歩いてゆくしかないのだ > >そうするしか、 > >ないのだ。 諸々を忘れずに歩きたいです。 (停電したら)

2022-10-16

>.わたしが不良少年のように世の中の欺瞞に毒づくようなまだ純真な >汚れない心をもっていたとしたら >この詩のことばを素直には受け取れないものを含んでいるような気がするのです。 それなら素直に受け取らなくても良い気がします。 この詩の様に思う事は偽善と言われたら事実ですし。 偽善でも今死んでいった子牛の成仏を願うしかないのが家畜を育てる人間だと思うので。 少なくとも自分は偽善でも、自分の感情を制御するのが目的でも、死んでしまった殺してしまった子牛にあの世の慈悲と成仏を願ってしまいます。 >この仔らに慈悲じゃなく、わたしたちの行いに慈悲を求めるべきでしょうし、 正論ではあります。 しかしそんなこと言ってられないのが現場です。 それ以上に早急なのが、場合によっては数百頭の生きている牛たちに餌を与え、次々に生まれてくる子牛に対処し、下痢や病気が発生していないのか確認し、血液を検査し、床のおがくずを敷きなおし、酪農であれば搾乳した牛乳に異物が入っていないか、病気に弱い肉牛なら様子を逐次確認し、その他機械や設備に異常がないか、異常があれば速やかに対応せねば支障をきたします。 ただ個人的に慈悲と成仏を願うのは問題ないと思い、この詩を書きました。 短絡的かもしれません。正しくなかったかもしれません。 それでも牛に関わる者として、人間の経済的事情で殺されてしまった子牛たちに冥福を祈りたかったのです。 (慈悲を)

2022-10-16

現場レベルではできる限り家畜を無残に殺すようにはなっていないかと思います。 場合によると思いますが、家畜は酪農家、畜産農家にとっては大切な財産ではありますし、大切にすることで家畜の価値は基本的には上がっていきますので。 ただ、口蹄疫のような危険な疫病(感染力が強く周囲の感染しうる動物全て処分しないといけません。そうでないと下手したら海外にまで広がります)や今回の様な極端な経済的事情があると、やむおえない事があるのです。 経済動物である以上、愛玩する対象にはなり得ないので。 (とは言っても、全力で世話をして、かわいがってもいます) 現場の下っ端労働者としては、一刻も早い状況の改善を祈るのみです。 (慈悲を)

2022-10-15

これは実体験ではないのですが、子牛の価格がかなり下落し価格がつかない状態になっているようです。 特に、オスのホルスタインの子供が酷いとか。 自分の働いている牧場はブランド化しているためかそういうことはないのですが。 酪農を7年、肉牛を2年牧場で働いているので現場を容易に想像できてしまいまして。 最早現場の人間ができる範囲を大きく超えてしまっています。 せめて安楽死となってしまった子牛たちの冥福を祈りたく、この作品を書きました。 (慈悲を)

2022-10-14

お久しぶりです。 自分はしつこく投稿しております。 フィラデルフィアシリーズは累計で60作品にもなってしまいました。 即興で川柳で返詩を。 寂しいね ケーキを食べる レタスの日 (Docker)

2022-10-10

お久しぶりです! 安定の勢いですね。 即興で返詩を短歌で。 擦る音 シュンシュンと おっ勃てて 発射するよ 桟橋からね (「真っ赤な空を見ただろうか、それチンボーっしょ、まいちゃんミホちゃん」)

2022-10-09

即興で返詩を 死に絶えた心の垢を削ぎ落とす 子牛食いなおもこの世を穿ち見る (割愛)

2022-10-01

元々フィラデルフィア・ワイヤーマンと仮に称されている人物の、ゴミ捨て場から見つかった針金を使った作品群に触発されて書いております。 なので針金オンリーでいくつもりです。 またこの作品群は必ずしも綺麗なだけではなかったかと。 何回かは犯罪者やその犠牲者も出していますし。 常識とルールの範囲内で好き勝手にやる所存です。 (フィラデルフィアの夜に XXXⅣ)

2022-10-01

「ネットとリアル 感触」 抜く 凹凸を皮膚に感じながら パソコン モデム 充電器の コンセントを 眼 耳 閉じ ただ      呼吸 かすかな 内臓感触だけが 残り 膨らみ 縮む 縮み 膨らむ 脳裏が暴走し ケバケバしい映像と 妄想が 馬の様に走り出し回る 仮想も 現実も 同じだった ただ 今 仄かな 内臓の感触が 現実を教えてくれる 「今まさになすべき事を熱心になせ」 どこにおいても (B-REVIEW 9月のお題詩「ネットとリアル」×「カタルシス」)

2022-09-17

「カタルシス」 紙の上で 走り出す 文字が 文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が文字が    白かった 紙の上で 次々に生み出され 埋め尽くし 絡み合い 舞い踊り 書かれ 綴られ 織り込まれ 天と地の間において既に完成された 文字が 詩が 言葉が 目の前の神の上 秩序が破壊され 完成へと突き進んでいく 気が付いた時 ボロボロの体に 満足げな心と 生まれ出でた 一編の詩が 机の上に転がっている (B-REVIEW 9月のお題詩「ネットとリアル」×「カタルシス」)

2022-09-17

返歌する コメント欄で やってみる それでいいかな? 即興でも ほんとなら 許されざるよな たましいに 南無阿弥陀仏 なむあみだぶつ 僕たちは きっと何かの 病だろう どれでも生きれ 儚いのだよ 業だって すべて飲み込む 言葉たち 心を守れ 南無南無南無と (すみません。短歌です。(杜子春、その他))

2022-09-06

思ったのですが、言いたいことをもう少し抑えて日常の風景から臭わすようにしてみてはどうでしょうか? 言葉をできるだけ削りつつ、もっとコロナ禍でのご自分の様子を描いて、そこからテレビ番組への心境をそれとなく書くとか。 秘すれば花、とまでは言えませんけども。 失礼ながら自分ならこんな感じにしますね。参考になれば。 外に出られない今日 倦んだ日々に テレビをつける 漆黒画面に色彩が宿った 映り続ける音楽 映り続けるバラエティ 昔よく見ていた番組たち もうつまらなくなって見なくなった 電源切って 色彩は消えて 漆黒画面に戻してしまった 次にこの漆黒に色彩が宿る時には もっとよい世界が垣間見れますように 倦んだ日々 窓の遠くを また見つめる (テレビ)

2022-09-06

安部公房はほんの触りを読んだだけなので何とも言えませんが。 蛾に愛を込めたつもりはなかったのですが、これはこれで愛なのかもしれないです。 命のやるせなさは人も蛾も牛も同じですし。 北海道はもう秋です。 (フィラデルフィアの夜に XXXⅢ)

2022-09-06

珍しい題材ですが、丁寧に書かれているのが良いですね。 最後はもう少し意表をついたりしても良かったかもしれないですが。 (風の宮殿)

2022-09-03

牛の世話に日々追われている牧場従業員から、即興で返詩を。 牛に右尻を舐められ続け 着ているツナギは乳首の様に涎にまみれる 麦稈不足とおがくず不足は 牛舎で暴れる牛の顔を糞だらけにする 予後不良のリスクが高い牛は 手早く出荷の憂き目に遭った 異臭の原因 人手も足りず 従業員一同 全身を糞に汚されている 洗っても洗っても洗っても追いつかない 洗剤さえも切れ始める それはそれとて 花が咲く 一瞬 人と牛の視点が合って その花の開花を願った (異臭と汚れ)

2022-08-26

最初ノートに下書きした時にはなかった最終連ですが。 パソコンに入力している時に、書かないといけない気がして付け足しました。 蝿にとっての絶望であり、自分の様な蝿に悩まされる人間には希望ではあるので。 (蝿取り紙)

2022-08-19

牧場に勤めていますが、どうしても蝿が大発生します。 しかも蠅は動きが早い上にこちらの気配を察知する能力が高いため、一々叩いてもいられないのです。 仕事の邪魔な上に衛生的でもないので、蝿取り紙に頼らざるえない訳です。 生き物に対する罠への嫌悪感は理解できますが、やむおえない点があるのをご理解ください。 だから最終連を付け足したというのはあります。 (蝿取り紙)

2022-08-19

善はなく 悪もなく 色即是空を見ながら それでも善を志向する 善の中で平和が廃れ 悪の内で平和が跋扈する 地獄へは善意によって舗装済みだ 善悪の前に 呼吸を 呼吸を 立ち止まって 息を吸い 吐き出そう 平和は 時に 何もない所から 化生する (B-REVIEW 8月のお題詩「化生」)

2022-08-17

 夜、一つの大きな衝突音がしました。 一瞬止まった光は、再びエンジンを大きく動かしその場から立ち去ろうとします。 ここには誰もいない。誰も見ていない。気づいているのはアクセルを踏み込む男と、撥ねられてしまった誰かだけでした。 でもいずれ警察が調べ上げ、この事故の事は大きく知られる事になるでしょう。 でも、そうはならなかったのです。 「ゴムタイガスギテオリマス。ゴシュジンサマ」 少しだけ、違うのでした。 「オマチクダサイマセ。ゴシュジンサマ」 街灯に一瞬照らされた、それ。 高速で駆けてくる。 バックミラー、点々と続く明りの中、その光の度に距離を詰めてくる。 冷たい笑顔が近づく。 頼りないお守りの様にハンドル両手に握りしめ、アクセルをさらに踏み込んでいく。 接近する小さい体、華奢に見える体。 闇の中、二つの物体に制限速度はもう存在しない。 急カーブを漂流するかの如く走り切るも、かわいらしいレースを多用したメイド服の少女が車に縋りついてくる。 「オヤメクダサイマセ。ゴシュジンサマ」 その声が、近くで聞こえ始める。 アクセルはこれ以上踏み込めない。 小さな手が車体にめり込ませ、窓からその顔を見せてくる。 冷たく笑う、作り物の様な顔で、穏やかに機械の声を出す。 「オトマリクダサイマセ。ゴシュジンサマ」 エンジンは悲鳴を上げ、運転する男の頭はすでに思考を停止している。 「トマラナニノデシタラ、ショウショウカンガエガゴザイマス。ゴシュジンサマ」 車体にめり込んだ手には、鉄線が巻かれていた。 ばらん  一瞬だった。 メイド姿の少女が消えた。  車に指をめり込ませ縋り付いていたその姿は、鉄線で雑に構成された人形へと変貌していた。 それも、有刺鉄線の人形に。  その体をほつれさせ、暴走する車へ絡みつく。 タイヤへ、エンジンへ、ホイールへ。 破裂し、破損し、摩耗する音が大きく夜を驚かせると、あとは静寂となったのでした。  静かです。 虫と蛙が、ゆっくりと歌を放つだけ。  ようやく停止した車から、体中の力を抜けきった男が転がる様に出て来ました。 その目の前に、一人の少年が立っています。 「安全運転してくださいね。あと警察に通報をお願いします」 そして男を尻目に去って行ったのでした。 その手には、冷たく微笑むメイド人形と有刺鉄線がありました。 https://ncode.syosetu.com/n1401fp/1/ (B-REVIEW 8月のお題詩「化生」)

2022-08-13

>詩が書けないと筆を折る >だがまた新しい筆が目の前に現れる >折っても折っても新しい筆が よく分かります。 ただ自分が作品にしないと全く残らないまま消えていく出来事はあるわけで。 それらが書いてくれよと、小銃が、苦痛が、経験が、原始仏典が、対戦車ミサイルが、ホルスタインが、黒毛和牛が、各種作業が囁いてくるように感じてしまいます。 >その事を暴けと >神様は私に言うのか 暴く訳でも暴かない訳でもなく、「ただ善い言葉のみを語れ」との釈迦の言葉通りに残していく事は大切な事かと。 そのように創作を続けてほしいです。 (見えるものと見えないもの)

2022-08-09

即興で返詩を。 乗り降りを 見送るたびに 牛々の 安寧願う モーの鳴き声 のりおりを みおくるたびに うしうしの あんねいねがう モーのなきごえ (駅 短歌七首)

2022-08-08

そのようにも感じられる作品になりました。 アンダーテールを知っている人なら二次創作だとすぐわかり、知らないのなら様々にイメージが湧く、そうしたかったので上手くいきました。 立ち止まれのフレーズが続くのはアンダーテールがマルチエンディングで、かなり落差のある内容になっているためです。 知ってしまった以上そう繰り返さざるえなかったです。 (メガロヴァニアの前に)

2022-08-02

そう思わせることができたのなら、成功のようです。 ネタバレですが、「パピルスのパズル」とはこういう意味です。 https://www.youtube.com/watch?v=76Rh4TbRs1M&list=PLPUGXakMkjRGVg2LCQmikR9EzJw04Ncuq&index=3 その他アンダーテールについてプレイ動画などで調べてくれるとネタを散りばめています。 (メガロヴァニアの前に)

2022-08-01

個人的には絶望感みたいなのをもっと転落する様に突っ込んでいってもよかった気はしますね。 それで最後、微かな救いがあるみたいにして。 推敲次第で傑作になりそうです。 (イキチガイの空)

2022-07-28

気づかれましたか。アンダーテールですね。 久しぶりにわかる人には二次創作だとわかる作品を作ってみました。 わざわざ三途にルビを振っていたのもそのためです。 (メガロヴァニアの前に)

2022-07-28

途中でなんだか現実感がなくなり白昼夢を見ているかのようで、そこが面白く思いました。 特に①がその傾向が強く、この中では一番良いです。 (断片)

2022-07-21

自分なりの返詩のやり方なんですが、元になる作品にある言葉の一部を引用して返詩にしています。 今回も同じやり方ですね。 言葉を引用しつつ、作者と元の作品に敬意を表すつもりで書けば良いかと。 (喪失と獲得 短歌七首)

2022-07-21

では返詩を。 小糠雨舞ふ中にただ自衛官たち捧げつつせし濡れ並びたる こぬかあめ まふなかにただ 自衛官たち ささげつつせし ぬれならびたる (喪失と獲得 短歌七首)

2022-07-19

他にこういうのを書いた人はいないかもしれないですね。 その点でも成功していると言えそうです。 インターネットの擬人化! あらゆるものが擬人化されてきた昨今でもない、いい発想ですね。 しかし、下手すると神様を人間が作ったみたいな事になるかもしれないので、上手く調整しないといけなさそうです。 (フィラデルフィアの夜に XXXⅡ)

2022-07-18

ラジオなどに組み込まれた金属も、そう苦痛ではない気がしたのでこうしました。 あと、元に戻らないとしまりが悪い気がしたので。 機械が何を考えているのか、動物が何を考えているのかを察するのより難しいですね。 (フィラデルフィアの夜に XXXⅡ)

2022-07-18

牛乳が良くないと言う人はいる 牛乳が良いとする研究結果もある それは体質にもよる どのようなものも良くも悪くもあるのだ わかるのは 牛は我らの友である 星々の下に我らはいる その星々が ミルクを流すのだ 白い河の様な ミルキーウェイ 飢えと渇きを癒してくれよ 我が友よ 牛たちよ 飢えと渇きを満たしてくれよ ミルキーウェイ (B-REVIEW 7月のお題詩「ミルキーウェイ」)

2022-07-13

乳搾り 天まで届け ミルキーウェイ 人の労働が 牛の生活とミルクとなり 子牛はこぼしながら 飲み続ける 神と同じように 無くなった 乳蜜流れる 楽園よ 乳は流れ 楽しみあり 地を這いずる我らは 苦しみと共に ミルクを流し捨て 楽しみと共に ミルクを送り喜ぶ 誰かへ それは天にまで続く 苦痛を無くす 楽しみがある 天にましませ ミルキーウェイ 牛飼う我らは 地に生きる 牛を見守れ ミルキーウェイ (B-REVIEW 7月のお題詩「ミルキーウェイ」)

2022-07-13

何かが大量にゆっくりとやって来る、というのを表現したかったのです。 少ししつこすぎましたか。 (フィラデルフィアの夜に XXXⅡ)

2022-07-09

じつは小説家になろうの企画で、ラジオを題材にしたホラーを募集していまして。 それで書いた作品になります。 ラジオの中にある針金、と言う所から考えてみました。 言葉にならない物を送れたようで、よかったです。 (フィラデルフィアの夜に XXXⅡ)

2022-07-09

倦んだ日常や世界に対する最終連。 ナイフの輝きなのか、閃光を放つ雷をナイフに例えているのか。 最終連の切れ味は効いています! (ナイフは決して器用じゃない)

2022-07-07

>ちぎり絵のような油絵のようなそういうイメージで読めました。 そう言われるとそうですね。 場面場面を点描の様にピックアップしているので。 >まるでジブリにでも出てきそうな人間様は指を咥えて見てるだけって科白が飛び出しそうで参りました。 人間には限界がありますし。 ジブリの登場人物にはなかなかない泥臭い(というかアンモニア漂う牛糞臭い)現場です。 (泥沼(牛舎))

2022-07-02

麦稈(ばっかん、と読みます)は要するに麦わらです。 牛の寝床に敷いたり、牛に食べさす事もあります。繊維質多めなので、大人の牛には下痢予防になるとか。子牛には食べにくいですが。 ブルドーザーは酪農・畜産では必須アイテムです。 牛舎の糞をだしたり、餌となる牧草を運んだり、トレーラーをつなげて牛を運んだり、除雪にも使います。 団子の様に眠っているのが、牛にとって幸せな状態です。 なのでそうさせるのが仕事ではあります。 あとかわいいです。 (泥沼(牛舎))

2022-06-30

色々現場の状況を盛ってみました。 牛は生き物である以上、性格や体質は違いますが、基本臆病なのに好奇心旺盛で、特に子牛はよく恐る恐る(場合によっては何を考えているかわからないほどストーカーレベルでしつこく)寄ってきます。 病状が急変する事もたまにあり、付きっ切りで看病することもありますが、情は移るかと言うとまあ肉牛だからと割り切っています。 大変かもしれませんが、以前勤めていた牧場であった13時間労働や、自衛隊時代にやった真冬の雪中行軍や炎天下の40キロ行軍よりだいぶマシです。 ユーチューブに「田中畜産の和牛チャンネル」というのがあり、より肉牛の現場を垣間見れるかと。 (泥沼(牛舎))

2022-06-30

では即興で返詩を。仏教オタから。 護るべき事は守れず 祈るべき事は祈れず 罪深き我らは それでも心動くままに 手を合わし 合掌し 身勝手に祈り 嘆き悲しむことしかできない 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏の計らいを信じて 南無阿弥陀仏 罪に気づいたこの縁は 神か 阿弥陀仏の 慈悲によるものか 何も善をなせぬ者を まず御救うという 阿弥陀の本願を ただ信じて いずこで苦しむ私の様な誰かよ 南無阿弥陀仏 どこかで呪わずにはいられない私の様な誰かよ 南無阿弥陀仏 平和を祈りながら真逆へ進む私の様な誰かよ 南無阿弥陀仏 極楽浄土か天の国で もし会えるのならば 南無南無南無阿弥陀仏 私の様な誰かよ なおも祈ろう 御救いを (×××××に栄光あれ)

2022-06-29

一言コメント感謝です! 書いてよかったです! (牛団子)

2022-06-29

即興で返詩を。川柳で。 最後の日 僕らは行くよ 門出の春 (春)

2022-06-25

豚についてはわからないですが、丸くなるかもしれません。 とりあえず、牛はかわいいです。 あとおいしいです。 (牛団子)

2022-06-25

文芸との相性は自分が勝手に思うには、うし、という語感がよいのが一因としてあるのでないかと。 うしという言葉をかなり多く続けた作品を書いた事があるのですが、どこかユーモラスでちょっと動きも感じられるので。 https://www.breview.org/keijiban/?id=8379 ちなみにこれです。 自分が世話しているのは肉牛なので、いずれ食べられていくんですよね。 想定はしてなかったのですが、確かに団子は基本食べられていきます。 あと、実家が酪農家の友人は、牛の匂いが落ち着くと言っていました。 おがくすをこまめに代えればそこまで匂いはないかと。 (牛団子)

2022-06-25

書いた甲斐がありました! ありがとうございます! (牛団子)

2022-06-25

子牛というのは本当にかわいらしいんですよね。 産まれた時から大型犬位の大きさがあって、空気を読まなくて、しつこくて、無駄に好奇心が強くて、なのに臆病で、和牛だとしょちゅう治療が必要で、一度逃げたらつかまらないんですが。 なるほど、このおがくずの件などを多く絡めた作品を書いてみるのはいいかもしれないですね。 検討してみます。 (牛団子)

2022-06-25

牛って横倒しになって眠るより、丸くなって眠る事の方が多いのです。 自分が今世話しているのは大体生後1か月から半年くらいの子牛なのですが、生後三か月くらいすると内臓が成長してきて腹が大きくなっていきます。 そうなると丸くなると、団子っぽいです。 とは言えこういう見方をするのは自分位なので、作品にしてみました。 (牛団子)

2022-06-24

牛がすし詰めになって丸くなるのは床に敷いているおがくずを変えた時なので、おがくずに目が行っきました。 少し視点がぶれてしまったかもしれません。 ただウッドショックでおがくずが一時期不足してやきもきしたので、ご勘弁を。 (牛団子)

2022-06-24

どの紛争、戦争を想定するかでイメージが変わっていきます。 それだけ完成度の高い作品なのではないでしょうか。 もはや音楽や合唱になってしまった銃声が鳴りやむ事を祈りつつ、評価したいです。 (ト音の休日)

2022-06-16

喉奥から不随意に音が出始め 体はそれに応じるように 壁に机に床に頭を打ち付ける 固く心に誓った戒めは 酷く容易に破られ 多くの人々の目前で 決して見られたくない 無様な様を さらけ出してしまった もう戻る事の出来ない もうまともな人間だと思われていたさっきまでの 時間に 無意識に戒めを破壊した 俺が何よりも悪いから この世の誰よりも悪く見られ 言われ続けるのだ 悲しくないのに痛みもないのに 涙は流れ続け 平静を装いたいのに 顔は醜く悲痛に歪み続ける もう終わりだ 終わっても終わっても未だ終わらない 終わりだ この世から消滅する事を望みながら それを果たせもせず また誓った戒めを なおも破り捨てる事になるのをわかりつつ この世の隅へ 体を引きずっていく トゥレット障害 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88%E9%9A%9C%E5%AE%B3 苦諦 苦痛はあり 集諦 原因があり 滅諦 無くすことができる 道諦 正しい方法に従う事で 言語化することで 四聖諦   (B-REVIEW6月のお題詩「破戒」)

2022-06-14

誰の目にもとまる事のない紫陽花を発見し、その様を上手く観察できています。 どこか悲しそうでもはっきりと咲いている。 それを教えてくれました。 (花)

2022-06-06

職場の近くにゼンマイやクサソテツといったシダ植物が多く生え、食費を浮かすためにも収穫しているのですが。 そんなシダが家族が頭を寄せ合っているように見えたので、書いてみました。 以前から何かとシダを収穫していて、成長の様子を見ていたのがよかったようです。 (フィラデルフィアの夜に XXXⅠ)

2022-05-25

何てことのない日常ではありますが、むしろそれがいいですね。 うまく描写しています。 (ずっと一緒にいられたら)

2022-05-23

確かにこういう描写はあまりないですね。 バケツをひっくり返したような大雨の音はこんな感じだと思い、このようにしてみました。 フィラデルフィア・ワイヤーマンと仮に言われている人物からこのシリーズはできているので、アメリカ独立戦争のことは全く想定外です。 でもそういった方向で話を考えてみるのはありかもしれません。 (フィラデルフィアの夜に XXX)

2022-05-19

生きとし生けるものは、幸せであれ  スッタニパータ 釈迦の言葉を呟きながら、いかんともできない世の中を 藻掻き 足掻き しがみ付く 「お前は何も知らない愚か者だ」 他人と自分から蔑まれ でも目の前にいるのは 抵抗する命だ まだ動く なら機会はある その微かな希望に 体と脳を暴発させるまで動かし その腕を伸ばす 死の前では無力でも 無知蒙昧な我らはそれをやり続ける 諦観は下がれ 今は意味がない 愚直さは 時に力を与える 一切の生きとし生けるものは幸せであれ たといどのような惨劇に見舞われるとしても 今ここで呼吸できることに 価値がありますように (B-REVIEW 5月のお題詩「生命」)

2022-05-18

あまりない構成のため読みにくかったかもしれません。 左右で対照的な光景を描写してみたかったというのがこの構成を思いついたきっかけではありますが、いかんせん慣れないと読みにくいんですよね。 個人的には好きなんですが。 よろしければまたお読みください。 (照明弾)

2022-05-18

自衛隊時代、照明弾が夜の演習場に輝いていたのを見た事があります。 意外と明るいんですよね。その数分の間にできる事は多々あるので、様々に動く事と思います。 この二段にするのは15年ほど前にしばしばやっていた書き方になります。 一度読みにくいと言われ、あまりやってはいませんが、久々にやってみました。 夜が明るいと言う両義性がある事柄ですし、表現としてよかったかもしれません。 (照明弾)

2022-05-16

それでも敬意を 我らの労力と思いと金額を その牛に注いだ するのだろう 牛とのダンス やるのだろう 血祭りの惨劇を 敬意を払ってくれ その鎮魂の碑に向かう命に 我らの糧になる命なのだ その血肉と心を 誰かの血肉と心にする 沈黙の枝肉となって 冷蔵庫に無数にぶら下がるとは言え 綺麗な音楽は流れなくとも その肉には血が流れ続けていた 敬意を 敬意を 数年間全力に牛として生き続けた命へ 最後言ってくれ 「合掌 いただきます」 と 最後行ってくれ 鎮魂の碑に (B-REVIEW 5月のお題詩「生命」)

2022-05-12

牛が産まれ 死んでいく 牛が産まれ   死んでいく(脚に奇形があり、早くに出荷。肉となる) 牛が産まれ(生まれた当初低体温でカフェイン投与しデキサメゾン静脈注射。風呂に入れるなど                      必死の介護で生存。今は元気に牛舎の中を駆ける) 死んでいく 牛が産まれ   死んでいく(立てなくなり骨盤を器具で引っ掛け立たせるも、予後不良。安楽死。牧場の牛の改               良に貢献した牛だった。治療および介護は一週間以上続いた) 牛が産まれ(難産。逆子の上、足から出ずに尻から出てきたため、引っ掛ける場所がなく       獣医により、何とか介助出産) 死んでいく (ただその時折れた足が回復せず、予後不良。安楽死) 牛が産まれ 死んでいく(肉牛として去勢後、肥育され屠畜。A5ランクの肉として高級焼肉店で供される) 牛が産まれ(無事生まれるも 死んでいく 狐に襲われ死亡。子狐を連れた親との話) 牛が産まれ(同じ日に三頭連続出産。すべて安産)   死んでいく(その先日、牛が首を不慮の事故で吊ってしまい、死亡) 牛が産まれ(当初呼吸せず。人工呼吸器を使い、また逆さに吊り下げして呼吸確保。デキサメゾン静脈注射し、次第に活力を持つ。生存) 死んでいく 牛が産まれ   死んでいく(出産直後で体調悪化。そこをカラスに集団で襲われる。乳房を突き破られ大量出血。       死後業者が回収に来るまでの間、覆っていたシートの間からもカラスが啄んだ) 牛が産まれ(産道に手を入れ、バイタル確認。一時間後出産)  死んでいく(その時には死亡していた。原因はっきりせず) 牛が産まれ(難産。数人がかりで出産介助。足に鎖を絡め、引っ張り出す) 死んでいく(だが、死産。親牛も無理な介助が悪く死亡) 牛が産まれ(子牛が大きく獣医により帝王切開。体重65キロの記録的な大きさ) 死んでいく 牛が産まれ(数度に渡る輸血と点滴に数十回の投薬を超え、病弱な子牛が跳ね回る) 死んでいく(寝返りを打てず、腹にガスが溜まり、内臓が圧迫され、死亡) 牛が産まれ   死んでいく 牛が産まれ   死んでいく せめて幸せでいてくれ 最初から最後の時まで 全力を尽くすから (B-REVIEW 5月のお題詩「生命」)

2022-05-11

今回、兄と妹という関係を初めてフィラデルフィアシリーズに出しました。 元になったユーカラがきっかけですが。 そういったところからもこれまでとは違った雰囲気になったかと思います。 (フィラデルフィアの夜に XXX)

2022-05-11

「非難されるばかりの者も、褒められるばかりの者もいない。未来にもいない、過去にもいない、現在もいない」 釈迦 ダンマパダ なぜそこまで「ただ何もしないこと」を望むのかは不思議には思いますね。 (彼の望み)

2022-05-03

では黒毛和牛の子牛の世話に追われている牧場従業員から返詩を。即興で。 真っ白なキャンパスに 色を塗りたくり 理想を描こうとした時 子牛たちの視線に気づく 真っ黒な子牛たちがじっと見つめ モーと呟いた ああ 餌だな 風邪は引いたのか ミルクは飲んだか 腹にガスは溜まってないのか 下痢は治ったか てんてこまいの日々を送り 疲れ切り キャンパスに目をやった いつもの子牛たちが描かれている これでよいのだ (vanished Ideals)

2022-05-03

では即興で返詩を。 釈迦さえも誹謗されたこの浮世で 一体何が苦痛でないと言うのか 脱す 脱す この浮世から この心だけでも 脱出する 「務め励むのを楽しめ 心を護れ 自己を難所から救い出せ」 この釈迦の言葉を胸に 自らの心を我が主にする その努力を進めよう 多くの人々が罵倒を止めない それは反応しなければ消える 妄想ではあるのだ 「最もよい復讐は自分まで同じ行為をしない事」 哲人は言う 善き人の道を辿れ 知ろうとしない者は尽きる事はない 善き人の道はそんな世間を超え 多くの善い事に繋がる 独りでよいのだ 理解されなくともよいのだ 過去の 現在の 未来の 善い人々と共に行く 背筋伸ばし 正しく呼吸し 善い人々の 言葉を糧に 苦難を超越する (ターゲット)

2022-05-02

もう少し広がりを持たせれるように思います。 最後に多くの人々や物事に対する祈りや願いを付け足す事でよりよくなるはずです。 方向性は悪くないです。 (我慢)

2022-05-01

今回、元となったのはヤマケイ文庫「アイヌと神々の謡」に収録されているユーカラ「大空に描いたコタン」です。 元になったユーカラに、落ち込んでいる妹に兄が空に昔住んでいたコタン(集落)を描いて励ましたというストーリーです。 空に情景を描くという発想が印象的だったので、そこから発想を広げました。 元になった話を上手く昇華できたのはよかったで。。 (フィラデルフィアの夜に XXX)

2022-04-30

「神はいるかもしれないが、私には関係のない物だ」 とあるスリランカの僧侶がこんな事を言っていましたね。 種、芽吹ける状態でなければどうすればよいのか。 3000年待った蓮の花のように待てと言うのか。 摺りつぶされ飲み込まれた種は、何なのか。 とは言え、そんな種の分まで >公に叫びつづける他救われることはない。 という事かもしれません。 自分もまただから詩を書くと言う面はあるので。 即興で川柳を、返詩として。 咲かずとも 届け言葉よ 光あれ (心のグラデーション(初投稿))

2022-04-24

何よりです! (コント原稿 締め切り前)

2022-04-21

実は元々は小説家になろうの企画で漫才とコントの原稿を募集しており、そのために書いた作品になります。 その企画の規定がボケ、ツッコミと表記することだったので、そのままここに投稿しました。 とは言え消してもよかったかもしれないですね。 以前にもコント原稿を一回投稿しているのでよかったらどうぞ。 https://www.breview.org/keijiban/?id=4659 あと小説家になろうに投稿しているのを。 https://ncode.syosetu.com/n5724gk/ https://ncode.syosetu.com/n9144fu/ https://ncode.syosetu.com/n5335fu/ https://ncode.syosetu.com/n0716fu/ https://ncode.syosetu.com/n9886ft/ (コント原稿 締め切り前)

2022-04-21

Buddahを 三千世界を巡り 輪廻を超えるも Buddahを見つける事ができなかった 言葉の代わりに血を垂れ流し 安全な所から空虚な声が消えていく いつまでも走らされ ゴールは今も見えはしない 大粒の涙は流れ落ち 理は銃声にかき消される Buddahよ Buddahよ いずこにおられるのだ 「如来はただ教えを説くのみである」 ダンマパダ 自らがBuddahになるのだ 生きる意味はなくとも 苦しみを無くす意味はあり 受け止められぬ消えゆく言葉は 時に心に遺される 良い言葉を残せ Buddahがいない怒りよ Buddahを探した執着よ Buddahに求めた妄想よ 反応せねば消え去るのだ 過去に 未来に 現在に Buddahは言葉を残している Buddahは行為を残している Buddahは歩めばいつか成る 手を合わせ 今この時 一瞬 Buddahとなる (B-REVIEW 4月のお題詩「B」)

2022-04-19

「Bを押せ」 Bを押せ まずBを押せ 世界を変えろ 最高速度で走り出せ 速くなる音楽 速くなる鼓動 速くなる思考 忘れていく日常 倦んだ日々は 真正面の画面にだけ 焦点を合わせて Bを押せ 超えていけ 果てしない断崖さえも 飲み込まれそうな虚空さえも 邪悪を 闇を Bを押したその瞬間から 十字キーの方向へ 押したBは 汗を吸い 心に応え 熱を帯びる 力を込めろ 世界が変わる 遠くから見れば狭い世界 深く 遠くへ 走り抜く コントローラーを 握れ Bを 押せ (B-REVIEW 4月のお題詩「B」)

2022-04-12

これをプロットにしてもっと体裁を整えた小説にできる気はしますね。 ライトノベル風にしてみたらどうでしょうか。 内容もそっちに近いですし。 あと個人的には擬音は上手く使わないと安っぽく見えてしまうと思います。 漫画なら視覚的に迫力を出せますが、文章だと余程じゃないと擬音そのままは厳しいかと。 >ゴッ フグッ ここなんかは「男の骨が砕け落ち 肺からは死の音が排出された」みたいな描写はどうでしょう?  (人身売買)

2022-04-06

では即興で短歌を。 ガムを噛み モグモグモグと 牛リズム 合わせて噛むよ 牧場にて   (スィーツ三昧 短歌三首)

2022-04-06

一概にはいえないんですよね。そういう面はありますけど。 銃声と砲撃音に今までの生い立ちと仕事経験から郷愁を感じてしまうので。 (砲撃音)

2022-03-30

申し訳ありません。自分の読解力では意味をくみとれないです。 どういう事でしょうか? (砲撃音)

2022-03-29

北大演習場でしたか! あそこも相当大きい演習場です。一回行軍したことがあります。 別海だとまだ国道を超えての実弾を演習やる事があったと思いますが、沖縄では難しいでしょうね。 人口密度的にも。 (砲撃音)

2022-03-29

手前に牧場がある駐屯地となると別海駐屯地かもしれませんね。 だとすると相当な僻地ですが。 そこだ日本最大の演習場があるので、よく演習の音が聞こえるかもしれません。 南の島だと米軍も演習をするでしょうね。 米軍用に亜熱帯気候に対応した演習場があるとか。 その音の元に、人を護るために必死に訓練している人がそこにはいるので、単純に嫌わないでほしいですね。 色々思う所はあるのでしょうけど。 (砲撃音)

2022-03-27

どうにも今日見つけた言葉を載せたく思いました。 より歩けますように。 自分の存在なんて無用なものだということをよろこびたまえ そしてカツカツと歩きたまえ そうして、自分が誰であるか思い出したまえ イタリアの作家オーデンが名付け子に送った言葉 (明日がはじまる)

2022-03-25

砲撃音を聞くと牛は驚いて警戒はするかと思いますが、すぐに慣れて餌を食いに行きそうな気がしてなりません。 その音は恐怖を与えるものではなかったのでしょう。 やはり、「聞きたいように」聞いているのだと思います。 ちなみに元になった言葉はこちら。 「人間ならば誰にでも、現実の全てが見えるわけではない。多くの人たちは、見たいと欲する現実しか見ていない」 ユリウス・ガイウス・カエサル (砲撃音)

2022-03-24

20代の頃、陸上自衛官として対戦車ミサイルを扱っていました。 幼少期は実家が演習場の近くだったので銃撃音や砲撃音に慣れ親しんでもいました。 30代は専ら牛の世話をし続けているわけですが、未だに自衛隊時代の人たちと会う事もあり一部の人が嫌悪するだろう音には懐かしさを感じてしまいます。 そんな経験から書きました。 「人間ならば誰にでも、現実の全てが見えるわけではない。多くの人たちは、見たいと欲する現実しか見ていない」 ユリウス・ガイウス・カエサル まさにこういう事なのだろうなと。 そういう人々の思いを一切感じることなく、 >牛は立ったついでに餌を食む あの地でかの地で、一切の生き物が幸せでいられる時が来るのを祈ります。 (砲撃音)

2022-03-24

うかつにも見逃していました。 プロフィールによると初心者との事ですが、独自の世界を作っているように思います。 このままたくさんの作品を書いてほしいです。 最後の連はとても印象に残ります。 (木の根明く音 風に聴け)

2022-03-19

こんな一行目ですでに54作品も書いてしまいました。 よかったらどうぞ。 https://ncode.syosetu.com/n5588fv/ (フィラデルフィアの夜に XXⅨ)

2022-03-15

それは初めて言われました。 ある程度リズムを守るようにはしているので、その点は朗読に向いているかもしれません。 (フィラデルフィアの夜に XXⅨ)

2022-03-14

様々な言葉と情報が入り混じり、独自の世界が意味が判然としないものの、心地よいです。 ツイッターより長い分さらにその傾向が強まりました。 もう少し読み込む必要がありそうです。 (喘息の少年の世界)

2022-03-03

牛は犬や猫よりもはるかに空気を読まず近づけば、うしうしうしうしうしと、好奇心のままやってきては牛であり続けます。 イラつくことはありません。だって牛ですし。 牛にとっては突然の死はまあまああるのです。 病気や事故による予後不良との診断での安楽死、難産による死、食肉にするための屠畜。 悲劇の日、というのは肉牛への言葉でもあります。 (今はただ)

2022-03-01

牛に尊厳という概念は全くないまま、全力で牛と言う生を送っているのが、結果的に生命賛歌の様な祈りになっているかもしれません。 その描写がよかったようです。 (今はただ)

2022-02-28

言葉にならない日々になるのも仕方ない気はします。 それでも良い方向を向ける手助けになれたら幸いです。 (今はただ)

2022-02-28

あ、上のはねねむさん宛です。 (今はただ)

2022-02-27

ウクライナがきっかけで書いた作品ですが、東日本大震災(自衛隊時代行方不明者捜索をしました)や胆振東部地震(停電で当時勤めていた牧場で搾乳できなくなりました。発電機を調達し何とか搾乳しても牛乳は一日分廃棄です。他の牧場では搾乳できなかったため亡くなった牛もいたそうです)も念頭にありました。 以前このような主題でビーレビに投稿しましたが https://www.breview.org/keijiban/?id=373 今の立場で改めて日常を送る事で祈りを捧げたく思いました。 生きとし生きる物は幸せであれ 釈迦 スッタニパータ (今はただ)

2022-02-27

本当にそうなんですよね。 栄養学的には肉をある程度食べないと健康を維持できないようですし。 牛などの家畜を飼い、食べざる得ない。 牛はそれを知る事もない。死んでしまう日さえも。 牛が子供を産むのは人のためです。 ただ、もはや野生で生きる事のできない肉牛(かなり病気になりやすいのです)が子孫を後につなげるのも事実。 とりあえず、目の前の幸せを追うのが正解かと思います。 (今はただ)

2022-02-27

言葉をこのような形で制限する試みは、ある意味芸術的で興味深い。 ある程度人を集めて同じ試みをして、まとめてみてたらどうでしょう。 コラージュして作った詩と切り抜いた新聞紙をたくさん並べて、ギャラリーに並べれば視覚的にも楽しめそうに思います。 (Plung into concrete)

2022-02-22

悲惨に思える境遇を言葉遊びをしながらなんとか乗り越えようとしているのでしょうか。 独特の面白味と強さを感じます。 (鳥文)

2022-02-22

恐竜の言い回しがいいですね。 それだけで雰囲気が伝わってきます。 絶滅しているというのもあるのでしょうか。 即興で長歌を返詩として。 絶滅の 恐竜に 踏み下ろし 一気筒二回 一連動き 跳ねる命よ (1気筒が2回動いて)

2022-02-15

丁寧に情景を描いた作品になりますね。 個人的にはもっと発見や驚きの描写があってもよいと思います。 この人物の心象を、さらにどぎついまでに表してもよいかもしれないです。 (干潟にて)

