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この日々に
一列に 昼餉食いたる 子牛かな 牧草を換え、なくなった配合飼料を少し増やし、餌槽に撒けば子牛たちが来る。 善くない話ばかりが流れてくる中で。 一心に 吸う声聞く ミルク飲み 牛は、子牛たちは変わらない。 離乳し別な牛舎に移ったあと、また別な子牛たちがミルク飲みに来る。 スマホの通知に気づく事無く。 不意打ちで 視線撃ちたる 牛瞳 牛は変わらない。 暗い場所で横長になる瞳で、じっじっじっと見る。 変わらない 和牛顔を ふと撫でり 産まれたてでも、離乳した後でも、子牛産みたてでも。 柔らかい鼻をくっつけてきて匂いかぎ、ザラザラな舌で舐めまわす。 モーと鳴き 声出さず ドナドナドナと シリンジ打ちて 川渡り 息を止め スマホの通知が止まらない日に 生老病死が止まらない、この日々に。 変わらなかった牛が、変わりゆく。 終わりゆく。 「我らは何も持っていない。大いに楽しく生きていこう」 大いに楽しく生きていこう。 大いに 大いに 楽しく生きていこう。
この日々に ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 995.3
お気に入り数: 2
投票数 : 4
ポイント数 : 0
作成日時 2025-08-10
コメント日時 2025-09-08
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
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| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
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| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
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| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


死に向き合いながらも、それを感謝で覆いながら、大いに楽しく生きていく。スマホの 通知というところを、もっと知りたいかなと思いました。牛と人間の混ざりあった 世界を読みたいです。
0このご時世なので地震、台風、高温、戦争などなどとスマホからはあまりいい通知は来ない事が多い気がします。 そういうのと、変わらない牛の日々という事を描いてみました。 この主題はしばしば書いていますが、対比がどうにも大きくまた作品にしました。 >「我らは何も持っていない。大いに楽しく生きていこう」 この箇所はダンマパダからの引用です。 難しいですが、大いに楽しく生きていたいところです。
1いい通知が来たら、牛と共有できるかな、と思っていました。 世界の平和を牛と共有できる日も遠くないと思います。
0牛とスマホとの対比が面白いと思いました。 「シリンジ」とは注射器のことなのですね。 「モーと鳴き ドナドナドナと 川渡り」 ここが好きです。
0日々の生業。一心不乱に生きる牛。通知に隠された現実の多さ。最後に変わる牛。そして「楽しく行きていこう」という救いに似たシンプルな結末が染みました。
0こんばんは、 >>不意打ちで >>視線撃ちたる >>牛瞳 この描写にドキリとしました。
1職場では注射器をシリンジと称しており、文字数の絡みもあってこうしました。 肉牛を世話しているので、出荷されるのは成果が出たと同時に命の終わりでもあります。 少しでも苦痛がなければいいのですが。
0>我らは何も持っていない 大いに楽しく生きていこう 三枚の衣と鉢とその他わずかなものだけを携え墓場や荒れ地で修行を続けた釈迦が弟子たちを激励をする言葉だと思いますが、考えてみれば俗世の我らも何も持っていないと言えないこともないです。 牛たちも我々もその点では同じかと。 楽しく生きていこう。 難しいですが、そうしたいところです。
1牛は好奇心が強く、気になったものに対してじっと見つめてきます。 視線を感じたら、近くにいる牛たちが一斉にじっと見つめている事がしばしばあります。 なのでこのように描写しましたが、牛になじみない方にとっては新鮮な表現になったかもしれませんね。
1こんばんわ。 「衒う」事を競うような世の中で ゆっくりと動いていく「生態」に目を向けた今作を読むと うつつとは、「せからしい」と 思いました。 普段、読まない文章なので 興味深く読みました。 作品、ありがとうございます。
0牛と子牛のレゾンデートルと言うよりは、種としての主張。詩的主張が含まれていると思いました。楽しく生きて行こうと言う宣言は爽快だと思いました。
0また牛か…また牛だねと思いながら読んでいて、そうだこれは羽田さんの詩だったとあらためて気づき、牛の話をいつの間にか一生懸命まじめに読んでいる自分にも気づきちょっと笑ってしまいました。牛ですよ牛。それでいて、いやそれだからか何だか悠久の時間に飲み込まれそうで、最後には「大いに楽しく生きていこう」と来る。いいじゃないですか、牛を題材にした詩として完ぺきだと思います。
0牛も素早く動くときは相当素早く動いたりしますが(足は意外に早く、首の動きも成牛の全力だと並みの人間じゃ反応できないレベル)、世間とは別の速度で生きている生き物ではありますね。 そんな速度の影響を受けた作品かもしれません。 楽しんでいただき、感謝です。
1レゾンデートルとは存在理由という意味なんですね。知りませんでした。 牛に存在理由はないでしょうから、ただただ全力で牛の命を生きているだけでしょう。これは種としての主張と言われればそうかもしれません。 >大いに楽しく生きていこう 釈迦の言葉で、出家者を励ます言葉だと思いますが、牛と我々にも向けた言葉かも。
0またしても牛です。 牛に悠久というものはなく、今目の前にある物事くらいしかない気がしますが。 牛の言うペースは普段接しない人にはそう感じるかもしれません。 >大いに楽しく生きていこう 牛とこの言葉を遺してくれた釈迦のおかげでいい作品ができました。高い評価を感謝します。
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