2022-02-12

一瞬の10mlシリンジの様子を描写したかったので、かなり瞬間的なものになりました。 子牛には名前はなく、認識番号があるだけです。 愛玩目的でも動物園でもないのでそのような扱いになります。 もっともできる限り大切に、時に神経をすり減らしながら、十分な治療に給餌を行いながら、世話をする日々ではありますが。 (10mlシリンジ)

2022-02-08

なるほど。視点が面白いですね。 即興で返詩を。 赤い顔 思いつないで 文字を飲み 東京都 雨冬の中 地蔵君 待ちわびる 言葉伝えに 少年は  (顔だけ生えた君は朱色)

2022-02-06

正直暗い内容の作品なので本当にいいという評価を下さるとは思いませんでした。 確かにこのどうしようもなかった子牛の死という現実を超えるために書いた面があります。 それがよかったみたいですね。 ゲーテは「最上の時にも最悪の時にも人は芸術を必要とする」という意味合いの言葉を残してますが、現実を超えるために詩は有効なようです。 (剖検)

2022-02-06

先日あった実話を描いたのがこの作品です。 感情的になる暇もなく、すぐ側にいる子牛が病気になったり腹を空かせたりするので淡々と過ごすしかなかったりします。 精々この出来事から教訓を得ることぐらいしかできないですし。 食肉になっていく牛たちと人間はある意味ですは違いますが、死ぬという事はかわらないでしょう。 (剖検)

2022-02-05

即興で返詩を。 錨あれ 錨あれ 錨あれ 我を繋ぐ 錨あれ 荒波にゆれ 放逸に漂い 毒を吐き出した 錨あれ 錨ある 怒りなく 怒りは消え 海に沈み 慈悲を祈ろう 世間は波に 毒に 怒りに 漂っている この海に錨を下ろし 微かな光を見出そう 怒りなく 錨ある 怒り消え 錨沈む ここにあって 甘い怒りは 消え失せる (怒りあれ)

2022-01-30

われらは一物も持っていない。大いに楽しく生きていこう。 釈迦 ダンマパダ 即興で返詩として川柳を。 苦と苦と苦 何も持たずに 下車をし (電車)

2022-01-29

展開が少々予想外ですね。 どこからか逃げ出し、でもそれに罪悪感を感じてしまったのでしょうか。 即興で返詩を。 「慈悲」を思い 「無常」を思い 「感覚」に集中し 毒は超える 耐え忍ぶな おのれの心を護れ 白く消える 冬の息 猛毒散らす 一呼吸 (冷気)

2022-01-23

>体を洗っても >飯を用意しても >薬を飲ませても >歯を磨いても >布団を敷いても >礼の一つも言わないのだ 自分は牧場で生後2~6カ月の子牛を日々世話をしているのですが、真っ黒な子牛たちを思い浮かべてしまいました。 餌をやって薬を飲ませたり注射したり、中耳炎の治療したり、脱水や低体温なら点滴したり。 でも何をやっても結局、興味深く見つめて近寄っては舐め回してきて、モーと鳴くばかりです。 >糞まみれの尻の穴を拭いても同じこと >だが、私は知っている >彼らの肛門のような所に、最高のリアリティ現実は、息を潜ませている >それを昆虫のような眼差しで、見つめなければならない 同意です。 自分は酪農を7年、肉牛はあと少しで1年従業員をやってますが、そういう汚いところにこそ詩情があったりしますね。 牛の世話とは糞尿と戦う事でもあります。 牛の肛門に体温計を突っ込んで健康管理。 思えば肛門ばかり見る仕事です。 障碍者介護も同じなのでしょうか。 肛門よ 糞クソ出して 真理説く (肛門のリアリティ)

2022-01-23

g百円の牛とは年取って廃用される乳牛なのかと思いつつ、即興で長歌を。返詩として。 さて何処へ 分割の牛 血抜き鹿  潰れ蛙に 集まり群れる 野次馬と 靴を履く僕 転生し みんな人間 一万遍超え その先探す   (いつ?どこで?きみはなんのために)

2022-01-23

言葉を追いかけたらナンセンスながら面白い世界を築けているのはよいですね。 こんな絵本があってもおかしくない。 >時計の狂いを直せるものね この一節の解釈で悲劇か喜劇かわかれるかもしれないですね。 (あなたとキリンとパノラマ屋敷)

2022-01-04

実は小説家になろうの企画で流れ星で童話を書こうというのがありまして。 それで書いたのがこの作品です。 あまり童話的ではなかったかもしれないですが。 強烈なイメージを出せたように思います。 そこはよかったですね。 (フィラデルフィアの夜に XXⅧ)

2022-01-04

クリスチャンらしい作品かもしれないですね。 >我らは信仰そのもの 信仰が人の形をとって 創られた擬者 こことかよく考えるとかなり不思議。 ある種の人形なのか? では即興で返詩を。 友よ 我は生きとし生ける者を 傷つけることはない 友よ 我はいかなるものに 傷つけられる事もない 友よ 我にあなた方の様な 信仰はない 「自らを整える事で最上の主を得る」のが我が道だからだ 友よ でも恐れるな でも隠れるな 闇はなく光もない 闇はあり光もある 如何に感じるのかは 心次第ではあるのだ 友よ 語ろう 我はあなた方が出てくるまで 脚を組み 手を合わし 呼吸を整え 天地と一体となり ここで待つ 友よ 良き友よ ここで待つよ (かくれんぼ)

2022-01-02

即興で返詩を。短歌で。 儚くも 祈り願いし 人の夢 例え悪しくも 響けわれの声 (儚きこと)

2022-01-02

少々切ないですね。 かすかな雪灯りの分、守られているのかもしれませんが。 (通学路)

2021-12-29

『フィラデルフィアの夜に XXⅧ』 フィラデルフィアの夜に、針金が飛びます。 空家、廃墟の一室。 夜の闇の中、空を見上げている。 天を睨みつけて。  もし灯りがあるのなら、その男については十分に知れる。 苦悩、苦痛、苦しみ。 それらが積み重なり続けたと。  人を避け、いつしか言葉も失った。 夜を、ずっと睨みつけている。 あの漆黒に怒りを溜込んでいる様な、顔で。 闇空に憎しみの楔を打ち付ける様な、心で。  バシン  音。 静寂だった一室に、音が弾けました。  月が照らし始めた壁に、針金が刻み込まれた如くめり込み、形を作り上げています。 “心よ イバラと化した わが心よ 世界に広がれ” そう書かれた文章は浮き上がり形を変え、羽ばたきました。 男が睨みつけていた、空に向かって。 そしてそれらは羽ばたきながら分裂し、ばらばらに飛んで行ったのです。  孤独に伏せる人  縮こまり震える人  うなだれ立ちつくす人  一人顔を覆う人 彼らの元に針金が降り立ち、壁に地面にあの文章が刻み込まれ広がる。  彼らは、その文章を見、手で触れ、感じました。  その日以来、男は針金を手にする。 苦痛、苦悩、苦しみのまま、折り曲げ綴る。 言葉を、心を、文章を。  それは不可思議にも形を変え、空を飛び、分裂し、誰かの元へ届く。  この世に捨てられたみんな、夜になると空を見上げ届いてくる文章を待ちわびるのでした。 (「びーれびしろねこ社賞」 応募スレッド)

2021-12-12

産まれてきた子牛は本当にしつこく拭わないといけないのです。 子牛を凍えさえないためにも(真冬は零下20度になる地域です)必須です。 また子牛の状態をよく見ないといけないのもあり動きをよく見ているのはあります。 ホルスタインに比べて和牛はかなり体が弱いのが怖い所ですし。 (子牛に一回に最大8種類の薬を投与することも) とは言え必死に処置し続けているのが作品としてはよかったみたいですが。 子牛はかわいいし、健康維持に心を砕いてはいますが、最後は肉にしてしまうし、なかなかショッキングな方法で去勢してしまうし。 それでも幸せに過ごさせてやりたいですね。 (子牛を拭う)

2021-12-09

何度も目にした印象的な場面を描いたのがよかったかもしれないです。 地味で地道な労働の場面と言う、自分の血肉になりつつある部位を描く事が強い作品の条件のひとつかもですね。 社会に出てから自衛隊と牛関係の仕事しかしてませんが、そんな経歴がいきたようです。 様々な血肉は本当に付きました。 (子牛を拭う)

2021-12-06

オス牛の場合、ホルモンの関係で肉が固くなり食用に不適になってしまいます。 なのである程度育ったら去勢しないといけないのです。 牧場によると思いますが、大体生後半年から一年の間あたりで去勢すると思います。 情景の描写は成功したようでよかったです。 (子牛を拭う)

2021-12-06

実は今の仕事の一場面だったりします。 子牛が生まれてきたらバスタオルで念入りに粘液を拭ってから諸々の処置をします。 それを描写しました。 畜産の現場としては日常ではあるのですが、知られていない場面ですし作品にした人もあまりいないので、良いかなと。 そして何分肉牛なので、最後はそういう事になってしまいます。 出来る限り幸せにさせるのが仕事ではありますが。 (子牛を拭う)

2021-12-06

『ゆりかご 揺れる』 砲音 響き ゆりかご 揺れる 人知れず 森の中 砲を 銃を 火器を 運び 携え 撃発する 地面が揺れる その時 ここにいると 時に伝わる 多くは知られる事もない 闇を歩き 雨に打たれ 山に潜む 銃声は掻き消され 誰も気づかない それがいい 忘れられた重荷を 背負い 硬い戦闘靴が 地面を揺らす ゆりかごよ 揺れろ 我らが護る (「びーれびしろねこ社賞」 応募スレッド)

2021-12-01

すいません。 単純に誤字です。 やってしまった……。 (子牛を拭う)

2021-12-01

即興で返詩を、川柳で。 死ぬかもな 家族なくした 俺の鍵  (冷たい孤独)

2021-11-30

即興で返詩を短歌で。 睨みつく 片目だるまと にらめっこ 不転不倒な 勉学の夜   (片目のだるま)

2021-11-25

そう言われると否定できないものがありますね。 鎮魂を、という思いが先走ったかもしれないです。 少々反省すべき点ですね。 (亡くした人へ)

2021-11-23

釈迦もまた亡くなれられて、言葉を残しました。 他にも糧にすべき言葉はあるでしょう。 自分もそれらを刻み、また残していきたいです。 (亡くした人へ)

2021-11-19

実はビーレビューで少しやり取りがあった方が亡くなられまして。 自分より年齢は下でした。 それを受けて書いたので、鎮魂歌という面があります。 多数の死者がいる中で、誰を悼むのか。 まず身近だった人から少しずつ亡くなった人たち全体を悼むしかない気はします。 (亡くした人へ)

2021-11-19

むしろ仏典は詩だったりします。 詩の形式で残されている仏典や弟子が釈迦の言葉を受けて即興で詩を詠んでいる場面なんかもあります。 聖書やコーランも詩が多く記載されており、宗教と詩は相性がいいようです。 愛語という言葉も仏教用語ですね。 (亡くした人へ)

2021-11-19

>「あまりにも早く亡くなられた、幸せな人はあまりにも早く亡くなりになった」 原始仏典マハーパリッニパーナの釈迦が入滅する時の弟子の言葉です。 >「全て同じ名の八万四千の娘がこの火葬場で荼毘に付せられた。汝はその内、誰を悼むのか」 原始仏典テーリーガーターでウッビリー尼という弟子が引用している釈迦の言葉です。 >「およそ作れたものは無常である。どうして滅びない事があろうか?」 原始仏典マハーパリッニパーナの悲しむ弟子に向けた釈迦の言葉です。 >「自らを頼れる島にせよ」 >「語られた言葉を頼れる島にせよ」 原始仏典スッタニパータの釈迦の言葉です。 (亡くした人へ)

2021-11-17

>ただ小さな誰かの亡骸だった。 先日、出産しそうな牛の産道に手を入れた所、バイタル確認できたので諸々準備し終わって様子を見に戻ったら、もう産んでました。 ただすでに死んでいました。 原因ははっきりしません。 さっきまで生きていた命が30分目を離した隙に死んでしまった。 そんな事を思い出します。 即興で川柳で返詩を。 いつかまた どこかで会おう 亡骸よ (とある鳥の詩)

2021-11-08

即興で返詩を、川柳で。 幸せに 遊ぶ僕への 甘い繭 (糖分の下僕)

2021-11-03

ちょっと蛇足でしたか。 放牧地にいる大半の牛に囲まれた事があるのですが、そういう感想を持ってしまったので。 乳牛だったので全員メスでしたし。 (うしうしと)

2021-11-01

牛というのは臆病な反面、かなり好奇心が強く何か作業をしていたらみんな近くに集まって無言で興味深くじっとこっちを見ている事がよくあります。 そんな牛がわらわらと集まっている様を表そうとしたら、「うしうしと」という言葉になりました。 なんだか語感が良いのでこんな感じに並べてみたら、歌になっちゃいましたね。 これはこれで面白いかと。 (うしうしと)

2021-10-30

今月の個人的な思いを上手く切り取っていますね。 >何台ものゴミ回収車が俺の隣をすり抜ける。 もう振り返ることはなかった。 なんだかこの箇所が気になりました。 猥雑な新宿だった成分がゴミ収集車の中に捨てられて、どこかに焼却されていくような寂しさを感じます。 (1bit、10月、ツイート詩、#、)

2021-10-30

言葉をコラージュしまくって独自の不条理でシュールな世界を形作っているのは好感が持てます。 こういうのは好きです。 (エウリピアデスにも思い出せない)

2021-10-30

確かにジャコメッティのひどく細い人物像を思い起こさせますね。この連作の特徴です。 実はフィラデルフィアについては良く知りません。ただフィラデルフィア・ワイヤーマンと仮に呼ばれている人物の作品がゴミ捨て場から発見されているので、フィラデルフィアを舞台にしています。 思えば焼却炉も不思議な存在です。どんなものも火によって灰や炭にしてしまう。浄化と言う作用も忘却という効果もある。 しかもその様子は基本見る事がない。 ゴミ袋と焼却炉という何が入るかわからないアイテムを使えたのが良かったかもしれません。 (【百物語】 フィラデルフィアの夜に XXⅥ)

2021-10-23

>だからこそ逆にゴミとして人が扱われた時に、普段ゴミとして扱っている物事の怨念みたいな物が人の形として迫ってくる正に「人事」になってしまうみたいな瞬間を描いているなと思っちゃいました。 そういう逆襲みたいな怖さもありますね。 予想外のところからの襲撃とも取れますし。 牛の子宮に手を入れるのは仕事柄しばしばあるのですが、あの中って見る事が出来ないブラックボックスなんですよね。そこに子牛が育っているという。 黒い袋というのは何が入っているかわからない子宮だなと。 実際ゴミをだす本人すら中身がわからなくなっている。 そこから怨念みたいなのが育っていてもおかしくはないのかもしれません。 今更ながら、ゴミという一言の中に多くの意味合いありますね。 うまくその怖さを引き出せたかもしれないです。 (【百物語】 フィラデルフィアの夜に XXⅥ)

2021-10-22

まさかここまで感想を書いて下さるとは思いませんでした。 百物語のお題にスーパーファミコンがあったわけですが、それで思い出したのがRPGツクールというソフト。兄の友人たちが自分自身や友達をキャラとして出して遊んでいました。 (受験をボスキャラにするのは兄の友人の発言を思い出してです) それで世界が壊れていくならどうするのだろう、これなら形になるんじゃないのかと思い、書き進めていきました。 それと20代の頃、意表をついた作品を書こうと考えて「バグったゲームの世界を舞台にする」というのを思いついたことがあります。 結局形にはならなかったのですが、それが出てきた面もあるかなと。 人によっては死が近づくのなら、誰が見る訳でもない遺書や物語を書くだろうと思います。 多少なりとも盛って。 それがこの主人公にとってはゲームを作る事だった。 アナウンサーのように自分ができる事をやったという事にもなります。 もしかしたらやりたいことをやるという単純な動機で最後にゲームを作ったに過ぎない気はしますね。 そしたらメタ的で複雑な事態を招いたようです。 >後はこの世界を浸食するバグという意味で、この作品における現実ってなんだろね?みたいな所はあんまり考え固まってないのですが、ただ、ここまで入り組んだ構造で、メタ的であり、メタ的な世界を更にメタ的に覆っていて、メタ的な世界とメタ的な世界に生きる存在の最後の日を描き切っているみたいなのは凄いなと思いますね。 そこまで考えていなかったのですが、相当な事態が発生してました。 思いかけずとんでもない事が起こる、この作品自体がある意味バグです。 (【百物語】 ワールド・ツクール)

2021-10-21

即興で返詩を。 言葉を出しても 誰にも通じない 必死の訴えは 馬鹿にされて終わる 勝手に体が動き出し 頭を壁に机に打ち付ける 吃音という トゥレット症という レッテルがない世界 レッテルがないから ただの異常者にされてしまう 本当は ほんとうとは なんなのか 馬鹿にされ気持ち悪がられ嫌悪され 遠ざけられ異様に思われ 怒られ怒鳴られ避けられ どうしようもない 自らを「優れている」とも「等しい」とも「劣っている」とも思うな。 諸々の言葉により自らの価値を判断しないようにせよ。 釈迦 スッタニパータより 善い言葉を聞こう 30年に及んだ苦痛は何も生まなかった 善い言葉を残そう 30年の苦悩を離脱した 言葉を 降り払え 振り払え この世に点在する善い言葉の力を借りて 生まれ変われ 生まれ変わるのだ 多くの善い言葉を吐き出しながら 叫び出せ叫び出せ 涙を流しながら 言葉にならない叫びをこの世に出せ いずれ言葉にしよう いずれ言葉になる 痛みが終わっていく 善い道をただ歩く (自分の愛し方すら知らない25歳の人生は)

2021-10-16

うしうしと かわいい顔して 頭突きして 牛に初恋なんてない 発情したら どことも知れない種をつけられるだけ うしうしと モーモー鳴いて 草を食べ 初恋しらない 妊娠してる うしうしと 子供生まれて ペロペロと 子牛なめなめ かわいがる (B-REVIEW10月のお題詩「初恋の日」)

2021-10-14

「初恋の日」 記憶ないから 書けやしない 牛の糞尿と共に肥料になって 畑に撒かれて消えてった 誰かの初恋の元になるなら それでいい (B-REVIEW10月のお題詩「初恋の日」)

2021-10-11

即興で返詩を。 怯えている 力を抜こう 怯えている 呼吸を整えよう 揺れる度に 姿勢を正そう 揺れる度に 動き続けよう 怯えるのは生きたいと思うから 揺れるのは 自分の心が揺らいでいる 生き延びよう たとえこの世が地獄でも それならばこそ そこに仏が居ようとする いずれ そこへ  (震度)

2021-10-08

では即興で返詩を。 怨憎会苦 身近な他人である親子であっても 求不得苦 愛しいとは限らず 愛別離苦 離れる事が幸せであることも 五蘊盛苦 ままならない心が 苦しみを産む 脱す 脱す 脱すのだ 気づくことのない原因が元となり 誰も気づくことのない要因が縁となり 人と人だけでなく どうしようもない災いが この世の王でさえ 神でさえ 見捨てざる負えない 苦悩が襲い掛かる時は 声にならない叫びを挙げることしか それさえもできない 苦諦 苦しみはある 集諦 苦しみには原因がある 滅諦 それは無くすことができるかもしれない 道諦 明らかにされた有効な手段によってのみ 「我らは何も持っていない  大いに楽しく生きていこう」釈迦 国も親も子も金も 大水と共に流されていく 正しく向けられた心はそれ以上に励みとなる 道を歩くのは心のまま 外れる事もない 脱す 脱す 自らと善い言葉を頼り この世を超える (親ガチャ)

2021-10-07

牛を世話していると、しばしば糞まみれになります。 なかなか酷い状態になるのですが、生きているとは汚くなる事のようにも思えてきます。 >虫を宿す 嫌悪感を抱きかねないものを体に宿すとは言い得て妙に感じました。 (メタトロン五右衛門)

2021-10-02

夏目漱石の作品は読んだことはありませんが、似たような作風なのでしょうか。 https://ncode.syosetu.com/n5588fv/ ここに気がついたら51作も並んでいます。 最近じゃネタをアイヌの昔話や山の怪談、金枝篇やらからも引っ張りつつ書いています。 よければどうぞ。 (【百物語】 フィラデルフィアの夜に XXⅥ)

2021-10-02

百物語の受付期間は過ぎてしまってますが、一人で勝手に延長戦という事で勘弁して下さい。 (【百物語】 フィラデルフィアの夜に XXⅥ)

2021-10-01

即興だったので、まさかそこまで評価されると思いませんでした。 七五調はかなり語感がよく、慣れると作りやすくもあるのでお勧めです。 川柳を連続してみたり、短歌だけでなく長歌の形式でやってみても面白いですよ。 (月)

2021-09-28

メタファーではなく、ただ単にバグが語り手にも浸食が及んだということですね。 バグが広がっていって逃げようもないから、スーパーファミコンを掘り出したわけです。 虚構の人生を残そうとして、しかもそれが誰もプレイすることがないと言う。 それでも残したかったのかと思います。 (【百物語】 ワールド・ツクール)

2021-09-28

この世は泡沫のごとしと見よ。ダンマパダ 色即是空 空即是色  般若心経  哲学の領域に入ると、実は結構この世も自分自身もある意味存在していないのではないか、という話になっていきます。 科学の視点から見ても素粒子が組み合わさっているだけであると考えると、この世は存在しているのか怪しくなってきます。  昔から議論されている所ですが、ここでドット絵の、よりある意味デジタル的な世界に自分を残したというのは、今風かもしれませんね。 (【百物語】 ワールド・ツクール)

2021-09-25

では農業関係者(と言っても牧場従業員ですが)から返詩を。 プシュと缶 グビリと炭酸 ホップの苦み こんなんでいいんだろうか そんなわけないじゃんか でもどうしようもない ホップ農家 大麦農家 ビール醸造所 いつものコンビニ店員 運んでくるトラック運転手 未来が地獄でも 過去が消えて 今辛くても 彼らは今 ビール作って運んで売る だからってなにができる? 乾杯 「乾杯」 プシュと缶 グビリと炭酸 ホップの苦み (幸福な食卓)

2021-09-25

即興で返詩を。川柳で。 眠れない 睨みつけたり 赤い月 見えだした まばゆいひかり おれの星 聞こえ出す ねんねころりよ もう寝よう (月)

2021-09-25

自らを整える事で最上の主を得る。 ダンマパダ 五蘊盛苦(ままならぬ人の心も苦しみである) 八苦 ではどうするのか。 この作品の主人公はせめて自分が経験できなかった幸せの形を残そうとしました。 モザイクに覆われたアナウンサーは自らの職務に殉じましたね。 「善い言葉のみ語れ」とは釈迦がスッタニパータに遺した言葉なのですが、この二つの行為もまた善い言葉と言える様に思います。 この作品もまた、善い言葉につながればと思います。 (【百物語】 ワールド・ツクール)

2021-09-23

では牧場従業員から即興で返詩を。 分からないのです。 ここで出産を介助すべきかどうか。 分かるのは、ここで下手をしたら力む親牛も生まれようとしている子牛も 死んでしまうという事。 無事に何事もない事にするには、何が正しいかわからないまま 全力で頭と体を使っていく。 この二頭の牛を救いたくて。 「生きれ。生きれ。いいから、細かい事はいいから」 わからないまま、わかる事を繋いで正解を憶測する。 なぜ、こうまでするのか。 この子牛は二年後には食べられているかもしれないのに。 ただ、分かるのは 「生まれて、生きろ」 と願い、必死になっている事。 (  整理整頓が出来ない件について。)

2021-09-23

では返詩代わりに、この言葉を。意訳ですが。 何が正しいのか? 昔からの言い伝えでも、偉い人の言葉でも、神の言葉でも、私の言葉でもない。 あなたが、あなたにとって苦痛から逃れることができるものこそが、正しい。 釈迦 阿含経増支部経典 (エゴ・エリスⅢ)

2021-09-07

>歩き、歩きます。 この箇所は普通歩くはずのない存在が、違和感なく歩いている感じを出そうとしてこうしました。 独特の文体を維持しているのが、フィラデルフィアシリーズ独自の世界を形作るのに成功しているようです。 (フィラデルフィアの夜に XXⅥ)

2021-09-04

いいですね。最後の連が効いています。 即興で返詩を短歌で。 雨降らす 天の父様 晴れにして 善悪超えた 僕の行く道 (天のお父さま)

2021-08-21

では即興で返詩を。 「怨みを抱いている人々の間にあって怨むことなく。我らは大いに楽しく生きよう」 世間は燃え立ち 世界は炎を上げている 世間は泡沫で  世界は夢ごとし 我らは何も持ってはいない 善い言葉だけを糧に 毒にまみれたこの世を行こう 財産も家族も容姿も 大水と共に流れ去る 正しい道だけは失えない 大いに楽しく生きよう 整えた心は王よりも天よりも神よりも我を手助けしてくれる 大いに楽しく生きよう 三つの毒に全ては侵された 怒りと執着と妄想は 諸々全ての糧となっている 死と惨劇と苦しみが 跋扈している そんな中で 喜びを食む者になろう 苦痛を脱するのを正しい道として その祈りが   願いが   力が   思想が 苦痛から脱出させられますように その終焉が苦痛の終焉になりますように 我はこれから 大いに楽しく道を歩く 我らはこれからも 大いに楽しく道を歩く あなたも別な道を よりよく歩めますように (おとうさま、おとうさま、おとうさま)

2021-08-19

発想とレタリングが面白いですね。 個人的には走り続ける人間はページを突き破りそのまま外に飛び出して、果てしなく走り続けてほしかったですが。 (パラパラ漫画)

2021-08-12

即興で返詩を。短歌で。 ただ一人 歩き続ける 犀の角 天地と共に 心と共に (孤独)

2021-08-12

単純に「手鏡を取り出し見る」という一節を入れるのを忘れていました。 うっかりしていました。すいません。 実は自作小説のゲスト的なキャラを元にしています。 https://ncode.syosetu.com/n1401fp/4/ ここに出てくる人形・ハナです。 微妙に会話が成り立っていない感が効果を出していた様に思います。 またテンポの良さもかえって怖さを出せるものみたいですね。 そこは正直予想外でした。 (【百物語】かわいい)

2021-08-12

20世紀の遺物の様な老革命家の、現代への絶望と共に語る回想かに思えます。 独特の迫力が印象的です。 (ラストベルト)

2021-08-12

そこを注目されましたか! 確かに、奥行きを持たせることのできた一行かもしれません。 (【百物語】トン)

2021-08-09

こういう童話的な形式がやりやすかったので、こうしてみました。 怖さをどれだけ表現できたかわからなかったのですが、上手くいっていたみたいですね。 (【百物語】トン)

2021-08-08

全く悪気はないでしょうね。 人を暴走させてしまう、ある種の悪霊かもしれません。 (【百物語】トン)

2021-08-08

これまた怖い! 70年代か80年代の諸星大二郎辺りが描いていそうな悪夢的な世界ですね。 多くのミイラが泳ぐ様は綺麗かと思いますが、完全に悪夢でしかないです。 今晩見てしまいそうな迫力がありました。 (【百物語】呪具)

2021-08-07

初めまして。 悪意がなければどのような解釈も歓迎ですよ。 実はトンとは孔子の寓話に出てくる怪物の名前で何でも果てしなく食いつくす化け物の名前だったりします。 あとこの話の原型はネイティブアメリカンで行われていたポトラッチと呼ばれる部族間のある種の祭り。 いかに限度を超えて贈与を行えるのかを競うものらしく、ある首長は何年もため込んだ財をすべて出して無一文になったとか。 人間の暴走を書けたかなと思います。 (【百物語】トン)

2021-08-07

今年の日付が入っていますが、まるで平成初期のわりとどうしようもないヤンキーの夜の過ごし方を思わせます。 こういう人はまだ生息しているかもしれませんが。 それでもそんな時間を切り取り、詩として成立させているのは流石です。 即興で川柳を。返詩として。(瞬瞬さんの作品はなぜか川柳を作りやすいのです) カッ飛ばす 夜のパー子と キメていく (「5時22分」)

2021-08-02

関係がよくない親子の話を聞くことがありますが、親子というレッテルを剥がすと身近な他人というのが出てくるような気がします。 親子、というのも妄想のひとつでしかない、かもしれません。 なのでその子を産んだ親としては不本意でしょうが、 >大変醜く見えた これは仕方ない気もします。 牛ですら自分がたった今生んだ子供を拒否することがあるので、人間も拒否感が湧くのも仕方ない一面があるのでは。 それならば落としどころがあればよいのですが。 最終連を読むとそう強く感じました。 (魂の子)

2021-08-02

実は昨日、勤め先の牧場で死産がありまして。 どうやら先天的な異常が原因だったようです。 となると、こちらの牛飼い一同は何もできなかったことになります。 一口の空気も吸えず 一目の母親も見えず 捨てられたかのように 地面に落ちていました >次の世界では無事に生まれ >自分を生きられますように そう思う次第です。 (【2021遅れた七夕企画】現在、もしくは過去の星たちへ)

2021-07-26

こちら側の努力が通じない事がしばしば起こりうる仕事ですので、そういう事がないよう願うしかないところがあります。 思いもよらぬ事故や病気で牛が死んでしまう事がどうしても起こってしまうので。 >「させられる」という使役表現がなんとも言えないですね。 牛の機嫌取りをしていると言われたら否定できないです。 特に肉牛は病気になりやすいですし、治療に追われたりもします。 また、牛飼いにも様々な形があり、自分の場合今は株式会社の合計6000頭以上いるメガファームで従業員の一人として働いていますが、その前は昔ながらの個人営業の牧場で、さらにその前は有限会社の小規模牧場で働いていました。 社長の方針により機械的に収益を上げようとしたり、放牧中心で牛と人を満足させようという方向にいったり色々です。 人間たちの事情に振り回されるのはどのみち確かなので、少しでも幸せでいてほしいですね。 七夕に願う事かどうかはしりませんが、願うしかないです。 (【2021遅れた七夕企画】 牛運び)

2021-07-18

自分の作品の特徴が自衛隊や酪農・畜産の実体験を元にしていることが多い点です。 これにより独自性が出ている所があります。 今回は牛の移動という外部にはあまり知られていない題材がよかったかもしれません。 (【2021遅れた七夕企画】 牛運び)

2021-07-17

そう言われると不思議ですね。 牛飼いと身分の高い職人の組み合わせになっているのは。 インドだと牛が神聖な動物になっているので、その辺りの影響があるのかもしれません。 毎日牛の為に必死で働いているので、牛飼いとしては自然に牛の幸せを願っています。 食肉として人様の前に出ていくものでもありますし、結果的には人々のために祈ってる訳ですが。 (【2021遅れた七夕企画】 牛運び)

2021-07-15

すばらしく綺麗な七夕の詩ですね。 乙姫と彦星を上手く落とし込めています。 (【2021年遅れた七夕企画】星霜日和)

2021-07-14

ファンタジーもロマンもない、ある意味最も七夕らしくない詩ですね。 あるのは最新の畜産学と獣医学とえげつない利益追求に、作業員の泥臭く地味で汚い作業と原始的な瞬発力と経験で回していく、次何をするかわからない牛たちの現場というどうしようもない現実的な背景がありますし。 案外、牽牛もそんなもんかもしれませんが。 (【2021遅れた七夕企画】 牛運び)

2021-07-14

即興で返詩を。 ひょうが、殴り、殴り、吹きすさぶ。 壊し 飛ばし、 流した血は 漂白された ひょうよ、友よ、友よ 世界を変えろ 渦巻く手綱のない力は つまらぬ繋がり断ち切れる 嗚呼、嗚呼 ひょうよ! 変えろ、変えろ わが友よ! 吹き飛ばせ! (ヒョウ)

2021-07-14

実は月に一回ある光景です。 勤め先の牧場では月一で牛を移動させており、その光景をほぼそのまま描写しました。 子牛でも力士以上の体重があり(生後半年で200キロ超える奴がたまにいます)、こっちの状況を全く読んでくれないので大変です。 それでも牛の幸せを願い、そうさせようとする日々です。 (【2021遅れた七夕企画】 牛運び)

2021-07-13

そう感じていただけたら幸いです。 (焼肉)

2021-07-10

ここが自分の矛盾点なんですよね。 仏教に惹かれ、救われたところがあるのに、明らかに反している事をしているのは否めないので。 ただ、この仕事が自分にとっては楽しく、また今の社会においては肉を食べることと共に畜産が必要とされているのも事実です。 体質的にヴィーガンになれない人もいるようですし。 では仏教をどうしたいのか、という問いですが。 ただそこにいてほしい、というのが正直なところ。 今まで通りそのままでいてほしいのです。自分がどうこうできる権利はないです。 法然上人は遊女に「その仕事を辞めることができるのなら辞めなさい。しかし辞める事ができないのであれば、南無阿弥陀仏と唱えなさい」と言いました。 自分も仏教に反している点があるこの仕事を辞めれません。多くの人にとってもきっと良いとされる仕事ですし。 ある程度の必要悪を許容してもらい、一人の在家として導き手であってほしいと思っています。 これで答えになるかはわかりません。 在家の人間が快楽を味わうのは釈迦も否定はしていなかったはずです。 一人の在家の人間の行為として納得していただけたらなと思います。 (焼肉)

2021-07-10

予想外の御言葉を! 確かに14歳当時の事を思い出しつつ書きましたが、失敗かなと思っていたので。 中学生のある意味面倒くささが上手く出ていたかもしれません。 (黒い(14歳))

2021-07-03

この作品では「あ」の反復だけはよかったかなと思いますね。 (黒い(14歳))

2021-07-03

当事者です。 トゥレット障害については社会人になってしばらくしてから診断がつき、正体不明の化け物の名前がようやくわかりました。 吃音は軽度になると思います。 昨年、発声練習としていいと言われている「外郎売」をしばらくやったら大部改善されました。 ただただ誰の目に付かない亡霊に生まれた時から取りつかれているようなもので、実感も何も日常的な理解不能の地獄に過ぎないとしか言えなかったです。 詩にしにくいのが正直なところです。 (黒い(14歳))

2021-07-03

ネタ切れでした。 「あ」の連呼だけは成功だったみたいですが。 説明しますと。今ではこの二つは発達障害の中に入るみたいです。 トゥレット障害は体が不随意に動いたり、勝手に声が出たりするものです。 人により程度や症状は様々で、子供だと割といるようです。 大人で残るのは少数になります。 生活に支障をきたすレベルですと、薬で抑える場合もあります。 吃音は、口や喉などの機能上に問題がなくて声がつまったり間延びしたり、上手く出ない症状ですね。 これらを説明しながら詩にするのは、少々困難かと。 挑戦する価値はあるかもしれませんが。 (黒い(14歳))

2021-07-01

こんな苦悩を割と最近までやってました。 今月ネタが切れてしまってこれを書いたのですが。 釈迦自身は「私は正しい方法を述べるだけだ」というニュアンスの事をどこかで残していました。 なのでこの時点の自分は実行できてなかったという事です。 「あ」の連呼。 あの時のどうしようもない感情を表すなら、こうなりました。 (黒い(14歳))

2021-07-01

正直、あまり良くない作品なんですよね。 (実はビーレビュー毎月2作品投稿を個人的な義務にしているのです。なのであまり質のよくない作品も混ざります) この手のものではhttps://www.breview.org/keijiban/?id=1524 これが今のところ最もよいかと。 (黒い(14歳))

2021-07-01

では返詩を。 流行りの疫病へ、あるヒーローから 「そうだ、それでもうれしんだ。いきるよろこび。たとえむねの傷が痛んでも」 殺処分されたクマの子へ、知床財団のコラムから 「その名はソーセージ。食べたソーセージ一本を境に、人里へ姿を見せ彼女はますます人に慣れていった。もはや決断のときだった。お互いにとって悲惨な事故が起きかねない。スコープの中の彼女は、一瞬、あっ、というような表情を見せた」 https://brownbear.shiretoko.or.jp/visit/ 伐採され残された森林へ、マイクロプラスティックによって奇形で生まれてきた海水魚へ、十字架から 「あなたがたの患いを、私が背負おう」 作品自体へ、四正諦から 「苦諦、集諦、滅諦、道諦 (生きることには苦しみはあり、それには原因がある。そしてその苦しみはなくすことができる。また苦しみを無くす方法が存在し、実行できる)」 (一言)

2021-06-30

では即興で返詩を。 原始仏典ダンマパダの言葉を拝借しながら。 泣いている 腐りゆく頭 溶けゆく体 「つとめ励むのを楽しめ おのれの心を護れ 自己を難所から救い出せ  沼に落ち込んだ象のように」 頭痛する 飲み込む言葉 釈迦の声 (病める思春の心)

2021-06-24

正直、あまり出来が良くないと感じていた作品に感想を下さり、感謝です。 〈大きな関係の中では 焼かれている彼らこそが 自分なのだ〉 正法眼蔵入門を読んでいて、そのような記述があり、また華厳経や古代ローマの哲人皇帝マルクスの残した言葉にもそれに近い内容があるのを思い出し、書きました。 また、今の仕事が肉牛の子供の世話なのも大きいです。 この箇所をさらに掘り下げ、何らかの作品に昇華できましたら、拝見したいです。 (焼肉)

2021-06-24

そういえば書き忘れてました。 >「自らの為に他を害してはならない」 この箇所は原始仏典ウダーナヴァルガ、及びサンユッタニカーヤにある一文からの引用になります。 (焼肉)

2021-06-22

五感と体がなければ心もまた無い、と考える仏教オタです。 心は独立して存在しておらず、それらが関わりあい一時的に存在してると聞きましたので。 即興で返詩を。短歌で。 肉腐り 心散り散り 桜散る 咲いた花びら 悪酔いもせす (老化)

2021-06-20

即興で返詩を川柳で。 一人でも 楽しみ歩く 犀の角   (さびしい)

2021-06-20

即興で返詩を。川柳で。 海広く 其の青が言う 「飲み込まれろ」 (海はひろい)

2021-06-11

示唆的になったかもしれませんね。 元になったベーコンのエピソードで、世界的な画家のベーコンがなぜ窓に次々と絵を描いていたのか。 謎といえば謎。 そういう後味を残せたのはよかったと思います。 (フィラデルフィアの夜に XⅩⅣ)

2021-06-04

>丼の湯気に >うすくたなびく雲に >月がとろけていた 月見うどんなんだから当然といえば当然なんですが。 月見うどんの見た事のない角度を見せえてもらえたと感じてしまいました。 (月見うどん)

2021-06-01

フィラデルフィアシリーズの特徴に時に針金が意思を持っているかのように動くことがある事ではあります。 現実のフィラデルフィア・ワイヤーマンの作品群の作者が全く不明なので、それも有りかなと思っていますが。 ちなみに、画家のフランシス・ベーコンと友人の出会いのエピソードに、雨の日に窓に次々と強いストロークで絵をベーコンが描いていた、というのがありました。 それが印象に残って、この作品を書きました。 (フィラデルフィアの夜に XⅩⅣ)

2021-06-01

>コーヒーゼリーの日々から、 >オレンジゼリーの日々へ、変質したあの日 ここが大変面白い表現ですね。 本文はGreeeeNのオレンジの歌詞を少し彷彿とさせますが、それよりは痛々しい感じがします。 (朝焼けを噛み)

2021-05-31

これは大変良い作品です。 >生まれていないものを ことばでは あらわせない >まだ 名付けてられていないなら 君は、神に近い >君のために 神殿を夢想しよう この箇所にやられました。 >様々な起死回生案を求めて 街は目覚めようとしている 来月から牧場の夜間の出産に駆け付ける当番のローテーションに入るのですが、生まれてくる牛たちも起死回生をへているのかもしれないと思いました。 ただ世話しているのが肉牛なのですが。 (桃太郎の神殿)

2021-05-30

即興で川柳を、返詩として。 「生きてたよ」 白の埋葬 土の春 (再開)

2021-05-20

シンプルながら印象に残りますね。 どういう背景なのかも想像が広がります。 即興で川柳を。 空に書く きみの名前は 届くかな (きみの名前)

2021-05-20

今の仕事が生後三か月から七か月位の子牛を世話しています。 まだ始めたばかりなのでそこまでの事はできないのですが。 その仕事の様子になります。 >荒ぶる魂が刻印されたご表現に魅せられました。 とは凄い評価をいただき、感謝です。 (静脈注射 針を刺す)

2021-05-08

古代ローマ人は延命するより自ら食を断って死んでいくのを良しとしたそうですが。 このじっちゃんは同じく弱るのを見せたくなかったのかもしれませんね。 かっこいい姿をみんなに残したかったのかも。 >眠ろう じっちゃん ラップで語られる愛しい人との別れが、素晴らしいの一言です。 (じっちゃん。~ポエトリーリーディング~)

2021-05-08

>一度きり 立ち止まり 最敬礼 ここが凄い気になりました。 元自衛官だからなのはあるんですが。 でたらめ節のでたらめ歌を歌うこの人物、実は相当真面目なのか。 そうでないならおそらく一人で田舎道を歩いているこの状況で、最敬礼なんてしない。 そして田舎道に最敬礼を向けるほどの何があるのか、それとも誰かがいるのか。 歩く方向は夜が落ちていく方向ならば、東。 彼はどこに向かうのだろう? なんだか気になる作品です。 (旅)

2021-05-08

そう言われると地球の存在は驚きですね。 うっかり忘れていました。 詩の基本のような詩です。久しぶりにこういうのを見た気がします。 まっすぐで良いです。 (地球に座る)

2021-05-08

和牛の子牛は病気になりやすく、抗生物質や解熱剤などを注射します。 薬の種類によって、筋肉注射と静脈注射に分かれます。 この作品では抗生物質の一種になりますね。 (静脈注射 針を刺す)

2021-05-02

不思議とスピードを感じさせますね。 二連目のザッピングしたかのような言葉がいいアクセントになっています。 動かない、動けない胸像が見た風や子供たちの瞬く間に過ぎ去っていく様子を捉えているのかも、と感じました。 (窓際の胸像)

2021-04-27

実際、これでもかと言うほど子牛と戯れ、どつきどつかれ、餌をやって、治療し続ける毎日です。 こんな日々だからこそこの詩が書けました。 ちなみに牛の鼻は本当に柔らかいです。 最早、自分の構成要素の一つが牛なのかもしれないので、自分とこういった作品は切り離せないかもしれないです。 (子牛 和牛)

2021-04-27

>自然と崩していた足を正座に直しました。 まさかそのように読んでいただけるとは。 書いた甲斐がありました。 どつかれたり捕まえたりで大変ですがなんだかんだ楽しくやっています。 では感謝しましょう。 「いただきます」「ごちそうさま」 (子牛 和牛)

2021-04-24

即興で返詩を短歌で。 さくら咲く 胸だけでなく 心にも あの子とわたし 宝物できる (笑むとき)

2021-04-22

大人のための絵本とは、今までにない評価です。 この独特の文体は、叙情性等の効果が出るのを狙っているためですがそれが上手くいったようです。 ビーレビューでは23作品目、小説家になろうでは合計47作品が掲載されているのでよかったらどうぞ。 (フィラデルフィアの夜に XXⅢ)

2021-04-22

金子みすずを思い起こさせる詩ですね。現代童謡と言えるかもしれません。 この路線を投稿していってほしいです。 (春のおとずれ)

2021-04-13

確かにできる事はそれくらいになりますね。 そして当の牛にそれを聞いたところで答えてくれませんし。 「いただきます」「ごちそうさま」せめてそう言いましょうか。 (子牛 和牛)

2021-04-13

実は今の仕事の様子になります。 今は肉牛(和牛)の子供を世話しています。 同じ敷地の牧場で生まれて、三か月から七か月の子牛が相手です。 それ以上は基本的に、また同じ牧場の別な牛舎に移され、その後肥育の系列牧場に行くことになります。 子牛の成長は早く七か月で大きいのは200キロ超えますね。 で、七五調の部分はその子牛とのやりとりほぼそのままになります。 いつかは死なせてしまう、自分が食べてしまうかもしれない牛を最大限幸せにしようとする日々です。 (子牛 和牛)

2021-04-12

またこれは作風を変えてきましたね。 最果てまんま、”まんま”ときたのでご飯かと思いしや、どうも布のようですが >「なんもかんも >  > どうでもよく >  > なるんだぜ。」 とは。 なんだか気になる作品になってます。 (「最果てまんま」)

2021-04-12

アドラーでしたか。やりたいことをやる為に適当な理由をつけているに過ぎないと言ったのは。 本音も建前もおなじかもしれません。 では返詩を。 本音も 建前さえも 世間虚仮 語るべき 唯仏是真 声を上げ (世間虚仮 唯仏是真 これは聖徳太子が関わった経典の言葉です) (日本)

2021-04-11

ナラティブを調べてみると、 「「ナラティブ」とは「語ること」を意味しますが、ストーリーテリングのように出来上がった物語を語るのではなく、より自由に一人ひとりが主体となって語るイメージを持つ言葉です」 とありました。 そう言われるとそうですね。 自由に勝手に語っていますね。最近ではアイヌの昔話やら山の怪談やら金枝篇やらからも題材を引っ張ってくるようになっていますし。 針金の自由性とナラティブは相性がいいのかもしれません。 (フィラデルフィアの夜に XXⅡ)

2021-04-07

命の元は海と言われているので、蛙が知らないはずはないのかもしれないですね。そういえば。 静かなのに迫力がある作品だと思いました。 (井の中の蛙なんて嘘)

2021-04-06

引っ越してしばらくネット環境がなかったので返事が遅れてしまいました。すいません。  「アウトサイダーアート」というちくま新書の本の中に、発想の元になったフィラデルフィア・ワイヤーマンが取り上げられていました。 一体誰なのか全くわからないまま作品だけが有名になったという、ゴミ捨て場から発見されたその作品は白黒写真でも印象に残り、ネット上にもほとんど作品の写真がなかったりしましたが、とても気になっていました。  また、個人的に大学時代に美術の素養が全くないのに針金でシュールレアリスム的な作品を作っていたのも、きっかけの一つです。  その後最初の作品を「遺作」という題で書き(フィラデルフィアの夜に、という書き出しはここからやっています)、2年か3年はそのままでした。  そしてオリジナルの連作を書こうと思い立ち、最初は円空(江戸期の仏師。日本中に鉈で荒く切った仏像が多数現存する)でやろうとして上手くいかず、フィラデルフィア・ワイヤーマンを元にやりだし現在に至ります。  最もフィラデルフィア・ワイヤーマンからどんどん外れていっていますが。 (フィラデルフィアの夜に XXⅡ)

2021-04-06

いいですね! 二行目、三行目は生まれ変わりを暗示しているかのように思えました。 錆びた珈琲は業かとも。 (仏教オタなのでこう読んでしまいました) 評価したいです。 (呑む)

2021-03-29

わたしは、誰? 昔から哲学で問われていたものですが、詩を書くという点を突き詰めていく過程でその問題に自然に関わっていく。 最終連、どこか怖くなる内容になるまで。 もっと作品を見てみたいです。 (何者)

2021-03-24

何者にもなれない、その何者というのはどういう定義なのかという問題がありますね。 それが定義されない限り、何者でもないという自嘲を繰り返すだけになりますよ。 エゴイズムだと気づいたのなら、そこがスタートラインかもしれません。 (エゴイズム)

2021-03-19

以前目にしてしまった流産の子牛と展示されている土偶がどうにもオーバーラップしました。 子牛にも土偶にもあまり感情を入れた書き方をするのは良くない気がしたのはあると思います。 祈りと言う面はありました。 好ましく思えたのは幸いです。 (眠っている)

2021-03-19

哲学者の梅原猛の考察では妊産婦と共に土偶は埋葬されたのでは、とありました。 実際妊娠線らしきものが刻まれているものが大半です。 土に戻り、その土から作られた土偶にそう言った想いを乗せた可能性はあるかと。 土偶がもう一度甦えるのは透明なケースが壊れてから、と言うのは驚きましたが、確かにそうですね。 鎮魂のために今は眠っているかもしれません。 感想、感謝です。 (眠っている)

2021-03-13

では即興で長歌で返詩を。 「ムカつく」に 心を向けず 生死見て 殺されるもの その目見て 価値を見出す 命と慈悲に (命の価値)

2021-03-12

確かに! 悪意なくこういう事を考える奴もいると、許してもくれるかと思います。 (眠っている)

2021-03-10

シンプルながら、気になりました。 上手く情景を切り取ることに成功しているのでは。 ここから作品を書き始めるのが本来でしょうけど、これはこれでいい気もします。 (背徳)

2021-03-08

以前書いた作品を思い出しました。 返詩として、アドレスをおきます。よかったらどうぞ。 https://www.breview.org/keijiban/?id=3898 (ユートピアへの行進 -for 100 years after-)

2021-03-08

暗いのは否めないですね。 ただいくつかの土偶を見た時(少し具体的に言うと八戸の是川コレクションのいくつの小さめの土偶とつがる市のカルコにあった肌色の少し欠けた土偶)にそのような連想が働いてしまい、表現したくなってしまいました。 (眠っている)

2021-03-08

即興で返詩を。 今日も電車は走る。 六道輪廻。山手線。 天、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄。 今日も人が死にました。 目の前を往く山手線。 手を合わそう。 行き交う人もいつしか乗り合わせる山手線。 どの車両に乗り合わせるか、まだわかりもせず。 「あなたはどこにいくの」 合掌 「オトナとは」 西に行くのだ。東海道線の五十三次の向こうに。 「ごめんなさい。オトナになれなかった」 懺悔しよう。 いつかは乗れる新幹線に、今度こそは乗れるように。 今は山手線の円環を回ろう。 天道か人間道の車両に足を踏み入れて。 車両が赤くなるのは西日へ憧れ。 「帰るの?」 帰ろう。今は有漏路から無漏路に帰る、一休み。 「うろじ?」 浮世のここから、 「むろじ?」 仏のいる西へ、いつか往く。 「ここにいたいけど」 燃えている。この駅舎も山手線も燃えている。 いつか新幹線に乗り込もう。 遥か五十三次の果てに共に行こう。 死ぬ事が仏になるわけではない。 苦しみを、自分と皆の苦しみを無くして、仏となる。 空には時に七色の雲が舞っている。 いつかどこかの誰かが新幹線のグリーン車に乗車した。 行こう。這いずってでも。 「次の電車も回り続ける山手線です。お忘れ物なきようご注意ください。」 道だけは心のままだと忘れずに。 山手線は回る。 (快速列車、終着綺麗往き)

2021-03-07

ナンセンスに激しく舵を切っていてよいです! (核ミサイルガール)

2021-03-07

一応、補足を。 自分が見たのは、流産したホルスタインの子供です。 (眠っている)

2021-03-07

写真の哀愁とそこから透け出てくるような詩がたまらないです。 >父親が胃袋と肝臓と脾臓を切り取られた日 ここからも無常を感じさせますね。 (〈安閑夜話〉 さようなら胃袋)

2021-03-07

鳥葬を思い浮かべました。 鳥に食われる事で、天にある死者の国にいけると考えるのは、場合によっては当たり前かもしれないですし。 死神のような女に食われることで、生まれ変わるのかもしれません。 (鳥の女)

2021-02-28

即興で返詩を。 脱す 檻の様な何かから 鍵はなく 鍵は合った 心を向けなければ 檻はない それは仮説であり 空(くう)であり それは仮説であり 心を向けなければ 刺激は受けず それは仮説であり 刺激を受けなければ 苦痛はない ご馳走とはなんだろう 脱す 脱す 脱す ご馳走とはなんだろう 有為(うい)のおくやま けふこえて あさきゆめみし 酔い(えい)もせす 自らの肉は食い飽きた 愚痴は 妄想は 毒だった この体と心は 毒でできていた 脱す 脱す 脱す 脱すことを喜び 酔いもせす 心を向けなければ、刺激に触れる事はない。 刺激に触れれば、心は動いて、苦しみを作り出す。 見なくてもよいものは、最初から見るな。 釈迦 サンユッタニカーヤ (名もなき偉人への讃歌)

2021-02-27

まず一連目 >うつくしさをひとしずくのみほせば >とうめいになれますか、 ここで人を捕まえるのに成功しています。 そこから続くまさに詩的な詩。 意味を捉えるのは自分では困難ですが、文章のリズムが心地よいです。 (永い時間を生きるバンパイアと規則正しい汽車と時間が絡み合っているようですが) 黎さんの点に近い作品に思えますが、それとも違うリズムを楽しめました。 (対話)

2021-02-24

>誰かが嘲笑う >どうせすぐに飽きるんでしょ > >違うね ここに激しく同意する牛好き縄文土器好き仏教オタです。理解されない中で我が道を突き進むとこういう反応がよくあります。 ただ少し思うのは、最後を疑問形にしてしまうのは締まりがあまりよくないかと。 この連に続き「自分はこの道を突き抜ける」という内容を最後にした方が良かったと感じました。 即興で川柳を。返詩として。 天秤に エンジン載せる 命賭け (鉄馬乗り)

2021-02-17

バイクについての詩だったのですね。 バイクを運転したことはないのですが、それなら色々わかります。 >さあ右手を回せ 実感がこもってていいですね。 即興で川柳を。返詩として。 右手行け 万象へと ひとつ道 まっすぐに 咆哮歓喜 ふたつ車 (咆哮)

2021-02-13

ここでは少女の意思とは全く無関係に、ほぼ憑依されたような状態でやってはいます。 おそらく少女はこういった事を望んではいないかと。 ただ祈り。 無意識的にそれは行っているものかもしれません。 実は自分ではそういうことを考えてはいなかったのですが、そう読む余地はありそうです。 自分もまたカムイのような何かに突き動かされた結果の作品かもしれないです。 あと最後の一行ですが。 元となったのがフィラデルフィアワイヤーマンの作品群で、それらの独特の雰囲気が何かを訴えているように感じた事から書きました。 それが自然かと。 (フィラデルフィアの夜に XXI)

2021-02-13

武器がなかったら拳で殴りかかって来やしないかとも思います。となると、大乗仏教の空思想が言うには「それ自体は実体がない、その人の意識の投影である」だそうで。どう使い。どう感じるかはそれぞれではあります。 ただ正直、その指摘は予想外の方向でした。 確かにそうよ読めますね。 (フィラデルフィアの夜に XXI)

2021-02-13

>やめてください、やめてください >と 声をあげている >もう勘弁してください、許してください >と 懇願している >もう駄目です、参りました >と 降参している この箇所は寒さが緩んで悴んでいた、枝や草に川がようやくその身を広げようとしている風に思えました。 その動きに鳥は驚き飛んでしまったけれど。 後段を見ると太陽がくすぐっていた。それは声を上げてしまう。 北海道も最高気温がようやくプラスになり始め、雪は降りつつ春が近づいてきました。 本州だと季節にあった作品かもしれません。 (立春の日に)

2021-02-12

元々はフィラデルフィアワイヤーマンが発想の元になっていたので、針金は必須かと。 (知らない方のために言うと、1982年のフィラデルフィアのごみ捨て場で発見された制作者不明の、針金を様々な物に力づくで巻きつけられた1000点を超える作品群。道具を使っていないと見られる事から多分、男) 最も、あまりフィラデルフィアワイヤーマンと関係がなくなって来ているのは事実ですが。 それでもこの書き方はやりやすいので、続けていきますね。 (フィラデルフィアの夜に XXI)

2021-02-12

色々な方向に向かっているコメントですね。自分なりに解きながら返事してみます。 その前にまず言うべき事。 元にしようとしたのはヤマケイ文庫「アイヌと神々の物語 炉端できいたウウェペケレ」収録の「黒キツネのイナウ」だったんですが。 なんか全く違う話になってしまいました。 イナウなら蛇が出てくる話でした。 武器が武器の性質を持たなくなったら、飾りでしかないですよね。 ここでは全く唐突に理不尽にそうなっています。 少女がカムイのような存在に憑依されこのような働きをさせられた可能性はありますが。 そうだとしても意図がはっきりしないので、どのようにも受け取れますね。 バカの意見も否定しえないかと 承認欲求が満たされない、とは難しい問題かもしれないです。 ただこういった問題は、釈迦だとどう感じるか、というのを考えるのは有効かもしれません。 そして釈迦はそれはそれでどうでもいい、と答えそうです。 なにせ「犀の角のようにただ一人で歩いて行け」と言った方なので。 とすると、自分自身が自分自身を十分に理解すればいいような気もします。 >(絵を描くことで武器をとらずにすんでいるんだよ。) と言う人には通じないかもしれないですが。 >闘争本能にまみれた血を針金が絞り出してくれるのでしょうか。 そういった物を制御下に置くのは悟りかもしれないので、魅力は消えないかと。 >針金によって >わたしのうちなる闘争本能や武器 >それらみんなからめとられてから出発することになんとなくこの詩との出会いへ こう見るとどこか仏教的ですね。 自分が仏教オタだからかもしれませんが。 どこまで返事として有効かわかりませんが、感想感謝です。 (フィラデルフィアの夜に XXI)

2021-02-11

面皰とは、ニキビの事みたいですね。 まず最初の短歌。 これはまた寂しく悲しい。生まれ変わってニキビとして死ぬのか! 次の短歌。 最初の短歌と合わせるべきかもしれない。もしそうなら、ただ誰にも見られず潰れていくだけの一生だ。 しかもそれを感じる知能を持ちながら。 最後の短歌。 これも最初の短歌と合わせるべき。 ただ身の丈に合った、小さく君の顔にいたかっただけなのかも。 最初の短歌の寂しさは秀逸です。(この読み方があってればですが) 即興で川柳を。返詩として。 面皰の ふくらみはじけ 愛されず  (ぁぃ(短歌))

2021-02-10

一部、諸星大二郎という伝奇物を多く書いている漫画家の影響が出ていると思います。 独特の怖さを表現する作品が多いのが特徴の作品が多いです。 そう言われるとその下りである程度分かってしまいますね。 ただ引き付けるようなよい雰囲気は出せたかなと。 (赤い服)

2021-02-10

「ヨコハマ買い出し紀行」という漫画の風景を思い出させました。 その漫画ではゆっくりとした時間の中で、海面が上昇し穏やかに衰退していく横浜の街を何気ない日常が過ぎていく漫画でした。 また現代の衰退した田舎の情景も思い起こさせます。 Dear Future 皮肉なのかもしれませんが、それなら少し弱いですね。 そこに住んでいる人々にとっては特に気にもならない事のようにも思えました。 (Dear, Future)

2021-02-09

>零下零度真冬晴天午前九時零分 ここの表現いいですね。まず人を引き付けることができます。 それに続く古い言葉使いが怒りを良く表しています。 このような無念の声を無視して工事は続き、山々の犠牲の上に、従事する人は少なからず潤うのですが。 死霊の如くそろりそろりどこに向かうかはわからないまま。 独特の味が出ていると思います。 また作品を投稿してほしいです。 即興で川柳を。返詩として。 零下冬 山の葬送 午前九時 (くに想ふ)

2021-01-30

端的に散りゆくさま、死にゆくさまを表現したのは良いと思いました。 即興で返詩を、短歌で。 痛み知り 散りゆく桜 愛知りて 涅槃へ向かいし 春花吹雪 (触中毒)

2021-01-28

では返詩を。即興で。 さあ、一人になろう。 息を吐き整える。 妄想が過り妄想が過り妄想が過り、(理解されない、理解されない、理解されない、理解されない) いなくなる。 自分への理解は、自分だけがそれを試みればいい。 叫べ叫べ、詩を詠おう! 駄作でもいい、この世に残らなくたっていい! 今、一心に良い言葉を吐き出すのだ! この体は、自分自身の意識は、細かい幻が寄り集まってできた。 消え去ってしまう儚い何かだ。 良い言葉を、善い言葉を。 苦痛を脱す手助けを。そんな言葉だけには、価値がある。 紙に向かおう、ペンを握ろう! 自らを、誰かを、導く何かを書こう! 見られることがなくたって、それはただの縁に過ぎない。 縁が寄り集まった自分。 ただ一人で歩いていく。 地面には、たくさんの足跡がある。 辿っていこう。歩いていこう。 足跡のない所も怖くない。 足の行き先は同じだから。 息を吐こう。 頼れるものはここにもある。 (苦しみで叫んでいた)

2021-01-24

ウィキペディアに 「クロソイド」という名は、人間の運命の糸を紡ぐとされるギリシア神話の女神クローソーに由来するもの とあり、その意味でもこの題がつけられたのかもしれませんね。 >最初で最後の二人旅 > > >今年、父と同い年になる 父と同い年になっても一緒にクロソイド曲線の道路を曲がっているのでしょうか。 言葉が少ないながらいい関係だったようにも思えます。 印象深い作品でした。 (クロソイド曲線)

2021-01-24

語り手が自己を肯定すると言うより、語り手が徒労のような日々の労働を「祈り」「恍惚」の方向で肯定すると言う方が正確かと。 自分自身がある意味で機械の一部となって希薄になってますし。 救いを求めているのではなく、菩薩になりうるものを作り上げている、その過程で出てしまったヒルコも恵比寿として戻ってきてくれ、となっているのである意味仏師のようなイメージでした。 揶揄されるようなことは何もない、という意味でのモダン・タイムスへの反論のつもりです。 立場のアンバランスさは確かですが。 藤一紀さんのご指摘通りの問題はあるわけですし、ブラック労働の犠牲者になりかねない思考ではあります。 二連目の「機会」は誤字です。やらかしました。すいません。 今までモダン・タイムスもチャップリンも知らない人に多く接してきました。 ビーレビューの閲覧者なら知っているでしょうから省いてもよかったかもしれませんが、それをする勇気がなかったです。 考えてみればこういう言い換えが癖になってましたね。 ここはもう少し考えてみてもよかったです。 (ナウ タイムス)

2021-01-22

ではこの言葉を。 他人と自らを比べて「優れている」とも「劣っている」とも「等しい」とも思うな。 様々な言葉を受けても自らの価値を判断しないようにせよ。 スッタニパータ  苦が生ずれば苦が生じたと見、苦が滅すれば苦が滅したと見て、惑わず、疑わず、他に依る事がない。ここに智が生ずる。 サンユッタニカーヤ 釈迦 ハッピーエンドを望むという罰を自らに課している印象を受けます。 いっそハッピーエンドを捨ててしまいましょう。 「愚者は過去を煩い、未来をあせくせし、萎れている  賢者は過去を煩わず未来をあせくせせず、輝いている」 ダンマパダ 釈迦 生きる事自体に罪も罰もないはずです。 >嗚咽しつつ自分の腕を掻きむしる。 その苦しみはただの実態も対象もない、妄想にすぎないかもしれません。 悩む人の中で悩むことなく、大いに楽しく生きよう ダンマパダ 釈迦 (ハッピーエンドを望んでいる)

2021-01-21

自分なりの労働観が強く出た作品となりました。 視野が狭かったのは否めないのですが、こういう視点も悪くはないかと。 チャップリンの映画については、思えば20年は昔、「チャップリンは人が機械に使われるような現状を批判した」みたいな文章を読んだ記憶がありました。 それが半ば無意識的に出ましたね。 その文章と対照的な労働観なので出しました。 無くても良かったかもしれませんが、書きたくなってしまった箇所です。 (ナウ タイムス)

2021-01-18

自分も今月、労働を詩にした「ナウ タイムス」なる作品を投稿していますが、この「逡巡とした」との差は”祈り”さらに言えば”恍惚” というのがあるかないかになるかと思いました。 例えば >築五十年程のコンクリートアパートに住んで、職も暮らしも時代に置き去りにされた廃退的極まりない俺がいる。 そうであってもあまり気にしないで労働を続けてしまうでしょうし、 >人生が分からない。 わからなくとも働けるなら働こう、作り上げた物が良いと言えるものであればそれでいい。 そうやって生きていってしまうでしょう。 いいか悪いかは別ですが。 いいように使われて、盲目的に働いてるだけだと言われたら否定できない所はありますし。 その人のスタンスによりますし。 (逡巡とした)

2021-01-17

今までの仕事が割と単純労働が多かったのと、個人的にそういう仕事が好きなのが肯定的に書いた要因ではあります。 切り子は相当出る場合があるんですが、形が諸星大二郎の妖怪ハンターに出てくるヒルコに似ている事がたまにある事や、切り子と語感が似ている事、あと福の神の恵比寿になったという話が印象的だったからこうしてみました。 あまりない視点ですし、再生されるなら無下にもできませんしね。 (ナウ タイムス)

2021-01-16

>僕がリアルに実体験した「死」は、近親者のものではなかった。 >というか、それどころか、人間の死でもなかった。これはちょっとどうかと思う。 そうも言いきれない気はします。 自分の場合、牛でした。 元牧場従業員(また再び牧場に就職しますが)なので、獣医による安楽死などで目の前で死んでいってしまう牛や肉になるためにトラックに積まれていく牛、死産の子牛などを多数見てきました。 死んでいっていきました。みんな。 ではどうするのか。 >ただ人の情はそれで割り切れるものではない。 もう少しこの先に踏み込んでほしかったと思いました。 返詩としてこの詩を https://www.breview.org/keijiban/?id=2467 https://www.breview.org/keijiban/?id=4970 何かになるかもしれないこの言葉を置いておきます。 「『我はここにあって死ぬはずの者である』と覚悟しよう。多くの者はそうはしないがそうすれば争いは鎮まる」 釈迦 スッタニパータ (死について)

2021-01-16

そう言われると、近視眼的だったのは否めませんね。 その点を自覚した描写や多少なりとも功罪がある事を自覚する書き方をしてもよかったです。 自分の視点が一労働者(自分が基本的にそうだからなのですが)の視点に偏ってました。 思い至らなかった点です。 (ナウ タイムス)

2021-01-16

言い忘れてました。 >「つみとが けされし わがみは いずくに ありても みくにの ここちす」 この箇所は 「みくにのここちす」 聖歌 467番 の一節です。 (フィラデルフィアの夜に XX)

2021-01-15

>その延長で持てる者・持てない者の格差を拡大させた面もあると思うんです。 確かにそれはありますね。ただ、同時にそのすばらしさ心強さは何ものにも代えがたいのもまた事実です。 こうした機械なしに酪農はもはや無理ですし。畑作や稲作もそうでしょう。 人間はもう北海道の開拓時代には戻れません。 また持てる者・持てない者の話に戻ってしまいますが。 >そういう点では語り手の考えていないところで、人々を助けることはできていないように思う。 持てない者は助けられなくても、使う人と飼われている牛は相当数助けられるので、矛盾を抱えつつ肯定したく思います。 今まで死んでいってしまうしかなかった牛を、機械や工学的な道具で何とか出来た現場を見てきたので。 (難産の牛から子牛を引っ張り出す助産用の滑車や立てない牛を立たせる重機や道具、使い方次第で相当な用途に使え場合によっては牛の命も助けられるバケットローダーなど) >人は人格をもった個人というよりも労働力として考えられてきたと思うんです。 そこはチャップリンが茶化して否定した箇所ですね。 ただ自分の場合、自分とはある意味では幻であり仮であるという仏教思想の影響もあるのでしょう。 自分自身が満足し納得し苦痛を感じないで誰かの助けになるなら、そこまで大きく人格を重視する必要もなく、行の様に労働するのは良いのではと思っております。 >そういう自らのうちに埋没していく感じってどうなのかなあ、というモヤモヤがあります。 つまり好きでやってます。単純労働が性にあうのです。 知性は余暇に存分に発揮すればよいですし。 禅海和尚が30年かけて彫り上げた青の洞門のミニチュアと思っていただけたらなと。 (ナウ タイムス)

2021-01-15

ただ今、職業訓練学校の企業実習で、NC旋盤の一部の様になっています。 予想以上のお褒めの言葉、感謝です。 >作り上げられた製品よ 菩薩となれ 元自衛官の元牧場従業員なので、機械製品が問題なく稼働する事のありがたさが身をもって感じているのです。 上手く作動しない銃器ほど絶望的な物体もなく、牛糞を運び出す機械や搾乳機の修理を待つやりきれなさもないので。 無事に生き抜く助けをしてくれる機械は菩薩のように思えます。 その材料になる鉄は、そう思うとあまり無下にできない気もします。 チャップリンは好きなんですが、「モダン・タイムス」の人間が機械の一部として働く事への疑問視も理解できるものの、それがそこまで苦じゃない上に、かつての自分みたいな奴への助けになるのならいいじゃないかとも感じまして。 掃除を一心にすることで悟りに至った、釈迦の弟子のチェーラパンダカの境地にもつながりそうですし。 (ナウ タイムス)

2021-01-14

即興で返詩を、川柳で。 ボタン押す 「俺変わるのか」 信号機 (常時幹線青方式信号機)

2021-01-11

河野あさみさんの作品を少し調べてみました。 色々と描かれているそうですが、抽象画が印象に残りました。 この詩はその抽象画を思い起こさせますね。 >答えは余白の中にある なぜか、太い線の間や端の何もない余白が気になる抽象画が多かったです。 (null ~河野あさみ「脱あおいうに展」から~)

2021-01-11

前住んでいた地域で散々猛吹雪に苦しめられた北海道民です。 この消えていく雪の雰囲気がいいですね。 たまにあるほぼ幻のような雪をよく表現できていると思います。 オノマトペも秀逸です。 (淡雪)

2021-01-09

発想はよいと思いますが、もっと短くした方が良かった気がします。 即興で返詩を。 ことばより ことをかたるよ ことことば (ことば)

2021-01-05

迫力のある情景ですね。 遺物の倉庫に入るとは、そのまま祖父の妄想の中に迷い込む事。 しかもそれが自分のDNAと親和性がある。 >苦みのある 種子 もしやこれは祖父の子孫を指してる? 堪能できました。 (祖父の痕跡)

2021-01-05

即興で返詩を 羨まし 思い願えよ 土耕す 掴めねど 詩を詠え 我ぞ誰ぞ常ならむ 祈り歌え 何ぞ得る この詩の如くに (常々他者の人生を羨むことしかしてない恵まれてるはずなのにどうしても隣の芝が青いんだ)

2021-01-04

なんと、推薦文が! >「『我はここにあって死ぬはずのものである』と覚悟しよう。多くの者はそうはしないが、そうすれば争いは鎮まる」 ここは原始仏典スッタニパータからの引用です。詩の中でそれを明言するのは詩情を失うので避けましたが。 思えばすぐにコメント欄で明記すべきだったかもしれないですね。 今までこのような形で引用の際特に何も言われなかったので。 >「誰が今死ぬものと知るだろう 今まさにやるべき事をなせ」 ここは原始仏典マッジマニカーヤ(阿含経中部経典)を実は少し間違えて引用してました。 正確には「誰が明日死ぬとするだろう 今まさにやるべき事をなせ」でした。 これはこれでいいかもしれませんが。 さらに仏典の各所から自分のもはや血肉になろうとしている言葉が散りばめられてますね。今思い出しました。 「自らを島となせ」(マハーパリッニパーナ 涅槃経) 「悲しみの中で 大いに楽しく生きていこう」(ダンマパダ 法句経) 「歩むのだけは心のまま 失う事はない 」(マハーパリッニパーナ 涅槃経) >一つ違えばもまれ、すくわれ、あっけなく崩され死に追いやられてしまう、それでもここで踏ん張るなりがむしゃらになってしまう身体がある。わけもなく生み落とされ露わなままに外部に接する身と心と、しかしそうしたぎりぎりの通過点の生のフラッグを過ぎなければまた発せられることはないだろうものを言葉をこの作品から感じ受け取ることができたからだろうと 本当にその通りです。 うっかり大きく道をそれたりしますが。 >かつて歩み進んだ人にならって 歩いていけます。 こちらこそありがとうございます。 (だから夜露詩句推薦文)

2021-01-04

個人的には写真と詩は合っていると思いますね。 日々懸命に生きている感じがすると言いますか。 3枚目、4枚目の写真の連は、情景と相まってじわり来ました。 (〈安閑夜話〉闌のきみ)

2021-01-04

即興で返詩を川柳で。 むなしいね ぶちまけたので 詩をうたう  (紅白)

2021-01-04

色のコントラストはかなり強くできたかと思います。 一応童話の企画で書いたものなので、これくらいが妥当かと。 十分好き勝手やってますし。 (赤い服)

2021-01-03

二連目のマンホールといった単語の選びかたがいいですね。 どこか「王様はロバの耳」を思い出させますが。 即興で返詩を。川柳で。 怖いから 目に留めてくれ 最後の時 (砕けたのは夜の街だった)

2021-01-03

サンタではあるんですが、大部ズレまくってますね。 子供が老人にプレゼントという供物を渡してますし、ソリじゃないし、トナカイじゃなくて人面の猫だし。(これは諸星大二郎の影響が出ています) 「世を照らす」という言い方も原始仏典の一節からきていたりしますし。 ちなみに「小説家になろう」の企画用に書いた作品です。 (赤い服)

2021-01-02

確か心理学で、深層心理をイドという事があったかと思います。 狙ったつもりはなかったのですが、そういう解釈もできますね。 乾いた泥に霧雨ではまたぬかるむ可能性はありますが、水なしには生きていけません。 霧雨で新た産まれえるのも確かです。 (枯れ果てない泥水の井戸の前で)

2021-01-02

カギかっこの部分は原始仏典からの引用です。 最初のはスッタニパータ、次のはマッジマニカーヤ(阿含経中部経典)。 まさにその通りでして。 どうしようもなかった怒りなどがこれらの言葉を足場に、それに続く経験などが、尽きなかった泥のような感情を克服するものとなりました。 考えてみれば、そのような道を歩む人たちと同じ道に立って歩いている訳でもあります。 自分が外れることなく歩けるように、また多くの人が道に歩けるようにと、願いを込めました。 (枯れ果てない泥水の井戸の前で)

2021-01-02

あけましておめでとうございます! それはまた切迫した創作の状況ですね。 こちらこそ良い詩をありがとうございます。 (糞便よ やっぱり友か)

2021-01-01

>ずっとずっと昔に描いた >けん・けん・ぱ >は地球が終わっても残るよ この箇所が大変印象に残りました。 あまりないリズムであり、心地い内容でもあったので。 なので即興で長歌を(五・七・五・七・五・七と続けていって七・七で締める平安時代によくやられていた形式です)。返詩として。 けん・けん・ぱ いなくなっても 誰かやる けん・けん・ぱって 脳髄に 残り続ける 生きている あなたとわたし けん・けん・ぱ けん・けん・ぱって 光のあらし けん・けん・ぱって  (ラジオ体操第一)

2020-12-31

平易にかつ率直に物悲しさを表していますね。 考えてみれば、雪の下には枯れた植物ばかり。あの下には死体が積もっている。 即興で返詩を。 謡う人々のいる 雪の上 我らは冷たいその下で 凍り付きながら 汚れ切る 雪は消え 水に戻らず 冬によって氷となる ピシピシ言う凍る音は 悲しく聞こえる 悲しいのか 泣き叫べ いつか解ける日に 叫び出せ 上で歌う奴らにその時言ってやれ お前らは幸せか、と (ディストピアンスノー)

2020-12-28

>落涙は塩水となって大海へと出て2度と戻っては来ないでしょう。 この一文がいいですね。 即興で返詩を川柳で。 旅立ちて 振り返らずに 我が涙 膿は海 無漏路へ行きし この心 (別れのエチュード)

2020-12-22

宮沢賢治を意識したつもりはありませんでしたが、ちょっと似たかもしれませんね。 元ネタはフィラデルフィア・ワイヤーマンと仮に言われている人物の作品なので、モダンさを狙ってはいないのですが、結果的に効果を生んでいるかもしれないです。 (フィラデルフィアの夜に XX)

2020-12-21

火の鳥は一通り読んでいますが、三つ目が通るはほとんど読んでいないので何ともいえないのですが。 三つ目が通るの超常的な光景と火の鳥のようなある種の賛歌は、この中にもありますね。 鍵カッコの中のセリフは讃美歌だったりするので、宗教画の印象を与えたかもしれません。 祈りという点でもそうなるかも。 (フィラデルフィアの夜に XX)

2020-12-20

気が付いたら20作品も投稿しているこのシリーズ。 楽しみにしてくれている方がいるのがありがたいです。 説明なく針金が有機的に動くこのシリーズの特徴ではありますが、作品世界も独自に動いているのも確かです。 また書き続けていきますね。 (フィラデルフィアの夜に XX)

2020-12-18

また少し違う感じの、方向性が同じ作品ですね。 >歌いながら > >冷蔵庫(さ)する女 > > >冷たく(されて)も一緒に(いたいよ) この箇所は様々に読めるかもしれません。 >たった(一人)慰める 訳ですし。 即興で返詩を川柳で。 冷蔵庫 音楽鳴らす 恋愛歌 気持ちいい 冷蔵庫すがり 慰める  (「LIKE A 冷蔵庫」)

2020-12-16

即興で返詩を。川柳と短歌で。 過去未来 ガラクタたちが 姿誇る 醜くも 誇り高く 街の中 ガラクタたちは 木枯らし歌う (忘却の淵で)

2020-12-14

レッセフェール、とは一体何かと調べてみれば「為すに任せよ」という意味で、自由放任主義と訳されるみたいですね。 ここでは、あるがままであれ、とかそういうニュアンスと自分は解釈しました。 無機質なアルミニウムの精製が感情豊かなある種の面白味と共に描かれています。 レッセフェールがいいアクセントにして。 秀作ではないでしょうか。 (アルミニウムの涙)

2020-12-13

即興で返詩を俳句で。 眠りより 作り上げたり 儚くも 神よりも 美しくしえり 雪の花 冬よりも 隠してしまえ 雪歌う (神よりも)

2020-12-13

これが果たして有効となる返詩なのかわかりませんが、どうぞ。 自分に存在した厄介なものと、脱した様を出しましょう。 https://www.breview.org/keijiban/?id=1524 (壊して、殺して、消し去って。)

2020-12-13

どうにも実感がこもってしまう箇所のようです。 綺麗だけど見たくないものですし。 そういう矛盾が詩情になったかもしれません。 (シアン)

2020-12-11

シンプルながらいいですね。 何気ない日常をきれいに切り取っています。 会話もどこかでありそうですし。 最後の一文、これの余韻がまたいい。何か含みを感じさせもします。 (帰り道)

2020-12-09

では即興で返詩を。何分仏教オタで失礼。 どうか夜が明けませんように どうか夜が明けませんように 声震え なむあみだぶつ 夜に響き 温かみ 降り降り下りし ひがし空 わたしはわたしを守ってやれないのです ただ一言 呟くのみの にしの空 なむあみだぶつ 光あふれ声を出す なむあみだぶつ (窒息に似た)

2020-12-07

愚か者は我が勝ったと勝ち誇るが、そうではなく耐え忍ぶ者が勝利者である。 釈迦 ダンマパダ 色即是空 空即是色 (自己流の意訳:全ての物は実体がない。どう感じるかはその人それぞれでしかない。そのものの、本性と言えるその物自体を知る事はない) 諸行無常 一切皆苦 諸法無我 涅槃寂静 (自己流の意訳:全ては過ぎ去り 全てはままならず 自分というものさえない ただ苦痛からは脱することができる)  それが事実ではあります。 ではどうするのか、ご自分なりにそれらを超えた詩を読みたく思います。 もしかしたら、それが詩を書く、という事かもしれないので。 最上の善い言葉のみを語れ 釈迦 サンユッタニカーヤ (結局みんなエゴばかり)

2020-12-02

疾走感が凄いですね。 いい感じに力んだのでしょうか。 自分も「糞便」なる詩を投稿したことがありますが、まったく別角度からなる糞便詩を見る事ができうれしく(それもどうなんだ?)思います。 力む人 垂れ流す牛 糞便し (便)

2020-12-02

>言葉に出来ないものが >心を狂わせる >薔薇色をした夢に似た幸せが >街中で暮れていく 妄想と言えるものなんでしょうね。 でもそういうのを追いかけてしまうのですが。 返詩として川柳を、即興で。 妄想の 薔薇色燃やす 森の中 脳みその 言葉を無視する 道の上 (毒と夢)

2020-12-01

実は針金が足に取りついているかも、と感じる場面があったということですね。 それならちょっとわかりました。 そこまで印象に残ったのなら、こちらとしてもうれしく思います。 (フィラデルフィアの夜に XⅨ)

2020-11-28

マイナス20度くらいになると、空気が本当に痛いのを思い出しました。 そういう零下の夜、森で一人でいると本当に。 そんな時の心象風景に思えました。 自罰行為かと思える内容ですね。 立ち止まれた、立ち返れる、とも。 (雪国)

2020-11-27

何と言うか、安定の方向性ですね。 でも素晴らしい。ここまではできない。 少し真似して、川柳を。 それなんだ 男なのよ根 こすってよ (「いのちじゃない。ち。」)

2020-11-27

良いと言えるところに連れてこられるならいいかもですが。 相当怖いですよ、これ。 針金に動かされているとは、どういう状況でしょうか……? (フィラデルフィアの夜に XⅨ)

2020-11-27

全く考えてなかったんですが、そういや掛かっている! (シアン)

2020-11-26

そう言われ、思い返してみると、確かに人工的で色が薄くなって牛乳と混ざると、なんか切ない感じかもしれません。 >何を伝えたいのかわかりもせず 改めて読むと、悲しい表現ですね。伝えたいことがわかってくれないのは。 (シアン)

2020-11-26

紹介文を書いた甲斐が早くもあったようです。 お互い、読むとしましょう! (楽園への出奔)

2020-11-25

まさか作者からそう返事か来るとは予想外でした。 とはいえ自分が表現した物の正体がはっきりしない場合はありますよね。 こちらこそ良い作品をありがとうございます。 (楽園への出奔)

2020-11-25

>ぼく(ら) この個所の朗読の溜めがよかったです。 色々な思考や感情が詰まっているかのようで。 考えてみれば自分の場合、まともに休まず牛に物理的に振り回され、牛の糞便にまみれ、牛の介助をし、牛舎を真夜中に巡回して子牛を取り上げ、牛に頭突きされ蹴り飛ばされ(牛の体重は軽くて500キロです)てたりするのに、楽しかったんですよね。心底。 また牧場で働こうと思っているくらい。 そんな奇特な人間でないと、もはや生きにくいのかもしれません。 一切皆苦 涅槃寂静(全てはままならず苦痛である ただそこから脱する事はできる) 釈迦 その深呼吸の先に、どこか満足できることがあればまだいいのでしょうけど。 (ごめんねぼくらもう死ぬ)

2020-11-22

元牧場従業員なので、その体験からきています。 細かい事はいいから、牛の健康と経営が良くなってくれと思うようになっていました。 (細かくしないとよくならないのでしょうけど) それが命令のように投げかける文章になったかと。 嫌悪されるシアンはせめてその色を呈する海に行けと思いまして、最後の一文になりました。 (シアン)

2020-11-14

牛乳の色について、酪農関係者だと早く薬の影響がなくなって、出荷できる状態になって欲しいと願って仕方ないので。 実感がこもったかもしれません。 最終連ですが、海の色を連想させる嫌悪されるシアンが下水を経てせめて海に行けと思いまして。 まあ、希釈され処理場で浄化され、たどり着けないでしょうけど。 (シアン)

2020-11-14

>やがて大地が切れて海岸線の >帰れ、という声を聴いた、海は この寂しさは秀逸ですね。 前半部は寂しさがひしひしと伝わってきます。 もう進むことができないという事を痛烈に意味している。 >海はひらかれている、頬や肩を >たくさんの海が流れていくなかで >俺も海にひらかれていった 後半も寂しい感じはするものの、どこか明るさが。 海に浸っているのでしょうか。 >頬や肩を/たくさんの海が流れていく 海の流れを端的によく表されていると感じました。 (帰路)

2020-11-12

おそらくレーシングシーンの事だと思います。 シリーズの中でも疾走感が強いですね。 運転手は生きた心地がしなかったでしょうけど。 (フィラデルフィアの夜に XⅨ)

2020-11-12

そこまで計算はしていなかったのですが、いい不意打ちだったかもしれません。 運転手にとってはたまったもんじゃなかったでしょうけど、無理矢理連れてきた針金たちとこういう光景を見れたのはよかったのかなとも。 (フィラデルフィアの夜に XⅨ)

2020-11-12

イナウ(アイヌの祭具)の装飾が棒から直接装飾が作られているように見えたのと、職業訓練学校で旋盤の実習があったことから、河野作品ができました。 旋盤は場合によっては円柱から長めの針金状の屑が出てくるので。 暗闇の中で有機的に針金が動き出すのはこのシリーズの特徴ではありますが、いい雰囲気を出せました。 (フィラデルフィアの夜に XⅨ)

2020-11-12

薬を通してシアンを口にしていないのは、元牧場従業員として明言します。 抗生物質なので、出荷する牛乳に混ざらないよう、現場とメーカーが注視しています。 実際きれいな色です。 食品添加物で着色された薬の色ではあるんですが。食欲を無くすためにこの色にされているのはあるでしょうし。 海から生まれたのに、この色を拒否するのも、不思議ですね。 (シアン)

2020-11-04

ライトレスも歓迎ですよ。 酪農において大変厄介な問題が乳房炎という病気です。人の場合だと乳腺炎となるのでしょうか。 牛乳を作る乳房の中に雑菌やカビ、藻類などが入り基準を超えてしまい出荷できなくなってしまいます。 よくある雑菌が原因の乳房炎の場合、乳頭から入れる薬の色がこのシアンの色で、出荷できないのを知らせる意味があります。 ちなみにこの薬は抗生物質なので、万が一出荷したら全ての牛乳が廃棄となります。 鮮やかな青なのに、そのような扱いなのを思い出しこの作品を書きました。 白い牛乳の上に、このシアンが浮いていたりします。 それも印象に残ったのも書くきっかけになりました。 (シアン)

2020-11-04

即興で返詩を短歌で。  無駄な事 そればかりでも 緑色 食っていますよ パセリの山々 (短歌 二首)

2020-11-03

即興で返詩を。 牛が死んでいく 人懐こかった牛が 注射一本 死んでいく 生きるのも 死ぬのも わずかな差だ 生きる権利はあり 権利はない 死ぬ権利はあり 権利はない 生も死も 殺しも救命も ただそうなっただけ 止まれ 止めろ (生死生死生死生死殺す助ける死刑無罪臆病我慢生きる) 止めろ 止まれ    妄想だ 止まれ (苦諦集諦滅諦道諦 四聖諦) 止まる (正見正思正語正業正命正精進正念正定 八正道) 合掌 正もなく(ある意味において) 死もなく(ある意味において) 中道を行く 牛が死んだ 殺してしまった 人懐こかった牛が 与えてくれた恵みに感謝し 合掌する 背筋伸ばし息を吐こう 怒りと執着と妄想を 今止めて 合掌する (死ぬ権利)

2020-11-03

即興で返詩を。短歌で。 少しずつ 失われてく 我が心 教えてくれよ 行方の先を  (消耗品)

2020-11-01

こういう人知れず仕事をする職人を、その職人の誇りみたいなものと共によく書いてくれました。 今まで就いた仕事が割とそういった傾向があったのもあると思いますが。 白蛇の、神如き太刀は誰にも見つかることなく職人が手にしている。 ランチタイムに。 というわけで即興で返詩を。短歌で。 倦んだ日の ランチタイムに 降臨す 白蛇光る 職人の手   (〈安閑夜話〉 研究の体温 )

2020-10-31

読みにくい、と感じる方がいるかもしれない文字の配置ですが、情景の雰囲気をよく表した表現だと思います。 一連目の、海という名の空に風船が浮きあがるように沈んでいっている様子がいいです。 五連目、澱みを深く吐くのは風船か、作者自身か。 良く書けた作品だと感じました。 (生存回避本能)

2020-10-31

全然異なる印象というのは、予想外でしたが。 そう感じられるのは、こういった呼びかけのせいかもしれませんね。 どこか人の気配がするというか。 呼びかけについていくのは、作者としても少し怖いですけど。 (フィラデルフィアの夜に XⅧ)

2020-10-27

>この作品の世界を越境して、私たち読者のいる世界にも未知からの呼び声がどこからともなく響いてくるかのようです。 お褒めいただき感謝です。 自分もそんな声を待ち続けていますが、考えてみれば怖くもありますね。 作者ですけども。 (フィラデルフィアの夜に XⅧ)

2020-10-26

 今回は「山怪 弐」(田中康弘/山と渓谷社)にいくつかあった「山で聞こえた呼びかける声」と「石仏のある岩塔」から着想を得ました。 この本は猟師や林業従事者などの山に日常的に入る人たちから聞き取った、彼らが体験した奇妙なエピソードを記録したものです。  その中でどういう訳か山で呼びかける声を聴いたという人が別々にいくつか出てきます。 しかも明らかに人が呼んでいるものじゃないのに。しかも危うくその呼びかけに応じて行方不明になりかける人まで。  あと、石仏のある石塔は一度見つけたきり、二度と目にできないとか。最近見た人がいるみたいですがその人ももうたどり着けない。  そんな話からできました。 自分もまたそんな呼びかけを待ちつづけております。 (フィラデルフィアの夜に XⅧ)

2020-10-26

>そこまで >幸せになることは重要ですか >家族、友達が居ない >誰の役にも立たない >それはいけないことなのですか ここを読んで思い出したのは釈迦の時代の出家者の詩集と言えるテーリーガーターにあった一文。 「生を厭わず、死を厭わず、正しく知り正しく思い、時が至るのをただ待つ」 何を持って正しく知り正しく思うのか。 当時の出家者は、一人で森や墓場で修行するのが勧められたりもした。 逆説的に幸せになる事が幸せではない、と言えるかもしれません。 一人で修行したのは、諸々の物は実体がない物と理解することに集中するためだったか。 実際、大乗仏教中観派はそれを強く言い、釈迦もそれに近い事は言っている。 それがちゃんと分かれば、ここの苦痛は乗り越えられ、テイーリーガーターの一文は理解できるかと。 個人的にはかわいらしく生まれ、軽く亡くなっていくのを見てきた牛たちのお陰で生きてきた面はあるので、なおも生きていきたいところです。 (だからこそ命は軽くて美しい)

2020-10-20

自分が書いた推薦文に完全に欠乏していた学術的な視点が圧倒的です。 問題はこの推薦文を理解するだけの能力があるか怪しい事です。 せめてしばらく読み続けます。 「点」をより理解するためにも。 (現実を超えて回り続ける)

2020-10-20

>時計の針、死、死、死、死、死、死、死 この表現はいいですね。 チクタクと着実に死に近づいている。 >夜来たけど >死ねとは言わない              沈め 漆黒に飲み込まれるような表現が優れています。 (生と枕と義務)

2020-10-18

即興で短歌を。返詩として。 アルビノの サンダルのよな アブラゼミ 脱皮ばかりだ 乾かす夏の陽 声が消え 井戸水湧く 消えた日々 雪虫飛びて 夏陽を思う   (夜に昇る陽)

2020-10-12

クラップが何を意味するかと思ったら、手を叩くことのようですね。 あと鬼には、魂の意味もあるとか。 とすると >オニさんこちら 手のなるほうへ に独特の光景が目に浮かびます。 しかも怨霊も静かに亡くなった人も一緒に魂が乱舞する光景。 >さまざまな過去の人々の群れが入れ替わる ということをしながら。 >ぼくには、すべてが あわさり  >あたらしい魂に なった こうなるために。 なかなかない作品です。  (鬼)

2020-10-07

全くをもって間違ってはいないでしょう。 ですがあえてこの言葉を。 自らを「優れている」とも「劣っている」とも「等しい」とも思うな。 自らの価値を諸々の言葉によって判断しないようにせよ。 釈迦 ダンマパダ (一番)

2020-10-05

今まで散々各方向から「考えればわかる」「見ればわかる」「寝ればできる」「酒飲めばできる」と言われ続けていたので、気持ちはよく分かります。 では返詩を。 「わかるだろ」 みなっ口を揃えて なぜわかる どうわかる 如何に問えども 繰り返される 「わかるだろ」   自分の脳の アプリを覗き込む 欠けている アップロードもされていない 「できるだろ」 どうやれというのだ 絶望し 『苦諦 集諦 滅諦 道諦』 『生きるのは苦痛であり 苦痛には原因があり それはなくせる そしてその方法がある』 釈迦の声に従い進みゆく 『正しく知り 正しく思い 時が至るのをただ待つ』 そうなるために (当たり前)

2020-10-05

針金にまつわる連作となっております。 発想の元は、フィラデルフィア・ワイヤーマンと仮に呼ばれている人物の作品群です。 ビーレビューに投稿したのもいつの間にか17作品にもなってしまいました。 ジャコメッティを調べてみたら、思った以上にイメージにあってますね。 この人も興味深い。 よかったらどうぞ。ここにこのシリーズが集まっています。 https://ncode.syosetu.com/n5588fv/ (フィラデルフィアの夜に XⅦ)

2020-10-04

悪夢的と言われたりするシリーズなのですが、この話に関しては割と淡い夢のようではありますね。 実は以前書いた作品をフィラデルフィアシリーズにリメイクしたものだったのが影響しているかもしれませんが。 >文章のなかにひとつの世界があるかのようです。 素晴らしい評価ありがとうございます! (フィラデルフィアの夜に XⅦ)

2020-10-04

即興で返詩を。短歌で。 無視されて 「今をなすのだ」 息を吐き 背筋伸ばして 黒板向かう 嫌われて 「心を護れ」 自らを 「救い出せ」 それに励め   (つまらない日常)

2020-10-03

では返詩を。 何もかもに負ける体と心を持ち 東の地獄に 何もできず 西の惨劇に 行くこともできず 北の飢餓に どうする事もできず 南の惨状に 無力感を味わう 南無阿弥陀仏 この言葉をつぶやく 南無阿弥陀仏 どうすることもできないまま なむあみだぶつ そう意味も分からずとも呟けば 浄土へ行ける事だけを頼りに 根拠もなくそれを信じる事だけを頼りに 南無阿弥陀仏 人間は 時ににそういうものであると 手を合わす 如来は手を合わす (誰ニモ分カラズ)

2020-10-01

一瞬思ったのが、この川がどんな川なのか、という事。 なにせ、象徴的にも現実的にも境界なので。 普通に読めば溺れそうになった子供が、かつての自分とダブったなんですが。 この川が三途の川だったらまた違いますし。 しかもそれが彼岸と此岸だったら意味合いが全く違うので。 生き延びられたとあるので、此岸でしょうけど。 もし彼岸と此岸なら、仏教的に悟りに至りそうなかつての自分を引き上げようとしている、という事にも。 この場合、彼岸に至らないと危ぶない場合も。 釈迦の弟子に危うい人もいない訳じゃなかったですし。 自分だけかもですが、色々な意味に読めるようです。 (未来の川岸)

2020-10-01

英語と相まって西洋の詩のようにも思えますね。 そして画像が凄い。 あ、月の部分が「I just stare at it.」になっているのか! で、闇夜と海! 即興で返詩を。短歌で。 ゆりかごを 月夜の兎が 見守りて 花びらゆらり 波ゆらゆらり  (Flower of the Sea on a Moonlit Night (月夜の海花))

2020-10-01

エッジが効いてますね! それぞれのどうしようもないものが良く表現されています。 >水出しの麦茶を >1日1本1リットル >寿命をかけて飲んでいる これとかすごい状況ですよ。 (か行の女の子のために書かれた文字列)

2020-09-30

即興で川柳を。返詩として。 うすぐらい 見えざる顔の こえのこす (コロナ禍のなかで)

2020-09-26

「われは愚かである」と知ればすなわち賢者である 釈迦 ダンマパダ 吐くほど自己嫌悪を重ねても、何も変わらないんですよね。 自分の場合はそうでした。 その上、右手が無意識に顔や頭を殴打する神経系のものを持っているので、どうしようもなかったです。 (トゥレット症という症状です) 返詩としてこれをどうぞ。 https://www.breview.org/keijiban/?id=1524 (拒自症)

2020-09-25

本当にどうしようもない事はあります。 わずかなことで生き死にが決まることもあったりしますし。 だからこそ諦める。この場合、明らかにする、という意味で諦める。 「過去は過ぎ去り、未来は未だ来ず、今なすべき事をなせ」と釈迦は中部経典に残しています。(これはほぼ意訳ですが) なので、その通りです。そういった意味合いになります。 (目を開けた)

2020-09-21

まあ、皮肉ですね。 即興で返詩をしてみます。 ころころコロナ 阿の字を書き ころころコロナ コロガる人に阿の字書き 天の声聞かず 地にコロガる人に阿の字書き ころころコロナ コロガる人に善悪無し 手を合わす 天の父よ その声は本当に御身の声ですか 魔である マーラという自分自身の 声でないと何故言える ころころコロナ 転がる人に御救いを 滅ぼすならば 邪悪だというこの世ではなく 煩悩を ころころコロナ 妄想をコロガせる それに 阿弥陀仏の阿の字を書く 「ここにあって死ぬはずの者であると覚悟しよう」 と仏典に記されてます ころころコロナ 仏典背負い ころころコロナ 阿の字を書く (ころころコロナ)

2020-09-20

50音をこう変えてきましたか。 >歯皮膚剥保 >魔見無目喪 わかってはいるのに、不安になる漢字ですね。 画像も「目を無く喪る」と読めるんで、効いてます。 (┣ 呼途波或疎陽 ┳ことばあそび┫)

2020-09-17

ヒップホップについては全く知らないのですが、それを思い起こさせますね。 ビーレビューにはあまりなかったスタイルです。 また気が向いたらこういうのを書いてほしいですね! (「鶴橋」)

2020-09-14

人の死にあった事はあまりないのですが、牛ではたくさんありました。 人も牛も死んでしまうという点では全く同じですので、思うところがあります。 牛の様々な死に方を見てしまいました。 「残念だ」と感じながら、できるのは目の前にいる牛の世話だけですし。 感傷に浸る暇さえもない訳で。 適切に受け止める覚悟みたいなのも含めての、言葉です。 (目を開けた)

2020-09-14

神の立場というより、現場にいる人間の声のつもりではありました。 現場にいるならともかく動かないといけなかったりします。 痛みは痛みとして、だれかを生かして、自分も生き伸びる必要がある時はあるので。 (目を開けた)

2020-09-14

勤め励むのを楽しめ。自らの心を護れ。自己を難所から救い出せ。沼に落ち込んだ象のように。 釈迦 ダンマパダ 象の章より 思い浮かんだのは自分が好きな釈迦の言葉でした。 向日葵も鳳仙花もイラクサもキンポウゲもバイケイソウもムラサキケマンもワスレナグサもススキも花は花です。 無理せずにどうぞ。 (さよなら向日葵、おかえり┣鳳仙花┳ホウセンカ┫)

2020-09-11

百均さん、お久しぶりです! まず一連目。 >いのちのみずたまり >というものがあったとしたら >それはとうめいですか ? いいですね、これは。 どこか童謡的でもあり、誰にでも受け止めやすいのでは。 以下二連目以降も、ビジュアルが浮かんでくる。 フラミンゴの動作をうまく描写しています。 最終連、どこか不思議な描写。 でもこれがいい。 正直投票したかったです。 (無乳病)

2020-09-09

なんだか過去の自分を思い起こします。 なので川柳と破格の短歌を。 辛いから 三毒出して 息を吐く 怒り消し 背筋伸ばして 薬とし 妄想は 猛毒なれど 宝にし 七転八倒 爆破処分 (摘出手術をしよう!)

2020-09-07

即興で返詩を俳句で。 もう秋に 蝉が眠りて 猫が食ふ 金もなく 空の財布に 蝉が落ち 蝉が死ぬ 秋の風吹く 日が暮れる 蝉が死ぬ 空見上げれば 秋の星  (蝉はもうじき全部死んでしまうだろう)

2020-09-07

画像が凄まじいですね。 まさかこう来るとは。 返詩の代わりに、釈迦の言葉を。 一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。 スッタニパータ 蛇の章より (目覚めた┣月夜乃海花┳文字描き┫)

2020-09-07

静かなのに壮絶な詩ですね。 あまりの光景で、夏が一瞬止まってしまった。 個人的には口蹄疫や狂牛病で安楽死させられた牛や、鳥インフルエンザで袋に入れられていった鶏、豚コレラウイルス蔓延で処分された豚を連想しました。 ただ、こういったのが人だったら。 考えたくないですね。 (すこし)

2020-09-06

>彼らは私の背に落ちていく。 この表現いいですね。背負っていくみたいで。 あとこの漫画をおすすめします。 https://www.amazon.co.jp/%E6%AF%8E%E6%97%A5%E3%80%81%E7%89%9B%E3%81%BE%E3%81%BF%E3%82%8C-%E7%89%9B%E3%81%8C%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%81%99%E3%81%8E%E3%81%A6%E9%85%AA%E8%BE%B2%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%BE%E3%81%99-%E7%89%9B%E5%B7%9D-%E3%81%84%E3%81%AC%E3%81%8A/dp/4048965387 https://www.amazon.co.jp/%E7%99%BE%E5%A7%93%E8%B2%B4%E6%97%8F-1-%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E8%8D%92%E5%B7%9D-%E5%BC%98/dp/4403670857/ref=pd_sbs_14_5/357-0805795-2019644?_encoding=UTF8&pd_rd_i=4403670857&pd_rd_r=b00d3fb1-5bb3-4243-b40e-4e6a943f5ac3&pd_rd_w=i4WBe&pd_rd_wg=TJHln&pf_rd_p=74dba523-b490-4864-923d-51639f6a935f&pf_rd_r=RJXR1D85DM83PRGW2EKM&psc=1&refRID=RJXR1D85DM83PRGW2EKM (肉塊としてあること)

2020-09-06

即興で返詩を。川柳で。 青照らす 無常流れる いまここを (意識)

2020-09-05

なんだかおもしろい。 リズミカルな感じが良いと思います。 (犯人 はだれだ。)

2020-09-04

偏見を固執して論争し、「これのみが真理である」という人がいるならば、汝は彼らに言え。「論争が起こっても汝と対論するものはいない」と。 釈迦 スッタニパータ  八つの詩句の章より 揺れる振り子が本当に真理なのか、たとえ真理でもかつて真理に過ぎなかった残骸かもしれませんね。 ただそっと、離れるのがよいかもしれません。 (ルネサンスを想う唄2)

2020-09-04

即興で返詩を。字足らずの川柳と短歌で。 わかるもなく わからなくもなく 牛を飼う 原罪は 妄想せし事 合掌 感謝します いただきます 生まれ落ち 食われる身なれど 幸せに 未来思わず 今幸せに 必死に生き 全力で育て さようなら 我が糧に誰ぞ糧に ありがとう 死肉食う 全知で育て 愛込めて 死を超えて それでもなお 酪農業 死を超えて こころ込めて 畜産業 ついでにどうぞ。多くなりましたが、どれかひとつでも。 https://www.breview.org/keijiban/?id=4970 https://www.breview.org/keijiban/?id=5142 https://www.breview.org/keijiban/?id=4603 https://www.breview.org/keijiban/?id=4112 https://www.breview.org/keijiban/?id=2029 https://www.breview.org/keijiban/?id=468 (肉塊としてあること)

2020-09-04

>苦痛を増やすかもしれないない手には苦悩があります。 確かに。でも何もしない訳にはいきませんしね。 声は釈迦に感化されて出てきた言葉です。 自分自身を導いています。 (目を開けた)

2020-09-03

「残念に思う」、冷酷、無責任と言われるかもしれないですが、理解を示し過度に反応しない姿勢を集約させた言葉です。 悲しくどうする事もできない物事には妥当な姿勢かと。 力強さを感じれたのなら幸いです。 (目を開けた)

2020-09-02

即興で川柳で返詩を。 「大丈夫?」 星空如く ただ心に 善悪なしに ただ受け取りて (良かれと思ったのに…)

2020-09-02

故意に貶めるような読み方をしないのであれば、どのように読んでもかまいませんよ。 どのように感じるのかは、人それぞれですから。 なるほど、SNSでのやり取りを連想させる要素があったかもしれませんね。 そして、死。 今年3月まで牧場に勤めており、しばしば牛が死んでいく様を見てきました。 獣医による安楽死だったり、寝返りが打てなくてガスが溜まって死んだり、死産の子供だったり。 そういう実体験も影響しています。 あと、小学生の頃あった妄想を思い出しまして。 それは誰か大勢に意味もなく「お前のせいだ。責任取れ」と言われ続ける妄想でした。 現在、それのような状態に実際に陥った時、どうするか。 過度に反応しない、というのが答えになります。 そのような事をいう人たちの感情に理解を示しつつ、「ただこういう事になっている」とだけ認識し、その人たちの感情に巻き込まれない。 その姿勢を「残念に思う」という言葉に集約させました。 そして今なすべき事に集中する、それだけです。 最後にかずやさんが言うネットの辛さですが。 「我は人のそしりを忍ぼう。多くの人は実に性質が悪いから」と釈迦でさえ言っていまして。 ネットに限らず、人の関係はそういう傾向があるのでしょう。 辛くなったら即離れることができるなら、離れるのが良いかと。 それができなかったら、「残念に思い」つつ「ただこうなっている」と認識し、過度に反応せず今やるべき事に集中すればよいかなと思います。 (目を開けた)

2020-09-02

    滅    滅     す    す   痛み怒り執着妄想苦痛     合    掌        来  苦脳を求めず厭わずただ待つ        る        の     脱すのをなおも     技     釈     術     迦     によって言葉の (┣文字描き┳月夜乃海花┫は死んだ)

2020-08-31

>沙羅双樹in the soy sauce この個所いいですね。 醤油に漬けられてしまった。 ということは強者必衰の理を表す、無常の象徴が保存されてしまっている? パチンコ屋と平家物語冒頭を連想させるワードの対比が面白いですね。 ただこの人、全く懲りずに何度でも伽藍精舎の鐘の音が零れ落ちそう。 (沙羅双樹in the soy sauce)

2020-08-31

それでもなお、ミサイルを撃ち続ける と、昔対戦車ミサイルを扱っていた元自衛官として付け足してみました。 返詩として過去作品をどうぞ。 https://www.breview.org/keijiban/?id=579 (ミサイルと地雷)

2020-08-31

淡々と書かれていますが、実際金魚はこんな感じで生きているのでしょうね。 ランチュウとかデメキンとか、相当な奇形なのに、金魚は淡々と金魚です。 もしかしたら、我ら人類の事を書いているのかもしれないですね。 (金魚の系譜)

2020-08-25

まさか、批評を書いて下さるとは! 気が付いたら原点と言える、まだ拙い0話を入れたら(0話を元に18話を書いてます)40話も書いている、シリーズです。 自分でもフィラデルフィアシリーズと呼んでいるので、そう呼んでくれたら幸いです。 (もっとも、段々元ネタのワイヤーマンと関係がなくなっている感がありますが) 37話目にあたる、ビーレビュー投稿通算14作品目ですが。 フィラデルフィアシリーズに特有の悪夢的な雰囲気で謎は謎のまま、情感を残した作品となっております。 (基本バッドエンドはなかったはずですが) 手を変え品を変えつつ、書いてきました。 喜んでくれましたら、幸いです。 よろしければ、どうぞ。 https://ncode.syosetu.com/n5588fv/ (針金たちの小さな物語、彼らは生きている)

2020-08-24

即興で川柳で返詩を。 今昔 未練斬撃 魔界村 (今は昔。昔は昔。)

2020-08-24

毎度なかなかインパクトのある作品を投稿してくれますね。 散見される壊れたような単語は、大怪我で意識朦朧としながら振り絞った、絶叫でしょうか。 >死ねずあルファ!ト >砕かれた歯ぞる舌 これには驚きました。 (「レイバン割る幽霊女」)

2020-08-24

即興で返詩として短歌を。 平凡に フォーク刺して 平和な日 東京空 墨色仰ぐ  (東京の蜻蛉)

2020-08-18

即興で返詩として川柳を。 エラ笑う 命の音が 煮えたぎり (エラの詩)

2020-08-17

胎児が外界へ出ていく様子にも読めますね。 今年3月までホルスタインの子牛を取り上げまくっていたのでそう感じました。 (旅立ち)

2020-08-15

右利きだと左手を使わなかったりしますが。 金子みすず風に返詩を。 右手怪我したから、左でご飯食べる。 こぼすけれど。 みんな違ってみんないい。 (手首)

2020-08-15

またしても力作を! 英語の素養がないので驚くばかりです。 (イギリスのイタリア人 The Italian in England)

2020-08-14

寒月さんも故古賀忠昭さんも存じなかったです。 怒りに残虐性に諦観が混ざったこの詩は衝撃的ですね。 本来、南無阿弥陀仏はうらみ唄とは全く別の方向性のものだと思いますが、こうならざるえなかったのでしょうか。 業病について、最近騒がせた方のこともうかつにも全く知りませんでした。 業病のよう、と言いつつ最後は、実は友か、となっているので嫌うべきでもないという意味合いですし。 とはいえ、少々うかつだったかもしれません。 (糞便)

2020-08-14

大量の糞を出す牛のお陰でまた詩が書けました。 最後の一文は何気なく出たものですが、やはりあった方がいいいですね。これは。 (糞便)

2020-08-13

今度は「く」ですか! 書いていく くの字になって くのうして (く)

2020-08-09

考えてみれば延々と一日で最大5時間も糞で汚れた牛の尻尾を洗いまくっていたのも、この作品を書くきっかけでした。 あれらは思えば、友なのでしょう。 楽しんでいただけたら幸いです。 (糞便)

2020-08-07

そういえば、体細胞も骨も一定の期間でそっくり変わるという話がありましたね。 動物によっては糞便に対してほとんど抵抗感を持っていないように思うことがあります。 牛とかはたまにべっとり体につけて、明らかに平然としていたりしますし。 汚いとは、妄想の一面はあるかなと。 そうすると、さらに実は友と言えるのかもしれません。 (糞便)

2020-08-06

七年ほどし尿処理業者の次くらいに糞便を見ていた元牧場従業員です。 なもんで糞便に対する嫌悪感が薄れてしまいました。 自分が持っていたバックに糞便がついた夢をみたのですが、その時に「自分が出したもの嫌悪するってなんだ」と思ったのが、この作品を書いたきっかけです。 考えてみれば仏教で説く業のように巡るなと。 心をうたれたとは予想外です。 こちらこそ、感謝です。 (糞便)

2020-08-06

もうひとつ 海が鳴る 神奈川沖の 浪裏で 群青色 飛沫繰る  (無題)

2020-08-05

ではこう返しましょう。 ゴッホ行く 色彩乱舞 星月夜 (無題)

2020-08-05

何度も読みたくなるとは、幸いです。 なのに返信遅れて申し訳ないです。 実物や復元模型、写真で見ると土偶の一言では済まないほど多種多様で驚くほどです。 それらを見て感じた事を羅列したくなり、個人的な嗜好と共に現代において美術的に評価されている様子を書いてみました。 使命はもうはるか昔になくなってしまったのに、存在感を醸し出して佇んでいます。 いずれ、美術館や博物館でその姿を見てほしいです。 (偶像)

2020-07-31

土偶は具体的に何のために使われたかははっきりしていません。 大地母神ともシャーマンとも妊婦そのものだとも。 個人的には用途を探るより、土偶の存在感、装飾性を見るのが好きなだけなので、このような作品になりました。 「縄文美術館」なる本を見ると土偶の美術的な良さがわかるので、おすすめです。 (偶像)

2020-07-31

思うところがあったので、即興で返詩を。 許すことで息できず 許さない事で締め付けられ 許せる自分に右手が襲い掛かり 許せない自分に左手が暴行する 心は体は 自分で制御できない 自分は 勝ち得ない自分に 何もかもを許せないまま 右手と左手が握り拳で殴打する 口からこぼれる悲鳴を聞きもせず 許せるを右手に 許せないを左手に そうして胸元で手を合わす 反応しないのが救いだ 理屈も感情も苦痛から逃れるのには役に立たない 自らの主を自己とするために そうして胸元で手を合わす 平和を作り  手を合わす (心は理屈じゃない)

2020-07-26

>さみかなくる >さみかなくる > >さみかなくる >さみかなくる 意味は判然としないものの、ちょっと癖になるような語感がいいですね。 ひらがなで繰り返される同じような言葉のリフレインはとっつきやすく、読みやすいです。 こころ やんでます、とあるもののこの人物は回復期にあるのでしょうか。 佳作と言えると思います。 (#LIVES)

2020-07-26

即興で返詩を川柳で。 光乗り 涅槃超えゆく 錆の空 (錆世)

2020-07-25

実は土偶好きの羽田です。 先月機会があって秋田と青森の土偶を見てきました。 小さく素朴なもの、相当な作り込みをしているもの、明らかに笑っているもの。 写真集を見ると飽きません。 素直に驚きを書いたのが、良かったみたいです。 (偶像)

2020-07-21

我が子と言えど、他人なので思い通りにはいかないとは思いますが。 即興で返詩を短歌で。 後悔し 我でない子に 怒鳴りたて 学ぶ財産 残せずとも (1日目)

2020-07-16

今回はヤマケイ文庫「アイヌと神々の物語 炉端できいたウウェペケレ」収録の「犬は聞こえた」から発想を得ました。あと梅原猛が「縄文の神秘」に書いていた福島県にあったという風習からも。 この連作で針金は一体何なのか、と言われると好き勝手書いているだけなので、自分でもはっきりしません。 ただ塊になっているだけでも独特の存在感があったり、物を巻き付けたり縛り上げたり、そういう自由さは意外と扱いやすい詩の題材ではあるようです。 小説家になろうでまとめて掲載しているので、よろしければそちらをどうぞ。 https://ncode.syosetu.com/n5588fv/ (フィラデルフィアの夜に XV)

2020-07-13

即興で返詩として川柳を。 しがつづく とんでしまった 終わりし日 (し)

2020-07-12

ユーチューブの俺の歴史チャンネルで、先日ハーメルンの笛吹きが取り上げられていました。 説話か何かかと思いきや、実話が元になっていたようですね。 新たな土地を開拓しに向かったとも、少年十字軍として聖地に向かおうとして奴隷として売られたとも。 この詩のように、それ以前にこのような出来事があったのかも。 日本ではグリム童話以外では知られていないのを取り上げ、このような詩にしたのは評価したいです。 (ハーメルンの子供たち)

2020-07-12

即興で返詩として川柳を。 詩に迷い 語りし言葉 忘れたり 何語る 仏性見つけ 湧き上がり 苦杯手に 仏性見つけ 甘露あり (語るなと語るな)

2020-07-11

初登場はテニスの審判だったらしい、マリオですが。 しばしばマリオ詩は書いていますが、感情移入は難しいですね。 二次創作はしやすいのですが。 たまに書いては試行錯誤するしかないかもしれません。 (気配)

2020-07-11

即興で川柳を。返詩として。 ギリギリで 心を保つ みず?の膜 (glass)

2020-07-09

即興で短歌で返詩を。 地学室 時間止まりし 化石たち ここに置こうか 荒れぬ心を (15 minutes )

2020-07-06

即興で短歌を。返詩として。 草生える 「ダメな奴いるw」 笑い声 中央公園 最高な夜   (「中央公園より」)

2020-07-05

>劇的な破壊の裏側で >人間の価値が燃える 出だしが迫力がありあすね。 人間の価値が虚しく焼け落ちるという意味かとおもいきや、激しく燃え盛っている。 全体的に力強く、楽しめました。 (赤い猛獣が最後に見たもの)

2020-07-04

暴力と欺瞞の凄さがとても渡辺さんらしい作品ですね。 彼女が一体何をやったのか、そこまでの目に遭う必要があったのか、理不尽にも明らかになっていない。 こういうのが人生かもしれませんが。 >正義はいらない。幸福がすべてだ。 迫力のある言葉ですね。野生動物の生きざまみたいだ。 江戸期のキリシタンのような殉教者をここの彼女から思い起こしました。 (「ともだちになりましょ」)

2020-06-28

先日まで秋田で大型とけん引の免許を取りに行っていました。 しばらくホテルに住んでいたのですが、初めて見る街並みに数多くの人の気配がしました。 見ず知らずの人の生活感を感じてしまい、ふと思ったのが「幸せでありますように」と言う事でした。 それがこの詩を書いたきっかけです。 いい意味での怨念、なんかすごい評価ですね。 ご指摘の箇所は余韻を出そうと思い、二行に分けました。 一行でも問題なかったかもしれませんが。 感想ありがとうございます。 (街並み)

2020-06-28

自分の場合、牛を屠畜や安楽死させる手伝いをやっていたので、虹の橋云々を考えないようにしていました。 子牛を取り上げたその日のうちに別の牛を死なせていますし、大体一年に何頭も死なせるのでキリがないし。 人と動物の差は大きいです。大きくないと日常が成り立ちません。 (あくまで元牧場従業員の意見ですが) 確かに駆除された害虫はどうなったのでしょうね。 鈴木夜道さんが初めて駆除されたその後をこの詩で言及したと思います。 雨の橋、あまり悪いものではないようです。 (〈安閑夜話〉 雨の橋 )

2020-06-27

予想以上の力作ぶりに驚きました。 ビーレビに投稿されたものの中でも有数の労力が投じられた作品ではないでしょうか。 あまりの力の入れようにおじけづいたのか、コメントが少ないのが残念に思います。 言えるのは一言、ご苦労様です。 (ハーメルンの斑な笛吹き The Pied Piper of Hamelin)

2020-06-25

これといって特別な事のない日常を描いているように思いますが、なんだか心地い。 日常系と言われている漫画やアニメがありますが、それに近い物を感じました。 >世の中*とか世俗*とか世間*とか >そういうものとはほどよい加減でさよならして >豚の角煮をハフハフしながら夜を過ごす とくにここ。 大切で平凡な日常を送っているのがよくわかります。 こういった詩もいいですね。 (ほどよい加減にさよならを)

2020-06-25

久しぶりに書いたマリオ詩です。 誰もが知っているので二次創作するとなると最もやりやすいですね。 >ゲームで感じる感情が、僕らが例えば恋愛とかスポーツとか、そういう一般的な事柄で感じる感情と同じなのだと、もっと詩から感じることが出来たら、めちゃめちゃ面白い詩になるのでは 確かにそうなのでしょうが。問題は自分にそれが書けるかですね。 実はゲームは最近全くやらないのもありますし。 気になったゲームは調べたりしているんですが。 ちなみに >初めて出会う友の 輝く拳に触れ とはスマブラでマリオと初共演した餓狼伝説のテリー・ボガードです。 (気配)

2020-06-25

八連目から察すると、幽霊が様々な場所に流離っていたということでしょうか。 その描写の仕方が現代的で面白いですね。 行基前、というのも色々解釈できそうです。 (幽霊)

2020-06-24

なんてことない日常の風景ではあります。 >どうかお腹だけは満たされていて > >それが今の私の希望 この個所がなんだか沁みました。 テレビの間違ってしまった人も、そうあってほしいですね。 (ふたつの望み)

2020-06-24

なんかこういう経験があったような。 こういう時は余裕なくひたすら耐え忍ぶだけでした。 >できれば、あなたもいっしょに笑ってほしいと願いながら。 無理でしたね。当時の自分には。 では返詩を短歌で。 嘲笑う 裏切られつつ 言葉なく ただ為すべきと 背を向け歩む (あなたのやさしさはこっぴどく裏切られるだろう)

2020-06-24

即興で返詩を川柳で。自灯明という言葉を思い出しつつ。 光無し 自ら輝く 闇も無し (サンストーン)

2020-06-24

すいません。即興で。 始終惑う 40近くの 無職です いや、今の自分の状況なんですが。 おそまつでした。 (誕生日)

2020-06-24

ネットゲームのチャットと思しき文体を持ってくるとは思いませんでした。 こういう状況下では詩について考えることはなさそうですが、手ほどきする様に語っていくのは新鮮ですね。 >ひたひたに満ちる >お昼さがりに >缶コーヒーの >欠伸を聞いた そしてこういう時に持ってきた詩。 初心者に詩について入ってもらうのには最適だなと。 缶コーヒーの欠伸、昔のプルタブの奴は欠伸をしていたのを思い出しました。 今のはそこまでの欠伸ではないなぁ。 (詩を知らない人になるべく批判されないよう強制的に読ませて考えさせ一緒に楽しむ1つの答え。金を積んで依頼する編。)

2020-06-24

ここで終わるのではなく、さらに展開して欲しかったですね。 もっと続ける事でよりよくなった気がします。 もしくはもっとオチを強烈にするか。 (耳に水が詰まったら)

2020-06-20

即興で短歌を返詩として 死ねれども なればどうする 生きれども 自らを照らせ 自ら歩め (生と死)

2020-06-18

普通、これほど厄介な言葉もない気がします。 それは秩序であり日常であるべき姿です。 しかし逸脱してしまう、離脱しないといけなかったら? 無意味に苦痛の言葉になってしまいます。 ただ状態を表すだけで、束縛される必要は全くないのに。 そのような危うさを表現したものと思いました。 (普通)

2020-06-17

たもつさん的な、諸星大二郎がたまに描くショート漫画のような光景が、同じ日付で曜日だけ一週間分続いていく。 最後の方で幻覚だと気づいているものの、幻覚ではない現実がなんだか揺らぐ感覚に襲われてしまう。 木曜日の情景で私は扉になっているが、シャーマンの様に乗り移ってしまったのだろうか。 むしろ描かれたのはどこかの誰かに乗り移った記録なのかもしれない。 印象に残る作品でした。 (うちで踊ろう)

2020-06-16

即興で返詩を。 言葉よ 語り得ぬ想いを載せて この空の下 放たれろ 絶叫の声よ 轟け もはや言語にもならぬ 叫びは 誰に届ける訳でもなく 虚空へ投げつける 体の穴穴から 血が迸る 獣以下の怒声を 喉の奥底より 噴出した 天に響き 体は果てた 心は鎮まってしまった 旅立った あなたよ もう会えぬ 私は また歩き出す (REVIVAL)

2020-06-14

いつ投稿してくれるか楽しみにしていましたが、ついに来てくれましたね! 動画の詩の文体が崩れていく描写や三連目のリンゴが人体の様に捕食されたような様子はなかなかいいと思いました。 ちなみにここではもっと刺激的でも問題ありませんので、シタンさんの作風をより強めた作品を投稿してみて下さい。 では、即興の返詩を短歌で。 赤リンゴ 死体となりて 転がりて 腐りゆくのだ 土癒すため (【たわごと】リンゴ)

2020-06-12

確かに楽しい出来事も詩にすべきだというのは事実ですよね。 ただあまりにも自分にとってインパクトのある繰り返された情景だったので、詩にしてしまうのです。 動画だと衝撃的すぎるかもしれませんし、自分なりに表現すると、このような形になってしまいます。 あと、自分が見てきた獣医は完全に割り切って淡々と仕事していたので、詩にしにくいです。 家畜の中でも経済動物である牛は、割とあっけなく死に直面してしまうんです。 幸か不幸か死ぬこと自体に感情はなさそうです。理解していないかもしれません。 死んだ牛の前で、リラックスしている時の特徴である反すうをしていたりしますし。 だからと言って、死なせたくない気持ちもあるんです。 それでこういう詩を何度も手を変え品を変えて、書いてしまっています。 「陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる」 道教でこういう事を言われているとか。 ならば、死を見つめる事で生きる事が際立つのは事実かと。 あと、もう少し明るい方向の酪農詩は書いた方がいいかもしれませんね。 (激流)

2020-06-06

真夏の光景が目に浮かんでくるようでした。 もしかしたら大雨にあって酷い状態かもしれませんが。 それでもどこか爽やかさを感じさせる、いい雰囲気が心地よく感じました。 (化生)

2020-06-05

色即是空、と般若心経にありますね。 意味は簡単に言ってしまえば、「物の見方は相対的なものでしかない」だとか。 糞が汚いとは人間の言い分に過ぎないところはあります。動物はみんな糞袋ですし。 糞にまみれてしまう子牛は全力で何も考えずに子牛をやっているだけですが、結果として真理に近いかも。 死んでいく時も、尿溝に落ちた子牛と同じような事になるのはままある事かもしれませんね。 >生死一如といいますか、肯定/否定という、反転を繰り返す世界という。 なるほど、そういう視点も垣間見れるかもしれません。 しかし子牛から哲学が展開できるとは! (尿溝)

2020-06-05

「酪農は糞との戦いだ」以前勤めていた牧場の人がそう言っていました。 物凄い量を出してくる糞を避けながら作業し続ける側面があります。 でもこれ、生きているからなんですよね。なら悪い事でもないなと。 この詩の様に尿溝に落ちた子牛には毎回閉口しますが。 牧場の牛、見れるなら眺めてみてください。(牛に病気がかかる場合がなくはないので、距離を保って下さい) かわいいです。 やたらでかいですが。 (尿溝)

2020-06-05

自分にとっては7年間しばしば実際に見た光景ではありますが。 生き物が羊水と共に産まれて出てきて、体重数百キロの命が注射器一本で死んでいく、というのは衝撃的過ぎるのでしょう。 でも生々しい生と死は少しでも感じ取ってほしいですね。 膨大な労力と電力をもって日々命を食べていますし。 詩で少しでも表現できたらいいのですが。 (激流)

2020-06-04

返詩をさらに返詩してくれるとは! しかも短歌にしてしまい、ちょっとバッドエンドを回避するのも面白いですね。 こちらこそ、ありがとうございます。 (『-UFO- 地上の星屑観測船』)

2020-06-02

即興で返詩の川柳を 夢希望 大人になって 墜落死 手を伸ばす コンビニ前で 夢破れ (『-UFO- 地上の星屑観測船』)

2020-06-01

シリーズで続けているのでコメントが難しくなっているかもしれませんね。 それでもこのシリーズはまだ続けるつもりです。 >汚れたもの醜いものを中心に据えつつ、その清さが動きのなかで描かれていてよいです。 まさにフィラデルフィアシリーズで描きたいことです。 (フィラデルフィアの夜に XⅣ)

2020-06-01

即興で返詩を 皆がそろえて言うバツは この世の法律 従わないものはバツせられ 従う自分 傷つき 癒されている 皆と同じ方を向くのは楽しみだ 傷ついている心は ここにあるのに 手のひら を あわそう 手のひら を あわそう この世に従ってバツを受けない自分は 楽しいし 傷ついている その二つを あわそう 束縛 緊縛 嘘お面 自ら選んだ 天国と地獄 バツとマル 手のひら を 合わせる 現実見据え 苦難を超える (針地獄と束縛地獄)

2020-05-29

以前の作風とはずいぶん違う印象を受けます。 技巧を凝らさず、あまりに率直なので。 もしや、事実でしょうか? 川柳の返詩を。 火を灯し 香をくらふ 幼馴染 ともがらよ 振り返らずに 渡りたり 手を合わし 仏の御座に 見送りて  (昨日、幼馴染が死んだ。)

2020-05-23

よい作品だと感じました。 感覚、記憶、目の前の情景が何かの拍子に薄霧にかかってしまった。 その経験は少なからずあるものだと思いますが、それを上手く捕らえて詩にしています。 (20200519°)

2020-05-19

一応お伝えします。 >撃ち滅ぼして安楽に伏す 「怒りを打ち滅ぼして人は安楽に伏す」というのが阿含経相応部経典にあり、そこから取っています。 >「我らはここにありて 死ぬはずの者である >そう思うならば 争いは消えたり」 少し変えてますが、法句経からです。 >怒りと執着と妄想の猛毒から 仏教において三毒とされるものです。 >「今まさになすべきことを熱心になせ」 阿含経中部経典から取りました。 >「明日を恐れるな。明日はまだ来ていない」 新約聖書からです。 以上仏教オタでした。 (コロナと穢れ)

2020-05-17

では即興で返詩を 穢れもなく 清くもなく ただあるのは我ら人間の思い 妄想があるのみ 拡散されもし 凝縮されもする ただその人 その人の 思いによる 30%の擬陽性に偽陰性 妄想恐れ怒り執着 撃ち滅ぼして安楽に伏す 穢れもなく 清くもない 正しい行いによって 苦痛を脱せ 安楽に伏して 癒し整え 思おう 「我らはここにありて 死ぬはずの者である  そう思うならば 争いは消えたり」 生きているから死ぬ 死ぬから生きている 苦痛を脱せ 正しい思いを持って 森を見よう 大地を見よう 春の新緑に 蝶が舞い 花が咲いている 恐れるな  脱するのだ 怒りと執着と妄想の猛毒から 今はこの春を感じよう 夏は夏 秋は秋 冬は冬を 「今まさになすべきことを熱心になせ」 「明日を恐れるな。明日はまだ来ていない」 自らを整え 生きていこう (コロナと穢れ)

2020-05-16

即興で返詩を 笑みもなく歩む彼を見た ほのかに香る腐敗臭が気になり 舌を伸ばし匂いを嗅ぐ 過去は過ぎ去ったものと 昔聞いた 未来は未だ来ないものと どこかで聞いた 悩む必要はないと 彼を見、嗅いでそれを思い出した 重量増して この体は自由に動かない 首輪つけられ どこかに行くことはない 四つ足の体 ただただ日々 朝晩10リットルの牛乳を 搾られる この体は 白黒だ 「苦しみの中で 大いに楽しくいこう」 彼に言えたらよかった言葉 私が昔聞いた 過去 遠い昔の過去 この体になる前に聞いた言葉 今満足してしまった 搾乳の日々 いつか飛べる彼を見送り 一声鳴いた (つばさ)

2020-05-15

おそらくですが、実際のミサイルではなく「怒り」に分類されるものなのかなと。 >怒鳴り声の33乗 とありますし。 >世界のあらゆるミサイルが >私を目がけて飛んでくる >全てが私に引き寄せられる そのように感じることは、経験があります。 >周りの景色は焼け野原 >だけど私は生きていた 虚無。 でもそのままではいけない。 この人物がこの先何を見るのか、気になるところです。 (ミサイル)

2020-05-14

今の状況を思い浮かべてしまいますが。 >あなたたちは息をしているのにこれ以上なにをのぞむの? 息をしているだけでは苦痛なのだろうなと。退屈させるというのは刑罰になりうるので。 >夢だけが老いて私たちを残していく 浅き夢見し酔いもせす では、即興で返詩の短歌を。 人が消え 死体が並ぶ 整えろ 心整え 夢酔いもせず (011-020)

2020-05-11

最近、独ソ戦や冷戦下のソ連の収容所についての本を読みまして。 芝生を刈り取るように命が軽く扱われていったことを知りました。 指示した上の人は、命の生々しさを感じなかったか、目を背けたから命令できたようです。 ここの殺戮者は死んでしまった人々の生々しさを初めて感じ取ってしまったのでしょうか。 こうするのが性だったとしても。 殺戮者がもがく様子も見てみたかったですね。 言葉を見つけ出す瞬間も。 個人的には前の職場で人間側の都合で安楽死していった牛たちが思い浮かんできました。 産まれてきたばっかりの子牛も安楽死させないといけない事もあったので、余計に。 (殺戮者の懺悔)

2020-05-11

>劣等感、嫉妬、優越感、軽蔑 >今まで抱いてきたあの感情も、テストの残り時間の妄想も 釈迦が言う、三毒(怒り、妄想、貪り)ですね。 それを踏まえまして、即興の川柳を。 生まれ出た 三毒破り 空色よ (僕もやさしくなれた)

2020-05-08

即興で返詩を短歌で 放たれた ボイジャー2号 永久の矢よ 希望載せ行く 其の絶望知らず 放たれた ボイジャー2号 永久の矢よ 抱いた思い  断たれて飛んだ  (秘密)

2020-05-07

即興で返詩を短歌で 透明な 何かの中で 操られ 業縁の糸 吊られしこの身  (透明の正体)

2020-05-05

童話的な作品ですね。 愛に飢えた、正体のよく分からない、話を催促する化け物。 もしや、この化け物この詩における「僕」の分身か? 一連目の不思議な感じがいいですね。 (月の子)

2020-05-02

もはやどうする事もできない事があからさまになったように感じる、この頃です。 そのような思いと、原始仏典の言葉がこの作品になりました。 それならばせめて祈るのは、悪くないと思います。 ただ個人的に絶叫しているだけ、という面もあるのでそこは押しつけがましくはなくなったなと。 そうそう、言い忘れてた事が。 >皆既日食の光が地に届く >暗い中 白い超高温の光が見える これ、天文学における、コロナです。 (絶叫)

2020-05-02

何分こんな日々なので書けた作品です。 様々な人の継続的な努力にも関わらず解決に時間がかかる事態になってしまいましたので。 そんな時に読んだ原始仏典の言葉が響きました。 >「ただ今日まさになすべきことを熱心に」なしていく そうやっていきたいですね。 今の時代に必要と言って下さり、感謝です。 (絶叫)

2020-04-29

シジフォス。なるほど。 では悲壮感のない返詩を。 井戸埋める 雪を投げ入れ まあいいや (自由律俳句 202004-1)

2020-04-28

最近のコロナ、今月読んだ本にあったミランコビッチ理論(地球の公転軌道の変化が気候変動に大きく関わっているという理論)、読み続けている原始仏教の経典あたりが結実して、この詩ができました。 どうしようもない天気・気候に振り回される仕事に長くついていたのも影響しています。 儚い命をどう生きるか、というのがテーマになりました。 実際カギカッコの中にあるのは原始仏典・阿含経からの引用です。 >流れ 流動し が続く箇所は迫力が出て自分も気に入っています。 インパクトを与えるのに成功しました。 (絶叫)

2020-04-28

とはいえ。 自分と他人を比べて「等しい」とも「劣っている」とも「優れている」とも考えてはならない。それらは新たな苦しみを生むからである。 釈迦 スッタニパーナより という事かと。 どのような視点、基準をもって容姿や能力を見るかによって平等にも不平等にもなってしまいますし。 そのような容姿、能力、性格、特性の差はできてしまうものです。どうしようもないかと。 そして容姿も能力も失われてしまうものです。それはどうなるのでしょうか。 財産や容姿は不変の宝ではない。求めるものは得られぬ事が多い。しかし、道だけは心のままである。これを実践すれば、心を害するものは何もない。 釈迦 マハーパッリニパーナより 道と言える方向、それを各自邁進することが対応策になるのではと。 厳密には言えない、それぞれが見い出すものですが。 (平等)

2020-04-27

では即興の川柳にて返詩を。 鳴き止んで パキと潰れた 道の上 道の上  求め焦がされ 泣き止んだ  (殻から出れぬセミである。)

2020-04-27

>どうせ宇宙に溶け込んでしまうのに人間の形状を保っている肉 一時の偶然の事なんでしょうね。 即興で返詩を 自我 わたし わたし わ た し 体と味と香と音と目と意識だけが わたしを「私」だと認識させる これはなんなのか なんだ私は幻だった  一時の偶然が私を「私」にして           幸せな幻覚 そよ風と共に消え去るのだ なんだ 世界も何もかも 五感と脳が感じただけの幻じゃないか あるはずだった未来も 希望も絶望も破滅も壊れ 幸せな幻覚という信仰も消え去り 夜空開けた夏の朝の様に たった一瞬出来事なんだ GAMEOVER 終わるのが始まったんだ 孤独な長い夢はただの妄想だった 今この時から 一心に豊かに生きて健やかに死んでいくんだ 苦痛はない 燃え上がる街の 愛という欲望は無くなっていく ミクとアイの声の海を励みに アニメと詩人の墓から 光を得て ツインテールの様に伸びた欲望は蟹が切ってくれた 美しかったかしこいかわいいたのしい「わたし」 インターネットという私の死体部屋から 解き放たれた 人間の形状は 白の中に無くなった 雪降る街 地球の片隅で ブロッコリー片手に 今この時を生きていく (Twitter)

2020-04-23

ちゃんとした俳句や短歌の経験を積んだ方の作品であると思いました。 自分も自己流でたまに川柳や短歌を使った詩を書くのですが、実力に差があるなと感じます。 2月に雛祭りイベントとして投稿された詩に五七五で返詩を書く事があったのですが、また似たようなイベントがあるのなら、様々な作品に五七五で何がしか書いてほしいです。 つたない返詩を 花を摘む ロンドン落ちた そう聞いて (詩型(自由詩・短歌・俳句)融合作品 「花野」)

2020-04-21

あまり見ない、面白い文体ですね。 あえてこのように文章を区切るとは。そこまで見にくいわけでもないですし。 皮肉で滑稽で、悲劇的な豚男爵。 いいキャラです。 もうすこしエンタメ的にするとよりいい味が出るかもしれません。 より分かりやすく滑稽にするとか。 (豚男爵)

2020-04-21

「」には「」で返します。 「無意味だと言われたら無意味な事に精を出していると認めざるおえないでしょう。 愚かにも貴重な人生の時間の大半をネット詩、それどころか素人の慰みにかまけてしまった。 一切の賞にも無縁なまま、無駄に投稿を続ける年老い乳も出さない惨めな牛の様に、詩を鳴くように紡ぐばかりです。 それでもやらざる負えない衝動のまま、今なすべきと感じた創作を延々と続けたのです。 有名になる事も称賛を得る事も考えずに。 非効率でしょう。無益でしょう。 それでもこの世はかのような愚行を、まだ許している。それに甘えざる負えない。 不快に思えるでしょうが、この自慰如き行いによって、私はようやく呼吸ができるのです。 詩誌は掲載される詩の傾向があると思います。 私の詩は数多くの詩人たちが唾棄するだろうものであり、目に触れることもないものです。 このネットにおいてのみ人が読んでくれる、わずかな可能性にかけるしかない。 このような人間もいる事を、ご理解ください。 止める事のできない自慰を、お許しください。 人との関わりが困難になってしまった性を、果てのない修練にも関わらず克服しえない人間が存在しうることを。 そのような人間に、慈悲を持って下さいませ。 初めてできるようになった、呼吸を続けるために。 次の瞬間にも命が潰えるかもしれない、この世で。 右手と左手を合わせ、ここに知恵が生まれますように。 合掌。」 (はやくワクチンをください。)

2020-04-16

一応伝えておきますが、不快には思っていませんよ。 残念ながら、残酷なまでにガチャとしか言えない現実はあるわけですし。 生きていけるだけ生きていきながら、ただ、善くあるようにと思うだけです。 (バグ)

2020-04-16

あ、ちなみに法輪は仏教で知恵の象徴となっているものです。 で、今調べてみたら「仏教では教義(法輪)を他人に伝えること(転)」となっていたので、この詩での使い方は間違っているかもしれないです。 (いいねの市場)

2020-04-16

では即興で返詩を。 善い言葉を表そう 「いいね」 そのカウントが上がる事がなくとも 高揚も何もなくとも 虚空に向かい 言葉を行いを発し続ける 誰も注目しない 売れ残った 言葉 発したた自らだけが 心に留め 熱が体に帯びる 「いいね」 カウントが上がる 合掌し感謝した この世において 法輪が少し回る (いいねの市場)

2020-04-15

どうしても先月まで働いていた牧場の牛たちの顔がよぎってしまう、無職です。 バグだもの 仕方ないのだ 安楽死 そういう事がしばしばあったので、それくらいで、丁度いい、とは言えなくなっています。 牛のような経済動物はまた色々別なのですが。 この詩では人間は、それくらいで、ということでしょうけど。 (バグ)

2020-04-12

即興で返詩として川柳を。 嫌悪感 カラス爪立て 詩を紡ぐ (烏)

2020-04-12

白犬さんの心情を詠んだのでしょうか? >肉として生まれた日から この表現がなかなか凄まじい。 川柳で返詩を 白い犬 苦しみ咥え 夜駆ける (つたない夜)

2020-04-07

辞めてしまった牧場の牛たちが頭にあったので、そう感じるかもしれません。 大変でしたが、いい体験でした。 とは言え、もう一度今までよりよい待遇の牧場に就職するのを考えていたりしますが。 (別れ)

2020-04-04

牧場を辞めたのがこの作品を書いたきっかけになりました。 あの牛たちとはもう一切五感で感じる事はないのだろうな、と。 たとえ牧場に再度訪れたとしても、少なくとも何頭かは死んでしまっているだろうな、とも。 それと同じくらい新たに生まれているのでしょうけど。 そういうことを思いながら書きました。 インパクトを与えるのは意図していまsんでしたが、もしそうならうまくいった作品かもしれません。 (別れ)

2020-04-03

五七五で返詩を。 爆食の その果てに夜 音が”パン” (食べたい)

2020-04-02

>「明日を生きるために今日を生きているなんてごめんだ。」と高いビルから身を投げる人々は、「明日」さえ捨てられれば、今日を生きられるだろうか。 一切皆苦、四苦八苦でしょうか。 >摩擦が無いと滑ってしまう僕たちは立ち上がるために社会の軋轢の中に生きているのに。 怨憎会苦ですね。 >やっと尊さに気付ける数まで命が減っても高波が全てを流す。懸命に生き残っても土石流や火山灰で人々は土に帰る。 諸行無常です。 >一体どうやって史上何千年も愛し合ってこれたのだろう。 執着する、という愛だったのでは。 >生きることを否定されたと死んでみても、それさえも「命を粗末にするな」と否定される。 ”全ての生き物にとって命はいとおしい” 釈迦 ダンマパダより >目に見えない恐怖のために 妄想かもしれませんね。 >目に見えるかたちで繋がりを示すために。 でも妄想かもしれません。 ではこう問います。 苦痛まみれのこの世で、それではどうしましょうか? 以上、仏教オタでした。 (断捨離)

2020-04-02

どうしても先日まで働いていた牧場の牛たちを思いおこしてしまいます。 ある意味で牧場の牛も、水槽の魚と同じなので。 食われていなくなり、また育てるので。 最後の三連は水槽からの景色なのか、水槽を置いている場所の様子なのか。 もしや友人とは、水槽の魚か。 だとすると木霊する遠吠えは、聞こえない魚の声か。 一筋の煙は、火葬のように焼いた食べる魚の煙か。 そんなことを考えてしまいました。 (水のような 詩人のような)

2020-04-01

下手したら読みにくくなる改行の少なさがかえって疾走感を与えていますね。 QとAを繰り返す箇所や視覚詩のような安直を繰り返す所も面白く思います。 最後の言葉もなかなか。 頭の言葉をかなり正直に出したのでしょうか。 楽しめました。 (閉塞に慣れすぎて)

2020-03-30

近々牧場を辞める、牧場従業員です。 明日、職場の牛が肉として出荷されます。 乳牛なのですが、乳量が減ってきて、乳質も悪いので。 あの牛たちは復讐の神に、世話をしてきた自分へ糾弾するのを願うのでしょうか。 それと思い起こすのは今週号の少年ジャンプの「約束のネバーランド」という漫画。 この漫画には主人公たちと敵対する、人を食べなければならない存在とそれに協力する人間が出てくるのですが。 主人公が出したのは、協調でした。 誰もが最善を求めた結果でしかない、と言って。 >もしおれが猫であったならば >もしおれが人でなかったなら > >何かが違っていただろうか 皇帝マルクスは「全てが切れ目なく繋がっている」といい、華厳経は全てが密接に絡み合っていると説いた。 何かは違っていたでしょう。 でもどこかは同じなはず。 人も猫も、どこか少しでも理解したいところです。 (哀歌)

2020-03-24

実体験なので、リアリティがでたようです。 一つの記録という側面もあるかもいれません。 気に入ってくれたのなら、幸いです。 (午前二時~三時)

2020-03-24

あの時は、「こんな時にこれか」と思ってしまいましたが。 これはこれでよかったかもしれません。 千才森 万葉さんへの返信にも書きましたが、何があっても次々に作業があるので、色々抑える癖がついているかもしれません。 だから伝わる事もあるのかも。 それを感じてくれた、ということでしょうか。 (午前二時~三時)

2020-03-24

あと四日ほどで牧場を退職する羽田です。 無理に詩にした訳ではなく、この形式が一番書きやすかったのです。 散文にした方がよい、というのは一理あるかもしれませんが。 記憶を遡り、情景をつづるとこうなりました。 面白くしようというより、あの時の感覚と思考を文章にして読みやすくしていった結果です。 (この工程が面白くしようということかもですが) 何分まだ困難が少ない安産でしたので、危機感はないです。 ベテラン獣医が苦戦するのに何回か立ち会いましたし、この詩の状況は年に一度はあるので。 それと空元気出す感覚は正直ないです。 月によっては15~20頭立て続けに生まれてくるので、いいから安産で生まれてくれとしか思えなくなってしまっています。 そのうちの何回かは難産や死産なもので、下手に感情や元気を出すより次々と作業をしていった方が楽です。そうじゃないともちません。 また子牛はそんな人間の事を考えずさらに生まれてきますし、牛は腹を空かせます。 機械や水回りのトラブルも起きて、気が付けば牛が病気になっていたりもします。 返事としては不満があるかもしれませんが、ご理解いただけたらなと。 (午前二時~三時)

2020-03-24

題名が面白いですね。 詩の本文は、もう少し掘り下げて書き込んでいけばより印象深くなったと思います。 哲学の時間論を少し思い出しました。 短歌で返詩を おやすみの 今日は終わり 明日が来る 死んでしまって 生き返る朝  (不招請未来)

2020-03-20

ベジミートや培養肉の研究が進んでいて、味は結構いいらしいですね。問題はコストとか。 ただ酪農や畜産は困るかもしれませんが。 まだ日常に出回るまでは時間が必要でしょうし、牛肉を食べてほしいなと。 その時、全力で生きていた牛の事を少しでも考えてくれたら幸いです。 (肉になる 牛看取りたり 死産の子)

2020-03-16

>何者でもない個体を融解させながら >僕と私からは >微かに嘘の味がする ここ面白いですね。 融解したのはホタルガとショウジョウバエか。 それとも僕と私か。 そもそも僕と私って? 不可思議な所がいい雰囲気を出しています。 (汚濁)

2020-03-13

夜の中 芋虫来たり 春を聞く 針金の 創作衝動 皇帝と 医師も交じりて 混沌したり (フィラデルフィアの夜に ⅩⅢ)

2020-03-12

お褒めの言葉、大変感謝です。 書いた甲斐がありました。 無事に出産を終えた親牛と子牛にも感謝。 (午前二時~三時)

2020-03-11

確かに反感は抱く人はいるでしょうね。 だから命を大切にしろ、とまでは言いませんが。 それでも助けるのに必死になるだけの価値はあると思っています。 苦痛を和らげる助け、これは意味があるかと。 朝は来る 体液まみれ ホッとして (午前二時~三時)

2020-03-10

ラブソングも状況により流すべきですよね。 ええ、悪くないんですけど。 で、夜野さんの指摘の箇所。 自分の実感だったんですよね。 いずれ食肉になる命に必死に助けているんだなと。 そんな牛へのラブソングだったかもしれません。 短歌感謝です。 短歌や川柳を書きますが、完全に自己流でちゃんと勉強している方から見れば穴だらけだと思うんですが。 未熟者同士、励みましょう。 (午前二時~三時)

2020-03-09

昨日の午前二時から三時にかけて本当に一人で子牛を取り上げていた、羽田です。 状況はこの詩にある通りになります。 難産じゃなくて本当によかったです。 それで >二年後には食肉になっている牛のために真夜中に一人戦う奴もいる ここですが。 子牛を取り上げて片付け終わったあと、そんなことを考えてしまったのです。 正直な実感がこれでした。 確かに改めて見ると、そう感じてしまいかねないですね。 それでもあの時の実感だった、ということで勘弁してください。 (午前二時~三時)

2020-03-09

思い起こしたのは一切皆苦という言葉でした。 絶望も希望も極端という点では同じかもしれません。 語り手も「この世の全ては最善なのだ」と言った奴も、苦しみを結局乗り越えていない気がしますね。 それが作品の余韻になっているような。 (或阿呆に寄せる言葉)

2020-03-07

なんで生き残ってしまったのでしょうね。 偶然なのか、なにか事情があってどうしても生きていたかったのか。 こうなってしまうと安楽死させてしまいたくなる気持ちがよくわかります。 睨む冬 合掌せし オニヤンマ (カタワのオニヤンマ)

2020-03-07

夜の中 蝶が光る 誰ぞ見る  雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (   蝶)

2020-02-27

真清水るるさん、こんにちは。 歩く回遊魚とは言いえて妙。まさしくその通りです。 仕事でやっているのもあり、やめるにやめれないんです。 しかもゴールしたらしたらで遅いと怒られる。 大変でした。 (クロカンスキー)

2020-02-25

社 琴乃さん、こんにちは。 ひな祭りイベントで五七五のコメントを募集していたので、久しぶりに七五調の作品を書こうと思いました。 そしたら出てきたのが先日廃用で肉として出荷した牛たちの事でした。 それに続き、死産や安楽死の牛たちの事が。 やはりインパクトがあり悲しく思う事なので。 鎮魂の意味もありました。 七五調だと書ききれない、書かないことがいい効果を与えるようです。 今回それがかえって良かったかもしれません。 (肉になる 牛看取りたり 死産の子)

2020-02-24

渡辺八畳さん、こんにちは。 このケースは胎内で死んで時間が経ったために起こったようです。 自分の場合鼻が悪いので何とも言えない所があるのですが、胎盤が牛の体温によって腐敗しかけた匂いが強かったです。 それに死臭も混ざっていたような。 (気持ち悪い話題ですいません) つい先日職場の牛二頭が、肉になるため運ばれていきました。 先月は二頭の死産がありました。 先々月、立てなくなり安楽死の牛が一頭いました。 残念ですが、仕方ありません。 先月と先々月だけで15頭位の子牛が元気に生まれていますし。 (雄と和牛との雑種は肉牛農家に出荷してしまいましたが。今回雌が多かったので、結構残ってます) 今月あと三頭生まれる予定です。 (肉になる 牛看取りたり 死産の子)

2020-02-22

忘れ去る されどされども 慈悲向ける (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (抹消済みの、モラルに反する風景画)

2020-02-21

降りしきる 雪夜の中で 破れ出で (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (雪と夜が┣泥┳なず┫む)

2020-02-20

殺してよ 突き刺すことで 愛してよ (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (私の中に出して)

2020-02-20

疲れ果て 脳が壊れて 寝床行く 寝床行く 仏になるのだ 朝にまた 朝にまた 誰ぞが為に 疲れ果て (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (‪たばこを吸いたいがそれだけは最後の維持としてなんとか我慢している‬)

2020-02-20

鳴りやまぬ 魂の緒 黒電線 (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (余寒)

2020-02-19

今ここで 救い出したり 沼の中 地獄にて 努め楽しめ 苦難超え わが心  そは主なり  我救え 息を吐け 妄想消えて 不安消え (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (治癒)

2020-02-16

ミリウェイズさん、こんにちは。 クロスカントリースキーでやる事はただただ一歩滑走、二歩滑走、パスカングです。(少なくとも自分としては) それをしつつ苛立ち、絶望、焦燥、無心、興奮などを感じたものです。 大半は苛立ちと絶望でしたが。 その感情が滲み出たかもしれません。 あの時を思い出すとこのような表現になりました。 結果的に技巧的になったようです。 (クロカンスキー)

2020-02-16

つつみさん、こんにちは。 まさかここまで読み込んでくれえるとは! 実は2008年、現役自衛官の時に書いた詩を書き直しました。 この時、しょっちゅう駐屯地近くの演習場で一般に使われているのとは違う、自衛隊の官品スキー(重く滑りにくい。大量生産のためか?)でクロスカントリーをやっていました。 コツを掴めないと、またフォームが崩れスキーを滑らせなくなると、相当疲労が溜まるものでした。 このクロスカントリーでの走法が何度も繰り返す、一歩滑走、二歩滑走、パスカング(今はダイアゴナルと呼ぶそうですね)です。 どんな状態に追い込まれてもやめる訳にはいかず、時に罵声を浴びながら、猛吹雪に見舞われながら、置いて行かれ孤独に遅々と進みながら、場合によっては30キロの重りを背負いながら、数人がかりで100キロ以上のそりを引きながら、スキーを漕いでいました。 自衛隊時代で大変だった訓練のひとつでした。 この苦労を感じてくれたようです。これを書いた甲斐がありました。 (クロカンスキー)

2020-02-15

さよならと 河原立ち寄り 石を積む (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (返信)

2020-02-15

しかし、ゴキブリはゴキブリで天使かと。 その生命力をもって生態系における重要な分解者ですので。 少々揚げ足取りかもですが。 ゴキブリも 南無阿弥陀仏 天使なり 雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (ゴキブリメンタル)

2020-02-13

すいません。 書き直します。空を二回使うのはよくない。 青空に 飛び上がりたり 水溜まり (アスファルトは雨に濡れて青空になった)

2020-02-11

青空に 空を飛びたり 水溜まり (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (アスファルトは雨に濡れて青空になった)

2020-02-11

ころねさん、こんにちは。 最近出入りしている小説家になろうにて募集していた童話の企画用に書いた作品です。 メリハリとも違うとは重いますが、通常の童話とも違う感じは出せたかと。 かなり特殊な状況ですし。 月に一度は職場の焼却炉の掃除をしていることからできました。 ややフィラデルフィアシリーズの雰囲気かもしれませんが。 (狭い中で)

2020-02-11

雪祭り 現れ消える 九相図よ (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (溶けた氷像)

2020-02-10

罪人よ 椿見ようか わが友よ (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (ここではないどこか)

2020-02-09

すいません。先ほどの五七五を書き直します。 馬駆ける 美しい世に 口笛を (馬が逃げた)

2020-02-07

馬逃げた 美しい世に 口笛を (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (馬が逃げた)

2020-02-07

不思議と楽しくなりますね。軽快な感じが出てるからでしょうか。 牧場なら馬は大切な財産のはずですが、逃げてしまった事にそこまでの悲壮感がなく、どこか楽し気。 >美しい原に >美しい馬が逃げて >美しい馬が美しい場所に逃げて >俺たちは嬉しくなって >美しい馬を追っていって >俺たちも馬になっていくような気がした ここ好きです。 ホルスタインを日々世話する牧場従業員としても、共感できる作品でした。 牛がたくさん逃げると、ものすごく必死ですけども。 (馬が逃げた)

2020-02-07

私死に あなた生きてる ねえ触れて ひなまつりイベント俳句 (恋歌)

2020-02-05

小野小町九相図の現代版のようですね。 でも、九相図は体の執着をなくすためのものだから、違うか。 となると死体牧場(アメリカやオーストラリア等にある、死体を放置しその様子を科学的に観察する場所)の様子か。 それに見入ってしまった人の感情かもしれませんね。 死体を淡々と観察し、ある種の愛情をもっている様は、なかなかいいです。 (恋歌)

2020-02-05

生と死 あたかもそれは 0と1 (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (envy.com)

2020-02-04

幻想に 息を吐き切り かみ吹雪 (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (幻想離れⅡ)

2020-02-04

何気に自分では書けない文章です。 何と言いますか、熱量そのままを文章化したと言いますか。 もはや自分ではもう処理ができなくなったもの、といいますか。 それでもある種の面白さと調和を感じます。 (約束)

2020-02-03

どこかグロテスクで、どこか耽美。 いい作品だと思います。 最後の文が効いてます。 (花やかな嘘)

2020-02-03

なんとなくゲーテを思い浮かべました。 西洋の詩の影響を受けているのでしょうか。 なかなかいいと思います。 強いて言うなら、より自分の世界を作ってほしいかなと。 (讃歌)

2020-01-22

ミリウェイズさん、はじめまして。 不可思議な情景を描くのがうまくいきました。 フィラデルフィアシリーズの特徴ではありますが。 楽しまれたのなら、幸いです。 (フィラデルフィアの夜に Ⅻ)

2020-01-22

全体的に面白味を感じさせる作品ですね。 連ごと独立した詩としても成立しますし。 短いながら印象深かったです。 (燃えて)

2020-01-20

南雲 安晴さん、こんにちは。 お褒めいただき、ありがとうございます。 実際のフィラデルフィアワイヤーマンの作品は数点ネット上で見られるのですが、それらからなんとなく感じ取ったのが、そのようなイメージでした。 思えば明確には言語化できてなかったのですが、南雲さんが感銘を受けた部位が自分がそう感じたことでした。 思いがけぬ発見ですね。 これも含めて感謝です。 (フィラデルフィアの夜に Ⅻ)

2020-01-19

真夜中の冬の嵐を思わせる光景ですね。 そのような経験が住んでいる地域の特性上結構あるので、ありありと浮かびます。 寒く痛く暗くどうにもできず、立ちすくむ。命が削られていくのをただただ感じながら。 ですが、これでは一連目で終わっている印象です。 もう少しつけたしてもよかったのでは。 この視点の人物の心象なども読みたかったです。 (旅路)

2020-01-11

あんさん初めまして。 フィラデルフィア・ワイヤーマンと仮に呼ばれている人物の作品をイメージして書き続けている作品群です。 悪夢的とも称されますが、気に入らてなによりです。 実はこれで36作品目になります。 https://ncode.syosetu.com/n5588fv/ ここにまとめているので、よかったらどうぞ。 (フィラデルフィアの夜に Ⅻ)

2020-01-11

エイクピアさん、こんにちは。 森厳な事実とかなしにたんなるコメディのつもりだったんですが。 呪文もギャグです。 そのように推察されるとは予想外でした。 (コント原稿 爆弾処理)

2020-01-03

yamabitoさん、こんにちは。 色々あるんですね。ギターについては全く知らないもので。 今回は詩以外も許容されているというので、コント原稿を投稿してみました。 試しにやってみた、というところです。 新たな試み、間口を広げる、というつもりです。 コント原稿でポエジーを感じさせるのは難しそうですが、次投稿する際参考にしますね。 (コント原稿 爆弾処理)

2019-12-31

シナスタジアさんこんにちは。 ギターについては全く知らないまま、Gコードをしらべてみたら難しいとあったもので。 難しくはなかったんですね。 ご指摘感謝です。 AB(脂喰坊主)さんこんにちは。 とは言え、コメント感謝です。 (コント原稿 爆弾処理)

2019-12-30

いすきさん、こんにちは。 最近こんなことをやりはじめました。 最近出入りしている小説家になろうという投稿サイトでコントや漫才の原稿を募集していたのがきっかけです。 そこは少しわかりにくかったですかね。 テンポはよくやれたかなと。 渡辺八畳さんこんにちは。 自分にコントをやれる活舌がない上、やってくれる人が身の回りにいないんですよね。 芸人を捕まえて演じてくれるのが一番なんでしょうけど。 (コント原稿 爆弾処理)

2019-12-29

矛盾に満ちた行為ばかりに見えますが。 人間の姿そのものかもしれませんね。 >その時はそいつに、ただ一人の俺を認めてほしい 寂しさ満たされなさ。 そういうのも表せたのはいいと思います。 いい締めです。 (たった一人だ)

2019-12-28

実家で昔飼っていた犬を思い出します。 ほのかに暖かかったあの体と、一瞬往年の動きを見せるあの様を。 老犬の雰囲気がよく出ているように感じました。 身近にそのような犬がいるのかもしれませんね。 もしそうなら大切にしてやってください。 (老犬のまなざし)

2019-12-28

北海道の開拓者を思いました。 このように絶望してしまった人もいるのではないかと。 農業関係者の一人として印象深かったです。 (一粒の麦よ)

2019-12-28

戦争と死を詠んだ詩ということでしょうか。 それをこのような角度で、完成度を高めたのはすごい事だとおもいました。 >はるか昔から鳴り続けている >耳を塞ぐこともやめてしまい >鳴っていることさえわからなくなった >耳すましても聴こえなくなった 感覚が鈍麻するほどの空砲が撃たれ、 >宇宙にも死があるというセンチメンタルを >粉砕し 目的 >貫徹し >午前から永遠までを泳いで渡る 死を詩情豊かに思い、 >そのままで >このままで良い >のだと互いに大きなくしゃみをし >いつか戦争が起こるのを待つ 諦観し、 >だって届かないのだ そして終わったのでしょうか。 何度も読む必要がある詩かもしれません。 (エキゾチカ)

2019-12-23

現在の状況をストレートに出したようですね。 しかしこれだと詩の素材の段階だと思います。 より詩情を出すような構成、言葉使い、また起承転結をはっきりさせる、多少のフィクションを織り交ぜてインパクトを持たせるなどの方法が考えられます。 もったいなので、もう少し推敲してほしいです。 内容としては、就職が全く決まらず唯一受かった自衛隊に入隊してしまった頃を思い出します。 または悶々としていた学生時代。 しかし、将来への不安は明確に迫っているものでないなら存在さえしないただの妄想の側面があるようです。 それが妄想でしかないと分析できたのならば、反応しないという手段があります。 妄想には反応しなければ、楽になりますよ。 この作品からはどうして自傷行為に及んでいるのか、判別できません。 自分にはその思いは想像もできません。 ですが、実際やっているか詩の中だけでしかないのかはともかくとして、釈迦の言葉を載せるのを許してください。 「我らはここにあって死ぬはずのものである」と覚悟しよう。(略)そうすれば争いは鎮まる。 自己の主は自らである。他が主であろうか。自らを整えることで最上の主を得る。 勤め励むのを楽しめ。己の心を護れ。自己を難所から救い出せ。 自分の励みとなった言葉です。 詩を書くことは恥ずかしくありません。中二病も突き抜ければ最強です。 また投稿してください。 (僕という人間。)

2019-12-23

最初の連はある種の宗教家、信仰者を思い浮かべました。 信念で全てを乗り越えうる人のイメージで。 二連以降の少年のいずれ到達する地点でしょうか。 二連以降は少年の心情が少し脈絡のない感じで揺れ動くかの様ですね。 思春期ごろでしょうか、その頃はこんな感じで混乱していたのを思い出します。 ああ、そうだ、俺、思春期ごろから般若心経の本読み漁っていたんだ。 どうでもいいことも思い出しました。 (揺らめく川のかたほとり)

2019-12-21

不思議な迫力を感じました。 自らの体験、記憶が元になっているのですね。 そういったものを元にするとしばしば強烈な印象を与えるので、だからかもしれません。 記憶焼失、タイトルがすばらしい。 もはやこの題しかこの詩にはそぐわない。 (記憶焼失)

2019-12-21

横書きより縦書きがよりいい作品ですね。なんとなくですが。 イメージがわきやすい、銀の質感を捉えた作品であると思います。 そうか、銀と水は相性いいのか。 最後の連も味わい深く読みました。 (聖銀 (※右からお読み下さい))

2019-12-19

何かを暗示しているかのようですね。 面白い発想だと思いました。 黒くなったのは間違いではない気はしますが。 ただ無常であり、変化するだけなような。 (真っ白な紙は)

2019-12-17

できたばかりのロボットと製作者の会話のようですね。 読んでみると味わい深い。 ただもっとパンチを効かせてほしかったです。 もう少しオチを強くしたり、予想外な展開にするとよかったかもしれません。 (通信)

2019-12-17

かの今田千代氏を少し彷彿とさせてくれました。 ある意味とてもらしい作品です。 他の方ではなかなか難しいです。 (Chaotic culture zone Eureka(貴音×cultureさん))

2019-12-17

鈴木夜道さん、こんにちは。 牛乳旨いんですよ。 あと栄養価高いんで。 牛乳悪玉論というのはあるんですが、怪しいですし。アレルギーや体質に合わない人は別ですが。 元も子もありませんけど。 >人間の骨の髄まで沁み渡り >人間の一部分ともなる牛には >親しみや感謝からくる安らぎよりも >骨絡みにまで人間をとりこんでしまう >空恐ろしさまで思えます。 そういう発想に至るとは予想外! でもそれ、他の食物もそうでは? 牛は睥睨するよりじっと押し黙って見つめてきます。 ある種の象徴としての牛は憂い、睥睨するでしょうけど。 ここではそういう風に読める牛の姿を書いてしまったかもしれません。 (牛の今)

2019-12-13

たもつさん、こんにちは。 実は実際に目にした光景です。 牧場従業員なのです。この情景そのままを目の当たりにし、思うところがあって詩にしました。 頭にあったのは聖書の「明日を思い患うな。明日はまだ来ていない」と阿含経相応部経典の「過ぎ去った事を思い出して悲しむことはないし、未来の事をあくせくすることもな、ただ現在の事だけで暮らしている」という言葉。 なんだか牛の生き方そのままのように思えたのです。 終わりのない今を生き続ける、とはここから来ています。 >牛というモチーフは途中でその姿を実体のない、何かに変えていく。 >その何かは何であるのか。 そう言われたら、確かにはっきりしなくなる。 痛みのない苦しみ、これは人間の妄想とかのつもりでした。 牛にはまあないでしょう。 最後救われたとしたら語り手でしょうか。聖書と阿含経の言葉を感じれたので。 牛は最初から救われているに近い境地にいますし。 (牛の今)

2019-12-13

その思いは正しいと思います。 ですが、その言葉は失礼ながら届くでしょうか? >鬱も知らない無神経が 笑ってみてるぞ >幸せいっぱい感じた奴らが そんなの甘えとほざきだす >一度生きてみようぜ あなたに価値は必ずある それはわかっている、と苦しんでいる人は感じてしまうのでは。 どうしようもなく、全てが負の方向に向いてしまっている状態では、通じない言葉だと考えてしまいます。 確か自殺防止センターの西原という方だったと思いますが。 ただ側にいて一緒にコーヒ-を飲みながらゆっくりと話を聞いているそうです。 この詩からはなんとかしようという叫びは聞こえてきますが、現場の人間が見出した寄り添うという方向性があまりないのでは。 自分が本格的に危ない精神状況の時には、精神論で叱咤激励されアルコールを散々注ぎ込まれるばかりで、悪化の一途をたどりました。 ただ今の状態を聞いて欲しかったです。受け入れてほしかったです。 苦しむ死を選びかねない人を理解し寄り添う、そのような方向を見出してください。 おそらくこのような詩を書くきっかけがあるのでしょう。 それがもし自らの体験がからむのであれば、それ混ぜるのもより伝わりやすくなると思います。 そしてそのためにも詩の技術を向上させてください。 そのために様々な詩や文学に哲学を読み、漫画や映画を鑑賞するのもいいでしょう。人に触れ、日々の日常を誠実に果たすことも重要です。 またその思いの詩を書いてみてください。 (殺られて終わりか〜死にたいあなたに何も知らない僕の言葉〜)

2019-12-12

>街が燃えていても >ヒーローは踵を返して帰ってこない >だけどそんな時代でも >君の胸に届くのは 感じたのは災害や戦争で日常を失った人々。その人々が交わしているあいさつでした。 懸命に生きる人々の姿を思い浮かびました。 大切な挨拶や表現を効果的に使っている詩だと思います。 リーディングもいいですね。声質がこういった詩にとてもあっています。 またリーディングも投稿してほしいです。 (また明日)

2019-12-10

おむすび 健太郎さん、こんにちは。 シンプルな感想ありがとうございます。 それをくみ取ってくれるのなら、幸いです。 (朝)

2019-12-10

蛭夏さん、こんにちは。 文字通り、空を焼き尽くすような朝焼けを見たのです。 それが印象的だったのをほぼそのまま書き出しました。 面白い表現ができたかと。 (朝)

2019-12-08

蕪城一花さん、こんにちは。 今住んでいる地域はかなりの田舎でして、晴れると空と景色がとてもきれいです。 仕事中、ふと目にした朝焼けが美しかったことからこの作品の発想を得ました。 鮮明な情景を作る事ができました。 感じ取ってくれて感謝です。 (朝)

2019-12-06

即興で返詩を。 種が そこに転げ落ちた ばら撒かれたそれは 人の目につくこともなく ヘドロが 瞳に映した 血と暴力に汚れた手が 覆い護った その累々と重なった死を 無残なる亡骸を 涙流す 緑の体が これがここにいるよと 声を出す 花が咲く 縁により 頭上に 花が咲く (消費される花々)

2019-12-04

”る”がリズミカルに連なる箇所が大変面白く思いました。 つい口ずさみたくなります。 とはいえ詩と死と私の上を踏み歩く音なのかもしれないのですね。 ここまでの音を奏でるのなら、それでもいいな。 どこか空虚さを感じさせますが、連なる”る”が気持ちいいです。 (詩と私)

2019-12-02

渡辺八畳さん、こんにちは。 流し読みの際、目につくという点では成功のようですが。 作り込みの不足はあるようです。 反省すべきところですね。 (真剣)

2019-12-02

>俺達の神様に勝手に名前を付けないでくれ。 つつみさんと同じく、この個所がとても印象的でした。 この詩からは静かな叫びのようにも感じさえます。 今までの作品に比べ、一皮剥けたように思います。 ポエトリーリーディングをまた別な作品で聞きたいです。 (太陰暦2019(ポエトリーリーディング))

2019-11-27

るるりらさん、こんにちは。 この作品は情景そのままを映したものになります。 そう感じられたようなのでこの点は成功したようです。 やる気を出せるしになっていたとは、予想外でしたが。 つつみさん、こんにちは。 実はこの作品、ツイッター上で詩をその週のテーマごとに募集している「詩コン」に投稿した作品です。 そのためツイッターの文字制限を受けています。 なので簡潔な表現にしました。 (画像を使えばその限りではないのですが、やり方がわからないので、文字制限の中でやるものと個人的に割り切ってます) とはいえ指摘はもっとも。ここはツイッター上ではないのですし。 もう少し調べてからこの詩を書くべきだったかもしれません。 (真剣)

2019-11-27

即興で返詩を。 合掌しよう ここで この世で 人は亡くなっていくから 「すべて同じジーヴァーという名の八万四千の娘がこの火葬場で荼毘にふせられた。 それらのうちの誰を、そなたは悼むのか」 怒りを打ち滅ぼせ 苦痛ばかりのこの世で これ以上の苦しみを作るな 良いという事をなせ 良い言葉のみを吐け 死んでしまった者へ 今生きている者へ 楽にさせる言葉を 祈れ 祈れぬ言葉を それでもなお 自らへ 死んだ者へ 生きている者へ 「自らの主は自己である」 善くありますように (祈ることもできない)

2019-11-17

エイクピアさん、こんにちは。 なるほど、クリスマスには終戦だろうという予測があったのですね。 だから一時休戦になったのかもしれませんね。 煙草は戦争の象徴とは思っていませんでしたが、火と煙はそのような連想ができますね。 良い効果を出せたようです。 (クリスマスの日に)

2019-11-09

ころねさん、こんにちは。 実際にあったエピソードを元に作りました。 http://karapaia.com/archives/52103465.html 一次大戦時のイギリス軍とドイツ軍が最前線で自然発生的にクリスマスに休戦となったことがありました。 それをころねさんの作品を読んで思いだしたのです。 最前線では度々こういうことが起こるそうです。 塹壕で出会って、煙草を分けたりとか。 人間味を感じてしまい、戦えなくなるとか。 ゴールデンカムイの主人公・杉本はそれを避けるためか「ロシア人は痛みを感じないと思っていた」という事を言ってました。 そして現代戦だと人の顔を見ない戦場になりつつあるんですよね。 人命は護れても、非対称的な殺戮になりかねないという懸念はあります。 息遣いと知恵を忘れないようにしたいものです。 同期、後輩、上官が普通科連隊で活躍している元自衛官として。 こちらこそ読んでいただき、感謝です。 (クリスマスの日に)

2019-11-08

元自衛官なので、思うところがありました。 それで返詩をと思ったのですが。 返詩にしては変形が多くなったように思い、自分の作品として投稿いたしました。 よろしかったらどうぞ。 「クリスマスの日に」という題です。 (魔獣)

2019-11-08

いすきさん、こんにちは。 寓意のつもりはなかったんですが。 なるほど、そうも読めますか。 この作品を写経し暗唱するとは、いつの間に経典のようなことに! 予想外! それほど気にいってくれたのは、うれしく思います。 (フィアrデルフィアの夜に Ⅸ)

2019-11-04

古馬車から100年以上前の過去と思いきや、メールという単語に現代性を感じさせ、流せないはずの血に気付けばSFかとも思う。 どのような時代背景でも、人は産まれて生きて、戦争へ赴く。 大本営のような声も響いて。 「僕」の諦めのような感情を強く感じさせるとともに、エンタメとしていい作品と思いました。 (みらいノ旋律)

2019-11-02

少々読みにくく感じたのが正直なところです。 〇〇と△△を別な言葉で置き換えたり、省略するような文体の方が読みやすいかと。 あと、三人の人物が交互に話していますが、それぞれ話し手が変わるところで改行を入れるべきですね。 でないと、どこで話している人物が交代しているかわかりにくいです。 内容的にはライトノベルの冒頭のような感じですね。悪くはありません。 ただ詩として表現するなら、詩である必要性を出してほしいです。 例えば、ここに出てくる青年の心情を緻密に描くとかはどうでしょうか? 動揺、困惑の度合いは相当なはずですし。 (ロボットと核兵器と時々セックス)

2019-11-02

中程さん、再びこんにちは。 ビーレビューに投稿したのは11作品ですが、この作品でトータル35作品目になります。 気が付いたら結構な量になりました。 帆場蔵人さんm、こんにちは。 ちょっと反則気味だったかもしれませんね。今回。 それでも奇妙な幻想がいい味を出せたようです。 楽しんでくれて何よりです。 (フィアrデルフィアの夜に Ⅸ)

2019-11-01

なかなか壮絶な描写ですね。 拒食症かと思いましたが、必ずしもそうでもなさそうな。 >私は私の頬を拭いながら 獣 獣 と 胸の中で呼びかける 何か別な存在になりたい、強い存在でいたい。 だから吐いてしまった、体を空にしてある意味清めてしまいたかった。 そのようにも読めました。 (DEAD COPY)

2019-10-31

中程さん、こんにちは。 実は35作品にもなる連作だったりします。その最新作です。 色々な要素が入った奇妙な連作ですが。 ここにまとめました。よかったらどうぞ。 https://ncode.syosetu.com/n5588fv/ エイクピアさん、こんにちは。 浄化というのは考えていませんでしたが、そうも読めますね。 人間の摂理とも自然の摂理とも言えない、針金によるホワイトクリスマスですけど。 この雪とも言えない雪に困った人々は多そうですが、叙情的になりました。 (フィアrデルフィアの夜に Ⅸ)

2019-10-31

いくつかのギャグが短い中に織り込まれていて、面白く読めました。 こんな展示を実行した水族館が存在するとは。 「海に向かって『トド募集』という看板をシャレで設置したら本当に毎年トドが水族館にやってきて住み着いてしまった」という小樽水族館も大概ですが、ここも大概ですね。 (カンジョウ絶対防衛線 外回り)

2019-10-09

背景を色々考えさせる作品ですね。 短く、いい形でまとまっていると思います。 (青白い灯台)

2019-10-08

どうしようもなく擦切った、古く淀んだような日常の中、ある種の力強さを感じました。 果てがないほど否定され続け、それでも再生され続けているラブソング。 シェルターの様な、時間が止まった部屋に。 そこからエネルギーが放出され、この話者がそれを受け止めたのでしょうか。 見えてくる光景が良いと思いました。 (ラブソング)

2019-09-29

鈴木夜道さん、こんにちは。 好きでやっているんですけども。牧場の従業員は。 ため息やうめきを感じさせる詩だったかもしれませんが。 欺瞞の刺激臭を取り除けないのは、仕方ない事でしょう。 やれるのは今やれる事、やるべき事それだけですし。 慈しみの心を保ちつつ。 一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。 スッタニパータ 蛇の章より 新染因循さん、こんにちは。 あれ、コメントがありませんね。 何かあったのでしょうか。 もう一度書き込んでくれませんか? コメントを見たいので。 (酪農)

2019-09-29

るるりらさん、こんにちは。 コーヒーは仕事が朝早い上に休みが少ないため、何かと飲んでいまして、そういわれると「力」と言えるものを日々感じ取っているような気がします。 漆黒については、よく見たら飲み物と思えない位真っ黒だなと、なんとなく思ったことから使ってみました。 コーヒーを初めて見る人にとっては、毒の様に感じるかもしれません。なのにそれが有益なんですよね。 思った以上に成功している作品だったようです。感謝です。 stereotype2085さん、こんにちは。 仕事柄たまに牛の命がかかっていたりするので、気が付いたら戦場にいるような気分になることがあります。 しかも少ない休みで、とにかく牛の世話をしないといけないですし。 ここは自分のキャリアの特徴が出ているようです。 ああ、今月二日しか休んでない……。 (漆黒を)

2019-09-28

いすきさん、こんにちは。 普段何かと飲んでいるコーヒーから着想を得た作品ですが。 情景と緩急については上手くいったようで、よかったです。 「戦いに行こう」と「戦いへ行こう」に関しては、正直無意識的にやってました。 いすきさんの指摘で気づいたのが正直なところです。 とはいえ、結果的に上手くいってますね。 具体的なイメージから心理的な前進、その通りの効果が。 こういう事もあるもんですね。 (漆黒を)

2019-09-19

長い分には問題ないと思います。 自分が原始仏典を愛読する人間なのもあり、長い詩に慣れているのはあると思いますが。 (聖書や仏典には長い詩といえる表現が結構あるのです) ただ、神様と出会った事だけをクローズアップしてもよかったかなと。 神様と出会うまでを思い切って削ってしまってもよいかと。 詩と言い張るには長すぎかと問うのは、無駄が多いと自覚しているのでは。 神様をより印象的すると、よりいい作品になると感じました。 (公園と神様)

2019-09-17

白犬さん、こんにちは。 今回運営までカードが出てしまう事態になってしまったのですが、仕切りなおそう、という意味を込めて投稿しました。 原型は15年前に書いた作品で、一部手直ししました。 咀嚼して感じたことがあれば、ここに書いてくれるとうれしいです。 では皆さん。 >何をしても良い。暗闇の静寂へ消え去りしものを除いて。 >さあ、書き出そう。 書き出しましょう! (映像)

2019-08-24

まりもさん、こんにちは。 「海ゆかば水浮く俺」は万葉集の 海うみ行ゆかば 水み漬づく屍かばね 山やま行ゆかば 草くさ生むす屍かばね 大おほ君きみの 辺へにこそ死しなめ のパロディになります。 漂流し戯れで歌ったわけです。 ちょっとわかりにくい表現だったかもしれませんね。 戯れに、というのを付け加えるべきだったかもしれません。 (波)

2019-08-19

IHクッキングヒーター(2.5kW)さん、こんにちは。 正直完全にコメントをもらえるのを諦めていた作品に、コメントしてくださり、感謝です。 今回エッセイ的な、個人的な心情信仰的な作品を投稿してみました。 どうにも牛の乳搾りしている最中にこのような妄想が起こり、いつの間にか形になっていたので。 多少なりともかつてのどうにもならなかった苦しみが、何かの役にたてたようです。 こちらこそありがとうございました。 いつしか心にはまる何かを見つけられる日を、祈念します。 自己を難所から救い出せる何かを見つけられるはずですので。 (仏教オタ 独白)

2019-08-12

エイクピアさん、こんにちは。 ここに投稿したものだけで10作品目になります。 全部で今のところ34作品になってます。(うち一つはほぼ没ですが) しばらくコメントがつかなかったので、ちょっと失敗したかと思ったのですが、美しいとの感想を下さるとは。 感謝です。 (フィラデルフィアの夜に Ⅹ)

2019-08-02

桃源郷のような世界に迷い込んでしまったのでしょうか? ブロックの様にも思える回と田を挟み込んだのも面白いですね。 いいアクセントになっています。 諸星大二郎の短編に「桃源郷に迷い込んだ陶淵明が、気が付いたら咲き誇っていた桃の花は散り、郷の人々は亡くなっていた。道連れの人もおらず、ただ一人詩を詠んで去っていく」というのを思い出しました。 蓮華の花、それが咲くそこは浄土だったのでしょうね。 (ぬくい)

2019-07-31

るるりらさん、こんにちは。 正直コメントをもらえるのを諦めていたところに、ありがとうございます。 発想の元は緘黙という身体的に問題はなくとも状況によりしゃべれなくなる症状を持った人のネット記事です。 その人は症状の克服のきっかけが、被り物で全身を覆うという事でした。 そこからこの作品ができています。 個人的に軽く吃音があるので、他人事に思えませんでした。 釈迦もキリストもソクラテスも孔子も文字を直接書いて後世に残さなかったといいます。 ならば力ある声には超越的なものがあるようです。 もしかしたらそれを多少なりとも表せたかもしれません。 この詩を好きと言ってくれて感謝です。 また、このシリーズを投稿します。 (フィラデルフィアの夜に Ⅹ)

2019-07-31

童謡のような作品ですね。 少ない言葉で奥行きを出しているのがいいと思います。 >うつくしい ふたつのかげがのこっています この箇所が個人的に気に入りました。 (かげ)

2019-07-15

なかなかよいように思います。 ちゃんとした形で読みたいですね。 詩を書こうとして言葉と論理に結果として逃げてしまった男と、直観的に詩に近づく少女の対比が興味深いです。 ちなみに、ビーレビはユーザーは削除できない仕様です。 ご注意を。 (エミリーの眼の中でわたしは眠る)

2019-07-07

ちょっと即興で。 明後日屠畜される牛が職場にいるのです。 それでなんだか他人事とは思えませんでした。 明後日屠畜されるお前よ さようなら やさしい瞳でいつも見つめてきて 毎日2回白い乳を出した お前の乳搾りは この手の仕事 子供を産めず 病気がちで さようなら 優しい瞳よ 暖かな体よ 大きな体よ 匂いを嗅いできた お前よ 搾乳終わって さようなら 明後日の朝 さようなら (ガーベラ)

2019-07-01

日々世話をしているホルスタインたちを思い起こしました。 全身全霊で何も考えてない気がしてならない奴らですけど。 とはいえ、ホルスタインはホルスタインの感覚で世界を見て、感じているわけで。 それと同じくこの電気羊も、何かを感じているのでしょう。 擬人化して考えてしまいますが、多分違う世界を感じている。 でも、この風は同じように感じてほしい。 そう読みました。 (電気羊に祝福を。)

2019-06-26

仲程さん、こんにちは。 強烈に印象に残る事を詩として表現したので、記憶の情景とその印象をできる限りそのまま出しました。 それがよかったようです。 あと、仲程さんの作品を拝見しました。 印象と情景を描いている点では共通ですね。 リアリティですが、やはり実際に経験した事を表現するのが一番強く出るかと。 この行軍並みに強烈な経験はなかなかない気がしますが。 (上富)

2019-06-26

エイクピアさん、こんにちは。 「森の中へ」は演習場の中へ、という意味で書きました。 しかし、それを連想してしまうと別な緊迫感が現れますね。面白い読み方だと思います。 畑がパッチワーク状になるのは5月が最もよいらしく、確かその頃に行軍したのでそう書いたのですが、エネルギーに満ちた新緑、万緑と鈍重な自衛官の行軍はまたさらなる対比になりますね。 結果としてかなり良かったようです。 (上富)

2019-06-19

夢野メチタさん、初めまして。 そう言われると、少しくどいかもしれませんね。 人知れず行軍している事を表すために書いた連ではありますが。 このような事を妄想しながら行軍していたので、書いてしまったかなと。 リズムよくできたのはよかったです。 (上富)

2019-06-18

沙一さん、こんにちは。 結構なお褒めをいただき、感謝です! 初めて見るパッチワークの丘が、こんな時だったりします。 それもあって印象に残っている行軍の一つです。 だからこそ出せた雰囲気かもしれません。 TwoRiversさん、初めまして。 美しいとは。荘厳とは。現役の自衛官に聞かせたいです。 実は上富良野には広い演習場があり、よく演習を行っていたりします。 夏の行軍はしばしば演習場外の道を歩いており、見かける事があるかもしれません。 風光明媚な観光地であると共に、自衛官にとって過酷な訓練を行う場所であるのも覚えてくれると元自衛官としてはうれしいです。 (上富)

2019-06-17

>明るい色彩向けて あ、誤字だ 明るい色彩抜けて のつもりでした 渡辺八畳さん、こんにちは。 これ実体験です。 実際に5月の上富良野で、パッチワーク状の畑の中、ラベンダー咲く道沿いを行軍したことがあります。 その時は模擬の対戦車誘導弾を台車に乗せて、押していってました。 しかもその時は行軍の後半が大雨で大変だった記憶があります。演習本番も、きつかったです。 そんなふと思い出した光景を元に作りました。 色彩の対比がもの凄いことになってましたし。 名詞を連ねたのはよかったみたいですね。 今改めて見ると、これ行軍の様子にも見えますね。 (上富)

2019-06-16

全くその通りです。 北の最果てで牧場従業員をしております。 牛は産まれてから死ぬまで牛なのです。 どこか調子が悪くても黙ったままでこっちが察しなければならないし、薬飲ませたり注射したり、いくら変えても寝藁は汚すし、前触れもなく子供を産んだり、発情して暴れたり、特に意味なく暴れたり、足を踏まれたり、気が付いたら逃げ出していたり。 それでも好きだから、やってます。 年末は牛と年を越しました。 盆も正月も牛といます。 そしてもうすぐまた仕事です。 きぬたけしさんも同じような仕事でしょうか? もしそうなら、お互い体に気を付けましょう。 (牛飼いの話)

2019-06-05

花とカラスに対する亀が面白く感じました。 色々解釈できる点がいい様に思います。 (庭園にて)

2019-05-21

ふじりゅうさん、こんにちは。 自分なりにネット詩とネット詩人へのエールとして、ビーレビへのエールとして書いてみました。 この詩を見た方、一人でも熱意を感じてくれたら幸いです。 (ネット詩人 宣誓)

2019-05-21

帆場蔵人 さん、こんにちは。 実は対戦車ミサイルを扱っていた、元自衛官です。 自分が扱っていた発射機から撃ち出すものだったので、この形にしました。 一瞬、発射機という単語はどうかなとも思ったのですが。 最終連は実際こういう事になっているんです。対戦車ミサイルは。 製造から一年のは使った事がなかったかもしれませんが。 五年位経過していたような。 ただ独特な悲しさと叙情性はあるなと。 実射訓練で見て感じた事を書いので、あまり皮肉というつもりはなかったのですが。 小瑠璃さん、こんにちは。 自分の独自性のを評価していただき感謝です。 この光景、皮肉を感じるものなんですね。 自分としてはかつて見た、光景です。 (ATM)

2019-05-11

tOiLeT さん、こんにちは。 そのように思っていただけたのならば、幸いです! お互いキーボードを叩くとしましょう! せいろんさん、こんにちは。 ちなみにそこの箇所は仏教の八正道を素にしました。 その最初に来るのが、正見というものになります。 正しく見ること、詩の制作においても重要だと思ったので、使ってみました。 沙一さん、こんにちは。 色即是空、空即是色。 全てはあるわけでもなく、ないわけでもなく。ただ感じるがまま。ただそれが良いと言えるものであれ。 戯れましょう、いざ共に。 (ネット詩人 宣誓)

2019-05-03

佐久 乱さん、初めまして。 自分の作品は割と映像的ですが、特にその傾向が強い作品になりました。 後半のそのカットは上手くいったかなと。 小瑠璃さん、こんにちは。 なるほど。 確かに陰と陽が打ち消しあい、入れ替わっていますね。 面白い観点ですね。 tOiLeTさん、初めまして。 自衛隊時代の演習時の記憶が、詩にいい影響を与えたかもしれません。 となると、「人の脳内に焼き付いた映像」とは自分の記憶の映像になりますね。 強い印象を持たすことができたようです。 (花畑にて)

2019-04-27

渡辺さんとかるべさんが言うべきことを全て言っているのですが。 気になってしまうのが、この二か所。 >「素晴らしい未来は自分次第で切り開ける」 >「苦しみの過去は自分自身を強くさせる」 詩情があまりにもないのです。 詩情という言葉をここでは「印象に残る言葉」と言い換えるべきかもしれません。 >「素晴らしい未来は自分次第で切り開ける」 は漫画のカイジにあった「未来は僕らの手の中」とほぼ同じ意味で、こちらの方がより印象に残りやすい。 >「苦しみの過去は自分自身を強くさせる」 はいっそ「心をまもれ。怠るな」とか。 (ちなみに原始仏典の一節です) 詩において強調させるべき個所だと思うので、もう少し考える必要があるかと。 いかに言葉に味付けできるのか、というのも詩のテクニックではありますし。 あまりにも廊下に貼られてそのままになっている標語のように思えるので。 とはいえ、最初はこんなもんです。 自分なりによいと断言できるような詩をまた投稿してください。 ([生きる僕のコトバ])

2019-04-24

哀愁亭さん、はじめまして。 自衛隊時代の演習がある程度元になっています。 小銃を持って撃ち合うのが前提で行動をすることになるので。 そこに花畑の映像がどういう訳か前々から入り込んできました。 そこから作った作品になります。 かなり映像的な詩になりましたが、哲学的との感想をいただけるとは。 少々意外でした。 (花畑にて)

2019-04-22

あ、去年7月の「友よ」もマリオ詩だ。 あおきがはらさん、はじめまして。 シンプルな詩が好みなので、自分の作品は割と読みやすいかもしれません。 それとファミコンのマリオはコントローラーが壊れる程やりこんできたのが、詩に表れているかと。 マリオへの思い入れも入った作品です。 ふじりゅうさん、こんにちは。 二次創作の主題としてマリオはかなり書きやすいのです。 なにせ世界で有数のよく知られた仮想の人物の一人なので。 あっけなく死んでしい、また復活してしまうある種の悲しさみたいなのも感じなくはないですし。 今回、切なさをよく出せました。 確かに無限の情景や、効果音を聞き続ける描写があってもよかったかもしれませんね。 ちょっと思い至りませんでした。 (僕が増えていく)

2019-04-10

はさみさん、はじめまして。 そこは書き終わった後に付け加えた個所だったりします。 悲しさみたいなものを出せたかなと。 (僕が増えていく)

2019-04-08

祝儀敷さん、こんにちは。 実は3作目です。 去年1月の「僕は跳んで」と今年2月の「誰かの声」が過去に投稿したマリオ詩になります。 少々マリオの塩梅が強すぎましたか。 確かに。 仁川路 朱鳥さん、こんにちは。 マリオはこのようにして残機を増やせるので、このような詩を書いてみました。 マリオ2なんかは完全にミスしてその度に残機を増やすのが前提ですし、その点が印象深かったのです。 小瑠璃さん、こんにちは。 マリオ詩では実は2月に投稿した作品の方が新しかったりします。 よろしければどうぞ。 仏教風味です。 (僕が増えていく)

2019-04-07

上手くまとまった佳作のように思います。 花が散る儚さと二人が出会う未来への言葉が合わさった抒情性がいいです。 強いて言うなら、もっと印象に残るようにしてほしかったかなと。 もう一言、パンチが効いた言葉があればよりよく、ほかの詩に埋もれにくかった。 難しいですけどね。 (春のかほり)

2019-04-03

かるべまさひろさん、こんにちは。 ステレオタイプさんからは悪夢的とよく言われているこのシリーズですが、今回は悪夢と良い夢の狭間の様な作品となりました。 少し作りが甘かったかなと投稿してから思いましたが、楽しんでいただけて、ありがたいです。 いずれまた書きますので、それまでお待ちください。 (フィラデルフィアの夜に Ⅷ)

2019-03-30

思い付きで返詩を。 変わるなかれ わが心よ 変わるなかれ わが友よ 変わるなかれ 父母よ 変わるなかれ 山河よ 全ては変わると 白黒写真から悟るも 広がる道を走り出す 生殺しされし前に 踏み出しし先は未来へ 流れに依りて出でるも 合縁 奇縁 一期一会 故郷よ 殺されし神 たちたりけり  (進学や就職)

2019-03-22

北の大都市札幌から地方の自衛隊駐屯地を経て、そこから爺さんと婆さんと牛と野生動物しかいない、いい景色と温泉しか見るべきものがないド田舎に来て、気が付いたら6年目の男です。 ちなみに鉄道は35年近く前になくなったそうです。 なので、立場は真逆ですが考える所がある詩でした。 とはいえすべては無常ではありますし、仕方ないかなとも思いましたが。 自分みたいな仕事を求めた結果、田舎で健やかに長時間労働やっている奴もたまにいますし。 春からの東京での勤務、頑張って下さい。 (進学や就職)

2019-03-20

歌詞はやはり歌うのを前提なのかな、というのが初見で感じました。 テキストだけで眺めるのと、歌を聴きながらだと評価が違ってくるなと。 どこを強調したいのか、書き手が直々に表してくれるわけですし。 >テーマソングが流れてる 歌を聞いているとここでなんだか楽しくなってきました。 (┣Main Teme┳メインテーマ┫)

2019-03-18

即興で返詩を。 羊水ごとき ぬるま湯の 我らは いつかそう感じるのだ 出会う その仏の顔は 三十六度目 生きていくのだ 死んでいくのだ 血を流していくのだ 悟る 意味を知るまで 仏に会う ぬるま湯から こわばる寒中へ (36℃)

2019-03-09

galapaさん、こんにちは。 阿含経の中に出家したアングリマーラが難産の女性を癒したエピソードがあり、それを下敷きに書いてみました。 >「私は正しい生を得てから、故意に生きとし生けるものの命を奪った事はない。安らかなれ、安産なれ」 この個所は、釈迦から難産の女性に唱えるよう言われた言葉をほぼそのまま引用しています。 結果的に穢れが大きな要素となりましたが、エピソードを下敷きにした作品を書きたかったのです。 釈迦の弟子の中でも気になる人物でしたし。 >罵声と投石を投げつけられ ここはご指摘の通りでしたね。変えるべきかなと。 (アングリマーラ)

2019-03-06

渡辺長吉さん、初めまして。 素敵とさえ書いて下さり、投稿しようか迷った作品なのもあって、ありがたいです。 この作品はアウシュビッツ強制収容場のコルベ神父のエピソードを下敷きに、昔キリスト教会に通っていた頃習った事、ヒュー・ジャックマン主演のレ・ミセラブル(ミュージカル調をイメージしました)、インド仏教を指揮する佐々井秀嶺を扱った「破天」という本(宗教的な人間の生きざまを見れたので)あたりが頭の中で熟成され、書けました。 思ったより、上手くいったようです。 (ハレルヤ)

2019-02-28

>世界をまるごと食べてしまいたいな この行が印象深い詩ですね。 この一文で雰囲気が引き締まったように思います。 朝に感じる混乱と苦痛を詠んだように思いますが、世界を終わらせたいと過ったのか、生まれ変わらせたいと感じたのか。 ここから色々考えてしまいました。 (生死の循環)

2019-02-28

>混沌を牛は超越しているのか。 と、言うより何も考えてないだけかと。 その時その時を全力で”牛”をやっている結果、そう思えなくはないのかなと。 >あふれ出す、ということは、不要なものを放出することでもあるわけだが、要/不要、清濁を決めるのは人間の側であって、あふれさせ、与える側ではない。 確かに。 牛は牛のまま、牛乳を出すだけですね。 そんな訳で、一言選評感謝です。 (B=REVIEW 2019年1月投稿作品 選評)

2019-02-19

ネット詩において熱心なクリスチャンによる詩は見たことがありません。 ですのでいずれここで見れることを期待しております。 ”信仰の証”を非信者にも受け入れやすいよう整えたものは立派に詩となりうると思いますし、聖書の人物をモデルにしたり、キリストの言葉を引用するなどでも表現できますので。 自分個人は一仏教オタですが(仏教の儀式などにはとことん疎く、一人で勝手に原始仏典読み漁っているだけなのでこう自称してます)、信仰が守られると共に良い作品を表すことができるよう、お祈りします。 (愛の本質)

2019-02-08

環希 帆乃未さん、こんにちは。 マリオはマリオで不屈ですしね。そういう点も出せて、そう感じさせれたかもしれません。 ふじりゅうさん、こんにちは。 普通に釈迦の言葉のつもりだったんですが。 なぜか届くはずのないマリオの耳に届いてしまったたつもりで書きました。 ただ、作者の自分が呟いた、プレイヤーでもある自分の言葉がマリオに届いた、可能性は十分にありますね。 ”「発見」と「喜び」”自分自身も感じましたよ。 (誰かの声)

2019-02-06

今野よーよー@poetさん、こんにちは。 むしろスーパーマリオですね。 それと要所要所に挟んだ言葉、実は原始仏典のダンマパダ(法句経)とスッタニパータ(経集)のものです。 マリオに個人的に背骨となった言葉を語らせ、仮託してみました。 気に入っていただいたようで、なによりです。 (誰かの声)

2019-02-02

環希 帆乃未さん、こんにちは。 牛の尻尾を延々と洗っていると、賽の河原で石を積み続けているような気分になってきます。 いくら洗ってもすぐに汚されるので。(酷いときは洗い終わった瞬間汚される) なので喜びを詠うに詠えないところがあります。 それでも観念して喜びとしよう、という風に書きました。 だから喜びを感じさせる文言が出てこなかったわけです。 とはいえ、良い詩とは。ありがたいです。 沙一さん、こんにちは。 糞で染めあがった尻尾は、日にかざすと本当に黄金色なのです。 ミダスの手、というより、ミダスの尻尾かと。 正直どうかなと思った作品でしたが、すばらしいとの評価が。 感謝です。 渡辺八畳@祝儀敷さん、こんにちは。 すいません、お願いします。 (黄金色)

2019-01-24

すいません。間違えて選評にしてしまいました。 お手数ですが、修正をお願いします。 (黄金色)

2019-01-21

ぜひ読んでほしい作品に、フィラデルフィアシリーズ最新作が。 少し趣向を変えてみましたが、上手くいったかなと。 評価していただき、感謝です。 (B=REVIEW 2018年12月投稿作品 選評)

2019-01-15

つきみさん、こんにちは。 確かに牛糞は、堆肥になりますね。 膨大な量が出るので牛が農業を支えている、という話を聞いたことがあります。 今はやり方の違う牧場ですが、大体こんな感じで働いております。 (今日の豊穣)

2019-01-13

オオサカダニケさん、こんにちは。 4年前位に書いた詩ですが、上手くまとめることができた詩です。 評価していただき、ありがたいです。 alice1017さん、こんにちは。 以前勤めていた牧場では、搾乳の際に牛舎内の牛を搾乳パーラーと呼ばれる部屋に移動させていたのです。 そこには搾乳の機械が合計16台あって、16頭ずつ牛乳を搾っていました。 その光景を描いた詩になります。 人間が自然に対して罪を犯している、とは新しい視点ですね。 自然の存在である牛を人間が好きなようにしている、ということでしょうか? そう読めなくはないですね。 帆場蔵人さん、こんにちは。 確かに酪農関係者以外には完全に舞台裏ですね。 毎日このような光景を目にしていました。 色彩は豊かです。汚いですけど。 (今日の豊穣)

2019-01-10

ええ、動じます。仕事では割と多いですし。 ただ、それに引きずられないように努力しています。 勘違いされがちですが、我慢しているわけでもないのです。 苦痛に反応しない、そういうやりかた、生き方があったという事です。 動じることで30年以上苦しみました。 我慢を、怒りを、妄想を、執着を自覚できず、自覚してもどうすればよいかわからず。 我慢も、何もかも動じる事だったように思います。 なので動じず、自分を整える方向へ進んでいます。 呼吸を背筋を整えて。 もっとも個人的にそうしているだけで、他の人にはそこまで勧めはしませんが。 ビーレビューは自分の方向性に近いところがあると思い、先の書き込みをしました。 人間はバカです。 でも、自らを愚かだと自覚すれば賢者であるとの釈迦の言葉を、自分は胸に刻んでおります。 なるべく皆さんには、人を善くあるようにと願いつつ評価をしてほしいと、あくまで個人的に思うだけです。 (気分はもう、最後の戦争 )

2019-01-03

横から、かつここで述べるのは正しくはないのですが。 「賢者は中傷にも称賛にも動じない」 釈迦 願わくば、言動に慈しみを。 他の誰かが善くあるように、自分自身も善くあるように、そう思いつつ評価を。 たとえそれが酷評となっても。 善くあるようにと。 できる限り、中傷にも称賛にも、罵倒にも賛辞にも、何ものにも動じることなく。 自らを整えて。 それがビーレビューの精神に叶うと思いますので。 (気分はもう、最後の戦争 )

2019-01-03

実際の戦争における一般兵は、こういうものなのかもな、と思いました。 大義名分の元、身近なもののために戦い、傷つくなと。 その身近なものが、私利私欲だったりもするわけで。 この作品では父親と戦ってしまってますが、私利私欲の面が強かったのかなと。 もう少しシンプルに、記述を少なめにしても良かったようには思いました。 その方が言いたいことが伝わりやすい気がしたので。 (気分はもう、最後の戦争 )

2019-01-03

stereotype2085さん、こんにちは。 なんだか予想以上に喜んでいただいて、ありがたいです。 テコ入れは上手くいきました。 風の下りは即興に近かったのですが、よい風に書けました。 次回からまた悪夢的な方向に戻りそうですが、こういった方向もたまには考えるようにしますね。 (フィラデルフィアの夜に Ⅸ)

2018-12-27

ishimuratoshi58 さん、こんにちは。 前回の投稿時、ステレオタイプさんからテコ入れを期待されたので書いたのがこの作品です。 ステレオタイプさんに”悪夢的”と評され、確かにその傾向のあるシリーズだったので、趣向を変えてみました。 高く評価してくださり、ありがたく思います。 言葉により情景が変わっていく表現は、上手くいったかなと。 いずれまたこのシリーズは投稿しますね。 またいつもの感じになりそうですが。 (フィラデルフィアの夜に Ⅸ)

2018-12-26

先月投稿作品より傷、痛みといったものが和らいだような印象を受けますね。 なんとか対処しているところでしょうか。 「のです」の使い方で意見がでているようですが。 いっそ、一連目の最後を「一心に」、六連目の最後を「やさしい風が」だけにしてしまうのはどうでしょう? 自分だったらこうしてしまうんで。 (風が吹いている)

2018-12-22

stereotype2085さん、こんにちは。 返事が遅れてしまい、申し訳ありません。 最高の幸福の瞬間にも極度の逆境の瞬間にも、われわれは芸術家を必要とする。 ゲーテ  簡単に言うと、この作品はこういうことかと。 もう少し説明すると、自分の地獄のような苦悩を表現することが救いになったということですね。 そのきっかけが針金の蛇で、その蛇のように表現をしたい、という認識ではあります。  発想の元になったのは二つ。 蛇の体の中に他のどこにもない炎があって、それを取りに行くために蛇の口の中に入った、ポリネシアあたりの神話。 それと純粋に自分のためにつくり、他の芸術に影響を受けてない、アウトサイダーアート。(セルフトートとも言います) アウトサイダーアートの中には、自分の主観である種の地獄なんじゃないのかと思ってしまう作品があります。 ですが、その作者にとっては楽しい、必要な創作な場合が多いです。  今回の作品も同じく、地獄を作るとは必要な創作であり、蛇とは創作のきっかけであり、一種の想像力の象徴なのかと。 また悪魔的で悪夢的なほど危険なものじゃないと青年は救われなかったと思えます。 劇薬も薬なわけで。  テコ入れですか。 目新しい方向もそろそろあってもいいかもしれませんね。 書けるかわかりませんが、少し考えてみます。 (フィラデルフィアの夜に Ⅷ)

2018-12-18

ひとこと選評ありがとうございます! >自らの文体を有するということは、画家が画風を見出すにも匹敵する大事だと考える。 そして自分への結構な評価まで。 感謝です。 (【選評】2018年11月投稿作品 )

2018-12-18

予想外な事に、「小銃射撃」が大賞候補に! まりもさんしか感想を書いていなかったので、外したかなと思っていたのですが。 淡々と行われること、ただそれが小銃射撃とその整備というのが、かるべさんに痛みを与えたのかもしれません。 そして今月、また予備自衛官の訓練に行ってきます。(年1回あるのです) 選んでいただき、感謝です。 (【フル】かるべまさひろの選評<2018年11月分>)

2018-12-11

galapaさん、こんにちは。 仕事が忙しく、返事が遅れてしまいました。 選評を気に入っていただき何よりです。 モサクがいたから余計に熱が入ったかもしれません。 モサクに合掌しつつ。 (選評)

2018-12-09

初めは冬眠を連想しましたが、もう一度読んでみると、クマムシが乾燥などに耐えるため体を縮めてまるで死んだような状態になっているのを連想しました。 こうなると宇宙空間に出しても死んでしまうことはないんで、この詩の語り手もひととき寝てしまうだけなのかなと思いました。 くびをしめられるかのような事がなくなれば、また目を覚ますのかなと。 (あなまどい)

2018-11-22

子供の頃の記憶が少し蘇りました。 トゥレット症(体がストレスなどで勝手に動く症状)持ちなもので、似たような感覚があります。 首が勝手に曲がり、妙な声が出、頭を壁や机に叩きつけてしまいました。 なぜみんな勝手に体が動かないのか、いまだに不思議です。 どこかで折り合いをつけれればいいのですが。 >今日も >風船3つ蹴ってドアを締めるの そのエネルギーをもって生きていってほしく思いました。 (このごろ)

2018-11-21

それがすべて、ではないと思います。 6でなしさんはそのようにやっていくということであり、アリスさんは無理に力強くやる必要はないのです。 死にたくなる、消えてしまいたくなる、その状況をどうするのかという事が必要であり、アリスさんはアリスさんなりの方法でやっていき、表現してほしいのです。 >太陽の陽が雲の隙間から >海に射し込むときを 待とう もう一度この作品を読んでみると、最後の二行は阿弥陀仏の光を一心に待ち望むのと等しいかもしれませんし。 親鸞の「愚かなる自分は、阿弥陀仏の慈悲にすがる他ない」と同じく。 もしそうだというのならば、全身全霊で光を待つ、としてもよいかもしれないです。 アリスさんが、ご自身で見つけてほしく思います。 (どうしようもなく死にたくなるんだ)

2018-11-16

こないだ職場の牧場の牛が淘汰されまして。 高齢だったり、調子悪かったりした牛を、薬殺や食肉として出荷されていきました。 牛に生きる価値があったのか、なかったのか。 牧場としては今まで利益になったのは価値があり、これ以上は価値がなかったのでしょう。 で、牛に聞いてみたら? せいぜい匂いを嗅いできてベロ伸ばして舐めてきたり、モーと鳴いたり。 考える意味がない気がしてきます。 崖っぷちに立っていて、背を押されないなら、後ろを振りむいてほしい。 子牛がモーと鳴いているかもしれないから。 そんな事を考えてしまいました。 (崖っぷち)

2018-11-16

なんだか釈迦の言葉を挿入してみたくなってしまいました。 何分、仏教オタなもので。 しかし、なぜそう思ってしまったか、なのですが。 今月の投稿作の中では、6でなしさんの「人間以下。吐き出し。」に近いと思います。 マイナス思考と苦しみを吐き出したという点で。 しかし大きな差は、6でなしさんの作品では最後にこうあるのです。 >それがいやで、それがいやで自分を信じてやってきたんだ。 >やっていくんだ。 この言葉に比べると、締めが弱いなと。 無理に締める必要はないのでしょうけど、ではどうするのか、という発展がないなと。 ご自身の苦しみに、上手く対応できてないからかもしれませんが。 「我らはここにあって死ぬはずのもの」と覚悟しよう。このことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人々がいれば、争いは鎮まる。 釈迦 ダンマパダ(法句経)より (どうしようもなく死にたくなるんだ)

2018-11-16

まりもさん、こんにちは。 実は自衛隊時代は対戦車ミサイルを扱っていたので、小銃での連射はほとんど経験がなかったりします。 一発ずつなら普通にやっていたんですが。 ですが昨年、予備自衛官としての訓練で連射での射撃をする機会があり、その経験から書いてみました。 赤い、は小銃も真っ赤に錆びる事があるのと、自分の体の一部のように射撃の一瞬錯覚したのと、感想通り幻視ですね。 棒、は詩にある通り汚れ落とす整備なのですが、汚れが落ちない時は全然落ちないんですよね。延々とやることになります。 そんな事が背景にあります。 無駄をなくして緊迫感を出せたようで、よかったです。 (小銃射撃)

2018-11-14

6でなしさん、こんにちは。 なるほど、そうも読めますね。 今回は風見幽香という、花を操る能力を持ったキャラをモチーフにした、一次創作のような二次創作です。 このキャラ、実は戦うことが好きな上に、相当な凶暴性を持っていまして。 それで火花、鮮血、紅い花というのを散りばめてます。 構成がしっかりしていると言ってくれて、うれしく思います。 (ひまわり畑にて)

2018-11-13

これはこれで詩情があるように思います。 もう少し整理すればいい詩になるかも。 >それがいやで、それがいやで自分を信じてやってきたんだ。 >やっていくんだ。 最後のこの言葉で、一気に締まった。 心情そのままが出たように感じました。 もしかしたら大変な状態かもしれません。 でも最後の言葉を大切にして欲しく思います。 題が「人間以下」なのはより善くあろうとし続けてもがいているからかなと。 大変人間らしい行為です。 (人間以下。吐き出し。※)

2018-11-12

一言選評に、「蠅」が。ありがとうございます! 死者への祈りの執着、一言でこの詩を言い当てているように思えました。 (10月分 フル選評(まりも))

2018-11-11

どうにも気になる作品です。 視覚的にはっきりしていて、その上寂しい感じが。 野良犬と電車ははたしてどこに行き、僕はどこに佇んでいるのか、考えてしまいます。 (記憶の川、真昼の星 *)

2018-11-09

オオサカダニケさん、はじめまして。 美しさと奥深さ、とは良い評価ありがとうございます。 モチーフのキャラに頼ったところはありますが。 なかなかよく書けたようです。 (ひまわり畑にて)

2018-11-04

社町 迅 さん、再びこんにちは。 幽香は自分としても気に入っているので、割と書きやすかったです。 行動原理がはっきりしているので動かしやすいですし。 ファンの方に喜ばれる作品を書けて、幸いです。 (ひまわり畑にて)

2018-11-03

社町 迅 さん、こんにちは。 風見幽香がモチーフになっています。 先月、社町 迅 さんの貴音さんへのコメントで、幽香の詩は難しいとあったので、勝手に書いてみました。 最初の行で”幽かな香り”とあるのはそのため。 二次創作を投稿する場合は、マリオをモチーフとした作品以外は極力一次創作に見えるようにしています。 社町 迅 さんの想定より凶暴性が強調した形になっているかもしれませんが。 もし楽しめたのなら、幸いです。 (ひまわり畑にて)

2018-11-03

即興で返詩を。 私を刻み 私を世界に刻み込み 血を壁壁 に  床床 に 塗りたくり 書き散らし 詩を 死にするがため かのように  ぱん 全ては 私は 無くなるものと 気づく 大きな掌の上で 私は今 不幸だと知った (血)

2018-11-01

るるりらさん、再びこんにちは。 良い詩とはありがとうございます! 励みになります! (蠅)

2018-10-24

るるりらさん、こんにちは。 そういえば昔聞いた話で、インドのマザー・テレサが開いた施設に行ったことのある人の話だったと思うのですが、生きている人の足が壊死しかけていて、そこに蛆が湧いていて消毒薬を浸していた、というのを聞いた覚えがあります。 となると、間違ってはいないのでは。  まあ、この作品の母親は、蠅に対してそう感じた、ということで。  それと、元の話とは自分がやりやすいよう好きに変えています。元の話に蠅うんぬんは一切ないですし。 出典によっても微妙に変わってきたりもしますし、あまり気にしないでいてくれたらなと。 自分のアレンジということで。 (蠅)

2018-10-21

かるべまさひろさん、こんにちは。 この元になった話を、偶然にも聞いていたとは。 自分にとっては印象深く、とても好きな話です。 仏教的な感覚としては、人が死に、別れてしまう苦しみを認識し、それに正しく対処するのが慈しみになると思います。 ただそれでも悲しみを感じてしまう、という事かもしれませんね。 二条千河さん、こんにちは。 釈迦の場合(ここでは芥子の種が効くと声をかけた人です)その子は死んだのだ、と認識させる対応を取っているので、蠅をそのような存在として書きました。 劇的な描写がうまくいったようで、よかったです。 (蠅)

2018-10-20

藤 一紀さんこんにちは。 蠅や蛆に関してはそのような事を考えて出してはいなかったのですが、そう考える余地はありますね。 確かに自然にのシステムの中に循環させて、転生させるみたいな。 いずれそういった意味でも仏となる、とは言えるかもしれません。 結果として、いい作用があったようです。 (蠅)

2018-10-19

まりもさん、こんにちは。 クリシャー・ガウダミーの話を元にしました。 釈迦の下で出家した、実在の人物の話です。「私はこれから家を出/髪を剃り上げる」とあるのはそのため。 釈迦の時代の尼僧の詩をまとめたテーリーガーターという経典にもこの人の詩が残っています。 この話自体は、仏教説話としては有名だったりするので、”クリシャー・ガウダミー 仏教”で検索すれば元になった話が出てくると思います。 (蠅)

2018-10-18

独特な悲しみを感じさせますね。 確かに郵便ポストは風雨にさらされ、孤独に立ち尽くしている。 場合によっては一切の手紙を与えられず、変に鮮やかな色彩を背負わされて。 そんなポストに親愛の情を感じる、この語り手も相当な孤独だ。 孤独を詠んだ良い作品だと思います。 (唯一の友だち)

2018-10-16

地球さん、お疲れ様でした。 会場に掲げ、見守り、語ったと感じさせた詩の一つが自分の詩でよかったです。 牛の尻尾を洗いつつ、応援してました。 ライブを生で見れなかったのが残念です。 クヮン・アイ・ユウさん、お疲れ様です。 美しいとまで言ってくれるとは。ありがたいです。 >なにかを諦めた時の、受け入れた時の、手放した時の、あの感覚 そう言われると、割とよくあるかもしれません。 自衛隊時代はとにかく行軍と演習、訓練に励んでいて。 今は、牛のために他の人が投げ出しそうになりそうな継続的な長時間労働を、北の僻地でやっています。 ただ覚悟を決めてやり遂げると、どこか楽しいなと。 stereotype2085さん、お疲れ様です。 物憂げに見られるのは仕方ないかなと。 華やかな会場と、牛糞まみれな自分との対比でもありますし。 やるべきことを好きで覚悟してやっているんで、苦痛じゃないんですけど。 なんだかんだ楽しくやってます。 >どんな境遇に置かれている人も背中を後押しされるのではないか そのような感想はうれしいです。 それでは、明日から残り60頭の牛の尻尾を洗ってきます。 (かの地~B-REVIEW TENに寄せて)

2018-10-10

まりもさん、こんにちは。 以前書いた元になった詩を読みつつ、あの当時の行軍を思い出しつつ、書いたのがこの詩です。 感覚がマヒし、幻覚を見ながら延々と歩き続けたわけですが、かえって頭のどこかはゆるんでいたような。 だから闇や雨を友だと妄想してしまったのかなと。 自分にとっての行軍は厳しい条件のなかに微妙なゆるみがあるようです。(つまり現実逃避ですね) なので、これでご勘弁を。 (友達)

2018-10-09

運営の皆様、お疲れ様です。 良い場にしようと努力しているのが、よくわかります。 今回自分の作品が最後までもつれたようで。 大賞に至らなかったのは少々残念ですが、また仕事に励みつつ、良い言葉を吐くべく、新たに詩作し投稿しますね。 (【必読】月初めのお知らせ【ルール変更など】)

2018-10-01

笹塚心琴さん、はじめまして。 自分がしばしば書く実体験ベースの詩のひとつですね。 元自衛官の牧場従業員なので、印象的な出来事が多いんで。 好きな詩と言ってくれてありがたく思います。 (友達)

2018-09-27

stereotype2085さん、こんにちは。 実は9年前の自衛官だった頃の詩を書き直ししたものです。 大雨の真夜中に行軍した後に書いた詩ですね。 ものすごい雨の中、だというのに先頭が何度も道を間違えてた行軍でした。 大雨と真っ暗闇で思考能力が落ちていく中、「これも友達か」と考えたような、考えなかったような。 そんな体験からできています。 (ちなみにそんな行軍が終わってから、演習の本番が始まったのです。いつものごとく大変でした) (友達)

2018-09-26

即興で返詩を。 母よ、 みんながみんないつか 死んでしまうのです。 そして私は、 捨てれぬものを抱え それでもなお 釈迦の示した道を行くのです。 (母よ)

2018-09-26

IHクッキングヒーター(2.5kW) さん、こんにちは。 そう言われると、成功例はそこまで聞かないですね。 キリスト教会に通っていた事があるのですが、その時なぜ信仰に至ったのかを語る「信仰の証」というのを信者たちが語るのをよく聞いてはいました。 一種の自分語りで成功例と言えますが。 ただ、教会から離れるとなかなかないですね。 杜 琴乃さん、こんにちは。 夏の句と秋の句の間が中央揃えになっております。 「俺は」の部分を強調したかったので。 涅槃寂静という悟りの境地なのかはわかりませんが、(正直たまにやたら惑うので違う気も)安定して牛を世話しています。 それを示せたのがよかったようです。 (自分語り)

2018-09-17

自分の場合、彼女たちを刺しているうちに自分自身を刺している、という風にしてしまいますね。 ただそれも妄想で。彼女たちも刃物も傷も、その衝動も。自分自身さえも。 ならそれらに苦しめられえる必要もない。 自分にも彼女たちのようなものはいないわけじゃないのですが、次第次第に、遠いものになっていっている気がします。 役目を終え、別な仏へとなっていっているのでしょうか。 >地蔵なんてそんな無理だ。夢語ってんじゃねぇよ。 アングリマーラという釈迦の弟子がいるんですが、元殺人鬼でした。 999人殺したとか。それは誇張でも、殺人鬼だったのは事実らしく、テーリーガーターという経典に自分で詩の中でそう言っています。 しかし悟りを開き、尊敬されるべき存在になっているんですよね。 なら夢ではないのでは。 >それは強さなのか弱さなのかはわからない。 ただ立場が違うだけな気はします。 偉そうな事を語ってしまいましたが、祝儀敷さんの齢の頃の自分は全方向的に酷かったんで。 変われる時は意外と変われるとだけ言っておきます。 (殺させてくれたのに)

2018-09-15

エイクピアさん、こんにちは。 これ自分の半生です。 妄想に囚われ苦しんでいたのから、解放されたという自分語りです。 なので高僧やキリストになぞらえるのは、少々意外でした。 (自分語り)

2018-09-15

渡辺八畳@祝儀敷さん、こんにちは。 そういえばそうですね。 たまにあるんですけど、ビーレビ初ですね。 (自分語り)

2018-09-15

stereotype2085 さん、こんにちは。 最近、自分の中にある暴力性について書いた作品が見受けられますが、では自分の暴力性は何なのかと考えてみると、過去の自虐的妄想が自分の最大の暴力性でした。 マゾヒズム的な人間のようです。 そしてそれが何に行き着いたのか、というと原始仏教にたどり着きました。 あの苦しみは、あの暴力は、ただの妄想と執着と感情という、虚妄からなっていたのです。 自分が知る限り、唯一それを釈迦が示していました。 今は釈迦の言説をもって世の中を渡るようになっています。 そういったことを詩にしました。 牛の世話をする日常を、安定した精神をもって送っております。 (自分語り)

2018-09-14

stereotype2085さん、こんにちは。 >築きあげた土台の盤石さを感じます。 そう言ってくださるとは。長い事書き散らして、本を脈絡なく乱読した成果が出てきているのでしょうか。 (今目の前にある本は、仏典とウイルスとテズルモズルとミツバチと気象とゴルゴ13) 気が付いたら27作書いているこのシリーズ、また投稿しますね。 (フィラデルフィアの夜に Ⅶ)

2018-09-14

まさかの大賞候補に! ありがとうございます! 円空仏と縄文土器土偶とシュールレアリスムが好きな人間が描いた作品がルソーに例えられるのも意外でした。 実は10年以上前に書いた作品を書き直したものではあります。 しかし今現在の自分の境地として見れますね。確かに。 階段の踊り場とありましたが、この作品というより、釈迦の言葉が詩に出始めたより少し前が踊り場に差し掛かったと思います。 となると昨年5月に投稿した「ただ詩が」のあたりになりますね。 先ほど投稿した「自分語り」がそこをよくあらわせられたなと。 それとここで了とはしません。 ”自分を害せず、他を傷つけない”良い作品を労働しつつ書くのみです。 (【選評】8月投稿作品)

2018-09-13

あ、しまった。 『他に依る所がない事がない』ではなく、『他に依る所がない』です。 阿含経相応部経典、漢訳では雑阿含経の言葉です。 (自分語り)

2018-09-13

ヤエさん、はじめまして。 >針金人間を突き動かしている欲に敬意を払っていますね。 というより「どんな地位であっても、実行、あるいは忍耐によって貴くない得るような地位はない」ということかと。 (ちなみにゲーテの言葉です) 針金人間の行動が、貴く思えたのですね。 自らを損なわず、他の人を傷つけない、良いと言えるものを表現する事。 やはりそれには、敬意を表したいです。 (フィラデルフィアの夜に Ⅶ)

2018-09-13

まりもさん、こんにちは。 フィラデルフィアシリ-ズでしばしば出てくるのが、「どうしようもない不遇な状況で自らのアートで慰めにする。良いものを作っていく」という人の姿です。  実際のフィラデルフィア・ワイヤーマンがそういう人だった気もするのと、生きる意味を見出すのはそう言うことだと思うので。  今回は自らの体に手向けてほしかった花を生やし、また寂しい下水に明るさをもたらしたいということになるかと。 ゾンビ同然の姿で闊歩したわけですから、かたちや記憶には興味ないでしょうし。 まりもさんの解釈通りでいいと思います。 (フィラデルフィアの夜に Ⅶ)

2018-09-09

「ホントは推薦したかった作品」に「フィラデルフィアの夜に Ⅶ」が! ジャンルでいうと物語詩というビーレビではやや珍しい形態ですが。 楽しんでいただけたようで幸いです。 (8月分の選考。stereotype2085がタイを取りスーツを捨てた。《選評》)

2018-09-01

かるべまさひろさん、こんにちは。 素敵な不思議な中世観、というのがどのような意味なのかよく分かりませんが、楽しんでいただけたようで。 そこはよかったです。 ちなみに以前書いた作品を書き直しました。 まあうまくいったようです。 (フィラデルフィアの夜に Ⅶ)

2018-09-01

「では、どうすればよいのだろうか?」 というのが最初の感想です。 死が迫っているのは、当たり前といえば当たり前なので。 「我らはここにあって死ぬのだと覚悟しよう。そうすれば争いは止む」と釈迦のごとく受け入れるのか。 そうでないならいっそ。 「耽美なる死よ。いつかお前は私に追いつきその甘味に溺れるのだろう。だが、今はその時ではない。ドアに爆弾仕掛けて走り去る」 ぐらいやってもいいかと。 (死人は)

2018-08-22

>自立する個としての自分語りは羽田さんが最強であることを思い出しました。 予想外の事を言われてる……。 それでは都合のいい日をまた連絡しますね。 (三浦果実7月作品フル選評―かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう―)

2018-08-17

取り上げてくれて感謝です。 日々の労働が報われ続けております。 残念と言われた件ですが、牛の産道に手を入れて感触でかろうじてわずかにわかる子牛の様子、これは自分にとって最もいい表現が”見えない向こう”でした。 今思えば愛着があったようです。 なので一行目に書いてしまいました。 覗き込む、もわるくはなのですが……、見えない向こう、にさせて下さい。やっぱり。 (【選評】もどきのEある算数(フル))

2018-08-17

まりもさん、こんにちは。 今回は円空をモデルにしたわけですが、円空にアニミズム的な所は多々あったかと思います。 修験道との関係も指摘されてた気がしますし。 なので仏像を彫り上げた際に出た木っ端に仏を彫り込んだのはむしろ当然だったんじゃないかと。 そういう木っ端の掌サイズのも現存してます。 衆生のため、優れた仏像を彫りたい、というのもあったにしても。 自分が円空仏に感じた事を、この詩を通じて感じてくれたようで、とても幸いです。 (僧の跡)

2018-08-17

「友よ」の方を選ぶとは。 ”自分本位な冒険心”、マリオと阿含経を元にしているので、まさにそうかも。 自分以外混ぜないものを作品にしているので、そこを評価していただけたのかなと。 (三浦果実7月作品フル選評―かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう―)

2018-08-15

おお、推薦作に。 日々の労働がこのような形で報われるとは。 この間も二日で3頭の子牛が産まれました。 逆子はなかったものの、一頭が放牧場で予想外の出産、一頭が子牛が大きすぎて難産、一頭が割と安産でした。 大変ですが、労働と詩作に励みます。 (B=REVIEW 2018年7月投稿作品 選評)

2018-08-12

                    “自己こそが自らの主である” 無意味な音が喉から出て 無意識に右手が頭を殴り  “おのれの心を護れ。自己を難所から救い出せ” 不随意に首が折れ曲がり 不気味な不快な声が出る 拙作、「自爆それと」より。 なんだかこの一節を思い出しました。 引用しているのは釈迦の言葉です。 (死と夢想)

2018-08-12

帆場蔵人#冷やし怪談始めましたさん、こんにちは。 >元よりある形を取り出す、簡単に聞こえるけど、凄まじい修練の先に手が届く境地なのでしょうね。 ミケランジェロは粗彫りをせず一気に完成させたそうですね。 最初から元ある形を見れたという事でしょうけど、最後の作品が円空仏のようでした。 そんな事を思い出しながらこの詩を書いてました。 狂気と信仰はある程度地続きと言えます。 両方だったかなと思います。 (僧の跡)

2018-08-08

stereotype2085さん、こんにちは。 「気持ち悪い」そう言われればそうですね。蒙昧というのも考えてなかったですが、そういう風にも読める。 頭にあったのは晩年の円空なので、そのような傾向が出たようです。 円空仏からは、笑いやある種の安定を感じますが、本人はこんな感じだったかも。 重力さん、こんにちは。 棟方志功もエネルギーはすごいですからね。 映像で見た、強度の近視で版木に顔をほとんどつけながら彫りこむ様はすごかったですし。 狂気じみたという点では同じなようです。 (僧の跡)

2018-08-06

三浦果実さん、こんにちは。 今回の元ネタは円空です。 江戸期に3万体の仏像を彫り上げたと言われている、荒々しいノミ跡が印象的な作風の仏師ですね。 遠く北海道やとんでもない断崖絶壁にも円空仏は安置されてますので、やや狂気じみたぶれないという点ではものすごかったんじゃないかと。 そこはある程度出せたかなと思います。 (僧の跡)

2018-08-05

まりもさん、こんにちは。 年に何回かあることなんです。逆子って。 その度に大変な思いをします。 >ここへこの世へ >綱を引く 実際にそうなんです。逆子だとヘソの緒が切れてしまい、窒息してしまう危険性があるので。 実感がこもっていたのかもしれないです。 牛が産まれてくる<あの奥>、ビックバンが起こっているかもしれないですね。 (見えない向こう)

2018-08-03

おお、優良作に! 日々の労働が役に立ったようです。 初めは牛であることをぼかした構成も良かったようですね。 ありがとうございます! てか、なんでこんなに牛が多いのだろうか……。 (【フル】かるべまさひろの選評<2018年7月分>)

2018-08-03

二条千河(NIJO Cenka)さん、こんにちは。 三連目ですが、元ネタは阿含経です。仏教です。 今、ちくま学芸文庫の阿含経を通読していまして、その中に意味として「釈迦の弟子は体への矢は当たっても、心への矢はあたらない」という箇所がありました。 傷を負わされても、怒りで爆発はしない、ということでしょうか。 それとまた書いてみようと思ったマリオ詩が組み合わさって書きました。 コントローラーについてですが、ご指摘の通りではあるんですよね。 ただ、ネットだと一発目の矢が当たってないのに、自分から二発目の矢に当たりに行ってくことが多い気がしまして。 自分としての主眼はこっちです。 (友よ)

2018-07-29

なつめさん、こんにちは。 牧場従業員なので、たまにあることを詩にしました。 (逆子って大変なんですよね。まだ酪農家が対応できる範囲とはいえ) だから書けたのかなと思います。 そしてそこまで評価してくださるとは。 詩作と仕事、頑張ります。 (見えない向こう)

2018-07-20

5or6さん、こんにちは。 そう言って下さるとは。励みになります! そういえばたまに牛が出てくる詩って投稿されてますよね。 今月はエイクピアさんも牛を出しているし。 詩にしやすいのか? 牛って。 (見えない向こう)

2018-07-19

>両親も言う「お前は変わってんな」 >なあ俺は何処かおかしいのか? >決まって答えは誰も教えてくれない 自分も似たような覚えが。 そしてそういう事を言う人はしばしば何も考えてない。 この鬱積を作品を作る原動力になっている気がします。 これぞアートと言えます。 エログロは個人的に好みではないのは事実ですが、ここまでやってくれるとエネルギーを感じます。 なかなかできないと思いますので。 (イマラチオ)

2018-07-01

藤一紀さん、こんにちは。 レレレのおじさんのモデルが周利槃特という説があるようです。 キリストも親鸞もいっそ愚かである方がよい、と言っているとか。 信仰というのを考えるとそうかもしれません。小賢しい知恵がない方が賢いのかも。 少々わかりにくなったかなとも思ったのですが。 モデル知らなくても読めるという点はうまくいったようです。 (頭悪いお坊さん)

2018-06-30

仲程さん、こんにちは。 コメントくれるだけでもうれしいですよ。 リフレインは好みが分かれるのでしょうか。 くどいと言われたら、その通りですけど。 (頭悪いお坊さん)

2018-06-27

>麻酔なしで性器を切り取られる養豚場の仔豚の悲鳴を >「ブーブー」なんて鳴かない「キーッ」と甲高いこの世で一番悲痛な声で泣き叫ぶんだ すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。 すべての者は暴力におびえる。すべての生きものにとって生命は愛おしい。己が身をひきくらべて殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。 ダンマパダ(法句経)より 子牛を押さえつけて角切って、さらには止血のために焼きごてを傷口に押し付ける作業に従事したことあります。 小さい子牛ならすんなり終わるんですけど、ある程度大きくなると出血多いし、なかなか血が止まらなくて、しつこく焼きごて当てなきゃならないんですよね……。 下っ端なんで押さえつける係なんですけど、痛々しくて仕方ないです。 そんな牧場従業員です。はじめまして。 虐待に見える家畜の待遇で食文化と雇用が守られているんですよね。 そして種としての家畜の遺伝子もまた守られているんです。馬の道産子は食用として種が守られているとか。 もはやこの状況をある程度肯定せざるえません。 命に感謝は必須。ただそれだけでいいのか。 乳牛は一年以上狭いスペースに閉じ込められています。 ただ好奇心一杯の目で、匂いをかいできて、舐め回してくるのを見ると、そこまで苦痛じゃないのかもしれません。 豚や鶏も、密飼いができるよう品種改良されており、ということはあの待遇に苦痛を感じにくいようになっている可能性あるんですよね。 自分もまた考え、答えはありません。 >戦争を終わらせるため、のような大義名分があれば、根っからの殺人鬼じゃなくても無差別大量殺人は可能なんだ >エノラゲイの乗組員はサイコキラーではなく、良き父親であり良き市民であったと聞く そして元自衛官です。 「戦争における人殺しの心理学」によると、直接見なかったり遠くからや集団だと、人を殺すのは容易になるそうです。 二次大戦では相当数が発砲しなかったというデータがあるものの、今では発砲をさせてしまうプログラムがあります。 でもそれでいいのか。 戦わねば何も守れない時はあります。 それでも戦わない平和であれと、祈り、牛の世話をする日々です。 お互い考えましょう。答え出なくても。 (beautiful people )

2018-06-26

まずは、モデルになった人物について。 元になったのは、釈迦の実在の弟子、周利槃特。(しゅりはんどく。パーリ語ではチューラパンタカ) 物覚えが大変悪かったらしく、覚えなくてはならない言葉や儀式、さらには自分の名前さえ忘れてしまう程だったと伝えられています。 そのため先に出家していた兄に還俗させられるところを、釈迦は布を与え掃除をさせました。 「垢を払い 塵を除く」と唱えさせながら。 それにより払い除くべきは自らの心の汚れといえるものだとわかり、悟りを開きました。 テーラガーターという釈迦の弟子たちの詩がまとめられた経典に、この人の詩が載っています。 ちなみに茗荷を食べると物忘れをするとの言われは、この人から。 それをふまえまして。 まりもさん、こんにちは。 少しわかりにくくなってしまったようです。 上のエピソードを詠んだのですが、色々読めるのがかえってわかりずらくなったでしょうか。 下手に思い入れのある話を元にすると、知らない人には難しくなるようです。 花緒さん、こんにちは。 実はリフレインが好きなので思いっきりやってしまいました。 指摘されたフレーズはどうしても入れたかったのです。 このエピソードの重要なポイントなので。元の形ではさらに違和感があったかとは思いますが。 いずれこの作品は書き直すべきなのかとも思いました。 エイクピアさん、こんにちは。 修業時代の、のちに悟りを開いた重要な釈迦の弟子の話なので、まさにその通りです。 釈迦にまつわる話の中で、気に入っている話の一つです。 (頭悪いお坊さん)

2018-06-26

かるべまさひろさん、こんにちは。 前の仕事の関係で多くの銃弾と数発のミサイルを撃ってきました。 どこか自分とも重ね合わせた所を感じ、書いてみました。 最後の連ですが、自然と付け足したところなのですが、読み返すと希望とも限らないよなと。 音速超えて飛んでいくもの、それって銃弾自身かもしれないので。 銃弾が飛ぶ方向は基本、危険です。絶望的に。 銃弾自身にとっても、きっと。 存在自体が悲しいのが、銃弾かなと。 射手としては、ただ命中させるだけですが。 とはいえ、希望を持たすようにも読めますので、それは自由に受け取って下さい。 それだと中途半端だとしても。 (音速超えて)

2018-06-14

仲程さん、再びこんにちは。 神聖代なる小説は知らなったのですが、ボスの「快楽の園」が絡んでいるようですね。 ちょっと興味湧いてきました。 今回の作品とどうリンクしてしまったのか、気になります。 (フィラデルフィアの夜に Ⅵ)

2018-05-31

藤一紀さん、こんにちは。 それでもカポエイラをしているその時は、理屈なしで楽しいかなと。 この作品では、孤独な中で針金相手にやっていたわけですけど、人生の支えになったなだろうなと。 楽しさを忘れなければ、根本は間違えない気がします。 仲程さん、こんにちは。 なぜヒエロニムス・ボスの混沌とした世界が浮かんだのか、わかりませんけども。 かなり静かな世界観の作品だと思うので。 (いや、悪くありません。ユニークだなと) 気に入ってくれてなによりです。 (フィラデルフィアの夜に Ⅵ)

2018-05-25

まりもさん、こんにちは。 >針金、が文字、であるなら。「男」は詩人、ということになるでしょう。 なるほど、その解釈は面白い! そう言われれば即興で体を使って、詩を詠っていたといえるかもしれません。  元ネタは、ブラジルの格闘技でもあり踊りでもある、カポエイラです。 もっとも、昔立ち読みした入門書と格闘ゲームと格闘家のマーカス・レロ・アウレリオぐらいしか知識ないんですが。  即興芸術とカポエイラの競技者は称すので、まりもさんの解釈はあっているんですよね。  実際のフィラデルフィアにもブラジル移民はいそうですし、カポエイラを自らの支えにしていてもおかしくないかな、と思い書きました。  ちなみにペレレというのは、片足の妖怪の事で、片足ばっかり使っているとそれをはやす意味もあってそういう歌詞の歌を周囲が歌う場合があるとか。特に意味もなく歌う事もあるそうですが。 (カポエイラは競技中、周りを人が囲んで楽器を演奏したり、歌を歌うのです) (フィラデルフィアの夜に Ⅵ)

2018-05-24

>この選評はゴミほどの価値のない僕の読書感想文だし、興感日記である事には変わりが無い。 なんか気になったので。 こうして詩を読んでくれているだけでもありがたく思います。 あるわけでもないわけでもない自分の心は、そう感じました。 (百均〈2018年4月選評〉)

2018-05-16

5or6(ゴロちゃん。)さん、こんにちは。 ええ、バキのあの人です。 なかなからしく書けたかなと。 今の時代、このようなコラボ的なのもあっていいでしょう。 知らない人に考慮する必要はありますけど。 良いものを書けましたら、投稿お願いしますね。 (花の山)

2018-05-04

三浦果実さん、花緒さん、こんにちは。 実は一次創作としても読める二次創作です。 どうやら上手く書けたようでよかったです。 いくつかわかる人にはわかる描写を盛り込み、詩としても成立させることができました。 元ネタは、一連目の漢字を検索してみて下さい。 (花の山)

2018-05-03

かるべまさひろさん、初めまして。 かなり印象深かった情景だったので、存在感を強く出せましたね。 ある種の暴力によって平和は保たれていたりしますが、トンボはその被害にあってしまったといえるかもしれません。 上手く書けたようで、よかったです。 (赤いトンボ)

2018-05-01

自分としては「浦安鉄筋家族」(チャンピオン連載のドタバタギャグ漫画)を思い出しました。 この漫画、しばしば女性が異様なほど強いですし。 (母、帰る)

2018-05-01

まさか漢詩をここで読むことになるとは。 「教科書に載ってそうだ」というのが最初の感想だったのですが、色々制約があるものだったのですね。 正直知りませんでした。 意外と反応がない、との事ですが予備知識なしで歌舞伎や能を観るごとく敷居が高かったかなと。 漢詩は高校時代の古文以来全く触れてない(しかも理系でした)のためでしょうか、制約上仕方ない点はあるとしても、上から目線のように感じてしまいあまり共感を得ることができませんでした。 地に足をつけて欲しい、歩き感じる感触や痛みを覚えてほしい、そんな思いが湧いてしまいました。 漢詩には不慣れなので読み違いはあるかと思いますが。 とはいえ漢詩を投稿すること自体は面白いと思うので、個人的には漢詩を読む人間の裾野を広げるような作品を書いてほしいなと。 現代詩を読む機会はあっても漢詩を読む機会のある人は、ここでは少ないですし。 予想外の物を漢詩で詠むとよりいい反応があるかと思います。 (サブカル系統を漢詩で詠むとか) (求仙)

2018-05-01

社町 迅さん、こんにちは。 皮肉といえば皮肉でしょうか。トンボにかまっていられない。 でもそれが本当に正しいのか。それ以上の事があるにしても。 「トンボのトンボの部分はなくなった」 これは地面に落ちて、のたうつトンボを見た正直な感想でした。 このトンボが自分が小銃で傷ついたのを見た唯一の動物です。 (赤いトンボ)

2018-04-25

李沙英さん、こんにちは。 10年以上前に実際に見た光景だったりします。 美しさに関してはあまり考えていませんでしたが、確かに美しさがある。 赤トンボはただただ悲劇でしたが。 平和を守るための訓練で、このような事が起き、矛盾といえば矛盾ですが。 (人のためで、トンボは管轄外ですけど) せめて合掌。 まりもさん、こんにちは。 実弾射撃訓練で、射手に弾倉を渡す係をしていた時にみた光景です。 このタイミングで銃口の上にトンボが止まるのはまずないんですけど。 昔書いた詩を書きな直したのですが、あの光景はまだ記憶に焼き付いてました。 ゼロ戦の練習機を連想すると、また別な感じが出ますね。 (赤いトンボ)

2018-04-19

るるりらさん、こんにちは。 今年の誕生日はレトルトの赤飯食べて終わってたりするんですが。 書いたのが誕生月でロウソクをテーマに書いてみようと思い立ったのと、前回投稿した「自爆それと」が頭にありました。 自分の中でついていた火が、いったん消えて別な形でつき出したイメージです。 落語の死神は知りませんが、調べてみようと思います。 (ロウソク一本)

2018-04-16

百均さん、こんにちは。 書き込んでくださっているとは気づかず、レスが遅れてしまいました。 そこに到達するための過程は、実は明らかにされていたのです。 “生きる事には苦しみが伴う 苦しみには原因がある 苦しみは取り除く事ができる 苦しみを取り除く方法がある“ その一つがこれ。四聖諦というものです。 それを知識としてはあったものの、実行できてなかったという話です。 その体勢がなかったんですね。ようやくできてきました。 物心ついてから30年以上たって、ようやく一山を超え、端緒についたという所です。 “諸々の事象は過ぎ去る。怠る事無く修行を完成させなさい” 死んでしまうか、悟りを開くまでそうなのでしょう。 (自爆それと)

2018-04-10

斎藤木馬さん、こんにちは。 絶望しない方がいいとは思いますけれども。 個人的に仏教に親しんではいたものの、上手く自分の生き方に反映させる事が出来なかったのです。 それがこの詩の最初の方のような苦痛と挟み込まれる言葉の描写になりました。 最近になってようやく、釈迦の伝え残した言葉と瞑想法が人生の指針となってきたように思います。 (詩に釈迦の言葉が入ってくるようになったのはつい最近ですし) 本当に、ようやく、です。 (自爆それと)

2018-03-25

まりもさん、こんにちは。 人間の苦しみを無くすという点ではどの宗教も同じではありますからね。 さて、一連目ですが、実際に頭を反射的、無意識的に打ち付けてしまう症状という神経系の症状が実在しており、それを持っています。 (トゥレット症といいます) 小さい気づかれないようなものを含めると子供だと意外といるとか。 ただ大人まで引きずってしまうのは珍しく、またあまり知られていないので、奇異に見られていたのです。 「涙が感情が 出てしまう度に人としての階級は下がって行く あまりの見苦しさのために」の下りですが、涙と感情を出すと何度も悪く言われてきた経験があります。 軟弱に思われたのでしょう。 人としての等級云々は“自分と他人を比べて「等しい」とも「劣っている」とも「優れている」とも考えてはならない。それらは新たな苦しみを生むからである“ということかと。 これは妄想だったのです。 「自分が網目のような存在で、一本一本の軸から吸い上げては拡散を繰り返す。そして、網目の体を風が吹き抜けていくに任せる。そんな立ち方をしてみたいと思います」 これは自分を境界を越えて宇宙に体を拡散させると言いますか、岡本太郎が言う爆発の本当の意味に近いのかなと思いました。 (自爆それと)

2018-03-25

この作品について、言うべきことをいくつか。 まず、引用しているのは原始仏典にある釈迦の言葉と仏教関係の書物にあった言葉を自分なりにまとめた言葉です。 それとどこの宗教団体にも所属しておらず、ただ20年来の仏教オタなだけです。 一連目の症状ですが、自分はこのようなものを持っており、ストレスによりたまに顔をのぞかせてきますが、最近になって諸々の生きにくい特性と共に折り合いを付ける事が出来てきました。 多くの言葉をようやく自分の物に出来たためでしょう。 かつての自分の苦しみを言葉にできるようになっていたので書いたのがこの作品です。 (自爆それと)

2018-03-23

まりもさん、こんにちは。 ネットを探してもフィラデルフィアワイヤーマンの作品はあまり多くは見つけられないのですが、独特の雰囲気、存在感がとても気になりました。 今回はより後にフィラデルフィアワイヤーマンと呼ばれた人物をイメージしています。 社会から外れた、それでも何かを作りたかった人物だったのかなと。 その他の作家と言える人の心に近づいてみるのも面白いですね。 考えてみます。円空とかいいかも。 花緒さん、こんにちは。 実はこの連作を書くきっかけになった作品を書き直したものです。 (当初は5年近く前に書いた「遺作」という作品でした) それでいままで投稿したものよりストーリー性が強くなっています。 連作の魅力は一つのテーマの多種多様な作品があることですし、こういうのもあるということです。 楽しんでいただけたのなら幸いです。 (フィラデルフィアの夜に Ⅴ)

2018-03-19

311ですね。即興で。 流された 記録と記録を残し 砕かれ すり潰され 食べられて 多くの豚と牛と野菜や米のように 拡散した 黒い水から青い水になった今日 海みずに じっといる 探す人よ ここにいるよ 海みずにさわるひとよ ここにいるよ (海のとき)

2018-03-13

祝儀敷さん、ふたたびこんにちは。 アニメに対してなぜか不快感を持つ人っているんですよね。しかもかなり感情的で全く理解してくれないという。 そして教養をどこまで含めるのか、ですがこれはこれで厄介なんです。 というのも高校卒業したはずなのに、連立方程式解けない人や新聞に何が書いてあるか知らない人と会った事があるので。 ある程度以上わかってくれない人はいるものとしつつ、誠実な作品作りに励む、というのが自分の現在の答えになりますが。 この作品のやり方は、理解されにくい物を受け入れやすくする一つの方法としてはありかと。 たとえ狙い通りにいかなくても。 あと、現代詩なのに現代の風俗に対して不寛容ということでしょうか。 あり得る話ですが、そのような硬直には新しい血と遊び心が必要です。 こういう作品が、一助になればなと。 まりもさん、再びこんにちは。 人によっては不遜に見えるかも知れませんが、仕方ない点もあるかと。 実際自分の親は、けものフレンズは一切ダメでしょう。かなりの漫画好きな人なのですが、今風のアニメ絵は拒否感が湧くそうです。 食わず嫌いでなく、理解しようという姿勢はあって欲しいですが。 「テクストの力」、確かに本当のその力があれば、多少の拒否感の壁は突破出来るかも知れません。 難しいですけれども、ただそれが好きであれば、やれるかもですね。 (君について行く)

2018-02-17

われはひとのそしりを忍ぼう。多くのひとは実に性質が悪いからである。 ダンマパダ(法句経) 320節より 自分も同じ様なタイプです。 やろうとしてもやろうとしても努力しても、できませんでした。 自分は精神主義を排し、客観的現実的で具体的かつ有効性実効性のある対策を練り続けました。 中道の大切さと怒りの有害性を説く釈迦の言葉を頼りに。 これはこれで偏っているので、そうしろと言う訳ではありませんが。 詩としては花緒さんが言ったように、「這い上がってやる」や、「今は落ち着き、整える」といったような方向に最後持っていった方がいいかなと。 自分も「やっちまった」と思いつつ詩を書いています。お互い励みましょう。 つとめはげむのを楽しめ。おのれの心を護れ。自己を難所から救い出せ。泥沼に落ち込んだ象のように。 ダンマパダ (法句経) 327節   (蔑まれ者)

2018-02-12

祝儀敷さん、こんにちは。 まさかここまで小論文のような文章を書いて下さるとは思いませんでした。  まず、自分が書いている詩について、読み手はどう受け取って欲しいかと思っているか、述べたいと思います。 自分は仏教オタなのですが、まず般若心経から入りました。 般若心経の内容を簡単に言ってしまうと、物事には実態が無く見方次第だ、と言えるようです。 ですので、自分が書いた詩は、意図的に中傷するような読み方でない限り、最大限肯定します。 好きに読んで、好きに感想を持って欲しいのです。自分の意図が必ずしも正しい訳では無いので。  「けもポエ」の詩を送った後、ふと考えました。 「アライさん」は「荒井さん」とも変換できるよな、と。 そこから人によっては一次創作とも二次創作としても読める詩を書けるのでは。 そう思い、元ネタ二人を気に入っていたのもあって、書きました。 寄せてくれた感想を見るに、一次創作としてはまあ上手くいっており、二次創作としての感想はありませんが、きっと悪くは無いのではと。  それで①ですが。 読んだ人が楽しめるのかという点で考えるなら、この詩は「一次創作としても読めるならば対策できるのでは」という 実験といえます。 次々に一次創作としても読める作品はそう書けるものではないですが、①対策としては有効かと。  現代のように様々な層に向け、かくも多様な作品が色々なメディアで発信されている以上、元ネタを知らないのは必ずしも罪では無いでしょうし。知っていたらさらに楽しめるとしても。  ②についても、楽しみに待っています。 (君について行く)

2018-02-12

カオティクルConverge!!貴音さん♪�,、こんにちは。 実はポケモンについてはほとんど知らないのですが。 割と受け入れやすい詩にできたようです。 ワクワクしてくれてよかったです。 ankoさん、はじめまして。 実は元ネタのキャラ二人がそういう関係なのです。 元ネタのキャラを気に入ったのもあって書いてみました。 一次としても読めると言う点では上手くいったかなと。 (君について行く)

2018-02-12

まりもさん、こんにちは。 どうやら上手く書けていたようです。 ええ、そのように解釈してくれたら幸いです。 投稿してから全くレスがなかったので、どうなのかと思ってました。 実は一次創作に見える二次創作です。 いずれ百均さんか、祝儀敷さんが突っ込んでくれるかと。 (君について行く)

2018-02-09

湯煙さん、こんにちは。 今住んでいる場所は風がかなり強く、雪が舞い上がり視界が悪くなるホワイトアウトが起こりやすい地域です。 そのような中ではわずかな形跡を頼りに行動する事になります。 出歩かないのが一番なんですが。 この作品では自衛官時代の雪山での演習が頭にありました。 年に何回か経験する猛吹雪から感じるのは力強さです。その力をこの身に宿していきていきたいなと。 それが七連を書いた理由です。 北の地に生きていれば意外と慣れる物です。 開拓の時代の事を考えると想像を絶しますが。 (冬の中)

2018-02-09

小坊師を題材に物事の狭間を表現したのは、なかなか良いと思います。 好みです。 ただ最後もう少し書き加えてもよいかと。 「たとえこの場で揺らめくだけでも」とか。 (小法師)

2018-02-06

ぐっすりゆうさん、こんにちは。 もしかしたら最後に空を見たのかもしれませんね。 大型の家畜として、そのようなことになるのは仕方ないのですけれど。 何を考えたのでしょうか? この手の良い作品書けたら、また投稿します。 (ここにあって)

2018-02-01

百均さん、こんにちは。 新たな試みとしてやってみました。選んだ題材もよかったみたいです。 確かにマリオはヒーローらしさがないですね。簡単にやられるし、中年のおっさんにしか見えないし。 数多いゲームの主人公の中ではプレーヤーである我々に意外と近いかも。 それなのにジャンプという能力を駆使して、単身立ち向かっていくというのは表す事ができたかなと。 (僕は跳んで)

2018-02-01

まりもさん、こんにちは。 死んでしまった、または死ぬ瞬間を見る機会が比較的多い職業をしております、牧場の従業員です。 さまざまな要因で死んだ牛を見、また安楽死される瞬間を年に何回か見てしまうのです。 ついさっきまで搾乳していた牛がそうなってしまうのは、悲しいというより不思議な感覚を覚えます。 また、連れて行かれた先で、屠畜される牛を何度も見送っています。 一連目と二連目が死んだ牛の様子になります。 生き物が死ぬということをまざまざと見せてくれます。 そういう職業だからでしょうか、『われらはここにあって死ぬはずの者であると覚悟しよう。そうすれば争いは鎮まる』という言葉が自分が生きる上での覚悟となりました。 ダンマパダ(法句経)の釈迦の言葉ですね。 この言葉を胸に牛の世話をしていきます。 (ここにあって)

2018-01-31

白井草介さん、こんにちは。 自分にとってマリオといえば、一番最初のファミコンのスーパーマリオです。 自分と同じ世代ですかね? キノコはマリオにとって重要なものでした。入れるべきでしたね。 (僕は跳んで)

2018-01-14

Rさん、はじめまして。 このようなゲームなどを元にした作品は自分にとっても新たな試みなので、至らない所はあったようです。 あまりイメージを強くしても元の作品を知らないと意味不明になりかねない気もします。(二次創作として割り切るなら別ですが) 一次創作としても読めたらいいのでしょうけど。 二条千河さん、こんにちは。 キノコに関しては単純に入れるのを忘れてました。この手の作品を書く場合、人によってキーワードが違うので、難しい点ではあるかもしれません。 元の作品を知らないでも一次創作として読める作品を書く、というのを目標にたまに書いてみようかと。 花緒さん、こんにちは。 実は今はゲームをほとんどやらなかったりします。 それでも面白い方向性かもしれないんで少しやってみます。 マリオシリーズ詩やゲーム詩のシリーズ化は難しくても、もっと幅を大きくサブカル詩シリーズなんかはありかと。 祝儀敷さん、こんにちは。 今や総理大臣がオリンピック閉会式でマリオに紛する時代ですからね。 常識に近くなっているかなと。 (知らなかったと思われるエイクピアさんが悪いとは言ってません。念のため) 漫画でアトムを元にしたPLUTOがあるように、過去の名作を元にした作品が出てきている時代です。 こういうのもありかなと。 この手のものでどうしようかなと思っていた作品が実はあるので、来月にでも投稿しますね。 (僕は跳んで)

2018-01-13

エイクピアさん、こんにちは。 ええと、元になっている作品は「スーパーマリオ」です。髭を生やしたおじさんが主人公のアクションゲームの。 大体の人が知っていると思い、そこはぼかしたのです。 元々は「さらわれた姫を助けに、悪のカメ軍団に立ち向かう」というストーリーで、古典的な名作で世界的な人気があります。 そこから派生した作品も多く、自分もファミコンのBボタンを壊しかねないくらいやりこみました。 知らない人をもう少し想定すべきだったようです。 (僕は跳んで)

2018-01-11

百均さん、こんにちは。 自覚はなかったのですが、読み手と境界線が引かれてますね。 結局何故こうなったのかわからないし、最後は知らないで終わっている。 ただこの終わり方、芥川の羅生門と同じ方法ですよね。 わからないまま終わるっているのは。 こうするのが自然だと思ってそうしましたが。 (フィラデルフィアの夜に Ⅳ)

2017-12-27

アラメルモさん、こんにちは。 元々はフィラデルフィアワイヤーマンと仮に言われている人が作った作品から発想を得ていました。 ゴミ捨て場から見つかった武器や人形にも見えるそれらは、物に荒々しく針金を巻かれてあり、作った人は何者なのかは大規模な捜索にも関わらず、未だわかっていません。 そこから想像を膨らませ連作を続けている内に、フィラデルフィアワイヤーマンからどんどん外れていってしまったのです。 「フィラデルフィアの夜に」という語感が気に入ったのと個人的な針金への愛着、月一ペースで書けてしまうという理由でそれでも書き続けているのですが。(気がついたら21作品目です) 連作で人物を中心にしたのもありますが、今回思いついてしまったのがこの情景でした。 針金がなんでか這いずり回って一時だけのクリスマスツリーを作り上げ、誰にも知られずそれが終わってしまったという。 異論はあるのでしょうけど、自分でもよく分からないものを丁寧に書いていきたいと思ってます。 わかりやすさや引き込まれるという点では、よくないのですが。 (フィラデルフィアの夜に Ⅳ)

2017-12-27

まりもさん、こんにちは。 実は墓場に生えてある大きな樹に針金が巻き付けられたイメージでした。 木が折れたの下りは、引きずられていく針金にひかかったため、のつもりでした。 でもまりもさんの想像の方がこの出来事に合ってますね。 わざわざ命ある木を切って、針金巻き付けたクリスマスツリーを作ったのか。 そして、割とすぐ針金をはがして撤去したのか。 さらにある種の怖さが出てきます。 二条千河さん、初めまして。 上手く映像を思い浮かべるような表現が出来ました。 そこまで怖がらす気はなかったんですが。 そういえばフィラデルフィアシリーズ、こういうのばっかりかも。 日下悠実さん、初めまして。 好きに読んでくれたら幸いですよ。 自分の想定が正しいとも限らない気がしますし。 まりもさんへの返信にも書きましたが、自分としては針金が巻き付けられた樹は、墓場に生えている大きな樹のつもりでした。 そして何者かなのか、なぜか針金が勝手に樹に巻き付いてきたのか、はっきりさせないようにしました。 なのでいつも以上に好きに読んで欲しいなと。 個人的感傷というより、「よくわからないがこんな事が起きた。それは誰にも知られずに終わった」というつもりでしたが。 自分にとってそうなだけで、好きに読んで楽しんでくれたらなと。 (フィラデルフィアの夜に Ⅳ)

2017-12-26

hyakkinさん、こんにちは。 なるほど、空白をそう考えますか。 自分としては余韻と考える事が多いのですが。 今この時も雪中行軍している部隊があるかもしれません。 そしてそうやって変化し強くなる自衛官がいるのです。 そういうのも頭にありました。 (来るのを待つ)

2017-12-17

ふじりゅうさん、はじめまして。 表しているのは書いてある通りですよ。 自分は元自衛官なのですが、自衛隊辞めた後、用があって元いた駐屯地を訪れました。 その時自分がいた部隊がちょうど雪中行軍の演練をしていたのです。 それが元になっています。 戦前も戦時中も、そして今も現場の人間は変わらずにあんな感じだったのではないでしょうか。 糸井翼さん、はじめまして。 実は行進の歩調を合わすのに異様な程苦労した音痴なのですが、詩のリズムは気にしてます。 上手くいったみたいですね。 軍隊的なものは否定する気は無かったんですが、そこから出てしまったので、寂しさみたいなのはあります。 もっとも今は牧場で牛の世話に散々追われてて、そんな感傷ないんですが。 実際、もうすぐまた仕事です。 仲程さん、こんにちは。 正直なところ、体力検定で何度も落ちなければあの列中にいたのです。 その寂しさみたいなのはにじみ出ましたね。 結果的に牧場の仕事がとても合っているので、後悔はありませんが。 (来るのを待つ)

2017-12-07

仲程さん、こんにちは。 そのような時は背筋を伸ばし出来るだけゆっくり息を吐きつつ、気持ちを落ち着かせるのが良いかと。 それはさておき、思った以上に独特の迫力の場面を書けました。 自分としても少し驚くくらいです。 発想の元になったのは原始仏典のテーリーガーター(釈迦の時代に出家した尼僧の詩集)で、最後の下りも少し変えてますがそこからです。 まりもさん、こんにちは。 少しバーニングマンフェスト(アメリカの砂漠地帯で行われる炎を盛大に使ったイベント)が頭にあった様です。 情景を改めてイメージすると、我ながら凄い光景ですよね。 夏野ほたるさん、はじめまして。 感想いただけるのは、ありがたいですよ。 そう感じてくれたら、なによりです。 テーリーガーターの頃からの問題ではあるんですよね。答えが出ないのでしょうけど、考えるべきなのかと。 (フィラデルフィアの夜に Ⅲ)

2017-11-14

fiorina さん、こんにちは。 クリスチャンではなくても、熱心なクリスチャンの人たちには一時期相当接していました。 クリスチャンにとってこの詩はどう感じるかは分からないところはありますが、自分なりに描写したのがこの詩です。 悪人正機説の影響はある気がしますけど。 心地よく感じられたら、幸いです。 創世記に「初めに言葉があった」とありますし、遺された言葉によって考えなどが確認できます。 キリストや釈迦の遺した言葉で知る事ができ、多くの人が安らかになったのは事実ですよね。 余談ですが、聖書や仏典、コーランの大半が詩だったりします。 (MARIAへ)

2017-11-05

似たようなのを見た事があるなと思ったら、夜露死苦現代詩に取り上げられていた駄菓子屋で売られている点取占いのくじに書かれた文章でした。 よく見てみるとなかなか面白いですね。 ちなみになんだか気に入ったのはこれです。 30ハンバーグを切ったら中からハンバーグが出てきた。 (70の文と70の数字。)

2017-11-04

まりもさん、こんにちは。 投稿してから思いだしたのですが、教会で似たような文言結構聞いていました。一部の賛美歌や信者の信仰の証(どのようにして信仰に至ったのかを述べる)がそうでした。 その影響から、このような作品になったのだと思います。 信者にとっては、ようやくつかんだよりどころですし、自分にとってのキリスト教はこのようなものです。 (キリスト教徒は西や東の聖人、哲人に頼れとは言わないでしょうけど) 硝子さん、こんにちは。 そのように言って下さり、ありがとうございます。 硝子さんの作品のようなキリスト像も間違ってはいないと思うのですが(神に従うならばより良く無ければならないという考え。カルヴァン派に近いのかな?)、自分にとっては共に歩み苦しむキリストです。 (なんだか地蔵菩薩のようなイメージだ) 真里亞に、「望むのは安らかなあなただ」と人々のために背負い苦しむキリストを感じたら何を感じたのでしょうか? (MARIAへ)

2017-11-04

以上、プロテスタント教会に通っていた事のある、原始仏教に傾倒している男の詩でした。 自分が現時点でキリスト教徒だったら、というシュミレーションで書きました。 硝子さんが先月投稿されたMARIAへの返詩のつもりです。 頭にあったのは教会で聞いた話。 「神と共に歩んでいたはずが、振り返ると足跡は一人分しかなかった。神よ、私を見捨てたのですか?」 「そうではない。私があなたを背負っているのだ」 それと、この動画。(二次創作ですが) http://www.nicozon.net/watch/sm22532231 自分のキリスト教の解釈は親鸞の悪人正機説が入っている気がしますが、キリスト教にはこのような面はあるかなと。 (MARIAへ)

2017-11-01

なかなか印象に残る作品でした。 来月頭に返詩を投稿しようと思います。 自分でもこのような詩を書けるとは思っていなかったのですが。 (MARIA1 短編)

2017-10-28

まりもさん、こんにちは。 万が一に備える、でも出番が無いのが最も良いんですよね。 置いていかれた満月に照らされた病馬は、何を思ったのか。 十五夜の下でどこかの部隊の人は、行軍していたかもしれません。何を思ったのか。 これからも何も無ければとは思いますが。 (行軍の名月)

2017-10-10

痛々しい凄惨な情景ですね。迫力があると思います。 ただ「色即是空 空即是色」の箇所は「諸行無常」が正しいかと。 「あるわけでもなく ないわけでもない」と訳される場合もありますので「全ては過ぎ去る」の方が意味が合っているかなと。 「ヘドロのようになってしまったあいつ」こそが「色即是空 空即是色」であり、必要なのは落ち着くことかもしれません。 (逆光)

2017-10-04

仲程さん、こんにちは。 ふとみんなが月を見上げたら、雲に隠れてしまった。まるで照れ隠しみたいに。 という光景のつもりでした。 気に入ってくれたら、ありがたいです。 るるりらさん、こんにちは。 こちらでは大雨で月は見る事ができそうにありませんが。 そう言ってくれるとなによりです。 祝儀敷さん、こんにちは。 確かにそう思われても仕方ないですね。そこはもう少し何か出来たかも。 ただ、これ実体験で明るい満月の下でも、そこまで周囲が見えないと感じた事があったのです。 影がかかったりしたら特にそうでした。 湯煙さん、こんにちは。 自衛隊時代に満月の下で行軍した事があります。 その体験からこの詩を書きました。 本来の攻撃ではより闇夜を利用するのでしょうけど。 最後の連は仲程さんへの返事にも書きましたが、擬人化と思ってくれれば。 人間性が照らし出されたとも言えますね。 (行軍の名月)

2017-10-04

るるりらさん、こんにちは。 一体どこでこの詩を見たのか、少し気になりますが。うおのめに投稿したかな? 以前勤めていた牧場(色々あって勤め先を変えてます)でまま見る事のあった光景なのです。 比喩も何も無いのはその経験からです。そのままが一番強烈に伝わるので。 ”世界を見る”も比喩じゃ無く、そのまま事実のつもりです。 センターに最後の一文があった方がいい、との事ですがこれは”子牛が見ていた”というつもりでこの配置なのです。 でもどういう視点なのかは読む人によって変わるかも知れません。 ただ自分としては、そのつもりでした。なので、この配置です。 湯煙さん、こんにちは。 慣れないと読みにくい構造かもしれませんね。一般的じゃないので。 反芻させるつもりはなかったんですけども。 ”子牛の目と体がすべてを”との解釈、そこまで全身で見ていたというのもありえますね。 ”二極でありながら一である”というのもなるほどなと。 カラスについては、現実に群がるんです。弱った牛に、えげつないくらいに。 元気な子牛にはそうでもないんですが。 あと、サピエンス全史ですね。牛が最も惨めな生き物とあったのは。 ただただ全力で過去も未来も無く、今この時を生きているだけなので、牛にとってはそう言う評価はどうでもいい気が。 (同じ日に)

2017-09-17

まりもさん、こんにちは。 括弧してかげひかりと題に書いた方がよかったみたいですね。 えいこう、と読んでしまう人多かったかも。 一時期、般若心経にはまりにはまった事があったので、その影響はあります。 最後の一行についてですが、自分は無くしてしまうとオチがないような感じがしてしまいます。 個人的には、やっぱりほしいです。最後の一行。 (影光)

2017-09-16

まりもさん、こんにちは。 ”墨絵のような濃淡”とのことですが、あまり意図してませんでしたが確かにそうですね。 ホルスタインも墨絵のような白黒ですし。 結果的に生と死を表現出来たかも知れません。 ”死を、見届けるためには、生はその場を立ち去る、距離をとる他はないのか”この点ですが、死ぬのはやはり他者なんですよね。 牛の場合、どうしようも無く特にそうでして、死にそうな牛に対して、無関心です。 (家畜として管理しやすいよう、色々と能力が欠けてしまったせいかもしれません) ちなみに、見ていたのは小屋にいる子牛のつもりでしたが、語り手だととしても合ってますね。 (同じ日に)

2017-09-16

花緒さん、こんにちは。 2年前に書いた物ですが、同時に起こった出来事を表す意味で、たまに書く二つに分けた作品の中でも上手くいったものです。 牛舎の中は誕生も死もすぐ隣で起きてしまう空間だったりします。 時にはこういう事もあるわけで。 生と死が管理下にあるのは家畜だけで無く、確かに人間もそうかもしれませんね。 牛は何の覆いも無くその姿を見せてくれてるのでしょうか。 (同じ日に)

2017-09-15

なんだか気持ちいい作品ですね。 世間には胸を張れなくても、少なくとも自分自身に対しては、胸を張ってます。 提出したダッシュみたいなのを受け止めてくれる先生がいれば、色々輝きそう。 (白紙)

2017-09-15

花緒さん、こんにちは。 実は結構前の作品です。4年前だったかな。 「かげひかり」という言葉が思い浮かび、なかなかリズミカルな感じがしたのと、ちょうど五文字だったので、七五調で書いた覚えがあります。 影と光は対称的というより並列の関係との考えも有り、このような作品となりました。 リズムという点では上手くいったかなと。 (影光)

2017-09-06

花緒さん、こんにちは。 二つに割った詩は自分が書いたもの以外見た覚えないです。 探せばあるかも知れませんけど。 (このスタイルはバットマン・ダークナイトリターンズというアメコミ読んでいて思いつきました。アメコミはしばしばコマと文字が別々なので) ビーレビに投稿したものでは「ただ詩が」「死にて死に」も一応そうなりますね。 そうするのが自然に感じてやってしまっているのですが。 (光 音)

2017-08-30

まりもさん、こんにちは。 8月ですしこのような詩を書いてみました。 あと自分にはいつもどこかに鎮魂というのがあるようです。 フォーラムのkazさんへの返信で「何かを感じさせればそれは詩である」と書きましたが、ふと”あれもまさか、詩だったのか”とも思いました。 この世に現れるべきでなかったにしても、ではどうするのか。何を感じたのか。 自分なりに表してみました。 二つに割って表記したのは、それが自然のように感じてしまったのでそうしました。 (たまに二つに割った詩を書くのもあるんですが) (光 音)

2017-08-27

三浦果実さん、こんにちは。 返詩ありがとうございます。 かなり動的な描写ですね。 自分は静的にしたので、結構な対比が。 (光 音)

2017-08-26

みえてるつもりはないんですけども。 なんだかアンパンマンマーチを思い浮かべてしまいまして。 あの歌詞はどこかで命綱のように正気に続いているかもしれませんね。 ところで今思ったんですが、「陽極まれば陰となり 陰極まれば陽となる」のなら正気でいることは狂気に意外と簡単に続いてますよね。 だから中道でいなければならないのかなと。 (詩論:再び偽りに終わったとしても)

2017-08-25

即興で、返詩を。 それでも書いてゆこう。届かない世界へ目指して。 いくら悲しんでも、どこか覚めいる。 怒りに震えても、頭に風が吹く。 狂気へ自分を追い込んでも、仏性が止めさせる。 罵倒しよう。自分を際限なく。 自虐しよう。自分を永久に。 自傷しよう。自分を。 (そうだたのしいんだ 生きる喜び  たとえむねの傷がいたんでも) それでも書いてゆこう。 読んだ誰かは、何かを受け取る。 (詩論:再び偽りに終わったとしても)

2017-08-24

竜野欠伸さん、こんにちは。 兵器の声なき声、それは人の声なき声のような気がします。 確かに輸送兵器がなければ、救難救急、災害支援は物凄く大変ですね。 悪条件にあそこまで対応しているものはないですし。 どちらかと言えば頭にあったのは破壊兵器でしたが、輸送兵器もある程度同じですね。 そしてこの詩を気に入っていただけるとは。幸いです。 (声を出せ)

2017-08-15

湯煙さん、こんにちは。 詩はシンプルなものがいいと個人的に思っているので、このようなスタイルです。 武器は使うべきでは無いが使わざる得ない時がある、という立場です。 存在は否定できないのです。積極的な肯定もしませんが。 それでも使わざる得ない時、せめて後の人は何か感じて欲しいなと。 (感じる事が単純な否定ではなければなと思いますが) 「音にならなければよい音だ」 わかりずらい文章でしたかね? 反省点です。 余談ですが、駐屯地記念日に自衛隊駐屯地に行けば、武器装備の訓練展示があり、使われている様子を見る事が出来ます。 (声を出せ)

2017-08-13

花緒さん、こんにちは。 投稿した後、まだ書きようがあったような気がしたのが本音だったりします。 もう少し考えてから投稿すべきだったようです。 自衛隊時代に、対戦車ミサイル扱ってまして。 物凄い音が鳴るんです。 あの音が満ちた状態とは、どんな地獄なのか。 そんな事がもしあったのなら、せめて後の人が感じ取って欲しいなと。 まりもさん、こんにちは。 ダリが描いてそうな絵ですね、それは。 それはさておき、小銃(よく訓練で持ち歩いてました)や対戦車ミサイル(思い出深いです)に対する変な愛着が出てしまったでしょうか。 もう少し書きようがあった気がしてきます。 ただ考えてみれば終戦の月なんですよね。 今、何か感じ取れるでしょうか? (声を出せ)

2017-08-12

個人的に、ついこないだ肉になりに行った職場のホルスタインを思い出してしまいました。 「暮らしとうございました」 牛ですし、その直前に何を思ったのか、わかりませんが、そう思ったのか。 「また食べよう」 残していった餌を思い出したのか。 パタパタ耳を動かして、業者に引き取られてしまいました。 両者を同じようにしてはいけませんが、両者とも亡くなりましたので。 冥福を祈りたく思います。 (小さな夜の羽虫は遺書)

2017-07-21

まりもさん、こんにちは。 頭にあったのは「戦争における人殺しの心理学」という本です。 (作者は一兵卒から司令官までやった歴史学と心理学の学位を持つ人だとか) そこにあったトラウマや戦場の様子がここに現れてますね。 世の中から外れた人の作品のような気がしたのもあって、ここではこうしました。 今書いているのは、もっと超常的な要因で作られてますが。 あと、長島三芳という人は知りませんでした。調べてみます。 (フィラデルフィアの夜に)

2017-07-19

北村灰色さん、はじめまして。 これの元となったのはフィラデルフィア・ワイヤーマン(仮にそう呼ばれている)作品です。 ゴミ捨て場で偶然発見された針金を荒々しく様々な物に巻き付けた、人形のような武器のような独特の造形の作品たちで、一体誰が作ったのかは大規模な捜索にもかかわらず分からないまま、今日に至っています。 そこから想像を広げてみました。 実は連作ですでに15作品書いています。(どんどんフィラデルフィア・ワイヤーマンから離れている感がありますが) 気が向いたら、ここに投稿しようと思います。 (フィラデルフィアの夜に)

2017-07-17

湯煙さん、こんにちは。 昨日は双子だった二頭の死産と、二頭が無事に生まれたということがありました。 悟りというより、動揺する意味も暇も無いのが正しい気がします。それはそれで衝撃を受けて詩を書いた訳ですが。 できるのは生きている牛ができるだけ元気なままでいさせる事なんで。 (死にて死に)

2017-07-07

まりもさん、こんにちは。 逆子では無く、足が折れていてそれが子宮にひかかって時間が経ちすぎたのですね。 出産にあまり時間が経ちすぎると危険な様です。仕事柄死んでしまった牛はしばしば見るのですが、少し前まで生きていた出産途中の血の気の無い牛の遺骸は、衝撃を受けてしまいました。 その衝撃を感じたまま書いた結果がこの作品です。 どうしてもこれ以上の推敲をする気が起きないのも正直なところです。 花緒さん、こんにちは。 確かにいきなり「子牛の遺骸」などと来てもよくわからないかもしれませんね。 でもやっぱり変える気がしないのです。 これが完全な作品と言う気はありませんし、初見の人にわかりにくくても。 自分なりの鎮魂であるからかもしれません。 (死にて死に)

2017-07-06

まりもさん、こんにちは。 雪国の人間にとって実は雪というのは、暖かい物なのです。 実際、寒さがきついのは真冬の寒波(自分の住んでいる地域だとマイナス20℃下回ります)を除くと雪が降る直前の晩秋なのです。 そして雪とは玄関も自動車も埋め立ててしまうものです。 容赦も感情も何も無くただただ降り続き、真っ白にさせてしまいます。 雪の景色も結晶もそれは綺麗でも、見る余裕はないほど。 だから一時、冬の間は終わるのですね。色々と。 そう言うのを詩に込めたつもりです。 (雪が降る)

2017-06-27

花緒さん、こんにちは。 言葉を重複させるのが好きなので、このような形を取っています。 確かに言葉遊びは好みが分かれるかもしれませんね。 ただ重複と言葉遊びでリズミカルになったかなと。 (雪が降る)

2017-06-18

まりもさん、こんにちは。 どちらかというと、国の興亡を客観視しているイメージでした。 それだけ綺麗な夕日が無くなっていく様子ですね。 自分としても上手く書けてよかったです。 (夕日の国)

2017-06-14

祝儀敷さん、こんにちは。 視覚的な面は、正直あまり考えてませんでした。 でも、心地よいのであれば、幸いです。 仲程さん、こんにちは。 今住んでいる所は、良い景色と温泉ぐらいしか人に勧める物がないような田舎です。 それでも搾乳作業にふと横目で見る夕日が、素晴らしく綺麗だったりします。 そんな夕日からこの詩を書きました。 良い日常風景とは祈りに通じるかもしれません。 (夕日の国)

2017-06-13

花緒さん、こんにちは。 良作とは、ありがとうございます。 畜産や自衛隊関係の詩が書きやすく、自分としても印象が残りやすいので多く投稿していましたが、こういうのもあります。 詩は読みやすいのがいいと思っているので、このような形にしています。 畜産以外の詩も、また投稿しますね。 (夕日の国)

2017-06-12

まりもさん、こんにちは。 確かに、牛を一日一日死に近づけているかもしれませんね。 でも、その牛のその一日を幸せにできるなら価値があるかなと。 自分たち自身もそうなんでしょうけども。 そんな気持ちも入っている詩です。 (世話しているのは乳牛ですけども) (餌を押す)

2017-06-08

仲程さん、はじめまして。 日々の地道な労働が平和に役立つものと思い、労働しております。 食料自給には貢献してますし。 ライフルを人に向けて欲しくない、これは大切な事と思いますよ。 たとえそうはいかないとしても。 (餌を押す)

2017-06-01

花緒さん、こんにちは。 実は自衛官時代に311の救援に行った経験があり、直接的でないにしろそれが少し入っています。 日常の光景ではあるのですが、牛を何頭殺しても良い、仕返ししない、という風にも読めますね。確かに。 危機が叫ばれる中、平和を祈り、牛の世話をする日々です。 (餌を押す)

2017-05-30

なんとなく智恵子が檸檬を囓る詩を思い出しました。 (高村光太郎の詩にそんなのあったような) こういった作品好きです。 (小悪魔)

2017-05-25

湯煙さん、はじめまして。 はい、かわいいです。牛。 でかくて好き勝手動いて、頭突きしてきたり、足踏まれたら凄まじく痛いけれど。 また牛関係の詩を投稿しますね。 (牛肉)

2017-05-25

奏熊とととさん、はじめまして。 なるほど、そういう意見ですか。 実は鼻炎で味覚と嗅覚が人より鈍いため、そのような表現は苦手なのです。 自分には「A5ランクであっても食べ散らかす事になる命」という感覚の方が強いです。 ですので、このような書き方になっています。 白島真さん、はじめまして。 数日前に焼き肉食いました、自分は。 それでもこの仕事好きなんで、まだまだ牛の世話やります。 それでは自分もまた「いただきます」。 (牛肉)

2017-05-24

霜田明さん、レスをし忘れてました! すいません。 そうなんです、そこが自分の矛盾点ではあるのです。 でも社会が必要とし、自分も負担にならず、楽しく感じてしまうのです。 ですのでこの仕事をやっています。 (自分は乳牛相手ですが、やはり牛をときに死なせてしまう仕事なのです) るるりらさん、はじめまして。 そのようなパートタイムあるのですね。知りませんでした。 幸せとは、苦しみがないこと、苦しみをなくした状態のことのような気がします。 今牛舎にいる牛がそうであればいいのですが。 それと、比較しないでいたい、ということですが、すべては関係性でしかないとの話があります。そう物事を見るのが悟りや空なのではないというのです。 以上初期仏教オタからでした。草薙龍瞬という人がわかりやすいです。 fiorina さん、はじめまして。 何らかの殺戮によって生きながらえているのは事実なんですよね。 だからこそ感謝と殺さないですんだ命に向かって祈るのが慈悲の瞑想なのかもしれません。 それと、書くことでそれをあらわすのが詩の能力かもしれませんね。 また何か書こうと思いました。 (牛肉)

2017-05-23

花緒さん、こんにちは。 まさかここまでお褒めいただくとは。 励みになります。 まりもさん、こんにちは。 わざわざありがとうございます。ツイッターやってないんです。 そこにこう書いて下さるとは。 でも、酪農はまだ四年目の新人なんですけども。 田中恭平さん、はじめまして。 自傷的な言葉から詩を始めたのは、自分も覚えがありますが。 自虐や自分を特別視するのを釈迦は良くないと言ってはいます。(慢、という心の働きとか) ただそこから、良い物を出す事が出来ればいいのかなと思っています。 悪い物があるから良い物が際立つ訳ですし。 自己セラピーも極めたら、すばらしくなるかもしれません。 (ただ詩が)

2017-05-23

まりもさん、こんにちは。 ビーレビ設立の経緯を読み、書いてみました。 その時に「汚い言葉を使う人がいるが、我々は使わないでいよう」という、釈迦が弟子に向けた一言を思い出し、詩に入れました。 やむをえないとは言え、一つの見方を絶対視しがちなために言葉が荒くなる様に感じます。 詩に、人に幾ばくかの敬意を抱くのが批評する上での礼儀で、それにより多面的に物を見られるのではないかと。 偉そうな事は言えませんが、そのようでいたいと考えてます。 (ただ詩が)

2017-05-22

夏生さん、はじめまして。 レスが遅れてしまいました。 スーパー行ったら自分もまた、安いかどうかでしか肉を見なかったりします。 でも、毎日生きている牛と接しているもので、生きている間は苦しくないで欲しいな、と思うのです。 「牛は 動物は/明日と死後を考えない」の箇所、実際動物は基本そのようです。 実家で飼ってた犬もそのようでしたし、科学者もそう言っていたような。 なら、今がより重いのかもしれません。 ちなみに言う事聞かない牛は、特に意味無く言う事聞かなかったり。 (嫌な予感しているのも否定できませんが) (牛肉)

2017-05-21

hyakkinさん、こんにちは。 スーパーで並んでいる肉を見て、生きていた牛や豚を想像するのは確かに困難ですよね。 かといって畜産や酪農側からそんなには伝わって来ないのもあります。 (必要とされてないからかもしれませんが) ただ牛が注射により割と簡単に死んでいくのを時に見る立場なものですから、とても印象深く詩を書いてしまいます。 シンプルなのは、割と簡単に死んでいってしまう牛を見たからかもしれません。 (牛肉)

2017-05-11

双葉月ありあさん、はじめまして。 畜産業、酪農業というのは命をコントロールして成り立っている訳ですが。 たまにえげつなかったりしますし。 綺麗事言うのはあまり知らないからかもしれません。 こんな感じの酪農関係の作品はまだいくつかあります。 いずれ投稿しますね。 (牛肉)

2017-05-04

hyakkinnさん、はじめまして。 五七調のまとまりの良さが気に入っているので、しばしばこう言った作品を作ります。 少々言葉足りませんでしたかね。 自分はこういう状況をこう書いたのですが、好きに読んでもらえれば幸いと思っているので、このようにしてみました。 それぞれの解釈がそれぞれ正しい気もしますし。 (街星々)

2017-05-04

amagasasasite さん、はじめまして。 牛、かわいいんですけどね。でも、目の前で死なすこともありますし。 「生きとし生けるものが幸せでありますように」 そう祈って仕事する日々です。 5or6さん、はじめまして。 ありがとうございます。 また、投稿しますね。 まりもさん、こんにちは。 ”火に脂注ぎ”の箇所ですが。 確かにそうも読めますね。 実はすぐ近くに肉牛の牧場があり、そこの社長と焼き肉することがあります。 その社長、自慢げに旨いぞと自分で生産した牛肉焼いていたんで、そのイメージでした。 大変で行政に振り回されたり、矛盾もありつつ、やっぱり好きだから、みんなこの仕事やってます。 (百姓貴族という漫画にその様子が詳しく描かれております) (牛肉)

2017-05-02

花緒さん、こんにちは。 実は今日、勤め先の牧場の牛が一頭処分されました。 乳牛なのですが、立てなくなったのです。 経営上、社会システム上、止む終えない事ではあります。(体重800キロの生き物を介護できません) 肉を食べる事、生き物を殺す事は矛盾はあるのですが、必要なものです。 せめて生きている間、死なせる必要のない間、健康と幸せを願ってホルスタインを世話しています。 肉牛農家もきっと同じように考えているかと。 エイクピアさん、初めまして。 「生きとしけるものが幸せでありますように」、これは実は初期仏教の「慈悲の瞑想」と言われるものの一部が元ネタです。 これは人だけでなく動物一般も含まれるそうです。(ですから出家者は基本菜食主義です) 自分もまた動物一般に対して祈っております。 矛盾は多々あるのですが、そうやって牛の世話をする日々です。 (牛肉)

2017-05-01

生きとし生けるものと過ぎ去りしものへ。 合掌。 (『鍵のない箱』)

2017-04-11

まりもさん、はじめまして。 「星雲ごとく」「地に満ちるる」この箇所はひらがな七文字にしたかったので、こうしました。 自分としては好きに読んでくれればいいと思っております。 実は何年か前に書いた詩なので、社会的意識はないつもりでした。 ただ改めて読めば、そういう側面を持っていますね。 なかたつさん、はじめまして。 光ない暗闇を一晩行軍したことのある、元自衛官です。 そんな時は星がとてもきれいなのですが、曇ったり森の中に入ったりで、見られない時もあるのです。 そんな時、ふと真っ暗な中に街明かりが煌々としていると、なんだか落ち着く経験がありました。 正直、街の明かりが魅力的だったのです。 でも、任務で暗闇に入っていかないといけなかったというのを詩に書いたつもりです。 しかし、どこかで星が実は魅力的だったかもなと、今思いました。 (最悪の場合、北極星で方向を確認するハメになりますし) (街星々)

2017-04-10

祝儀敷さん、はじめまして。 単純な構成の詩が好きなので、このようなスタイルで書いています。 語句が調和してない、これは課題ですね。 (街星々)

2017-04-09

花緒さん、はじめまして。 地に星は、天に星との対比の関係で字余りにしてみました。(天地という意味と、両方三文字にしたかったのです) で、これ実体験です。 なので僕たちは兵士のつもりですが、好きに読んでくれれば幸いです。 (街星々)

2017-04-08